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統一教会は世にも希な奇妙な組織であった。 

露わになってきた統一教会(家庭連合)の真実(12)

 うまくいくかどうか、自信はないが連作とする。今回は第1弾である。

●私がカルトにはまった理由
●素面の食口と思われた元アベル
●https://ameblo.jp/nanakusa-1995/entry-12385205149.html
 冒頭の一部を引用する。

素面の食口とは・・・原理の間違い、文ちゃんがメシヤでないと知りながら、食口で居続けること・・・

塩田さん(仮名・私を北の大地で説得した女性)曰く:文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる・・・でも、己の生活のため文ちゃんをメシヤと崇める振りをして統一教会の幹部という地位に居続けている。適当に、信仰的な話しで末端を感動させ、&適当な脅し話で末端に献金させ・・・自らはその金で末端が決してできない優雅な生活&ギャンブル、不倫を行う・・・

矢口さん(仮名・私を北の大地で説得した男性)曰く:完全に原理が間違い、文ちゃんがメシヤでないと思っているわけではない中途半端状態の人が幹部に多い。完全に否定しているわけではないので、脱会することはせず、適当に統一教会の責任分担を果たしている。

 今の(元祖)家庭連合の鶴子ちゃんヨイショ幹部も素面でしょう。鶴子ちゃんの言うことは原理から外れまくっているのを認めず、信仰を続けるのは、アイデンティティ崩壊を防ぐためと生活の為でしょう。

 若干の注釈をつけておく。
 強制説得家の塩田と矢口は、『我らの不快な隣人』に登場する人物である。
 2人についての資料を統一教会本部はもっていなかった。おそらく、反統一でも知っている人は少ないだろう。2人が反統一のけっこう立派な単行本を出しながらも無名なのは、極端な秘密主義を採っていたからだと思う。
 しかし、脱会説得家としてはなかなか優秀(脱会率が高い)だったようで、100人以上は脱会させたのではないか。

「素面(しらふ)の食口」の意味がつかみにくいが、「原理が絶対の真理」とか「文鮮明がメシヤ」といった統一会のコアの部分に懐疑的で、シラケた気分を、心の奥底で感じている食口-といった意味合いだろう。

 ところで、2人は-
「文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる・・・でも、己の生活のため文ちゃんをメシヤと崇める振りをして統一教会の幹部という地位に居続けている。適当に、信仰的な話しで末端を感動させ、&適当な脅し話で末端に献金させ」「完全に否定しているわけではないので、脱会することはせず、適当に統一教会の責任分担を果たしている」
-と分析している。

 留意すべきは、圧倒的に多い末端の平食口ではなく、幹部、幹部とまではいかなくてもそれなりの責任ある部署についている食口について語っていることだ。

~く、考えてもらいたい。実に奇怪である。
 上位下達の中央集権的な組織を思い浮かべてみるがいい。軍事組織であれ政治組織であれ宗教組織であれヤクザ組織であれ、トップの意向は、トップの「側近になればなるほど」色濃く伝わっている。
 逆に、末端にいけばいくほど、意向は伝わりにくい。だから、ふだんの教育とか指示伝達が必要になる。ヤクザ組織を思い浮かべると分かりやすいか。ともあれ、書くのが恥ずかしくなるぐらいに、あたりまえの話だ。

 ところが、統一教会(現家庭連合)の場合、なのである。
 文鮮明の「側近になればなるほど」、文鮮明がメシヤ、原理(教義)が真理だ-と思っていない。
 逆に、末端にいけばいくほど,文鮮明がメシヤ、原理(教義)が真理だ-と確信(狂信)している。
 

<注>この反比例の構図は韓国映画でテ-マ化されたはず。題名が思いだせない。いずれ書きたい!

 あまりにも突拍子もない指摘なので、キョトンとされる人もいるかもしれないが、「麻原をグルだと愛弟子たちは実は信じていなかった」と指摘するようなことである。統一さんとて、オカシイとは思わない?

ころで、2人の脱会説得家がななくささんに話したのは1995年のこと。今から20年以上も前のことだ。ちょうど、清平が開拓されつつあった頃。先祖解怨事業が始まった頃だ。
 この頃には、すでに文鮮明の側近たちは、文鮮明がメシヤでないと内心思っていた、もしくはメシヤであることを疑っていた。

 ではどうして組織を離れなかったのか。この疑問については、ななくささんが分析している。
「アイデンティティ崩壊を防ぐためと生活の為」
 統一教会&関連諸組織で「長」がつく人から-徳野会長から末端の基台長まで-「長」の肩書がなくなれば、たんなる哀しき下々(ゴミ屋敷)となってしまうのだ。
 彼らはそうなることを本能的に恐がっている。だから、摂理だ摂理だ。ワッショイとやっているのだ。

介護日記です。
「睡眠時間-棺桶に入れば起こされることはない」 


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コメント

ババ抜き

ウチの教会に、部員が一人もいないのに、
◯◯部長という肩書きを貰って、責任者から重宝されてる人が居ますよ。

気の毒ですが、そういう人は最後まで抜けれないのでしょうね。

たくさんの人を傷つけてきてますからね。
如何するのでしょう。
韓国人公職者がガッチリ掴んでる感じです。

教会の多額の負債も、最後には残っている人が分け分けして被らされる?、、、いやいや、信仰を貫いて、「私が責任を持ちます!」とかって、素晴らしい準備されたお方(義人)が現れて、見事解決するのでしょうか?

  • [2018/07/19 17:35]
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オタクはオウム以下ですね家庭崩壊連合

公安から「オタクはオウム以下ですね」と言われた家庭崩壊連合(元統一教会)こと世界平和統一家庭連合。

現在は、どうか分かりませんが、教会の公職者、地方では教会長と総務だけという設定だったように思います。その他の本部長とか部長とか教育部長とかは、さまざまな形態(ほかの所属など)をとっていました。献身者は献身者なのですが、関連企業体の社長(献身者のはず?)でありながら献身者もいたわけで、誰でも知る古田氏なんてその代表的な人物。
婦人部長でも隠れて公金を貰っていた人もいた。

そんなわけで、責任を表向き取るのは、教会の表向きの要職にある方々と、現在は教会の社保と年金加入している方々だけということになります。崩壊して、清算手続き(在籍信者すべてに告知、公表している60万人には書面で知らせるのか?)を取るにしても平信者にはな~~~んにも責任はございません。

脱出すればいいただそれだけのことでございますので、単純には「早く抜けたもん勝ち」ってことです。崩壊するまでに、しっかり教義からの脱出をすることが重要で、平信者には組織と教義からの離脱が望まれるところです。

長いこと現在の会長は続いてるけど、次に立つ人がいないってことなのでしょうかね。有名元幹部たちはなんだかんだ理由づけて逃げることは、無責任極まりない人間と見ていいと思います。分派に行ってもまだ誘導できるって思ってるようだけど、哀しいことにまだ誘導され続けたい人がいることも確かなこと。
家庭連合の(借金などの)責任を持とうなんて、現実にはだ~れもいません。
立ち行かなくなれば、自然崩壊しかないでしょうなぁ~・・・。
律儀に清算手続きできる余力もなし、鶴子さんも責任持たない。金を吸い取るのは得意な文龍明も92年には、「借金に責任持たない」と宣い。信者は嬉しそうに万歳(マンセイ)しておりました(映像有り)。
そこにいた幹部たちは、教会の表向き幹部でなくとも責任持ってくれるのかしら?
責任?もたないよねぇ~笑

誘導されてる平信者は、献金要請を何とかしないと!と思う・・・いや思わされるのでしょう。

組織はどこまで人間(信者)を騙す気でいるのでしょう。
そこに、注目したい。

寄生して生きる人間が出来た時点で、宗教って終了なのかもね?!
だって、イエスが生きているときに文龍明やその一族のような暮らしをしていたら・・・お笑いでしょう。
カネカネカネギャンブル女離再婚に不倫に隠し子、コカインに~、そんなイエスと一族なら引っっくでしょう。
聖書も捏造書なんだけどね。

文龍明派生の宗教も一部の人間を除いて終わるでしょう。
買い取った自前の教会はたぶんみんなキレイな物件だと思うからすべて日本国内は清算して、海外へ送って作ったものも日本組織管理の元現金に換えて対応すればいいでしょう。責任を持とうというならそんな日本人信者が出てきてほしい。しかし、ヤラレ(殺され)ないように注意してくださいね。少しばかり、期待いたします。

そうそう
オウム麻原は、幹部女性との秘儀に成功したなんてマスコミに言っていた記憶がある。私はどんなことだろうとかんがえたけど、結果は簡単だった。少ししてその幹部女性が麻原の子を二人生んでいた。難しかった秘儀って性関係のことだったのかと理解したのです。
もっとひどいのが関わった組織、文龍明はなんと自分の子を孕んだ女を国交のない日本へ密航させる。その後子供は養子として迎え入れ、中二満13歳を開拓伝道に出す列車、乗り込む時押され列車にひかれた。誰かに支持し間接殺人で消してしまう。鬼畜な文龍明。
嘘で信者から御涙頂戴も得意!母が髪の毛を編みこんだ靴下を作ったのではなく、捨てた女が編んだものだった。
この組織に真実何てあるのかしら・・・?

「純潔教育」を一番言えないような組織なのに、恥ずかしげもなく叫ぶ。教祖はエロエロなのに、「じゅんけつ~」なんて叫んだら、教祖一族・幹部様方に失礼よねぇ~・笑

~~~~~~~~~~

https://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12392635885.html
文教祖イエス啓示の疑惑(1)猫頭山は嘘ソウルのどこでイエスと会ったのか?

>『きょうは何の日ですか? 「復活節」です。一九九八年四月十七日の「復活節」です。復活節なので、このような話をするのです。』
(「復活節」のみ言葉 1998年4月17日)
※キリスト教が定めた1998年の復活節は4月12日

ですから統一教会が主張している「1935年4月17日に定州・猫頭山でイエスから啓示を受けた」という内容は誤りなのです。
統一教会はわざわざ1936年4月17日や1935年4月17日がキリスト教の復活祭の日にちと合わないということをいちいち弁明する必要がないのです。
なぜなら毎年4月17日こそが異端イエス教の復活節であり、イエス教の信者であった文教祖はそれを守っただけなのです。
統一教会広報は言い訳として「復活祭の週の朝」だとか「1936年ではなく1935年だった」という必要は無いのです。

統一教会は異端イエス教の復活節4月17日を継承しているのですから、それを堂々と主張すればいいだけのことです。

<結論>
文教祖がイエスから啓示を受けたのは、異端イエス教を信仰しはじめたころの1936年4月17日ソウルということになります。


イエスに出会ったもほぼウソでしょ。(と、ワタシは思う
山で祈って啓示を受けたとかってことだったけど、ソウルから猫頭山までどう行ったのか?文龍明の話って、本当のことはあるのだろうか?!
(愛だ何だって話は、遥か昔からあることだし、凸凹の話は実体験からのことでしかない・・・。人間が万物以下って話は、人間を奴隷化するのに必須の事!「祝福」なんてことで万物以下の奴隷信者たちは、金(献金)積みながら売られたのと同じ状態、しかも、万民が受けなきゃ~人間じゃねぇ~~的な教義は異常なんだけど、ヒエラルキーの頂点にいたサイコパス教祖は、言いたい放題!・・・現実は信者の苦悩を増大させた。)
嘘だらけが真実で、「真実」なんてほぼほぼ無しじゃないかしら~笑

サイコパス教祖は、ペテン師、準強姦魔、間接殺人者・・・。

皆さん認識あるでしょうが、教祖や一族は、日本で伝道したこと無し!
当然、日本人の霊の子も無し!
教祖から直接伝道されましたなんて人がいたら名乗り出てほしい。


http://ameblo.jp/chanu1/entry-11930622973.html
文喜進の死因は事故?(2)

http://ameblo.jp/chanu1/entry-10753257777.html
文喜進の死因は事故?(1)

https://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12310859697.html
”文喜進の死因は事故?”怪しすぎる!


NO.8935
2015年12月26日土曜日 0:35 ナツミカン

<喜進がこ*されたと感ずる内容>

N 『二番目、私たち喜進も16歳のティーンエージャー
の時に伝道を出て行って・・・。
本当にありがたいのです。
自分たちの家に再臨主が来たと言って、
何も知らずにご父母様に対して信じられずに
(心が)行ったり来たりする立場で、
原理のみ言葉を知って、
伝道に私が最初に先頭に立って出かけるんだと
言って出かけた途中、汽車に乗って行くとき、

汽車の乗車階段の一番下に立って、
(汽車が)カーブを回るのに
顎を突き出して、
このようにして、
そこのライトに当たって
客死しませんでしたか?』

(「文鮮明先生み言葉選集」477巻より)
『喜進もそうですよね? 惨死ですよね? 
喜進が「私たちの家は、再臨主の家庭だから、
再臨主の血筋を持って生まれた息子として
私は伝道していく上で先頭に立つ」
と言って伝道に出掛けたのですが、車(汽車)に
乗って行く途中で惨事にあったのです。
私は涙は流しませんでした。

竿のような息子が
折れていく、
露のように浮いてしまう
ことを見て
父という人(文教祖)は涙を流しませんでした。
何のために? 
祭物(神への供え物)です、祭物。
きれいに未練なく天に捧げる心を持たなければなりません。
祭物です。』

(「文鮮明先生み言葉選集」363巻より)
~~~~~
満13歳の子供を開拓伝道に出す異常な実父文龍明。他の兄弟開拓伝道13歳で行ったのいるか?愛人の子は間接サツジンするために開拓伝道に出す鬼畜。息子の死にざま語る詳しすぎる超怖すぎリアル!

ババ抜き:その2

〉文鮮明の「側近になればなるほど」、文鮮明がメシヤ、原理(教義)が真理だーと思っていない。
逆に、末端にいけばいくほど、文鮮明がメシヤ、原理(教義)が真理だーと確信(狂信)している。

確かに、頷けます。
深い分析等は出来ませんが、伝道の切り口がメシヤを全面に掲げての伝道ではないのも原因の一つではないでしょうか?
家庭連合と組織名を言ってみたところで、「何それ?」でしょうし、今や統一教会の記憶さえ、「霊感商法」などとセットで言えば分かるかも知れませんが、世の中から消し去られつつあるかも知れないと思っています。

伝道時に、組織名は名乗りますが、文鮮明氏夫妻の名前は出しません。
手を変え品を変えしながら、対象者の状況に合わせて教育を進め、「行けそうだ!」となった所で「主の路程」になります。
それまでに、大凡、教会サイドで必要なデータは把握されてしまってるでしょうから、本人に相応しいと教会サイドが想定する流れに進めていかれます。
担当スタッフも、選んで付けます。
簡単に言えば、悩みがあっただけで、特にメシヤなど求めていなかった人に対し「メシヤ」を教育して強い使命感を与えて、責任を追求する。
こんな感じでしょうか。

有難いことに私自身も、この火の粉ブログを皮切りに様々なブログから情報と知恵をいただきました。
組織に対する失望は抑えきれない状態になり、決別はしていますが、其れでも文鮮明氏が偽メシヤだったか?本物のメシヤだったか?何方か自分の中では決めきれずに今まで居ました。
で、丁度、今日のことですが、ちゃぬさんの記事を読み…。
「イエス様と出会って啓示を受けた」と言われていることさえも、怪しいのか。。。と、思えまして。いよいよ決別出来そうです。
六マリヤも、「絶対性」という観点から理解しようと努めました。
淫乱じゃないか!と、かなりのショックでしたが。長年信仰を続けてきた手前、今更間違いだったとは、、、認めたくないのです。が、色々調べてみると、マトモじゃないほうで、筋が通っている感じがしています。
最初から全部明らかにしてくれていれば、入っていなかったですね。

古参信者が多く離教されているのも、ひた隠しにされて来ましたし。
今、残っている古参信者どのは、混淫を承服して相応の対価を得、その後も組織の拡大に協力して来られた功労者というところでしょうか。

婦人達に対する原理教育は殆どなされていません。
統一思想に至っては、書籍すら持っていない人が殆どかと思います。
ですので、此方にコメントして居られる皆様方の知的に素晴らしいこと!
末端(ニューフェイス)信者は、シンプルな信仰?しか知らないでしょう。

原理は専門用語が多いし難しいし、、ましてや金百文のパクリだなんて、夢にも思わないのです。
タイジュツ、重生、母子協助が、性行為であるなんて、夢にも思わないのです。

純潔ラリーするのですよ!

本当の中身を知らされてないから、
救い主に出会えたという喜びと、様々な方法手段で使命感を植え付けられて頑張り過ぎるのでしょう。
終末感がない人は時(伝道する対象)でない、と言っていた責任者が居ました。
終末感、悩みに付け入るのです。
狂信的に見えるかも知れませんが、「メシヤに出会えた私は幸いだ」と来たばかり人に思わせるだけの術は、もっているのだと思います。

本当の姿を知って、一般信者は皆んな辞めて、前出の部員が居ない部長さんみたいな人だけになったら面白そうですね。

ほんと、お笑い統一でした。

クタクタになってしまって、笑う元気も出やしません。

情けなや〜

  • [2018/07/19 23:52]
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統一教会は、奇妙な組織~作られた宗教組織(人工宗教)

>文鮮明の「側近になればなるほど」、文鮮明がメシヤ、原理(教義)が真理だ-と思っていない。
>あまりにも突拍子もない指摘なので、キョトンとされる人もいるかもしれないが、、、

家庭連合が宗教法人として活動している以上、この突拍子もない指摘~鋭い指摘~に関して明確にする必要があると思います。
自分は信じてないのに、一般の信者には、美辞麗句で教祖を持ち上げ、信じさせているのですから、詐欺です。教団内部で騙しあいをしているのと同じです。側近は常に、会議やイベントで、教祖を身近にみてくるので、一般信者に話す時は作り話をしても、直接、教祖に会うこともない信者は疑いもせず、側近らの話を受け入れる。また、文教祖と韓鶴子教祖は、側近らに信じてもらえない程度の内容しかないということです。世の中には、師匠と弟子という信頼関係において、師匠は弟子を成長させ、弟子が師匠を超えれば、喜びになるが、米本氏が指摘するように、世にも希な奇妙な組織、要するに、世の中の道理以下だということです。文教祖は、弟子が師匠を超えると、嫉妬する程度のレベル。
北朝鮮の一党独裁と世襲制と同じで、教祖が自分の指示命令で、すべてが、動くと思っているからこうなるのです。北朝鮮は、粛清しますが、家庭連合は、左遷や人事異動ぐらいですが、内容は同じです。

サンクチュアリ教会でも、同じ現象があるようです。
無知の知さんのブログにでています。亨進氏の側近は、亨進氏を信じていないのに、給料をもらっているので、仕えているだけという、実態だそうです。
文・韓一族は、まさに、人工宗教であり、イエスマンの人材と莫大なお金によって、成り立っているわけですね。どおりで、古参信者が、だんだんと生気のない形相になっていくわけです。

無知の知さんのブログから引用。
http://muchino-chi.seesaa.net/article/460413410.html#comment
>ガジュマルさん
>
>何度も申し訳ありません。
>ーサンクチュアリー教会では、正気なのは国進氏と数名の側近だけー
>とされてますが、その正気な人が一番悪いとは?

>無知の知さんの返答
ビートたけしの「教祖誕生」という映画をご存知ですか?この映画とサンクチュアリー教会は私にとって重なって見えます。

教祖を作り影でコントロールする人
教祖になる人

この二人の関係です。誰と誰だかは想像できると思います。

____


苫米地英人著 宗教の秘密: 世界を意のままに操るカラクリの正体


この本の最後に宗教の作り方が書いてあるのですが、教祖と教祖を操る人の関係を説明しています。操る人がいないと教祖は完全にハマれなく嘘を公言できないと書いてあります。

操る人にも良心があるので、嘘を言い切れないという説明です。
面白いことに、苫米地氏はイエスキリストは本物であるが、キリスト教は本物でなく人間が作った宗教と説明しています。
アボジと3派に分裂した統一教会も、同じ関係だと私は思います。
アボジは本物であるが、
3派に分裂した各派は本物でないです。
_____
実際に、子女様の側近であるAさんに国進ニムが宗教を作っていると指摘したら、否定するどころか、なぜ、今頃言うのか?と突っ込んできました。
彼も否定できないのです。
そして、2ヶ月近く前に、私は別のサンクチュアリーの側近に会い、数時間話しました。

彼は「自分は亨進ニムを信じていない」と言っていました。「アボジのみ言葉があるので、それだけ信じていけばいいし、亨進ニムは亨進ニムの責任分担があるので、それには関与出来ない」と言っていました。

彼の指摘は、中間管理職(サンクチュアリー各国の代表)が誇張するので、末端で問題を起こす人が絶えないとのことでした。

>正気の定義は何ですか?


戦争が起きると何度も予言しては外しています。そして最大の予言日に、戦争は起きず、今度はアボジの霊界再婚をしました。
上記の側近はこれらを信じていないということでしょう。
正気だったら、これらを100%信じないと思います。
結局、お母様がアボジを不信して失敗したので、それにより戦争が起こると言いたいのです。戦争が起こり自分たちが正しかったと主張したいのです。

2018年07月10日 08:35
無知の知

追加内容です。

>苫米地英人著 宗教の秘密: 世界を意のままに操るカラクリの正体
>
>
>この本の最後に宗教の作り方が書いてあるのですが、教祖と教祖を操る人の関係を説明しています。


私はこのように書いたので、この本に書かれているポイントをもう一つ紹介しながら、分裂した3派に当てはめます。
新興宗教など、信者を信じさせ脱会させない方法として、苫米地氏はトリガーとアンカーを使っていると説明しています。

トリガー:引き金により、信じる口実を作り。
アンカー:脱会したら、大変なことになると、重りを設置する。
ということです。
____
これをサンクチュアリーに当てはめると、
トリガー:アボジの後継者である7男さんを信じる。
アンカー:後継者である7男さんから受けた祝福により救われる。
しかし、なぜ、アボジの祝福を受けて原罪が清算されている祝福家庭が、7男さんの祝福により救われるのでしょうか?
基元節のお母様による聖酒を飲んだので、原罪が生じ非原理以下に落ちたからと、サンクチュアリーは説明していますが、これに原理的な根拠はあるのでしょうか?

何かを飲んで、原罪が生じるのでしょうか?

祝福を受けても堕落したら罪は生じますが(善悪を知る)木の実を食べても原罪が生じないのと同じように、原理的な解釈では到底ないです。

さらに、この理論を作ったのは、真の子女でありながら、血統問題を犯している4男さんだとしか考えられないということです。

「メシア」を信じる人の価値観について

 統一信者が信じる本来のメシア信仰に従えば、文鮮明教祖こそが人間として最高の価値を持ち、絶対的価値をもつとさえ言えることになりますが、統一信者が文教祖にあると信じている「価値」とは 本当に「価値」であるのかという疑問が生じてくるのです。
 文教祖の側近たちが日本から送られて来る様々な名目の資金を中抜きしていたことは文亨進氏を始めとする多くの内部証言から明らかであり、その側近たちの悪行を考えれば、側近幹部たちは文教祖に人間として最高の価値があるとは考えていなかったことになります。
 側近幹部たちが文教祖に認めていた価値とは自分たちの地位、財産を保証してくれる組織の長としての価値のみであり、「メシア」としての絶対的価値など認めていなかったのは明らかです。
 しかし、彼らの信仰を土台とした価値観からすれば、それはおかしなこととなってしまうのです。
 そこには宗教思想によって主張している価値観と実生活の価値観の乖離が表れており、宗教思想によって主張している方の価値観は偽物と言うことになるのです。
 また、同様にその価値観の矛盾は末端信者においても見られ、彼らのメシア信仰に基づけば、文教祖個人は韓鶴子氏個人よりも価値が高く、至高のはずですが、文氏が他界すれば、それまでと矛盾するようなことを韓氏が言ったり、指令を出したとしても意義を唱えることはせず、韓氏が絶対であるという主張を受け入れるようになってしまうのです。
 つまり、以前の価値観は瞬時に変わってしまったのであり、それが価値観と言えるものかどうか、実に難しい問題なのです。

 また先回の記事で話題になった肥満体の大西克彦偽善者は「部長」と言うことですから、価値観において文教祖の「み言」を真理と考え、その価値を絶対視するはずなのですが、その「み言」に沿って質問してくる澤田地平氏を嫌味たっぷりにあしらっており、その態度からは「み言」を絶対視する価値観など微塵も感じられません。
 価値観とはその人の行動に滲み出てくるべき性質のものでありますから、偽善者大西克彦はメシア信仰に基づいた価値観を持っていなかったことになり、彼の本当の価値観は表の信仰とは全く別ものであったと考えざるを得ません。
 その大西克彦の例は、統一信者のメシア信仰から生まれる価値観などは実際には中身がないもので、表面的なものに過ぎなかったことを意味しているのです。

 今回の記事では、文教祖の側近について強制説得家が語ったこととして、「文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる・・・でも、己の生活のため文ちゃんをメシヤと崇める振りをして統一教会の幹部という地位に居続けている。」とか
「完全に原理が間違い、文ちゃんがメシヤでないと思っているわけではない中途半端状態の人が幹部に多い。」とか書かれていますが、それはそもそも強制説得家が信仰についてよく理解していないのでそのように推測していたのだと思います。
 よく考えて欲しいのですが、統一信者は確かな根拠を発見して文教祖を「メシア」と信じている訳ではないのです。
 原理講論に書かれている、かなり曖昧なメシアの条件を材料に、文教祖を「メシア」として‘信じている’だけなのです。
 それは知的な考察を重ねたわけでもなく、もちろん科学的な根拠などあるはずもなく、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」というような選択で、自分の勘によって「メシア」であると‘信じている’だけなのです。
 そこに根拠があるとしたら、ただの感覚的な相性とか、情緒的なものであり、哲学的な内容などほどんどないのです。
 つまり、彼らは幹部であろうがなかろうが、教祖を「メシア」として‘信じている’だけなのであり、「メシア」を実際に価値ある人物として認識している訳ではないのです。
 文氏が「メシア」として相応しいかどうか探究しているのは非信者である第三者であって、信者となった人はただ‘信じている’だけなのです。

 その‘信じている’精神状態は‘依存心’と通底するものがあり、自分で主体的に物事を判断するという理性は失われ、一方的に信じ、その心理状態は「メシア」に物事の判断も委ねるという主体性の無さが特徴となっています。
 そこに主体的な意志の働きがあるとしたら、その依存的信仰を守ろうとする意志の働きだけであり、自分の信仰を否定しようとする敵に対しては強い敵愾心を見せることになりますが、信じる対象に対してはどこまでも依存しまくるのです。

 ここで、前の記事と重ね、よく考えねばならない問題が生じてくるのですが、果たして統一信者の「メシア」信仰には価値観が存在するのか?という疑問が湧いてくるのです。
 それは原理講論を詳しく読めばわかることなのですが、創造原理として書かれている基本的な部分では真・美・善についても論じており、一見しっかりした価値観が存在するように見えます。
 しかし、後半になるにつれて次第に人間に対する見方が変わってくるようになり、人間は基本的に堕落した無知なる人間となり、「メシア」だけが人間を正しい方向に指導できる特別な存在となっていくのです。
 そこでは、「メシア」以外の人間が自分の頭で物事を判断するのは悪となり、「メシア」に従うことこそが善となるのです。
 そこで留意せねばならないのは、信者は「メシア」を価値判断しながら従っている訳ではないということです。
 信者は自分を「無知な存在」と思い込んでいて、「メシア」を正しい導き手と信じていますが、「メシア」については‘信じる’ことが出発点となっていて、客観的に価値判断することは「信仰」に反しますので、行ってはならないことなのです。
 「メシア」信仰とはそのようなものですから、自分の中にしっかりした価値観が確立されている人は信者になるのは難しく、自分が「無知な存在」と実感していて、価値観が未熟な人が伝道されやすいのです。
 なので初期は若者が多く伝道されて来たのです。
 
 統一信者の「メシア」信仰については以上のように考えられますから、幹部を含めた統一信者が文教祖を「メシア」でないとわかるとか、わからないとか、「メシア」でないと思うとか、思わないとか、などという頓珍漢な問題は設問からして成り立たないのです。
 彼らは「メシア」に依存心をもちながら、一方的に‘信じている’だけなのであり、最初から「メシア」についてなど何もわかっていないし、理性的に考えるべきこととも思っていないのです。
 そして、統一信者の「メシア」信仰に関しては、信じる「メシア」の人間的内容よりも、‘依存的信仰をもつ’ということがより意味のあることとなりますから、仮に「メシア」に能力が不足していたり、「メシア」であるべき人物が入れ替わったとしても特に問題はないのです。
 何と言っても統一信者の求めているのは‘依存的信仰をもつ’ことなのですから、どういう「メシア」であるかはあまり問題ではないのです。

 そのことを実証しているのが前の記事で取り上げられた大西克彦肥満体部長と澤田地平氏のやり取りということになります。
 澤田地平氏は統一信者ではありますが、生まれ持っている人間性として相対的に依存心より理性の方が勝っており、依存的信仰オンリーの大西非人間的部長よりは話すこともまともです。
 その大西は「メシア」信仰の核心部分について問う地平氏の質問には不真面目な態度に終始し、一切何も答えず、地平氏に対し、「自意識過剰」「自分のことしか考えない自己中」「何を誇ってんですか あなた? 何を誇ってんの?」などと反撃を試みています。
 その澤田氏に反撃する大西の言葉を深く分析すると、彼の‘依存心’というものが垣間見えてきます。
 「自意識過剰」という言葉を 信者であれば当たり前と思える質問しかして来ない地平氏に対して投げかけるということは、「メシア」について質問を述べること自体が信者として行き過ぎた行為であると考えているのであり、彼の信仰はまさしく思考停止の依存的信仰であることがわかります。
 「自己中」という言葉を使っている背景も同様であり、自分の意見など一切交えないで質問してくる地平氏に対して、その「自己中」という言葉を使うということは、要するに教義について考えること自体が悪いと言っているのであり、何も考えないで、組織に依存すべきという考えが大西の信仰としてあるのは間違いありません。
 また一般社会から見たら、信者を騙した献金で生活する「カルト」宗教組織の部長という不名誉な立場にありながら、「何を誇ってんの?」と地平氏に突っかかって来るということは、自分には地平氏にはない「誇り」があると思っているのであり、彼の「誇り」と言えば「組織に認められた地位」以外にないのは明らかであり、結局は組織に依存することを「誇り」と本気で思っているのです。

 以上のように大西の言葉を分析すれば、彼は依存心を第一にして信仰を保っているのがわかり、依存心を認めてくれる組織に従うことが何よりも重要なのであり、「メシア」に対する拘りはあまりないのです。
 彼にとって「メシア」とは依存心に応えてくれる存在であり、実際の組織全体の長であるなら、理不尽であってもそのトップを「メシア」として信じることができるのです。
 つまり、彼の信仰の本質は依存心ですから、メシアが客観的に見てどうとかは関係なく、とにかく依存する対象として‘信じている’ということなのです。

 以上の大西肥満体部長の依存的心理は統一教団の側近であろうが、末端であろうが共通して信仰の本質になっていると思われます。
 ただ、韓国人はもともとずる賢い人間が多く、お金目的で組織に留まっている事も十分に考えられ、財産を貯め込んでいる韓国人幹部の中には「メシア」信仰をもたずに組織に留まっている悪い人間がいる可能性もあります。

 以上のように統一信者の「メシア」信仰の特性を考えますと、統一信者の価値観とは果たして如何なるものなのか?あるいは信者としての定まった価値観など存在するのか?という疑問が大きな問題として持ち上がって来るのです。
 人間の精神的な価値観について考えた場合、真・美・善の価値に対する観点が価値観として最も本質的なものであることは前のコメントに書きましたが、依存心によって信仰が成り立つ統一信者は「真理」を評価する価値観を持っておらず、「メシア」が何かを主張すれば、それが「真理」となってしまいます。
 つまり、自分自身の「真理」に対する価値観など持っていないのです。
 そのことは地平氏のブログに貼ってある地平氏の質問に対する近藤徳茂氏の答えからも明らかです。
 近藤氏は地平氏の質問に対し、「いや お母様が言うことが正しいです」「その詳しいことは分かりませんけど お母様がおっしゃる通りです」などと小学校1年生並みの答えを返しており、「真理」に対する拘りなど微塵もないのがわかります。
 即ち、内的な価値観が全く形成されていないのです。
 https://youtu.be/xR6kg4vCNA8

 また統一信者は善悪に対する価値観が確立されていないのも明らかであり、霊感商法による逮捕者が出て、その問題を謝罪し、一旦は日本統一教会会長を辞任した嘘つき徳野も、再び日本会長に返り咲くと、それは信者の責任だなどと言い逃れをし、反省したことなど全く忘れているいい加減な有様です。
 つまり、統一信者の場合、一国の会長でさえ善悪を判断する価値観が確立されていないのです。

 以上のように統一信者は統一原理を信じていると言っても、その解釈は組織のトップによって簡単に変えられるものであり、宗教活動において何が正しいかという決定も常にトップの判断を仰いでいるのであり、定まった価値観を信者がもっているとは言うことができないのです。
 統一信者の価値観については一定のものが存在しないわけですから、逆の考え方をすれば、統一教団の宗教思想は人間の価値観を形成するだけの内容がないということになります。
 あえて統一信者に「価値観」を当てはめるなら、「依存」することが何よりも価値を持つことになり、自分の心(知・情・意)にはほとんど価値がないことになります。
 統一信者の「メシア」信仰とはそのようなものですから、「統一教会は世にも稀な奇妙な組織であった。」と感じるのは当然です。

 私は統一教会の書物の中では「統一思想要網」に最も影響を受け、それを絶対視しないまでも、かなり多くのことを啓発されました。
 しかし、その啓発された内容は統一思想要網のほんの一部の文章からだったりします。
 統一思想要網全体についてはもちろん完璧とは思っておらず、書いたのが朝鮮の医師ですから、おかしな表現は幾らでも見つかり、書いてある全てが「真理」とはとても考えられません。

 前回の記事のコメントの最後には暗在さんが書いたものがありましたが、「キケンな統一思想要綱」として引用された文章を改めて読んで、その内容にとても落胆しました。
 多分、その部分は過去に読んだはずなのですが、当時は自分の考えが整理されていなかったと思われ、間違いを見逃してしまったのだと思います。
 暗在さんが引用してくださった統一思想要網の文章を見て、最初の方に書かれていた「全人類の価値観を統一する」という部分が目に入ると、やっぱり朝鮮人統一信者が書いたものは駄目だと正直思いました。
 李相軒氏は統一思想要網の他の箇所では、私がコメントに書いたような内容を書いていたのですが、やはり朝鮮人特有の妄想が抜け切れなかったようで、無理やり何でも「統一」に結び付けてしまいたかったようです。

 さらに別の引用文で、李氏(李氏朝鮮じゃないよ)は「価値観の相違による対立や闘争」という書き方をしていますが、そもそも社会問題に対する理解が浅いようです。
 歴史上にある「対立や闘争」は価値観の違いが原因で起こったものはそれほどないはずで、ほとんどの場合、領土や経済的なものが原因となって起こっているはずです。
 それは人類が誕生する以前からそうであり、猿の「対立や闘争」は基本的に縄張り争いが原因であり、エサが豊富な縄張りを巡って「対立や闘争」が起こるのです。
 それは人間の現代社会でも同じであり、価値観が決して同じではない日本とベトナムは何故「対立や闘争」をせず、友好的なのか? それは経済的関係が良好だからです。
 またイスラエルとパレスチナの激しい「対立や闘争」は何故解決されないのか? それば領土問題の解決が難しいからです。つまり、縄張り争いなのです。
 領土問題や経済的問題さえなければ、国と国は「対立や闘争」などせず、「価値観を統一する」ことなどまるで必要がないのです。
 
 価値観について述べるならば、人類の価値観はグローバルに影響し合いながら進歩しており、近代化が進んでいる国で価値観が進歩していない国など存在していないはずです。
 もし世界の中で近代化されている割には価値観が進歩していない国があるとすれば、それはお隣の国ぐらいではないでしょうか。
 おそらく、李氏はその価値観が進歩していない国の人なので、統一思想要網にあるような馬鹿なことを書いたのだと思います。

 また、暗在さんが引用した他の文章に関しては「それでは価値評価の絶対的基準となりうる共通性とは、具体的にいかなるものであろうか。それがすなわち神の真の愛(絶対的愛)と神の真の真理(絶対的真理)である。」という部分も驚きでした。
 神の存在は人間には認識できないことを「原相論」では述べているはずなのに、「神の真の愛」を「価値評価の絶対基準」とするとは驚きでしかありません。
 その一文を見た瞬間、もしかしたら李相軒氏は馬鹿なのかもしれないと思うようになりました。
 正直韓国人宗教家の言うことは信用すべきではないと思うようになりました。
 

仕事として従事しているだけ

信仰を持った初期の頃、〇長と肩書がある人は、壇上で偉そうに御言を語り、時には平信徒に対して激しく叱責罵倒し、そして涙を流して祈祷していた人が、ある日肩書がなくなった後に消えてしまった人をたくさん見てきました。大多数ではありませんが、一人二人ではありません。

今から思うと、公務費をもらっているから仕事として一生懸命従事していただけなんだなと思う。

集まった献金をもらう側から献金を払う側に回ったらいなくなる。これはブログ上位のいつも隣にさんや教育部長さんにも当てはまると思います。

仕事としての宗教家

肩書ある時は御言を語り涙の祈祷してたのに、辞めて全く人間変わってたら笑えるなぁ。
 エロ本とか読んでたら爆笑です。キャバクラに通う坊さんもいるから宗教家といってもピンキリだろう。

一般社会でも葬儀屋で事務所ではバカ笑いしてるのに葬儀が始まると役に入り神妙な面持ちで時には涙を浮かべる人もいるし、仕事(金)の威力は最強だ。

結局金で動く程度の人間が働いてる団体という事だ。

Re: 「メシア」を信じる人の価値観について

 神々の黄昏さん、長文の投稿、ありがとうございました。

>今回の記事では、文教祖の側近について強制説得家が語ったこととして、「文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる・・・でも、己の生活のため文ちゃんをメシヤと崇める振りをして統一教会の幹部という地位に居続けている。」とか
「完全に原理が間違い、文ちゃんがメシヤでないと思っているわけではない中途半端状態の人が幹部に多い。」とか書かれていますが、それはそもそも強制説得家が信仰についてよく理解していないのでそのように推測していたのだと思います。

 前後の文脈からして、唐突な断定だと思います。
 私は彼らの言葉に啓発され、連作を書こうかと刺激を受けました。彼らの言葉は的を射ていると思います。

ついでに、文教祖の家族もメシヤと信じていないのでは?

>文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる・・・でも、己の生活のため文ちゃんをメシヤと崇める振りをして統一教会の幹部という地位に居続けている。
>文鮮明の「側近になればなるほど」、文鮮明がメシヤ、原理(教義)が真理だとー思っていない。

文教祖の側近より、もっと間近にいるいる人々は、妻の韓鶴子教祖と子女らである。ということは、彼らも、文教祖がメシヤでないと感じていたのではないだろうか。韓鶴子教祖は、自分に都合のよいように、信じている。
以前、長男の嫁は、メシヤでなく、詐欺師と言い放った。4女もメシヤではないと断言した。
3男も、文教祖の人事やビジネスのやり方に賛同していなかった。
4男7男は、文教祖を公衆の面前では、再臨主、メシヤと言うが、本心は、本人にしかわからない。
韓鶴子教祖が文教祖の8大教本を改竄したと批判するが、サ教会の責任者として、これら膨大な冊数(300冊~600冊以上という人も)をいかに、読みこなしているのだろうか。
毎朝 5時から8時のKing's Reportという動画は、アメリカの政治関係の話や銃関係の宣伝、聖書の話がほとんどで、最後のほうで、天聖経の中から、1~3行ぐらいが出てくるだけ。
彼が、本当に、父親の文鮮明を心から信じているならば、8大教本なるものを自分自身と信者が、いかに、学習するかもっと真剣になると思うが。。今の国際関係やフェイクヒストリーを検証すれば、「原理」に対して、議論せざるをえない。原理~ウソ!フェイク!と人々から質問攻め。亨進氏は、なんというか、イベント企画とか、映画製作のようなことをやりたいように見受ける。

連作に大いに期待します

 米本様、大変申し訳ございませんでした。
 強制説得家が語った内容については確かに根拠があり、前のコメントを書いていた時は文教祖の呆れ返るような逸話の数々が私の記憶から飛んでいて、文教祖の特殊性を見落としてしまいました。
 前のコメントでは統一信者の信仰と価値観について思ったことを書きたかったため、その問題と無関係のことは深く考えずに思いついたままに書いてしまいました。
 強制説得家が語った側近の話はかなり現実的であり、そのようなことは韓国では珍しくなかったと思います。

 「文ちゃんはメシヤではないとわかる」と書かれていたことに対し、私は「わかる」という表現が前のコメントを書いてる時にはとても不自然に感じられたのですが、よく考えれば、私自身もいろいろ考えた末、文教祖はメシアではあり得ないとわかったのであり、判断材料は違っていたとしても結論は同じです。
 文教祖に関する様々な情報を基にすれば、側近が「文ちゃんはメシヤではないとわかる」材料など幾らでもあり、‘火の粉’に詳しく紹介されていた朴サムエル氏の講演を思い起こせば、むしろ講演にあったような出来事を実際に見て、文教祖がメシアであると信じ続けられる方が異常であり、まともな理性を持った人なら、普通に「文ちゃんはメシヤではないとわかる」はずでした。

 そのように「メシヤではないとわかる」材料は‘ちゃぬの裏韓国日記’ブログに満載であり、文教祖の見せた‘ボロ’がたくさん書かれています。
 すぐ思いつくところでは、彼が弟子たちに語った幻で見たというイエス・キリストの容姿が、歴史の資料から確認されているイエス・キリストの容姿と全く違っていたということを暴いた記事もありました。
 また私が最近信頼できる人から紹介された「How Well Do You Know Your Moon?」サイトの記事には、文教祖がエジプト・中東旅行をした際、「文氏は遺跡を見て6000年以上8000年も前にこんな文明があったことに心底驚いていた」との証言がありましたから、文氏の無学はかなりひどかったようです。
 どれだけ韓国人が日本人とは価値観が違うと言っても、そのような文教祖を間近で見て、「再臨のメシア」と信じ続られるはずはありませんから、「文ちゃんの側近になればなるほど、文ちゃんはメシヤではないとわかる」は至極当然のことだと思います。
 そのような文教祖が教団内で「メシア」としていられたのも不思議なことですが、それはやはり文教祖を取り巻く韓国人幹部たちによる情報隠蔽、情報操作など、巧妙な裏技があったのだと思います。

 以上のように考えますので、米本さんの連作には期待します!

メシアなど口にするだけで人生失敗する

文鮮明は非常に言葉巧みな、妄想・自己陶酔、思いを実現しようとする馬力は尋常ではなかった、と思います。遠くから見てただけですが、祝福までいってしまって、多額の献金もしてしまった。

彼が晩年言った言葉でこれは本当だなと思った言葉は、「したようにされるのが人生」ぐらいか、

もちろん、彼はメシアでも何でもありません。思い込みの強さ、持続力(祈祷、話し、体力)も尋常ではなく、なんでこんな人間が出てきたのか?ついていけない異常さも人々を引き付けたのかも知れません。祝祷の時、片手を上げますが、最後までそのままの姿勢でした。鶴子氏は徐々に手が下がってた。

個人的には、日本人にかなり影響されて、思い込みがだんだんと増していった?気がします。
あのヒットラーをどうしても感じます。
それにしてもあんな妄想・自己陶酔じじいに依存してたら、人生間違いなく壊れますね。
一番最悪なのは血統転換です。人類を罪の根をもつ存在として、聖酒、祝福でしか罪は消えない、メシアを通じてしか救われないとか言ってることです。
完全な魔物人間です。
従順素直、しかし、たかが大学生に言いふらし伝道を進めたことです。世間知らず、素直で真面目な人ほど、騙されました。そういう人間がさらに妄想を膨らまし、自分勝手にいろいろ語り出す。そしてさらに妄想が膨らみ、妄想人が増える。

メシアなど蜘蛛の糸です。上って行くといいようにされたうえ、食べられる。文鮮明は金に紐付けた。我欲に紐付けた。それゆえ、多くの韓国人が来てさらに日本人を惑わし利用した。

そんな腐った教祖。集団に血統がどうのこうの言う資格さえ元々ありません。
真の父母?ちゃんちゃらおかしい。
なりたい症候群の失敗者代表ですね。
失敗者を崇めてどうすんだ!
現代のナチス集団が統一集団です。
日本人のオリジナル血統を汚す魔の集団です。オリジナルが一番清い、人生いろいろあっても、それが人生!
先祖の分まで生き抜くしかない。
それが先祖供養。霊界には霊界のルールがあるようですが、清平の詐欺ばあさん言うことは全部嘘。近道、抜け道はない。
金を要求する宗教集団には一番近寄ってはいけません。

文鮮明:あいつはどっから見ても魔人です。信じる人は人生の敗者、既に死んでます。霊体は腐ってます。妄想カス人間です。

世界に出て行った日本人には良心の自然な発露から人々を救った人がたくさんいます。マチュピチュの町をつくったのも日本人だし。

酩酊しない宗教はない

素面の食口という言い回しが出てきたので、参考になるかどうかわからないが、投稿してみることにした。
司馬遼太郎が著書「明治という国家」の中で「酩酊しない宗教はない」と書いている。脈略は明治維新を成し遂げた「攘夷」という思想は「外国人を打ち殺せ」というような過激な思想で、そういった強い酒に酔いしれた志士たちにより明治維新はなされて、これが『開国」と言った当たり前の思想、すなわち普通の水なら維新のような革命はなされなかった。「攘夷」という運動はまさに宗教そのものだった・・・という文脈から「酩酊しない宗教はない」と語っている。
諸外国を脅威を知っていた幕府は『開国」に舵を取る。まあ現実的な路線だろう。
攘夷を掲げて実際諸外国と戦った長州や薩摩の上層部は、「攘夷」だけで国を守るのは難しいと実感し、『開国」してから西洋文物を取り入れて国力を強めたうえで「攘夷」を実行していくという方針転換をしている。しかし上層部以外の多くは「攘夷」を最後まで信じていたようだ。攘夷を実行しない幕府は許せん、倒幕だといった流れになっていく。
詳しくは司馬遼太郎の「明治という国家」を読んでくだされ。

それはともかく宗教の話を酒の話に置き換えて語っているところが興味深い。3年で天国が出来ると信じて献身した諸先輩らは相当酔いが強かったのだろうか。酔いが醒めてもまだ強い酒が体に残っているケースんもありそうだ。悪酔いで後悔しきりの人もいるようだし、今もほろ酔い気分の人もいるだろう。酒は百薬の長、たしなむくらいなら体にもいいだろう。一人で飲むより集団で飲むと盛り上がるかもしれないが、羽目を外すと他人に迷惑をかける。
素面の食口と言っても程度にもよるだろうな。
宗教をアヘンだ麻薬だというより酒だと言った方が近いかな。酒も飲み方によってはアルコール中毒になったり、場合によっては死んでしまうケースもある。宗教をアヘンだとか麻薬だとかいう人は、体質的にアルコールを分解する酵素を持ってなかったか、きっと悪い先輩から一気飲みでも強要されたのかもしれんな。

心の酒に酔っている人には実際の酒はあまり飲まなくてもよさそうだ。
この話、酒をたしなむ米本さんに届いたかどうか?

本当に人々の命を救っているのは、文鮮明のような人にあらず。

>文鮮明:あいつはどっから見ても魔人です。信じる人は人生の敗者、既に死んでます。霊体は腐ってます。妄想カス人間です。
>世界に出て行った日本人には良心の自然な発露から人々を救った人がたくさんいます。マチュピチュの町をつくったのも日本人だし。

Toramaruさんへ。
本当に、その通りです。「世界ナゼそこに日本人」という番組をみて、感動しました。
家庭連合・統一教会の動画は、多数ありますが、偽善的なものばかりです。そもそも、文鮮明や韓鶴子教祖は、自分から、メシヤとか真の父母とか言ってますよね。ここから、間違っているのです。人々が本当に、命を救われ、人々によって認められるものです。
「やや日刊かると新聞」に、岡山1万人大会のエイト氏の記事が出ています。
韓鶴子教祖は、娘の善進氏を送って、いまだに、反日のスピーチをさせているのです。あきれた話です。
恩を仇で返す国の代表が、メシヤ~独生女~真の母であるということを証明しています。
toramaruさんがいうように、世界中で、過去から現在まで、多くの人々の命を救っている日本人の活躍や偉業は、文鮮明や韓鶴子の言動とは、真逆です。文鮮明韓鶴子教祖は、自画自賛で真の父母が日本を祝福したから発展したとか、母の国と認めたから日本人は世界に奉仕するだとか、ふざけたことを言い続けています。
韓鶴子教祖は、日本に干渉しないで、韓国の反日教育をやめさせ、民度をたかめることに、集中すべきです。まぁ。ムリでしょうね。親日罪がまかり通るお国柄の政府に逆らうほどの勇気や正義はないでしょうから。
ここが、日本人の武士道と大和魂の違いです。日本人信者は、どちらがいいの?


・ ドクター福島(現役の医師)松江豊寿(1872-1956)
https://www.youtube.com/watch?v=yjmkj-MGBhI
・ニジェール、ホンジュラス、ネパール等で、活躍している日本人
https://www.youtube.com/watch?v=g8gS9FJJsIk

・やや日刊かると新聞~エイト氏の記事引用
http://dailycult.blogspot.com/2018/07/1.html#more
◆日本からの感謝献金の0.1%を寄付
 登壇した教団の徳野栄治会長は豪雨被害に対し韓鶴子総裁が日本赤十字社に2千万円の義援金を寄付したこと、そして具体的な被災に遭った会員に1千万円の義援金を寄付したことを発表した。しかし、これはもとは日本の被害者の金だ。年間300億円の感謝献金を受けている韓鶴子総裁にしてみると3千万円は300億円の献金収入のうちのわずか0.1%に過ぎない。
◆「(日本は)本来なら赦すことのできない国家」韓鶴子総裁の“みことば”
 なお、この日のメインスピーカーは教祖夫妻の5女・文善進世界会長で、韓鶴子総裁は来日しなかった。韓鶴子総裁の“みことば”を代読する世界会長。「(日本は)本来なら赦すことのできない国家。真の御父母様は(日本を)エヴァ国家として惜しみなく・・・」などの“みことば”発言が確認できた。

連作期待してます

ほぼ毎日、チェックしてます!

ここ数年の大きな大会について思うのですが、大会前は盛り上がってるように見えて、終わった後はそれについての喜び、感動などが流れてくることはありません。
内容が良くないのでしょう、現役会員にとっても。
動員路程に疲れ、聞いた講演で疲れ。
可哀想ですね。

文氏も裸の王様と言われましたが、韓氏も、裸の女王様でしょうか。
さらに、醜態を晒し続けられる力は何処から湧いてくるのか。義援金の寄付も、日本から上がる献金に対する歩合で勘定なさったのか?
会員も、韓氏も、気の毒に思えます。
妄想から覚めるのは簡単ではないですが、会員の皆さんには、正しい情報に触れて、日本人としての誇りを取り戻して欲しいです。

余談ですが、澤田地平氏が独立なさったそうです。

  • [2018/07/24 13:12]
  • URL |
  • オズの魔法使い
  • [ 編集 ]
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Re: 酩酊しない宗教はない

>心の酒に酔っている人には実際の酒はあまり飲まなくてもよさそうだ。
この話、酒をたしなむ米本さんに届いたかどうか?

 ちょうど葉室りんの『神剣』を読んでいて、理解はできていると勝手に思っていますが、テ-マを広げて論じても意味はないように思います。

 テ-マは「統一教会は世にも希な奇妙な組織であった」かどうかです。維新組織(藩-藩士)とは全く関係のない逆立ちした組織!であることを言いたかったのです。

品性のなさを吐露

●世界バラバラ個人崇拝連合

 タイトルが面白かったので、読んだ。

https://ameblo.jp/siawasenaolive/entry-12392952796.html

 書いていることはまとも。
 しかし--
<「米本さんが「統一教会は世にも奇妙な組織であった」っていってるよ(内容は読んでないけどね)>

 読んでいなければ紹介しなければいいのだ。ここらへんが元統一さんの上目なのだ。

 一般社会では「読んで参考になれば紹介する。読んでいなければ紹介しない」

品性のなさを吐露(訂正)

>書いていることはまとも。

 訂正します。文の後段には--。

(引用開始)
日本において、在日に牛耳られているものリスト~拍手パチパチパチパチ

法曹界
医療業界
芸能界
三菱重工
外務省
テレビ業界
産経以外の新聞業界
自民の親安倍勢力以外←安倍ちゃんの支援団体はあっちの人じゃなかった?
野党←国籍があっち
電通
伊藤忠商事
花王
マスコミ業界
スポーツ界
街宣右翼
ヤクザ
Google
United Nations
今上天皇
出版業界
ラノベ業界
youtube運営
(引用オシマイ)

 思い込みの激しい統一末端シックの典型です。

自叙伝を読んだけれど、矛盾だらけ。こんないい加減な人を信じる人居るの?自分の身は自分で守るべし。

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