統一教会・徳野英治?引責辞任の記者会見?
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統一教会の緊急記者会見について(4)
●記者との質疑応答(下)
■?今日、配られた資料(会場入り口で配られた、「拉致監禁をなくす会」が制作したビラ)の中にある件について、もう少し詳しくわかればと思いまして、それから今後こういうことについて、会長はどうご指導をされるのでしょうか。(統一教会系新聞の記者)
(渋谷区松濤にある日本・統一教会の本部ビル)
徳野 お手許にお配りいたしましたのは、後藤徹という統一教会の信者の拉致監禁事件の資料です。
なんと、12年間拉致監禁されていました。
新興宗教団体である、マイナーな組織であると、それだけを理由で、基本的人権が認められない、人間の基本的な人権として一番尊い信教の自由が侵害されている。
具体的に申しますと、信者の方々の親御さんが煽動して、一部の反対牧師、統一教会に対して非常にネガティブな考えをもっておられるキリスト教の一部の牧師さん、そして一部の統一教会に反対している弁護士 さん、そして暴力改宗屋と言われる、そこには宮村峻という名前がでていますが、暴力改宗屋と言われる、それを生業にしている人、それを職業にしている人、
そうした人たちが親御さんを煽動して、統一教会の信仰をやめさせるにはこの非人道的なやり方しかないんですよ、と。
マンションに閉じ込めて鉄格子の中で南京錠をつけて、朝から晩まで自由を剥奪して統一教会の悪口を言い続ける。
なかには殴られた信者もいます。
そしてなかには女性でレイプされた女性もいます。
そしてなかには、一番悲惨なのは拉致監禁中に思い余って 自殺までした女性がいます。それは、1997年、ちょうど奇しくも今日7月13日が13回忌の命日となります。このような事実が存在している。
民主主義国家である日本において、残念ながらマイナーであるというだけでそれだけで、多少社会的評判が悪いというそれだけで、信者に対する拉致監禁が許されているという事実に対して、私は何としてでも、国民のみなさまにも、メディアの方にも事実を知っていただきたい。
私も今後は一信者になります。
私が会長時代、大変申し訳なく思っていますことは、4000名近い信者が拉致監禁されまして、それに対して、十分に有効な手だてなり解決策を取ること(が、できなかった)。
ある意味において、信者を奪われて、その受け身の立場をただ甘受してきたような、そのような面において私は大変責任を感じております。その面においても私は辞任に値するんではないかと思うぐらいに、全国の統一教会の信者のみなさま、ならびに拉致監禁されたメンバーに対して、申し訳なく思っています。
この問題をこれから一つのライフワークとして、信教の自由、統一教会に関しては現実には守られてはいない。この現実を国民のみなさまに訴え、何らかの形で、私は微力ながら、努力をしていきたいと考えています。
■?全国でおなじような事件が起きているのを見ると、統一教会に献金するために経済活動が行われているということではないのですか。事件の背景には献金があると。
徳野 統一教会に反対するグループが、統一教会にはたえず信者の方々に対する強制的ノルマがある、献金ノルマがあると、大変大げさに吹聴しています。
しかし、事実は大変違います。
あくまで、宗教法人・統一教会は信者個々人の自由意志に基づいて献金していただいている。
もちろん、教会の指導者が奨励するための激励はいたしますけど、強要とかノルマとかいうものは存在していません。
したがいまして、あくまでも信者の一人ひとりの自由意志、意欲によって献金はしてただく。このように指導しています。
ぜひ誤解ないように、事実と噂がだいぶ違うということを、この場を借りてお伝えしたいというふうに思います。
■?人事に関して、文鮮明さんからのご指示はあったんでしょうか。
徳野 新しい会長のお名前は梶栗玄太郎と申します。
この(人事の)経緯は先月の末、辞任するか否か、個人として正直悩みました。
そして、熟慮した結果、辞任の決意を固めました。
7月2日の当法人の役員会におきまして、私の辞任の意思をお伝えいたしました。そして、当法人の規約通り、私が新しい会長を推薦いたしました。
梶栗玄太郎新会長は統一教会の長い信仰 をもった 大先輩であられます。
全国の信者のみなさまからも信頼が大変篤い、そして豊富な経験と経歴をお持ちです。
この方が一番ふさわしいと推薦申し上げました。それが7月2日の理事会で承認されました。
そして、明日7月14日 交代式がございます。
交代式以降、梶栗新会長を中心として、私も熱心に進めてきたつもりですが、教会組織の改善とくにコンプライアンスの問題を強調するそのような教会組織、あるいは信者の方々に対する指導を、指導強化を梶栗新会長に申し入れる。
そして 引き継いでいただいて。国民からほんとうの意味で信頼される、模範的な宗教団体として大きく飛躍していっていただきたいと期待しています。
もちろん、文先生からは新しい新会長への激励の言葉、また私に対しては ご苦労でしたとその苦労を労うようなお言葉がございました。
■?会長が辞任されるのは、全国で相次いでいる特定商取引法事件を受けてということでしょうか。
徳野 私の辞任の最大の動機は、信者個人に対してあくまで宗教法人として 信仰指導を監督指導する、と。個人の経済活動については監督指導する立場にはないことではありますけれど、残念ながら信者個人の行動における事件といえども、信者の方が所属していた教会に家宅捜索が入った。
(それによって)日本社会全般にわたってご迷惑をおかけしたご心配をおかけした。また統一教会には56万人の会員がいますけれど、問題を起こしていない大半の信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけしたという面において教団の責任者として道義的責任を感じ、自らの進退を辞するという形で、私の良心と誠意を示したいと。そのように考えました。
■?教団施設に家宅捜索が入ったということは 信者の個人の行動であるけれども、責任を感じるということか。
徳野 教会の施設に捜査が入ったことは本当に、大変悲しい出来事であった。
信者個人による事件であることは言うまでもないんですけど、信者の方の自覚と責任が十分でなかったということでありまして。
そのことに対しても、教団のトップとしても道義的責任を感じて辞するというようにご理解していただければと思います。
最後にもう一言だけ。
これから新会長を中心として、みなさまのご批判も賜りながら、それを真摯に受けとめて、全国民から尊敬され、模範的な宗教団体となれるように精一杯、努力してまいりますので、これからよろしくお願いいたします。
以上が「記者との質疑応答」の全容です。読者のみなさんはどんな感想をもたれたのでしょうか。反統一教会の人たちは、事実を隠蔽したやりとりだ、記者の質問は手ぬるいと思われたでしょうし、信者の方にとっては回答の一部に赤面するところもあったのではないでしょうか。
記者会見の解説・コメントは次回 (カテゴリーは「統一教会考」)、書く予定ですので、ここでは一言だけ。
教団本部は、一連の経済事件について国民ならびに信者に謝罪されたわけですから、ぜひ記者会見の内容を公式サイトに公表し、誰もが読めるようにしてもらいたいと思います。「批判を賜りたい」と発言されたのだから、記者に述べた考え方をオープンにしなければ批判を賜ることはできません。
なにはともあれ、とにもかくにも、情報を公開することが統一教会を改善する「はじめの一歩」になると確信しています。
謹告! 記者会見の質疑応答をサイト等で引用されるのはかまいませんが、その場合には、必ず、出典(当ブログのURL)を明記してください。
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コメント
では、全くないのか、というとそうも言いきれない。徳野会長の御発言の中の「教会の指導者が奨励するための激励」というのがどの程度ものもかというのがキーポイントでしょう。その地域の責任者の激励の強度は人によって違うでしょうし、同じ強度の激励を受けても、私のようにできないものはできないという態度を取る人もいれば、そういう態度をとれない人もいるでしょうね。
あったのかなかったのか、私の解釈では、断っても信者として除名されたりするわけではないので、できないものはできないというべきだということになりましょう。しかしながら、そうでない性格の人もいるのだから、あったともなかったとも言い切れない。しかし今後は徳野前会長の発言の中にあるように、会員個人として判断するということなので、はっきりものをいうという姿勢で臨めばいいと思います。
とはいうものの、大変な献金をさせられているという社会的イメージはあるわけですから、もしそうでないというのが事実であるならば、これを払しょくしてあげることが、今後の教会の行うべきことではないでしょうか。
現役信者としてみていても、統一教会会長の意向がどこまで伝わっているのか、不明なところもありますね。複雑な組織で、韓国人責任者がトップで、次に日本統一教会会長、次の地区長は日本人であったり韓国人であったり、そのもとの教区長以下も、サンドイッチ状態ですから、統制を取るのって結構難しいですよ。だから、徳野前会長も改革の志半ばで辞任という道をとったのではないか、という推測もできます。「私も今後は一信者になります。」それが一番いいかも知れない。自分のできる範囲の所から、変えるべきところを変えていく……等身大の活動が、一番やりやすいと思います。今後は徳野前会長ではなく、徳野兄弟として、頑張ってください。
とはいえ、統一教会がこの米本さんの教えてくださった記者会見での会長としての公式発言に基づいて、どう変わっていくのか、注目は致しております。
次なる米本さんの解説文に期待します。
弁明と現実のはざま
答えが普通でしょうから。やくざの組長が警察の手がはいったので今後組員には覚せい剤には手をださないように強く指導します、もともと組はそれは扱はないことになっていますといっているのと変わらない感じです。献金も
幹部たちには強制はするな恐喝まがいのことはするなと指導しているのですがといっているのとかわらない。しかし現場はどこ吹く風でノルマ達成になりふりかまわずというところでしょうか。今後各教区教域がこの指示をどう解釈して実践していくにかがキーになるのでは。
あなたが居た意味は?
「自分は記者じゃないから発言できなかった?」と答えられるようであれば、始めから参加しなければよかったという答えになりますから、なにが都合のよい言い訳になりますかね。
米本さんは、記者会見でなにも発言しなかったということは、正直「拉致監禁を無くしたい。」と本気で思っていらっしゃらないということですかね?
こんなに沢山事実を書いても、あなたがいた意味を明確に出来なかったら空しいだけの文章に思います。
記者会見
徳野会長は辞任ではなく人事だったんじゃないでしょうかね。辞任したと記者会見をし、そのすきに拉致監禁を持ち出そうとした下心が見えます。
拉致監禁は基本的人権侵害の大問題です。それ自体で記者会見をすべきだったのではないでしょうか。
信者の商法程度の犯罪でなんで会長が辞任する必要があるのでしょうか。
子供だましの記者会見では報道する価値がありません。
献金が問題なら献金の使い道を正々堂々と発表すれば良かったと思います。
統一教会の献金はノルマじゃないなんて嘘を言わないで、この金をこのように使っているんだと確信を持って信仰を持って言うべきだったんじゃないでしょうか。
Re:記者会見
>信者の商法程度の犯罪でなんで会長が辞任する必要があるのでしょうか。
やはり霊感商法の問題だと思いますよ。世間的には、霊感商法で信者を引っ張ってきたとみられる統一教会の会長が、辞任するなんておかしいのではないかとみられるのは当然だと思います。
しかし、統一教会会長の名義でいくらガイドライン等を出しても、従う人もいればそうでない人もいるということではないかと思います。また最終的には従うにしても、駆け引きする人もいると思います。
若い会長が(といっても50歳を過ぎた方に若いというのは失礼だが)古株の幹部に指示を出すというのは、とても大変なことだと、ずっと現役信者として見ていて思うこともあります。
徳野前会長としては、必死に指導してきた。でもなかなか行き渡らない。いっそここで若い自分が勇退して、日本統一教会の礎でもあられる方に会長職をお願いしたほうが、改革はうまくいくとお考えになったのではないか、と推察しています。
しかし、たとえそんな内輪話があったとしても恥ずかしくて言えませんよね。
問題は、統一グループの企業群に、世界中で展開している摂理に対応するには資金供給能力が不足している、もっと言えばほとんどない、ということだと思います。
そして一般会員も少ない……必然的に一人一人に商品を買っていただいたり献金をお願いするそのお願いの強さが強まってしまう、ということだと思います。
今こそ現役信者(私もそうですが)が社会的に問題のない形で家計の収入を増やし、企業グループの方の経営陣の方たちも知恵を絞って魅力的な商品開発に取り組む、その努力を強化していくときだと思います。もう後がありませんからね。
貴方のコメントを見て思いますが、米本さんについて、考え違いをしているように思います。
米本さんは、食口ではありません。ご存じなかったのでしょうか?
米本さんの「我らの不快な隣人」はお読みなりましたか?お読みなったならば、米本さんのスタンスは一目瞭然です。統一教会についての全てをよしとしているわけではなく、今まで黙殺されてきた拉致監禁という事実を知り、法治国家日本で行われてきた蛮行に対して渾身の取材をされての内容です。
米本さんはジャーナリストとしての信念に基いて行動され、発言されているわけで、あたかも統一教会側の人間ととらえているかのような非難はお門違いと思います。
そればかりか、米本さんのご意見は統一教会の将来を憂いての内容と思います。外部の方からこのようなご意見をいただけることが統一教会にとってはどれほどありがたいことでしょうか。一般社会がどのように統一教会を見ているか、客観的に見ることができなければ、ますます社会から隔絶された統一教会になってしまいます。
会見について
確かに徳野会長の言葉には歯切れが悪く不明瞭な部分が見受けられますが、それでもわたしは会長として精一杯の表現であったのだとみています。会長の誠実さは言葉だけでも十分に伝わってきました。少なくともこのような場を設定したことは勇気ある行動であり、いままでになかった決意の現われでもあると受け取りたいと思います。
但し、問題はその決意が本物であるのかどうかが今後に問われているということです。ただ単にガス抜きのようなものにすぎないのであれば統一教会に対する世間の風当たりはかえって悪化するでしょう。その点を幹部をはじめすべての教会員と信者がよくよく自覚しなければならないと思います。統一教会はいまこそ本当に生まれ変わらなければならないと思います。
徳野会長が会見の場で拉致監禁問題を持ち出したことについては、米本氏も指摘しているように確かに唐突な感じがするかもしれません。しかし徳野会長がこの問題に対して統一教会本部がこれまで十分な対応ができなかったことに(会長としての)責任を感じていると表明したことは非常に評価に値するものです。それともうひとつ「(統一教会員が)マイナーであるという理由で彼らの基本的人権が認められない」という表現は胸に突き刺さりました。これは逆に集まった記者達に対して投げかけれらた鋭利な意味のある言葉です。日本の社会は過去(統一教会にかぎらず)部落民や朝鮮人というマイナーな人々に対して差別を行ってきました。これは日本人の最も恥ずべき性向であり、記者達もその言葉にある種の衝撃を感じたでしょう。米本氏の意見とは異なりますが、その場であえて徳野会長が記者達に対して投げかけたボールはあまりにも重いものです。そのボールをどのように受け留めるのかということは、彼ら自身に問われているのだと思います。その意味でも拉致監禁問題に対する発言は意味のあるものであるとわたしは評価しています。
食口の恥さらし!
そうカイン的にならずに。
ここに書くのはお門違いかもしれませんが・・・
あなたは食口でしょうか?
そうだとするのなら、兄弟姉妹を裁かないであげてください。
朴正華に対して、アボジがどのようにされたか考えてみてください。
北朝鮮から彼を負ぶっての決死の南下は、食口ならば誰でも知っていることでしょう。
それなのに、朴正華は「六マリアの悲劇」でアボジを裏切った。
だが悔い改めて、「私は裏切り者」の執筆など、アボジの元へ戻ってきた。
そのとき、アボジは彼を快く受け入れた。
そしたらまた彼は裏切った・・・
それでも、アボジは朴正華に対して非難も恨みも抱かなかった。
むしろ、彼のために祈ってあげたりしたことだろう。
当方はその後の朴正華のことは存じないが、アボジが彼に対したように、反牧や反対弁護士にも接していけたらと思う。
いわんや食口をや、です。
SAKAさん自身、ブログで
「そんな願い(神の願い)があるとしても、実は私は個人的にはとてもサタンが好きな人間です。」
と書いています。
自ら「私はカイン的ですよ~」なんて主張しちゃってるわけです。
だったら、カイン的な彼に対して、より心情的にアベルの位置に立っているものが、彼がカイン性を脱ぐことが出来るように、意識してあげるのが筋ってものです。
でもまあ、み言を知っている食口に対してはそれでいいかもしれないけれど、対外的にはそういう態度は理解されないもの。
だから、反対派にやり込められている感があるのかもしれないですね。
そして多くの恨を持った方もいるのではないでしょうか・・・
それは悲しいことです。
でも現実的に考えると、これからは対外的にもどんどん発言し、場合によっては私たちも、米本様のように「沈黙は腹ふくるる技なり。」ってことで、「透明性」を確保しつつ自己主張をしていくようになっていかなければならないでしょうね。
まあ難しい舵取りですが、頑張りましょう!
卑怯
ご自身のブログに他人の批判を書きまくっているくせに、反論を書き込めない状態にしているのは卑怯です。だから仲間内からも「恥さらし」と言われるのです。
とにかく、他人のブログには批判を書くくせに、ご自分のブログにはコメントを受け付けない、などという卑怯な行為は即刻やめてください。
これが何十年も信仰してきた人の行動ですか? だとしたら統一教会は卑怯極まりない集団ということになりますね。信仰の実りが「卑怯な行為」なのですから…。
どんな主張をすることも自由ですが、最低限のモラルは持ってください。批判をする者は批判を受け付けるようにすること、つまり批判ブログにはコメント欄を設けることは、最低限のモラルです。
(米本さん、下らない話ですみませんでした。しかし、阿呆にはこれくらい言わないと分かりませんので、あしからずご了承ください。)
卑怯、恥さらし、あほ
どうしてもSAKAがおかしいといわれるのであれば裁判でも起こしてください。
ニュース(7)にSAKAさんあてのコメントがアップされてますので、確認してください
早く、ブログのコメント欄を開放してください。私はあなたに言いたいことが山ほどあります。あなたへの批判を米本さんのブログに書くこと自体が、異常な事態なのです(米本さん、すみません)。
ちなみに私は、統一教会員でも拉致をなくす会の会員でもありません。「カルトの子」以来、米本さんの本を愛読している一ファンにすぎません。
だから、米本さんを悪く言う人は嫌いなだけです。嫌いなので、あなたをたくさん批判したいのですが、あなたのブログのコメント欄が閉じられているので「卑怯」だと言っています。
今日中にコメント欄を開放してください。
http://uc-wakayama.org/archives/564
非常識なるブログ
>ご自身のブログに他人の批判を書きまくっているくせに、反論を書き込めない状態にしているのは卑怯です。
>どんな主張をすることも自由ですが、最低限のモラルは持ってください。
仰られる通り、こんなことは、信仰云々以前の問題であり、まともな神経の持ち主であれば、誰でも分かる至極当然の道理なのです。そんな子供でも分かるような道理すら分からず、あまつさえ、あたかも居直り強盗のごとく、「裁判でも起こせ」などと全く見当違いのことをほざいている。それこそ、自己批判能力が完全に欠如した救いようのない“ど阿呆”です。精神年齢が10歳未満の“ガキ同然”です。
また、彼は、自身のブログで「行動が伴わない評論家は腐るほど居られますが・・・」などと、のたまわっているが、世のため人のためになる“善なる行動”ならばいざ知らず、あのような、恥知らずブログを公開していること自体、「百害あって一理なし」の“悪辣なる行動”以外の何物でもない。あのブログには、本人の独善的性格が露骨に現れており、彼がのたまうところの“腐るほどいる評論家”の“数万倍、数億倍”もの害毒を垂れ流す代物なのです。
若年食口様
>あなたは食口でしょうか?
そうだとするのなら、兄弟姉妹を裁かないであげてください。
とのことですが、明らかに道を踏み外した行動を見て見ぬふりをするのが、食口のあるべき姿なのでしょうか?
米本さんご指摘の「教団中枢部はバカそのもの、社会オンチ、マスコミ音痴、脳味噌がナメクジ状態、ウルトラ無責任集団、どんな悪罵を投げかけても足りないほどにトンチンカンなんのである。」という件は、確かに言葉は乱暴過ぎますが、紛れもない事実です。
もちろん、教会幹部のみならず、我々食口全員が猛省すべきことなのです。明らかなる過ちがあっても食口同士で率直に指摘することもせず、人倫に反するような行動であっても、“アベルの指示だから”と称して無批判に従い、いわば、確信犯的な自己責任転嫁ともいうべき愚行を繰り返してきたわけです。それが今日の事態を招いたものであるということを、まずは率直に認めるべきなのです。
かのブログは、そうした食口自身の自己反省の機会を奪い、相変わらず、世間一般の常識からかけ離れた独善的な思考状態に繋ぎ止めておくという、有害無益なる効果しかもたらさないのです。
極端な例ですが、統一教会は、オウムのようにサリンを撒いて、この世の人間を滅ぼしてから天国を造るわけではないのです。統一原理と統一運動の理念をあまねく行き渡らせ、もって、神のみ旨である天一国創建の理想を実現せねばならないのです。そして、その実現の責任を担っているのは、他でもない我々食口なのであり、我々自身が一人一人根本的に悔い改めて再出発せねばならないのです。
それゆにこそ、あのような恥知らずブログの存在は、その重大なる障害となるがゆえに、断じて許せないのです。管理人は、自らのスタンスを根本的に改めない限り、速やかにブログを閉鎖せよ!
米本さんの解説に期待する
呆れて、開いた口がふさがりません。
米本さんをさんざん批判しておいて、その記事をゴッソリ削除して、「ブログは継続いたします」だあ? そういうのを書き逃げというのだよ!
自分が信念(信仰)をもって書いた「米本さん批判」なのではないか。だったら、堂々と記事を掲載し続けるべきだろう。その代わり、コメント欄を開放しろと言っているのです。
好きなだけ他人の悪口を書いておいて、それを責められたらゴッソリ削除して、「なかったこと」にするのですか? ゲームをリセットする感覚で犯罪をおかす子供たちと同じですね。
こんな人間を生み出してしまうなんて、やはり統一教会もカルトですよ! SAKAさんの言動をみても、そう結論付けて間違いないと私は確信しました。
今からでも遅くはありません。早くコメント欄を開放しなさい。
しかしWatcherさんの投稿は、意見ではなく中傷ですから、撤回して欲しいと思います。
Watcherさんの指摘に対して
もちろん、見て見ぬふりをして良い訳がありません。
ただ、発言に棘がありすぎると申しているのです。
神の視点(親の視点)で兄弟姉妹を見つめることは、食口として当たり前のことだと思います。(信仰初期にそのように教育されましたので)
だから、兄弟姉妹が誤った行動を取ったり、何か法律や人倫道徳から外れるような行為をした場合、正してあげるのが食口としてあるべき姿です。
ただ、その方法が問題だというのです。
米本さんは食口ではないため、乱暴な言葉を使うことに対して私からとやかく申し上げることはしません。
ただ、仮にもみ言に触れた食口が、そのみ言のとおりに兄弟姉妹に接してあげられることが出来ず、あまつさえみ言をもって他人を裁くような行為をとっていることが、神様を悲しませるようなことですら、あえて一言申し上げたまでです。
朴マリヤなど、許せぬものを許してきたのがアボジです。
果ては、1985~1992年の七年路程が失敗したことを受けて、そのようにしたことは皆さんご存知でしょう?
そういったアボジの摂理を失敗に追いやった人を、アボジ自身が許していくことを通してサタンを屈服させ、1999年にサタンは神の元へ帰った・・・(そこで大母様が果たした役割については良く知りませんが)。
私たち一人ひとりの背後には、まだ解放されきっていない悪霊人がいます。
彼らを解放するためにも、アボジのみ跡を慕っていきたいと思いませんか?
そのためにも、目の前の(画面の向こうの?)兄弟姉妹を大切にしたいものです。
引責辞任を歓迎します
大事なことをお知らせします。
この場をお借りして、大事なお知らせをさせていただきます。下記を見てください。読み終わったら戻るボタンでまたこの「火の粉を払え」ブログに戻ってきてあげてください。
http://rachikankin.seesaa.net/article/123849654.html
まだまだ苦難の道は続きます。みなさんも、お気をつけてください。
献金
そして、色々な展示会への動員目標とかも含めて、区域単位での目標も定められます。これらには期間が設定されています。
ここで、教会の責任者から、"義務である"とか"御父母様が言われている"とか"責任者も既に献金しました"とか言われた場合、素直な教会員たちは献金したい もしくは、献金しなければならないと当然思います。
また、"できない"と言えば、不信仰者になると思うし、"できると思えばできるし、できないと言った時点ですべてが終わる"ということもよく言われ、こういう言葉は否定できない内容です。また、献金しない人に対しては影で色々言われるという現実もあります。こういう状態で、"献金はできません"とはっきりと言えるでしょうか?
はっきり言う人もいますが、カイン的とか御父母様への心情がないとか信仰を失っているとかサタンに侵入されているとか言われてしまいます。日本人の性質からいっても"NO"とはなかなか言えないでしょう。これが現実です。ゆえに、言われるままにローンカードを作ったり、救いの条件になるという思いで、氏族にうそを言ってもお金をつくるわけです。そして、献金できない家庭は、後ろめたい心で教会から遠ざかってしまう人もいます。
はっきり言って、今まで逃げ道がない状況が続いてきて、現状では責任者も教会員も全国的に疲れ果てており、こういう状況で、警察の捜索、教会員の逮捕が起こっています。この逮捕は当然で、万物条件を立てれば因縁が晴れるという完全に間違った認識があったと思われます。(万物条件と因縁は全く別な話ですから)
ここにいたって、正直に献金に取組んできた人たちは借金まみれで動きがとれなくなっています。私もそうです。そして、皆、役事、奇跡を待っています。しかし、今までのように個人の事情より全体優先、摂理優先という考え方は、心情的にも社会状況的にももはや無理です。日本食口全体が責任者とも韓国側ともよく話し合うべきだと思います。神様と話し合いたいです。
今回のこと
Re:献金
私は献金も、いろんなイベントへの参加も、伝道も、礼拝参加も、会員としての“権利”であるととらえています。ですから、献金が望まれた額の満額できなくても、できる限り応じたい。たとえ献金ができなかったとしても、だれも私の礼拝参加の権利を奪うことはできない。責任者のだれ一人として私に礼拝に来るなということはできないし、いう人がいたとしても、私は礼拝に参加するでしょう。
もちろん、いろんな組織があって、私は一壮年だからそういう発想ができるのだとは言えるかもしれない。でも、その組織で生きていけないと思ったら、人事異動してもらえばいいのです。
もちろん、それは気持ちの上では簡単にできることではありません。私も献身者であったときには、責任者に相談した時、内ポケットに辞表をしのばせて相談しました。
それくらいの覚悟があれば、人事異動も認めてくださるでしょう。それに、献金が満額できなかったとしても、なるべく応えたいという気持ちは持っているのだから、信仰を失うことはないと思います。
私の永遠の命は、目の前にいるアベルに与えられたものではなく、文鮮明ご夫妻の主宰される祝福合同結婚式で文鮮明師ご夫妻から与えられたもの。だれも私の永遠の命を奪うことはできないのです。それができるのはただ二人。文鮮明師ご夫妻のみです。しかし、この方々も、神様の願いを思うならば、奪うことはできないでしょう。
目の前にいるアベルがどうであるからといって、信仰をなくすようなことがあれば、これほどもったいないことはありません。アベルには私の生殺与奪の権利はありません。まあ、あまりそんな考えを振りかざしすぎて、人に迷惑をかけてもいけませんが、できることからやるという精神でよろしいのではないかと、思っています。
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