米本陳述書(3)
米本陳述書(3)
後藤さんと面談した翌日以降のことについて、陳述いたします。
八、翌日の2月14日、後藤さんのマンションを特定するために、荻窪に出向きました。後藤さんが話した通り、天沼陸橋のそばの「荻窪」「フラワー」の名がつくマンションがありました。「荻窪フラワーホーム」というマンションです(写真撮影報告書2)。
エレベーターで8階にあがると、804号室は存在しました。
電気のモーターは冷蔵庫のスイッチのみがついている程度の回り方をしていました。
玄関ドア、1階の入り口にある郵便ポストには名前が記されていませんでした。
外から804号室を見上げると、布団やシーツらしきものが干してありました。
マンションの住所は杉並区荻窪3-47-15となっていました。
<写真説明 左端と真ん中の写真は2月14日、右端は翌日の15日に撮ったもの。布団を干してあるところが804号室。 後藤氏にあとで作成したもらった間取り図と照らし合わせると、左側の写真で、布団が干されている2箇所のうち左側のほうが後藤氏が暮らしていた部屋ということになる。写真をクリックすると拡大します。(注1)>
九、後藤さんが監禁されていたマンションを確認したあと、宮村峻の自宅と会社を確認することにしました。
統一教会から教えてもらった自宅と会社の住所は「杉並区荻窪■■■」です。
荻窪フラワーホームから歩いて20分くらいのところに宮村の自宅がありました。
宮村峻の自宅や車を写真撮影していると、近所から通報があったのか、宮村本人が出てきました。
時間にすれば、30分程度でしょうが、立ち話をしました。私が名前を名乗ると、宮村は緊張した面持ちになり、最初の5分間は首筋がピクピクしていました。
前述の「三」で書いた私のルポのことについての会話もありましたが、後藤さんに関することで、宮村が語ったことを以下に詳述いたします。(注2)
――後藤さんのことを取材しているが、後藤さんを知っているか。
宮村「ああ、数年前に説得したことがある」
――後藤さんは12年間も監禁されたと話しているが。
宮村「監禁?そんなことは知らない。おれは家族から頼まれて説得に行っただけだ」
――玄関に南京錠が施されていたということだが。
宮村「そんなことは知らない」
――どのくらい説得に出向いていたのか。
宮村「数年前に1年間か1年半だ」
――これまでずいぶんいろんなところで説得をやっているようだけど、どのくらいの頻度で説得に出向くのか。
宮村「だいたい、月に2、3回行く程度だ」
――ということは、後藤さんが監禁されていた「荻窪フラワーホーム」には、54回出向いていたことになるが、本当に南京錠のことは知らなかったのか。
宮村「54回?」
――1年半、月に3回とすれば54回になる。
宮村「・・・」(注3)
宮村「俺は家族から頼まれて説得に行っていただけだ」
――しかし、これまで私が取材した例でいえば、すべてが外に出ることができないように玄関、窓がしっかり鍵をかけられた状態で、牧師などあなたのような脱会説得者がやってきては説得を受けている。
宮村「そりゃあ、悪いことをするから、家族が保護するんだ」
――保護といえば聞こえはいいが、実際は監禁だ。
宮村「俺は監禁なんかしない。家族が保護するだけだ」
――ところで、緊急入院となった後藤さんを見舞ったけど、一人で立ち上がることできないほど痩せ細っていた。可哀相な感じがした。
宮村「後藤が断食なんかするからだよ」
(この発言は重要だと思いました。自分が説得した相手が痩せ細った状態で緊急入院したと聞かされれば、心配して様子を聞くのがふつうです。それを彼は顔色ひとつ変えることなく、平然と断食のことを口にしただけでした。
また、宮村は数年前に1年から1年半説得に行っただけであとは知らないと語っていたにもかかわらず、後藤さんの2年前の断食のことを知っていたことには驚きました。宮村は、家族から後藤さんの様子を逐一報告を受けていたということです。
そうでなければ、痩せ細っていると聞かされれば、驚くとか、心配するとかするはずです。
家族から、後藤さんを追放するというお伺いがあったか、追放したという報告があったのは間違いないことだと思います。
私が自宅にやってきたのがあまりにも早かったので、最初の5分間はとても緊張したのだと思います)
――あなたは今も脱会説得をしているのか。京王プリンスホテルで月に1回相談会をやっていると、信者家族から電話で聞いたが。(注4)
宮村「・・・」
――今現在も、ある信者が荻窪のマンションで監禁、あなたの言葉でいえば保護されて、あなたの説得を受けているという情報を聞いたが。(注5)
宮村「・・・」
――後藤さんのお兄さんがあなたの会社に勤めていたと聞いたが、ほんとうか。
宮村「ああ、そうだ。今はいないが」
――あなたの会社の社員は、すべてあなたが説得し脱会させた元信者だと聞いたが。
宮村「すべてじゃなく、半々だよ」
――後藤さんから、あなたは■■■■(T・Y子)など元信者を連れて説得に来たと聞いたが。
宮村「そうだ」
――T・Y子は、被害弁連の事務局をしている■■(S)さんのことか。
宮村「そうだ」
――同一人物ということか。
宮村「ああ、そうだ」
――あなたはなぜ脱会説得をしているのか。
宮村「家族から頼まれるからだ」
――頼まれるからやるのか。
宮村「そうだ。俺は人権の尊重とか正義とかそんな大上段に振りかぶった目的でやっているわけではない。家族から頼まれるからだ」
(他の牧師など脱会説得者たちが「基本的人権の尊重の立場から統一教会から信者を救出することを目的に脱会説得している」としていることを、意識しての発言である)(注6)
――頼まれたら、すべて引き受けるのか。
宮村「そんなことはない。俺の考えで引き受けるかどうかを決める」
――引き受けるかどうかの基準は何なのか。
宮村「そんなことを話す必要はない」
――ある家族の依頼には応じ、別の家族の依頼には応じない。恣意的なように思えるが。
宮村「恣意的?ともかく俺が必要だと思えば引き受ける。ただそれだけだ。どう俺が必要に思ったのかは話すつもりはない」
――なぜ、こんなことをしつこく聞くのかといえば、あなたが引き受ける条件について興味があるからだ。けっこう高い料金を請求するという話を聞いているし、またある信者家族の母親に「子どもを脱会させたいのだったら」と関係を迫ったという話も聞いているからだ。言っておくが、これは統一教会からの情報ではなく、反統一教会の陣営から聞いた話だ。
宮村「ハハハ。人は勝手にいろんな噂を流している」
――関係を迫ったという話は、「全国原理運動被害者父母の会」の■■■■子さんが話している。
宮村「あの、キチガイババアか。勝手に噂を流しているだけだ」
――あなたの女性関係はけっこう噂になっている。当初あなたが活動の拠点としていた荻窪栄光教会から追放されたのも女性問題だったと言われているが。
宮村「・・」
――女性問題が原因で、あなたの奥さんが体調が崩されたとも聞いているが。
宮村「・・」
――ところで、T・Y子だが、あなたの愛人だと聞いているが。
宮村「ハハハ。人は噂を流すさ」
――Tさんのお父さんがあなたに「脱会させてくれるように頼んだが、娘を情婦にしてくれと頼んだ覚えはない」と怒鳴ったのは、被害弁連の一部の弁護士の間では有名な話らしいが。
宮村「・・」
――ここでの立ち話ではなく、きちんと取材に応じて欲しい。
宮村「あなたの取材を受けたくない」
十、宮村に会った翌日、T・Y子の所在地を確認するために、再び荻窪に出向きました。
T・Y子は「青春を返せ訴訟」の原告団の一人であったため、住所は裁判記録にありました。
T・Y子の現在の住まいである荻窪■■■マンション■■■号室(住所は杉並区南荻窪■■■)の建物謄本を閲覧したところによれば、95年2月に賃貸ではなく購入していることがわかりました。
現地を確かめると、後藤さんが監禁されていた「荻窪フラワーホーム」から歩いて3、4分の至近距離にあることがわかりました。
脱会説得によくやってくる元信者として、後藤さんがT・Y子の名前をあげた理由がわかりました。至近距離ですから、しょっちゅうやってくることが可能であり、実際によくやってきていてそれで印象に残ったのだと思います。
「荻窪フラワーホーム」は宮村の自宅から歩いて20分、Tのマンションから歩いて3、4分、宮村の自宅とTのマンションは歩いて17、8分。いずれも近所と言える近いところにいたことが確認できました。
(注1)布団が干してあるのを見て、次のように感じた。
「外から眺めると、804号室の窓は開放され、布団やタオルケットが日干しにされていた。晴れ渡った青空のもと、後藤の気持ちをよそに、布団やタオルケットは風になびき、ようやく解放されたが如く自由に揺れていた」(『我らの不快な隣人』365頁)
(注2) 月刊『現代』で拉致監禁のことをルポにした米本ですと名乗ると、最初は「ルポなんか読んだことはない」と言いながら、私が彼の自宅の写真を撮っていたことを問題にし、「人の家の写真を勝手に撮っていいのか」といった押し問答的な話をしていくうちに、「ルポは何度も読んでいる」に変わった。そして「デタラメが書いてある」とおっしゃるので、「どこが間違いなのか指摘して欲しい」と頼むと、「そんなこといちいち話す必要はない」
※我田引水的解釈かもしれませんが、宮村氏に会ったのはルポが月刊誌に掲載されてから3年以上もあとのことです。昔の雑誌記事などふつうなら忘れられているものですが、いまだに覚えていたとは、宮村氏たちにとっていかに衝撃的なことだったかということです。「弁護士山口氏のコラムを評す」を読んでいない方は目を通していただけると「衝撃」の意味が理解できると思います。
(注3)「後藤陳述書(7)にある通り、後藤氏は宮村氏が脱会説得にやってきたのは98年1月から9月にかけて73回と記憶している。それに対して宮村氏は「数年前に1年間か1年半」と答えている。突然、私に質問されたため、うろ覚えの記憶を述べたのだろう。後藤氏の記憶が正しいと思われる。
(注4)「京王プリンスホテル」ではなく「京王プラザホテル」。私の誤記である。
(注5)この半年前に、女性教会員から「荻窪のマンションで宮村という人から説得を受けている」という電話連絡が知リ合いの教会員にあった。それで、この質問をしてみた。ちなみに、電話連絡は一回だけ。携帯を取り上げられたためか。この女性教会員の所在はいまだ不明。脱会届けも出ていない。
(注6)ここでは「他の牧師」と表現したが、正確に表現すれば「日本基督教団の牧師」である。福音系の牧師は真のクリスチャンにするため(改宗)、脱会説得を行っている。
- [2009/06/15 16:01]
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平和と裏腹
後藤氏が監禁されていたマンションの写真。見ていると青空と干されている布団が風になびき、2月14日といえばバレンタインデーだし、なんとも平和な生活が思い浮かびます。
その部屋で12年間も監禁されていたとは…。
日本を憂う
物はいいようとあるが、宮村氏の発言と後藤氏の発言の双方の違いがよくわかります。
真実は1つにもかかわらず、どうしても多数決によって、真実が捻じ曲げられるように思えてならない。
12年といったら、その時生まれた赤ちゃんでも小学校6年生である。
考えただけでも恐ろしい。
これからも真実が広まるように、米本さん、後藤さんを応援していきます。
後藤さんと面談した翌日以降のことについて、陳述いたします。
八、翌日の2月14日、後藤さんのマンションを特定するために、荻窪に出向きました。後藤さんが話した通り、天沼陸橋のそばの「荻窪」「フラワー」の名がつくマンションがありました。「荻窪フラワーホーム」というマンションです(写真撮影報告書2)。
エレベーターで8階にあがると、804号室は存在しました。
2008_0907画像0312_convert_20090528134426
電気のモーターは冷蔵庫のスイッチのみがついている程度の回り方をしていました。
玄関ドア、1階の入り口にある郵便ポストには名前が記されていませんでした。
外から804号室を見上げると、布団やシーツらしきものが干してありました。
マンションの住所は杉並区荻窪3?47?15となっていました。
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<写真説明 左端と真ん中の写真は2月14日、右端は翌日の15日に撮ったもの。布団を干してあるところが804号室。 後藤氏にあとで作成したもらった間取り図と照らし合わせると、左側の写真で、布団が干されている2箇所のうち左側のほうが後藤氏が暮らしていた部屋ということになる。写真をクリックすると拡大します。(注1)>
九、後藤さんが監禁されていたマンションを確認したあと、宮村峻の自宅と会社を確認することにしました。
統一教会から教えてもらった自宅と会社の住所は「杉並区荻窪■■■」です。
荻窪フラワーホームから歩いて20分くらいのところに宮村の自宅がありました。
宮村峻の自宅や車を写真撮影していると、近所から通報があったのか、宮村本人が出てきました。
時間にすれば、30分程度でしょうが、立ち話をしました。私が名前を名乗ると、宮村は緊張した面持ちになり、最初の5分間は首筋がピクピクしていました。
前述の「三」で書いた私のルポのことについての会話もありましたが、後藤さんに関することで、宮村が語ったことを以下に詳述いたします。(注2)
――後藤さんのことを取材しているが、後藤さんを知っているか。
宮村「ああ、数年前に説得したことがある」
――後藤さんは12年間も監禁されたと話しているが。
宮村「監禁?そんなことは知らない。おれは家族から頼まれて説得に行っただけだ」
――玄関に南京錠が施されていたということだが。
宮村「そんなことは知らない」
――どのくらい説得に出向いていたのか。
宮村「数年前に1年間か1年半だ」
――これまでずいぶんいろんなところで説得をやっているようだけど、どのくらいの頻度で説得に出向くのか。
宮村「だいたい、月に2、3回行く程度だ」
――ということは、後藤さんが監禁されていた「荻窪フラワーホーム」には、54回出向いていたことになるが、本当に南京錠のことは知らなかったのか。
宮村「54回?」
――1年半、月に3回とすれば54回になる。
宮村「・・・」(注3)
宮村「俺は家族から頼まれて説得に行っていただけだ」
――しかし、これまで私が取材した例でいえば、すべてが外に出ることができないように玄関、窓がしっかり鍵をかけられた状態で、牧師などあなたのような脱会説得者がやってきては説得を受けている。
宮村「そりゃあ、悪いことをするから、家族が保護するんだ」
――保護といえば聞こえはいいが、実際は監禁だ。
宮村「俺は監禁なんかしない。家族が保護するだけだ」
――ところで、緊急入院となった後藤さんを見舞ったけど、一人で立ち上がることできないほど痩せ細っていた。可哀相な感じがした。
宮村「後藤が断食なんかするからだよ」
(この発言は重要だと思いました。自分が説得した相手が痩せ細った状態で緊急入院したと聞かされれば、心配して様子を聞くのがふつうです。それを彼は顔色ひとつ変えることなく、平然と断食のことを口にしただけでした。
また、宮村は数年前に1年から1年半説得に行っただけであとは知らないと語っていたにもかかわらず、後藤さんの2年前の断食のことを知っていたことには驚きました。宮村は、家族から後藤さんの様子を逐一報告を受けていたということです。
そうでなければ、痩せ細っていると聞かされれば、驚くとか、心配するとかするはずです。
家族から、後藤さんを追放するというお伺いがあったか、追放したという報告があったのは間違いないことだと思います。
私が自宅にやってきたのがあまりにも早かったので、最初の5分間はとても緊張したのだと思います)
――あなたは今も脱会説得をしているのか。京王プリンスホテルで月に1回相談会をやっていると、信者家族から電話で聞いたが。(注4)
宮村「・・・」
――今現在も、ある信者が荻窪のマンションで監禁、あなたの言葉でいえば保護されて、あなたの説得を受けているという情報を聞いたが。(注5)
宮村「・・・」
――後藤さんのお兄さんがあなたの会社に勤めていたと聞いたが、ほんとうか。
宮村「ああ、そうだ。今はいないが」
――あなたの会社の社員は、すべてあなたが説得し脱会させた元信者だと聞いたが。
宮村「すべてじゃなく、半々だよ」
――後藤さんから、あなたは■■■■(T・Y子)など元信者を連れて説得に来たと聞いたが。
宮村「そうだ」
――T・Y子は、被害弁連の事務局をしている■■(S)さんのことか。
宮村「そうだ」
――同一人物ということか。
宮村「ああ、そうだ」
――あなたはなぜ脱会説得をしているのか。
宮村「家族から頼まれるからだ」
――頼まれるからやるのか。
宮村「そうだ。俺は人権の尊重とか正義とかそんな大上段に振りかぶった目的でやっているわけではない。家族から頼まれるからだ」
(他の牧師など脱会説得者たちが「基本的人権の尊重の立場から統一教会から信者を救出することを目的に脱会説得している」としていることを、意識しての発言である)(注6)
――頼まれたら、すべて引き受けるのか。
宮村「そんなことはない。俺の考えで引き受けるかどうかを決める」
――引き受けるかどうかの基準は何なのか。
宮村「そんなことを話す必要はない」
――ある家族の依頼には応じ、別の家族の依頼には応じない。恣意的なように思えるが。
宮村「恣意的?ともかく俺が必要だと思えば引き受ける。ただそれだけだ。どう俺が必要に思ったのかは話すつもりはない」
――なぜ、こんなことをしつこく聞くのかといえば、あなたが引き受ける条件について興味があるからだ。けっこう高い料金を請求するという話を聞いているし、またある信者家族の母親に「子どもを脱会させたいのだったら」と関係を迫ったという話も聞いているからだ。言っておくが、これは統一教会からの情報ではなく、反統一教会の陣営から聞いた話だ。
宮村「ハハハ。人は勝手にいろんな噂を流している」
――関係を迫ったという話は、「全国原理運動被害者父母の会」の■■■■子さんが話している。
宮村「あの、キチガイババアか。勝手に噂を流しているだけだ」
――あなたの女性関係はけっこう噂になっている。当初あなたが活動の拠点としていた荻窪栄光教会から追放されたのも女性問題だったと言われているが。
宮村「・・」
――女性問題が原因で、あなたの奥さんが体調が崩されたとも聞いているが。
宮村「・・」
――ところで、T・Y子だが、あなたの愛人だと聞いているが。
宮村「ハハハ。人は噂を流すさ」
――Tさんのお父さんがあなたに「脱会させてくれるように頼んだが、娘を情婦にしてくれと頼んだ覚えはない」と怒鳴ったのは、被害弁連の一部の弁護士の間では有名な話らしいが。
宮村「・・」
――ここでの立ち話ではなく、きちんと取材に応じて欲しい。
宮村「あなたの取材を受けたくない」
十、宮村に会った翌日、T・Y子の所在地を確認するために、再び荻窪に出向きました。
T・Y子は「青春を返せ訴訟」の原告団の一人であったため、住所は裁判記録にありました。
T・Y子の現在の住まいである荻窪■■■マンション■■■号室(住所は杉並区南荻窪■■■)の建物謄本を閲覧したところによれば、95年2月に賃貸ではなく購入していることがわかりました。
現地を確かめると、後藤さんが監禁されていた「荻窪フラワーホーム」から歩いて3、4分の至近距離にあることがわかりました。
脱会説得によくやってくる元信者として、後藤さんがT・Y子の名前をあげた理由がわかりました。至近距離ですから、しょっちゅうやってくることが可能であり、実際によくやってきていてそれで印象に残ったのだと思います。
「荻窪フラワーホーム」は宮村の自宅から歩いて20分、Tのマンションから歩いて3、4分、宮村の自宅とTのマンションは歩いて17、8分。いずれも近所と言える近いところにいたことが確認できました。
(注1)布団が干してあるのを見て、次のように感じた。
「外から眺めると、804号室の窓は開放され、布団やタオルケットが日干しにされていた。晴れ渡った青空のもと、後藤の気持ちをよそに、布団やタオルケットは風になびき、ようやく解放されたが如く自由に揺れていた」(『我らの不快な隣人』365頁)
(注2) 月刊『現代』で拉致監禁のことをルポにした米本ですと名乗ると、最初は「ルポなんか読んだことはない」と言いながら、私が彼の自宅の写真を撮っていたことを問題にし、「人の家の写真を勝手に撮っていいのか」といった押し問答的な話をしていくうちに、「ルポは何度も読んでいる」に変わった。そして「デタラメが書いてある」とおっしゃるので、「どこが間違いなのか指摘して欲しい」と頼むと、「そんなこといちいち話す必要はない」
※我田引水的解釈かもしれませんが、宮村氏に会ったのはルポが月刊誌に掲載されてから3年以上もあとのことです。昔の雑誌記事などふつうなら忘れられているものですが、いまだに覚えていたとは、宮村氏たちにとっていかに衝撃的なことだったかということです。「弁護士山口氏のコラムを評す」を読んでいない方は目を通していただけると「衝撃」の意味が理解できると思います。
(注3)「後藤陳述書(7)にある通り、後藤氏は宮村氏が脱会説得にやってきたのは98年1月から9月にかけて73回と記憶している。それに対して宮村氏は「数年前に1年間か1年半」と答えている。突然、私に質問されたため、うろ覚えの記憶を述べたのだろう。後藤氏の記憶が正しいと思われる。
(注4)「京王プリンスホテル」ではなく「京王プラザホテル」。私の誤記である。
(注5)この半年前に、女性教会員から「荻窪のマンションで宮村という人から説得を受けている」という電話連絡が知リ合いの教会員にあった。それで、この質問をしてみた。ちなみに、電話連絡は一回だけ。携帯を取り上げられたためか。この女性教会員の所在はいまだ不明。脱会届けも出ていない。
(注6)ここでは「他の牧師」と表現したが、正確に表現すれば「日本基督教団の牧師」である。福音系の牧師は真のクリスチャンにするため(改宗)、脱会説得を行っている。
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