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問題の所在はカルトうんぬんではなく,価値観の強要なのだ。 

一筆一論(44)

 今年も半年が終わった。年内にブログを終えなければ・・・。

 前回の記事「新宗教団体2世信者たちの葛藤 オフ会が居場所、難民化の懸念も」 で,つまり全文紹介したエイト氏の記事に対するコメントとして、次のように書いた。
「(5)親はエホバや統一がいいと思って、自分の価値観を子どもに強要する。親はエホバや統一が良くないと思って、子どもを拉致監禁して、自分の価値観を子どもに強要する。どうか、この2つのパタ-ンが対称形であることに気がついてもらいたい」

  koyomi さんが反応してくれた。
「思わず、ウンウンと頷いてしまいました。拉致監禁はイカンと言っていながら2世の我が息子、娘に信仰&祝福を強要する1世親・・・ 信仰の強要は虐待と言いつつ、拉致監禁説得を行っていた反対牧師はじめとする反統一教会の人達・・・ 悲しいことに、両立場が同じことをしているということを理解してくれないのですよね」

ころで、このことはブログを開設した10年前に書きたかったことである。次から次へといろんなことが起き、書く機会を失い、今日になってしまった。あと半年と思うと、想いを吐き出しておかなければ--吹き出物が出る(;_;) 

 小生の問題意識の変遷は、以下の通りである。
(1)講談社の編集者阿佐さん(故人)から突然、原稿依頼がきた。進学塾の「日能研」というテ-マでルポを書かないか。大雑把ゆえに、しびれましたねえ。つまり、「日能研」をどう料理するかは小生の器次第というわけである。

(2)取材すればするほど、日本の教育はいや日本の社会は偏差値に支配されていることが分かった。偏差とは結局のところ比較の思想。人と人とを比較することなどできるはずがないと思っていたけど、偏差数値によって可能となっていたのである。ショックを覚えた。いくつかの雑誌で原稿を書いた。アバウト5年間ぐらい。

(3)こんなときに、試験も勉強も偏差値もない集団、「ヤマギシ会」を取材しないかと宝島の編集者に提案された。世にも奇妙な団体であった。取材しながらそのつど雑誌に寄稿した。2007年に『洗脳の楽園-ヤマギシ会という非劇というタイトルで単行本にした。

(4)多くの新聞、雑誌の書評で取り上げられた。文藝春秋、講談社の賞にノミネ-トされた。ようやくにして1人前のライタ-になったかという気分になった。『洗脳の楽園』のテ-マは多岐にわたるが、その1つは「楽園〓ユ-トピアにいる子どもの状態」のことであった。

<注> -心の底からバカだと思った元教会長
「師観のブログ」を見て、心底、驚いた。タイトルは「ヤマギシズムコミュニティ見学記(今のUCは韓国を超えることができない)」。ヤマギシ礼賛記事である。
 火の粉ブログを始めたのは10年前。右サイドに拙著の案内が載り続けている(笑
 先に述べた通り、拙著は複数のマス媒体の書評欄で取り上げられた。そんなことより--。
・ヤマギシ会は巨額の脱税事件として摘発された。(新聞で報道された)
・この事件が遠因となって、会の実質的な責任者が自殺した。(新聞で報道された)
・親によってヤマギシ会に入れられた孫を救出したいと、「ヤマギシの子どもを救う会」が結成され、中央省庁に陳情した活動の模様がフジテレビなどに放映された。
・日本弁護士連合会(日弁連)がヤマギシの子どもの人権侵害をやめるように勧告を出した。広島県弁護士会も通告した。
・日本テレビが「今日の出来事」でだったと記憶するが、数回にわたって批判的に報道した。

 まだあったと思うが、「元教会長」さんは現実の出来事とは無縁の世界にいらっしゃる。さすが統一さんだ。
 こういう人が教会長をやっていたのである。彼のブログの5、6本の記事を時間を空けずに続けて読めば、支離滅裂(統一もなく、ばらばらに乱れている状態。筋道が立たず、めちゃめちゃなこと)であることが理解できるはず。



(5)これを契機に、小生の問題意識は「子ども」のことに。で、『カルトの子-心を盗まれた家族』を著した。統一教会・エホバの証人・オウム真理教・ヤマギシ会・ライフスペ-スの子どもたちのことである。
 問題の所在は、親が絶対に正しいと信じ込んでいる「価値観」を子どもに強要することにある。

(6)繰り返しになるが、<親が絶対に正しいと信じ込んでいる「価値観」を子どもに強要する>。きちんと考えなければならない。
 ある親たちは統一教会は絶対に間違っているという価値観を子どもに強要(拉致監禁説得)する。強要した結果、子どもは心的外傷後ストレス障害(PTSD)になった。
 このことを『我らの不快な隣人』で書いた。

(7)私にとっては、『カルトの子』も『不快な隣人』も本質的には同じである。
 ところが、ある論者はこういった趣旨のことを書いていた。
「『カルトの子』は明らかに反カルトの立場から書かれていた。ところが、『不快な隣人』は統一教会サイドの立場から書いている」
 頭がクラクラしてしまった。
 子どもそのものは関係なく、あるのは<カルトか反カルトか>だけである。
 統一教会信者の子どもを強制脱会させて反統一教会にする。このことを批判すると、視点が<カルトか反カルトか>しかない人たちは、小生のことを統一教会寄りになったと罵倒する。次は典型的な出来事。
 今は国会議員の有田氏は『カルトの子』を週刊誌の書評で取り上げた。ところが、『我隣』を出すや、ブログ・ツイッタ-で「変調ライタ-」など明らかに名誉毀損になるレッテルを貼りつづけた。ヒステリックに! 
 そう言えば、日本脱カルト協会は『カルトの子』を組織の推薦図書にしていたが、私が拉致監禁に反対し始めると、いつの間にか、推薦図書から外した。
 統一さんと同じで、きわめて感情的なのだ。つい理性より感情が先に立ってしまう。統一と反統一との共通項である。

(8)前述したように、問題の所在は、親が絶対に正しいと信じ込んでいる「価値観」を子どもに強要することにある。親の価値観が統一教会であれ反統一教会であれ、同じこと。右翼であれ左翼であれ、共産であれ反共であれ、そんなことは「親子関係」においてはどうでもいいこと。価値観を子どもに強要するかどうかにあるのだ。

 『カルトの子』を書いてから、精神的に不安定になっていた女性と交流したことがあった。なぜ、不安定になったか。親は自然食品の原理主義者。彼女の友だちの親からもらったお菓子を食べていると、母親は気が狂ったようになったという。
 理解してもらったかどうか。
 極端なたとえをあげた方が分かりやすいかも。
 地域から賞賛されるようなボランティアパパがいた。とにもかくにもゴミ清掃だ。ここまではいいのだが、子どもにもゴミ清掃を強要すれば問題である。毎日なら大問題だ。

「エホバの証人」(信者)がエホバの言葉(聖書)をみんなに伝えようとする。決して批判されるようなことではない。問題なのは、伝道を子どもに強要することにあった。
<注>エイト氏の記事ではなぜか書かれていなかったのだが、「エホバの証人」はすでに訪問伝道に子どもを連れて歩かなくなっている。口幅ったいのだが、反エホバの中澤啓介牧師は「『カルトの子』が影響したと思う」と語っていた。

 訪問伝道はすでに過去のことになった。しかし、いまだその体験が元エホバの子ども(30代~)に影響している。酷いことである。

「ちんたら息子の母親介護日記」-「行動意欲-88歳→95歳」。コメントに刺激を受けた。反応したいです。 



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コメント

親が絶対に正しい?!

親が絶対!なんて
思ってる信者二世なんているのかしら?

正直、親が絶対!従うなんて、日本にはいないでしょ。閉鎖された掲示板、信者二世たちの中には、絶対絶対絶対なんて二世はいなかった、、、。

至るまでの過程での
本人や家族の思惑や何らかの駆け引きでしかないと思います。

内部を知る立場から見ると、組織や親の要求で、精神不安定になっている人は多くいたように思います。
宗教だけでなく、、、
一種の商業思想、主義に誘導されてしまうのは、ありふれたものかもよ。
マルチ商法で成り立っているものばかり〜♪

注意致しましょう。
よくえらび、違うと思ったら脱出だぁ。


論点
米本さんの言われることも、支離滅裂に感ずる部分があります。
「カルトの子」の題名にしながら、カルト認識に対してのお考えには違いがあるようですし、マインドコントロールを語るのも気に入らないようですし・・・、

クズでカルト宗教に引っ掛かるバカなワタシは、率直に正直に綴るだけです。情報量で認識が違って来ますので、一定ではございません。
ワタシのコメントで何かを感ずればいいだけです。バカと思うも良し、クズと思うも良し・・・です。

説得力?
説得力なんて~そんなのどうでもいい~って、関係ないです。

説得する?必要ありますか?ないですよ~。
それぞれがそれぞれの情報量で、思考するだけです。

Re:親が絶対に正しい?!

 投稿感謝なのですが、よく考えてください。

 親が絶対正しいなんて思う子ども?-そもそも論点がズレているのですが--、あまりいないでしょう。

 しかし、親は生殺与奪権をもっています。
 子どもが社会的に自立するまでの親子関係に焦点をあてれば、親は権力者です。

 ナツミカンさん、感情むきだしの投稿はまるで説得力がありませんし、支離滅裂なところがある。
 いまだ統一ワ-ルドに生きていらっしゃる。案外、幸わせなのかもしれませんね。

殆どの人が・・・

価値観の強要(押し付け)はイカンというのは理論では理解できても、信仰の強要はイカン、拉致監禁強制説得して脱会させるのもイカンというのは感情的に理解できないでしょう。

私もかつて、ツイッターで拉致監禁反対や拉致監禁説得の問題点を語ったら、それまでそれなりに(ネット上で)仲良く語っていた元信者や反統一教会の方々が、「あんたの考えおかしい!」「親の気持ちがわからんのか!?」と言われまくりました。
勿論、元信者でも拉致監禁はよくないというのをわかってくれた方もいましたが・・・。

私からしたら・・・米本さんがおっしゃっていることは、全うすぎて反論の余地はないと思うのですが・・・
何故か・・・この程度のことも統一(家庭連合&分派)や反統一は理解できないんですよね。
(C女史の真似して、上目発言してみました。)


殆どの親という人種が忘れてしまいますけど・・・
(何故か殆どの親が、自分は子どもの気持ちがわかって、子どもの気持ちを尊重している寛大な親だと勘違いしているのですよね。)

子どもは本能的に生存を維持するため、結局は親には従うものなのですよ。
アホな親は、「自分が強制したわけではないのに、自分から名門中学受験すると言って進学塾に行ってるのよ」とか、「自分は教会に行くこと強制してないのに・・・教会に行ってるのよ。」と嬉々として語るが・・・

言葉で強制しなくても、態度や表情で強制してるのです。それくらいもわからないくせに、子どもの気持ちわかっている、子どものこと一番わかっているのは私(親)と言うなんて・・・おめでたすぎの極みです。

親って・・・子どもにとって絶対者なんです。
それを親という立場の人は自覚してほしいです。

人を育てる

ご指摘のブログを読んでみました。
たしかに、クラクラします。
長年、UCにどっぷりと浸かっておられて、色々あったことでしょうが、耐え難きを耐えてこられ、、、最終的に、外に出るのは大変なことだったと思います。
外に出ても、自責の念やら、世の中、周囲の目やら複雑でしょうし、適応するのは簡単じゃないことでしょう。
失った時間は戻らない。

頑張ってくださいねっ!としか言えないですね。

善=幸せ
悪=不幸
とは限らず。
親だけに限らず、権限がある場合、自分の価値基準を相手に対して強要、優先する事は多々あるかと思います。
家庭の中では特にDV、虐待が顕著ではありますが。
学校や、職場でもありますよね。

家庭の場合、特に両親、母親は、胎教時期から「一人の人間を育てている」という意識をどの様に持てるか?は大切かと思います。

狼少女の話は有名ですね。
UCの教育段階では、人間は生まれて食物を与えるだけでは人間にならないという実例として紹介された記憶があります。
愛情を注ぎ、言葉をかけ世話をして育てることで人間になると。

相手が子供の場合、どこまで踏み込んで干渉するか?のさじ加減でしょうか。
子供の立場からして、怪しげなモノ(かもしれない)にトチ狂った自分をどこまでも放任してくれる親は、どうなんだ??とか。
拉致未遂とか、羨ましかったりして。?

子供其々に合わせたさじ加減が必要かと思います。
人権の問題ではありますが、自我を芽生えさせて育てるのも、親と本人の共同作業だと思います。

見た目大人でも、子供の様な人が多い昨今。
核家族化が、助長してるのかな。
  • [2018/07/04 01:28]
  • URL |
  • オズの魔法使い
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

自分自身の価値観がわからなくなる程の環境で生きてきたら

他の方が指摘されたように子供は親の影響を絶対に受ける。
 幼稚園からお受験なんてその典型的なもので小さい時に自分の意志だけで受験を希望する子供なんて何%いるんだろう?

親から価値感を押し付けられて生きている人間なんてこの世にはいっぱいいて精神的に監禁されてるようなもんだ。

しかし独立すれば親からは精神的には解放される道がある。気づいた時が始まりだろうから統一教会の二世達にその道が与えられる事を願うばかりだ。

でも幼稚園お受験してセレブ世界にどっぷり浸かった人間がそれまで関わってきた人間から見下されるであろう庶民の世界に入るのは難しいように二世達もその世界から抜け出すのは難しいんだろうとも思う。親も兄弟姉妹も統一界に生きていたらどう付き合っていくのか、向こうも必死で引き込もうとするし縁を切るしかないんだろうか?

統一二世にしろセレブ二世にしろ自分が心からその道を望んでいるなら何も問題はないけれど、自分の意思なんてわからなくなる程幼き頃から親の価値観に浸かった人間がそこから抜けるのは正直難しいと思う。

よくわからなくなってきた。

自分は親に言われて小さい頃から親戚の法事に出て今も中には苦手な人もいるけど付き合っている。そんな流れで子供達も予定があると言われない限りは連れていってたな。
 親戚付き合いは続けてほしいと思ってるけど、子供達は内心どう感じているのか聞いてみよう。

でも嫌だと言われても長年続いてきてるし大事だと思うからやはり親戚付き合いは続けてほしいのが本音だ。田舎だしそんな話しは周りから結構聞いて普通だと思ってたけどこれも価値観の押し付けなんだろうか?

人の事は見えてるけど、自分の事は案外わからないもんだな。

そもそも自分だけの価値観だけで生きてる人間っているのかな? 会社に行けば会社の価値観である社訓を朝礼で唱和するしさ。
 割り切ってる範囲ならOKなんだろうか?

投稿数が多くなり申し訳ない。

しかし価値感の強要というテーマは深くて考えさせれる事が多い。

極端に言えば日本にいる以上は日本国憲法という日本の価値観を強要されるよね。でも自分の価値観が違うなら政治的に自分の考えを訴えたり移住できる自由はある。(多くは自分の能力を顧みてネットで叫ぶだけだけど)

統一二世に限らず、長男だから家を守れとか店を手伝え、家計の為に少しバイトしろ、いい会社に入れるよう勉強しろとある程度親の事情や価値観に振り回されるもんだ。

でも成人して独立していけば自己判断で家と距離を置く事も出来る。
 現に統一教会の悩みは二世が沢山離れてる事みたいだ。
古狸連中は情報を制限しようとしてるけど時代の前に無駄な抵抗だ。

だから価値の強要はされても、精神的拘束なんて出来るはすがない。いつか崩壊していく。
 ただ幼き頃から一定の価値観を植え付けられてると時間はかかるんだと思う。

自分自身を振り返り考えさせられたが、子供がある程度の年齢になれば親の意見も話すけど向こうの意見も聞いて一方的にならずに話し合う事が親子関係において絶対に必要なんだと思わされた。

統一教会はコミニュケーションが明らかに不足している。組織文化が北朝鮮型独裁的なんだよ。日本にいながらそこに所属して喜びを感じている病んだ人間が埼玉アリーナのイベントを見ると二万人以上いるとは、、、。
 
でもナツミカンさんを見て感じるんだけど、自分が忌み嫌われ蔑まれるブログに頻繁に投稿するなんてプライドの無い人間が統一教会には多いのではないだろうか?
 元々そういう性質か統一教会にスポイルされたのか、オウムの死刑執行を見ていろいろ考えさせられる。

ショックだったのは6人もの国会議員が埼玉アリーナに来賓出席した事だ。精神的奴隷の上に権力が成り立っている。統一関連だけでなく貧困者の票を集めて政治家をしてる人間もいるし、それが政治理念からくるものでなくただ彼等を利用してるだけなら最悪だ。

http://dailycult.blogspot.com/2018/07/26.html?m=1

価値観の押し付けについて

米本さん、初めまして。
私は、統一協会によって苦しめられています。
米本さんは双方が価値観の押し付けをしていると、おっしゃっていますが、それは検証が浅いのではないょうか?本人が統一協会に入信した流れはいつの間にか価値観を変えられた結果です。
片方がその状態にもかかわらず、お互いの価値観の押し付けと、理解されていることについて検証が足りないと思いました。
長年統一協会の子供達を心配してくださっているのですから、統一協会の被害者家族からの視点でご検討頂きたいです。

チャチャさんの一連の投稿について。

>よくわからなくなってきた。

 正直な感想だと思いました。
 親は自分が正しいと信じていることを子どもに教え伝えようとする。実践させようとする。
 ここまでは何の問題もないと考えます。愛の発露という言い方をしてもいいかもです。

 私が問題にしてきたのは(我隣、カルトの子)、価値観の強要が子どもに心的外傷を与える場合、とりわけそのトラウマが後々まで子どもに影響を及ぼす場合です(PTSD)。

Re: 価値観の押し付けについて

 くみこさん、初投稿、感謝です。

 読解力不足だったらご容赦を。

「本人が統一協会に入信した流れはいつの間にか価値観を変えられた結果です」

 具体的な意味がよく理解できませんでした。(似非科学・マインドコントロ-ル論のことを言っているのか)

 本人に主体性といったものはないのでしょうか。「自律ゼロ、他律100」(つまりロボット)だったということでしょうか。

 信者の親たちは、統一教会に入信した子どもが「自律ゼロ、他律100」(つまりロボット)状態になっているから、暴力的に脱会させようとしてきたわけです。

 暴力的に脱会させた結果、我隣などで紹介したように、少なくとも3人の元信は心的外傷後ストレス障害を発症しました。そのうちの1人(50代)はいまだ入退院を繰り返しています。
 

「統一協会の被害者家族からの視点でご検討頂きたいです」
「統一協会の被害者家族」の名の意味が理解できませんでした。
 子どもが統一教会に入信している家族-という意味でしょうか。 

独立できるかどうか

親子間で子供の立場として、価値観に違和感を感じることがあるなら、独立してから親とそんなことをテーマにコミュニケーションをとる試みをしたら良いかもしれませんね。
それは一つの目標になるのではないでしょうか。
もし教会に問題を感じていて、2世という自分の立場を超えて、客観視できる視点をもてるなら、その人はある意味有望な方だと個人的には思います。でもこんなことは難しいということがテーマにされているようだから、ナンセンスですか?
でもそれをまあ置いておいて、そんな夢のようなことも、妄想的に書き綴れば、、、時間がかかるかもしれませんが、そんなことがもし出来れば教会に対する一つの問題提議のきっかけとしても意義があると思います。
2世の方にしかできないことではないかと思います。

価値観についての原理的(基本的)解釈

>問題の所在は、親が絶対に正しいと信じ込んでいる「価値観」を子どもに強要することにある。親の価値観が統一教会であれ反統一教会であれ、同じこと。右翼であれ左翼であれ、共産であれ反共であれ、そんなことは「親子関係」においてはどうでもいいこと。価値観を子どもに強要するかどうかにあるのだ。


 米本さんは「価値観」をテーマの一つにして記事を書いておられますが、私は人間の「価値観」については以前から強い関心を持っていました。
 それは特に統一教会に入会してから強く関心を持つようになったのであり、統一教会関連の一団体である統一思想研究所が著者となっている「統一思想要網」を学ぶようになってからはそれに対する理解がさらに深まるようになりました。
 その統一思想に啓発され、「価値観」が意味するもの、人々の「価値観」の違いについて、「価値観」の発達について、さらに「価値観」の確立についてよく理解できるようになり、人間の精神というものに対する理解がより深まることになったのです。

 ただ一般的に価値観は主観的なものと考えられているため、それを考察の対象とするのは簡単ではなく、自分が理解したように多くの人が理解できるとは限らないのですが、自分の場合は統一思想の内容がとても理解しやすかったのでした。
 しかし、その統一思想による「価値観」の捉え方はとても整理されており、理に適っていると思われますので、そこで自分が得られた認識を基にして、米本さんの上のご主張にコメントしたいと思います。

 統一思想においては人間を性相と形状の二面性をもった存在と捉えています。 即ち心と体を持っていると考え、その心とは性相的(内的)な知情意の機能と、形状的(外的)な観念、概念、理念などによって成り立っていると考えています。
 つまり、人間の心の本質とは知・情・意であり、その機能の働きこそが人間の心の動きそのものになります。
 また、人間の心が働く動機、原因は「心情」であると考え、心情は常に「喜び」を求めていくことになり、その「喜び」こそが人間の全ての行為の動機であると統一思想においては考えているのです。
 その喜びとは対象となるものから価値を感じ取るによって得られるものであり、人間が本質的に喜びを求めているということは、人間の知・情・意が価値を求めているということになり、その価値こそが真・美・善であると理解することができるのです。

 人間は知情意によって真美善の価値を追求し、そこに喜びを感じ取るというのが統一思想の基本的な考え方になりますが、その真・美・善に対しては人間は価値追究欲と価値実現欲を備えており、その精神的欲望に従う行動こそが人間の全ての精神活動ということになります。
 即ち、人間は「真」を見出すために常に思考しているのであり、「美」を見出すために感情を投入しているのであり、「善」を実現するために意志を働かせている、というように考えることができるのです。
 また、価値追究欲のみならず、価値実現欲があるため、人間は真・美・善を見出して喜ぶのみでなく、それらの価値を実現、即ち創造し、さらに大きな喜びを得ようとするのです。
 その行為こそが学問における知的な探求、研究活動であり、芸術的分野における創作活動であり、理想的な国家の建設、社会的な慈善活動であるのです。

 人間の精神的な「価値」については以上のように考えられるため、人間の「価値観」とは即ち、真・美・善についての具体的な観点ということになり、真・美・善をどのようなものとして捉えているかがその人間の価値観と言うことになります。
 しかしながら、真・美・善は人間が歴史を通して追求してきた至上の価値であり、たとえそこに個人の価値観の違いがあったとしても、個人によって全く違うなどと言うことはなく、人間には共通する部分があるのは確かで、その共通する部分を形にしたのが文明であり、文化なのです。
 高度な文明社会とは、真・美・善についての価値観がより発展した社会であり、その中にいる人間がより高度な「真理」「芸術」「慈善、博愛」を探求、実現することができた社会を意味しているのです。

 人間は心と体を持っているため、体が属する物質世界においても当然必要な価値はあり、衣食住に役立つものがその価値あるものなのですが、そのような衣食住に必要な素材が得られれば、それは喜びとなり、外的には幸福が得られたことにもなります。しかし、人間社会で問題とされる価値観とはやはり精神的な価値観であり、その価値観で致命的な衝突が起こった場合は深刻であると言わざるを得ません。
 しかし、‘火の粉’の前の記事のコメントに書いた通り、現代の発展した文明社会においては「自由・平等・博愛・友愛」などは社会に共通にある価値観としてその価値が認められており、それを否定する考え方があったならば、当然社会に受け入れられるのは難しくなります。

 統一教団の信者の価値観が原因となる親子の価値観の対立はそのような深刻な対立であり、「自由・平等」を基本的に否定し、「博愛・友愛」よりも「メシア」に対する忠誠心を重要視する統一信者となった子供を 現代社会の価値観を理解している親が容認するのは難しいし、統一信者が親である場合には自分たちの価値観でしか物事を観ることができず、そこに本当の幸福があると思っているため、それを子供に強要するなと言っても無理なことになります。
 子供が統一信者となったケースでは多くの場合、親族間において深刻な対立が起こることになりますが、人間の心につくり上げられた価値観というものは簡単に変えられるものではないので、互いの価値観を変えようとすると大変な問題が起こることになります。
 価値観が形成されるまでには長い道筋があり、それを無視して暴力的な方法で一挙に変えようとして、拉致監禁などを行えば、米本さんがご指摘の通りに心的外傷を与えることになり、PTSDとしてより深刻な問題が残ることにもなってしまうのです。
 また、統一教団の信者家庭の場合ならば、子供が一般的な社会の教育を受け、高度な文明社会の価値観を体得した場合、統一教団内のレベルの低い価値観に違和感を持つのは当然であり、親と同じ信仰を続けるのは難しくなります。
 その場合は知性がまともになった人間に統一教団の教理など説得力はまるでないため、二世子女の多くは教団を去って行くことになります。
 しかし、統一教団にある「メシア」依存の考え方が固定化され、自分の力ではその価値観から抜け出られなくなってしまった教団二世は社会にとけ込むのが難しくなり、困難な人生を強いられることになります。
 そのような統一教団の二世の場合は、たとえ価値観が強要されるような環境にあったとしても、明らかな虐待でもない限り、外部の者は干渉することができないので問題は深刻です。

 米本さんは「価値観を子どもに強要」するのは問題であると主張されていますが、特にその依存を肯定する異常な善悪観が含まれる統一信者の価値観を子供に強要するのはより深刻だと思います。
 日本には信教の自由があるため、子供への宗教教育を制限することなどできず、そのような強要を受ける信者2世を‘救える’のは公共教育など、外の教育機関に子供が行けるようになった後になります。
 しかし、実際には統一教団の2世の多くは「祝福結婚」にも参加しないとのことですから、「価値観の強要」はほとんどの場合失敗しているようです。
 それを統一思想から解釈すれば、統一教団の「祝福結婚」などに価値がないことを価値追究した二世は悟ったのであり、統一信者以上の価値観を持つことができたことになります。
 統一信者の価値観からすれば、祝福結婚を拒否することなどできるはずがなく、それを拒否するということは価値観が統一信者とは変わったことを意味するのです。

 統一信者が「メシア」に依存する「孝情」を博愛や友愛よりも価値があるものと考えたり、組織の論理を絶対化した善悪観をもつのは、そのような低レベルの宗教的価値観に止まっているためですが、それは統一信者となった本人が辿った人生に大きな原因があるためと思われます。
 もし、文化レベルが高い現代社会に共通してある価値観を体得した人であるなら、間違っても韓鶴子氏が独生女であるというような低次元宗教に入るはずはないのです。
 

Re: 独立できるかどうか

>親子間で子供の立場として、価値観に違和感を感じることがあるなら、独立してから親とそんなことをテーマにコミュニケーションをとる試みをしたら良いかもしれませんね。

 すばらしい指摘です。

 話題の映画『万引家族』を「コミュニケーション」の材料にできるかも、です。
 小生も少しばかりやりつつあります。のんびりと。

心理学的誘導

>価値感の強要が子どもに心的外傷を与える場合、とりわけそのトラウマが後々まで子どもに影響を及ぼす場合です(PTSD)

なる程、深刻な場合ですね。
 信頼していた人に騙されるのは精神的にかなりきついでしょう。そこに拉致監禁という暴力的な内容も加われば繊細な方はPTSDにもなりますね。

しかし主体性ゼロだから教会を脱会出来ないのか考えると、それまでの人生でかなり純粋培養されていて、この信仰が永遠なる霊界で先祖や親の為になるんだという考えに誘導され、表現は悪いですが馬鹿がつく程人が良い場合中々抜けきれないのではないかと思います。

信仰を主体的に選んでるように見えて誘導されてる場合もあるのではないでしょうか?
 一般社会でも言葉巧みな人間に騙される人がいますが、騙される人間に責任が全くない訳ではないけど同情します。統一教会の責任者も口が上手い人が多いです。

悪知恵とはいえ騙す人間の情報や知的レベルが騙される人間より高い場合、哀しいかな誘導されてしまう可能性は否定できません。メンタリストのDAIGOさんを見てもそういう人間心理学的な技術はあるのではないでしょうか?
 皆が米本さんのように高い知性や情報を持っている訳ではありません。

また子供を脱会させる為に拉致監禁までした親御さんも「こうやってまで脱会させても、それが子供の将来の為になる」と信じ込まさせられてたかもしれません。

マインドコントロールをオウムの元信者の被害者家族が主張していましたが、弟子達死刑囚を死刑にする前に深みにはまった過程をもっと研究した方がいいと思います。
 一番悪いのは高い知性を持ちながら宗教団体の内容のチェックを怠っていた怠慢な政治家や官僚だと感じてしまうな。

褒めていただいたみたいで

恐縮です。

本質的には、親にとって我が子が自分以上に立派になってくれることは喜ばしいことだと考えられますから、もしも親子間で価値観を転換する、(というと適当な表現ではないかもしれませんが、)ことが出来て、そのことが社会的にも容認され、今より良い社会を実現するのにふさわしく貢献することにつながっていけば、価値観が親子間で相違してきた歴史も報われるということになるのでしょうか。
この、価値観とはなんだろうか?価値観=信仰ということではなく、信仰に基づく物事の見方、捉え方ということかなと私は思います。


結局、親子間の問題は親子間で解決するしかなく、教会は出来てもそのサポートぐらいという認識で、甘えてはいけないし、責任転嫁することもできない、というように感じます。
拉致監禁についても同じことが言えるように思っています。
それぐらい親子の因縁は深いものだと改めて実感致します。親は命の源泉であったわけですから当然なことかもしれませんね。

価値観の絶対性

 神々の黄昏さんの<価値観についての原理的(基本的)解釈>を読んで。
 危険な考え方だと思いました。
>一般的に価値観は主観的なものと考えられているため、それを考察の対象とするのは簡単ではなく、自分が理解したように多くの人が理解できるとは限らないのですが、自分の場合は統一思想の内容がとても理解しやすかったのでした。

 <麻原氏の教えは絶対に正しい>
 本質的には同じことなのです。

価値観の絶対性(続)

 舌足らずだったかもしれません。
 若干の補足です。

 価値観は主観的なものでしかありません。イスラムにしろキリストにしろヒンズ-にしろ。自分たちの宗教は絶対的だと思っているだろうけど、客観的にみればやはり相対的な絶対でしかありません。

 この世に絶対があると思ったときには懐疑的になるべきだと考えています。

 小生も20代前半にはオウム信者と同じように「絶対なるもの」を求めていました。しかし、オカシイことに気がつきました。

 この世に絶対的なこと?誕生した生はいつかは死ぬということだけではないのかと思っています。

最初は創造原理等の真理らしい理想を見せ、後は蕩減復帰や再臨論等だけ強調して統一教会組織を動かして来た朝鮮人詐欺偽メシアの文鮮明!

聖書と統一思想(李相憲)や原理講論(劉考元)や勝共理論(李相憲)を持って上手く知識人や若者を騙し洗脳した文鮮明!

日本人統一教会幹部達が統一原理を教えながら作り上げた日本統一教会の組織の実体は日本人信者を民族的加害妄想洗脳奴隷化した日本人白丁信者による集金ネットワーク組織の様なものだと思います。

神々の黄昏さんの仰る事は統一原理を齧った私からしたら頷く内容です。ただ、文鮮明が韓日の弟子達に作らせた統一教会組織は統一思想と似ても似つかない組織だと思います。

文鮮明を王とした朝鮮民族選民主義血分けカルトで儒教中華思想の影響を受けたガチガチの権威主義組織で上意下達の文鮮明独裁朝鮮民族両班の全体主義組織で統一原理の教義(個人は全体の為に全体は個人の為に責任を負う、本心の自由)等の教義を全く無視するものでした!

朝鮮混淫派カルト統一教会の真の父母は信者を集団生活させ、原理と言う真理らしい絵に描いた餅の幻理を利用して特に日本人信者を蕩減復帰の狂義の名の元、自己否定、自己犠牲させ、自我を徐々に崩しながら統一カルト思考を徹底的に洗脳し生活化させました。その為に(心情日誌等毎日書かせたり、親に別れの手紙を書かせたり、日々蕩減条件をさせたり、組織の規律を絶対化したり)カルト脳に洗脳する為の様々な計画を実行して来ました。そして原理と言う理想的絵に描いた餅の幻理を見せながら日本人信者を、実体的に奴隷化して行ったのです!そして、文鮮明は悪知恵が働き、勘が鋭いので、環故郷後、日本人信者が洗脳から覚め、教会から離れない様に様々な手を使って来ました。シュクフク家庭の基台を作ったり、氏族メシアの個団を作ったり、済州島で日本女性の修練会やスイタグリで日本男性の修練会や女性連合宣教師(実はお手伝い)を南米に送ったり国家メシアの摂理で各教会の家庭連合(日本人信者)に責任分担宣教地を決めて金と日本人女性信者(お手伝い)を送ったり、金孝南を韓鶴子の母の再臨者にして日本人先祖の偽の罪を積み重ねて先祖解怨讐祝福と金を集めながら日本人信者が洗脳から目が覚めない様に前に祝福、背後に地獄と言う形で飴と鞭、希望と恐怖を日本人信者に与えながら日本人信者を雁字搦めにして様々な手で朝鮮人歴史的大詐欺師らしい文鮮明は統一教会組織を自分の思う通りに管理動かして来ました。

しかし、文鮮明がやって来た事は日本人信者が学んで来た統一思想や統一原理とは違うのです!完全に逸脱したものです!日本で生活している日本人信者は気付き難いと思います。が、様々な文鮮明の嘘とマコトの家庭の矛盾や統一運動がイカサマでウンコだった事が明らかに成っているので、そろそろ気づいても良い頃だと思います。

これが誇大妄想詐欺師独裁者の文鮮明や朝鮮混淫派カルト教祖達の本質ではないかと考えている私です。

サッカーワールドカップの日本チームの良さは組織力や勤勉さや滅私奉公的考え方や気遣いや一致団結出来る処等と思いました。それが悪い方に出たのが恨日朝鮮詐欺カルト統一教会の文鮮明に騙され、洗脳され、利用された統一教会日本人信者達だったと思います。

思った事を書き連ねました。失礼しました。

>価値観は主観的なものでしかありません。イスラムにしろキリストにしろヒンズ-にしろ。自分たちの宗教は絶対的だと思っているだろうけど、客観的にみればやはり相対的な絶対でしかありません<

>この世に絶対があると思ったときには懐疑的になるべきだと考えています<

>この世に絶対的なこと?誕生した生はいつかは死ぬということだけではないのかと思っています<

私も絶対的存在=神、と神が人類の終末に送られると預言書に書いてあるキリスト教やイスラム教や仏教や儒教の人類の救世主が存在するなら良いな!と思っていますが、統一教会で疲れ果てました。今は上記米本さんが仰っている考えとほぼ同じです。

そして馬鹿な人生を送って来た。最後はせめて線香花火を灯してから逝きたいと思う位です。

何度もすいません。少しの訂正です。

すいませんまちがいました。

誤り=最後はせめて線香花火を灯してから逝きたいと思う位です

正解=最後はせめて内外共の朝鮮カルトの後始末をして、日本国と周りに少しでも迷惑をかけない様に頑張りたいです。

価値感を誘導する動機

ある価値観を誘導する時に誘導する側の純粋な信念から来る場合と利用する目的の場合がある。

統一教会幹部も信者から献金を、拉致監禁する側も報酬を自分達の利己的な利益の為に無知な者達に価値観の誘導をしてるなら、
 
心の底から
地獄に落ちろ!!
と思います。

願わくばこの世で見える形で天罰がくだってほしいものだ。

統一思想はいらんよ~

思った事を書き連ねます、失礼します。
神々の黄昏さん、コメント前半の言い訳じみた前提統一思想はいらんよ~
スイカなら買うてもいいけど、統一思想はいらんよ~(笑
「統一思想」は一見無害のように見えますが、統一原理(創造原理)と繋がっています。
最新の科学的知見では、人間の体内で臓器同士が脳を通さず直接やり取りして作用し合い、健康を保っているそうです。このことからすると、全ての存在が神と真の父母を中心とし、主体を通じて天国ができるとしている創造原理はほとんど根本のところから(二性性相、授受作用、四位基台、創造目的あたりから)おかしくないですか。
「原理講論」創造原理より:
「人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。」

体内のことですが、もちろん脳を通した活動もたくさんあるでしょうが、それとは全然違ったやり方の作用も歴然としてあり(別の原理)、それがとても重要だということです。人間の精神や社会でも同様で、すべて中心を通すことを教える原理講論を絶対とすると、あっという間に成長が止まっておかしくなると思います。
統一思想で言えば、人間の心が働く動機、原因は「心情」だけでなく、もっと複雑だろうと思います。

何か月か前、NHKスペシャル番組「シリーズ人体~神秘の巨大ネットワーク~」で臓器同士の会話のことが放送されました。
http://www6.nhk.or.jp/nhkpr/post/original.html?i=11651
キャッチコピー的に言うと、❝「脳や心臓が人体の中心」なんて考え方は、もう捨てよ❞
【今までは、医学界でも人体と言えば、「脳が全体の司令塔となり、他の臓器はそれに従う」というものだったのですが、最新科学は、その常識を覆しました。なんと、「体中の臓器が互いに直接情報をやりとりすることで、私たちの体は成り立っている」。そんな驚きの事実が明らかになってきた】のだそうです。

ある臓器がつぶやくのを聞いて別の臓器は「横的授受作用はサタンが入りやすいから」とか「アベルを通して言ってくれ」などとは言わずに、自分ができる範囲のことをやってあげます。相手にやってあげるのはいつかは中心につなげて伝道するためではなく、氏族メシア活動をするためでもありません。
ナスビやトマトは買うてもいいけど、氏族メシアはいらんよ~(笑

目が覚めました

初めて投稿させていただきます。

私は他宗教の2世でしたが、統一教会に来たことにより家庭が崩壊しました。
両親を尊敬していましたし、その宗教について不満もありませんでしたが、霊の親や教育してくれた人がとても優秀かつ心情的だったのでこちらを信じてしまいました。

「摂理」と言う言葉のせいで、考えることも振り返ることもなく突っ走って来ましたが、あんなに親や兄弟を泣かせ傷つけてしまった事を今では後悔しています。
異なる宗教団体に行くことにより、親子の縁は切られ家族とは20年以上会っていません。
親はその宗教が絶対だと思っているし、私も当時は統一教会が絶対だと思っていました。
その価値観の違いが断絶を生みました。

そして私も今まで我が子を神の子として育ててきましたが、その子が思春期に入り悩み苦しむようになりました。
そんな時にこの記事を見てはっとしました。
価値は人それぞれ違うし我が子だからと言って親が信仰を強要することはできません。
私も生まれた時から他宗教の2世でなければ、あるいは統一教会を絶対視しなければ親と断絶することは無かったでしょう。

我が子に修練会に行くことや奉仕することを強要していた私はバカだったと思います。
米本さんの記事や皆さんの意見を見ながらとても勉強になりました。
このテーマのみならず、過去の記事や他の人のブログも色々見て夢から覚めたような気分です。
一度 組織から離れ、立ち止まって色んな事を考え感じてみたいと思います。
本当に為になりました。
ありがとうございました。

ゆめこさん、頑張って〜

コメンテーターへの勝手なエールm_ _m
お許しください!
以後、慎みます。

20年以上、田舎に帰れてないのですね。
お察し致します。
私も色々ありまして、刃物でも送りつけて来られそうなくらいの怨みを買いました。
親兄弟から。

でも、やはり親は親なんですよね。
比較的大らかな親戚に仲だちしてもらい、
周りからせめて、そうこうしてるうちに片親が亡くなり、、、10年位で交流出来るようになりました。
時候の葉書でも出して見られたらいかがでしょうか?
葉書は、開封不要ですからね(^^)
案外、待ってるかも知れませんよ。


  • [2018/07/10 11:13]
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