後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(6)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁
(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁
(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
  青印が今回アップした部分です。



(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁

 1997年12月末頃、母、兄夫婦、妹及び多くの見知らぬ男性らによって再度ワゴン車に監禁され、荻窪フラワーホームという名称のマンション(杉並区荻窪3?47?15)に連行され、同マンションの804号室に監禁されました。

 (注)写真はフラワーホーム(筆者撮影)。『我らの不快な隣人』では「フラワーホール」と記載しましたが、正しくは「フラワーホーム」です。訂正しておきます。クリックすればおおきくなります。
12年間監禁場所となった「フラワーホーム」

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後藤徹氏が監禁されていたマンションの構造 

 後藤徹氏が監禁されていたマンションの構造

 後藤徹氏は、荻窪のマンション「フラワーホーム」に97年12月から07年2月までの9年2カ月間、監禁されていた。
 といっても、リアリティをもって想像することはできないだろう。
 それは、あまりにも非日常的で異常な出来事だからだが、それ以外にも、どんなところで監禁生活を過ごしたのかわからないことも原因していると思う。

 そこで、「フラワーホーム」804号室の部屋の間取りを以下に明らかにしておく。
 これから続ける後藤陳述書が少しばかりリアルに理解できると思う。

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後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(7)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁
4) 宮村等による脱会説得<上>
(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青印が今回アップした部分です。

(4) 宮村等による脱会説得

 1998年1月初旬から同年9月頃にかけて、宮村峻が元信者等を引き連れて804号室に来訪し、棄教強要を行うようになりました。

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後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(8)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁
4) 宮村等による脱会説得<下>
(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青印が今回アップした部分です。



5・第2回目の監禁
4) 宮村等による脱会説得<下>

1999年12月、私は世の中のことが分からないまま年月が経過していくことに激しい不安感を感じ、家族に対し、『現代用語の基礎知識』を持ってくるよう要求しました。ところが、この要求を拒否されたため、家族等との間で激しい言い合いとなりました。(注)36歳

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後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(9)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得
(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)
(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
青色が今回アップした部分です。


もう8年だぞ!

5・第2回目の監禁
(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)

 2004年4月、このままでは一生監禁されたままで終わるのではないかとの恐怖心に襲われましたが、2001年2月にはどんなに私が脱出しようとしても取り押さえられた経緯があったことから、遂に私は21日間のハンガーストライキを決行し、長期監禁に抗議しました。(注)40歳

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