文鮮明は性的異常者としか思えない。
文鮮明と婚外SEX(2)
年末にアップした暗在さんの完訳「決定版[文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語]」は大きな反響を呼んだ。
今回は、この記事とも密接に関係する、ブログ「青い海のひとりごと」さんからの寄稿文である。
実にさりげないエピソードなのだが、文鮮明氏の一面を如実に物語るものである。同氏を崇拝するみなさん、どうか目を逸らさずに読んでください。「バカの壁」にならないように。
なお、青い海さんから文章をいただいたのは、昨年の7月初めのことです。
ちょっと驚く情報を聞いたので、お便り差し上げます。
私が17~8年程、お付き合いしている小学校の先生(女性)から聞いた話です。
統一教会員ではなく、日曜日だけカトリック教会に通っている一般の方で、人格的にも尊敬できる方です。昔、日本語を教えていたことがきっかけで、家族ぐるみのお付き合いとなりました。
私たち家族が統一教会の信仰を持っていることを知っていても、普通に付き合ってくれていました。
その先生に1週間程前に久しぶりに会って、食事を共にしながら、3時間位お話しました。
最初は言うつもりはなかったのですが、実は最近、統一教会の信仰を捨てて、今は家族全員、教会に通っていないことを告げました。
そうして、いろいろな話をするうちに、こんな話をされたのです。
「実は、あなたが統一教会の信仰を強く持っていることを知っていたから、今まで言えなかったんだけど、私が20歳の時、統一教会で結婚した人から直接、聞いた話があるの。今53歳だから、もう33年も前の話なんだけど、体験した本人から直接、聞いたこともあって、衝撃的で今も忘れられない。
ある日用事があって、数時間長距離バスに乗ることになった。 座席は通路をはさんで2列ずつ、すぐ隣には自分より4~5歳ぐらい年上の初対面の女性が座った。感じのいい人だった。
私を伝道しようと統一教会の教理や理想などを一所懸命、話しかけてきたが、最後の方で興奮して有頂天になった様子で次のような話をしてくれた。
『私は統一教会の信仰を持っていて、1ヶ月程前に再臨のメシヤである文鮮明夫妻から祝福を受けた。そして幸運にも代表家庭の3家庭に選ばれるという栄光を賜った。(その代表の3家庭に選ばれた女性は)祝福後、主人と決められた男性と夫婦関係を持つ前に、文鮮明先生と3人同室で性関係を持った。21日間は、そのような期間でその期間が過ぎたから、相手の男性が住んでいる日本に行く準備を今しているところだ。そのような特別な恵みを受けられた事を栄光だと思っている』
と」
この話を聞かされた先生は、
「この人は、初対面の私に何故このような話をするのだろう?以前から統一教会に関する淫乱な噂は聞いていたけれど、本当にそんな事をしているんだ…。統一教会には絶対に行ってはいけない!」
と、強く思ったそうです。
私は今年の3月に離教しましたが、いくつかの離教理由の中の最大の要因が、7男の亨進氏が6マリアの事実を認め発表したことでした。
you tubeのその内容に関する礼拝動画を見てから、詳しく調べ始め、その他の情報と合わせて、文鮮明氏はメシヤではない、統一教会は捏造と隠蔽に満ちた団体であるという結論に至り、離教しました。
文鮮明氏が関係を持った女性が、6マリア、60マリア、それ以上かもしれないという情報は知ってはいましたが、身近な人から直接、聞くと、ショックであると同時に、やはり、そういう事実が実際にあったんだなあ…と再確認した次第です。

(1)「1ヶ月程前に再臨のメシヤである文鮮明夫妻から祝福を受けた」。いつの祝福双なのか。1978年の1610双も視野に入れて研究検討した結果、1982年の6000双しか考えられないという結論に。ちなみに、1980年の文鮮明は60歳。同年の韓国人の寿命は65・81歳。
(2)「代表家庭の3家庭」。この意味については「決定版[文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語]」に再度、目を通していただきたい。俗世に生きる私には「文鮮明が寝たい女ベスト3」としか思えない。根拠はあとで。
平穏な6000双の日韓家庭に不和が起きないことを願うばかりである。
(3)私の感想と論評は、後日、新しい記事をアップするときに書こうと思っている。ここでは最小限にとどめることにしたい。
「文鮮明先生と3人同室で性関係を持った。21日間は、そのような期間(だった)」
性は秘め事である。
子どもの頃、野良犬が交尾しているところに遭遇したことが何回あった。
俺たちガキは面白がってヤンヤヤンヤした。雄と雌の犬は、いかにも恥ずかしいといった目をして、人間の目から逃れようとしていた。今でもその場面を思い出す。
犬とて、交尾は秘め事なのである。
にもかかわらず、文鮮明氏は2人の女性の視線を十分に感じながら、1人の女性とのセックスに励む。
男性・性としては、理解不能である。それゆえ、「文鮮明は性的異常者としか思えない」のだ。
女性・性としてはどうだろうか。文氏と1人の女性がセックスに励んでいるとき、どのような気持ちで眺めていたのだろうか。
ここには宗教的意味(原理的意味?)なんぞまるでなく、アダルト裏ビデオのワンシーンでしかない!
「蕩減復帰」「摂理」といった統一用語のフリカケをかければ、神聖な場面になるとでも言うのか!
それにしても、21日間もまぐわっていながら、女性たちは妊娠しなかったのという疑問がわく。文鮮明氏の血液型は何型なのだろうか。
(4)もう一つだけ感想を。
代表3家庭の相対者はどうして文鮮明に身体を開くのか。
これも不思議極まりない話である。
文鮮明は「決定版[文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語]」によれば、文鮮明が朴サムエルの母(崔淳華、チェ・スンファ)に関係を迫ったとき、「天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない」と述べたという。
印象深いのは、文鮮明と関係をもった女性がバスで隣り合わせになった見ず知らずの女性に、「そのような特別な恵みを受けられた事を栄光だと思っている」と語ったことだ。理解不能だが、宗教学や宗教社会学ではなく、宗教心理学あるいは精神医学の研究テーマだろう。しかしながら、日本の文献で言及した論文はないのではないのか。
コメント欄に忌憚のない論評&感想をお寄せください。元を含め女性シックの偽らざる感想を是非聞きたいです。
(5)青い海さんが寄稿文を補足するような記事を書いていた。
●「離教してから聞いた話」
●http://ameblo.jp/toraji-j/entry-12110868731.html
一部を省略して引用する。(全文を読んでもらえることを期待しています。感情を抑制し、事実を淡々と綴った秀逸エッセーです)
(引用はじめ)
日本の統一教会に所属していた祝福前の7年間は上からの指示で統一教会を隠して伝道していましたが、92年末に韓国に来てからは統一教会の信仰を持っているという事を隠さなくても良くなったので、ある程度、お付き合いのある一般の韓国人の方は私と家族が統一教会の信仰を持っている事を知っていました。
今年の3月に離教してから、数人の親しい一般の韓国人に「実は、最近、私達家族は統一教会の信仰を捨てたんです…」と、打ち明けるようになりました。
そうしたら、いろいろと驚く内容の話もあったりして
「あ~ 今までは統一教会の信仰を持っていると公言しても普通に付き合えていると思っていたのは私だけだったんだ…。一般の韓国人は、口に出さなかっただけで、私達の事を、そんな風に思っていたんだ…」
と、ショックを受けるというか、やるせない気持ちになる事もありました。
ある年下の知人に、離教した事を打ち明けて「いろいろ調べてみたら、統一教会はサイビ(韓国語でカルトの事)だったんだよね…教祖様が、たくさんの女性と関係を持ってたって分かってね…」
と、話したら、プッと吹き出しながら
「ホント?! 知らなかったの? 韓国人なら、みんな知ってるよ!」
と大笑いされました…
なんだか複雑な気持ちでしたね…
それと、もう、ひとつ。これは、子供の塾の先生から聞いた話です。
塾の先生は、私よりも少し年上の女性なのですが、その方の叔父さんが文家の親戚なんだそうです。
その叔父さんは電気関係の仕事をしていたのですが、ある日、故文総裁から直接、電話があって
「あなたの得意分野の技術を持って、統一グループに入らないか?高い位置を与えて、儲けさせてあげるから。」
と言われたそうです。
でも、その叔父さんは頑として断ったそうです。
彼女(塾の先生)は、冗談半分で「叔父さん、どうして? その話、お受けすれば、いいじゃないの。統一グループの幹部になったら、お金持ちになれるんでしょ?」
と、叔父さんに言ったそうです。
そうしたら、その叔父さんが「「いや、統一教会は淫乱の宗教だ。自分は、いくら金を積まれても、あの団体とは関わらない。」
と、きっぱりとおっしゃられたそうです。
(引用終わり)
新年早々、キモイ話になってごめんなさい。気分を転換してもらうには、青い海さんの記事(12月24日)「食前の祈祷」をお勧めいたします。
書き終わって、浮かんだフレーズ。
大きな喪失に耐えてのみ、新しい世界が広がる。
「文鮮明とSEX」はひとまず置くことにします。次回は清平告訴事件の続報です。乞ご期待です。
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<注意>最近、⑧が目立つようになっています。⑧については以下を読んでください。⑧ついて説明しておきます。
たとえば、Aさんかブログのテーマに合った投稿-記事への賛意・批判を問わず-をしたとします。それに対してBさんがAさんのコメントにレス投稿をする。
この場合、
Ⅰ:Bさんの投稿がAさんへのレスであっても、ブログのテーマに即したものなら、まるで問題はありません。
Ⅱ:ブログのテーマから離れ、Aさんの文書表現とか考え方とか、あるいは一部の記述についてコメントする場合が問題となります。
後者の場合は原則として認めませんが、立場のいかんを問わず、きちんとした投稿(Aさんの投稿文に即し、論理的で根拠あるもの。簡単に言えばそれなりにまとまった主張)であれば、削除対象にしません。
コメント欄が荒れてくるのは、ここからです。ちょっとややこしい説明になりますが、Bさんの投稿にまたAさんが反論し、さらにBさんが反論する。こうしたことが繰り返されると、ブログのテーマとはまったく無関係になってしまい、たんなる「自由な掲示板」(自由放談)の様相を呈するようになります。
これがブログが荒れる原因です。
そこで、ブログ記事→Aさん投稿→Bさん投稿→Aさん投稿→Bさん投稿。この段階で打ち切りにしてください。それ以上の投稿が入れば削除の対象となります。
ところで、このようなレスのやりとりになると、どの投稿にレスしているのか分かりづらくなります。そこで、投稿される際には、相手の名前と件名、相手が投稿した時間を明記してください。
--たとえば、B:件名「そうはどうかな」。
Aさんの件名「私はこう思う」:〇月△日10時37分に反論する
--といった具合に。
なんだかややこしそうでしょうが、よく考えていただければあたりまえのルールです。
それがなければ削除の対象とします。
その意味でタイトル(わかりやすく・短く)は必ずつけてください。
件名がないものは削除します。
またこれは重要なので、覚えておいてください。
Ⅱの場合で、AさんとBさんがやり合っている最中に、CさんやDさんが横レスしてくる場合がこれまで多々ありました。
これは削除対象となります。
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コメント
そうだと思います
1982年の時点でもまだそのようなことがあったと聞いても、驚きではありますが、疑う気持ちはありません。
日本・アメリカでは純潔、禁欲が「原理」を初めとする表看板だったので、この件については、完全にだまされました。以前から知っていて、シックには知らせなかった幹部の罪は重いと思います。知らせるべきでしょう。知らせても入教するなら、それは本人の責任ですが、知らせないまま純潔だけを強調するなら、一種の詐欺です。
現役シックも多く見るであろうこのブログで、この問題を扱ってくださる米本さんに感謝します。
この話しだと・・・うーん
その初対面の人というのは一体だれなのか知りたいです。朴サムエルの証言がインパクトがあるのは、彼本人が体験した事実を中心に語っているからであり、とても信憑性があると感じますが、今回の青い海さんの投稿はそのお知り合いのクリスチャンの初対面のおそらく食口であろう方が興奮して話ししているという「又聞き」の内容なので、事実認定するのがとても難しく感じます。これに対してコメントするのは予想していくことしかできないので真実にたどりつけない議論になりそうです。
誤解を恐れずに書けば…
まあ、セックスごとだから、聞かれもしないのに公然猥褻みたいに大きな声で宣伝する必要はないが、聞かれたら秘め事にしないで(隠さないで)、しっかり応えないと、後ろめたいことのように思われるぞ。
ことがことだけに、答えることの大変な勇気がいることは推察できる。しかし、私もそうだが、会員たちは皆、教祖は全てのことを教義に従ってやっている、と思いたいわけだ。
それを避けて通ると会員たちは皆本部に失望するぜ。私なんかはもう失望の域を通り越して、本部改革しなきゃいけないと思っているわけだが。
書き間違い?
「神聖な場面になるとでも言うのか!」の間違いでは?
性の認識と証言の信憑性
貴重な記事をありがとうございます。
文先生を信じる立場から2点、意見したいと思いました。
1.性の認識について
ここはみ言葉に通じた人に裏づけをお願いしたいのですが、また記憶からの意見ですみません。
文先生の言葉には、親の前で性生活するような言葉があったと思います。ですがその反面、性が秘め事であることも言われていたと思います。こんな言葉もあったと思います。精液は女性の補完薬?になっている(文先生から直接聞いた韓国婦人の韓国語だったので聞い違いがないと言い切れないけど) ですが、仮にこの言葉でアダルトビデオを想像するとするなら、それはまた変な気がします。
2.証言の信憑性
青い海さんの投稿に嘘はないと信じてます。ですが米本さんの指摘にあるように、なぜ妊娠しなかったのかという疑問が残ります。草創期は霊的役事が多かったと聞いています。バカの壁にハマらないように気をつけたいですが、原理講論には霊人と性生活することがあるという話があります。何が言いたいのか?
もし文先生が再臨主であれば、多くの女性が再臨主との夫婦生活を感じる事があるという見解です。主の花嫁として生涯独身を貫いた多くのクリスチャンのように。前の記事に6マリアについて面白いコメントがありました。文先生のストライクゾーンが広いというコメントです。私は6人のタイプを知りませんが、統一思想では6数は全方位を表します。上下(母娘)前後(姉妹)左右(合う人合わない人) もし6マリアがこの条件を満たしていれば、文先生は全人類の女性の救いの道を開こうとした可能性が考えられます。まぁ、本記事にある性関係の有無はわかりませんが。前にも書きましたが、統一原理では代表という不思議な概念があります。もし6人が人類の代表として、再臨主と夫婦のような情的交わりをするなら、統一原理はそれを条件にすべての女性が文先生と夫婦のような生活をしなくてもその恩恵に預かると説明するでしょう。
こんな風に考える事も出来るわけです。
Re: そうだと思います
投稿感謝です。前記事のコメント欄の投稿を思いだしました。
彼岸花さん
>特に今月後半の記事では故・文鮮明氏のみ言に対する疑問や性関係のことなど、すべての文鮮明氏支持者から反感を買うような内容を書かれておられましたので、そこに強い覚悟と勇気を感じました。
文鮮明氏への論評を控えてきたのは、彼の人となりがいま一つ、はっきりしなかったからです。とりわけ、性のこととなると、どうしても逡巡してしまう。寄稿文を受け取ったのが7月なのに、公開したのはそれから5カ月後。そこにも、私の腰の引け方をみて取ることができると思います。
後押ししてくれたのは、暗在さんが訳してくれた「文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語」でした。
今回の寄稿文と辻褄が合う、ピントが合ったのです。
逡巡したのはもう一つ理由があります。少々打算的なのかもしれませんが、情報をもらっている人たちの多くは文鮮明氏のことを程度の差はあれ、尊敬しています。お世話になっている人たちを傷つけることになりはしないのかという思いがありました。
また現役シック読者に、火の粉ブログへの忌避感が生まれるのではないか。そうしたことも心配しました。
以上は、私の偽らざる気持ちであります。
Re: この話しだと・・・うーん
よく聞かれるという話を教えていただけませんか。情報源(又聞きであってもそのルート)も明確にしたうえで。
千尋さんはこう書いています。
「1982年の時点でもまだそのようなことがあったと聞いても、驚きではあります(略)」
今回の記事で、誰が直接話すと思われるのでしょうか。文鮮明氏、3人の女性。それ以外には?
>今回の青い海さんの投稿はそのお知り合いのクリスチャンの初対面のおそらく食口であろう方が興奮して話ししているという「又聞き」の内容なので、事実認定するのがとても難しく感じます。
繰り返しになるけど、文鮮明氏と、3人の女性が誰かを特定し、その女性たちに裏取りをするしか事実認定はできません。
ただし、様々な情報を照らし合わせ、事実かどうかを「類推」することはできます。「類推」は事実にたどりつくための一つの方法です。
Re: 誤解を恐れずに書けば…
今回の記事に関して言っているのであれば、失当でしょう。
文氏が80年代に入ってから3人の女性と摂理的観点(なんのこっちゃい)から交接したなんて、側近に厳かに伝えたなんて、あり得ないでしょう。
Re: 性の認識と証言の信憑性
そうでしょうか。オウムの麻原氏の女性関係なぞ、まるでアダルトビデオですよ。一般人からすれば。
>ですが米本さんの指摘にあるように、なぜ妊娠しなかったのかという疑問が残ります。
誤読です。「妊娠しなかった」なんて、どこにも書いていません。
「平穏な6000双の日韓家庭に不和が起きないことを願うばかりである」
「それにしても、21日間もまぐわっていながら、女性たちは妊娠しなかったのという疑問がわく。文鮮明氏の血液型は何型なのだろうか」
衝撃的です
普通の現役6000双の人はこのようなことは夢にも考えていません。
わたしにとっても衝撃でした。
まさか、1982年に至っても?
もし事実ならまさに「血分け教団」ということになりますが。
P・S
青い海さんのブログは私も大好きで、みずみずしい素晴らしい文章を書いていらっしゃると思っております。最近、更新を再開されたことをとても嬉しく思っております。
何を今頃という気がしないでもない
Re: 何を今頃という気がしないでもない
「反対派が」というのはやや失当です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E5%88%86%E3%81%91
<1968年 - 日本で『原理運動の秘事』発行、『社会悪と邪教運動』の訳書>
これを読んでから考えますが・・・
そもそも反対派って、何でしたっけ。「親泣かせの原理運動」をやっていた親たちもそう?゛
>私は、35年くらい前から、それは本当かもしれないと思い、たぶん事実だろう、いや絶対に事実に違いないと思ってきましたが、文師がメシアであるという信念が揺らぐことは全くありませんでした。とことん自分で追求して、自分で結論を出しておくべき問題です。メシアが歩まねばならない道は、時に常識に反するものです。自立的信仰を!
この言や良しである。
しかしながら、何も言っていないのに等しい。感情が先走っているからだろう。
例えば、
「メシアが歩まねばならない道は、時に常識に反するものです」
一般論!
この論理でいえば、オウムのサリンも正当化される。
良く投稿してくれているhide6500さん、ごめんね。
大雑把ですいません
hide6500さんへ
ずいぶん早合点な人ですね。
私にはそのような気持ちは露ほどもありませんが。そういう生き方をしたこともない、と自分では思っています。
Re:Re: 誤解を恐れずに書けば…
「 文氏が80年代に入ってから3人の女性と摂理的観点(なんのこっちゃい)から交接したなんて、側近に厳かに伝えたなんて、あり得ないでしょう。」
何かそう断定できる資料でもお持ちですか?それとも、米本さんの推測ですか?私はネットで、777双より後、6000双に至るまでの間に血分けがおこなれたことがあるか検索してみているところですが、今までのところ、ネットでは確証をつかめておりません。70年代とか80年代という時間のことではなく、祝福双のことです。
連綿と続いているのでしたら、いちいち幹部に言わなくても、幹部は悟っていなければならず、今回の件も教団は説明責任を逃れられません。代表家庭3家庭がという表現を見ますと、合同結婚式ごとに続いていそうな臭いがしますが、今のところ、臭いは臭いのままです。
大きな喪失に耐えてのみ、新しい世界が広がる。
あけましておめでとうございます。
「大きな喪失に耐えてのみ、新しい世界が広がる」新年を飾るに相応しい言葉ですね。
凝り固まった思考回路では理想社会など築けない。
数多く暗部が暴かれてショックを受ける方、そして様々な内容を知り落胆し去る方も多いのだろう。私が思うのは何処に行っても、過去に持った皆さんの理想社会に対する希望を忘れないで欲しいです。
今の教会は心身共に歪んだモノ達の不誠実が全て目に見える形で現れている。
地上天国と教会では良く言うが、本来は家族愛の延長線上で出来た社会の事だろ、でもね無知な幹部連中が作ったのは北朝鮮と同じような社会。天国天国言いながら、北朝鮮だよ北朝鮮、一部が肥えて多数がやせ衰えてる超愚かな社会形態。信仰者(詐欺師の間違いか?)が集まって出来た組織構造が北朝鮮だよ恥ずかしくないのか???日本じゃなくて朝鮮半島でやれよ。私が幹部なら恥ずかしくて百回自決するわ!!
急に話が変わりますが、まあ文氏が変態SEX大好きでも、特殊性癖者でも、非人格者でもなんでも良いじゃん。
貴方が正しく生きて、良い社会を築く為に、何処にいても教会に来た時に持っていた希望を失わなければ・・・。
「大きな喪失に耐えてのみ、新しい世界が広がる」世界の為にと走り回った信徒達には新しい希望がある。頭を切り替えて自分で見て聞いて判断するんやで、それで、北朝鮮じゃない方の理想社会を築けるように頑張るんやでー。
教会が良い社会を築くんやないで、皆様個々人やで、人任せにしたらあかんで、教会があってもなくても元気でやるんやで。
(一部関西弁となっております)
信徒を食い物にしたモノ達はパージされる。理想社会に暮らすにはそのような精神では少々無理があるだろう。覚悟は出来たか!?厳寒の地で、食うや食わずで償いきれない罪を贖罪する余生を過ごすがいい。
正しく生きようとされた信徒の方々、善良なる読者の皆様、そして米本様、良き1年となることを祈願致します。
また今年一年をそのようにして行きましょう。
米本様、いつもヘンナ日本語ですいません。
まずかったら削除願います。
文教祖のカリスマ性はどこから来たのか?
http://hikarinowa.net/kyokun/generalization2/psychology2/04-2.html
新年あけましておめでとうございます。年初から重たいテーマですね。
文教祖をどうとらえるか、彼は何者なのかはここ5年ばかり私のテーマでした。
結論から言って彼は明らかに「人格障害」(サイコパス)です。
ここで一言いっときますが、私は文教祖を貶めようとしてこう結論付けたわけではありません。
私は統一教会批判派ですが、文教祖をヒステリックに全否定してしまうと現役信者と同じで文教祖の「呪縛」から逃れられないと考えています。
彼の人格分析をなるべく感情的にならずにすることが「脱文鮮明」の第一歩だと考えています。(脱教会の人は多いですがアンチの方でも脱文鮮明ができない人がいます。)
そういう意味で、心理学を学んだ朴サムエル氏の次の証言は重要です。
>>もし韓鶴子が統一教会運動の予定された真の母だったとしたら、なぜ私の父はその「神聖で、聖なる」結婚から抜け出して私を作ったのでしょうか。
またなぜ彼はその時、そうするために「すべてを危険にさらす」と私の母に言ったのでしょうか。
まあ、私が見るには、このような状況は私をかなり重要な天宙的な人物にさせます、もちろん統一教会的な意味で。そういう理由もあって、半分血の繋がった私の兄弟の一部は私を嫌ったり、
冷淡にあしらいます。これは私にとっていいことです。
なぜなら文家には虐待の循環と親から受け継いだ自己愛性人格障害や妄想性絶対観念(たとえば、彼らは特別なのでメンバーや他の人々を酷使してもいいと信じているなど)への傾向があるからです。
この種の考え方や態度は、彼らと分かち合えないものです。
>>私の伯母が婚約を破談にしたあと、父(文教祖)は急激に失速しました。 彼の使命の中心だった、7年間にわたって築いてきた関係は、あっけなく蒸発しました。
彼は自分の責任を認めることはせず、彼を失望させた私の伯母と崔一族を非難しました。それは責任転嫁して自分を除いた他すべてを非難する文牧師の典型的なやり方です。
>> 私は痛いほど自分の限界を知っていて、誰かが神に近づくために私を必要とするなんて考えないくらいには賢いのですよ。
神が何を望んでいるかが分かる本物の「特別な」洞察力を持っていると信じ、またそう主張することは、全くの自己陶酔に陥る危険な坂道です。
サイコパスというとどうしても猟奇的イメージがついてるため受け入れがたいと思われますが、殺人や傷害事件などを犯さないサイコバスはかなり存在します。
いやむしろその方が多いでしょう。
現役信者さんもよく知ってる例をあげましょう。
ある韓国発祥新興宗教教祖の娘さんです。そこの宗教では「不倫は罪」「家庭は幸せの基礎」「離婚はだめ」と厳しく教えていました。また、教祖家庭は人類が模範にする家庭だと信じられていました。
ところがこの教祖の娘さんは夫(父である教祖が決めてくださった)や子供がいながら他の男性信者(イケメン白人で彼も妻子がいる)と不倫して子供を宿したのです。ダブル不倫略奪愛と言えるでしょう。
(さぞかし、男性信者の奥さんは傷ついたでしょうね)
そして、彼女は離婚してその白人男性と再婚したのです。(どこかの無責任教祖と違って彼女は生んだ子は自分で育て隠し子にはしなかった)
ここまでは別にいいんです。理解できる範囲です。
理解できないのは、普通は信者の目から逃れひっそり暮らすと思われるのですが、その娘さんは不倫中に堂々と信者の前で「真の愛」だとか「神の願い」
とか説教をしていたのです。(また公職に戻るという噂もあります。)
「狂ってる」「どの口が言ってんの」「おまゆう」(ネット用語でお前が言うなの略)のツッコミをまったく気にしない感覚の持ち主。
そうそれが人格障害です。精神疾患は遺伝的な要素が多いと言います。もしかしたら彼女の父親である教祖も人格障害の可能性がありますよね。
現役信者さんは目をそらさずに上記に紹介したサイトで麻原→文教祖 オウム→統一教会と置き換えて読んで見てください。
文教祖は麻原みたいな人物ではない偉人であるという現役さん我慢してもう少しお付き合いくださいね。
天才と〇チガイは紙一重といいますが、偉人英雄がサイコパスと紙一重の可能性を示唆する内容(まだまだ検討の余地がありますが)
↓
http://gigazine.net/news/20141024-successful-psychopath/
これらを踏まえた上で信者が陥りやすい「認知的不協和」と「動機目的が手段を正当化する」の罠から脱する方法を提示しましょう。
私自身も現役時代から文教祖が複数の女性と性交をしていたと思っていました。教えと矛盾する教祖の行為に葛藤すると自我を保とうと認知的不協和
が働きます。
仮説1 文教祖は再臨主である
仮説2 文教祖は精力旺盛な好色宗教者
仮説1だと、なぜ「真の母」鶴子夫人がいながら他の女性達とセックスしなければなならないのだろう「血統転換」の為?なぜ隠し子は必要なのだろう?「誰か整合性を原理で説明してくれー」
と思い悩む。(矛盾が生じる)
仮説2だと、待てよ普通なら選ぶよな。好色一代男なら若くて美人達だけで十分なのに、なぜ熟女もJKもOK、レアもラケルもどんと来い(器量は問わず)なんだ?
人妻寝取ったら旦那が血相かえて来るに決まってるし、当局に拘束されるリスクもある。セックススキャンダルで教団がダメージを受ける可能性もある。(矛盾が生じる)
そんな危険を冒してもする行為は常識はずれだ。
そうだそうだ、これには何か深い意味があるんだ、決して証されない天の秘密だ。そうに違いない、そう思いたいだってそうしないと眠れない。
「お父様のやることは常識外れなんだ→メシアは常識では理解できない→だからお父様はメシアなんだ。」とこじつけ三段論法で仮説1に戻る。
やはり「お父様はみ旨に狂った再臨主なんだ。」よっしゃ!(認知的不協和の典型)
だいたい信者はこの仮説1と仮説2の間をさまようでしょう。
では仮説1と仮説2から生じる矛盾をなくす仮説はないでしょうか?
あります。
仮説3 文教祖は人格障害があり性依存症であった。(たぶん躁病も御持ちでした)
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◎「空想虚言症」の特徴
1空想力が異常に旺盛で、空想を現実より優先してしまう。
2一見才能があり、博学で、地理・歴史・詩歌・技術・医学など何くれとなく通暁しており、
話題が豊富であるが、よく調べてみると、その知識は読書や他人の話からの断片の寄せ集めであることがわかる。
3弁別がよどみなく、当意即妙の応答が巧みである。
4好んで難しい外来語やこけおどしの言葉を並べ立てる。
5人の心に取り入り、それを操り、関心を惹くのがうまい。
6自己中心の空想に陶酔し、他人の批判を許さない。
7万能感と支配幻想
8責任転嫁
9実利的な利益の重視
こういった特徴を持つきわめて空想的な彼らは、巧みな作り話で人を魅了するが、作り話の嘘を語っているうちに、当の本人もそれを事実であるかのように思い込んでしまいがちとなる。
そして、うぬぼれと支配欲に駆られるあまり、空想的地位や役割を演じようと熱中したあげくに、思ったことが事実でないことを忘れて、その実現に駆り立てられてしまうこともたびたびある。
(武野俊弥『嘘を生きる人 妄想を生きる人』新曜社、2005)
要するに、嘘と真実、空想と現実の区別がつかなくなってしまうのです。空想された架空の立場、役割に心からなり切って行動します。
◎「誇大自己症候群」の特徴
1「万能感」という誇大妄想
2自己顕示欲
3「自分こそが世界の中心である」という誇大妄想
4他者に対する共感性の未発達、喪失
5権威への反抗と服従
6強い支配欲求
7罪悪感・自己反省の乏しさ、責任転嫁と自己正当化
8現実よりもファンタジー(幻想)や操作可能な環境に親しむ
9被害妄想
10目先の利益や快楽のために他人に害を与えても平気である。規範意識の欠如。
11内に秘める攻撃性
12誇大自己のエネルギーは、偉人を生む力ともなる(常識人がもたないエネルギーや発想を秘めていることもあり、うまく生かせば、大きな力とすることもできる)。
引用終わり
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(朴サムエル氏の証を読むと上記が腑に落ちると思います)
文教祖は自分なりに体得した「セックス教義」を信じ込んでいたと思います。だから様々なリスクがありながらあれほど沢山の女性と交わることができたのだろう。
また表看板の「統一原理」と齟齬をきたしても人格障害ですから気にしません。仁進さんも同じ症状だと思います。
どうです。この仮説だと文教祖の行為を矛盾なく説明できます。「常識外れだ」だから「み旨に狂った再臨主」ではなく、「常識外れだ」そうか「単に狂った教祖」なんだ
に視点をかえてみませんか?
もう一度お断りしますがここで「狂った」とか「人格障害」という言葉を文教祖の人格を貶め誹謗する為に使う意図はありません。
環境また遺伝的あるいは機能障害によって人間は「狂う」ことがあります。
神様のために気が狂った人
私は「文先生とはどんな方なのか?」と尋ねたら、その中のひとりの女性がこのように答えた。
「神様のために気が狂った人です。」
神様のために気が狂う?とはどんなことなのか自分は今も理解はできてない。(神様のために)の部分を取り除くと文師は単に「気が狂った人」ということにもなる。
昨年にコメントしたが、ある側近の方が文師を評して「文師と接している人で文師を好きでない人はいなかった。皆、文師が好きだった」と語ったのを聞いたことがあるが、この草創期を歩んだ老女の語った一言も印象的な言葉だった。
匿名、お許しくださいませ。
私個人は、結婚、セックス、出産を、人生の中でも、最も尊い神聖な営みだと思っております。
特に、新しい生命をこの地に産みだす能力が、我々人間に備わっているということは、誠に素晴らしいことであり、天より授けられし生命を、夫婦で力を合わせ、育てあげていくということは、どれほど素晴らしく尊く、私たちに心からの幸せをもたらすものでしょうか。
我々人間にそのような能力が備わっているということに、驚きと感謝を感じずにはいられません。
米本様は、大変、素晴らしい才能と素質をお持ちの方だと思います。そのことについては尊敬いたします。
しかし、他界された異国の故人について、淫乱だの性的異常だのと書かれることには共感しかねます。本人に直接尋ねることができない以上、確証も得られませんし。
米本様には、「結婚、セックス、出産が如何に尊く神聖なものであるのか。人間が、そのような尊く神聖な営みを通じ、どれほど深い精神的な満足と幸せを感じ得るのか。」についても、読者の皆様にお伝えいただけたら嬉しく存じます。
米本様のお幸せのためにも。
セックスは単に性欲を解消するための行為ではないと思います。お食事をいただくことや睡眠が、天地森羅万象との交流であり、天地森羅万象より生命力を頂き、そのことに感謝をお捧げするという尊い行為であるのと同様に。
老婆心、お許しくださいませ。
深く感謝します。
それと共に、統一教会の現信者でも元信者でもない米本さんに
このような内容の投稿をすることによって
ご辛労をお掛けしている事を、とても申し訳なく思います。
コメント欄の中で、米本さんが、私の投稿をアップするために
5ヶ月間も考えられた事情を読んで、胸が痛みました。
文鮮明氏を尊敬し、慕っておられる信者の方達の反感を買い
今までの人間関係にもヒビが入るかもしれない内容であるにも関わらず
是々非々の観点から記事を書いて下さり、様々な立場の方が
議論できる場を与えて下さっている事にも心から感謝します。
昨年の7月初めに、この投稿文を米本さんに送った後
私も30年間、統一教会の末端信者として在籍しながら
実際に見聞きした内容を伝えたくて、ブログを始めました 。
この記事の中でも、拙いブログを過分にお褒め頂き恐縮しています。
いくつかのコメントにレスする事をお許し下さい。
inuさんの関西弁での励ましのお言葉、ジ~ンときました。
バカボンパンツさん
ブログ楽しみにして下さっていると知り驚きました!
応援して下さり、ありがとうございます^^
ブームチャイさん
男性の*液が、特に、出産後の女性の滋養に良いというミコトバ
私も聞いた事があります。(でも、どこで聞いたのか思い出せません。)
goutさんのコメントで紹介して下さったサイト、とても参考になりました。
教祖様が人格障害であったとのご意見、私も同感です。
hide6500さんのお言葉、耳が痛いです。
<とことん自分で追及して、自分で結論を出しておくべき問題>
だったと私も思います。
教会本部の主張のみを盲目的に信じて
自分の力で調べようとしなかった私の怠慢さと
視野狭窄に陥っている事にさえ気付かなかった愚かさを
今頃になって痛感し、恥ずかしく思っています。
ただ、最近はネットの発達によって、隠されていた事が
あからさまになり、千尋さんが仰られているように
とぎれとぎれの話がパズルのように繋がってきたのも事実です。
一人の力だけで、情報収集して結論を出すのは難しいが故に
もう、何年も前から、情報を発信し続けて下さった
ブロガーの皆様には心から感謝しています。
又、様々な情報を共有できるブログ村の存在にも感謝しています。
いまだに、真実の情報に耳を閉ざしている方達が
かたくなな心を開いて、様々な情報に触れ
賢明な選択をされますよう心から祈っています。
6マリヤはレイプ被害者だったのか
皆さんは御存じないでしょうが、それらの婦人は六マリアだった方達です。誰も悟りませんでした。そして、教会指導者はこれを恥だと思って話そうとしなかったのです。お父様は「きょう、神様を解放しなければならない」とおっしゃって、彼女達をステージに呼んだのです。私は「ああ、どうしよう。メディアにどう説明すればいいだろう」と頭を抱えました。イエス夫人、ブッダ夫人、ムハンマド夫人、孔子夫人が登場したのですよ
7男さんのお話より、6マリヤと呼ばれる方の中には、文先生の祝福により、4大聖人と祝福を受けられた方の存在が明らかにされました。
これは何を意味するのでしょうか。?
6マリヤといえば、性的異常者文鮮明により無理やりレイプされ、おもちゃにされ、ぼろぼろにされて、最後には捨てられた哀れな女性達と思っている人が大半なのでしょうが、実際はそうではないようですね。
6マリヤの中には、最後の最後まで文鮮明氏をキリストとして愛し、信仰をたてておられる方が存在するのです。
韓国人教会長から聞いた話
十数年前、ある韓国人教会長が礼拝で言ってた話ですが、文教祖と日本人の祝福夫人(古い双)が山小屋(韓国だったと思います)で真っ裸で1週間生活したことがあったそうです。(この時、私を含め教会シックはどう思ったんだろう?自然に流されてしまったような・・・思い出せない、文教祖=再臨のメシアが大前提だったし麻痺してたのか)
これを受けてなのか、韓国では月1回真っ裸で生活している教会長夫婦もいるんだ!と言ってました。また、アダルトビデオも見てると言って、夫婦一体化のために、真っ裸で生活する日を設けたり、アダルトビデオを見るのもいいと言いました。
なお、この韓国人教会長は何かの記事のコメントでも書きましたが、み旨の為なら殺人も許されると言った人です。
お父様が命令されたなら、教会長自身は当然やると言い、教会長が皆はどうする?やれる人は手を挙げてと聞いた時、手を挙げた人(男性、女性)が意外にいた気がする。
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血分けを受け入れた女性たちは、上記の手を挙げた人に準じる精神状態だったんだろうか?
イサク献祭の時、神はイサク自身の心も知り、振り下ろす手を止めたのに、文教祖は女性シックの心を知りながらも実体を求め続けた。一線を超えることを要求し続けた。しかも、7日とか21日の原理数期間、実体を求め続けた。これを神が要求したのか?これを蕩減で説明できるのか?本来、全祝福女性と性関係をもつべきだが、出来ないので代表3人と関係をもち、全女性と関係をもったとみなすという理屈か?サタンに讒訴させない理屈? 聖酒式は何の為? 単純に言って、ただの性的欲望だと思う。こんな複雑怪奇な真理などあり得ない!
[何でもありの王たるメシア意識]+[原理思考]+[ただの性欲] がごちゃ混ぜになった行動としか思えない。
朴サムエル氏の証言にしても、彼の目線で見るならば、レイプ的、この”的”に苦渋の思いを感じます→信仰心を利用した力ずくレイプ(肉体的圧力も実際あったかも知れないし、それより精神的圧力・威圧が優先される、それを込めて言ってます)としか思えない。世間を知らない素直な信仰ある17才の子を妊娠までさせたことを許す理由などない。この時受けたトラウマ、呪縛は誰が解放するのか?これは必要な摂理だったと言って放置する心は、統一教会シックが他者の心を踏みつけてきた心、社会に害悪をもたらした心と全く同じだ。人の心をムチャクチャにして放置するのが良心なのか?真の愛なのか?
文教祖は「すべての責任は自分にある」と言ってた記憶がありますが、であれば、メシアというなら、何億回生まれ直しても責任をとれと言いたい。
個人的には、霊界に行った文教祖のことをいろいろガンガン言えば言うほど、逆に供養になると思います。沈黙、そして隠せば隠すほど、文教祖は解放されないでしょう。
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この韓国人教会長は、”私は日本に来る時、お父様からおまえには新潟県をやると言われた、だから、新潟は俺のものだ”ということも言い放ってました。ちなみにこの教会長は壮年集会の時、夫婦生活は週何回か?とも聞いてましたね。
こんな韓国人教会長は初めてでしたが、後に西南東京教区長になりました。
以上は(前述・後述部分)、東京のとっくに無くなった開拓教会でのことですが、すべて事実です。
ほんと小さい教会だったので、ざっくばらんに語ったんでしょう。
初歩的な確認ですが。
現役食口ですが、特段そういう思いは持たずにすんでいますので、今後も寄らせていただければ幸いです。
ちなみに「代表3家庭」というのは韓国人の・・ということなのでしょうか?
推察通り6000双とすると代表家庭は周知の通り、大塚元会長ですが、約婚は1610双なので、「1か月前に・・」という言い方はされないでしょうし。
また、三万双は例の桜田、山崎、徳田が代表3家庭とされていますが、山崎さんには祝福の翌週私は日本で会っていますので(証拠の写真有)期間が21日から短縮(?)されたのでしょうか?
(桜田、徳田さんも即帰国しています)
三万双の時代はもうなくなったということなんでしょうか?
重箱の隅かも知れませんが・・。
補足です
再度補足です
熟読しておらず失礼しました。
いずれにしても韓国人限定なんでしょうかね?
結局のところは
このような稀代の狂人をいまだに再臨主であると頑なに信じる人たちの精神構造こそ大いなる謎です。
ゆりさんにレッドカード
レッドカード!ゆりさんの投稿を禁止します。
再び、投稿されるのであれば、ホスト番号を晒すことにします。
aさんと原田さんにも注意しておきます。
私が禁止している投稿があっても、それにレスしないでください。投稿欄が荒れてしまいますので。
「性的異常者」か、それとも教義妄信のためか?
第二に、その手法がレイプ(私の言うセクハラも含めて)によるものだったのか、合意によるものだったのかが、ポイントになろうかと思う。
先に第二のポイントから。今回の米本さんの記事に登場する人は、喜んで誇りに思っているようなので、合意によるものだと思われる。しかし、たとえ合意によるものでも、やり方自体が暴力的であったりすれば、問題はある。だが、いまはそれは問わないことにしよう。とにかく、朴サムエルさんのように、レイプだと思う人もいる一方で、誇りに思うほど喜んで、合意している当人もいるということで、文氏の迫り方自体を全体として特徴づけることは難しい。
次に第一のポイントである文氏が性的異常、もしくは性的倒錯、表現はいろいろあろうかと思うが、いわゆる精神異常からこの問題を引き起こしたのか、それとも本人の持っている何らかの教義上の信念に基づいて行ったのかということについて考えてみる。
先ほどふと、文氏は妊娠したのを確認してからある女性の許を離れたという記述がどこかにあったなと、思い出した。誰のブログだったか、どの記事だったかは思い出せないのだが、なんだかそんな記事があったなと思った。妊娠?子供を産む?女性を見て、むらむらっとして、何とか説得して、我に返ったら、あ、やっちまった、なんて人が、妊娠させたいと思う?しかも、相手は人妻の場合もあるんだね。ふつうは、「堕ろせよ」だよね。「俺、父親にはなれないよ、頼むから産むなよ」だよね。しかし、産め、あとは何とか隠すから。韓国の医療技術に不安があって、堕胎すると本人も危ないから?なんてうがった見方もできるかもしれないが、文氏の場合は、全員が、「産めよ、あとは俺が隠すから、お前も隠せ」だろう?そこが性的異常説の難点なんだよね。
そこで朴サムエルさんの主張を改めてみていくと、
「 父は、2人の姉妹と結婚することによって聖書のヤコブの生涯と同じ道を行き、実の姉妹と彼女らの侍女によって12人の息子をもうけなければならないと思っていました。」
「 1960年に韓鶴子が私の父と結婚して以来ずっと、教会内の全ての人は韓鶴子が彼女には決して予定されていなかった位置を占領していると知っていたので、韓鶴子とその母親は非常に居心地が悪かったことを知ってください。これが韓鶴子の母親が自分の娘にできるだけ多くの息子を産むようけしかけた理由です。母親は娘が男の子を1人産むごとに娘の文鮮明に対する権限が増すことを知っていました。」
ということだね。文氏だけでなく、相手の女性までも、みな産むことに価値があると思っているんだよね。皆さんが皆さんそうかどうかは、調べてみないとわからないし、調べようもないかもしれないけど、文氏自身は「産む」ことに価値を置いていた。女子大生にまでも、産ませたわけだよね。やはり朴サムエルさんの言うとおり、聖書のヤコブの生涯と同じ道を行き、12人の子供をもうけることに集中していた、とみるのが妥当ではないでしょうか。いわゆる教義上の理由から、多産を目指したととらえるほうが、単なる性的異常者ととらえるよりも、理解しやすいのではないか(それで文氏に同意するという意味での「理解」ではなく、論理的にはそうなるかもという意味での「理解」です)。
じゃあ、お妾さんをたくさん作ってもいいのか、という倫理上の問題点は残る。しかし、常識的に考えれば、韓鶴子女史、つまり正妻1人が12人の子供を産めるか?それは文氏も不安があったんだろう。ただ、韓女史は、死んだ子供も含めて、どうもその記録を達成したらしい。なんという信仰か?歴史を調べたことはないが、前人未到ではないか?
で、まあ、文氏はおそらく1人で12名は難しいとみて、女子大生に1人、崔さん姉妹ほかの人に数人、正妻として入籍した韓女史にも何人かということで12名はクリアしようとしていたのではないか?
<追記>
再読してみて、補足する必要があると思うので、追記で対応する。上記は教義を敷衍して推測するとそうなるのではないかということで書いた。私の意見としては、教義自体に問題があるのではないかと思っている。その教義が正しいと確信して(こういうのを妄信というのだろうが)行動したのではないか、単なる性的異常者ではないのではないかということが言いたかった。
現役信者の私が、教義自体の問題を論じるのは変だが、この世に絶対の真理などないと思うに至ったので、教義上の問題までも視野を広げることになった。
そういうことで、上記のコメントをご理解いただきたい。
下衆の勘繰り?
しかも青い海さんのまた聞きの話を重要証言のような根拠としているのは、ジャーナリストとしては少々悲しすぎるのではないだろうか?
まあ霊感商法の被害者という人の中には、あれほど喜んでいたのに、少々相手にされなくなったりするとあとで被害者のような顔をしてお金を取り戻そうとするような方々もいるわけだから、あとになって「レイプされた」と言って損害賠償を請求する人が出てきてもおかしくないけど、私の不見識かもしれないが、聞いたことがない。
ぜひ社会正義のジャーナリストの米本さん、そんな直接の被害者を見つけ出してくださいな。相当なインパクトがありますよ。
ところでイエスの父親がザカリアであったという「血統転換」の話は実に興味深い話だった。聖書でも情況証拠ともいえる部分があるが、映画「マリア」にもそういった目で見ると確かにイエスの父親はザカリアではないか?と推察されるシーンがある。
もちろん聖書は聖霊によって身ごもったとされているし、映画「マリア」も基本的には同じような描き方ではある。
しかし当時の人はどう思っていたのだろうか?なんとなくイエスの実の父親を知っていたのではないだろうか? そんな噂は立たなかったのだろうか?
神の子イエスが祭司長のザカリアが自分の妻の妹、しかも許嫁までいる処女のマリアを孕ませて産ませた男だというのには、多分その当時の常識や社会規範から見ても相当逸脱していたことは想像に難くない。
初期のキリスト教がどうだったかは知らないが、社会に浸透するに従って、やがてそういった事実は隠蔽されるようになっていったのかもしれないなどと最近の米本ブログを読みながら、「アウフヘーベン」しているところでもある。
まあ議論を呼び起こすための投稿なら、これも刺激的でいいのかも? ただ「下衆の勘繰り?」と思うシックも多いかもしれないな。
なりたい「代表家庭」(笑)
ですから、この青い海さんの証言が一番具体的な初めてのもので、驚きました。又聞きとのことですが、状況からしてありえる、説得力がある文章なので。
ただ祝福当日、会場の舞台の上で主礼から直接祝祷や聖酒を受ける代表のカップル達と同じカップルかどうかは「?」でしょうね。もっとも6000双の時は(1610を除いて)皆数日内でマッチングが決まって、てんやわんやの中、すぐ祝福式だったので、いつの間に舞台上のあの代表家庭(確か白人家庭・黒人家庭・東洋人家庭だったか?)が決まったのだろう?と不審に思いましたが。
かろうじて「代表家庭」に触れている、ある程度信用できるネット上の情報2つ:
(1)アメリカUC幹部のダン・フェファーマン氏が、2001年血わけについての質問に答えて語った、“はっきりは分からないが、これだけは言える事実の欠片10個”のうち6と8の二つを翻訳はじめ:
http://www.tparents.org/library/unification/Talks/Feffermn/Fefferman-Pekerun.htm
6.一部のUCの夫達は、妻は御父様と性関係があったと確信しているが、これまで私たちが知っている奥さん達の誰もこれを認めていない。
8.他の信徒たちは、祝福ごとに1人の姉妹が選ばれて御父様とセックスをした、あるいは御父様は最初の世界巡回路程において様々な女性とセックスをしたと信じている。
(翻訳おわり)
(2)当時ネットでもしっかりした人物なのが分かった「カインの末裔」氏が血わけについての質問に答えて語る。(2003年)
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Kaigan/8586/7shoko.html
(引用始め)
≪神○さんが、担当だったというのは、事実で、6大陸、各人種は、実体的にあったようですが、120カ国が、達成されたかどうかは、私に話した複数の古参教会員も確認していません。
ただ、四大聖人の相対者とは、全てあったと色々な古参教会員から聞きました。だからといって、メシアではないと断言はできないとも私は思っています。ただ、777、6000、1800などは、象徴的にしかしていないと思います。
もしかしたら、代表家庭が、ある可能性も否定できませんが、聞いたことないです。日本、アメリカ、ドイツは、あったと聞いています。≫(引用ここまで)
文氏は6大陸、各人種の代表の女性信者と性行為をしたと言っています。引用部分では曖昧な表現をしていますが、URLで前後の部分を読めばはっきり分かります。神○さんが文氏の血わけの手配師だったと?(○は「山」?笑)
文教祖は再臨主としての使命を何も果たしていない!
仮に、奴の淫乱の所業が神の摂理に基づくものだと仮定したとしよう。その結果、彼は、人類の淫乱の問題を根本的に解決することができたのか?やれ、血統転換理論がどうだとか、聖書の記述を引っ張り出して、「奴の卑劣極まりない淫乱の所業を神の摂理に基づく聖業として無理やり正当化しようとする」現役信者たちに聞きたい。その答えは言うまでもなかろう。
さらに、百万歩譲って、文家の子女達にその使命が継承されたとでも言うのか?断じて否!自ら略奪婚、不倫、家庭破壊等の非道な振る舞いを行う輩どもが使命を果たせるはずなどあり得ない!
要するに、結果をみれば全てがわかる。つまり、文鮮明一族と統一教会幹部の腐敗・堕落、それからこの期に及んで、いまだに献金等に勤しむウルトラ○○正直の日本人信者達の実態をみれば、(どう見ても再臨主としての使命を果たせなかった)教祖文鮮明が誇大妄想の偽メシアであったことは一目瞭然。また、非道極まりないカルト教祖だったという点では、オウムの麻原と同類だ!
Re: 文教祖のカリスマ性はどこから来たのか?
ただ「サイコパス」用語を使っての分析はどうかと思いました。同用語は広辞苑を含めた日本語辞典、また手持ちの心理学用語辞典にも載っていませんので。
この用語を使われなくても、論考は秀逸なものですから。
冒頭にオウム&麻原氏に関するリンクを張られていました。なるほどと思いました。教祖論だけでなく、組織論としても、統一とオウムには類似性があると考えています。
紹介されていた本を読んでみます。
これからもご教示を。
提案と苦言
あなたが統一教会員であることを知っていない知人に、このブログ記事とあなたのコメントを、なんの説明することなく、「2つを読んで、どう思った?」と聞いてみてください。
おそらく、記事を読んで、
「21日間も3人の女性が文鮮明とやらと性関係を持ったぁ!キモすぎるわ。反吐しそっ」
コメントを読んで、
「何を言いたいのか、チンプンカンプン。この人、ここ、大丈夫なのかしら」
と、反応するはず。
嘘だと思ったら、やってみてください。
苦言はこれと関連する話。
ブログにコメントする場合、ふつうはブログ主にまず理解してもらえるようなコメントを書きます。
私もときたま他のブログにコメントすることがあるけど、常にそのことを意識して投稿します。いきなり、弁証法、唯物論なんて言葉は使いません。
しかしながら、私が非教会員であることを知っていながら、平気で定義もなされていないようなチンプンカンプンの統一用語を使う。
火の粉ブログの読者である信者家族が読んだら、どう思うか。
想像したことなんかないだろうなと思いましたとさ。
しかしながら、一般の人が理解できない統一用語を平気で使う感覚・感性とは何なのかという根源的疑問がますます鮮明になってきました。そういう意味では感謝しております。後日、書くつもりです。
(注)返信はいりません。投稿欄が荒れるような予感がするので。何かコメントされたい方がいらっしゃれば、後日書く予定の記事のコメント欄で。
Re: なりたい「代表家庭」(笑)
なるほどなるほど!です。
「神〇」さんには、複雑な気持ちを禁じ得ませんでした。
ところで、4lifeさんが次のように書かれています。
>三万双は例の桜田、山崎、徳田が代表3家庭とされています
察するに、「代表3家庭」という場合、表向きとそうでないとがあるように察せられます。
分かる方がいらっしゃれば、教えてください。
今、継承者と目される家庭ではどうなのだろう。
そういう意味で、今、分派のかしらである善進派(現在は鶴派であるが)、顕進派、亨進派はどうだろう?祝福を授ける際、もう文氏の○○はないだろうし、三年たてば○○は死滅するだろう。すると、この血統転換はどうなるのだろう?
それに、この3氏の家庭のお子さんたちは、大丈夫かな?仁進さんたちの結婚も大問題だったが、文氏のお孫さんともなると、もう血統書付きの人たちだからね(文氏のお子さんというだけでももう血統書はついているが)。
文氏のお子さんたちまでは、まだ、ああ文氏があんなかわいそうな育て方をしたからなとか、誉進女史や孝進氏の育ち方を見て同情する気になるが、3氏のお子さんともなると、もうそんな同情されるような育ち方ではないだろう。その人たちが、どんな育ち方をしているのだろう?おじさんや、おばさんよりも、もっと性に開放的な生活をしていたら、性の問題を解決する神学としては目も当てられないね。
血分け問題(注2)が、文氏や文氏の家庭だけの問題だったのか、それとも教義が間違っていたのか、数年かしたら、文氏のお孫さんたちを見て判断できるかもしれないね。
(注1)統一教会の教義では、最初の人間であるアダムとエバ(聖書の創世記に出てくる人物)は、神様の血統であったが、エバが神様の言いつけを守らず天使長ルーシェルと性交し、さらにそのエバがアダムと性交したために堕落し、サタン(堕落後の天使長ルーシェルのこと)の血統を受け継ぐことになった。これが原罪となった。ゆえに人間が原罪を許され、取り除いてもらうには、メシアによって血統転換してもらう必要があると説いている。これが統一教会の言う血統転換だ。その手法により一般的には血分け(注2)と呼ばれることが多い。
(注2)血分とは、(注1)の血統転換の際に、サタン側の血統の人間が、神側の血統を持って生まれてきた文鮮明氏と性交することにより、神側の血統を分けてもらうことを意味する。文氏と女性が交わり、その交わった女性を妻にいただいて交わることで男性も復帰される。が、文氏がすべての女性と性交するとなると、あまりにも大変なことになるためか、合同結婚式の聖酒式と、実際に家庭生活に入る前に三日間で行う三日儀式に象徴儀式化して行うことが慣例である。この聖酒式と三日儀式についても解説する必要があるが、あまりにもコメントが長大化するため、ここでは割愛する。
記事の注釈で書くのを忘れていたこと。
>「あ~ 今までは統一教会の信仰を持っていると公言しても普通に付き合えていると思っていたのは私だけだったんだ…。一般の韓国人は、口に出さなかっただけで、私達の事を、そんな風に思っていたんだ…」
と、ショックを受けるというか、やるせない気持ちになる事もありました。
ある年下の知人に、離教した事を打ち明けて「いろいろ調べてみたら、統一教会はサイビ(韓国語でカルトの事)だったんだよね…教祖様が、たくさんの女性と関係を持ってたって分かってね…」
と、話したら、プッと吹き出しながら
「ホント?! 知らなかったの? 韓国人なら、みんな知ってるよ!」
と大笑いされました…
なんだか複雑な気持ちでしたね…
実に、統一社会と一般社会との乖離を指摘する、本質を抉るような文章でした。
在韓婦人シック(現か元か退会状態かは問わず)は、先の一文を読まれてどう思われたのか知りたいところです。
拙著『我らの不快な隣人』でも書きましたが、在韓の日本人女性は2人に1人が教会員。だから、声に出さなくても、<この人、統一教会の合同結婚式で、日本からやってきた婦人ね>と思っている。そして、あの淫乱の教団か・・・と。
この乖離は、韓国ではなくてもあるでしょうね。
いや、もっと普遍化していえば、私が意識する<私>と、他人が見ている<私>との間でも、ズレがあるということです。
神経質になったり過敏になったりする必要はないけど、「他者の眼」をときおり意識することは重要なことだと思いましたとさ。
(注)書いた・書いた。もうこれ以上は、よほどのことがない限り、書きません。
女性シックは処女でなく、男性信者も童貞ではないのだから
再臨主=再臨のイエス様=イエス様
に抱かれた女性が花嫁ならこんな光栄なことはないではないか?
キムタクに抱かれた女を嫁にできた、と考えても凄い話でしょ?
そもそも、現代において処女の女性を求めるのは不可能。元カレが誰だろうと皆平気で初夜を迎えるのだから、メシヤに抱かれてフラれた後に自分と結婚してくれたと考えれば、
全然気分は最高なはず!
最後に結婚したのは文氏ではなく自分なのだから、自分は胸を張って夫になる。最後に子を授かるのは再臨主ではなく、
原罪清算された自分であり、その子の父親は自分なのだ!
これは信仰の問題ではなく、
結婚の定義をどこに置くか?という話ではなかろうか。
七男の話にも、
メシヤが妾を持って何が悪い?
という発言があったし。
信者ではない私のような外野が
どうこう騒ぐほどの話ではない、と思う。
>深く感謝します。
(引用はじめ)
『hide6500さんのお言葉、耳が痛いです。
<とことん自分で追及して、自分で結論を出しておくべき問題>
だったと私も思います。
教会本部の主張のみを盲目的に信じて
自分の力で調べようとしなかった私の怠慢さと
視野狭窄に陥っている事にさえ気付かなかった愚かさを
今頃になって痛感し、恥ずかしく思っています。』
(引用おわり)
私も既成教会からいろんな事を今まで聞きました。火のないところに煙は立たないことも十分に承知しております。しかし、中にはでっち上げもありますのでご注意ください。
ネットに公開する際に、「文責」という観点から米本さんも随分気を付けておられたことのでしょう。
もし掲載内容が事実なら、現在の教理では説明が着けられそうにないので、教会にとっては一大事に思えてなりません。(6マリア以上に不可解なのでは?)
信仰のない二世もショック
信仰のない二世とは、私のことです。
信仰がないながら、祝福も悪くないと思い受けまして、子供もいます。
祝福が悪くないと思ったひとつの理由は、性にクリーンな思想に共感が持てたことです。(不倫とか浮気を良しとせず、家庭平和を謳うところ)
社会的には明らかに問題を持っている統一教会ですが、潔癖とまで言えるような性に対してのクリーンさは、世に誇れるものだろうと感じていました。
かつては純粋な信仰を持っていた私は、6マリアの話は捏造の嘘八百だろうと、検証もせずに全く信用していませんでした。
米本さんの記事は大好きでしたが、たびたび登場する文教祖の性にまつわる話だけは嫌悪感がありました。
が、今さらながらどうやらだいたいのことは事実のように捉え直しました。
今回、敢えて気後れすることなく記事を書いていただいたことに感謝しております。
ここ最近は機会があれば、古参シックの方に事実を知っているか聞いてみたいと思っていました。
しかし、そもそも不思議に思うのは、なぜ教会は公式に事実を認めないのかということです。
どうやら現役シックの方にも事実としてあっただろうと受け止めている方もいるようですが、大部分のシックはかつての私のように、事実無根の世間のバッシング(迫害)と捉えていると思います。
文教祖の自叙伝にも淫乱教会と噂され、迫害があったとの記述があります。
この点について、自叙伝では嘘を付いてるのでしょうか。
それとも血分けの儀式であって淫行ではないとの認識なのでしょうか。
後者であれば、事実を述べて理由を書くべきだったと思います。
また、統一教会や古参シックが公けに事実を言わないのは、なぜでしょうか。
教義では説明つかないからでしょうか。
祝福によって原罪の清算ができるようになった時代においても、代表家庭への実体的な性行為による血分けが必要だったんですかね。
と、批判的な疑問を書きましたが、今回の記事にあるような文教祖が性欲に任せて性行為を行ったというイメージはいまだに私にはありません。
本人なりの天命を感じて人生を賭してきた人で、徹底して自分の体をいじめ抜いてきたのだと思うので、喜怒哀楽の感情を抑えられない面はあっても、いたずらに性の享楽に堕ちる人間では無かったのではないかと感じています。
しかし、心が肉体(食欲、睡眠欲、性欲)に負けたというエピソードなり裏話を私が聞いてないだけかもしれません。
「代表家庭」について
>三万双は・・・代表3家庭とされています
と書いたのは私の記憶する限り、あの3家庭が代表であるという通達や書面或いは口頭での発表等いずれもなかったためです。
祝福式の前後に公邸で3家庭が、食事に招かれたのは確かなので、その点やマスコミに「3人娘」として取り上げられ、式翌日のスポーツ紙の芸能欄も3家庭の写真が多く取り上げられていたこと等を根拠に「何となく・・」という感じではないでしょうか。
なお、式当日ご父母様から直接聖酒をいただく「代表家庭」には私も最後まで候補に入っていましたが、決め方は信仰歴の浅い順にふるいにかけ、最後は小山田副会長(当時)が無作為に選んだというものでした。
>そして幸運にも代表家庭の3家庭に選ばれるという栄光を賜った。
というほど仰々しいものではなかったですし、決めることに、ご父母様は関係していなかった訳です。
また、韓国及び他の国の代表家庭などは聞いたことがありません。
いずれにしても弱くゆる~いものです。
三万双の「代表」は・・・。
「代表家庭」についてですが
1989年1月、主に欧米からの千双以上のシックの祝福が韓国でありましたが、前年にあった6500双の欧米版ともいえるもので、一和マッコール工場で行われるという、かなり内部的で、マスコミなどは呼ばないような式でした。とにかくそこでマッチングなどが終わって、代表の一カップルが必要(たしか聖酒や祝祷を直接受けて、行進でもトップ)となった時、文先生が「韓国人(カップル)!」と叫ばれました。韓韓カップルが確かに一カップルだけいたのです。が、その二人は自分たちのことだとわかっていても、隠れて前に出ませんでした。何度呼んでも出てこないので、文先生は今度は、「韓国人・日本人!」と呼ばれました。このカップルは日本人男性と韓国人女性の組み合わせで、彼らは素直に出て来て代表の役を果たしました。日韓、韓日も、この一組だけでした。韓国人と欧米人という組はなかった、要するに韓国人は韓韓1カップルと、日本人男性と受けた韓国人女性一人しかいなかったんですね。
後で韓韓カップルに(知り合いだったので)「どうして出なかったの?」と聞いても、黙っているだけでした。このカップルがこの時点で「代表になると血わけがある」などと思っていたとは考えません。が、単に人前に出るのがいやだから、ということでなく、韓国人として、何か感じていて避けたのか?という気がします。
とにかくこの祝福式で表に出た代表は1カップルだけでした。欧米中心の式なのに、なぜ韓国人にこだわるの?という疑問も残りましたが、もし代表が、今回の記事のような内容にかかわるとするなら、韓国人優先というのは理解できます。しかし、この時の代表の韓国人女性が文先生と云々というのはまったくわからないし、たぶんそれはなかったでしょう、、としか言えませんが。
>初歩的な確認ですが。
3女王の聞き間違いじゃない?
あの3人はよく3女王ともてはやされていたけど。3女王がが3代表家庭だったなんて、聞いたことがない。
3女王のうち2人は本を出していて、うち1人は山崎浩子で、脱会後に出版していますから、もし3代表に選ばれて、血分けがらみの話題でもあれば、真っ先に書くでしょう。山崎浩子の商品価値を考えて、所属事務所が書かせないということもありえますが。
<追記>
別に新たにコメントする内容でもないので追記とさせていただきますが、徳田さんも本を出していました。ただし光言社からですが。
性欲からは、霊性は出てこない。教祖様はやはり性異常でしたか?
文さんの親心がわかる言動?
そして新年早々、説得力のある原稿アップ、
ありがとうございました。
私の現役時代に元老家庭の先輩から聞いた
さまざまな文さんの女性関係、婚外子の話、
分派といわれる教団のリーダーのやってる
血わけの行動などから推察して、
この話は作り話では決してないという
確信を持ちました。
文さんは真の父という立場で、弟子たちにいろんな教訓めいた話を
されてきましたが、
一番強調してきたのが
「男女関係の純潔」という内容でした。
もちろん、父母を敬えとか、ために生きろとか
普通の宗教でも言うことも話しましたが、
ここまで異常に強調しすぎるには「反面教師」という面が
あったのだろうと思われました。
人の親というものはたとえば、
自分に学歴がなくいい職業につけなくて
苦労していたとすれば
子供には苦労させたくないと思って
「勉強していい大学に入れ」といったり、
いいだんなさんと結婚できなくて苦労した人
なら、「お父さんみたいな人と結婚しないで
いい男の人に出会いなさい」と娘に言ったり、
投資に失敗して破産した家庭なら、
子孫には今後一切投資するなとか、
さまざまな事例があります。
私も英語ができなくてすごく苦労したので
子供に「英語は絶対に必要!やれ~!」と
プッシュしまくりましたが。。。。
10年くらい前文さんと20名くらいのメンバーの集まりで
ミコトバを語られる中、私の顔をしんみり
見つめながら、
「おとーさまは離婚歴があることで、教祖として生きていくのに、この社会で非常に大変な苦労をしたんだ」と本音?をぽろっとこぼされたことがありました。
私はそのころかなり統一を客観的に見つめて
いましたので、感動というより、
文さんの人生に対する後悔の念とか、遺言らしき感覚を強く受けました。
「自分が家庭を守れなくて、第一婦人を守れなかったことで受けた不利益」で社会をうらんでいるというよりは、そのことを後悔しているような老人のつぶやきでした。
彼が異常ともいえるほど純潔を守れと強調する理由は
「自分が純潔を守ることができなくて、
(数多くの女と関係を持って婚外子もいるので)大変な苦労をして、
まちがっていた?(もしくは後悔している)」から、
あなた方は純潔を守れと異常なほどに強調したのではないかと
私なりの納得のいく回答を得た経験があります。
ある先輩が
「文さんは霊界に行く前に自分のしてきた
不適切な性行為を神の前に信者の前にすべきだ。そうしないから、
いつまでも分派や、
幹部たちの非原理的な男女行為はなくならない」と話していました。
私はその点はどうだかよくわかりませんでしたが、
幹部たちや、00大学教授、分派の中に
女性信者(男性信者)を自分勝手に扱ったりする破廉恥信者が何人もいることは知っていましたので、
彼らは教祖の振り見て自分も同じように
まねしているに違いないと受け取りました。
ちなみに
7男が6マリアを認める発言をしたことで、
父親を擁護しようとしたのか、
開き直ったのかわかりませんが、
サンクチュアリ教会に行く信者の方は
当然文さんの男女関係についても
容認するのだなと、
純潔を守ってきた信者や一般人から見ると
とんでもない人々に見えてしまいました。
彼は再臨主だから、何をしても許されるみたいな?もしくは7男も父親と同様にしたいからなのか、かんぐられても何もいえない立場に自分自身を追いやっている、7男はお0かな後継者にしかみえませんでした。
(サンクチュアリの方には気分悪い意見だと思います。
そちらに行かれた方は鶴子教会よりはまし、という方が多いのかと
思いますが、7男がいいというなら、文さんの血わけをしっかり
肯定している教会だということは、間違いない事実なので。)
3男さんは7男のそういう発言には
批判的だという話を主人から聞いていますので、
その点は3男のほうがまともなのかと思って
しまいました。(もちろん私は統一やめてから
すべてのお誘いに乗るつもりはありませんし、
まっぴらごめん~!)
goutさんの文さんが「サイコパス」という説には全面的に同意しています。
異常性格であり、彼の背後霊?が淫乱大好きだったのかもしれませんね!
文さんが言っていた
「自分の夫よりおとーさまを愛さないといけないんだよ」というミコトバ。。。。
私はこれはできませんでした。。
夢の中でも文さんがたまに出てきて、
「ほかの男と結婚するんだ!」といって、文さんの命令でほかの男と祝福されそうになる夢とか見たこともありますけど、
メシアのミコトバでもそれだけは絶対無理~といったところで目が覚めることも数回ありました。
よく36家庭とか古い先輩が「おとーさま~」といって目をうるうるさせながら、
お慕いする姿を見てちょっと引いてた私。。。
普通に教祖を慕うレベルではなかった、、、
たぶん「代表家庭」のようにおとーさまとの
忘れられない思い出があるのだろうなと
納得がいきましたし、
そこまでおとーさま~って慕えない私は
不信仰ではなく、普通の信者だったんだな~と
ほっとしたこともありました。
つたない文章でありましたが、
私のうそ偽りのない「告白」でありました。
申年ですが、統一に関して
「見ざる言わざる聞かざる」を決め込むのではなく、
真実を見て言って聞くことのできる
米本ブログと読者の皆様となりますよう
今年もよろしくお願いいたします。
当たり前のことですが
「誰でも聖霊によらなければ『イエスは主である』と告白することは出来 ない」
とイエス様は語られました。
ところで、当時の人々(特に男性)はイエス様がそのような内面世界を持っている方だと思っていたでしょうか。マグダラのマリヤのような娼婦と行動を共にしていたイエス様を人々はどのようにみていたのだろうかということです。
きっと、『口先では偉そうなことをいっているが、結局お前さんも男で、マリヤと楽しいことを毎晩やっているんだろう。他の女ともな!わかってんだぞ!聖人ぶるな!』ぐらいに思っていたのではないでしょうか。
人は結局自分の尺度というか、基準で、自分の色眼鏡をかけて評価するので、自分とは縁遠く、接点のない事柄は理解できないものなのでしょう。
イエス様のみ言葉を理解できない人は、文鮮明氏の心情世界や行動は理解できないのだろうと思います。
>>初歩的な確認ですが(原田さんのコメントに対して)
>3女王の聞き間違いじゃない?
あの3人はよく3女王ともてはやされていたけど。3女王がが3代表家庭だったなんて、聞いたことがない。
千尋さんのコメントにもありますが、「代表家庭」というものが過去の諸先輩方の時はともかく、自分が体験した双では、権威など無く、極めて臨機応変、曖昧であることを申し上げたかっただけです。
なお、私の当時の所属教会には数十人、三万双がおり、責任者(6000双)が再三「あの3家庭は代表として・・」と 話していたこと、三万双の中で前述の通り、ご父母様から公邸に招かれ食事を振る舞われるという厚遇(?)を受けたのは彼らだけのはずですから、三万双の中で誰が「代表3家庭」かと考えれば、そう考えざるを得ないこととなりますが、前述の通り公式なものは何もないということです。
たった4か月の命でもありましたし。
内容重複で恐縮ですが。
>3女王のうち2人は本を出していて、うち1人は山崎浩子で、脱会後に出版していますから、もし3代表に選ばれて、血分けがらみの話題でもあれば、真っ先に書くでしょう。山崎浩子の商品価値を考えて、所属事務所が書かせないということもありえますが。
天下(当時)の文芸春秋から出した「愛が偽りに終わるとき」のことかと思いますが、出版元、某有田大先生監修(或いは執筆)であることから、言われる通りそんな「おいしい」ネタがあったら飛びつくでしょうし、山崎さんが話すでしょう、間違いなく。
ただしイメージダウンになりかねないことから、閑古鳥の鳴いていた山崎さん経営の新体操スクールのスポンサーであった、某大手自動車メーカーあたりが止める可能性は微かにありますが。
>徳田さんも本を出していました。ただし光言社からですが
「やっぱりこの人が一番」的なタイトルだったでしょうか?
暴露本ではないですし、出版元から考え仮にあっても書かれないでしょう。
いずれにしても三万双においては上記の状況等から「なかった」ものと推察できるかと思います。
>>初歩的な確認ですが
代表家庭を誰が選ぶのかわかりませんが、雑駁に考えて、代表家庭には直接的血統転換(血分け儀式)の可能性があるということもあります。となると、アイドルが選ばれる可能性は極めて低いと思います。
3女王と呼ばれていたように、腫れ物に触るように、ほとんど信仰教育もしないままに、合同結婚式に参加する彼女らに、文氏とのsexを勧めることは、統一教団にとって極めて危険なことです。
テレビへの露出度も高い彼女らに、テレビ番組でちらっとでも喋られると、致命的ですからね。文氏との食事会に参加したとしても、日本を代表するアイドルとして、文氏に喜んで頂くために教団側がお願いしたのでしょう。桜田さんなんかは、御聖誕祭(文氏と韓女史のお誕生パーティのこと。三日間くらい続く。あっ一週間くらいだったかも?)などで招かれて、歌っていたようですからね。
ご意見申し上げます。
ご無沙汰してます。
本年もよろしくお願いします。
記事に違和感を感じた故、ご意見申し上げます。
『・・・文鮮明先生と3人同室で性関係を持った。21日間は、そのような期間でその期間が過ぎたから、
相手の男性が住んでいる日本に行く準備を今しているところだ。そのような特別な恵みを受けられた事を栄光だと思っている』
①米本さんが仰せの通り6000双の際、文鮮明先生はは62歳。6500双では68歳、3万双では72歳と。
それ以降の祝福ではもっとお年を召されて、男性としての機能自体が衰えるのは想像がつきます。。
21日間にわたり代表の女性3人と肉体関係を持つというのは、どう考えてもありえない話ではないでしょうか。
②以前、摂理というカルト団体があり代表のチョン・ミンソクが信徒の女性と強引に肉体関係を持ち、その信徒から強姦の罪で訴えられたとTV等で見たことがあります。
以前、友人A(男性/3万双)も韓国の女性と祝福を受けましたが、約婚期に(その女性が)他分派から誘われ、
同様の被害にあったと打ち明けられたことがありました。
その韓国の女性は(他分派の指導者と関係を持つことは)「信仰的に成長するため」と受け入れての行動でしたが、
関係を持った後は良心の呵責からか、自然と彼(A)の前から姿を消したそうです。
Aは「それでもいいから貴方と家庭を持ちたい」と何度か訴えたが、聞き入れられなかったそうです。この話を思い出すたびに今でも心が痛みます。
このように本来の相対者と違う人と関係を持ったならば堕落したエバのように、
良心の呵責に責められるようになるのが通常です。
「特別な恵みを受けられた事を栄光だと思っている」などと言う発言は実に違和感を感じます!
私はこの話自体が信憑性に欠けるように感じてなりません。
他にも主張したいことはありますが、長文になるのと筆不精で話がまとまらないので、今回はここまでにします。
他の女性の視線を感じながら…
(引用始め)---------------
犬とて、交尾は秘め事なのである。にもかかわらず
文鮮明氏は2人の女性の視線を十分に感じながら、
1人の女性とのセックスに励む。
男性・性としては、理解不能である。
それゆえ、「文鮮明は性的異常者としか思えない」のだ。
女性・性としてはどうだろうか。
文氏と1人の女性がセックスに励んでいるとき
どのような気持ちで眺めていたのだろうか。
(引用終わり)--------------
文鮮明氏が、他の女性の視線を感じながら
性行為に勤しまれていたという証言は他にもあります。
(1) 3人での性生活と重婚関係
昔はアベル(ラケル)のお母様としての韓鶴子女史と
カイン(レア)のお母様としての崔元福女史がいらっしゃり
777双の祝福までは、一緒に聖酒を配られていたそうです。
その上、3人での性生活をされていて、それを知っていた
真の御子女様が苦悩されたり、韓鶴子女史が嫉妬心から
崔元福女史の服をハサミで切ったりされたそうです。
詳しい内容は、ちゃぬさんのブログをお読み下さい。
(3人での写真もあります。)
「ちゃぬの裏韓国日記」 六マリアと真の家庭(3)
http://ameblo.jp/chanu1/entry-10730590485.html
(2) 立会人の女性が見つめる中での復帰(性)行為
(以下 六マリアの悲劇より抜粋)ーーーーー
釜山からソウルに来た食口のなかに、劉**という女性がいた。
あの影島集会のとき、家を提供してくれた辛**の妻である。
彼女はある晩、教会の隣に部屋を借りていた
文さん(文鮮明氏)の部屋を訪ねた。
部屋をノックしたところ「誰なのか」と声がしたので
「(劉)**です」と名乗り「入りなさい」と言われて中へ入った。
そして、その場で復帰の実践を受けたそうである。
この時は、すでに三回復帰を受けていた金**が
復帰のやり方を教えて証人として立ち会った。
金**に勧められた劉**は、勇気を出して復帰を受けたということだった。
このあと劉**は、たくさんの男性食口たちと復帰した。
私も実は、劉**と復帰(セ*クス)をした一人だった。
彼女はすぐあとに登場する*徳*とも復帰をし、
さらに*徳*は他の女性と復帰し、
その女性がまた…。たちまち七十数人の輪になってしまった。
(抜粋 終わり)-------------
以上のような資料から、文鮮明氏は普通の感覚では考えられない
当事者ではない女性が見守る中での性行為を行っていたと推測されます。
しかも、その事を777双までは知っていた可能性も…?
共同幻想として生まれた血統転換思想
にほんブログ村で話題になった文亨進氏の「六マリア」肯定発言、少し前に米本さんが記事にされた朴サムエル氏の証言などは教会本部からも否定されておらず、訴えなどは起こされていないわけですから、統一教会の過去には教祖と多数の女性信者の性行為があったことは事実として認めねばなりません。
日本統一教会は現在に至るまで、文教祖に関するそのような事実はなかったと一般社会に主張してきました。
http://ucqa.jp/archives/853
上のサイトは「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」によるものですが、統一教会=家庭連合の見解と同一と考えて間違いありません。
日本統一教会は過去においてマスコミから批判される度に「文鮮明氏が血分け行為をしたなどとは事実無根である」と繰り返し主張してきたのですが、「六マリアの悲劇」(朴正華筆)が出版された際にも、それを完全否定するような試みがなされたのです。
そこには論争が起こったのですが、内容としては統一教会反対派の方が説得力がありました。
http://www.kyushutsu.net/6maria.html
しかし、それでも日本統一教会は「六マリア」を否定し続けてきたのです。
その「六マリア」問題に決着をつけたのは、文氏の実子であり、父親から後継者として「三度王冠を授けられた」文亨進氏だったのです。
文亨進氏は動画で堂々と「六マリアの摂理」を肯定しており、それを隠し、恥ずかしがっている教会幹部や信者達を激しく非難したのです。
結果として文氏と六マリアとされた女性信者達が性行為を行ったのは疑いようもない「事実」として認められることとなったのです。
日本統一教会本部がそのような教会史の事実を知らなかったはずはなく、結局その本部の者達は世間を欺き、嘘を言っていたことになるのです。
米本さんからの質問にも答えない徳野氏の態度から、統一教会本部の上に立つ者が下劣な者なのは証明済みですが、組織の中心にいる者達は卑劣な偽善者と言う以外にありません。
偽善者が神の理想を語り、世界平和を語るのですからまさに‘カルト’宗教の様相はシュールな世界です。
「六マリア」に関することと朴サムエル氏の証言を考え合わせれば、青い海さんがブログに書かれたことは充分あり得ることで、文氏の血統転換思想と結びつきがあり、青い海さんが耳にした小学校の先生の話は真実と思って間違いないと思います。
その先生が話したという内容を聞いての米本さんの感想は「文鮮明は性的異常者としか思えない」とのことでしたが、それは正常な道徳観をもつ一般人の当たり前の感想だと思います。
夫婦の性関係は相手の人格、価値観、個性などを完全に受け入れた上でなされるものであり、そのような人格的な愛が条件としてあるからこそ その性関係は社会的にも尊重され、男女の心と体が共に喜ぶことのできるものとなるのです。
もし、その男女が相手に人格的価値を認めず、生まれてくる子供に絶対的責任を取らないような夫婦のものとは異なる性関係であったなら、それは人間らしい性関係などにはならず、肉体的欲望を優先した動物的なものと見なさざるを得ないのです。
ただ文氏がそのように妻以外の女性と性関係をもったのは宗教的に正当化する理屈を持った上であるのも確かです。
つまり、血統転換教義というものなのですが、それを根拠として 文氏は全人類の女性は神の子である自分と性関係をもたねばならないと本気で考えていたのです。
サタンの血統を受け継いだ堕落人間は血統転換されねばならず、血統転換されるためにはサタンである天使長ルーシェルと性関係をもって最初に堕落した女が、神の子として完成したメシアと性関係をもたねばならないと実際に思っていたのです。
もちろんそこには多くの理論的な矛盾があり、宗教的真理と科学的真理の合致を主張する原理講論の総序にしたがえば、サタンの血統を認めるところからすでに矛盾が生まれており、大前提が成り立たないのです。
さらに性関係をもてば血統が転換されるという理屈も理論的に間違っており、血統転換教義は科学的真理と矛盾するのはもちろんのこと、創造原理の世界観とも相容れないのです。
統一原理には「蕩減復帰原理」という教理がありますが、それは創造原理と矛盾するものであってはならないので、「逆の経路」と考えても原理的に許されないことは行ってはならないのです。
文氏が「六マリア」のような性行為、青い海さんのブログに書かれたような性行為を行ったのは事実と考えて間違いないのですが、文氏がそのような多数の女性と夫婦となる為ではない性行為を行ったことは創造原理的には何ら正当性がなく、動機として異常な性的欲望があったと考えてもおかしくはありません。
ただ、異常な性欲が動機の全てかと考えると、そのように考えることもできず、そこに矛盾が生まれてくるのも確かです。
その性行為はある程度制限された中で行われており、そこには文氏の宗教思想が反映しているのです。
結局、その多数の女性との性行為は血統転換教義と強い性欲の混合されたものと考えざるを得なくなります。
呪術的思考であっても血統転換教義を純粋に信じているのならWatcherさんがコメントに書かれたように性関係のリレーだけで人類の血統転換はなされるはずですから、多数の女性信者と性関係を広げて行く必要などないのです。
文氏は血統転換教義を名目としていながらも、性行為そのものを望んでいたと考えてもおかしくはないのです。
朴サムエル氏の証言の記事に投稿した私のコメントに書いたのですが、文氏の思考はその大部分が呪術的思考となっております。
その呪術的思考に矛盾を感じない性格についてはgoutさんがコメントで鋭く追及されていましたが、そのコメントを否定するのは難しいと思います。
私は、統一教会において表向きの教理と異なった韓国の異端キリスト教混姻派の‘血分け’と同じような行いが内部で続けられ、矛盾を抱えながら、それでも宗教組織として存続できたのは‘共同幻想’という観点から理解する以外ないと思っています。
‘共同幻想’は以前に‘火の粉を払え’ブログにおいても話題にされましたが、その概念を用いる以外に統一教会内の異常な現象を説明するのは難しいのではないかと思います。
つまり、次のように考えられるのです。
文氏には万人に認められるような普遍的真理を解明する能力はなかったが強い自己顕示欲、社会的支配欲は持っていた。
霊的な宗教集団による強い影響を受けるようになり、非科学的な呪術的思考にのめり込んでいってしまった。
そして呪術的思考によって大部分が成り立った宗教をつくり、自分が再臨のメシア、人類の真の父母であることを主張するようになった。
一方に、インテリだが自信がない人や依存し易い人々がいて、文氏に魅力を感じるようになり、付き従うことになってしまった。
人間の集まりには集団的慣性というものがあり『独裁的支配を欲する者―依存的性格を持つ者』の関係が確立されてしまうと、その相互関係はさらに強化され、同類の依存的性格を持つ人々に集団が広がっていくようになる。
かくしてそのように出来上がった宗教団体には呪術的思考による教義が根付き、信者達はその共同幻想の中で生きて行くようになる。
goutさんは「文教祖は人格障害があり性依存症であった。」という仮説を書かれましたが、たとえ文氏にそのような特殊な人格的問題があったとしても、それだけでは統一教会の異常な現象は説明し切れないと思います。
異常な人間が一人いるだけでは大きな社会問題が起こることはありません。
異常な人間であれば人々はそれを感じ取ることができ、自己主張しても人々に無視され、社会から排除されるのみです。
しかし、その一人の人格障害者に別の傾向の人格障害者が加われば話が変わってくるのです。
支配欲の強い人格障害者に対し、依存的な人格障害者が組み合わさると相互作用による効果が生まれ、互いが存在価値を発揮するようになるのです。
つまり、文氏が呪術的思考によるものでしかない血統転換教義を真理のように思い込むまでになり、その実践が可能になったのは、依存的な人格障害を持つ信者がそれを受け入れたからなのです。
文氏はそのような追随者が現れることによって、人格障害も是正されないまま、ますます妄想の中にはまり込んでいくようになり、その結果としてその集団に共同幻想が生まれることとなったのです。
その集団の外にあるより広い世界では常識としてあることもその集団の中では通用せず、妄想、非真理である呪術的思考がそこでは普通のことのように感じられてしまうのです。
統一教会の問題は文氏一人の問題ではなく、依存性人格障害の傾向をもつ信者達にも大きな原因があるのです。
(依存性人格障害については以下をご覧ください)
http://www.e-heartclinic.com/kokoro/senmon/dpd01.html
以前の記事のコメント(cosmopolitanさん?)に、文氏が「私はメシアではないかもしれない」と弟子達に語った時、弟子達は「私達がメシアにして差し上げます」と答えたという伝聞が書かれていましたが、それはかなり信憑性があると思います。
共同体が生まれる背景には必ず協力関係が存在するのです。
そして、共同体には必然的に共同幻想が作られるのです。
ただ、その共同体の共通理念が普遍的真理に近いものであったなら、いわゆる幻想で終わらず、多くの人々に共感を呼び、共同体は発展するようになるのです。
それらのことは創造原理をよく理解している人にはわかり易いと思います。
つまり、「生存と繁殖と作用などのための力を発生」させるのは「授受作用」(相互作用)の原理に基づくのです。
「授受作用」は相対関係からうまれ、一つの存在のみでは行えないのです。
異常者が出現する背後には、また別の異常者が存在するのです。
そして異常者によって形成される集団に生まれる共同幻想は、異常な妄想となって現れるのです。
統一教会の血統転換教義はその典型的なものです。
それは想定の範囲内
堕落した経路を反対にたどり神の基に元返す。 なのでサタンがしたことと同じことをする必要がある。
勝利圏が拡大された今は、象徴的なアクションで許されるようになったみたいですが。
3日儀式のように簡素に済ませられるようになったのは、先達のおかげだと思っています。
メシヤは根源的な存在なので、がっつり逆の経路をたどる必要があったのではと理解しています。
これは秘儀中の秘儀でしょうが、復帰の経路を考えると、想定可能なことではないかと思います。
イエス様も狭き門より入れと言われるように、この道はやはり門が狭いと感じます。 神が予定した復帰の道をサタンはスキャンダラスに報じますので、それが気になっちゃって門が狭くなるのでしょうか。
こういうことを言うと、思考停止と安易に決めつける人がいますが、そう言う人ほど思考停止している人が多いように見受けられます。
いろいろと原理を実践し検証し、復帰摂理歴史や神の意図・神の計画を研究し続けてきた見解として、文先生の生涯を受け入れている人も大勢いるのに、ただ単純に自分の価値観に考え方に合わないから軽蔑しているように思います。
もう一歩二歩、思考を動かして、もし神がいて、そしてサタンもいて、サタンが「そういうやり方で復帰しようとするなら認めましょう」「そんな安易な方法は私は認められません」とイバラの道を提示してきていると想定した場合、血分・6マリアが事実だということもそのイバラの一つとも捉えられます。
食口なら誰しも考えたことがあると思いますが、メシヤがメシヤでなかったら?、原理が真理でなかったとしたら?、私はいったい何だったんだろう?
客観的に自分を見たらカルトにはまった痛々しい人だ。 友人、親戚はさぞかしあわれに思っただろうと。
しかし、神や霊界、あるいは原理や文先生を否定する人たちも、百歩譲ってもしそれが本当だったとしたらと想像してみてほしい。
万が一、億が一、兆が一、それが本当のことだったとしたら、自分はいかなる存在になっているのか。 浅はかな善意、浅はかな見識で人を惑わしているのではないのか?
後になって間違っていたから「ごめんなさいね。でも自己責任ということで許してね」が通じるのか心配になります。
Re: ご意見申し上げます。
>米本さんが仰せの通り6000双の際、文鮮明先生はは62歳。6500双では68歳、3万双では72歳と。
それ以降の祝福ではもっとお年を召されて、男性としての機能自体が衰えるのは想像がつきます。。
21日間にわたり代表の女性3人と肉体関係を持つというのは、どう考えてもありえない話ではないでしょうか。
そう考えるのは、ヤンさんの身体感覚(性年齢?)を基準にした考えにすぎません。
自分の性感覚をもって、文鮮明先生のことを論じるのはいかがと思います。
私は齢100になりますが、毎日ですよ。
(妙齢のご婦人から「嘘をつくな」と叱責されそうですが)
>「特別な恵みを受けられた事を栄光だと思っている」などと言う発言は実に違和感を感じます!
私はこの話自体が信憑性に欠けるように感じてなりません。
goutさんが言及されていたオウム関連の本・資料、「愛の家族」「ラジニーシ」(今は和尚か)の資料、また拙著の『洗脳の楽園』を読んでいただきと願う次第です。
言いたいのは、自分(我)を基準にして考えるのはまっとうだけど、それですべての事象が解釈できると思ったら、大間違いだということです。
変態さん
>文鮮明氏は普通の感覚では考えられない
当事者ではない女性が見守る中での性行為を行っていたと推測されます。
世間では「変態さん」と表現します。
眠り猫さん、「それは想定の範囲内」として、「摂理的」(?)に解説していただけると助かります。
説得力があれば、あなたの旦那も私も、今日から3P!
Re: 共同幻想として生まれた血統転換思想
ただ、今回の投稿には共感と違和を覚えました。
まず、前者の共感のこと。
別冊宝島『洗脳されたい』でも書きましたが、教祖が誕生するのは共依存が前提になっています。
ある教会関係者によれば、「入信してくる人たちはほぼ全員といっていいほど、親子関係の問題を抱えており、心理的にはきわめて依存症的傾向がある」ということでした。
わが徳野さんにも「親子関係の問題」があったようです。
違和感は次の記述です。
「もし、その男女が相手に人格的価値を認めず、生まれてくる子供に絶対的責任を取らないような夫婦のものとは異なる性関係であったなら、それは人間らしい性関係などにはならず、肉体的欲望を優先した動物的なものと見なさざるを得ないのです」
違和の理由は、「動物が肉体的欲望を優先している」という表現にあります。
動物には肉体的な欲望はありません。
生殖本能だけです。ここがエンゲルスが勘違いしたところでしょう。
文鮮明氏も間違っているのだけど、動物には性欲はありません。あるのは「生殖本能」だけです。発情するのは、猫を例に考えれば年に2回です。
神々の黄昏さんだけではありませんが、「血分け」と「血統転換」を先験的に同一視していることです。
大正天皇以後の皇族の血統のことを考えれば理解できるはず。
「民間の血を入れる」
韓民族
統一協会をも含む韓民族の長所と欠点を、彼らへの愛を忘れず、それでも冷静に論じられる場は米本さんのブログしかありません!
こんな場が存在し得るというところに、神も仏もあるのだという思いを禁じ得ません。
さて、文氏の4輪車(ソープランド用語,お客が3人の女性を相手にする)ですが、
『聖書』に前例を求めるならば、『旧約聖書』の中の「列王紀略」にアブサロン王子の例あり。
この「列王紀略」は、ダビデやソロモンといった古代イスラエルの黄金時代を描く歴史書としての側面も持っております。
亡き小室直樹が 『偏差値が日本を滅ぼす 親と教師は何をすればいいか』(1984年,光文社カッパブックス)の中で、漢の武帝父子(武帝とその皇太子)と並んで、ダビデ王とアブサロン王子との父子の争いを史上最初期の家庭内暴力の実例として紹介しております。
これによれば、「異母きょうだい(アムノン)を殺したアブサロン王子は、いよいよ実父であるダビデ王へも反抗の刃を向け、ついに叛乱を起こした。
ダビデ王は一時エルサレムを追われ、アブサロン王子の三日天下となった。このとき、アブサロン王子は衆目の前で、ダビデ王の妾たちを次々に犯した」
とのこと。若き日の文氏がこれに触発され、年老いて教会内での絶対権力者となってのち実践を試みたと言えなくもありません。
なお、文氏の故郷が、牧畜地帯である「平安北道」だというのも気になります。
家畜の交配を幼少期から目にする機会も多かったので、その原体験が教会樹立後、絶対権力を得てのち、彼をしてそのような破天荒な振る舞いに及ばしめたのではないか?とも思われます。
正直なところ、真面目に米本さんのブログを拝読すればするほど、
韓民族とは距離を置いて付き合いたいものだという思いを禁じ得なくなりました。繰り返しになりますが、
今回の北朝鮮の水爆にしたところで、研究開発費用は、日本国内の北朝鮮系パチンコ店やソープランドから送金されたお金を基盤としておりましょう。
償いは済んでいる、いい加減にしてもらいたい、というのが正直な感想です。
意を尽くしませんが、取り急ぎ御報告まで。
文鮮明師は性的異常者とは思えない
自分個人にとって文師は神と自分との関係を再構築するキッカケになった仲保者であり、それ以上でもそれ以下でもない。
しかし文師を神格化する一部のシックにとっては、米本さんの発言を冒涜と感じる人も大勢いるかもしれない。
イスラム教の教祖ムハンマドもその結婚観などを巡って、その性的指向について相当な批判を受けたようである。何しろ十数人の妻の中には10歳にもならない娘もいたようでもある。
まあ皆さん、ウィキペディアの「ムハンマドへの批判」を読んでみてくださいな。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%9E%E3%83%89%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%B9%E5%88%A4
ムハンマドは大昔の人だから、その事実関係は検証しようがないが、もし現在に生きていたら、常識の道徳観を持つ米本さんは文師と同じ結論を出すのだろうか?
>共同幻想として生まれた血統転換思想
> 日本統一教会は過去においてマスコミから批判される度に「文鮮明氏が血分け行為をしたなどとは事実無根である」と繰り返し主張してきたのですが、「六マリアの悲劇」(朴正華筆)が出版された際にも、それを完全否定するような試みがなされたのです。
> そこには論争が起こったのですが、内容としては統一教会反対派の方が説得力がありました。
> http://www.kyushutsu.net/6maria.html
> しかし、それでも日本統一教会は「六マリア」を否定し続けてきたのです。
神々の黄昏さん、六マリアの問題はあなたがおっしゃるように、亨進氏の発言により確定的となり、パクサムエル氏の登場で実証された。他にもちゃぬさんその他のブログでの「みことば」で後付されたとみて良いと思う。そこで私が思うのは「六マリアの悲劇」はもう利用価値がなくなったと思う。
同書からデータを使うかどうかは、私の関与するところではないが、私は朴正華氏自身の性格が気に入らない。北朝鮮から遠路はるばる、怪我して逃げられないところを、朝鮮動乱の最中、自転車の荷台に座らせてもらって、一緒に逃げてきたんだよね。おいていかれてもやむを得ないところを、必死に38度線を超えたが故に、自由韓国で生きることができたんだよね。それが「六マリアの悲劇」ときた。
ま、命の恩人でも、間違ったことをしていれば、ただしてあげるべきだと言えば筋論にはなる。が、彼の場合は私怨だと言う。しかも統一教会側の人間に会ったら、今度はまったく反対の内容の本を出すという。しかもタイトルも「私は裏切り者」。とても自分でつけたとは思えない、裏切り者のユダみたいなタイトル。あれはきっと、教団側の意向だろう。
さらに韓国に帰ったらまた批判本を出すという、本当に相手の都合どおりにかいてしまういかがわしさ。どうも好きになれないね。
思うに、体が悪かったから、治療代として金が必要だったのだろう。で、本を出版するということになり、印税を期待した。ところが、途中で、日本の出版社から話があり、そちらに乗り換えた。そうしたら、この手の話にはつきものの訴訟沙汰が韓国の出版社からおき、はたと困った。
そこに目をつけた石井らが、救いの手を差し伸べ、訴訟のことはこっちの方でカネでなんとかするから、「わたしは裏切り者」を出せと条件をつけた。訴訟する金もなし、治療代も欲しい、の朴正華氏には他に選択肢はなく、それを受け入れ、ついでに日本で各教会をめぐる講演旅行も引き受けた。
そしてひと段落して韓国に帰ってみると、訴訟の件は終わっていたが、朴正華氏周辺は大変なことになっていて、「野録〜」の出版を引き受けることになった。もちろん印税も欲しかった。
以前、「六マリアの悲劇」とその否定本の「わたしは裏切り者」を読み比べながら、出版の経緯を調べつつ、わたしが理解したのが上記の内容だ(推測も含まれているので、まったく検証済みとはいかないが)。
要するに、朴正華氏は、カネに困っていたという事情もあったが、条件次第でどちらにも転ぶいい加減な人なんだ。もちろん、本人がそういう人だと言うことと、「六マリアの悲劇」に書かれていることが真実かどうかは、異なる次元のこと。彼は嘘を書いているというつもりはない。
> その「六マリア」問題に決着をつけたのは、文氏の実子であり、父親から後継者として「三度王冠を授けられた」文亨進氏だったのです。
> 文亨進氏は動画で堂々と「六マリアの摂理」を肯定しており、それを隠し、恥ずかしがっている教会幹部や信者達を激しく非難したのです。
> 結果として文氏と六マリアとされた女性信者達が性行為を行ったのは疑いようもない「事実」として認められることとなったのです。
> 日本統一教会本部がそのような教会史の事実を知らなかったはずはなく、結局その本部の者達は世間を欺き、嘘を言っていたことになるのです。
その点は同意する。文氏が行った行為に関して、教義的側面から彼らが否定するのは、「文氏の行為は、我々のあずかり知らぬこと」と言うに等しい。すなわち、文氏のやったことは教義とは関係のない個人的所業であると理解されても致し方のないことである。……と、ここまで書いてきて、あるアイデアが浮かんできた。まさか……
> 米本さんからの質問にも答えない徳野氏の態度から、統一教会本部の上に立つ者が下劣な者なのは証明済みですが、組織の中心にいる者達は卑劣な偽善者と言う以外にありません。
> 偽善者が神の理想を語り、世界平和を語るのですからまさに‘カルト’宗教の様相はシュールな世界です。
徳野氏が答えない、教団から反論もない、という事で、文氏の偽善者性を社会の人々がますます確信するようになる。いかに凡庸なカルト脳の彼らにも推測できることである。本来ならトサカを真っ赤にして突き回るはずの教団本部が追求してこないというのは、何か謀略があるかも?
そこで、先ほど書いた「まさか」である。鶴は鮮の駆逐を図っている。もちろん、「真の父母」は外せない線なので、鮮を飾りに立ててはいる。しかし、鮮のやったことが批判されればされるほど、教団内では相対的に鶴の株が上がる。そこで鶴の派閥である日本教団は猛烈な反撃に出ることなく、米本さんの追求を静観する。なんてことはありうるんじゃないの?
もちろん、米本さんの追求は的確だから、場合によっては解団に至るくらいの危険はあるだろう。しかし社会音痴、社会の評価などなんのそのという彼らには、社会的評価よりも、鶴の地位の確立、鮮の追い落としの方が、優先課題と認識しているのかもしれない。
すると、日本教団には、もっと鮮への攻撃が強まったほうがいい?と口で言えないものだから、内心ニヤニヤしている?これが先ほどの「まさか…」である。穿ち過ぎかもしれないが、鮮への攻撃は、鶴の確立を目指す彼らには、それほど重要な攻撃に見えないのかもしれない。
> その先生が話したという内容を聞いての米本さんの感想は「文鮮明は性的異常者としか思えない」とのことでしたが、それは正常な道徳観をもつ一般人の当たり前の感想だと思います。
……中略……
ただ文氏がそのように妻以外の女性と性関係をもったのは宗教的に正当化する理屈を持った上であるのも確かです。
つまり、血統転換教義というものなのですが、それを根拠として 文氏は全人類の女性は神の子である自分と性関係をもたねばならないと本気で考えていたのです。
> サタンの血統を受け継いだ堕落人間は血統転換されねばならず、血統転換されるためにはサタンである天使長ルーシェルと性関係をもって最初に堕落した女が、神の子として完成したメシアと性関係をもたねばならないと実際に思っていたのです。
米本さんは社会派ジャーナリストですから、「社会的に見ておかしければ、教義もへったくれもないじゃないか」と言うのが、基本的に譲れない大枠だと思う。もちろん教団員の思考方法を把握するために、教義を知ろうとはするだろう。が、そこまでである。ジャーナリストの領域を超えてはならない、というのが、彼の矜持であろう。
で、教団員はどうか?もちろん社会的に見て間違ったことはやってはならない(ということが分からず、神のために盗みを犯したり、神のためにコンプライアンス違反したり、神のために出刃包丁を送ったりする人がいるのは困ったものだが)。
しかし、教団員にとっては、教義というものが、判断基準として比較的大きな割合を占める。教祖が教義に従って行動したのかどうか、そしてその教義に誤りがあったのかどうか?これが非常に大きな関心事となる。
だから、まず第一に、教祖のやったことが、社会的に見て犯罪港など許されない行為であったかどうかが大事。これは米本さんら社会派ジャーナリスト、一般社会の方々と同じです。次にその教祖が教義に基づいてやったのか(狂信、妄信も含めて)?、さらにその教義が間違っているのか?という点、もっと端的に言えば教祖へのシンパシーという点で相違が出てくる。教祖が社会的に見て間違ったことをやったということは、両者とも一致している。しかし,教祖が性格異常者、人格異常者、性的異常者、いわゆるキチガイかどうかという点では、どうしても判断が異なってくる。教祖と接する機会の全くなかった一般社会の人にとっては、そんなおかしなことをするのはキチガイということになるが、接する機会のある教団員にとっては、そうは見えないがなあ、教義を妄信して行ったせいじゃないかなあとなるわけだ。今日その性格分析は必要なことだが、キチガイとまで言わんほうが、納得できる信者を得るにはいいと思うが。
> もちろんそこには多くの理論的な矛盾があり、宗教的真理と科学的真理の合致を主張する原理講論の総序にしたがえば、サタンの血統を認めるところからすでに矛盾が生まれており、大前提が成り立たないのです。
> さらに性関係をもてば血統が転換されるという理屈も理論的に間違っており、血統転換教義は科学的真理と矛盾するのはもちろんのこと、創造原理の世界観とも相容れないのです。
> 統一原理には「蕩減復帰原理」という教理がありますが、それは創造原理と矛盾するものであってはならないので、「逆の経路」と考えても原理的に許されないことは行ってはならないのです。
はい、教義面のことね。それは大変重要なことだから、また別にコメントさせていただきます。
> 呪術的思考であっても血統転換教義を純粋に信じているのならWatcherさんがコメントに書かれたように性関係のリレーだけで人類の血統転換はなされるはずですから、多数の女性信者と性関係を広げて行く必要などないのです。
その呪術的思考ってどういうことかが分かるように書かれてあるコメントって、どこにあるか教えていただいていい?自分でも探してみるけど。呪術的っていうと人を呪い殺したり、自分の意のままに動かしたりというイメージがあるけど、統一教団って、呪い殺したり、病気にさせたりということは聞かない。あの人が教会に来ますようにとか、会えますようにとか、ある面人を動かすようなお祈りはすることがあるけど、そういうこと?
> 文氏は血統転換教義を名目としていながらも、性行為そのものを望んでいたと考えてもおかしくはないのです。
そこが私がこのコメントで書いた一般的な教団員と、あなた及び教祖と会う機会のない一般社会の方々のシンパシーの違いだね。
Re.それは想定の範囲内
(この場に合わせ、原理用語・宗教の本質的問題を控えるため、かえってわかりにくかもしれません。)
まず、貴殿からの引用[2016/01/07 12:08]
『もう一歩二歩、思考を動かして、もし神がいて、そしてサタンもいて、サタンが「そういうやり方で復帰しようとするなら認めましょう」「そんな安易な方法は私は認められません」とイバラの道を提示してきていると想定した場合、血分・6マリアが事実だということもそのイバラの一つとも捉えられます。』
文先生が公式路程として意義付けておられないことから「そのイバラの一つ」かどうかどのように立証するのでしょうか?
今の時代は20世紀とは明らかに違います。インターネット・メールの普及によりあらゆる意味で個人の発言・情報処理・決断能力/責任が問われてまいります。教会の論理に反する情報を規制することはかえって不自然かつ不健全だと感じます。ガラパゴス島のようなところで集団生活しない限り、今や情報を完全に遮断することはできないでしょう。(ガラ系宗教では天一国は不可能)
とりわけ最近10年、統一教会史上最も深刻な問題が発生したのですから、シック各々が教理・摂理・方向性を再構築する必要があると思います。(長男孝進師の死去は大きな問題です。三男顕進師と文師との隔絶、後継者のはずの七男享進師と文夫人との争い、金孝南氏の反乱など理解に苦しむ内容。その原因分析と各家庭の今後の歩みについてどう責任をもつかはそれぞれに委ねられていることでしょう)
ただこういった課題を、統一教会に所属して本質的に検討できるかといえば、「できない」と思います。信仰の本質が心情・思考・言動の分別(サタン分立)基準から始まる以上、教会内で活動する限り、通常、上の人(アベル)の言うことを信じ侍ることが絶対条件だからです。シックなら通常勝手気ままな言動はしないし、できないはずです。もしそんなことしたら運勢も来ないし、なにもうまく行かなくなるからです。今私がかなり自由に発言しているのも統一教会外にいるからに他なりません。(ただ、ご子女様達がこれほどまでに文婦人を避難するとは想像できませんでしたが・・・)
信仰は神との契約です。普通一般でも「契約内容を良く確認してから契約ください」と言うのですから、絶対信仰以外許されない教会との契約で、今こそ見直すべきだと思います。(信仰の道は入るのより出るのが難しいのですから。)
万が一「ごめんなさい。やっぱり戻ってきました。」と言うはめになっても決意を新たにできたのなら良いじゃないですか。(不倫や不正、公金横領しても帰ってくる人がいるのですから、もどるのなら堂々と戻れば良いじゃないですか。反対派であったとしても「汝の敵を愛し、受け入れなさい」というのが文先生の教えだったではないですか。)
ただ外野から見るようになり、正直申し上げまして、統一教会を出て、もし万が一にも信仰の道に戻るにしても、私なら七男か三男の所に行くのが筋じゃないかという思いです。
その前に、きっちりこういった問題に対する回答を教会の公式見解としていただきたいです。私達さえも説得できないのであれば、天一国は到底無理でしょう。
道それますが、
私は学生時代に統一教会に入り、献身し、家庭も早く出発させていただいた上で、故郷に帰ってまいりました。そこで初めて、統一教会の経済基盤を支えてきたのが地方の壮年・婦人であることを認識しました。そういった方々は我々のように理論武装(原理・統一思想・み言をそれなりに勉強)し、信徒となった人たちではなかったのです。そして、定年退職されているご家族でありながら数千万円以上の負債を抱えている方々を多く見てまいりました。ただ言われるとおりに借金して・・・、どうしようもなくなり、離教される際にも、「お父様。すみません。私たちはもうこれ以上ついていくことができません。お許し下さい。」と祈っておられる悲痛な姿が心に焼き付いてはなれません。多くの人はご父母様がメシアであろうがなかろうがついていけなくなっている状態です。そういう者達に「あなたはこの道に来ないほうが良かった」などと追い打ちを掛ける人がいますが、これこそ許せない大馬鹿者です。
私はそういう方々を殉教者と同じ英雄だと思っております。(断じて裏切り者ではないと思います)
最後にクリスチャンなら必ず引用する成句⇒マタイ7:15-20「にせ預言者を警戒せよ。・・・このように、あなたがたはその実によって彼らを見わけるのである。」
文先生のご子女様はそれぞれの道を歩まれています。これをどのように受け止め、それぞれがどういう道を歩むのか考えるべきではないでしょうか。
「栄光だと思っている」その理由は? 自尊心?
教会員は教会またはビデオセンター等の教会関連施設で教義を学びますが、堕落の概念や反日に関する内容にも触れるため(=教会では日本はエバの国と言われていて、エバは神の戒めを破って堕落するきっかけとなった人類始祖・女性。他にも関東大震災の時の反日活動、慰安婦問題など)、特に日本人女性にとっては罪悪感をもちやすい内容となっていると思います。(そのような教育をマインドコントロールだと主張する人もいます)
その罪を清算するには・・・という流れで講義が進んでいきます。
(詳細:堕落性本性という概念を学びます。堕落性本性とは
1・神と同じ立場に立てない
2・自己の位置を離れる
3・主管性転倒
4・犯罪行為繁殖
これは原理講論堕落論に書かれていることで、多くの人がこの部分に賛同して統一教会に入教しています。実際の講義の時には、これに解説が付いてきます。
1・ねたみきらう、自己中心(エゴ)、殺意…
2・不義な感情で自分の位置を離れる、不品行、浮気
3・人間社会の秩序の乱れ、反逆、反抗、下克上…
4・責任転嫁、悪人の党派性、自己正当化、弁護…
(以上、光言社1976年初版発行「原理講義案」より)
私の体験ですが、スタッフの方から「この解説の中で当てはまっているものに丸を付けて」と言われました。で、ああ沢山当てはまる(笑)、だから自分は堕落してるのかぁ・・合点と思いました。 このように、堕落性本性のあることが堕落している証拠だと誘導されたような印象を受けました。 そしてその罪人が救われるにはメシアである文鮮明先生が主催する祝福式に出席して祝福を受ければOK・・と、浅い理解をしたつもりでした。(私は未体験です。祝福の深い意義などは当時、分かりませんでした。祝福の奥義を知るようになったのは統一教会ブログ村を閲覧してからです。ライターの皆様に感謝しています)
記事に登場する小学生の先生の初対面の女性も教会で堕落の概念を学んで罪悪感を抱いたり、神の悲しみを痛感したりしたのではないでしょうか。そして心の底からその罪を清算したいと願って活動していたのだと思います。
そんな時、教祖から祝福および21日間の性生活の誘いを受けて、「(これに成功すれば)サタンの血統から神様の血統に血統転換できて、悲しみの人類歴史を転換できる」と確信し、この行事を特別な恵みと感じて、「メシア文鮮明先生に(あなたは実体で血統転換するのにふさわしい代表者だと)認められた」として名誉だと思ったのではないでしょうか。
<(原理的に)罪人で『自分は意味がない存在だ』と悲しんでいた女性が、メシアに血統転換されて「聖なる血(神の血統)」を伝達する使命を得た。メシアに励まされ認められ、人生で初めて自分の存在の意味に気づき、それが生きがいになった。自尊心をもつようになった。3人で寝る恥ずかしさよりも復帰の嬉しさが勝った。>
感想:血統転換儀式をした方の心模様はなんとなく理解できたような気がしました。 しかし、不倫の性関係を伴う儀式には納得できません。不倫は公序良俗に反しているからです。
この世の法律よりも教会の天法(天一国憲法)を優先する思考は教祖から来た・・と考えます。
このような心模様を想像したきっかけとなった元信者のブログがコチラです。
未知なる心へ イスラム国 (http://ameblo.jp/nomimata/entry-12110754509.html)
追記
(1)統一教会の教義では、タマルの不倫、マリアの不倫を「神の血統を残すため」として正当化しました。創造原理からは考えられないことですが、教会はその内容を信者に説いたり、ビデオ受講生に教えたりしていました。
(2)教祖の目的は教祖に絶対服従する国家「天一国」の建国でした。
血分け理論から言えば、文教祖→女性→男性と性行為して、「聖なる血(神の血統)」を伝達することによって「神の血統を受け継ぐ」ことが出来るといっています。これによって堕落した人間に血統転換が起こって復帰(=救われる)され、その連鎖によって純潔な神の血統圏(皇族圏)ができるということです。
み言:「これから先生(文教祖)の息子、娘と血筋が同じにならなければいけません。何の話かわかりますか? 先生(文教祖)の息子や娘と姻戚関係を結んではじめて皇族圏を連結させることができるというのです。」(「文鮮明先生御言選集」445巻より)
「ちゃぬの裏韓国日記」ブログから一部引用
「先生が実体蕩減をしておいたので、皆さんは条件蕩減だけ果たせば聖子(イエスキリスト)の位置を得ることができる」(1987年1月18日)
公式説教ブログ「血統」より引用
感想:2つのみ言は矛盾しているように感じます。しかし、ちゃぬさんのブログは日本の教会員には隠されている韓国語のみ言を和訳していて文氏の本音が見えてきます。み言と文氏の活動内容の整合性がとれています。なので文氏の本音は前者だと思います。
一体、亨進様が何を知っていると言うのか
享進様は、六マリアが事実だと認めた。一体、何を知っていて、何を事実と認めたというのか。
享進様は、文先生が6人の女性と性関係を結んでいた現場を目撃したというのか。
その出来事はいつ頃のことなのか。毎月のように繰り返されていたのか。
享進様は、いったいビデオの中でどこまで事実に言及しているというのか。
もし、それらの言及がないのなら、本記事に私が先に書いた、六マリアの説明を越える何の事実があるというのか。
文先生は生前、六マリアについて、お弟子さんに説明された。
お弟子さんが文先生に「御子女様に説明しましょうか」と尋ねられたところ、文先生は「時が来た時、先生から直接説明する」と言われたまま、聖和された。
これをどう理解する?
なぜ、文先生は、弟子に説明しながら、語る意志があったにも関わらず、もっとも愛する我が子にそのことを語れなかったのか。一番、子供に説明したかったのではないのか?
時が来た時とはどういうことか。御子女様が幼くて説明できなかったんじゃないのか。真意を伝えたいのに、言えない文先生の気持ちを考えたことがあるのか。
もう一度言う。享進様は、いったい何を知っているというのか。
この記事に書いた私の六マリアのコメントは、文先生の六マリアについての説明に基づき、私の言葉で書いたものだ。私も詳しくは聞いていないが、私はこれで十分だ。
この件については、申し訳ないが、弟子が誰かなどの質問には一切答えないつもりだ。
これは、各自が原理の行間から悟るべきものなのかも知れない。
情報は秘密にできないので、いずれ非公式に広がるだろうが、私は、公には託された方が口を開かれる時を待ちたいと思う。
それが故人の遺志を尊重することだと思うからだ。
歴史判定が下されるでしょうね
「たとい、私を信じなくても、私の業を信じるがよい。そうすれば、私が父におり、また、父が私におることを知って悟るであろう。」といわれました。
私は、文先生が、自らの使命を信念に基づき、生涯をかけて歩まれた方だと思います。
そして、その思想・哲学は歴史に刻まれ、後世の人々に影響を与え続けると思います。
文先生が単なる性的異常者で、この世のあらゆる人々の侮蔑と嘲笑の対象としかならない人なのでしょうか?文先生がどのような人か確認したければ、ゴルバチョフさんあたりに聞いてみたらどうですか?
文先生はどんなことをしてこられたのか・・・
(一部紹介)
国際合同結婚式
(日本、韓国のみならず全世界中の人々に祝福式を挙行)
3組、36組、72組、124組、430組、777組、1800組、2075組、6000組、6500組、3万、36万組、4千万組
アメリカ講演(キリスト教復興講演)
マディソンスクエアガーデンにて約3万名
ヤンキースタディアムにて約5万名
ワシントンモニュメントにて約30万名
冷戦終結に貢献
ワシントンタイムズ紙を創刊し、ソ連・共産主義に一貫して反対する一方で、レーガン大統領とサッチャーイギリス首相を支持。ソ連崩壊に対するワシントンタイムズの貢献をサッチャー首相は高く評価した。
世界の首脳陣と会談
ゴルバチョフ大統領
金日成
ニクソン大統領
アイゼンハワー大統領
岸信介
福田赳夫
など(敬称略)
宗教和合・超教派運動
など
文教祖の女性関係~普通ではできない~異常
>動物には肉体的な欲望はありません。
生殖本能だけです。ここがエンゲルスが勘違いしたところでしょう。
>文鮮明氏も間違っているのだけど、動物には性欲はありません。あるのは「生殖本能」だけです。発情するのは、猫を例に考えれば年に2回です。
動物界で感動し、学べるところ。例えば、鳥は、卵を産む前に、つがいでせっせと巣作りします。そして、卵を温め、親はせっせとえさを運び雛に与え続け、はばたくまで見守ります。統一教会の2世は原罪がないとかいって、10代でも、仕事もなくても、家庭を持つ=夫婦関係をはじめる。真の家庭の子女たちも同様、家もあるし、親の金と援助があるからそうするのだろうが。鳥たちのほうが、すばらしい。人間の感覚はないかもしれないが、よくやっている。天下の統一信者も2世も教祖様も動物以下なんて、言われないよね。
この記事は、教祖様の女性関係に関するサンクチュアリ教会エルダーさんの回答
>まず、私達がお父様を「人間」という範疇の中で考える限り、お父様を理解できないというのが王様(亨進氏)のお考えです。すなわち、お父様は「神様が肉となり私達のうちに宿られた」存在なのです。夜の神様(創造以前の神様=創造主)が人間の形で、肉体をもった人間として私達と共に生活されたのです。人間の姿をもって現れたお父様ですが、被造物である私達とは存在論的に異なった存在なのです。
>そのお父様は、神様の精子を地上にもたらされました。そして、堕落した血統をもった女性の子宮にその精子を植えることによって、その女性の子宮から神様の血統が生まれるようにしてくださるのです。この場合、一人の女性ではなく、複数の女性と性的関係を持った方が、人類の復帰を速く進めることができるのです。潜在的には、人類すべての女性がキリストの花嫁です。
>そして、お父様が堕落の世界から選ばれ、真の母の位置に置かれる女性は、キリストの多くある花嫁達の筆頭なのです。筆頭ですが、多くある花嫁の中の一人ですので、キリストの愛を独占できる立場ではありません。むしろ、世界すべての女性がキリストと関係できるようにしないといけません。
お父様と原理を最大に誇り賛美するサンクチュアリ教会、人類すべての女性がキリストの花嫁になり、お父様の特別製聖酒を飲んで、いつ、どのように復帰は終了するのだろうか。原理で計算できるのでしょうね?教祖様も生身の人間なのに、複数の女性と関係をもったほうが、復帰を速く進めるというサンクチュアリ教会の教義~教祖は休む暇もなく関係を持たねばならなかった、ということですネ?酷な話だと思うが。頭にきた鶴夫人がやめさせたということですかね。
普通ではできないことだから、異常という。性に執着しすぎた性的異常。
「6マリアの一人の証言」というブログ記事
文教祖は1954年当時から、かわるがわる3人の女性を身辺につけてたようです。
代表家庭3人の女性に繋がってる気がしました。6マリアも固定的ではなく、追い払われた女性もいたようです。(財産を考慮?)
「NAMIDAのダイアリー」ブログより
http://plaza.rakuten.co.jp/yurinonamida/diary/200712180000/
祝福家庭なるものは何時から文氏の頭の中に?
韓鶴子女史との聖婚式のときには、その前に三家庭があって、そこから祝福家庭が出発し、以降何億双という規模にまで大きくなってきますね(霊界も含めてですが)。しかし、それ以前は、崔先吉女史との結婚のときもありませんでしたし、二番目の方の時もありません。また、その間に祝福式の“祝”の字もありません。
ということは、韓鶴子女史との聖婚式直前までは、祝福家庭の構想は文氏の頭の中になかったということでしょうかね。聖婚式直前までは、復帰というのは、あるいは統一教会の言う血統転換というのは、文氏においては、再臨主→復帰された女性→男性→エバ→男性…とリレー式で続く、いわゆる血分と呼ばれるような形の血統転換のみが構想されていて、韓鶴子女史との聖婚式の時から、祝福合同結婚の形に変わったということでしょうかね?しかし、リレー式の血統転換も、依然有効だったのでしょうかね。?
それにしても、このリレー形式の血分による血統転換って、なんか胡散臭い気もしますね。どこまで続いていても、原罪がなくなる。永遠のリレーが有効であったとしたら、途中でだれかが、不倫の動機を持ったとしても、再臨主からつながってきたものだったらオーケーといいうことになりはしないでしょうか。
59年ごろまで以前は、文氏も復帰をするけど、女性から復帰を受けた男性たちもまた、女性復帰に励んでいたわけですから、この永遠の連鎖はオーケーということですよね。ということは、連鎖のどこかで、復帰を受けた男性が、ある人妻に恋心を抱き、不倫の感情で復帰をするということ、あるいはその逆に、妻子ある男を復帰しようとする女性、このパターンもありそうですね。それでも原罪がぬぐえる、と文氏は考えていたのでしょうか?教義に従って激しい人生を送ったとしても、その教義自体が、どこかケンチャナヨですよね。
元幹部で、聖歌もいっぱい作った金徳振氏が、復帰、復帰と言って喜んで励んでいたのを、幹部たちがあれはやりすぎだよねと言って、金徳振氏をいさめに行ったという話が「六マリアの悲劇」にありますね。やりすぎでも、復帰は復帰で、原罪は贖罪される?
60年以降は祝福合同結婚という形で量産体制が整ったので、リレー形式はご法度となったということでしょうか?文氏による復帰は、祝福合同結婚式のときに韓女史が身ごもってないといけないが、それが韓女史の体の都合でできないときに、6マリアの誰かが代わりに身ごもったということでしょうか?それも6マリアが高齢化してできなくなった時に代表家庭が身籠るようになったということでしょうか?想定だらけ、想像だらけで何とも言えないけど、このブログで紹介されている事例をトータルで、教義を敷衍しようとすると、そうなるしかないでしょう?そう解釈せざるを得ないですよね。本部役員諸君。
ま、そういう解釈や混乱が蔓延しても、鮮の追い落とし、鶴の絶対化を目指す本部諸君にはかえって好都合かも?でも、日本のミコトバの総本山なんだから、定義をきちんとふまえた翻訳をして、解釈もきちんと統一して、公表すべきことは公表して、しっかり仕事してくださいよ、本部役員さんたちよ、お願いしますよ、これじゃあ、ダラ幹と言われても仕方ないですよ。阿部美紀さん、ただ飯食っている場合じゃないですよ。
あ、ついでに血統転換ということについても、文氏自体に混乱があるのか、それとも文氏の言っていることを理解できない人が文書化して混乱が生じたのか、あるいは邦訳の際に間違って訳されたのかはわからないけど、血統転換というのは、日本語の本来的意味合いからすると、文氏の家系図の中に入るということで、自分でなければ、子孫のうちの誰かが、文氏の末裔と結婚するということでなければならないし、そういうミコトバもあるように記憶しています。しかし、リレー形式のもの(これは血分けじゃないの)もまた、血統転換みたいにごちゃごちゃになっています。これはまあ、末端経団員の理解不足ということではなく、幹部も誰もわかっていないということではない?幹部の皆さん、特に局長クラスの方々は100万円単位の高級もらっているそうじゃないですか?最低賃金法で生活している人たちよりももっと出来の悪い仕事をして、どうするんです?阿部美紀さん(二回目のコール)、しっかりしてくださいよ。
さっき別のブログを読んでいたら、「先生は甘柿の木に渋柿を接ぎ木するなんて言っていないよ。そんなことするとみんな渋柿になるじゃないか」と言っておられたそうだが、どうも私は、甘柿の木に渋柿を接ぎ木すると聞いたような気がします。これは聞いた私が間違えて聞いたのか、あるいは語った人が間違えたか、あるいはミコトバを翻訳した人自身が誤訳したか?どうもそういう混乱が重なっているような気がします。
Re.祝福家庭なるものは何時から文氏の頭の中に?
原田さんの
>再臨主→復帰された女性→男性→エバ→男性…とリレー式で続く、いわゆる血分と呼ばれるような形・・・
私が1980年に原研で「原理講論」の肉的新生の意味を執拗に聞いた時、「血分け」という言葉で説明された内容が、正にこれです。
これを認識してた原研メンバーたちがいたのは事実です。(但し、草創期のみということでした)原研は2か月で去ったので、どういう経路で彼らに伝わったのかはわかりません。
>血統転換というのは、日本語の本来的意味合いからすると、文氏の家系図の中に入るということで、自分でなければ、子孫のうちの誰かが、文氏の末裔と結婚する
「血分け」を否定してた統一教会の可知講師らが書いた「誤りを正す」という本にも同様のことが書かれてたと思います。でも、結局、この考え方も「血分け」だと思うし、「血分け」は血統転換のための手段だと思います。最初からなければ良かったのに。
>「先生は甘柿の木に渋柿を接ぎ木するなんて言っていないよ。そんなことするとみんな渋柿になるじゃないか」
この考え方は正しいです。
別記事のコメントでも書きましたが、植物の接ぎ木の考え方からすると、渋柿の木(台木)に甘柿(穂木)を接ぎ木してこそ、甘柿の実をつけます。
(但し、台木がポンコツだと実をつけません→だから7年間とか訓練させたんでしょう・・・経済活動込みの2重目的で)
接ぎ木の考え方を知らない責任者が流布したんでしょう。こういうことが至る所であるのかも知れない。・・・ 一般人から見れば正に異常。
これで終わります。
宗教だということ、血統の重要性、キリスト教の理解
米本さまが、現在の視点のまま、このテーマ「婚外セックス」を理解しようと思えば、永遠に吐き気を催す気分のまま終わられる事と感じ、差し出がましいながら書き込みます。読めばかえって、気分が悪くなるかもしれません。
★統一教会の行動は全て「宗教」というジャンルから来ています。
Wikipediaからの引用で失礼しますが、そもそも
「宗教」とは「人間の力や自然の力を超えた存在を中心とする観念であり、また、その観念体系にもとづく教義、儀礼、施設、組織などをそなえた社会集団のことである」とあります。
ここに人間(被造物)の意見は、入らないのです。
組織運営などでは、討論の余地がありますが、基本的教義には意見自体が意味がありません。
納得出来ない内容が出て来るのは、人類が堕落したため、予定外の復帰摂理(汚物の修復工事)が始まったからです。今まで宗教がして来た内容は、本来必要のない行為です。
大前提として、宗教を一般的な常識、理性、道徳心から見てしまうと、「頭がおかしい」以外の答えは出て来ず、理解不可能です。
メシアは人気投票でなるのではありません。
神が一方的に送るものです。
天皇家を例にあげて失礼ですが、皇太子さまの素質がどうこう、、、と言う人は、全く理解していない証拠と言われます。
人の内容で皇太子→天皇になるのではありません。
血統(長男)でなるのです。
ここにも「こうであるべきだ」という我々の考えは必要ありませんし、意味がありません。
私達が創造主ではないからです。
★以下は、主要な宗教での性行為にまつわる問題です。
人間の生命は性行為から生まれますので、本来は外す事の出来ないテーマですが、ウケが悪いので、どの宗教でもこれらの話題には決して触れられる事はありません。
どこも同じと言ってはいけませんし、歴史的背景の為もありますが、現代人が望むような清い姿はあまり見られません。
【 イエス 】
→聖書外典に「大の女好き」「娘がいた」
→統一教会で飛び交う話→不倫の子(聖霊を受けた乙女マリアが、同じく聖霊を受けた親戚の祭司ザカリア・エリザベツ老夫婦の元で3か月間子作り。当初エリザベツは二人が性行為をする隣室で、神のみ旨が成されるように祈祷。後に聖霊が去り、我に返り、マリアを追い出す。当時、イエスの父が誰かは全員が知っていた。→成長後、摂理としてイエスが異母兄弟の妹(ザカリア・エリザベツ老夫妻の子、洗礼ヨハネの妹)と結婚しようとした為に軽蔑視された。また、ユダの妻が教祖としてのイエスに心酔していた、または、ユダの妻と性行為する必要があった/為、それをユダが快く思わずに裏切ったという話。
【 ムハマンド】
→9~12人の妻。10歳の少女と結婚、性行為。
【釈迦/仏教】
→釈迦は結婚後に出家、悟りを開いており、唯一女性スキャンダルが見当たりませんが、釈迦以後は結婚あり、性犯罪あり、現代では坊主が風俗を経営等、様々。日蓮宗系の立正佼成会は初期「淫乱の宗教」と呼ばれる。教祖の男性が妻帯しているにもかかわらず、別の未亡人の女性と共同で教祖という形を取っていたため。
【孔子/儒教】
→正妻の他に多数の側室を持つ
【ヒンドゥー教、ミトゥナ像(男女交合像)】
→性行為が神とつながる行為、宇宙と1つになる行為である。寺院の壁に堂々とこの像が彫られている。
→敬虔な男性信者は上半身裸~全裸で参拝
【ジョセフ・スミス/モルモン教】
→30~40人の妻。(14~54歳。内、既婚女性あり。多重婚。)
→”同教会によれば、スミス本人は複数の女性との結婚を望んでいなかったが、1834~42年に天使が3回現れて結婚を迫り、最後には剣を抜いて「戒律に従わなければ破滅させるとジョセフを脅した」とされる。” CNN News
→2代目ブリガム・ヤング/50~60人の妻がいたが、一夫多妻について教えられた時に「私の人生で墓を望んだ最初の時だった」と述べた。
★21日間、3人の女性と性関係の期間
統一教会の核心は、「血統」です。
血統に始まり、血統に終わります。
また、統一教会の内容を理解するには、キリスト教の理解が不可欠ですが、日本人の教会員はほぼこれが理解出来ません。
日本人が理性的な民族だからです。
聖書の中に、血統を守るために、実父と寝たり、遊女のフリをして義父と寝たりするような”聖女”は多数見られます。世間体より、どれだけ「神の血統」を愛するか、が重要とされます。
・6000双の全女性の代表として3人が選ばれた
→本来6000人、全員の女性を愛さなければならないが、物理的に無理なので、3人を愛する事で、6000人を愛した事とする。
→3人ではあるが、結局は一人の女性(であり、全人類の女性)として見ている。
→神から見ると、エデンの園の時代から、生まれて死んでいった全ての女性は、一人の女性(エバ)として見ている。全ての男性も一人のアダムとして見ている。
(このような観点は、マザー・テレサにも見られます。道端で倒れている老人、下水口に捨てられていた女性、あわれな人全てが「イエス・キリスト」と見る観点です。)
・蕩減条件(精誠条件)として21日間と決めた
→誰彼構わず性関係を持つのではありません。摂理的に性行為が必要のない女性から誘惑された際(留学中の三橋家の娘さん(故)もその1人といわれていますが。)、
「自分は性的不能です。」と拒否、疑う女性の行動を、一時的に霊界に行って耐えたという話。~メシアはつらい。立たない女性相手にも、立たなければならない。
★どうして文鮮明に身体を開くのか
→考えてみてください。もしイエス・キリストが求めれば、身体を開く女性が全世界にどれだけ多いでしょうか。あり得ない話ですが、求められれば男性も開くレベルでしょう。男性も女性も「キリストの新婦」ですから。
→昔、ノーベル・バンクというノーベル賞受賞者の精子を提供する所がありましたが、そちらで提供を受けた女性は少なくありません。増してや「神の血統」を持っている男性となれば、その方の子どもを持ちたいでしょう。
★文先生は「イエスは失敗した(やり方をうまく出来なかった部分があった)」と表現した事があります。メシアも人間ですので、性格に個性もあり、うまく出来ない事もあります。
文先生ご自身も「失敗した」部分はあったと言う観点が必要です。
ただし、文先生以上に神のために努力した人類はいないので、他の人間とやかく言う資格がなく、結果、教会内からこのような話は出て来ません。
★本来メシアに託された仕事はあまり多くありません。
根本は「血統」問題の解決だからです。
そのため弟子が色々な道を準備しなければならないのですが、メシア以外で自分の使命を自覚出来る人はあまり多くありません。
イエスの12弟子しかり、「何かおいしい話がありそうだ」と付いてきた人が殆どだからです。
結果、朴サムエル氏の指摘のような行動が出て来ます。
「彼は自分の責任を認めることはせず、彼を失望させた私の伯母と崔一族を非難しました。それは責任転嫁して自分を除いた他すべてを非難する文牧師の典型的なやり方です。」
★最後に…これらは、あくまで私が今まで理解して来た統一教会の物の見方ですので、正しいとは限りませんが、理屈(へ理屈)としてはこういう事なのか、という参考になれば幸いです。
なるべく簡潔にお伝えしようと努めましたので、不快な表現もあるかもしれません。お許しください。
>共同幻想として生まれた血統転換思想
以前予告していた、あなたの投稿への教義上の応答コメントです。
あなたの文章は、何度か読み返してみて、やっと理解できる難解性を感じるのですが、やっと最近その理由が見いだせました。それは、文氏の考えた統一原理と、あなたの批判が、ごちゃまぜに出てくることがあるからですね。その点を注意して読めば、読みやすくなるかもしれません。
> ただ文氏がそのように妻以外の女性と性関係をもったのは宗教的に正当化する理屈を持った上であるのも確かです。
> つまり、血統転換教義というものなのですが、それを根拠として 文氏は全人類の女性は神の子である自分と性関係をもたねばならないと本気で考えていたのです。
> サタンの血統を受け継いだ堕落人間は血統転換されねばならず、血統転換されるためにはサタンである天使長ルーシェルと性関係をもって最初に堕落した女が、神の子として完成したメシアと性関係をもたねばならないと実際に思っていたのです。
ここは文氏の統一原理観をそのまま表していると思います。同意します。
> もちろんそこには多くの理論的な矛盾があり、宗教的真理と科学的真理の合致を主張する原理講論の総序にしたがえば、サタンの血統を認めるところからすでに矛盾が生まれており、大前提が成り立たないのです。
> さらに性関係をもてば血統が転換されるという理屈も理論的に間違っており、血統転換教義は科学的真理と矛盾するのはもちろんのこと、創造原理の世界観とも相容れないのです。
> 統一原理には「蕩減復帰原理」という教理がありますが、それは創造原理と矛盾するものであってはならないので、「逆の経路」と考えても原理的に許されないことは行ってはならないのです。
ここはあなたの統一原理観。文氏はそのように考えていない。あなたの批判ですね。文氏は逆の経路をたどるべきだと考えた。だからセックスまで行くのですね。
という風にとらえていきますと、あなたの次の文章に、ちょっとした問題点を見つけることができます。
> 文氏が「六マリア」のような性行為、青い海さんのブログに書かれたような性行為を行ったのは事実と考えて間違いないのですが、文氏がそのような多数の女性と夫婦となる為ではない性行為を行ったことは創造原理的には何ら正当性がなく、動機として異常な性的欲望があったと考えてもおかしくはありません。
あなたのとらえた創造原理と蕩減復帰原理では、文氏が他の女性と性行為を行うことは正当性がないと考える。しかし文氏がとらえた創造原理と蕩減復帰原理では、女性を性行為によってサタン側の血統から神側の血統に復帰することこそが人類救済の道であるということになる。だからあなたは、「正当性のない女性との性行為は、動機として異常な性的欲望があった。」と考えたわけです。
文氏が教義通りに行動していたかどうかを調べるには、文氏のとらえた統一原理観による救済行動を、あなたの考えた統一原理観で判断するというようなことは、やってはならないことだと思います。例えば、性的におおらかな時代であった人々の一人の行動を、現代の私たちの性感覚でとらえて、あの人は無節操だったというのは間違いですね。少なくともその時代の性感覚で生きていたわけですから、その時代では標準型であったといえるでしょう。同様に、文氏のとらえた統一原理観に基づいて彼が行動していたとすれば、その教義自体が問題であるかどうかが問われるべきで、彼が性格異常者、異常な性的欲望と不純な動機があったとは言えないのです。その点は、多少なりとも次のあなたの文章の中で、考慮には入れられていますが、しかし…
> ただ、異常な性欲が動機の全てかと考えると、そのように考えることもできず、そこに矛盾が生まれてくるのも確かです。
> その性行為はある程度制限された中で行われており、そこには文氏の宗教思想が反映しているのです。
> 結局、その多数の女性との性行為は血統転換教義と強い性欲の混合されたものと考えざるを得なくなります。
教義上の問題点も考慮に入れられていますが、この文章ではその混合の度合いがあいまいなのです。つまり、性格異常から生じたわけではないということも言えてしまいます。逆に性格異常の度合いが強かったのかなということも言えます。がそのどちらなのか、1%対99%なのか、99%対1%なのか、あるいは50%対50%なのか、その混合の度合いは上記の文章からは言えません。つまり、何も言っていないのと同じになってしまいます。
> 呪術的思考であっても血統転換教義を純粋に信じているのならWatcherさんがコメントに書かれたように性関係のリレーだけで人類の血統転換はなされるはずですから、多数の女性信者と性関係を広げて行く必要などないのです。
ここにも、一つ大きな問題があります。それは、教団員の方ならだれでも聞いていると思いますが、再臨主の使命は、二つあって、原罪の清算が一つ。もう一つは地上天国の実現です。自身が生きている間に、地上天国の実現を果たすために全人類の原罪の清算を行うためには、単純な一本線のみのリレーでは到底間に合わない。つまり時間的制約があるということです。生きている間に、すべての人類にリレーが行き渡るには、複数のリレーのラインが必要でしょう。それもできるだけ多くないと間に合わない、と彼が考えたとするといかがでしょう?この考えも、彼が生きている間に地上天国を実現し、そのためにあまねく原罪の贖罪をリレー形式で行き渡らせようと考えたとしたら、異常な性欲によるものでなく、彼の教義上の要請によるものであると理解することもできましょう。
セックスのリレーで原罪の贖罪が全人類完了、なんて発想は異常だな、とは私も思います。しかし、教義上は敷衍することができます。ということは、複数の、しかもかなり多くの女性と性行為を行ったことは全く異常な性欲による性格異常者としての行動ではなく、教義を妄信し、急ぐためにラインを多くしないといけないと考えた結果であると推測することも可能になるのです。ま、どっちにしたって、異常なことであったことには変わりないのですが。
以上、以前お約束していた、教義上の応答コメントです。まだ「呪術的」という言葉に対する思索は残っていますが。
提言
神々の黄昏さんの「共同幻想として生まれた血統転換思想」の投稿に、これ以上レスをされたいのであれば、どうか自分のブログでテーマを立ててやってくださいな。
神々の黄昏さんも、応戦されると思いますよ。
>提言
そんな嘘や~ と思いました。
その理由は、私は6000双の祝福家庭ですが、今までこんな話を聞いたことないからです。
それから祝福で聖酒式を行いますが、聖酒式と祝福式をした後に、実体の血統転換のプロセスがどうして必要か? 意味が解りません。一体どういう意味なのかと考えてしまいました。
そして果たしてそのような期間を取ることが出来たか?きっといらっしゃらなくなればメンバーは皆驚いてしまいます。側近もおられるし、お母様もいらっしゃるのに、何のあふれた情報も今までないというのもおかしな話です。
この話初めて知りましたが ”そんな嘘や~ ”と心で思ってしまいました。
本当の可能性をゼロと言うのは私の基本姿勢に反しますので1パーセントにしておきたいと思います。
わかった!!
原田さん、コスタさん
ありがとうございます。
接木とは、甘柿を渋柿に継ぐこと。女性を甘柿にするのがメシヤの使命であり、それはエバとルーシェルの関係の蕩減復帰。
ここで原理が要求する基準は、霊的夫婦関係の基準。霊人体は繁殖しない。つまり子供を作ってはいけない基準。もし肉体関係が必要とすれば、霊的夫婦関係を肉体を持つ人間同士がどうやって体得するかの部分になるだろう。
Re:一連の原田さんのレスコメント
>その呪術的思考ってどういうことかが分かるように書かれてあるコメントって、どこにあるか教えていただいていい?自分でも探してみるけど。呪術的っていうと人を呪い殺したり、自分の意のままに動かしたりというイメージがあるけど、統一教団って、呪い殺したり、病気にさせたりということは聞かない。あの人が教会に来ますようにとか、会えますようにとか、ある面人を動かすようなお祈りはすることがあるけど、そういうこと?
(二番目のレスコメントより)
>文氏が教義通りに行動していたかどうかを調べるには、文氏のとらえた統一原理観による救済行動を、あなたの考えた統一原理観で判断するというようなことは、やってはならないことだと思います。
>文氏のとらえた統一原理観に基づいて彼が行動していたとすれば、その教義自体が問題であるかどうかが問われるべきで、彼が性格異常者、異常な性的欲望と不純な動機があったとは言えないのです。
米本さんの記事は既に更新されていますが、熱心な‘火の粉を払え’の読者である原田さんに対して何も答えない訳にもいかないので、ルールで許される範囲として前のコメントに続く最後のコメントを残しておきます。
私のコメントに対する原田さんのレスはとても多くのことが書かれていますが、細かい部分について返答し始めるときりがなくなってしまい「‘火の粉’読者が泣いた」(暗在さん流)となってしまいますので、重要なポイントだけ返答させていただきます。
まず、上の最初の質問に対してですが、ご指摘の私のコメントには「朴サムエル氏の証言の記事に投稿した私のコメントに書いたのですが、文氏の思考はその大部分が呪術的思考となっております。」と書いてあり、そのまんまであり、朴サムエル氏の講演を記事にした『決定版[文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語] (12/23)』の私のコメントの中にそれに関連した記述があり、記事の本文の中にも以下の暗在さんの注釈があります。
(以下引用)
(*2)呪術思考とは、ここの例でいえば「教祖が結婚すれば、天が開け全世界が跪(ひざまず)く」と魔法のようなことを信じてしまうお花畑脳。正確には「ある事象について、理性と観察においては因果関係が正当化できない物事に原因を求める思考」
注釈には「呪術思考」と書かれていますが、一般的には「呪術的思考」の方が日本語としては正しいようなので、私は「呪術的思考」と書くことにしました。
また少し理解に苦しむのですが、「呪術的思考」の意味が理解し辛いのであれば、ネットで検索すれば簡単にわかるのではないでしょうか。
「呪術的思考」は私の造語ではないし、一般的に使われているので、私に聞かれるまでもなく、ご自分でも簡単に調べられると思います。
この「呪術的思考」は統一教会=家庭連合の経典の間違いを理解する上ではとても重要な概念となってきます。
もし、原理講論の総序で科学的真理と宗教的真理が合致したものが新しい真理で、それが統一原理だなどと主張せず、統一原理をキリスト教の新しい神学として紹介する程度であれば呪術的思考がそこにあっても問題はないのですが、科学的真理との合致を主張する以上 呪術的思考がそこにあってはならないのです。
つまり呪術的思考とは非科学的思考ということであり、平たく言えば迷信の考えということです。
呪術は魔術や魔法というような意味で、呪いのような意味とは限りません。
日本語には魔術思考という言葉はなく、呪術的思考が普通に使われる言葉です。
二番目の引用には「文氏のとらえた統一原理観」「あなたの考えた統一原理観」というようなことが書かれていましたが、通常は原理講論に書かれていることが「統一原理」と理解されており、文氏の膨大な、中にはお互いが矛盾した言葉も含まれている「御言葉」は統一原理とは言いません。
文氏は原理講論を絶対視などしてはおらず、実際に原理講論と矛盾したことも語っているわけですから、文氏が語る教義を「文氏のとらえた統一原理観」と捉えるのは論理として間違っているのです。
文氏は原理講論には間違いがあるという発言を残しており、それは不完全と思っているのです。
原理講論の堕落論以降については、私は今までに何度も批判的なコメントを書いてきましたが、それをここで改めて説明するようなことはしません。
しかし、その原理講論の記述を論理的に追っていくなら矛盾した表現は所々に見つけ出せるのです。
堕落論に関しては、第四節人間の堕落(二)「人間世界に対するサタンの活動」に他の箇所とは異なる「人間の復帰」が書かれており、堕落論は決して論理的に一貫性があるものではないのです。
したがって、原理講論に書かれていることを統一原理と理解するにしても、その原理講論内に重要な問題について別々の矛盾した説明が書かれているのですから、統一原理自体が元々どのようなものなのかも確定はしていないのです。
それでも統一信者達が統一原理という言葉を使っているのは共同幻想によるものなのです。
3番目の引用にある「その教義自体が問題であるかどうかが問われるべきで、」は当然のことなのですが、残念ながら文氏の行動を一貫して説明できる「教義」などというものはないのです。
文氏の主張はまさしく「自分教」で自分の言ったことは正しい、以前と違っていることを語ったとしても一切釈明なしですから、そこに一貫性のある教義など見出せないのです。
あえて教義にしようとしたら韓国異端キリスト教混姻派と同じようなものになるのでしょうが、それは原理講論の重要な部分とは一致しないし、信者に公表している教義とは異なるわけですから、本当に教義として信じていたのかどうかも疑わしいのです。
本当にご自分の確信した教義であったなら、それを公表しないのは追随者に対する裏切りなのです。
多くの女性信者と性行為を行った行為に関しては、韓国キリスト教混姻派の信仰の下に考えれば正当化できるのかもしれないのですが、信仰的に辻褄が合えばその人の性格は正常で性格異常者とは言えないかというと、そんなことはないのです。
人間には自分の思い込みではごまかせない本心というものがあるのです。
最初の引用にある呪術的思考を人々がすることは時にありますが、後でその間違いに気付くことが多いのです。
もし呪術的思考を頑なに貫こうとするなら、そのこと自体が性格異常であるのです。
男女の性的関係についても同じです。
男女が性関係を結ぶ心理、情緒には一定の特色があり、その異性より受ける刺激がなければ性関係を結ぶことはできません。
人々の悲しみを思って性行為を行うなど不可能なのです。
つまり、いくら頭の中で性行為を特別な理屈で意味付けしようと、逃れられない感情というものは間違いなくあるのです。
一般社会が不倫を道徳に反するものと思うのは、性行為がどのような情緒を伴うかよく理解しているからなのです。
それでも道徳に著しく反する性行為を行う者は心理学的にみて人格障害者、性格異常者となるのです。
人間のエロスは新興宗教の教祖が何と言おうとエロスであり、アガペーではないのです。
神々の黄昏さんへ
文師はメシアか?
開拓伝道では、様々な霊的体験をし、文師をメシアと疑うことは一度もありませんでした。
今日の教会本部不正、真の家庭の崩壊、韓民族を選民と思い込む韓国人牧会者の反日の言動、朝鮮民族への嫌悪感、文師はメシアだったのかと疑えざる要因が山のように噴出しております。先輩家庭でも疑問に思う方々が出てきております。
しかし、私なりに冷静に整理してみました。
6マリアの問題は、ヤコブが12人の子供をもうけましたが、全て男子です。女子はカウントされていません。韓鶴子氏との間には男子で12人おりません。従って、男子12人の条件を立てるために天命に従って6マリアとの関係を持ったと解釈しております。
6千双の代表3家庭の婦人が文師と21日間生活したという話は聴いたことがありますが、心情一体化という条件をたてるためで、肉体関係を持ったというのは聴いておりません。文師の「自分の欲望で6マリアと関係を持ったと思うのか。自分の欲望をコントロール出来ない先生ではありません」「モルモン教初期の一夫多妻を隠してはいけません。堂々と証しなければなりません。天の血統を残すことはそれほど重要なのです」のみ言葉を信じたい。
最近、思うことは晩年、文師は韓鶴子氏や教会幹部が間違った方向に行っているのを承知していたのではないかと、思うようになってきました。文師の後継者はすでに3男に決まっており、文師が神から否定されて出発されたように、3男も父母、教会からも全て否定されて出発したのではと思うようになってきました。郭氏は文師の側近中の側近です。3男を守るように文師から指示が出されていたのではないかと思うようになってきました。
真の家庭の混乱は、せいぜい10年位です。千年からみると瞬間です。3男が勝利して、韓鶴子氏、他の兄弟を屈服させる路程ではないかと思うようになりました。つまり家庭連合、3男派、7男派のどこに所属していても一般信徒は問題ないのです。もちろん不正行為を働いた教会幹部は論外です。これから3男を注視して行こうと思っております。
私は原理を聴いてから、国を愛する心を持ちました。それまでは左翼思想に凝り固まっていました。日本が韓国を苦しめたことがないことを、韓国人にもっと理解してもらう努力が必要です。正しい歴史を韓国人は知るべきです。嘘の歴史から目覚めて初めて日韓一体化が出来るのです。それから日韓トンネルの意義が生まれるのです。
あまり投稿しないのに覚えていただいてありがとうございます(笑)
客観的な事実が欲しいということでしたので調べてみました。
※これは韓国で反統一教会の第一人者である卓明煥氏が統一教会に対する謝罪文ということで
一九七九年九月十日付朝鮮日報と韓国日報に九月十一日付、ソウル新聞二只郷新聞、東亜日報、新亜日報に載せられた内容です。
以下のHPにある通りです。
http://ucqa.jp/archives/765
本文より抜粋します。
「統一教会の創始者、文鮮明氏が一九五五年七月四日社会風紀紊乱嫌疑で、拘束起訴されたものと知って、
統一教会を非倫理的、淫乱集団と断定、批判してきたところ、調査の結果、当時の事件は兵役法違反嫌疑で起訴されたが、
同年十月四日宣告公判において無罪で釈放されたのを知るようになりました。
これ以外、統一教会をめぐって、問題とされてきた淫乱集団うんぬんは、その根拠がないものと確認、ここに訂正します」
注)卓明煥氏とは
本人は多年の間、新興宗教問題研究所を運営してきながら、統一教会に対し、出版物(統一教、その実相)、スライド(これが統一教だ)、
講演会、記者会見等を通して、統一教会が、非倫理的集団、政治集団、新型共産主義、邪教集団であると批判してきました。
以上の事実からすると既に1955年当時に文教祖を中心として淫乱の事実はなかったと判決が出ているということです。
これは文享進師が生まれる以前の話です。
彼がどうして見たこもない六マリアなどという話をされるのか実に不可解です。
また、上記アドレスに書かれてる内容を読んでいただき、
納得されたようでしたら記事の削除をすみやかにお願いします。
ヤンさんへ
文家の息子が肯定した「6マリア」を、統一教会は否定してきました。よって、統一教会のこの記事は納得できるものではありません。
(追記)記事末尾でお願いしていますが、「タイトル」をつけて投稿してください。
驚きの性関係儀式
韓国では試しバラなんてのもありますからね。
6000双の中には、自分の子ではなく教祖の子だと理解していた人もいたと推測できます。
韓国初期では教祖のトイレまで押しかけて性関係をせがんだようですし、一族の種をほしがった日本人某夫人の話もあります。組織の中には血分けを理解していた古参信者は多くいたとなりますね。
調べてみて、オドロキばかりの内容続出!
どこから異質な内容にしたのでしょう。
ヤンさん、惨殺の件はどうなった?
教祖は「反対するとああなる(霊界送り)」旨言っただけ。
これでは与党と癒着して宗教法人格もらってるだけの暴力団と目されても仕方がない。
教団の名誉以前に、卓明煥氏の名誉はどうなんだ。
また、六マリヤとされている姜賢實女史のこの発言も真実味がありますし、金仁珠女史のものもこれと同様の内容で、六マリヤの悲劇の内容が虚偽であると訴えています。姜賢實女史の内容を一部の抜粋ですが引用します。特に日本の幹部の人たちは今まで純潔思想以外に私は聞いたことがありません.
冠省
私は現在。日本に滞在し、統一教会で後輩信徒の信仰指導をしている、姜賢實と申します。
私は十月二十三日、知人から電話をもらいましたが、この方が、「姜先生は六マリアなのですか。文鮮明先生と性的関係があったのですか」と、突然聞いてきたものですから、びっくりしてしまいました。「それは何のことですか。六マリアとは何ですか。文鮮明先との性的関係とは何ですか」と、私は逆に聞き返しました。
その日の夕方から朴正華氏の『六マリアの悲劇、真のサタンは、文鮮明だ!』を読み始めました。読み進めていくうちに、私はやり場のない怒りでいっぱいになりました。統一教会の教義解説から始まり、文先生と女性信徒との関係、それに私が六マリアで文先生の復帰(セックス)を受けた、などと、いずれも『嘘(うそ)」の内容ではないですか。
四六年八月に統一教会会に入信された金仁珠先生、同年七月に入信された金元弼先生にお聞きしましても、朴(正華)氏が聞いたという教義解説は一度として文先生からお聞きしたことはない、と断言されております。
六マリヤの一人として名前を変えてあるとはいえ、姜玉実とは私姜賢實を指すことは明白であり、前記文章は私が文鮮明先生とセックスをしたと断定しているものではないですか。
私姜賢實は、断言します。
『文鮮明先生と私の間にいかなる意味においても性的関係は絶対にありまん。何をを根拠に、このような「嘘」を並べたてるのですか。
さらに、文鮮明先生の男女関係が、本の至る所に出てまいりますが、ここに挙げうれている人々のほとんどと親しくしておりましたが、その方々は文先生と性的関係など持っておりません。すべて捏造ではないですか。
なぜ、私が朴正華さんが書いた事実無根の虚偽の内容のこのような本で精神的苦痛を受けなければならないのですか。今後、韓国にいる家族や親族にもこのようなことが伝わり、そのことで家族の体面が汚され苦しみ、心を痛めることを考えると、それだけでも私の心は苦しくなってしまいます。
このようなことは絶対に許しません。
私、姜賢實は、 私、姜賢實は貴社が発行した虚偽の内容の朴正華氏の『六マリアの悲劇』の即時、出版・販売中止を要求します。
要請文
冠省
私、統一教会信徒の金仁珠は現在、日本にいる娘の所に滞在していますが、最近、韓国統一教会の元信徒の朴正華氏が「六マリアの悲劇、真のサタンは、文鮮明氏」と題する本を執筆し、貴社が出版・販売していることを知りました。
当該書籍を購入し、娘から読んでもらったところ、私が実名で登場し、私に関することばかりか文鮮明先生に関し、事実無根の内容が多数記述されており、私は驚き通り越して憤りを感じております。
私に関する部分について、当該書籍の103ページに、「このときは、すでに三回復帰を受けていた金仁珠が、復帰のやり万を教えて、証人として立ち会った。金仁珠に勧められた劉信姫は、勇気を出して復帰を受けたという」と記述されておりますが、このようなことは事実無根です。
当該書籍の81ページには「文鮮明を取り巻く女食口たちは、復帰原理に沿って身体を開き、再臨のメシヤを自称する文鮮明とセックスを最低三回しなければ、女として復帰の資格を与えられない」とあることや、たびたび本文中に「復帰(セックス)」とあることを勘案いたますと、前記文章は私が文鮮明先生と三回セックスを行ったと断定しているものであり。その私が劉信姫さんに文先生との復帰(セックス)を勧めたと解されるのでありますが、私金仁珠は、文鮮明先生といかなる性的関係を持ったこともなく、劉信姫さんに朴正華氏の言う文先生との「復帰(セックス)」を勧めたことも、その現場に立ち会ったことも絶対にありません。
このようなことがあったというのならば、私がいつ、どこで、文先生から朴氏の言う「復帰(セックス)」を受け、劉信姫さんにいつ、どこでどのように朴氏の言う「復帰(セックス)」を勧めたのか、お示しください。
このようなことがもしもあったとするならば、すでに夫もあり、クリスチャンとして神の前に真の清い愛を求めていた私が、文鮮明先生を再臨のメシヤと信じ、統一教会に残っているとお考えですか。
私は文鮮明先生が北朝鮮の平壌にお着きになられて五曰後の一九四六年六月十一日に文先生とお会いし、以来、四十七年間共に歩ませていただいておりますが、統一教会に「復帰」をセックス」とする教義は一切なく、私が統一教会に入信以来、朴氏が言うような「復帰」を「セックス」と文先生をはじめだれからも教えられたことは一度もありません。このような朴氏の教義の説明は曲解以外の何ものでもありません。
また、私は平壌における文先生のご様子や生活をだれよりも詳しく存じております。
当該書籍の182ページから186ページにかけて、一九四六年六月六日、平壌にお着きになられた文鮮明先生が丁得恩さんの出迎えを受け丁さんの家に滞在、その後、羅最燮さんの家に移り、次に、鄭明先・金鍾和夫婦の家に行き、礼拝をあげるようになったなどと平壌時代のことが記述されていますが、文先生を平壌でお迎えしたのは、景昌里上水口橋外に住んでいた羅最燮(本で「羅崔変」)さんで、文先生は羅さんの家に三日ほど滞在、集会を持たれましたが、その後、すぐ近くの羅さんの親友で私の従兄である鄭明善(本では「鄭明先」)氏、その妻で私が常日ごろ、「お姉さん」と呼んで親しく交わっていた金宗燁(本では「金鍾和」)さんの家に滞在さんの家に滞在され、伝道集会を持たれておりましたので、当該書籍にあるように丁得恩さんの家に滞在したことはございませんし、文先生が丁さんと男女の関係にあったことなど一切ありません。
また「またここで、いろんな問題が生じてきた。その内容は、女の信者たちがそれぞれに文鮮明とセックスしていたので、お互いに「自分こそが文鮮明を生んだ(霊力でこの世に生んだ)聖なる母親だ」いう主張が飛ぴ交っていたのである。要するに、信者である女たちが文鮮明とセックスすることによって、文鮮明に復帰する資格が与えられた。ということだ」「その文鮮明は、金鐘和の家でその後文鮮明は金鍾和の家で夫の鄭明先と子供がいるにもかかわらず、人妻の金鍾和と同棲をした」「そして何を思ったのかその人妻と「小羊の儀式を口実に結婚する騒ぎになり、警察に逮捕され」などと記述されていますが、女性信者が文先生とセックスしていたなどとは言いがかりははなはだしく、そんなことは一切ありませんし、金宗燁さんと同棲したなどということは、絶対ありません。
私はほとんど毎日鄭氏の家に通い金宗燁お姉さんと話をしていましたので、その状況をつぶさに見ております。
文先生が四八年二月ニ日に逮捕された際の状況をご説明申し上げますと、当日は日曜日の聖日で、午前十時少し前でしたが、文先生は説教の準備をされ、私たち参加者も文先生の説教をお聞きするため祈りながら準備そしていたとき、突然、警察が踏みこんできて文先生や私のおいで文先生の三弟子の一人金元弼氏、十数名の女性が連行されましたが、逮捕理由は「十字架をかけないで集会を開き、それに参加した」というもので、「小羊の儀式」などというのは根も葉もない事実無根のことです。
その他、当該書籍では、文先生を誹謗(ひぼう)・中傷する目的で、ありもしない文先生と女性の関係を捏造(ねつぞう)したり、「復帰=セックス」、「母子協助=母子間のセックス」などと統一原理の用語を意図的に曲解したり、「血代交換」などと統一教会にありもしないことをさも存在するがごとく記述しておりますが、このようなことを当事者である統一教会や名前を挙げられた人々に一つとして事実確認しないまま、出版することは無責任以外の何ものでもありません。
事実無根の虚偽の内容に満ちた朴正華氏の『六マリアの悲劇』は、私や私の家族、親族の名誉を甚だしく毀損するものであり、社会的信用を著しく失墜させるのであります。
私金仁珠は、かかる内容虚偽の書籍を執筆した朴正華氏と、出版した貴社に厳重な抗議をするとともに、当骸書籍から私に関する虚偽の内容を削除することを申し入れます。
既に発行した当該書箱に関しては出版・販売を即時中止することを要請いたします。
回答は当文書到着後、三日以内に私に到着するよう文書で返答するよう求めます。
なお、誠意ある回答なき場合は、断固たる法的手段を取ることを申し添えます。
草々
一九九三年十月二十七日
今の会長である徳野会長を始め現職の教育指導者たちも完全に純潔主義(結婚前は貞操・貞節、結婚後は一男・一女の夫婦)です。推進している内容はあくまでこれです。反対派は情報を混乱させ、教会内に問題を起こさせてきました。ご子女様も問題を起こしました。しかし、教会に熱心な時はいつも純潔を訴えていました。ですから、はっきりと確信しています。我々が訴えているのは純潔なのだと・・。それを混乱させるのは別の勢力なのだと。原理用語を曲解した本を読んだ後なら、我々が純潔の話をしても別の話に聞こえてしまう。それを第三者が流せば真実のようになってしまう。真実のようになってしまった話を内部が信じ、内部まで話し出せば真実のようにが真実であるとなってしまう。そんなトリックに嫌気がさしているところです。
てんのこさんへ
たとえば、「貴社が出版・販売していることを知りました」
ここは出版社のサイトではありません。どこかに書いたのを引用しているのだろうけど、精神疾患文ですな。
シックだから困難かもしれないけど、冷静に冷徹に、やってくださいな。
なお、この記事は「ブログ「青い海のひとりごと」さんからの寄稿文である。一般社会では通用しない投稿をされた場合は削除します。
以上です。
血分けと関係なくても例えば「復帰」とは、本当は神のもとへ帰っていくことを言いますが、六マリヤの悲劇では=セックスなんてしてますから、復帰と聞くとセックスに聞こえてしまいます。復活という原理用語も統一教会員はよく使います。それは、霊的な命を取り戻して霊的に生きたものになるという意味ですが、神様の話を聞いて喜んだというような意味でも使います。しかし、これも反対派が別の意味付けをすると変な話に聞こえてしまいます。そのように統一原理の用語で話す教会員が誤解を受けても不思議でないと言いたかっただけです。
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