『我らの不快な隣人』 東大大学東洋文化研究所 宗教社会学 真鍋祐子准教授  

書評・感想(6)

 以下に紹介するのは、昨年10月6日に受け取った東大の真鍋祐子准教授からのメールである。
真鍋さんの許可を得て、ここに紹介する次第です。とてもうれしかったメールの一つです。



ご著書『我らの不快な隣人』、拝読させていただきました。
 私は東京大学東洋文化研究所で准教授をしている真鍋祐子と申します。研究分野は朝鮮で、本著に取り上げられている「宗教と社会」学会会員でもあり(昨年度まで学会誌の編集委員を務めておりました)、かつ福音派プロテスタント教会の信者でもあります。

ご著書の中の「学者の受難」に登場する方々の一部は面識程度はあり、また以前通っていた教会は森山諭氏と近しい関係にあり、そのお嬢さんやお孫さんが通っていました。
 さらに87年?88年、91年?93年に韓国滞在した関係で、88年組、92年組の集団結婚式の際、韓国では日本のメディアが騒ぐほど感情的ではなかったことも印象に残っています。

 当時の韓国には結婚至上主義的な面があり、愛情は結婚してから育つものという考えがあったようで、お見合いした男女が1ヶ月以内にスピード結婚してしまうことも普通でしたので、教祖によるマッチングで相手のことをあまり深く知らないまま見知らぬ異性と結婚することにも、さほど感情的な違和感はなかったように思います。

ご著書を拝読して、「よくぞ書いて下さった」というのが偽らざる第一印象です。

なぜなら私は福音派に属していながら、自分たちにだけ正義があるという硬直した考え、「異端」を信仰している人たちに対して哀れむような「上から」目線にかねてより不快感を持っており、さらには牧師に結婚相手をお任せして、紹介された相手を「神のみこころ」として従順に受け入れたという教会員の結婚談があるべき信仰者の美談のように語られたりするあたり、やっていることは文鮮明と変わらないではないか、自分たちこそ「カルト」であり、「マインドコントロール」されているではないかという思いを昔から抱いていたからです。


そうした中で牧師を主導者とした「拉致・監禁」の実態を、勇気をもってルポしていただいたことに感動を覚えました。
 私が前にかかわりをもったことのある教会関係者にも脱会した神学生が少なからずいましたが、今振り返ってみて、彼らもそうした過酷な経験をしたのかも、その後彼らにPTSDはなかったのか、またいまごろ「脱会屋」となって清水牧師の轍を踏んでいなければよいのだが・・・と思うと、改めて胸痛む思いがします。

 もうひとつは価値中立性を失った学者たち、マスコミをバックにつけた圧力団体(反カルトの弁護士など)に屈して節を曲げ、具体的には莫大な研究助成や出版などの実利に惹かれていく学者たちや学会の実態を暴いてくださったことに対してです。

中西さんの発表された論文は至極まっとうなもので、色眼鏡なしに「あるがまま」を報告し、問題提起した点に学者の良心を感じます。彼女にはぜひ頑張ってもらいたいと思います。

実際、韓国の地方の農漁村でフィールドワークをしている文化人類学の友人たちの口からも、当たり前のように統一教会の花嫁の話が聞かれます。
 いずれも地域社会に深く根付いているというポジティブな話です。

統一教会=霊感商法、霊感商法=悪、統一教会=悪という三段論法で、裏づけもとらずに中西さんを「ぼこぼこにした」弁護士たちの見識を疑います・・・が、弁護士はクライエントを勝たせるためには手段を選ばないとはいえ、そこにコミットする学者はどうなってるんだ・・・という嘆かわしい思いでいっぱいで
す。

そもそも「青春を返せ」などという裁判自体がとても陳腐で、そういう訴えを起こすのは所詮自分の人生に自己責任性を持とうとしない、自律性に欠けた、自尊心のない人たち・・・というふうに、私の目には映ります。まあ、それは個人個人の見解の相違でしょうが、そこに学者までが(写真家の藤田氏は別にしても)くみすることが私にはとても不快です。

思い返せば、あくまでも私の知りうる範囲ですが、オウム以後、学会で「カルト」概念を問い直す試みはなされたものの、「マインドコントロール」についての議論はそれほどでもなかった印象があります。そのことについて、妙に腑に落ちる思いがいたしました。

「カルト」問題については宗教社会学者としてオウムの本質を見抜けなかった自責感みたいなことを誰もが口にしたものですが、要は島田裕巳氏をバッシングするための方便と、学者の格好つけにすぎなかったのだなあ・・・と思われます。





 以上の感想とは別に、今後も統一教会問題にかかわる所存でおられるならば、ぜひ調べていただきたいことがあります。


私が80年代後半に留学していた頃、韓国の全国各大学に最低1人ずつ統一教会員を送るという計画があったらしく、延世大語学堂に大量に日本からの留学生が送り込まれ、収容しきれずに高麗大にも語学堂が新設されたという噂を聞きました。

私は語学堂に留学していたのではなかったのですが、周囲の留学生はほとんどが延世大や高麗大の語学留学生だったので、統一教会に関するさまざまな話を聞かされました。

特に印象に残っているのは、脱会したがっていたらしい幹部級の信者の不審死(そのうち1 件については、私の後輩が、日本から遺族が到着するまでの間、死亡診断書を取ったり、火葬に付き添ったりしたので、本当のことです)が相次いだこと、信者に勧誘されて合宿所みたいなところに泊まったという在日の友人が、夜中、さながら連合赤軍の「総括」みたいに、一人の信者が仲間たちから暴行を加えられているのを目撃した話をしてくれたこと、またその目撃談を裏付けるように語学堂では統一教会信者の誰かしらが松葉杖をついて登校することが多く、教室で彼らはそろって「メッコル」(一和が売り出した、麦茶とコーラを混ぜたような飲み物で、今は売られていません)を飲んでいる・・・とか。

当時、語学留学生たちの間でささやかれていた話ですが、もし脱会したい人が身の危険を感じたら、とにかく「アメリカ大使館に逃げ込め」と言われていました。


上記の私の後輩がかかわった死亡した女性の場合、韓国の警察はなぜか事件性のある不審死ではなく事故死としてこれを処理しました。
 死者は若く特に持病もなかったのに、死体のそばには降血圧剤が散らばっていて、なぜかドライヤーがかかりっぱなしになっていたそうです。
この状態をなんで事故死で片付けるのか、周囲の人たちはみんな不信感を持っていたようです。

当時はオリンピック直前で、統一協会の資金力に頼んでいた韓国当局としては事を荒立てたくない、また日本の立場では「信仰の自由」によって大量渡韓してきた連中など御荷物なだけで、日本大使館に駆け込んでも相手にしてくれない。それに対し、当時、脱税罪で文鮮明を投獄していたアメリカならきっと助けてくれるはず・・・といった話が流布していました。

 実話もあれば、単なる噂も含まれていると思いますが、私は彼らの「その後」が気になります。「統一教会=人攫い」というイメージは、この時期の大量の留学生送出や、そこで行われていたらしい(私が実見したことではないので、あえて「らしい」と表記します)信者間での暴行や、不審死にも遠因があったのではないか、という気がするのです。

もちろん先の「不審死」をした信者について、語学堂のクラスメートだった私の後輩(非信者)は彼女の日本の実家に連絡を取り、火葬に付き添っていたわけなので、家族と音信不通とかいうのはケース・バイ・ケースで、決して統一協会全体に対する非難の対象になることではないのは明らかです。

実は私が留学していた大学院にも、学部に「初めての日本人留学生」が入学し、彼女はカミングアウトしたわけではなかったですが、話の内容からして統一協会信者ということはすぐわかりました。
 悪く言えば野暮ったい、とても地味で真面目な人物でした。私は彼女たちのその後が知りたい、そう思っています。
また私が見聞きしてきた暴力や不審死の真相が何であったのか?ということも・・・。

ご著書を読みながら、そんな20年前の「引っかかり」が心によみがえってきたのです。

 以上、とりとめもない感想で申し訳ありません。とにかく「是々非々」という謙虚な立ち位置から書かれた力著と思っております。

宗教社会学を学ぶ者として、一言、御礼まで。

(注) 真鍋さんが見聞された、80年代後半の「韓国の大学と統一教会」について、ご存知の方がいらっしゃれば、コメントをお寄せください。

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コメント

日本人留学生

80年代前半は,日本統一教会と韓国統一教会の交流は,ほとんどなかったと思います。

84年に韓国で第1回世界原研大会が開催されました。これをきっかけとして,原理研究会では,日本と韓国の交流が急速に進みました。ただ,その頃は,原理研究会以外の統一教会関連組織では,まだ韓国とほとんど交流はなかったと思います。

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私が80年代後半に留学していた頃、韓国の全国各大学に最低1人ずつ統一教会員を送るという計画があったらしく、延世大語学堂に大量に日本からの留学生が送り込まれ、収容しきれずに高麗大にも語学堂が新設されたという噂を聞きました。
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84年以降,日本の大学を卒業した原理研究会のメンバーは,毎年かなりの人数が韓国に留学するようになりました。韓国にも各大学に原理研究会があり,日本の原理研究会と姉妹関係を結ぶなどして交流を深めていきました。日本人留学生は,韓国の各大学の原理研究会の学生寮のようなところで共同生活をしていただろうと思います。

日本の原理研究会が韓国に留学生を派遣する活動は,どのくらいの期間行われたのかは,よく知りませんが,84年以降5年以上は行われていたのではないでしょうか。私は89年当時,韓国で活動しておりましたが,その時は,既にかなりの人数の留学生(原理研究会所属)が韓国全土におりました。

原理研究会の大量の留学生派遣のために,延世大の語学堂がいっぱいになり,高麗大に語学堂が新設されたという話は私も聞いたことがあります。

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特に印象に残っているのは、脱会したがっていたらしい幹部級の信者の不審死(そのうち1 件については、私の後輩が、日本から遺族が到着するまでの間、死亡診断書を取ったり、火葬に付き添ったりしたので、本当のことです)が相次いだこと、信者に勧誘されて合宿所みたいなところに泊まったという在日の友人が、夜中、さながら連合赤軍の「総括」みたいに、一人の信者が仲間たちから暴行を加えられているのを目撃した話をしてくれたこと、またその目撃談を裏付けるように語学堂では統一教会信者の誰かしらが松葉杖をついて登校することが多く、教室で彼らはそろって「メッコル」(一和が売り出した、麦茶とコーラを混ぜたような飲み物で、今は売られていません)を飲んでいる・・・とか。
当時、語学留学生たちの間でささやかれていた話ですが、もし脱会したい人が身の危険を感じたら、とにかく「アメリカ大使館に逃げ込め」と言われていました
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この話は初めて聞きました。私は88年まで原理研究会に所属していたので,当時の日本人留学生には知り合いもたくさんおりますが,そんな話は聞いたことがありませんでした。信者間で暴行のようなことがあったとはちょっと信じがたい感じはします。

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 実話もあれば、単なる噂も含まれていると思いますが、私は彼らの「その後」が気になります。「統一教会=人攫い」というイメージは、この時期の大量の留学生送出や、そこで行われていたらしい(私が実見したことではないので、あえて「らしい」と表記します)信者間での暴行や、不審死にも遠因があったのではないか、という気がするのです。
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当時の留学生の活動ですが,特に何か統一教会員として特有の活動をするということもなく,普通に留学生として大学の勉強をしていたと思います。夏休みなどは日本に帰国し,経済活動を行ってました。

経済活動といっても,霊感商法などではなく,普通のアルバイトや韓国の商品を仕入れて売ったり貿易業のようなことをしていたと思います。売上はパッとしなかったようです。

卒業後の進路はまちまちだと思います。日本に帰国する人,韓国で就職する人などなどです。

留学生は,ほとんど韓国人と結婚したと思いますから,韓国に残る人は多かったと思います。韓国の大学教授になった人は多かったと聞いています。私の知り合いも大学教授になった人は多いです。ただ向こうは学長が変わったりするとすぐに首になったりするようで,いろいろ大変みたいですね。韓国の大学教授になった私の友人が,5年程前にそんな話をしてました。

訂正

>韓国の大学教授になった私の友人が,5年程前にそんな話をしてました。

友人からもらった名刺には「教授」と書かれていたと思うのですが,記憶が定かではありません。私の記憶違いで「准教授」もしくは「大学講師」なのかもしれません。その名刺も見つかりません。

ネットで検索したら,肩書きが「大学教授」,「准教授」,「大学講師」と三つともありました(笑

本人と連絡を取って確認したいと思いますが,連絡が取れるかどうか・・・・

真鍋さんの質問について

真鍋さん自身、20年前の話と書いていますが
まず真鍋さんに伝わる時点で、いろんな話が混ざってから伝わっている可能性があると思います。
それが二十年たって、さらに多少曖昧になってしまった部分があるのではないでしょうか。

> 特に印象に残っているのは、脱会したがっていたらしい幹部級の信者の不審死が相次いだこと、

私は、この件に関しては情報をもっていませんので良く分かりません。

> 信者に勧誘されて合宿所みたいなところに泊まったという在日の友人が、夜中、さながら連合赤軍の「総括」みたいに、一人の信者が仲間たちから暴行を加えられているのを目撃した話をしてくれたこと、
> またその目撃談を裏付けるように語学堂では統一教会信者の誰かしらが松葉杖をついて登校することが多く、

合宿に参加して、そこで連合赤軍みたいに暴行された事があったかどうかは、私は分かりません。

しかし、当時はブラック興進ニムの摂理があって、幹部の方をはじめ、かなりの信者達が蕩減のためと称して、バットでぶん殴られ、入院したりしていました。

語学堂に通う人までそうだったのか分かりませんが、ブラック興進ニムの「儀式」で「罪が許された方々」が松葉杖をついて歩いていたりした可能性は高いと思います。

> 教室で彼らはそろって「メッコル」(一和が売り出した、麦茶とコーラを混ぜたような飲み物で、

これは多分間違いない。

> 今は売られていません)を飲んでいる・・・とか。

「今は売られていません」は正しくない。今でも売られています。

> 当時、語学留学生たちの間でささやかれていた話ですが、もし脱会したい人が身の危険を感じたら、とにかく「アメリカ大使館に逃げ込め」と言われていました

80年代半ばに、ダンベリーに収監されていた事から、統一教会のことで困ったら米国なら助けてくれる、という噂が、ブラック興進ニムのことと合わさって、こういう形になったのではないでしょうか。


私も憶測と伝聞で申し訳ありませんが、時代背景を考えると、そういうことではなかったかと思います。

失礼します。

このような良識ある学者さんがおられることがまだ救いです。

不審死についてはにわかに信じがたいです。見ていないことですから、教会員の暴行でないとも言い切れませんが。

日本の70年代は原理研究会という理由で大学内で共産系にボコボコにされた事もよくあったようですね。

疑問

>しかし、当時はブラック興進ニムの摂理があって、幹部の方をはじめ、かなりの信者達が蕩減のためと称して、バットでぶん殴られ、入院したりしていました。

「ブラック興進ニムの摂理」とは何でしょうか?
なぜ「幹部の方をはじめ、かなりの信者達が蕩減のためと称して、バットでぶん殴られ」たのでしょうか?

「蕩減のため」とは?

通りすがりさんへ

興進さんは文教祖と鶴子さんの次男で17歳で交通事故で亡くなりました。

その興進さんの霊が降りていたのが、アフリカの信者です。(どこの国でなんという青年なのかは覚えていません)

その人を「ブラック興進二ム」と言います。

信者が金銭問題、男女問題その他問題を起こしてサタンから讒訴されているので、罪を償う・・・とでも言うんでしょうか・・・「蕩減」のためと言うのは。


私は、渋谷にある本部で受けました。
その後に三日断食をしました。(そのように指令がありましたので)

3日ではなく

40時間だったかもしれません。

記憶が定かではありません。

日本人留学生 その2

友人と連絡がとれたので,差し支えのない範囲で情報提供いたします。

それと,その友人は韓国の「大学教授」,「准教授」,「大学講師」のどれかですが,どれと特定することは,大人の事情で難しいようです。

以下,その友人からのメールの一部抜粋です。(本人の許可は得ています)

★引用始まり★
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①86年に始まった摂理でしたが、1大学に1名ずつ派遣なんて計画はありませんでした。まずは韓国語を学ぶことが目的でした。所属は韓国のCARP(韓国の原理研究会)になりました。


②次に1年が経ち87年には語学堂を卒業する学生が出てくるようになると各大学へと編入学(日本では大学を卒業していましたから)していきました。私は87年に韓国に渡り、1年後には地方の大学に編入学しました。

編入学先や専攻の選択、手続きなどは個人の希望と責任で行われました。その後はその大学のCARPに所属することとなりCARPの寮に大部分入りました。主な活動は勉強を頑張ることと、そのCARPの活動方針などに従って伝道なども行いました。そして夏休みなどには学費を稼ぐために日本に帰り韓国商品を売って学費を稼いだり、アルバイトをしたりしました。


③延世大学の語学堂は当局もそうですが、学生たちも警戒していたと思いますが(そのような目で見たら変わって見えるんではないでしょうか)、特に問題はありませんでした。学生たちもおとなしく勉強熱心でしたから。語学堂の成績も優秀でスキップする学生もいたくらいです。当然、暴力行為や不審死の話も今回初めて聞きました。もちろん学生たちの間で脱会したかったらアメリカ大使館に逃げ込めなんて話はありませんでした。留学生の人数は途轍もなく多いわけではありませんでしたから、うわさに触れなかったというのはそういうことがなかったからだと思います。もちろん、留学生を集めてのそれに関した集会、説明、指示もありませんでした。

多分、日本での生活より韓国での生活のほうが楽しかったこともあると思います。言葉は大変でしたが、信仰の祖国で恵みも多かったでしょうし、日本よりも自由に暮らしていましたから。ですからそういう暴力沙汰な事件はなかったと思います。松葉杖の話はサッカーの試合でもして足を痛めたんではないでしょうか。


④寧ろ、運動圏と呼ばれる左翼がかった学生たちにいじめられたことはありましたね。全国的に多分北朝鮮からの指示であったと思いますが、学内で力をもっていたCARPに対する弾圧が行われたのですが、その過程で日本帝国主義による植民地統治に対する反発なども関連して留学生が殴られたり脅迫されたことはありました。治療を受けた日本人留学生もいました。特にオリンピックの前でしたから結構警察には気を使っていただきましたね。「生きているか?」とか、「運動圏の学生にいじめられなかったか?」って問い合わせがありましたね。外交問題にはしたくなかったんでしょうね。


⑤メッコールは今でも売られていますよ。元々は政府から依頼されて麦エキスを使った商品を作ったのが始まりでした。その後、大きく売れましたが、クリスチャンたちの妨害もありましたし、競争相手の会社が類似商品をたくさんだしメッコールつぶしを行いました。おかげで相当売り上げはおちたことでしょう。で、現在はといいますと、他の商品はおいしくなかったからでしょうか、結局長く続かず全部なくなってしまいました。それらの妨害などの理由もあって経営が厳しくなっていた一和も、リストラなどを敢行し数年前からは黒字を出しています。
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★引用終わり


以下は追加のメールです。

★引用始まり★
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留学生は350人くらい派遣されましたが、88年の祝福(合同結婚式)によりその後の進路は変わっていきました。

女性たちの多くは韓国のCARPのメンバーたちと祝福を受けたように覚えています。そのため、彼らが教会長や教会スタッフとなり、特に海外宣教で韓国を出て行ったものが多かったようで彼女たちも彼らについて海外へと出て行ったと思います。男性はビザの問題(男性には結婚による同居ビザが出ない時代でした)がありましたので、大学を卒業すると各自いろいろな方向へと進みました。大学の教授や日本語学校の先生になって韓国に残った人もいますが、日本に帰って就職した人も多かったです。


また、不審死に関しましては本当に知っている内容がありません。留学生ではなく(先ず第一に、留学生に幹部なんて存在はいませんから。)、幹部で一酸化炭素ガス中毒(オンドルを練炭で行っていた場合、そういうことがあります)された方がいらっしゃったような記憶があります。これに関しましては教会内部の事件ではなく、韓国政府によるもののようだといううわさを聞いたように記憶しておりますが。
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★引用終わり★

真相は・・・

 NY65さん、友人からのメール添付ありがとうございました。

 当時留学生だった方のメールだけに信憑性があると思えました。

 真鍋さんが耳にされた風聞は様々な噂が入り交じったものだったのかもしれませんね。これ以上の情報がなければ、この件はこれで終わりにしたいと思います。

 真鍋さんが書かれたもう一つの指摘、「牧師の上から目線」のことです。福音系ばかりでなく、カトリック(神父)を含めキリスト教一般に通じるような指摘だと思っています。

 牧師や神父と直接、接触された方の感想があれば、うれしいです。

上から目線

40年程前になりますが、私はカトリック系の中学・高校で6年間過ごしました。授業科目として「宗教」があり、期末試験の試験科目にも「宗教」があって、試験結果で成績表にも「宗教」の点数がつけられていました。

「宗教」について少しでも反抗的な意見を書けば、点数はとれませんでした。

校舎と同じ敷地内に修道院があり、日本人や英国人修道女の何人かは教師でした。中高6年間で、修道女が私のクラス担任になったこともあるし、英語、国語、音楽、化学など結構いろいろな教科の先生が修道女でした。校長様も修道女でした。

真鍋さんの投稿を読んで、当時を思い出したのは以下の文章でした。

<自分たちにだけ正義があるという硬直した考え、「異端」を信仰している人たちに対して哀れむような「上から」目線にかねてより不快感を持っており、>

カトリック信者ではない私が、校内でいつも感じていた雰囲気を言い当てていたので、当時をすぐに思い出したわけです。

私は信仰をもっていないので、他の宗教者に対する「異端」の部分についてはわかりませんが、「上から目線」は、ずっと心に残っています。生徒同士であっても、信者ではない人が信者に声を掛けにくい雰囲気もありました。

プロテスタントに対しての「上から目線」は常で、今はずいぶん垣根は取り払われているようですが、カトリックでは「イエズス」、プロテスタントは「イエス」と言うなど、区別する言葉に敏感でした。

ひとつの宗教を信じる人たちにとって、同じ信仰をもった人たちが一番上で、それ以外の人たちは下なのでしょうね。人は平等なのに。

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