桜井正上の訴えの意味するものは何か? 

露わになってきた統一教会(家庭連合)の真実(2)

 話題を集めた家庭連合本部の櫻井正上家庭教育局副局長の声明文である。渋谷の道玄坂を毎日のぼって松濤本部に通う幹部職員は日々、家庭連合(統一教会)の何が問題だと考えていたのか」という視点で読んでみると、とてもエキサイティングである。

 櫻井氏は、ちょっと前(確か2年前)にテレビのインタビュ-に模範的回答をしていたエリ-ト宗教官僚であった。彼は「教団の何が問題だと考えていたのか」-このことだけに限って、声明文からその箇所を指摘したい。方法は下線ゴチック色文字によってである。読者の読解力に期待したい。あっ、ただし、小生が面白いと思ったところにも、下線などを用いた。 

桜井声明文 2017年10月1日全国の牧会者の皆様へ


の間、胸に秘めてきた思いがありました。にもかかわらず、私が沈黙しようと思ったのは、多くの方々同様、真の家庭の課題は私たちが触れていい内容でも、解決できる問題でもなく、必ずや子女様御自身が、お父様が、お母様が解決してくださるものと信じたからです。

<注1>冒頭から注で申し訳ないのだが、いきなり指示代名詞(その)から始まる。ものすごく違和感を覚えるというか文になっていない。
 この櫻井声明文は複数のブログが全文ママで引用していた。
 どうして、このことに疑問を感じなかったのか不思議でならない。“右も左も”、思考が劣化しているとしか思えない。
<注2><その間って、「いつからいつまでのことですか」と突っ込みを入れたくなる>のだが、櫻井正上氏はこの文の前に、そのことを説明していたはずだ。
 奇妙な話である。
 櫻井声明文は、ねこどしさんのブログによって拡散された。彼女(?)が声明文を選択加工したと疑われる。どうか真相を教えていただきたい。
 なお、櫻井正上氏は10月24日付で2度目の呼びかけを行なっている。「牧会者の皆様へ」。問題の指摘はすっかり消えている。

<注3>彼は文顯進を支持している。そのためやや偏頗的なところがあるが、それ以外は、 ごく少数だが良識ある家庭連合の職員の気持ちと、サンクチュアリ教会とりわけ澤田地平氏たちの訴えと同じである。
 一部の顯進派が澤田氏の示威活動(言論活動)に否定的なのは、バカの極みというしかない。顯進派には狭量な人が多いような印象を受けている。



 れは違いました。この問題は“真の家庭”だけの問題ではなく、私たち祝福家庭を代表する指導者たちの問題が深く関わっているからです !

 もし問題の発端が“父母様と子女様との間の心情関係”にあったなら、そこで解決すべきでしょう。もし問題の原因が真の家庭内の“兄弟間の葛藤”にあったなら、そこで和解して頂くほかありません。しかし、もし、この一連の問題を引き起こし、深刻化させた要因が“私たち自身”の信仰姿勢や言動にあったなら、この問題解決に対する責任の5%は“私たち”にもあるはずです!少なくとも、私はその責任を果たそうとはしてきませんでした。或いは、自らに与えられた職分をこなすことを“口実”に、問題を“傍観”してきてしまったのかも知れません。

 私がこんなことを訴えたところで、現場の摂理に何の益があるのかと言われるでしょう。分派闘争に巻き込むな!と思われる方々も多いに違いありません。しかし、私は今、改めて思います。これは単なるお家騒動でも、分派闘争でもありません。神の摂理の終着点は“真の家庭”であり、神とサタンの一線もそこであって、これが今後の統一運動の方向性を決する一線だと思うのです !

 もし、私たちが分派だ !として叩いてきた相手が、神の摂理の中心に立っている方であり、もし私たちが自らの固定概念と信仰観をもって打ってきた相手が“神の言葉”を語っている方であり、もし私たちが二千年前、イエス・キリストを悪の化身として民衆に教えてきたパリサイ人、律法学者のような立場に立っているとしたら、私たちは神の摂理の前に重大な“罪”を犯す立場になり得るのです!

 もし、今の真の家庭の状態と統一運動の方向性に、何の問題も感じていないと言われるなら、私に言えることは何もありません。しかし、一人の信仰者として、率直に、深刻な事態が起こっていると感じておられるなら、この問題の発端がどこにあり、それらが何に起因し、何を正さなければならないのかを、もう一度、深刻に見つめ直してみなければならないのではないでしょうか?

 2001年に始まる天一国時代は、子女様と祝福家庭とが一つとなって、ご父母様の勝利圏を受け継ぎ、天一国創建に向けた最後の峠を越えて行く時代でした。その摂理が座礁した原因は何だったのでしょうか?顕進様が父母様に従順屈服できず、財産を強奪して飛び出した、と、本気でそう信じておられるのでしょうか?私はたとえ数年間であれ、顕進様から直接、指導を受け、その思想や信念、人格に触れてきた人間です。教会から聞かされる顕進様像には、大きな“歪み”を感じざるを得ませんでした。

 もし顕進様が自らの立場に固執し、父母様の座を狙うような“政治的”な方であったなら、むしろ当時、お父様の元を離れはしなかったでしょう。それは誰が見ても“賢くないから”です!人々の誤解や不信を買い、十年来の信頼基盤を失うことにしかなりません。それよりも、“先代”に寄り添い、自らの立場を伝えていく方がよっぽど“賢い”でしょう。また、もし本当に弟たちに嫉妬心を覚えたなら、むしろ何もせずに静観し、お父様の傍らにあって、彼らを讒訴する機会を待ち続けたに違いありません。

 顕進様は自らの信仰生命を賭して摂理を守り、父母様の伝統を守ろうとした…。それが、私自身が数年にわたり、当時の文書に目を通し、起こってきた事実をもとに考え、その場にいた人々を訪ね、議論し、祈り、真実を求めようとして至った結論でした。さらに言えば、そうした顕進様と父母様との間を引き裂いたのは、他ならぬ、私たち祝福家庭であり、私たちを代表する指導者たちだった!と、私は思います。

 批判を恐れずに言うなら、“真の父母宣布文”は、本来、世に出てはいけない文書だったと思えてなりません。“真の父母様の指示 と命令に絶対服従する”のが、本当に父母様の打ち立てたかった“統一家の伝統”だったのでしょうか?私は違う!と思います。父母様が一生涯を通して打ち立てられた伝統とは“真の愛の伝統”であり、“神のみ旨のために生きる伝統”です。私はあの文書が最初に発表された時、戦慄を覚えました。内部の組織闘争にお父様まで巻き込んだ!と思えてならなかったからです。

 皆さんにもう一度、思い出して頂きたいのです!父母様の結実は“真の家庭”であり、天一国時代における中心的課題は“アベルの子女とカインの子女の一体化”にありました。当時、天から見て“善・悪”があったとすれば、真の家庭を守り、アベルの子女をお守りする側が“善”であり、真の家庭の関係に亀裂を生じさせ、アベルの子女を打つ側が“悪”だったはずです!

 周藤先生はかつてこう教えられました。「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が犠牲となり、ひいては既に勝利された真の父母に対してさえサタンが打ってくるようになる…(成約摂理解説P272)」

 こうしたことは、かつての私たちにとっては“常識”でした。しかし、今や“真の父母”のみを絶対視し、“真の子女”は相対化され、天の摂理が“真の家庭”にあったことなど、とうに忘れ去られてしまったかのようです。かつて、顕進様が公的に立たれ、これを中心に二世圏が立ち上がっていたあの時代、サタンが何よりも打ち砕きたかったのは、未来へと続く“真の家庭の基台”でしょう。父母様の勝利圏と伝統を本気で相続しようとする未来の指導者を、サタンは何よりも恐れたはずです!当時、顕進様を激しく糾弾した一連の事件が“サタンの業”でなくて何だったのでしょうか? 私たちは全員で“真の子女を打った”のです! あの時の私は、半ば真実に気付きながらも、“自分のような小さな者にできることなど何もない”として沈黙し、傍観した“二千年前の弟子たち”と同じだったのかもしれません。

 “お母様を信じよう、必ず解決してくださるはずだ”…、私もそう考えようと努めました。が、起こって来る現実をみる時、深刻な思いにならざるを得ませんでした。“真の父母”の勝利圏は“真の子女”に相続されなければなりません。原理的に見るなら、“父”の伝統を受け継ぐ“息子”を立てることこそ“母”の最も本来的な使命であり、それを助けるのがカインの子女の務めではないでしょうか。

 お母様が今、語られる“独生女”の御言に対して、皆さんは本当に心から納得しておられるのでしょうか?本当にそれがお父様の語ってこられた内容と同じものに聞こえるのでしょうか?私は祝福の講義を担当してきた者として、どうしても疑問を抱かざるを得ませんでした。批判しようと思ってきたのではありません。皆さん同様、“苦悩”してきたのです。

 天聖経が編纂された時、私たちは「お母様はお父様の御言に手を加えたのではない、ただ整理されたのだ」と説明してきました。その後、お母様が胎中聖別をほのめかす話をされた時、本部では「血統転換を意味しているのではなく、お母様の出生の価値を強調されたのだ」と解説してきました。しかし今や「お母様の無原罪誕生」はほぼ公式見解となり、異論を唱えるのもはばかられるようになりました。

 今後、「お父様には原罪があった!」とされても、「お母様の御言なのだから信じよ」となるに違いありません。お母様がそれを語られたのは“事実”だからです! 気付かぬうちに、私たちが価値視すべき原理観や信仰観の根幹がずれてきているように感じるのは、私だけではないはずです !

 信仰歴の長い方々は、こうも言われます。“私たちがそれを指摘したところでお母様が考えを変えてくださる訳ではないのだから、たとえ間違っていようとも、侍って行くことが子女の道理ではないか” と。しかし、本当に、ただ黙って付き従うことが“お母様のため”なのでしょうか?

 私はお母様を愛する者です。二世である私にとって、父母様は、御言を知る前から父母様でした。しかし、お母様を愛することと、お母様を神格化して無批判的になることとは違うはずです。また、私はお母様のお父様に対する深い愛情を信じる者です。しかし、そのことと、お母様の語られる言葉と示される方向性とがお父様の原理観・摂理観と一致しているかは別の話ではないでしょうか?どこまでも“神の摂理”の方向に向かってお母様を支え、共に歩むことが“子女の道理”ではないでしょうか?

 統一運動は“神の摂理”に生き、それを果たそうとする運動でした。私たちは、父母様を崇めて天国に行こう、という宗教を信じてきたのではありません!父母様の生き方を相続し、神の願いに生きようとする群れが統一家であり、それが私にとっての統一運動でした。いつから、真の父母様の“一代記” を信じ崇める信仰集団へと変わってしまったのでしょうか?

 HJ 天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?食口のためでしょうか?世界平和のためでしょうか?それを見た人々が、本当に心から父母様を慕い、そこに“神の摂理”を実感するようになるのでしょうか? 私は清平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み” を覚えました。私の信仰のなさ故でしょうか? 食口たちの苦労と窮状を知る牧会者の皆さんなら、同じような思いを抱かれないでしょうか?

 真の父母様の生涯の結実は、天一国の起点は、荘厳な建造物などではなく、“真の家庭”であり、“祝福家庭”であるはずです!私たちの運動の本質が、“行き先”が、変わって来てしまっているのではないでしょうか? 私は日本教会の改革の努力を否定したいのではありません。教会改革、祝福推進、環境創造…、それは私が最も成したいことであり、皆さんと共に、昼夜なく、力を尽くしてきた内容でもありました。しかし“船の中”の改革を必死に進めたとしても、もしその船の“行き先”が間違っているとしたら、そうした努力はどこに結実し得るのでしょうか?

 私は今回の祝福が終わったら、またその一連の業務を終えたら、“辞表”を出そうと考えていました。その間、責任者の方々に、自らの思いや危惧するところを伝えてきましたが、顕進様に対する姿勢も、UCI訴訟も、独生女理論も、HJ天苑プロジェクトも、それらは全て“大本営”の方針であって、日本教会でどうこうできる問題ではありませんでした

 組織の方針を受け入れられないなら、己の信念を貫きたいなら、自らが潔く、静かに身を引くのが組織人としての筋でしょう。しかし、辞表を書き上げてみた時、思いました。これは本当の意味で、責任ある行動ではないんじゃないか!と。“行き先が違うから”と言って、“家族”を残し、自分だけ“船”から降りるという選択ができるのか!と。私にとって、食口たちは“家族”です!苦労の中を、共に“神の御旨”を果たそうと歩んできた方々に他なりません。

 私はこれまで、こう考えてきました。もし仮に家庭連合が“セウォル号”であるなら、私は最後までその改革に死力を尽くして共に沈もう、と。この思いは、多くの牧会者の方々の思いと同じでしょう。それが“船員”としての道理なのかも知れません。しかし、私は今、思います。“船員”の本当の使命とは“乗客”の命を最後まで守り、彼らを“目的地”に届けることなのではないだろうか!と。私たちは“船”を守ろうとするあまり、本質的なことを見失っているのかも知れません。私たちが“船”に乗り込んだ理由は“目的地”のためでした。“乗客”もまた同じであり、彼らをその目的地まで運ぶことが“船”の目的であったはずです!

 食口の“霊的生命”を守るため、と言うなら、今、この家庭連合の“本丸”がどこに向かっているのか、食口たちの汗と涙と精誠が、日本教会の変革の努力が、本当に神の摂理に直結しているものなのか、とことん追求しなければならないのではないでしょうか?それが“船員”の務めであるはずです!

 無論、現状にあって、食口たちが求めているのは教義論争や真実の追求ではないのかも知れません。苦労の中にあって、彼らが欲しているものは癒しであり、慰めであり、身近なサポートであることを、私もよく知っています。目の前にいる一人を助けることがこれまでの私の務めであり、私にできる唯一の貢献でした。しかし、どんなに真心をもって尽くしたとしても、食口たちを導く“行き先”が誤っているとすれば、また、私たちが食口たちを誤導してしまっているのだとしたら、私たちは何をもって、彼らの“霊的生命”に責任をもつことができるのでしょうか? 船員が何よりも見失ってはならないものは、彼らを導く“目的地”であり、“行き先”ではないでしょうか?

 思えば、顕進様がかつて私たちに教えてくださったことは“舩の行き先”についてでした。顕進様は“自分に付き従うこと”を私たちに教えたのではなく、私たちが共に“神の御旨”を見つめ、その御旨に生きることを教えてくださいました。父母様を愛するということは、父母様に名前を覚えられ、愛されることではなく、父母様が生涯をかけて果たそうとされた“神の願い”を果たすことであり、その御旨に生きることだと教えてくださったのです!

 顕進様がお父様に異を唱えることも躊躇わなかったのは“神の御旨”に対して真剣だったからだと、私は思います。弟の子女様方の言動を深刻に見つめられたのも、この運動が“行き先”を見失うことを危惧されていからだ、と思うのです。かつて教会側が躍起になって顕進様への批判キャンペーンを展開していた真っ只中でさえ、顕進様の関心はただ、お父様のご存命中に、また基元節までに“どうお父様の悲願を果たすか”だけだったように思えました。当時、顕進様側のメンバーと議論する度に思い知らされたのです。顕進様にとっては、ご自分の真実を明かすことよりも、父母様の願い、神の摂理を成すことのほうがよっぽど大切なことなのだ!と。顕進様は言わば、この運動の“行き先”のために、自らの首をかけて闘って来られたのです!

 私は心を決めました。顕進様の真実とその声を食口たちに届けます。顕進様の語る言葉に真実と原理を見出し、指し示す方向性の中に“神の摂理”を見るからです。「お母様を守らなければならない」と語る指導者たちの孝情よりも、悲痛な心情で「お母様を“勝利されたお母様”として立てて差し上げなければならない !」と涙される顕進様の中に“本物の孝情”を見るからです!

 もし兄弟たちが誤った方向に進もうとするなら、声を荒げてでもそれを食い止め、万一、親が方向性を見誤るようなことが生じたなら、自分がどう言われようと、必死になって、それを食い止めようとするのが真の孝子ではないでしょうか? 顕進様は「自らの力をもってお母様の権威に挑もう」というような、そんなレベルの低い方ではありません!お母様を最後まで背負って、御旨を歩まれる方です! それが、私がその間、見聞きし、実感してきた顕進様の真実の姿でした。

 私たちが作り上げた歪んだ情報と“城壁”ゆえに、また相次ぐ分派闘争によるトラウマゆえに、その方の言葉が食口に届かなくなってしまっているのだとすれば、それを正しく届けなければならない…、そう思いました。その間、悩まない日はありませんでした。しかし、何度祈っても、拒んでも、躊躇っても、恐れても、私の内に強く示される思いはそれでした。

 私はかつて母の行動を止めようとしました。それは母を「守ろう」としたからです。しかし、母が切実な祈りの中で、自らの立場よりも、名誉よりも、生活よりも、自らの聖和のことよりも、神の摂理を思い、父母様を思い、食口を思い、「私は父母様から愛された者だ、日本教会の長女なのだから」と、自らの全てをかけて声を上げようとする姿に触れた時、これを止めることはできませんでした。

 私も今、それと同じ思いです。私は日本教会を、これ以上、顕進様、神の摂理を進めようとする方を打つ側に立たせたくないのです!どうか、一方的で誤った情報を食口たちに伝えることを中断してください。その責任は牧会者の方々が負うべきではありませんし、負って頂きたくもないのです!今からでも、この船の方角を変えたいのです!お母様を本当に支え、食口たちを神の摂理の方向性へ向かわせることのできる方は顕進様だ !と、私は信じます。

 もし、皆さんがこのメッセージを、単に分派の“毒”に冒された気違いの叫びだと思われるなら、石を投げつけてくださっても構いません。しかし、もし皆さんの中に、“別の声”を聞かれる方々がおられるなら、周囲の声や偏見にとらわれず、“真実”を求め続けてください。母の二つの書簡をはじめ、自らの信仰生命をかけて真実を伝えようとしている人々の言葉に耳を傾けてください!“財産泥棒”“食口泥棒”という汚名を着せられ、あらゆる迫害を受けながらも、必死な思いで私たちに働きかけてきた、顕進様の真実の言葉に耳を傾けて頂きたいのです!

 また、真実を求めようとする食口たちがいるなら、それを断罪しないでください。人は真実を求めるものです。皆さんもこの道に来られる時、同じだったのではないでしょうか?本当に“真実”に立っている側は、「見るな、聞くな、触れるな」とは言いません。見て、聞いて、触れて、祈って判断せよ、と言うはずです。幼い二世や食口は別かも知れませんが、先輩家庭や青年食口に対して「あちらの集会に行ったら罪人とする」などといった状況は、“正常”とは言えないでしょう!

 真実は周囲が認めるから真実になる訳ではありません。たとえ周りの全員から反対されようと、真実はそれだけで真実でしょう。私たちが御言を知る者であり、神を信じる者であるなら、真偽を見分ける判断基準は、本部の見解でも、権威ある者の言葉でもなく、“原理”であり、“神の摂理”でなければならないのではないでしょうか?また、自らが何を信じるべきかは“神霊”と“真理”によって判断しなければならないのではないでしょうか?私にとって、この行動はその結果でした。

 仮に、皆さん一人一人が自らの信じる“真実の声”を挙げ始めることで、この教会に“混乱”が生ずるのだとすれば、それは今、この教会が“本来的な状態でない”ことの現れではないでしょうか?私も“混乱”を恐れてきた人間です。しかし、もしそれが、この運動の本来的状態を取り戻そうとする過程の中で生じる混乱であるなら、私は、その混乱を“避けてはいけない”と思うのです。

 最初に記したように、この運動の方向性を誤らせた原因に、祝福家庭の言動や姿勢があったのだとすれば、私たち一人一人はこの問題に対する5%の責任を負っています!それを果たさないまま、全ての責任を真の家庭に負わせてはいけない、と思うのです。また、ただ信じて、沈黙し、傍観することが、その5%を果たすことではない、と、私は思うのです。

 今、私にとって大切なことは、自らの内なる本心の声を信じ、沈黙を破って、自らが信じる真実を、皆さんに伝えることです。一人の声はほんの小さなものでしかないのかもしれません。しかし、それが真実から語られる言葉であり、声であれば、人の心にも届くはずです。また、一人一人の声はどんなに小さくとも、それが一つの声になるなら、“潮の流れ”も変えることができるのではないでしょうか?

 かつてのお父様のように、数年間、どんな迫害にも、苦難にも、誹謗中傷にも、変わることなく、自らの抱いた信念を、真実を語り続け、叫ばれ続けた方の姿を見た時、また、その方の根底にあるものが、恨みでも、怒りでも、憎しみでもない、天に対する、父母様に対する、食口たちに対する“真の愛”であったことに気付いた時、私にも、一つの覚悟が生まれました。

 難しい時代、困難な時代だからこそ、“信仰”が求められるに違いありません。私は改めて神の導きを信じたいと思います。また、真実に立つ一人一人によって、この運動がこの難局を越え、対立と混乱の時代を越えて、神の摂理の中で全てが一つとなる日が来ることを、心から信じてやみません。

2017年10月1日櫻井正上


て、通読されて、櫻井氏は家庭連合の何が問題だと訴えていたのでしょうか。

 日本教会は、大本営すなわち韓鶴子とその取り巻き(重臣:一部の韓国人幹部)に支配されているということだ。
 統一教会の絶対であった文鮮明の抑圧から解放された韓鶴子は、夫以上の絶対を求めるようになった。
 重臣は文鮮明時代と同じように、利権を手にしたいと「韓鶴子」を舌を出しながらでも奉る。演技は見事だ。
 日本教会の小山田とか周藤とか徳野だとか、なんとかエトセトラは、大本営に従うしかない。

 だから、澤田地平氏たちの問いかけに、口を閉じ、足早に通り過ぎるだけなのである。

「時間はかかるけど、プロのリハビリはすごい」は介護家族にとって参考になるはずです。 



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コメント

桜井正上氏の訴えについての批評

 桜井正上氏の訴えについて、批判意見と賛同意見をそれぞれ2点書きます。まずは批判からです。
(1)文中の「顕進様は自らの信仰生命を賭して摂理を守り、父母様の伝統を守ろうとした…。」について、真の父母様宣布文にはこのように明記されています。
 父母様の伝統とは何かというと、「(前略)真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!これが統一家の永遠の伝統であり、信仰である!この点については、天宙的に真の子女も、一般食口も同様である。」

 従って、文中の「“真の父母様の指示 と命令に絶対服従する”のが、本当に父母様の打ち立てたかった“統一家の伝統”だったのでしょうか?」という質問にはイエスと答えるべきでしょう。  さらに「メシア」の命令が「摂理」となるのに、メシアの命令を無視している顕進氏は摂理を守っているとは言えません。
 “真の愛の伝統”(?)、子供を育児放棄しておいて「真の愛」があるとは信じられません。“神のみ旨のために生きる伝統”(?)、食口がいくら疲弊しようと高額エンドレス献金をさせ、幹部が献金中抜き、信者の財産を把握した上で信者の金を盗む、摂理のためなら不倫を肯定する(タマルと舅の不倫関係などを、神の血統を残す行為だとして正当化)_そんなカルト的悪習は決して残すべきではないと思います。

 そして教会は彼に対してこのような指示・命令を下しています。 
・文顯進をはじめとするUCI理事陣は、即刻現職から退くこと(以後、主語略)
・韓国で展開されている汝矣島聖地開発工事に関連するすべての権限を、創始者である真の父母様に返還しなさい。(2014年7月10日判決:統一財団敗訴、三男勝訴)
・今まで真の父母様の許諾なく公的資産を処分して得た全財産を返還せよ。(このUCI裁判はUCI側にとって都合の悪い展開。そういえばパシセラ氏もgildong氏も自分の所属?団体が不利な展開になってから、ブログで裁判に触れなくなりましたね。彼らこそ、「沈黙を破って、自らが信じる真実を、皆さんに伝えること」をしてほしいものです。)
 参考記事:顯進様はどうして「お父様」の指示を無視するのだろうか。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-847.html
 顕進氏は(すべてではないにしても)父母様の指示と命令に絶対服従するという伝統を守ろうとはしていませんでした。

(2)「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が犠牲となり、ひいては既に勝利された真の父母に対してさえサタンが打ってくる(以下略)」

 これはメシア家庭にとって実に都合が良く、メシア家庭は何をしても罪に問われることはなく、カインの責任にされてしまう。アベルの罪を免罪するための責任転嫁・屁理屈としか思えません。そういえば徳野会長も末端信者に責任転嫁していたが、この発想なのかも。末端食口が可哀想すぎます。

 次に賛同部分を2点書きます。
(A)「お母様を愛することと、お母様を神格化して無批判的になることとは違うはずです。」
正しいことは「正しい」、間違っていることを黙認せずに「間違っている」と主張することは是々非々であり何も問題ないと思います。一方で、まっとうな批判に相対基準を合わせないとすれば、自ら<バカの壁>を築くようなものです。 

 しかし悲しいことに、教会ではメシア(またはメシア代理人)絶対なので、たとえ教義に反していようが無茶苦茶な要求だろうがメシアに絶対服従しなければなりません。もし教団幹部が反対意見を表明しようものなら幹部ポジションから追放される恐れがあるから、下手に口出しできないのでしょう。

 参考記事:新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か-韓講話
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-493.html
-お母様が胎中から無原罪だったという原理はない-

 教祖の死後、真の母が改変してしまった教義の個所について。
 最も重要な変更点は「お母様が胎中にいる時に血統転換されていた」、「お母様が胎中から無原罪だった」という独生女理論(お母様無原罪)です。
 
その他の真のお母様の主張、それは↓
・肉身を持って役事(=清平役事などを)される訓母に対してあれこれ言ってはなりません。清平を世界の聖地にしたい。
・お母様を尊敬して生きなければなりません。
・世の中の法が私たちをあれこれ言うことができません。
・(HJ天苑プロジェクトの一環としての)天地鮮鶴苑の建設は韓国に対して責任を負う日本の蕩減として、その使命を果たさなければなりません。(建設費の費用は日本食口が負担?) 
 参考記事:109HJ天苑プロジェクト研究http://shimpankaihiproject.blog.fc2.com/blog-entry-115.html

(B)「UCI訴訟も、独生女理論も、HJ天苑プロジェクトも、それらは全て“大本営”の方針であって、日本教会でどうこうできる問題ではありませんでした。」
 日本教会は“大本営”の方針に絶対に従う姿勢ですので、そうでしょう。
 教義にはない活動だろうと、恣意的な教義変更だろうと、理不尽な献金要請だろうと、父母様に絶対服従するのが教会の伝統であり、アベルがカラスは白いと言えば‘はいそうです‘と返答できるような人が幹部になれるからです。そうやってお母様の主張を日本人の食口向けにアレンジ(この際、教会にとって不都合な真実を隠蔽する場合もあります。)して発表し、食口の「神の摂理」を成し遂げたい想いを利用して献金を促し、今の地位を守ろうとします。 そういう作戦だからこそ教会にとって不都合な点、痛い点をついてくる澤田氏を敵対視するのでしょう。 
 ただ、重臣(韓国幹部)は面従腹背によってお母様をヨイショし、末端食口からの献金という甘い蜜を吸う魂胆があるように見えますが・・。ああ恐ろしい構図、これが素直な感想です。

二世櫻井氏の訴えの感想

>信仰歴の長い方々は、こうも言われます。“私たちがそれを指摘したところでお母様が考えを変えてくださる訳ではないのだから、たとえ間違っていようとも、侍って行くことが子女の道理ではないか” と。

>お母様を愛することと、お母様を神格化して無批判的になることとは違うはずです。

>HJ 天苑は誰のためのプロジェクトなのでしょうか?食口のためでしょうか?世界平和のためでしょうか?それを見た人々が、本当に心から父母様を慕い、そこに“神の摂理”を実感するようになるのでしょうか? 私は清平の地に新たな建造物が立ち並んでいく姿を見る度に、喜びや感動よりも“痛み” を覚えました。私の信仰のなさ故でしょうか? 食口たちの苦労と窮状を知る牧会者の皆さんなら、同じような思いを抱かれないでしょうか?


 米本さんは記事の最後に「さて、通読されて、櫻井氏は家庭連合の何が問題だと訴えていたのでしょうか。」と質問されていながら、その直後には自ら模範解答を書かれています。(笑)
 統一食口は読解力が乏しいと思われ、不安に思ってそれを書かれたのでしょうか?
 私は、この二世櫻井氏の文章は「統一教会ブログ村」の他のブログにアップされた時に既に一度読んでいますが、統一原理に適った信仰を守ろうとするその純真さには感心させられました。
 これで統一原理が真理というほどの価値があるものなら彼は英雄のような存在となるのでしょうが、如何せん統一原理には幼稚思考がふんだんに盛り込まれていますので、上の彼の文章にはもう一歩感情移入できません。

 しかし、彼は徳野大嘘つき会長などとは違い、純真な心の持ち主なので考えていることを正直に述べています。その点では彼の文章は大いに価値があると思います。
 今回の記事の彼の文章の中で、特に真実を語っていて価値があると思われる部分は最初に引用した部分ですが、家庭連合の問題点がそこに凝縮して書かれています。
 特に、一番上の引用はものの見事に家庭連合・統一信者の依存体質を表しています。
 その中の「たとえ間違っていようとも、侍って行くことが子女の道理ではないか」などはヘブライズムの神を信じる宗教家なら間違っても口に出さない言葉で、統一教団を支配している信仰「原理」はキリスト教やユダヤ教とはまったく異質で、朝鮮儒教と瓜二つであるのがわかります。

 おそらく、その「信仰歴の長い方々」とは朝鮮文化をたっぷり受け継いだ人たちで、発展した社会に生きる文明人から古代人へと退化した人たちなのだろうと思います。
 もっとも、朝鮮人(北韓人+韓国人)はそのような人たちが主流を占めており、朝鮮人にとって重要なのは真実とか真理ではなく、自分達が持っている思い込みであり、人間的な、あるいは民族的な上下関係なのです。
 それは特に最近の日韓関係を考えても十分言えることです。

 実は統一教団の欠陥としての儒教体質が露わになったのは韓鶴子氏の問題が出てきてからではなく、文鮮明氏が健在だった当時から似たような問題は出てきているのです。
 文鮮明氏の無駄金遣いの酷さは以前からよく知られており、ギャンブルに大金を使ったり、成功する可能性の低い事業に大金を投入したりと、「間違ったこと」など どれだけ行ったか、どれだけ口にしたかわからないのではないでしょうか…
 しかし、それに対し、「私はあなたを愛するがゆえに申し上げるのですが、信者たちの血と汗と涙の献金をそのような無駄なことに使わないでください」と忠告した真に神を愛する統一信者は果たしていたのでしょうか?
 答えはもちろん否です。
 なぜならば、「信仰歴の長い方々」の信仰とは朝鮮儒教の焼き直しの依存信仰でしかなかったからです。
 二世櫻井氏が言うところの「信仰歴の長い方々」の「子女の道理」などとは とおの昔に過去の遺物となった朝鮮儒教の倫理観としてあったもので、現代の文明社会では通用するはずがないものなのです。すなわち、「神の摂理」として淘汰された倫理観なのです。
 それでいながら、「国教を目指す」とか表向きは言うわけですから、まったくもってどうしようもない幼稚宗教信者たちです。

 二世櫻井氏は元クリスチャンの両親を持つだけあって、そのような民度の低い朝鮮人タイプの信仰者にはなり切れなかったのだと思いますが、統一信者二世として生まれてしまったが故の悲劇は上の文章からも十分読み取れます。
 上の文章には「神の摂理」という言葉が至る所に書かれており、彼の正義心はその言葉によって支えられております。
 しかしながら、その言葉は辞書などに書かれた意味とは全く異なる意味で使われており、知性がある一般人に理解してもらえるような言葉ではありません。
 そして、どういう偶然か、あるいは必然か、統一信者のその間違った「摂理」の言葉としての使い方については私が前回の記事のコメントで詳しく批判しました。
 その批判的コメントの後でこのような記事が出てくるとは、あまりにも‘火の粉’と息が合い過ぎているのでしょうか?(笑)
 しかし、「原理的…」には違和感を示す米本さんが「神の摂理…」に違和感を示さないとは不思議であります。おそらく、違和感を示す以前に「カルト」丸出しの表現なのでひいてしまっているのだと思います。
 ちなみに、上の3番目の引用の中にある「神の摂理」はそれ程おかしな使い方ではありません。その3番目の文章は立派な正論となっています。
 その文章だけ見ると二世櫻井氏は正しい人だと思います。
  

「摂理」用語

神々の黄昏さん

>「原理的…」には違和感を示す米本さんが「神の摂理…」に違和感を示さないとは不思議であります。おそらく、違和感を示す以前に「カルト」丸出しの表現なのでひいてしまっているのだと思います。

 う~ん。
 統一さんと付き合うようになって、もっとも理解不能だった用語は、「摂理」でした。

 国語辞典や宗教用語事典などなど調べたのですが、統一教会のいう「摂理」は全くもって理解できませんでした。

 とりわけ、“最高”は「経済摂理」(爆笑)でした。

統一教会系信仰の替え歌

 澤田地平さんの記事から一つ記事を挟んだ後は桜井正上さんの訴えを記事にしたんですね。。
さすがに是是非非で派閥にこだわらない米本氏です!(^^)!
でも、この人たちの主張って基本的には変わらないんですよね。
それなのに3男派と7男派って仲悪いっス。
敵の敵は味方というけど、あれって統一教会系には当てはまらないですね。(>_<)
わたし考えるのがニガテなんで、とりあえず替え歌にして統一教会系信者の葛藤の状況を整理させてもらいますね。
ご紹介する替え歌はメロディを日本統一教会では有名だった「幸せって何だろう」で歌ってくださりませ。
https://www.youtube.com/watch?v=sSSAU0lBHbk


① 信仰て何だろう?  二世に聞いてみた~

 まことの子女信じること  二世答えた~

 二世は神の血統だー  まことの子女がお手本ー

 しかし鶴ママ敵になる  本当に母か?~


② 信仰て何だろう?  地平に聞いてみた~

 メシア信仰守ること  地平答えた~

 原理を変えてはいけませんー  独生女は間違いだー

 徳野出て来い返事しろ  地平はやるな~


③ 信仰てなんだろう?  徳野に聞いてみた~

 子女の道理守ることさ  徳野答えた~

 鶴ママいるうちしょうがないー  とにかくウソを通しますー

 苦しくなったらダンマリだ  さすがーポチイヌ~


 一応お断りしておきますが、歌詞に出てくる人の名前は敬称略でございます。
なんてったって、曲が短いんでしょうがないんですよ。
特に澤田地平さんゴメンなさいね。
別に貴方嫌いじゃないですからね。。
徳野さんは米本さんにならって、敬称敬意共に略です。
٩( ‘’ω’’ )و
  • [2018/03/10 21:40]
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こちらにも解決できない

まあ、だからと言って、この三男さん派にもいわゆる拉致監禁問題は解決できないしょうから。残念。そんな観点なんて持ち合わせていなさそうですね。
いちいち神の摂理とか言わないで、具体的に表現してほしいですね。
もしかしてここ問題点?
抽象的でカバにはわかりませんけど。
だからボケますよねー大事な事が。
何なんですか?神の摂理って。
神の下の一家族って言うんです?
でもその前に犠牲が多すぎです。美化しづらいところ、さすが~かっこいいこと言ってくれてるなあと思いましたね。
ありがとう!

櫻井正上さんの声明文を読んだ感想1

>もし、皆さんがこのメッセージを、単に分派の“毒”に冒された気違いの叫びだと思われるなら、石を投げつけてくださっても構いません。しかし、もし皆さんの中に、“別の声”を聞かれる方々がおられるなら、周囲の声や偏見にとらわれず、“真実”を求め続けてください。

このように書いてあったので、私が思った事を、下記の6つの流れで書きます。

___________

1、成約摂理解説を読んでの結論?
2、お父様の伝統・教えの核心とは
3、恨を超える
4、神様の愛
5、0から1を創る人
6、シックが代理戦争をすべきでない
___________



1、成約摂理解説を読んでの結論?


櫻井さんは声明文で「成約摂理解説」と言う本から引用をしていますが、この本は、実際に印刷&発売されているのでしょうか?

これは周藤先生が書かれた本で、書き上げた後に、お父様の要請により、
韓国シックの教授達の認定を受けたら、印刷される本だったと聞いております。

実際は、認定されず、お蔵行きとなった本ですが、私は鮮文大の某教授からゲラ刷りのコピーを貸りて、一度、読みました。

読んだことのある方は、わかると思いますが、この本の結論は、成約時代に入り、個人から家庭を中心とした摂理になり、家庭を中心として氏族メシアを勝利して、勝利した氏族メシア達が最終的に氏族メシア連合を作り、主権復帰をするという内容です。


>周藤先生はかつてこう教えられました。「祝福家庭はカインの子女として全存在をかけてもアベルの子女を守らなければならない…カインの子女がこの責任を果たせない時にはアベルの子女が犠牲となり、ひいては既に勝利された真の父母に対してさえサタンが打ってくるようになる…(成約摂理解説P272)」


この本を引用していたので期待をしましたが、自ら氏族メシアを勝利する方向でなく、結局、櫻井さんはUCIの元で活動するという事だったので、残念な気持ちです。


ちなみに、この本は、氏族メシア活動をするための参考図書だと思っていたので、周藤先生にコンタクトをとって、製本したいと思ってました。

この本を持っている方がいましたら、入手ルートを教えていただけますと大変ありがたいです。

櫻井正上さんの声明文を読んだ感想2

2、お父様の伝統・教えの核心とは


お父様の後継者であると主張するならば、お父様の伝統である教えの核心を実践して、そのみ言葉を勝利した人でないといけないはずです。

一番大切なみ言葉を勝利していない状態では、本当の意味においてお父様の後継者とは言えないでしょう。では、お父様の伝統・み言葉の核心とは何でしょうか?

お父様のみ言葉を引用します。

________


<終末時代に人類とアメリカが進むべき道>
(文鮮明先生が2000年1月22日、アメリカのワシントンD・Cで開かれた80回目の御生誕祝賀集会で語られたみ言)


18 皆さんは、レバレンド・ムーンの教えの核心とは何なのか、気になることでしょう。その答えは簡単です。

19 第一は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」ということです。

・・<省略>・・

21 第二は、「怨讐を愛せよ」ということです。神様は堕落して悪魔サタンの子になってしまった人類を救うために、ひとり子イエスを送り、犠牲の道を行かせました。怨讐を本当の子供よりももっと愛するところには、サタンも自然屈服するのです。

22 いつも、サタンの戦略は打って奪われるのであり、天の戦略は打たれて奪ってくるのです。それが公式です。私が全生涯を通じて、多くの迫害と苦難を受けてきたにもかかわらず、今日全世界百八十五カ国に宣教基盤を築いたのは、このような天理に従って生きてきたからです。

_________


このように教えの核心として2つを説明されています。


第一は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」
第二は、「怨讐を愛せよ」


現在の統一教会の分裂を見たときに、私が特に強調したいのが、2番目の恩讐を愛せよです。

神様の戦法は「怨讐を愛せよ」ということであり、それを生涯実践してきたのが、お父様でした。


櫻井さんは、家庭連合や真の家庭の方々を、顕進ニムを追い出したサタンと表現していますが、そうならば、顕進ニムは、自分を追い出した恩讐である、家庭連合や真の家庭の人々を、真の愛で愛し、自然屈服させるべきです。


また、サンクチュアリーの、亨進ニムの場合も、恩讐である、お母様や家庭連合の指導者を、真の愛で愛し、自然屈服させるべきです。


そうしてこそ、お父様の本当の伝統を相続した、勝利した後継者として認められることでしょう。同時に我々の使命である「氏族メシアをどのように勝利すべきか?」身をもって指導することができます。それによりサタンも屈服し、家庭、氏族、民族、国家圏が復帰されて行くはずです。


この、お父様のみ言葉の基準(恩讐を愛する)が、わかっていないから、
子女様崇拝が生じていると、私は思います。原理やみ言葉は頭だけで理解するのではなく、実践し勝利して神様の心情体恤すべきなのです。この状態で初めてみ言葉を理解したと言えます。


失礼ですが、この実践の度合いが低いので判断がつかないのだと私は思いました。


本当に恩讐を愛するため、死に物狂いでみ言葉を実践することと格闘をして、乗り越えてこなかったので、一緒になって自己正当化に走るのだと思います。

このお父様のみ言葉の核心を、本当の意味で経験もしくは体恤していないので、多くのシックたちは、顕進ニムや亨進ニムが正しいと支持してしまうのではないかと私は思います。

櫻井正上さんの声明文を読んだ感想3

3、恨を超える


この櫻井さんの文章を読みながら、更に私が感じたことは、お父様が西便制(ソッピョンジェ)と言う映画を見られた後に語られた、下記のみ言葉です。

「私もこのように弟子を訓練すべきだった。そうしなかったから弟子は育たなかった。」

(このような意味です、一語一句、ご存知の方がいましたら教えてください)


おそらく、信仰歴の長いシックの殆どの方達は、この映画を見られたと思います。私にとっても大変参考になった映画でした。簡単なストーリーを説明します。

____

孤児である主人公の少女がパンソリ(韓国の伝統的な歌い方)を養父から学び、それで生計を立てていく物語なのですが、

養父曰く「恨を超えていないから歌声が人々を魅了できてない」

ということで、この少女が恨を持つようにわざと失明させます。

最後に、少女が、この失明した恨を超えることにより、人々が感動する歌声を出せるようになり、恨を越えれば、西便制だけでなく東便制(他のパンソリの流派)をも超越することができる。

と、養父が語ります。
____


私は、これが恨を超える事の意味なのだと映画を見ながら思いました。


お父様はこの映画を見られて、”弟子をこのように訓練させることができなかった” と、語られました。すなわち、恨を超える弟子が生まれなかったということで、実際、恨が生じるほど苦労させれなかったという意味だと、私は思っています。

今の統一教会の分裂の原因は、まさにここにあると思います。皆、恨を超えられていないのです。


お母様:お父様に対する恨(お父様には原罪があり、崔氏オモニと結婚したのが失敗だったと語られる)
 
顕進ニム:お母様や自分の兄弟(国進ニムや亨進ニム)や幹部に対する恨 

亨進ニム&国進ニム:お母様や幹部に対する恨


全員、恨を超えられていないのです。この恨は恩讐を愛するという心情により超えられるのです。

日本や韓国の有名幹部達も、この領域に達していないので、恨を真の愛で超えられていない顕進ニムや亨進ニム(国進ニム)を、支持すると言っているのではないでしょうか。

お父様が、映画・西便制を見られて、弟子の教育を間違えたと言われたことに通じます。


映画・西便制では、恨を超えたところに西便制も東便制も凌駕するとあります。


同じように、今の分派闘争を凌駕できるのは、恨を超えて恩讐を愛する真の愛の実践と、その心情的境地だけです。


これは(恨を超えて)恩讐を愛してこそサタンが屈服すると言う、お父様のみ言葉そのものです。

この境地に到達しないと、分派問題を解決することはできないと思います。


櫻井正上さんの声明文を読んだ感想4

4、神様の愛


では、この境地とは、何でしょうか?それは、お父様のみ言葉である。


「過ぎてみれば(全て神様の)愛であった」


この感謝のみ言葉が、自然に出てくるか?という事だと思います。


お父様は、すでに述べた、2つのみ言葉(より大きなもののために犠牲になって生きよ・怨讐を愛せよ)を、実践してきたからこそ、気がついてみれば多くの人がついてきて、統一運動の全ての世界的な基盤ができたと言われています。


この2つのみ言葉の勝利者が、お父様の真の後継者(真のご家庭内で)であり、我々を指導するべき方です。


経営の世界でも、同族経営がなぜ強いか?という研究がされていますが、一般的な考えでは、同族経営は組織の弱体化になるのではないかと
思う方も多いと思いますし、私も一時期そう思ってきました。

しかし、最近の多くの研究によると、同族経営の一番のメリットは、成功した創業者のDNAとも云うべき会社の伝統精神を、その子孫である経営者が継承しやすいので、元来、その会社にある強みを発揮しやすく、経営がブレにくいと云う利点があると言われています。


実際に、現時点で、真の家庭を見ても、このお父様の伝統精神(恩讐を愛する真の愛)を受け継いで実践しているとは、到底思えないです。

また、今後、お父様が願っている方向に、各派の組織が発展する事は難しいと言わざるをえません。真の家庭であるのに、お父様の伝統からブレています。


結局、現時点で血統的に本流だと言っているに過ぎなく、一番の伝統精神である「真の愛」を実践していないのが現状であり、非常に残念な事です。


UCIやサンクチュアリーの主張を聞くと、イエス様が言われた、この聖句が浮かんできます。


「自分たちの父にはアブラハムがあるなどと、心の中で思ってもみるな。
おまえたちに言っておく、神はこれらの石ころからでも、アブラハムの子を起すことができるのだ」(マタイによる福音書 3:9 )


勿論、実際は不可能な話ですが、主張するポイントを血統的DNAだででなく、み言葉実践のDNAにおいて欲しいです。

さらに、真の家庭に長く仕えてきた、私の知り合いが、よくよく語る、下記の言葉も浮かんできます。


「お父様と子女様の違いは。
 お父様:全ての人を愛する。
 子女様:自分を愛する人だけ愛する。」


と言う、残念な結果を生んでしまっているのです。

これを超えられる最高の機会(恨を超え恩讐を愛する試練)も神様から与えられているのに自らのエゴで潰しています。


過ぎてみれば(神様の)愛であった。


と言う、人生を一般社会で語った有名人がいます。勿論、お父様の使命や人格のレベルと比べると比較対象ではありませんが、ある面、参考になるので、自分に与えられた境遇を乗り越えた人物として紹介したいです。


スティーブ・ジョブズ この人です。


知らない人はいないと思いますが、
2005年スタンフォード大学の卒業式で語ったスピーチは大変有名です。

一部、その言葉を引用します。
「未来を見て、点を結ぶことはできない。過去を振り返って点を結ぶだけだ。だから、いつかどうにかして点は結ばれると信じなければならない。」

ジョブズのこの文から読み取れる事は「過ぎてみれば、今まで理解できなかった多くの試練(点)が、実は線でつながっていて、今になって人生の意味を理解した」と言っているのだと思います。

スピーチを全部を聞くと(神様に導かれた)人生を証しています。
https://www.youtube.com/watch?v=VyzqHFdzBKg


実際にジョブズは、自分の作ったアップルを追い出され、路頭に迷いながら、その後、幾つかの有名になる会社を作ったり、会社を立て直したりして、最終的に再度アップルのCEOになりました。

自分の作ったオペレーションシステムを、マイクロソフトに真似されながらも、最終的にそのマイクロソフト社の時価総額を、自分が復帰した後のアップル社が超えて、世界一の時価総額を記録した後に他界しています。

(実際、アイコン・クリック式のオペレーションシステムはゼロックスからジョブズがヒントを得たものではありましたが)


お父様とジョブズを比べること自体、使命や人格的な違いは大きくありますが、共通点も幾つかあります。下記の2つを紹介しながら現在の統一運動と比較します。


・恨を超えて、人生に神様の愛と導きを感じている
・無から有を創った


この2つです。 そして、これらを反対にすると。


・恨を愛で超えられなく、恨み心頭である。
・無から有を創れなく、パイ(お金やシック)の取り合いをしている。

これが分立した3派の現状ではないでしょうか?お父様と正反対のことをしています。同時に多くのリーダーやシック達は、自分の使命である氏族メシアに関心がなく、どれかの組織に依存しています。


さらに言えば、組織に依存ばかりして、自立&独立できる人物が教会にいないと、今後、統一運動がさらに萎んでいくしかなでしょう。

櫻井正上さんの声明文を読んだ感想5&6

5、0から1を創る人


無から有を創る事を、最近よく使われる表現で言うと、0から1を創る事と言えます。

教会幹部が、氏族メシアを勝利できなかった理由の一つが、父母様や教会組織に依存して、氏族メシアを勝利する事よりも、父母様(や子女様)の部下であることを、無意識に願ったからだと思います。

櫻井さんの文章を読んで、親が子女様に付いて行ってしまえば、その2世も、どちらかについて依存するしか道がないのかと残念に思いました。


声明文で成約摂理解説を引用しながら、氏族メシアの一言もでないで、この結果とは、残念でなりません。


やはり1世が絶えると氏族メシアを本気でする人材は出てこないでしょう。2世に期待することはできません。また我々がやるにしても時間が限られています。


0から1を創る人と言う言葉を考えると、今の日本社会と統一教会が重なって見えます。


私の年代も含めて、日本での一般的な常識は、一流大学を出て大企業に就職すれば、人生成功という考えがつい最近までありました。

しかし今は違います。大企業も経営不振でリストラが横行しています。

昔は学校の先生の言ったことや、教科書に書いている事を答えられれば、偏差値が上がり、いい大学に入れて、いい就職先がありましたが、今は、答えのない時代です。先生や(会社や教会の)リーダーが言う事が正しいとは限らない時代となっているのです。


答えのない時代に、自分で答えを探して解決する能力がないと、今後、社会で生き残れない時代になっています。


統一教会も同じではないでしょうか。教会(大企業)につながって、アベルの言う事が正しいとして、依存していれば安泰という時代ではなく、成約時代後は、独立して氏族メシアを勝利すべきだったのです。


3派が分立して、実際に、今現在みなさんのアベルの言う事は、本当に正しい事なのでしょうか?間違っている場合、他の派が正しのでしょうか?
学生時代の3択問題みたいです。

学校の問題のように、3択でないといけないルールや規則などないのです。私の結論は、皆間違っているです。



み言葉を実践して理解していけば、正しい道を切り開いていけます。一番重要な氏族メシア勝利という、祝福家庭の使命を考えて実行する、組織の幹部(アベル)がいません。どこかに、皆が結局は依存しています。大企業病と言えるのではないでしょうか。


我々の使命はリトル・レバレンド・ムーンになることです。氏族メシアになり、0から1を創る人になる事と言えます。そして1を10にして、10を自分の子女や孫と一緒に100や1000にしたら成功と言えるのではないでしょうか。

これができた氏族メシアが集まり、自然と氏族メシア連合ができ、主権復帰をする事こそ、天が我々に願われている事です。


6、シックが代理戦争をすべきでない


同時に、3派の対立は、シックが、真の家庭の代理戦争をしているにすぎません。

真の家庭に、お父様のみ言葉の核心(恩讐を愛する真の愛)を実践する人物がいないのです。同時に、真の愛により、家庭と氏族を一つにする、氏族メシア不在の真のご家庭を、崇拝する必要は全くありません。

3派の対立は、明らかな家庭問題であり、シックが入り代理戦争をすべきではないのです。問題の肥大化に過ぎません。

我々が各派の崇拝をやめ、当事者(真の家庭)同士で解決していただくようにしましょう。

そして、我々が、氏族メシアを勝利して ”我々と同じように、氏族メシアを勝利してください” と真の家庭に言えばいいのです。 シックのレベルが低いから、このような結果になるのです。

各祝福家庭が、氏族メシア活動に専念して勝利すれば、真の家庭が一つになる日も近くなるでしょう。

僕よりアホがいて爆笑

だから~
レバレンド・ムーンは勝利なんかしてなかったんですよー
真の家庭を完成するどころか、仮面夫婦と不従順親子関係しかできなかったんですよー
そいで、サタン屈服したのに、なんでまた後からサタンが打って来るの??
恨、恨、恨ーだからーそれは朝鮮人しかそんなバカなこと言わないって!!

○第一は、「より大きなもののために犠牲になって生きよ」
○第二は、「怨讐を愛せよ」

だからーそれができる人は信者に金集めの命令なんてしないって。。
そしてその金で豪邸つくったり、ビジネスやったりなんてしないって!
もちろんプライベイトジェットなんて買わないって!!

僕よりトンでもアホがいたので、少し優越感を覚えました。(*^▽^*)




  • [2018/03/12 23:04]
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信者は、金や権力に依存した文鮮明になりたいのか。

>我々の使命はリトル・レバレンド・ムーンになることです。氏族メシアになり、0から1を創る人になる事と言えます。そして1を10にして、10を自分の子女や孫と一緒に100や1000にしたら成功と言えるのではないでしょうか。

>これができた氏族メシアが集まり、自然と氏族メシア連合ができ、主権復帰をする事こそ、天が我々に願われている事です<

米本ファンさんの替え歌のほうが、長~い文より、的確です。
文鮮明は言ってる事とやってることが全く違ってたので、本人の家族はカオス、信者もバラバラ。特に3男派7男派のバトルは、醜い。何十年も文鮮明教祖と神サマに祈ってきた結果がこれなんですから。結果からみて、本当の宗教ではないということでしょう。

教祖は、犯罪者です。日本には、朝鮮カルトは、必要ありません。
氏族メシヤって、最終的には、文鮮明や韓鶴子。3男や7男を世界のトップにしようと宣伝するための活動。妄想から抜け出せない羊ちゃん信者。

金や権力に依存する文一族は、893一家。
宗教人は893さん。政治家も893さん一家。

氏族メシヤとかなんとか、言ってる人たちは、もっと、ネットで調べたらいいのに。

森友学園の問題同様、統一教会も、金の流れを詳細に検証すれば、真相が見えてきます。家庭連合、3男7男派は、こじつけ理論や理屈より、まず、この点から、始めなさい。

多数ある記事のほんの一例。
・文鮮明 南米活動の事実(武器と麻薬で金儲け)
http://www.geocities.jp/look7716/

http://www.ainfos.ca/98/sep/ainfos00005.html


統一協会の麻薬・マネーロンダリング拠点は、ウルグアイ(REV. MOON'S URUGUAYAN MONEY-LAUNDRY)
http://www.ainfos.ca/98/sep/ainfos00005.html
●文鮮明は、ウルグアイ国内に大規模なマネーロンダリングセンターと思われるものを開設した。
●文は、信者を使って資金をウルグアイに秘密裏に移送している。その額は少なくとも数千万ドルに上る。
●1996年、文の日本人女性信者4200人が、モンテデビオの、文の支配するBanco de Credito 銀行にやってきて、各々、25000ドルの預金をしていった。これらの預金は、Cami2と呼ばれる、文支配下の匿名の組織の口座に入った。日本女性の行列が終わった時に、預金総額は、約8000万ドルに上っていた。
●1997年、文のマネーロンダリングを取材していたEl Observador紙のP.Alfano記者が、誘拐された。二人の誘拐犯は記者の口に拳銃を突っ込み、文の非合法活動の情報を漏らした奴が誰なのか、口を割らせようとした。
1980年、文は、ボリビアの軍事クーデターのお膳立てをした。首謀者に400万ドル以上の資金援助をして、政権を奪取させた。以後2年間、ボリビアはコカインの大量生産拠点となり、コロンビアへの原料供給の役を担った。

★右派軍人を取り込み、資金援助して、暴力革命を起こさせる。政権掌握の暁には、麻薬生産を行わせ、統一自ら、密輸やマネーロンダリングに関わり、巨額の資金を儲ける。利益は、日本人の馬鹿女信者に持たせ、陸路、ウルグアイに運ばせ、(南アメリカのスイスを目指す)ウルグアイの銀行でマネーロンダリングする。このカネが廻りまわって、ブッシュや金正日、金大中、中曽根、亀井らの懐に入るわけですね。

「エフィカシー」 =「 ゴール を 達成 する 自己 の 能力 の 自己 評価」

私が、昨日読んだ本に、興味深いことが書いてあったので引用します。
シンクロニシティーを感じました。
ちなみに、私が住んでいる場所はアメリカで、現在、こちらは朝です。

_______

「エフィカシー」 =「 ゴール を 達成 する 自己 の 能力 の 自己 評価」 が とてつもなく 高い と、 こういう 気持ち が 起こっ て くる の です。

さて、「 エフィカシー」 の 話 は コーチング の 重要 な ポイント でも ある ので、 もう 一つ、 例 を 出し て 解説 し て おき ましょ う。

世の中 には しょっちゅう 他人 の 悪口 を 言っ たり、 他人 を 卑下 する 言動 を 取っ たり し て しまう 人 が い ます。   これ は「 エフィカシー」 の 低 さが 原因 です。

「エフィカシー」 の 低い 人 は、 無意識 に 自分 の「 ゴール を 達成 する 自己 の 能力」 を 低い と 見積もっ て しまい ます が、 意識 の 上 では それ を 認めよ う とは し ませ ん。  

無意識 では 自己 の 能力 は 低い と 感じ て い て、 意識 の 上 では それ を 認め ない。   これ だ と、 バランス を 欠き、 意識 と 無意識 とで 矛盾 が 生じ て しまい ます。   その バランス を 取る、 あるいは 矛盾 を 解消 し たり する ため に、 他人 の 悪口 を 言っ たり、 他人 を 卑下 する 言動 を 取っ たり し て しまう の です。  

つまり、「 エフィカシー」 の 低い 人 は、 他人 を 貶める こと によって 自分 を 高く 見せよ う と する の です。 「

エフィカシー」 の 高い 人 は すでに 自分 の 能力 の 自己 評価 が 高い ので、 他人 を 貶め て 自分 を 高く 見せよ う と する 必要 が あり ませ ん。   だから、 そんな こと は し ない の です。  

また、 本当に「 エフィカシー」 が 高い 人 は むしろ、 他人 を 貶める 行為 は、 かえって 自分 の「 エフィカシー」 を 下げ て しまう と わかっ て い ます。

苫米地英人. コーポレートコーチング 下 (Kindle Locations 86-98). Kaitakusha Publishing Co Ltd. Kindle Edition.

_______

個人 の エフィカシー でも、 コレクティブエフィカシー でも 同じ です が、 低 レベル の エフィカシー の 持ち主 は、 高 レベル の エフィカシー の 持ち主 を 見 たり、 場 を 共有 し たり する と 居心地 が 悪く なり、 なんと かし て 高 エフィカシー の 人 たち を 貶めよ う と し ます。

苫米地英人. コーポレートコーチング 下 (Kindle Locations 1029-1031). Kaitakusha Publishing Co Ltd. Kindle Edition.

エフィカシーの高い人々をターゲットにすればカンパも集まる

私へのコメントに対し、私の頭に思い浮かんだことを簡潔に書きます。


1、ダイヤモンドと鉛筆

ダイヤモンドと鉛筆は同じ炭素からできています。それなのに性質と価値が全く違います。地中奥深くにある炭素に超高温・超高圧力がかかると、結晶構成が変わり、ダイヤモンドになります。

人が恨を超えるとは、こういう事だと思います。


2、タダ乗り

私は、櫻井さんの声明文へ長いコメントを書くのに、タダ乗りは失礼と思い、米本さんに予めカンパしました。それが礼儀だと思ったからです。

しかし、いつもコメントする人々は、このブログにただ乗りして、言いたい事だけを言っているではないでしょうか?

自分が書きたいことを書き、多くの人に読んでもらっているわけですから、ただ乗りせずに、文字数に見合った、お礼を米本さんに出すべきでしょう。


3、米本さんへ

ブログ読者のセグメント別に、カンパの比率や金額を載せるのもいいと思います。そうするとカンパも増えると思います。

セグメント別とは、

家庭連合
UCI
SC
無所属の家庭教会
元信者
など

家庭連合・UCI・SCからは最近カンパも無くなったと思います。
同時にコメントも少なく、最小限です。

一方、元信者さんは恨みつらみのコメントを常に書いていますが、その文字数に見合ったカンパはしていないでしょう。要するに、ただ乗りです。

もう少しエフィカシーの高い人々をターゲットにすれば、カンパも集まると思います。

Re: エフィカシーの高い人々をターゲットにすればカンパも集まる

>ブログ読者のセグメント別に、カンパの比率や金額を載せるのもいいと思います。そうするとカンパも増えると思います。

 一ヶ月に一回ぐらいは記帳します。

 しかし、誰が誰かは理解できません。
 知っている人の名前はごくごく少数です。大半は分かりません。
 よって、セグメント別(家庭連合UCISC無所属の家庭教会元信者など)なんて考えたことはありません。

 小生のブログに資料的価値があると判断した人からカンパをいただけたらと思っています。
 あと、15万円です。

Re: エフィカシーの高い人々をターゲットにすればカンパも集まる

> 小生のブログに資料的価値があると判断した人からカンパをいただけたらと思っています。

確かにここに価値を置いて、カンパされる方が多いと思います。


私が書いたのは、カンパをもらえる市場(マーケット)はこれだけではないということです。

コメントをする場合、大きく3つのタイプがあると思います。

1、同意や簡単な感想
2、事実関係(情報)の提供
3、自分の主張

この中で3の理由で書く場合、自分が書きたいことを、ある程度長く書いて、数千人の目に触れるわけですから、カンパ無しでは、米本さんのブログにただ乗りしている事になると思います。

実際に、私が今回、自分の主張を書く際に、ただ乗りは申し訳ないと思いました。

もちろん、カンパは要求できるものではないですが、米本さんが無償でこのブログを書いていて、しかも毎日1000人ほどのアクセスがあり、UC関連では、一番知名度がブログ高いです。

自分の主張をしっかり書いて、多くの人々にそれを伝えられるわけですから、カンパを出すべきと思うのが、人の心だと思います。

> あと、15万円です。

このように書いてあれば、なおさらそう思うでしょう。


セグメントできない場合は、やりようがないですが、例えば、あるセグメントのカンパの合計金額を、そのセグメントの人々が書いた自分の主張の文字数の総計で割ると、そのセグメントの人々が書いた1文字の金額が出てきます。

例えば、元信者さんたちが、合計10,000円をカンパし、総計10,000文字を書いた場合、1文字1円になります。

無所属家庭教会さんが、合計10,000円をカンパし、総計1,000文字を書いた場合、1文字10円になります。

これがわかると、誰(どのセグメント)が米本さんのブログにただ乗りしているか一目瞭然です。

1文字の金額が低いほど、単純に考えて、そのセグメントの人々は、ただ乗りしているということになります。

本人たちにも良心がありますから、ただ乗りしないで、カンパをしようということになるのではないかと思いました。


私は、米本さんが、カンパを更に集めるために、このマーケット(自分の主張を書く人々)に注目する必要があると思いました。


上に挙げた3つのタイプのうち、特に2”事実関係(情報)の提供”の場合は、ブログにとって貴重な情報なので、3”自分の主張”と分けることが必要だとは思います。

実際にセグメントわけは難しいとのことなので、いい考えが浮かんだら再度提案いたします。

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