統一教会信者の拉致監禁に対する警察の態度?
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統一教会考(2)
統一教会と警察(中)
「後藤12年監禁事件」は、「ニュース(1)」で書いたように、今年の2月に宮村氏ら6人が書類送検され、現在、東京地検が処分を検討している最中である。
すでに東京地検は約10回にわたり、後藤徹氏からの聴取を終えている。おそらく、宮村峻氏、新津福音キリスト教会牧師の松永堡智氏、後藤氏の母親、兄、兄嫁、妹の聴取も、終えたであろう。
「松永先生や宮村先生に説得に来てもらったのは事実だが、先生がお見えになるときは、鍵を開けて待っていたので、徹が拘束されていたことは知らなかったはず。いわんや徹の拘束そのものにはまったく関わっていらっしゃいません」
家族は自分たちが監禁に関わったことを認めても、2人の関与については上述のように徹底的に否認し、宮村氏も松永氏もその線に沿って供述したのではないかと思われる。
そして、家族は徹を監禁したのは、“邪悪な”統一教会から脱会させるためには「家族の愛情」としてやむにやまれぬ行為だったと、何度も「家族の愛情」を繰り返し、情状酌量を訴えた・・・。
粗末な食事しか与えず、場合によっては栄養失調で死亡する可能性もあったことを考えれば、「家族の愛情」論はいかにも説得力に乏しいが、それはともかく、この作戦で成功したのは、今利理絵氏が戸塚教会牧師の黒鳥栄 現行田教会牧師の清水与志雄を拉致監禁罪で刑事告訴した事件である。
結局、2人の牧師は不起訴、家族・親族は起訴猶予で終わっている。
根拠のないまったくの憶測ではない。
刑事ではなく、今利氏が提訴した民事事件のことだが、ある反カルト集会の帰り際、黒鳥、清水の代理人たちが「家族はともかくとしも、牧師さんたちだけは絶対に勝たせなければならない」と話しているのを小耳に挟んだことがあるからだ。反カルトのシンボル的存在、元東北学院大学教授の浅見定雄氏もその会話の輪の中にいたと記憶する。
東京地検がどんな処分を下すかはわからないが、起訴しても無罪判決となれば検察の失点となる。公判を維持できるような証拠力(供述調書を含め)が弱ければ、家族はともかく宮村氏と松永氏は不起訴処分にするだろう。
なにしろ、日本の有罪率は99・99%(04年)。
10年前のことだったと思うが、有罪率が99・97%に下がったとき、0コンマ以下にもかかわらず、検察内部で有罪率の低下が大問題になったほどだ。それだけ、検察にとって起訴した事件は何としてでも有罪判決を勝ち取らなければならないし、逆に言えば、有罪にならないような事案は起訴しない。(注1)
ただ、今利氏が告訴した99年当時と事情が違うのは、検察審査会の役割が大きく変わりつつあることだ。6月29日付産経新聞を読んでももらえばわかる通り、検察審査会の権限が大幅に強化され、検察の不起訴処分を不服として申し立て、審査会が二度「起訴相当」の議決を下せば、強制的に起訴できることになった。
検察の「不起訴処分」が審査会でどんでん返しになれば、これまた検察は赤っ恥をかく。いい加減な捜査で、いい加減に不起訴処分をすることはできにくくなっている。
検察の判断はともかく、私が返す返すも惜しいと思ったのは前回述べたように、後藤氏の家族と打ち合わせできないように、宮村氏の身柄を拘束したうえで、取り調べをしなかったことにある。
また、家宅捜索を行なっていれば、後藤氏の家族とのやりとりのメモ、謝礼金の記載がある通帳、また水茎会での勉強会の模様などの証拠物を入手できていたかもしれないのだ。
いっぱんに、脱会説得者たちは説得対象者ごとにカルテのようなファイルを作成し、保管している。家宅捜索していれば、「後藤徹のファイル」という動かぬ証拠を発見できた可能性もあった。
『我らの不快な隣人』383頁の注2で書いたが、家族が子ども信者(22歳)を脱会説得のために10日間、マンションに拘束したことを、京都地裁の判事は「違法行為」と認定している。91年の判決文である。(注2)
後藤氏が告訴したのは、10日間ではなく12年5カ月にもわたる監禁事件である。
なぜ、 身柄を拘束して取り調べなかったのか。
なぜ、宮村氏をはじめ関係者の自宅を家宅捜索しなかったのか。
どんなにその後、熱心に捜査したとしても、どうしても初動捜査への不信感がぬぐえないのだ。
(写真は行田の蓮)
話を本題、前回書いた疑問に戻す。
<現場の警察官は、こと統一教会信者の拉致監禁事件について、なぜ曖昧な態度を取るのか>
『我らの不快な隣人』では書かなかったが、実はこの問題で直接、警察官とやりとりしたことがある。
3年前の06年のことだった。
埼玉県の西武線の駅前のあるマンションに大学生が監禁されていることを確認し、所轄の警察署を訪問し、こう詰問した。
「大学生が駅前のマンションに監禁されている。警察は即刻、事件を解決すべきではないか」
応対してくれたのは刑事課長。階級は警部の上の警視である。
なんと驚いたことに、警察は監禁のことを知っていた。
「お父さんからマンションに子どもを隔離して親子で話し合いをするという事前の連絡がありました。隔離というのは、お子さんを統一教会と接触させないという意味だと聞きました」
「あなたも父親なら、お父さんの気持ちはわかるでしょ? 私だって、子どもが統一教会に入ったら、同じようにするかもしれない」
唖然としてしまった。
<親が子どもに対してであれ、監禁は「逮捕監禁罪」にあたる。それを警察が取り締まらないとは。そもそも、事前に連絡があれば、「本人が嫌がっているのに無理やり隔離すれば、違法行為になる」とたしなめるべきではないか>
一時間ぐらいはやりとりしただろうか。話は最後まで噛み合わなかった。(注3)
日本の警察は、統一教会信者の拉致監禁に遭遇しても取り締まらないだけでなく、信じられないことに、事前に親から拉致監禁の実行を報告を受けても黙認しているのである。
アメリカでは拉致監禁(ディプログラミング)は犯罪とされ、懲役刑を受け刑務所に収監されたたディプログラマー(家族からお金で頼まれた脱会屋)もいる。85年以降、アメリカでは拉致監禁事件は一件も発生していない。
この日米の差は、いったい、どこから来るのだろうか。
それは先の刑事課長の言葉にあると思う。
「あなたも父親なら、お父さんの気持ちはわかるでしょ? 私だって、子どもが統一教会に入ったら、同じようにするかもしれない」
実は、後藤氏の告訴を受けた警察内部でも同じような議論があったと聞く。
この薄っぺらな浪花節が、宮村氏らの身柄を拘束しなかった理由だと思う。
(注1)有罪率の高さを追い求めれば、一方で冤罪事件を生む。その意味で、証拠がなければ、どんなに後藤氏の拉致監禁に宮村氏が関わっているという疑いがあったとしても、宮村氏は「無罪」(疑わしきは罰せず)である。
(注2)この事件は、京都マンションに監禁された信者を仲間信者が実力で取り戻そうとした際、家族、親族と揉み合いになり、仲間信者が器物損壊、暴行罪などで起訴された事件である。
信者には、懲役3カ月、執行猶予1年の有罪判決が下った。
統一教会員の犯罪事件であるにもかかわらず、反統一の人たちがこの事件に触れようとしないのはどういうわけだろうか・・・。
ただし、統一教会のほうもこの判決文を喧伝していないのだが。このことについてはあとで触れる。
(注3)事件の後日談を書いておく。
警察署を訪問した日の夜、警察は父親に連絡し、家族は大学生の子どもと一緒にマンションから自宅に戻った。さすがに、第三者に知られた以上、警察としてこのまま監禁を黙認することはできないと判断したのだろう。
自宅に戻り軟禁状態下に置かれた大学生は、しばらくして脱出し、カープ本部(旧原理研究会)に逃げてきた。
本部の職員は「このまま逃げてばかりいると、大学の卒業は不可能になるし、親子関係の修復は遅れるばかり」と、大学生に親に会うように勧めた。
しかし、怖がって両親とは会おうとしない。
そこで、本部職員が立ち会って、親子を再会させた。
両親は「二度と拉致監禁はしない」と約束した。
その後、親子は職員抜きで会うようになったと聞いている。
(大学生は今ではどこかの会社のサラリーマンになっていると思う。月日の経つのは早いものである)
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日米の差
「米本陳述書(2)」http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-69.html#moreのコメント欄で、KHさんがアメリカ国務省の報告を紹介しています。
訳せば、「日本政府は実際に、信仰の自由をおおむね尊重した。しかし、まれではあったが、政府が宗教に基づく差別を行ったとする申し立てが何件かあった。
統一教会の代表者らによると、信者の1人が家族によって奪取され、「ディプログラミング」を行うために12年以上も監禁された。彼は脱出したが、それから4カ月たっても、警察はこの事件の捜査を開始しなかった」ということになるでしょうか。
アメリカ国務省が日本の警察庁に「なぜ厳格かつ機敏に捜査をしなかったのか」と問い合わせした場合、「いやあ、監禁した親の気持ちも理解できるもんで」とでも答えるのでしょうか。
もし、正直に答えれば、09年度版の宗教と自由に関する人権報告書で、意味不明と手厳しく指弾されることは間違いなしです。
KHさんの「MOさんへ」と題したコメントを再度、読んでみてください。
次回、薄っぺらな浪花節の問題点を指摘するつもりです。
お勧め
鈍いのは体質問題?
そうなると改宗や棄教のための監禁のケースも「死人」が出ないと、いや、死人が出て世論が警察批判をして初めて本腰になるのかもしれません。そのぐらいの鈍さだと思います。後藤さん程のひどいケースがあって初めて重たい腰を上げたようですが、起訴しただけでも特例なのかもしれない。日本の警察は具体的に、傷を負ったとか、血を流したとか、わかりやすい証拠がはっきりとした事件でないと動かないという、そういう体質があるのではないでしょうか。家族の諍い事でカムフラージュされてしまう事件は、それ故に門外秘となりやすい根深い犯罪性が潜んでいるのかもしれません。うちの問題に他人が口出しするな、これは通りやすい社会通念ですが、その壁に阻まれて、多くの家庭内暴力事件が水面下で起きている世の中です。
しかも管理人さんの取材によると、現職の警官が『おまえだってそうするだろう』という感じの発言ですから。ここが一番印象に残りました。
家族の情愛に比較するなら少々下品な例ですが、男は女色に溺れやすい欲情がある。昨日の新聞に警官が警察署内の女子トイレに隠しカメラを仕掛けて逮捕された記事が出てました。「私だって…同じようなことをするかもしれない」。でも、具体的にやったら逮捕される。いくら「父親」でも拉致監禁も同じことじゃないかと思います。とりわけ後藤さんのようなケースともちろんのこと。日本で仇討ちが禁止された理由をよく考えていただきたい。時代劇では「お見事!」な風習として描かれておりました。(管理人さんは浪花節と表現されましたが)。
こりゃ問題発言だ
恐らく管理人さんは当時警視だったこの刑事課長の発言を直接聞いて記録しておられるのだろうと思いますが、何年間にわたって自由意志なく身体を拘束される拉致監禁を理解し容認した発言は、憲法に違反している可能性があると思います。以下、警察法より
(服務の宣誓の内容)第3条 この法律により警察の職務を行うすべての職員は、日本国憲法及び法律を擁護し、不偏不党且つ公平中正にその職務を遂行する旨の服務の宣誓を行うものとする。
これは警官の基本中の基本だと思います。当時警視なら今はもっと出世しておられることでしょう。拉致監禁の被害者は国会とかに真相究明を働きかけたらいいですね。
統一教会側の弁護士はいないのか
警察の対応は、問題が(マスコミに取り上げられるなど)深刻にならなければ、この程度の対応だろうと思います。ただ、具体的に監禁されいてる事実があるのであれば、どうして統一教会側は弁護士を立てて警察と交渉しようとしないのかが不思議です。弁護士の使い方も慣れていないのでしょうか? 摂理に使う金はあっても、信者を救うための弁護士費用も用意できないのでしょうか?
Re: 統一教会側の弁護士はいないのか
報道する弁護士はいるのでしょうか?
裁判を担当する統一教会側の弁護士はいるでしょうが、拉致監禁の実態をマスコミに報道する弁護士はいるのでしょうか? 反統一教会側の山口弁護士や紀藤弁護士のようなマスコミに顔を出せる弁護士です。拉致監禁の解決には、米本様のようなジャーナリストの立場から拉致監禁の実態を社会に知らしめる人も必要ですが、弁護士の立場からこの問題をマスコミに情報発信する人がいなければ、所詮「霊感商法」をやってきた統一教会側の信者に対する「保護説得」することを「拉致監禁だ」と裁判で勝訴することはいつまでたってもできないのではないでしょうか。
瞳さんへ
直接、このテーマで取材したわけではないからです。でも、私が見聞した程度のことですが、参考になればと思い、書いておきます。
これまでの拉致・監禁事件で一番衝撃的だったのは、統一教会・鳥取教会で母親と話しているところを襲撃され、拉致された富澤裕子さんのケースです。
武器を手にした男たちが教会の施設を壊し、止めに入った教会員を怪我させたわけですから、もうメチャクチャな事件です。
刑事告訴したときだったかに、教団と弁護士は記者クラブで事件について記者発表しました。ところが、一切、報道されなかった。
あとでこのことを知ったのですが、同業者としては信じられないことでした。とてもエキサイティングなニュースでしたから・・。ニュースバリューはきわめて高い事件だった。
おそらく、事件を報道すれば、「結果として、統一教会を利することになる」という政治的判断が働いたからでしょう。この利することになってしまうというのは、書き手にとってかなりのプレッシャーになります。
私の04年のルポでも、陰で「統一教会を利する行為だ」とさんざん批判されました。
そのため、『我らの不快な隣人』を書くのがとても遅くなりました。このときのことは簡単に「あとがき」で書いておきました。
今では「利することになってしまう」という思考は、思考停止の産物以外のなにものでもないと思っています。この思考停止的思考は、統一教会に限らず、様々な分野でも再生産されています。
話を戻すと、これが教団にとってひとつのトラウマになったのではないかと想像しています。
それと同時に、そもそもの話。教団のマスコミに対する姿勢は、客観的に見れば、きわめて閉鎖的です。
その理由は、何かを発表すれば、すぐに記者から「霊感商法」うんぬんのことを質問されるのではないかと、アレルギー反応(理屈ではなく身体的反応)を示すようになっているからです。
昨年11月、グローバルピースフェスティバルが開かれました。アントニオ猪木が登場して話題になった集会です。この集会の前に、教団内部で、記者発表しようということが検討されました。そこで、記者会見のリハーサルが行われた。
しかし、こんな質問、あんな質問が出されたら、どう答えたらいいんだとなって、結局、ナシになりました。
それはそれ、これはこれという立場に立てないのです。それもこれも、“霊感商法”を90年前後にきちんと総括し、率直に謝らなかったツケが今でも回っているのです。
後藤徹さんの監禁事件でもそうです。警察署がなかなか告訴状を受理しなかったこともありますが、それでも受理した段階で、代理人と後藤さんは警察の記者クラブで、告訴事件について発表すべきでした。
しかし、これも富澤さんの事件のときと同じように、信じられないことでしたが、記者発表はしなかった。
このツケは今でも回っており、教団のサイトあるいは教団メディアでは今でも、後藤事件を報じていません。
まあ、こんなわけで、弁護士問題というよりは教団の報道に対する没主体性がなによりも問題だと思います。
弁護士が記者会見をしようと仮に提案したとしても、本部はブルブル震えてノーと言ったでしょうねえ。
アレルギーに効く温泉でも紹介してあげようかと思っています。温泉じゃ、すぐには効用が表れないから、ステロイドでも渋谷の松濤に送ってあげましょうか。
統一教会の幹部批判
>昨年11月、グローバルピースフェスティバルが開かれました。アントニオ猪木が登場して話題になった集会です。この集会の前に、教団内部で、記者発表しようということが検討されました。そこで、記者会見のリハーサルが行われた。 しかし、こんな質問、あんな質問が出されたら、どう答えたらいいんだとなって、結局、ナシになりました。それはそれ、これはこれという立場に立てないのです。それもこれも、“霊感商法”を90年前後にきちんと総括し、率直に謝らなかったツケが今でも回っているのです。
>まあ、こんなわけで、弁護士問題というよりは教団の報道に対する没主体性がなによりも問題だと思います。弁護士が記者会見をしようと仮に提案したとしても、本部はブルブル震えてノーと言ったでしょうねえ。
こうした状況であれば、残念ながら、現在日本にいる統一教会の幹部達は拉致監禁者達を救い出すことができないばかりか、一般の信者達の社会性育成をも指導していけないのではないかと思います。統一教会側の報道に対する没主体性は、米本様がおっしゃるとおりだろうと思いますが、報道の件に限らず日本の幹部達の没主体性は、何事も教祖様と韓国の幹部達にお伺いを立てるからではないでしょうか。お伺いを立てている間は主体性を確立できないのだろうと思います。90年前後に“霊感商法”をきちんと総括し、率直に謝らなかったのも、当時の責任者は教祖様にお伺いを立てて経済復帰を一生懸命やってきたのに、なぜ自分が誤らなければならないのかと考えて、対社会的責任の取り方を理解できなかったのではないでしょうか。今回の徳野前会長は社会を騒がせた責任を感じて会長を辞任されたのは一責任者としては立派であったと思いますが、誰かの指示であったならば日本の幹部達の没主体性の象徴のように思います。日本の統一教会では、幹部に対する批判や不平不満は言ってはならないという慣習がありますので、信者達から幹部批判はできないでしょうから、米本様のような中立的な立場から統一教会の幹部批判をしていただきたいと思います。
米本様へ
瞳さんへ
文興進氏の無免許運転もその一つで、無免許運転ではなく、通常の交通事故による死亡でした。
間違った記述をしたのは、反統一教会陣営からの情報に依拠したからで、統一教会に裏付け取材をしなかった私の怠慢によるものです。
『我らの不快な隣人』で、前著を訂正するつもりでしたが、構成上、書くことができず、そのままになっています。
文ファミリーに謝罪し、ここで訂正しておきます。
あらためて、「統一教会考」で文ファミリーの様子を書くつもりです。よろしくお願いいたします。
統一教会考
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統一教会と警察(中)
「後藤12年監禁事件」は、「ニュース(1)」で書いたように、今年の2月に宮村氏ら6人が書類送検され、現在、東京地検が処分を検討している最中である。
すでに東京地検は約10回にわたり、後藤徹氏からの聴取を終えている。おそらく、宮村峻氏、新津福音キリスト教会牧師の松永堡智氏、後藤氏の母親、兄、兄嫁、妹の聴取も、終えたであろう。
「松永先生や宮村先生に説得に来てもらったのは事実だが、先生がお見えになるときは、鍵を開けて待っていたので、徹が拘束されていたことは知らなかったはず。いわんや徹の拘束そのものにはまったく関わっていらっしゃいません」
家族は自分たちが監禁に関わったことを認めても、2人の関与については上述のように徹底的に否認し、宮村氏も松永氏もその線に沿って供述したのではないかと思われる。
そして、家族は徹を監禁したのは、“邪悪な”統一教会から脱会させるためには「家族の愛情」としてやむにやまれぬ行為だったと、何度も「家族の愛情」を繰り返し、情状酌量を訴えた・・・。
粗末な食事しか与えず、場合によっては栄養失調で死亡する可能性もあったことを考えれば、「家族の愛情」論はいかにも説得力に乏しいが、それはともかく、この作戦で成功したのは、今利理絵氏が戸塚教会牧師の黒鳥栄 現行田教会牧師の清水与志雄を拉致監禁罪で刑事告訴した事件である。
結局、2人の牧師は不起訴、家族・親族は起訴猶予で終わっている。
根拠のないまったくの憶測ではない。
刑事ではなく、今利氏が提訴した民事事件のことだが、ある反カルト集会の帰り際、黒鳥、清水の代理人たちが「家族はともかくとしも、牧師さんたちだけは絶対に勝たせなければならない」と話しているのを小耳に挟んだことがあるからだ。反カルトのシンボル的存在、元東北学院大学教授の浅見定雄氏もその会話の輪の中にいたと記憶する。
東京地検がどんな処分を下すかはわからないが、起訴しても無罪判決となれば検察の失点となる。公判を維持できるような証拠力(供述調書を含め)が弱ければ、家族はともかく宮村氏と松永氏は不起訴処分にするだろう。
なにしろ、日本の有罪率は99・99%(04年)。
10年前のことだったと思うが、有罪率が99・97%に下がったとき、0コンマ以下にもかかわらず、検察内部で有罪率の低下が大問題になったほどだ。それだけ、検察にとって起訴した事件は何としてでも有罪判決を勝ち取らなければならないし、逆に言えば、有罪にならないような事案は起訴しない。(注1)
ただ、今利氏が告訴した99年当時と事情が違うのは、検察審査会の役割が大きく変わりつつあることだ。6月29日付産経新聞を読んでももらえばわかる通り、検察審査会の権限が大幅に強化され、検察の不起訴処分を不服として申し立て、審査会が二度「起訴相当」の議決を下せば、強制的に起訴できることになった。
検察の「不起訴処分」が審査会でどんでん返しになれば、これまた検察は赤っ恥をかく。いい加減な捜査で、いい加減に不起訴処分をすることはできにくくなっている。
検察の判断はともかく、私が返す返すも惜しいと思ったのは前回述べたように、後藤氏の家族と打ち合わせできないように、宮村氏の身柄を拘束したうえで、取り調べをしなかったことにある。
また、家宅捜索を行なっていれば、後藤氏の家族とのやりとりのメモ、謝礼金の記載がある通帳、また水茎会での勉強会の模様などの証拠物を入手できていたかもしれないのだ。
いっぱんに、脱会説得者たちは説得対象者ごとにカルテのようなファイルを作成し、保管している。家宅捜索していれば、「後藤徹のファイル」という動かぬ証拠を発見できた可能性もあった。
『我らの不快な隣人』383頁の注2で書いたが、家族が子ども信者(22歳)を脱会説得のために10日間、マンションに拘束したことを、京都地裁の判事は「違法行為」と認定している。91年の判決文である。(注2)
後藤氏が告訴したのは、10日間ではなく12年5カ月にもわたる監禁事件である。
なぜ、 身柄を拘束して取り調べなかったのか。
なぜ、宮村氏をはじめ関係者の自宅を家宅捜索しなかったのか。
どんなにその後、熱心に捜査したとしても、どうしても初動捜査への不信感がぬぐえないのだ。
2008_0907画像0144
(写真は行田の蓮)
話を本題、前回書いた疑問に戻す。
<現場の警察官は、こと統一教会信者の拉致監禁事件について、なぜ曖昧な態度を取るのか>
『我らの不快な隣人』では書かなかったが、実はこの問題で直接、警察官とやりとりしたことがある。
3年前の06年のことだった。
埼玉県の西武線の駅前のあるマンションに大学生が監禁されていることを確認し、所轄の警察署を訪問し、こう詰問した。
「大学生が駅前のマンションに監禁されている。警察は即刻、事件を解決すべきではないか」
応対してくれたのは刑事課長。階級は警部の上の警視である。
なんと驚いたことに、警察は監禁のことを知っていた。
「お父さんからマンションに子どもを隔離して親子で話し合いをするという事前の連絡がありました。隔離というのは、お子さんを統一教会と接触させないという意味だと聞きました」
「あなたも父親なら、お父さんの気持ちはわかるでしょ? 私だって、子どもが統一教会に入ったら、同じようにするかもしれない」
唖然としてしまった。
<親が子どもに対してであれ、監禁は「逮捕監禁罪」にあたる。それを警察が取り締まらないとは。そもそも、事前に連絡があれば、「本人が嫌がっているのに無理やり隔離すれば、違法行為になる」とたしなめるべきではないか>
一時間ぐらいはやりとりしただろうか。話は最後まで噛み合わなかった。(注3)
日本の警察は、統一教会信者の拉致監禁に遭遇しても取り締まらないだけでなく、信じられないことに、事前に親から拉致監禁の実行を報告を受けても黙認しているのである。
アメリカでは拉致監禁(ディプログラミング)は犯罪とされ、懲役刑を受け刑務所に収監されたたディプログラマー(家族からお金で頼まれた脱会屋)もいる。85年以降、アメリカでは拉致監禁事件は一件も発生していない。
この日米の差は、いったい、どこから来るのだろうか。
それは先の刑事課長の言葉にあると思う。
「あなたも父親なら、お父さんの気持ちはわかるでしょ? 私だって、子どもが統一教会に入ったら、同じようにするかもしれない」
実は、後藤氏の告訴を受けた警察内部でも同じような議論があったと聞く。
この薄っぺらな浪花節が、宮村氏らの身柄を拘束しなかった理由だと思う。
3に続く
(注1)有罪率の高さを追い求めれば、一方で冤罪事件を生む。その意味で、証拠がなければ、どんなに後藤氏の拉致監禁に宮村氏が関わっているという疑いがあったとしても、宮村氏は「無罪」(疑わしきは罰せず)である。
(注2)この事件は、京都マンションに監禁された信者を仲間信者が実力で取り戻そうとした際、家族、親族と揉み合いになり、仲間信者が器物損壊、暴行罪などで起訴された事件である。
信者には、懲役3カ月、執行猶予1年の有罪判決が下った。
統一教会員の犯罪事件であるにもかかわらず、反統一の人たちがこの事件に触れようとしないのはどういうわけだろうか・・・。
ただし、統一教会のほうもこの判決文を喧伝していないのだが。このことについてはあとで触れる。
(注3)事件の後日談を書いておく。
警察署を訪問した日の夜、警察は父親に連絡し、家族は大学生の子どもと一緒にマンションから自宅に戻った。さすがに、第三者に知られた以上、警察としてこのまま監禁を黙認することはできないと判断したのだろう。
自宅に戻り軟禁状態下に置かれた大学生は、しばらくして脱出し、カープ本部(旧原理研究会)に逃げてきた。
本部の職員は「このまま逃げてばかりいると、大学の卒業は不可能になるし、親子関係の修復は遅れるばかり」と、大学生に親に会うように勧めた。
しかし、怖がって両親とは会おうとしない。
そこで、本部職員が立ち会って、親子を再会させた。
両親は「二度と拉致監禁はしない」と約束した。
その後、親子は職員抜きで会うようになったと聞いている。
(大学生は今ではどこかの会社のサラリーマンになっていると思う。月日の経つのは早いものである)
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