統一教会・徳野英治会長-記者会見の問題点⑥ 

統一教会考(9)-模範的宗教団体への脱皮は可能か

統一教会の緊急記者会見についてのコメント(6)

「信教の自由」をないがしろにするのは誰か

徳野氏は記者会見で「信教の自由」のことを何度か述べた。
確かに、強制説得は「信教の自由」を侵害する行為ゆえ、発言には何の問題もない。
しかしながら、教団中枢部は「信教の自由」について深く思いを巡らしたことはないようだ。

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「信教の自由」は、戦前、戦中に、国家権力によって国家神道以外の宗教諸団体が弾圧されたことを背景に、憲法で国民に保証することになった基本的人権の一つである。
 しかし、「信教の自由」を守っていくには、守られるべき宗教法人格をもつ当の宗教団体が、身を律していくことが必要である。
 しかるに、こと宗教法人・統一教会(の信者)は数々の民事訴訟を招くような違法行為を行ってきたし、今回の一連の事件では犯罪者まで出してしまった。

 統一教会の「信教の自由」を侵害したのは、既成キリスト教会の一部牧師をはじめとする脱会説得者たちだが、「信教の自由」を内側から崩壊させるようなことをしてきたのは(他の宗教団体に迷惑をかける行為をしてきたのは)、オウムであり、統一教会であり、法の華三方行だということだ。

「信教の自由」を語るには、そのことを痛苦に捉えてからにすべきである。

 日本国は、「信教の自由」を尊重するために、宗教法人には無税という特権を与えている。
 統一教会がこれ以上、社会的問題を引き起こすなら、国民の多くは統一教会のみならず、すべての宗教法人の「特権」の廃止を求めるだろう。

 話は横道にそれる。
 やつあたりのように聞こえるだろうが、清水寺や金閣寺、銀閣寺など「信教の自由」を楯に「古都税騒動」を引き起こした観光寺の坊主たちは、夜になると、祇園界隈で飲み食いをしている。そうしたことを取材してきた私からすれば、「非行宗教者」には一般並の税金を支払ってもらったほうがいいのではないかと考える。観光寺の坊主たちも内側から「信教の自由」を崩壊させる人たちである。
 同じ文脈でいえば、出版の自由を浸食するのは国家権力ではなく、公序良俗に反するような出版物を出す当の出版人ということだ。

 統一教会員の一部の有志は児童ポルノ反対運動をしている。賛成なのだが、その児童ポルノを出版している会社が「出版の自由を守れ」と声高に主張していれば、鼻白ろむ。それと主張の構造は同じなのです。


 話を戻す。
 統一教会員は、“お父様”の摂理を実現したいとする前に、その前提の前提として、国から税の特権を与えられた公益法人の一員であるという自覚を持つべきである。そこまでの高度な自覚は無理だとしても、社会の一員であることだけはしっかりと胆に命じるべきだろう。とにもかくにも、社会や公共に害を与えていながら、信教の自由を訴えても、話にならんのです。

 もう一つ、次のことだけは指摘しておきたい。
繰り返しになるが、統一教会員には信仰を守る自由があり、いかなる人もその自由を奪ってはならない。

しかし、現実には拉致監禁によって教会員の人権は迫害されてきた。(統一教会員への人権無視
そして同時に、その人権侵害に対して統一教会は知らん顔をしてきた。(信仰仲間への人権無視
また、一方では一部?の教会員は畏怖・困惑させて印鑑を販売するという市井の人たちの人権を侵害した。(他者への人権無視

 人権無視のオンパレードだが、内部の人権に無頓着な人たちは外部の人権を無視しても平気。逆にいえば、外部の人権を無視しても平気な人は、内部の人権侵害(4000人以上の拉致監禁事件)にも無頓着だということなのだ。
 あえて統一教会用語を使えば、「負の授受作用」(相互作用)である。
他者の権利を尊重しない人間は、結局のところ自分の権利も他者から尊重されないのだ。


統一教会はマイナー組織か

 徳野氏の発言を再度、引用する。
新興宗教団体である、マイナーな組織であると、それだけを理由で、基本的人権が認められない、人間の基本的な人権として一番尊い信教の自由が侵害されている。

 教団中枢部は数字感覚がゼロに等しいようだ。
徳野氏は別のところで、統一教会員は56万人と語っている。
 まるで、バカ丸出しだ。

 日本でキリスト教の信徒は100万人強と言われている。この中に統一教会やエホバの証人など、主流キリスト教会から異端と見られている信徒は含まれていない。100万人強の内訳は、ざっとした感じでいえば、プロテスタントが70万人、カトリックが40万人といったところか。
 統一教会の信者が56万人なら、「マイナーな教団」ではなくカトリックの上をいく「メジャー教団」だ。(『我らの不快な隣人』386頁の<注10>を読んでください)

 マイナーな組織だから拉致監禁される?
(寝ぼけた冗談は明後日の記者会見でやってくれ!と叫びたかった)

 数字に疎くなく、それでも、「マイナー組織」だと認識しているのであれば、56万信者の多くが自然退会、退会状態にあり、日常的に活動している信者は少ないということを自覚しているからなのだろう。
 拙著ではその数、6万人と弾いた。(251頁、このときは信者総数は52万人)

56万人-6万人=50万人
50万人がいなくなった理由は、組織内の人間関係のトラブルを除けば、今の路線、すなわち正体隠しの伝道と、高額&エンドレス献金に嫌気が差したからにほかならない。


改善か抜本的改革か

 私が記者会見で違和感を覚えたのは、「改善」という言葉に対してだった。その言葉が出る下りを引用する。

交代式以降、梶栗新会長を中心として、私も熱心に進めてきたつもりですが、教会組織の改善とくにコンプライアンスの問題を強調するそのような教会組織、あるいは信者の方々に対する指導を、指導強化を梶栗新会長に申し入れる。
そして 引き継いでいただいて。国民からほんとうの意味で信頼される、模範的な宗教団体として大きく飛躍していっていただきたいと期待しています。


 統一教会の現状認識について、教団中枢部と、現場の教会員の声を聞いている私とで、大きく異なっているようだ。
 私は、国からの宗教法人解散命令が出ようが出まいが、これまで50万人がいなくなったように、統一教会は早番、自壊すると認識している。それを防ぐには組織の改善ではなく「抜本的改革」が必要だと認識している。

 それに対して、教団中枢部は官僚組織よろしく、なんとか今の危機を脱すればいい。そのためには徳野会長が引責辞任し、あとは「改善」と「法令遵守」で乗り越えることができるという認識である。

 どちらの認識が正しいかどうかわからないが、少なからずの教会員(ただし主流ではない)は「抜本的改革」を求めている。
しかし、彼らとて、自分たちが改革の主人公になるという気概には欠けている。主体的に創造性を発揮することが求められない体質に馴染んでしまったのか、燃えるような情熱と覚悟が感じられないのだ。

 あるのは、「クッチン・ヒョンジン待望論」である。すなわち、文鮮明氏の後継者となった4男の国進氏(企業、日本担当)、7男の亨進氏(宗教担当)がリーダーとなって改革してくれるという期待である。

 国進氏と亨進氏は、どの程度かは別にして(後日の「統一教会考」で書くつもりです)、日本の信者の窮乏を少しばかりは知っており、「世界・統一教会の資金を日本だけに頼るわけにはいかない。日本を含め世界の信者に一律に『10分の1献金』をお願いすればいい」という考えを持っているという。
 それゆえ、日本の信者が彼らに期待するのはよくわかる。

 しかし、父親の文鮮明氏にズケズケ諫言する国進氏のことを、韓国の信者たちは気に食わないと思っているようで、日本では評価高き国進氏だが、「お父様に摂理のたてつく國進ニム(國進様)」と、韓国での評判はいま一つだという。

 世界の青年信者に評価の高かった三男の文顕進氏(ムン・ヒョンジン)だが、最近、父親から1年間の謹慎命令が下ったという。
 もともと兄弟仲が悪かった4男のクッチンと、ラスベガスで、父親の前で派手な喧嘩をしたことが理由とか。統一教会用語でいうアベル・カイン問題だと聞いた。


 昨年秋、日本で開かされたGPF(グローバル・ピース・フェスティバル)で、小雨降る中、5万人の参加者を前に、熱弁をふるった顕進なのに、今は蟄居の身なのだ。

 このことからすると、国進氏が日本担当から外される可能性だって、決して低くはないのだ。

 後継者任せの改革メシア待望論もいいが、俺たち・私たちが日本・統一教会をたんなる改善でなく、「国民から信頼される模範的な宗教団体」(徳野氏)にしてやろう、改革の一粒種になってやろう、そんな気概を抱く真に信仰心篤き信者は誕生しないものだろうか・・・。

(注)そもそも統一教会に関心のない世間の圧倒的多数は、統一教会が崩壊しようがしまいがそんなのどうでもいいと思っている。
 一方で、反統一教会の人たちは、統一教会の崩壊を願っている。崩壊すれば、信者は文鮮明氏の軛(くびき)から解放されると考えているからだ。

 では、なぜ私が崩壊を望まず、統一教会が抜本的に改革されることを願うか。
 それは、悪質商法を反省し、統一教会の再生を心から願っている、真面目で愚直な教会員の存在を知っているからだ。このブログにコメントを寄せている教会員の声に耳を傾ければわかるだろう。
 彼らは、ある日突然、組織が崩壊すれば、精神のどん底を彷徨うことになるだろう。なかには精神疾患にかかる人だって、発狂する人だって出てくるかもしれない。そうした不幸な人を出したくないと思っているのです。



記者会見についてのコメントはこれで終わります。 「ブログの骨格」を確認してください。
統一教会が「国民から信頼される模範的な宗教団体」になるためにはという視点で、今後も「統一教会考」で組織の問題点を書いていくつもりです。どうぞ、ご愛読のほどを。
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コメント

『宗教はアヘンだ』とは、かのマルクスの言葉だったでしょうか。
また『宗教は弱者がすがるもの』との宗教に対する偏見は、結局のところ誤った宗教家の姿勢が作り上げてしまったのだ…と、自戒の念を強く持っております。
米本様、皆様に認められる統一教会になれるよう、努力していきます。
時間がかかるかもしれませんが、今後もご指導・ご鞭撻の程、お願い申し上げます。
いつもありがとうございます。

>米本様
統一教会が「国民から信頼される模範的な宗教団体」になるためにはという視点で、今後も「統一教会考」で組織の問題点を書いていくつもりです。どうぞ、ご愛読のほどを。

愛読させていただきます!


とにかく、統一教会は絶対に「国民から信頼される団体」に変わらなければなりません。

そして、法令を絶対に遵守する団体に変わらなければなりません。

とにかく、統一教会は、「国民から信頼される宗教団体」になって、日本国民に認められるか?

変わることができずに、海の藻屑と消えるか?(宗教法人剥奪)

どちらかでしょう!

しかし、拉致監禁も、『絶対に許されない重罪中の重罪』なわけです。

そして、警察から処罰されなければならない、アヘン中のアヘン中のアヘンであるわけです。

日本政府(公安・警察)も、
人権蹂躙を許すか?
人権蹂躙を許さず、叩き潰すか?

そして、『拉致監禁している組織』を、「国民に認められる組織」に生まれ変わらせないといけないですよね?


>米本様
統一教会、そして『拉致監禁をさせている組織』を頭の先から、つめの先まで、『国民の認める団体』完全に生まれ変わらせてやってください!

「信教の自由」に思う

本日より、「半言居士」のハンドルネームで投稿させていただきます。宜しくお願いします。

米本さん:
>しかし、「信教の自由」を守っていくには、守られるべき宗教法人格をもつ当の宗教団体が、身を律していくことが必要である。
しかるに、こと宗教法人・統一教会(の信者)は数々の民事訴訟を招くような違法行為を行ってきたし、今回の一連の事件では犯罪者まで出してしまった。

耳の痛い話ですが、同意いたします。現場にいるものとしては教会本部にこの点を何とかしてほしいと思っていたのも事実です。

「宗教法人世界基督教統一神霊協会はなんらの営業活動も行っておりません」とは何度も聞いてきたコメントです。ならば、悪い社会的風評が立ったとしても、統一教会員であることをなんら隠す必要はないわけです。家の玄関口に貼れと言ってステッカーのたぐいを渡されたこともあります。しかし、我が家ではついぞ今まで、それを張ることができませんでした。

そのことを、責任者から追及されたことはありません。なぜなら、有給献身者たちも、正体隠しの伝道、その他の活動を進めてきたからです。統一教会であることが分かると伝道を進めにくい、そのことが分かっているから、私たちが生活の場で統一教会員であることを堂々とあかしできなくとも、何も言えないわけです。

統一教会は営業活動をしていない、というならば、本部はそのことを社会に対して証明してほしい。間違った風説が流布している、あるいは間違った風説を流布させる人たちがいる、というならば、そのことを実証していただきたい。実証しないで、それは違いますと言ったところで、何の説得力も持たないわけです。

社会で働く教会員は、とても肩身の狭い思いをしています。そのことに対して謝罪したというのであれば、その先どうするのかを明示していただきたいと思います。謝罪する謝罪すると言ったって、現実の行動が伴わなければ謝罪の意味がありません。謝罪してくださるのなら、では今後は私たちがそのような肩身の狭い思いをすることがないよう、「宗教法人世界基督教統一神霊協会は営業活動をしていません」ということを裏付けを社会に示してほしいと思う訳です。できないとは思いますけど。

米本さん:
>統一教会の「信教の自由」を侵害したのは、既成キリスト教会の一部牧師をはじめとする脱会説得者たちだが、「信教の自由」を内側から崩壊させるようなことをしてきたのは(他の宗教団体に迷惑をかける行為をしてきたのは)、オウムであり、統一教会であり、法の華三方行だということだ。「信教の自由」を語るには、そのことを痛苦に捉えてからにすべきである。

このことも痛恨の極みですが、同意せざるを得ない。このことを、米本さんとは別の側面から述べます。素晴らしい教義を教えていただき、かつまた再臨主による救済の道として祝福合同結婚式まで準備していただいている訳ですから、当然のことながら自分の親を真っ先に伝道したい、兄弟姉妹・親戚を伝道したい、知人たちを伝道したい、という気持ちはあります。しかし、「信教の自由」の一側面である「伝道の自由」の権利を行使するのに、ちゅうちょしてしまうことがこれまで多々ありました。それはなぜかというと、伝道をすると必ず「カネ」の話をしなければならないからです。


もちろんそう思わない人もいるようで、親兄弟を伝道できた人たちもいます。しかし、私としては、伝道しようとしても、その後に必ず「カネ」の話をしないといけない。すると「伝道の自由」の権利を行使しないでおこうということになってしまうのです。これもまた「信教の自由」を内側から崩壊させた一つの例といえましょう。

徳野前会長のリーダーシップで今年に入ってから伝道主体路線に切り替えられ、本来の教会らしくなってきました。私の所属教会ではそうですが、全国的に定着化しつつあるかどうかは分かりません。しかし、そういう傾向が定着しつつあるのでしたらぜひ梶栗新会長にはそれを強力にバックアップしていただきたいと思います。

米本さん:
>私は、国からの宗教法人解散命令が出ようが出まいが、これまで50万人がいなくなったように、統一教会は早番、自壊すると認識している。それを防ぐには組織の改善ではなく「抜本的改革」が必要だと認識している。それに対して、教団中枢部は官僚組織よろしく、なんとか今の危機を脱すればいい。そのためには徳野会長が引責辞任し、あとは「改善」と「法令遵守」で乗り越えることができるという認識である。どちらの認識が正しいかどうかわからないが、少なからずの教会員(ただし主流ではない)は「抜本的改革」を求めている。しかし、彼らとて、自分たちが改革の主人公になるという気概には欠けている。主体的に創造性を発揮することが求められない体質に馴染んでしまったのか、燃えるような情熱と覚悟が感じられないのだ。

この点も、残念ではあるが同意します。私は、教団を日本全体のレベルで大きく改革するというのは、私の守備範囲ではないと考えているので、そういう意味では改革の気概には欠けていると思います。しかし、身近に接する責任者には、常に提言は心がけていこうと思っています。

と、同時にまた、教会に頼るよりも、自分のできるところから伝道なり、献金活動なりしていこうと思っています。教会自体には、改革も必要だとは思うけれども、単なる事務局でいいじゃないか、多くを期待しなくてもいいんじゃないかとも思っています。私が自主的に活動するのに必要な道具を準備し、必要な情報を集めてくれる、そんな機能だけ持っていればいいのではないかとも思っています。

後は、どんなリーダーが出てきても、例えば文国進氏や文亨進氏のようなリーダーが出てきて期待できる人であったとしても、地域レベルでの教会の主人公は、責任者ではなく、私たち一般信徒ではないかと思うのです。責任者は2、3年もたてば変わってしまいます。でも、私たちは会社での転勤とかいった事情がない限りは、ずっとそこの教会員であり続けるわけです。ならば、自分がそこの主人公だという気持ちを持たないといけないのではないかと思っています。

2、3年後には責任を持ってくれなくなる責任者よりも、ずっとそこにいる私たちの方が主人公ではないか、と思うのです。そんな気持ちで教会活動に取り組んでいくとき、本当の意味で教会が変わっていくのではないかと、思っています。

>半言居士さま

統一教会(上層部)が、変われるか?変われないか?

統一教会(一般信徒)が、変われるか?変われないか?

この二つ(上と一般信徒)が、『(国民に認められる組織に)完全に変化』してこそ変わった!ということですよね。

とにかく、現状としては、やるしかない!という現状ですよね。(なんたって逮捕者も、出ましたし、会長も辞任したわけで…)

これ以上、反社会的行為(と国民から見られる行為)を、統一教会信徒が行うことが発見されれば、宗教法人剥奪になりかねない…(亨進世界会長もそのように言われています)



とにかく、統一教会の上も一般信徒にも、とことん変わってもらうしか無いのが現状ですよね。


>米本様
統一教会を、『国民から認められる組織』へと、とことん変えてやってください!!

Re: 「信教の自由」に思う

 半言居士さん、はじめまして。
 誠実な投稿文、ありがとうございました。真摯な姿勢に感動しました。

 一教会員が教団全体を変えることはできない。しかし、所属の教会を変えることはできる。おっしゃる通りです。

 教団改革の主体者は一人ひとりの信者であって、教団のスタッフ(会長以下、中枢メンバー)、あるいは地区長や教区長、教会長、婦人部長などラインの幹部は主体者になりえません。むしろ、妨害者になる可能性のほうが高いのではと思っています。もちろん、なかには半言居士さんのような志をもった方もいらっしゃるでしょうが、「層」としての可能性はゼロに等しいと思います。

 なぜ、彼らは主体者となりえないのか。それは、これまで30年間にわたって正体隠しの伝道、高額エンドレス献金の推進(印鑑販売の推進)を行ってきた人たちです。そして、「長」がつく役職を得てからは、上意下達(日本・統一教会独特のアベル・カイン)の指導しかしてこなかった。個々の教会員の意見や提言あるいは欲求に耳を傾けたり、人としての潜在能力を引き出すようなことは一切してこなかった。

 このように書けば、ムッとされる指導者もいるでしょうが、人間性を問題にしているわけではありません。教団の問題点が身体全体に染みついてしまい、何をどう改革していいかわからない。もし本気で改革しようとすれば、それは徹底した自己否定から始めなければなりません。それを齢いくつの指導者に求めるのは「ないものねだり」というものでしょう。

 改革の可能性があるとすれば、半言居士さんがおっしゃるように、一人ひとりの教会員が所属の教会を変えることにあります。ただし、一人で改革することはできません。三国志ではないけど、組織を変えるには「模範的な組織に変えよう」という気持ちをもった3人が集まれれば可能です。

kihmさんもMOさんも頑張ってください。

 最近聞いたところによれば、文国進氏は各地区を回り、指導者たちに「透明性」の重要性をしきりに説いているそうです。秘密体質に慣れきった指導者たちにはその意味が理解できないようですが、それはともかく国進氏と、末端教会員が呼応した動きをすれば、改革の可能性は高くなります。
 国進氏は「スピード」を求めています。それに現場の信徒たちが呼応できるかどうかが改革のカギを握っていると思います。

当面は、ヘドロのようにたまりにたまった教団のウミをとことん出し切れるかどうかにかかっていると思っています。

米本さんのコメントに勇気付けられています。
米本さんのコメントを読めば読むほど、長く内部にいて自分の思考がいかに硬直化しているか痛感させられています。
今の自分に何ができるか、何をするべきか、暗中模索の状況ではありますが、志を持ってがんばろうと思います。

信教の自由

カルト対反カルト,どっちも同じ穴の狢。

正義を達成するためなら,人権無視も気にならない。正義の実現こそが重要なのだ。

どこに信教の自由があるのでしょうね。悲しいことですね・・・

変われるか、変われないか

MOさんへ

>統一教会(上層部)が、変われるか?変われないか?

>統一教会(一般信徒)が、変われるか?変われないか?

>この二つ(上と一般信徒)が、『(国民に認められる組織に)完全に変化』してこそ変わった!ということですよね。

>とにかく、現状としては、やるしかない!という現状ですよね。(なんたって逮捕者も、出ましたし、会長も辞任したわけで…)

今、変わらなければならないときだということには同意いたします。それは組織においてもそうかもしれないけれども、私のような信徒にとっても、今しかないのではないかと思っています。

上の方々は、今の現状がこのまま続いて、警察の捜査もストップをかけて、のど元過ぎれば、熱さも忘れられる……さあこれからは、反対派を蹴散らして、伝道だ……、と思っておられるのかもしれない。

しかしながら、今、本当の意味で信徒同士が、あるいは責任者と一般会員が、心と心の対話をする方向へと変えられる、千載一遇の時ではないかと思います。それには、米本さんがつづってくださったあの徳野会長の謝罪の言葉を、もう一度見直さなければないません。

①宗教法人世界基督教統一神霊協会は営業活動は一切やっていない。
②今世上をにぎわしている問題は信者個人がやったことである。
③今後この方面への監督指導を強化する。

正確な文言ではないのですが、以上のような内容であったと思います。これは本当の反省ではありません。この謝罪文を見直すのは、今のこの時期においてしかないと思っています。のど元を過ぎていない、熱さを忘れていないこの時期をおいてほかにないと思います。

この言葉を読んだとき、80年代に一生懸命やってきた人たちは???という気持であったと思います。アベルたる責任者と、カインたるほかの献身者、もしくは一般会員が、心と心の対話ができずに、ともかくやみくもに走ってきた、その結果がこの謝罪文だったとすれば、実に悲しむべきことだと思います。

この謝罪文の言葉が、本当の謝罪文の言葉に変わったときこそが、新生統一教会の出発のときだと思います。その時は、残念ながらまだ来ていません。

それで、おそらくこれから新しい施策をどんどんと打ち出してくると思いますが、その時にいつも思い出さないといけないのが、この謝罪文の言葉です。本当の謝罪ができていない以上、その新しい施策が、また新しい霊感商法の出発となる可能性は十分にあります。

私は新しい施策が出てきたら、それに協力する気持ちは十分にあります。ただその方向性を常に見守っていきたいと思っています。

>統一教会(上層部)が、変われるか?変われないか?

上層部が変われるかどうか、それは私の責任の負えるところではありません。が、私の身の回りから、新しい方向性を自ら企画しながら、歩んでいきたいと思っています。

>統一教会(一般信徒)が、変われるか?変われないか?

これは変われると思います。私のように思っている一般信者は多いと思います。私としては単なる教会宣伝用のブログではない、教義である統一原理が目指している本来の方向性を示すブログ、そしてそれを実現していけるブログの作成、また横横のつながりを大事にする主体的な活動の展開(私は拉致監禁をなくす会に入会していますが、これは誰彼から指示されたものではなく、全く私の独断で後藤さんの呼び掛けに応じたものです)など、自ら主体的に活動してまいる所存です。

>これ以上、反社会的行為(と国民から見られる行為)を、統一教会信徒が行うことが発見されれば、宗教法人剥奪になりかねない…(亨進世界会長もそのように言われています)

そうですね。同意します。

>とにかく、統一教会の上も一般信徒にも、とことん変わってもらうしか無いのが現状ですよね。

そうです。ただ、変化、変化ということ、大変なことのようですが、当たり前の社会常識を踏まえた活動を行う、ということで行けば、多くの人に納得してもらえるかと思います。統一教会の中の大衆運動ですね。まあ、励ましあいながら、やっていきましょう。

米本さんにも、あとで返信させていただきます。

教会改革の旗手

米本さん

> 教団改革の主体者は一人ひとりの信者であって、教団のスタッフ(会長以下、中枢メンバー)、あるいは地区長や教区長、教会長、婦人部長などラインの幹部は主体者になりえません。むしろ、妨害者になる可能性のほうが高いのではと思っています。もちろん、なかには半言居士さんのような志をもった方もいらっしゃるでしょうが、「層」としての可能性はゼロに等しいと思います。

確かに「主体者にはなりえない」点には同意します。自らリードしていくという人を「主体者」ととらえれば、これまでやってきた方法になじんでいる人は、過去これでやってきたんだから、これからもこれで行こうと思う人たちがほとんどであろうと思います。だから彼らから掛け声が上がることはあり得ません。

そういう意味で「主体者」にはなり得ません。ただ彼らの中で、新しい航路に船出することに頑迷に反対する人もいるだろうけれども、そういう方向で伝道など勝利できるのならそうしたいと思っている人はいることでしょう。旗振り役は一般信徒、それに責任者たちがついてくるのか、反対するのかということになりましょう。

>なぜ、彼らは主体者となりえないのか。それは、これまで30年間にわたって正体隠しの伝道、高額エンドレス献金の推進(印鑑販売の推進)を行ってきた人たちです。そして、「長」がつく役職を得てからは、上意下達(日本・統一教会独特のアベル・カイン)の指導しかしてこなかった。個々の教会員の意見や提言あるいは欲求に耳を傾けたり、人としての潜在能力を引き出すようなことは一切してこなかった。
>このように書けば、ムッとされる指導者もいるでしょうが、人間性を問題にしているわけではありません。教団の問題点が身体全体に染みついてしまい、何をどう改革していいかわからない。もし本気で改革しようとすれば、それは徹底した自己否定から始めなければなりません。それを齢いくつの指導者に求めるのは「ないものねだり」というものでしょう。

同意します。確かに、大部分の方は、旗振り役にはなれない。例の謝罪文にしても、お詫び申し上げますを繰り返しながら、最も大事な部分で自己否定になっていないわけです。お詫びします、お詫びします、と言いながら、やったのはこの人たちです、とそっと人の背中に荷物を脊負わすのは、やっぱりお詫びしていないですね。自己否定の大切さを教える人たちが、逆に自己否定できていない謝罪を行う。

私はこの謝罪文が、新たな火種にならなければよいがと思っています。80年代に霊感商法に携わった方々というのは、教会の屋台骨を背負ってくれた人たちです。この人たちが、頑張ってくれたから、摂理が進んだのです。しかし、その頑張り方を間違った方法で引っ張っていったのは、どこの誰だったか。その人たちの頑張りは論功行賞ものであり、方向を誤ったのは指揮官たちの誤りです。そのことを思うと、あの謝罪文は、酷い。

頑張ったけれども、責任者の心ない一言で教会を離れてしまった人、方針について行けずに道を違えてしまった人は少なからずいると思います。そういう人たちがあの謝罪文により「なんだと」といって再団結してしまったら、どうなるのでしょう。もう一回釈明会見を開かなければならなくなるかも。話を横道にそらしてしまいましたが、そういう自己否定のできなかった指揮官たちが、今後の國進氏を中心とした新しい教会の新しい体制を推進していくことは、はっきり言って難しいでしょう。


>改革の可能性があるとすれば、半言居士さんがおっしゃるように、一人ひとりの教会員が所属の教会を変えることにあります。ただし、一人で改革することはできません。三国志ではないけど、組織を変えるには「模範的な組織に変えよう」という気持ちをもった3人が集まれれば可能です。
>当面は、ヘドロのようにたまりにたまった教団のウミをとことん出し切れるかどうかにかかっていると思っています。

確かに一人では難しいですね。MOさんへの返信では、難しく考えないように書いたけれども、一人ですと統一教会全体の改革にはつながりにくい。改革というのは、喜ばれるのはそれが成功して組織が発展するようになった段階においてですから。その前の段階というのは、迷惑がられたり、胡散臭がられたり、いろんなことがあるでしょう。そういう意識のある人たちが、横横でつながって励ましあうことはいいことだと思います。

ヘドロのようにたまったウミですか。そのウミを象徴するのが、あの自己否定なき冤罪の謝罪文でしょう。あの謝罪文のことを語る語り部となりたいと思います。

真の信仰者になる前に

米本さん。
>「国民から信頼される模範的な宗教団体」(徳野氏)にしてやろう、改革の一粒種になってやろう、そんな気概を抱く真に信仰心篤き信者は誕生しないものだろうか・・・。

統一教会員は「イブが天使と不倫して堕落した」とか、「神が摂理を進める」とか、いわゆる「バーチャルリアリティー」の世界で生きているのだ。リアルの世界で地に足をつけていないので、非常識になっていく。

彼らが真の信仰者になるためには、その前にまず真の社会人になるべきだと思う。つまり、バーチャル世界で生きるのではなく、リアル世界で生きることだ。

半言居士氏(旧・原田氏)も、ネットでうだうだ書くことよりも、まずは本部に電話したらよい。私もSAKAの件で京阪教会に電話して苦情を言っておいた。まずは電話、次に直接会いに行く…、これがリアル世界。

ネットもいいが、所詮バーチャル。バーチャル世界でいくらかっこいいことを言っても、教団改革なんてできない。

大きなところからか、身の回りからか

早川さん
>半言居士氏(旧・原田氏)も、ネットでうだうだ書くことよりも、まずは本部に電話したらよい。私もSAKAの件で京阪教会に電話して苦情を言っておいた。まずは電話、次に直接会いに行く…、これがリアル世界。

>ネットもいいが、所詮バーチャル。バーチャル世界でいくらかっこいいことを言っても、教団改革なんてできない。

一般論としては誠に正鵠を射ているし、同意します。ネットの世界でうだうだ言っているだけの人間には的確な指摘かもしれません。
私個人においては、現場からの改革を推進しているわけで、できるところからの着実な改革を目指しています。ここに書くこと自体はバーチャルかもしれませんが、毎週毎週顔を合わせている人間に、リアルな世界でものを言っているわけです。電話とも違う、超リアルな世界ですよ。大きなところからやるか、身の回りからやるか、私は身の回りからやる方が、着実な効果があると思っています。

http://www.familyfed.org/news/index.php?id=67&page=1&apage=1

こういう報道の許可などは必要なのでしょうか。
必要なら、許可は取られているのでしょうか。

追伸。
日本の統一教会が起こしている社会的問題は、国外の教会員にはほとんど知られていない。霊感商法などの問題についてもだ。
また、日本で統一教会が社会的な迷惑を起こしていると言うこと、徳野氏の辞任についてなど、教会から知らされてはいない。なのに、「宗教の自由」についてはコメントがある。どういうことか。

早川さんへ

 おひさしぶりでございます。
 といっても、いつもブログを抱腹絶倒しながら拝見しています。
 そして、早川さんの才にいつも驚いています。とりわけ、この前のSAKA氏が警察に訴える架空のやりとりは、完成度が高く、最高でした。おそらく考え考えでなく、さらさらと書かれたのでは。それでいて読ませる構成になっているのだから、たいしたものです。

このブログのテーマとは関係のないことを、管理人自らが書いてしまったことにはご容赦を。

匿名希望さんへ

投稿ありがとうございました。

しかしながら、質問の意味がまるで理解できませんでした。
こういう報道の許可などは必要なのでしょうか。
必要なら、許可は取られているのでしょうか。



こういう報道」とは貼り付けられている英文だと思います。確か、最近、「拉致監禁をなくす会」のブログで紹介されたものです。残念ながら、私は英文をすらすら読めません。

「こういう報道」とは、そもそもどういう報道のことでしょうか。報道の具体的内容を示した上で(翻訳し問題にされようとしている記述を提示した上で)、質問してくれなければ、質問の意味がわかりません。

たとえば誰かがいきなりシカゴ・トリビューンの記事をコピペしてきて、匿名希望さんに「こういう報道」うんぬんと質問されても、答えることができますか?

その次になると、頭がくらくらするほどに、ますます意味がわからなくなってしまいます。
「こういう報道の許可などは必要なのでしょうか
許可って、誰が誰に対する許可のことをおっしゃっているのでしょうか。
まるで意味がわかりません。

さらに、次の質問になると悶絶してしまうほどに理解不能なのです。
「必要なら、許可は取られているのでしょうか」

誰が誰の許可なのかわからないから、「必要なら」の意味も、「許可は取られているのですか」の意味も、まるでまったくわからないのです。

私の許可を取ったかという意味ですか。もしそうだすると、「火の粉を払え」の管理人に、どうして外国の新聞の報道に関する許諾の権限などがあるとお考えなのでしょうか。悶絶するほどに理解不能なのです。

管理人に与えられている権限はこのブログの管理だけです。

4行の質問に、ずいぶん字数を費やしました。
匿名希望さんが真面目で誠実な方なら、上記の私の疑問に丁寧に答えた上で、再度質問してください。

もう一つのコメント欄の質問もまるで意味がわかりません。

日本・統一教会の教会員の経済犯罪事件は、世界・統一教会員にほとんど知られていない。

この指摘は理解できます。
ただし、匿名希望さんの言葉は少々曖昧です。「社会問題」とか「霊感商法」といったことで、徳野氏は辞任し、辞任の記者会見をしたわけではない。そんなことは朝日や毎日も報道していない。
一部の信者(一部かどうかは捜査中の警視庁公安が判断する-ことについてはブログで書いた)が特定商取引法に違反する経済犯罪事件を引き起し、それによって教団の地方組織に家宅捜索が入った。それを徳野氏が「世間を騒がせた」として、謝罪し、引責辞任した。

このことはブログで何度も書いたので、しっかり読んで、きちんと書いていただきたい。同じことを説明するのは正直言って、面倒です。

話を戻します。
日本では主力メディアが短い記事であっても、事件を報じたため、日本中に知られるところとなり、日本・統一教会の信者も知りました。
しかし、日本に派遣されている世界の報道機関はおそらく自国にこの事件のことを送信しなかったか(共同通信と契約している海外の新聞社は配信記事を受け取っているはず)、送信・配信を受けても記事にしなかった。
それゆえ、世界・統一教会の教会員は事件のことを知らない。
(「知らされていない」というより「知らない」という表現が正しい。もっとも、外国の統一教会に所属する一部の日本人信者はネットで記事を読んでいる)

ちなみに、「教会から知らされていない」ことにこだわるのであれば、もう少し具体的に、指摘してください。

理解できなかったのは、末尾の一文です。
なのに、「宗教の自由」についてはコメントがある。どういうことか。

どういうことかって、なにがどういうことかなのですか。

匿名希望さんがというわけではないのですが、思い込みが強い人は相手も当然そのことは知っているんだと思い込み、質問が簡略的・短絡的になる傾向があります。

匿名希望さんにお願いします。
質問に回答するのはものすごく時間がかかります。
それゆえ、質問されるのであれば、回答する人間にとってわかりやすく質問してください。ましてや、ここではみんなが読むわけですから、公開質問的な形になります。
トンチンカンな回答をしたくないので、わかりやすい質問をお願いいたします。

お詫びします。

全く申し訳ありません。
大変な失礼なコメントを書いた上に、丁寧な返答を頂き、心からお詫びします。

最初の質問は、米本さんあてではなく、なくす会へ宛てるべきでした。

勘違い、はやとちり、思い込みの重なりで全く申し訳ありません。
非常識だったと理解しております。それでも情報を頂き、恥ずかしい思いです。
大変失礼しました。穴があれば入りたい思いです…

追伸については、出来れば、非公開のコメントを送りたいのですが、その設定は無理のようです。
出来ればインターネットを通して連絡させていただきたいのですが、それは可能でしょうか。

匿名希望さんへ

 拙著『我らの不快な隣人』の裏表紙の背に、私の個人メールアドレスが書いてあります。そこにどうぞ。

 もしまだ読まれていないのだしたら、これを機に読んでみてください。このブログは本の補完的な書き方をしているところが多々あるので、本そのものを読んでいただくと、ブログの内容がよりわかると思います。よろしくお願いします。

抗議

抗議文

 今回この「火の粉を払え」ブログのコメント投稿者、早川なる人物から多大な文章を窃盗してブログを作られ、面白おかしく構成されて、さらに恐喝未遂のようなことまでされてしまいました。その本人に対して、内容証明を送る等のことも考えております。
 彼がブログを作った理由は「SAKAがコメントを解放しない。」と言う理由からなるものでした。それは個人の自由でもあるにもかかわらず、貴殿は「早川に同意する。」と言うことを言われました。それも発言も自由でございますが、貴殿によい評価を得た彼はブログを作り私のブログから、私の居住住所を割り出し、私の家族にまで言及してくる卑劣な方法をとってきております。
 それにもかかわらず、貴殿は早川が書いた中傷文章を「この前のSAKA氏が警察に訴える架空のやりとりは、完成度が高く、最高でした。おそらく考え考えでなく、さらさらと書かれたのでは。それでいて読ませる構成になっているのだから、たいしたものです。」と評価しておられます。
 発言の責任がどこにあるのかわからないような人物から家族まで危険に晒される会話をされる行為は大変な迷惑ですので、やめていただきたくお願いいたします。

情熱的な改革運動とは

遍照金剛です(空海さんには大変失礼かな)。

米本様

>どちらの認識が正しいかどうかわからないが、少なからずの教会員(ただし主流ではない)は「抜本的改革」を求めている。
しかし、彼らとて、自分たちが改革の主人公になるという気概には欠けている。主体的に創造性を発揮することが求められない体質に馴染んでしまったのか、燃えるような情熱と覚悟が感じられないのだ。

確かによく見つめておられると思います。私は教会員として最近、自省することが多いのですが、改革は求める気持ちはあるけれども、確かに燃えるような情熱といわれますと、欠けていますね。なぜであろうか、と自己を見つめておりますが、改革は心の改革から、またできるところからと思っているところがあるからでしょうか。

ですから
>主体的に創造性を発揮することが求められない体質に馴染んでしまったのか、
ということではありませんが、内省し、まず自分はどうなっているのかを確認しつつ進むわけですから、統一教会人の改革運動は、情熱的な運動にはなり得ないような気がします。

人に改革を迫るには、まず自己改革から、自分の心のよりどころを確認するところから始めなければなりません。本来的自己への回帰とでもいいましょうか。現在の統一教会のあり方から、自分自身が統一教会であるという生き方への回帰といえましょうか。ですからどうしても静的運動とならざるを得ないと思います。

しかし、静的運動といっても、自らを内省し、その結果として、組織に社会的正義からの逸脱の兆候ありと認められた場合には進んで諫言する、そのような生き方を目指す所存です。またそうでなければ、統一教会の未来はありません。また周囲に良い影響を与えられないのなら、自己をいくら内省しても、自分だけの改革にとどまってしまいます。自己の内政が、周囲の人にも良い影響を及ぼし、その結果として教会改革につながっていく、そういう生き方を目指します。

そのような生き方を目指す者から見ても、米本氏がこのブログの徳野会長会見の記事で指摘された内容は、組織変革すべき貴重な内容であったと、評価しております。

匿名さん

この場合の「管理人による対応」って、何をイメージしておられるんですか。ブログの管理人による対応って、たとえば記事を修正するとかコメントを削除するとかくらいしかあり得ないと思いますが、削除要請がなされている投稿はないようです。記事の修正は米本さん本人が必要と認めればする(逆に言えば、本人が認めなければする必要もない)のでしょうから、たぶんそちらの可能性は除外しても良さそうですね。

「投稿から10時間以上経っている」ってことで、匿名さんの投稿である22:54から常識的に考えられる「10時間」前後を単純に逆算すると、12:54以前で11:55以降ということになりますが、それに該当する投稿は見あたらない。

一番近いのがSAKAさんの13:18ですが、これにしたって「10時間以上」ではない。内容的にも「大変な迷惑ですので、やめていただきたくお願いいたします」と書いてあるだけだし、それ以降米本さんは記事もコメントもアップしてないから、「やめる」どころか「何もしていない」としか言いようがないので、たぶんSAKAさんのコメントとも無関係なんでしょう。

匿名さん、「早く対応しなさい」って書かれてますが、何を「対応」するのか、もう少し具体的に書くべきではありませんか。

もし私が管理者だったら、意味不明な上に筋違いの内容しか書かれていないSAKAさんのコメントを問答無用で削除するくらいの「対応」しか思いつきません。

まさか、SAKAさんが「匿名」という別のハンドルネームで他人を偽装して何らかの「対応」を促すために投稿した、というような非常識で卑劣で浅はかなマネをしたのではないだろうと思いますが、そのように疑われても仕方ないように思いますよ。

SAKAさんへ

 せっかくいただいた抗議文なのですが、誰に何を抗議されているのか、意味がさっぱり分かりませんでした。とりわけ末尾の--

発言の責任がどこにあるのかわからないような人物から家族まで危険に晒される会話をされる行為は大変な迷惑ですので、やめていただきたくお願いいたします。

--という一文は、何度も読み返しましたが、文意そのものが通じません。かなり頭をひねったのですが、解釈できるとしたら次のことしかありません。

早川さんが早川さんのブログ「人をののしる統一教会員」に、SAKA批判の記事を書くのはやめてもらえないか。そのようにあなた(米本)からお願いしてもらえないか。

もしそうだとしたら、SAKAさんは自分のブログ「統一教会をののしる人たち」、あるいは早川さんのブログに、懇願の一文を書けばいいだけのことではないでしょうか。
「もうやめてください」
「勘弁してください」

 それだけのことではないか。
 なにもこの「火の粉」ブログのコメント欄にそのことを書く必要はないはず。
 
 自分で早川さんを批判しておきながら、同じように批判・罵倒している私に「やめさせてくれ」と頼む。
 悶絶しそうな構図。もう、情けないったら、ありゃしない。
 甘ったれるのもいい加減にせ~いよ、だ。

この抗議の投稿文が送られてきたのは、8月12日午後1時過ぎ。
そのあとに「統一教会をののしる人たち」で、こう書き加えている。

ルポライター(評論家)さん、教会に対して暴言を吐かれるまえに、ご自分のブログで「泥棒や恐喝する人」は育てないでください。(早川コメントに対する賞賛助長コメント参照。)非常に迷惑ですから。
(頼んでおきながら、すぐにこれだ)


SAKAさんは、自分のブログで、私や早川さんを批判するときは実に尊大で野卑である。
しかし、自分が激烈に批判されると、とたんに臆病になり、上目づかいで助けはいないかとキョロキョロした態度になる。

みっともないたら、ありしゃない。

抗議文から6時間後に、再び、SAKA氏から投稿が入った。
あまにもバカバカしいので、削除したが、再録しておく。


早川氏から私の住所を特定するようなブログを作られております事は重大なるプライバシーの侵害であります。早急の対応お願いいたします。早急に早川氏にご連絡を取っていただき、削除されたくお願いいたします。 * [2009/08/12 19:57]

私もSAKA氏の住所を特定したいと思っている。ルートを使って真面目に調べれば半日でわかる。
住所がわかれば名誉毀損で訴えるつもりである。
突然、埼玉地裁から呼び出し状が来るから、覚悟しておいてください。
あわてて、ブログを削除しないでください。バックアップや画面の撮影など証拠は保存してあります。
提訴すれば、SAKAさんとはうちの家のそばの地裁でご対面だ。
そのときには、よろしく、です。名刺交換でもしましょうね。地裁の喫茶室でお茶でもしましょうか。

なんて書けば、SAKA氏はまたまた臆病なネズミになる。
自分(匿名)で他人(実名)のことを罵倒しておきながら、逆に批判されると、夜一睡もできないほどに不安定になる。ほんとうに可哀相な人というかなんというか。

このブログを開設してから約6カ月。卑猥な迷惑メールは投稿拒否の措置をそのつど取っているが、それ以外ではSAKA氏が投稿拒否第一号になります。

(追記)SAKAさん、あなたの主張は教会員にも非教会員にも反教会員にも、つまり誰からも支持されておらず、早川さんが脅迫しているなんて誰も思っていませんよ。もし、自分が正しいと思うのなら、早川さんが言う通り、どうかご家族に自分のブログをお見せになったらどうでしょうか。
奥様の声が聞こえてきそうです。
「あんた、くだらんこと書いていないで、子どものために汗かかんか」と。

(追追記)またSAKAさんから脅えの投稿が入っていますが、そのままにしておきます。
SAKAさん、早川さんに脅え続けなさい。彼は正義と根性の人です。「やるといったらとことんやる」。義と情の人であります。
 どうか恐怖にのたうちまわってください。

ただし、お子さんが「パパ、いつもどうしてそんなに怖い顔をしてパソコンしてるの」と言っているとすれば、うーん、どうしてあげればいいのか。早川さんが言う通り、同じ信仰仲間が本気になってあげないと・・・。

ちょっと面白いです。

このブログのメインテーマは、<統一教会に求められているのは、改善か抜本的な改革か>ですが、テーマから外れてごめんなさいですが、現役教会員のSAKAさんと、反統一教会の早川さんのブログのやりとりが面白いです。

SAKAさんのブログはhttp://blog.goo.ne.jp/cityboy1_001

早川さんのブログはhttp://blog.goo.ne.jp/tthayakawa/

SAKAさんは、統一教会をやめて「エンタの神様」でデビューしたら、成功するのじゃないかと、思いました。

SAKAさま

米本さんのコメント禁止勧告を受けて、静かになったかと思いましたが、そうではないようですね。
以前も指摘しましたが、あなたは大きな勘違いをしているとしか思えません。
正直 同じ信者として恥ずかしいです。
統一教会が現在のような恥ずかしい姿になってしまったのは、何かが間違っていたからです。客観的視点から、統一教会の、さらには自分自身のどこが間違っていたのか。問題点を総括できなければ、社会に受け入れてもらうことはできません。そういう観点に立てば、米本さんや早川さんの苦言も、自分が気がついていない問題点を指摘してくれていることに気がつくことができます。
「真の人間になる前に、まず普通の人間になりましょう。」うちの教会長がよく言う言葉です。

拉致監禁被害者相談窓口

教会で、拉致監禁被害者相談窓口を開設したようですね。


http://www.uc-japan.org/news.aspx?id=519&pg=0

SAKAさん

私も、以前SAKAさんのブログを読んでコメントとかメールでやり取りしたいと思いましたが、コメントは受け取りませんとあり、首を傾げたこともあります。内容は、例のごとくワリワリ。ズケズケの内容ですが、中にはしかりと言うか賛同できる内容もあったのでコメントしたいのに(残念!!!)でありました。私も以前統一教会で街頭に出て伝道するとき、服装のことを当時のアベルから言われました。(神の子なんだし街頭に出るんだからジーパンではなくちゃんとした普通のズボンをはきなさい)と注意をうけました。まー身なりは大事ですから。私も、人のことは偉そうに言えませんがネット上においても身なりと言うかマナーは大事かと思います。

バーチャルとリアリティ

 元さん、情報ありがとうございました。この相談窓口開設の記事を読んで、予定を変更して、「統一教会考(10)」を書くことにしました。

 ところで、以前に半言居士さんと早川さんが言及されていたバーチャルとリアリティのことです。

 私は今回のブログで「下からの改革運動」を期待するといった趣旨のことを書きました。
 それと関連することですが、ここ半年間、現役信者の方が個人ブログを相次いで開設されていることに注目していました。
 
 ブログは不特定多数に向かって発信できる便利な媒体です。
 受け手の側(社会、世間)にとっては、これまで正体不明で不気味な存在だった教会員の日々の暮らしや考え方がブログである程度わかるようになりつつあります。まだ建前的なことばかりしか書かれていませんが、それでもある程度のことは知ることができるようになった。

 統一教会(&各教会)のホームページは無味乾燥でくすんだ暗い印象しか受けません。信者家族が読んだら、「気色悪い団体」という印象をより強くするばかりです。それに比べると、教会員の個人ブログは内容は乏しいものの、それでも明るい印象を受けます。

 もう一つの意義は、教会員が自分の言葉で、社会に向かって発信するようになった意識の変化です。
 これまではいつもアベル(命令する人)の顔色をうかがうばかりで、世間に向かって、どんなに建前的で無味乾燥なものであれ、自分の感じ方を自分の言葉で社会に向かって発信するようなことはなかった。それが変化しつつあるのだと感じています。

 “バーチャル”なのだが、ブログでの発信は意義あることだと思います。

 しかし、また一方でガッカリしたこともあります。

 匿名ブログはほとんど読まないため、教会員ブログもざっとしか目を通していませんが、昨年11月に新潟の「北玄」で3人の社長・社員、今年2月に渋谷の「新世」で7人の社長・社員が逮捕され、6月には統一教会の南東京教区の施設と教区長の自宅が家宅捜索を受けました。
 このことについて触れたブログは、幽霊食口さんの掲示板ブログと、例のSAKAさんのブログ(「新世・田中社長擁護)しかありませんでした。

 信仰仲間が経済犯罪事件で逮捕され、また教団に家宅捜索が入ったことは大事件です。法の華三方行、神世界以来のことです。
 それなのに、圧倒的多数の教会員ブログはこのことに関して何の記述もありませんでした。これは驚くべき感性の喪失と言わざるを得ません。

 察するに、自分たちの教区・教会・教域でも、何らかの形で、似たようなことが行われているため、何か発言すれば自分にも返ってくる、物言えば唇寒しということなのかもしれません。

 信者家族が、経済事件にまるで触れていない無数の教会員個人ブログを眺めたら、どう思われるのか。そうしたことを想像力(読み手側の立場に立つこと)をもって考えことがないのか、不思議でなりません。

 ブログを開設した信者の意識は、盲目的摂理邁進派よりもはるかに高いと思うと、暗澹とした気持ちにもなります。

(追記)SAKAさん問題に関心ある人は、早川さんのブログのコメント欄に書き込んでください。私も書くつもりでいます。
 SAKAさん、再度、警告します。ここには書き込まないでください。書き込まれるたびに削除する(2回あり)のは面倒です。

米本さん、初めまして。

協会員の経済犯罪事件について言及しないのは・・・
擁護も出来ず批判も出来ず、どうしていいかわからないからなのではないでしょうか。



協会を改革しなければ、信者は行く先がなくなりますね。
内部に居る人間が改革するしかないのですが、協会内部にそんな力があるとは到底思えません。

◎米本様

>SAKAさん問題に関心ある人は、早川さんのブログ
>のコメント欄に書き込んでください。

了解致しました。先のコメントは削除致しました。

米本さん

SAKAさんの件了解しました。失礼しました。

抹茶さんへ

 投稿ありがとうございます。

 協会を改革しなければ、信者は行く先がなくなりますね。
内部に居る人間が改革するしかないのですが、協会内部にそんな力があるとは到底思えません。


 悩ましいテーマですね。でも、まあ教団を下から改革する力がないと、自壊の一途をたどることになるのでしょうね。

 そうなれば、ブログに書いたように、死人が出るでしょう。

 統一教会が自滅してザマーミロっていう人たちもいると思いますが、私は見たくもありません。

 下からの改革の力があるかどうか。私にも分かりませんが、力がなければ自滅するしかないでしょうね。

 この半年間が教団、信者の勝負どころだと思っています。
 あまり書きたくないのですが、ヘドロのようにたまったウミを出せるどうか(人事でいえば、数百人いる摂理盲目的邁進派の、統一原理さえ理解できていない婦人部長を放逐できるかどうか)にかかっていると思っています。

 池田創価学会のように婦人部はとても強いです。原始的な感情が絡むゆえ、彼女たちを放逐するのはとても難しいでしょう。ステレオタイプで宗教組織を見ると、とんでもない間違いをします。

現場を見ない統一教会側

初めての投稿です。
米本氏が統一教会側と反統一教会側の双方の現場を取材し、書籍やこうしたブログにて見解を発しておられる内容に関しては、ほぼ同感の意見を持っています。統一教会側の販売方法や献金集めなどに関しては、組織のトップを含めて世代交代及び人事交替しなければ変わらないだろうし、現在進めている摂理や御旨を方針転換しない限りは内部改革も難しく、ノルマ的な献金集めは終わることがないだろうと思います。現在の統一教会の状態は、今までの教会の教義と指導が作り上げたものであり、外部からの批判による影響はわずかなものであります。現在の統一教会の教義と指導は、残念ながら現在の社会に受け入れられるものではなく、今後の希望もかなり難しい。また、反統一教会側も拉致監禁はすぐにやめるべきであるが、統一教会の教祖側が教義と指導を検証し、本来の宗教組織の目的を確立できない限りは止められないだろうと思います。

統一教会は「縦社会」です。
下からの改革など出来るわけがないと思います。

教祖亡き後、教祖の子供の中で跡目争いがあるでしょうし。
大体、教祖が存命中に「分派」がいくつも出来る教団なのですから。


とはいえ、拉致監禁は犯罪なので即刻やめてほしいです。

関係する牧師のサイトを読んだことがありますが、統一教会と全く同じ臭いがして気分が悪くなりました。



修正

「バーチャルとリアリティ」と題した投稿で、教団の拉致監禁問題への取り組みについて書くとアナウンスしましたが、もう少し観察してからにします。

組織の存在は奇跡

今の組織は,存在自体が奇跡だと思っています。これほどずさんで好い加減な組織がなぜ崩壊しないのか?

例えば,エンジンのない車が時速50キロで走ってるとしましょう。50キロで走ってること自体が理解不能で奇跡です。統一教会の組織改革を考えることは,エンジンのない車を時速80キロで走らせるためにはどうしたら良いのだろうと考えることと同じように感じます。

抹茶さん:
>関係する牧師のサイトを読んだことがありますが、統一教会と全く同じ臭いが
>して気分が悪くなりました。

私もそう思います。個人の人権を尊重する意識が著しく欠けています。

正義の目的を達成するために,多少やり方に問題があっても目をつむろうという考え方は,悪いことだと判っていても多くの日本人は容認してしまう考え方なのかもしれませんね。

こういった人権感覚が,拉致監禁問題や違法献金勧誘の問題が日本特有の問題となっている要因なのかなとも思いました。

意識改革からの組織改革

80年代,霊感商法問題で厳しく批判をされた時,きちんとけじめをつける態度を示すことができたなら,ここまで社会的評価は悪くはならなかったし,組織改革の絶好のチャンスでもあった。

米本さんのこのような分析は,私も全くそのとおりであると思います。

日本統一教会の組織改革という観点から,当時,私が重要であったであろうと考えている出来事をお話させて下さい。ここに投稿すべき内容かどうか悩みましたが,今の組織改革を考える上でも参考になるかもしれないと思い,投稿することにいたしました。

88年,6500双の合同結婚式が韓国で行われました。6500双は「交差祝福」と言われ,日韓のカップルが非常に多かったことが特徴でした。合同結婚式の直前くらいに「6500双のメンバーは合同結婚式後,そのまま全員韓国に残って活動するように」と文教祖から指示があったと聞いています。

ところが,日本組織としては,そんなことになっては大変です。当時の日本組織は,経済活動一色の様相を呈していました。88年といえば,マスコミで霊感商法問題が大きく取り上げられた影響で,日本組織の献金実績も激減していたはずです。合同結婚式に参加するメンバーは,30歳前後の働き盛り,経済活動の主力メンバーです。その主力メンバーが5000人以上も日本組織から引き抜かれることになると,経済活動は致命的な打撃を受けると上層部は考えたと思います。

そこで,上層部は,韓国に残って活動するメンバーは6500双全員ではなく一部にして欲しいと文教祖に直訴し,そのようにしてもらったと聞いています。それでも,多分3000人以上のメンバーが合同結婚式後,韓国に残って活動したのではないかと思います。私もそのメンバーの一人でした。今でこそ,多くの日本人メンバーが韓国で活動しておりますが,当時は韓国組織と日本組織の交流もあまりなく,韓国組織で活動する日本人は少ししかおりませんでした。

米本さんも本で書かれていますが,日本組織と韓国組織では,これが同じ統一教会だろうかと思うくらい違います。私は韓国での生活をとおして,考え方,信仰観が大きく変わりました。

約1年くらい韓国で活動をした後,文教祖から「日本人メンバーは一部だけを韓国に残し,ほとんど全員日本に帰国するように」との指示が出されました。文教祖は「先生は,君たちを先生の密使として日本に送るんだ。あなたがたがここ(韓国での生活)で学んだことを,そのまま日本のメンバーに伝えなさい。日本人の言うことは聞くな。」こんな内容の話をされたと記憶しています。

89年後半から90年前半にかけて,3000人くらいの日本人メンバーが,韓国から日本に帰って来ることになりました。しかし,日本組織はそのメンバーを組織に受け入れませんでしたし,日本組織の信者と接触しないような対策がとられていると感じました。(この帰国メンバーはコリア人(こりあびと)と呼ばれてましたので,以後コリア人と言います)

日本組織がそのような対応を取った理由はいろいろあると思いますが,私はこう思っています。

米本さんの本でも韓国文化の特徴として「主体性」ということが書かれていますが,コリア人もその点で大きな影響を受けていました。つまり,標準的な日本人信者の場合,上司の指示に逆らうことはまれですが,コリア人は違います。自分で主体的に考えて,納得しなければ上司の指示には従いません。例え,文教祖からの直接の指示であっても納得しなければ従いません。

日本組織の上層部は,コリア人の信仰観が日本組織に広がるのを恐れたのだと思います。上司のいうことを聞かない人間が沢山出てきたら献金実績が減ってしまいます。霊感商法に疑問を感じた人は,納得できない指示には従わなくなります。それじゃ困ると。

コリア人は日本組織から隔離され,韓日人教会をつくりました。韓日人教会は日本統一教会関連組織の中にあって異質でした。献金のことはあまり言いません。献金実績は最低ですが,信者同士の暖かい交流があり,米本さんが韓国で見た教会の雰囲気に近いと思います。しかし,年数を経て日本組織と同化してしまい,今は他の日本の教会とあまり変わらなくなっていると思います。

米本さんは,統一教会の最大の問題は,高額エンドレス献金であると分析されています。それは全くその通りだと思います。しかし,別の側面(内的,精神的側面)から分析すると,日本人的信仰観からの脱却,意識改革,こういうことも高額エンドレス献金に匹敵するほど重要な問題ではないかと思っています。その意識改革の先頭に立つべきであったのが,コリア人であったと思っています。

余談ですが,コリア人が韓国にいた時,文教祖の指示内容や教義の内容について,韓国組織で言われてることと日本組織で言われてることが大きく食い違うことが多々あり,大混乱になったことがありました。その時,日本組織の幹部であった桜井夫人は,日本人メンバーを集め「韓国で言われてることが正しい。日本で言われてることが間違っている。間違った理由は・・・」と説明をされました。

私には言い訳にしか聞こえませんでした。これは日本では,いろいろな情報操作がされていて末端信者の耳に入る情報はどこまで正しいものやらと,そんな風に感じました。20年前の話ですから今はどうかわかりませんが・・・

高額エンドレス献金からの脱却

>米本さんは,統一教会の最大の問題は,高額エンドレス献金であると分析されています。
>日本組織の上層部は,コリア人の信仰観が日本組織に広がるのを恐れたのだと思います。
>意識改革から組織改革

NY65さん、こんにちは。
「統一教会の最大の問題は,高額エンドレス献金である」という分析は、米本さんに限らず、統一教会の信者達、また統一教会を知る人達にとっては大部分が同じ考えだろうと思います。しかし、日本の組織改革はコリア人(教祖及び韓国幹部も含むであろう)の信仰観が日本組織に広がっても今までと同じことでしょう。交差祝福をうけた6500双のメンバー達はその後及び現在に至って日本の各地区の責任者になっていますが、日本の組織を改革できなかったどころか、同じように高額エンドレス献金を続けてきたと思います。日本で活動する責任者達は、説教では「真の愛による神の国を築きましょう」と語りながら、直接か間接かの区別はあっても、具体的活動は「高額エンドレス献金」(経済活動)をするのが重要な責任分担なのだと思います。それが母の国(エバ国)としての使命だという大原則の御言葉があるからだと思います。日本の過去及び現在の責任者達は教祖様の願いに応えるために、個人的に程度の差こそあれ、「高額エンドレス献金」(経済活動)に関わるのが必然であり、「低額献金で良いから世界の人々を救済しよう」という方針が出ていないからだと思います。

瞳さんへ

瞳さん:
>交差祝福をうけた6500双のメンバー達はその後及び現在に至って日本の
>各地区の責任者になっていますが、日本の組織を改革できなかったどこ
>ろか、同じように高額エンドレス献金を続けてきたと思います。

コリア人の所属教会であった韓日人教会では,高額エンドレス献金はなかったと思います。少なくとも私の所属する教会ではありませんでした。可能な範囲で献金しておりましたし,できないものはできないとはっきり断る人も多かったです。それで何も問題はありませんでした。だから,献金実績はいつも最低の教会でした。献金については,韓日人教会でも,理解のある教会責任者もいればそうでない責任者もいましたから,私も意見があわず大喧嘩したことは多々ありました。

>日本で活動する責任者達は、説教では「真の愛による神の国を築きま
>しょう」と語りながら、直接か間接かの区別はあっても、具体的活動は
>「高額エンドレス献金」(経済活動)をするのが重要な責任分担なのだと
>思います。それが母の国(エバ国)としての使命だという大原則の御言
>葉があるからだと思います。日本の過去及び現在の責任者達は教祖
>様の願いに応えるために、個人的に程度の差こそあれ、「高額エンドレ
>ス献金」(経済活動)に関わるのが必然であり、「低額献金で良いから世
>界の人々を救済しよう」という方針が出ていないからだと思います。

確かに上からきちんとした方針を出して欲しいという気持ちはわかりますが,それは上で決めることだと思いますから,現状では下の立場としてどうすべきかということを考えることが大切かと思います。

下の立場としては,できるだけ上からの方針に添うよう努力しながらも,できないものはできないとはっきり拒否することが大切ではないかと思っています。借金をしてでも献金を強要するようなことが未だに行われているのかどうか知りませんが,もし,そんなことをしているとすれば,そんなやり方は間違ってると指摘し,やめるべきだとはっきり言うべきです。下の立場としては,まずそういうところから始めることが大切ではないかと思います。

幹部の責任を問えない組織

>コリア人の所属教会であった韓日人教会では,高額エンドレス献金はなかったと思います。
確かにそのようであったようと思います。しかし、その後、韓日人教会は各地区では吸収され「高額エンドレス献金」の要請に応えざるを得なかった人が多かったのではないかと思います。確かに、元韓日人教会に所属していた人達は「高額献金」には反発していたし、「そんなやり方は間違ってる」とか「やめるべきだ」とはっきり言う人がいたように思います。ただ、そうした人々は少数派でしたし、今後も同じだろうと思います。

>確かに上からきちんとした方針を出して欲しいという気持ちはわかりますが,それは上で決めることだと思いますから,現状では下の立場としてどうすべきかということを考えることが大切かと思います。
>そんなやり方は間違ってると指摘し,やめるべきだとはっきり言うべきです。下の立場としては,まずそういうところから始めることが大切ではないかと思います。
NY65さんのこうした考え方は、大半の信者の考え方かと思います。しかしながら、「そんなやり方は間違ってる」とか「やめるべきだ」とはっきり言う人がいても、上の方はそうした意見を受け入れたことがありませんので、いつまでも日本では「高額エンドレス献金」が続いてきたのだと思います。「上で決めること」とありますが、どこのレベルで日本全体の方針が決るのかといつも疑問を持っています。仮に10人の日本幹部の責任者会議があって決めたとしても、それは教祖様の方針に沿って具体策を決めただけものであり、方針は教祖様の方針で決っているのだろうと思います。社会一般で行なわれる民主的な形式であれば、教祖様は議長職のような立場に立ち議案の方針(案)を審議して、各分野の役員が意見を出し合って決定すべきではないかと思います。そうすれば、「霊感商法や高額献金のようなやり方は間違っている、やめるべきだという信者や一般からの意見が多く上がってきているので、信者や社会からの苦情や批判に対処するために活動方針と活動内容を変えましょう」となるだろうと思います。
しかし、統一教会の教祖様は一般社会の教祖様とは違い、絶対的な存在、神様自身のような存在という認識でありますので、教祖様の方針に逆らえる幹部はいないだろうと思います。教祖様は、世界中の人類のみならず、天宙(地上界と霊界)の救い主であるので、教祖様が願う世界摂理に必要なお金を集めるには日本が責任を持つべきであり、霊感商法だろうが、借金だろうが、批判を受ける金集めであろうが、そんなの関係ないということになってしまうのだろうと思います。もちろん、幹部の誰もが「高額エンドレス献金」は問題が生じていることはわかっていても、個人的には葛藤を感じながらも、使命と責任感からやらざるを得ず、それをやりたくないならば、責任者を辞めるか、「高額エンドレス献金」から距離を置いて信仰を続けていくのだろうと思います。
日本の組織に対しては、日本の歴代の幹部達にその責任が問われていて、確かに霊感商法を作り出した当時の責任者が一番問われるのかもしれませんが、日本の幹部に誰がなろうとも教祖様の方針が変わらない限り「高額エンドレス献金」はなくならないのだろうと思います。

>日本の幹部に誰がなろうとも教祖様の方針が変わらない限り「高額エンドレス献金」はなくならないのだろうと思います。


この部分、同感です。




ちょっと思い出したことなので書きますが、統一教会は、真の父母を受け入れた人とその他を区別します。(この世とか、非原理とか言う言い方をします)

協会では「組織防衛」を第一にしていますから、外部に知られては困ることは、絶対言いません。


Fに行く前に、警官に捕まったときの対策などを地区長が話すぐらいですから。(1982年ごろ)

匿名の人間の証言は相手にされないんでしょうけど。
現役時代の話なんて、リスクばかりで何の得にもなりませんから実名でなんてできませんし、する気もありません。

瞳さんへ

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NY65さんのこうした考え方は、大半の信者の考え方かと思います。しかしながら、「そんなやり方は間違ってる」とか「やめるべきだ」とはっきり言う人がいても、上の方はそうした意見を受け入れたことがありませんので、いつまでも日本では「高額エンドレス献金」が続いてきたのだと思います。
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過去に意見が受け入れられたことがないのかは知りませんが,現実問題として「高額エンドレス献金」は,なくなりそうにはないですね。私の意見は「高額エンドレス献金」自体に対して「そんなやり方は間違っている」とか「やめるべきだ」と教会責任者に対してはっきり言う,というものではありません。「高額エンドレス献金」を「強要するやり方」,「借金や人をだましでも献金しようとするやり方」こういったやり方を批判しています。

統一教会の最大の問題が「高額エンドレス献金」であったとしても,その根拠が教義に基づく宗教的理由によるものであり,組織としての決定であれば,信者の立場としては,それは受け入れるべきだろうとも思っています。もちろん一個人としては「高額エンドレス献金」をやめて欲しいという気持ちはもっておりますが,それは悪いことで間違いだからやめて欲しいというものではなくて,信者の精神的プレッシャーを気の毒だと思うからやめて欲しいと思っています。

韓日人教会では「高額エンドレス献金」はなかったと言いましたが,正確に言うと多分あったのではないかと思います。ですが,韓日人教会では,それを強要する雰囲気はありませんでした。また,日本の他の教会と違い,献金の話はあまりされていませんでした。だから私は「高額エンドレス献金」はないと思っていました。米本さんが本で書かれいる「孝成教会」も同じではないかと想像します。

「高額エンドレス献金」が続いたとしても,違法なやり方を廃除し,各自ができる範囲で努力することが大切ではないかというのが私の意見です。それで組織の体質が大きく変わるとは思いませんが,そういうことが大切だと思っています。

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「上で決めること」とありますが、どこのレベルで日本全体の方針が決るのかといつも疑問を持っています。仮に10人の日本幹部の責任者会議があって決めたとしても、それは教祖様の方針に沿って具体策を決めただけものであり、方針は教祖様の方針で決っているのだろうと思います。社会一般で行なわれる民主的な形式であれば、教祖様は議長職のような立場に立ち議案の方針(案)を審議して、各分野の役員が意見を出し合って決定すべきではないかと思います。そうすれば、「霊感商法や高額献金のようなやり方は間違っている、やめるべきだという信者や一般からの意見が多く上がってきているので、信者や社会からの苦情や批判に対処するために活動方針と活動内容を変えましょう」となるだろうと思います。
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組織の意思決定がどのようになされているのかはわかりません。コメント欄のどこかで「サークルなみのずさんさ」という言葉があったと思いますが,想像するに,組織の意思決定も「サークルなみのずさんさ」ではないかと思っています。この点をきちんとすることは組織としての課題だろうとは思いますが,宗教組織である特徴を考えれば,一般企業と同程度の民主的な組織である必要もないのでないかと思っています。下のいろいろな意見を集約できるシステムも必要だとは思います。

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しかし、統一教会の教祖様は一般社会の教祖様とは違い、絶対的な存在、神様自身のような存在という認識でありますので、教祖様の方針に逆らえる幹部はいないだろうと思います。
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このような固定観念(標準的な日本人信者の考え方)を変える必要があると私は思っています。そして,この固定観念こそが,「高額エンドレス献金」に匹敵するほどの,日本統一教会最大の問題であるとも思っています。

韓国人の信者は文先生の方針に逆らう信者は一杯いますよ。自分の意見をはっきりと言います。それで,文先生から激しく怒られている場面も見たことがありますが,韓国人はそれでもへこたれませんから,言い返してましたね。私は親子喧嘩のように感じられて微笑ましく思いました。

動機が正しければ,自分の意見をはっきり言っても問題はないと思います。それで大喧嘩になったとしても良いじゃないですか。統一教会は心情組織で家族のような情関係で結ばれるべきであって,神様と人間は親子の関係と言ってますよね。激しい親子喧嘩をしても根底に愛があれば問題はないと思います。文先生に対しても納得できないことははっきりと意見を言うべきだと思います。

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教祖様は、世界中の人類のみならず、天宙(地上界と霊界)の救い主であるので、教祖様が願う世界摂理に必要なお金を集めるには日本が責任を持つべきであり、霊感商法だろうが、借金だろうが、批判を受ける金集めであろうが、そんなの関係ないということになってしまうのだろうと思います。
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そのような考え方に至る人もいれば,そうじゃない人もいると思います。そのような考え方をする人は,拉致監禁を容認する牧師や弁護士と同じ穴の狢だと思います。

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日本の幹部に誰がなろうとも教祖様の方針が変わらない限り「高額エンドレス献金」はなくならないのだろうと思います。
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「高額エンドレス献金」がなくなろうとなくなるまいと,一信者としては,できることをしていくということが大切だと思っています。それで組織が大きく変わるともあまり思っておりませんし,大きな期待もしておりません。

米本さんの本にボランティアで河川の清掃活動を行う信者のことが書かれています。また,韓国の奉仕活動のことも書かれています。こういった一信者としてできることをこつこつやっていくことが,大切だと思っています。

ちなみに韓国の奉仕活動ですが,これは上からの方針で始めたことではないと思います。地域の教会に所属する日本人の信者同士が集まって,自らが主体的に考え意見を出し合って始めたことだと思います。私が韓国で活動をしていた時,私の所属する教会ではそうでしたから。

NY65さんへ

>組織の意思決定がどのようになされているのかはわかりません。コメント欄のどこかで「サークルなみのずさんさ」という言葉があったと思いますが,想像するに,組織の意思決定も「サークルなみのずさんさ」ではないかと思っています。

私の感じている統一教会組織の意思決定は、決して「サークルなみのずさん」なものではなく、下の意見や社会の意見に振り回されず、教祖様の方針には忠実に従う強い意思決定を持っていると思います。ただ、反統一教会組織や社会に対しては、ずさんな対処しか出来ていないのではないかと思います。教祖様もそれらにきちんと対処するべきだという方針を出されていないのではないかと思っています。指示は出されておられるでしょうが、方針までにはなっていないだろうと思います。そうした状況ですので結果的には、4000名以上の拉致監禁者がいても、末端信者(幹部は時々救出されていますが)でありますので、「高額エンドレス献金」による世界摂理の方を優先せざるを得ないのだろうと思います。

>(教祖様の方針に逆らえないという)、このような固定観念(標準的な日本人信者の考え方)を変える必要があると私は思っています。そして,この固定観念こそが,「高額エンドレス献金」に匹敵するほどの,日本統一教会最大の問題であるとも思っています。韓国人の信者は文先生の方針に逆らう信者は一杯いますよ。

教祖様の方針に逆らう一部の韓国人の信者は、日本の信者から見るとうらやましく思いますが、そうした逆らう信者は組織の中では煙たがれ、責任者をはずされていくでしょうし、組織の中に残るのは「高額エンドレス献金」を容認する責任者だけだろうと思います。ここ十数年の日本にいた責任者の中で「高額エンドレス献金」を容認しない責任者がいたならば、今回のような教会組織の中まで、霊感商法の疑いで警察の捜査を受けることはなかっただろうと思います。80年代の霊感商法では、日本人の幹部はマスコミを騒がせたかもしれませんが、教会組織の中まで警察の捜査を受けたことはなかったと思います。80年代以降は韓国人の責任者達が日本に来ましたが、結果的には「高額エンドレス献金」を容認し、推進してきたのではないかと思います。教義の中では、各時代的な教訓が残されていますが、日本統一教会は過去の教訓を活かせなかったのではないかと思います。教義や教訓がいくら立派なように見えても、やっている行動が教義や教訓からかけ離れているものであれば、その組織と人間達を信頼してもらうことは不可能に近いのではないかと思います。

.>統一教会は心情組織で家族のような情関係で結ばれるべきであって,神様と人間は親子の関係と言ってますよね。激しい親子喧嘩をしても根底に愛があれば問題はないと思います。文先生に対しても納得できないことははっきりと意見を言うべきだと思います。

統一教会は宗教組織が土台でありますので、心情組織で家族のような情関係で結ばれるべきだと思いますが、実際はお金のことでギスギスした情関係で結ばれているような気がします。親(責任者)にはっきりと意見を言うことができない子供達(信者達)が多いのだろうと思います。教義と理想は一見すばらしいように見えるのですが、組織維持と活動資金のためのお金の集め方が未熟な組織ではないかと思います。お金の集め方においてオープンにできる組織は健全であり、信頼される組織だと思いますが、お金の集め方において問題のある組織はいくら良さそうな活動をしたとしても胡散臭い組織(宗教団体に多い)として社会的に認められないのは常識だろうと思います。

瞳さんへ

瞳さん,私に対するコメント,ありがとうございました。ですが,長くなったのでそろそろ終わりにしましょうか。

瞳さんの最後のコメントの内容は,多少気になるところ(例えば,私は「高額エンドレス献金」は容認しているが,「高額エンドレス献金を達成するための違法なやり方」は容認していない。この辺の言葉の使い方について)はあるものの,私も概ねそのとおりだと思います。組織の意思決定に関するご意見は,私の意見よりも瞳さんのご意見の方が適切だと思いました。

とても興味深く

 瞳さん、NY65、抹茶さん。
 とても面白く議論を読ましていただきました。なんだか偉そうな言い方でごめんなさい。ブログの構造上、どうしても、こんな書き方になってしまいます。お許しを。

 歴史の問題、摂理の問題、日本の問題など、いろいろあって、整理整頓して、数次元関数に取り組む必要があると思っています。私も知り得たことはどんどん情報提供していきます。

 ちょっと誤解されたのではないかと気に病んでいます。抹茶さんの以下の一文です。
「匿名の人間の証言は相手にされないんでしょうけど」

 私のことを言っているのであれば、大いなる誤解です。

 私は、匿名の人間が他者を実名で批判することの問題(卑怯)を言っているのです。この前紹介していただいたので、あとで韓定食さんのブログを見ましたが、酷いものです。後藤さんが監禁されたマンションのことをピーチクパーチクしゃべっている。驚きました。
 認知不協和のテキストにしようかと思ったほどです。いまだに訂正もなし。
 こういう文脈で、匿名ブログを読むのは能力の無駄使いだと思っています。

 しかしながら、以上のことは内部告発ということとはまったく別のことです。ここらへんのことはどうか、総合的に理性的に考えてください。

はじめまして

元信者の韓定食と申します。
私は、他人様のブログを評して「バカ」「オタク」「認知不協和」とけなせるほど偉くはありません。
そして私自身の不見識による勘違い記事については、別の日の記事の中で謝罪して訂正しております。

『カルトの子』で反統一教会陣営からの情報を鵜呑みにして「次男の文興進は、改造車を無免許運転して事故死した」と書き、
『我らの不快な隣人』でも訂正されず、ブログのコメント欄で訂正される米本さんから、「訂正もなし」と書かれる筋合いはありません。

また「批判的な匿名ブログは無視し、賛同的な匿名ブログはリンクする」米本さんの姿勢には疑問を感じます。
実名であっても誤情報を提供される場合があるのは、身に沁みておられることでしょう。
私などは統一協会にいた過去が恥ずかしくてとても実名を名乗れません。

米本さんのブログは人気が高いので、「認知不協和のテキスト」として宣伝してくださる日を期待しています。

韓定食さんへ

 投稿ありがとうございました。

 韓定食さんのブログ「堕天使のトリック」は、後藤さんの陳述書を掲載し始めてから、友人に「こんな疑問を抱いている人もいるみたい」と紹介されたことがあります。
 後藤さんの陳述書とりわけ彼が監禁されていたマンションの間取りについての疑問が出されていた記事とそのコメント投稿を読みました。

 刑事告訴しているにもかかわらず、こんな疑問を抱くのだから、事実を認めたくないのだと「認知不協和」理論のことを思いました。

 その後、ブログを拝読していないので、「そして私自身の不見識による勘違い記事については、別の日の記事の中で謝罪して訂正しております」と書かれている記事は読んでいません。どこを開けば、読めるでしょうか。教えていただければ、助かります。

 なお、「バカ」という表現は、光言社の小林社長のブログに向けた言葉であり、これについて謝罪しています。小林さんのブログで了承していただいています。韓定食さんとは関係ない話です。
 また、「オタク」については、小林氏も「奥さんから言われている」こととして、問題にされていません。

 韓定食さんのブログすべてではなく、後藤陳述書に関する記事について、「認知不協和のテキストにしようかと思ったほどです。いまだに訂正もなし」と書いただけです。バカ、オタクは小林氏のブログに向けた言葉であります。

 訂正記事を教えていただければ、その事実をこのコメント欄で読者に伝えます。

また「批判的な匿名ブログは無視し、賛同的な匿名ブログはリンクする」米本さんの姿勢には疑問を感じます。

 と書かれていたので、火の粉ブログを再度確認したのですが、匿名ブログでリンクを張っているのは、「夜桜餡」「みさちのひとり言」「統一教会信者の脱会方法について」「S-tation~摂理途中下車のススメ」「天地の諸事情」です。

 おそらく問題にされているのは「天地の諸事情」だと思われますが、「参考」という位置づけになっています。ブログを読んで賛同できないところもありますが、参考になる記事は少なくありません。それゆえ「参考」カテゴリーを設けた次第です。

 よって、韓定食さんの指摘は失当です。

 なお、「『カルトの子』~~」のコメントは申し訳ないのですが、意味を咀嚼できませんでした。
 文鮮明氏の子女の経歴の記述が間違った理由についてはコメント欄で書いたと思いましたが。認知不協和とはあまり関係なく、反統一教会の情報に依拠し、統一教会に裏付け取材しなかった怠惰のせいだとすでにコメント投稿をしたつもりです。

 認知不協和については、すでにお読みになったと思いますが、山口コラム(12)前後を再度、読んでいただければと思います。

霊感商法活発化

初めまして。
元教会員です。

また霊感商法が活発化してきたようですね。

http://dp.tosp.co.jp/index.php?action=blog_view_entry&ocd=user&oid=5129972&eno=210

元教会員さんへ

貴重な情報を教えていただき、ありがとうございました。

このブログは統一教会の問題点を暴くことを目的にしたものではないとはいえ、拉致監禁問題と無関係とは言えません。
いずれ、この問題を顕在化させるつもりです。もうしばらく、お待ちください。

最近、統一教会の杉並教会、武蔵野教会(管轄は西東京教区)で、青年信者が正体を明かさずに勧誘していることもわかってきました。新たな情報があれば、また教えてください。よろしくお願いいたします。

元教会員さんへ

このエイトさんのブログを見て、嘘ではないと思うのですが、かなりの主観で書いているなと思いました。

また、主観であるにしろ、本部見解と違う事をしている信者達を、本部はしっかり注意しないといけないのでは?

同意いたします

隣人さん

>主観であるにしろ、本部見解と違う
>事をしている信者達を、本部はしっ
>かり注意しないといけないのでは?

同意いたします。

おそらく一生懸命考えた結果ではあると思いますが、一生懸命考える方向が違います。

どうしたら、一般の許容レベルまで下げたごまかしになるかを考えてもしょうがないのですが・・・・・。

本当に、穴があったら隠れたいほど恥ずかしいです・・・。

どうしたら正々堂々とした行動で目的を達する事が出来るかに知恵を絞らないと・・・・・。

とにかく、もはや、どんなごまかしも許容できる段階ではないと思います。

本部が知らず、教区?教域?もしくは、一部署の暴走なのでしょうか?

それとも見て見ぬふりなのでしょうか?

エイトさんのブログは、そういう意味では本部の方が見過ごしてしまう報告が無い部分を報告してくれているので、あり難いものでもありますね(苦笑)

因みに、「我らの不快な隣人」についても、エイトさんのブログにありました。
http://dp.tosp.co.jp/index.php?action=blog_view_entry&ocd=user&oid=5129972&eno=141&tno=-1&page=8

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