是是非非主義の実践は難しい(´・_・`)
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一筆一論(33)
「是是非非主義」とは「よいことをよい、悪いことを悪いとする、公平無私な主義」(『新明解国語辞典』)のこと。
子どもをしつける場合、親は「よいことをよい、悪いことを悪い」として教えるはず。逆に、「よいことを悪い、悪いことをよい」なんて教える親はいないだろう。こんなあたりまえのことが、どうして「~~主義」となるのか。
首を傾げませんか。
昨今、政治の世界が混迷しているようだが、ある党の幹部のこんな言葉を聞くと、首を傾げてしまう。
「今回は是々非々でやりましょう」
(字が間違っている!「是は是、非は非」なのだから、是是非非と書かなければならない。もっとも小生も「是々非々」と書いていたかも。恥ッ)
是是非非を唱えたのは、性悪説で有名な中国の古代思想家・荀子である。ウィキの荀子に目を通してもらいたい。
ここに掲載してある「訳注書」を読んで、荀子の思想をある程度消化して書こうと考えていたが、紀元前の「斎」や「楚」の時代を知らなければ、言葉の真の意味は分からない。門外漢の小生がまじめにやっても、1、2年はかかる。それにざっと目を通したが、「性悪説」に関する記述は多かったが、「是是非非主義」を展開している『修身』にそれほどの記述はなかった。
是を是とし、非を非とする。これを智と謂い(いい)、是を非として非を是とする。これを愚と謂う。良を傷つくるを(良い人を中傷するのは)讒(つげぐち)といい、良を害するのを賊(そこなうこと)と曰う。是を是と謂い、非を非と謂うを直と曰う。 (『修身』)
時代背景とは関係なく「是是非非」論である。
<是是非非の意味とは 中国の思想家 荀子(じゅんし)の言葉です。 是を是とし、非を非とする事を智とし、是を非とし、非を是とする事を愚と言う>
実に単純明快なのだが、いざ実践となると、これが実に難しいのだ。企業、役所など団体などでの「内部告発」のことを考えれば容易に想像がつくだろう。
小生が学ばせてもらっている近藤誠ドクタ-は、慶応大学の講師時代に「乳癌の手術で乳房をまるごと抉り取る手術」を告発(月刊『文藝春秋』)した結果、彼は退職するまで講師から昇格することはなかった。ちなみに、彼は慶応医学部を首席で卒業した超エリ-トだ。「非は非だ」と声をあげなければ、教授はもとより白い巨塔のトップクラスにはなっていた。
最近で思い浮かぶのは、自民党ヨイショの媒体と化しつつある読売新聞に、告発後に人格攻撃をされた前川喜平元文部官僚(加計学園問題)だろう。
話を元に。
前述した三省堂の辞典の「~~~公平無私な主義」。この「無私」を実践するのがとても難しいのだ。
組織対個人。上司対平社員。多数派対少数派(たった1人)。地域対住民個人、医師対患者、キレる夫対黙る妻などなど、想像すればいろんな場面が浮かぶだろう。
「私が正しかったのだから、あのとき堂々と言っておけば良かった」
こんな悔やんだ体験は誰もがしていると思う。
荀子が「是を是とし、非を非とする事を智とし、是を非とし、非を是とする事を愚と言う」と語ったのは、中国の愚王に対するものだったと思うが、しかし、今は「安倍は愚かだ」と述べるのは難しいことではない。それどころか、居酒屋でなら、周囲から拍手が起きるかもしれない。
私個人の体験である。
「是是非非の実践は難しい」と痛感したのは、反統一教会派がシックを拉致監禁して脱会説得する-ことに異を唱えたときである。
当時(1990年代)、私は“反カルト”記事を精力的に書いていたため、反統一教会派の人たちとは仲が良かった。それだけに拉致監禁説得のことを告発するときは当然、何らかのリアクションが予想された。
水面下の拉致監禁の実態を暴露する記事では、当然のことながら、自分の立場を明確にしなければならない。そんなとき講談社の月刊『現代』(廃刊)の若手の編集者が「是是非非」を教えてくれた。
書かれざる「宗教監禁」の恐怖と悲劇 by現代
中見出し「『宗教戦争』の様相も」の数行目から引用する。
<私は過去にヤマギシ会、法の華三法行など、様々な「カルト」(反社会的性格を持つ擬似宗教団体)の批判記事を書いてきた。そのため、カルト陣営からは”反カルト派”のライターと目されている。統一教会の機関紙では2ページにわたって顔写真つきで批判されたことがあるし、これまでに4つの団体から裁判に訴えられたこともある。その私が、いまなぜ、このような記事を書くのか首を傾げる方もいるかもしれない。そこで、麻子の話を続ける前に、統一教会に関する私の見解と、今回の記事を執筆するに至った経緯 について、触れておくことにする。
私は、「カルト」「反カルト」、あるいは「統一教会」「反統一教会」のいずれの側に与するものでもなく、どんな人間や組織であれ、社会的に批判されるべき問題点があれば、それを記事にすべきだと考えてきた。立場を問われれば「是是非非」というしかない>
この記事のハレ-ションはすごかった。
我隣でも紹介したがまだ書き足りないので、いずれ書くつもりだが(執念深い?でも蛇男ではないよ)、立場のこととは別に是是非非の実践は難しいと改めて認識するようになっている。
火の粉ブログの投稿者で、賞賛したいようなコメントは少なくない。最近では、「個人神と組織神とその葛藤」である。
評価されれば、「うずらの卵」さんだって悪い気はしない。
仮に何度か投稿してくれたあと、私がオカシイと思うような投稿が「うずらの卵」さんからあり、失当とかちょっとズレているとか否定的なレスをする。
このような場合、過剰反応する投稿者はメチャ多かった。もう火の粉のブログは読まない、投稿もしない。サイナラだ。
もう10数人にもなる。
いずれも、共感できるようなコメントを送ってくれた人たちだ。コメントのなかに0・1程度に感受できない記述があって、それを批判すると、フン!となる。
是か非かの話なのに、突然、好悪の感情が入り込んでくるのだ。最近では「プームチャイ」さんだ。こう書くとまた腹を立てるだろう。魚釣りの心境が台無しになるヨッ。
その前は、原田さんだったか。
困ったことも起きている。
小生のブログの情報源は理解しがたい話ではあろうが統一教会であった。内部改革を切に願う職員が少なからずいたのだ。
みんなで「中抜き総会長」をやっつけた。小生の記事を彼の机の上に置いたということもあったらしい。
ところが、神山威氏のことを好意的に取り上げると、また文亨進氏のサンクチュアリ教会のことを取り上げると、統一サイドから情報が寄せられなくなった。それどころか、「名誉毀損で訴えるぞッ」だ。
その一方で、文顯進派からも・サ教派からも、統一本体に関するチクリ情報が寄せられていたが、
文顯進氏の裁判のことを取り上げるようになると、
さらにまた
文亨進氏の銃のことを批判するようになると、
-情報が全く寄せられなくなった。
かくして、火の粉に情報を寄せる人は、誰もいなくなった。アガサ・クリスティじゃ。
地位・力関係・義理・人情・大義・正義・主義主張・イデオロギ-・地縁・血縁・恩義・経済関係・感情。
是是非非の実践はとても難しいのです。情報を切にお待ちしております。




ただし、是是非非主義のいいところは、束縛されることがなくなるので、誰に対してもどんな事柄に対しても自由になれることです。
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コメント
同じ穴のむじな
結局同じ穴のむじなにすぎないのだと感じてます
数十年のカルト的思考能力は決して普通の人の脳の思考回路には戻らないという現状が恐ろしくもあります
米本さんは米本さんの道理を貫いて
記事を書かれることだと思います
米本さんは事実を書いているだけなのですから
そのように感じています
しかし宗教とはそして思想とは間違ってしまえば、最後は自己破滅までいくものだと
感じています
本当に日々の実践は難しいですね…
三分割したこの団体の発端には是々非々と声大に言って一歩を踏み出した人も居たかと思いますが、
個の純奈思いがあったとして、人は組織となっていく過程で如何に弱く利己的なものなのだなぁと痛感しました。
そんな私も意図あり、随所投稿する訳で、その中で思った主義主張と噛み合わない人へは強く非難する事もあり、自己正当化に走る事もあります。それは日々の自身の思いを投影する様に。
人はやはり感情の生物なのだなぁと。
是々非々と言う意味では、
組織は腐っている。それも根幹から。
そして改めて、この組織は内側からは変わる事ないのだろうと思いました。
良き人として、家庭人として、社会人として、最終的には世界人としてどうありたいか?を自問自答しながら、良き一年を願い年を越したいと思います。
ちょっとショック
>数十年のカルト的思考能力は決して普通の人の脳の思考回路には戻らないという現状が恐ろしくもあります
この意味が理解できるようになり、ちょっとショックです。
たんなる日記ではなく、主張するようなブログの場合、事実に基づいているか、事実を論理的に連関させながら主張しているか。つまり、事実と論理。これが一般社会の価値観では必要かつ不可欠のこと(普通の人の脳の思考回路)です。
ブログ村では社会常識では信じられないことが生じています。
「事実と論理」をまるで欠如している。それどころか、日本語の文章としては通用しないブログが人気ランキングにアップされています。
「いつも隣」とか「キチガイ記」とか「神様大好き」とかがまともに思えてしまいます。
信じられないことです。
ある元信に聞きました。
「シックが一番しっくりするのは、事実と論理ではなく、心情に訴えかけるような表現なのです。こっちの世界ではまるで通用しないのですが(苦笑)」
数十年のカルト的思考能力は決して普通の人の脳の思考回路には戻らないという現状が恐ろしくもあります
統一教会の表の顔に是(建前)が有っても非以外の何者でもないと思っているので、結局、忘れて生活する時間を増やす事で悪影響を受けない様にしたいと思っています。
統一教会教義の原理を聞き、真理と認め、統一教会の信仰を始めると、神の肉的(実体的)代身者であるメシア文鮮明教祖の願いを中心に蕩減条件(贖罪条件)を立てながら、堕落性を脱ぐ為の自己否定、自己犠牲の蕩減復帰妄信生活に突入します。
生まれてから、育って行く中で自然と養われて来た自我を崩して行く処から初まります。
再臨主文鮮明を神の代理の唯一無二のメシアとして中心として思考転換調教妄信生活が初まります。
そして文鮮明朝鮮カルト帝国(地上天国)実現こそが神の唯一無二の願いであり、神も先祖も歴史の結実体の私に願われている事だ!その目的を成し遂げる為に生きる思考と実践こそが神願う創造本然の世界(文鮮明カルト帝国)を求めて(再創造復帰摂理)生きる統一教会信者の自我!
……要は再臨主文鮮明の願いのみに従い責任と実績を追求する文鮮明の奴隷自我こそが日本人信者の自己否定(堕落性を脱ぐ為の蕩減条件)の後に願われた自我でした!……私も語学力が無い為に"自我"の本当の意味は定かでは有りませんが、私が言いたいのは、本来生まれて育って来た中で育んで来たアイデンティティを徹底的に否定され後に統一原理を強力に注入させられ実践させる中で、まさに自分が原理を進んで学んで会得した様に信者に思わせて調教されて来たのが統一教会信者なのです!
一度統一原理を真理と認め文鮮明をメシアと信じて信仰生活を始めると、後は自分で教義を読んだり祈祷したり集会に行く事で再教育され、エスカレーター式に統一原理思考脳回路が強く装着されて行きます!
蕩減復帰(贖罪復活)思考から統一教会信者に成る前の思考回路に完全に戻る人は皆無に近いと私も思います。何故なら、毎日毎日毎時間毎時間文鮮明教祖は神が共にある再臨主(メシア)と信じ込んで必死に"神様!マコトの御父母!神様!とマコトの父母様の願いが成されます様に強く祈祷をして来ているからです!
私ですら、統一教会の信者に成る前の思考回路に戻って神や祈りを捨てて完全に昔の無心論者で現実主義者に成れば、私は希望や喜びや力を得る事が難しく成り、精神的にネガティヴに成り精神的に不安定に成ると思います。
……私は既に統一教会の文鮮明教祖は再臨主(メシア)じゃ無い!と判断した事によって、人生に対する希望や生き甲斐が完全に喪失したした。そのショックの大きさは喩え様がありません!"何の為に生きて来たのか?何の為にこれから生きて行くのか?今は歳も進み、希望も理想も何から何までスッカラカン!
思考は学生の時に伝道される前迄遡るのです!……要はその時から自分の思考は止まったままで成長していないのです!😭\(^^)/
だからと言って30数年間の思考の溝を埋めようとしても無理なのです。
今は如何に文鮮明(朝鮮カルトメシア)抜きの神様と自分との関係を深めて距離を縮められる様に試みています。……私は黒霧島を飲みならも神様は出て来て下さる!と信じて、これからも前と上を向かざる負えないと思っています。……ストレスから精神病に成りたくありません!
ichanさんが以前、コメントで書いていた通り!人生全てが奪われた!自分は自分の納得出来る人生を全く歩んで来ていない!😭🙌
という強〜い後悔の念と失望感が毎日降り注いで来ます!……兎に角、馬鹿笑いしながら生きなければ病気に成りそうです!
兎に角、この歳に成って、スッカラカンで楽天的に生きなければならないから大変です!🤣
是是非非はエネルギーが要る
何かの事象に対して、イデオロギーや信条で判断するのは簡単です。あまり多くの思考プロセスを必要としません。善か悪かの二元論思考は単純です。
ところが、イデオロギーを捨て去り、また自分の感情をコントロールして、客観的に物事を調査、分析、そして是か非かを判断するのは、時間も労力もかかります。教会の教えや組織の指示に従うだけの頃はほんとに楽でした(苦笑)
(実際は、どれだけ時間と労力を掛けても100%客観的で正しい判断は不可能であるのも事実ですが)
しかし、一人の成熟した社会人として責任ある行動を取るためには、そのような努力を惜しんではいけないと、常に自分に言い聞かせています。
脳科学者ですか?!
現実と論理なら、マインドコントロールされてからもありました。
6500双なんて文教祖は「生殖器さえあればいい」って言ってましたし、女余りで相手がいるだけいいという「情」をはき違えた御花畑コントロールされて相手がいただけでありがたいという感情で・・・いたのです(人それぞれですけど)
脳の回路は、そう簡単には改善はしません。必要なのは、事実の情報量がその後の改善に必要かつ重要になります。
掲示板やブログで暴露している古参信者の内容は、非常に参考になりました。
調べていなければリハビリは遅れているわけですから、ネットの情報に出会うか出会わないかで、その後の内容は変わってくる。
米本さんの記事や本は非常に参考になりました。ホントに解ってるかぁ~って、突っ込み入れないでね(^^;
当然、脳回路も徐々に変化しますよ。変化したから、賠償請求訴訟などを起こす人もいて数万人越えです。その人数より、現役本元信者は少ない状態でしょうね。
文鮮明教祖をメシヤと信じる者(利用する者)が、分派活動へと流れて文鮮明が神を利用したように同じようにしながら、マインドコントロールして行くのです。
文鮮明はメシヤではないと断定できるかできないかで、変化して行けますから、どれだけ教祖の情報を自分脳で組み立てて行くかが必要です。
それぞれが変化して行けますよ。
数十年を取り戻すことは不可能なので、これからどう改善するのかもひとそれぞれなだけです。
かなり長い間の付き合いだったから。返事を書きます。徹底的に。
はあ? 意味が分かりません。もうこんなのがこれまで何度もです。
>人間なんて、情がなくちゃ人間じゃないでしょう。
はあ? 俺が情を否定したことがありますか。
「現実と論理」
小生は「事実と論理」と書いています。
「マインドコントロールされてからも」
これが”カルト”的にもインチキな言葉かをさんざん書いてきました。
それを無視して、何の注釈もつけずに「マインドコントロール」なんて書くとは、オイラをバカにしているとしか思えない。
>脳の回路は、そう簡単には改善はしません。必要なのは、事実の情報量がその後の改善に必要かつ重要になります。
小生も一時期、そう思っていました。
しかし、間違いに気がつきました。
どんなに情報量が多くても、好きな情報しか脳に入り込まないのだと-ということが分かりました。
>米本さんの記事や本は非常に参考になりました。ホントに解ってるかぁ~って、突っ込み入れないでね(^^;
まるで、女文鮮明みたい(泣き
指摘はしたくないのだけど、コスモスさんとナツミカンとは、よく似ていますよ!
違いは青?赤。
米国のベストセラ-、読んだことある???
知的でお優しい米本さんへ
人間、少なからず情報を寄り分けているものですね・・・。
尊敬する米本さんから、どんなこと言われても良いです。
中立な立場から発信できるのは、ネット上では米本さんしかいないと思っています。
米本さんの存在は、非常にありがたいことでございます。
ただし、米本さんはマインドコントロールされた立場ではなく、信者ではないということを、理解して置いたほうがいいことは必要で、信者の深層心理は理解しきれないところもあるのではないかと思います。
ナツミカンの深層心理なんて知りたくもねぇ~って、思っていらっしゃるかしら?
コメントして、ごめんなさい・・・。
統一教会関係者は、ぜひ米本さんの本を読んでいただきたいです。
感謝
感情を表現することは私が大切にしていることのなで、
それはそれです。大人気ないところは認めるところです。
私が「火の粉」から抜けたのは直感です。
もう5年も直感でブログを書いていますから。
情報源のことは知らなかったのですが、しばらく記事に無理をしておられることは感じとっていました。
私についていうと、だいたい転換期に転換出来ないでいると環境に押し出されたりします(統一脳だとこんなふうに捉えたりします)。今回もそんな感じでした。
まだ詳細は分かりませんが、FPAについて思うところを書いてみます。
私は当初、FPAは三男派の組織づくりが進まないので、顕進様がテコ入れしたものと思っていましたが違うようです。
まだメッセージの精読はしていませんが、印象だけで言えば、統一教会(=家庭連合)に代わる基盤を立ち上げたと私は理解しています。ここで代わる基盤というのは、規模とか会員数の問題ではなく、神様の摂理の遂行からみた、代わるという意味です。
私の個人的な解釈ですが、当たっていれば食口にとって重要な問題です。説明上、統一原理の視点を書きます。
統一運動を進める(神様の理想を実現する)には、宗教基盤と社会基盤が必要と考えます。そのために文先生は、統一教会を作りました。今それに代わるものが出来たというのは、裏返すと、統一教会=家庭連合は神様の摂理で不要となったという意味となります。つまり今まで統一食口は自分を選民だと考えて来たが、もう選民でも何でもないという意味です。ただし祝福というものは別と思われます。
私も「火の粉」にコメントに来た時は、教会の改革のために米本さんの力をお借りしたいと思って書きに来ました。ですがもう、(教会でいう)神様の摂理から見れば改革の必要がないのです。それゆえ、統一脳では摂理的な流れから米本さんのところには情報が集まらなくなったとみれます。そういう視点で見ると顕進様の「家庭連合とは関係ない」という言葉も違って見えて来ます。
では顕進様は統一食口に対してどうみているかです。私から見れば運動の推進には食口は邪魔に見えます。顕進様はいつでも門を開けていると言っています。亡き父の残した祝福家庭であることを思い、兄弟姉妹として統一家の兄として受け入れてくださると思っています。
ここで情報という意味で一つ伝えるなら、顕進様は組織運営のおそらく人材配分について指したと思われますが、当分は8-2で進めると言われたとのことです。これは家庭連合以外の人が8で、家庭連合出身者が2という意味です。私は顕進様が2-6-2の法則を知っていて運動の推進に妨げのない範囲で考えていると見ています。
では私はなぜ統一ブログ村にいるのかです。
FPAから私に何か指示があるわけではありません。既に文先生から学んだ原理はあるので、これから何をするか模索中です。ここは立場の同じ祝福家庭が集っているので一緒に考えられたらいいです。だから、今までのような教会の改革を目指す記事に力を入れようとは思っていません。
話はかわりますが、認識にはどうしても主観が伴うので、人により視点や意見が異なるのは否めないことです。それは排除すべきものではなく受け止めるべきものだと考えています。これがまた難しいのですが、私はこれが統一原理の骨格にあると考えていますから受け入れざるを得ません。(笑)
是是非非を実践することは難しいです。
米本さんは意見を伝えることの難しさを語ってくださいましたが、私は思考の難しさを伝えたいです。無私といえどもどうしても主観が入ります。それゆえにそもそも何が是であり何が非なのかです。ここに自然な状態で心に尋ねることが大切だと思っている理由があります。感情は心のセンサーのようなものなので無視出来ないのです。
プームチャイさんに
古都さんの「数十年のカルト的思考能力は決して普通の人の脳の思考回路には戻らないという現状が恐ろしくもあります」の意味をかみしめていただけたでしょうか。
Re: プームチャイさんに
教理を知る立場からみた一つの考え方を示しただけですから。
唯物論と観念論の話を持ち出すまでもなく、
物事は立場によって見え方が違います。
目に見える事実の積み上げだけで見るか、
目に見えない力が働いていると見るかなどです。
同じ思考の立場に立ち続けるならば、
どちらの立場にも言えることだと思います。
立場を変えて考えて見ることは大切なことです。
カルトアレルギーには気をつけて。^^
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