文3派の小間使いは高校生以下(泣
UCIvs教団(8)
♪天才バカボン、パシボンボン♪
前回の記事「拉致監禁体験者をねぎらっていた情厚き国進&亨進」 の囲みである。
-またパッシ-だ!(*゚Q゚*) -
パッシ-個人のことは視界から消えたというのに、またやってきた。あまりにも幼稚なのでどうしようか・・・と。
でも、<米本氏の問題は、「間違っている」と多くの人たちが比較的簡単に感じ取ることができる内容>というのだから、文3支持派は、「説得力あり。火の粉の管理人はどうしようもない」と思ったのかもしれない。
●パシセラのブログ
●「ジャーナリストの米本氏の記事から学べること」
● http://ameblo.jp/pacificera/entry-12282072466.html
この記事の何が問題なのか。知性を働かせ、検証するという姿勢で、精読してください。引用元をきちんとチェックしながら。あっ、高校の歴史の教科書もめくって。
アメリカ生活が長いため日本語の読解力が衰えたのか。はたまた「悪意ある争点ずらし」か。
「文顯進派は裁判のことを語らなければならない!」
「コロンビア裁判所」のサイトを読まない文顯進の弟子たち(T_T)-神は泣いてる。
「UCI対UC裁判の現状報告-やはり、仮差止め命令が下っていた!」
UCI裁判の記事を秘かに消すパシセラ氏 (追記あり) *ドブネズミ
「ミスタ-・フェイクマンは文顯進の直属の部下だった!-知ってた?」 *フェイクマン
パシセラブログと火の粉ブログとを「知性を働かせ、検証するという姿勢で、精読してくださ」れば、反論する必要はないと思う。反論すれば過去記事と同じことを繰り返すことになってしまう。ト-トロジ-(´・_・`)
パッシ-と違って小生ヒマなのだけど、それでも時間の無駄使い、能力の無駄使いになってしまう

ここでは2点だけ述べておく。
(パッシ-のおバカ文、引用はじめ)
(拉致監禁問題から派生して)もともと基本的人権とか自由という概念は米国からの外来のもので、本来の基本的人権とか自由の背後には、神様への信仰があったのに、日本に持ち込まれた時には、神様も信仰も抜けた概念になったからである、と考えられます。人権とか自由とかいう言葉が大義名分となり一人歩きする可能性があったと考えられます。しかし、本当の人権とか自由とかは、神様を抜きにしては成り立たつものではありません。祝福家庭の人たちには、これを創造原理と結びつけることができる人もいるでしょう。
(引用終わり)
問題点は2点。
「基本的人権とか自由という概念は米国からのもの」
全くの間違いである。
(1)人権が国家レベルで宣言されたのは、米国ではなくフランスである。これは文3派だって知っているのでは?
山川出版の『世界史』を引用しておく。
「国民議会は1789年8月4日に自由主義的貴族の提案で封建的特権の廃止を決定し、領主裁判権や教会への十分の一の税が無償で廃止された。また8月26日、議会はラ・ファイエットらの起草した人権宣言を採択したが、この宣言は、すべての人間の自由・平等、主権在民、言論の自由、私有財産の不可侵など、近代市民社会の原理を主張するものであった。」
この当時のキリスト教は封建的特権を享受し、近代化を嫌っていた。パッシ-ちゃん、違うか。高校生に聞いてみたらどうだい?
(2)基本的人権とか自由という概念は外来のもの。そうかぁ~。
確かに「ルソ-の社会契約論」の影響は大きかっただろうが、「本当の人権とか自由とかは、神様を抜きにしては成り立たつものではありません」。
こんな珍説、聞いたことがない。
山川出版の『日本史』を引用する。一部要約。
「板垣退助・後藤象二郎らは、民撰議院設立建白書を左院に提出し、国会の設立を求めた。これは新聞に掲載されて世論に大きな影響を与え、自由民権運動の口火となった」
「政府の弾圧や不況下の重税に対する反発から、自由党員や農民が各地で直接行動をおこした。1882年には福島事件がおこり、ついで高田事件・群馬事件・加波山事件などの騒擾が続いた。1884年には埼玉県秩父地方で、困民党が蜂起した秩父事件が起きた」
「1889年、大日本帝国憲法が発布された。日本国民は、法律の範囲内で所有権の不可侵、信教の自由、言論・出版・集会・結社の自由が認められた」
ハ~イ、パッシ-。足尾銅山の田中正造のこと、米国の憲法修正条項、読んだことがある~?
ますます、時間の無駄使い、能力の無駄使いのような気がしてくる。
気を取り直して。もう1つだけ。
「 「透明性」という言葉が世の中でもてはやされるのは、組織にある問題の故であるのがほとんどです。私は、組織に重きを置いて生きている人間ではありません。私は、一人一人の人と家庭、そして神様との関係に重きを置いて生きている人です。一人の個人として「あの人は透明な人である」などということに、魅力を感じる人はあまりいないはずです。もし感じるとすれば、「その人は純粋である」という意味であり、「透けて見える」という意味ではないはずです。ちなみに、透明人間とは、西洋のモンスターの一つではないでしょうか」
透明性
組織の透明性と個人の透明性とはまるで違う!
前者は民主主義的運営に関すること、後者はプライバシィに関わること。
どうして、ごっちゃにできるのか。信じられない話だ。
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コメント
揚げ足取り?
法律の範囲での基本的人権ではなく、完全な基本的人権の概念が日本に定着したのは、米国の要請に基づく戦後の憲法を通してであることは周知だと思います。
また米国の基本的人権の概念は、独立宣言において神から与えられたものとして定義されています。
パシセラ氏の「神様を抜きにしては成り立たつものではありません」との主張も間違っていないと考えますが。
Re:揚げ足取り?(1)
でも、誤解されるとまずいと思い、日本史の記述を追加しました。
再度、お目通しを。
kakinotaneさんの指摘は残念ながら失当です。ムっとしないでくださいね。
その原因は私の説明不足と(自由民権運動のことを書かなかった)、マ-ク佐野氏の原文の拡大解釈読みにあります。
彼の文を再録します。
「もともと基本的人権とか自由という概念は米国からの外来のもので、本来の基本的人権とか自由の背後には、神様への信仰があったのに、日本に持ち込まれた時には、神様も信仰も抜けた概念になったからである、と考えられます」
「もともと」とあるから、「完全な基本的人権の概念が日本に定着した」などと条件をつけているわけではありません。
「もともと基本的人権とか自由という概念は米国からの外来のもの」
「戦後民主主義後の概念」と特定しているのであれば、米国からの外来のもの-という指摘は基本的に正しい。しかし、そうは書かれていないのです。
加筆は後出しジャンケンと思われるかもしれないけど、真っ先に浮かんだのは自由民権運動のこと。そこで、最近購入した教科書を取り出した次第です。
書き写すのはしんどく、一部だけにとどめましたが、自由民権運動に米国の影響があったなんて、どこにも書いてありませんでした。
Re:揚げ足取り?(2)
>本来の基本的人権とか自由の背後には、神様への信仰があった・・・
kakinotaneさん
>米国の基本的人権の概念は、独立宣言において神から与えられたものとして定義されています。
パシセラ氏の「神様を抜きにしては成り立たつものではありません」との主張も間違っていないと考えますが。
米国の独立宣言のところを読みましたが、「神のこと」はどこにも書かれていませんでした。
書き写して示めせば半日はかかるでしょうから、省略して、ウィキを貼り付けるので読んでください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E7%8B%AC%E7%AB%8B%E5%AE%A3%E8%A8%80
反論があれば、文献を提示してください。マ-ク佐野氏にも出してもらいたいものです。
彼はファクトではなく、イメージ・思い込み・曖昧な記憶に基づいて書いているのです。
Re:揚げ足取り?(3)
>法律の範囲での基本的人権ではなく、完全な基本的人権の概念が日本に定着したのは、米国の要請に基づく戦後の憲法を通してであることは周知だと思います。
「完全な基本的人権の概念」。「完全な」に引っかかりを覚えますが、「戦後の憲法を通して」の媒介に、神様が介在していた、背後に神がいた-なんて初耳です。
なお、「マッカ-サ-」のウィキは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC
「マッカ-サ-・宗教」のウィキは
http://8606.teacup.com/meizireligion/bbs/231
(謝辞)日曜の午前、いろいろ調べることができ、感謝です。教訓として、書くならきちんと書かなければならない。胆にめいじました。
独立宣言における神の記述
米国の独立宣言の原文は、下記URLで確認できます。
https://www.archives.gov/founding-docs/declaration-transcript
この中で、前半部分に以下のような文があり、創造主(神):Creator)が出てきます。
「We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights,……」
この部分の日本語訳および解説は下記が参考になります。
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/humanrights.html
Re:独立宣言における神の記述
なるほどです。
<人権思想を代表する言明は、なによりもトマス・ジェファソン起草による1776年のアメリカの独立宣言である。このなかでジェファソンは、「生命、自由、および幸福の追求」などの諸権利は、神によって与えられた生来のものであるから、誰によっても奪うことはできないものである、と主張した。そして、この哲学的根拠をもとに、国家が政府を樹立する目的は、まさに、これらの諸権利を守ることである、と宣言した>
ところが、山川教科書の247ぺ-ジに、「アメリカの独立宣言の抜粋」(ふつうに考えると一番重要な記述をアップ)が載っていますが、神のことは書かれていません。
教科書の執筆者(著作権者)は8人。
つまり、こういうことではないでしょうか。
「ジェファソンは、「生命、自由、および幸福の追求」などの諸権利は、神によって与えられた生来のものであるから、誰によっても奪うことはできないものである、と主張した」
-という記述を、
8人の学者は、紋切り型の文だと判断し掲載しなかった。
<仏陀のため、イエスのため、アラ-のため>
紹介してもらった佐倉哲さんの名はありませんでした。
kakinotaneさん、佐倉哲さんって、どんな人ですか。
なお、小生、学会権威の学者がいいとは思っていません(というよりいいかどうか不明)が、佐倉哲さんの経歴、文献を知りたいです。
ちなみに、「佐倉哲」で検索したアドレス。
https://www.bing.com/search?q=%e4%bd%90%e5%80%89%e3%80%80%e5%93%b2&FORM=QSRE2
何だか、変です。まさか統一さんではと穿ちます。
大いなる違和感(1)
彼はこう書いています。
「米本氏は、最初のうち、人権擁護とか、自由とか、それなりの大義名分を掲げて、拉致監禁に反対する人たちの注目を集め、統一教会員の中には、公平な人だ、とか思った人たちもいたかもしれません」
「本当の人権とか自由とかは、神様を抜きにしては成り立たつものではありません」
マ-ク佐野氏を不愉快に思うのは、拉致監禁問題を扱った拙著『我らの不快な隣人』はもとより、このブログで綴った拉致監禁問題記事をまともに読んでいないことにあります。
それでいながら、小生のことを論じる。
そこに嫌~な感じがするのです。
ついでに言えば、統一教会では著名な宗教学者の増田善彦氏の書物も読んでいないようです。
「我隣」の390pを開いてみてください。
人を論じる場合、その人の主張とか論とか表現とかをきちんと読んだ上で行なう- それがまっとうな市民社会のル-ルでしょう。
こんな話、10年前の話題を今さらしなければと思うと、苛立つし、鬱屈します。
大いなる違和感(2)
(統一教会の今は3つに分裂しているので、どういうことになっているのか不明ですが)
世間一般では、世界最強のプロテスタント教団をイエス・キリストを信じる団体として認識しています。
「本当の人権とか自由とかは、神様を抜きにしては成り立たつものではありません」(佐野氏)
であれば、プロテスタント教団は拉致監禁に反対する団体ということになります。論理的に。
ところが、日本で拉致監禁説得をやってきたのはプロテスタント教団の牧師なのです。
こうしたことをパッシ-が認識しているのか。思考の範囲になっているのか。
選民(白人キリスト教徒)の利権>>>>有色人種異教徒の人権
>>何だか、変です。まさか統一さんではと穿ちます。
米本さん早とちりです。佐倉哲氏の論考をよく読んでください。私もこのサイトを紹介しようと思っていました。
佐倉氏が述べてるのは、西洋型人権思想の自己矛盾と限界です。
http://www.j-world.com/usr/sakura/japan/humanrights.html
引用開始
・・・・このようにしてみると、わたしたちは、西欧人が西欧史のなかで「勝ち取ってきた」人権思想なるものが、なにか人類に普遍的な原則であるがゆえに普及してきたと思わされてきたけれど、実は、この人権思想の普及というものは、それがむしろ主観的特殊な思想(信仰・思い込み)であったが故に、政治的的意志力によって勝ち取られねばならなかったのである。例えば、「地球は丸い」という客観的事実が人間の知識の拡大によって自然普及していったのとは根本的に異なる普及の仕方をしていったのである。むしろそれは、宣教師がキリスト教を広めるような仕方で、改心への圧力・政治的圧力によって普及していったのである。人権思想の根本が普遍的客観的知識ではなく、実質的には、ある文化に特殊な主観的思想によるものだったからである。
中略
また、すでにわたしたちは、「我々は、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、創造主によって、誰も奪うことのできない諸権利を与えられ」ている、と高らかに謳うアメリカ独立宣言を人権思想の代表的思想表現として見たのであるが、それはまさに人権思想の超越性を雄弁に語ったものであった。しかしながら、「すべての人は平等に造られ」たと謳う独立宣言を起草したジェファソン自身、他の多くの白人アメリカ人と同様に、それを書いている当時、187人の奴隷を所有していて、ヴァージニア州の自分の荘園でタバコ栽培の強制労働に従事させていたのであった。つまり、王権神授説が王の身勝手なゴッドの解釈であったように、ジェファソンの人権神授説も白人アメリカ人の身勝手なゴッドの解釈であった。
中略
第一に、日本人が結局ゴッドを生活の場に受け入れなかったからである。第二に、西欧社会においては、平等主義を正当化するために個人主義・人権思想・人権神授説が生み出されたのに、日本の社会はそういう理屈なしに平等思想が成立する文化的歴史的背景を持っていたからである。例えば、1650年(慶安3)に刊行された『翁問答』の中で、中江藤樹は「万民はことごとく天地の子なれば、我も人も、人間のかたちあるほどのものは、みな兄弟なり」と説いているが、それはジェファソンが「すべての人は平等に造られた」ことを主張した「独立宣言」より120年以上も前のことであった。第三に、キリスト教が明治の知識人に紹介されつつあるとき、西欧ではすでに進化論が大きな影響を持ち始め、西欧人自身がゴッドを疑う時代に入っていたからである。
引用おわり
ちゃんと、西洋の人権思想の偽善性独善性を指摘してるのです。また、ジェファーソン以前に日本には中江藤樹の人権思想があったと示しています。
これは統一さんにとっては都合の悪い指摘です。
佐倉哲さんの論考では次もお勧め
統一教会の霊能者
『李相軒先生が霊界から送ったメッセージ』のウソ
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/uni_shamanism.html
殺せ!と神が命じるとき
宗教殺人について
http://www.j-world.com/usr/sakura/other_religions/divine_murder.html
の中で原理講論等を引き合いに出してカルト思考を批判しています。
引用はじめ
信仰者にとって、善悪の基準が先にあって、その規準に従って善なる神があるのではなく、むしろ、神が先にあって、その神の命令が善悪の基準となります。したがって、信仰者にとって、神の殺人命令が善となるのは論理的必然です。クリスチャンはしばしば、神の殺人命令には、人間にはわからない深い神の理由があったに違いない、と正当化しますが、まさにその「普通の人間にはわからない深い神の理由」によって、オウムの信者は殺人命令を実行したのです。
引用終わり
佐倉氏は統一、エホバ、オウムに見られる
結論(主観的恣意的な神の意思)ありきの善悪二元論を批判しています。
このように佐倉氏はカルト思考に批判的であり是々非々の立場だとわかります。
大いなる違和感(3)
それに対して、日本のキリスト教団の牧師たちは拉致監禁の下手人になる。また、下手人にならずとも、彼らの行為を黙認する。さらにいえば、人権とか正義を主張する知識人も黙認し、そのうちの一部の知識人(浅見定雄、有田芳生、山口広などなど)は拉致監禁説得を「保護説得」として容認する。
10年前から書いてきたことを、マ-ク佐野氏は無視し(というか読んでみようともせず)、思い付いたことを適当に綴る。高校生以下!
だから、パッシ-と軽く表現せざるをえないのです。
Re: 選民(白人キリスト教徒)の利権>>>>有色人種異教徒の人権
ご指摘がなければ、蒙のままで終わるところでした。
紹介していただいた佐倉さんの論考をじっくり読んでみます。
なかなかの分析力
驚きです。
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