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「個人神と組織神とその葛藤」(うずらの卵の秀逸な投稿 ) 

寄稿(6)

12月3日の昼に追記しました。2ヶ所。再度、目を通していただけたら幸いです。

回の記事「試論-統一教会の神サマ(個人神と組識神)」 のコメント欄に珠玉の投稿が寄せられた。読者のすべてが投稿文をきちんと読んでいるとは限らないので、再録することにした。投稿者は「うずらの卵」さんだ。最後に私の感想を述べるが、とにもかくにも知力を働かせて、吟味熟読してもらいたい。統一教会に関する考察としては最高傑作の1つだと思う。
斜体文 なお、下線とゴチックは「「うずらの卵」さん。赤字は小生
 なお2、完成度を高めたいので、「うずらの卵」さん、修正すべきところがあれば指摘してください。

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組織神個人神 違法行為良心 個性完成人格完成 文鮮明西川勝

個人神と組織神とその葛藤<1>
 長文失礼します。以下の文章は私が統一教会の様々なサイトやブログの文章を一部引用し、このブログのテーマに合わせてまとめたものです。<1>から<5>まであります。間違いや論理の矛盾があるかもしれません。もしありましたらご指摘ください。よろしくお願いします。

●個人神と組織神について
 統一教会において、教祖や側近が認識する神と末端信者が認識する神には、ずれがあります。個人神については、人それぞれが思い描く神観だと思います。教会では導かれてまもなく、個性完成という言葉を学びます。

 しかし信者の中には個性完成をイコール人格完成というように間違えて捉えてしまう人もいます。また、「神の摂理」を具体的な社会活動として解釈する考え方や、神と人間は親子(人は神の子)という認識のように神を擬人化している(これは組織神との共通点)のも特徴です。

 そこで各々が思い描く神論を展開してしまうのだと思います。いわゆる神様の真の愛を相続した人になろう(そういう人格になろう)と各々努めているのだと推測しますが、個人神については人それぞれ異なるのでここでは割愛します。
 個性完成と聞くと、「素晴らしい人格を完成」させることだと思いがちですが、教会の言う個性完成はそうではありません。統一教会の教義において、個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということでもあります。これこそ、教祖や側近が認識する組織神です。その根拠については<2>に書きます。 
 
考察:組織神

 ここで組織神について考察するとき、<第一章 創造原理 第一節 神の二性性相と被造世界http://www.7roid.com/ucgenri/sozogenri_001ttp://www.7roid.com/ucgenri/sozogenri_001>によると、
 統一教会における神はこの世界を創造した第一原因(つまり神が世界を造った)であり、人間でいう心に相当する性相(内的)と、体に相当する形状(外的)を備え、それらが相対的関係(例:心の命ずるがままに動じ静ずる)にあるが目には見えない存在であることが分かります。
 
 神の二性性相第一章 創造原理 第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界(http://www.7roid.com/ucgenri/sozogenri_0066)によると、
 世界における人間の位置について、「神はこの世界を直接主管なさらずに、この世界に対する感性を備えた人間を創造され、彼(おそらく教祖)をして被造世界を直接主管するようになされた」そうです。
 
 同じく<第六節 肉身と霊人体との相対的関係 3:生心と肉心との関係から見た人間の心>によると、
「常に自分が善であると考えるものを指向する、この心を良心という(注1)。
 良心を主張する人たちの間にも、しばしば闘争が起こる。また、善を指向する心の性相的な部分を本心といい、その形状的な部分を良心という。それゆえに、人間がその無知によって、創造本然のものと基準を異にする善を立てるようになるときにも、良心はその善を指向するが、本心はこれに反発して、良心をその本心が指向する方へと引き戻す作用をする」そうです。

注:上記の「良心」はこの文中での意味であり、辞書では「社会一般的な価値観(規範意識)に照らして、ことの可否ないし善悪を測る心の働きのこと」を意味します。教会のいう良心は自分勝手ですね
 
 つまり(文意から察すると)原理的な善を本心、個人的な善を良心として、創造本然(原理)の善である本心個人の良心が異なる場合、本心すなわち原理的な善を指向するということではないでしょうか。

 仮にそうだとすると、非人的食口が大量発生した原因をすっきりと説明できます。
「世間一般の常識や善」と「教会の常識や教会が考える善」が異なることが問題となったとき、信者は創造本然(原理)の善である本心を指向しようとするから、自分の良心よりも教会の善(=天的と言ったような覚えがあります)を優先する行動に走るため、時に違法行為にもなり、これが非教会員からは非人間的食口に見えるのではないでしょうか。
(ブログ本文(14)にも関連します。 私のコメント<5>に書きました。)
 
 少し脱線しますが、非難する人の背後に「サタンがいる」(教会の善を脅かす存在がいる)という考えがあって、それもシックの人間性喪失と、反省というきわめて人間的な営為の消失の原因だと思います。要するに教会流自己正当化です。

ここまでがブログ記事本文の(1)~(4)についての考察です。

個人神と組織神とその葛藤<2>
 直前の私のコメント<1>に「統一教会の教義において、個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということでもあります。これこそ、教祖や側近が認識する組織神です。」と書きました。その根拠を書きます。

 これは(12)(13)にも関連すると思います。 (み言については<ちゃぬの裏韓国日記【統一教会の神は○○】 見よ!これが神が文教祖を通して語ったみ言葉の数々だ!https://ameblo.jp/chanu1/entry-12042676715.html> から、原理講論については<統一教会の信者は読んではならない・新版>というタイトルのブログからの引用です。「原理:」と表記します) 教会の善とは何かを考えながら読んでみてください。

 み言:『先生のみ言は、先生が語っているものではありません。先生が語るものではなく、天が先生を通して語られたみ言です。・・・それは文総裁のみ言ではなく、神様のみ言なのです。』(「訓読会に関する文鮮明先生のみ言」より 1998年2月1日のみ言葉)

 原理:「天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』 」 (2) 神の喜びのための善の対象
 
 原理:『神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。』)
 
 神の命令は絶対です。その神と一体であるメシアの命令は神の命令そのものとなり、故にメシアの命令は絶対に守らなければなりません。
(統一教会は創造目的を捨てなければ理想世界を造れない。それは創造目的が間違っているから https://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/15255211.htmlより引用)

 絶対服従についての:真の父母様宣布文http://trueparents.jp//
 
 統一教会が目指す社会は、神の命令が社会の隅々まで行き渡る世界です。神の命令とは神を代理するメシアの命令であり、またメシアの代理者と称する組織上層部の人間の命令です。
 メシアが「万物復帰は善行」と言えば、それは神の命令であり善。同様の屁理屈で、「文顯進をはじめとするUCI理事陣は、即刻現職から退くことを指示」というメシアの言葉(神の命令)に従わない文顯進氏は善ではなく悪つまりサタンということになります。
 
 この命令が“神”⇒文鮮明⇒大陸会長⇒クニ会長(徳野英治)⇒教区長⇒教会長⇒アベルさん⇒カインさん--の順に上位下達的に流れ、それが社会全体に漏れなく及ばなければならないと、組織上層部は考えていると推測します。
 

個人神と組織神とその葛藤<3>

 米本さんが(12)、信者は<「良心」(心、気持ち)とアベルの指示との葛藤、「組識神」(アベルの指示)と「個人神」(シック個人の良心)との対話のように思える。>と指摘してくれました。同感です。

 人格完成して天国を造る処が統一教会と思っている信者にとって、自分の良心に反するような原理の善が上から伝達されてきたとすれば組識神、すなわち創造本然(原理)の善と個人神(シックの良心)によって葛藤するのは当然のように思います。

 しかし、組織神に従わないと最悪の場合サタン扱いされてしまうため、しぶしぶ組織神に従うようになり、それが習慣化されると自分の良心が麻痺し人間性が喪失していくのではないでしょうか。
 
●良心が麻痺する過程を、心理学の観点から考察してみました。
<【基礎知識】監禁・虐待事件に見る「人が逃げられなくなる理由」>から要約します。
http://nihon-ronten.jp/article/20151216dog00m010011000c.html
 人に電気ショックを与える心理実験です。
 要約はじめ『「電撃を受ける人」が簡単な設問に対して間違った答えをいうたびに、被験者は電撃スイッチを押さなければならない。電撃のレベルは15ボルトから始まり、押すたびに上がっていく。レベルが上がれば、「電撃を受ける人」の苦痛も増す。「電撃を受ける人」が間違った答えをいうたびに、被験者は電撃スイッチを押さなければならない。最大は450ボルトで、死を招くレベルである。他人に通電を命じられた人が、どこまでその命令に忠実に従うかを調べるというのが、この実験の目的です。(実は電撃を受ける人は演技であるが、それを被験者には知らせていない。)

 これとは別に、心理学者や学生、一般の人々を対象に、「あなたが被験者だったら、どのくらいのレベルでスイッチが押せなくなると思うか」という問いに答えるアンケートをとった。多くの人が150ボルトあたりで押せなくなり、実験の中断を申し出るだろうと回答していたが、結果は意外なものだった。「電撃を受ける人」が悲鳴をあげたり、気絶したりする姿を見ているにもかかわらず、最大の450ボルトになるまでスイッチを押し続けた人が30%もいた。相手の姿が見えず、声しか聞こえないようにした実験では、最大ボルトまで続けた人が60%を超えた。
下線の文
 
 原因は「電撃を命じる科学者」の台詞だった。被験者がためらいを示すと、「続けてもらわないと実験が成り立ちません」「絶対につづけてください」などと促す。

 被験者は、ためらいながらもそれに従った。「電撃を受ける人」の生命よりも権威者の命令のほうを優先したのである。』要約おわり
 
 ここで葛藤するシックについて当てはめてみます。(これはあくまでも推測です)
 
 シックの良心としては「組織神の指示は社会的にまずいのでは」と思う一方で、「世間一般の常識や善」と「教会の常識や教会が考える善」が異なることが問題となったとき、組織神=原理の善を指向しようとするよう訓練しているため、「自分勝手な想いは封印して組織神に従おう。」と考え行動するのではないでしょうか。 
 
 その訓練とは何か、それは礼拝や信仰生活の中で語られるメシアの台詞(またはそれが流れ加工されてきたもの・み言)に忠誠することであり、葛藤を乗り越えるために、メシアのみ言を礼拝や信仰生活の場でそれを熱心に聴いたり、或は自発的に教会の書を読んだりする。
 
 そんな訓練を続けているうちに自分の良心よりも組織神に忠実になっていくのではないでしょうか(「電撃を受ける人」の生命よりも権威者の命令のほうを優先したように、被害を受ける世間よりも組織の命令のほうを優先してしまう)。
 引用先の心理学実験のように、原因は「命じる者」のセリフ(み言等)だったのだと推測します。
 
 たとえば、み言:『「絶対服従」という言葉の意味の中には、自分の意識がありません。意識がある限り、それは従順です。服従とは、意識がないのです。』(「後天時代の生活信仰」より)や、み言:『(祝福)家庭はただ、来られる主の家庭と生命と財産を保護するためにあるのです。彼らの生命と財産そのすべてのものは、主の家庭と主の生命が発展するためにあるのです。発展するためにはどうしなければならないでしょうか。このような者たちを肥料として吸収しなければならないのです。発展の原則がそうです。』(「祝福家庭と理想天国」より 第三節 祝福家庭の価値と使命)と発言し、これが組織神の指令として末端シックまで届く(その過程で解説者が柔らかい表現「神の摂理の為にはあなたの献金~Kが必要」などにした可能性もあります)。
 すると、シックが組織神に従いたい心情(たとえば借金してでも献金することが天的には善だと信じて、嘘をついてでも献金!)になってしまうような気がします。
 
 しかも、み言:『(前略)ムーニーの人生は、天の猟犬の人生です。主人のためにあらゆる所を走り回り、ある時は、いやな目に会いながらも天国実現という一つの目的のために働く人々です。いかに美しく素晴らしい人生でしょうか。(拍手)』 (新しいみ旨の誕生 1983年2月18日)に至っては拍手まで起こっているのですから、組織神に忠実に動かしたいメシアはにんまりしていたはずです。 
 これではメシア主人のためには世間の批判という嫌な目に遭いながらも、違法か違法すれすれの万物復帰・正体を隠した伝道などの行為を正当化しそうです。

 たまに現実と原理が矛盾し、辻褄が合わなくなると、教祖や教会上層部からスーパー屁理屈が出てきますが、それもシックを組織神に忠実になるよう仕向けるためだと思います。

 このように、個性完成した人間とは、神の命令(の代理者たるメシアや上層部の命令)を忠実に実行する人間であり、そのような人間で構成された社会であって初めて神の命令が社会の隅々まで行き渡る社会となるということです。そうなる世界こそが教会のいう理想世界、メシア王国です。


個人神と組織神とその葛藤<4>

「統一教会の神の概念はなぜ複数あるのか」について
 
 統一教会の教義において、個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということです。

 ここで組織神、教会の善について分かりやすく解説してくれるブログがあったので紹介いたします。
 (ブログ「統一教会の信者は読んではならない・新版」 タイトル「統一教会は創造目的を捨てなければ理想世界を造れない。それは創造目的が間違っているから」
https://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/15255211.html
 
一部引用はじめ
善の目的を成就していく過程において、その善の目的に役立つ生活的要素を義といい、悪(サタン)の目的を成就していく過程において、その悪の目的に役立つ生活的要素を不義という。それゆえに、善の目的を成就するためには、必然的に、義の生活を必要とするようになるので、義が善の目的を追求する理由は、すなわちここにある』   (3) 義 と 不 義

善の目的に役立つ生活的要素を義というとは、どういうことか、善の目的とは創造目的であり、即ち復帰摂理の目的であるメシア王国実現である。ということは、メシア王国実現の為の行為が善であり、良心的行動が善では無いのである。メシア王国が出来てからの善の行為とは、神の命令が社会の隅々まで及ぶように、その命令組織の一員を担い、お上の命令を忠実に実行する行為こそ義なる生活となるのである。』
引用おわり
 

 家庭連合(旧統一教会)で、人格の完成を目指しているはずのシックなのに、いつしか人間性が失われていく—その原因は2つの異なる神観からの葛藤を解消する訓練過程で生じる、被害を受ける世間よりも組織の命令のほうを優先する冷たい思想の定着であると推測します。 
 
 1つ目の神観はシックの誤解(個性完成=人格完成と思い込み、真の愛を相続するなどの人格の完成を目指すことが神の喜びだと誤認している)による世間一般の常識や良心をベースとした神観です。
 
 2つ目の神観(教会的に正しい神観)は、「個性完成した人間=神の命令の代理者たるメシアや上層部の命令を忠実に実行する人間」が、メシア王国実現(メシアが考える理想社会・専制君主制のような国家)の僕としてお上の命令を忠実に実行することを善と考える神観です。
 
 教会生活ではこの2つの神観の葛藤が生じると推測しますが、教会的に正しい神観はメシアに忠実に行動することを善と考える神観なので、信仰生活(訓練・「ために生きる」「本然の人間性の回復」といった甘言やみ言を熱心に聴き受け入れ行動する)を通して徐々に自分の良心を麻痺させてしまうのではないでしょうか。
 
 なぜ一神教のはずの統一教会に2つの異なる神観があるのか。それは日本に統一教会を布教した西川勝氏が「人格完成をして理想世界を造る」のが統一教会だと誤解した為に、多くの信者がその前提の上で統一教会を見るようになってしまったからです。
 
 関連記事:教会に混在する二つの宗教、それはメシア教と西川教、その問題を解決する為にメシアのとった手段 (https://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/14896015.html
その中の「別冊宝島461 「救い」の正体 宝島社より

 最初の伝道師西川勝氏(74歳)が語る、統一協会よ、なぜ変わってしまったのか
高山和雄(ルポライター)」から要約
はじめ『統一協会はなぜ変わってしまったのか、西川氏は言う
(途中略)私のときは、人間を完成してから神の国をつくろう--それが救いだったんですが、文鮮明によって『真の父』である彼を信じて血統転換(文鮮明の指名した相手との婚姻による子孫をつくること)しないかぎり信者は救われないというふうに変わったのです。そんなバカなことがありますか。そんなものただの宗教儀式ならともかく、それでは明るい社会をつくる「愛と真理」の社会運動ということにはならない。そこが問題なんだ。現在の協会は私にとっては別物になってしまったのです。』
おわり(注)

(注)教会が変わったのではなく、開拓伝道者の誤解によって変わりつつあった教会が元の冷たい絶対服従の教会に戻っただけなのです。

 次に同ブログ同記事から
引用はじめ
 『統一教会創設者の唱える天国は、命令と服従で成り立つ独裁国家、西川先生の目指した理想世界は人格完成者が集う思いやりと信頼に満ちた所。この二つは明らかに別の信仰だ。

 西川先生を日本から排除、これがメシアのとった二つの宗教問題解決の第一の手段だった。 開拓伝道者として、教勢拡大に成功していた功績者を日本から追放する理由はないはずだ。それなのに何故に西川先生は日本から追い出されたのか?

 理由は一つ、このまま日本に置いて置いたら自分の目的が達成されなくなり、自分の説いた宗教とは別の宗教となる事をメシアが危惧したからに他ならない。』
(中略)引用再開
 『我々は西川教を信じて教会に来たようなものだ。西川教は心情と良心を大切に信仰生活を指導していた。そして人格完成を信仰生活の目標においていた。献金の多寡で信仰のレベルを計るような今日の統一教会とは雲泥の差がある。』
引用おわり
 
 この異なる2つの宗教概念が同じ統一教会に内在していたから、2つの神観が存在するのだと推測します。
 
 ブログ記事本文(1)について、信者が感謝しているときに米本さんの後ろのやや上を見ていたのは個人の神観ではなく、組織の神観から観て「神の命令と一致した行動(拉致監禁反対)」をとっていたために、非シックでもシックと同じ志のもとで活動している人に出会えた、その境遇を神に対し感謝したのではないでしょうか。
 たしか信者は、拉致監禁反対活動に消極的でしたが、アベルたる文国進氏が拉致監禁反対を指示するとすぐさまそれに応じました。(上からの命令は神の命令)


個人神と組織神とその葛藤<5>

 最後に、ブログ記事本文(14)について徳野さんが信じている神様はおそらく組織神でしょう。
 なぜなら、事件の責任を会長自身ではなく信者に押し付けるところが、「信者の不信仰ゆえに教祖・教会が不祥事にあった」と解釈して責任を信者に負わせる教祖・教会組織の慣習と似ているからです。
 
 少なくとも私は(14)において徳野さんに思いやりがあったとは考えられないです。
 葛藤したかもしれないですが、結果的に組織にとっての善=メシア王国実現(組織防衛・存続)のため、表面的には辞任するも、内心信者の責任にしてノコノコと復帰することを選びました。どう考えても良心をベースとする個人神から出た発想ではありません。

 中には個人神を信仰する幹部もいると思いますが、教会上層部は組織神を信じている人が多いと思います。
 
 例えば、この幹部も組織神に染まった人物であると考えられます。
 火の粉を払え IT部長の江口敬一は愛の破壊者である。(http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-571.html
 
 彼はメシア王国実現(教会に従わない者を排除)という義の為に、過去の件ではすでに処分を受けて降格されていた人が一度裁かれた事由で、再度裁かれA氏を解雇するという法律違反「一事不再理(二重処罰の禁止)」を犯す暴挙に出ました。
 引用はじめ『A氏は一度、教団組織に不利益となる行為をしたということで、所属の外郭団体内で降格人事となった。 A氏が行った不利益行為の情報は、UCIA長官の江口が保管していた。その後、かなりの月日が流れたころ、A氏はインターネット上で教団の会議のあり方に対する意見を書いた私もその意見を読んだが、しごくまっとうな内容であり、決して教団の不利益になるようなものではなかった。

 ところが、世間的にはまっとうな意見でも、教団内では問題視される。統一教会は、基本的にイエスマン以外は異端視するのだ。
A氏の意見も誰かが問題にしたようである(誰であるかは不明)。そこで江口の登場である。自らがストックしていたA氏の過去の資料を教団幹部に提示した。A氏はその後、外郭団体を解雇された。』引用おわり
 
 このように、メシア王国実現の為の行為が善であり、良心的行動が善では無いので、世間的にはまっとうな意見や良心的行動であっても教会的にはNG、場合によってはサタン視されることもあります。 

 こうして信仰生活を続けているうち、良心が麻痺していって、教会上層部から末端信者までその冷たい組織神が浸透してゆき、人格完成を信仰生活の目標においていた西川氏の温かい思想、個人の良心をベースとした神観は教団組織から薄れていったのだと思います。
 悲しいですが、これが現実だと推測しています。

 これで考察を終わります。ここまで熟読熟考していただきありがとうございました!

うずらの卵さんの追記(12月3日)
 投稿文の中で補足・修正したい箇所がありました。
(「葛藤」についての補足)
 信者の葛藤を別の角度から見ると、信者は自己中心の心と「ために生きる」利他心との葛藤もあったと思います。
 いわゆる善悪の葛藤のことです。
 言い方を変えれば「自分の欲望を満たしたい利己心」と「ために生きる利他心」との葛藤です。
 個人神と組織神の葛藤というよりはこちらの言い方の方が適切かもしれません。

 信者にとっては、目指すべきは「人格の完成、人のために生きる」と思っているとしても、教会としては信者が「メシアのために生きる(従順に従う)」ことを目指し、指導者の立場としてはそのような指示・命令・教育をする傾向なのだと推測します。
(正体を隠した伝道活動の指示、終わらない高額な献金要請など)
 組織神という表現は不適切とのご意見がありましたので、このように修正しました。
 
 メシアに絶対服従の極至は、祝福結婚式において自分の配偶者の決定をメシアに委ねることです。
 自分の人生の大きな選択を教祖に委ねるのはもちろん一朝一夕には身に付かないので、信仰生活(教会指導者の指導など)を通して葛藤を乗り越えながらメシア(教祖)の命令に絶対服従する基準を備えていったのだと推測します。
 復帰摂理における蕩減復帰は理想世界実現のためであるし、その理想世界はメシアに絶対服従する独裁の国家、メシア王国「天一国」であるので、復帰摂理の活動は独裁国家建国に加担することを意味します。

原理:「天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』 」 (2) 神の喜びのための善の対象
 
原理:『神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。』)

(シックの認識する「ために生きる」は文字通り「人のために生きる(西川教)」ですが、教会指導の中では「メシア(或はその代理人)のために生きる(メシア教)」です。この認識のすれ違いが悲劇を生むのは投稿文に書いた通りです。)


 西川氏が善意の誤解で日本に伝え広まった「人格の完成を目指し、心情と良心を大切に信仰生活を指導していた」いわゆる西川教は、韓国人牧会者が日本に大勢やってきて本来のメシア教が色濃くなり、西川氏が日本統一教会を追放されても一部の信者の心の中に脈々と受け継がれていったのだと思います。 
 それを受け継いだ信者が伝道に成功すれば、伝道された人が(最初のうちは)「教会には愛がある。人格の完成を目指すことが神の願い」などと認識するのも仕方なかったのかもしれません。
(追記文終わり)

感想


(1)私が今日まで不思議でならなかったのは、統一教会用語のことである。「個性完成」「摂理」「祝福」「蕩減条件」などなど。辞書を何度も引いてきたが、意味が分からなかった。とりわけ「摂理」。「摂理的葛藤」(顯進派がよく使う)とか「経済摂理」とか。
 かなり以前、原田さんだったと思うが、哲学用語もそうだが統一原理も全く新しい慨念ゆえ原理用語は理解されにくいといった趣旨の投稿があり、なるほどと得心したことがあった。しかし、すぐに疑問が生まれた。

 <統一教会が日本に上陸して半世紀以上。どうして『統一原理用語辞典』が出版されないのか>
 用語の解説が載っているのは、故川崎経子氏の『統一協会の素顔』の巻末資料だけ。反対派が統一教会に成り変わって用語を解説してくれる。けったいな話である。

 日本の辞典にないような独特の意味遣いといっても、それほど多いわけではない。せいぜい100語程度。「冊子」仕様でできる。一冊1000円で売れば信者は全員買うので、憶単位の収入(累計)にはなったはず。それなのに・・・。
 うずらの卵さんの論考(以下卵論考)を読んで、長い間の疑問は氷解した。

 話はそれる。
 東京・荒川の青年部に所属する原理講師さん(今は一般社会人)と2、3年間、付き合った。自宅にもお邪魔したこともあった。
 その彼が「どうしたら原理を普及させることができるのか」と相談してきた。
 私はこう答えた。
「エホバの証人は『ものみの塔』などの小冊子を配りながら伝道している。君たちも同じように統一原理を分かりやすく説明したパンフを作ればいいのではないか。俺も読んでみたい」
 すごくシンプルで前向きな提案なのに、彼はただ聞くだけだった。

 卵論考を読んだ今から考えると、彼の沈黙の意味は理解できる。それは統一教会本部が辞書を作れないのと同じ理由だ。「個性の完成」一つをとっても喧々諤々。収拾がつかなくなる。場合によっては分裂分裂となっていく。
 また、議論が収拾して、「個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということです」と書いた場合、入信するような人は誰もいない。

(2)うずらの卵さんが参考にしているブログは「統一教会の信者は読んではならない・新版」。これまで読んだことがなかった。不明を恥じる。かなりのインテリゲンチャのようだ。知的刺激を受ける。これから読んでみたい。

文鮮明と西川勝(崔翔翼)の信仰がまるで違う」といった指摘は、衝撃的だった。でも、<なるほど!そうだったのか>
「献金が足りないから東北大震災が起きた」とのたまわった中抜きの前総会長、「献金が足りないから子どもが自殺したんだ」と平然と語った横浜・青葉台の教会長。
 その一方で、「ために生きる」「本然の人間性を取り戻す」「人格の完成」-を口にするシックたち。ブログ村の多くのブロガ-がそうである。
 矛盾もいいとこ。いや矛盾どころか精神が分裂 している。
 愛していると言いながら、近寄ってくる子どもを殴る。精神分裂病(現統合失調症)を引き起こす典型的なダブルバインドである。


 これまで本当に本当に理解できなかったことだ。教団本部も本部の教学担当者たちも説明できなかったことのはず。
 でも、文鮮明(メシア教)と西川勝(人格完成教)との信仰が違っていたという指摘を聞いて、これまた氷解した。
 文鮮明の「ために生きる」とは、神のために生きるということ。結局のところ、神〓神の代理人・文鮮明(俺)のために-である。西川の「ために生きる」とは、文字通りの意味「人のために生きる」である
 目からウロコでした。うずらの卵さんとhitosatoさんに心から感謝します。

(3)韓鶴子の家庭連合はもちろんのこと、家庭平和協会の文顯進も、サンクチュアリ教会の文亨進も、統一教会を総括しなかった(できなかった)ために、文鮮明の教義(彼の韓国語発言は大半が公にされていない。すべて持っているのはちゃぬさんとgildongさん)と、西川勝の教義との違いを認識できなかった。
 それゆえに、「個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということです」-を止揚することができず、家庭連合は韓鶴子絶対主義、家庭平和協会は顯進絶対主義、サ教は亨進絶対主義に陥り、新たな団体として成長・発展することができないのだ。
 南無阿弥陀仏、アッサラーム・アライクム、ア-メン、ア-ジュ(;_;)

追記(12月3日)
 私が常々教示いただいている「神々の黄昏」さんが今回の2つの記事(2つの投稿)で、誤解釈している原因はやはり用語問題だと思います。
「個性完成とは心と体が神を中心として完全に一体化した状態ということだから、子供が成長して知・情・意が機能を十分果たせるようになり、実際に体の行い、即ち生活において真・美・善を正しく理解し、また創造、実践できる器になるということである」(神々さんが現役信者と仮定して説明した言葉)
 これにしても、とても苦しい。
「個性」〓個々の人(物)をそれぞれ特徴づけているる性格
「完成」〓完全に出来上がること

 あまり相性がいいとは思えない「個性」と「完成」の合体である。統一ワ-ルドには、前回の記事ですでに指摘したように、定義できるような用語などありません。みんな勝手に思い思いしゃべっているだけです。「神」一つとってそうです。数十年間にわたって!
 繰り返すのはいやですが、
「いつも私のとなりに神さま」の教団公職者の「神様」と、「神と共に生きる真なる息子娘として」のブログを綴っている教団会長の次男が語る「神様」とは同じなのか!?
-ということなのです。
 この単純な質問に、おそらく統一ワ-ルドの人たちは誰も答えることができないはずです。
 つまり、統一ワ-ルドにとっての「神」とは--
「良心」であったり「中心」であったり「メシア」であったり「神の代理人」であったり「天」であったり「天宙」であったり「王」であったり、「ために生きる利他心」であったり
(つまり幼稚園児のオママゴト)
--何でもいいのです。


-次回は「♪こんな女に誰がした♪」-乞ご期待

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コメント

私の感想

個人神と組織神の区別を指摘された米本さんと、その葛藤の問題の更なる説明をされたうずらの卵さんに感謝です。

実はこの問題は、私自身が一個人としてかなり深い神体験(聖書的な愛の人格神の体験)をして入教して組織活動に入ってから3年位経った時に気か付いて悩んだ問題でした。あの素晴らしい愛の神を体験したはずなのに、忙しく激しい教会活動が外的になると、そのような神が見当たらなくなってしまったように感じたのです。このままでは教会が果たして発展するのだろうかとさえ思いました。

それから、この問題はこの自分自身にもあったことを告白します。一方では素晴らしい神体験をしたはずの自分なのに、部下に対して向かう時は傲慢にも裁いたり怒ったりもしました。親の言うことを聴かない自分の子供に対しても、ひどく叱ったりもしました。悪い意味での組織神が頭をもたげてきたのでしょう。

でも、文鮮明師を擁護する一言だけここで言わせてください。私の理解によれば、文先生は愛なる神の悲しみの涙を強烈に体験したので(個人神)、神の願いを最短距離で成すにはどうしたらいいかのみを考えて、無理を承知で次々と組織的活動を指示した(組織神)のだと思います。文先生の本来の考えでは個人神と組織神とは一つでならなかったはずだと思いますが、私達がその早いスピードに付いて行けなかったのが実情だったのだと思います。

キリスト教は原則的に霊的・彼岸的な宗教なので、神の国を人間の努力で地上に作るという考えは薄いです。なので、個人神と組織神の葛藤の問題はそんなに生じてこないと思います。しかし、統一運動は天上だけでなく地上にも神の国を作るというとんでもない課題を抱えているので、この問題が生じるのは当然なのだと思います。

早く個人神と組織神の葛藤の問題を解決するためにも、このブログに示された様々な批判を受け入れて勉強するような統一運動であって欲しいと思います。

誤 → 正

誤: 「個人神と組織神とは一つでならなかったはずだ」

正: 「個人神と組織神とは一つでなければならなかったはずだ」

教義解釈に対する感想

>統一教会の教義において、個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということでもあります。これこそ、教祖や側近が認識する組織神です。

>人格完成して天国を造る処が統一教会と思っている信者にとって、自分の良心に反するような原理の善が上から伝達されてきたとすれば組識神、すなわち創造本然(原理)の善と個人神(シックの良心)によって葛藤するのは当然のように思います。

 しかし、組織神に従わないと最悪の場合サタン扱いされてしまうため、しぶしぶ組織神に従うようになり、それが習慣化されると自分の良心が麻痺し人間性が喪失していくのではないでしょうか。

>1つ目の神観はシックの誤解(個性完成=人格完成と思い込み、真の愛を相続するなどの人格の完成を目指すことが神の喜びだと誤認している)による世間一般の常識や良心をベースとした神観です。
 
 2つ目の神観(教会的に正しい神観)は、「個性完成した人間=神の命令の代理者たるメシアや上層部の命令を忠実に実行する人間」が、メシア王国実現(メシアが考える理想社会・専制君主制のような国家)の僕としてお上の命令を忠実に実行することを善と考える神観です。
 
>中には個人神を信仰する幹部もいると思いますが、教会上層部は組織神を信じている人が多いと思います。


 「うずらの卵」さんは‘火の粉’コメントに投稿された試論について「間違いや論理の矛盾があるかもしれません。もしありましたらご指摘ください。よろしくお願いします。」と冒頭で謙虚に述べており、真面目な人柄であるのを感じ、好感が持てます。
 統一教会=家庭連合の教義は基本的に原理講論が骨格となっていますので、本来は原理講論を研究すれば統一教会=家庭連合の特性についても完全に理解できるはずなのですが、実際はそう簡単ではありません。
 つまり、原理講論は一つの書物で、体系化された内容が書かれているのですが、教団の創始者であり、また再臨主として信じられている文鮮明氏は原理講論とは違った解釈で‘原理用語’を使うことがあり、時には相反するような主張を述べることさえあるのです。
 もし、文氏が教団の中で再臨主という立場ではなく、原理講論がより権威がある聖書のようなものであったなら、文氏は教義から外れた異端者になる可能性さえあるのです。
 しかし、その原理講論には文氏こそが再臨主であると分かるような説明があり、原理講論を絶対化するなら、結局は文氏を絶対化せねばならなくなるのです。
 それは原理講論が自らの内容に反する主張をする人物を絶対化せよと述べていることにもなるのですから、考えれば考えるほど訳がわからなくなってしまうのです。
 結局、それを合理的に理解しようとすれば、原理講論は文氏の思想を表したものではなく、ただ自分を再臨のメシアとして宣伝するために利用した形だけの聖典であったというように思うしかないのです。

 「六マリアの悲劇」によれば、原理講論を執筆した劉孝元氏が原本の内容について文氏に質問したところ、文氏はまったく答えられなかったとのことですから、知的には文氏よりも原理講論を執筆した劉孝元氏の方がレベルが高いことになります。
 しかし、文氏は自分が語る「み言」こそが神の「み言」であり、絶対であると主張する訳ですから、知的な信者は混乱するようになり、『幼稚思考』になりきった人間でなければ、統一教会=家庭連合の教義については真面目に語れなくなるのです。
 そして、厳密に検討すれば矛盾が見つかるとは言え、原理講論の方が文氏の「み言」よりも説得力があり、理論的にも整っていますから、知的な信者は原理講論の方をより重視するようになり、文氏がそれと相反するようなことを語った場合は「何か深い訳がある」と思って、思考停止し、疑問を打ち消してしまうのです。
 それが「カルト」信仰の恐ろしいところでもあります。

 統一教会=家庭連合の教義はそのように混沌としていますので、何が真の教義かという問題には簡単に答えを出せないと思います。
 日本家庭連合と三男派、七男派の信者たちにおいても、おそらく一人々考え方が違うと思いますし、大きくは「み言」派と原理講論派に分かれるのではないかと思います。
 そして、原理講論派はそれなりに知性を使って教義について考えている人が多いと思います。
 実際には現在の日本の信者などはほとんどが「み言」派で原理講論派はかなり少ないように感じます。

 そのように考えると、「うずらの卵」さんが考察した統一教会の教義は「み言」派の教義ということになります。
 従って、原理講論派の信者であれば、「うずらの卵」さんの考察をナンセンスと捉えるようになります。
 因みに私が昔に戻って原理講論派の信者になったとしたら、上に引用した部分に対し、以下のように反論すると思います。

(現役信者になったつもりで)
 原理講論に書かれた「個性完成」とは「神の命令に絶対服従する基準を備える事」などでは断じてない。
 個性完成とは心と体が神を中心として完全に一体化した状態ということだから、子供が成長して知・情・意が機能を十分果たせるようになり、実際に体の行い、即ち生活において真・美・善を正しく理解し、また創造、実践できる器になるということである。
 服従するということ自体が心が完成されていないわけだから、そのような解釈は間違いで、全く言葉を理解していない。
 「絶対服従する基準を備える」とは悪なるものに従わず、善なる神に完全に従うということを意味するのだろうから、個性‘完成’ではなく、個性‘蘇生’というような程度のものである。

 また、個性完成の中心となるのは神の知・情・意であるから、それは個人の心に相対するものであり、組織などとは全く関係ない。
 個性完成は神の第一祝福であり、組織、社会をつくるよう神が祝福されたのは第二祝福であり、第一祝福の個性完成に組織などという概念はない。
 第二祝福において初めて組織の概念が加わってくるようになるが、その場合は神に従えと言っているのではなく、自分たちの能力で社会を拡大しなさいと言っているのである。
 組織神などとは、創造原理のどこからも概念が生まれてこない。
 それを敢えていうなら、神を中心とした全体目的ということではないのか。

「自分の良心に反するような原理の善」とは全くの意味不明。
それを言うなら「自分の良心に反するような復帰摂理の行為」ではないのか。
復帰摂理の行為は当然良心に反するような場合も生じて来るが、それは堕落した社会を変革する目的のためであって、「原理の善」ではなく、「蕩減復帰原理による過渡的な善」ということになる。

 統一教会において組織の命令が神の命令などと思っている信者はほとんどいない。
 教会員がしぶしぶ良心に反する命令にも従うのは、それが蕩減復帰原理にかなっていると思うからである。
 蕩減条件は葛藤を超えて立てていかねばならないようになっており、神の命令だから嫌なことでも行うのではなく、自分の蕩減条件のためにそうするのである。
 組織神などを意識するのは原理をまったく理解していない初心者だけである。

 しかし、「教会上層部は組織神を信じている人が多いと思います。」とは笑える。
 教会上層部には献金を中抜きする末端信者には考えられないような悪者や不倫を犯す者もいたはずだ。
 そういう一般信者よりも悪い者たちが、より厳しい組織神を信じているというのか?
 おそらく、組織神などを意識しているような初心者信仰では幹部になれないのではないか?
(以上、現役信者になったつもりで‥)

 
 私は原理講論派現役信者になったつもりで上のように書きましたが、「うずらの卵」さんが自説を裏付けるために引用した以下の原理講論の記述は特に問題がある部分です。

>原理:「天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』 」 (2) 神の喜びのための善の対象

 この部分に関しては原理講論派信者であっても疑問を持つ人が多く、原理講論の中にある失敗部分の一つとして認識されています。
 その矛盾は創造原理を読み込めば明らかであり、創造原理を読み通す中でも、その部分では違和感が生じます。
 原理講論に関して言えば、創造原理は評価することができますが、朝鮮半島の人が書いただけあって、どうしても朝鮮儒教が頭をもたげてしまうようです。

神々の黄昏さん、珍らしくヘンです。

 出発点は「三男派は家庭連合の劣化コピーではないのか?」

 これに刺激されて、「試論-統一教会の神サマ(個人神と組識神)」を小生は書き、これを読んでうずらの卵さんは「個人神と組織神とその葛藤」を投稿してくれた。
 この流れからすれば、神々さんが「現役信者になったつもりで」と注釈しながら、『原理講論』を擁護的に解釈するのはとても変なのです。どんな前向きの意義があるのか。

 統一教会の教義とは「原理講論」「ミコト」「統一思想」からなっているとされています-なんて書いて論を進めても全く意味あることではないと思います。

 教義は、統一教会がこれが経典だと指し示めしてくれればいいのだけど、教義担当は知らん顔です。430万円の函を買え、か。

ダブルスタンダード

日本食口の中に2つの信仰観が混在することはその通りなのですが、教祖がはじめから信者の奴隷化を目指したというのは違うと思います。

「西川教」が一宣教師の勘違いから派生したと仮定すると、矛盾が生じます。
当時日本だけではなく、アメリカや欧州各国にも韓国人宣教師が送られました。そのどの国も教会が定着しましたが、日本のような異様な信仰形態は見られません。
そもそも日本ですら、はじめから李氏朝鮮の奴婢になりませんかと勧誘されて来る人はいない訳で、ビデオセンターで講義される個性感性とは西川教の観点です。


私は日本信者の信仰観をダブルスタンダードと呼んでいるのですが、これは確かに存在してきましたし、組織運営の必要悪として当分なくなることはないでしょう。

私は教祖が草創期からこれを狙っていたとは思いませんが、「お父様は何も知らなかったから無罪」と無邪気に否定するつもりもありません。
必要悪と書きましたが、現体制は両班が奴婢を効率良く管理し、搾取するシステムです。
統一運動がある時期より切実な資金繰りにかられ、限られた人材(能力も含めて)で実践するには、このシステムを採用するしかなかったのかもしれません。

日本信者の間で漠然と受け入れられている考えとして、「5万50万の宣教に失敗したから、蕩減(罰)としてのその後がある」というものがあります。
本来ならいまの10倍くらいの人材で楽々行えたことなのに、教勢拡大に失敗したのだから「残った人にしわよせが来るのは仕方ない」という内容です。

問題は非人道的ですらある搾取を、教祖がどこまで把握・容認していたかにあります。
亨進氏は日本信者の家庭訪問をした際、「私はこれまで日本の食口が、狂信的で愚かだから(高額献金を)してるのだと思っていた。しかしこの人たちは痛みも悲しみも感じる生身の人間だった」と涙を流して告白しています。

非人道的搾取の現状は、「お父様に心配をおかけしてはいけない」という理由で教祖に報告されることはありませんでした。
日本信者は、教祖の前では「もっとできます、親不孝の私たちをお許し下さい」と殊勝に振る舞うことが美しい信仰だと教育されており、反対意見でも唱えようものなら「お父様の心情が分かってない残念な奴め」となじられます。

東日本大震災で日本中が悲しみに浸っているとき、こんなできごとがありました。
某篤志家がラスベガスで教祖と謁見したのですが、「震災でお父様にご心配をおかけして申し訳ありません」と謝罪したというのです。
津波で亡くなった被害者家族や原発で家をなくした被災者は、勝手にこんな謝罪などしてほしくはないと思います。
世間のことなどどうでも良い、王様に自分が認めてもらえばそれで良いという下心が見え見えです。

このような独善スタンドプレーは随所で見られ、しばしば批判される内容として江利川さんの従軍慰安婦土下座などが挙げられます。
おそらく江利川さん個人には慰安婦本人に対する同情や日本軍に対する義憤があった訳ではなく、「こうすればお父様に認めてもらえるから」という動機が100%だったと思います。

奴隷信仰を芸術の域にまで極めた信者の特徴は、
①犠牲的に真の父母に仕えた私に価値があると思っている
②真の父母はそんな私を認めてくれていると思っている
③犠牲になれない信者は不届き者であると思っている
ですが、ここでは③が重要です。

伝道されたばかりの信者がいくら西川教の理想に共鳴していたとしても、信者共同体に所属すると周囲は①と②の話ばかりしているのであり、加入したばかりの自分は③と見られていることに気付きます。
③を脱して、早く①や②で認めてもらいたいと切望するのが、信者が奴隷信仰にのめり込む心理です。

①②は聖書的価値観からすれば「玉座の右に座って栄光を受けたい」だけの幼い信仰であり、「不届き者」の足を洗ってあげる愛と謙虚さが大切ということが分かってないのです。

まとめますと、奴隷信仰は苛烈な資金繰りの必要悪として産まれた信者の自己防衛であり、類似した心理を中国共産党を賛美する人民にも見出すことができます。
http://homechurch.blog.fc2.com/blog-entry-434.html

ダブルスタンダードの弊害は、信仰初期に抱いた本来の理想が、いつまで経っても実現できないことにあります。
日本国憲法では国民の奴隷化を禁じていますが、時代に逆行した両班奴婢体制は、永久に受け入れられることはないでしょう。
原理講論にある「共生共栄共義主義」はキリスト教社会主義のようなユートピアだとあり、強欲資本主義の縮図である家庭連合とは真逆です。

教義解釈について

 神々の黄昏さん、ご指摘ありがとうございます。

 >統一教会=家庭連合の教義は基本的に原理講論が骨格となっていますので、本来は原理講論を研究すれば統一教会=家庭連合の特性についても完全に理解できるはずなのですが、実際はそう簡単ではありません。
 つまり、原理講論は一つの書物で、体系化された内容が書かれているのですが、教団の創始者であり、また再臨主として信じられている文鮮明氏は原理講論とは違った解釈で‘原理用語’を使うことがあり、時には相反するような主張を述べることさえあるのです。

>統一教会=家庭連合の教義はそのように混沌としていますので、何が真の教義かという問題には簡単に答えを出せないと思います。

 教祖が原理講論とは違った解釈で原理用語を使ったり、相反する内容も語っていたのでしたら、真の教義が何か簡単に答えを出せないという意見に納得します。ただ、私は未熟ながら、「何か深い訳がある」として思考停止するのは嫌なので、答えを探したいと思っていました。その作業として、ネット上の原理講論や統一教会に関連するブログの文章を参考にして、論考したものをパソコンのワードなどにまとめていました。今回のコメント投稿はその一部をブログのテーマに沿うように編集したものです。
 
 >厳密に検討すれば矛盾が見つかるとは言え、原理講論の方が文氏の「み言」よりも説得力があり、理論的にも整っていますから、知的な信者は原理講論の方をより重視するようになり、文氏がそれと相反するようなことを語った場合は「何か深い訳がある」と思って、思考停止し、疑問を打ち消してしまうのです。

 真の父母様宣布文に「全世界の統一教、霊界、地上界、祝福家庭食口、特にUCI指揮下にいるすべての食口たちに次の事項を指示する!
 まず、全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。」と明記されている通り、教義は、メシアを信じさせる為のみにあり、信じた後は、教義などそっちのけで、ただメシアに従順屈伏する信者であればよいということなのかもしれませんね。

 コメント投稿に「統一教会の教義において、個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということでもあります。」と書きました。その際に以下のブログ記事も参考にしました。

●信者が矛盾と不祥事にまみれた統一教会を捨てられない理由、それは人格完成して天国を造る処が統一教会と思い込んでいるからである。人格完成して天国を造るなどということは原理講論には一切書いてない(https://blogs.yahoo.co.jp/yondewanaranai/15314419.html
より全文引用はじめ<
 多くの日本統一教会の信者は、統一教会の目的は人格完成して理想世界を造ることにあると思い込んでいる。そう思い込んでるが故に、どんなに矛盾と不祥事に教会がまみれても、いつかは正常化して理想世界を造ることが出来るのだと自分に言い聞かせようとしている。
 しかし、個性完成は人格の完成とは縁もゆかりもない。個性の完成とはメシアへの隷属性の完成であり、それを象徴し証拠立てるのが「絶対服従せよ」という言葉なのである。そもそも創造目的とする天国とはどういうものかをはっきり知れば、この誤解は解ける。

 『天国は神の本性相と本形状のとおりに、個性を完成した人間一人の容貌に似た世界であるということを、我々は知ることができる。人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』 (二) 神の喜びのための善の対象

 天国は、個性を完成した人間一人の容貌に似た世界であると明記されている。ではその容貌とは何かというと、神の命令のままに心が動き、その心の命令に体が動じ静じるという事だ。その容貌に似るから、天国は神の命令が人類の真の父母を通して、伝達されて、一つの目的に向かって動じ静じることになるのだと言うのである。

 別の表現を見てみよう。
 『被造世界は完成した人間一人の構造を基本として創造された。そればかりでなく、完成した人間によって実現される理想社会も、やはり完成した人間一人の構造と機能に似ているようになっているのである。人体のすべての器官が頭脳の命令によって起動するように、理想社会のすべての機関も神からの命令によってのみ営為されなければならない。』   (二)三権分立の原理的意義

 個性完成した人間とは、神の命令を忠実に実行する人間であり、そのような人間で構成された社会であって初めて神の命令が社会の隅々まで行き渡る社会となるということをこれらの文章は示している。神の命令のままに動く天国という社会を造る為には、一人一人が神の命令に絶対服従できるようになっていなければならないのである。だから個性完成とは神の命令に絶対服従する基準となるのである。それはとりもなおさずメシアの命令に絶対服従するということでもある。

 西川先生が最初に教義を誤解して「人格完成をして理想世界を造る」のが統一教会だと思い込んだ為に、多くの信者がその前提の上で統一教会を見るようになってしまったのである。しかし、統一教会が説く天国とは、人格の完成した人が集う所では無い。神への、即ちメシアへの絶対服従を実践できる人が集う処なのである。この事実を事実として捉えることができない人は、やがて深い後悔の念にかられることになるだろう。
ただ、既に組織の中枢部で甘い汁を吸っている人は、後悔はしないだろうけど。
>引用おわり

 知的な信者は、教祖が原理と相反することを語った場合、思考を停止して疑問を打ち消すということは、それは真の父母様宣布文に明記されている「まず、全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!」ように、メシアの命令に絶対服従する姿勢をもっていると推測できます。

 完成した人間によって実現される理想社会も完成した人間一人の構造と機能に似ているとすれば、指導する立場に立った者は、メシアが信者に対して「神(実際には神の代理人)の命令に絶対服従」できるように指導したように、指導を受ける立場の者に対しても同様に絶対服従またはそこまでは至らずとも自分に従わせようと指示・命令を中心とするような指導を行うのではないでしょうか。(教会長なら末端信者に、親なら子に対して)

 最後に原理講論から
『神の第一祝福は個性を完成することにある。
人間が個性を完成しようとすれば、
神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、
合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。

神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、
神の宮となって(コリントⅠ三・16)、
神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、
神性をもつようになり、
神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、
そのみ旨に従って生活をするようになる。
このように個性を完成した人間は、神を中心としたその心の実体対象となり、したがって、神の実体対象となる。
ここで、その心と神は、このような実体対象からくる刺激によって、
それ自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるので、
喜びに満ちることができるのである。
それゆえに、人間が神の第一祝福を完成すれば、それは神の喜びのための善の対象となるのである。
このように、個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、
神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。』
 第三節 創 造 目 的(一) 被造世界を創造された目的より

『個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、
神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。』
創造原理  第三節 創 造 目 的(一) 被造世界を創造された目的

しかし、原理講論に「個性を完成した人間は絶対に堕落することはない」と記載されているのに、離婚どころか不倫をし、婚外子を出産した子女まで現れてしまいました。
 これは教義の破綻なので、原理講論を研究しても現実的にはあまり役立たないような気がしました。

コメントの再録に感謝します

 私のコメント投稿文を再録していただき、ありがとうございます。
 あの投稿ができたのは、ネット上に教会の資料考察しブログにまとめてくれた方々のおかげ様です。

 投稿文の中で補足・修正したい箇所がありました。
●「葛藤」についての補足
 信者の葛藤を別の角度から見ると、信者は自己中心の心と「ために生きる」利他心との葛藤もあったと思います。
 いわゆる善悪の葛藤のことです。言い方を変えれば「自分の欲望を満たしたい利己心」と「ために生きる利他心」との葛藤です。個人神と組織神の葛藤というよりはこちらの言い方の方が適切かもしれません。
 信者にとっては、目指すべきは「人格の完成、人のために生きる」と思っているとしても、教会としては信者が「メシアのために生きる(従順に従う)」ことを目指し、指導者の立場としてはそのような指示・命令・教育をする傾向なのだと推測します。
(正体を隠した伝道活動の指示、終わらない高額な献金要請など)
 組織神という表現は不適切とのご意見がありましたので、このように修正しました。
 
 メシアに絶対服従の極至は、祝福結婚式において自分の配偶者の決定をメシアに委ねることです。自分の人生の大きな選択を教祖に委ねるのはもちろん一朝一夕には身に付かないので、信仰生活(教会指導者の指導など)を通して葛藤を乗り越えながらメシア(教祖)の命令に絶対服従する基準を備えていったのだと推測します。復帰摂理における蕩減復帰は理想世界実現のためであるし、その理想世界はメシアに絶対服従する独裁の国家、メシア王国「天一国」であるので、復帰摂理の活動は独裁国家建国に加担することを意味します。

原理:「天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。』 」 (2) 神の喜びのための善の対象
 
 原理:『神からの命令は、脊髄に該当するキリストと、キリストを中心とする末梢神経に該当する聖徒たちを通じて、社会全体に漏れなく及ばなければならない。』)


(シックの認識する「ために生きる」は文字通り「人のために生きる(西川教)」ですが、教会指導の中では「メシア(或はその代理人)のために生きる(メシア教)」です。この認識のすれ違いが悲劇を生むのは投稿文に書いた通りです。)

 西川氏が善意の誤解で日本に伝え広まった「人格の完成を目指し、心情と良心を大切に信仰生活を指導していた」いわゆる西川教は、韓国人牧会者が日本に大勢やってきて本来のメシア教が色濃くなり、西川氏が日本統一教会を追放されても一部の信者の心の中に脈々と受け継がれていったのだと思います。 
 それを受け継いだ信者が伝道に成功すれば、伝道された人が(最初のうちは)「教会には愛がある。人格の完成を目指すことが神の願い」などと認識するのも仕方なかったのかもしれません。

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妄想の神を信じる統一教会3派

>「文鮮明と西川勝(崔翔翼)の信仰がまるで違う」といった指摘は、衝撃的だった。でも、<なるほど!そうだったのか>
「献金が足りないから東北大震災が起きた」とのたまわった中抜きの前総会長、「献金が足りないから子どもが自殺したんだ」と平然と語った横浜・青葉台の教会長。
 その一方で、「ために生きる」「本然の人間性を取り戻す」「人格の完成」-を口にするシックたち。ブログ村の多くのブロガ-がそうである。
 矛盾もいいとこ。いや矛盾どころか精神が分裂 している。
 愛していると言いながら、近寄ってくる子どもを殴る。精神分裂病(現統合失調症)を引き起こす典型的なダブルバインドである。

>家庭連合は韓鶴子絶対主義、家庭平和協会は顕進絶対主義、サ教会は亨進絶対主義に陥り、新たな団体として成長発展することができない。

この感想に同意、同意! この団体に傾倒すればするほど、おかしくなります。これが正しい、自分の所が正しいという絶対的なものを3派がすでに設置していて、矛盾と混乱を招いているのですから。このような団体にホントの神サマはいないでしょう。何かの目的のために人工的に作られた人工宗教だと思います。
いまだに、韓国と韓鶴子のために金集めをしている団体が、本当の神を崇拝する宗教にあらずです。
めったやたらに、講和や会話や祈りの中に、神サマ~神サマ、オトーサマ、オカーサマと言いまくる牧会者や、巡回師など、違和感を覚えます。特に、3男派の櫻井女史や7男派の江利川女史。日本人としてのアイデンティイを失い、妄想の神と文鮮明の妾の立場で(江利川女史は、そのように講義している)自己満足しているようにしか見えません。
3男を支持する櫻井女史は~南北統一はオトーサマの夢~神サマ、オトーサマという前に、日韓・日朝の歴史を正しく認識されたし。徳野会長、櫻井女史、江利川女史の崇拝する神サマは、韓国やアメリカに忠誠を誓わせようとする人工の神サマ。韓女史の日本講演後の徳野会長の話が「いつも私の隣に神サマ」のブログにでている。オカーサマは、日本が歴史的な罪を完全に清算し、「トウゲンのない母の国」になることが願われましたとさ。
どんな、神サマを信じて、こんなことを平気で発信し、日本人信者を貶めつづけるのだろうか。統一教会3派は、日本人の誇りや愛国精神を忘れた売国奴。

統一悪魔教

個性完成は人格完成のことではなく、神の命令に絶対服従すること、すなわち、文鮮明に絶対服従すること、
幹部連中は皆そういう認識だったのか?
金・名誉・権力・承認欲求…皆、妄想に憑りつかれた集団。

個人的には、最初、個性完成=人格完成=愛の完成者という認識だった。イエスキリストを超えるイメージで捉えていた。
そして、宗教活動というよりも社会運動として捉えていた。

血統転換だけはずーと疑問だったけれど、結局、血統転換なんて、ドラキュラ、スーパーナチュラル、ハリーポッターなどに出てくるホラー・オカルトの魔の純血儀式と同じ。

文鮮明は晩年、自分を神と公言してたと思うけど、神どころか、完全悪魔じゃないか!韓鶴子も同じ。
こんなんで、何が伝道か!何が献金か!完全バカじゃん。

うずらの卵さん、献金する前に投稿してほしかった。
いや、文鮮明の言葉をちゃんと見極めなかった自業自得か。
文鮮明は人の善意を食らって生きてきて、彼に群がる者たちはそのおこぼれで生きてきた。何が天国か!
なんちゅう、人生か!

加えて言えば、
日本人は昔から、単独で世界に出ていき、世界のその地に住む人々のために生きてきた・今も生きている人たちがたくさんいることがテレビで明らかにされてますが、文家の人間(子達)を悲劇の主人公の如く話し、侍義献金までさせ、どんだけやりたい放題してきたか・させられてきたか、そして、鮮明亡き後、次にその子たちに依存する。どんだけ依存体質なのか!
誰にも知られず孤高の存在として世界に貢献してる人達もいるのに、自立できない群れ、徒党を組んでわいわいするのが人生か?
・・・と思う。
外に救いを求め、祈れば何とかしてくれる、神様が何とかしてくれる、誰かが何とかしてくれる、どんだけ旧約時代か?
そうやって死んでいくのか?子供は巻き込むな!

統一教会人は、人の弱みに付け込んで、自分の思い通りにしようとする、金を出させることが救いと信じ込んでいる、バカの極みそのものだ。
サタンのせいだ!サタンがそうさせている、先祖が悪い、日本の罪のせいだ、・・・ 

だから、どうした、全部受けてやるよ、それが人生だ。

追記2つを書きました。

 読んでいただければ。
 ペコリです。

もはや過去のこと?

個性完成(=人格完成)を目指しながら、全くそうなる気配のない食口。地上天国実現と言いながら、こんな食口たちでどんな天国ができるの?
と、教団にどっぷり浸かって数十年。何かおかしいなと感じなながらも今なお教団に留まっている自分です。

>多くの日本統一教会の信者は、統一教会の目的は人格完成して理想世界を造ることにあると思い込んでいる。そう思い込んでるが故に、どんなに矛盾と不祥事に教会がまみれても、いつかは正常化して理想世界を造ることが出来るのだと自分に言い聞かせようとしている。

全くこの通りだと思います。
しかし、100%その通りと納得しきれない自分があるのも事実です。
その理由の一つは、あまりに多くの時間と犠牲を捧げてきて、それゆえ教団を否定することが、現在の自分自信を否定することとイコールになってしまうからです。
特に統一教会食口は祝福結婚を通過しているがゆえに、教団の否定は自分の家族の否定にもつながりかねないという、あまりに大きな葛藤を抱えています。

家庭平和協会やサンクチュアリ教会に行く人たちも、その葛藤ゆえに逃げ道を求めて行っている人もいるのではないでしょうか。

食口たちは、人格完成と理想世界実現を目指して集まっているのですから、教団が批判を謙虚に受け止めて、過去の過ちを総括できる教団であれば、生まれ変わって再び立て直す事は不可能ではないと思いますが、それは期待できそうにありません。

この記事を読んで感じました。
歴史上の出来事を、後世の人々が批判し論評してるようだと。
統一教会の歴史は、もはや過去の遺物になりつつあるのかもしれません。

統一は理想世界の夢を見ただけ

つまり、人間の中の理想論を、よくもうまい具合に操ったのが統一ということです。人間誰しもが持つ理想・平和・幸福観を、まるで人参を吊るした馬のように、うまく使ってまんまと引っかかってしまったのが、我々ということです。それはまるで、よく出来た映画のようで、映画を観終わっても、まだ映画の世界から抜けきれない感覚に似ています。個性完成などと謳ったところで、それもありもしない幻影でしかない。どんなに修行しようが、悟りを開こうがそんな境地になど行けない。それもまた、人参だ。西川氏の夢見た個人神もまた、理想論でしかなく、皆んなで同じ光景を思い描くあたりは、吉本隆明の共同幻想論とかわらない。まあ、そもそも、八百万の神しかしらん日本人に明確な神観を植え付けるのは無理。結局みんな理想世界という夢を見ただけなのよ。
  • [2017/12/04 00:11]
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個性完成という言葉は、教団のなかのことば。一般では使われない。

>個性=個々人(物)をそれぞれ特徴づけている性格
完成=完全に出来上がること
あまり、相性がいいとは思えない「個性」と「個性」の合体である<

一般的には、個性を生かす、とか個性を伸ばすと言いますよね。個性を完成するとは、一般的には使わないと思います。

私は、原理の本を全部読んだことは、ありませんが、その箇所がネットにありました。

・神の第一祝福は個性を完成することにある。人間が個性を完成しようとすれば、神の二性性相の対象として分立された心と体とが、授受作用によって、合性一体化して、それ自体において、神を中心として個体的な四位基台をつくらなければならない。神を中心として心と体とが創造本然の四位基台を完成した人間は、神の宮となって(コリント・三・16)、神と一体となるので(ヨハネ一四・20)、神性をもつようになり、神の心情を体恤することによって神のみ旨を知り、そのみ旨に従って生活をするようになる。このように個性を完成した人間は、神を中心としたその心の実体対象となり、したがって、神の実体対象となる。ここで、その心と神は、このような実体対象からくる刺激によって、それ自体の性相と形状とを相対的に感ずることができるので、喜びに満ちることができるのである。そうであるから、個性を完成した人間は、神の喜怒哀楽を直ちにそれ自体のものとして感ずるようになり、神が悲しむ犯罪行為をすることができなくなるので、絶対に堕落することがない。
.
.
.
天国においては、神の命令が人類の真の父母を通してすべての子女たちに、伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。

教団に入信する過程は、修錬会で原理を教えられ(教え込まれ)教義に賛同し、文鮮明をメシヤ・真の父母として受け入れる。現在は、韓鶴子が独生女のメシヤ。その時点で反論したりした人は、入教してないでしょう。それに、試験もあるから、当然、原理用語を暗記するでしょう。
しかし、よく読めば、信者を都合のよいように、コントロールできる洗脳本ともとれます。統率しやすい。

だから、日本にいる日本人だけ、苦労と犠牲が強いられてきたのです。

ネットには、原理の間違いとか原理の矛盾なんて記事もあります。

教団の神サマは、紙サマ。

Re: ダブルスタンダード

 記事の全文を否定するつもりはありませんが、前後の文がそれぞれにかなり矛盾しています。
 再度、黙考してください。

 どうして、大学を中退してまで廃品回収業をして、金をつくったのか。
 どうして、正体を隠して花売りをしたのでしょうか。
 小生は、1980年前に池袋の花売り女を「おまえ、統一だろうが」とどつきました。
 当時の小生の月給は6万円。花売りは日給2万円。月にすると60万円です。
<証言は777の御夫婦>

 善きサマリア人さん、論より具体的事実が欲しいです。
 何を見たのですか。

Re: 追記2つを書きました。

 ご無沙汰しています。
 そうですね。非教会員である米本さんとって原理用語は理解しがたいかもしれません。原理を受講した時からずっとこの用語に私も違和感を覚えていました。「個性完成」は「個性発揮」、「人格完成」は「人格形成」として自分なりに区別して解釈しています。完成と言う言葉は物事の完成をイメージしてしまうからです。またもう一つ気になる用語「子女繁殖」は「子孫繁栄」へと置き換えたいですね。繁殖は動物繁殖のようで不快な気持ちになります。
そして、私にとっての神様は、無形なる命の親であり、自然界は人間を含めて神の創造作品であると思っています。 
「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない。」新約聖書 ローマ人への手紙第1章20節より

 都会生活から田舎へ環故郷した当時は、山々の緑が眩しくて感動したものです。秋になって咲く不思議な紫の朝顔が、今年も窓の外から冷たい風に揺らぎながら「今日も、頑張って咲いているよ。」と言っているかのようです。四季折々の神様の恵みに感謝します。

コトさん、感謝です。

>原理を受講した時からずっとこの用語に私も違和感を覚えていました。

 シックだって同じ、ということが分かって良かったです。

 また初めての神についての投稿。感謝です。
>自然界は人間を含めて神の創造作品
>秋になって咲く不思議な紫の朝顔が、今年も窓の外から冷たい風に揺らぎながら「今日も、頑張って咲いているよ。」と言っているかのようです。四季折々の神様の恵みに感謝します。

 神が人間をつくったとはまるで思っていませんが、違和なく読めます。
 お月さんに拝むのもいいです。
 郷土の山中鹿之助はより激しく「我に七難八苦を与え給え」と月に向って祈っていたといいます。

 お月さんは、金を寄こせとは言いません。

今を解き明かす分析

 ウルトラ仮面さん、投稿感謝です。
 次の指摘は本質的です。

(どんなに矛盾と不祥事に教会がまみれても、いつかは正常化して理想世界を造ることが出来るのだと自分に言い聞かせようとしている)
あまりに多くの時間と犠牲を捧げてきて、それゆえ教団を否定することが、現在の自分自信を否定することとイコールになってしまうからです。
特に統一教会食口は祝福結婚を通過しているがゆえに、教団の否定は自分の家族の否定にもつながりかねないという、あまりに大きな葛藤を抱えています。
家庭平和協会やサンクチュアリ教会に行く人たちも、その葛藤ゆえに逃げ道を求めて行っている人もいるのではないでしょうか。

今を解き明かす分析(2)

家庭平和協会やサンクチュアリ教会に行く人たちも、その葛藤ゆえに逃げ道を求めて行っている人もいるのではないでしょうか。

 この記事を読んでください。

●cocoaのブログ
●FPA創設大会に行って来ました ! !
https://ameblo.jp/tldo5223/entry-12333612853.html

 すごすぎです。初めて月に到着したときのアナウンスみたいです。

今を解き明かす分析(3)

教団の否定は自分の家族の否定にもつながりかねないという、あまりに大きな葛藤を抱えています。

 こうした衝撃的な葛藤は、過去にもいくつか体験しているはずです。

 一番身近なのは、ベルリンの壁の崩解です。一夜にして世界の一角(政治・文化・思想)が消失しました。
 どうやって、盲信左翼活動家が「自己否定」と向きあったのか。
 勉強課題が増えました。ぺこり

統一教会の矛盾の肝を分かり易く分析されています。私の頭で纏めてコメントするのが難しいので個別にコメントさせて頂きます!①

>組織神対個人神 違法行為対良心 個性完成対人格完成 文鮮明対西川勝 個人神と組織神とその葛藤<

現役食口が統一教会の矛盾点に気付くには分かり易い対比例だと思います!

 >しかし信者の中には個性完成をイコール人格完成というように間違えて捉えてしまう人もいます<

私もその様に今まで思い込んでいました。殆どの信者がそう捉えていると推測します。

私の朝鮮人相対者の霊の親も韓国の統一教会のある程度高い地位についていたし、朝鮮人相対者曰く、"実はもっと上の地位を薦められて来たが、本人が自分は自由に動きたいからと言ってこれまで断って来た"との事でした。(笑)

私も朝鮮人相対者の霊の親で個性完成して重生完成者を見て来ました(笑) 重生完成朝鮮人牧会者曰く"私はどんな人(例えば大統領等)に会っても、自然と主管(相手が頭を下げて来る様に成る)してしまうのです"(笑) また、"自然と私の周りに女性が集まるのです(女性の本心が完成したアダム(男)を慕い求める様に成っているから))"だそうです(笑)……確かに自信家で策士でした。
元々が他の朝鮮混淫派カルト宗教出身で完成して永遠の命を得る為に祈る事や霊界と通じる人間に成る事を重要視してる朝鮮混淫派カルト宗教団体だった様で、本人も統一教会に入って来た時に、信者の神に対する信仰が弱くてビックリしたそうです。……朴ポーヒ氏や郭ジョンファン氏も霊界が殆ど見えてないだろうと言っていました。……郭ジョンファン氏が金孝南氏に頭を深々と下げるところからも分かると言っていました。

若気の至りで高過ぎる?理想(実は妄想)に嵌った私がアホでした!凡人は凡人としての自分の人生を歩まないと不幸(人生丸ごと詐欺)に成ります!②

>「神の摂理」を具体的な社会活動として解釈する考え方<

神の摂理と言った場合は無形なものも含めて範囲が非常に広いと思いますが、普通〜摂理と言った場合は社会的活動が中心でノルマ(実績)を果たす為の活動でした。

>神と人間は親子(人は神の子)という認識のように神を擬人化している<

私は未だに神は全ての神の創造物の霊長として人間を創造されたと考えたいと思っています。そして、神は全ての万物の創造主で有る故に万物の中に神様の性稟がそれ相応に有ると考えています。勿論、神を人間の姿形の様に擬人化する訳では無いですが、愛や知性、etc等人間は無形なる神に1番近い有形な神の創造物(神の子)だと考えたいと思っています。

>個性完成と聞くと、「素晴らしい人格を完成」させることだと思いがちですが、教会の言う個性完成はそうではありません。統一教会の教義において、個性完成とは神の命令に絶対服従する基準を備える事であり、それはメシア(教祖)の命令に絶対服従するということでもあります。これこそ、教祖や側近が認識する組織神です。その根拠については<2>に書きます<

実際、統一教会の文鮮明教祖や幹部達が何よりも第1に信者に期待し願ったのは、上記の様な組織の命令に忠実に従い、その命令を実績(金や伝道)を持って忠実に果たせる人間でした。(組織の従順なネジ(奴隷)に成る事)

しかし、私は個性完成とは堕落性を脱ぐ為の蕩減条件を立てながら、教義(知性)を修得して原理の生活化が自然と出来る人間に成り、祈りを通して自分の心霊を神の立場(堕落前の立場)にまで高めて、神の愛と心情を感じ悟れる人間に成り、神の愛を人々に自発的に与えて実践して生活出来る人間に成る事だと思っていました。そして、それは、その時その時の摂理的責任(外的実績)を果たす中で個性完成の道を自分自身の責任として完成すべきものだと思っていました。……しかし、私は全く無理でした!笑(凡人は凡人らしく生きた方が幸せだと今は遅かりしながら思っています)

③歴史の終末に人類の救世主(再臨のキリスト)が来て神の国を創ると有りますが、統一教会の再臨主は朝鮮カルト民族の救世主ですから統一教会信者の良心は一般社会の良心と懸け離れている上に日本を貶めて侮辱する事が統一教会信者の良心と言っても過言では無いと思います。

>世界における人間の位置について、「神はこの世界を直接主管なさらずに、この世界に対する感性を備えた人間を創造され、彼(おそらく教祖)をして被造世界を直接主管するようになされた」そうです。<

文鮮明教祖以外は全ての人類は堕落人間ですから、初めは神と一体化されている文鮮明教祖(イエスキリストの生まれ代わり)によって被造世界を直接主管する事に成ると私も当然の様に考えていました。……だから神と唯一血統的に繋がり、神の願いと心情を唯一知っていらっしゃるメシア(再臨主)文鮮明教祖の命令に絶対的に従う事こそが神の願われる創造本然の世界(地上天国)を創る為の唯一無二の道だと信じました(日本統一教会信者の殆どがそう信じていたと思います)

私も、イエス(メシア)の成し得なかった目的(神の血統の家庭と神主権国家と世界の統一=地上天国)を成し遂げる為には責任者(アベル)から与えられる命令こそがメシアである文鮮明教祖の命令だから、絶対死守すべきと教育され、そう思って(狂信者に成って)やって来ました。……そして文鮮明教祖亡き後は原罪が無い神の血統で神に直接的に繋がっている神の神性と神の能力を宿していると信じていた文鮮明教祖の実の子供達を中心に祝福の2世以下の子女達が自然と世界を主管する(世界各国、世界各エリアを神の権能で支配する)と文鮮明教祖も言っていたし、私も、そう信じていました。(文鮮明教祖を終末に現れる唯一無二のイエスの生まれ代わりの再臨のメシアと妄信盲信猛進した私がバカでした!🙌)
 
>人間がその無知によって、創造本然のものと基準を異にする善を立てるようになるときにも、良心はその善を指向するが、本心はこれに反発して、良心をその本心が指向する方へと引き戻す作用をする」そうです。<

上記の原理講論の言う通りだと私も考えます。

>(注:上記の「良心」はこの文中での意味であり、辞書では「社会一般的な価値観(規範意識)に照らして、ことの可否ないし善悪を測る心の働きのこと」を意味します。教会のいう良心は自分勝手ですね)<

統一教会信者は人の良い騙され易い人が多いと思います。その為に本来は統一教会信者の良心と一般社会人の良心は同じだったと思います。しかし、統一教会信者に成ると、原理講論の教義+韓鶴子氏が言っている様に、"マコトの父母の命令は国の法律の上に有る!"に尽きると思います。……神様で有りメシアで有る独生女韓鶴子氏からすれば、社会の法律は所詮サタン世界の法律です。文鮮明教祖や韓鶴子独生女が自分こそ神の代身者のメシアと信じている限り、自分の命令こそが神の命令で絶対善なので、信者も文鮮明教祖や韓鶴子独生女は神と共に有ると妄信しているので、文鮮明教祖や韓鶴子独生女に従う事こそが善で有り良心に従う事だと妄信しているのだと思います。……しかし、本心には葛藤が有ると思います。

前の③で言い損ねました。

文鮮明教祖や韓鶴子氏や亨進氏や顕進氏を神の唯一無二の血統を受け継いだ人類の救世主と信じている限り、彼等の命令こそが絶対善でその命令に従い行う事こそが本心の願いで良心に従っているのだと信じ思い込む様に成ります。……そうすると、どうなるか?……神と関係無い偽物に従うと、本心が鈍って来て良心基準がだんだん一般社会人の良心と懸け離れて来ても、おかしい!と感じなくなるのです。(私の経験から)

信仰の初期に人の良かった統一教会信者達も、本心基準から離れた悪行を善行と信じ思い込んでやって行く内に、だんだん悪に染まって行って、本心が曇る事で本来の良心が完全に鈍るので、日本統一教会の昔立派だったと思っていた先輩信者も、今の私の目からはおかしく成られた!と感じる方も出て来ています。

これが、悪魔の朝鮮カルトの為せる業で定めかもしれません。

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恨憎反日朝鮮人は日本から追い出せ!…天皇を尊び日本国の為に日本人として生きる在日朝鮮人で日本国籍に成る方々は応援したいです!

まだまだ、コメントする予定でしたが、馬鹿な私にとって現在思考する余裕がない為にすいません!……思考する余裕が出来たらまたコメントさせて頂きます!

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