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「いつも私のとなりに神さま」の素朴な疑問 

一筆一論(42)

 実に面白いというか興味深い記事が載った。
 「世の中の人が立派に見えるのはどうして?! 《金元弼先生・質疑応答》3」(2018年5月31日)
「いつも私のとなりに神さま」のブログ(以下神さまブログ)を久しぶりに読んだ。

 前々回の記事で、小生はこんなことを述べた。
<(家庭連合〓分裂3派の人たちは)人格的に何かが欠落している。
「何か」とはなにか。
 良心、他者を思いやる感受性、感情を抑制して冷徹に考える理性、そして内省力などなど。
 まあ、何かが欠落していないと、換言すれば一般の日本人より劣っている人でなければ、組織の上にあがることはできない。嗚呼、ア-ジュだ。
 ただし、滑稽なことに、当人たちは一般より勝(まさ)っていると固く信じているのである。 >


 こんなことを書いていたから、「世の中の人が立派に見えるのはどうして?!」のタイトルにひかれたのである。

 神さまブログは記事の前文というか,本文に対する説明がない。したがって、ここでいきなり「全文を引用」しても意味が分かりにくいだろう。
 そこで、ブロガ-の松戸教会の部長さんになりかわって、若干の解説を。
 部長さんの心に素朴な疑問が生まれた。(2018年5月31日)

 この疑問とはアバウト、「伝道しなければならないのは分かるのですが、周囲を見ると外的に自分よりいい生活をしているし、自分のほうがもっと問題をもっているように思えてきます。深く考えれば分かるのですが、往々にしてやはり難しいのです。どうしたらいいのでしょうか?」 というもの。
 で、部長さんは過去の統一幹部の言説を振り返って、金元弼(ウォンピル)氏の言葉(1989年6月22日)を見つけた。

(全文引用開始)
  
金元弼(ウォンピル)先生のみ言
日本の姉妹との質疑応答、続編です。

世の中の人々と私たちの違い

 質問:伝道しなければならないのは分かるのですが、周囲を見ると外的に自分よりいい生活をしているし、自分のほうがもっと問題をもっているように思えてきます。深く考えれば分かるのですが、往々にしてやはり難しいのです。どうしたらいいのでしょうか?

 それは大切な点です。皆さん、これから私が話すことを忘れないでください。
 世の中の人々も私たちも夫婦げんかをしますが、彼らと私たちとでは何が違うのでしょうか?
 また、世の中にもけんかをしない、仲のいいカップルがいます。すると「いやー、私よりその人たちのほうが素晴らしい」と考えるでしょう。
 また、既成教会に行くと、とても神聖に見えます。その教会の人たちは仲がいいように見えます。
「私たちよりも、この教会にはもっと愛がこもっている」と考えませんか? 「私は惨めな服を着ているのに、あの人はミンクのコートを着ている」「いやー、私よりも素晴らしいではないか」と。

 そういうことを考え始めると、日常生活に振り回されて、全部その人たちのほうが私たちよりも素晴らしいように見えてくるのです。その人たちも愛について語っているし、私たちと何が違うのでしょうか?
 そう考えると、私たちは惨めで、幸せでないように思われてきます。しかし、深く考えればそうではないのです。

 例えば、ここに傷があるとします。
 なかなか治らないので、薬をつけます。しかしまだ治りません。
 それで人々は包帯をします。そうすれば、外から見ると非常にきれいに見えます。そして化膿したものが出てくると、包帯を取り替えます。そうすればまたきれいに見えます。
 宗教にしても何にしても、世の中というものはそういうものです。愛について話しても真の解決の道がありません。
 幸福、平和、哲学の内容とか、世の中の人々はいろいろないい話をします。
 しかし、それは傷口に包帯をするのと同じなのです。時間がたってみると、また汚いものが出てくるのです。
 (既成)教会に行けば、きれいなみ言でいい答えを見つけ、人々は仲が良いように見えます。
 世の中の夫婦を見たら、良い車に乗って、素晴らしい家に住みながら、いつもキスし、仲が良いように見えます。しかし問題があるのです。
 ある夫婦は離婚して再婚します。それもまた、きれいな包帯をするようなものです。これで幸せになると思っても、まだ幸せではないのです。

 ところが私たちの教会はどうでしょうか?
 私たちの教会は世の中とは反対に、この包帯をどんどん解くのです。そうしたら汚いものが出ます。そして、また包帯を取るのです。そうすればもっと汚いものが出てきて、また包帯を取っていくのです。
 世の中の人々は、堕落性というものをそのままにして、美しい言葉の白い包帯をしたようなものです。ですからいくら巻いても、また出てくるのです。

 ところが私たちは、反対に取っていくので、見た目は汚いかもしれませんが、だんだんと問題が解決されてくるのです。

信仰生活についての質疑応答
 1989年6月22日 
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
(引用終わり)

image5.jpg
中央前列:金元弼師  中央後列:文鮮明師


 小生の感想と分析は次回、書きます。
 「いつも私のとなりに神さま」のブログと紹介されていた金元弼さんの話を読んで、どんな感想を抱かれましたか。

島根の教育部長さんは論外としても、
口が立派か堕落一般人が立派なのか。それが問題じゃと思われた方は
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家庭連合対澤田地平ら裁判-6月5日の又聞き情報

(1)傍聴人は10人。被告(4人)澤田地平氏ら側は3人。あとは小川さんとややカルトのエイトさん。残り5人は家庭連合側か。公安関係もいたかも。
(2)裁判長は「面倒くせ~裁判だ」てな表情していた、ヤル気があるのか分からないような人だったらしい。
(3)後藤裁判のときのような笑いあり怒りありといったことは全くなく、淡々と始まって、淡々と進んで、淡々と終ったらしい。

(4)判決日は9月25日。

(5)勝敗の行方? 分かりません。でも、「憲法&法律で保証された示威活動」が不利になるようなことはないと思います。暴力を振るったわけじゃなし。

(オチ)お握りは松濤本部の斜向かいのロ-ソンで注文したとか。1000個だよ!あの店は家庭連合&関連団体が大のお得意様なのだ。そういえば、近藤さん。小生に<「近所から苦情が出ている」とロ-ソンの店主も言っていた> フギャア~~ 


介護日記
 「限界集落の哀しさ」
 うちは松江のまあまあの一等地なのだが。 


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コメント

看過できない暴力事件

>>(5)勝敗の行方? 分かりません。でも、「憲法&法律で保証された示威活動」が不利になるようなことはないと思います。暴力を振るったわけじゃなし。


ブログ審判回避プロジェクト
「345万円損害賠償請求裁判の証人尋問お知らせ」
に記載されている。


陳述書2
ーーーー
2018年4月2日
世界平和統一家庭連合
総務局長 近藤徳茂



被告地平らは、保全異議手続決定が下された頃から再度、毎週日曜日の礼拝時に本部に来て妨害活動を行うようになりました。被告らは、保全異議手続決定について、拡声器さえ使わなければどれほど大音量で礼拝妨害を行っても許されるとの勝手な解釈の元、礼拝の度にシュプレヒコールを挙げるなどして礼拝妨害を行いました。本部所在地は元々閑静な住宅街であり、本部に面したバス通りは付近の病院に通う患者の通り道でもあるため本来シュプレヒコールや叫び声を上げるなどの行為に適した場所ではありません(添付資料2)。しかるに、被告らが場所をわきまえず、狂人のごとく叫び声をあげたため、近隣からの苦情や警察への通報が絶えなくなりました。


5.その他、被告らの危険性を示す状況
(1)徳島家庭教会での暴力事件
家庭連合の徳島家庭教会では、咋年10月1日、篠崎幸郎教区長が日曜礼拝の説教中に、サンクチュアリ教会の信仰を持つ朴鐘淳が突然礼拝堂に侵入し、教区長に書籍を投げつけ、殴りかかりました。このため朴氏は、居合わせた信徒らによって取り押さえられ、警察に引き渡されました。同人の暴行により篠崎教区長は、左下口腔内挫創及び右顎関節捻挫で全治4日の傷害を受けています(甲23号証の1、2)。この事件から明らかな通り、サンクチュアリ教会の信仰は会員らを「狂気」に陥れる要素を内包しています。徳島家庭教会から送られて来たこの暴力事件にまつわる報告書を添付します(添付資料3)。


ーーーーーーーーー 引用終わり

 を読む限り、サ教信者や澤田地平氏に対し周りが見えない(狂気じみた)独善性を私は感じます。
カルト性は言い換えれば独善性だと思っています。「私は正義の側なんだから私のやってることは許される」と思い込んでしまい周囲が見えず「悪側」に対し共感性を喪失してしまい権利侵害に対して無感覚になることです。(同じく隣の神様も教育部長も外界に共感性をなくしてるんでしょう)
 既成キリスト教会一部の人間が統一教会はイカレポンチの邪悪な教義を信じている、一方、俺たちは正統な教義を信じてているだから統一の信徒を拉致して邪悪な教義をすてさせても許されると思ってるのと同様。
 家庭連合信者の静かに礼拝を受ける権利を侵害しても構わないとサ教信者が思っているのではないかと心配です。
 また近隣のお店や住人は地平氏の行動をどう思ってるのでしょうか?
5月の連休中に松濤本部付近を散策してきましたが、近くにお洒落なカフェやインテリアショップが増えています。2,30メートル先でねずみ男や月光仮面のような風体のオッサンが騒いでいたら
近隣店主は商売が妨害されたと考えてもおかしくありません。
 いくらゴミ箱(松濤本部)の中が腐っていても腐臭さえ近隣に漂わせなければいい。
しかしゴミ箱の前で騒いでいるカラス(地平氏等)は近隣にとっては迷惑なんです。
 米本さん立場を変えて考えてみましょう。
もし閑静な住宅街や商店街の中にサ教の礼拝堂があるとしましょう。
礼拝の度に三男派のへび女のような風体をした女性が礼拝堂前で「真の母は韓オモニだけだ、アボジは康オモニなんか認めていないぞー、正統な後継者は顕進様だけだー」
と大声で騒いだり、近隣の不安感を煽ったと仮定します。
 へび女の示威行動の権利とサ教信者の憲法で保障された安寧に礼拝を受ける権利のどちらを重視しますか?
 裁判所は両者の権利を秤にかけてジャッジするでしょうね。


 こんな事書くとgoutは家庭連合の肩を持ってると誤解されるんですが、違います。
地平氏に遭遇しない良い方法があります。
信者の皆さん礼拝や大会なんか出ずに日曜日は遊びましょう。大した事言ってないんだから。(勿論、サ教、平和連合も)

最後に徳島教会で被害に遭われた方のお見舞い申し上げます。

29年包帯を取り続けて•••

いつも隣さんが引用してた金さんのみ言葉は、現役時代に読んだ記憶があります。

あの頃は、フムフムと思い、それなりに感動しました。•••が•••


金さんがみ言葉語ったのは、1989年です。あれから29年経ちました。
29年経った統一教会(現•家庭連合&分派)はどうでしょう?

Re:看過できない暴力事件

 goutさんの考えを全く否定するわけではないことのご理解を。

 まず、徳島暴力事件は澤田地平氏らの示威活動(言論・表現活動)と関係がありません。地平氏らが「サ教日本代表」と語らっていれば別ですが。

 それにしても、現行犯逮捕された傷害事件がその後どうなったのか、知りたいものです。当然、罰金刑となったはず。近藤さん、家庭連合のサイトに報告してくださいな。


>米本さん立場を変えて考えてみましょう。
もし閑静な住宅街や商店街の中にサ教の礼拝堂があるとしましょう。
礼拝の度に三男派のへび女のような風体をした女性が礼拝堂前で「真の母は韓オモニだけだ、アボジは康オモニなんか認めていないぞー、正統な後継者は顕進様だけだー」
と大声で騒いだり、近隣の不安感を煽ったと仮定します。
 へび女の示威行動の権利とサ教信者の憲法で保障された安寧に礼拝を受ける権利のどちらを重視しますか?
 裁判所は両者の権利を秤にかけてジャッジするでしょうね。

 そうだと思います。言論・表現の権利と信仰の権利との比較になると思います。

 法的知識はないけど、信仰の自由は、言論・表現の自由の1つではないかと思います。

 個人的には、家庭連合は礼拝所に澤田地平氏らの誰かに入ってもらい、「どのように演説が礼拝妨害となっているか」を知ってもらえばいいと思います。
 かすかに聞こえる程度なら、問題はないでしょう。
 礼拝妨害となっていれば、演説は中止するか、演説の声を小さくすればいい。

 まあ、いずれにしても9月25日の判決によって、どうなるのか、決まるでしょう。

 なお、小生Uタ-ンしていなければ、澤田地平氏らの横で、彼らとは関係なく、こんなシュプレをやっていたかもです。
「高額エンドレス献金 反対!」
「借金させての献金強要はやめろ~」
「在韓日本人妻を援助せよ!」
「自己破産した信者に生活援助をせよ!」

メシヤならば…

ドイツ・カンベルグ修練所での、三弟子の一人の説教ですね。
修練所が、勝手に“収容所”と脳内転換されてしまい、二、三度見直しました。
重症だわ。。。

今は、み旨に貢献できる人が必要なので、立派な家も気後れせず訪ねていってますね。バザー伝道というか、余剰品の提供をお願いして戸別訪問してます。
名乗って訪問しています。
家庭連合か、家庭教会、そんな感じですが、人によって違うかもしれません。
訪問する理由付けが明確なので、しかも、良いことなので、よほど酷い身なりでなければ何処でも前線に立つことは出来るでしょう。
売り上げは、赤十字や、まごころ銀行などに寄付をして、社協の新聞に寄付者として家庭連合の名前を載せてもらい!イメージ改善に取り組んでいるようです。
私の近くの家庭連合の場合ですが。

よく考えると、伝道しないといけない理由が分かるのだけど、伝道対象者より、どう見ても自分の方が生活レベルも低いし、人間関係も難しいようだ。。。
殆ど、そうでしょう。
教会には、壮年壮婦なら子供の問題が多く、青年なら本人に悩みのある人が来てると言われていました。
(更に、上乗せで家系図等見ながら課題を掘り下げますから悩みは倍加します)
万人のメシヤならば、万人に必要なはずですが、伝道されるに「時」があり、何かしら悩みがある時が、その時だと言うことでした。
今は「悩みの無い人はいないのだから、茶話会で聞き出せ」です。

堕落性の故に貧しい?不幸?

貧しいのも罪だ、とか、確かチョンピョンで聞いた記憶があります。

今いる教区長は「献金以外に(あんた達に)何が出来る?」と、宣いました。

そのお方、数年前破産寸前で自宅売却に望みを託している時も、頃合いを見計らって、売却益が出るか確認して来るのですから、流石にうんざりした記憶が今でも残っています。

乾いたタオルからも絞れば水が出る、等という言葉も教会に来てから知った言葉です。(これは彼此25年以上前)

既成教会の例えで、立派な暮らしをしている人達を挙げていますが、知ってみると統一教会中枢部のようにも思えます。
で、「あんた達はまだまだ罪と堕落性が脱げてないんだから蕩減条件をたてなさい」と。
汚れた包帯は、疲れて使えなくなったシックというところでしょうか。

私が体験した教会の中には、私が望んでいた世界が一つの家族になるという、そのカケラも見つけられそうにありません。今のところ。
人間関係がその場その場の場当たり的繋がりだけです。
役職が変われば、全く変わります。
見事なほどです。
Rev.Moonがメシヤだったのか?そうではなかったのか?私としては其方の方が重要です。
当時ドイツでどんなメンバーが来て話を聞いていたのか知りませんが、金氏も弟子の一人です。
しかも、翻訳と編集がかかってる。
そもそも弟子の言葉を天のみ言葉の様に奉るのに違和感があります。

こんな風だから、勘違いした人の集まりになるのでは?







  • [2018/06/11 12:24]
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教義知らずの金元弼氏

>「いつも私のとなりに神さま」のブログと紹介されていた金元弼さんの話を読んで、どんな感想を抱かれましたか。


 私は米国に居た当時、金元弼氏は「名節」(統一教会の重要祝日)の時に見かけることが多かったですが、特に強い印象はありませんでした。
 彼のスピーチもおそらく聖日説教(日曜日の礼拝説教)で聞いた記憶があり、文教祖の逸話などを語っていたような気がしますが、やはりインパクトが弱く、ほとんど内容が記憶に残っていません。
 統一信者は文教祖の「3弟子」と言うだけでその人物を崇め、特別視しますが、私は教団内にいた当時から合理主義者としての側面をもっていましたので、無条件にその人物を崇めることなどできませんでした。
 統一教会の韓国人幹部全般について正直な感想を述べれば、私にはとても‘ダサイ’人達に見えました。
 それは文教祖や韓鶴子氏とて同じであり、例外的に「3弟子」の一人である朴 普煕氏はダンディーで紳士に見えましたが、この方は統一教会幹部になる前が、駐米韓国大使館の陸軍武官補佐官という身分でしたから、その雰囲気が残っていたため立派な紳士に見えたのだと思います。

 韓国人幹部全般の印象は日本人に分かり易く言えば、「ド田舎から出てきた人たち」という印象です。
 その振る舞いにはセンスがなく、話すことも視野が狭いことばかりで、言葉も知的に磨かれておらず、‘ダサイオッサン’というのが正直な印象でした。
 現在は韓国社会も当時よりは遥かに経済的に豊かになっており、近代化も進んでいるので、人々の印象も変わっていると思いますが、当時の統一教会韓国人幹部に関してはそのように‘ダサく’感じられました。

 私は米本さんが引用された金元弼氏の話を聞くのは今回初めてで、koyomiさんのように教会内で聞いたことはありませんでしたが、現役信者だった当時に聞いたとしてもやはりガッカリするばかりで「3弟子」には失望したと思います。

 米本さんが引用した信者の質問を もし私が現役信者時代に聞いたとしたなら、あまりにも初歩的な質問なので、原理講論にある内容をわかりやすく、かみ砕いて繰り返すことになったと思います。
 つまり、信者であるなら問われてもちっとも難しい質問ではなく、原理講論を理解できているなら馬鹿でないかぎり簡単に答えは出せるのです。
 統一教会の教典である原理講論に基づいて考えるなら、それは「原罪」の問題が関わっていると直ぐに判断できるのであり、たとえ「世の中の人が立派に見えた」としても、それは表面的な部分に関してであり、実際は 世の中の人たちは未解決な多くの個人的、社会的問題を内に抱えており、それらの根本原因は「原罪」からきているので、「原罪」を解決できない「世の中の人々」にはいつまでも不幸な問題はなくならない。…と説明することができるのです。
 また「自分のほうがもっと問題をもっているように思えて」くるのは不思議なことではなく、ほとんどの人間には「原罪」に伴う「堕落性本姓」があり、それが性格に影響を与えているので、信仰をもっていても、それらを完全に解決するまでは、ありとあらゆる問題が生じるようになり、不幸を通過せねばならなくなるはずである。しかし、最終的に「原罪」と「堕落性本姓」の問題を解決できたならば、悪い問題は完全に解決できるようになるのであり、結果として幸福な世界をつくれるようになるはずである。…というのが原理講論を普通に解釈した場合の質問に対する答えなのです。

 金元弼氏の答えはまるで原理講論をしっかり理解できていない人の答えのようで、かえって疑問点が増えてしまいます。
 金元弼氏は結論として「世の中の人々は、堕落性というものをそのままにして、美しい言葉の白い包帯をしたようなものです。ですからいくら巻いても、また出てくるのです。
 ところが私たちは、反対に取っていくので、見た目は汚いかもしれませんが、だんだんと問題が解決されてくるのです。」と語っているようなのですが、それが本当だとしたら、本当に統一信者としては馬鹿だったと思います。
 「問題」が解決されるためには「蕩減復帰」とされる行為が必要なのは原理講論に書かれていることであり、それを「(美しい言葉の白い包帯を)反対に取っていくので、見た目は汚いかもしれませんが、だんだんと問題が解決されてくるのです。」と解釈するとは‘脳足りん’もいいとこで、呆れるしかありません。
 どうやら、金元弼氏は知的には原理講論を理解していなかったようで、それは信じ難いことですが、観点を変えれば、原理講論とは異質の信仰をもっていたとも考えられます。

 日本の統一信者も信仰は一様ではなく、大きく原理講論派と「み言」派の信者に分けることもできましたが、金元弼氏の原理講論を無視した話し方から考えれば、古い韓国人信者には原理講論派という信者はほとんどいなかった可能性もあります。
 金氏も関係する文教祖の宗教活動の出発点が原理講論にあるようなキリスト教の流れにあったのではなく、その原点は朝鮮シャーマニズムと強く結びついた朝鮮独自の異端キリスト教であったことが金氏の‘迷言’よって裏付けられたと見ることもでき、その金氏の‘迷言’には統一教会の隠された原点が表れていることになります。

 原理講論とは違い、文教祖の「み言」は朝鮮儒教や朝鮮シャーマニズムと関連が深く、近代キリスト教とは相容れない内容であり、それより遥かにレベルが低いものです。
 それは統一教会の実際の歴史にも表れており、教会内で伝えられる逸話を現実的に捉えれば、文教祖は朝鮮シャーマニズム由来の‘秘儀’を受けて「神の子」と名乗るようになったのであり、また多少頭脳が優れた弟子に自分が他の異端キリスト教から学んだ神秘哲学の理論と自分自身の主張をつなぎ合わせた原理講論を書かせ、その内容は自分の本当の思想ではないながらも、教団の経典として伝道に利用したのです。
 したがって、知的とは言えない金元弼氏のような弟子は伝道のために書かれた原理講論に対しては理解も浅く、解釈も曖昧であり、教義について聞かれた場合は思い付きで語るしかなかったのだと思います。

 統一教会=家庭連合とはそのような原点をもつ宗教団体ですから、元々が朝鮮シャーマニズムと同質であり、発展した文明社会で受け入れられる宗教であるはずがありません。
 ただ、たまたま、教義として吸収した神秘哲学に属する宗教思想が優れたものであったため、騙されて伝道された若者も多かったのです。
 文教祖が神秘哲学と類似した「統一思想」を真には理解しておらず、ただ自分を神格化するために「統一思想」を利用していただけなのは明らかであり、そうでなければ「夜の神様、昼の神様」などと言い出すはずはないし、「血統転換」「万物の所有権」などと非原理的(非論理的)なことを言う訳がありません。

 私は「金元弼さんの話を読んで、」正直、原理講論さえ理解していない馬鹿な3弟子だなと思いましたし、またその思考レベルの低さから、統一教会そのものが以上のような「カルト」宗教団体であることが証明されたと実感しました。
 ただし、たとえ原理講論を詳しく理解していたとしても、そこに書かれた「堕落論」など間違った箇所は多く、統一信者であるだけで思考は未熟と言えます。


(goutさんのコメントにある陳述書2の略文より)
>被告らは、保全異議手続決定について、拡声器さえ使わなければどれほど大音量で礼拝妨害を行っても許されるとの勝手な解釈の元、礼拝の度にシュプレヒコールを挙げるなどして礼拝妨害を行いました。

被告らが場所をわきまえず、狂人のごとく叫び声をあげたため、近隣からの苦情や警察への通報が絶えなくなりました。

 上の陳述内容は現実とかけ離れており、被害を訴えるには無理があると思いました。
 澤田地平氏たちが行った批判活動は、実際の映像としてビデオカメラに収録され、公開されており、それを見る限り、礼拝が妨害されるほどの「シュプレヒコール」とは思われず、彼らの声が礼拝場内に聞こえていたとは考えられません。
 また「狂人のごとく叫び声をあげた」とありますが、地平氏と共に活動していたサンクチュアリー教会メンバーが家庭連合信者とのやり取りで、激高して話す場面が写っていたのは事実ですが、それは短い時間の偶発的な出来事であり、「狂人のごとく」という表現も妥当ではありません。
 その記録映像を見る限りでは地平氏たちの批判活動が過剰な「妨害活動」とは思われず、米本さんも以前書かれたように家庭連合の実力派弁護士がその裁判を引き受けなかった理由がその記録映像からも納得できるのです。

 もしその批判活動が過剰な妨害活動で違法性が高いと言うなら、それ以上に激しい他の団体のデモ行為や情宣活動は全て違法なものとなってしまい、法律解釈に大混乱が生じるようになります。
 「嫌韓」で有名な政治団体日本第一党代表の桜井誠氏の情宣活動はそのようなレベルではなく、住宅地のような場所でも拡声器を使用して長時間訴えを行っています。
 しかし、そのような「騒がしい情宣活動」が「迷惑行為」であるので違法行為として裁かれたとは聞いたことがありません。
https://www.youtube.com/watch?v=STt4ornazXY
 それは当たり前であり、日本は自由主義国であるので、余程のことがない限り表現の自由は認められるのです。
 澤田地平氏たちが家庭連合によって訴えらえた裁判は、勝敗よりも「訴えることに意義がある」と考えて家庭連合が起こした裁判であると思われます。

週刊文春への抗議行動

神々の黄昏さんのコメント関連で、本記事とはそれますがご容赦ください。

澤田地平氏本人のブログでも触れていますが、家庭連合は統一教会時代に週刊文春への抗議行動を40回行っています。

http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-100.html

これと澤田地平氏らの抗議行動と比較して、どちらが騒がしいかは明らかでしょう。澤田氏はこういう家庭連合の過去の事例も踏まえて活動している点を、彼を批判する場合には忘れてはいけないと思います。

(引用はじめ)
多い時で60名もの青年や牧会者達が横断幕を持って文芸春秋本社前の歩道に並び、ひとりひとり力を振り絞って叫んでいます。「週刊文春」2011年9月8日発行号に書かれた記事が不当だとして、謝罪と記事訂正を求めての抗議活動です。家庭連合はこのような激しい抗議活動をしておきながら、今度は自分が抗議を受ける立場に立ったなら、その抗議内容に応じることもなく、一方的に排除しようとしています。これは筋が通らない話ではないですか。

また、文芸春秋本社前でのひとりひとりの叫びを聞いてみると、真のお父様を守り、真実を伝えようとして、全力で叫んでいます。私はこれを見て、私達の行動が生ぬるいものであることを反省せざるを得ませんでした。現在、お母様とお母様に追随する者達によって、お父様が否定されている状況は、週刊誌を売る為の目的で、お父様が面白おかしく書かれたこととは比較にできないほど深刻なものです。その動画に記録された抗議活動の基準を超えなければなりません。
(引用おわり)

澤田地平氏の言い分や行動は単なる思い付きではなく、このように一定の根拠があり、それは家庭連合にブーメランとして戻っていることも忘れてはなりません。

同じ穴の狢

>そういえば、近藤さん。小生に、「近所から苦情が出ている」とロ-ソンの店主も言っていた フギャア~~ 

結局、統一教会やサ教会の活動等は、社会に迷惑をかけているということが、眼中にないのです。自分たちのやっていることは、神の正義のためだとか、真理を知らせるためだとか、救国のための活動とか。。しかし、それらは、自分と自分が所属している組織のためであり、独善性です。
最終的には、一般市民が判断するでしょう。公道で、叫んでいる以上、聞きたくなくても、歩いているだけでも、耳に入ってくるのです。ましてや、近所のお店などはいい迷惑でしょう。
その内容は、意味不明です。不協和音で不愉快なのです。人々はよけて、歩いています。白装束の男性が「文鮮明」と叫ぶだけでも、虫唾が走ります。彼は、昨今の日韓関係をしらないのでしょうか。

地平氏は、6月5日の証人尋問の結果ぐらい、ブログで報告すべきでしょうね。毎週の活動記事や家庭連合批判記事は、詳細に書かれているのですから。


>なお、小生Uタ-ンしていなければ、澤田地平氏らの横で彼らとは関係なく、こんなシュプレをやっていたかもです。
「高額エンドレス献金 反対!」
「借金させての献金強要はやめろ~」
「在韓日本人妻を援助せよ!」
「自己破産した信者に生活援助をせよ!」

以前、「君達は、その時、何をしていたのか」というのがありました。
サ教会の信者は、家庭連合の幹部と韓鶴子氏の批判をしていますが、文教祖が死ぬまで、全員、家庭連合に所属していたのに、この未解決の問題にフタをして、自らは、正義ぶっているとしか思えません。

地平氏も、江利川氏も、霊感商法で、信者を騙していませんでしたか。言いくるめるような説教や講和をしていませんでしたか。一般信者も、違法伝道をして、人々を入信させ、高額献金を強要しませんでしたか。文教祖(霊感商法の指示命令者その他)を絶対美化崇拝するような説教をしていたのではないですか。

地平氏と白装束の男性は、韓鶴子氏だけではなく、文教祖も同様に、真実をくまなく調べ、公正公平に主張するべきでしょう。

http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-858.html

この記事の中より。
>この頃は、印鑑販売事件で40人ものシックが逮捕されたあとを受けて、教団はコンプライアンス(法令遵守)キャンペ-ン一色のときであった。新聞沙汰になったのだから、当然のことながら、澤田姉弟シックは除名、除籍処分だろう。法律違反を犯し、刑が確定したのだから。
 しかし、何の処分も受けていない。どうして?
 それは巨大な詐欺未遂事件は、教団のあるヒミツ部署が絡んでいたからだと思う。そうでなければ説明できないだろう。
 このときの会長は梶栗玄太郎。広報部長は鴨野守。
 地平氏は1億円を手にしたという。その金はどこに?まさか銀座の女につぎ込んだわけじゃないだろう。(ニッコ)

地平氏は、この件については、回答していません。
統一教会関係各派は、$$の流れを検証することで、もっと真実が見えてくるし、幹部も信者も、言い訳できなくなるでしょう。

真の家庭が分裂した潜在的な背景

真の家庭が分裂する過程を説明する前に、その潜在的な背景であった教会組織化の問題点を書きます。この問題点が真の家庭の分裂に影響を与えているということです。


>「いつも私のとなりに神さま」のブログと紹介されていた金元弼さんの話を読んで、どんな感想を抱かれましたか。


この答えは、祝福を受ける前の独身時代には通じる考えだと思います。


私の答え:ホームチャーチ(氏族メシア)を勝利する方向で、夫婦が一つになりながらみ旨を歩んでいないので、天が願う基盤を作れていないのです。

結局、み言葉の本質を理解し実践していないのです。

_______


み言葉の本質とは、復帰摂理を完了させながら、創造目的を完成することです。

復帰摂理完了:氏族メシアの勝利
創造目的完成:三大祝福完成

家庭を持って数十年になっても、これら2つの要素が実現に向かっていないのは、神様から祝福を受る何かが足りないのです。

成功=天運=祝福

ここで、歴史的中心人物を見ると、原理講論に、
復帰されたアダム型人物は、神様の祝福を受けるとあります。

アブラハム・ヤコブ・モーセ(マナとうずら)・イエス(カゴを魚いっぱいにするなど)は、万物祝福を受けています。

皆、神様から祝福を受けています。

なぜ、シックは受けていないのか? 原理的に歩んでいないからです。原理的とは、氏族メシア勝利と三大祝福を実現する歩みです。


家庭出発後の最重要課題は、夫婦一体化。
夫婦関係が一番大切な人間関係です。(お父様のみ言葉にあります)


信仰の祖アブラハムは3代(イサクーヤコブ)をかけて勝利しました。

しかし、失敗した中心人物たちは夫婦関係に問題があったと言えます。
彼らの妻たちは、アブラハム・イサク・ヤコブと違い、聖書にほぼ出てきません。ノアやモーセ、さらにイエス様は結婚すらできませんでした。


原理講論は、キリスト教の失敗後に書かれているので、蕩減路程中心の個人救済の内容です。

原理講論は、キリスト教基盤の最後の摂理である、梨花女子大学の摂理失敗後に書かれてるからだと思います。

原理講論の理論展開を個人中心でなく、家庭中心にアップデートする必要があります。それが原理本体論教育ではありますが・・


蕩減路程=個人の救い中心ですが、
成約時代後は、無蕩減時代=家庭の救いが中心になりました。

わかりやすく言うと
私の誓い と 家庭盟誓 の違いです。

この切り替えができていなかったのです。


例えれば、モーセ路程での荒野時代と定着時代の差と言えるでしょう。

荒野路程:カナンに入るまでは荒野を流浪しながらモーセや族長に服従する信仰。

定着時代:カナンに定着し、地域に根を下ろし神の国を作る信仰。
 
我々の場合、
荒野時代:お父様は、キリスト教の失敗により統一教会を作り蕩減路程を消化するまで、シックはお父様やアベルの指示に従う時代。

定着時代:我々が、リトル レバレンド ムーンとなり、教会組織から独立し、自分の家庭を中心にホームチャーチを勝利し、還故郷し、氏族メシアも勝利する。


この切り替えが、1980年代のホームチャーチ摂理から始まらなかったので、日本統一教会は、その後、カルトと呼ばれる道へ更に進んでいったと言えます。


ホームチャーチから氏族メシアへ勝利し、家庭単位での救いを完成させていれば、この世から宗教自体をなくすことができていたでしょう。


誰がポイントだったのか?

1979年のホームチャーチ出発の際に、すでに祝福を受けていた家庭でしょう。この時、祝福家庭がホームチャーチに移行し勝利できなかったことが、その後、間違った方向に進んでいった第1の原因ではないでしょうか?


間違った方向とは、夫婦でホームチャーチを始め、教会組織から独立し、お父様の勝利を相続する道を歩まなかった事。

結果的に、この時から潜在的に宗教という組織に依存していたのでしょう。


お父様は宗教を作りに来られたのではありません。

キリスト教の基盤失敗後は、統一教会を作り、お父様の勝利を子女の立場である祝福家庭が相続するように、ホームチャーチと氏族メシア活動を展開されました。

それにより、この地に地上天国を作り、宗教が無くなる、創造本然の世界を創建されようとしました。


しかし、統一教会では、そのまま宗教組織が大きくなり、結果的に、本来の教育とズレが生じる潜在的に間違った教育が行われました。

ズレとは家庭中心・家庭が救いの単位という方向での意識付けができないまま、その後、ビデオセンター伝道などで、人が増えていき、統一教会は大きな宗教組織になっていきました。


1980年代以降に伝道された人々は、ホームチャーチの成功よりも、教会組織内でリーダーになることが目的となり、お父様の真の願いを実行実践するものは皆無となり、結果的に、天が願うホームチャーチや氏族メシアを勝利し得る人物は、今もほぼ現れていません。


お父様は、1979年のホームチャーチ出発の12年後である1991年に氏族メシア摂理を出発されました。

この時にも、特に幹部家庭は対応できませんでした。

幹部達が氏族メシアを出発すべきなのに、1991年の時点で出発していなく、入教して間もない未祝福のメンバー達を数合わせで氏族メシアに出発させています。

それを知ったお父様に「君たちが氏族メシアを出発したと思ったのに、なぜここにいるのだ!」と、幹部達は怒られますが、ほぼ変化はありませんでした。

そして、氏族メシア出発(1991年)の21年後の2012年7月にお父様は、新氏族メシアを出発されます。

1991年の氏族メシア出発の際には、モーセの時のように祝福家庭が、カナンに定着できなかったので、お父様は、21年間の荒野路程を経て、再度、カナン復帰のための新氏族メシア路程を出発されたとも考えられます。

そして、お父様は、新氏族メシア宣布をした約40日後に倒れられ、病院に搬送され、その21日後に聖和されました。


基元節を目前にお父様は、霊界に行かれました。10年以上前からこの日(基元節)を定めD-Dayとしていたのに、その日を迎えることなく、霊界に行かれるでしょうか? 

行かないといけない理由があったのです。

その理由とは、

遠因:シックが氏族メシアを勝利できなかった
近因:真の家庭の分裂

でしょう。


遠因:シックが氏族メシアを勝利できなかった。これについては、荒野時代から定着時代に移行できなかった、個人救済から家庭救済に軸を移せなかった。それゆえ、シックが3大祝福という神様から受ける天運を受ける器と姿勢がなく、氏族メシアを勝利できなかった。

同時に、宗教が組織を持つと権力とお金が絡み、そこで既得権益を持つ人間の成長はストップし、教会組織は官僚化してしまった。これが、真の家庭分裂にも影響を与える事となる。


近因:真の家庭の分裂ついては、今回書いた内容が、潜在的な背景とも言えます。


_____


一般社会でも成功した人の話を聞くと、ほぼ一様に運が良かったと言います。何かに導かれているということです。


アメリカの経済学者トマス・J. スタンリーが、アメリカで一代で成功した人々にインタビューをして、成功者の共通点を説明している本があります。

・トマス・J. スタンリー著 なぜ、この人たちは金持ちになったのか (日経ビジネス人文庫) 文庫 – 2008/9/1


この本によると成功者の多くは、未婚の若い時ではなく、結婚後の40代〜50代に成功しています。

そして成功した理由を聞くと、皆が「配偶者の強い支えがあり成功した」と答えたと言います。


更に、アメリカで家庭生活のバイブルと呼ばれている本にも、似たようなことが書いてあります。

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あなた の 結婚 相手 の 感情的 な 愛 の タンク が 満 タン に なる と、 相手 は あなた の 愛 に 安心感 を 覚え て、 世界 が 明るく なり、 潜在 能力 を 最高 に 発揮 する こと が できる よう になり ます。 逆 に 愛 の タンク が 空っぽ だ と、 利用 さ れ て いる よう に 感じ、 世界 は 暗く なり、 自己 の 可能性 を 高める こと など でき ませ ん。

Gary Chapman著 愛を伝える5つの方法 

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祝福家庭が、一番重要な夫婦関係を勝利できなかったことが、三大祝福実現とホームチャーチ、さらには氏族メシア勝利をできなかった、一番大きな理由だと私は思います。

夫婦が一つになり、同じ方向を見てみ旨に邁進すれば天運が働き、それが復帰されたアダム型人物となり、祝福の基となるのです。3大祝福完成に近づきます。

この姿を、知人・友人・親・兄弟姉妹・親戚に見せながら、彼らに影響を与え、彼らを教育し、伝道すればよかったのです。この延長線上に氏族メシア活動の勝利があります。

地平氏~証人尋問の報告

地平さんが、証人尋問の報告記事を書いています。
彼の応援は、たったの3人だったのですね。哀しいですね。江利川氏は?

>(家庭連合〓分裂3派の人たちは)人格的に何かが欠落している。
「何か」とはなにか。
良心、他者を思いやる感受性、感情を抑制して冷徹に考える理性、そして内省力などなど<

家庭連合=分裂3派は、宗教法人ではないということの証明です。地平氏が、どんなに、教義の偽りを叫んでもムリなのです。現時点で権力を掌握した者の天下なのです。家庭連合もサ教会の7男も自分の好きなように、やっているでしょう。
先の権力者(文教祖)の栄光や業績などどうでもよいのです。朝鮮史の特徴で、前の権力者の思想の破棄や関係者の粛清は当たり前。家庭連合は宗教という隠れ蓑をかぶった、金儲け団体であるということに、気づくべきです。韓鶴子氏の関心は、文教祖の時代から、築いてきたリゾート、カジノホテルや銀行その他、多くの企業や財団をいかに維持するかなのです。そのような箱物建造に賛同し、献金しても、米本氏が言われるように、良心、他者を思いやる感受性、冷徹に考える理性や内省力などは、欠落したままです。心の信仰ではないからです。
ネットは、便利で関連動画が自動的にでています。韓鶴子氏が韓国内のリゾートを視察している動画があります。日本人は、これ以上、韓鶴子財団にお金を貢ぐ必要はありません。すでに、ビリオンという巨額をもっているのです。日本人だけから搾取し続ける毒母ですね。真の母なら、そんなことはしないでしょう。

・地平氏の証人尋問の報告
http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-237.html

・週刊ブリーフィング2018年6月16日
韓鶴子教祖が、韓国内のホテルやリゾートを視察し、ご満悦の様子。金正恩が工場など視察している様子と全く同じ。随行員の態度も全く同じ。
https://www.youtube.com/watch?v=LuekDuXwmlM

「おにぎり裁判」 判決予想

 後出しジャンケンと言われないために私の予想を残す。

 被告地平氏にとって不利な判決が予想される。
 地平氏は判事が出す和解案を蹴った。
ここがポイント。
144損害賠償請求第1回口頭弁論
http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-150.html

118東京地裁審尋
http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-124.html

 判事はデモを止めるかわりに損害賠償の減額または免除という「落としどころ」和解案を提示したと推測する。
 よほど、原告に都合の悪い証拠が出ない限り。被告地平氏にとってこの和解案より有利な判決は望めないと考えられる。
 何度も書くが教義変更や家庭連合の献金体質はこの裁判の争点にならない。被告地平はそこを勘違いしているから原告のペースに巻き込まれた。
 家庭連合側が食口でない弁護士を起用したのも戦略である。

 それにしても地平氏は文教祖が存命中に教義変更や高額献金反対のデモをすればよかったのにダブスタだねえ。(原理講論と原理本体論に整合性なんかないぞ)


「真理を問う行動  6.17 」 
by gout
文教祖は原罪なし
文教祖の兄姉は原罪あり
これは本当ですか? はっきり答えよ!!

参考
★ ちゃぬの裏韓国日記
イエスと文教祖の出生の違い
https://ameblo.jp/chanu1/entry-11239315893.html

 姜賢實(サ教の真の母)は「六マリア」を否定してるけど
これは本当ですか? はっきり答えよ!!

シュプレヒコール (^▽^)/   

 地平氏もサ教も腐れ詐欺家庭連合と同じで教えの整合性なんて気にしてない。
 どちらもご都合主義で恣意的なカルト教祖の「後出しジャンケン」を盲信するカルト教団であることに変わりない。
(三男派もな)

堕落一般人の立派な人々に学ぶべきでしょう。

今回の記事は、教団の本質をついています。なにを話すのかで、人が生きるかどうかです。医者で言えば、この薬が効くかどうか。でも、カルトだから、人の命は、どうでもいいかも。。この米本氏の指摘で、再考されたらよいでしょう。
>島根の教育部長さんは論外としても、食口が立派か 堕落一般人が立派なのか。それが問題じゃと思われた方。。。

それで、思い出したのが、沖縄の我那覇真子さん。ネットでよく見るし、本当に立派な人だと誰もが認める。
ところで、サ教会信者のブログの中に、我那覇真子さんの記事がありました。感想を読んでみると、「我那覇さんは、知名度、実力、行動力、心情は申し分ありません。後は、摂理を知って、心の中に、サンクチュアリ信仰を持ちさえすれば、一騎当千の江利川会長のような烈女となることでしょう」、と書いてあります。
統一教会もサ教会の信者も、自分たちの教えや自分たちの組織が最上だという観点なのです。これでは、発展や成長はありません。

江利川氏と我那覇さんのスピーチや活動を比べてみてください。

完全に違うところが2点あります。
我那覇さんは、自分が住んでいる国を第一に考えていること。
自分で考え、自分で判断し、自分をなおしていくという姿勢。
親子の絆、家庭の絆を大切にする。

家庭連合3派は、教祖や教祖の国を最優先する。教団の会長や幹部をもちあげる。自分自身の家族より、教祖の家族を優先し、金を貢いだりする。

サ教会信者のブログより。
・我那覇真子さんのスピーチを聞いて
http://hamamatsu3000.hatenablog.com/entry/2017/08/24/012544

・江利川安栄 在韓日本人女性、慰安婦問題、謝罪活動(178回)
https://www.youtube.com/watch?v=5Jt16DifOBo

・我那覇真子 おおきなわ 世直し自分直し、沖縄庶民の会
https://www.youtube.com/watch?v=Q0yB55tlYgQ

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