『我らの不快な隣人』 

お知らせ(14)

これから数回にわたって『我らの不快な隣人』の書評、これまでに読者からいただいた感想文を掲載していきます。

ブログの読者で拙著をまだ読まれていない方は、これを機会にどうか手に取って、一読してみてください。(ホンネは熟読してもらいたいです)

このブログは、火の元(月刊『現代』<書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇>と『我らの不快な隣人』)に降りかかってきた火の粉を払うことを目的に開設されたものです。
そのため、これまでもそうでしたが、関連することがらは『我らの不快な隣人』の何頁に記載していることをアナウンスしてきましたし、これからもそうするつもりです。
 両方を見比べてもらえば、より理解できると思います。

反統一教会陣営の中核となっている牧師など脱会説得者や弁護士、また脱会の相談窓口になっているところは、統一教会の信者家族に読まれたくないために、『我らの不快な隣人』を意図的にシカトし、話題にならないように苦心しています。

信者家族のみなさま、お子さんの保護説得に入られる前に、どうか拙著を手に取って、拉致監禁体験者たちの心の叫びを聞いてください。

なお、読者の方で感想文を掲載したいと思われる方は、私に個人メールで送信してください。拙著の裏表紙の背にメールアドレスが記載されています。そこまではと思われる方はコメント欄に投稿してください。数行程度の簡単なものでもうれしいです。もちろん、批判的な感想も大歓迎です。

最初に「資料」カテゴリーにすでにアップしている月刊『現代』<書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇>を、「ルポ・書籍・書評・感想」カテゴリーに再録します。まだ読まれていない方は、どうかお目通しを。

その次に、宗教評論家の芹沢俊介さんの書評を紹介いたします。

関連記事

コメント

質問

こんにちは,NY65です。感想でなく質問で恐縮です(^^;)。

「我らの不快な隣人」の11頁に「大文字の人権の尊重ではなく,私は是々非々の立場を貫きたい」と記載されています。

私は「是々非々」の判断の根拠となるのが「人権の尊重」だと思っておりました。つまり,人権尊重というものを基準として,何を是とし何を非とするのかを判断すると。

ですから「大文字の人権尊重ではなく」と言う記載には違和感を感じました。これは,いわゆる人権弁護士が言っている人権尊重とは違うのだ,という意味と理解すれば良いのでしょうか。

多分「大文字の」と言う部分を,私が理解できていないからだと思うのですが,お教え頂けたら嬉しいです。

NY65さんへ

 ありていにバラせば、もうしばらくしたら、このブログの「批判対象図書」として講読を勧めている櫻井氏を批判します。この本を意識して、大文字、小文字を使ってきました。

 まあ、これは出発点で原点なのですが、信教の自由という場合、徳野さんたちは大文字の信教の自由を言います。ははぁと、みんながひれ伏す。しかし、おまえらは信教の自由を内側から崩すことをやっているんだろうと、最近思うようになってきました。

 徳野さんは大文字の信教の自由、私はもっと具体的な信教の自由-つまらない人が何かを信じて生きていく・つまらない人の人生の自由こそ大切な(それは俺!)のではないかと思うようになりつつあるのです。

 まあ、こんなで小文字の自由のほうがいいのではと思う次第です。

ありがとうございました。

「大文字の」という意味は理解できました。ありがとうございました。

「我らの不快な隣人」を読んでの感想にもなりますが,人権,人権と声高に叫ぶ日本の知識人たちが,人権侵害行為を容認している実態には,何とも救いようがない感じがいたしました。櫻井教授も酷い実態をご存じなのでしょうかねえ。政治的判断で見解を変えられてしまうとは・・・

私も信者ですから,拉致監禁の話はもちろん聞いてはおりましたが,まさか親兄弟がそこまでするとは想像もできませんから,悲惨な現実感がなかったのだと思います。

「我らの不快な隣人」を読み,その詳細な事実を知って初めてリアリティーを感じることができ,酷い実態に絶句してしまいました。

法治国家の日本で,このような人権侵害行為が見過ごされている事実には,驚愕してしまいます。一般人に想像すらできない内容だと思います。

日本はこんな野蛮な国だったのでしょうか。このような深刻な実態は,白日の下にさらされなければいけないと思いました。そういう意味で,中立的立場から書かれたこの本は,とても貴重で価値ある書籍だと思いました。

それと,米本さんは価値中立的に書かれたと言われていますが,私は統一教会が批判されている本ばかりを読んでいるせいか,かなり統一教会に好意的に書かれている印象を持ちました。

あたたかさを

別のカテゴリーでのコメントですが、NY65さんのコメントに通ずる内容なのでここに書きました。米本さん、早川さんのコメントを通してのやりとりは、統一教会をこき下ろしているようで、実際はあたたかさを感じます。おもわずにんまりしているのは、わたしだけでしょうか?

匿名さんへ

 最初にお願いです。「匿名」ではなく、なんでもいいですから、適当なハンドルネームで投稿していただけると助かります。匿名さんへと書くのは、ちょいとばかり心理的抵抗を感じます。「へのへのもへじ」でもいいので。

統一教会をこき下ろしているようで、実際はあたたかさを感じます
についてです。

 最近、つくづく思うのは、幸福の科学やヤマギシ会、あるいは統一教会、はたまたオウムに入る人たちは、「カルトメンバー」といったレッテルで終わりにできるようなことではなく、一人ひとりはみんな「生きた主体」だと思うようになりました。

 ぼくも「生きた主体」ですし、統一教会の信者も同じ生きた主体です。

 人間だから、みな同じではないかと思うようになりました。

 こうした考えが統一教会に好意的とか、統一教会に温かさを感じると思われるようになったのではないかと思っています。 若干舌足らずなのですが。

ありがとうございました

旧“匿名”です。
コメントありがとうございました。

<匿名さんへと書くのは、ちょいとばかり心理的抵抗を感じます。「へのへのもへじ」でもいいので。

今後は、“へのへのもへじ”でコメントさせていただこうとおもってます。(命名していただいて光栄です。ほんとに。)
それから、“我らの不快な隣人”よく読んでから感想を送らさせていただこうと考えています。
  • [2009/08/21 11:00]
  • URL |
  • へのへのもへじ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/91-e85f856e