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澤田地平の訴えの意義と教育部長のトンチンカンさ 

お笑い嘘つき家庭連合(16)

 前回の記事「お握り裁判だ!東京地裁に行こッ!」 の続きである。カテゴリ-名と合っていないのだが・・・

 投稿欄に「神々の黄昏」さんが<評価できる澤田地平氏>と題した一文を寄せてくれた。秀逸である。分裂3派のみなさん、長文だが是非目を通していただきたい。全文引用スタ-ト。

----------

>「(家庭連合〓分裂3派の人たちは)人格的に何かが欠落している。。
「何か」とは何か。
 良心、他者を思いやる感受性、感情を抑制して冷徹に考える理性、そして内省力などなど。
 まあ、何かが欠落していないと、換言すれば一般の日本人より劣っている人でなければ、組織の上にあがることはできない。嗚呼、ア-ジュだ。
 ただし、滑稽なことに、当人たちは一般より勝(まさ)っていると固く信じているのである。

<注>小生の前記事の引用です。

とんどの統一信者は気付かないかもしれませんが、澤田地平氏の家庭連合に対する批判活動は最近大きな話題を巻き起こしたある事件の当事者の発言と共通性があります。
 つまり、社会問題にまでなった日大アメフト部選手の悪質タックル問題で、後に記者会見で真実を述べた当事者である宮川泰介選手と澤田地平氏には大きな共通点があるのです。
 宮川選手の場合は自分が試合中に反則行為を犯すに至った真実を記者会見で暴露し、澤田地平氏の場合は以前所属していた家庭連合の変節に対する批判活動を展開しているのですが、一見まったく異質に見える彼らの行動は ある観点で考えると同じ内容をもっており、ともに組織依存が強い日本社会においては画期的な意味をもつのです。
 宮川選手の暴露行為については下に詳しく解説した記事がありますので、それが参考になります。
 
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/日本人の%ef%bd%a2ハチ公体質%ef%bd%a3は%ef%bd%a4不幸しか招かない-上下関係で成り立つような忠誠心は危険だ/ar-AAy9a3y?ocid=spartandhp#page=2
(上の記事より引用)
<多くの偉大なスポーツ選手が有名な理由は彼らの身体能力にある。しかし、フィールドでプレッシャーをかけられた若い宮川泰介選手はチーム、日本大学、そして何よりもスポーツの上を行く強いモラルを見せた。自己の行為を反省し、彼のコーチを含むその行為に至った原因の事実を話すことによって宮川選手は最近の日本によく見られる「ハチ公体質」から離れたのである。

 こうした中、日本にも「忠実じゃない」人たちが出てきている。前文部科学事務次官の前川喜平、愛媛県知事の中村時広、日大アメフト部の宮川泰介のような人たちだ。
 日本では今、こうした一種の「反乱者」に対して、見えないが深くて強い共感が向けられている。凶悪な上司などの命令のせいで仕事上、そして私生活で宮川選手のような苦境を経験した多くの人が彼に共感しているのかもしれない。>


 澤田地平氏は 現在は家庭連合を脱会し、別団体となったサンクチュアリー教会に所属していますが、どちらの教団も経典とされるものは同じであり、一般信者に教えていることは基本的にいっしょです。
 なおかつその教えは宗教であるのでとても厳格であるはずであり、余程のことがない限り変更されることはないはずです。
 もし重要な部分において変更があったとするならば、当然ながら末端信者まで周知されねばならず、その変更された内容を受け入れられるかどうか信者に問わねばならないのは当然のことです。

 地平氏の立場であれば基本的に信仰している教義は家庭連合と同じはずですし、家庭連合は長年所属していた宗教団体でもありますから、その教義の教えが正しく守られているかどうかはとても重要なこととなります。
 もし家庭連合が末端信者にまで教義の変更を周知し、今までと全く異なる教えを信じる宗教団体として更新されたというのであれば、別団体の地平氏は批判活動を行う根拠を失いますが、家庭連合が今までと全く教義が変わっていないと主張し、信者に同じ経典を教え続けているのであれば、同じ信仰をもつ地平氏には、それに違う家庭連合幹部の言動に対しては批判する正当性があります。

 現在、家庭連合の頂点にある韓鶴子氏が今までの文教祖の教えを変更しようとしているのは間違いなく、実際にスピーチでそのことを語っており、当然教団の上層部はそのことを承知しています。
 しかし、末端信者においてはその内容を正確に知らされていない場合が多く、教団にとって都合がいいように情報操作されていると考えられます。
 
<注>この神々さんの推察は、あとで紹介するサ教ブログで立証される。

 その場合、末端信者がいろんな意味で被害者となる危険性があり、その幹部たちの誤魔化しに対して批判せねばならないのは当然です。
 しかし、同じサンクチュアリー教会所属の信者であったとしても、地平氏とともに批判活動をするのは極僅かであり、米本さんが指摘しているように、ほとんどのサンクチュアリー教会メンバーは地平氏の批判活動を無視しています。
 これは何故なのか?

 結局、それは全ての思考において組織を優先する人間の心の弱さが原因となっているのです。
 特に日本社会においてはその傾向が強く、物事の道理よりも組織の論理を優先して行動することが多いので、単独で勝手に行動することを良くみなさない場合が多いのです。
 ましてや、絶対服従の教えを持つ統一教団で育った信者たちですから、単独の批判活動には壁を感じることになるのです。

<注>サ教の親分、文亨進氏が礼拝で、澤田地平氏の活動を評価すればどうなるのか。日本サンクチュアリ教会会長の江利川安栄(敬称略)が「澤田さんの活動を応援しよう」と呼びかけるにきまっている。やな野郎女だ。

 日本の場合は歴史的に割と平等な社会がつくられてきており、朝鮮などのように厳しい身分制度の下、絶望的な権力支配の中で庶民が生きてきたわけではありませんから、いっそう組織依存が傾向として強くなり、組織に無条件に依存しても悪いとは思わなくなるのです。

 ところが権力者というものは必ずしも善人であるとは限らず、不正を行う可能性は十分にあります。
 そのため民主主義社会においては常に権力者に対して注視する必要があり、権力者として相応しくない言動に対しては正しい判断を下し、改善を求めねばならないのです。
 そして改善が不可能ならば、その権力者を変えるしかないのです。
 それが社会を発展させるための最も有効な方法であり、選挙が持つ意味なのです。

 以上のように考えて、地平氏が家庭連合に対して行った批判活動はとても画期的なことであり、組織に依存する心の弱さに打ち勝った行動なのです。
 それは記者会見で真実を述べ、監督やコーチの罪を明らかにした宮川選手と共通性がある行為であり、依存心に負けてしまいやすい日本社会においては画期的な意味があるのです。

 私は統一教会=家庭連合の教義そのものを否定しており、その教理で評価できるのは一部だけなので、当然地平氏の宗教思想は賛同できるものではありませんが、その悪なる教団幹部に立ち向かう精神は大いに評価します。
 従って、その裁判にはとても関心があり、是非悪辣非道な家庭連合上層部を打ち負かして欲しいと思います。

 私は澤田地平氏はたとえ「カルト」信者であったとしても人間としては好きになれますが、同じ「カルト」信者でもこの人物だけは好きになれず、はっきり言って人間としては最低の「馬鹿」だと思います。

の人物とは下のブログの管理人である‘教育部長’氏です。
 
http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-2213.html

 上のブログ記事「初動対応の躓き」を読めば、如何にこの‘教育部長’氏が大馬鹿者で偽善に満ちた最悪の「カルト」教団職員であるかわかるはずです。
 その記事の中には宮川泰介選手のことが書かれていますが、恐ろしく狂った頭で考えているため、まともな一般人が聞いたら頓珍漢に思うことが書かれています。
 即ち、彼は宮川選手の行動を評価し<「批判を覚悟であの場へ出て、自分の非を認めて謝罪した態度からは、彼の真摯さが伝わってきた」 という肯定的な声も多い。>と書いているのですが、彼は宮川選手の記者会見においてポイントとなる部分を完璧に見逃しているのです。
 宮川選手の記者会見での発言が一般社会で評価されているのは 真実を語り、それまで自分の監督だった人物の罪を明らかにしたからなのです。
 もし、自分がやったことは間違いで、心からお詫びしますというような謝罪の言葉だけなら、決してその記者会見が注目されることはなかったのです。

 何故なら、それは当然すべきことだからです。
 然るに、宮川選手はその重大反則行為が監督の指示だったことを恐れずに暴露したので注目されるようになったのです。
 それ故に画期的なのであり、最初にURLを貼った記事にあるように一般社会において評価されるようになったのです。
 それを狂った「カルト」‘教育部長’氏は全く理解できず、聞きようによっては自分のやっていることと正反対のことを書いているのです。

 米本さんは私が『幼稚思考の壁』という言葉を使うことを好まれないようですが、この馬鹿教団職員に対してはそれを使う以外、その馬鹿な理由を説明することが難しいです。

<注>「幼稚」「幼稚思考」「幼稚思考の壁」。たんに幼稚という形容だけでいいと思うけど、「幼稚思考の壁」となると、筆者はどんな含意を込めてこの言葉を使っているのだろうか。養老猛さんの『バカの壁』゛を再読しなければならないのか-といった疑問が生まれ、思考が途切れてしまうのです。だから、好まないのです。
 
 考えてもみてください。
 この馬鹿者はブログ記事で宮川選手を例にとり「非は率直に謝罪すべきだ」と主張し、以下のようにも書いているのです。
(上のURLの記事より引用)

<考えてみると、このような危機管理の問題は、数千年も昔の聖書の冒頭にすでに描写されているのです。
「取って食べてはならない」
という戒めに反したアダムとエバが、神様から、
「(どうして)取って食べたのか」
と問われたとき、彼らはどちらも、
「私が悪いのではない。隣にいた者が私を騙した」
と弁明を試みた。
これが、人類史で最初にして最大ともいうべき「初動対応の失敗」 です。>


 彼が記事に書いていることは宮川選手の記者会見が一般社会で評価されている理由とはつながっておらず、観点がズレています。
 しかも、そのように「非は率直に謝罪すべきだ」と強調したいならば、何故それを自分自身に当てはめることができないのか不思議でなりません。
 私の知る限りでは彼はブログで統一教会の霊感商法問題に触れたことは一度たりともありません。
 ましてや教団の犯罪行為に対して謝罪したことなど全くゼロのはずです。

 それであるのに記事には上の様なことを書くのですから一体全体どうなっているのでしょうか?
 その狂った頭を理解しようと思えば『幼稚思考の壁』を使わざるを得ないのですが、米本さんはその言葉がこのコメント欄では不適切と思われるので、キチガイ妄想脳みそなので‘教育部長’氏はそのような記事を書いたと書くしかありません。
 
<注>なるほど。たんに「幼稚」という形容じゃあ、教育部長(島根県石見の公職者)を表現できないかもです。底なしのバカ。こんなバカに血と汗と涙の結晶である献金が使われているとは

 ‘火の粉’に比べると圧倒的に閲覧者も少ない教団職員の下らぬブログ記事について長々と書いてしまいましたが、同じ「カルト」信者でも、人間の質において澤田地平氏とは天と地ほどの違いがあるのでつい書いてしまいました。
 ただ、偽善者とも言える‘教育部長’氏に関することは 最初に引用した米本さんの指摘を裏付けるものです。

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生の前記事の挑発に、正直、実直に反応したサ教ブロガ-がいた。
 岩手の川原さんである。
●「家庭連合」の研究。
●「澤田地平さん松濤本部前抗議活動」に対する私の見解(懺悔録)
●http://www.kateirengou.jp/entry/2018/06/05/122205


 内省的分析力はたいしたものだ。こうした人を家庭連合は失っていく。終わりだね。
 神々さんの論考に関係するところだけを引用しておく。

■■■澤田地平さんに対する「家庭連合」の視座

1)私が「家庭連合」時代に澤田地平さんに抱いていたイメージ
 私は昨年12月に家庭連合を退会しました。私は教区壮年部長を務めていた事もあり、大概の本部の公文や映像等の情報には目を通しておりました。澤田地平さんは、地方教会でも、知らない信徒がいないほどの有名人であった事は事実です。赤裸々に私が当時澤田地平さんに対し抱いていた「イメージ」を記します。

①「痩せ型の眼鏡をかけた中年の男性。白装束の服装と王冠を模した帽子を着用し、すごい形相で家庭連合幹部を責め立てる」イメージ。
②「サンクチュアリ教会はやっぱりカルトなのだろうか」というイメージ。
③「自己主張が強くて協調性のない方だろうか」というイメージ。
④「家庭連合に対する私怨が動機で行っているのだろう」というイメージ。

(*一般的な「家庭連合」信徒が抱いているイメージは同様だと考えられます。)

2)「家庭連合」からの澤田地平さんの抗議活動への説明
 私が「澤田地平さん松濤本部前抗議活動」に対する家庭連合スタッフから聞いた見解

①「澤田地平さんは妄信的なサンクチュアリ教会信徒である」
②「澤田地平さんとその他複数のサンクチュアリ教会信徒が組織的に、松濤本部前で「礼拝妨害活動」を行っている」
③澤田地平さんの「礼拝妨害活動」に対して、再三の抗議を行ったが、聞き入れられず、ついに法的措置に踏み切った」
④このような行動を平気で行う「サンクチュアリ教会」は異端の教会であり、皆さんくれぐれも関わらないでいただきたい。


3)澤田地平さんの主張(独生女論批判)には一切触れない「家庭連合」
 これは今でこそ理解できることです。「家庭連合」在籍時を振り返れば、澤田地平さんの根本主張である「独生女論」の間違いについて(今回の「松濤本部前活動」の争点になっている視点)は、一切説明はなかったのです。(不都合な事を説明するはずがないのですが・・・) 



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コメント

全部変なところです.

統一教会。そして統一教会家庭連合で分裂したところも全部変なところです。それは根が同じ場所です。統一教会の人のように洗脳された人が可哀想に見えます。幸せな姿を見たことがないですね。常に責任を問い、無理な献金条件で足かせとなり、行く人生ですが、

米本さんも神々さんもトンチンカン

 悪質タックル問題になぞらえて澤田地平氏を宮川選手のように称賛することには違和感があります。


地平氏は宮川選手のように正直に問題の本質を明らかにしたでしょうか?地平氏を評価する基準は何ですか。
タックル問題のように大学運営の在り方やスポーツマンシップ等の社会的に価値あるissue(議論されるべき問題)を地平氏は投げかけたのでしょうか?
 否、地平氏は弱小かつ減衰しているカルト教団の変節にこだわってるだけであり、社会的には「どーでもいい問題」で自慰 示威行動してるだけではないでしょうか?
 世間からは「どーでもいい問題」つまり独生女論に噛みついてるだけである。
 韓鶴子が独生女と自称しようがエルカンターレと自称しようが社会からは「どーでもいい事」なのである。
勿論、長年 統一教会にいた人間にとっては「おかしいなー」と思うことであっても
そもそも社会からみたらおかしい教義(血統転換) 既成キリスト教からみたら邪な教義(文教祖が独生子)の教団がまた変な教義に更新したところで全くニュース性がないのである。

 社会的に価値がない「どーでもいい問題」に噛みついている地平氏と宮川選手を比較することは宮川選手に失礼です。
 宮川選手は記者会見の前に個人で被害関学選手に謝罪に行っていますが、地平氏は何をしたというのですか?
地平氏も鮮明依存、七男依存、サ教依存でしょう。
地平氏の善悪判断基準は結局カルト信者特有の「何をしたか」「どうやってしたか」じゃなく「誰がしたか」(鮮明、七男)でしょう。

 
 ところで、米本さん神々さんに質問です。

類比として
 

悪質タックル     -   霊感商法等の反社会的活動 

日大アメフト部    ー   統一教会

内田監督       -    文教祖及び文家

コーチ       -    幹部


宮川選手      ー   地平氏 ???



になると思いますが、地平氏自身が関わっていた霊感商法等の活動を明らかににして謝罪しているでしょうか?
また地平氏が反社会活動における文教祖責任問題を証ているでしょうか?

 むしろ地平氏は文教祖の責任を隠蔽しかばっているように感じますがね。
そんな地平氏を評価するなんてどうかしている。

カルト教団内の教義変更で分派信者と本家の争いなんて
「馬鹿と阿呆の絡み合い」なだけでどちらにも正義なんてないしどちらの肩を持つ必要もない。

もし内田監督と文教祖を類比することが不適ならその理由と内田監督にあたる人物を挙げてください。



 (付録)

裁判に関してだけど、私は家庭連合の「嫌がらせ裁判作戦」が有利だと思う。
 注 経済的人員的に余裕がある方が訴えて相手に精神的経済的プレッシャーを与え有利に進める裁判

地平氏は家庭連合の「独生女論」は教義上整合性がないということを訴えるけど、
そんなこと裁判所は関知しない争点でありあくまでも地平氏のデモが一種の「威力妨害」
であるかが争点だ。
 地平氏が「真理ガー」などと独りよがりの発言をすればするほど裁判長の心証が悪くなるだろう。
当然、家庭連合はその辺の弱点をついて挑発してくるだろうね。


地平さん、やぶへび!

goutさん、ど正論です(拍手)

地平さんと家庭連合の裁判を日大のアメフト問題に関連づけるなら、この動画が参考になります。
裏で、暗躍しているのは、やはり、$$を掌握している輩です。家庭連合も同様、文鮮明時代から継続している事実。
家庭連合もサ教会も、金、権力、権威や位置に固執する文韓一族とそれに、依存する信者たちの問題です。
家庭連合が公金に対して清廉潔白にならなければ、問題は永遠に続きます。改革は不可能ですね。文韓一族に支配されている以上、ムリです。

韓国発の統一教会家庭連合は、日本での活動をやめてほしいものです。
信者は韓国に移住して、思う存分活動してください。
サ教会信者は、アメリカに移住して、7男の元で、射撃練習などしてくらせばよろしいでしょう。
家庭連合~破防法、地平さん~迷惑防止法
7男は、最終的に、自分の母を別の女性と入れ替えることで、現在、ほとんど、韓氏のことは、話していない。地平さんが、どんなに日本で「真理を問う運動」をしても、王様を自称する7男は、自分を賛美してくれるいち信者の行動には、関心すらしめさない。江利川氏も、同様。
サ教会は、7男の方針~それぞれの自由と責任でやれ。ということで、地平さんがなにをやろうと関心なし。関係なし。
愛の反対は、無関心なのである。

・「極秘」日大を裏で操っている本当の黒幕 暴力団と密接な経営体制
https://www.youtube.com/watch?v=OuwCaGAOfM4

地平さんは、「真理を問う行動」として、がむしゃらに、やっているが、真理を追究するならば、goutさんが指摘しているように、文教祖の真実、霊感商法の諸問題、違法伝道、拉致監禁問題、反社会活動の諸問題、家庭問題(ご本人も含めて)などなど、広い視野で公平に客観的に俯瞰してとりあげるべきでしょう。
原罪あり原罪なしとか、ホント、どうでもいい。
はっきりしていることは、文鮮明も、韓鶴子も確信犯であるということ。

Re: goutさん

>地平氏自身が関わっていた霊感商法等の活動を明らかににして謝罪しているでしょうか?
また地平氏が反社会活動における文教祖責任問題を証ているでしょうか?

>もし内田監督と文教祖を類比することが不適ならその理由と内田監督にあたる人物を挙げてください。

 goutさんがおっしゃりたいことはよくわかります。
 コメントに書かれているように、家庭連合内でどのように教義が扱われようが、社会的には何の意味もありません。
 そもそもその「カルト」宗教団体内で信じられている宗教理論など馬鹿な妄想論に過ぎず、社会には必要がないものですし、学問的価値もゼロです。
 私は統一教団の教理の内、一部は評価するというようなことを書いていますが、家庭連合と澤田地平氏の‘闘い’においてその部分は関係しておらず、むしろ私が完璧に否定している宗教思想(文教祖=無原罪、韓鶴子氏=有原罪)を最大のテーマとして彼らは揉めているのであり、その彼らの主張や組織の誤魔化しには全く関心がなく、それは一般社会の人が考えているのといっしょです。

 しかし、私の投稿したコメント文をよく読んでもらえばわかるのですが、宮川選手と澤田地平氏を重ね合わせ、共通性があるとしたのは特定の観点から見た場合であり、あらゆる要素において共通点があるという訳ではもちろんありません。
 その特定の観点とは 「組織の上位、指導的立場にある人」vs「組織の下位にいる人」ということであり、その関係の中で組織の上位にいる人が「不正」を行った場合に下位の人は何をすべきなのか、という問題をテーマにしているのです。
 その場合、組織はどのようなものであっても構わず、反社会的組織(暴力団)やブラック企業でもいいし、公共団体であってもいいのです。
 コメントにも書いてありますが、地平氏はサンクチュアリー教会員であり、家庭連合の下位にいる人物ではありませんが、文教祖を信じる「祝福家庭」としては同じような関係で捉えることができるのです。
そのような観点で考えた場合、澤田地平氏の行為は依存を脱しており、勇気ある行動でもあるので評価に値するということなのです。
 また、宮川選手も同様であり、たとえ自分の直属の指導者だったとしても、恐れずにその間違いを指摘したのです。

 という事ですので、私が論じている中では霊感商法問題や文教祖自体が抱える問題は関係なく、それらは投稿コメントでテーマとしている「組織内での正しい反逆行為」とは別問題になります。
 また、日大アメフト部の当時監督であった内田監督を地平氏の場合に当てはめるとしたら、彼のプラカードに書かれているように徳野英治ということになると思います。
 理由は日本の組織に責任を持っているのは徳野氏であり、彼が韓鶴子氏の言いなりになって、今までの教義と異なる‘独生女’メシア論を教団の教義にしようとしているからです。
 それは家庭連合の信者たちが信仰をもつ際に受け入れた教義とは異なり、韓鶴子氏が自分の野望のためにねつ造した教義であるのは明らかだからです。
 そのねつ造された教義を信者に押し付けようとするのは宗教指導者のすべきことではなく、詐欺行為に等しいからです。

Re: Re: goutさん

 goutさん、長く投稿がなかったので寂しかったです。もうこのブログなんか読んでいないのかもと思ったり(泣

 今回の投稿、心から感謝です。

 神々の黄昏さんの反論コメントに加えて言えば-。
 オ-ル統一さんは「上位下達」の軍隊的組織です。上からの指示に従うだけの組織(思考停止・依存)です。「下」が独自の考えに基づいて、何か行動することは、これまでなかったことだと思います。

 この点で地平氏たちの言動は注目されてしかるべきです。
 地平氏は、尊師亨進の指示によって行動したわけではありません。示威活動するにあたって、尊師亨進の許可を受けたようなこともないようです。

 組織内にいながら自分で考えて自分で行動する。この点で私は評価するのです。

 彼のことを批判しました。
●元統一教会員の澤田地平は犯人隠匿で有罪判決を受けていた。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-858.html

 これに対して、彼は-
●私の犯人隠避事件とその顛末
http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-192.html
で、応えました。

 いろんな人物を批判してきましたが、きちんと反応したのは彼だけです。

教育部長のトンチンカンさ の正体(1)

 再度、教育部長の文を紹介する。

 日大の先輩の中には、「あの選手はぜひうちにほしい人材だ」と、獲得に名乗りを上げる人までいるのです。
「 自分が何を考えて、何を行ったかという事実を明らかにしたうえで、自分の非を正直に認め、謝罪する」
 これがクライシス・コミュニケーション(危機管理広報)の基本だそうです。
 この基本を大学の指導的な立場の人たちは実践しなかったのに、若干20歳の若者が単独で実践した。この違いが、世間の見る目を分けたように見えます。

考えてみると、このような危機管理の問題は、数千年も昔の聖書の冒頭にすでに描写されているのです。

「取って食べてはならない」という戒めに反したアダムとエバが、神様から、
「(どうして)取って食べたのか」
と問われたとき、彼らはどちらも、「私が悪いのではない。隣にいた者が私を騙した」
と弁明を試みた。
 これが、人類史で最初にして最大ともいうべき「初動対応の失敗」です。

(続く)

教育部長のトンチンカンさ の正体(2)

 教育部長のこの一文に、神々の黄昏さんはこう書いた。

「彼が記事に書いていることは宮川選手の記者会見が一般社会で評価されている理由とはつながっておらず、観点がズレています。
 しかも、そのように「非は率直に謝罪すべきだ」と強調したいならば、何故それを自分自身に当てはめることができないのか不思議でなりません。
 私の知る限りでは彼はブログで統一教会の霊感商法問題に触れたことは一度たりともありません。
 ましてや教団の犯罪行為に対して謝罪したことなど全くゼロのはずです。
 それであるのに記事には上の様なことを書くのですから一体全体どうなっているのでしょうか?
 その狂った頭を理解しようと思えば『幼稚思考の壁』を使わざるを得ないのです(後略)」


 教育部長の思考は幼稚なのかどうか。

教育部長のトンチンカンさ の正体(3)

 教育部長さんの文は「論理」がゼロである。

 幼い子は感覚でしゃべる。論理はあまりない。感覚はとても重要だが、論理的思考にならないと、成長しないし、社会化できない。

 テ-マは日大アメフト部の宮川選手の姿勢について。
 それなのに、教育部長さんはいきなり旧約聖書のリンゴ話。それを連続線上で語っていくのである。

 だから、神々の黄昏さんは(たぶん戸惑って)ただ「観点がズレています」と嘆き、分析のしようがないから、「幼稚」「幼稚思考の壁」と規定したのだと思います。

 教育部長さんは長く長く、統一内人間関係だけで過ごしてきた人です。むろん職場関係、会社関係といった人間関係はゼロ。近所関係もあまりないでしょう。

 だから、思考スタイルは理性ゼロのイメージ思考でしょう。

 イメージだから、歴史とか社会的関係とかは一切関係なく、旧約聖書の世界と日大社会、亡くなった妻のあの世の世界と自分の公職者としての活動が、何の異和感もなく結びつき---文章がどんどん綴れるのです。

「幼稚」というより「イメージ」「イメージ脳」「イメージ的認識」という方が正しい,とかなり確信するようになっています。

Re:教育部長のトンチンカンさ の正体(3)

 米本さんが本文の記事に入れてくださった私のコメント文は澤田地平氏の裁判に関する記事についてのコメントでしたので、‘教育部長’に関することはできるだけ短く書こうとしました。
 ですので、表現がわかりずらかったり、書いている内容が説明不足だった箇所も所々ありました。
 ところが、米本さんは今回の記事で、そのコメント全体を取り上げてくださいましたので、テーマは地平氏に関することのみでなく、‘教育部長’に関することも独立したテーマとなり、そこに的を絞ってコメントを書くことができるようになり、本文にあるコメントを補足するよい機会となりました。
 米本さんが与えてくださった願ってもないチャンスですので、その説明などが足りなかった部分をここで補足しようと思います。

 まず第一に補足せねばならない箇所は米本さんがコメントされた「教育部長のトンチンカンさ の正体(3)」にも書かれた箇所で、‘教育部長’氏が宮川選手の謝罪会見と結びつけて、聖書の創世記を書いた以下の部分についてです。
 
 http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-2213.html
 <考えてみると、このような危機管理の問題は、数千年も昔の聖書の冒頭にすでに描写されているのです。

「取って食べてはならない」
という戒めに反したアダムとエバが、神様から、
「(どうして)取って食べたのか」
と問われたとき、彼らはどちらも、
「私が悪いのではない。隣にいた者が私を騙した」
と弁明を試みた。

これが、人類史で最初にして最大ともいうべき
「初動対応の失敗」
です。>

 私は上の‘教育部長’氏の記事に対し、「観点がズレています。」とだけしか書きませんでしたが、実はそこには彼の思考の異常さが集中して表れており、彼の「馬鹿」を証明する典型的な駄文となっているのです。

 彼は宮川選手の謝罪会見を「非は率直に謝罪すべきだ」を実践したものとして評価し、その行為は危機管理の基本に適っているとしたのです。
 そして、それが何故危機管理につながるのかを説明するために聖書の物語を例として書いたのです。
 その聖書の物語に対する彼の解釈からすれば、神の戒めを破って罪を犯したアダムは率直に謝罪せず、弁明してしまったために却って神の怒りを買い、罪は大きくなってしまい、重大な危機を招くようになった‥となるのです。
 なので「非を率直に謝罪」していれば、そのような重大な危機を招かずに済んだと解釈しているのです。

 彼は聖書の物語をそのように解釈していますが、それは決してクリスチャンの一般的な解釈ではありません。
 それは普通の読解力があれば誰にでもわかることなのですが、聖書には戒めを破ったアダムが弁明をしたために却って罪が大きくなったなどとはどこにも書かれていないのです。
 むしろ神は「お前が裸であることを誰が告げたのか。」とアダムに罪の誘惑をした仕掛け人を問い正しており、弁明を要求しているのです。
 つまり、彼が弁明は危機を招くという例として挙げた聖書の物語は、彼が解釈したのとは全く違う内容であり、「初動対応の失敗」の例とはなっていないのです。
 その彼の変な解釈は統一教会の解釈に倣ったものですが、彼は自分自身で聖書をよく読んでいないに違いなく、ただ教会で言われるがままにその解釈を信じたと思われます。

 しかし、彼の「馬鹿」はその変な解釈に止まりません。
 仮にその解釈を宮川選手の謝罪会見に当てはめると、自分は監督の指示で反則行為を行ったと弁明した宮川選手はむしろ危機管理に失敗した人となってしまうのです。
 宮川選手が記者会見を行った際、付き添った弁護士が述べた言葉は「反則行為の指示があったことを明らかにするのが会見の趣旨」だったのです。
 それは聖書の物語に例えるならば、罪を犯したアダムの弁明と似ており、「その反則行為を行ったのは私の意志によってではなく、監督が指示したからなのです」というのが宮川選手の主張なのです。
 もし宮川選手が真実を隠し、「全ての責任は私にあり、私一人が間違っていました」と自分が悪者となって謝罪しようものなら、多くの人々はその会見を評価しなかったはずなのです。
 宮川選手の記者会見が社会的に評価された理由は、「率直に謝罪」したことではなく、反則行為を行わせた張本人を暴露したことなのです。

 ‘教育部長’氏は宮川選手を評価するところから始め、様々な主張を行っていますが、おそらくその記者会見について書かれた記事や報道などはほとんど見ていないと思われます。
 もし、その記者会見に関する記事をしっかり読んでいて、ブログにあるような内容を書いたとするなら彼は正真正銘のキチガイであり、病院に行く必要があります。
 考えられるのは、彼はその宮川選手の記者会見について詳しい内容はほとんど知らず、全くの思い込みでその謝罪会見について書いたものと思われます。
 つまり、自分の主観が既にあって、事実を追究することなどは全くせず、自分の主張をするのに都合の良いものが一部でもあれば、それを例として利用し、すべては真実とかけ離れた思い込みで主張を行っていたということなのです。

 その上、驚くべきことに、その客観性のない自分の思考に自信をもっているのです。
 米本さんは上のコメントで<思考スタイルは理性ゼロのイメージ思考でしょう。…「幼稚」というより「イメージ」「イメージ脳」「イメージ的認識」という方が正しい,とかなり確信するようになっています。>と書かれていますが、それはその通りだと思います。
 物事に対するイメージというものは誰でも持っていますが、理性が働く人は客観的な事実に照らし合わせてそのイメージを修正していきます。
 彼は明らかにそれができないのです。
 おそらく、彼の頭の中ではイメージの世界が完結しており、その閉ざされた世界から抜け出るのを感情が拒んでいるのだと思います。
 その感情とは現実離れした宗教に依存することで得られる逃避的な喜びの感情であり、自己満足の感情です。

 それが故に、彼は他のブログで批判を書かれようが全く無視するし、自分にも無関係ではないはずの霊感商法問題について謝罪することもなければ、釈明もないのです。
 彼のその社会性の無さは、心が未発達なことを意味しているのです。 
 それはある意味、幼稚ということもできるのです。

 最後に、私の澤田地平氏擁護の記述にはgoutさんからご意見が来ましたが、できればgoutさんからは‘教育部長’氏が馬鹿な理由についての精神医学的な観点からの意見が欲しかったです。

記事とは関係ないコメントですが•••

日大アメフト部危険タックル報道に違和感。
何故加害者の宮川が世間に同情されているのか?
同情どころか称賛されてるのか?意味不明。


傷害だよ。一歩間違えてたら、被害者死んでたよ。そしたら傷害致死•••いや、死ぬかもしれないと思いながらやってたら、未必の故意の殺人。

アメフトやってるんだから、危険タックルから死亡するか、頚椎損傷による車椅子生活になるかもしれないことくらい知ってるよね?それともスポーツ推薦の運動しか脳ない体育会系は、それもわからないのだろうか?

命令されたからやった、それだけ追いつめられてたからという言い訳するのは、統一元信者がマイコンされてたからとのたまってたのと同じ。


Re:記事とは関係ないコメントですが•••

>命令されたからやった、それだけ追いつめられてたからという言い訳するのは、統一元信者がマイコンされてたからとのたまってたのと同じ

 鋭いし、考えさせられた。
 しかし、待てよと考えた。

 財務省の公文書の書き換え(改竄)問題。「命令されたからやった」なんて、誰一人告発していない。
 ノンキャリアは自殺した。
 改竄の実態は、一切明らかになっていない。
 <誰が誰にタックルしたのか>

 北海道警事件、神奈川県警事件、食品事件などなどなど、これまでに内部告発など、どれだけあったのだろうか。

 東大卒のおじさんはマイコンされて沈黙。日大の若者は告発。

 この非対称形を考えるべきだと思いましたとさ。

勉強になります

かなり、
勉強になります。
コメント欄読むだけでもかなり賢くなった気がします!

日大アメフト
宮川君は川の手前、川を渡って行くための船に乗ろうか迷っていた。
で、乗り心地はどうか、やってみた。
そんな感じがします。
井上元コーチは、既に川を渡って向こう岸で暮らしてた人なのかも。

向こう岸に何があるのか、お花畑か、、、、クロガネか?

井上元コーチが自分から事の真相を明かすことはなかったのだろうと思います。
宮川君も、事件後に事が大きくなってから(本人は想定出来なかったのか?)の公表ですから、マスコミに取り沙汰されていなければ、そのままうやむやと言うこともあったかも〜、と、思います。

会見する事自体、自己弁護、今後の将来を見据えての行動のように見えました。
指示に従わない自由を捨てて、自ら従ったのですから。

人格とは別の話かと。

担保の差でしょうか。
告発云々。

マイコン、とか、言い訳で
ちゃんと損得勘定なり働いていると思います。



  • [2018/06/07 14:52]
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はまる

「はまる」は様々な意味があります。
宗教にハマったバカ者がワタシですが、ハマったまま次のカルトへ行く人もいますね。

日大のアメフトの問題では、監督やコーチからいじめの対象になることを、「はまる」と言っていたようです。

ハマってしまう組織形態の中にあると、そこから抜け出るには異常と思えるような脳内状態にならないと、抜けられないものです。

生活すべてを投入しているような組織やカルトの状態では、本当に難しい。

日大の問題は大学構造ヒエラルキーにも原因があるので、そこの改善がなければまた同じことが繰り返されることも考えられます。
アメフト部員が十数人一気に退部しても、変わらなかった組織にいて、従わないという選択肢はないに等しかったのかもしれません。

カルトの場合は、より性質が悪い状態のヒエラルキーの中にあり、隠蔽工作溢れる組織の中には、もはや真実を打ち出すことは不可能、改善不可能なのです。

<やりましょうかと電話があり、やるように依頼したのはカルト!人を半殺し死ぬかもしれなかったことを棚上げして、信者に大ぼら吹き込んでいたんだから、性質悪すぎのカルトだわ~。正直に関わった人は暴露してください>

カルトとカルトのぶつかり合いに真実はありませ~~ん。

文鮮明教の本元は、このまま反省もせず改めることもなく真実は!と語ることもなく行くでしょうし、文鮮明教の分派も同じく変わることなく行くでしょう。

早く、カルトは消滅してください。


宗教は、コリゴリですわ~(ハハッ)

そうだ、、、せめて、教祖の墓のある宮殿の掲示版に、嘘書くのはやめていただきたい。
髪の毛入りの靴下は、母親が編んだもんじゃないだろう!教祖に尽くし切って、無残に捨られた女性信者が編んだ物です!って、
書き換えろよ!極悪カルト!!!

犠牲にされた女たち – 大功労者、玉世賢の末路 (1)
https://ameblo.jp/mikan-ha417/entry-12175414486.html

ロボットのような‘教育部長’

 米本さんが今回の記事のタイトルとして書いたのは「澤田地平の訴えの意義と教育部長のトンチンカンさ」ですが、それは半分が‘教育部長’氏に関する内容ということであり、‘教育部長’氏からすれば、無関心でいられるはずがありません。
 ところが普通では考えられませんが、彼はこの‘火の粉’ブログの記事が「家庭連合人気ランキング」に掲載された後も一切反応はしていません。
 彼について、こちら‘火の粉’ブログに書かれた内容は全てが批判的な内容であるし、かなりきつい言葉も使われており、もし読者の信用を重視して記事を書いているブロガーならば、黙っている訳にはいかず、当然それに対する反論を書くなり、訂正を要求するなどせねばならなくなるはずです。
 もしそのようにしないならば、その批判を容認したこととなり、ブログ村読者がそこに書かれた「馬鹿」「偽善者」であると彼を判断しても文句は言えなくなるのです。
 したがって、必然的に彼は‘教育部長’失格であり、‘教育部長’を名乗ることは所属する家庭連合に汚名をきせることにもなるのです。

 その点では澤田地平氏は正反対であり、優れています。
 彼は、どんなにサンクチュアリー教会に対する厳しいことが‘火の粉’に書かれてもコメントを寄せるなど、反応を示しており、自分に対する信頼が失われないように対処しています。
 また、記憶に新しいかと思いますが、文顕進氏支持者のブロガーである‘cosmos’さんは米本さんにかなりキツイことを書かれ、私でさえ同情してしまうほどに槍玉に挙がりましたが、それに対する反応は自分のブログにおいて見せていました。
 そこには彼女なりの弁明が見られ、人間的な精神が機能しているのは確認できました。

 しかし、この‘教育部長’氏はどうでしょう‥
 まるでスイッチを切られたロボットのように無反応です。
 およそ、人間の心があるとは思えない沈黙を通しています。
 たとえどんな妄想であろうが言葉を返してくるなら、少なくとも生きた心をもった人間であることは確認できます。
 しかし、彼は血の通った人間であることが確認できません。
 統一教会の言葉で述べるなら、心情が失われたロボットということです。

 以前、徳野嘘つき会長のことを宗教ロボットなどと私は書いた覚えがありますが、‘教育部長’氏はもしかしたら本当にロボットなのかもしれません。
 自分の中のプロブラムと異なることに関しては、一切行動は起こさず、プログラムにあることを淡々とこなすしか能はないのです。
 彼がロボットであると聞いて、嘘だと思う人は彼のブログにある帽子をかぶったキャラクターを見てください。
 その顔はどう見てもロボットにしか見えません。
 

小山田氏の決定的な「分派宣言」

日大アメフト部の話題から逸れてしまうがお許しを。

小生は澤田氏が小山田氏に猛タックルした(こちらは不正ではない)動画を見て、ついに「家庭連合は分派を宣言した」と思った。今まであれほどまでにしつこく訴えてものらりくらりとかわしてきた本部職員。徳野氏を含め、絶対に現幹部は「無原罪論」に言及できない。それは教義の根幹だからである。中には「お母様が言うからそう思う」と答えた人もいが、確信をもって「お母様は生まれながらにして無原罪」を主張した小山田氏。このコメントは歴史に残るだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=K2nrpLa4CjM

小山田氏と言えば、現在の日本の組織では一番の重鎮。天一国憲法で定めた12名の最高幹部の中にも日本人として唯一入っていた人物である。(今はどうなっているか知らんが)その人物が認めただけではなく、澤田氏を「バカだ」「勉強していない」と罵った。人格的にもどうなのかと疑ってしまう。

小生は誰が原罪があろうがなかろうがどうでもいい。しかし、澤田氏の行動は評価できる。あまりのしつこさとストーカーのような行動には正直うんざりもするし、裁判にされてもおかしくないとは思うが、主張していることは単に教義が今までと違っていることに対する問いである。

大昔はCARPや勝共のメンバーが「共産主義は間違っている」と訴えながら共産主義者に殴られ蹴られしていたが、そのような動機と行動に似ている。もし、今までの教義と違うのであれば、たとえ内々であっても、CARPメンバーは澤田氏のように本部に対して「韓鶴子氏は間違っている」と問いただしてもいいのではないか。原理(真理)研究会は、真理を探究するための団体ではないのか。それとも、CARPの誰一人として疑問にも思わないのか。疑問に思うものはもう離れているのか… 本当に情けない。真理探究こそCARP諸君の宿命である。

一方、鶴子氏が生まれながらに原罪がなかったらどうなのだろう。小生は興味がないので本部の解説や諸氏の激論も読んではいないが、鶴子氏はエバの蕩減で祝福を受け原罪を清算し、残りの7年間を苦労して全うして、その結果「神の日」が制定された。それで女性はその真の母と同じ立場で文氏と祝福を受ける思いで主体者と祝福を受け、その主体者は天使長のように妻を支えて成長し…云々といった「祝福の意義と価値」はどうなるのだろう?

しかし、それに対しても、鶴子氏は原罪がなかったけれども、原罪がある女性の代表としてその道を歩んだと言われれば反論できない。文師も自身の「原罪がない理由」を明確には語られなかった。だから今、鶴子氏は「文師にも原罪があった」と主張できる。つまりは、この世の誰一人として「誰に原罪があるかないか」などということは証明できないのである。言ったもん勝ち、それが宗教というものだ。

だからこそ、小山田氏のコメントには意味がある。そんな原罪について確信をもっている。その理由を聞きたいものである。小山田氏によれば、鶴子氏が生まれながらにして原罪がないということが分からない者はバカなのである。このコメントが得られれば澤田氏はもう十分なのではないだろうか。これからはこの動画を拡散させれば十分である。本部での行動もやめて、おとなしく家庭連合が分派の道をつき進んでいくことを黙って見ていればよいのではないだろうか。

Re:ロボットのような‘教育部長’

 彼は、ブログ村の記事一切を読んでいないと思います。タイトルに自分の名前が出ようが。

 島根の石見の人間ですから。こう書くと、誰かに叱られるのだが。

(追記)‘cosmos’氏のことを持ち出されるのは失当です。
 教育部長さんと‘cosmos’さん。どちらも人間としてよろしくないけど、次元が違います

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