ネアカの亨進。ネクラの顯進。
「文顯進・家庭平和協会」考(4)
-火の粉ブログの今後のこと-
[2017/02/17 12:13]にアップした「2017年以降のブログの方針-いよいよ蛍の光です」 に目を通してください。
「ブログを閉じるのか」。個人メ-ルで何人かから問い合わせがきていました。
今後の方針は、書くべき記事、伝えるべき記事がなくなれば、更新しない-ということにつきます。
ななくささんが書いていました。「摂理延長~のお知らせ♡(爆)」
<今年で終了すると言っていたブログを、もうちょっとだけ書きたいことあるので、書きたいことを書き終わるまで延長します>
書きたいことがあれば書く。全くもって正しい姿勢だと思います。
小生もそうします。ただ、だんだん書くべき・伝えるべき記事は少なくなっています。これまでの記事件数は922件(投稿数は17168件) 。あらかた語っています。
謹賀新年なのに、また文顯進様のことかぁ~。実は小生も大いに気分悪し-なのだあ。
小生が彼と彼の支持者に興味を抱いているのは、日本のシックが自己破産、生活保護世帯になるにもかかわらず高額エンドレス献金を続けてきた、その巨額の富への関わり方に関心があるからである。
<注>拉致監禁説得が行なわれてきたのは高額エンドレス献金が背景となった-ことをわすれてはならない。文3派諸君には「広島夫婦拉致監禁事件・民事訴訟の訴状を公開(前半)」を是非読んでもらいたい。
シックが献金したのは文鮮明に対してである。
<注>文鮮明ではなく神に献金したのだという超観念論の主張は失当である。神は銀行口座をもっていない。
にもかかわらず、文鮮明の金は妻ではなく俺のもの-と、3男顯進は主張する。このオカシサに顯進支持者は一切、言及しない。当然、おこぼれ(1000億円以上」に預かりたいからだ(と、ふつうの人は思う)。故人のことに言及するのは気が引けるが、神山さんは間違いなく、おこぼれに預かっていたはずだ。
元家庭連合の本部幹部だった櫻井正上氏は現在どうやって生活しているのか、教えていただきたいものだ。顯進サイドから毎月いくら金(シックの献金)をもらっているのか。もしもらっているとすれば、バカとしかいいようがない。家庭連合からもらっていた給与もシックの献金だからだ。くれる人が違っただけのこと。(大泣)
「顯進兄さんだけ狡いよ」
3男顯進以外の子どもたちは、父親の金は私のものと、どうして自己主張しないのか。かすかな良識やためらい、羞恥心が残っているからであろう。
やはり、3男顯進は特異な性格なのだと思う。
「三男は性格が悪いというか、独り善がりなんだよね。たとえば、二世の七年路程とか言い出したときも、日本の二世の先輩は止めたんだよね。日本社会では現役入学から3年以上年長になると就職できなくなることも説明したのに全く聞く耳を持たなかったんだよな三男は」
【出典】https://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-11941411199.html
独り善がり⇒独善的⇒自信たっぷり。草食系は魅かれるのかもしれない。
その昔、「ネアカ」「ネクラ」といった性格分類があった。
何となくクラい、陰険で陰湿な印象を受けるのは、やはり顯進氏とその手下連中だ。顯進氏を支持する2C(ココア&コスモス)は毎日のようにブログを更新しているが、やはり「何となく暗い」。とくにねばねばしたコスモスには明るさがまるでない。
これに比べ、文4国進や文7亨進は「ネアカ」である。
「ネアカ」対「ネクラ」という観点で、綴ることにする。
まず、ブログの有りよう。
サンクチュアリ教会を支持するブロガ-は自分のブログを,あたりまえのことだが、「サンクチュアリ教会」に登録している。その数79。
実に単純ですっきりしている。実名で書いているブログも少なくない。
分かりやすさは明るさを印象づける。
一方、「UCI〓家庭平和協会(FPA)のカテゴリ-」に登録しているのは、わずか13 (;_;)
驚くのは、少なからぬ顯進派のブロガ-は自分たちの「ブログ村」に登録していないのだ。実に陰湿である。
前出の2C、バシセラ、ヨンギの糞味噌、『真の家庭』とは何かを考える、文顕進様を支持する有志の会、神と共に生きる真なる息子娘として・・・。
また、どういう訳か、多くが敵対する「家庭連合村」に登録している。
元共産党員が共産党のブログにもぐり込んでいるようなもの。といっても理解できないだろうなぁ。社会的な感覚が欠如しているから。
次に、指導者の顔である。
サンクチュアリ教会の場合、指導者である文7亨進&文4国進は毎週のようにサイトに顔を出している。演説の動画などで。
一方、UCI〓家庭平和協会(FPA)〓GPF(団体名が多すぎ)の指導者、文家3男の顯進はあまり顔を出さない。
2018-12-29 07:51:07のパシセラのブログ「お祝いの日」に目を通してもらいたい。
上から数行目
<昨日は、文顕進会長を中心として、とても素晴らしいお祝いがあったのですが、その家庭のお祝いの中にも、はっきりと神様が祝福できる原理が働いています。お祝いの席で、親子の関係こそが神様と人間の関係を理解することができるようになる出発点であることを文顕進会長は語られましたが、>
両親は三男に俺たちの金を返せと訴えているのだが、馬耳東風、<親子の関係(「UCI vs 教団」裁判関係)こそが神様と人間の関係を理解することができるようになる出発点>とは、クラクラ・ヨレヨレ・ヨタヨタ
とても意味深なところがある記事でいろいろ推測できるところ大なのだが、ここではブログのテ-マを外れずに述べておく。パシセラは記事を削除するかも。
12月28日に文顕進はみんなの前でしゃべったという。
ならば、それをサ教のようにストレ-トに、全文(できれば動画で)紹介すればいいのだ。顕進はUCIグル-プの統帥なのだから。
ところが、顕進のポチはそうしない。たぶん忖度して。
部外者が聞けば、顔をしかめるような内容のこともしゃべっていたからであろう。
郭錠煥は年寄りでチビで頭が悪いとか、郭錠煥の長男は障害者でチビだとか。
文4・文7が世間と比べて格別「ネアカ」とは思わないが、文3があまりにも暗く、陰険・陰湿だから、対比して、引き立って見えてしまうのだ。
あと2点。
これが事実だったら、UCI集団はアウトだろう。
●「分派侍JIN ただ今参上!」
●「ネパール大会」での反対デモの真相を暴露する三男派ブロガーの大失態
●http://bunpasamuraijin.blog.fc2.com/blog-entry-305.html
*反論、いまだないようだ。
もう1点は、神々の黄昏さんの提言である。前回記事の投稿欄。
「もし、顕進派の人達が今までの教団とは違うと言うのであれば、宗教思想を明確に示し、具体的な運動方針なども明らかにする必要があります」
チコちゃんが言う。「オルタナティブ? そんなの無理無理べビ~」ハイハイ
一方、文7亨進たちは方針を示している。方針への是非はともかく、違いがあることは認めなければならないだろう。
「日本におきましては家庭連合のメンバーのどのくらいの方々が、自分がだまされていたことに気がついて下さるのか、ポツリポツリというのではなくて、雪崩現象が起きることを願い、その為に戦って行きたいと思います」
澤田地平はノ-テンキだが明るい。彼を嫌う井口断食とは照度の点で、まるで違うのである。
「介護ブログ」「母は96歳になります」。毎日のようにブログを書いている方たちの介護ぶりが知りたいです。
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コメント
Re: 「祝福」の呪縛
(略)
過去の記憶では組織の呪縛から献金したまでで「万物条件」としての金を貢ぐ献金でした。
後付けはもういいです。誰に献金したのですか。
明けましておめでとうございます。
信者が献金をする時、”自身を神に捧げる=献身”の思いを形として表すため代わりに”気持ち(お金)を神に捧げる=献金”となります。
献金は宗教的行為なので抽象論を免れ得ないと思います。
献金の使途は”神の御心に叶った”使い方なので献金を使う人は”神の御意”を理解している必要がある或いは”神の御意”に叶って使っていると信者から同意を得ている必要があるという事です(他の言葉で言うとすれば信託投資するということか)。信者がそれを如何に判断し得るかですが、
1.人間は”神の御意”を判断し得ない(してはならない)
2.渡した組織或いは教祖或いは役職者が信頼できる(”神の御意”に忠実に使う)
3.(1.に近いが…)教義に示されているように万物条件を立てたら(献金したら)神様の超越的な力によって”御意”がなされる或いは献金した本人が救われる
上記の様な考え方があるでしょう。ここまで考えると、信者が献金の所在を資産運用の如く考えるのは難しい事が感じ取れると思います。
以前のコメント欄で善悪の価値判断の基準は教祖のみにある、と書きました。献金もそうです。本来は文鮮明のみが”神の御意”を知っていると。ところがもう、今はいません。ならば、”神の御意”=”文鮮明の遺言”または”後継教団の正当性”という話になってしまいます。
”文鮮明の遺言”は残っているという話は聞かないが、7男の戴冠式が準じるでしょうが、相続の意味があったかどうかはっきり言えません。しかも、もう既に家庭連合を出てしまっています。(すみません、ちょっと文を編集しました。曖昧な記憶ですみません)3男は文鮮明存命中に要職から外されているので成り立ちません。
後継教団については、宣布文(ねつ造疑惑有)があり、その統一教会は家庭連合になったので、鶴子教団ですが、原罪に関わる根本教義を変えたので正統性は???です。正統ではないが、後継なので正当なのは鶴子ではないかというのが僕の考えです。
統一教会の実態を米本さんのブログが示して下さったので、分かる通り、統一教会に献金するのは虚しいことです。まだ、どぶに捨てたほうが、困っている人が拾うかもしれない分、有益かもしれません。統一一家、軍産複合体、宗教サラリーマンの手に渡り、(脱法や犯罪の手助けをするだけです。)食口は生活保護に。なーんもいいことありません。教義も出鱈目です。
ブログ存続、慶賀です。
ブログの行く末を心配していましたが、ブログは閉鎖せずに残して下さるとの事。安心しました。
思えば「火の粉ブログ」が始まったころ、このブログが教会改革の起爆剤になるのではと大いに期待したものです。
しかし教会指導部は、協力者として持ち上げていたはずの米本さんなのに、その叱咤激励に耳を傾けることもなく、最終的には徹底的に排斥するようになりました。
それでも、多くの食口が「火の粉ブログ」に期待していたことは、そのアクセス数が如実に物語っています。
それにしても、文先生が霊界に行かれたら、多かれ少なかれ分派的な動きは出てくるだろうと予想はしていましたが、ここまで骨肉相食む争いになるとは思ってもいませんでした。
考えてみれば、教会の改革を期待し裏切られた食口の少なからずは、分派に流れて行ったということもあるのでしょうね。
しかしそれで分派に行っても、3男派は教義的には一番まともなようにも思えるが、本家のDNAなのかお金については問題だらけ、家庭連合から裁判で訴えられ判決の雲行きも怪しそう。
7男派に至っては、理由はどうあれ母親への悪辣な非難や、銃肯定など素直に受け入れているんですかね?
かく言う家庭連合は、独生女とかいっていつの間にか教義の根幹部分が変わってしまっているし・・・(T_T)
正直、どこにも行き場のない思いを持っている食口も多いんだろうな。
「火の粉ブログ」は、そんな迷える食口の道しるべになると思いますよ。
とりあえず存続おめでとうございます。
は~?こんな憶測を垂れ流し間違っていたら抗議しろというようなブログがですか?
自分達の感情だけで動くこのブログも自分からしたら統一教会の裏版の集まりにしか見えませんがね。人間って寂しいから何処かに居場所を求めて、お仲間的な投稿者と盛り上がっているだけに見えます。所詮類友。
ここしか情報が得られない人間も多いのが統一教会関連の閉鎖的な寂しさかな。
良い一年になりますように(笑)
顯進氏の負のイメージについて
今年も機会が訪れたならば、貴重な情報を頂けることを心より嬉しく思っております。
どうぞ本年も宜しくお願い致します。
>サンクチュアリ教会の場合、指導者である文7亨進&文4国進は毎週のようにサイトに顔を出している。演説の動画などで。
一方、UCI〓家庭平和協会(FPA)〓GPF(団体名が多すぎ)の指導者、文家3男の顯進はあまり顔を出さない。
>両親は三男に俺たちの金を返せと訴えているのだが、馬耳東風、<親子の関係(「UCI vs 教団」裁判関係)こそが神様と人間の関係を理解することができるようになる出発点>とは、クラクラ・ヨレヨレ・ヨタヨタ
米本さんが文顯進氏に関して陰険で陰湿な印象を強く受けるのは‘火の粉’の以前の記事にも書かれていた様々なエピソードに見られる暴力的性格や組織のものとしてあった巨額の資金を不透明な形で自分の支配下に移してしまった手法のマイナスイメージからだと思いますが、それらのことは確かに米本さんのような良識ある一般人には悪いイメージを与えることになり、顯進氏は「ネクラ」であるという印象が強くなります。
さらに、上の引用のように自分の考え方をわかりやすく公表する場面がほとんど見られないため、その印象は固定化し、さらに悪いイメージとして膨らむようになってしまいます。
そのようなマイナスイメージは国進氏や亨進氏と比較した場合にとても対照的であり、彼らの場合はインターネットなどを通して自分達の考えを正直に表明していますから、一般人が見た場合でも陰湿な印象を受けることはありません。
もちろん顯進氏は主張をまったく表明していないわけではなく、「お父様の夢の実現」「One Family under God」「神の摂理」などの統一教会用語を使った主張はネットを通して間接的に伝わってきます。
しかし、それらの宗教用語は一般人には通用しない具体性のないもので、実際に彼がどのような活動をしているかは分かり難く、組織のリーダーの主張としてはかなり曖昧で、内容のないものとなっています。
ただ、具体性のない教団用語を強調する顯進氏の話し方は彼のオリジナルではなく、実際は父親の文鮮明氏が話す内容を引き継いだものであるので、統一教団の中で彼だけが特に問題がある訳ではなく、そのような問題は文鮮明氏が健在だった当時の信者達の多くにも当てはまります。
顯進氏の場合はその内容的に曖昧である教団用語をことさら強調しているため、理性ある米本さんのような一般人に対しては良い印象を与えることができないのです。
また、顯進氏が亨進氏のようにインターネット上に顔を出して自分の主張をアピールしないのは、特に陰湿な性格なのでそうしないのではなく、できないのだと思います。
亨進氏は完全に宗教的な妄想の中に没入しているので宗教家としての考えを正直に話していますが、顯進氏の場合は彼よりは理性が働くため、妄想とすぐわかるような内容は自分の言葉で話すことはできないのだと思います。
彼の頭の中にあるのは統一原理に違いないのですが、統一原理の中にある妄想的部分に関しては一般人には通用しないのは分かっているので、一般人にも理解できると考えられる統一原理の一部内容だけ、自分の主張として述べているのだと思います。
しかし、統一原理そのものが思想として欠陥があったり、未熟な内容であったりするので、説得力ある具体的な主張を述べるのは難しくなります。
統一原理には「蕩減復帰原理」や「神の摂理」歴史観が含まれますが、それらは統一教団の教典である原理講論にある「堕落論」が大前提となっています。ところが「堕落論」は全くの妄想論であり、非科学的な内容のものですから、「神の摂理」などについては一般社会に対して自分の主張として訴えることはでません。
原理講論にある「創造原理」だけが唯一、一般社会に通用するものとしてその内容を訴えることができるものなので、彼は「One Family under God」を自分の主張として表に出すしかないのです。
ただ、原理講論にある「創造原理」は実際の社会運動に結び付けるには内容的に漠然としており、思想としてはまだまだ未熟なものであるため、顯進氏の場合も「One Family under God」について具体的、実践的な内容を語るにはさらに思考を深めなければなりません。
実際には、その思考を十分に深めることができないため、結局オルタナティブを示すこともできないのです。
それは統一原理の限界でもあり、顯進氏が社会運動家として一般人から認められたいのであれば、統一原理を超越してその「創造原理」の思想内容をさらに深める必要があるのです。
顯進氏が実際に動かしている資金に関しては、間違いなくそれは統一教会信者からの献金である訳ですが、その献金は宗教的な理由をもって教団に集められたお金であり、教団が宗教的な目的のために使用せねばならないお金です。
ところが実際には文教祖はそのお金を宗教的目的以外にも多く使用しており、普通の言い方をすれば教団の資金を私物化していました。
さらにその献金を集める方法は違法性が高く、強制的な手法を使って信者達から献金を集めていましたから、その蓄えられた巨額の資金自体が犯罪的性格の強いものであり、「One Family under God」の思想を持っているならば、文教祖のようにそのお金を勝手に私物化したりできないはずです。
しかし、様々な情報を知れば、顯進氏はその献金された資金を私物化しているように見えるし、そのお金に対する態度は善なる思想を持った者とは思えず、米本さんが言われるように陰湿な性格を感じてしまいます。
ただ、矛盾が多い統一教団の教理に従えば、こじつけによって献金の私物化も肯定できてしまいますので、その場合、彼の思想は矛盾が多い統一原理のままということになります。
統一原理に基づく「善」とはまさに「カルト」的独善である訳ですが、顯進氏のとってきた行動を見る限り、結局父親と悪い意味で何も変わっていないことになります。
顯進氏が宗教的にレベルが高い善なる価値観を持っていたとするならば、お金に執着することはなかったはずですが、その行動に表れたお金に対する執着心を見ると、まだまだ価値観は未熟なようです。
神々の黄昏さまへ質問
神々の黄昏さまの投稿文の中に堕落論が妄想であるとおっしゃっていました。その妄想である根拠を教えていただけますか? 堕落論は原理の骨子であり看板理論(?)ですので。よろしくお願いいたします。
Re:神々の黄昏さまへの質問
私は‘火の粉’に投稿したコメントの中で度々原理講論の堕落論を否定していますが、‘あさってのジョー’さんからそれに対して質問をいただきましたので、ここで返答させていただきます。
堕落論については‘火の粉’の以前の記事に付けたコメントの中で、それが妄想である根拠を既に書いていますが、そこに書いた内容が第一の根拠となっています。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-991.html
(上の記事に投稿したコメントより引用)
―(引用はじめ)
その堕落論の最大の拠りどころは旧約聖書の創世記であり、旧約聖書に書かれていることは真実であるという前提で、堕落論は創作されているのです。
ところが旧約聖書に書かれていることが全て文字通りの真実だなどと言うことは決してないのです。
そこには科学的な真実に反することも多く書かれており、その神話を実際の出来事として捉える思考法そのものが根本から間違っているのです。
実際に科学的な真実に照らし合わせれば、原理講論の堕落論は成り立ちません。
それは「原罪」が血統的に受け継がれるというのは非科学的であるという問題のみでなく、それ以前に、地球上に初めて霊人体を持って誕生した人間であるとされるアダムとエバから繁殖していったのが現生人類であるという原理講論の説は考古学的に解明された科学的な真実によって完全に否定されてしまっているのです。
つまり、約3万年前に誕生したとされる現代人=ホモ・サピエンス・サピエンスにアダムとエバは属さねばならないのは当然ですが、考古学的な発見から地球上で最初に宗教的な行為を行ったのは約30万年前に誕生したネアンデルタール人なのです。
https://www.s-yamaga.jp/nanimono/seimei/jinrui-01.htm
この現代人と遺伝子が異なる旧人は歴史上最初に死者を葬る儀式を行ったのがわかっており、この旧人も原理講論が論じている「霊人体」をもっていたのは明らかです。従って、霊人体を初めて持った現代人の祖先は一人の男性と一人の女性であって、そこから神と人間の関係が始まったという創世記に基づくストーリーは完全な間違いであり、歴史的真実とは異なるのです。
即ちアダムとエバのストーリーを信じることは天動説を信じることと同じであり、科学的な真理に反し、真実を捻じ曲げることになるのです。
統一原理の基本的柱でもあり、統一信者の人間性に強い影響を及ぼしている堕落論は真理ではあり得ない古代の作り話を基にしたものであり、それを根拠に人類の救済などを論じても全く見当違いということになります。
―(引用終わり)
上に書いたように、現生人類の祖先が歴史上最初に宗教的行為を行ったのではなく、それより前に出現したDNAの異なる旧人が既に宗教的儀式を行っていたのであり、そのことは既に考古学的に解明されているのです。
宗教的儀式を行うということは当然ながら「創造原理」に書かれている「霊人体」を旧人がもっているのであり、創造主=神との霊的関係がその時代から既に存在しているのです。
その考古学的真実に基づくならば、神が歴史上最初に創造した人間(霊人体をもつ存在)は現生人類の祖先ではなく、その前に出現した旧人なのです。
原理講論の堕落論では神が宇宙万物を創造した後、最初に創造した人間がアダムとエバであるという旧約聖書の神話を前提として人間の堕落を論じているのですが、現生人類に属するはずのアダムとエバよりも前の時代に、既に霊人体をもった人間が存在していたとするならば、堕落論はストーリーとして成り立つ前提からして間違っていることになります。
創造原理では人間と他の被造物を区別する場合、霊人体をもっているか否かで分けることになりますが、その人間の誕生が現生人類より前である事実を考えるならば、天地創造されて最初に誕生した人間の男と女が堕落したが故に全人類が原罪を持つようになったと解釈する堕落論は根本から間違いであることになり、それは真実とは異なる作り話に過ぎないということなのです。即ちその堕落論に書かれていることは妄想でしかないのです。
創造原理は科学的な真実を調べるところから「第一原因=神」の存在について説明していますので、科学と根本的に矛盾するようなことは述べていません。
人間の誕生についても、宇宙の誕生から始まって地球が誕生し、そこに生命が出現し、動植物まで進化して最終的に人間が誕生したという進化の過程は否定しておらず、既存の進化論と創造原理の違いは そのような進化が(神による)計画的なものであるかどうかという解釈の違いです。
旧約聖書の創世記には神が6日間で天地創造を完成し、7日目に安息されたと記されていますが、それが文字通りの真実でないのは説明するまでもないことであり、科学的な観点で歴史の真実を探究した場合には、聖書に書かれた内容は間違いだらけなのです。
聖書が書かれたのはまだ科学が発達していない時代であり、そこに書かれていることを真実の出来事と捉えること自体が根本的に間違っているのです。
原理講論にも聖書は古い時代に書かれたものであり、真理を比喩と象徴によって表現したというようなことが書かれていますが、それは神の6日間での天地創造のみでなく、アダムとエバの失楽園物語についても言えることなのです。
人類の歴史に関する考古学的な真実は聖書に書かれた人類始祖=アダムとエバの物語内容が真実ではないことを証明しており、それを元に人類の原罪を論じたとしても何の意味もありません。
それはあくまで古い時代の作り話であり、科学的な思考ができるようになった現代では、それについて論じることなど問題外なのです。
聖書はあくまで宗教書であり、宗教的な心の世界に一種の精神的イメージを作り出すために書かれたものであり、文芸的特色の強いものです。
原理講論を書いた劉孝元氏は総序においても所々間違ったことを書いていますが、堕落論に書かれた内容は最悪のものであり、創造原理を書いた時の真理探究のスタイルは完全に失われ、まったく違った非科学的なスタイルで堕落論を書いています。
堕落論はそのように真実とは異なる観点から論理が出発しているので、内容的にも矛盾が多くあり、とても「真理」と呼べるような代物ではないのです。
普通に考えても人間の性的堕落によって子孫がサタンの血統になったなどという理屈は筋が通らないものであり、論理性、科学性がまったく欠如しているのです。
原理講論の総序には「宗教と科学とが統一されたひとつの課題として解決され、内外両面の真理が相通ずるようにならなければならないのである。」と書かれていますが、そのような原理講論の観点で堕落論を評価するならば、点数にしてゼロ点であり、劉孝元氏の自己矛盾もいいとこなのです。創造原理であれば50点ぐらいにはなったと思いますが、堕落論は科学とは相容れない妄想論であり、結果として原理講論は劉孝元氏が述べているところの「新しい真理」とはなり得ないのです。
因みに宗教と科学を融合させた観点で真理を探究すべきと主張しているのは統一教会が初めてではなく、はるか紀元前からそのような探究を続けている分野が存在します。
それは神秘学という分野であり、その代表的なものは科学と哲学と宗教の最良の部分が統合された内容であることを主張しているのです。その神秘学では人間世界に存在する「悪」や「不幸」の問題についても的確に説明しており、それは心理学とも通じる内容であるので科学的とも言えるのです。
その歴史と伝統がある神秘学と比べれば、堕落論などはただの思い付きで書かれた稚拙な童話に過ぎません。
文芸復興と宗教改革
再: 神々の黄昏さんへの質問
新たな疑問が生まれましたのでお尋ねします。
・ 聖書を否定されるのはわかりました。現在 聖書をもとに信仰を持っているキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の人々の信仰を否定されるのでしょうか? 私も宗教は為政者が民を管理する道具の一つと考えます。 詭弁ばかりを言っていたマルクスがただ一つ的を得たことを言っていたのが「宗教はアヘンである」と言う言葉だと思います。
・ 旧人と霊人体、宗教の関係についての神々の黄昏さんの論旨にはは異議を申し上げます。
理由は 旧人が死者を埋葬していたというのは彼らが霊の存在を肯定していたからとは限らない。 埋葬の事実と霊の実在はつながらない。
よって彼らがした埋葬が宗教行事に当たるかどうかは微妙。
かりに宗教行事をしたからと言って旧人が霊人体を持っていた証明にはならない。
・ 6日での天地創造に関して。 神々の黄昏さんは実際の6日間で創られたと言われるのでしょうか? 原理にもそれは6段階のプロセスの比喩だとありましたが。 原理が出版された当時はそれくらいの科学的知識だったのでしょう。まあこの解釈の問題は堕落論のような根幹のことではありません。
・ 堕落論にある正当だという根拠の中にだれもが裸になると下部を恥ずかしがって隠そうとするというのがあります。 これは罪を恥ずかしがるというよりも単純に子孫を作る大事な器官のため保護するために隠そうとする行動が恥ずかしさという感情とつながって保護をより堅固にしようとした神のプログラムではないかと思います。
・ 神々の黄昏さんも元UCだと思うのですが、原理が間違いであると思われ始めたのはいつ頃のことなのでしょうか? また話は少し変わりますがいわゆる頭のいい人たち、1流大学出身者や那須聖さんや筑波大の学長のような大学教授までもが原理にのめりこんでしまうのはどう説明できるのでしょうか? 大学での成績とことの真贋を見極める知恵とは別物だということでしょうか。 これはUCに限らずオウムにも言えますね。 むしろ向こうのほうがすごい頭のいい人たちが多かった。
Re:再: 神々の黄昏さんへの質問
>かりに宗教行事をしたからと言って旧人が霊人体を持っていた証明にはならない。
>6日での天地創造に関して。 神々の黄昏さんは実際の6日間で創られたと言われるのでしょうか?
>原理が間違いであると思われ始めたのはいつ頃のことなのでしょうか?
>大学教授までもが原理にのめりこんでしまうのはどう説明できるのでしょうか?
‘あさってのジョー’さんから再び質問をいただきましたが、それらは宗教の信仰や統一原理について考える場合に生じやすい疑問であるとも思われますので、今回の‘火の粉’記事とは直接関係ない質問ではありますが、ブログ管理人に許された2度目までのレスコメントとして返答させていただきます。
‘あさってのジョー’さんが書かれた上の一番目の質問はつまるところ「信仰」を問題としているので、「信仰」とは何かを説明すればよいかと思います。
「信仰」はその文字の如くであり、人間を超越した目に見えない存在を信じ、敬っているのであり、そこで信じられている教義は心の世界のイメージを表した内容なので感覚的なものである場合が多く、たとえば哲学のように人間の内面世界について、人生経験に基づいて探究し、思考を重ねた知的な理論とは性質が異なるのです。
「信仰」は現実世界の物質的な現象を超越したある崇高な存在に心を向けるところに意味があるのですが、それは霊的な感性に従った行為であるとも言えます。
つまり、そこで信じられている教義は内容として知的な価値があるものではないのでそれほど重要ではなく、「信仰」においては目に見えない世界を感じ取ることの方がより重要なのであり、それこそが目的なのです。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の信者においても神体験、あるいは聖霊体験のようなものを経験する信者が中には存在するわけですが、そのような人達は教義を詳しく勉強してそのような体験をしたのではなく、心の感性を発達させることによってそのような体験ができたと考えられます。
従って、たとえ私が聖書に書かれた内容の間違いを批判したとしても、信者が持っている「信仰」はまた別ものであり、信者の中には価値ある「信仰」を持っている人もたくさんいるはずです。
最初に引用した2番目の問題についてはよく整理して考える必要があります。
人間に霊人体があるかどうかは科学的に証明された訳ではないので断定的なことは言えません。
しかし、人間には物質的な肉体以外に非物質的な性質のサイキック体=霊体が存在すると考える人は多く、その可能性は決して否定できません。
そのようなサイキック体や霊人体の存在を信じる人達は、人間が時間を超越した永遠の世界について考え、またそのような世界を経験できることをその根拠と考えています。
そして、死者を埋葬したり、宗教行事を行うということは、そのような非物質的な世界を認めなければできないことであり、霊人体のようなものの存在を肯定している人であれば、旧人のように人間を物質だけと見なさない行為をおこなった人類には「霊人体」があったと考えねばならないのは当然なのです。
つまり、死者の埋葬や宗教行事は霊の存在を感じ取ったり、信じたりしていなければできない行為なのであり、もし霊人体のようなものが存在するとしたら、旧人にもやはりその霊人体があると考えねばならないのです。それが霊の存在を認めている人達の一般的な解釈なのです。
上の3番目の質問はおそらく私のコメントを誤読したことによるものと思われます。
私は原理講論の創造原理は正しい部分が多いと考えており、旧約聖書に天地創造が6日間でなされたと書いてある部分は完全に現実と食い違っており、それは常識であって説明するまでもないことです。
その天地創造の6日間とは言うまでもなく比喩的なものであり、6段階を意味するというように考えるべきです。
4番目の質問に対してはコメント欄の中での返答なのであまり長い文章にならないように書きますが、統一原理が不完全なものであると考えるようになったのはソビエト連邦が消滅した時期であり、いわゆる冷戦が終了した時代です。
統一原理に基づいた考えではマルクス・レーニン主義を土台としたソビエト連邦を中核とする社会主義国家群とアメリカ合衆国を中核とした西側諸国の間の冷戦は理念の対立が原因となっており、その理念の戦いに勝利しなければ冷戦を終結できないということになっていました。
それは統一原理の歴史観の最終的結論とも言えるもので、私は冷戦時代にそれを本当に信じていて、統一原理がその理念の戦いにおいて重要な役目を果たすに違いないと真面目に信じていたのです。
しかし実際の歴史は統一原理の歴史観のようには進んで行きませんでした。
確かにソビエト連邦は崩壊し、社会主義国だった東側諸国は冷戦に敗北しましたが、その実際の過程は統一原理の理論とは全く食い違っていました。
そして、冷戦時代に統一教会内でよく言われていたことですが、共産主義思想の間違いを悟った東側諸国の人々は考え方が変わり、新しい真理である統一原理が急速に広まるはずと思っていたのが、実際にはそうなりませんでした。
それらの現実として現れた歴史は統一原理を信じていた自分にはとてもショックで統一原理に対する確信も揺らぐことになったのです。
それからは、徐々に統一原理を見直すようになり、ただ信じるのではなく、統一原理に含まれる一つ一つの項目に関して理論的に検証するようになったのでした。
最後の質問に対しては一概には答えられません。
つまり、知的に優れた大学教授らが統一教会と関係を持ったとしても、その程度は人それぞれであり、中にはお金が絡んで教会と関係を持った人もいれば、祝福を受けたような人も中にはいると思います。
詳しくは書きませんが、私が接した範囲では、反共という政治的な関係の繋がりで統一教会と関係をもった大学教授が多かったように思います。
しかし、現在では反共という政治的な立場は昔ほど大きな意味はないので、統一教会と関係をもつ大学教授の数はかなり少ないと思います。
また、統一教会系信者の中には実際に大学教授になった人もいれば、‘火の粉’の記事にも登場した福本修也弁護士のように特に知的に優れた人がいるのも確かですが、そのような人達は専門分野において能力が優れているのであって、宗教に関する分野や哲学の分野ではおそらく知識が乏しいと思われます。
宗教に関する分野とはキリスト教の各宗派や仏教、イスラム教、ユダヤ教の各宗派などについての幅広い範囲を含むものですが、もしそれらの世界的宗教について広く、深く理解していたならば、統一原理を完全に信じることはなかったと思います。
ただ、宗教は目に見えない世界について説いた教えであって、知性よりは感情的な要素が信仰に結びつく場合が多く、知的な能力と信仰の内容はあまり関連性がありません。
ひと昔前になりますが、統一教会の信者になった人に学業に優れた人も多くいたのは教典である原理講論に創造原理の項目があったことが大きかったと思います。
創造原理は総序で述べられているように科学的な思考方法によって神の存在を説いており、それはただ信じるだけの過去の宗教とは異質なもので、知性を持った人には魅力的で、新鮮に感じられたのだと思います。
ただ原理講論に問題があるのはその創造原理の後にある展開で、創造原理に続く堕落論では科学的な思考は放棄し、古い宗教の世界へと逆戻りしています。
そのトリックは宗教のことをよく知らない未熟な者にはなかなか見抜けないほど巧妙で、そこから続く宗教理論と教団の現実の姿の矛盾を知って初めて間違いに気付くことになります。
もし原理講論の中に創造原理の部分がなかったとしたら、知性が優れた人が統一教会の信者になることはおそらくなかったと思います。
その創造原理の発想は宗教とは一線を画すもので、思想的な分野としては神秘学に近いと言えます。
ただ、伝統がある高度な神秘学と比べれば、創造原理は理論的に曖昧な部分が多く、決して完璧なものではありません。
キリスト教信者が創造原理に惹かれて統一教会信者になることがあったとしても、伝統的な神秘学を学んだ人が統一原理を信じるようなことは絶対にないだろうし、どんなに知的に優れた統一教会系信者であったとしても神秘学についてはほとんど無知なのは間違いありません。
新年明けましておめでとうございます
「真の家庭」の実体を知れば、「真の家庭」を中心テーマにしても世の中の光になるのは不可能じゃないでしょうか。
根幹の原理がどうした、著名人がどうのとか、話の種にはなっても一般庶民の腹の足しにはなりません。
いや、そんな事話してると飯の種が飛んでいく…。
リンク貼ってくださっている所は一応見る様にしていますが、確かに3男派の話は鼻につく感じで独特な雰囲気を感じます。
カシコイのか知りませんが、暗くて陰険な感じはしますね。仰る通り根暗なタイプかも。
旧統一協会も、現家庭連合も、やってる人の自己満足止まりじゃないでしょうか?
社協広報の寄付欄などにバザー売上から寄付して「〇〇教会△△円」とか入れてもらって「世間にアピールする」と責任者が言ってましたね。
良いことです。
最近は役場とかにも直接寄付してますね。
でも、本当の復興支援などには及ばない僅かな金額で、会員からの纏まった献金は別の所に行っている。
地元の人が提供した物品が地元の教会バザーで販売されてその収益の一部が社協や自治体などに寄付される。確かに物品を集めて戸別訪問するのは会員で、足を棒にして苦労もありますが、そうやって足を運び、色んな話ししながら伝道もするんだわねー。
ちょっと迷惑?皆んなせっせと余剰品集めに戸別訪問してますよ。
個人的には、「今までやってたプロジェクトは何だったんだよ!」って思い…統一運動に見切りをつける一つの契機がバザーと社協への寄付作戦でした。
旧統一協会が世間に顔向けできる実績は、本当のところ、何もないのでは?と考えたりします。韓国が絡むモノは…おかしいものが多いみたいです。捏造とか当たり前だし。
元々、金集めの為の組織だったみたいですよね。
最後、余談で失礼しました。
Re: 神々の黄昏さん
ご回答ありがとうございました。
2レスポンス レギュレーションのことは知りませんでした。失礼しました。火の粉ブログのリングから逸脱して場外になってもいけませんからね。
堕落論について。
原理講論の内容は文師が初期に属していたイスラエル修道院の金百文氏の講義「聖神神学」の内容と酷似しているそうですね。
可知講師から聞きました。
金百文のものも創造原理、堕落原理、復帰原理があり堕落の原因は人間始祖と天使とのセックスによるもの。
そのまんまですね。
セックスによる堕落を復帰するところから混婬、血分け(血代交換)の発想が出てきました。
罪の原因であるセックスの贖いはセックスでですね。
UC初期の血代交換の状況は朴正華氏「六マリアの悲劇」に当時の実名入りで詳しく書かれています。”六マリアの悲劇.com" で自由に読むことができます。
朴正華氏はその後「私は裏切り者」と言う本を世界日報社から出しています。内容は前著六マリアの悲劇を全く否定している真逆の内容です。
どちらが正しいかと二つの本を比べた場合、六マリアの悲劇の方は実名もたくさん出ているし他の人の証言もある。それにくらべて 私は裏切り者 の方は書き方がどうもUCっぽいのです。UCのゴーストが書いたようなのです。
ネットの他の情報で当時の協会長だった石井光治さんが金を朴正華氏に渡して 私は裏切り者 の出版に同意させたという記事がありました。
その場には渡辺師観さんも同席されていたそうです。
この記事を読む前から金で丸め込まれたんじゃないかなーとは思っていましたが。
3000万くらい渡したのかなと思っていましが実際は250万だそうです。
安っ!
文師は明らかな庶子である朴サムエル氏もいますし、7男も六マリアを肯定しています。加えて現在の文家の崩壊状況。原理では世の中の性犯罪を解決できていない状況などなど。
UCは限りなくクロに近いグレーゾーンだと思います。
発展してきたUCを政治家が利用したのがUCが日本ではびこった真相ではないでしょうか?
UCの日本宣教当時の岸信介首相の系統や裏では児玉誉士夫とか。
日本の初期の開拓者である松本道子ママは12双の大山のお父さんと親戚です。どちらも在日です。大山のお父さんに寄宿していたのが大山倍達です。故に倍達は大山姓をとりました。大山に空手を教えたのが曺寧柱です。大山家の韓国姓も曺寧柱と同姓です。曺寧柱は町井久之とともに戦前戦中戦後の在日の大物です。石原莞爾の東亜連盟で活躍していました。当時の大物絡みで二人共児玉誉士夫とは昵懇の中です。
ここらへんの事実からUCが日本に入ってきた当時の背後状況が不気味にも符号しすぎているのは私だけでしょうか?
話は堕落論の正否から裏政治界まで流れてしまいましたが
このあたりの状況を調べていくととても面白いです。
あさってのジョーさんへ
レギュレーションの意味は検索して、理解できました。
もう100回は同じことを書いていますが、ブログ左サイドにある「コメント投稿にあたっての注意事項」を読んでくださいな。
「2レスポンス レギュレーション」だけではなく、
「次のような投稿はやめてください!①ブログのテーマから外れたような投稿」と明記しています。
「ネアカの亨進。ネクラの顯進」と「文鮮明のセックス話」とはどういう関係があるのでしょうか。
この種の問題については、後日、記事にして小生の気持ち&考え方を述べることにします。
なお、投稿は感謝していますよ。心から。
明けましておめでとうございます。
今年も更なる崩壊のレクイエムが流れることを楽しみにしつつ
個人手には、七坊がネアカ、四坊がネクラ、三坊は横暴。こんな感じのイメージです。あと、長女はネクラ、長男はキチガイ、次女はアバズレ、次男は暴走、三女もアバズレ、五男はゲイ、六男は自殺だったかなと。
良いお年を。
顕進様は宗教者ではない
私はサンクチュアリ所属ですが、実際に当たってる気がします。亨進様の説教は全てオープンで、インターネット環境さえあれば、どこの誰でも見ることができます。
一方、顕進様の方は秘密主義で、顕進様のグループに所属している人にもほとんど情報は回ってこないそうです。
またサンクチュアリは、各地で毎週礼拝が行われていますが、顕進様派の方は礼拝は行わずに、時々集会みたいのをやってるそうです。
ここから言えるのは、サンクチュアリ教会は宗教だけど、顕進様派は社会運動だけど宗教ではないということです。
そもそも亨進様と国進様は、誰に会った時でも父親のことをメシアだと説明しますが、顕進様は公の場で文師をメシアだと発言したことすらありません。
この辺りの宗教性の違いが、大きな気風の違いに結びついている気がします。
追記
Re:顕進様は宗教者ではない
>サンクチュアリ教会は宗教だけど、顕進様派は社会運動だけど宗教ではないということです。
実に的を射ていると思いました。
不幸なことに、顕進派のバカ諸君はそのことに気がついていない。いや何となく気がついていても、恐くて、パラダイムシフトできないのです。
だんだん理解できてきました。
文顕進と郭錠煥には、大きな違いがあるということに。
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