統一教会・徳野英治会長-記者会見の問題点①
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統一教会考(4)-謝罪の性格・質について
統一教会の緊急記者会見についてのコメント(1)
「ニュース(8)」 「ニュース(9)」「ニュース(10)」「ニュース(11)」で、徳野会長が引責辞任を発表したときの記者会見の全容と、それを報じた新聞記事を紹介した。
ここでは私の感想を述べておく。
「統一教会考」のカテゴリーで書くことにしたのは、記者会見は「統一教会を考える」うえで重要な材料だと思うからです。
統一教会はいったい誰に、どういう理由で、謝罪すべきなのか
「ニュース(9)」の末尾で触れたことだが、私がもっとも疑問に思ったのは、信者の経済犯罪事件に対して、<教団中枢部(日本・統一教会の内部用語では「中心」)は、いったい、誰に謝るべきなのか>ということに関して、である。
日本・統一教会の「中心」が、法人が認可されてから初めて記者会見を開くことを決意し、そして陳謝するというのだから、いったい、誰に、なぜ謝罪するのかは、もっとも重要なテーマである。
声明文(会長冒頭発言)と記者との質疑応答で、これに関する発言を拾ってみる。
「世間をお騒がせし、多大なご迷惑をおかけしましたことにつきまして、教団の責任者として深くお詫び申し上げます」
「一部の信者の方が犯した違法行為のゆえに、その信者の方々が所属している教会にまで警察の捜査の手がのびたということに対しまして、社会をお騒がせしました。
このことに対して、日本の国民のみなさまに対し、そしてまた信者のみなさまの中には問題を起こしていない信者のみなさんがたくさんいらっしゃいます。そうした信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけたことに対して、私は教団の責任者として大変遺憾に思い・・・」
「統一教会には56万人の会員がいますけれど、問題を起こしていない大半の信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけしたという面において教団の責任者として道義的責任を感じ、・・・」
これらを読めば、世間・社会・国民・信者、整理していえば、日本の社会と統一教会員に謝罪するとしている。
そして、謝罪の理由は「教会に警察の捜査の手が延びたこと」で、(それがマスコミに大々的に報じられたことによって)「世間をお騒がせし」、(信者の個人的な犯罪なのにあたかも教会が組織的に関わっているような印象を与えたために)、事件とは関係のない多くの教会員に心配を与え、迷惑をかけたこと?だという。
このことに強いひっかかりを覚えたし、大いなる疑問を感じたのである。
統一教会系企業の「北玄」や「新世」などの経済犯罪事件に、統一教会が関わっていたかどうか。それについては、徳野氏が語る通り、捜査の行方を見守るしかない。ただ、何の端緒あるいは証拠がなく、警察が南東京教区の施設や教区長の自宅を家宅捜索(裁判所の令状が必要)するのは一般的に有り得ない-ことだけは付け加えておきたい(注1)
仮に信者個人の犯罪だったとしても、記者会見ではまっさきに謝るべき人に謝っていない。つまり、事件の被害者に謝っていないのだ。
部下がなにかの事件を引き起こした場合、テレビでよく記者会見が行われるが、それを見ればわかる通り、真っ先に謝っているのは被害者に対してである。
そのあとで社会、国民に謝罪する。
それが社会常識であり、社会的良識というものである。
この点で、組織中枢部の感覚は社会感覚と大きく乖離しているという印象を強く受けた。一言でいえば社会オンチなのだ。
今回の5つの事件は、新聞報道によれば、被害者が警察に被害届けあるいは告訴状を出したことによって発覚し、警察が捜査し、印鑑などの販売に携わった信者を逮捕し、そして略式を含め起訴したというのが一連の流れである。
印鑑などを買った人が警察に訴え、被害者・告訴人として「被害の訴えが真実かどうか長時間の取り調べを受ける」のは、とても勇気がいることである。言い方を変えれば、泣き寝入りで終わらせたくないほどそれだけ精神的に被害甚大だったということだ。ちなみに、12年間監禁事件の後藤徹さんは20回程度は警察と検察の取り調べに、そのつど会社から休暇をもらって応じたはずだ。
それなのに、「中心」(教団中枢部)は被害者に謝罪しなかった。事件のことに触れた教会員のブログを見ても、被害者に思いをいたすような記述は一切なかった。つまり、日本の統一教会は幹部信者から現場の信者に至るまで、印鑑などを売りつけられた人(一般市民)に申し訳ないことをした」という気持ちがないということなのである。
実に憂うべき問題だと思う。
この問題は、さらに深刻な問題を内包している。
口を閉ざした使用者責任
被害者は、たんに販売員から威迫され、困惑させられて印鑑などを購入した消費者というだけではない。どういうことか。話は少々迂遠になる。
統一教会は、会社や役所組織とは違い、徳野氏も一部触れているように悩める民衆の魂を救済することを目的とする宗教団体である。
一方、「新世」や「北玄」など警察に摘発された会社は、一般の会社と異なる「統一教会系企業」である。
ところで、これからの記述に大いに関係することゆえ、「統一教会系企業」という用語について言及しておく。
社長や社員のほとんどすべてが統一教会員という会社は全国に無数あるだろう。しかし、そうした企業を「統一教会系企業」と呼ぶことはできない。教会員(ひとりでも複数でも)が営んでいる街のパン屋さんがあったとして、またパンで稼いだ中から統一教会に献金していたとしても、それだけで統一教会系パン屋ということはできない。
反論する人がいれば、創価学会の例をもち出せば理解してもらえようか。
創価学会の会員は全国で800万世帯いる。パン屋や農業、自動車整備工場など、おそらく学会員が経営している会社の業種は、日本にあるすべての業種を含むだろう。
そうした会社を、いくら社長や社員が夜になるとお題目を唱えていようが、あるいは選挙が近づくと会社を休んで選挙活動に奔走しようが、私たちは「創価学会系企業」とは呼ばない。何らかの特徴づけをする場合には、「あそこの会社の社長は熱心な創価学会員さん」とか「創価学会の人がやっているパン屋」といった言い方をする。
会社のほとんどすべてが教会員といっても、それは「統一教会系企業」と呼べる必要条件でしかない。一時期、家庭教師を派遣する会社が「統一教会系企業」と噂されたことがある。おそらく、家庭教師の中に統一教会員が多くいたからだと推測するが、それだけで「統一教会系企業」とするのは、あまりにも短絡的で、差別的だ。
統一教会系企業と呼べる十分条件は、統一教会の目的、統一教会員に課せられた使命を会社の活動に取り入れていることである。(注2)
統一教会の目的とは、先ほど述べたように、民衆の魂の救いであり、仏教用語を使えば衆生を救うことである。その目的を実現するために、救いを求める人たちを統一教会に勧誘・伝道し、また摂理献金に寄与することが信者の使命である。(注ここでは信者の使命の是非は問わない)
事業活動を通して、教団の目的を実現し、教会員としての使命を果そうとする会社。こうした会社は「統一教会系企業」と形容しても、何ら問題ないと思う。
このような「統一教会系企業」の社長や社員また契約社員は、先に述べた伝道と献金という2つの使命を果すために日夜、活動している。そのことは、現役の信者なら誰でも知っていることだ。
ところで、伝道と献金は密接不可分な関係にあるが、<誰に、なぜ、なにを謝罪すべきなのか>を明かにするには、2つの使命を分けて別々に考えたほうがわかりやすい。
統一教会系企業は、社員一丸となって印鑑などの宗教グッズを販売し、献金に寄与してきた。
このこと自体、何ら法律に反する行為ではない。宗教グッズであろうが、宝石や絵画、着物であろうが、はたまたパンであろうがパソコンソフトであろうが、そして目的が献金のためであろうがなかろうが(つまり、目的そのものに違法性がなければだが)、正常な商品販売(正当な売買)であれば、何の問題もない。
印鑑販売自体に<何か問題があるのでは>と思っている教会員は少なくないようだが、それは、正体を隠して販売することに後ろめたさを感じているからだろう。
問題なのは、商品の販売過程あるいは献金させる過程で、違法行為があったかどうかだ。
これについては、今回の事件だけでなく、すでに多くの民事裁判で、そうした過程に畏怖・困惑・威迫があったとして統一教会系企業、信者社員はことごとく敗訴している。
数々の判決文では、信者個人の責任にとどまらず、宗教法人・統一教会そのものにも「使用者責任」があると認定されている。すべての判決文を読んだわけではないが、ここ数年の判決文で「使用者責任がない」としたものは一件もなかった。(『我らの不快な隣人』387頁の<注15>を参照)
実際、記者会見でも強調されていた3月25日の通達文「教会員の献金奨励・勧誘活動及び
ビデオ受講施設等における教育活動等に対する指導について」でも、次のように書かれている。
「これまで当法人を被告とする一部の民事裁判等において、伝道や献金勧誘行為に関わる教会員の行為が不法行為と認定され、当法人に使用者責任が認められてきました」
使用者責任を自覚しながら、記者会見で口を閉ざしたのはなぜなのか。
おそらく、使用者責任を認めてしまうと、現在の係争中の裁判、今後の裁判で不利になると心配したからなのであろう。それにしても、マスメディアの記者が「使用者責任」のことを追及しなかったのには驚くというより呆れてしまった。警察発表ばかりに頼り、独自取材のみならず、ネット検索さえしなかったということなのだろう。
話は大きく横道にそれるが、私がどういう経緯で記者会見を傍聴することができたか説明しておく。コメント欄でも疑問の声があがっていたことだ。
私は、新聞記事にたびたび載った、「事件は信者個人が勝手にやったことであり、当法人とは一切関わりがない」といった官僚的で冷たい教団のコメントを読んで、やるせない気持ちになった。
<こんなコメントを出し続けていれば、統一教会は完全に地に墜ちてしまう。社会から石もて追われることになる。そうなったら、取材で知り合った、統一教会を改革したいと思っている教会員たちはどうなるのか・・・>
そこで、拉致監禁問題を通して知り合った教団職員に、「とにもかくにも記者会見を開いて謝罪することが必要だ」と訴えた。その後、どういう経緯で記者会見を開くことになったのかは不明(おそらく文鮮明氏の企業分野の後継者で、事件後に日本担当となったという文国進氏の鶴の一声だったのではないか)だが、教団職員から「急遽、記者会見をやることになった」という連絡が入った。
当然のことながら、私は記者会見の参加を求めた。しかし、記者会見には新聞、テレビの記者しか呼ばないという。交渉の結果、私は質問は一切しない傍観者(社会学でいう参与観察者の立場)として参加が認められたという次第である。
説明が長くなった。話を戻す。
徳野氏(というより「中心」のある一部)は、記者からの使用者責任に関する質問があることを想定し、それに対する回答も用意していた。
「信者の方々の私生活全面、経済活動にまで監督指導する立場にはございません」
「当統一教会も信者の方々の信仰指導 そして教育、伝道問題、これを監督指導してまいりました。
したがいまして、個人の信者さんの全生活、プライベート一切、あるいは経済活動、その他を含めてすべてを教団が指導監督する立場にございません」
咄嗟に反論の質問を思いつかなかったのか、この徳野氏の回答はそのまま受け入れられてしまった。実際、活字にして読み返しても、一読すれば<確かに、教団は信者の私生活まで監督する義務はないよなあ>と思ってしまうだろう。
しかしながら、これまで読んでこられた聡明な読者は、この回答にはまやかしがあることに気づかれたと思う。
先の例えをもち出せば、統一教会員がパン屋を営むという経済活動について、教団が指導監督する立場にないのは当然のことだが、
信者の使命を果すことを目的の一つにしている「統一教会系企業」、そうした企業から、直接かどうかは不明だが、少なくとも社長や社員から印鑑販売で得た売り上げの一部を献金として受け取っている教団とすれば、「統一教会系企業」には指導監督する立場にあるのである。
徳野氏は事件の原因について尋ねられると、こう答えている。
「たとえば特定商取引法はどういうことをしたら引っかかるのか、どういうことをしたらそれが違法になるのか。その正確な知識がない。そういう部分において足りない部分があったのではないかと分析しております」
信者個々人の勉強不足というわけだが、教団中枢部には「特定商取引法について啓蒙する義務」は間違いなくあった。なぜなら、前述したように、数々の民事事件では商品販売の過程に違法性ありと、何度も繰り返し指摘されていたからだ。
それに、教団には法務部(現在法務局)というセクションもあったのだ。
法務担当者は、判決を踏まえ、統一教会系企業の責任者を集めて、勉強会などを開く義務と責任があった。それが社会常識というものだ。彼らの怠慢によって、10数人の信者が「前科」の経歴を背負うことになってしまったのだ。
正式に起訴された「新世」の社長と部長は、ムショに入る可能性もある。(おそらく求刑は最高刑の懲役2年)。
そうした義務と責任を教団中枢部が果さず、「信者の勉強不足」と切って捨てるのは、あまりにも傲慢だし、無責任だし、官僚的だ。コメントで批判された乱暴な言葉をあえて使えば、「ウルトラ無責任集団」と批判されてもしかたがないだろう。
販売員信者に、私腹を肥やした事実があるなら、突き放した物言いがあってもいいだろうが、彼らは信者としての使命を果そうと、印鑑販売に精を出してきたのだ。
正直、官僚組織特有の冷たさを感じた。
徳野氏は記者会見の後半部分で、「国民からほんとうの意味で信頼される模範的な宗教団体」になるように努力することを宣言した。それだったら、違法行為に教会が関わっていないにしても、指導監督責任を認めて陳謝すべきだった。それが改革の第一歩となるはずだったのに、と思うと残念でならない。(注3)
救いを求めてきた人たちを裏切る行為
記者の質問に、あくまで信者の方の個人的な、ってことですですけど、警視庁の調べでは、印鑑販売のときに勧誘なんかもしたとなっていますが、実際にそうした勧誘で信者になられたんであれば、組織的になされたんではないかと思うほうが一般的ですが、その点についての説明をいただけますか」というのがあった。
これについて、徳野会長は直接答えなかった。
話を、先に述べた信者のもう一つの使命、伝道のことに進める。
私は以前、印鑑の訪問販売を行っていた信者(教会長代理クラス)に、印鑑販売と勧誘との関係を聞いたことがある。詳細な話は省略するが、次のように語ってくれたことがとても印象的だった。
「興味を示してくれる人はみんな悩みを抱えている人たち。そうした方とはだいたい4、5時間ぐらいは話す。それはその方と親しい関係をつくって、いずれ伝道しようと思うからです。
たんにお金が目的だけなら、バカバカしくて印鑑販売なんかやってられませんよ。教会員になってもらい、その方の運勢とか人生とかが好転することを願って、印鑑販売をやっているんですよ。
どんな悩みか?一番多いのは、夫婦関係、家族関係ですね。あとは子どものこととか」
印象深かったのは、たんに金儲け(献金実績をあげる)のためではなく、彼なりに悩める人と真面目に向き合おうとする姿勢に対してであった。
このことは、「新世」や「北玄」の販売員にも言えることだと思う。彼ら彼女たちもたんに印鑑販売による売り上げだけが目的で、通行人に声をかけていたわけではなく、悩める人たちを救いたいと思っていたはずだ。
と、今回の事件はどういうことになるのか。
印鑑を買った人・買おうとした人たちは、夫婦や家族関係などなどに悩み、救いを求めてきた人たちである。そうした人たちが警察に被害届けを出し、告訴した。
つまり、救いを求める人たちを、統一教会員は裏切るだけでなく、傷つけたのである。
まさに宗教者として万死に値することではないのか。
今回の事件の本質は、信仰レベルでいえば、特定商取引法に違反したかどうか、組織的関与があったかどうかといったことにあるのではなく、救いを求めてきた人たちを宗教者が裏切ったことにある。
そうであれば、記者会見では被害者・告訴人たちに真っ先に、救いを求めてきた人を裏切ってしまったことに対して、謝罪がなされるべきだった。
記者会見で、誰になにを謝罪すべきかは、統一教会の「中心」(教団中枢部)で何度も話し合われたと推測する。
そのときに、組織防衛の視点のみで、宗教者としての本質、「魂の救い」という視点は欠如していたのではないか・・・。
「中心」ばかりではない。教会員のブログでも、救いを求めてきた人たちのことに言及した記述は一切なかった。
「為に生きる」という言葉が大好きな教会員は、その実、人を傷つけたことには無頓着。なんと寒々しいことか。
信者が勧誘数や献金額を競うのは悪ではない。しかし、その過程で救いを求めてきた人たちを裏切ることは、「信仰者として、絶対にやってはいけない」(ある教団の声)最悪のことである。
統一教会の上から下まで、悩める一般の人の魂を救うどころか逆に傷つけてしまったことに、誰も気づいていないのだ。
ここに、統一教会には深刻で、抜本的に改革しなけなればならない問題が横たわっていると思うのである。(注4)
(注1)日本の治安を守ることを責務とする公安警察が、なぜ、数100万円単位の経済事件の捜査に乗り出したのか。反統一教会を含め関係者の間で話題になったが、近く出版されるムック本『(仮)宗教と事件』(学研)で、そのことに触れておいた。
(注2)全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の弁護士や、牧師を含め反統一教会陣営の人たちも「統一教会系企業」という用語を頻繁に使うが、はっきり定義した上ではなく、イメージ的認識のもとで使われているように思える。
「統一教会のダミー組織」という表現もそうだ。なにがダミーなのか説明抜き。あまりにもレッテル的使用方法だ。
世界平和女性連合(日本の会員数1万5000名、うち半数は非統一教会員)にも、全国弁連は「ダミー組織」のレッテルを張っている。
同連合は本部をニューヨークに置く、国連・経済社会理事会の諮問資格を有するNGO。総裁は文鮮明氏の妻、韓鶴子氏、世界会長は文蘭英氏。同副会長は6人いるがそのうちの一人は日本会長を兼務する、日本・統一教会の初代会長の妻、久保木哲子氏である。
アフリカでの学校建設を支援したり、里親制度、奨学金制度を開設し、世界の恵まれない子どもたちを支援するなどの活動を行っている。
ダミーとは「実物のように見せかけたもの」(広辞苑)を指すが、どうして活動の実態がある世界平和女性連合が「統一教会のダミー組織」なのか。どう解釈しても理解できない。
全国弁連が統一教会を叩きたい、その一環として世界女性平和連合の影響力を削ぎたいとするのは理解できる。それなら、レッテル張りではなく、実物そのもの(世界女性平和連合)を、批判すべきだろう。あまりにも非理性的だ。
(注3)教団は「使用者責任」を認めず、違法行為を信者の責任のみに帰した。
「ニュース(11)」にコメントされた「諸行無常」さんの表現を借りれば、ヤクザの親分が覚醒剤の売買で捕まった子分のことを、「あいつは覚醒剤に対する認識が欠けていた、覚醒剤取締法のことを勉強していなかった」と記者に釈明しているのと、構造は同じである。
今後、内部で大きな問題に発展する可能性がある。あとで触れることにする。
(注4)魂の救済に反するような行為は統一教会だけで行われているわけではない。既成宗教を含め、多かれ少なかれ、セクハラ、差別的言辞、信者の訴えの軽視ないし無視など、魂の救済を求める人たちを傷つけている。日本に宗教が根付かないのもむべなるかな、である。
<謝罪&謝辞>この一文を書いている最中に、実に多くのコメントをいただきました。コメントしたくてもできずに申し訳ありませんでした。
統一教会の問題点の一つは透明化、情報公開に欠けていることであり、コメント欄への投稿はそのまま統一教会の改善(「国民から信頼される模範的宗教団体)につながることだと思います。新しい情報の提供、また批判?反批判の繰り返しによって(ただし前向きな議論)、感性的認識から理性的認識へと、認識はより深まっていきます。今回のブログに対しても、コメントを寄せていただければうれしいです。
コメントはココー https://admin.blog.fc2.com/control.php?mode=control&process=comment&keyno=84
続く
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発想の転換にはちょうどいいかも
私は同じ「霊感商法」問題でも、80年代の壺多宝塔の時代のコメントに衝撃を受けた記憶があります。最近の「新世」をはじめとした「霊感商法」問題と、80年代のころのそれがどこが同じでどこが違うのかは、よくわかりませんが。
80年代にこのコメントを読み始めた時、衝撃というか、むなしさを覚えましたね。本丸を守りたいという気持ちも一方にあって、このコメントでいいのだ、と賛意を表する一方で、ひょっとしたら過去に行った活動で本丸は出城を守ってくれなくなるかも……なんて気持ちも出てきたりして。
でもね、私はいい機会だと思うんですよ。私と教会、私と文鮮明師ご夫妻との関係をどうとらえるか。私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です。教会用語的にいえば、再臨主、真の父母と私との関係、これが一番大事です。そしてその再臨主、真の父母がどういうご計画をお持ちであり、どういうことを願っておられるかを知らせてくれるのが教会である、と今は考えております。
つまり、教会というのは事務局である。私たちが摂理に参画するにおいて、必要なもの、つまりデータ、方法等を準備する。その中で、私たちは、これならできる、これはできないと判断し、自ら参画すると……。
ただ、問題は、そのデータ自体が、まだまだ足りないな、自分で収集するしかないなと思うことが多々あることです。あの海洋摂理はどうなったんだろう、日韓トンネルはどうなったんだろう、ベーリング海峡プロジェクトは今どんな段階なんだろう、と思っても、教会にそんなことを調べる人ではないし、今は忙しいし……、仕方がない、自分でネットサーフィンしたり、講演会があるといっては出かけて行って話を聞いたりするしかないな。拉致監禁なんて重要な問題でも、自分が会員になって、勉強するしかないな……ということですね。
そういう問題はあるにしても、私は教会を使いまわす……という意識でいいのではないかと思っています。そういう発想の転換を行うのに、今度の記者会見はちょうどよかったかもしれません。教会の事務局機能を使いまわして、自分が参画できる部分で参画すると。そのために自分の礼拝参加の“権利”を行使し、摂理を進めるために献金の“権利”を行使し、さまざまな権利を行使する。これが“主人意識”だろうと思っています。
米本さんが提示してくださるこのような情報、それから反対派の仇敵である有田芳生氏のブログからの情報もまた、善なる方向で活用し、より文鮮明師の願いにこたえられる方向性を自分で模索しながら生きていくことにしたいと思っています。
米本さん、またどんどん書いちゃってください。
早く再出発を
こんな当たり前のことに気がつかないなんて、自己嫌悪に陥っています。
当事者としての視点でしか、一連の出来事を見れていないことを痛感しました。
なぜ「魂の救い」という観点を見失ってしまっているのか?宗教団体にとっては、これほど深刻な問題はないでしょう。というか、それを見失ってしまっていることこそ、一連の問題の根底になっているとも思います。
率直なところ、そんな基本的なことも分からなくなってしまっているほど、現場も幹部も追い詰められているのが現状です。(追い詰められているという表現だと、何か最近のことのようですが、こんな状況が何十年も続いてます。)全てに目を向けようとすると、前に進めないという状況もあります。
ただ、今日至る全ての要因を否定するつもりはありません。私たちもそれなりに確信を持って行ってきたことも事実です。しかし、その結果が一歩誤ると宗教法人の認可取り消しという事態まで行きかねない現状を見ると、何かが間違っていたとうことは、紛れもない事実だと思います。
一日も早く問題点を洗い出し、組織一丸となって再出発する必要があると思います。
この世はサタン?
Re:この世はサタン?
私たちは今まで何を学んできたのでしょうか(ーー;)
ハッピーワールドF社長の責任はどこへ?
今の「新世」その他の問題はわかりませんよ。80年代当初、あるいは70年代最終盤だったかもしれない。私は学生組織の原理研究会にいて、統一グループとしては伝道面から経済面に重きを置くように転換したという報告を、支部の責任者から受けた記憶があります。それで、これからはハッピーワールドが統一教会より上位に立つと。それでハッピーワールドがグループの中でヘゲモニーを握ったわけです。
という記憶が正しければ、宗教法人の統一教会が、後ずさりしたくなる気持ちもわからなくはない。とすると、問題は、なぜハッピーワールドが前面に出ないのか。自分の指導した販売方法に誤りがあったので申し訳ないと、なぜ腹を切らないのか、ということになろうかと思います。その時のやり方がずーっと続いて、今に至っているとすると、本当は頭を下げないといけない人はほかにいるのではないでしょうか。F社長は今、どこで何をしているんでしょうね。
A級戦犯-古田元男
ところで、原田さんの毎回の投稿を読んで、まだ拙著を読まれていないのだと思いました。機会あれば、是非、読んでください。F氏のことも書いてあります。
さて、「F社長は今、どこで何をしているんでしょうね」という感慨めいた言葉に反応し、少しばかり書いておきます。
霊感商法の創始者の一人、つまり日本の統一教会を決定的に変質させたA級戦犯、古田元男は事件後、アメリカ担当になり、「夜ごと酒を飲み歩き、ゴルフに興じ、贅沢三昧の生活に明け暮れるという堕落ぶり」になったようです。
これは、日本に最初に統一教会を宣教した西川勝氏の証言です。50年代から70年代前半に、信仰活動に奔走されてきた方は西川氏や古田氏の名前を聞けば、大変懐かしく思われると思います。
西川氏の証言をまとめた『救いの正体』(宝島文庫)は日本・統一教会の古(いにしえ)を知る上(つまり今日を知る上)で一読の価値があると思います。
このブログにも推薦図書として掲載しております。
いま、日本・統一教会に電話をかけると、録音の声で「どちらにおつなぎしますか」と、各部署の名前を告げられます。その中に「歴史編纂部」は内線●番に、というのが聞こえてきます。以前には聞かれなかった部署です。
ところで、この歴史編纂部はとてもいい仕事をしています。文鮮明さんの日本での足どりを丹念に調べ、新たな事実も発掘しています。彼を拷問した日本の特高警察官の名前も突き止めています。
小冊子も2年前に出されたはずなので、お読みになったと思います。
今回、統一教会の代表電話にかけると、歴史編纂部の部署が登場するということは、文鮮明さんがみまかうことを前提に歴史編纂が急ピッチで進んでいるのだと推測します。
どんな歴史書が生まれるのか。楽しみにしております。日本・統一教会の礎を築いた西川さんが完全に葬られるのか、登場するとすれば、文さんと西川さんとの関係はどう描かれるのか、楽しみです。
むろん、念頭にあるのは金成日・金正日の改竄歴史書です。
「魂の救い」か・・・
私は当然信仰を持って活動しているわけだが、信仰を持った動機に「自分自身の魂の救い」という観点は一切なかった。
復帰される前は、宗教=弱者のやるもの、という認識であったし、初詣や観光などで神社参拝をする際も、「自分の力で成功してやるから、(神は信じていないけどもし居るなら)見ていやがれ」という姿勢をとるほど、“すがる”という行為を嫌っておりました。
勿論その本質は今でもそうであります。
では何故信仰を持つようになったかというと、統一原理には「人間の責任分担」というものがあったからです。
神の責任分担+人間の責任分担=み旨成就 というわけです。
元々無神論を豪語していた身ですしプライドも高かったので、神を知ろうと思うようになるまでには紆余曲折あったものの、一度そう思ってからは「神は人間の親である」という教えはすっと入ってきました。
そして、その永遠なる親の願いは、私たちの力(責任分担)があって初めて成せる、と知りました。
だったらこれまで苦労してきた神様真の父母様のために、微力かもしれないけれど大きな夢を持って頑張ろう!
そう思って、今に至ります。
だから、ハッキリいいますと『「救いを求めている人」がいくら集まろうとも、「神様の夢に対してオーナーシップを持てる人」がいなければ、絶対に救いなど訪れない。』ということです。
そして私としても、真の父母様の下に集う者は、みな「神様の夢に対してオーナーシップを持てる人」であってほしいと思うのです。
だから、伝道するにしても「救いを求めている人」を連れてくるより「使命感を持って頑張ろうとしている人、あるいは頑張っている人」を連れてきたいと思うのです。
なぜなら、「そういう人を神様はより必要としているから」です。
もちろん、この考えは私の考えですし、教会のほうはあまりそういう感じではないのかもしれません。(原研は「神様の夢を成し遂げるために、準備された人に出会う」ことを目的として伝道していますから、そういう意図でやっていますし、“私の考え”とはいえ、もう一年半もここでやっていますから、原研の目指すことで私が納得、賛同できることなら、真綿が水を吸うように自分自身のものとしていますからね)
このあたりの難しさは、個々人の「信仰とはどういうものか」という観点に左右されることですね。
徳野前会長をはじめ、中心者に原研出身者が少なからずいるということは、中心者も私が記したような観点で見てしまう部分も多々あるのではないかと思います。
それが“一般的な”認識との間にある乖離になってしまうのではないでしょうか。
もっとも、それが原因で「ウルトラ無責任集団」となってしまうのはなんとも寂しいことですが・・・
特定商取引法が現在の法体系に改正されたのは2004年だと聞いております。この法体系に基づけば従来は違法とはされないものでも違法とされる具体的な法の枠組みが決められました。私の疑問は次の点です。
統一教会本部はこの法律の改正によって今後の取締りが予想されることを当該信者(すなわち統一教会系企業の信者達)に警告しなかったのでしょうか?本部には法務部という部署までありながら(そんな部署があることは今日はじめて知りました)、もしそうしなかったのであれば、これは明らかに使用者責任が問われることになると思いますが、実際のところはどうなんでしょうか?教会は本当に何の指導も警告もしなかったのでしょうか?
そのあたりの米本さんの真意についてもぜひお聞かせいただければと思います。
コメントに対して
「因縁が晴れる」とか「地獄に落ちる」とか万物条件と結びつけて不安を煽るのは間違っていると所属の婦人部長へ別件のメールの中で言いましたが、「そんなことはない、被害者が弁護士から巧妙に言わされているに違いない」としか思ってませんでした。
「地獄に落ちる」は統一教会では昔からよく何かと使われてきた言葉です。私も何度も言われました。私が思うに、販売する当人は法律の意識など全くなかったと思います。むしろ、天の万物を授け、救いの条件を立たせるの一点だったと思います。違法なのはもちろんですが、復帰とは与えることなのに求める心で一杯だったに違いありません。こういう言葉は新たな不安を誘発し、心をマイナス方向に誘導する可能性が大きく、霊界を愚弄することにもなると思います。はっきり言って詐欺目的のインチキ宗教家と同じです。と個人的に思ってます。こういう思いで、教会関係者がよく見るUCサイトのPeaceTVのフォーラムにらしきことを先月投稿しました。統一教会員のこういう間違った認識での思い上がった言動で心を痛めた人はたくさんいます。一般の方、元統一教会員、現統一教会員、その両親・親族。こういう教会で情けなく、申し訳ないです。そして、神様に対して。「鏡の法則」にならい、教会自体をまず本物にするべきと思ってます。
Re:A級戦犯-古田元男
私自身は販売したことは、実家以外にはありませんが、76年に初めて原研の教会を訪ねて以来の教会員ですので、ある程度は知っています。古田氏のやり方が広まったころでも、伝道から献金へという正統的な手法で目標額を達成していたところもあったようです。
ただ、伝道から献金へという手法にせよ、壺多宝塔の販売という手法にせよ、問題は、献金できそうな人、高額商品を買った人、たくさん献金をした人が一時が注目、賛美され、期間が過ぎると、またその時実績をあげた人が注目、賛美されるということにあります。そのことばかりが続くものですから、前に頑張った人はしばらくすると関心を持たれなくなる。人の顔を見るとお金に見える……。高額献金勝利者と話をするときの責任者の笑顔と、献金できなかった人に対する普通の顔。これが続くと、一体何なんだということになりますね。
ただ、信者サイドからすると、そこから一歩飛躍しなければなりません。私にとって何が一番大事なのかということに気がつかないといけません。これまでも主張してきましたが、私にとって大事なのは、文鮮明師との関係、神様との関係であって、目の前のアベルとの関係は大事であっても、それが壊れたからといって、教会を去らなければならないということはない。礼拝に参加できないということはない。
そのアベルのおかげで永遠の命につながっているわけではないのです。一生のうちの、あるいは永遠のうちのわずか2,3年しか付き合わないアベルのゆえに、永遠の宝物を奪われるのは大損なのです。
古田氏のやり方についていけない人は、教会を離れるのではなく、壮年壮婦になればよかったのです。もちろん責任者は、そうはさせじと説得するでしょうから、生半可なことでは献身者から壮年壮婦になるということは難しいでしょう。しかし、後で裁判沙汰になるよりは、思い切ってそういう道を行く方がいいでしょう。
ところで、古田さんは、文鮮明師の前で、泣いて詫びたと言います。何を詫びたのか、だいたい想像はつきます。その想像が正しければ、教会員や国民の前でも泣いて詫びれば、統一教会の社会的印象はもう少しはよかったのではないかと思います。
整理されたほうが・・・。
拉致被害者は拉致された人から謝罪されるべきで、教会からも「霊感商法をしたから謝るべき」とおなじ理論を繰り返されているのでしょうか?
それと、とても物書きの文章とは思えない販売会社のことと、拉致のこととごちゃまぜ理論なので整理してご発表お願いいたします。
ブログにまたおかしなところ書かせていただきました。
恥を知れ!
自分のブログのコメント欄を閉じていながら、他人のブログのコメント欄に批判を書き込むな! 恥を知れ! このカルト信者め!
早くコメント欄を開放しろ、この卑怯者。自分では一切批判コメントを受け付けないくせに、他人のブログのコメント欄に批判を書くことを「ひきょう」というのだよ。しかも、自分のブログに読者を誘導しようという、自分勝手な卑しい魂胆がみえみえ。「ぼくのブログは閲覧者数1万人突破」と喜んでいる。あほか。
おまえ、子供いるのか? いるなら心配だよ。お子さん、学校で「卑怯者」だと言われ、嫌われているよ、きっと。
同様に、おまえの真の親は文鮮明なのだから、卑怯者のおまえの真の親も卑怯者なんだよ。おまえのような卑怯者を作り出してしまうカルト集団の長である文鮮明は、卑怯者なのさ。
おまえゆえに、統一教団のイメージはものすごく悪くなっている。おまえが書けば書くほど、教団と文鮮明のイメージは悪くなっていく。それを覚悟して書け。
論議の花盛りも結構だが、アイデアにも花を咲かそう
さて、こういう時にこそ、いろんな発想、アイデアが浮かんでくると思います。私は、組織に属するスタンスとして、インサイダーの中のアウトサイダーというのが一番いいのではないかと思います。あるときインサイダーだったかアウトサイダーだったか書名は忘れましたが、心理学者のユンクのことが書いてある本を読んだことがあります。心理学といえばフロイトですが、そのフロイトの高弟たちの間にあって、ユンクは異端でした。で、高弟たちはさまざまに批判する。けれども、歴史が証明しているのは、心理学の発展は、間違いなくフロイトからユンクへと継承されたのです。ああ、そんなものかなと、私は感心したのです。
それから、いまでは多宝塔というと、壺と並んで批判されている統一グループの商材ですが、あれは本当は、販売に忙しい主流派の人たちとは違ったあゆみをする人が、韓国のお寺に行って、熱心にその構造を研究されたのです。たぶんその人には、周りから、このくそ忙しいときに何やっているだという視線が注がれたことでしょう。その人の研究が実って、大理石の多宝塔ができると、これが摂理商品なんかになっちゃって。その話を聞くと、勝てば官軍だなと思った次第です。
もう一丁。原理研究会で新聞会が始まったのが72年ごろだったそうです。そのときに、まじめな会員はみな悩んだそうです。なぜって、そのころに原研で頑張っていた人たちは、みんな大学を中退するくらいに伝道に、万物復帰にいそしんでいたのです。
ところが新聞会のメンバーはというと、記事を書かないといけないものですから、食事の時に新聞を広げるわ、本を読むわ、ということで、皆から見れば異端状態です。周囲の目もあって、皆さん悩んで、落ちた人も……。何事も始めに手をつける人は、理解されないものですね。残ったのは活字大好きで、どんなことがあっても別室で活字に取り組んでいる時間が心安らかだったと、有る人が明かししていました。私はその世代からしばらくたって、第2次の学生新聞全国化の79年ごろだったでしょうか、一大学の学生新聞の編集に携わりました。そのことが御縁となって、卒業時には世界日報社人事異動となったわけですが。
みなさん、いい意味での自分というものは必要ですよ。おかしいと思ったらおかしいと忠告してあげる。自分だったらこうするということを、まず自分からしてみる。まず隗(かい)より始めよというという中国故事があるじゃないですか。
まずインサイダーということで、摂理には責任をもつけれども、発想はアウトサイダーというのが、一番よろしいのではないですかな。
古田さん、早く出てきて頭下げないかな……。男古田よ、最後の時に自分の尻は自分で拭かなきゃ。
Re:A級戦犯-古田元男
西川先生ですが、昨年7月15日に行われた「日本宣教50周年記念大会」の場に来賓として出席され、日本食口に対して激励の言葉を述べて下さいました。西川先生が、統一教会の歴史から葬り去られるという状況は考えにくいと思います。
>念頭にあるのは金成日・金正日の改竄歴史書です。
ここまで堕ちてはいないと信じます。もしそのようなことをするようになってしまったら、一般社会のみならず、食口からも見捨てられことになると思います。
たしかに都合の悪いことは無視する傾向はあると思います。しかし、原理では、地上で都合の悪いことをいくら隠しても、霊界では全てあからさまになると教えていますし・・・。
古田社長をA級戦犯というのは分かります。ただし数多のB級戦犯、C級戦犯もいるはずです。古田社長にお一人に全責任があるかのような表現は承服しかねます。最高責任者である以上、その責任から逃れることはできないでしょうが、組織としての問題点はなかったか、全体を総括して出直すことができなかったから、今日も同じことをしているということではないでしょうか。
また、古田社長に全責任を負わせようとする私たちの姿勢が、古田社長を追いやった原因だとも思います。
繰り返しますが、その時代の携わった全ての食口一人ひとりが、悔い改めて再出発できていないことが、今日まで問題を引きずってきた原因と思います。今の時もそのような時と思います。
若年食口さんへ
統一協会外部の人間ですが、この種の問題に興味を持ち、時々ブログを拝見しております。
>だから、ハッキリいいますと『「救いを求めている人」がいくら集まろうとも、「神様の夢に対してオーナーシップを持てる人」がいなければ、絶対に救いなど訪れない。』ということです。
>だから、伝道するにしても「救いを求めている人」を連れてくるより「使命感を持って頑張ろうとしている人、あるいは頑張っている人」を連れてきたいと思うのです。
なぜなら、「そういう人を神様はより必要としているから」です。
そうであれば、健康な人、悩みのない人、宗教を必要としない人を勧誘してください。間違っても、病気で苦しんでいたり、家庭の問題で悩んでいたりする人を誘わないようにしてください。
大阪の薬事法違反の事件では、がんの患者に「絶対治る」といって高麗人参を数百万買わせた上、自己啓発セミナーということで勧誘しようとしました。
がんの患者の多くは、病気の状態にもよりますが、再発や転移の不安を抱え、藁にもすがる思いで過ごしています。
でも、若年食口さんの書き込みで、そういう人は、統一原理の神様は求めていらっしゃらないようなので、ホッとしました。
とにかく、くれぐれも困っている人、病人、悩みを抱えている人、宗教を必要とする人は勧誘しないことです。
それが原理研、統一協会ができる、唯一世のため人のためになることだと、私は思います。
協会と献金、ある一般人の感想
世界遺産にもなるような荘厳壮大な教会、神社仏閣、モスク等みるにつけ宗教はあるときは権力者に迎合しあるときは
膨大な浄財を寄進させて自らの信仰の正当性と権威を証明しようとしてきた。統一協会にかぎらず金集めがいつのまにか
目的化してしまうのは神や仏に使えるもの達の性なのかもしれない。たとえ彼らの神や仏の教えがそれをいましめていてもである。
そもそもあなたたちの神は100万円献金する億万長者と年金から5千円寄付するおばあさんとどちらを信仰深きものと
みなしているのか?いつのまにか献金の多寡で信仰の度合いをはかっているのではないか?
もし年金のおばあさんが1万も2万も献金したら世人はその宗教を是認するであろうか?
法をおかしていなければいい、おばあさんは信じていて満足しているのだからということではない、
社会的ルールや常識の範囲を逸脱すればそれなもはや非難と排斥の対象とならざるをえない。
土地や全財産を寄進させたり保険を解約させたり家族に秘密にさせたりすればもはやその
宗教は正なるものとはみなされない。自らサタンであると公言しているに等しい。
献金にしても物品にしてもその価値は精神的な付加価値もふくめて常識的な許容範囲のなかになければならない。
寺の檀家が50万、100万寄進してもその人の生活に支障がなければ誰も文句はいわないがこれが
家族にないしょで1千万、2千万となればたちまち詐欺いんちきの非難をあびることであろう。
統一協会は印鑑、壷などの物品はもちろん、献金にたいしてもただしたすらそのつど一時的な金集めにぼっとうしているのでは
ないか?教義や信仰はただそのための手段ではないか?それゆえに世間からも認められずキリスト教会や
霊感商法弁護士会からのはげしい排斥対象になっているのではないか。また自分たちもそれを自覚していればこそ
こそこそ密かに家族にも内緒で活動させているのではないか?真にひとかどの宗教と認められたければ
単に法令順守だけで済む話ではない。信徒の家族や周りの人々に”統一協会”を信仰しているのですと
いえるような環境にならねばならない。そうでなければ世間は拉致監禁されたほうよりしたほうの手段を
正当化しがちになる。このままではあなたたちは普遍的なりえない。文師の死とともに消滅する世をさわがした泡沫宗教と
いうことになるのでは。
透明のバキュームカー
当たり前のことだが、米本さんは統一信者ではない。ジャーナリストとして、「外から目線」で統一教団を取材し、論評している。それを「自分たちの味方」のように錯覚している「中から目線」が、傍から見ていてキモい。
卑怯者SAKA氏をはじめとした統一教団コメンテイターの面々は、「自分が教団に属し、体験してきたこと」をベースにしていながら、外から目線を意識的に装いながら書いている。だから違和感があるし、卑怯者SAKA氏のようにひんしゅくを買う暴言にまで達する。
中にいるものは、「決して客観的にはなれない」。それを心底反省して、米本さんのような外からの意見を真摯に聞かなければ、カルト教団の名から脱することはできない。
例えば、 原田和彦氏。
>私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です。
一番大切なことは、自分と社会との関係だ。それが社会人たるものの基本である。どんな思想信条をもとうと自由であるが、統一教が数々の社会問題を犯してきたことを是々非々で正さんとするこのブログで、こんな失言を堂々としてしまう無神経さが、「マインドコントロール」などと揶揄されるゆえんであろう。
若年食口氏。
>これまで苦労してきた神様真の父母様のために、微力かもしれないけれど大きな夢を持って頑張ろう!
こんな書き込み、やめてほしい。こういうのは仲間内のブログで書けばいいこと。 「神様真の父母様」がこれまで苦労してきたかどうかなんて、社会は関心ないのである。あなたがたの教団が引き起こした様々な社会問題をどう解決してくるのか、どんな「おとしまえ」を付けてくれるのか、ということに関心があるのだ。「神様真の父母様」などとのたまうと、完璧に社会からひかれるよ。
卑怯者SAKA 氏。
>統一教会会長は販売会社のトラブルまで責任は無いですよ。
最悪の発言だね。問題の本質が分かっていない。こいつは建前論でしか論じられない。法律オタクにこういう奴が多い。
米本さんの記事をよく読めば、こんな発言恥ずかしくて書けやしないはずだ。よく読んでいないか、読解力がないか、カルト教団を守ろうとする一心の建前論かの、いずれかだろう。
既に教団の使用者責任の司法判決がいくつも出ている。「教団ぐるみで霊感商法をやってきた」ということは、社会的常識になっている。それが真実かどうかが問題ではない、社会的常識だということだ。我々一般人は、「おたくの教団が宗教的信念に基づいて販売活動をしてきた、その結果逮捕者が出た」と常識として思っている。
もしこの常識が「真実ではない」と主張したいなら、裁判所の判決を不服としていつまでも闘い続けるべきだ。しかし、闘っていない。教団のHPをみても、不当判決だという主張もない。
もし不当判決だと言い張るなら、教団はもっとあらゆる情報をディスクローズし、広く社会に判断してもらおうとするだろう。それこそ、記者会見でも開いて訴えたらいい。
それをしていないこと自体が、教会活動と販売活動が一体となっていることを認めているに等しい。「黙ってるだけで、認めているわけではない」と言っても、「社会」はそう見ないのだ。
だから、米本さんは、
>仮に信者個人の犯罪だったとしても、記者会見ではまっさきに謝るべき人に謝っていない。つまり、事件の被害者に謝っていないのだ。
と書かれているのだ。
こんなこと、当たり前である。法律以前の問題、倫理道徳の問題である。既に社会的常識となっている「教団ぐるみで霊感商法をやってきた」ことによって、逮捕者が出た。だったら、まず会長が被害者に謝罪するべきだ。こんなこと、当たり前である。
「わが団体の信者が、たいへん申し訳ないことをしました」と謝れば、社会もある程度評価するのだよ。そうすれば、「会社の社長が謝ればいいものを、宗教の会長が謝るなんて、たいしたものだね」と逆にポイントが高くつくんだよ。
それとは逆に、「信者がやったことだ、販売会社が法律に無知だった」などと言うから、「宗教のくせに、信者を突き放すのは冷たいね、所詮献金集団であり魂救済などやっておらんカルトだね」と思われるんだよ。(米本さんは人格者だからこういう言葉を使わないいけれども、こういうことなんだよ)
社会というのは、そういうものだ。これが分からないから、カルト、マインドコントロールと言われる。
統一教団コメンテイターの面々は、もっと外から目線で物事を見てくれ。書けば書くほど教団の異常性を浮き彫りにすることは避けた方が良いと忠告しておく。まあ、君たちが異常だということは社会的常識なのだが、さらにその常識を補強する材料をわざわざ提供することはあるまい。バカ丸出しである。
もっと賢くなってから、発言することを提案する。「教会の透明化」などと言っているが、こちらは醜いものを見たくはない。嘉門達夫の歌「あったら怖いセレナーデ」に出てくる「透明のバキュームカー」を思い出す。もっと奇麗になってから透明化してくれ、賢くなってから発言してくれ。よろしく頼むよ…。
基本的な文脈の読み違えあり
基本的な文脈の読み違えがあるようです。
>例えば、 原田和彦氏。
>>私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です。
>一番大切なことは、自分と社会との関係だ。それが社会人たるものの基本である。どんな思想信条をもとうと自由であるが、統一教が数々の社会問題を犯してきたことを是々非々で正さんとするこのブログで、こんな失言を堂々としてしまう無神経さが、「マインドコントロール」などと揶揄されるゆえんであろう。
私の発言のほんの一部分だけを読んだのでしょうが、全体を読めばとてもこんな勘違いはしないでしょう。批判というものは人の見解を理解してから行うべきもの。
「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です。」をどんな文脈の中で読みましたか。また私が統一教会をたださんとするブログの中で、失言をしたというが、統一教会をただそうとしていないかのような発言はどこにありますか。小学生とは言わないが、中学生の国語文読解能力があれば、早川さんの誤謬が理解できるでしょう。
Re:若年食口さんへ
若年食口様は、一騎当千の兵にご自身がなりたいという思いで書かれたのだと思います。決して神様は一部の人のみ救おうとする神様ではありません。が、人を救う御わざを行う人は、モーセのように60万人の民族(男性だけ数えているようなので、本当は奥さんや子供を入れるともっと多かったでしょう)を率いることのできる人がいれば、助かるのにな、ということだと思います。
それから若年食口様へ。
早川さんの言葉はきついけど、ここはHN一読者さんのように一般の方々がともに投稿するブログ。あなたの達した信仰の境地が分かる人は少ないと思います。一般の方々も理解しやすい表現に努められるといいと思います。
>私の発言のほんの一部分だけを読んだのでしょうが、全体を読めばとてもこんな勘違いはしないでしょう。批判というものは人の見解を理解してから行うべきもの。
この言葉を、そのままあなたにお返しする。あなたが「統一教会をただそうとしていない」などと、ひと言も言っていない。この場で「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です」と言ってしまうことが異常だと言ったのだ。
自分の頭の中で思う分にはまったく問題がないし、自分のブログで言う分にはまったく問題ない。この場で言うから異常なのだ。その異常性が分からないから、「透明のバキュームカー」なのだ。なんでもかんでも見せればいいってもんじゃねー、というのだ。
この場は、私のような「米本さんの一ファン」も見に来るブログだ。統一信者独占の場ではない。そういうことを考慮して文章を書けと言っているのだ。中学生以下の読解力だね。
原田和彦氏。
>それから若年食口様へ。
早川さんの言葉はきついけど、ここはHN一読者さんのように一般の方々がともに投稿するブログ。
他人に言う前に、己の文章を先に正してくれよ…。
米本さんはジャーナリストとして、客観的に問題を論じている。その評論の対象が統一教だったために、反統一教グループから火の粉がふりかかっている。
そういうリスクを抱えながらも、あえて統一教を主観的にではなく客観的の論じていることが素晴らしいし、私は尊敬している。これぞジャーナリスト魂である。
統一信者は、このようなリスクを抱えている米本さんを、もっと大切にしてほしいのだ。この場で統一教団コメンテーターが非常識で異常な発言をすればするほど、米本さんが抱えるリスクをさらに増していることに気づいてほしいのだ。
宗教家であるならば、それくらいの配慮をしてほしい。ここはおたくの教団の施設ではない。教団特有の用語を使い、好き勝手な理屈を書きまくるなというのだ。
米本さんを、オウム事件の時に社会的制裁を受けた島田さんのようにしないでくれ。あなたがたがカルトではなく本当の宗教家ならば、もっと言葉を選んで投稿してくれ。
Re:透明のバキュームカー
内側にいるんだから、「中からの目線」であることは当たり前。これが諸悪の根源というのは論理的ではない。
>当たり前のことだが、米本さんは統一信者ではない。ジャーナリストとして、「外から目線」で統一教団を取材し、論評している。それを「自分たちの味方」のように錯覚している「中から目線」が、傍から見ていてキモい。
米本さんが、味方だ思っているというが、そういう見方をしたのはだれだというのかな。私は米本さんの視点は「是々非々」だと見ている。私も、 から目線ではあるが、「是々非々」だ。意見が合うということもあろうし、合わないということもあろう。
また客観的に見てくださるジャーナリストとして、私たちが高く評価したとしても、君からキモイといわれるような筋合いはない。有田芳生氏のように、最初から偏見でしか見ないジャーナリストとは角が違う。そういう意味で評価したとして、またそのような客観的な視点から見てくださるジャーナリストの見解をもって教会改善の支えとさせていただくのは、何の問題もないと思うが。
>この言葉を、そのままあなたにお返しする。あなたが「統一教会をただそうとしていない」などと、ひと言も言っていない。この場で「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です」と言ってしまうことが異常だと言ったのだ。
>自分の頭の中で思う分にはまったく問題がないし、自分のブログで言う分にはまったく問題ない。この場で言うから異常なのだ。その異常性が分からないから、「透明のバキュームカー」なのだ。なんでもかんでも見せればいいってもんじゃねー、というのだ。
私の文章をもう一回再掲しようか。文脈の中でよく読んでくれたまえ。
>私は同じ「霊感商法」問題でも、80年代の壺多宝塔の時代のコメントに衝撃を受けた記憶があります。最近の「新世」をはじめとした「霊感商法」問題と、80年代のころのそれがどこが同じでどこが違うのかは、よくわかりませんが。
>80年代にこのコメントを読み始めた時、衝撃というか、むなしさを覚えましたね。本丸を守りたいという気持ちも一方にあって、このコメントでいいのだ、と賛意を表する一方で、ひょっとしたら過去に行った活動で本丸は出城を守ってくれなくなるかも……なんて気持ちも出てきたりして。
>でもね、私はいい機会だと思うんですよ。私と教会、私と文鮮明師ご夫妻との関係をどうとらえるか。私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です。教会用語的にいえば、再臨主、真の父母と私との関係、これが一番大事です。そしてその再臨主、真の父母がどういうご計画をお持ちであり、どういうことを願っておられるかを知らせてくれるのが教会である、と今は考えております。
教会と私との関係をどうとらえるかという点において、教会と私との関係、責任者と私との関係よりも、「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です」といっているのであって、社会との関係をどうこうするというような文脈では述べていないのだよ。それを君の文脈に置き変えてしまっている。君の文章を再掲しようか。
>一番大切なことは、自分と社会との関係だ。それが社会人たるものの基本である。どんな思想信条をもとうと自由であるが、統一教が数々の社会問題を犯してきたことを是々非々で正さんとするこのブログで、こんな失言を堂々としてしまう無神経さが、「マインドコントロール」などと揶揄されるゆえんであろう。
君は全く勘違いしている。社会のことを述べていない文章を、社会の中という君自身の世界に持ってきて、失言などと侮蔑的な言葉を吐いている。
君は
>この言葉を、そのままあなたにお返しする。あなたが「統一教会をただそうとしていない」などと、ひと言も言っていない。この場で「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です」と言ってしまうことが異常だと言ったのだ。
などと書いているが、再掲文の中にあるように「一番大切なことは、自分と社会との関係だ。それが社会人たるものの基本である。」などと書いているではないか。
統一教会の改革というのは、社会との関係において改革するということではないのかね。社会との関係のない改革が何か意味を持つのかね。自分と社会との関係を考えないものが、改革の意思など持つと思うかね。すなわち私に改革の意欲がないといっているのと同じことだ。
ま、君たちの改革という視点と、私の改革という視点は違うので、見解の相違ということで片づけてもよいのだが。
>内側にいるんだから、「中からの目線」であることは当たり前。これが諸悪の根源というのは論理的ではない。
極めて論理的だ。おたくの教団は、組織的霊感商法で逮捕された信者が属していた団体である。そんな団体の中からの目線でいる限り、犯罪はなくならない。
中にいたら客観的になれないよ。まずは中から出ることだ。つまり教団をやめること。あるいは、教団のトップに、信者ではない人を立てること。そうでない限り、改革は難しいよ(不可能とは言わないが)。
>米本さんが、味方だ思っているというが、そういう見方をしたのはだれだというのかな。
SAKAだ。
>君からキモイといわれるような筋合いはない。
中から目線だから、分からないのだよ。外から目線で見ると、キモいよ。透明なバキュームカーのようだ。とにかく、「真の父母様」とかなんとか、教会用語はやめてくれ。
>またそのような客観的な視点から見てくださるジャーナリストの見解をもって教会改善の支えとさせていただくのは、何の問題もないと思うが。
問題ないよ。大いに改善してくれ。米本さんの著書やブログを資料にして、教会で会議を開いてくれたまえ。
キモいのはね、本来そのように内輪で会議するべきような内容を、この公開の場で書いていることだよ。そんなの見たくないの、一般人は。おたくらの投稿は透明なバキュームカーなんだよ。
で、そういうことも分からないで得意げにツラツラと自分の宗教体験談を、こともあろうに一般のジャーナリストのブログのコメント欄で語っているのがキモいのだよ。分かるかな?
たとえてみればさ、同性愛者が家の中で愛し合うのは自分たちの好き勝手にしたらいいけれども、それを公開されたらキモいだろう? 男女の愛し合う姿を公開しても、キモいと思う人は少ない(むろん、やりすぎれば犯罪だが)。
それと同じようなものなんだよ。つまり、アブノーマルなことを堂々と、我々一般人の前で見せつけるのでキモく感じる。アブノーマルからノーマルになるように改善していきたい気持ちはよくわかるが、その改善過程であまりアブノーマルな姿を見せてくれるな、と懇願している。
だから、透明なバキュームカーに感じたり、同性愛者の公開ラブシーンに感じたりする嫌悪感を、教団コメンテイターの投稿から感じるというのだ。
祝6万件!
アクセス件数6万件おめでとうございます!
米本さんの広い視野からの解説、とてもわかりやすくガッテンです。
季節はずれの紫陽花ですが、これからも折にふれ投稿させていただきます。がんばってください。
紫陽花さんへ
いつも優しい励まし、ありがとうございます。これからもよろしくお願いいたします。
統一教会の謝罪記者会見のことを書くようになってから、アクセス件数が1日1000件を超えるようになり、やや戸惑い気味というか、ブログを書くにあたって、緊張を強いられています。
でも、4カ月前の記事まで閲覧してもらっているようで、うれしくもあります。過去の労働が生きてきた感じです。
投稿も、以前は教会員さんからだけでしたが、統一教会を批判的に見る人からの投稿も入るようになり、安堵しております。
原田さま
反論というのではないですが、私は部外者ですので、達した信仰の境地だの、そんなものはまったく関係ありません。ただ、統一原理の神様が必要とする人間というのが、救いを求めてくる人でないのなら、そういう人を勧誘しないでほしい、と言っているだけです。
だって、いくら集めても神様が喜ばないなら、最初から連れてこなければいいじゃないですか。
実際に、あなた方が、悩みを抱えている人、病人・その家族、宗教を必要としている人に接触して、金をむしりとらなければ、経済的被害(件数、総額)は減少する可能性があります。不幸な人を少しでも減らすことができるのです。
本音を言えば、日本から出て行ってもらい、無人島か南極か北極に信者の皆さんごと移住していただきたいのですが、それはとても無理な話ですし、そうなると教会の活動に疑問を持った人、辞めたい人が逃げてくるのが難しくなります。
ですから、共存しなければならないのであれば、せめてターゲット層を絞っていただき、教会が本当に求める人を勧誘する、被害額を減らすことが、現実的な方策ではないかと思うのです。
ごもっともと感じます
暫く、ネットに繋ぐ環境下になく、少々タイミングを外した格好ですが、米本様が仰っている内容、またほかの一般の方たちの仰っている内容は、ごもっともだと感じます。
今、書き込まれている現役の教会員の方達は何か誤解されているとしか言いようがありません。
おそらく、今までの統一教会の間違いを如何に防ぐかの発議を書かれている意識かと思いますが、
はっきり言えば、その多くの内容は教会員同士で討論すべき内容であり、教会員でない方たちにはどうでも良い内容ではないかと思います。
教会員でない人たちにとって、統一教会の間違った行動内容が無くなり、正常な宗教団体として行動することのみが、関心事項であるという事であろうと感じます。
教義内容を含む事柄を、わざわざ教会員でない人の所まで押しかけて、議論するのは道理に合いません。
持ち出すならば、ごく一般的事項に絞るべきです。
一般の人に訴えたいならば、自分達の教義は、聞かれない限りは持ち出すべきではありません。
勿論、私たちの教義が問題の根本にあることは事実ですが、それに対して理解を求めるということは、私たちの理念の押し付けに過ぎません。
この姿勢は、所謂”霊感商法”と同じ問題です。
相手のニーズを理解しないで、相手が求めるニーズを提供しないで、自分が相手のニーズであると思い込んだものを、相手に押し付けたことが、事をここまで大きくし、不幸を巻き散らかしたひとつの原因です。
教会員の方たちには、それを肝に銘じてほしいと私は思います。
米本さんの、
>仮に信者個人の犯罪だったとしても、記者会見ではまっさきに謝るべき人に謝っていない。つまり、事件の被害者に謝っていないのだ。
という主張が分からない信者さんへ。こう考えたら、もっと分かりやすいですよ。
統一教会の信者が殺人事件を起こしたと仮定する。むろん教団が指示した殺人事件でもないし、教義にオウムのポアのような考えもない。教団としては、法律的には何ら謝罪する必要はない。
それにもかかわらず教団のトップが記者会見をして、「わが教団の信者がたいへん申し訳ないことをしました。彼(犯人)の宗教生活を指導している教団として、被害者と被害者のご家族、並びに社会の皆様に対して深くお詫びいたします」と謝罪したら、どうだろうか。
社会は間違いなく好意的に評価する。法的にはまったく責任がない教団のトップが、「宗教的責任」として謝罪するのだ。「この宗教は倫理観が高い」と一目置く。
ところが、教団ぐるみの霊感商法をやっているのに、信者個人の法的責任だけを言及して突き放し、宗教的責任をとろうとしない。
しかも、マスコミが集まる「おいしい事件」の記者会見に便乗し、教団が攻撃したい拉致事件のことを訴える。こんな教団トップの記者会見を社会が評価しようがない。
米本さんが言っていることは、こういうことなのですよ、信者の皆さん。
但し、会見で拉致監禁問題を取り上げたことを評価できないという米本さんのお答えには正直失望を禁じえません。もちろん米本さんにはいままでこの問題にコミットしてきた複雑な経緯があり、その中でのお考えがあるのでしょう。しかし後藤さんのビラを記者達に配ってまで、この事件の重大性を(記者達に)知らしめようとした行為がなぜ非難されなければならないのか私には判りません。それをするなら他の場所ですべきだというご意見でしょうか?しかしそんな場はどこにも保証されてはいません。私は後藤さんの事件をマスコミが無視していることは許されないことだと感じます。これは警察と検察組織だけにまかせればよいという事件ではないはずです。「マイナーであるがゆえに基本的人権が認められない」という徳野会長の訴えは、後藤さんだけに限らずすべての統一教会信者の心境を代弁する深刻な訴えです。これに関して再度米本さんのご意見をお聞きしたいと思います。
私事ですが、ここに投稿することのもう一つの意味
ここにも投稿されている方から個人的にご質問のメールをいただきました。原田さんは教会の改善にどのような努力をされているのですかと。それはできることはできる、できないことはできない、法律的にはどうかと思うようなことは質問するようにしていると、お答えした後、ふと思い出して、米本さんのブログなどに投稿することで、だれかが見ているかもしれないと期待しているなんてことも書き添えました。
是は是、非は非としてブログ記事をお書きになっている米本さんなので、その趣旨を理解いただければ、迷惑に思われることはないのではないかと思っております。
早川さん、あなたは実名で私が教会改善の諸方策を提案しているその心中が全く分かっていない。たぶんここに書いている原田和彦とはあの原田和彦だろうとわかっている人はいると思います。責任者にその動機を誤解される可能性は十分にあります。が、真剣勝負で生きております。
あなたが一つ一つ米本さんがおっしゃりたいことを、これくらいわからんかと書いておられる。米本さんのおっしゃりたいことは、記者会見の報告および解説を読めばわかりますよ。
あなたがおっしゃっていることのうち、正しいこともあるかもしれないし、誤っていることもあるかもしれません。それについて議論してもいいかもしれませんね。
では、少し細部について早川さんがどのようにとらえておられるか、おたずねしてみることにしましょうか。霊感商法の問題について、どのようにとらえておられるか、伺いたい。それならこのブログの趣旨にも合うでしょう。まず、霊感商法といわれるもので取り扱われている商品にはどのようなものがありますか。答えられますか。
はじめまして
私は現役時代、印鑑販売とW展(壷、多宝塔)のトーカーをしたことがあります。
いわゆる、霊感商法の偽霊能者の先生です。(笑)
当時文教祖は、「W展、M展(ゲストに高麗人参を因縁トークで売る)を考え出した古田元男は偉い」と言ったそうです。
アベル(上司)からは、これらの摂理は文先生も奨励していると聞いていました。
文教祖が霊感商法を知らなかったというのは万が一にもあり得ません。
よって、霊感商法の最終責任は文教祖にあります。
古田氏ではありません。
>あの時代のことを解明できるのは、A~C級戦犯の方々が独白する以外にないでしょう。それは無い物ねだりから、結局、「闇」の中に葬り去られることになるでしょうね。
私はさしずめC級戦犯でしょうか。。。(苦笑)
Re:はじめまして
はじめまして
米本さんがコメントされている『私には、「早川」さん、「諸行無常」さん、「一読者」さんの投稿は、きわめて論理的で、一般の人には説得力あるもののように思えます。
』というご意見は、正しくおっしゃる通りだと思いました。
極力偏見を持たず、皆さんのコメントを読ませて頂いたのですが、統一教会信者の方々の特徴は、「論理のすり替え」ばかり行っており、信者以外の人間が読んだ場合、「何故そこに行く?」という感想だけが残ります。
例えば、原田さんは
>早川さん、あなたは実名で私が教会改善の諸方策を提案しているその心中が全く分かっていない。
とおっしゃっていますが、信者ではない早川さんにそれを求めるのは無理です。私も分かりたくありませんし、そもそも、上記の発言はどの論点への説明若しくは反論なのか、全くもって不明です。私の国語力の問題ではなく、統一教会員以外の人間が読めば、誰もが同じ感想を持つと思います。
>少し細部について早川さんがどのようにとらえておられるか、おたずねしてみることにしましょうか。霊感商法の問題について、どのようにとらえておられるか、伺いたい。
早川さんは、ジャーナリストのブログに、内輪ネタを持ち込む事に対し、問題提起と批判をされています。なのに、どうして霊感商法の商品について、答える必要があるのですか?
また、元さんが「霊感商法の最終責任者は文鮮明にある」とおっしゃっているのに対し、何故、経理・税務上の処理について質問するのか、意図が全く分かりません。
霊感商法問題について議論をしたいのであれば、ご自分のブログや仲間うちのSNSで思う存分なさればいいのではないでしょうか?少なくとも、ジャーナリスト米本さんのブログでその様な議論を展開する事は、余りにも失礼だと思います。
米本様・・・はじめてのコメントにも関わらず、ロングコメになり申し訳ありません。
統一教会方々は、それなりに純粋なのでしょうけれど、余りにも一般人が読んだ際、論理的に破綻しており、独りよがりであると思われた為、お節介な事を長々と書いてしまい失礼致しました。これからも応援させて頂きます。
Re:はじめまして
ここに投稿される方の何人かは、文脈の中で発言をとらえようとせず、ただその一文のみを読んで全く間違った感想をお持ちになる方もおられるようです。
>例えば、原田さんは
>早川さん、あなたは実名で私が教会改善の諸方策を提案しているその心中が全く分かっていない。
>とおっしゃっていますが、信者ではない早川さんにそれを求めるのは無理です。私も分かりたくありませんし、そもそも、上記の発言はどの論点への説明若しくは反論なのか、全くもって不明です。私の国語力の問題ではなく、統一教会員以外の人間が読めば、誰もが同じ感想を持つと思います。
これももう一回その前後数行を掲載しましょうか。
>早川さん、あなたは実名で私が教会改善の諸方策を提案しているその心中が全く分かっていない。たぶんここに書いている原田和彦とはあの原田和彦だろうとわかっている人はいると思います。責任者にその動機を誤解される可能性は十分にあります。が、真剣勝負で生きております。
実名投稿というのは、文章に対する責任が伴うのですよ。あいつが書いているということが分かるものですから、当然いろんな方々からの陰につけ陽につけ働きかけを受ける可能性もある。あなたも実名でお書きになれば、少しはその気持ちが分かるかもしれませんね。そんな教会員の心情が分かるとかわからないとかいうような難しい問題ではないんですよ。
>早川さんは、ジャーナリストのブログに、内輪ネタを持ち込む事に対し、問題提起と批判をされています。なのに、どうして霊感商法の商品について、答える必要があるのですか?
これも米本さんがここで記者会見の模様をお書きになり、是は是、非は非としてお書きになっていることの記事をお読みになればわかることです。最初から読んでいますか。私も米本さんのブログのすべてを読んでいるわけではありませんが、記者会見の内容については非常に関心があるので、読んでいます。
米本さんは教会のすべてを批判しているわけではありません。是は是です。しかし記者会見で過去のすべてが清算されたわけではない、非は非の部分を指摘なさっておられるわけです。早川さんに質問したのは、是は是、非は非という部分がお分かりになっているのかなと思って質問しました。つまり霊感商法問題を理解しているのだろうかと思ってね。しばらく早川さんからの回答を待って、回答がなければ私なりの回答を出しますよ。それは米本さんの見解と同じになるかどうかは分かりませんが。その議論をあなた方がお読みになって、霊感商法の真実態とはこのようなものだったかと、参考にしていただければよいのです。それが私の真の狙いです。
>また、元さんが「霊感商法の最終責任者は文鮮明にある」とおっしゃっているのに対し、何故、経理・税務上の処理について質問するのか、意図が全く分かりません。
これも先の文章と同じです。統一教会は宗教法人、80年代に霊感商法を主導したハッピーワールドは企業です。これを全部ひっくるめて統一教会と主張する方々のその定義の仕方は、真実のありようをとらえていない。私は統一教会、そして米本さんの言われる統一教会系企業を合わせて統一グループと呼んでいますが、統一グループは統一協会会長の命令のもとに整然と動くわけではない。
徳野会長の報告のビデオを見ていて、ある一つのプロジェクトを行うのに、有る統一グループの企業の社長に一つのことをお願いするのに、何度も何度もお願いしながら、最終的には協力していただいたというようなことをお話になっていた。ああ、ご苦労されているな、内部の調整にさえご苦労されている、と思ったものです。
だから、霊感商法の真実態をとらえるには、その会計処理は宗教法人世界基督教統一神霊協会で行われているのか、株式会社ハッピーワールドで行われているのか、あるいは統一グループ内のほかの企業で行われているのか、これを把握していなければならないのです。元さんがトーカーをやったと言われるそれらの集会での収益は、宗教法人世界基督教統一神霊協会で献金として処理されているのか、株式会社ハッピーワールドの収益として計上されているのか、わかっていますかと聞いたわけです。そのこと一つ一つをわかっていないで、すべてのことを宗教法人世界基督教統一神霊協会のものとして批判するのは、真実態をとらえていないし、批判になっていない。
米本さんも新聞社、通信社系の記者に、使用者責任以外にそんなことも追及してもらいたかったのではないかと思っています。
清算、清算というのは大いに結構。原田和彦も大賛成です(おいおい、だれかが読んでいるかもしれないよ)。ただ、真実態をとらえていない段階での清算というのはありえない。そう思いませんか。そういったことを突き詰めたいというのは、米本さんのブログの趣旨にも合っているんじゃないでしょうかね。
ま、皆さんにお願いしたいのは、私の文章の、その一部分だけ読んで誤解するのではなく、その前後の数行もお読みになって理解していただきたい。よろしくお願いします。
雪に白鷺
桜田順子にあこがれる娘さんに言いますか。「お父さんは統一教会のほとんどの信者が霊感商法という汚い作業に真っ黒になって働いているとき、お父さんは原研から世界日報とわたり歩いて、霊感商法にかかわりを持たなかったからお父さんは無実だ。だからA級戦犯の古田元雄を追求して裁けるんだ」と。
あなたのような卑劣な人の提言など本部の人が聞けるわけないじゃないですか。何が教会の改革者ですか。
雪に白鷺闇夜にカラス。逃げて隠れていた落ちこぼれの人が後からあれは間違っていたといっても説得力はありませんよ。UCMLに巣食っている人は、そういう人が多いんじゃないんですか。
困ったものだ
原田和彦氏。
>米本さんのブログに投稿するもう一つの狙いがあります。それは、本部に声を届けたいということです。
自分勝手も甚だしい。こういう動機を統一原理では「自己中心」といい、サタンがアダム・イブを堕落させた原動力だと伺っておる。一般社会でも自己中心はキモい。別に統一教理に寄らずとも、自己中心な動機で物事をなすことは慎むべきだというのは、一般常識だ。
本部に声を届けたいのだったら、自分の足を使って本部に出向け! メールが不通だったら、自分の口を使って電話をしろ! 内輪の事情を一般ジャーナリストのブログに持ち込むな! まだ分からないのかよぉ~。(O.O;)(o。o;)
>真剣勝負で生きております。
だったら、自分で本部に日参し、面と向かって勝負してこい! 米本さんのブログに書いて、「誰か本部の人が読んでてくれるかなあ~」などというのは、ガキのやることだぞ。真剣勝負でも何でもない。恥を知れ!
>霊感商法の問題について、どのようにとらえておられるか、伺いたい。
アホくさい。ひまわり娘さんのコメントをよく読んでくれ。私は米本さんのファンだと言っているだろう。「我らの不快な隣人」を読んでいるから百も承知だ。こんな質問をする原田氏のほうこそ、「我らの不快な隣人」を読んでいないのではないか? 米本さんに失礼極まりない。
壷や印鑑で始まった霊感商法が変質し、今は信者に向かったいわば「内部霊感商法」になり、カードローンで自己破産する信者が後をたたない「高額エンドレス献金」になっていることくらい、社会は知っているのだよ。
群馬県の組織では、「ヤクザのベンツにぶつかったと親にうそをついて60万円のK勝利した」ということが称賛され、マネをする信者が続出したことくらい、「我らの不快な隣人」に書いてあるので、誰でも知っているのだよ。
今さらここで霊感商法について議論する必要は皆目ない。そんな質問をする原田和彦氏の脳内神経の配線を心配する。
よくお考え下さい
>米本さんのブログに投稿するもう一
>つの狙いがあります。それは、本部
>に声を届けたいということです。
それは原田さんの勝手な希望です。まずそれを狙いに発言をするならば、その趣旨を述べて米本氏に許可を貰うのが礼儀ですし、許可を貰ったからと言って、荒れるような発言をしても良いということにはなりません。
まず、自分の足元を見ましょう。
>早川さん、あなたは実名で私が教会
>改善の諸方策を提案しているその心
>中が全く分かっていない。
それは原田さんの勝手です。自分の心中・決意は他の人に関係ありません。
それを持ち出して非難の根拠とされるのはお門違いです。まさしく、統一教会の悪しき伝統です。
自分の事を持ち出す前に、相手の人の心に思いを致すべきだと思います。
判ってくれ判ってくれ・・・と叫ぶ事が、私達の教義にあうものか内省してみてください。
>皆さんにお願いしたいのは、私の文
>章の、その一部分だけ読んで誤解す
>るのではなく、その前後の数行もお
>読みになって理解していただきた
>い。
SAKAさんの発言そっくりです。正しい事か正しくない事か?よくお考えになられますように。
諸悪の根源
現役の方々は、幹部が悪いとか組織が悪いとか言いますが、諸悪の根源が文教祖であるとはっきり認識しないと負のスパイラルです。
霊感商法について
このブログで関係がある点について。霊感商法についてですが、米本さんの本は私も同意する部分が多い。ただ、私は米本さんの本の売れ行きがどれくらいかは知りませんし、おそらく最も霊感商法に関して社会的に浸透しているのは、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の主張ではないかと思います。ここで霊感商法の商品として示されているのが、「印鑑」「数珠・念珠」「壷」「仏像・みろく像」「多宝塔」「人参濃縮液」「献金・浄財」「絵画・美術品 」「呉服」「宝石類・毛皮」「仏壇・仏具」「借入」「ビデオ受講料等」「内訳不祥その他」なんてなっている。
このうち、霊感~の範疇に入るのは「印鑑」「数珠・念珠」「壷」「仏像・みろく像」「多宝塔」くらいでしょうか。ほかに「仏壇・仏具」モなんとなくわかる。でもそれ以外の「人参濃縮液」は健康食品の分野だと思うし、「絵画・美術品」「呉服」「宝石類・毛皮」なんてのは、霊感~とは関係なさそうだし、「献金・浄財」「借入」「ビデオ受講料等」が教会の献金部門に入るかもしれませんね。「内訳不祥その他」なんてのは何の事だかさっぱりわからない。
しかも、元さんに質問しましたが、これらが宗教法人世界基督教統一神霊協会で会計処理したものなのか、株式会社ハッピーワールドで会計処理したものなのかわからない。ハッピーワールド以外にも、統一グループの企業はいろいろあります。
しかも問題はさらにあります。各品目について、被害としている人もいるかもしれませんが、もっと多くの人が感謝しているのです。そうした点がはっきりされないまま、みんないっしょくたに霊感商法として批判されている。これが「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の戦略なのです。
宗教法人世界基督教統一神霊協会の守備範囲ではないかもしれないけれども、実質「被害」と認識されている額を調査し、そういった人達に対しては、アプローチの仕方とか、実際にトークした人たちの言動に問題があれば、教会以外の企業の責任者にも同席してもらって陳謝するというようなことが必要でしょう。記者会見では、そういう点に切り込んだうえで、真実陳謝する部分を陳謝するという作業が必要だったのに、それがなかった。
是は是とし、非は非としながら、過去を清算していく。これが今後も求められていくでしょう。
妖怪人間
>私個人のことはここで議論しても仕方がないし、米本さんに迷惑もかかるので、個人メールでお願いします。
ご自分の発言が迷惑をかけているという認識がない? 幽霊食口さんという現役信者さんでさえ、あなたがズレていると指摘しているのに? 大丈夫かい?
まずは、自分の書き込みが不適切であったことを謝罪しなさい。自分の非を認めず、「私個人のことはここで議論しても仕方がない」などと言い放つ神経が分からない。霊感商法の間違いを認めずにこれまで謝罪をしてこなかった統一教会の体質を、よくよく受け継いでいる原田和彦氏だと理解できる。
失礼だが、今の君のままでは、教団改革はできない。断言する。君自身が変われなければ、教団を変えることはできない。君自身が、教団の悪しき体質の体現者であるからだ。
霊界商法についてツラツラと書き連ねているが、「なんじゃ、そりゃ?」という感想だね。全国霊感商法対策弁護士連絡会の主張なんて、良識ある我々一般人は(少なくとも米本ファンは)、相手にもしていない。なぜ「人参濃縮液」、「絵画・美術品」、「呉服」、「宝石類・毛皮」などが霊感商法なんだ?
こんなバカ丸出しな定義にマジで反論するあなたの神経を疑う。良識ある一般人は、こんな定義なんぞ相手にもしていないよ。警視庁のホームページの定義「単なるつぼや印鑑・置き物などに、あたかも超自然的な霊力があるように、言葉たくみに思わせて、不当に高い値段で売り込む商法」くらいの認識しかないよ、良識ある一般人には。
全国霊感商法対策弁護士連絡会なんて、所詮金もうけ目的で組織された団体だろう。だから大袈裟に言うのさ。そんなこと、良識ある一般人には常識であり、それを真に受ける人は阿呆と呼ばれる。「霊感商法はこんなに種類がある、こんなに被害額がある」という宣伝をして依頼人を募っている営業セールストークくらいにしか、我々良識ある一般人はとらえておりまへんわさ。
橋下大阪知事(弁護士)もかつてテレビで、「所詮弁護士なんて、法律に詳しいヤクザみたいなもんですよ」と言っていた。正直者だと感心した。弁護士なんて、そんなもんさ。全国霊感商法対策弁護士連絡会なんぞ、「法律に詳しいヤクザの集まり」と同じだよ。
君たち統一教会は、もっと我々のような良識ある一般人を味方に付けたら良いのだよ。もし君たちの教団が「法律に詳しいヤクザの集まり」に苦しめられてきたのなら、良識ある一般人だって黙っていないよ。
私だって、君やSAKA氏ゆえに統一教団へのイメージをものすごく悪く思っているが、それでも全国霊感商法対策弁護士連絡会の霊感商法定義には「アホか」と思うし、統一信者への拉致監禁事件はけしからんと思う。
しかし、残念ながら君たちの言動があまりにもCKYでパープリンだから、「こんな奴らのために労力を注ぎ込むのもばからしい」と、支援をあきらめてしまうんだよ。
まずは、「まことの人間」になろうとせず、「普通の人間」になってくれ。妖怪人間みたいだな。「はやく普通の人間になりたーい」っとお祈りしてくれ。普通の人間になりたいとすら思わない、感じないのなら、妖怪人間以下だぞ。
普通の人間になれば、我々のような良識ある一般人も味方になってくれる。
さあ、普通の人間になる第一歩として、この場での不適切な発言を謝罪してくれ。それとも、コメント欄を開放しないSAKAのように、良識ある一般人の忠告を無視するかな? 会長のように何十年も謝罪をせずにごまかすのかな?
君の今後の言動を、楽しみに見ているよ。
Re:若年食口さんへ
謝罪すべきは
ただ聞いていると「キモイ」とか「妖怪人間」とか「バキュームカー」とか汚い罵詈雑言を浴びせかけていますが、そのような言葉はおよそ人間に対する言葉ではないでしょう。その言葉を聞いていて、あなたが統一教会の信者を人間扱いしていないのがよく分かりました。
米本氏の「我燐」に統一教会信者が人間扱いされていないということを、ハンセン病患者に対する例をあげて説明している箇所があります。早川さんもあの本を高く評価しているのであれば、そのあたりを一度読み直してください。謝罪すべきなのは、まず悪口を吐いたあなた自身ですよ。このことに関しては霊感商法等関係なく、悪口で相手を罵倒したことに対してあなたはまず謝罪すべきです。
初めまして。
私も横レスで恐縮ですけど、早川さんのコメントについて
私としては仰られんとする所は至極最もであり拝聴するに
値することだと思います。
ですから、一部の表現に難があるかなとは思いますが、統
一教会の信者を人間扱いしていないといった風には感じま
せんけどね…。
私が統一教会信者を人間扱いしていないというのは、言いがかりだ。私が書いた文章をちゃんと読んでほしい。字面だけに反応していると、一般社会で生きていけないぞ。仲良しクラブよろしい教団社会と違い、一般社会では字面できれいごとを言って騙す輩もいれば、字面では汚い言葉を使いながら愛情を注ぐ者もいる。
「我らの不快な隣人」のハンセン病のくだりは、拉致監禁に誘導するための反統一教会グループの手法を言っているのであり、私のここでの発言動機と重ね合わせることはできない。
私は、ここに登場した統一信者諸氏らの反社会性を「分かりやすく」説明するために、「キモイ」とか「妖怪人間」とか「透明のバキュームカー」とか言ったにすぎない。実際に、我ながら良いたとえだと感心しているよ。よく読んでくれ。
むろん、私は謝罪しない。
信仰とは
早川様
コメントの大部分は、統一教会信者としても傾聴すべき内容と思い拝見してます。
ただ、原田さんを批判した中に
>私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です。
のコメントを異常なことと断じていますが、信仰者の思考あるいは行動の一番の中心は教祖であり、教義であるのは至極当然のことで、それは宗教であるならば、どのような宗教でも同じです。
共産圏を除けば、宗教を社会規範と同等あるいはそれ以上にとらえている国はたくさんあります。日本はそのような意味では、世界的には異質の国といえるでしょう。それは、極端にはイスラム原理主義国家のような形態になったりもしますが、自由の国アメリカでも大統領宣誓式は聖書に手を置いて宣誓しますし、就任演説でも「神の祝福がありますように」という言葉がでてきたりします。日本の総理大臣が同じようなことすれば、まず受け入れられることはないうことからも見て取れると思います。
早川様のように、それを「キモイ」と思われるのは世間一般的な受け取り方であることは否定しませんが、異常とまで言われれば、全ての宗教が異常であると言うことになってしまうと思います。
私自身、統一教会に身をおく前は無神論者でしたから、早川様の表現される内容もそれなりには理解できますが、(今は)信仰を持つ者として前記の表現は受け入れがたい内容です。というか、受け入れる事は自分自身の信仰を否定することになってしまいます。
信仰と社会規範をどのようにバランスを取っていくかということは、信仰を持った者であれば、多かれ少なかれ悩んでいる内容ではないでしょうか。
現在、統一教会が批判を受けている内容はそのバランスが崩れていた為に起こってしまったことと思います。そのバランス感覚をもう一度呼び覚まし、修正するためにも、私にとってこのブログは大変に有意義に思っています。
追伸
米本さんのブログなのに、勝手なことをコメントして申し訳ありません。でも、このブログのおかげで私自信の視野を大きく広げることができて感謝いたします。「救いの正体」も取り寄せて読んでみようと思います。
ちょっと違うぞ
「このブログ」で、「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です」と「書く思考と行為」を異常と称している。分かるかな?
実は私もジャーナリスト崩れで(今はプー太郎だがね)、かつては諸外国で暮らしていた。日本が宗教に対して不寛容だということも、よく理解している。国によっちゃあ、宗教を信仰していないと白い目で見られることもあったよ。だから「私は仏教徒です」とウソをついてきたこともあった。日本とは正反対だ。そういう意味では、日本で宗教生活をするおたくらも大変だと思う。
しかしね、「郷に入っては郷に従え」だよ。日本はそういう社会なのだから、もっと上手にやりなさいよ。私は、そういうことを言っておる。君たちは、良く言えば純粋過ぎるのであり、悪く言えば阿呆なのだよ(阿呆と書いても、人間扱いしていないわけではないので念のため。注釈がたいへんな教団の皆さんだわさ…)。
パウロも聖書で言っているだろう? コリン星人への手紙の1だか2だか忘れたが、「なんとかして人を救うために、奴隷にもなったし、ユダヤ人にもなった」というようなことを言っていたぞ。
(あとで自分で聖書を調べてみてくれ、私もうろ覚えだ。アメリカで初めて礼拝か何かで聞いたときに、「おお、これはいわゆる『郷に入っては郷に従え』だな」と感心したので覚えているだけだ。ちなみにコリン星人というのはギャグだ。聖書にそんな章はないので念のため)
もっと賢くなってくれ、統一教の皆様。パウロのように、日本ではまず「普通の常識的な日本人」になってくれ。そうすれば、パウロのようにたくさん伝道できると保証するよ。
Re:ちょっと違うぞ
宗教にも造詣が造詣が深いようで、私の考え違いだったようです。
ただ、表現される言葉が激しいが故に、誤解されて取られてもしかたのない部分もあると思います。人間は感情的先入観で物事をとらえがちです。
(米本さんのブログなのに申し訳ないですが)お互いに冷静に意見交換できたらと思います。
Re:信仰とは
教会から法律的に社会的におかしいなと思えるような指示がもし来たら、教会との関係よりも文鮮明師との関係のほうがより大事なんだから、教会の指示に無理して従うこともないんじゃないのといっているんだよ。ちなみに文鮮明師との関係とは、祝福合同結婚式で永遠の命を与えてくれたのは文鮮明師だということ。教会の人が与えてくれたものではありません。教会の人の指示で信仰を失い、永遠の命を失ってしまうよりは、私は納得でいませんといって、違うことでもしていたらどうかと言っているのだ。
教会の人が社会的に法律的に納得できない方向を指示し、それにどうしても納得できない、やれないということであれば、そちらより選ぶより社会的に法律的に納得できる方法を選んだらどうかといっているのに、それがどうしてキモイことになるのか。
社会的に法律的に納得できない指示と、文鮮明師から永遠の命を頂いたことと比較すれば、どちらを選ぶかおのずから分かるというものだ。それが「キモイ」のか。それを「キモイ」という人は、社会的に法律的に納得できない指示に従えというのか。文脈の中でとらえないから、変な解釈になるのだ。
少し冷静になってください
少し・・・いや、大分勘違いをされれているようです。
個人的思いで、論を書き連ね、そして他人には関係ない個人的な事を持ち出して、紛糾の元を作られたのは原田さんです。
それでそれを指摘されると、御自分の事を先に持ち出したのは原田さん御自身なのに、なんらの謝罪なしに
>何だかこのブログと関係のない方向
>に行ってしまいそうなので、ここで軌
>道修正します。私個人のことはここで
>議論しても仕方がないし、米本さん
>に迷惑もかかるので、個人メールで
>お願いします。
は無責任です。そういう事は、教会員以外の人には全く通用しないし、信頼関係・信用関係を築けません。
つまり、一般の方々から信用されないということです。
これは重要な事なのです。
礼節を守り、責任を取る事の初歩は、過ちは過ちで素直に認め謝罪する事、親切にされたなら、素直に礼を述べる事。子供にいの一番に教える事でもありましょう。
大の大人がそれが出来なければ、理想云々の前に、現実的に人間失格とされるでしょう。
早川さんが言われている事は、礼儀礼節を守り、一般の人が多数見られているブログだから、それなりに考慮した話し方をしなさいということです。
私達にとってみれば、少々過激な表現かもしれませんが、その意図を汲み取らないで、どうしますか?
私のブログの最初に”ある人へのメッセージ”という文があります。
全ての統一食口に向けた、私のメッセージでもあります。是非お読みになってください。
私達の理念は、全ての義をまとめること。私達の義を人に押し付ける事ではありません。
つまり、正しい事を全て私達の中に取り込み、全ての人を包み込む事こそが私達の理想です。
それなのに、ちょっと言葉尻が過激だという事で依怙地になり、ちょっと否定されたといっては依怙地になっては私達の理念が泣きましょう。
是非ともご自分の発言や、一般の方達の発言をそういう観点で見直してくださいm(__)m。
他の現役の方々にもお願い致します。
>はやしさん
表現が宜しくない方が良いか、宜しい方が良いかと問われれば、誰でも表現が宜しい方が良いと答えられるとは思います。
しかし、表現が宜しければ良いというものでもないし、表現が悪ければ全て悪いというものでもありません。
問題は何を意図して、何を言っているかです。そこらの事を無視してただ謝罪されるべきだという主張は、相手の方は”はぁ?”となります。
是非ともそこらを考慮して下さいます様にお願い致します。
悩める信者さん
>(今は)信仰を持つ者として前記の
>表現は受け入れがたい内容です。
確かにそうですが、それは私達の問題です。早川さんが言われている内容は、時と場所、話する相手に応じた内容にするべきだということです。
逆に、
>私にとって一番大事なのは、文鮮明
>師ご夫妻との関係です。
という表現は一般の方達に受け入れ難い内容です。
これを読んで、”おお!そうだね”と受け入れる一般の方はほぼ居ないでしょう。
それなのに、そういうことを言う事は一般の人にとっては押し付けだし、不快感を与えます。そういう事を言われているのだと私は判断します。
ですから、悩め信者さんがそう感じるとしても、私達が一般社会を理想世界に変えたいのなら、そういうことがあるということをまず認めるということが必要なのです。
それを教えてくださっていると思いますm(__)m
なるほどね。早川さん、あなたはひとかどの人物なのでしょう。それなりの見識もおありのようで、宗教に対してもまったく理解がないわけでもない。評論家の勝谷氏のように言葉は荒っぽいが人間味があるというタイプなのかなと想像しています(あたっているかどうかは別にしてネ)。
しかしネットの世界では相手が見えないので言葉にはむしろ気をつけるべきでしょう。人間同士が相互に理解しあうということはそもそも難しいことです。しかしそれでありながら、この場で議論(言い合い?)をしていることには理屈では説明できないなんらかの背景があるのだと思います。互いの思想や価値観、信仰対象、育った環境等々、すべてが異なるわけですから、まず相手の立場を尊重しなければ、いかなる言葉の応酬も無意味になります。であれば、少なくともいきなり相手を見えない刃物で切りつけるような言葉は慎むべきでしょう。
無理に謝罪しろとはいいませんが、今後は言葉に気をつけるべきでしょう。もし個人的に議論がしたいのであれば、よければわたしのYahoo掲示板へ来てください。但し、Yahoo掲示板には以下のような注意がありますので念のため。「他人に対するいやがらせ、悪口、脅し、わいせつな内容、不愉快な趣旨の発言、商業目的、広告目的、著作権者の許可を得ていない著作物、個人のプライバシーに関わる情報等の投稿はすべて利用規約において禁止されています。」
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?action=m&board=1143583&tid=0dbbeoa4jygcw4f6xbbv7oa4ka4da4a4a4f&sid=1143583&mid=1&type=date&first=1
若干のお願いです。
テーマは、誰に何をどう謝罪すべきかということなのですが・・・。
紛糾してますが
個人的な感想ですが、私は現役さんの書き込みについては、できる限り本音を聞きたいと思っているので、反論つうかイチャモンつけたりしましたけど、書き込みを封じ込めるようなことはしたくないなあと思っています。
もっとも、これは他人様のブログのコメント欄で、純粋な掲示板ではありませんから、こんなことを願うのは失礼かもしれませんが、このように解放されているということは、ジャーナリストとして今後のお仕事にする際、「貴重な」資料となることは間違いないと考えていらしっしゃると勝手に思っていますので、「炎上」も材料、データが集まったと解釈すればいいかな、などと考えております。すんません。
私がなぜ現役さんの書き込みを歓迎するかということですが、信者さんたちはどう思っているか、正直わからない部分がたくさんあるからです。いくつもブログがありますが、あれも許可制かな、と思うと、上から都合のいい意見しかかけないのだろうとか、いろいろ考えてしまうのです。
でも、そんなことはないですよね。信者さんごとにそれぞれ考えがあります。
自分の名前を出したり、自分のブログで本音を語れないのであれば、せめてここで語ってもいいかな、と思うのです。
もちろん、乖離はあるでしょう。例えばですが、SAKAさんと幽霊食口さん。でも、その度合いを見て、「ここまで距離が開いているということは、いったいどんな因子が存在するのか」と、外部はいろいろ考えることができますし、これだけでも情報開示になりますですよ。
と、このようにせっかく現役さんが情報開示してくれたのなら、礼儀、節度を持って迎えるのが大人の態度です。信者さんたちは、一般人と交流するなと言われているところを、敢えてコミュニケーションをとろうとしている。だったら、こちら側で暮らしている人間も、相手の気分を害さないように、こう思っているんだよ、ぐらいのことを伝えたいと思っています。
まあ、私も「日本から出て行け」みたいなことを書いたので、ちょっと反省しています。でも、そんなことはとても無理だという前提で書いており、とにかく被害さえ減ればいいという願いからなので、その辺はわかってくださいね。
コメ汚し、失礼しました。
Re:少し冷静になってください
>個人的思いで、論を書き連ね、そして他人には関係ない個人的な事を持ち出して、紛糾の元を作られたのは原田さんです。
霊感商法華やかなりしころを駆け抜けてきたものとしては、個人的なもの抜きに書くことはできないでしょう。ただし、その個人的なことでも、他人に分かるような書き方をせよ、ということなら、反省いたしましょう。
早川さんに指摘された「私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻との関係です」という文章は、本当はこう書くと少しは分かりやすかったかもしれませんね。
責任者から、社会的にも、法律的にも何か問題がありそうな指示が来たら、それを質問し、意見しよう。私にとって一番大事なのは、文鮮明師ご夫妻から頂いた永遠の命です。その質問をしたからといって、それは誰も奪うことができません。だから勇気を出して質問しよう。そんな書き方ならわかりますでしょうかね。しかし、それも内輪話であり、内輪話はするなということになるんでしょうね。
でも、ここを抜きにしたら、私たち現役は、中から改善していくのが難しくなるでしょう。教会の改革、改善をいうのなら、中からの、できるところからの働きかけが重要じゃないでしょうかね。だから信者でない方も分かるような表現を工夫しなければならないという指摘は分かりますが、内輪話は避けて通れないのではないかと思います。現役信者からの働きかけとしてはね。
でも早川さんは、それは否定されますね。改革するのなら辞めてからしろとおっしゃっていますからね。私はもし統一教会を辞めたら、こういうことには一切関心を持たなくなると思います。中にいるからこそ、教会発展のためによかれ思う努力をするのであって、外に出たらもう何も関係がなくなると思います。
ということで、もっとわかりやすい書き方をします、という反省をします。
>何だかこのブログと関係のない方向
>に行ってしまいそうなので、ここで軌
>道修正します。私個人のことはここで
>議論しても仕方がないし、米本さん
>に迷惑もかかるので、個人メールで
>お願いします。
これは、このブログは拉致監禁をいかに防止するか、ということと、統一教会をいかに反省させ、透明性をいかに実現するかということが、メインのテーマであると思っていますので、私個人のことでいろんな書き込みがあっても米本さんのブログのテーマにそぐわないのではないか、またそういう方向に来てしまったのではないかと思ったものですから、そのように書いたのです。でも、続けろというなら続けますよ。米本さんのご判断で、レフェリーストップがかかればそれに従いますが。
Re:若干のお願いです。
久しぶりの登場です・・・
早速ですが、時系列を追って思うところをいろいろと。
かなり長文になります。
あとご了承いただきたいのは、
「私は原理研究会の人間であり、同会で勧誘されたため、教会の人間ではない。そのため教会のことに関してはまったくの無知である。」
ということです。
韓国では一緒になっていますが、日本においては未だに教会と原研はまったくの別組織なので・・・
まずは[2009/07/22 12:55]投稿の一読者さんへ
> そうであれば、健康な人、悩みのない人、宗教を必要としない人を勧誘してください。間違っても、病気で苦しんでいたり、家庭の問題で悩んでいたりする人を誘わないようにしてください。
教会のほうはどうだか知りませんが、少なくとも原研はそうですよ。
もっとも、きっと原研を卒業した後は教会にいくことになるでしょうが、そこで「病気や悩みが統一教会の信仰をもてばなおる、または軽くなるよ」という伝道を(未だに)やっていたとするならば、そういう動機で伝道するのはやめろ、と批判するつもりです。
> そういう人は、統一原理の神様は求めていらっしゃらないようなので、ホッとしました。
あえてここに返答しますと、求めていないなんてことはありません。
ただ、「統一原理の神様が願う世界」を実現するという目的を果たすに当たって、なにか大きな役割を果たせるか、といったら、できないわけです。なので、目的感に徹して伝道をするという観点から見たら、申し訳ないけどあなた方の優先順位は低いよ、ということになります。
もっとも、救われると思って来てもらっても、正直困りものです。そういう人はたいてい、「統一原理の神様」を苦しめる立場に立ってしまいますから。(これについての説明は、統一原理などでの教えが入ってくるのでここではしませんが・・・)
早川氏の投稿へ①
> 中にいるものは、「決して客観的にはなれない」。
この決め付けは正直いかがなものかと思う。
理論的でない言い様なので、わたしも理論的でない言い返しで対抗してみましょう。
一般的に、自分自身や自分の身の回りの環境のことを客観的にいうことは難しい。(早川氏は「難しい」ではなく、「決してできない」とおっしゃっているが)
ただ自分は高校時代、自分自身の実力を分析していたが(こういう学力だから、この大学の入試傾向と難易度だったら受かるだろう、とね)、その客観的な視点は先生を唸らせるほどでしたよ。
つまり、学力や入試指導をする先生が生徒を見る視点よりも、さらに客観性を持った視点で自分自身のことを分析できるということ。
そういう人に出会ったことがないのか、あるいは「決してできない」ことに対して盲目的なまでの“信仰”を持っているのかは知りませんが、まあくだらない反論をさせてもらいました。(他の皆様、本当にくだらなすぎてすみません)。
> 「神様真の父母様」がこれまで苦労してきたかどうかなんて、社会は関心ないのである。あなたがたの教団が引き起こした様々な社会問題をどう解決してくるのか、どんな「おとしまえ」を付けてくれるのか、ということに関心があるのだ。
それに関しては、まったくそのとおりでしょう。
ただそれが、私の先のコメント(どの板に書き込んだかは覚えていませんが)に対する反論にも見解にも意見にもなっていないし、何故私のこの発言を取り上げてそうおっしゃるのかが理解に苦しむところである。
そもそもこの発言は、あなた方(非食口、ないしアンチ統一教会)に向けて言ったものではない。(どういう動機でそう述べたか、“あなたなら”見て取れるでしょう?)
もっとも、内部用語は控えるようにとのことなので、これからはそうさせてもらいます。
私としては、意図があって内部用語を意識して使っていたのですが、それに関しての説明を内部用語抜きにするのは不可能ですので、ここには記しませんが。
> 「信者がやったことだ、販売会社が法律に無知だった」などと言うから、「宗教のくせに、信者を突き放すのは冷たいね、所詮献金集団であり魂救済などやっておらんカルトだね」と思われるんだよ。
実際にそう思われているのだろうが、では何故そう思われるのか。
元々統一教会にマイナスイメージがなかったならば、そうは思われないと思いますが。
もっとも、日本人の宗教に対するイメージが、もともと日本人が持つ信仰に対する認識と左系の人々のおかげで、“救い”か“カルト”でしかなくなってしまったのが大きな要素ではあるのだろう。
そのことについてとやかく申し上げても仕方がないことではあるが。
(早川氏はことあるごとに「社会、社会」というが、実際社会がそうなっているのが事実であるためとやかくは申し上げないものの、その社会通念があなた方のどういう認識の上に成り立っているのかということに関して各々方に考察していただくために、一石を投じることはさせてもらいます。なぜなら、私も伝道されるに当たって、一石を投じられることに加え、それに関して“客観的に”いろいろ考える中で、社会通念<統一原理と思える内容があることを悟ったからです。{さらに深い動機については、正しく考察していただけるならば、これに対してくだらない反論をする方はいないと思いますが、一応先手を打っておきますと、この目的に統一原理をあなた方に認めさせるという観点はありません})
献金についての認識は、私は原理研究会員であることと、米本様の著書の内容から、どういうものかというのは分かると思いますので、とやかくは申し上げません。
あと、嫌味な言い方になってしまっているのは、もともとの性格のせいです。これをもって、統一教会や原研を批判するのはお門違いです。
> 「教会の透明化」などと言っているが、こちらは醜いものを見たくはない。
> もっと奇麗になってから透明化してくれ、賢くなってから発言してくれ。
でもその醜い部分を突いてくるのは、アンチ統一教会の皆さんでしょう。
そしてその醜い部分を隠せば、格好の批判のネタにする。
だから、綺麗になってから透明化では遅いのだよ。
あと、「賢くなってから~」は誤解を生む表現だから、止めたほうがいいと思いますよ。
きっと「社会常識を身につけてから~」という趣旨のことだろうとは思いますが、文面だけ見ると「一体何様や、上から目線で」と取られますよ。
[2009/07/22 17:54]投稿の原田和彦様へ
わざわざお察しいただき、ありがとうございます。
せめて、文鮮明先生ご夫妻の前に、モーセの弟子であったヨシュアとカレブくらいの位置に立てたら・・・という思いはありますが、なかなか難しいところです。
なかなか理解されないところも多いとは思いますが、感情的な反論にならずに、サーバントリーダーとしてここに書き込む姿勢を持っていけたらいいな、と思いました。
[2009/07/23 08:06]投稿の長島聡明氏
> 「お父さんは統一教会のほとんどの信者が霊感商法という汚い作業に真っ黒になって働いているとき、お父さんは原研から世界日報とわたり歩いて、霊感商法にかかわりを持たなかったからお父さんは無実だ。だからA級戦犯の古田元雄を追求して裁けるんだ」
何ですかこの一方的な決め付けは。
これまでに原田さんが、そのような含意を持った投稿を一度でもされましたか?
勝手な決め付け、憶測のみで文章を書くのは、一般常識としていかがなものかと思います。
早川氏へその②
> >米本さんのブログに投稿するもう一つの狙いがあります。それは、本部に声を届けたいということです。
>
> 自分勝手も甚だしい。こういう動機を統一原理では「自己中心」といい、サタンがアダム・イブを堕落させた原動力だと伺っておる。一般社会でも自己中心はキモい。別に統一教理に寄らずとも、自己中心な動機で物事をなすことは慎むべきだというのは、一般常識だ。
ではあなたは、何の意図も持たずに投稿しているのですか?
ここに投稿するということは、自分の意見、見解を他の人にも聞いていただきたい、つまり自分自身の声を、誰かに伝えたいからなのではないですか?
反論するにしてもそうですよね。「これは違う」ということを、何らかの自分自身の見解に基づく主張をもって理屈付けて述べるわけですから。
(コメントの対象をどこに縛るかは勝手ですが、少なくとも原田さんは不特定多数の人が閲覧するということを念頭においています。そのことは、彼の過去のコメントから分かりますよね)
あなたの主張が誰を対象としたものなのかは分かりませんが、少なくとも不特定多数の人が閲覧しているという観点は持っていただきたい。(もし持っておられるのでしたら、大変失礼な物言いで申し訳ありません)。
ただ、あなたの主張をこのように解釈すると、ここにコメントしている人は一人の例外もなく自己中心的である、ということになりますね。
そして、自分自身に対して「キモい」と言っていることになりますね。
私は一般常識を持っていません、と言っていることになりますね。
上記のラスト二行は蛇足ですね。
ただ、早川氏には「自己主張」≠「自己中心」であることだけは知っていただきたいです。
その意図、対象がどこを向いているのかは、不特定多数が閲覧できるブログという媒体の特性上、問題にはならないと思います。
(もっとも、その主張の内容がブログの本来の意図から著しく逸脱するものであれば別ですが、いずれの方のコメントを見ても、私自身は“著しく”逸脱したものはないと思います)。
> >真剣勝負で生きております。
>
> だったら、自分で本部に日参し、面と向かって勝負してこい! 米本さんのブログに書いて、「誰か本部の人が読んでてくれるかなあ~」などというのは、ガキのやることだぞ。真剣勝負でも何でもない。恥を知れ!
原田さんはこのように仰っています。
> ここにも投稿されている方から個人的にご質問のメールをいただきました。原田さんは教会の改善にどのような努力をされているのですかと。それはできることはできる、できないことはできない、法律的にはどうかと思うようなことは質問するようにしていると、お答えした後、ふと思い出して、米本さんのブログなどに投稿することで、だれかが見ているかもしれないと期待しているなんてことも書き添えました。
ですから、「自分で本部に日参し、面と向かって勝負してこい!」と早川氏は仰いますが、そこまであなたが主張する筋合いは内容に思います。
権威付けをしましょう。
http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/2008/news7/documents/080708_1_1.pdfをご覧ください。
最初の節に、
-----------------
ケネディスクールをはじめ、ハーバード大学が重視している点のひとつは「世界のリーダーを輩出するための教育」ということである。ここでいうリーダーとは、ビジネスや政治のトップ-いわゆる社長や首相といった立場にある人-に限らず、「任せられた自分の持ち場において、世界をよりよい場所へ変えていくべく価値を生み出していける人材」と定義される。すなわち、「舞台の大小とは関係なく一人ひとりがベストを尽くして世の中をよくしていくために学ぼう」という教育が行われる。」
-----------------
とあります。
原田さんは、これを実践しているわけです。
別に本部に乗り込むことが全てではありません。
早川氏の性格なら、仮に原田さんと同じ立場だった場合、本部に乗り込むような行動を取るのかもしれませんが、原田さんはあなたではありませんし、ましてあなたの奴隷でも僕でもないのです。
だから、他の人がやろうとしていること、やっていることを、個人的な視点で「こうだからダメ、こうしろ」と指示してはいけません。誰かが何かのためにやっている、というその動機が重要なのではなかったのですか。
諸行無常さんが
> そもそもあなたたちの神は100万円献金する億万長者と年金から5千円寄付するおばあさんとどちらを信仰深きものとみなしているのか?
という話をしていましたが、この話はこの事例にも当然当てはまるものでしょう。
(もしかしたら、早川氏はこの例えの億万長者に近い立場、原田さんはおばあさんに近い立場なのかもしれませんね)
ですから、
> ガキのやることだぞ。真剣勝負でも何でもない。恥を知れ!
ということを主張する立場に、あなたはありません。
“億万長者”にとっては、“おばあさん”は「ガキっぽい」のかもしれませんがね!
> 今さらここで霊感商法について議論する必要は皆目ない。
たしかに、拉致監禁について扱っている「このブログ」でする必要性はないのかもしれませんが、
あえて「統一教会考」にこの記事を書いた米本様の意図を考えると、「いわゆる霊感商法というものに対して、統一教会がいかなる立場・態度を取ってきたか」を議論することは、“著しく”逸脱するというほどのものではないかと思います。
(もっとも、統一教会と関係のない、霊感商法一般についての議論でしたら、著しく逸脱するとは思います)。
> ご自分の発言が迷惑をかけているという認識がない? 幽霊食口さんという現役信者さんでさえ、あなたがズレていると指摘しているのに? 大丈夫かい?
その発言に誰かが噛み付き、議論の応酬が始まるから迷惑になるのですよ。
きっかけは原田さんかもしれないけど、あなたも結局同じ立場になっていることに気づくべきでしょう。
(何をもって“迷惑”なのかが私にはよく分からないので、頓珍漢なことを言っているかもしれませんが、ご了承ください)
> もっと我々のような良識ある一般人を味方に付けたら良いのだよ。
自分自身が良識がある人間だという過剰意識はどこから沸いてくるのか、お教え願いたい。
というのは、私自身かつてそういう人間であったが、高校生の頃(信仰を持つ3年以上前)に、自分自身の小ささを悟り、謙虚になることができたからそういうのですけれど。
また、そういう意識をみなが持っている限り、意見の一致は永遠に無理だということも申し添えておく。
ゆえに、徹底的に話し合っても無駄ですよ。
私が何故、原田さんへのコメントで「サーバントリーダー」に言及したのかを、よく考えていただきたいと思います。
> しかしね、「郷に入っては郷に従え」だよ。日本はそういう社会なのだから、もっと上手にやりなさいよ。私は、そういうことを言っておる。君たちは、良く言えば純粋過ぎるのであり、悪く言えば阿呆なのだよ(阿呆と書いても、人間扱いしていないわけではないので念のため。注釈がたいへんな教団の皆さんだわさ…)。
最後の()内は嫌味ですね。昔の私にそっくりな書き方です(苦笑)。
まあ、統一教会の人間が下手(というか不器用)なのは、まったくそのとおりだと私も思いますが。
もっとも、純粋じゃないとここで信仰を持つことなんてできませんけどね。
一つ申し添えれば、純粋だからこそ、社会に浸透することができたとはいえると思います。(勝共運動などで、日本の中枢に干渉することができたのは、そのため。ここにいる皆さんなら、全国弁連の主張する「賄賂などで政治に食い込んだ」は誤りであることが分かると思います。早川氏ですら「全国霊感商法対策弁護士連絡会の主張なんて、良識ある我々一般人は(少なくとも米本ファンは)、相手にもしていない。」と仰っていますしね)
> もっと賢くなってくれ、統一教の皆様。パウロのように、日本ではまず「普通の常識的な日本人」になってくれ。そうすれば、パウロのようにたくさん伝道できると保証するよ。
まー、頑張りますとだけ答えておきましょう。
長文失礼いたしました。
誰に何をどう謝罪すべきか
幽霊食口さん。あなたは一般常識がおありのようで、安心した。あなたのような現役信者がいるということは、ちゃんと記憶しておく。統一教会もみんながみんな非常識だというわけではないことは、あなたのコメントでよく理解できた。
願わくは、あなたがた教会信者の間でもっと議論なり会議なりをして煮詰めてから、こういう場でコメントしてもらうとありがたいが、どうやらそういう統率力が教団にはないらしいね。原田和彦氏が教団本部に直接ものが言えず、この場に書き込みして「本部の人が読んでくれるかも」などと淡い期待をする程度の、人間味がなく冷たい教団本部なのだろう。会長の記者会見内容を読んでも、原田氏の書き込みを見ても、そういうことが推察できる。
幽霊食口さんのブログがあるのなら、どうか原田和彦氏はまずそちらで信者さんたちと話し合ったうえで、こういう場に出てきてほしいものだ。幽霊食口さん、お願いするよ。本当に私はキモいんだよ。あなたなら分かるでしょう、この私の気持ちが。
悩める信者さん。私は宗教に造詣が深くなどない。君たちよりも少しだけ国際人であるだけだ。アメリカにいたとき、彼女に付き合って礼拝に行ったにすぎない。向こうの聖歌隊は歌がうまくて、楽しかった。おたくらの礼拝は、献金の話ばかりで信者すら寄りつかないそうじゃないか。もっと楽しい礼拝にしたらよいよ。そしたら、一般人もお付き合いで参加するだろう。
はやしさん。
>しかしネットの世界では相手が見えないので言葉にはむしろ気をつけるべきでしょう。
その通りだね。気をつけるよ。原田君にも同じように気をつけてほしいものだ。一般の人が来るブログで、「教団用語や教団内輪話はやめてくれ」と、はやしさんからも助言してくれ。
ちなみに、私は米本さんのファンであるから、ここに来ているだけ。悪いが、あなたの掲示板に行くつもりは全くない。
米本さん、たいへん失礼しました。誰に何をどう謝罪すべきか。私はもう書いたので、現役信者さんたちに回答してもらいましょう。
現役信者さんへ。ブログ主からこういう交通整理がありました。もう変な宗教用語や宗教体験は書かずに、誰に何をどう謝罪すべきか、それだけを考えてください。
原田さんへ
レフリーストップの判断をいうことですが、すでにかなり前から、現役信者さんからも、非現役信者さんからも、「テーマが違う」「書く場所を間違えている」という指摘がなされていたと思いますが・・・。
このブログを始めたのは2月からです。まだまだ書くつもりです。一生懸命書いた過去の記事もこれから書く記事も、よろしければきちんと読んでいただき、テーマに合った記事のコメント欄に書いていただけると助かります。
また、教団を改革しようとするお気持ちがあれば、このところ次々と立ち上がってきている教会員さんのブログに投稿され、何かしらの改革運動をされればと思います。いろいろなところで、統一教会をなんとかしたいという声を、直接聞いています。どうかご斟酌のほどを。
遅まきながら
先のコメントの中で、ブログの意図云々について個人的な見解を述べさせていただきましたが、実際のところ米本様の意図はあくまで「誰に何をどう謝罪すべきか」にあったのですね。
こんごは、これに留意してまいりたいと思います。
既にこれに留意していない意見も散見されますが、言及はしないことにします。
今後とも、米本様が拉致監禁をなくすためにご尽力されることを願います。
ありがとうございました。
追伸:
またコメントがありましたね。(原田さんへ、ですが)
ここでかようなお願いをするのもどうかとは思いますが、米本様は何故、あえて本ブログ内で統一教会考をしようと思われたのでしょうか。
特に
①本ブログ内でやろうと考えた理由
②われらの不快な隣人等で統一教会について書くことは自然なことに思われましたが、ここに限ったことで言えば「記者会見について」あえて記事を執筆される動機がいまいち分かりません。(書くなと言っているのではなく、どうしてわざわざブログの目的とは違うことを・・・という純粋な疑問です)
あと、口を噤もうかどうか迷ったのですが、あえて書くことにします。
本文で
> 事業活動を通して、教団の目的を実現し、教会員としての使命を果そうとする会社。こうした会社は「統一教会系企業」と形容しても、何ら問題ないと思う。
> このような「統一教会系企業」の社長や社員また契約社員は、先に述べた伝道と献金という2つの使命を果すために日夜、活動している。
> 信者の使命を果すことを目的の一つにしている「統一教会系企業」、そうした企業から、直接かどうかは不明だが、少なくとも社長や社員から印鑑販売で得た売り上げの一部を献金として受け取っている教団とすれば、「統一教会系企業」には指導監督する立場にあるのである。
とおっしゃいますが、この論理がいまいち分かりません。
問題なのは、「統一教会系企業」が、教団の指示によって作られたのか否か、にあるのだと私は思います。
信者が企業を作るにあたって、企業理念に統一教会の理念を持ち込むのは自由だし、そこで使命を果たそうとするのも自由。
伝道と献金という2つの使命を果すために、というのも分かる。
だが、この程度の主張では「信者が個人的にやったこと」という主張をひっくり返すことはできない。
たとえば、統一運動において、韓国やアメリカには複数の統一教会系企業がある。(日本とは比べ物にならない規模の企業が)
ただ、その経営には教会は一切関わっていないし、日本においても統一教会系企業が儲かるか儲からないかは、教会にとって献金が増えるか減るか、人を連れてくるかこないか、それ以上でも以下でもなかったのではないか。
統一教会系企業の不祥事は、確かにバックにある統一教会に傷をつけるものである。
そのため(というよりは献金と伝道のためか?)、教会が企業に多少の干渉をしたのかもしれない(真偽は分からないが)。
その干渉具合は一つの争点になるだろうが、仮に干渉がなかった場合、たとえ米本様の主張する「統一教会系企業」であったとしても、教会に責任を問うのは不可能なのではないか。
そして干渉が大きかったのなら、大きかっただけ教会の責任も大きくなりうる。
ただ根本は、先にも述べたように「教団の指示によって作られたのか否か」です。
これがそうなら、教会の責任は明白ですからね。(刑事事件になってもやむをえないだろう)
ただ線引きが、教団としての指示、文鮮明師からの指示、幹部個人からの指示・・・
そのあたりが、争点になってくるのではと思います。(そういう意味で、教会の立ち居地は非常に不明瞭ですが)
なんだか取り留めのない文章になってしまい恐縮ですが、いかがでしょうか?
なお至らぬ点があれば、また補足させていただきたいと思います。
申し訳ありませんでしたm(__)m。
とりあえず、止める方が先かと思い、投稿いたしました。
仰っている内容は理解できますし、共感を覚えますが、しかしながら、一体どのようなことで、誰が誰に対して、謝罪すべきかということが問題でありましょう。
一般論としては、大理石の壷や印鑑等をトークテクニックによって、高額販売をした統一教会信者、及び、それを指導監督した統一教会が、売りつけた被害者に謝罪すべきであろう・・・となると思いますが、
この被害者というものが、非常に定義があやふやなのです。
例えば、私なんぞも壷etcも買っていますし、印鑑もあります。
しかし、私が被害者というわけにはいかないのは当然でありましょう。
また、統一教会の信仰を持っていない人でも、これだけは別だと買い続けた人も居ます(そういう人も実際居るのです)。
こうなると、どの人が被害者であるのかは、買われた個々人の判断に任せるしかないというのが実際ではないかと思います。
実際の話、被害者と思われる方に対して謝罪するのは良いとしても、感謝しありがたいと思っている人は、それを自分に対しての裏切りと感じられる可能性は高いと感じます。
謝罪するようなものを売りつけたのかと。
勿論、被害者の方からすれば、謝罪しないのは不誠実のきわみです。
しかし、実際にはこういう事情もあれば、ただ闇雲に謝罪すべきものでも無いと感じます。
またここらは、日を改めまして(自分の掲示板もございますので、多少遅くなるかと思いますが)、書かせていただければ幸いです。
>幽霊食口さんのブログがあるのな
>ら、どうか原田和彦氏はまずそちら
>で信者さんたちと話し合ったうえ>
>で、こういう場に出てきてほしいも
>のだ。幽霊食口さん、お願いする
>よ。本当に私はキモいんだよ。あな
>たなら分かるでしょう、この私の気
>持ちが。
お気持ちはわかりますし、私もそうなれば良いとは思いますが、こればかりは皆さんの御判断ですので、強制は出来ませんm(__)m。
ただ、私の掲示板のコメント欄は空いていますので、議論されたい方はいらして下さいm(__)m。
http://ppp.atbbs.jp/yuureisikku/
いやあ、百花繚乱というか・・・。
現役・現場の人たちの何か言いたいというエネルギーはすごいですね。
このエネルギーを糾合して、教団の抜本的改革運動を本気にやるべきだと思います。
創価学会信者のブログはすごいですよ。池田大作批判あり、池田先生を守れサイトあり、で。
創価学会信者さんに学んで、「統一教会改革への提言」というサイトを誰かつくったら、どうでしょうか。
積極的に応援します。真面目に。ただし、勇気あればの話ですが。
★「元」さんへ
貴重な情報ありがとうございました。文鮮明氏が“霊感商法”に関わっていたという証言を初めて聞きました。私が不勉強なのかもしれませんが、元さんの証言がおそらく初めてではないのかと思います。
西川さんの証言と符号しますし、私が懇意にさせていただいているスリーセブンの方のお話とも合います。
機会あれば、一度、お話を聞かせていただけたらと希望します。
この話と関連することです。
★原田さんは「霊感商法」について関心があるようですが、『青春を奪った統一協会』(緑風出版)を読まれたら、どうでしょうか。
大著でありますが、東京地裁の法廷で証言した「小山田秀生」「徳野英治」「駒井宏裕」「小柳定夫」各氏の記録(一字一句)が載っていますよ。
まずは、いろいろ調べられてから、発言されたらどうでしょうか。
認知不協和の呪縛を乗り越えて。
取りあえずは、ウィキペディアの「霊感商法」を読まれたら・・・。
全国弁連の弁護士が作成に寄与しているようですが、そうであっても、基本的な情報を収集することはできます。その前に、教団公式サイトにある通知文を丁寧に読んでくたさい。
早川さんへ。応援してくれてありがとうございます。でも、でも、二元論的発想で、弁護士を判断するのはどうかと思います。少なくとも、是々非々の立場ではありません。『全国弁連』の弁護士の声にも耳を傾けるべきだと思います。そのうえで、いかんものはいかん。と言うべきだと思っています。
★「幽霊食口」さんへ
久しぶりの投稿ありがとうございました。ブログへの投稿スタンスについてのまっとうな提言、とてもありがとうございました。原口さんも理解されたと思います。
ところで、最後の投稿はそれまでと違い、まるで別人の投稿のようでした。『霊感商法の真相』(光言社)の論調とまるで同じで、説得力ないものでした。この本がなぜダメかといえば、インタビューに応じた信者が「ぼくが話したこととまるで違ったことが書かれていた。文句を言ったけど応じてもらえなかった」ことでもわかります。
お壺さまは御神籤とは違います。100円の御神籤を買って人生がうまくいかなくても文句をいう人はいません。
数百万円のお壺さまとは訳が違うのです。
最後に若年食口さんへ
救いを求めている人を裏切ったことに謝罪すべきというぼくの主張に真っ向から否定されたことに、ある種、敬意を表します。
反論しようと思いましたが、如何せん、宇宙語の原理語です。
正直、何を言っているのかチンプンカンプンなところありでした。
学生さんに、また他者に、自分たちの信仰を伝えようとするならば、相手にも通じるような言葉でしゃべるべきです。
おそらく、原理世界、仲間内世界だけで生息されているのでは。(失礼な表現で、ごめんね。いつも原研諸兄に言っているもので)
それゆえ、カープも伸びないというか成長しないのです。
もし腹が立つのであれば、原理用語を一般用語に翻訳する作業をしてみたらどうでしょうか。取りあえずは、川崎経子さんの『統一教会の素顔』の巻末用語集を校閲してみてください。
最後に、ブログでも紹介したが、『(仮)宗教と事件』(学研)というムック本が出ます。そこで、失礼ながら、統一教会の集団のことを「ED状態」(ほんとはインポ集団と書きたかった!)と書きました。
創価学会の志ある人と比べ、統一教会の諸兄には、志がないというか、覇気がない。なんか、イメージなんだけど、いつでも甲羅に首をひっこめることができる環境を保ちながら、首を出してしゃべっているような印象が強く受けてしまうのです。
★最後の最後に。
「ひまわりっ娘」さん、投稿ありがとうございました。「統一」「反統一」というスタンス(是々非々)でいいのだと確信を持ちました。ありがとう。
(もう12時前、誤字脱字、変換ミスはご容赦ください。明日、直します)
Re:原田さんへ
メインテーマに返りまして、「だれに」謝罪するのかは、現在、そして過去に訴訟を起こされた方々。「何を」は、「印鑑」「数珠・念珠」「壷」「仏像・みろく像」「多宝塔」について、「どう謝罪すべきか」は、アプローチの仕方に誤りはなかったか、過度に不安感をあおらなかったか、また販売後のアフターケアに問題はなかったかを説明したうえで、各企業が謝罪する。そして宗教法人世界基督教神霊協会も、教会員をその販売に協力させた管理責任を認めて、その部分で謝罪する。
謝罪するにしても、やみくもに謝罪するのはよくないので、本当に霊感と呼べるものについて、被害者意識を持たれた方とそうでない方々の数を可能な限り調査して(裁判件数を被害者意識を持たれた方の数とするのが分かりやすいと思う)、その部分について、販売手法について手落ちがなかったかどうかをきちんと確認したうえで、謝罪したほうがよいと思う。
米本さんへ
西川さんの証言と符号しますし、私が懇意にさせていただいているスリーセブンの方のお話とも合います。
霊感商法全盛期に、何らかの形で霊感商法に関わっていた人は皆知ってると思います。
ここに来られている現役の人達も知ってるはずです。
ただそれはタブーなのであえて触れないのでしょう。
文教祖は、霊感商法で稼げると知って、その後の献金要請もエスカレートしていったわけですから。
PS
何かお役に立てる事があれば喜んでお話させて頂きます。
連絡は上記のTELにすれば宜しいですか?
反論の文章(当方の[2009/07/23 21:19]の投稿)では、広辞苑のような辞典に載っている単語しか使っていないつもりですが、チンプンカンプンでしたか。
論理自体は、先の長文の後に書いたゆえの疲労等で、多少破錠している点がある分に関しては申し訳ないとは思いますが、まさかこういう返答が来るとは、予想外と申しますか、青天の霹靂です。
もっとも、私のこれまでの投稿を読んだ上で返答を書こうとされたのであれば、このような返答でも納得がいきます。ただ私は、[2009/07/23 21:19]の投稿のみに返答をいただければと思ったのです。
そもそも、直前の私の投稿では指導監督の問題について上では疑問視したのに、
> 救いを求めている人を裏切ったことに謝罪すべきというぼくの主張に真っ向から否定された
という、最初の投稿についての返答と思われる内容のご返事をなさるとは、どういうことでしょうか。
そもそも、最初の投稿ですら原理語はあまり使っていません。
(原理語というと原理講論で使われる言葉だが、他にも内部にしか通じない表現はありますので、それを含めますと)使ったのは、「責任分担」について言及した部分、「永遠なる親」=神のこと、「真の父母様」、「神様の夢」、「準備された人」、「中心者」、これくらいでしょうか。
あとは一般的に使われている言葉(ビジネス用語や統一教会以外でも使われる一般的な宗教用語(広辞苑等の辞書掲載済み、変換候補に挙がる)などもあるが)なので、知らなければ勉強不足です。
もっとも、くどいですが別に最初の投稿に対しての反応を求めた覚えはありませんよ。
ただ、あなたの意図が私には分からないというのは先に述べたとおりですが、これで益々分からなくなりました。(②の質問への回答がないのも、気になるところではあります、眠かったから書かなかったのでしょうか?、それとも別件で記事に?)
当初は、統一教会が社会一般の常識をわきまえ、真っ当な団体になってほしいとの思いでもあるのかと思いましたが、我々に対しての理解を深めようとなされない姿勢をとっておられることや、先の投稿から、「統一教会のために」という意図はないことが分かりました。
逆に、拉致監禁と統一教会の問題はまったくの別物であるから、統一教会にはあくまでも批判的な立場を取る、という線でしょうか?(これが妥当な線かとも思いましたが、何か腑に落ちないものがあります。うまく説明できませんが・・・)
何にしても、スタンスを明らかにしてからやっていただきたいものです。
ブログ開設の目的とは、違うことをやっているわけなのだから・・・
> おそらく、原理世界、仲間内世界だけで生息されているのでは。
そうでもないですよ。
だってそれじゃ、CARPの目的である伝道ができないじゃないですか。
今やCARPでは全国的にビデオセンターは廃止になっているのですから、伝道しようと思ったら友人を伝道するしかないのですよ。(いうまでもありませんが、口角泡を飛ばして昔のように黒板を持って学内で講義なんかしていたら、当局が飛んできて拘束、親への連絡、場合によっては拉致監禁・・・となりますから、そんなことできませんしね)
実際、2DAYSくらいならそこそこ参加者もいます。神様とかの話が入ってくる4DAYSなどになってくると、足が遠のく人も増えますが。(今は2DAYS→4DAYS→夏や春の長期の修練会、という流れです)
いずれにせよ、伝道する以上いつかは原理用語に触れていかねばならないわけですが、やはりそこが入ってくると拒絶反応を示す人はいますね。(なぜなら宗教的な内容であるから。全国弁連の連中が精力的に活動してくださったおかげで、日本人には宗教≒カルト、というレッテルが貼られているためです)
あと蛇足ながら、新聞会についても、今年2月に全国学生新聞連合は解散しております。
そのため、新規勧誘は完全ストップ。一部の主要大学を除いて、多くが廃刊になっていく見込みです。
ついでに申し上げますと、仲間内だけでしか通じない言語を話していては、取材も記事の作成も、ましてや販売などできるわけがないでしょう。
米本さんといえど、CARPの現状まではご存じないようなので、参考まで。
よって、
> それゆえ、カープも伸びないというか成長しないのです。
という結論が、あなたの説明からは導かれません。
伸びない理由には、あなた方が理解できない原理的な内容が一つ。
もう一つは、CARPから世の中を動かすリーダーがまだ輩出されていないことです。
世の中、実績がないところについてくる人はあまりいませんからね。
まして、夏休みや春休みを30日も40日も割いて合宿をするなんていうんですから、なおさらです。
そういうわけで、現在CARPにいるのは、ほとんど全員が二世か原理的な内容が満たされた人のみ、となっているわけです。
まあなんというか、学生だと思ってそういう視点で見られてしまうのは確かに少々面白くありませんが、それはそれで致し方ない。
まあ勉強してから出直してこいといって下さっているわけですし、折角ですのでしばらく休養させてもらいますか。
> 「ED状態」(ほんとはインポ集団と書きたかった!)と書きました。
二世の子が見たら泣きますよ、これは・・・(いや、それとも意味が分からずきょとんとするか?)
やっぱり、汚らわしいジャーナリズムの世界を救済するのは、かなり厳しそうだ・・・(嫌味です、無視してください)
> イメージなんだけど、いつでも甲羅に首をひっこめることができる環境を保ちながら、首を出してしゃべっているような印象が強く受けてしまうのです。
そのイメージは、間違ってはいないと思いますよ。
だって、内部だからいうけど、私たちは全ての宗教の中で最も真の神様に近い立場にあるから。
だから、俗世間に出て穢れることを極端に嫌う。
ただ、神様や文先生らのことを悪くいうのは許せないため、どこかで首を出して何か言ってみる。
それだけです。
私自身は、もともと週刊誌などの雑誌の類は、小さい頃から阿呆か馬鹿の読み物だと思ってましたから。
実際、「ED状態」などという差別的表現がまかり通る時点で、私は社会常識の欠如した連中が、またWORTHLESSなことをやってる・・・くらいの印象しか抱きませんが。
そんなことをやって一生を過ごして、何が楽しいのか、伺ってみたいものです。
あと+元さんへ
> 文教祖は、霊感商法で稼げると知って、その後の献金要請もエスカレートしていったわけですから。
一応伝えておきますが、不安をあおるような商法が違法なのであって、霊感商法自体は悪いものではありません。(米本さんも著書の中で言っています)
新聞の折り込みチラシでも、「宝くじが当たる!」などと宣伝しているのを、あなたも見たことがあるでしょう?
あれも霊感商法ですから。
つまり、新聞社が霊感商法は悪ではないことを、自ら証明してくれているのです。(だって悪だったら、そういう悪しき団体からの広告を掲載したということで、新聞の看板を傷つけることになりますから)
ですから、仮に文先生が霊感商法をしろといったとしても、そのことに犯罪性はまったくないですからね。
そして、不安を煽って買わせる方法を取っていることは、文先生の耳には届いていない。
ここだけ明確にしていただきたいものです。
私は先述の通りしばらく休養させていただきますので、何かこのコメントにリアクションを取っていただくのは結構ですが、それに対しての返答は当分できません。(お気に入りからもはずしておきます)
あなた方に言わせれば、「いつでも甲羅に首をひっこめることができる環境」に文字通り首を引っ込めること、に他ならないのでしょうが、実際に米本さんの指摘の他に自分の信仰をもっと深めるというのも動機のひとつにありますし、そもそも当方4年生なので大学院入試が目前に迫っているというのもあります。
どこかで検索に引っかかったら、またお目にかかりましょう。
それではまた、ごきげんよう。
すみません
>でも、でも、二元論的発想で、弁護士を判断するのはどうかと思います。
どうもすみません。小生、勧善懲悪大好き、二元論的発想バリバリ人間なので、ジャーナリストとしては成功できずフリーターになりました。
以後、発言には注意します。
>ブログへの投稿スタンスについての
>まっとうな提言、とてもありがとう
>ございました。
いえいえ、折角対話の窓が開いており、現役教会員も積極的に発言しようと意欲のあるブログが、現役教会員の対話姿勢で塞がるのはとても惜しい事だと思います。
ですので、私の方から言った方がまだしも角が立たないかと思いまして、発言させていただきましたm(__)m。
>まるで別人の投稿のようでした。
ここらは、それぞれの価値観・立ち位置・認識・判断で感じ方が大幅に違いう事になるかと思います。
逆にその差異を埋めるために対話・討論というものが重要かと思っています。
ただ、対話・討論というものは、その結果によって自分の認識を改める覚悟をしたもの同士でなければ、ある意味、対立を深めるばかりで無意味になものになりましょう。
ここに出て来られる、現役教会員の方には(私も含めて)、特にこの事を肝に銘じて欲しいものだと思います。
さて、この認識の下でお聞きしたいのですが、謝罪すべき被害者の方達の定義をお聞きしたいと思います。
本文に書かれている内容から、今度の刑事事件化した被害者と目される方、民事訴訟の原告の方達・・・を指して言っておられる事は判りますが、ではその範囲で良いのか?ということです。
私としては、それには釈然としません。
教会内部には、それは「青春を返せ」裁判と同じく、第3者によって無理やり起こった裁判が多いという反発心が多いのは事実ですが、私はこの考えに与していません。
そもそもの出だしが間違っていたのだから、謝罪すべきであろうと判断しています。
私のその範囲で良いのか?というのはそれよりも逆に範囲を広げるべきなのではないかという意味を多分に含んでいるのと同時に、それは限定されるべきではないかと言う考えを持っています。
ここらあたりが整理しておかないと、謝罪しようにも、謝罪すれば収拾がつかなくなる可能性は高いかと判断していますが、米本様は如何お考えでしょうか?
世界平和女性連合について
>統一教会のダミー組織』という表現もそうだ。なにがダミーなのか説明抜き。あまりにもレッテル的使用方法だ。統一教会と友好関係にあるという世界女性平和連合(会員数1万5000名、うち半数は非統一教会員)にも、全国弁連は「ダミー組織」のレッテルを張っている。
>同連合は、世界会長が文鮮明氏の妻、文鶴子、日本の会長が日本・統一教会の初代会長の妻、久保木哲子であることを明かにし、そのことを明記した月刊誌(発行部数10万)も発行している。
アフリカで小学校づくりを行うなど活動の実態もある。
>友好先の統一教会よりはるかにまともな団体である。
まず、当該組織の名称は「世界女性平和連合」ではなく「世界平和女性連合」の誤りです。
また、米本さんの示して下さったリンクをクリックして表示される同組織のWebサイトのどこを見ても統一教会との関係は記載されていません。
さらに、同Webサイト中のお問い合わせページに載っている電話番号に先ほど(2009年7月24日午前11時半頃)掛け、統一教会と友好関係にあるのか質問したのですが、「関係は一切ありません」と否定されました。
以上の事実から、正体を隠しているのは明らかであり、ダミー組織と呼ばれたり、さらには、「アフリカで小学校づくりを行うなど活動の実態もある」にせよ、真の目的は統一教会のシンパや友好人脈の獲得による勢力拡大などであろうと疑われたりしても仕方ないと思います。
>全国弁連が統一教会を叩きたい、その一環として世界女性平和連合の影響力を削ぎたいとするのは理解できる。それなら、レッテル張りではなく、実物そのもの(世界女性平和連合)を、批判すべきだろう。あまりにも非理性的だ。
統一教会のダミー組織は、違法行為を行わないし、一見すると社会的に良いことをしています。ですから、実物そのものを批判しているのではなく、統一教会が正体を隠したダミー組織を作り運営している点を批判しているのでしょう。
若年食口さんへ
そして、不安を煽って買わせる方法を取っていることは、文先生の耳には届いていない。
現役さんが、文教祖をかばいたい気持ちはよくわかりますが、この世の会社でも部下の不祥事はトップが責任を取るのではないですか?
霊感商法が下火になった頃、献金が少なくなりそれを幹部が文教祖に報告したところ、「何故、霊感商法をもっとやらないんだ!」とその幹部を叱り飛ばしたと聞いています。
何れにしても、文教祖の責任は免れません。
Re:若年食口さんへ
>現役さんが、文教祖をかばいたい気持ちはよくわかりますが、この世の会社でも部下の不祥事はトップが責任を取るのではないですか?
古田社長(当時)が文師に「霊感商法」についてどのような説明および報告をしたかということがポイントでしょう。その後文師は激怒し霊感商法システムの解体を命じたといいますし、別筋によれば古田社長は泣いてお詫びしたそうですから、おそらく古田社長が文師に説明した「霊感商法」と実際に現場で行われていた実態にかなりのかい離があったのではないかと推測しています。それがあるとき暴露され、文師は怒り、古田氏は泣いてお詫びした、ということではないでしょうか。
蛇足
回答いたします。
(そんなに推敲したのかいなという突っ込みの声が聞こえそうですが、どうか御寛大な態度を。言い訳をすれば、いま3件の拉致監禁を未然に防ぐ相談を個人的に受けていて、けっこう大変です)
たくさんのコメントありがとうございました。質問には、またわかりやすく、上から順に、回答させていただきます。
「元」さんへ
「何かお役に立てる事があれば喜んでお話させて頂きます。
連絡は上記のTELにすれば宜しいですか?」
ええ、よろしくお願いいたします。もしお互い近場なら、一度お目にかかりたいです。
「幽霊食口」さんへ
「さて、この認識の下でお聞きしたいのですが、謝罪すべき被害者の方達の定義をお聞きしたいと思います。
本文に書かれている内容から、今度の刑事事件化した被害者と目される方、民事訴訟の原告の方達・・・を指して言っておられる事は判りますが、ではその範囲で良いのか?ということです。
私としては、それには釈然としません」
ええ、謝罪すべきは、今度の刑事事件の被害者の方に対してだと考えています。。
「原口」さんもそうですが、80年代以降の「霊感商法」の被害者のことも視野に入れていらっしゃるようですが、今回の記事はあくまで最近の一連の事件についての教団の謝罪のあり方について書いたものです。
もし、過去のことにまで言及するとすれば、稿を改めて書く必要があると考えます。
書くかどうか別にして、直近の事件で、どう組織(それを構成する信者)は謝るべきか考えたほうが前向きだと思います。
直近の事件と過去の事件とを一緒にしてしまい(つまり脳をナメクジ状態にしてしまい)、謝罪はどうあるべきかといったことを考えても前向きな思考になるとは思えません。
直截的に言えば、前の“霊感商法”時代に、逮捕されたのは青森の恐喝事件だけです。今回は10人以上が逮捕されています。法的質の意味でレベルが違います。
誤解されたのだとしたら、私が歴史的好奇心から「悩める信者」さんのコメントに、ブログのテーマから外れたことについて言及したこと、またそれに関して「元」さんがコメントされたことだと思います。
過去の漠然としたことを考えることなく、今回の事件のことに頭を凝縮すべきだと思います。
原口さんは、20年以上も前の、過去の出来事についての税金問題に関心があるようですが、私は直近の新世事件で5人に500万円の罰金刑が下ったこと、この500万円を5人の信者がそれぞれに負担するのは大変だろうなあ、まさか南東京教区がかぶっていることはないだろうなあ-といったことに、ものすごく関心があります。
直近の事件の被害者にどう謝るべきかということを棚上げして、20年前の“霊感商法”のことを持ち出すのは、本質的なことを曖昧にしてしまう思考方向だと考えます。
きつい言い方をすれば、直近のことを解決できない人は過去のことも解決できないということだと思っています。
「ジャルジン」さんへ
質問ありがとうございました。ジャルジンさんのような方の投稿をお待ちしていました。
回答はもう少し、待っていただけますか(一週間程度)。調べてみますので。
ジャルジンさんにお願いがあります。私が調べている間に、投稿された文章を今一度、論理に飛躍がないか精査され、そして「ダミー組織」の意味について、お手持ちの国語辞書などで調べといていただけませんでしょうか。
次の記事のコメント欄は繚乱ではなく、「百家争鳴」になることを期待しています。
どうぞ飽きることなく、ご愛読のほどを、です。
(追記)はやしさんの疑問への回答となるような記事はあと2、3週間後にアップいたしますので、もうしばらくお待ちを。
早川さん、次の投稿、お待ちしています。
Re:回答いたします。
ところで、私は「原田」であり、「原口」ではありませんのでよろしくお願いします。
激しく謝罪です。
名前を間違えて、ほんとうに、ほんとうに、ごめなさい。お許しください。
御返答ありがとうございました。
>説得力ないものでした。
と仰られた意味が判りました。
そうであれば、私の投稿は完全に方向違いでしたm(__)m。
私としては、今統一教会が置かれている諸状況の総決算が念頭にあったのですが、
>今度の刑事事件の被害者の方
に謝罪するべきであった・・・というご意見ならば、これは完全に同意いたします。
ただ私の意見としては、それでは済まないだろうし、世間一般からもそう見られるだろうし、収拾がつかなくなる恐れがあるという意見は、依然として保持しています。
しかし、仰られている内容は理解できますし、今度の刑事事件の被害者の方達に謝罪すべきであったという御意見には、ご尤もとしか言いようがありません。
>まさか南東京教区がかぶっているこ
>とはないだろうなあ-といったこと
>に、ものすごく関心があります。
これに関しては、申し訳ありませんが判りません。
>20年前の“霊感商法”のことを持
>ち出すのは、本質的なことを曖昧に
>してしまう思考方向だと考えます。
私としては、逆に、過去からの連鎖で起こったことですので、直近のものだけを問題としたなら、逆に事の本質が曖昧になると判断しています。
つまり、刹那的にやり過ごす誤魔化しに繋がりかねないかと懸念いたしますが・・・。
まぁここらは、私の脳も統一脳である所以かもしれません。
ご回答ありがとうございました。
頑張ってください。
米本さんへ
覚えてくださりありがとうございます;^^。しかし、もしお時間がありましたら、私の質問よりも若年食口さんに答えてやってください。彼のような聡明さと覇気こそは明日の統一教会(というよりも世界)を救う人材なのだと思います。多分、米本さんも読まれたことがあると思いますが、英国のJ.D.Chryssidesという学者の研究書で邦訳もされている「統一教会の現象学的研究」(93年㈱新評論)という本があります。これはいままで著された統一教会に関する(第三者の執筆による)研究書の中では最高の書物だと私は思っています。この本の冒頭に次のような言葉があります。「新宗教は最近まで有能な学者が足を踏み入れるのを怖れていた領域だった。だから、そこは研究者が正確でバランスのとれた説明をするというよりは、キリスト教福音伝道の熱意とカルトに対する敵意に燃える著述家が思うままに筆をふるえる分野だった。」
私もいままでいろいろと統一教会について書かれた書物を読んできました。しかし日本で出版されている反統一教会の方々の書物は概ねこの指摘のとおり低劣といってもよいバランスを欠いた(=知性のない)ものばかりといっても言い過ぎではないと感じてきました。しかしその中で米本氏の本は一人異色であったといえます。
ただ若年食口さんが言いたかったことを代弁しますと、米本さんのスタンスの中で欠けているのはJ.D.Chryssidesのように統一教会の教義まで含めて相手を理解をしようとする深く真摯な知性です。残念ながら米本さんにはこの視点(あるいは関心)がまったく欠けているのに彼は不満だったのだと思います。彼はそこにジャーナリストの限界をみているのです。
表面的な現象だけを捉えて客観的な批評ができると考えるのはあまりにも浅ハカです。ましてや宗教現象というのは常に神秘現象や生死概念、人生の意味や歴史や宇宙の意味までも含めた総合的な哲学を持たなければ決して正しいアプローチはできません。米本さんは確かにジャーナリストとして常に基本に忠実な手法をとりながら、できるだけ客観中立的にその問題性にアプローチしようとしている点については高く評価されるべきものだと思います。
しかしあらゆる現象の核にある統一教会の教義に対してはじめから無関心(?)というスタンスの中では、やはり限界性があると(残念ながら)いわねばなりません。若年食口さんのそのあたりの批判についてもぜひ考慮されてください。そしてそのような批判にも目を向けながら、より深い研究を今後も続けられることを願っています。
はやしさんへ-方法論について
拙著の中でごく一部ですが、引用させてもらいました。
ところで、本題です。学問の対象として研究者が統一教会を研究する方法と、ジャーナリズムが調査する方法とは異なります。技術としての具体的な方法のことではなく、問題意識を含めた方法論に違いがあるのです。
クリサイデイスはあとがきの末尾にこう書いています。
「本書の内容が、健全な批評精神を保ちながら、統一教会の教義を理解することも可能だということを立証していればよいと思う。いずれにしても、この本が統一教会の信仰と実践を理解する手助けとなって欲しい。好きにしろ嫌いにしろ、どのような価値判断も、理解することになしには、正しい基盤を欠いたものになるだろうから」
これに対して、記者が書いた本として、あえて拙著『我らの不快な隣人』を持ち出せば、この本では価値観をめぐる親子の相克、その結果として水面下で行われてきた強制説得の実態を描くことにありました。
アカデミズムとジャーリズムとではそもそも方法論が違うのです。
クリサイデイスさんが調査・研究されている80年代後半、世界の統一教会を資金的に支えていた日本・統一教会の、いわゆる「霊感商法」(正しくは悪質商法)が社会的に問題になっていましたが、彼はこのことに触れていません。
だからといって、彼の本には社会的問題に対する視点が欠けているということはできません。方法論が違うからです。
テーマから外れますが、私が彼の本を読んで思ったのは、日本の研究者の怠慢でした。それと同時に、 日本の幹部教会員がほとんど読んでいないか、さらっとしか読んでいないことを知ったときは、ある種、カルチャーショックを覚えました。教会員の怠慢ぶりも問題だと思いました。
Re.方法論について
さすがです。頭が下がります。実は私は恥ずかしながら十数年前に手にして読もうとしましたが、途中で辞めてしまいました。この本を全文読破するためには相当の根気がいると同時に相応の知識もいるというレベルの高い書物だと思います。さすがに欧米の知識人のレベルは違うなと感じさせられました。しかもクリサイデイス氏の研究は日本のお隣の国の事情や背景についての正確な知識に基づいています。それに比べると(米本様は別にして)日本人の研究者のお粗末なことは比較にもなりません。
>、私が彼の本を読んで思ったのは、日本の研究者の怠慢でした。それと同時に、 日本の幹部教会員がほとんど読んでいないか、さらっとしか読んでいないことを知ったときは、ある種、カルチャーショックを覚えました。教会員の怠慢ぶりも問題だと思いました。
まったく同感です。米本様がいうように、おそらく日本の研究者はこの本を読んだこともないのでしょう。でなければ自らのレベルの低さに恥じ入るはずです。日本統一教会の幹部も実は読んでいないというのは事実そうなのかもしれませんね。但し、どの程度の幹部をさしているのか分かりませんが。もっと問題なことは統一教会に何十年も在籍している信者の中でも聖書を全文通読している人があまりいないということです。これは情けないことです。だから聖書に詳しい牧師たちに太刀打ちできないのだと思います。
>アカデミズムとジャーリズムとではそもそも方法論が違うのです。
それはその通りですね。偉そうに批判めいたことを書きましたが、本意ではありませんのでお許しください。ただジャーナリズムでありながらも、表面的現象を追うだけでなく、統一教会の教義にまで立ち入らなければ分からないことが多くあるはずです。だからそのような意味での関心をもっていただければと思いました。
残念ながら日本ではこのような知性は中々生まれてこないですね。
統一教会の緊急記者会見についてのコメント(1)
「ニュース(8)」 「ニュース(9)」「ニュース(10)」「ニュース(11)」で、徳野会長が引責辞任を発表したときの記者会見の全容と、それを報じた新聞記事を紹介した。
ここでは私の感想を述べておく。
「統一教会考」のカテゴリーで書くことにしたのは、記者会見は「統一教会を考える」うえで重要な材料だと思うからです。
統一教会はいったい誰に、どういう理由で、謝罪すべきなのか
「ニュース(9)」の末尾で触れたことだが、私がもっとも疑問に思ったのは、信者の経済犯罪事件に対して、<教団中枢部(日本・統一教会の内部用語では「中心」)は、いったい、誰に謝るべきなのか>ということに関して、である。
日本・統一教会の「中心」が、法人が認可されてから初めて記者会見を開くことを決意し、そして陳謝するというのだから、いったい、誰に、なぜ謝罪するのかは、もっとも重要なテーマである。
声明文(会長冒頭発言)と記者との質疑応答で、これに関する発言を拾ってみる。
「世間をお騒がせし、多大なご迷惑をおかけしましたことにつきまして、教団の責任者として深くお詫び申し上げます」
「一部の信者の方が犯した違法行為のゆえに、その信者の方々が所属している教会にまで警察の捜査の手がのびたということに対しまして、社会をお騒がせしました。
このことに対して、日本の国民のみなさまに対し、そしてまた信者のみなさまの中には問題を起こしていない信者のみなさんがたくさんいらっしゃいます。そうした信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけたことに対して、私は教団の責任者として大変遺憾に思い・・・」
「統一教会には56万人の会員がいますけれど、問題を起こしていない大半の信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけしたという面において教団の責任者として道義的責任を感じ、・・・」
これらを読めば、世間・社会・国民・信者、整理していえば、日本の社会と統一教会員に謝罪するとしている。
そして、謝罪の理由は「教会に警察の捜査の手が延びたこと」で、(それがマスコミに大々的に報じられたことによって)「世間をお騒がせし」、(信者の個人的な犯罪なのにあたかも教会が組織的に関わっているような印象を与えたために)、事件とは関係のない多くの教会員に心配を与え、迷惑をかけたこと?だという。
このことに強いひっかかりを覚えたし、大いなる疑問を感じたのである。
統一教会系企業の「北玄」や「新世」などの経済犯罪事件に、統一教会が関わっていたかどうか。それについては、徳野氏が語る通り、捜査の行方を見守るしかない。ただ、何の端緒あるいは証拠がなく、警察が南東京教区の施設や教区長の自宅を家宅捜索(裁判所の令状が必要)するのは一般的に有り得ない?ことだけは付け加えておきたい(注1)
仮に信者個人の犯罪だったとしても、記者会見ではまっさきに謝るべき人に謝っていない。つまり、事件の被害者に謝っていないのだ。
部下がなにかの事件を引き起こした場合、テレビでよく記者会見が行われるが、それを見ればわかる通り、真っ先に謝っているのは被害者に対してである。
そのあとで社会、国民に謝罪する。
それが社会常識であり、社会的良識というものである。
この点で、組織中枢部の感覚は社会感覚と大きく乖離しているという印象を強く受けた。一言でいえば社会オンチなのだ。
今回の5つの事件は、新聞報道によれば、被害者が警察に被害届けあるいは告訴状を出したことによって発覚し、警察が捜査し、印鑑などの販売に携わった信者を逮捕し、そして略式を含め起訴したというのが一連の流れである。
印鑑などを買った人が警察に訴え、被害者・告訴人として「被害の訴えが真実かどうか長時間の取り調べを受ける」のは、とても勇気がいることである。言い方を変えれば、泣き寝入りで終わらせたくないほどそれだけ精神的に被害甚大だったということだ。ちなみに、12年間監禁事件の後藤徹さんは20回程度は警察と検察の取り調べに、そのつど会社から休暇をもらって応じたはずだ。
それなのに、「中心」(教団中枢部)は被害者に謝罪しなかった。事件のことに触れた教会員のブログを見ても、被害者に思いをいたすような記述は一切なかった。つまり、日本の統一教会は幹部信者から現場の信者に至るまで、印鑑などを売りつけられた人(一般市民)に申し訳ないことをした」という気持ちがないということなのである。
実に憂うべき問題だと思う。
この問題は、さらに深刻な問題を内包している。
口を閉ざした使用者責任
被害者は、たんに販売員から威迫され、困惑させられて印鑑などを購入した消費者というだけではない。どういうことか。話は少々迂遠になる。
統一教会は、会社や役所組織とは違い、徳野氏も一部触れているように悩める民衆の魂を救済することを目的とする宗教団体である。
一方、「新世」や「北玄」など警察に摘発された会社は、一般の会社と異なる「統一教会系企業」である。
ところで、これからの記述に大いに関係することゆえ、「統一教会系企業」という用語について言及しておく。
社長や社員のほとんどすべてが統一教会員という会社は全国に無数あるだろう。しかし、そうした企業を「統一教会系企業」と呼ぶことはできない。教会員(ひとりでも複数でも)が営んでいる街のパン屋さんがあったとして、またパンで稼いだ中から統一教会に献金していたとしても、それだけで統一教会系パン屋ということはできない。
反論する人がいれば、創価学会の例をもち出せば理解してもらえようか。
創価学会の会員は全国で800万世帯いる。パン屋や農業、自動車整備工場など、おそらく学会員が経営している会社の業種は、日本にあるすべての業種を含むだろう。
そうした会社を、いくら社長や社員が夜になるとお題目を唱えていようが、あるいは選挙が近づくと会社を休んで選挙活動に奔走しようが、私たちは「創価学会系企業」とは呼ばない。何らかの特徴づけをする場合には、「あそこの会社の社長は熱心な創価学会員さん」とか「創価学会の人がやっているパン屋」といった言い方をする。
会社のほとんどすべてが教会員といっても、それは「統一教会系企業」と呼べる必要条件でしかない。一時期、家庭教師を派遣する会社が「統一教会系企業」と噂されたことがある。おそらく、家庭教師の中に統一教会員が多くいたからだと推測するが、それだけで「統一教会系企業」とするのは、あまりにも短絡的で、差別的だ。
統一教会系企業と呼べる十分条件は、統一教会の目的、統一教会員に課せられた使命を会社の活動に取り入れていることである。(注2)
統一教会の目的とは、先ほど述べたように、民衆の魂の救いであり、仏教用語を使えば衆生を救うことである。その目的を実現するために、救いを求める人たちを統一教会に勧誘・伝道し、また摂理献金に寄与することが信者の使命である。(注ここでは信者の使命の是非は問わない)
事業活動を通して、教団の目的を実現し、教会員としての使命を果そうとする会社。こうした会社は「統一教会系企業」と形容しても、何ら問題ないと思う。
このような「統一教会系企業」の社長や社員また契約社員は、先に述べた伝道と献金という2つの使命を果すために日夜、活動している。そのことは、現役の信者なら誰でも知っていることだ。
ところで、伝道と献金は密接不可分な関係にあるが、<誰に、なぜ、なにを謝罪すべきなのか>を明かにするには、2つの使命を分けて別々に考えたほうがわかりやすい。
統一教会系企業は、社員一丸となって印鑑などの宗教グッズを販売し、献金に寄与してきた。
このこと自体、何ら法律に反する行為ではない。宗教グッズであろうが、宝石や絵画、着物であろうが、はたまたパンであろうがパソコンソフトであろうが、そして目的が献金のためであろうがなかろうが(つまり、目的そのものに違法性がなければだが)、正常な商品販売(正当な売買)であれば、何の問題もない。
印鑑販売自体に<何か問題があるのでは>と思っている教会員は少なくないようだが、それは、正体を隠して販売することに後ろめたさを感じているからだろう。
問題なのは、商品の販売過程あるいは献金させる過程で、違法行為があったかどうかだ。
これについては、今回の事件だけでなく、すでに多くの民事裁判で、そうした過程に畏怖・困惑・威迫があったとして統一教会系企業、信者社員はことごとく敗訴している。
数々の判決文では、信者個人の責任にとどまらず、宗教法人・統一教会そのものにも「使用者責任」があると認定されている。すべての判決文を読んだわけではないが、ここ数年の判決文で「使用者責任がない」としたものは一件もなかった。(『我らの不快な隣人』387頁の<注15>を参照)
実際、記者会見でも強調されていた3月25日の通達文「教会員の献金奨励・勧誘活動及び
ビデオ受講施設等における教育活動等に対する指導について」でも、次のように書かれている。
「これまで当法人を被告とする一部の民事裁判等において、伝道や献金勧誘行為に関わる教会員の行為が不法行為と認定され、当法人に使用者責任が認められてきました」
使用者責任を自覚しながら、記者会見で口を閉ざしたのはなぜなのか。
おそらく、使用者責任を認めてしまうと、現在の係争中の裁判、今後の裁判で不利になると心配したからなのであろう。それにしても、マスメディアの記者が「使用者責任」のことを追及しなかったのには驚くというより呆れてしまった。警察発表ばかりに頼り、独自取材のみならず、ネット検索さえしなかったということなのだろう。
話は大きく横道にそれるが、私がどういう経緯で記者会見を傍聴することができたか説明しておく。コメント欄でも疑問の声があがっていたことだ。
私は、新聞記事にたびたび載った、「事件は信者個人が勝手にやったことであり、当法人とは一切関わりがない」といった官僚的で冷たい教団のコメントを読んで、やるせない気持ちになった。
<こんなコメントを出し続けていれば、統一教会は完全に地に墜ちてしまう。社会から石もて追われることになる。そうなったら、取材で知り合った、統一教会を改革したいと思っている教会員たちはどうなるのか・・・>
そこで、拉致監禁問題を通して知り合った教団職員に、「とにもかくにも記者会見を開いて謝罪することが必要だ」と訴えた。その後、どういう経緯で記者会見を開くことになったのかは不明(おそらく文鮮明氏の企業分野の後継者で、事件後に日本担当となったという文国進氏の鶴の一声だったのではないか)だが、教団職員から「急遽、記者会見をやることになった」という連絡が入った。
当然のことながら、私は記者会見の参加を求めた。しかし、記者会見には新聞、テレビの記者しか呼ばないという。交渉の結果、私は質問は一切しない傍観者(社会学でいう参与観察者の立場)として参加が認められたという次第である。
説明が長くなった。話を戻す。
徳野氏(というより「中心」のある一部)は、記者からの使用者責任に関する質問があることを想定し、それに対する回答も用意していた。
「信者の方々の私生活全面、経済活動にまで監督指導する立場にはございません」
「当統一教会も信者の方々の信仰指導 そして教育、伝道問題、これを監督指導してまいりました。
したがいまして、個人の信者さんの全生活、プライベート一切、あるいは経済活動、その他を含めてすべてを教団が指導監督する立場にございません」
咄嗟に反論の質問を思いつかなかったのか、この徳野氏の回答はそのまま受け入れられてしまった。実際、活字にして読み返しても、一読すれば<確かに、教団は信者の私生活まで監督する義務はないよなあ>と思ってしまうだろう。
しかしながら、これまで読んでこられた聡明な読者は、この回答にはまやかしがあることに気づかれたと思う。
先の例えをもち出せば、統一教会員がパン屋を営むという経済活動について、教団が指導監督する立場にないのは当然のことだが、
信者の使命を果すことを目的の一つにしている「統一教会系企業」、そうした企業から、直接かどうかは不明だが、少なくとも社長や社員から印鑑販売で得た売り上げの一部を献金として受け取っている教団とすれば、「統一教会系企業」には指導監督する立場にあるのである。
徳野氏は事件の原因について尋ねられると、こう答えている。
「たとえば特定商取引法はどういうことをしたら引っかかるのか、どういうことをしたらそれが違法になるのか。その正確な知識がない。そういう部分において足りない部分があったのではないかと分析しております」
信者個々人の勉強不足というわけだが、教団中枢部には「特定商取引法について啓蒙する義務」は間違いなくあった。なぜなら、前述したように、数々の民事事件では商品販売の過程に違法性ありと、何度も繰り返し指摘されていたからだ。
それに、教団には法務部(現在法務局)というセクションもあったのだ。
法務担当者は、判決を踏まえ、統一教会系企業の責任者を集めて、勉強会などを開く義務と責任があった。それが社会常識というものだ。彼らの怠慢によって、10数人の信者が「前科」の経歴を背負うことになってしまったのだ。
正式に起訴された「新世」の社長と部長は、ムショに入る可能性もある。(おそらく求刑は最高刑の懲役2年)。
そうした義務と責任を教団中枢部が果さず、「信者の勉強不足」と切って捨てるのは、あまりにも傲慢だし、無責任だし、官僚的だ。コメントで批判された乱暴な言葉をあえて使えば、「ウルトラ無責任集団」と批判されてもしかたがないだろう。
販売員信者に、私腹を肥やした事実があるなら、突き放した物言いがあってもいいだろうが、彼らは信者としての使命を果そうと、印鑑販売に精を出してきたのだ。
正直、官僚組織特有の冷たさを感じた。
徳野氏は記者会見の後半部分で、「国民からほんとうの意味で信頼される模範的な宗教団体」になるように努力することを宣言した。それだったら、違法行為に教会が関わっていないにしても、指導監督責任を認めて陳謝すべきだった。それが改革の第一歩となるはずだったのに、と思うと残念でならない。(注3)
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救いを求めてきた人たちを裏切る行為
記者の質問に、あくまで信者の方の個人的な、ってことですですけど、警視庁の調べでは、印鑑販売のときに勧誘なんかもしたとなっていますが、実際にそうした勧誘で信者になられたんであれば、組織的になされたんではないかと思うほうが一般的ですが、その点についての説明をいただけますか」というのがあった。
これについて、徳野会長は直接答えなかった。
話を、先に述べた信者のもう一つの使命、伝道のことに進める。
私は以前、印鑑の訪問販売を行っていた信者(教会長代理クラス)に、印鑑販売と勧誘との関係を聞いたことがある。詳細な話は省略するが、次のように語ってくれたことがとても印象的だった。
「興味を示してくれる人はみんな悩みを抱えている人たち。そうした方とはだいたい4、5時間ぐらいは話す。それはその方と親しい関係をつくって、いずれ伝道しようと思うからです。
たんにお金が目的だけなら、バカバカしくて印鑑販売なんかやってられませんよ。教会員になってもらい、その方の運勢とか人生とかが好転することを願って、印鑑販売をやっているんですよ。
どんな悩みか?一番多いのは、夫婦関係、家族関係ですね。あとは子どものこととか」
印象深かったのは、たんに金儲け(献金実績をあげる)のためではなく、彼なりに悩める人と真面目に向き合おうとする姿勢に対してであった。
このことは、「新世」や「北玄」の販売員にも言えることだと思う。彼ら彼女たちもたんに印鑑販売による売り上げだけが目的で、通行人に声をかけていたわけではなく、悩める人たちを救いたいと思っていたはずだ。
と、今回の事件はどういうことになるのか。
印鑑を買った人・買おうとした人たちは、夫婦や家族関係などなどに悩み、救いを求めてきた人たちである。そうした人たちが警察に被害届けを出し、告訴した。
つまり、救いを求める人たちを、統一教会員は裏切るだけでなく、傷つけたのである。
まさに宗教者として万死に値することではないのか。
今回の事件の本質は、信仰レベルでいえば、特定商取引法に違反したかどうか、組織的関与があったかどうかといったことにあるのではなく、救いを求めてきた人たちを宗教者が裏切ったことにある。
そうであれば、記者会見では被害者・告訴人たちに真っ先に、救いを求めてきた人を裏切ってしまったことに対して、謝罪がなされるべきだった。
記者会見で、誰になにを謝罪すべきかは、統一教会の「中心」(教団中枢部)で何度も話し合われたと推測する。
そのときに、組織防衛の視点のみで、宗教者としての本質、「魂の救い」という視点は欠如していたのではないか・・・。
「中心」ばかりではない。教会員のブログでも、救いを求めてきた人たちのことに言及した記述は一切なかった。
「為に生きる」という言葉が大好きな教会員は、その実、人を傷つけたことには無頓着。なんと寒々しいことか。
信者が勧誘数や献金額を競うのは悪ではない。しかし、その過程で救いを求めてきた人たちを裏切ることは、「信仰者として、絶対にやってはいけない」(ある教団の声)最悪のことである。
統一教会の上から下まで、悩める一般の人の魂を救うどころか逆に傷つけてしまったことに、誰も気づいていないのだ。
ここに、統一教会には深刻で、抜本的に改革しなけなればならない問題が横たわっていると思うのである。(注4)
(注1)日本の治安を守ることを責務とする公安警察が、なぜ、数100万円単位の経済事件の捜査に乗り出したのか。反統一教会を含め関係者の間で話題になったが、近く出版されるムック本『(仮)宗教と事件』(学研)で、そのことに触れておいた。
(注2)全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の弁護士や、牧師を含め反統一教会陣営の人たちも「統一教会系企業」という用語を頻繁に使うが、はっきり定義した上ではなく、イメージ的認識のもとで使われているように思える。
「統一教会のダミー組織」という表現もそうだ。なにがダミーなのか説明抜き。あまりにもレッテル的使用方法だ。
世界平和女性連合(日本の会員数1万5000名、うち半数は非統一教会員)にも、全国弁連は「ダミー組織」のレッテルを張っている。
同連合は本部をニューヨークに置く、国連・経済社会理事会の諮問資格を有するNGO。総裁は文鮮明氏の妻、韓鶴子氏、世界会長は文蘭英氏。同副会長は6人いるがそのうちの一人は日本会長を兼務する、日本・統一教会の初代会長の妻、久保木哲子氏である。
アフリカでの学校建設を支援したり、里親制度、奨学金制度を開設し、世界の恵まれない子どもたちを支援するなどの活動を行っている。
ダミーとは「実物のように見せかけたもの」(広辞苑)を指すが、どうして活動の実態がある世界平和女性連合が「統一教会のダミー組織」なのか。どう解釈しても理解できない。
全国弁連が統一教会を叩きたい、その一環として世界女性平和連合の影響力を削ぎたいとするのは理解できる。それなら、レッテル張りではなく、実物そのもの(世界女性平和連合)を、批判すべきだろう。あまりにも非理性的だ。
(注3)教団は「使用者責任」を認めず、違法行為を信者の責任のみに帰した。
「ニュース(11)」にコメントされた「諸行無常」さんの表現を借りれば、ヤクザの親分が覚醒剤の売買で捕まった子分のことを、「あいつは覚醒剤に対する認識が欠けていた、覚醒剤取締法のことを勉強していなかった」と記者に釈明しているのと、構造は同じである。
今後、内部で大きな問題に発展する可能性がある。あとで触れることにする。
(注4)魂の救済に反するような行為は統一教会だけで行われているわけではない。既成宗教を含め、多かれ少なかれ、セクハラ、差別的言辞、信者の訴えの軽視ないし無視など、魂の救済を求める人たちを傷つけている。日本に宗教が根付かないのもむべなるかな、である。
<謝罪&謝辞>この一文を書いている最中に、実に多くのコメントをいただきました。コメントしたくてもできずに申し訳ありませんでした。
統一教会の問題点の一つは透明化、情報公開に欠けていることであり、コメント欄への投稿はそのまま統一教会の改善(「国民から信頼される模範的宗教団体)につながることだと思います。新しい情報の提供、また批判?反批判の繰り返しによって(ただし前向きな議論)、感性的認識から理性的認識へと、認識はより深まっていきます。今回のブログに対しても、コメントを寄せていただければうれしいです。
続く
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