後藤徹氏が監禁されていたマンションの構造 

 後藤徹氏が監禁されていたマンションの構造

 後藤徹氏は、荻窪のマンション「フラワーホーム」に97年12月から07年2月までの9年2カ月間、監禁されていた。
 といっても、リアリティをもって想像することはできないだろう。
 それは、あまりにも非日常的で異常な出来事だからだが、それ以外にも、どんなところで監禁生活を過ごしたのかわからないことも原因していると思う。

 そこで、「フラワーホーム」804号室の部屋の間取りを以下に明らかにしておく。
 これから続ける後藤陳述書が少しばかりリアルに理解できると思う。

 
荻窪フラワーホーム804号室間取図_convert_20090507142752

(それぞれをクリックすれば拡大します)


まず、間取り図から説明する。
 後藤徹氏が監禁されていたのはベランダに面した6畳間である。
母親、兄夫婦、妹の居場所は9年余りの間に変わるが、だいたいが玄関側の6畳間が兄夫婦と妹、アコーディオンカーテンで仕切られた真ん中の部屋が母親の部屋だった。
 部屋の専有面積は約50平方メートル。
 ちなみに、兄夫婦は結婚3年目から監禁生活であったことに想像を巡らせて欲しい。


 この間取りを建物の写真で照応させると、
右側の窓(テレビアンテナがある上の窓)が玄関側の6畳間の窓。
右から2番目の窓が母親がいた部屋の窓。
その隣が換気扇。
さらに隣がキッチン窓。
一番左側の窓が後藤氏がいた6畳間の窓。
(間取り図にはこの窓の外にはベランダがないことになっているが、ベランダはL字型で配されている)

 
ベランダと6畳間のサッシの引き戸は、2センチ幅の針金が入った曇りガラス。
 6畳間の窓は、5、6センチ幅の針金が入った曇りガラス。

 曇りガラスのため、後藤氏は外の景色を見ることができなかった。
 また針金入りのガラスゆえ、仮に後藤氏が怪我を覚悟で肘で思いっきり殴っても、人が通れるほどの穴を開けることはできなかったと思われる。
 引き戸と窓はいずれも特殊な鍵が施され、中から開けることはできなかった。

ベランダが使われることはなく、洗濯物は玄関側の6畳間の室内で干していた。

陳述書(6)にあるように、後藤氏の6畳間とキッチンとの間のフスマは開け放しとなっていた。そのため、後藤氏のプライバシィは一切なかった。(もっともプライバシィがないのは監禁された信者がほぼ全員体験していることだが)


建物と間取りを見ての感想だが、フラワーホームは監禁場所として実にふさわしいマンションということだ。
 後藤氏が脱出するには、真ん中の部屋、そしてアコーディオンカーテンを開けて6畳間を抜け、ドアを開けて、玄関にたどりつく以外にない。
 監禁してしばらくしてから、6畳間と玄関との中ドアにも鍵が施されたというから、夜寝静まってから脱出しようとしても、中ドアと玄関ドアの特殊な鍵を壊さない限り、外に出ることはできない。

 これは推測だが、後藤氏以外の統一教会員の脱会説得にも、この部屋が利用されたのではないかと思われる。

後藤氏が閉じ込められていた6畳間をもう一度見て欲しい。
 外の景色も見ることもできず、プライバシィもない部屋に、働き盛りの10年近く、閉じ込められたままの人生。
 そのように想像してみれば、後藤氏の体験が少しはリアリティをもって受けとめることができるのではないか。
“保護”説得を容認する弁護士や牧師など反統一教会の人たちは、どのように感じられるのでしょうか。
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コメント

お願いすることばかりで申し訳ございません。

 本当に統一教会員として感謝しております。拉致監禁をなくす会に入会の手続きをとらせていただきました。
最近また5人に増えております。大変残念なことです。私のブログでも書かせていただいておりますが、これもわが統一教会員が世間の悪評をそのまま言われっぱなしにしていることが非常に問題が在ると過去の裁判の記録を見て痛感しております。
 これ以上不当な意見でやり込められないためにも各個人が意見を述べていかなければならない時代に入ってきたことを痛感いたします。
本来ならば、本部が真剣にそういった対策部を立てて向き合っていかなければならない問題ですが、いまは残念ながら人材もはなはだ不足している状態ではないかと思われます。
 私は大阪ですので、米本さんのほうがより教会員に近いことが多々あります。非常に情けない話しですが、教会員に「立ち上がれ!」と奮起を促していただきますようよろしくお願い申し上げます。また当教会専属の弁護士にももう一度なんでそのようなことになっているのか真剣に考えていただくよう促していただきますようよろしくお願い申し上げます。
 

 後藤徹氏が監禁されていたマンションの構造

 後藤徹氏は、荻窪のマンション「フラワーホーム」に97年12月から07年2月までの9年2カ月間、監禁されていた。
 といっても、リアリティをもって想像することはできないだろう。
 それは、あまりにも非日常的で異常な出来事だからだが、それ以外にも、どんなところで監禁生活を過ごしたのかわからないことも原因していると思う。

 そこで、「フラワーホーム」804号室の部屋の間取りを以下に明らかにしておく。
 これから続ける後藤陳述書が少しばかりリアルに理解できると思う。


荻窪フラワーホーム804号室間取図_convert_20090507142752

(それぞれをクリックすれば拡大します)


★ まず、間取り図から説明する。
 後藤徹氏が監禁されていたのはベランダに面した6畳間である。
母親、兄夫婦、妹の居場所は9年余りの間に変わるが、だいたいが玄関側の6畳間が兄夫婦と妹、アコーディオンカーテンで仕切られた真ん中の部屋が母親の部屋だった。
 部屋の専有面積は約50平方メートル。
 ちなみに、兄夫婦は結婚3年目から監禁生活であったことに想像を巡らせて欲しい。


★ この間取りを建物の写真で照応させると、
右側の窓(テレビアンテナがある上の窓)が玄関側の6畳間の窓。
右から2番目の窓が母親がいた部屋の窓。
その隣が換気扇。
さらに隣がキッチン窓。
一番左側の窓が後藤氏がいた6畳間の窓。
(間取り図にはこの窓の外にはベランダがないことになっているが、ベランダはL字型で配されている)

 
★ベランダと6畳間のサッシの引き戸は、2センチ幅の針金が入った曇りガラス。
 6畳間の窓は、5、6センチ幅の針金が入った曇りガラス。

 曇りガラスのため、後藤氏は外の景色を見ることができなかった。
 また針金入りのガラスゆえ、仮に後藤氏が怪我を覚悟で肘で思いっきり殴っても、人が通れるほどの穴を開けることはできなかったと思われる。
 引き戸と窓はいずれも特殊な鍵が施され、中から開けることはできなかった。

★ベランダが使われることはなく、洗濯物は玄関側の6畳間の室内で干していた。

★陳述書(6)にあるように、後藤氏の6畳間とキッチンとの間のフスマは開け放しとなっていた。そのため、後藤氏のプライバシィは一切なかった。(もっともプライバシィがないのは監禁された信者がほぼ全員体験していることだが)


★建物と間取りを見ての感想だが、フラワーホームは監禁場所として実にふさわしいマンションということだ。
 後藤氏が脱出するには、真ん中の部屋、そしてアコーディオンカーテンを開けて6畳間を抜け、ドアを開けて、玄関にたどりつく以外にない。
 監禁してしばらくしてから、6畳間と玄関との中ドアにも鍵が施されたというから、夜寝静まってから脱出しようとしても、中ドアと玄関ドアの特殊な鍵を壊さない限り、外に出ることはできない。

 これは推測だが、後藤氏以外の統一教会員の脱会説得にも、この部屋が利用されたのではないかと思われる。

★ 後藤氏が閉じ込められていた6畳間をもう一度見て欲しい。
 外の景色も見ることもできず、プライバシィもない部屋に、働き盛りの10年近く、閉じ込められたままの人生。
 そのように想像してみれば、後藤氏の体験が少しはリアリティをもって受けとめることができるのではないか。
“保護”説得を容認する弁護士や牧師など反統一教会の人たちは、どのように感じられるのでしょうか。

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