決定版[文鮮明と認知されなかった息子との長くて暗い物語]
文鮮明とSEX(1)
2014年7月ワシントンDCで開かれた、国際カルト研究学会(ICSA=International Cultic Studies Association)主催の講演会で、文鮮明氏の実子である朴サムエル氏がスピーチした。
この講演録は何人かのブロガーが翻訳していたが、失礼ながらこなれたものではなく、私にとっては理解できないことが少なくなかった。
そこで、翻訳力では定評ある暗在さんに講演(動画)の書き起こし文の翻訳をお願いした。原文は、http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/125456761968/transcript-of-sam-park-video
動画のURL: https://youtu.be/xPwJYC9h93M
掲載するにあたって、一言述べておく。サムエル氏の英文スピーチを掲載したサイトには被告・家庭連合等からの訂正・削除要求は行なわれていない。よって、スピーチの内容は事実と判断してよいだろう。
統一教会に批判的であっても、文鮮明氏を尊敬、崇拝している食口は少なくない。そうした人たちに言いたいのは、読みたくないものは読まないという「バカの壁」にならず、熟読してもらいたい。また、記事を読んで、認知的不協和に陥り、「これには何か深い訳がある」と思考を停止したり、我流的解釈によって不協和を低減ないし除去しないでもらいたい。
人間関係が複雑であり、かつ長文なので、29日までは更新しない。
次は、暗在さんの断り書きである。
「適宜、小見出しを付け、動画の時間を入れました。 補足、注釈、感想、写真などを途中に挿入しました。一部に敬称略があります。よろしくお願いします」
暗在さんの「補足、注釈、感想」によって、スピーチの内容は実にわかりやすくなった。感謝である。
(ハイ、翻訳スタート)
プロローグ
お読みになった方がおられるか分かりませんが、私に関して書かれた記事がすでにあります。マライア・ブレイクという名の記者による記事で、雑誌「ニューリパブリック」‘The New Republic’ と「マザージョーンズ」 ‘Mother Jones’に掲載されました。ですから今回の話のある部分は既出かもしれませんが、それらの記事に載っていない新出情報がまだまだあります。同様に関心をもっていただければ幸いです。
私はこういう場が初めての初心者ですし、伝えるべきことがたくさんあるので、書いたものを読むのがいいと思います。そうしないで(ドナ・コリンズの方を指して)あなたの時間を全部食ってしまっても困るでしょうから。
ドナ:そうよ、そのとおり。
サム:いえいえ、そんなことにしたくはありませんが(会場、笑い)。ではここから始めたいと思います。
(注釈) ドナ・コリンズは、イギリスの初代統一教会長の娘(祝福2世)で、サムエル氏の親しい友人。
00:48
韓国メロドラマのような人生
私は、億万長者で統一教会の創設者であり人類の救世主だと宣言した文鮮明牧師の隠し子(あるいは最近の記事の表現によれば「私生児」)です。私の母親、崔淳華(チェ・スンファ Soon W.Choi)は有力な億万長者である崔氏一族の子孫でした。
崔一族は韓国で2番目に大きな保険会社・大韓生命の前所有者で、ソウルにある伝説的な63階建て黄金の本部ビルで知られていましたが、それは今でも世界で最大級の金箔建造物です。
<崔家元所有の大韓生命63ビル。黄金に輝くソウル(ヨイド島)のランドマークタワーとして有名>
私は莫大な富と狂信と偽善の世界に生まれました。私の人生はまるで、お金、セックス、権力、陰謀に満ちた韓国ドラマのようです。権力がいかに腐敗するか、いかに絶対権力が絶対的に堕落するか、目の当たりにしてきました。地獄への道がどのように善意で敷き詰められるかを目撃しました。
それは常に目的が手段を正当化する、狂信的な正義感に歪められた善意でした。
最後には、私の出生を取り巻く状況を拒絶し秘密にする心理が、私の人生の大部分を影の中で隠れて生きざるを得ないようにしたことを理解するようになりました。
私はジョージワシントン大学で、歴史学専攻、哲学・心理学副専攻で学士号を取得し、同大学で金融の経営学修士課程を終了しました。1999年の父と統一教会運動との秘密保持契約に起因して、過去十年間、様々な形で訴訟に関係してきました。
母のように、私はかつて、私の父である文鮮明牧師は人類のメシアだと信じるよう教育されました。
しかし、母がその母(私の祖母)によって統一教会へ連れて来られたのとは異なり、私はその中に生まれました。私は「改宗体験」を経験してないし、家族や元の生活様式を放棄する必要もありませんでした。教会が私の生活様式でした。が、私に関して何か違うものがあることを感じ取っていました。
12歳から13歳になったばかりの頃、私の実の両親は、実は文鮮明牧師と崔淳華だと気付いた時、その「違い」は自ずと明らかになりました。
私が自分の両親や兄弟姉妹だと思っていた人達(朴普熙-パク・ポヒと妻の尹基淑-ユンギスク、そしてその子供たち)は、私の本当の両親の正体を隠して私を生後直後から育てるよう文牧師から命じられていたのです。
私たち(訳注:サムエルとその母のこと)の統一教会運動に対する訴訟の核心には、まさにこうした強制的な偽りや、父が母に約束しては守られなかったたくさんの約束があります。
<戸籍上の両親・朴夫妻とその5人の子供たちとサムエル君(左端)>
4:48
父は17歳の母をレイプ
母と文牧師の関係は、母が17歳のとき、彼が母に強制的に迫り母の処女を奪った1953年に始まりました。
その時、私の父が言うには、私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、元返すために・・・すみません、統一教会用語を使わせていただきます。教会に関心があるみなさんの一部はそれをご存知かもしれませんが、多くの方々は知らないでしょう。このビデオを見るかもしれない統一教会員が大勢いて、彼らの助けになるかもしれないので、ちょっと大目に見てください。
父は母にこう言いました ―基本的に父は母をレイプしました― 天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。それが統一教会信者の理解する人類の堕落です。
(注釈)
サムエル氏は、「レイプ」という言葉を使ったことに関して、以下のように根拠を述べている。動画公表後に寄せられた多くの質問やコメントへの応答記事:「質問に応じて:朴サムエル」より 一部翻訳はじめ)
http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/126101550516/sam-park-in-response-to-the-feedback-i-have
ウィキペディア(英文)によれば、「レイプは、同意していない人に対して行なわれる、通常、性交を含む性的暴力の一種である。その行為は、腕力、強制、職権乱用によって、または意識不明の人、精神障害のある人、法定承諾年齢以下の人のような有効な同意ができない人に対して行なわれる。」
母は、性が全く議論されない風潮の当時の良家の出身で、そういう事柄に関してとても純真(ナイーブ)だった。教師を非常に尊敬する傾向がある東洋の文化の中で、父は彼女の母親の先生であり、彼女に対して支配力と権限のある位置にいた。
また身長わずか150cmの母に比べ、父ははるかに大きく力も強かった。韓国では承諾年齢は19歳。父は母とセックスをした後、私がしたことは誰にも言うな、特にお母さん(サムの祖母)には言わないようにと母に言った。
時とともに、また宗教的な条件付けで、母は起こったことを「摂理」として受け入れるようになったが、その時のトラウマの記憶は今日までまだ残っている。
(「質問に応じて:朴サムエル」からの翻訳ここまで)(注終わり)
<文鮮明教祖と卒業式の崔淳華さん>
<主な登場人物関係表>
朴サムエル :本人、語り手
文鮮明(ムン・ソンミョン):父
崔淳華(チェ・スンファ) :母
李得三(イ・ドゥクサム) :祖母―母の母
崔聖模(チェ・ソンモ) :祖父―母の父
崔淳実(チェ・スンシル) :伯母―母の姉
朴普熙(パク・ポヒ) :養父、文鮮明の側近
尹基淑(ユン・キスク) :養母、朴普熙の妻
韓鶴子(ハン・ハクジャ) :文鮮明の妻、文夫人
韓鶴子の母親 :洪順愛(ホン・スネ)
韓鶴子の父親 :韓承運?既婚男性?
6:16
祖母は教会草創期の篤志家
まず、母の家族(崔家)が文鮮明牧師の初期の宗教運動の始まりから果たした中心的な役割を知らずして、父と統一教会運動に私どもが関与する背景を理解することができません。統一教会の信者にとってもそうでない人にとっても、崔一族のこの「隠れた歴史」の含意は無視出来ない重要なものです。
父は1953年に初めて私の祖母に会った時、彼女が父にとって非常に重要な人になることを彼女の名前から知っていました。
祖母の名前は李得三(イ・ドゥクサム)といい、文字通り「3つを得る」という意味で、韓国の尺度からしてもかなりめずらしい名前です。しかし統一教会信者にとって、祖母の名前は、創世記1章28節に書かれた3大祝福(「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」)を表し、『原理講論』(統一教会の信仰体系)における中心的な御言を示すので重要だったのです。
崔家が裕福だったため、私の祖母は、50年代から60年代を通して何度も何百万ドルもの寄付をした、草創期の統一教会運動の主要な財政後援者でした。教会の初期の時代に彼女が援助しなかった人はたぶん1人もいなかったし、そのため彼女は教会内で大変愛される人物でした。
1950年代中頃の100万ドルは、今日の価値換算でおよそ850万ドル(訳注:約10億円)に相当します。彼女は50年代の初めに100万ドルの大邸宅を売って、その収益を教会へ献金しただけでなく、1973年に亡くなるまで、何十年にもわたって絶えず莫大な金額を献金し続けました。
(注釈)
文牧師が李得三女史に会った時、文教祖直々の「賛美のシャワー/愛の爆弾」が彼女に激しく降り注いだろうことは想像に難くない。「大変すばらしいお名前をお持ちですね。あなたは神の御言葉の核心を成就する鍵となるべき女性、天に予定された非常に重要な人物です。しかし・・・」。印鑑販売などにおける姓名判断の導入トークとそっくりだが、当然あちらの方が元祖である。日本の霊感商法のキャッチ・トークも、教祖から弟子へ、海を渡って弟子から弟子へと組織体質的に伝わっていると考えられる。
当時の原理は今とは違ったと言われるが(後述)、3大祝福の教義は六マリアの時代にも変わらずあったことがわかる。
(参照) 現在の『原理講論』から三大祝福の教義を引用:
「神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。」(『原理講論』第1章 第3節(1)「被造世界を創造された目的」より引用ここまで)
祖母の李得三は、書籍『六マリアの悲劇』の中で、6人のマリアの筆頭の1人として名前(仮名)があがっている。著者の朴正華氏も得三女史の支援を受けたと書いてある。
「辛貞順(李得三の仮名)は、六マリアになれたことで、文鮮明のそばで永遠に平和な生活ができると思っていた。それで、釜山草梁洞にあった家を売り、文鮮明に捧げた。私が釜山で縄の商売を始めたとき、その資金を用意してくれたのも、やはり辛貞順だった。」(『六マリアの悲劇』P152より)
*ここでいう「マリア」とは:文教祖と性関係を持った人妻。教義的にいうと、メシアによってサタン世界から‘復帰されたエバ’。
(注終わり)
8:40
祖父は韓国の新興大富豪
私の祖父、崔聖模(チェ・ソンモ)はその時代の実績ある実業家でした。彼は26歳時に自力で成功した億万長者で(100万ドルが本当に意味を持っていた時代に)、富を得てまた失うことを3回繰り返したにもかかわらず、祖母が統一教会に入った1950年代初頭までには、新東亜グループ(崔家が所有する大複合企業)が数十億ドル(訳注:約数千億円)規模の企業になるための堅固な基盤を築いていました。
祖父の事業が発展するに連れて、彼の影響力はソウル(韓国)の政治権力の中枢に達しました。彼はたびたび、当時の朴正煕大統領の要請を受けて、ワシントンD.C.で米国との貿易交渉を主導するために派遣されました。朴正煕大統領の時代に、祖父はホットラインと呼ばれる青瓦台への直通電話を持っていて、米国の経済諮問委員会と同様の団体の長で、経済政策について頻繁に大統領に助言していました。
祖父は一流企業グループを築き、納税額で見た時、サムスン・グループの創設者で彼の親友である李ビョンチョルに次いで、韓国で2番目に金持ちになりました。韓国で最も裕福なこの2人が昼食のために会って話すことは、意外にも、ビジネスに関することでなく、ほとんど家族と子どもたちのことになるのでした。
いくつかの点で、これは私の祖父がどういうタイプの人間かよく表しています。 その成功と権力にもかかわらず、彼にとって最も重要だったのは彼の子どもたちと従業員の幸福でした。
本質的に彼は謙虚で高潔な人物で、当時におけるもっとも道徳的な実業家とみなされていました。特に当時は腐敗があり今も基本的にそうである韓国にあって、そのことは母と私が最も誇りに思う事実です。
(注釈)
堂々の大富豪アナウンスが続く。信者に商品をむりやり高く買わせて暴利を貪る統一産業系の企業などとは違い、また日本の信者の献金を横領して擬似富豪状態になったような人たちとは違って、崔聖模氏は実力と人格と実績のある、正真正銘の大成功した実業家であったようだ。
(注終わり)
10:44
姉妹2人と結婚する“崔家の摂理”計画
崔家の名声を知れば、私の父がなぜ崔一族の支援を手に入れることに釘づけになったかを見抜くのは簡単です。私の祖父の支援があれば、政治権力の中枢(つまり青瓦台)と財源が、父の初期の運動に対して広く開かれたかもしれないのです。きちんとした後ろ盾があれば彼がどれくらい高くまで上れるか予測できません。父にとって崔一家は、救世主としての夢を叶えるための王冠の宝石でした。
非信者にとって次の言葉はナンセンスですが、再び我慢して聞いてください。
私の父(文鮮明)は、神が崔家を通して人類の歴史の全てを完成させようとしていると私の母に繰り返し語りました。私の祖父は歴史的に天使長の位置に立っており、2人の叔父(私の母の弟たち)は歴史的カインとアベルの位置、私の母とその姉(2人とも私の祖母が1953年に入教したすぐ後に入教)は歴史的レアとラケルの立場にある、と父は信じていました。
父は、2人の姉妹と結婚することによって聖書のヤコブの生涯と同じ道を行き、実の姉妹と彼女らの侍女によって12人の息子をもうけなければならないと思っていました。
ヤコブのように、父はまず1960年に姉の方(私の伯母)と結婚し、7年後に離婚して、より若く個人的に好きな妹の方(私の母)と結婚する計画でした。1960年までは、教会内のほとんど誰もが、私の伯母と母の両方と結婚しようとする父の結婚計画のことを知っており、母を統一教会の将来の「真の母」と認めていました。
父によると、彼の使命を正しく遂行しようとするなら、聖書のヤコブの路程を同じように辿って、崔家の家族の中でこのような重要な関係をきちんと行なう必要がありました。
(注釈)
旧約聖書に出てくるヤコブは、姉妹2人と結婚したといっても、創世記の記述によれば、好き好んでしたのでも計画的にしたのでもない。叔父ラバンの土地で働いていたヤコブは、ラバンの娘の妹の方のラケルを好み妻に望んだ。だが約束の7年の労働期間が過ぎた婚宴の日の夜、新床に入って来たのはラケルではなく姉のレアだった、と朝になって初めて分かったという次第。ヤコブが姉妹の父親のラバンに抗議すると、伯父でもある彼が超軽くいうことには、「レアとの結婚、おつかれーサン。姉の方を先に嫁がせないとこちとら世間体が悪いからメンゴねー。あともう7年、うちトコでタダ働きの約束してくれたら、妹の方もおまえの嫁にやるからさー、いいじゃんねえ」 と暖簾に腕押し状態。断ろうにも寝所の夜闇の中でラケルだと思ってレアとことを成してしまった後なのでもう遅い。こうして彼は伯父ラバンの策略に騙されて、姉妹2人と結婚するはめになった。文牧師のように、最初に姉の方と結婚して、離婚して、それから妹の方と― などと目論むのとは全く違う状況なのだが―。
真面目で働き者のヤコブは21年間の苦役の果てに天の智恵を使い、伯父ラバンの財産の大部分を手に入れ、妻子たち一族と共に故郷に帰って錦を飾る。兄のエソウに礼をし豊富な財物を捧げることで、かつてヤコブに長子権を奪われたことで殺意を抱いていたエソウも刃を収め、仲直りしてヤコブに‘自然屈服’する。文牧師は「聖書のヤコブの路程を同じように辿って」大富豪の崔家の財産を自分のものにし、それらを使って「兄エソウ」が象徴するこの世の政治権力や宗教権力を手中に収めようとしたのだろう。
(参考)ヤコブの結婚の話:創世記29章14節~30節。聖書本文検索ページ http://www.bible.or.jp/read/vers_search.html
(注終わり)
13:03
遺憾ながら、父の活発な性的衝動ゆえに、他の女性何人かに意図しない妊娠を引き起こしたので、父に対する私の伯母の信仰は欠けていき、最終的に1959年後半の公式婚約後すぐに統一教会を去るに至りました。
このようなことは他の人がほとんど知らないことです。これらは都合が悪いゆえに教会が口外しなかった隠れた歴史です、なぜなら… それは全く忌み嫌われるもので、1960年から教会が人々に教えていたことと矛盾するからです。
私の伯母が婚約を破談にしたあと、父は急激に失速しました。 彼の使命の中心だった、7年間にわたって築いてきた関係は、あっけなく蒸発しました。
彼は自分の責任を認めることはせず、彼を失望させた私の伯母と崔一族を非難しました。それは責任転嫁して自分を除いた他すべてを非難する文牧師の典型的なやり方です。
しかし、彼はジレンマに陥りました。「天の計画」を守らなければならず、彼が40歳になる1960年の春には結婚しなければならないのです。統一教会信者は40という数に重要な天宙的意味があると信じるので、彼は約4か月という短期間のうちに急いで花嫁を見つける必要がありました。
(注釈)
伯母が教会を去った1959年といえば、文牧師の2人目の息子に当たる文喜進を産んだ金明煕女史が日本から帰国した年でもある。金明煕は55年の梨花女子大事件の直前、当局の調査から妊娠を隠すために日本に送られ、その直後出産、苦労して4年後に3歳の息子を連れて帰国したが、失敗した扱いになり、息子とも引き離された。周囲の状況から、文牧師は庶子認知せざるを得なかったという。それはサムエル伯母が文牧師との婚約を破棄し教会を去った一つの原因だったろう。
金明煕さんは、日本教会では“2番目のお母様”と言われているが、崔姉妹と同じく、文氏とは結婚していない関係だった。「金明煕の証し」によれば、彼女と崔姉妹は教会の三位基台(文教祖と性関係がある処女代表3人グループ)で、とりわけ年齢の近い姉の方とは大の仲良しだった。仲良し過ぎると文氏に注意されたこともあり、互いに嫉妬しないように訓練されたともある。サムエル伯母は、かつての大親友の末路を見て胸中複雑だったに違いない。
――以前はあんなに明るく朗らかだった彼女が今は見る影もなく憔悴して・・・。会いに行ってゆっくり話をしたと考えても突飛な想像ではあるまい。単なる嫉妬ではなかっただろう。
サムエル伯母の脱会については、最古参女性信者の1人「呉永春の証し」(英語版)の中でも触れられている。それによると、順哲(6マリアの1人)の夫が教会に激しく反対し、激怒して呉永春(順哲の霊の親)にピストルを付きつけ、呉永春と淳実(サムエル伯母の名前)の住処を突き止めたので、淳実も順哲の夫から散々被害を受けることになり、教会を去らざるを得なかった、とある。(日本語版では、教会を去る部分がカットされている)
また、正式な婚約だの将来の真のお母様だのとおだてられても、自分は姉のレア格で、結局文先生は妹のラケルの方を好むことになるのだと、隠されていたとしても何となく女の直感で感じることもあるだろう。いい気持がするはずがない。いろいろな事情が重なっていたのではないか。
「金明煕の証し―精誠の道、原理の道」ファミリー2005.06 http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/kim_myong.html
Yeong Choon Oh(呉永春)の証し(英語版) http://www.tparents.org/Library/Unification/Talks/Oh/Oh-130501.htm
「呉永春の証し(日本語版)―主の受難の道に同伴者となって」.ファミリー1992.01 http://www5b.biglobe.ne.jp/~yi1800/akasi/004.html
(注終わり)
14:40
父は大急ぎで新しい花嫁を探す
反動の状況について話しましょう。つまり父が韓鶴子(現在の文夫人)を妻に選ぶとき何が起こったか。
父は私の伯母が裏切ったと思い、自分の威信と希望が個人的に侮辱されたと捉え、崔一家に拒絶されたと感じて結局、現在の文夫人である韓鶴子を選ぶことになりました。
彼が新しい花嫁を見つけるにあたって設けた唯一の基準は、親の承認が不必要な「誰でもない無名の」女の子ということでした。十代の頃の韓鶴子は賢く、勤勉で、可愛らしかったが、彼女には残念なことに、無知で薄情な母親(訳注:洪順愛のこと)がいました。
多くの点で韓鶴子は環境の犠牲者でした。
彼女は未婚の母親が統一教会に入る前に同じセックスカルト教団に入っていた既婚男性との間に生まれた私生児(*1)で、母親はその後賄い婦として統一教会の台所で働くことになりました。実の父親は韓鶴子を自分の娘だと思わなかったので、親の許可は問題ではありませんでした。
話は1964年に飛びますが、私の父とその途方もない世界支配の計画はうまくいっていませんでした。1960年にメシアである私の父と申し分ない花嫁・韓鶴子が聖婚して4年が経っても、世界はほとんど見向きもしませんでした。
ここで1960年当時の統一教会員の一般的な信仰を理解する必要があります。
当時の統一教会信者は実際、私の父と韓鶴子が結婚すれば天が開け、世界が奇跡のようにひざまずいて、彼がメシアでその妻は全人類の真の母だと認めるだろうと信じ考えていました。それはカルトの中で蔓延しがちな呪術思考(*2)の症状です。
しかし現実は大きな失望でした。
彼らの長子は「天の王子」になると最初に宣言されていましたが、誉進は生まれてみると女の子でした。
3番目の子供、恵進は生後まもなく死亡しました。
信者数は停滞して伸び悩み、教会はまだ財政的に厳しい状況でした。
これは私の祖父と全く対照的で、祖父の富と影響力はその期間に拡大し成功し続けました。
父は韓鶴子と結婚したのは間違いだった、軌道修正して崔一族との当初の計画(父が「崔家の摂理」と呼んだもの)に戻ることが必要だと結論を出しました。
(注釈)
(*1)「韓鶴子の父親は既婚男性」という情報はネット界(日本語)で初出ではないか。公に父とされている韓承運氏は当時既婚者ではなかったはずだ。しかし元々教会が表に出している情報はつじつまが合わず、当事者は他界し事が事だけに確定が難しくなぞがなぞを呼んでいる状態なので、この情報も、当時の教会内外ではそんな噂も流れていたのだなくらいの感覚に留めておいた方が無難なようだ。そうでないと頭がクラクラする。この件に関しての考察は「ちゃぬの裏韓国日記」に詳しい。記事タイトル「クイズ!父親は誰だ!」「騙されるな!洪順愛大母様の証は教会の都合のいいように書き換えられている」など、関心のある方は検索してみてください。
(*2)呪術思考とは、ここの例でいえば「教祖が結婚すれば、天が開け全世界が跪(ひざまず)く」と魔法のようなことを信じてしまうお花畑脳。正確には「ある事象について、理性と観察においては因果関係が正当化できない物事に原因を求める思考」
姉の淳実氏が脱会しても文牧師は妹の崔淳華氏と結婚できないわけではなかったろうに、そうしないで全くの新人(韓鶴子)を探し結婚したのには釈然としないものが残る。
「蕩減復帰」などの後付け“摂理”的屁理屈以外に何か事情があるのかないのか。
可愛がっていた淳実氏が去ったことで、裏切られた!と感情的になり、激昂して火病発症。まだ自分に対して従順な信仰を持っていた崔淳華氏が目に入らなくなり、崔家への当てつけに全てが対照的な韓鶴子を花嫁に即決し、崔家を貶めた(つもりになった)ということだろうか。
後で冷静になってみると、やっぱり自分を一途に慕ってくれる崔淳華がかわいい、発展している崔家の莫大な財産も惜しい、無学で貧乏人の小娘(韓鶴子)と結婚していてもいいことはない、つきましては、ご破算で願いましては・・・ と、そろばんで新しい計算に移るようにやり直そうとしたのか。双方に対して失礼な、何とも虫がいい話だ。それに1960年代前半は、韓国教会はいざ知らず、日本やアメリカで初期の開拓伝道が急速に進み運動が広がりつつあった、教会にとっていい時代ではなかったか。
(注終わり)
17:40
私が生れる前後の隠された事情
1964年春に母がジョージタウン大学の大学院課程で学ぶため渡米すると決めたことで、父は計画を実行に移しました。基本的に母は、韓国のソウルにいる私の父から逃れて、文夫人にいくらかでも息をつく余地を与えたかったのです。
1960年に韓鶴子が私の父と結婚して以来ずっと、教会内の全ての人は韓鶴子が彼女には決して予定されていなかった位置を占領していると知っていたので、韓鶴子とその母親は非常に居心地が悪かったことを知ってください(*1)。これが韓鶴子の母親が自分の娘にできるだけ多くの息子を産むようけしかけた理由です。母親は娘が男の子を1人産むごとに娘の文鮮明に対する権限が増すことを知っていました。
それでも父は心を決めました。自分の計画を確実にして私の母を失わないために、1964年ソウル青坡洞教会の本部で、内密に統一教会の公認のセレモニーをして母と結婚しました。
父にとって何が重大だったのかご理解ください。
父は、母がアメリカへ発ってしまえば彼女を失い、崔家の富に繋がる可能性がなくなってしまうことを恐れました。
また、私の祖父の報復(*2)から父と教会を守ってくれる唯一のものが、私の母の父と教会への忠誠心と献身でした。ですから父にとって、母を失うことは存在自体の危機だったのです。
(注釈)
(*1)文鮮明自叙伝にもこれに関係すると思われる表現がある。「教会の中でさえ私の結婚をめぐってさまざまな声があり、妻をねたみ、怨んで、あらゆることを言って騒ぎたてました。」(『平和を愛する世界人として』P206より)
(*2)サムエルの祖父・崔聖模氏の報復に関して。実際、崔聖模氏は55年の梨花女子大事件の告訴に関わり、また文牧師と第1夫人との離婚にも関わった。
「文師が収監された背景には、この韓景職牧師ともう一人、崔先吉女史の叔父である崔聖模氏(1909-1976)がかかわっていた。」 (『受難の源流』より武田吉郎著 光言社)
サムエルの祖父の崔聖模氏は、文牧師の最初の妻・崔先吉女史の叔父にもあたる人物。崔聖模氏から見れば、妻(李得三)と娘2人(崔淳実、崔淳華)と姪(崔先吉)が文牧師と性関係を持って不幸な目に合っている。文牧師が聖模氏の報復を恐れても不思議はない。http://ameblo.jp/chanu1/entry-11552019443.html
(注終わり)
18:50
そして最も重要なのは、母と結婚して、彼女を通して子供を持つことによって、父はヤコブの生涯または統一教会信者が呼ぶところのヤコブ路程をモデルとして同じ道を辿ることに成功するのです。統一原理によれば、それは彼の最も重要な使命でした。
統一原理はその時から変更されて、今日の原理講論は初期の頃のものとは大きく違っています。教会は現在の文夫人と結婚した後起こった事実関係に合わせるために原理の調整・手直しをしなければなりませんでした。
父は母の渡米後まもなく、1965年に彼女の後を追いました。母は米国に1964年に来て、父は1965年に来ました。
彼は基本的に“すべてを危険にさらして”(これは父自身の言葉です)私を作ったと語りました。父の唯一の目的は、米国に来て私の母を妊娠させることでした。父は母を失いたくありませんでした。父は母の妊娠の確証を得てからやっと母のそばを離れました。
父は1965年に約3か月間滞在しました。私は翌年の1966年1月に生まれ、それ以降は知ってのとおりです。
事の真実は、父が私を作って崔家の摂理に戻るという確固たる意志を明確にしたので、文夫人は私が生まれる頃までに退いて、私の母のために妻と真の母の地位を明け渡す覚悟をしている、と彼女は私の祖母に言いました。
しかし、父が韓鶴子を外し、私の母を統一教会用語で「真の母」として正当な位置に就ける計画をやり通すのを妨げたのは、私の母の同情心でした。母は韓鶴子の可能性を信じたかったし、また1人の女性として、韓鶴子と4人の幼子たちを追い出すに忍びなかったのです。これは私が生まれたあと母が私を放棄しなければならなかった理由です。母はそれを知りました。
後から考えると、もし母が今知っていることをその時知っていたら、全く違った態度をとっていたでしょう。私が生まれた後、父は母との間にもっと子どもを欲しがりましたが、母は拒否しました。祖父や世間から事を秘密にしておくため新たに生まれた子どもたちが母から取り上げられ別の家庭で育てられることを考えると、悲しみに耐えられなかったからです。
(注釈)
当時の「原理」の最重要課題だったという、文鮮明牧師による「ヤコブ路程」だが、韓鶴子氏と聖婚してしまった後でも、路線変更して「崔家の摂理」に戻れるものなのだろうか。姉妹の姉の方はもう教会からいなくなって久しく、韓鶴子さんとの間にはすでに3,4人の子女が生まれている状態。ここで崔淳華さんと結婚して子供を持つことで、はたして姉妹2人と結婚するヤコブ路程のモデル化が成功したといえるのだろうか、そんなはずないだろうと不可解さに頭をひねっていたところ、ピンと来た。その場合、韓鶴子を姉のレアの立場(レア格)にしてしまえばいいのだと。そしてラケル格の「個人的に好きな」サムエル母と結婚 → 崔家の財産をゴッソリ手に入れる →文牧師ウハウハ で、ヤコブ路程完全勝利!・・・ という構図だ。(もちろんそううまくいくわけはないが。)
しかし実際の姉妹でもないのに、それに鶴子さんの方が淳華さんより7つほど年下なのに、姉のレアと妹のラケルだなんて、こんな教学でいいのでしょうか、お父様?
いいんだよ(どうでも)。自分の欲望や野望にピッタリ沿って駆けるわが身の後ろめたさを、多少の智恵とハッタリで、原理や摂理の必然にすりかえる。これがお父様だ。いいんだよ、これで(どうでも)。おまえは立派な教学担当だ。
ありがとうございます、お父様! 朝鮮シャーマニズムに影響された統一教会、擬人化された都合好い神観、それらを振り回しながら、文鮮明先生は、対象を変え品を変え、この後何十年も突っ走るのだ。♪ がんばれー がんばれー ぶん・せん・せい (/・ω・)/ ♪
「真の母」の地位をめぐるレースは、それぞれが軋みとも悲鳴ともつかない鋭いブレーキ音を響かせてデッドヒートしていた。ヤコブの時代は一夫多妻制があったが、現代は法律上重婚できないから、崔淳華と結婚しようとすれば、韓鶴子とは離婚しなければならない。韓鶴子は一時、妻と真の母の地位を明け渡す覚悟をしていた、とサムエル氏は語っている。文牧師が韓鶴子にああだこうだと説教し無理やり納得させたのか。
「鶴子、おまえは歴史的にレアの立場に立っている。レアはラケルを広い心で包容しないといけない。これはエバの歴史的蕩減だ。レアはカイン、ラケルはアベルだ。わしの目を見なさい。間違ってもカインがアベルを殺すような人類史の過ちを繰り返してはならない。ラケルの淳華も子を産んで、わしはヤコブのように12人の息子をもたなければならない。アイゴー、全て御旨のためだ。たのむ、鶴子、離婚してくれ。だが遠くに行くな。生活の面倒は教会が見る。心配するな、アイゴーアイゴー」
それとも何の説得も説明もせず、いきなり強圧的に宣言したのか。
しかし間一髪のところで、崔淳華の同情心が、韓鶴子と4人の幼子を追い出すに忍びなかったと。もっとも「韓鶴子の可能性を信じたかった」とは具体的にどういうことなのか(どういう期待があったのか)理解に苦しむが、公にされない当人しか分からない内容がまだまだあるのだろう。
ほんの少し何かが違っていれば、あなたが伝道された頃の教会の祭壇に飾ってある写真は、文鮮明教祖と崔淳華氏が写っていたかもしれない。チャーチマザーが写真を見てウットリして言う。「お父様、すてきね。お母様の御実家は韓国の財閥だったのよ。お母様とお父様、とってもお似合いね。」 まだ日の浅いあなたは「どこがすてきなんだ」と思いながら、所在なく教会の刊行物をパラパラとめくると、真の父母を中心に側近や子供たちが大勢でそぞろ歩きをしている見開きの写真、その御一行の後ろの方に伏せ目の寂しそうな顔の女性が1人ぽつねんと写っている。気になってマザーに尋ねると、「ああそれはレアのお母様の韓鶴子さんじゃないの。知らなかったの、あまり見かけないものね。お子様も何人かおられたはずよ。昔お父様が米を買いに出られた時、神様から『汝のラケルに会いに行け』と啓示を受けてね、お父様は啓示に従って妻子を残しそのままアメリカへ行ってそれっきり・・・ナンタラカンタラ・・・」 窓の外は日が暮れて、夜空には3つの月がゆっくりと昇っていく。多元宇宙の仮説だと、どこかにこんな風に枝分かれした別の宇宙(パラレルワールド)が存在するかもしれない。
どちらにしてもあなたとは関係のない所でのお話。こういう摂理という名の虚偽にあなたの血(情やお金)を注ぎこむのはやめて、自分の力を取り戻してほしい、そうする勇気を持ってほしいとサムエル氏も講演の最後で訴えている。
(注終わり)
<文鮮明牧師から崔淳華に宛てたハガキ(1955年)>
<黄色部分の翻訳:1.孤独な復帰の道を歩む先生のために、私の心の灯になっておくれ。2.もし男の子なら「慶 Kyung」を、女の子なら「妍 Yeon」を1文字目に使い、文家の伝統に則って名付けるように、朴ポヒ夫婦に伝えておくれ>
訳注1.「先生」=「私」=文牧師のこと。先生、なかなかロマンティックな内容ですね。
訳注2.生まれる前から朴夫妻に養子に出すことが決められていたとわかる。朴夫妻はサムエル氏を実子と偽って出生届を出したが、それも文牧師の指示だったに違いない。出生証明書と朴氏の裁判証言記録(2010.07)などが前述の雑誌記事の資料としてネット上に公開されている。
宣誓証言で朴氏は、「出生届には実子となっているが、実は自分は養父で、実の父親が誰なのか私は知らない」と陳述している。
それに対してサムエル氏は「1965年に父は米国を訪れ、朴氏の家に滞在し、朴氏の部屋の隣の部屋で父により母が僕を身籠ったのだから、朴氏は僕の実の父親が誰か知らないはずはない。統一教会は大金をばらまき、偽証証言を通用させた」と書いている。
21:35
真実の教会史を伝えたい
私が今説明したことは、統一教会の本当の隠された歴史です。
歴史の記録を正すためこの演壇に着くのに長い時間がかかってしまいましたが、私はもうこれ以上この秘密を背負わなくてもよくなります、ついにこの日が来てホッとしています。
統一教会に与える影響や「真の母」としての文夫人の正当性、統一原理に基づくその子孫の「真の子女」あるいは嫡子相続人としての正当性などを考えると、なぜ統一教会運動がこの情報を包み隠しておきたがったか、なぜ彼らが秘密を守るために極端な法的手段をも辞さなかったか、その理由を理解するのは簡単です。母が統一協会の正しい「真の母」であることの根拠を示すのは難しいことではありません。それは文夫人自身が、1966年~67年当時、私の母に彼女の位置を明け渡す準備をした時点ですでにそれを証明していたからです。
しかし媚びへつらいに満ちた、莫大な富と特権と絶対権力の世界に包まれたまま時が経過して、韓鶴子はいかに若い時の良心を失ってしまったか一目瞭然です。
それに彼女自身の母親に育てられ受けた教育の悲惨な現実を加味すると、韓鶴子は自分の子どもたちをちゃんと育てる技術を全く身に付けてこなかったことは―今日その子どもたちのほとんどが彼女を非難している―自明です。
私の出生のタイミングと状況を見るならば、統一教会運動の「正当な相続人」としての私の主張の価値についての議論は非常に簡単です。
もし韓鶴子が統一教会運動の予定された真の母だったとしたら、なぜ私の父はその「神聖で、聖なる」結婚から抜け出して私を作ったのでしょうか。
またなぜ彼はその時、そうするために「すべてを危険にさらす」と私の母に言ったのでしょうか。
まあ、私が見るには、このような状況は私をかなり重要な天宙的な人物にさせます、もちろん統一教会的な意味で。そういう理由もあって、半分血の繋がった私の兄弟の一部は私を嫌ったり、冷淡にあしらいます。これは私にとっていいことです。なぜなら文家には虐待の循環と親から受け継いだ自己愛性人格障害や妄想性絶対観念(たとえば、彼らは特別なのでメンバーや他の人々を酷使してもいいと信じているなど)への傾向があるからです。この種の考え方や態度は、彼らと分かち合えないものです。
さてここで誤解しないでいただきたいのですが、私は次のメシアやそれに類する何かになろうとしてキャンペーンしているのではありません。率直に言って私には関心がないし、他の人を犠牲にして自分が特別だとか優れているように感じたい欲求に苦しめられたこともありません。
ドナ:「まあそれはあなたがそう言っているだけですが」(会場笑い)
サム:本当?! 私は痛いほど自分の限界を知っていて、誰かが神に近づくために私を必要とするなんて考えないくらいには賢いのですよ。神が何を望んでいるかが分かる本物の「特別な」洞察力を持っていると信じ、またそう主張することは、全くの自己陶酔に陥る危険な坂道です。
母と私はほとんどの人が理解するのが難しいと思われる特異な人生を歩んできました。
私たちにとってそれはこれまでに知っている唯一の人生なので、比較するものもないのですが、外から中を覗き見たとき私は今ではその異色さを感謝することができます。それでも回復への道のりは長くつらい闘いであり、この会場にいる多くの方々と同じように、愛する人々の支援と、本当に理解を越えた恵みと愛の普遍的な存在なしにやり遂げられませんでした。私たちの言葉や姿は普通に見えるかもしれませんが、私たちには永久に自分の存在に刻み込まれた傷跡があります。
私の大好きな、ハリール・ジブラーン(Kahil Gibran) の詩から引用します:
「悲しみがあなたの存在を深くえぐればえぐるほど、その深みを満たすあなたの喜びは大きい」
私たちは多くのことを通過してきましたが、それだけ多くを包含することができるので幸運だと思います。それは全ての経験から得られた祝福です。
また、ICSA(国際カルト研究会)に来るという驚くべきことになりました。多くのSGA(成人した二世のこと)がここにいます。また多くの学者と一般人の方がここにいます。それは私が前に進むための非常に力強い励ましのサインになりました。望みがあります。人々が彼らの体験から癒され回復する方法があります。ありがとう、皆さん。(会場、立ち上がり拍手)
27:46
母は17歳のときに私の父からの性的搾取に耐え、この同じ男のために当局に拘束され尋問され(*1)ました。
同じく父を支持するがゆえ10憶ドルの相続を放棄(*2)し、秘密裏に父の息子を宿し、その後この同じ男のためにその子を強制的に放棄させられました。
過去5年間、私たちは、父と統一教会運動が私たちに支払うべきものの支払いを執行するよう訴訟をしてきたので、他の多くの統一教会信者と同じように私たちは今2人とも差押えと破産の寸前で生活しています。
自分としては、彼から認められるのを長い間望んできましたが、今は彼が自己陶酔に陥って感情的にあてにならなかったことを知っています。
私自身に息子がいて、自分の息子を捨てることはいうまでもなく彼なしで生きることは想像すらできないので、父の人生の選択がどれほど悲惨なのか今は知ることができます。私の父は本当に残念で悲惨な人間です。
そして彼に対する結論はこうです
「自分は全人類のメシアだ・真の父だと主張して、自分の息子には父だといわない、ありえません。それは究極の偽善です」(拍手)
(注釈)
(*1)文牧師ゆえに「当局に拘束され尋問され」たのは、崔淳華氏ではなくお姉さんの崔淳実氏のことだと思われる。サムエル氏が語る教会の古い事情は母の崔淳華さんから聞いた内容だろうから混同があったのではなかろうか。 梨花女子大事件(’55)を報じる当時の京郷新聞記事に「▲崔淳実=(女信徒) 淫行媒介」とある。 http://ameblo.jp/chanu1/theme2-10031388309.html(他にも崔家についての文氏自身のみ言葉など興味深い内容がある)
また、『六マリアの悲劇』P122には、「李聖花(崔淳実の仮名)はまだ若かったので、担当官の混淫関係の調べで誘導尋問にひっかかり、拘束されることになったが、起訴にはならず、1週間後には釈放された。」とある。
ちなみに「混淫」という言葉は日本語にはない。「代身」「約婚」などと同様に韓国・朝鮮語らしい。1900年代前半から朝鮮に存在した血わけを行うキリスト教風シャーマニズム的霊的集団(講演録では「セックスカルト教団」)を「混淫派」と呼んだことからきていると思われる。『六マリアの悲劇』の中では「混淫関係」という表記に(姦通問題)(セックス関係)などとと加えて補足説明している。この時文牧師が無罪になったのは取り調べで食口たちが嘘をついたりしらばっくれたり必死になって文教祖を守ったからだとも書いている。今回のサムエル氏の証言を読めば、当時警察の嫌疑通り女性信者たちとの「混淫関係」が事実あったことがはっきり分かる。
(*2)「父を支持するがゆえ10憶ドルの相続を放棄し」について、「質問に応じて:朴サムエル」の中で以下のように詳しく説明している。
「私の祖父は、母が教会を去るならば、祖父が所有している企業集団の最も重要な大韓生命(数十億ドルの企業)を与える用意をしており、また朴家から私を連れ去って教会と離して韓国で育てる準備もしていた。祖父には、そうする権力と所有権があったが、母は父に献身的な愛を捧げ、教会を去ることはなかった。」
(注終わり)
29:38
父と教会を相手取った24億円裁判
既に述べたように、過去5年間、母と私は、父と統一教運動が私たちに負った負債に対する訴訟に巻き込まれてきました。
2千万ドル(私たちの法的請求金額)(訳注:約24億円)は誰にとっても大きな金額でしょう。日本で宗教的恐喝により強制的に奪われたお金を取り戻す、あるいは再請求するために統一教会を訴えた人々がいますが、原則として、私たちも同じことをしているのだと思います。私たちの訴訟は祖母と崔氏一族が1953年から20年以上にわたって教会に寄付してきた何百万ドルというお金に関してです。再び申しますが、当時の数百万ドルは今日では2千万ドルを優に超える価値になるので、統一教会運動は実際かなり大きな割引を受け取っています。
再度申し上げますが、結論はこうです。
私の祖母と母は、今の統一教会運動がなってしまったものに支援したのではありません。彼女らは、個人崇拝をして信者たちを精神的・経済的に奴隷状態にする(特に日本では大多数が貧困者になった)狂信団体に支援したのではなく、文氏家庭が生きている媚びへつらいに満ちた小世界を維持・強化してきた韓国人中心の支配エリート層を形成するために支援したのでもありませんでした。
もし統一教会が存続可能な正当な団体になりたいのであれば、その名の「統一」という部分に回帰する必要があります。
大多数の信者が乏しく生きているのを尻目に、文家族が海外の銀行口座に大枚何十億ものお金を積んでおかなければならない理由は、貪欲と腐敗以外にはありません。
慈愛は我が家から始まるとことわざにもあるように、今こそ統一教会運動が一つの世界家族を作るという創造委任に従って、単に口先だけで同意するのでなく、実践をする時です。 今日前に進み出る私たちの望みは、実際に他の人々が力を取り戻し、また残念なことに統一教会運動がそうなってしまった虚偽に参加するのをやめるために勇気を持つよう励ますことです。
(注釈)
「こういう統一教会に支援したのではない」―多くの人が自分のこととして共感するだろう。
数十年以上前の寄付は莫大でも、法的には時効の問題もあるから困難が想像されるが、2千万ドル(24億円)という金額は、当初文氏の個人秘書ピーターキム(金孝律)が≪文教祖の引退時にサムエル氏が文家の企業帝国で指導的地位を与えられなかった場合には支払う≫と約束したとされる金額と同額である。教会の約束不履行に対する請求の訴えは2010年に却下されたとのことだが、その後も名目を変えて訴えているのだろう。もともとは実の息子としての相続に関する金額だった。裁判の経緯については、マザージョーンズ誌の記事「独占:ムン・ソンミョン師が必死に隠そうとした私生児と会見」の後半以降に詳しい。
マザージョーンズ記事(翻訳:暗在)http://www.geocities.jp/yyjapanjp/pa.html
もうひとつ裁判の話題として、≪文氏の認知がないならDNA鑑定をして親子関係の証拠を出せ≫とのコメントに対して、「質問に応じて:朴サムエル」には、「私は訴訟の期間中に、統一教会の弁護士から、親子関係を確定するためのDNA鑑定を求められたことは一度もない。そこが争点ではないと関係者全員が分かっていたからだ。」とある。
(注終わり)
32:13
最後に:表に出るのが遅れた理由
人々が疑問に思っているかもしれないので、ドナに場を譲る前にもう一点だけお話します。私が人前に出るのになぜそんなに時間がかかったのか、またなぜ私はナンスク(洪蘭淑)とドナ(Donna Orme-Collins) を支持して進み出なかったのか。
その理由は、単に私が素朴で鈍かったからだと今は理解しています。
当時私は父と何らかの和解を望んでいました。
教会のことを別にして、最終的には彼は私の実の父親であり、私は息子として本当に彼の善意を信じたかったし、父が私のことを本当に心配して気にかけてくれると信じていたかったのです。その思いは結局、手放すのが最も辛いものでした。
特に訴訟中に、彼らが基本的に訴訟の価値よりもっと多くの金額を弁護士費用に費やすのを見るとき、これらの人々の本性が分かるというものです。血筋をこのように扱うとは、特に私の母が払ってきた数々の犠牲をこのように扱うとは。それは私を本当に大きく変えましたが、ある時期までそれを経験しなかったので、私の方向転換が起こった時が遅くなりました。
これが今日いる場所へ到達するのにこれほど長い時間がかかってしまった理由です。しかし、少なくとも、私は本日ここに辿りついた、そのことが最も重要なことです。
皆さん、ありがとう。(拍手)
<翻訳終わり>
***
最後に、米本さんから「記事中、レアとラケルの関係の意味が分かりにくいので、根拠を添えて説明をつけてほしい」との要請があったので書いてみます。
まず旧約聖書(新共同訳)からレアとラケルに関する部分を少しだけ抜粋:
「ラバンには二人の娘があり、姉の方はレア、妹の方はラケルといった。 レアは優しい目をしていたが、ラケルは顔も美しく、容姿も優れていた。」(創世記29章16,17)(懐かしの口語訳では「レアは目が弱かったが、ラケルは美しくて愛らしかった。」
さきの注釈で書いたような次第で、この2人の姉妹がヤコブと結婚した後は、
「ヤコブはレアよりもラケルを愛した。主は、レアが疎んじられているのを見て彼女の胎を開かれたが、ラケルには子供ができなかった。」(同29章30,31)
その後ラケルとレアは張り合って、それぞれ自分の女召使をヤコブにさしだし、姉妹両陣営で召使による子作り大合戦が繰り広げられる。最後にラケル自身も2人の息子を授かるが、2人目の出産時の難産で彼女は死ぬ。
ヤコブの11番目と12番目の息子はラケルが産んだヨセフとベニヤミン。その他、レアが7人、レアの召使が2人、ラケルの召使が2人産んで、この12人の息子からイスラエルの12支族が形成されてゆく。足し算すると13人になっているのは、レアが女の子を1人産んだから。(これこそ1人娘、独生女と言うんじゃねえのか)
聖書にはこれらのことが出来事として書いてあるだけで、それがどうこうと教訓じみたことは何も書いてない。
では『原理講論』ではどうかというと、ヤコブについては後編の歴史論で何度も出てくるが、どこにもレアとラケルに関する記述はない。(もしあったら教えてください)
統一教会独特の「レアとラケル観」は、ひとえに文鮮明牧師が語った「み言葉」から発せられている。「文鮮明 レア ラケル」で検索すればたくさん見つかる。文牧師は、聖書中の女性たちや実際に関わった様々な女性たちをそこら中で(刑務所でも)レアとラケルに当てはめて語っている。それらは巨大な蟹がブクブクと出し続ける泡のように増殖してとりとめがない。
その中のほんの一部引用はじめ:
「レアとラケルが双子のようになった立場で、アベル的夫人とカイン的夫人のような立場で、これを完全に取り替えても一つになることができる心情圏をつくらなければなりません。」(「真の御父母様の生涯路程10」)
「レアは何かというとエバの洗礼ヨハネ形、ラケルはエバ。それを基準として勝利圏を作っていかなければならない。(「第二次七年路程」)
「マリアはレアの代身であり、イエスの新婦はラケルの代身でなければなりません。母がレアの立場で、ラケルを捜してあげなければならないのです。」(「根本復帰」)
http://ameblo.jp/unrestorable/entry-11497136800.html
(引用ここまで)
ということで、レアとラケルは女のカインとアベルのような関係で、一体化が必要、だそうです、米本さん。これでよろしいでしょうか? なに、全然分からない? 伝わらない?
では、聖書の話と総合してみるとつまり、レアは順番・形式としては先なので正妻の立場、二番目のラケルは後妻、妾の立場になるが内容としてはラケルの方がより神に適う基準を備えている(またはヤコブが好んでいる)という説明ができそうです。が、現実への当てはめ方は多分に恣意的なようです。
たとえば一般社会でいえば、お局様と新入女子社員とか、老妻と若い愛人、嫁姑など適当に当てはめようとすれば何にでも当てはめられるでしょう。結局のところ、わしはより若くてきれいな新しい女(ラケル)が好きでそっちにいくが、レアよ、それを許して受け入れて、ラケルとわしがうまくいくようにいろいろ世話をやいてくれよ。気が向いたらたまには関係しようぜ♡、かわいいラケルよ、すまんがわしにレアがいることは事実でな、だからレア先輩のいうことをよく聞いてな、よく学び、これからは毎日わしを悦ばせておくれ♥女召使たちもいるでよ by文鮮明、といったところでしょう(どちらにしても誰が関係するか。一切ごめんだね)。
文先生はストライクゾーンが広いですから。意外に年増がOKで、若くて美形なのはもちろん好き、知的な年上がイケル、幼女はぜひ、ばあさんも外せない、従順な金持ちカモーン、気の強いおきゃんがこれまた♡、ストライクゾーンは、ああ、遥かユーラシア、モンゴルの大草原の如し。(゚д゚)
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コメント
朴サムエル氏のスピーチ
で?
非常に重たい内容だが、逃げてはいかん。
私のブログでも一応取り上げておいたのだが、今読み返してみると、投稿内容が、ちょっと簡単すぎる。もう一度取り上げると書いていたので、近々もう少し思うところを詳しく書く予定。
文鮮明は天使長ルーシエル以上の悪魔
原理では、天使長ル―シェルはエバを誘惑し性関係をもつように仕向けたことになっているが、文鮮明は誘惑ではなく力でレイプした。これのどこが元返すなのか? 性関係で堕落した、だから、性関係で復帰する。これが原理の出発点であることを息子が証言をしたのだ。愛による復帰ではなく、性のみによる復帰(サタン国民復帰)、しかも力ずくだ。これが出発点だから、統一シックは力ずくで人の心を踏みにじり、相手がどうなろうと何とも思わない。悪魔教団!偽装し、騙し、混乱させ惑わす悪魔の摂理の実行者が文鮮明だ!神はイサクを殺さなかったが、文鮮明は魂を殺しまくった!もう一度言うが、神はイサクを殺さなかった。文鮮明はサタン以上のサタンの子である。いや、もっと酷い。
どう読んでも妄想悪魔霊人のささやきで妄想狂人となり、それに自分の欲望が重なって、17才の少女を襲った性犯罪者だ!やっぱり、血分けじゃないか!それを周辺にいた知恵者がオブラートで包んで隠していただけだ。
文鮮明は血分け教団の教理を自分の欲望を満たすために利用した獣だ!
血分け教理で自分の行為を肯定させ、性関係を結ぶために見せかけの愛と知恵で騙す。これは完全にサタンの再現じゃないか!
原理講論から出ている波動は、文鮮明の言葉から出ている波動とは明らかに別物だし、「メシア」という意識など元々なかったと思う。妄想霊人、妄想地上人たちの意識に触れ、祭り上げられ、後で日本人の魂に感化され、メシア意識が生まれ、メシアと思い込むようになったに違いない。みんな騙され、妄想が妄想を生み、個人個人が妄想に枝葉を付けてるだけじゃないか?経典なんか書けるはずもない!正体がわかった。
文鮮明は獣だ!そして、獣の群れが統一教会だ!
おい、文ちゃんよ
ん•••
間違えた。気もすぎるぜ。
電車ん中で読んだが、隣でエ◯雑誌見てたおっさんに、思わず「おっさん、こっちの方がおもろいぜ。」と声かけたくなったぜ。
あぶねー、あぶね。
レア姉ちゃんとラケル妹ちゃんの話しだが。
自分、信者時代、ひたすら下っ端で走り回っていたから、み言葉あんま勉強してないからうろ覚えだけど。
ありゃ、文のおっちゃんが美人金持ち姉妹(今でいえば叶姉妹か?)両方ゲットーするため、適当に聖書のお話しにこじつけたんだろ!
そういうことには知恵がまわるところ、さすが、人類の父だ。
ハイ、拍手〜👏
自分がびっくらこいたのは、鶴子が崔ラケルに母の座を譲ろうとしたこと。
文父ちゃんにうまいことまるめこまれたかもしれんが、こん時はまだまともな感覚があったかもしれん。
これ以上わけわからん猛獣文父ちゃんの妻でいるより、教会から金もらってノンビリ暮らした方がいいと思ったかもしれん。
考えたら、その方が鶴子にとっても子たちにとってもよかったかもな。
崔ラケルもメンドーになって、鶴子の可能性云々言って、押しつけたかもしれん。
しかしなー、文父ちゃんの実子、ホントのところ何人だ?
案外、その辺にいるかもしれんぞ。
もしかして、自分もそう?なーんて妄想で新たなカルトでも•••
と、一瞬考えたが、自分カリスマ性ゼロだから、無理だな。地道に働くか。
本部は食口に説明を
もしも鶴子から崔淳華に母の座を譲り渡っていたら
第一のレアの立場の崔淳実が失敗した。
それで第二のレア韓鶴子と結婚せねばならなかった。
(何故崔家と縁もゆかりもない韓鶴子が第二のレアなのかは説明なし。で、反牧と宮村がそこを突っ込む。あ〜あ)
しかし、韓鶴子はあくまでレアの立場。
神の摂理は、ヤコブの路程の如くラケルと結婚して財を奪わなければ•••間違えた、復帰しなければならない。
それで、神の摂理を成就するため、泣く泣く(?)韓鶴子と子たちの元を離れて、本来のラケルの元に行きました、と。
メデタシメデタシ
くだらねぇ。😁
ホント、三流韓流ドラマだぜ。
暗在さん ありがとうございます!
ありがとうございました!
スピーチの翻訳のみならず
動画がアップされているサイトのコメント欄の
”質問に応じて;朴サムエル”
の部分も翻訳して下さっていて
とても分かりやすかったです。
>巨大な蟹がブクブクと出し続ける泡のように…
と、レアの一人娘の新しい独生女論?には
爆笑しました^^
原理的意義を説明されても力出ませんね
それでこの話は米国信徒なら大抵の人が知るようになりました。ただ、日本の教会ではご法度でした。知れた当時離教する信徒も少なくなかったし、
howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/ に投稿している元信徒の方々も知っていますので、信憑性は高いと思います。
ケビントンプソン(現ベイエリア家庭教会長、元カリフォルニア州長)サミーパク の話
https://www.youtube.com/watch?v=6Qh326puMhA
上記のサイトでは真の母も公認の上での行為とのことですが、それならどうしてSammyをご自分の家庭で育てなかったのか。また、どうして認知しなかったのか。それが大きな謎です。
また、下記のサイトでは
6マリアについて享進様も語っており、原理的に早くはっきりさせないといけないし、逃げては行けないと語られていますね。
Hyung Jin Moon admits his father had sex with 6 Marys
https://www.youtube.com/watch?v=qU3f3uYLMQs
霊界の聖人達と祝福を受けた人たちのことでもあると言われています。
今後、韓総裁の身の上に重荷がかかることでしょうから、こういう問題こそ金孝南さんが原理的に解明し、きっちり精算・解放すべきだと思います。
金孝南さんは今まで真のご家庭の問題を解決されていませんし、しようとされませんね。
補足
なぜなら文仁進氏(1965年8月14日生)が、自分の出生時の姓は「韓」だ、と言っているからです。2012年5月1日、ベンさんとの間に生まれたエリック君の出生届けにそれが記載されています。(http://www.unification.net/damian/dja20120918.html) 子供は常に父親の姓を名乗る韓国文化を理解している仁進氏が間違ったとは考えにくいので、65年当時、母親韓鶴子氏は結婚しておらず、仁進氏は戸籍上は私生児として生まれた、と考えられます。
もう一つ補足として、サムエルさんの母方の祖父、つまりお母さん崔淳華さんの父親、崔聖模氏に関してですが、文教祖との関係が微妙です。ちゃぬさんのブログを読んでいる方はご存知でしょうが、文教祖は自分の六マリアの一人、お気に入りの朴貞淑女史を、崔聖模氏に後妻として与えています。朴貞淑女史は崔聖模氏の息子を産み、76年には正妻として彼の死を見取ったようです。(http://ameblo.jp/chanu1/entry-11769918711.html)崔聖模氏は文教祖と何らかの妥協をしたのでしょう。この二人の男性ライバル(?)の関係をテーマに、韓流ドラマを制作したらヒットするのでは?
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米本さんのシリーズは続くらしい
千尋さん:
文鮮明・韓鶴子の婚姻届の日付は、孝進が生まれた後の「1961年12月29日」となっています。情報元は反対派(反対牧師)のようですが、言われて久しく変更もないのでたぶん間違いないでしょう。
仁進さん出生時には文氏の籍に入っていたはずですが、エリック君の出生届の母親の欄が「タチアナ・ハン」でしたっけ。クリスティーナ・ハンというブランド名もありました。
それについて、文家の年上の子供たちは好んで西洋名を使い、学校でムーニーとばかにされるのと父への反発からムーン姓を嫌ったという記述が『わが父 文鮮明の正体』にあります。「たとえば仁進はしばらくのあいだ自分をクリスティーナと呼び、それからタチアナにした。孝進が彼らのパーティに加わるとき、彼は自分をスティーブ・ハンと呼んだ」(P143)
当時‘体制に反抗する孝進兄さんカッコイイ!’と心酔して兄のやることは何でも後追いしたという妹仁進としてはその真似ではないでしょうか。
崔聖模氏の李得三女史との離婚・朴貞淑女史との再婚・統一教会との関係について:
崔聖模氏のことがよくつかめなく、ごちゃごちゃするので入れませんでしたが、教会に対しても「是々非々」の立場を取った人なのか?とも思っています。
‘朴貞淑は崔聖模氏の死後、芸能人と再婚・離婚し、その後全ての財産を崔聖模の長男に譲ったが老後の面倒を見てもらえず・・’と『六マリアの悲劇』にありますが、一時は財産を相続したが、統一教会に献金しなかったようですね、なぞが多い。
『六マリア』157ページにある朴貞淑(仮名:林英信)の写真はセクシーポーズではないですか、胸と秘部を手で隠そうとしています(安心してください、着てますから)。それにしても六マリア諸氏はグレードが高い(ごく一部例外あり?)。なぜこんなすばらしい立派な女性が?という感じです。
体験談の持つ特性
本記事の感想はしばらく掘り下げてからにしたいので、今は書きませんが、以下は、この記事を読んでから印象を比べようと、記事を読む前に書いたものです。当たらずとも遠からず、詳細がわかって良かった。これを私の問題としてどう捉えるかといった感じでいます。
(以下、記事を読む前の感想です)
統一原理の探求(どういう意味なのかいつも考える生活)を始めて長くなると、あることに気がつくだろう。それは何か。体験との共鳴というものだ。
統一教会で長い信仰生活をしてきた人は、経験がないだろうか。
例えばアブラハムがイサク献祭をするとき、神様と結んだ心情世界の説明だ。この説明は、単に聖書を研究して机上で描かれたものではなく、信仰生活を土台に体験をベースに書かれたものであることを感じると思う。原理講論には、随所にそういうものが見られる。
文先生は「原理講論は先生の日記だよ」と言われたとも聞く。また「もし原理が間違っていたら、先生は大悪党だ」とも言われた。(共に出典を示せなくてすみません。)
ここから分かる文先生という人の人物像は、「ご自身が解明した原理の示す神様を解放することに狂った人」と言える思う。文先生が神様を解放することに狂った人という表現は、かつて韓鶴子氏もされたのではないだろうか。
反対派は文先生を「淫行のメシヤ」だという。私にはその言葉が正しいかは判断出来ないが、原理の「体験談の持つ特性」を考えたとき否定は出来ない。原理講論の総序には、そのことを示唆する言葉がある。「人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救い得る最終的な真理を探しだすことはできない」と。
ただ、私は「淫乱のメシヤ」(淫行でなく淫乱)は失当だと考える。私の予想だが、文先生のこの女性問題は、ある限定されたときに起きていると思われる。そして文先生の人生は、統一原理によって復帰摂理のどの段階を歩んでいたかが説明される。統一原理が教える蕩減原則は悲惨な内容だ。決して理想主義で語れるものではない。まさに無情に原理の蕩減原則を実践した狂った人生を歩まれた方というのが私の持つ印象だ。
Re: おい、文ちゃんよ
後藤裁判支援ブログ以来の登場ですね。
元信の春さんの投稿は、私が叱られているみたいで気が引き締まります。
疑問です。
口説き文句は「天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない」
私の疑問はこのゴチック部分にあります。
「天使長ルーシェルが若いエバにしたこと」。これは意味がわかります。文鮮明氏がいうところの「原罪の始まり」という奴でしょう。
しかし、どうして「あなたと性関係をもてば、元に戻って、原罪がなくなる」のでしょうか。
チンプンカンプン。統一用語、原理用語を駆使されてもかまわないので、どなたか説明してもらえませんでしょう。
残念
本当だという前提で、この方の言葉(文章)で、記事を埋め尽くすのは危険なのではないでしょうか。それこそ人権蹂躙、名誉毀損にはならないのでしょうか? この方が複雑な状況と事情の中で苦労されたことは想像出来ます。でも「父」と言いながら、気持ち的には「父」とは思っていないので、この様な話が出来たと思います。残念です。
Re: 体験談の持つ特性
ブログの右サイトで、非教会員(一般読者)にもわかりやすく、
・原理講論:統一教会の最も基本となる教典
・統一原理:統一教会の最も基本となる教理
・統一思想:統一原理を思想体系化したもの
と書いていらっしゃることにも好感を抱いています。
しかし、投稿には疑問があります。
(引用はじめ)
原理講論の総序には、そのことを示唆する言葉がある。「人間として歩まなければならない最大の試練の道を、すべて歩まなければ、人類を救い得る最終的な真理を探しだすことはできない」と
(引用終わり)
この一文は陳腐です。ノーベル賞を受賞した人たちのスピーチを持ち出さなくても、高校の倫理の教科書にあるようなフレーズです。
(引用はじめ)
文先生のこの女性問題は、ある限定されたときに起きていると思われる。そして文先生の人生は、統一原理によって復帰摂理のどの段階を歩んでいたかが説明される。
(引用終わり)
サムエル氏のスピーチ内容は1970年以前の出来事ですが、文氏はそれ以降も激しくやっていらっしゃる。後日のブログでそれを明らかにするつもりです。
このような批判をしながらも、ブームチャイさんの姿勢は誠実だと思っています。
なぜなら、文氏を評価しながらも投稿されているのですから。
「御言葉」問題でも、コメントされたのはブームチャイさんと4研さんだけでした。
おそらく、文氏を崇拝している家庭連合や文3男支持派、文7男支持派からは全くレスはないと確信しています。今後の投稿に期待していますが、「間違った予測記事を書いて謝罪します」という謝罪文を書いてみたいです。
Re: 残念
と書き終わったところに、cocoaさんからの投稿が。
間違った予測記事を書いて謝罪します。
誠実な人だと最近認識を改めるようになっているcocoaさんですが、今回の投稿はいただけませんでした。
>この方の仰ることは全部本当なのでしょうか?
記事の冒頭、こう書きました。
「掲載するにあたって、一言述べておく。サムエル氏の英文スピーチを掲載したサイトには被告・家庭連合等からの訂正・削除要求は行なわれていない。よって、スピーチの内容は事実と判断してよいだろう」
徳野氏のことを「バカ」と書いたら、教団顧問弁護士の福本氏から通知文が届いたことを想起してください。
>本当だという前提で、この方の言葉(文章)で、記事を埋め尽くすのは危険なのではないでしょうか。それこそ人権蹂躙、名誉毀損にはならないのでしょうか?
矛盾しています。本当のことを書いて、人権蹂躙、名誉毀損となることは聞いたことがありません。
ただし、前科歴を書いたり、本当のことに基づいているのだけど、名誉毀損的な論評をしたりする場合です。すでにブログで書いたことなので、省略。
>この方が複雑な状況と事情の中で苦労されたことは想像出来ます。でも「父」と言いながら、気持ち的には「父」とは思っていないので、この様な話が出来たと思います。残念です。
薄っぺらだけど、表面上の気持ちは理解できますが、「最悪」です。
なぜか。サムエル氏の言葉を引用します。
中見だし「最後に:表に出るのが遅れた理由」のところです。
「私が人前に出るのになぜそんなに時間がかかったのか」
「その理由は、単に私が素朴で鈍かったからだと今は理解しています。
当時私は父と何らかの和解を望んでいました。
教会のことを別にして、最終的には彼は私の実の父親であり、私は息子として本当に彼の善意を信じたかったし、父が私のことを本当に心配して気にかけてくれると信じていたかったのです。その思いは結局、手放すのが最も辛いものでした」
これを作文と見なすこともできます。
しかし、人間とチンパンジーとの違いは「想像力」です。
相手の立場になって考えてみる力です。
これ以降は一人の大人に書くべきことではないと思うのだけど、心配になって書いておきます。
cocoaさんの父上が淫乱で、いろんな女性に子どもを孕ませた。そして、自分を里子に出した。
そうしたことを想像力をもって考えてくださいな。
私だったら、父を殺します。
Re: 米本さんのシリーズは続くらしい
爆なんだけど、考えること大です。
どこまで・どの程度まで、「文鮮明とsex」のことを言及するかという問題です。
そして社会的に言及することの意味があるのかという問題になってきます。
「オウム真理教とsex」
「ヤマギシ会とsex」
「ラジニーシ(和尚)とsex」
「カトリックとsex」
などなどといったテーマに敷衍していけば、学的にはなるけど・・・。
まあ,やるとすれば「性犯罪者としての文鮮明」といった視点でしょうか。
今こそ
今こそ、日本人統一教関係者の英知を結集して、文鮮明とは一体何だったのか、という命題に取り組むべきだと感じています。この統一教関係者は非教会員、元、分、まで含みます。もちろん在外の方もです。
米本ブログがその一端を担って下さっていることに心から感謝します。
結局、現も分もそこに帰着します。
事実と思想から考察することが必要と思います。
それは何の為に?
もちろん、皆の幸せの為ですよね。
キモは堕落論だろう
発展的解消は?
Re:疑問です。
悪い事件が起きて、その影響による被害が生じたら、その問題を全て解決するためには 被害に対する賠償を行い、再発防止策を講じることが必要です。
原理講論に書かれた蕩減復帰原理も基本的に同様で、神の戒め(未完成期間において性関係をもってはならない)を破った反逆行為を清算するためには、二度と同じ反逆行為をしないようにする必要があり、その戒めを破った人間は、神が赦すことができる何らかの条件を捧げねばならなくなるのです。
若い男女が夫婦となってはならない時に、性関係をもったことが罪になったならば、若い未完成の年代には、その後決して性関係をもたないようにし、性倫理の再教育を受ける条件を課せられるべきというのが純粋に原理的な考えなのです。
しかし、文氏の観点は違ったのです。
人類始祖が神の戒めを破って、未完成の時に性関係をもったことが原罪であると原理講論には書いてあるにも関わらず、文氏によればサタン=天使長ルーシェルが最初の男・アダムの妻となるべき最初の女・エバを奪ったことが原罪であるという解釈なのです。
それは似て非なるのは明らかです。
エバはサタンに奪われてはおらず、一度過ちを犯した後、罪を自覚して天使長から離れ、アダムと結婚することになったのです。
エバは天使長とは一度だけ過ちを犯したのみで、「奪われて」などおらないのです。
簡潔に言えば、文氏は聖書とも異なり、原理講論とも異なる堕落論、救済論を思想としてもっていたということです。
文氏の考えによれば、未完成期の性行為自体が罪なのではなく、若いエバの性愛がアダムではなく、天使長によって獲得されてしまったことが最大の罪であるとしているのです。
そして、その罪は原罪となって血統的に受け継がれ、清算されずに残っているため、それを清算するためには、女性がアダムと同じ神の子という立場の「メシア」と最初の性愛をもたねばならないという理屈になるのです。
しかし、それは明らかに原理講論と矛盾しています。
原理講論にはエバが天使長と性関係をもったことよりも、アダムが未完成期にエバと性関係をもったことが最終的な堕落の結果を生んだと書かれており、あくまで、堕落とは未完成期に性関係をもったことなのです。
文氏は結局原理講論と全く別の思想をもっていたのであり、その思想は血統万能主義とでも表現できるようなものです。
血統が人間の価値を決定するという捉え方をしており、いったん神の血統であるということになれば、その人にはすべてが許されると考えるのです。
世界中の富はその人のものとなるべきであるし、その神の子の所有となる事によって全てのものは価値をもつようになるという考えをもつのです。
本来男にとって対象的存在である女の処女の愛を神の血統ではない天使長が奪ったことが堕落行為であると捉えるため、その堕落から救うためには、神の血統をもった男が堕落した血統にある女達の性愛を自分のものにしさえすればよく、そうすればその女性も救われると考えるのです。
その神の血統万能主義、血統中心の権威主義は朝鮮儒教を思わせるもので、朝鮮儒教が強く影響しているのは間違いないと思います。
六マリアとされた女性の中には高等教育を受けた人が含まれていますが、そのような知性が高い女性であっても理解し難い屁理屈の堕落論、救済論に聞き入ってしまうのは、朝鮮儒教の影響が強い朝鮮社会であったためと思われます。
神の摂理なのか、放縦による破滅なのか
崔聖模氏の資産が目的だったら、先吉さんを捨てて北朝鮮に行った行動は説明できないですし、短気な性格にしては回りくどいことばかりやってます。
崔一族への当て付けとしてあえて無学な娘と結婚して、「しまったこんなはずでは」と後悔するほどバカなのか?
強制収容所の地獄を見てきた男にしては、思慮の欠片もない行動です。
6マリヤが何人か知りませんが、逆にここまで表面化しないのは、当事者たちが墓場まで持って行く秘密と死んでも口を割らないからなんでしょう。
未信者は理解したいとすら思わない世界でしょうが、本人たちの中では筋が通っているのだと思います。
崔淳華さんが不平も言わず信仰を保たれたというのも、痛々しいと感じました。
崔先吉さんの息子聖進氏、金明煕さんの息子喜進氏、サムエル氏には共通点があり、出生を巡る恨めしい運命にも関わらず、父親を慕い、信じようとすることです。
会見の結論として語った一言が、全てを物語っているようです。
それだけに、
・なぜ認知してあげなかったのか?
・なぜ母親から引き離して育てないといけなかったのか?
という疑問が残ります。
>ピーターキム(金孝律)が≪文教祖の引退時にサムエル氏が文家の企業帝国で指導的地位を与えられなかった場合には支払う≫と約束したとされる金額と同額である。
どこにでも登場するんですね。
頭が切れる人にこんな仕打ちをすれば、逆襲されるのは当たり前です。
絶対的権力があったら何をしたいですか。
文氏の晩年に引き起こされたハーレム情報をお持ちの方は是非教えていただきたい。
実際を知る方にお尋ねしたいものだ。
御言葉と実態
しかし今や米本さんが持つ素朴な疑問は今や急速な勢いで信者たちに広がりつつあるのだろう。そして多くがその疑問に答えられずにある意味信仰の危機に直面していると言えるのではないだろうか?
人は理論と実態との整合性を図ろうとする。
もともと神や仏もないならば「宗教」自体が詐欺のようなもので(詐欺という言葉が強すぎるなら「共同幻想」と呼んでみよう)、それでは身も蓋もない。
み言葉が偽真理であり、教祖も偽メシアという結論に達すれば理論と実態の整合性も成り立つ。ちゃぬさんはそのような主張だろうか?
それにしてもこの人も文鮮明教祖と統一教会に関わり続ける人生を送っている。
中には「神々の黄昏」さんのように統一原理の一部(創造原理)は真理だが、それ以外は問題があると主張する方もいる。
しかし、多くの信徒は統一原理を「創造・堕落・復帰」の枠組みで捉えて信じている。ちゃぬさんの主張が「事実」であったとしても、その枠組み自体が崩れることは少なかった。
その中でも4研の人たちは様々な実態とみ言葉(理論)の整合性に割と早くから取り組んだ人たちではなかっただろうか? み言葉の研究においては右に出るグループはいないかもしれないが、その得られた結論(庶子の摂理?)というものは正直いただけないものだった。
統一原理をざっくり言うとこんなことだろう。
神はひとりの男とひとりの女を造られて「真の父母」となって「真の家庭」をつくってともに喜びたかった。
ひとりの男アダムとひとりの女エバは「真の父母」になろうとしたがなれなかった。堕落したからである。
神は理想をどうしても実現したかったので、アダムの代わりにイエスを送った。イエスは嫁さんをもらって(太田さんの書いた宣布文サイトによるとどうも洗礼ヨハネの妹らしいのだが)「真の父母」になりたかったが、結婚できずに婚約だけして十字架で殺されてしまった。
理想を諦めきれない神は第3のアダムとして朝鮮半島に文鮮明という人物を送った。文鮮明師は崔先吉女史と「真の父母」になろうとしたが難しくなって、別の候補者を探して韓鶴子女史と出会う。そしてこの女性と「真の父母」となろうとした。
しかし問題はここからである。ふたりは「真の父母」になり「真の家庭」を築いたかに見えた。しかし「真の家庭」は崩れさったといってもいいだろう。そもそも「真の家庭」を築けなかった父母を「真の父母」と呼ぶには無理があるだろう。そうであるのに現・家庭連合が「真の家庭」を切り離して「真の父母」を論じるのは矛盾している。
文鮮明・韓鶴子夫妻は「真の父母」にはなれなかったが、「真の血統」は残したと考えられなくもない。結婚もできず、子孫も残せなかったイエスより前進したのだ。
そんなことで3男や7男に期待する信者が出てくるのもごく自然な流れだ。
韓鶴子総裁はどうしても自分の子供に権限を譲りたくないみたいだ。しかし文鮮明総裁とのコンビでは二人の子どもの勢いに勝てそうもなくなってきた。
それでもともと考えてきたことを実行に移すことにした。それが独生女宣言から「女メシア」宣言という聞いたことがないような新しい理論の発表である。これで収拾がつかなくなってしまった。こんなことになるという予想はつかなかったのだろうか?
そしてますます乖離していく理論と実態の整合性を信徒たちは探して行くことになるのだろうか。
「真の父母」になれなかったといっても誰も非難することはできない。
イエスも「真の父母」になれなかったが、立派な言葉を残した。
イエスもユダヤ人たちとの共同責任で「真の父母」になれなかっただけなのだ。
re.疑問です。ある例え
この理屈自体は文鮮明の本質だと思います。堕落人間が神の本然の世界に戻るためには、まず、堕落エバ(全女性)と神の血統をもつメシアとの性関係が必要で、そうすれば、堕落エバは神の血統に戻れると言ってるんでしょう。
教会にいた頃、一度だけ(いつか忘れました)、”ある韓国人幹部がこのように言ってました”と、教会で日本人責任者(教会長?か誰か忘れました)から簡単な説明を受けました。
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壺があって、壺の中が堕落世界だとすると、淫行(性関係)を通過して壺の中に落ちた。これが堕落。そして、壺の外に出るには、落ちた時と逆の経路 すなわち、性関係を通過して壺の外(無原罪世界)へ出られる。(壺の外に出るには性関係の通過が必要)
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また、35年前の原研修練会の時だったか、性関係をもてば相手の要素を受け継ぐみたいなことを例えをもって言われた記憶もあります。
(ちなみに私は原研は正式入会せず約2か月で去りました、地獄に落ちる、整理されると散々言われました 紆余曲折後、霊的体験もあり10年後に戻ってしまった、でも結局、脱会)
祝福(聖酒式:霊的血統転換、3日儀式:肉的血統転換)では、まず、女性が骨の髄までメシアと一体化するという思いが必要となってます。教会草創期には女性が実体でメシアと一体化してたと原研で聞いたことあります。女性側の究極的な思いの発露が原因で、あってもおかしくないという思いもありましたが、17才の子に対して「性関係」の言葉を前面に出した力ずくレイプだったとは思いもしなかった。
メシアと思い込んだ人間が、強制的な性関係だけでも神の血統に生み変わるという妄想に取り憑かれていたのか、ただの凶悪色摩だったのか、その両方だったのか、神々の黄昏さんが言われるように、神の血統者であるメシアは何やってもいいという思いが最初にあって、”原罪がなくなる”という言葉で相手を意のままにしようとしたに違いないと思います。
まずテーマを大枠でガッチリ掴むのが米本流プロの技!
みなさま、引き続き興味深いコメントありがとうございます・と私が言ってもどうにもなりませんが、一応言わせていただきます。
神々の黄昏さん、
聖書・原理講論と文鮮明牧師の原罪に関するその二種類の‘似て非なる’考えを、よく研いだ包丁でシャーッと骨と肉を捌くように別けてみせ、たしかにそうだなとすっきりした感があります。
それはそれとして、つかぬことをお伺いしますが、以下のことはどちらから来たものでしょうか? 単なる好奇心で他意はございません。このことで血わけを強要したり高額献金を課したりはありえそうもないので、まさしく信教の自由で何の問題もないと思いますが、どこから来た解釈で? ついに劉孝元氏の霊界メッセージ来たるですか?(冗談です)
黄昏オリジナルなのかな。
>エバはサタンに奪われてはおらず、一度過ちを犯した後、罪を自覚して天使長から離れ、アダムと結婚することになったのです。
>エバは天使長とは一度だけ過ちを犯したのみで、「奪われて」などおらないのです。
文教祖の女性関係~摂理~理解不可能
>犯罪歴
1946年北朝鮮平壌で混淫による社会秩序混乱の容疑で3ヶ月拘留された[1]。
1948年には信者の人妻との強制結婚現行犯で懲役5年の実刑判決を受けた[1]。
1955年女性信者を監禁、貞操を奪った梨花女子大事件で逮捕された[1]。
1984年にアメリカ合衆国にて[7]、日本の統一教会/統一協会から送金された年間1億ドル(約240億円)に及ぶ莫大な献金[1]にからむ脱税[7][1]と文書偽造[1]の罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決[1]を受けた。
教会は、信者に文教祖の女性関係に関しては、触れない。
ちゃぬさんのブログ:「ちょっとおそろしい文教祖の女性関係」1~4(2015年8月)を見ると、性犯罪で拘束された理由がよくわかる。ネットは便利で、ペンは強し。ペンの主に感謝。
Re: 疑問です
まず、アダムとエバは、堕落で何を間違ったか。
それは、時と相手を間違った。単に未熟なときに性関係を持っただけなら、成長するのを待ってやり直せるが、相手を間違えたため、大事になった。これは本部教学担当も認めると思います。
理解を難しくしているのは、蕩減という概念です。いまだに私には理解できないです。基本は「本来の位置と状態を失った場合、それを埋める条件が必要」と説明されます。憎しみ合うようになったなら、愛し合わないといけないというわけです。
しかし、蕩減をこう説明する場合もあります。ヤコブがサタン側のラバンに10回騙されたので、神側のモーセは10災禍を下す事が出来たなどです。文先生のみ言葉では、さらに異なる概念があると思われますが、正確に引用出来ないのでここでは触れないでおきます。
>どうして「あなたと性関係をもてば、元に戻って、原罪がなくなる」のでしょうか。
理屈では上記の蕩減が根拠です。サタンとの関係で失った位置と状態を、反対の経路で取り戻すわけです。内外共の内容を持ってです。教会員は、このあたりの説明で理解していると思いますが、一歩引いて見ればチンプンカンプンです。
私も公式の内容だけでは説明出来ないので、恐縮ですが、私がブログ記事に書いた仮説を利用します。もちろん、文先生のみ言葉を根拠とした仮説です。
本来、神様は人間を子供として創造したかった。「子供として創造」がポイントです。子供は血筋を通して生まれるもので、創造するものではないです。つまり、堕落行為により、サタンの血筋で創造されてしまった。だから、蕩減の原則で、神様の血筋として創造し直すと言ったらいいのでしょうか。
短い言葉で外的な説明のみなので、現役教会員から反発があるかも知れないので付け加えます。原理では、内的なものは外的なものを凌駕します。アブラハムがイサクを献祭するとき、イサクを殺そうとしますが、すでに内的にイサクを殺した状況の中で、アブラハムからサタンが分立されたという理由で、神様は外的にイサクを殺す行為を止められます。
ますます、チンプンカンプンにしてしまったかも知れませんが、私に説明出来るのはこのくらいまでです。
理論と実態の整合性、そして今後の教訓
ところが、一方では、「お父様には言うに言われぬ摂理があってサムエル氏が生まれて云々」などといまだに相も変わらず、教祖文鮮明は再臨主だという妄想から抜けられない信者がまだまだいる。個人的には、こんな実に下らない妄想から一人でも多く拔け切ってもらいたい心境だが、あの狂気のテロ集団オウムの頭目だった殺人鬼、麻原をいまだにグル(尊師)と呼んで神格化する者たちも少数ながらいまだにいることから、期待薄だが。
周知のことであるが、統一教会は、いきなり、こんなトンデモ思想を持ち出しても、すぐに受け入れる人間などまずいないため、まずは、創造原理から始まる統一原理(いわば“客寄せパンダ”)を教え込み、「これこそ宇宙の根本問題を解決する普遍的真理である」→「この真理を解明されたのは文鮮明先生である」→「文先生こそ神のみ旨をなすために来られた再臨主=真の父母である」→「お父様(文鮮明)の言動は絶対であり、神のみぞ知る深い事情がある」(文鮮明絶対主義)という“洗脳プロセス”を通じて初めて、血統転換理論、そしてついに実態の血分け行為を受け入れさせる。
妄信から抜け出せない信者達は断じて認めないであろうが、「教祖文鮮明が偽メシアであり、それゆえ、(彼を神格化している)統一教会及びその他のあらゆる分派がカルト宗教集団である。」ことは、いまや誰の目にも明らかな歴然たる事実。それは、やれ統一原理がどうだとか血統転換理論がどうだとかいう教理を云々する以前に、教祖とその一族、教団の腐敗堕落ぶりを見れば、一目瞭然。
ところで、自分を含めた非信者の一般人にとって重要なことは、(“文鮮明教”がカルト宗教思想であることはいまや自明のこととして)今後、このような邪教、しかも一見、いかにも普遍的真理であるかと思わせるような“実に単純明快な理論体系”を備えたカルト思想(これはもちろん統一原理のこと)を断じて鵜呑みにするようなことがあってはならないということ!言い換えれば、「人生と宇宙の根本問題のような永遠に未解決な?形而上学的真理なるものを、統一原理や統一思想ごときの“単純化されたお手軽理論”で探求できることなどあり得ない。また、一人の人間がメシアとか救世主と称し、神の奥義を解明したなどと豪語して、神の代身者のごとき振る舞うことが正しいなどということはあり得ない。」ということを肝に銘じることです!
現家庭連合と数多の分派集団(ひっくるめて言えば文鮮明教ないし韓鶴子教?)、それから“自分たちは神の血統を受け継いだ祝福家庭”などと思い込む信者達の無知蒙昧なる幻想意識は遠からず消え去るでしょうが、今後、新たなカルト教団を作るべく言葉巧みな“洗脳工作”を仕掛けてくる第二、第三の文鮮明的人物=カルト教祖が現れても、一切関知せず!との姿勢が重要です。
飾り付け・・?!
カラスさんの提示された「犯罪歴」なるものも、
《社会秩序混乱の容疑》
《強制結婚現行犯》
《梨花女子大事件で逮捕》
《脱税》
と、シンプルにも出来るのに、
《混淫による》
《信者の人妻と》
《貞操を奪った》
《年間1億ドル(約240億円)に及ぶ莫大な献金にからむ》
と、形容詞?付けすぎの感があります。
その意図が見え見えです。
ちょっと悲しいですね。
>疑問です。
>口説き文句は「天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない」
>私の疑問はこのゴチック部分にあります。
「天使長ルーシェルが若いエバにしたこと」。これは意味がわかります。文鮮明氏がいうところの「原罪の始まり」という奴でしょう。
>しかし、どうして「あなたと性関係をもてば、元に戻って、原罪がなくなる」のでしょうか。
復帰は堕落の動機と経路と逆の方向でというのが統一原理の主張です。
堕落は天使長ルーシェルがエバに善悪知るの実を食べるようそそのかした、ということから始まり、エバはそれに対して、神様からとって食べてはならない、食べたら死ぬだろうと言われたとの反論がありますが、さらに天使長からそれは食べて死ぬわけではない、とさらにそそのかしがあり、エバはついに食べちゃった。そしておいしかったのでアダムにも与え、アダムも食べた、というのが聖書の記述です。(多少表現を変えてありますが、だいたいそういう内容です)
で、統一原理は、善悪知るの実はエバの愛だと解釈しています。天使長ルーシェルは、それを食べましょうと言って、エバに食べさせた。つまり天使長ルーシェルとエバとの間に霊的性関係が結ばれ、それが最初の霊的堕落。次にエバがアダムに、おいしいよと言って与えてアダムも食べた。これが二番目のアダムとエバの肉的堕落で、霊肉両面の堕落が完結したということです。
善悪知るの実を性的関係ととらえる理由は、いくつか堕落論に書かれてあるのですが、まずは実際の木の実ではないだろうということ。木の実ではないとすれば、アダムとエバの間で、一番おいしいことって何でしょう(そんな文章はありませんが、かいつまんで言えばそういうことです)。成長期間には許されないけど、完成して夫婦になったら許されることって何でしょう、ということですね。ま、現実世界では、成長期間でもジャンジャンやっている子はいっぱいいるよってなりますけど、統一原理では、エバの愛を天使長との間で、次にはアダムとの間で食べたということで、善悪知るの実はエバの愛ということになっています。
この逆の経路で復帰していくという解釈ですので、まずはアダム、しかも完成したアダムを人類が迎える。そして完成したアダムが、性的関係でエバを復帰する。次にエバが、性的関係で天使長ルーシェルを復帰するという形になります。
統一原理では文鮮明師を完成したアダムとしますので、その周辺にいたエバを、性的関係で復帰する。次に、天使長の立場に立っている男性たちをさらにエバの愛で復帰する。米本さんの記事で、文氏がお手付きの女たちを男性に下賜するという形になっているのは、そういう文氏の理解からです。
なお、以上の論述は、統一原理的視点から見た文氏の女性問題の解釈です。それが社会的に問題がないということを主張するつもりもありませんし、統一原理自体が正しいかどうかに関しては、また別のことになります。
上記のように、文氏は統一原理という、自身の発見した理論には忠実にことをなしていたと思います。そういう意味で、その教義自体の真偽については別の論になるけれども、自身の打ち立てた教義には忠実に歩んだいっぱしの教祖だったと、私は思っています。
なんでこんなことを、教団本部が解説しないで、私が言わんといかんのかな?もっと堂々と論を展開したらいいのに。侃々諤々の議論は巻き起こるかもしれないけど、それこそ自説を主張するチャンスになるんじゃないの?
Re:まずテーマを大枠でガッチリ掴むのが米本流プロの技!
>エバはサタンに奪われてはおらず、一度過ちを犯した後、罪を自覚して天使長から離れ、アダムと結婚することになったのです。
>エバは天使長とは一度だけ過ちを犯したのみで、「奪われて」などおらないのです。
聖書の創世記にある失楽園の物語において、人類始祖が犯した罪が未完成期における性行為であると捉えるのは原理講論の解釈ですが、仮にアダムとエバが存在したとして、実際にそのような事実があったのかどうかは定かではありません。
私が上記のように書いたのは、たとえ比喩の表現があったとしても聖書には事実が書かれていると仮定した場合の話です。
そして、その聖書にある失楽園の物語が全く架空のものではないと考えて、比喩として書かれた表現を現実的に解釈すれば、原理講論にある天使長とエバの性関係、アダムとエバの未完成期における性関係はそれなりに説得力があります。
私が聖書の物語と原理講論の解釈をそのまま書いたのは、文氏の人間の堕落に対する解釈がその聖書や原理講論とはかけ離れていることを説明するためであって、私自身がその聖書や原理講論の解釈をそのまま受け入れられるかどうかは別問題です。
聖書の創世記、失楽園の箇所において、エバが神の戒めを破ったことに対する神の叱責に対し「蛇がだましたので、食べてしまいました。」(創世記・3/13)とエバは答えております。
それを原理講論に沿って解釈するなら、食べてしまった(性関係をもった)時にだまされたと気付いたことになり、その後その関係が続いたとは考えられません。
つまり性関係をもったのは一度だけと解釈するのが原理講論に沿った解釈なのです。
創世記においてはアダムとエバが最初の人間の男と女となっていますが、創世記をよく読むと誰でもわかる矛盾に遭遇します。
そのアダムとエバから生まれたのはカインとアベルしかおらないはずなのに、カインが弟アベルを殺害したことを神から叱責された際、「わたしに出会う者はだれであれ、わたしを殺すでしょう。」(創世記4/13)と答え、他にも人間が複数いることになっていたり、カインがアベルを殺した後、突然カインの「妻」が登場したりするなど、聖書には矛盾することが書かれているのです。
失楽園以後の物語が事実に沿った内容であったとしたら、アダムとエバは人類の最初の男と女ではなくなるのですから、全く話が食い違うのです。
聖書を文字どおりに捉えられないのは当然のことで、どこまで事実として考えるかはその人の考え方次第なのです。
私が創世記を解釈する場合、アダムとエバの行為が書かれた後の記述には事実が含まれていると考えておりますが、アダムとエバが最初の人間であるというのは事実に反していると思っています。
聖書をできるだけ現実と矛盾がないように解読すれば、アダムとエバはユダヤ民族の始祖に過ぎないということです。
アダムとエバ以前にも生物学的な人類は存在したし、霊人体を持たないと考えられる類人猿と霊人体を持つ人間の境目はアダムとエバよりはるか以前であると考えられるのです。
それがいつであるのか明確にするには考古学的な研究が必要です。
聖書の記述からわかることは、アダムとエバは人類全ての始祖ではなかったということで、そのアダムとエバの犯した罪が原罪となって全人類に血統的に受け継がれたという原理講論の解釈は明らかに間違いなのです。
堕落論以後の原理講論の内容は、科学的な論理性を欠いており、真理などと呼べるものではないのです。
それは妄想と言ってもよいもので、その「堕落」「復帰」を創造原理と一貫するように論理的、科学的に解明することが何よりも重要なのです。
疑問に答えてもらったのですが・・・
しかし、いまだに理解できていません。
神々の黄昏さん
>文氏の考えによれば、未完成期の性行為自体が罪なのではなく、若いエバの性愛がアダムではなく、天使長によって獲得されてしまったことが最大の罪であるとしているのです。
そして、その罪は原罪となって血統的に受け継がれ、清算されずに残っているため、それを清算するためには、女性がアダムと同じ神の子という立場の「メシア」と最初の性愛をもたねばならないという理屈になるのです。
toramaruさん
>この理屈自体は文鮮明の本質だと思います。堕落人間が神の本然の世界に戻るためには、まず、堕落エバ(全女性)と神の血統をもつメシアとの性関係が必要で、そうすれば、堕落エバは神の血統に戻れると言ってるんでしょう。
>壺があって、壺の中が堕落世界だとすると、淫行(性関係)を通過して壺の中に落ちた。これが堕落。そして、壺の外に出るには、落ちた時と逆の経路 すなわち、性関係を通過して壺の外(無原罪世界)へ出られる。(壺の外に出るには性関係の通過が必要)
ブームチャイさん
>理屈では上記の蕩減が根拠です。サタンとの関係で失った位置と状態を、反対の経路で取り戻すわけです。内外共の内容を持ってです。教会員は、このあたりの説明で理解していると思いますが、一歩引いて見ればチンプンカンプンです。
>本来、神様は人間を子供として創造したかった。「子供として創造」がポイントです。子供は血筋を通して生まれるもので、創造するものではないです。つまり、堕落行為により、サタンの血筋で創造されてしまった。だから、蕩減の原則で、神様の血筋として創造し直すと言ったらいいのでしょうか。
原田さん
>統一原理では文鮮明師を完成したアダムとしますので、その周辺にいたエバを、性的関係で復帰する。次に、天使長の立場に立っている男性たちをさらにエバの愛で復帰する。米本さんの記事で、文氏がお手付きの女たちを男性に下賜するという形になっているのは、そういう文氏の理解からです。
誤解されたくないために言っておきます。文鮮明氏の考えが原理に反している、考え方がおかしいといったことは棚上げしています。
文さんの考え方を忠実に知りたいです。
個人メールでもらった原理言葉を引用します。
堕落人間がその堕落性を脱ぐためには、蕩減復帰原理により、次に記録されているように、その堕落性本性をもつようになった経路と反対の経路をたどることによって、蕩減条件を立てなければならなかったのである。
http://ffwpu.jp/?page_id=6293
上記下線部分がまるで理解できないのです。toramaruさんの言葉で言えば「壺の外に出るには、落ちた時と逆の経路 すなわち、性関係を通過して壺の外(無原罪世界)へ出られる」。
「蕩減」とは韓国語事典では「借金(負債)の帳消し」といった意味で使われる経済的用語だと聞いています。
200万円を借りたのだが返済することができず、その家の家事を手伝ったりして、借金を帳消しにしてもらった。
200万円の借金を帳消しにしてもらう条件として、毎朝、水行を200日行なうことにした。
A子は性欲を抑えきれず、Bの誘惑にのって、関係をもってしまった。
この罪を償うためには、C男は俺と寝れば、罪がなくなるという。
えっ、どうしてとA子は言う。
C男はいう。
「逆のことをやればいいんだ」
「どういうこと?」(A子)
「罪をもつようになった経路と反対の経路をたどればいいんだよ」(C男)
このC男の言い分がまるで理解できないのです。「反対の経路」
言い分が間違っているかどうかは置いといて、言い分そのものが理解できないのです。
C男がA子に、「お前の体内に入ったBを精子は汚れ切ったものだ。俺の精子は清浄なのだ。俺の精子で、B男の汚れて精子を洗い流してやる」というのなら、わかりやすいのですが。
どうか文先生の御心にそった形で、解説していただけると、助かります。いい正月を迎えることができます。
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内的教会史
起きた事実は事実として詳細に整理する必要性があります。
基本なる教義と照らし合わせて、体系的に整理する必要性があります。
様々な角度から研究しないといけません。
外的側面からの考察と同時に
内的(霊的)側面からの考察をする
文師をカルト教団の教祖として分析する者
文師をメシアとして神の一人息子として捉える者
それぞれに意見は数多くでて然りでしょう。
どちらにしても、きちんと整理して公言すべきであると思います。
真実が何であるのか?
外的結果の原因的要因を研究しないといけないと思います。
私の理解ではこうです。
堕落はエバが天使長に奪われて性関係を結んだことから。つまり、悪が天使長(ルーシェル)→エバ→アダムと伝播します
。
復帰はアダムがエバを奪い返して性関係を結ぶことから。善がアダム(文鮮明)→エバ→天使長と伝播すること。
こういうことだろうと思います。
なんとなく、反対の経路になってませんか?
Re:内的教会史
何も語っていない!
読み返せ。泣けてくる。
タイトルは「内的抗争史」だぜ。
Re:私の理解ではこうです。
堕落はエバが天使長に奪われて性関係を結んだことから。つまり、悪が天使長(ルーシェル)→エバ→アダムと伝播します。
復帰はアダムがエバを奪い返して性関係を結ぶことから。
→を変換すれば、
悪が天使長(ルーシェル)→(sex)エバ→(sex)アダム
善がアダム(文鮮明)→(sex)エバ→(sex)天使長と伝播すること
SEX教団、万歳!
そうなんですよね
言われるようにSEX教団ということになってしまいます。
だからこそ否定してきたのだと思います。
しかし、サンクチュアリでは六マリアを完全に認めてしまいました。
パンドラの箱が開きましたかねえ。
血統的転換
以下、参照ください。
http://furuta65.fc2web.com/001/mimunetosekai/04.html
抜粋引用しようとしたのですが、やめました。
少し長いけど、食口の下手な説明よりいいです。(当たり前か)
>疑問に答えてもらったのですが・・・
という米本さんのご要望のような、実に分かりやすい形で文師が語ってくれれば良いのですが。文氏の言葉は、一度読んだ後で、「だから一体何なんだよ」と読み返さないといけないくらいくどくどと長いですよね。
だからわかりやすいかどうかは別としてと前置きした上で、ここ(http://furuta65.fc2web.com/001/syuku_&_risoutengoku/024.html)をご紹介しておきます。
私自身にとっても今後参考にできそうな感じがするので、メモとしての意味もあります。
内容自体は、祝福結婚式の聖酒式と、家庭を持つ前の3日儀式の内容ですので、文氏自身が直接セックスしたものとは違うんではないの?という意見も出そうですが、世界全女性とセックスするわけにもいかないので、儀式化して、行ったものとみなす、と文氏が認定したのかもしれません。
他に、「ようのブログ」の「統一協会の性儀式(三日儀式)は邪教の伝統を受け継ぐものである。」(http://s.ameblo.jp/yoji1970/entry-10869627869.html)には3日儀式の詳しい説明があります。ただしここで述べられている「文の説」には、エバの生誕について文氏がこんなこと言うかなと疑問に思う部分もあり、原文に出会うまでは眉唾だなと思っています。
以上、ジャストピンポイントにはなりにくいかもしれませんが、参考としてご紹介しておきます。
原理的意味があったに違いない
的外れだったり幼稚な意見だったりするかもしれませんが、思いついたことを書かせていただきます。
記事の内容が事実であると仮定した場合、異なる二つの見方が出てくると思います。
一つは、文先生は摂理的な意味があって、それに従って行動されたに違いない、という信仰する立場からの見方。
もう一つは、自分の欲望に従って行動し、後からもっともらしい理屈をつけているに過ぎない、という批判する立場からの見方。
同じ事実を見たとしても、解釈の仕方は正反対になる可能性があると思います。
原罪が清算されるプロセスが、私にはよくわかっていません。
完成したアダムは、複数の女性と関係を結んでも堕落にならないのか?
というのが、素朴な疑問です。
絶対的に一夫一婦制でなければならないとするならば、第一のお母様が失敗した時点で、全ては失敗に帰しているはずです。
ところが、第2のお母様、第3のお母様と、延長が可能でした。
冷静に考えてみると、公式的には3人の女性と性関係を結んでいるわけです。
しかし、これを堕落とは言わず、正式なものとして認定しています。
この事実だけを見ても、完成したアダムは複数の女性と関係を結んでも堕落にはならないということなのか? と思ってしまいます。
原罪が清算される天のプロセスと、この世の法律とは異なる部分もあるように思います。
この世でも、宗教婚と法律婚があります。
ある宗教にのっとって儀式を行えば、その宗教においては婚姻と見なされます。
しかし、役所に婚姻届を出さなければ、社会的には婚姻したとはみなされない、ということもあります。
天のプロセスとは、宗教婚のような世界だと思います。
すると、何をもって「婚姻」とみなすか、という天的な意味での婚姻の定義も問題になってくると思います。
特定の儀式を行うことが婚姻なのか、性関係を結ぶことが婚姻なのかと。
この世の常識は、一夫一婦制ですが、天は一夫多妻を認めているのか、そこらへんもよくわかりません。
朴サムエルさんが主張されている、「私の母は、こういうことをされました」という主張は、当然、ご本人が体験したことではなく、周りの人、特に母親から聞いた話ではないかと思います。
同じ体験について語るときでも、当時は好ましいことであると受け止めていたものが、時の経過とともに心が変化し、忌むべき体験と見なすようになった、という可能性はあると思います。
文先生は、伊達や酔狂で苦難の蕩減路程を歩まれたとは考えられません。
どこまでが事実か真実かわかりませんが、当然、一つ一つの行動には原理的意味があったに違いないと、私は思っています。
朴サムエル氏の人生に
私と彼が近い年齢であるので、尚更です。私は祖父母、父母に囲まれて育ちました。自分が彼と同じ立場だったら一体どういう人間になったのか?
何故このようなことがなされたのか到底理解出来ませんが、余りにも重い事実だなぁ、とただ思うばかりです。
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>原理的意味があったに違いない
> 原罪が清算されるプロセスが、私にはよくわかっていません。
私にもよくわかりませんが、文氏の考えは、堕落によりサタンの血統が、人間に流れ込んだので、これを神側の血統に戻さなければならないということです。そして、堕落の行為は、具体的には性行為であり、その結果として罪の子孫が産み増えてしまったということです。
それで、再臨主のやるべきことは、罪の血統であるこれまでの全人類を神の血統に産み変え、今後は神の血統の子孫が生まれて増えるということです。そのために、血統転換ということが強調され、朴サムエル氏に起きたようなことが起きるわけです。
で、文氏の考えにおいては、この血統転換の本来的秘技は朴サムエル氏のように、文氏が直接的にエバ復帰し、エバに原罪のない子女を産ませるということだったのだろうと思います。
そしてそのエバが天使長を復帰し、アダムに産み変える。しかし、全世界の女性を相手にすることは不可能であるため、これを儀式化して祝福結婚という形で大量生産するようにしたということではないかと思います。
> 完成したアダムは、複数の女性と関係を結んでも堕落にならないのか?
というのが、素朴な疑問です。
統一原理においては、性行為禁止は、アダムとエバの成長期間のみということになっています。完成した夫婦間の愛は、決して壊れることがないからです。
文氏が摂理上の理由から朴サムエル問題を起こしたとしても、統一原理上は問題になりません(本部の人も読んでいるんでしょう。原田の見解が間違っているんだったら、早く反論しなさいよ。)
鶴子さんが真のお母様だなんて、嘘ばっかり。めちゃくちゃじゃん。
ずっと騙されていました。貴重な5年間と高額献金を返してほしいわ。
今回こちらのこの訳で、よりわかりやすく読むことができました。
「教会に反論を求める」とかよりも、現役シックの全員にこの内容を知らせ、教会からの離脱を促せば、さすがのシックたちも目が醒めると思います。
私の考え
その時、私の父が言うには、私の母は彼の永遠の花嫁あるいは統一教会の言葉で言うと「真の母」になる運命にあるので、彼は母と性関係を持たなければならない、元返すために・・・すみません、統一教会用語を使わせていただきます。教会に関心があるみなさんの一部はそれをご存知かもしれませんが、多くの方々は知らないでしょう。このビデオを見るかもしれない統一教会員が大勢いて、彼らの助けになるかもしれないので、ちょっと大目に見てください。
父は母にこう言いました ―基本的に父は母をレイプしました― 天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない。聖書のエバは17歳の時に天使長ル―シェルに誘惑され、これが聖書に書かれている人間の堕落の本当の原因だと文牧師は教えました。それが統一教会信者の理解する人類の堕落です。
この行為ですが、私はどのような状況か考えました。大体、レイプは男性が一方的に女性を犯す行為です。女性の意志を無視し、男性の欲望の処理のために女性を犯します。これこそレイプですね。
私の疑問はそこから始まりました。ちゃぬさんのブログにコメントしたこともありました。聖書の内容を信じる、堕落論を信じるという立場で書かせていただきます。
サタンはエバを誘惑しました。サタンは自分から行為に出来ないということが解ります。自分から行為に移ることが出来ませんので、言葉で誘惑したのだと理解してます。誘惑の仕方は聖書を読みますと解ります。神様が本当にそのように言われたのですか?と言ってまず不信感をもたせています。
一番のポイントは天使長自信から行為に出られないということを私は考えたのです。天使長にはそうしないといけない理由もあったと思います。エバ自身の自発的な行為にさせたという考えです。
今、現代の若い女性を誘惑する方法と一緒です。男性は罪に問われたくないのでどのように自分の目的を達成するのに、どのように説得するでしょうか? 言葉で説得、誘惑し、関心を持たせます。反応をみて、関心を持つと段々と誘導します。女性が自分で決めさせると言う方法を使って、自分の目的を果たすために段々と深い行為に陥れていきます。それと同じだと思われます。
反対の経路は女性自身の信仰、すなわち神様に対する絶対的な信仰が必要となります。ちょうどマリヤのように、罰せられて死刑になるかも知れないのに、関係を自発的に結んでいくこういです。
ここで、重要なのが女性の神様に対する絶対的な信仰です。それを動機としてアダムを通じて神様の愛するエバの立場に帰っていくということです。そうしないと神様の心の中に深く刺さった矢、すなわち神様の最終的な目的であった最も愛するエバを失ったその痛みを一体誰がぬくことができるかと言えば、この女性という考えです。
その、神様の心情を知っておらた文氏だと言う理解です。誰にも話せないご事情も持っていらっしゃり、私達が悟って理解しないといけない内容ではないかと理解しています。
申し訳ありませんがこのコメント欄で深く紹介出来ませんが、これでも良かったでしょうか?
Re.疑問です。
み言葉によれば、アダムは「神様の実体」、エバは「実体の神様の妻」、と説明されています。愛において完成したアダムの種を受ければ、神様の血統としての種が、エバの胎に宿ったはずでした。
ところが人類始祖のエバは、天使長ルーシェルの愛を受けて結ばれてしまった。それによって霊的な種が、エバの胎に宿されてしまったのです。さらに、未完成なアダムとも結ばれることによって、実体の子供を誕生させてしまった。その子供は、天使長ルーシェルの偽りの愛によって誕生した子供と言うわけです。ここから、堕落した人類の血統が出発することになります。
逆に、神様による真の愛の種を持ってこられたお方、完成したアダムの種を受ければ、そこから真の血統を出発させることが出来ます。これが、「元に戻って、原罪がなくなる」の意味だと考えます。
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「皆、お父様が好きだった」
「皆、お父様が好きだった。お父様と接した人で好きでない人はいなかった。」
別に文先生を神格化したから好きだったわけではない。好きだったから神格化したのかもしれない。そんなことを考えてみた。
ある女が好きで好きでたまらない男性がいたとしよう。彼には過去の噂話があり、どうも事実らしい。しかしその女はその男性が好きで好きでたまらないからそんなことはどうでもいいことなのだ。
しかしそれでも長らくその男性につれなくされると「可愛さ余って憎さ百倍」ということにもなりかねない。まあそんなことではないのだろうか?
日本の777双の信仰の末路について「哀れだ」と評している人がいたが、勝手に恋して捨てられたなら、その結果を「哀れだ」と言うことはできるかもしれないが、その777双の「恋心?」までも非難することはできない。
信者たちの文鮮明師を慕う気持ちはそういった「恋心」に似ている。
このコメント欄でみなさんの意見を伺いながら、少々欠落しているように感じたので「皆、お父様のことが好きだった」という元側近の証言を書いてみた。
実にくだらない”原理的解釈”
では、なぜ文鮮明は「先生は六マリアどころか60マリアなんだね」(http://ameblo.jp/chanu1/entry-11941610416.html)と豪語するほど、手当たり次第に女たちに手を付けていく必要があったのか?その”原理的根拠”とやらは?”エバ”を復帰するだけならば一人だけでもよいではないか?それとも「本然のエバを復帰するためには”妾”が必要だった」とかいう屁理屈をこね回す信者もいるが、なぜ、60マリア?も妾が必要なのか?ずっと昔の反対派の書籍や週刊誌に書いてあったように、信者同士のS○Xリレーで十分ではないか?何故、教祖様ご自身が頑張らなくてはならなかったか(笑)?その原理的根拠は?あるはずがない!
要するに、文鮮明は朝鮮の邪教である”混淫派”の教えの影響を受けて、みずから再臨主だと装ったかあるいは本気で思い込み、自らの”(再臨主としての)尊い使命の自覚”とともに凄まじい情欲の虜となって、手当たり次第に女性信者達に手を付けていったのではないか?要は、情欲の虜となった稀代の大詐○師か誇大妄想狂。
これこそが教祖文鮮明の本性であり、そうだとすれば、あの血も涙もないような自らの所業に対して、一片の良心の呵責も感じないのもよくわかるというものだ。
>実にくだらない”原理的解釈”
>現役信者たちは相も変わらず、教祖の○乱の所業を正当化するための”原理的解釈”を淡々と述べることしかできない。人類始祖の堕落の経路とは正反対の経路をたどって復帰する?真のアダム(再臨主)によってサタンの血統から神の血統へ転換させる?この程度の内容は、”原理”と称するカルト教義を少々学べばわかるいかにも抽象的かつ観念的な内容。
いま展開されているみ言葉議論、あるいは原理議論というものは、米本さんの投稿「疑問です」に対するお答えという形で進んでいます。
「 しかし、どうして「あなたと性関係をもてば、元に戻って、原罪がなくなる」のでしょうか。
チンプンカンプン。統一用語、原理用語を駆使されてもかまわないので、どなたか説明してもらえませんでしょう。」
という米本さんの問いかけにお答えしようと、皆さんそれぞれ知恵を絞って、如何にすればこの問いかけにこたえられるか、苦闘しているところです。その所を踏まえながら議論に参加していただくとありがたいです。
Re.何故、教祖様ご自身が頑張らなくてはならなかったか(笑)?
2000年間でたった一人だけにかけられた責任の重さがどれほどのものか、想像するしか出来ませんが、淫乱に狂った人間だったと定義するよりは、少なくとも僕の中では筋が通っています。
それと、観念的にしか聞こえないのは、愛し愛されることによって生まれる命の尊さがわからないからではないでしょうか? でも、僕の説明下手の問題が大きいかもしれませんね。言葉の背後に見えるその人の価値観、これが重要だと思います。
ちゃぬさんのブログに面白いものを見つけました。
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11941610416.html
ジャルディンで古参幹部が実体的血統転換(6マリア的なことらしい:原田注)を自分もやってよいかと尋ねたら、
「もし、おまえが、一度だけ関係を持っただけで、そのことを絶対に他人に隠しておまえに完全に従順屈服してこれる女性12人を作ることができる自信があるならやっても良い」
と文氏が答えたらしい。意味合いからして、やるなということだ。しかし、厳しい条件付きであるが、その条件をクリアできるならやってもいいということである。
一番最初は、無原罪は文氏しかいなかったわけだから、世界に女性が30億人いるなら、30億対1という関係だな。だから世界のすべての女性と文氏のみが関係を持つということになる。しかしながら、今は祝福によって生みかえられた男性たちがいるわけだから、その男性たちも、条件を満たせばやっていいんだということになる。
しかし、私の考えでは、というか統一原理的視点から言うと、もっと条件が必要だ。それはその男性が完成アダムとなっているということだ。神が聖書で語っている「取って食べてはならない」(統一原理ではセックス禁止令。祝福家庭の夫婦間は例外:原田注)というみ言葉は、成長期間のことだから、完成していないアダムはだめなんだな。
じゃあ自分は未完成、いや自分は完成アダムって、どうやったら認定できるんだ?
どのみ言葉かは覚えていないが、完成基準については、確か「セックスの絶頂期においても、神のみ言葉が下れば、すっと瞬間的にセックスのことなんか忘れてそれに対応できる基準だ」って聞いたことがある。セックスのエクスタシーの最絶頂期でも、神がそっとささやきかけた瞬間、すっとエクスタシーが引いて、いつもの状態に戻り、何事もなかったかのごとく神のみ旨に戻れるということなんだな。ただ、自分がそういう状態になったかどうかということは、セックスしていないと分からないよね。この二律背反、どうクリアするんだろうね。
ま、そういう個性完成基準に達して、しかも上記のみ言葉の条件をクリアできる自信があれば、実体的血統転換もやっていいよ、ということなんだろう。実際、お前ら(会員)にはやれねーだろーということだが。どう?これを読むであろう本部諸君、「あの原田の野郎、勝手なことばっかり書きやがって」と怒るかな?それとも、文氏のみ言葉と、統一原理とを合わせると、そうなるかもなと、納得する?反論したいんだったら、早く反論しな。
Re:Re:まずテーマを大枠でガッチリ掴むのが米本流プロの技!
了解しました。
RE.RE.疑問です(araedeulさん)
>ところが人類始祖のエバは、天使長ルーシェルの愛を受けて結ばれてしまった。それによって霊的な種が、エバの胎に宿されてしまったのです。さらに、未完成なアダムとも結ばれることによって、実体の子供を誕生させてしまった。その子供は、天使長ルーシェルの偽りの愛によって誕生した子供と言うわけです。ここから、堕落した人類の血統が出発することになります。
上記は、
エバが天使長から霊的要素(霊的種)を受け継ぎ、それが未完成アダムとの肉的血縁関係を経由して生物学的なサタン血統が生じた(サタンの霊的種によりエバの胎中でアダムの種が汚れた)と言われてると思いますが、この是非は別として、これは現教会(統一家庭連合)の公式見解ですか?
可知講師らが書いた書籍「誤りを正す」の内容(生物学血統転換を示唆)からきてますか?
もしそうだとすると、これは妄想ですが、堕落エバのメシアに対する超強烈な信仰(妄想の中でメシアとsexするレベル)が、堕落エバの胎中に神の霊的種を宿す可能性が生じ、実体メシアとの性関係(血分け)は不要という発想にもなると思いますが(神の霊的種はサタンの種より強いが前提・・・超妄想)、今回のサムエル氏証言で、文教祖は実際レイプ的な性関係(強制血分け)をもってるので絶対的な矛盾です。
RE.RE.疑問です(araedeulさん)
違います。もはや公式見解を僕は信じていません。
堕落エバの胎中に神の霊的種を宿す可能性が生じるなら、何故、実体メシアとの性関係が不要になるんでしょうか? 霊肉共の実体がなければ、この世界に現れることは出来ませんよね。
それと「レイプ的」という言葉が、どこまで真実を表しているのかには疑問をもっています。
Re:疑問に答えてもらったのですが・・・
米本さんはルポライターとして、これまで物事を多角的に観察してきており、広い視野をもっています。
そのジャーナリストとして生きてきた土台にあるのは人間社会の真実を見極めようとする探求心であり、常に是々非々の立場に立って、あらゆる人々の考え方を理解しようとされています。
今回の記事にある朴サムエル氏の証言を読めば、文鮮明氏がキリスト教でいうところの「再臨のメシア」でないのは明らかであり、普通に考えれば世間を欺いて自己主張を通す自己満足の妄想家ということになります。
しかし、それは真実でありながらも、文氏をそれでも支持する信者達がいるのも事実であり、その少数派の人々の考え方についても完全に理解しなければ人類の全体像が見えてこないのも確かなのです。
米本さんのコメントからは 私が先に米本さんにレスコメントした内容は理解し辛かったのがわかりましたので、観点を変えてもう一度解説を試みたいと思います。
「天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない」については、コメントで回答された方々が皆共通して「反対の経路をたどる」という理屈で説明されていましたが、それは教会内において一番よく聞かれる説明です。
ただ、それを言葉どおりに捉えてしまうと、どうしても違和感が生じてしまいます。
「反対の経路」であれば堕落させられたエバが誘惑したルーシェルに犯した行為を懺悔させ、その行為が間違いであったことを諭さなければならないのです。
そしてルーシェルは自分の行為が間違いであったことを悟り、もう二度と過ちを犯さないと誓い、正常な天使長ルーシェルとエバの関係に戻る、というのが「反対の経路」になるはずです。
それならば、「蕩減復帰原理」に適ったこととして理解できるようになるのです。
しかし文氏のような感情に執着する性格の人は「堕落」を原理講論と別の観点から考え、ルーシェルとエバが堕落した時に抱いた感情が根本的に転換されなければ「復帰」はできないと解釈するのです。
ルーシェルは人間の僕でありながら過分な欲望を抱いてエバを誘惑し、非原理的愛を実行してしまい、エバは神の戒めを忘れてその神から離れた愛に身を委ねてしまったのが堕落の本質的な問題であると捉えているのです。
そしてその堕落した愛の世界を転換するためには、女性の立場としては 自分の次元で満足する愛とは異なる、自分が犠牲になって死をも覚悟するような思いで神の愛を求め、それを動機として神と一体となった男性と性関係を持たねばならないと考えるようになるのです。
そのような堕落の時と正反対の感情を持つことによって、それまでに残っていたサタンとの因縁が消え、原罪も清算されるようになると考えているのです。
文氏はその理屈を聖書を根拠に説明しながら正当化していたはずです。
統一原理ではイエス・キリストには原罪がないと考えていますが、文氏はその具体的な理由として、母であるマリアがイエスを身ごもる際、上記のような心情を通過していると考えているのです。
統一教会では、イエスは処女マリアから生まれたとは考えておらず、親戚である祭司ザカリアと関係をもつことによって妊娠し、イエスが誕生したと考えています。
その解釈は聖書によって裏付けられている部分もあり(ルカによる福音書 1章)、確かに説得力があります。
その聖書の記述においてマリアは「身ごもって男の子を産む」という天使ガブリエルの告知に対し、処女であることから戸惑いながらも<マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身になりますように。」そこで天使は去って行った。>(ルカによる福音書 1/38)となっており、信仰によって指示された人物と性関係をもつようになったと考えてもおかしくはないのです。
そしてマリアから誕生したのが原罪がないとされるイエス・キリストであるわけですから、その天使による神の啓示に従って行動したことにより血統転換されたという説明にはそれなりに説得力があるのです。
イエス・キリストを産んだマリアは原罪が清算されていなければならないと考えるならば、その根拠が必要となるのですが、その理由として聖書に書かれているのは、神の啓示にしたがって性行為したことであると解釈しているのです。
ですから「天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない」とは、統一原理の堕落論と聖書を解釈したマリアのイエス・キリスト出産にまつわる話を根拠にして出来上がった理屈であり、ポイントとなるのは 女性が自分の次元の愛ではなく、神の命令に絶対服従した性愛を経験すれば人類始祖の堕落の影響を断つことができ、原罪を清算できるという考え方なのです。
文氏はマリアが天使の啓示に従ってザカリアと性関係をもったと聖書解釈しているのですが、マリアは当時のユダヤ教においては絶対に許されぬ姦淫行為を信仰が故に行ったと理解し、そこには死を覚悟するほどの絶対信仰があり、エバの堕落した情の世界を完全に転換できたので原罪も清算されるようになったと解釈しているのです。
もちろんそれは文氏の解釈であって、真理かどうかは別です。
以上のように考えると、崔淳華氏が熱心なキリスト教信者であったとするならば、文氏の上の言葉に従順に従ったのは不思議ではありません。
もし、単に堕落の「反対の経路」という理由だけなら、頭脳明晰な崔淳華氏がそれを納得することなど想像できません。
しかし、現実的な会話を推測しますと、朴サムエル氏が示した母親、崔淳華氏が文氏より説得されたという言葉は、正確には「天使長ルーシェルが若いエバにしたことを元に戻すために、あなたは(聖母マリアのように)神を絶対信仰して、私と性関係を持たなければならない。」となるのだと思います。
それは、「反対の経路」ということにはならず、「情的に正反対の行為の実践」ということになり、そのような心情を神に示せれば、神と遠ざかった過去の悪い心情因縁は消え去るという考え方をしているのですが、その発想は感情中心の人格神信仰に基づいています。
RE.RE.RE.疑問です(araedeulさん)
未完成エバと天使長の霊的性関係が、堕落エバと未完成アダムとの実体性関係経由でサタン血統を生む(霊的サタンの種がエバの胎中を汚し、未完成アダムの種も汚れる)のなら、
堕落エバと完成アダムの霊的性関係(堕落エバの超信仰で霊的神の種がエバの胎中を清める)が、堕落エバ(霊的復帰エバ)と堕落アダムの実体性関係経由で神の血統を生む(エバの清まった胎中が堕落アダムの種を浄化し神の種となる)
※接ぎ木を成功させるための愛と心情の台木(土台)が育っていることが前提。
私は血分けを否定する教会の現役シックの方が血統転換をどう受け止めてるのか知りたくて、もしかしたら、上記のように考えてるのかなと勝手に思ったわけです。
これで終わりにします。
自論
米本さんの疑問に対する回答にはなっていないことを承知の上で私なりの自論を書き綴ってみました。御容赦ください。
創造原理は万人に通じる真理だと思っています。
ただし堕落論に関しては懐疑的です。聖書が比喩と象徴で書かれているため色々な解釈が生じるのだと思います。これは私なりの解釈ですが、「生命の木」とは肉体を持った男性と女性を象徴し、「善悪を知る木」とは知性と理性を持った人間を象徴しているようにも思えます。男女の愛は特に思春期には危険性さえ伴います。愛の力は死より強しで、理性を失うと誤って軌道をはずすこともあります。そのため神は人間に動物にはない知性と理性を与えられたのではと思います。
また肉体のない霊的存在である天使とどうやってと性的関係が成立するのか理解に苦しみます。仮に天使が存在するとすれば霊的存在であり肉体がないのですから繁殖能力のない中性的存在であるのではと思っています。
堕落とはアダムとエバの成長途上において理性を失い、まだ神の願わない男女関係を結んでしまった、あくまでも天使は介在しないと解釈するのですが、文教祖は神と天使を擬人化させ介在させることによって、蕩減復帰摂理(逆の経路を歩む路程)だと言って自分の性行為を正当化しているように思えてなりません。
そして私たちの肉身は一人一人神からの借り物だと解釈しています。この有限の世界である地上界に肉身をもって誕生し、そこに自分自身である心が宿り、この4次元の世界では生まれた家庭環境、社会環境の中で心が成長し個性、人格を形成していきます。やはり人間形成には、家庭環境が大きく左右します。特に親からの愛情が大です。文教祖家庭の子女たちは親からの愛、特に母親を必要とする幼少時期に充分な愛を受けずに育っています。一方サムエルさんは永遠に消えることのない深い傷を負いながらも、映像で見る限り文家の子女たちと違って温厚な性格の持ち主であると感じます。きっと他の5人の義兄弟姉妹と区別なく義父母から親の愛を受けながら成長されたのではないかと憶測します。
一方、文教祖はと言えば目的は、あくまでもこの地上に文王国を形成することであり、その血統を子々孫々残すことに異常にまで執着した人生であったように思われます。それにはヤコブ路程を模倣し再現、実体展開しようと妄想した生涯のようでもあります。その結果はと言えば、人類が理想とする真の家庭ではありませんでした。
聖書を性書として扱い、自己流の堕落論を展開し、我は無原罪なりと称し、あちこちの畑に種をまき散らし、神の衣で装い盲信させ、女性の身も心も蹂躙し、さらには財物までも底のつくまで奪い取り、そして生まれ来る子供にさえ無慈悲である文教祖は神を冒涜し、恐ろしい怪物のようにさえ感じるのです。
~「自分は全人類のメシアだ・真の父だと主張して、自分の息子には父だといわない、ありえません。それは究極の偽善です」~朴サムエル
サムエルさんのこの一言が胸に突き刺さります
庶子の問題を放置し解決せずして真の家庭などありえません。
米本氏の参考になれば(1)
「天使長ルーシェル(注1)が若いエバにしたことを元に戻すために、私はあなたと性関係を持たなければならない」に関して、どうして「あなたと性関係をもてば、元に戻って、原罪がなくなる」(注2)のか、という質問に回答します。(正しい回答である自信はありませんので、参考程度にお願いします)
注1:「下記の文中のサタン」=「ルーシェル」。サタンの血統=ルーシェルの悪魔的血統
注2:神の血統の者との性関係によって原罪が清算される(救われる)という教義の内容は非科学的であり、呪術思考です。天使長ルーシェルは霊的存在であり、エバは人間です。霊的存在には遺伝子がありません。遺伝子が無ければ子孫を残せません。従ってエバはルーシェルとの間に子を授かる事はできません。即ち人間は堕落していません。
堕落も血統転換も現実には絶対に起こりえない内容ですが、教義の面から考察します。
教会には「蕩減復帰」という教義があります。
(蕩減復帰:どのようなものであっても、その本来の位置と状態を失ったとき、それらを本来の位置と状態にまで復帰しようとすれば、必ずそこに、その必要を埋めるに足る何らかの条件を立てなければならない。このような条件を立てることを「蕩減」というのである。…
堕落人間がこのような条件を立てて、創造本然の位置と状態へと戻っていくことを「蕩減復帰」という。)
兼平隆史講師による原理教室 第2話http://genrikyousitu.jimdo.com/1%E8%A9%B1%E3%81%8B%E3%82%8910%E8%A9%B1-%E8%AC%9B%E7%BE%A9/%E7%AC%AC2%E8%A9%B1-%E9%87%8D%E8%A6%81%E8%AC%9B%E7%BE%A92/
より引用
蕩減条件には三つの要素があります。「程度」「方法(反対の経路)」「誰が行うか(本人或は代理人)←清平詣も代理できるそうなので」、
蕩減復帰する(=救われる)には
「本来の位置と状態から離れた立場から原状へと復帰するためには、それらから離れるようになった経路と反対の経路をたどることによって蕩減条件を立てなければならない。」
というルールを守らねばなりません。
これを踏まえた上で堕落した人間の蕩減復帰について考察します。
原罪とは人類始祖である女性のエバと霊的存在のサタン(=ここでは天使長ルーシェル)との間の淫行の罪のことです。これが罪の根となってエバがアダム(男性の人類始祖)と性関係をもったことにより、アダムにもアダムとの間にできた子にもサタンの血統が継承され、これをもって原罪を受け継いだ扱いになります。私たちは彼らの子孫ですから、祝福2世以降の人を除いて原則的に原罪をもっている(または祝福前までもっていた)ことになります。(ここまで堕落論の内容です)
ところが文氏やイエス様のようにごく一部の人はサタンの血統を継承せず神の血統のみを受け継いだ者であり、彼ら(=聖書に登場する中心人物)を通して摂理歴史が展開されていきます。
血統転換:エバはサタンと血縁関係(性的関係)を結ぶことで、サタンの血統となったと言います。これを神側の人間と血縁関係を結ぶことで、サタンの血統から神側の血統に転換できるというのが血統転換の理論です。
蕩減復帰ちゃん「血が汚れたら清めればいいのよ」
原理勉強君「どうやって」
蕩減復帰ちゃん「蕩減のルールに従うの」「ポイントは反対の経路で本人または代理人がやることよ」
これから蕩減条件を立てて、蕩減復帰していきます。
蕩減条件は次の通りです。
堕落は人間のエバが「不適切な時(個性未完成期)に、不適切な相手(サタンの血統をもっている天使長ルーシェル)と、神の願わざる行為(淫行)」によって発生したのだから、復帰は逆に人間が
「適切な時期に、適切な相手と、神の願いである行為(個性完成をした男女の性行為)」
によって行われることになります。
適切な時期(程度・・人間がどの程度成長したらOKかというもの)=「個性完成期(完成後)」、適切な相手=「神の血統のみをもつ人(特に文氏)」、復帰の方法=「適切な性行為(三日行事も含みます。私は未体験)」。
蕩減復帰の順序は次の通りです。
堕落の経路は<天使長ルーシェル(霊的男)→エバ(女性)ここでエバが堕落→アダム(男性)も堕落>であるから、
復帰の経路は逆に、<アダム(メシア、文氏)→エバ(一般女性)ここで女性が復帰→天使長ルーシェル(一般男性もおこぼれを貰って復帰)>
実際にはもっと複雑ですが、復帰のだいたいの序列としてはこれで合っていると思います。
※創成期には実体で血統転換をしていましたが、人数が増えて対処しきれなくなってからは「聖酒式」に参加すれば血統転換された扱いになります。
しかし文氏の考える理想世界は祝福家庭のみならず万民が先生の直系の子女と一つになることです。(後述)
なぜ「あなたと性関係をもてば、元に戻って、原罪がなくなる」のか、という質問の回答は
「文氏が神の血統のみをもった人間であり、原理によれば神の血統のみをもった人間が性行為をすればその相手と子供にはサタンの血統が神の血統に転換されて元通りになる教えだから」
(たぶん)私は教会に来た当初、血統転換はあくまで心情的なものだと思っていました。しかし実体でも行われていたと知って驚きました。
よく考えればおかしな理論です。
父(神側)と母(サタン側)が血縁関係を結べば、母と子は「母の血統が父の血統に変わる」といっているようなものです。
こんなことはあり得ませんので、血統転換理論は呪術思考です。血統転換ごっこです。
米本氏の参考になれば(2)
と文氏が語っていますが、それでも儀式によって男性が血統的につながる説明の辻褄が合うようにするためか分かりません。
が、サタンが父の位置でエバと一体となって、アダムを生んだ立場となり、というすさまじい屁理屈(夫婦を親子の関係と見なす)でアダムとエバの血統はつながったと主張しています。『「真の家庭」の十字架路程と勝利』シリーズの上から4番目の動画の50分30秒付近 http://ffwpu.jp/?page_id=5085
これは外的(体)な摂理ですが、内的(心)な摂理もあって、それがレアとラケルの物語のような文氏の妻と妾の心情一体化だと推測します。愛の減少感の克服。これもおそらく蕩減と関係しているはずです。
『「真の家庭」の十字架路程と勝利』シリーズの上から4番目の動画(41分20秒付近)
43分30秒付近の図解を見ると理解やすいかもしれません。
簡単に書くとすれば、愛せなかったのだから、その反対に愛するということでしょうか。
『お母様は・・・(勝利した)レアの立場にいるのですが、(ヤコブ家庭の)レアは、妹のラケルの夫をそのまま奪ってしまいました。今回は反対です。お母様は姉の立場で天に侍り・・母の立場に立って、妹の福を略奪するのではなく、天の国の福をすべて分け与えてあげるのです。』(ファミリー2001年1月号19頁 動画41分20秒)
もちろんそんなに単純ではないと思いますが、私にとって文氏の婚姻関連の情報は複雑すぎて理解しきれておらず、頭がクラクラします。
夫の不倫摂理に耐えねばならない真の母は辛かったのではないでしょうか。憶測ですが、「韓鶴子の可能性を信じたかった」とは、この不倫摂理から逃げずに文氏と婚姻を維持できると信じたかった?ということでしょうか。
以下、み言葉についてはちゃぬの裏韓国日記からの引用です。
<『最も大切なことは、私たちが新しい神様との関係、そして新しい神様との血縁関係を始めることです。』
(聖酒式前のみ言葉 1980年12月31日 ワールドミッションセンター)
血縁関係になるということは、性関係を介さなくては絶対にありえません。
米本氏の参考になれば(3)
そうすれば汚れた死亡の血が清まって本然の神の血になれると、文教祖は考えたのです。
ですから草創期の頃は直接文教祖と女性は性関係を持ったのです。
そうすれば「即・脱原罪」です。そして妾であってもそこから生まれた子供は原罪がありません。
現在も、そして将来的にも文教祖と直接に性関係を結ぶのは不可能なので、文教祖はその対策としてこういうことを言っています。
『祝福家庭は自分勝手に生きることはできません。必ず、先生の直系の子女と一つにならなければなりません。先生の息子・娘、孫を中心として、全世界の全ての国々が結婚しなければなりません。祝福家庭は、どのようにして先生の直系の子女と祝福を受けることができるか。これが祝福家庭の願いです。世界万民の願いもここにあります。どの国の人が先生の血族と結婚するか。その結婚した血族が中心になってその国が一つになるのです。先生の家庭の三代までは、韓国人と結婚しなければなりません。それ以後は拡大するのです。』(以下略)」(世界の女性の復活と解放 1993年2月1日 ベルベディア)>
父・文教祖のみ言葉を無視して祝福を壊し恋愛して白人と結婚した真の子女たち
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11962502206.html
より引用しました。
(解説文が異なりますが、ちゃぬの裏韓国日記からの引用です。
ワードに文章をコピペしていてURLをコピペしなかったので、どの記事にその解説文が掲載されているか分からなくなってしまいました。すみません)
これが文氏の言う理想世界です。文先生の直系の子女と祝福を受けることが世界万民の願い・・私はお断りです(苦笑)
補足:米本さんへ。
統一教会は都合の悪い部分を改竄・隠蔽・黙認するような教団です。蕩減復帰の実際の場面での適用はおそらく恣意的です。おおよそ「反対の経路」になりそうな事なら、屁理屈も含めて原理的に説明されれば、ほとんどの食口は納得してしまうと思います。
熟読感謝感激です。
Re:疑問に答えてもらったのですが・・・
> 「反対の経路」であれば堕落させられたエバが誘惑したルーシェルに犯した行為を懺悔させ、その行為が間違いであったことを諭さなければならないのです。
> そしてルーシェルは自分の行為が間違いであったことを悟り、もう二度と過ちを犯さないと誓い、正常な天使長ルーシェルとエバの関係に戻る、というのが「反対の経路」になるはずです。
> それならば、「蕩減復帰原理」に適ったこととして理解できるようになるのです。
私は今、ハタと気が付きました。もう40年近くも文氏の言葉と付き合っていながら、しかもこんな基本概念について気が付かずにいるとはと、自分ながら驚いた次第です。それは何かというと、原罪というのは、アダムとエバの原罪なんですね。ですから、蕩減復帰と言えば、天使長まで入ってくるけど、原罪の清算ということでいえば、これはアダムとエバの問題なんです。神が「取って食べてはならない」という責任分担を与えたのはアダムとエバであって、天使長に対してではないんですね。だから、堕落の動機と経路で見ると、天使長→エバ→アダムとなるけれども、原罪というのは、アダムとエバの問題。だから、完成したアダムが主体として立っていれば、あとはエバ復帰で、これでエバの原罪が清算されれば、あとは子供を産み増やせば、原罪のないお子さんたちが産み広がって行くというわけです。
で、その原罪の清算の方法というのが、同じことを逆の経路でということで、完成アダムがエバと性的関係を持つということだったのでしょう。その原罪の清算に関しては、天使長ルーシェルは含めなくてもいいと。
というところまでは、納得がいくと思いますが、では、6マリアを含め、文氏の私生児を生んだ方々は全員復帰されたエバになるのかどうかということですね。なるんでしょうね。
文師直接の言葉ではありませんが、「金榮輝会長の独生女についての意見」(https://nqj17437.wordpress.com/2015/12/13/%E9%87%91%E6%A6%AE%E8%BC%9D%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%AE%E7%8B%AC%E7%94%9F%E5%A5%B3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%A6%8B/)というタイトルで、こんなことが報じられています。
==以下引用==
エバは堕落してもアダムが堕落せずに完成期を迎えて完成したアダムが立っていれば、復帰摂理はどのようになっただろうか。非常に簡単であったとおっしゃいました。
なぜそうかといえば、完成したアダムは、そのままメシアになるんですよ。だから完成したアダムは、メシアになって完成したアダム・メシアと堕落したエバが愛で一つになると原罪が清算されるでしょう。堕落とは何ですか?サタンと一つになって問題になったことではないですか。だから神の息子と恋をするとその罪がなくなるのです。これがまさに復帰摂理です。そのため、完成したアダムがメシアとして堕落したエバと一緒になって、このように無原罪のエバとなり、その次に天の祝福を受けて、人類始祖アダムとエバがなるということです。
==引用終了==
原典となる文氏自身のみ言葉も、見つかったら紹介したいと思います。
ということは、6マリア含め、私生児を生んだ方々は、無原罪のエバの段階までは行ったということですね。それで無原罪の朴サムエル氏や私生児の方々がお生まれになったということです。そういう、無原罪のエバの中で、人類始祖のエバとなる方は、最初から天の祝福を受けたエバたる韓鶴子女史だったということではないでしょうか。
6マリヤ問題は文先生の最大の十字架である!
個人的には、『コスタ』さんの説明が、一番正解に近いのではないかと思います。
堕落の蕩減復帰のポイントは、エバが死んでもいいと思ってルーシェルと愛において一体化したので、神に帰るには、死を覚悟して、キリストと愛において一体化しなければならないということだと思います。
その観点は、原罪を持ったアダムとエバの子孫から、なぜ救い主のイエスキリストが誕生できたのかという難問題に通じます。タマルやマリヤの血統転換の摂理における信仰と愛の条件のゆえに可能であったという原理による説明以外に、私は今まで納得の行く説明に出会ったことはありません。(ご存知の方は教えて下さい。)
ですから、ただ単に、文先生とSEXしたら救われるとか、救いの為にレイプしたとか、ちゃんちゃら可笑しくて、笑ってしまうのです。
>6マリヤ問題は文先生の最大の十字架である!
>ですから、ただ単に、文先生とSEXしたら救われるとか、救いの為にレイプしたとか、ちゃんちゃら可笑しくて、笑ってしまうのです。
この文章の前半の部分はよしとしても、後半部分の「救いの為にレイプしたとか、ちゃんちゃら可笑しくて、笑ってしまうのです。」って何なんですか?朴サムエルさんはまさに教義のゆえに実母はレイプされたと言っているわけですよね。それがちゃんちゃら可笑しいんですか。その解釈は間違っているとおっしゃりたいのなら、そう書いた方がいいと思う。「ちゃんちゃら可笑しい」って、レイプされたと思っている人に言ったら、その人はどんなに傷つくと思いますか。朴サムエルさんについての記事のコメント欄で、書くべき言葉ではないと思いますが。
投稿内容の変更をさせていただきます
仰るとおりかもしれませんね。
表現が不適切だったようです。
「救いの為にレイプしたとか、ちゃんちゃら可笑しくて、笑ってしまうのです。」→
「救いの為にレイプしたなど、教理的に考えても到底辻褄が合わず、朴サムエルさんの解釈は実態とは食い違っているのではないかと感じます。」
と訂正させていただきます。
膨大な情報量
今になって朴サムエル氏が、ご自分の痛みをさらけ出し、傷口をもう一度開くような思いをなぜ通過しなければならなかったのか?!全体像や実像が分かっているわけではありませんが、やるせない気持ちです。ワイドショー的な情報には一切興味はないですが、サムエル氏の苦労を拡大させたのは、やはりはじめに、この事実を隠蔽したことではないか、と感じました。ボタンを掛け違えたままきてしまった。
姸雅女史の証言で、一度マスコミで取り上げられ、騒動になったとき、幹部の人たちの前で、文鮮明氏は一切隠そうとされなかった、とありました。幹部の人は恥ずかしく思って隠したと。そして、当然に韓鶴子氏も。
私個人の感想ですが、人間が堕落したことによってもたらされた内容が、いかばかりであったかというドロドロの内容が、今も世の中展開されてます。それを凌駕することが綺麗事では済まされない、というのを聖書の流れを見ても、現実は厳しいことを見て取れます。誰も行きたくない道です。
そして、これはまた私自身の確信ですが、文氏が生涯を掛けて成してくださった(見えない部分も含めて)ことが、その価値を知らずなじる人にとっての救いに繋がっているということです。これは人から聞いただけでは、分からなくなるのは当然と思います。今までの先人も血みどろの求道の道を行った方たくさんいたのですから。
皆さんにお願いしたいのは、たくさんの情報収集と共に、ぜひ神様に直接尋ねていただきたいです。それでも、皆さんにとっては、沈黙の神に感じるかもしれませんが、お一人お一人に直接尋ねる神様に、ご自分の心の声に耳を傾けていただければと思います。
長々と、私心を失礼しました。
許される理由はない
結局、誰も何も責任をとっていません。
それに、許す、許さないは神が決めることではなく、被害者、蹂躙された人たちが決めることです。
地で解決されなければ、天でも解決されず、永遠に続く。
サムエル氏やその母、他の隠し子など、傷ついている。血わけなどありえない。
>まぁ、やるとすれば「性犯罪者としての文鮮明」といった視点でしょうか。
是非、書いてください。
人間のもっとも、神聖な領域に、血統転換とか、血わけなどの理論で、土足で入り込み、女性とその子らを蹂躙したことには、違いない。傷ついている。関係した女性らに「黙っているように」と言っても、血統転換なら、堂々と証せばよいだろう。最初の妻の子供聖進氏もそうである。6マリアとの子である。彼の奥さんとは、異母兄妹で、(父親は文教祖)結婚させられたのである。文教祖の理論が正しければ、関係した相手や子から、訴えられたりしないだろう。宗教指導者として、権力、お金、セックスに手を出すとは。。。そんな教祖様を崇拝する宗教団体は、社会に有益か。
ちゃぬさんのブログ:2014年9月の記事「やっぱり、元老シックは隠している。統一教会草創期には、血わけの講義が行われていた。1~3」を見ると、事実関係がよくわかる。
Re:疑問に答えてもらったのですが
---(引用開始)
天使長とエバが結婚することによって、原罪が植えられたでしょう。ですから刈り取るときも、結婚によって刈り取らなければなりません。そうでしょう。天使長との結婚によって植えられたので、誰との結婚によって刈り取るべきですか。アダムとの結婚によって刈り取るべきだというのです。では、アダムが結婚しようとすれば、誰がいなければなりませんか。エバがいなければならないのです。
また、結婚するにおいては、誰が先に結婚しなければならないでしょうか。天使長が先に結婚すべきでしょうか、エバが先に結婚すべきでしょうか。「エバです」。なぜそうでしょうか。エバはアダムの妻だからです。それゆえ、エバが先に結婚しなければならないというのです。
---(引用終わり)
・結婚:血縁関係を伴う
・原罪が植えられた:天使長とエバとの霊的血縁関係で生じた罪の根
・刈り取る:罪の根を絶つ、エバとアダムによる血統的罪を絶つ
・アダム:完成アダム(文教祖)
上記は、エバと天使長の結婚(霊的血縁関係)により罪の根が生じた(→エバと未完成アダムによる血統的罪が生じた)だから、これを絶つにはまず完成アダム(文教祖)とエバとの結婚(血縁関係)が必要と言ってます。
ここで、完成アダムと血縁関係をもてば、なぜ血が清まり、原罪が刈り取られるか?は、接ぎ木理論を根拠にしてると思います。イメージ的には、
・原罪ありの堕落人間(サタンの種)を渋柿の木とする・・・土台となる台木
・完成アダム(神の種)を甘柿の木 ・・・ 穂木
上の台木に穂木を接ぎ木し、甘柿(神の種)の実を生ませる(品種改良:血統転換)という理屈。
ここで、甘柿に適合する条件の台木をつくるため、文教祖が目指す愛・心情をもつように様々な路程(地上天国:文王国実現を兼ねる)を通して信者を徹底的に訓練し育てる。・・・建前の理屈か
穂木(新しい種)、接ぎ木に適合する台木(男女)、期間、環境、栄養、があれば、思うに、新しい実を生むというのが当初の発想だったんでしょう。が、結局、元々種が腐ってた+全部害虫に覆われ埋没した。
具体的には、まずエバ(女性)をメシアと実体的性関係or象徴的に一体化させる(品種改良)→復帰された女性が性関係により男性を生みかえる(品種改良)→新しい品種の実(子)を誕生させる。という理屈と思います。
(原罪により女性の胎中も男性の種も汚れた、サタンに奪われた。だから、女性の胎中を完成アダムにより浄化し、浄化された胎中で男性の種も清め、神に返すという理屈)
こういう記事もあります。
http://blogs.yahoo.co.jp/gmiusk/65222633.html
仮説 エバ復帰のプロセス
Aアダムの原罪が清算されるプロセス
Bエバの原罪が清算されるプロセス
この二つのプロセスは、別なのではないか。
同じプロセスであると混同してはいけないのではないか、と。
堕落の血統から、何故原罪なきアダムを復帰することができるのか、この問題は難解すぎて私の手には負えません。
復帰されたアダム(メシヤ)によって、堕落エバがどのようにエバとして復帰されるのか、これも難解で、こんな単純なわけはないと思いますが、仮説を試みたいと思います。
例えば、殺人事件を例にします。
殺人が罪に問われるのは、単純化すると
①殺そうと思って、
②実際に殺した。
実際に殺してしまった(②)ときに、罪が確定し、その動機(➀)が問われるようになります。
心の中で思っただけて捕まえていたら、警察官が何人いても足りません。
一般的に、心の中で思っただけなら罪に問われることはありません。
宗教の場合は、心の中で思っただけでも罪、ということがあります。
性的問題について、堕落論を単純化すると
①本来的でない相手との性関係を心に抱き、霊的性関係を結び、
②実際には別の相手と性関係を結んだ。
これをエバの立場から見ると、アダムに対しては
➀が霊的堕落(=心情的罪)
②が肉的堕落(=法廷論的罪)
このように解釈します。(新説? 珍説?)
原罪がない状態というのは、サタンから讒訴される条件のない状態だとも聞きます。
堕落の際に生じた様々な情念も清算されなければならないと思います。
➀の時は「死んでもよい!」と思ってルーシェルと関係を結んだ。
②の時は「救われたい!」と思ってアダムと関係を結んだ。
堕落したエバが逆の経路で復帰されるのだとしたら、
➀「救われたい!」と思って、原罪なきアダムと関係を結ぶ。
②「死んでもよい!」と思うぐらいの覚悟で、どんな苦難が待ち受けているとしても、ルーシェルには目もくれず、アダムと共に完成への道を決意する。
したがって、ご聖婚の際、
①まず性関係を結ぶことによって、お母様の原罪が清算される。
そのとき、肉的堕落による法廷論的な罪が清算され、霊的堕落による心情的な罪だけが残っているような状態になる。
②祝福式の宣布を通して、ルーシェルとの情念を断ち切り、アダムとのみ一体化して完成する、という決意を示す。そして、完成への苦難の道を出発される。
真の母として宣布できるのは、選ばれた方、ただお一人である。
このようなプロセスがあったのではないか、という想像です。
要約すると、
「堕落したエバは、復帰されたアダムと性関係を結ぶことによって、霊的堕落だけが残った位置までは復帰される。
しかし、復帰されたアダムの相対の位置に立つことが許される女性は、たった一人だけである。」
このような仮説です。
朝鮮カルト教祖も民族を越え迷惑甚だしいシツコイシツコイ恨み深い韓国人なのかもしれない。
難解過ぎると言うか(誇大妄想で?)悟った自称メシア(再臨のキリスト)以外は誰も分からないのではないでしょうか?
頭のあまり良くない、また、コメント読むのが苦手であまり読んでない私がコメントするのも何ですが。
私は、自称再臨主文鮮明教祖を擁する統一教会の一番重要ポイント、肝の肝は血統転換=血分け以外ない!と思っています。
文鮮明教祖による血分け=血統転換が為されてないなら、我等が統一教会(世界平和統一家庭連合)は社会悪の誇大妄想反日朝鮮民族主義ボッタクリ詐欺団体以外の何者でもないと思うからです。
私はちゃぬさんのブログの内容を読むまで、再臨のキリストを生み出す背景には相当蕩減復帰を重ねた文鮮明教祖の先祖達がいたと思っていました。聖書の系譜のイエスキリストの様に。
しかし、文鮮明教祖の両親初め本人も元元キリスト教でなかった事や兄弟姉妹が精神がおかしかった事は別として、文鮮明教祖の母親もイエスの母親のマリアの様な信仰的試練の道を行って文鮮明教祖を生んだと言う事も聞いた事ないし、ただ、大叔父が独立運動の闘志だった事が文鮮明教祖の言葉の中にあっただけです。
15.6才の頃、祈っていた時、イエスキリストから自分の果たせなかった使命を果たしてくれる様に言われて最初は断ったが最終的に再臨主(再臨のキリスト)の使命をイエスキリストから引き継いだ事になっています。
しかし、文鮮明教祖の原罪清算はどこで為されたのか?
朝鮮シャーマニズの影響を受けた朝鮮混淫派(血分け教)の血分け教たらんところは原罪を清算した聖者との血分け(性関係)によって、神の血統に産み変えられると言う事でしょう!
よって、朴泰善教祖(天父教)や33日断食を33回やったと言う勝利台?の教祖(私も人の紹介で会いました)や文鮮明教祖やetcは自分こそが再臨主と言うのだと私は今考えています。
Wikipediaによると朴泰善教祖と文鮮明教祖は丁得恩と言う人から血分けを受けたとあります。
文鮮明教祖は自分が神の聖者の丁得恩から血分けを受けた事が原因で自分は罪無き神の聖者(神の血統転換者)に成ったと思い込んだのではないでしょうか?他の朝鮮混淫派血分け教の教祖達と同じ様に。
丁得恩さんと言う人の血統から丁得恩さんが血分け出来る人に成ったのか?丁得恩さんも誰からか血分けをして貰って血分けをし始めたのかは分かりませんが、統一教会の文鮮明教祖の血分け(血統転換)奉仕人(再臨主)はそこらから出て来ているのではないでしょうか?(私の推測)
聖主教か腹中教の教祖か、もっと前に原罪のない人がいてその人から血分けが始まったかは知りませんが。
勝利台?教会の頭の禿げた再臨主は写真で撮ると口から吐く言葉が火(ゴジラの火炎放射器)の様(セイレイとの事)に現れるとの事でゴジラの火炎放射器の様な写真がその教会に貼ってありました。そこの教会も天父教と同じ様に韓国のいろんな地区に、また日本にも3ヶ所位支部教会がありました。
しかし、私の結論としては、文鮮明教祖が彼の言葉で語っていた”勝利した真の母”と”神様の神性が宿り霊界とも交信出来るマコトの子女達”=神様の血統のマコトの家庭(韓鶴子夫人と子供達)の実態を見て、結果は出たのではないか!と思っています。お疲れ様でした!万歳!
血統転換の蕩減復帰の流れはニコルさんが分かり易く詳しくコメントされてると思いました。
庶子とお母様の立場
それに対して、お母様がどうしても承諾されず、やむなく外で育たれる事になってしまったという事です。
そこに、アベル・カインを一つにする母の役割があったとかいう話だった様に記憶しています。
統一教会でのKeyword「基台」を視点に入れて…(教団無縁の中間位置からの私的見解)
ところで、およそ教会で信仰生活を経験されたことのない方々には前記の「基台」という言葉は聞きなれないもの故、意味不明であることを察知いたします。これは統一教会の信仰生活全般の根幹原則がこれによってできているので、かなり雑になりますが解説まずご容赦下さい。(わかっている方、とばして⇒続き お願いします)
<基台に関する雑な解説>
『人類始祖は本来エデンの園で結婚し、三大祝福を全うし、神の血統として永遠の幸福を繁栄させるのが創造目的であったとします。
ここで、天国実現の構成員ですが・・・神様1、天使長3、Adam1、Eve1と原理講論では説きます。
A+Eが幼い頃は天使長3体(Lucifer,Gabriel,Michael)というのが教育係だったとのこと。したがって、天使の基台(≒基盤)がA+Eに責任を持たなくてはならなかったとのことです。
堕落をもとがえす「復帰」という行為は、堕落と逆の経路ということなので、まず重要となるのが天使の基台に相当する環境圏復帰なのです。これが神の願いに合致した上で祝福と理想実現に導くことが前提と説くからです。統一教会では、旧約・新約時代を問わず、復帰路程においては、これらの基台数(原理数)実現が不可欠であったと説きます。
この原則から、イエス・キリストがまず3弟子、12門徒・・・を立てるのもそのような原則のためであり、その後に本来自分が結婚をすべきであったとします。また、祝福後の家庭出発時期が「基台数に相当する霊の子の基台」を夫婦で満たしているかによってかなり左右されていました。(6500双位までの日日家庭は特に。今は事情が違うようですが…。)この原則を文師自らがまず適応して、ご自分の聖婚前に天使圏の基台(6数)を作ったという風な理屈は考えられます。』
⇒続き
原理では天使は中性で、人間と違って責任分担を神から与えられなかったとしてます。でも、Eveと堕落行為をしたということでしたら、男性器があるということですね。神が天使に男性器を授けた意味は何なんでしょう。性教育のため?天使が中性なら女性器もつけているのでしょうか?3天使長は男性格で、女性格の天使(例えば、Lucy,Gabriella,Michele)もいたということでしょうね。
もしこれらの6マリアの行為が本当に正当なものであるとするならば、6マリアになった人も文師の子供を産めば、その子も母親もメシアの血統になるはずです。他の祝福が順調にスタートするまではその方々は天使圏の使命故に誰にも言えなくても、聖婚式や一般信徒の祝福が軌道に乗れば、その責任分担を十分に果たしたということになるのでは。そうなれば、教会全体から栄誉を受けるべきだったと思います。なのに、「いつまでたっても認知されないどころか見捨てられる」。そういう状態を想像すると同情します。もちろん中には、四大聖人と霊界祝福の栄誉に預かった者もあったと報告受けておりますが、本当に霊界にいる四大聖人と結婚したのか今となっては誰も証明できないでしょう。
とにかく、朴サムエル(愛称Sammy)さんと母親が、不幸のドン底にいると主張し、訴訟を起こしているのですから、人道的に見ても無視すべきではありません。Sammyは文師の子供ですので、相続権は当然あるはずです。さらに同参・同位権も含め、Sammyは他の子女様方とともに主張できるはずだったわけです。それを踏みにじられ、見捨てられたのですか、黙っていないでしょう。
(Sammyの発言に疑問符の付くところ確かにあります。合衆国法廷では、宣誓後の偽証ははかなり罪が重いので、その点は法廷で決着つければよいともいます)
聖書にはアブラハムに子供をもたらしたハガルの女とイシュマエルの話が出てきます。サラの側めだったハガルとイシュマエルが荒野に解き放たれた後どうなったでしょう。ハガルのそれまでの精誠と慟哭を神は片時も忘れなかったので、その血筋から預言者を召命されたのだとします。それがアラブ民族の始まりであり、マホメッドによる掲示であり、イスラム教の始まりとなったとムスリムは主張します。ムスリムがユダヤ教徒やクリスチャンを目の敵にしてきたのはこのような背景があるからかもしれません。統一教会も、忘れられた文師の血統を決して見下さないことです。Sammyがどういう人格の方であれ、その心情的基台は永続されるものである限り、その血統の中らからその恨を晴らそうとするものが出現することになるかもしれないからです。(神を信ずらか否かではなく因果応報ということで)
Sammyの場合、日本での「君島ブランド事件」程度の騒ぎではおさまらないことでしょう。
悲しいことに今の教会は、とんち合戦をしているように思えてなりません。
一休和尚みたいなことを言っても、信徒はメシアとして侍ることも、またメンターとして仰ぎ従うこともないと思います。
多くの殉教者はこのような姿どう見ているか考えるべきでしょう。
ま、韓国人は、結局ケンチャナヨだね。
私はせめて一つだけ認めてあげて、それで良しとしようとしていた。社会的問題は大いにありなんだが、それでも一日2,3時間の睡眠時間で突っ走ってきた人生なんだから、自分が再臨主だと信じて生きてきたその人生だけは認めてあげようと思っている。
これは教義が正しいとか、その生き方が正しいというわけではない。教義の間違いは正されなければならないし、社会的問題はきっちりと清算しなければならない。
ただ、自分の正しいと信じる教義に従って、1日2,3時間しか寝ないでただひたすら走り続けてきた男の人生、それだけは認めてあげよう。聞くところによると、17,8時間も説教した後、食口(シック)が窓の外を見ると、自動車に乗り込む前に文氏が過労で倒れ、幹部に抱えられて車に乗り込んだという。そんなことが何度もあるという。そこまで突っ走ってきたんだったら、社会的問題は大いにあった男であるにしても、人生、自分の教義に対しては、ある意味での「矜持」を持って生きてきたのであろう、と評価してやる。
教義面での私の文氏へのサポートはこれで終わった。後は朴サムエルさん他、思う存分やったらよかろう。
直接的血統転換を私もできるかとの古参幹部の問いに、12人の女性に、絶対隠させてやれる自信があるんだったら、やったらいいと答えた文氏。隠せなかったね。文さん、これははっきり言って、あんたの責任だよ。
隠して伝道、隠して高額エンドレス献金がいいというつもりはない。だが、他人には隠せと言っておいて、自分は隠せなかったんだから、その責任は負ってくださいね。
韓国人は、いい加減なはったりが多い。人生論で大言壮語、大ぶろしきを広げておいて、細かな技術、細部の詰めはケンチャナヨ。だからもう、やんなっちゃうんだね。安ヨンソプさん、まだ日本の本部にいるのかな。あんたじゃ務まらんよ。日本にいる韓国人の牧会者の皆さん、日本に腰を据えて帰化する気がないんだったら、さっさと出て行ってちょうだい。
大体、過去のみ言葉や文献をネットで調べようとしても、いたるところで平気で改ざんする韓国人。大母ニムの言葉をいつの間にかゴーストライターが韓鶴子女史の言葉に変えて真の父母経に掲載する韓国人。
韓女史が生まれる際の予言が、父親が聞いたことになっていたり、母親の大母ニムが聞いたことになっていたり、男が生まれることになっていたり、女が生まれることになっていたり。韓国人って、本当に自分に都合がいいように書き換えるんだね。これじゃあ、韓国人が族譜を大事にするといったって、その族譜って、本当に正しいの?必ず天皇家につながるようになっている日本の家系図のように、どこかで都合よくつなげてない?カネで買っていない?
おおもとの文氏のみ言葉だって、日韓の歴史編纂委員会の検閲が入っているんだよね。どこまで信頼していいのかわからない、韓国人のケンチャナヨ書き換え癖。韓国人幹部よ、あんたたちが何を語ろうが、信頼感がないんだよ。文先生がこう言ったといったって、書き換え平気でやる韓国人の発言は、信頼できないんだよ。
ティータイム
文牧師の行いの是非を巡って「血わけ理論大綱引き」
引っ張り、引きずられ、挽回し、また引きずられて、気合を入れて引っ張り返す。
運動会たけなわ27日の丑三つ時(ウシミツドキ)には「チャンチャラーッ」という異様な掛け声をあげて引っ張るチームが出場。体育委員(常駐警備)に注意されてその場は収まりましたが、あの時が悪夢の頂点でした。
バトンを手渡しながらの長距離リレーもありました。正式種目名は「逆の経路を辿る蕩減復帰リレー」。やっと終わったと思うと、すぐにアンカーが第一走者になって逆回りでバトンタッチが延々と続く、これも大変でした。
笑いを誘ったのは特別参加の近所の火の粉保育園の園児たちの行進。「しあわせってなんだろう(替え歌)」の歌に合わせて入場してきましたが、歌詞の字余りの度にコロコロ転んで転がるのがかわいかったですねー。
統一原理は「存在の真理」ではなく、一つの「価値観」
(ことばが先か欲望が先かはおいておいて)
私が言いたかったことをもっと原理に 寄り添ってきちんと説明して論を展開しているとても興味深いサイトを見つけたので一部紹介します。ちょっと見てほしいんだなあ。(単なる推測でイメージですが、この思想主は元1800双辺りの人かな。それも18の中でも777に近い先輩格の元シン。‘カインの末裔’さんかなあ、違うか?)
難しい部分もあってまだ全部は読んでいませんが、‘私たちの失敗’をよくアウフヘーベンしている優れた論だと思います。これ自体も個々人が選ぶ価値観の一つだと最後に言っています)価値相対化のニヒリズムでもありません(本論にて)。
その一つの価値をゴリ押しした最悪の例が今回表に出たサムエル氏の母に対するレイプでしょう。許されるべき行為ではありません。
「カルト統一教会の教義を例に全宗教・思想・価値観は真理・科学ではなく一つの価値観であるということの論述」
第六章 堕落論観について
http://blogs.yahoo.co.jp/gmiusk/64551361.html
第五章 霊界観について
http://blogs.yahoo.co.jp/gmiusk/64551360.html
元になった本論「メタスピリチュアル・レジュメ試論」
http://www.geocities.jp/gmiusk/
統一原理にある呪術的思考
ここで1960年当時の統一教会員の一般的な信仰を理解する必要があります。
当時の統一教会信者は実際、私の父と韓鶴子が結婚すれば天が開け、世界が奇跡のようにひざまずいて、彼がメシアでその妻は全人類の真の母だと認めるだろうと信じ考えていました。それはカルトの中で蔓延しがちな呪術思考(*2)の症状です。
しかし現実は大きな失望でした。
私は 原理講論は真理ではない部分が多くあり、後編になるほど間違いが多く、最初の創造原理とその後の宗教論が一貫した内容になっていないと、今まで批判的なコメントを書いてきましたが、引用文にある‘呪術的思考’は 創造原理を除いた他の宗教論の中にも表れております。
原理講論の総序では歴史を通しての宗教的真理探究と科学的真理探究が進歩し、最終的にはそれらが互いに合致せねばならないことを強調しており、創造原理は その条件に適う新しい真理の解明を目指す内容となっています。
しかし、第二章の堕落論以降は一転し、古い宗教的観念に支配された論理展開となっているのです。
創造原理においては人間の精神的な世界の問題に対しても科学と矛盾しない論理的な追究がなされているのですが、堕落論は内容として「悪」の起源の問題を扱うようになる中で、聖書のみを根拠としてその「悪」の起源を論ずるようになり、科学と矛盾する説明が多く見られるようになるのです。
もし原理講論の筆者が総序で主張した事柄を全てに渡って一貫させようとするならば、「悪」の起源を追究する場合は 聖書以外の観点からも追究を試みねばならず、キリスト教信仰の中でしか通用しない内容であったなら、その時点で普遍的真理などと呼ぶことはできなくなり、単なる一宗教の仮説に過ぎなくなるのです。
原理講論の堕落論は科学的真理と矛盾しない「真理」などではなく、そこには明らかに非科学的な呪術的思考が働いています。
堕落論の最初の書き始めは以下のようになっています。
<人間は誰でも悪をしりぞけ、善に従おうとする本心の指向性を持っている。しかし、すべての人間は自分も知らずに或る悪の力に駆られ、本心が願うところの善を捨てて、願わざる悪を行なうようになるのである。このような悪の勢力の中で、人類の罪悪史は綿々と続いてきた。キリスト教ではこの悪の勢力の主体をサタンと呼ぶのである。>
また本論の一番最初は以下のように書かれています。
<今まで人間の中に深く根をおろし、休むことなく人間を罪悪の道に追い込んできた罪の根が一体何であるか、この問題を知るものは一人もいなかった。ただキリスト教徒のみが、聖書を根拠として、人間始祖アダムとエバが善悪知るの木の実を取って食べ、それが罪の根となったということを漠然と信じてきたのである。>
堕落論においては既にその書き始めの問題提起からして、間違った思考が入り込んでいるのです。
「すべての人間は願わざる悪を行なうようになるのである」「休むことなく人間を罪悪の道に追い込んできた罪の根」というような認識が既に主観性の強いものであり、科学的な思考と分離してしまっているのです。
人間が「悪」を認識するのはその行為の結果を観察してからであり、行為をしている段階では悪いなどとは思っていないのです。
また人間は常に「罪悪の道に追い込」まれてなどおらず、良心に従って生きてきた人はいくらでもいるのです。
上の堕落論にあるような認識をもつのは主観的な世界にこもった情緒的性格の強い人達であって、その論がすべての人間に当てはまるわけではないのです。
ただ、朝鮮半島の人々は歴史的な文化から考えてもそのような認識を持ちやすいとも考えられます。
また、いわゆるルサンチマンをもつ人々(弱者であるが故の怨恨、無力な奴隷精神の持ち主)もそのような「悪」に対する認識を持ちやすいと思われるのですが、すべての人々がその論理に当てはまるわけではないのです。
堕落論は論理が展開するその前提から間違っており、最初から宗教的妄想に入り込んでしまっているわけで、創造原理とも結びつかず、総序にある「新しい真理」などにはなり得ないのです。
今回の記事の証言を理解するには文氏の血統転換思想が重要な鍵となってきますが、その血統転換思想こそ呪術的思考による思想以外の何ものでもありません。
血統転換思想が成り立つ大前提が 人間にはサタンの血統が受け継がれているという理屈ですから、最初から科学と矛盾しているのです。
人間・エバと霊的存在である天使長ルーシェルの霊的な性関係がエバの遺伝子を変えるというのも呪術的思考で、エバとアダムが性関係を結ぶことによってアダムの遺伝子が変わるというのも呪術的思考です。
原理的に考えても、天使長ルーシェルは創造主ではないのですから人間の血統を変える創造的能力などあるはずがないのです。
原理講論にある「原罪」はキリスト教の西方教会において神学の中で語られる概念ですが、教派によって内容が変わります。
正教会は西方教会とは異なり、教義化することを避けています。
さらにユダヤ教の多数派には原罪の概念すらありません。
原理講論では「原罪」の問題が、さもキリスト教徒にとって最大の難題であったかのように書かれていますが、そんなことはなく、「原罪」はキリスト教徒の部分的な宗派の信者が教義の中で問題にしていたに過ぎません。
その事実かどうかもわからないアダムとエバの犯した罪である「原罪」について新しい解釈をしたからとて、世界の人々には何の価値もないのです。
ましてや、血統的罪などという解釈は科学的思考ができない未開人の発想であり、説得力ゼロなのです。
原罪とは何か?血統転換は如何にしたら可能なのか?などは人間社会の「悪」の問題の解決とはまったく無関係であり、未開人と同じ偏狭な世界に止まている人達のみが考える無意味な題目なのです。
したがって、原罪を清算するために再臨したと主張する「メシア」など最初から世界の人々は関心がなく、どこの誰かはどうでもいいことなのです。
仮に、そのメシアによって血統転換したとされる人達が一般的な「堕落人間」よりも優れた人格を有し、創造的な能力も明らかに高いのであれば「何か深い意味がある」と思われ、人々から研究される可能性がありますが、現実はその正反対なのですから、話にならないのです。
原理講論の総序で強調されているのは、宗教的真理探究と科学的真理探究が進歩し、合致せねばならないということであって、考え方によっては 宗教が‘呪術的思考’を克服せねばならないという主張とも受け取れるのです。
しかし、結果として出来上がった原理講論は第二章 堕落論あたりからその主張を放棄し、思想的に「堕落」してしまったのです。
今回の記事にある証言は、呪術的思考をもった宗教が如何に人々を不幸にするか物語るもので、大変よい教訓になると思います。
この証言は、過去にいくつかのブログで取り上げられたものですが、記事にあるものは暗在さんが正確な翻訳をされ、詳しい注釈も加えておられますので、大変貴重だと思います。
朴サムエル氏は高度な知性を備えており、理性的に自分の経験を把握し、言葉にしていますので、最低同程度の知性がなければ、その内容を正確に伝えることはできません。
その朴サムエル氏の貴重な証言を正確に伝えてくださった米本さんと暗在さんに感謝いたします。
2300万ドル支払われていれば何事もなかった?
2000万ドルの約束不履行に対して腹を立てたのかな?それで積年の積もる思いもあって、24億円の損害賠償請求を行った?なんだかそういう風にも見えるが。
民事で勝とうと思えば、実害も含めて細かく計算したほうがいいという、方法論としてはわかる。が、この大枠が、訴訟が起きる前に、すでに教団側と合意していたことに、釈然としない気持ちを感じる。
真実を!
常人には計り知れない出生の秘密を知った時、サムエル氏のショックはいかばかりであったのか?
想像はしてみても、とても想像の及ぶところではありません。
私の率直な思いとしては、30年あまりの信仰を完全に捨てることもできず、米本さんには申し訳ないのですが、何か深い意味があるのではと、そこに逃げ込みたくもなります。
それでも疑問なのは、サムエル氏の育ての親の朴普熙氏は、全てを分かった上で文先生に従っていた訳で、何をどう理解してそうされていたのか、教会草創期の元老の方々も知る人は知っていたでしょうし、それでもメシヤと信じて従った理由も知りたい気がします。
私が伝道されたころは、真の母が3人いたなどと言うことは全く知らされることもありませんでしたが、いつの頃からか3人いたということが明らかになり、ここに来て6マリヤだったとかいう話も本当の事のようですし。
原田さんも言われましたが、教会本部は事実は事実として公表し、屁理屈でもいいから何らかの説明をしてほしい。
その上で、食口一人ひとりが判断するしかないでしょう。
未証し伝道をなくそうと、教会本部は叫んでいます。
裁判所は正体を明らかにせずに伝道するのは「信教の自由に反する」と言ってるのでしょう。
真実を明らかにせず繕うのは、同じことではありませんか?
マリアの信仰? ザカリアのレイプ?
その上で自分は文師に対しては肯定的であることに変わりはない。
ところで統一教会ではイエスの本当の父親は祭司長ザカリアであると教えている。母マリアが決死の信仰で姉のエリザベツの夫のところで数ヶ月過ごし、ザカリアの子供を孕んだされている。本来ならザカリアの家で出産して、いとこの洗礼ヨハネとともに養育されるべきだったと聞いた事がある。
統一教会ではマリアの信仰のみが強調されていたように思うが、ザカリアに視点を移してみよう。ザカリアは自分の妻の妹の処女を奪った男だ。文師に否定的な感情を持つ方の投稿をなぞらえれば、ザカリアはマリアをレイプしたことになる。さらには自分に都合が悪くなると身重のマリアを追い出したとんでもない男だということにもなる。ザカリアはマリアが産んだ子供を自分の子供として認知したのだろうか? あるいは生活の面倒でもみてやったんだろうか?
いずれにしても、あのイエス・キリストの父親はマリアの処女を奪った男であることに変わりはない。イエス・キリストを祭司長ザカリアのレイプの結果生まれてきた子供だとは言わない。
>マリアの信仰? ザカリアのレイプ?
ザカリアがイエス様のお父さんだ、と言っただけでクリスチャンは大騒ぎでしょうから、こんなこと言ったら、『超』とんでもないことでしょう。
当事者の心情を考えたら言えることではないのですが、このご意見、原理的にはとても説得力があるように思います。
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>>マリアの信仰? ザカリアのレイプ?
マリアはタマルと同じように、女性の信仰基準(死ぬ覚悟で復帰)を示したので、堕落エバ立場を蕩減復帰し、胎中聖別できたのではないでしょうか。
このことからマリヤはレイプされたのではなく、自ら進んで、ザカリヤと交わったのだと考えるのが順当と思います。(天からの啓示があってザカリヤの元に行ったのでは?)
また、マリアは、生命懸の基準を越えてメシアを誕生させた。ところが、サムエルさんのお母さんの信仰の結実は何だったのか当人にも理解できなかった。
文師との間の行為に対する原理的意義が知らされずに、母児があまりにも長い間放置された状態にあったので、不当だと抗議していると思います。
まさに信じてたと思います
神々の黄昏さんが言われる上記の呪術的内容ですが、まさに皆信じてたというか、信じてた人達がいたと思います。
というのは、
私が初めて原理に出会った1980年春のことで、原研修練会だったと思いますが、原研における様々な霊的体験の話と共に、講師が週刊誌に載った実話(本当かは別にして)を話しました。
ある日本人の女性が黒人男性と付き合っていたが別れて、のちに日本人と結婚し1年以上経て子供が生まれたんですが、その子供の皮膚の色だけが真っ黒だったという話です。これは性関係をもてば相手の要素を受け、それが残る(遺伝子に影響する)可能性があると 今思えばそう言いたかったんだと思います。
当時、私は原研には約2か月ぐらいで、正式入会しませんでしたが、いろんな疑問をぶつけた為か、血分けの話までされました(想定外過ぎて衝撃過ぎてずっと固まってた)。しかし、思い返せば、とにかく皆一途でした。
一般教会員になった後も、世間知らずのただの学生の時に聞いたこれらの記憶がずっと残り、血統転換の根拠にしてた気がします。(心が体に変化をもたらすというのはあるので)
米本さんが疑問とする文教祖の考え方に焦点をあてて、聞いたこと考えたことを含め、自分なりに下手なコメントしてましたが、
大元の大元は創造神であると信じた場合、もし血統と言うなら、これ以上強力な血統はないわけで、血統転換なんて発想から狂ってる。
創造神→人間神にする狂った思想だ!天使長だって神の被造物(神の血統)
それに、愛・心情・人格などは家庭環境(親子関係)、教育問題が一番なのに、統一教会は神の血統に紐付けてる感覚もあって(祝福受ければ・・・みたいな)、これは最初からバカじゃないかと思ってました。つまり、血統コンプレックス教義で、逆に言えば、これ程神を傷つける発想はない。
結局、血統なんて何の関係もないのに、ほんと長い期間、狂った思想(血統転換)に囚われてしまいました。
>>>マリアの信仰? ザカリアのレイプ?
一貫性がなくて申し訳ありませんが、私は、コスモスの花のようにさんの解釈に賛成です。
感謝感謝で今年も暮れゆく
当初はテーマがテーマだけにレスコメントは少ないだろうと予測していましたが、豈図らんや、コメント数は88にもなりました。
これは、
「「火の粉・公文」-お母様が恋愛結婚をお認めになり、事実上、血統転換を否定されました!」(2014年9月17日)
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-508.html
-のコメント数(147)に次ぐものです。
わかりやすい訳と的確な注釈を加えていただいた暗在さんに感謝申し上げます。
コメントを読んで、ますます混沌としました。なぜなら、事実に基づいた説得力ある説明がなされたものはありませんでしたので(メンゴ、ただし投稿者に問題があるわけではない!)。
でも、何人の方が言及されていた「呪術」の言葉から、おぼろげながら、文鮮明氏が見えてきました。
また、「統一原理は真理・科学ではなく一つの価値観」という指摘にも、頷けるものがありました。
神々の黄昏さんの指摘は、至極真っ当なものでした。
>もし原理講論の筆者が総序で主張した事柄を全てに渡って一貫させようとするならば、「悪」の起源を追究する場合は 聖書以外の観点からも追究を試みねばならず、キリスト教信仰の中でしか通用しない内容であったなら、その時点で普遍的真理などと呼ぶことはできなくなり、単なる一宗教の仮説に過ぎなくなるのです。
その「一宗教の仮説」が信者に不幸をもたらすものであれば、たんなる邪説にすぎません。実際、日本では60万人が入信し、55万人が組織から去ったというのもその証左でしょう。
次のブログを更新したら、大掃除にかかります。
サンクチュアリの聖酒と家庭連合の聖酒の違いは?どちらも意味なし
サンクチュアリ教会が来年の祝福式のために、案内を出している。以前は、家庭連合側が、サンク側を毒キノコといい、今度は、サンク側が、家庭連合の聖酒を毒と云い、世の中からみたら、同じ文教祖の旧統一教会なんだけど。お互いにサタンだの毒だの言い合って、神様気の毒だね。家庭連合の聖酒とサンク教会聖酒。科学的に宗教的にどう違うのか。どちらもこれで血統転換なんてありえない。イスラム教徒は絶対飲まない。なので、全人類の血統転換なんてありえない。家庭連合の聖酒は、文教祖の特別製○○入り。聖酒も文教祖の血わけも血統転換には、ならないと思う
>感謝感謝で今年も暮れゆく
私はこのスレッドで書いている時には、何度か前置きしたように、文氏の思想が間違っているかどうかではなく、文氏は自分の思想に忠実に生きたということを言わんがために、色々み言葉や統一原理の解説を行ってきました。
それは、若干のコメントの中に、文氏は自分の強烈な性欲を抑えられずに血わけを行った、すなわち色情狂だったと言っているようなコメントがあるように読めたからです。
つまり、文氏は自分の性欲を満たすためではなく、その時その時の摂理を、限られた時間内に終わらせなければならないという、実に切羽詰まった心境で血わけを行ってきた、と言いたくて、文氏自身の立場に立ったつもりでコメント投稿してきたわけです。
しかしながら、私自身はどう捉えているかというと、一つの思想以上でも以下でもないと考えています。統一原理に限らず、原始キリスト教を形成したイエス経も、イスラム教も、仏教もユダヤ教も、どんな宗教も一つの思想以上でも以下でもないものと捉えています。
どんな宗教も道徳も、あるいは科学理論も、それが絶対というものはない。たとえあったとしても、人間の認識能力が人それぞれである以上、絶対的真理があるとかないとかいう議論は、意味がないのです。
イエス経はイエスという個人が自身の霊的能力や、当時の社会での科学的知識やイスラエルの歴史観、イスラエル民族の置かれた立場の元で、イエス個人が悟ったことです。文氏においても同様で、文氏や劉孝元氏が、当時の科学的知識、朝鮮民族の歴史や置かれた立場、それにキリスト教の中でも朝鮮に特有なシャーマニズムの影響を受けたキリスト教のという、まさに文氏や劉氏個人の環境の中で悟った悟りなのです。
唯一絶対の真理といったって、人の認識能力は千差万別。存在論と認識論を分けて考えることは意味がない。原罪があるのかないのか?そういうことを議論しあっても、あまり意味がなさそうです。そういう意味で、私は私独自の悟りを開こうと思い、それを自分経と名付けて、毎日生活の中で瞑想など行っております。
朝鮮カルトと認知していなかった私の長くて暗い洗脳生活
私も上記の原田さんの思いとほぼ同じ気持ちです。
文鮮明教祖の人生を振り返ると自分の欲だけの為に生きた人間ではないと思います。あくまでも自分で天命と信じている意思の為に生きた人だとは思います。
朴証言で分かったこと
今回の朴証言で分かったことは、韓鶴子氏が私生児だったことであります。両親からまともな愛を受けて育たなかった為、まともな子女教育が出来なかったと思われます。真の家庭が崩壊していった理由が納得できました。真の子女はまるでヤコブの子女と同じでねたみ、嫉妬でヨセフを殺そうとしたり、まったく同じです。
ただ、サムエルのお母さんが17歳でレイプされたとの見解は、実の母親がそういっているのでしょうか?。はなはだ疑問です。
チャヌの韓国裏日記で、文鮮明氏が6マリア
について語ったことが掲載されていました。内容は正確かもしれませんが「自分の欲望で関係を持ったと思うか?。自分の欲望をコントロール出来ない先生ではありません」「モルモン教は初期の一夫多妻制を隠そうとしているが、隠してはいけません、堂々と証言しなければなりません。天の血統を残すことは、それほど重要なことです」。
私は、以前モルモン教会に通っていたので、何故一夫多妻だったのか疑問に思っていました。これを読んでハットしました。私は開拓伝道時代、ある霊能者に三日間壷を預けたところ、殉教したクリスチャンの例が大勢、壷から現れ、供養したとのことです。そのとき、霊能者が「不思議な壷で、この中にお地蔵さんが居られる。延命地蔵といって人類の全ての悲しみ、苦しみを一身に背負っている。お地蔵さんの中で最も尊いお地蔵さんだ」といわれたとき、まさしく文鮮明氏のことだろ確信しました。
6マリアは事実だと思います。しかし、レイプするような文鮮明氏ではないと思います。私の疑問は根っからの反日なのかどうかです。文師の語っていること(自叙伝)は事実ではないからです。文師が竹島問題で韓国は韓国の立場があり、日本は日本の立場で行えと語ったこと、日韓併合は天の摂理であると肯定したこともあり、真意が分かりません。ただ現教会幹部も反日であり、韓鶴子氏も「日本は歴史認識を改めよ」「日本は韓国を40年間苦しめたから蕩減を払わなければならない」といった発言には納得できません。
ローシャさんへ
統一教会は文鮮明教祖の言葉も統一原理が言っている事も二枚舌なのです。
目的を果たす為には、オウム真理教の上祐史浩と同じなのです。共産党と同じなのです。
ああ言えばこう言う、こう言えばああ言う、臨機応変な詐欺師なのです。
律儀に日本人流に真面目に考えたら朝鮮カルトに騙されます。朝鮮カルト信者の思う壺になります。
兎に角、文鮮明教祖の朝鮮カルト統一教会は目くらましがとても上手だと言う事を日本人統一教会員はシッカリ知るべきです。
おそらく多くの日本人統一教会祝福家庭が文鮮明教に染まった朝鮮人統一教会幹部達の本質を知らないと私は見ています。
レイプかセクハラか?
> 6マリアは事実だと思います。しかし、レイプするような文鮮明氏ではないと思います。
私も、あえて言葉の定義で言えば、セクハラかな?と思います。レイプというと肉体的に押し倒されて強姦されるイメージが強いですね。でもそうすると実際にその場を目撃した人がいるのか?またはそう推定せざるをえない傷とか、抵抗したような現場の荒れようとか立証しないといけなくなっちゃう。朴さんが見たのかな?
セクハラなら、文氏のように指導的立場にある人なら、十分にありうることですからね。ただ、やりたいと思う気持ちがないのに、色々言いくるめられてやるというセクハラも、肉体的レイプも、された人にとっては同じように嫌なものでしょう。そういう方法でという方法の問題より、受けた方の崔さんや朴さんの気持ちが大事でしょう。それに教団も300万ドルは渡したわけですから、ヤバイという気持ちは教団側にもあったでしょう。
>私の疑問は根っからの反日なのかどうかです。文師の語っていること(自叙伝)は事実ではないからです。文師が竹島問題で韓国は韓国の立場があり、日本は日本の立場で行えと語ったこと、日韓併合は天の摂理であると肯定したこともあり、真意が分かりません。
文氏の説教は、仏教でいう対機説法とか、随機説法と言われる、相手に合わせて説明の仕方を変えるものだと思います。まあ、日本人相手にしゃべるときには、日本は罪深いとか、韓国人にあんなことした、こんなことしたと言っているから、その言葉だけを見ると、反日となります。他方別の場所では、併合された相手が日本でよかった、というような意味合いの言葉を喋ったと聞いたことがあります。おそらく韓国人相手に喋ったのでしょう。
だからみ言葉が真理であると言っても、しゃべった相手が誰であったのか、どういう相手に喋っているのかも理解しないといけないかもしれません。
>ただ現教会幹部も反日であり、韓鶴子氏も「日本は歴史認識を改めよ」「日本は韓国を40年間苦しめたから蕩減を払わなければならない」といった発言には納得できません。
以前、韓鶴子女史が北海道に行って、フクロウの置物を買い求め、警護室長にするといったとき、大体の人は笑い話程度に受け止めました。が、私にはピンとくるものがありました。フクロウは、アイヌ人の守り神です。
ここまで書くと、歴史好きな人は、私が何を言いたいかわかると思います。大和朝廷は渡来人です。その大和朝廷が奈良に国を定め、原日本人であるアイヌやクマソを追い払いました。霊的に鋭い韓鶴子女史は、そういう古代の原日本人の怨念を感じ、怨念から逃れるため、フクロウの置物を警護室長にしたのだと、私は直感しました。歴史を反省しないといけないのは、韓国人の方でしょう。
原理講論でのレアとラケルに関する記述
原理講論でのレアとラケルに関する記述は、後編第一章第三節(三)にあります。
http://ffwpu.jp/?page_id=6310#111-3
それでは、アブラハムの「象徴献祭」の失敗によって、その子孫に担われた蕩減路程は、だれから始まるようになったのだろうか。それは、イサクではなく、ヤコブから始まったのである。なぜなら既に詳論したように、すべての蕩減路程を歩むべき中心人物は、「実体献祭」の中心であるアベル型の人物であるからである。したがって、アダムの家庭ではアベル、ノアの家庭ではハム、アブラハムの家庭ではイサク、そしてイサクの家庭ではヤコブが、各々その家庭の蕩減路程を歩むべき中心人物であった。特に、ヤコブは「メシヤのための基台」の上に立ったアベル型の人物であったので、のちにメシヤが歩むベきサタン分立の典型路程を、先に見本として歩まなければならなかったのである(後編第二章第一節)。ゆえにヤコブの家庭は、イサクの家庭を中心として立てられた「メシヤのための基台」の上で、アブラハムが犯した罪を担当して、四〇〇年の蕩減路程を歩んだのである。ヤコブの家庭は、アブラハムを中心とする復帰摂理の目的を完成しなければならないので、イサクの家庭と同じ立場でこの蕩減路程を出発するようになった。すなわち、イサクの家庭において、アベルの立場であるヤコブが、すべての蕩減路程を歩んだように、ヤコブの家庭においても、ヤコブの天の側の妻ラケルが生んだ子ヨセフが、先に、エジプトへ入り、その蕩減路程を歩んで、アベルの立場を確立しなければならなかったのである。ゆえに、ヨセフは彼の兄たちによって、エジプトに売られ、三十歳でエジプトの総理大臣になったのち、彼が幼いとき、天から夢で予示されたとおりになった(創三七・5〜11)。というのは、まずヤコブのサタン側の妻レアが生んだ腹違いの兄たちが、彼のところに行って屈伏することにより、子女が先に入って、エジプト路程を歩み、つぎに、彼の父母が同じく、この路程の方に導かれた。このようにして、ヤコブの家庭は、将来、メシヤを迎えるための民族的蕩減路程を出発したのである。
蛇足ですが
サミュエルさんの話のベースになっている事実関係は概ねその通りなのだと思いますが、どなたかが書いていたように、伝達者およびサミュエルさんの主観や意見が混入していること、バイアスを考慮すべきでしょう。
例えば、レイプという表現は、事実関係や添付写真から判断しても多分に恣意的で不適切であることが分かります。事実関係からすると、ファミリーに出ていた金明煕さんの証しと同様であることが伺えます。
2.蕩減復帰
血統転換は心情(動機)転換です。では何故実体を伴うのか・・・
米本さんの下記のコメントがヒントになるでしょう。
>そうしたことを想像力をもって考えてくださいな。
>私だったら、父を殺します。
実体を伴わないと、その事情圏、心情圏に立つことができないからです。
ですから、形態だけを論じても答えは出ません。
動機とその原因となる摂理的事情の存在を抜きに、形態をのみを恣意的に論じても、
己の顔を鏡に映すが如く・・・だと思います。
このコメント欄では書きませんが、例えば、その人が姦夫のように映るなら、それはその人のための路程ではなく、それを受け容れ克服すべき女性の路程ということになります。但し、当然ながら、克服すべき女性にその事情は伝えられません。あくまでも姦夫でなければ、実体的に克服したことにならず、蕩減復帰できないからです。
もちろん、そのような路程は普遍的なものではなく、中心人物の周辺に限られた特殊事情と言うことになります。
3.合理的理解
原理(原理講論やみ言自体ではなくそれが教示する価値体系)や祝福によってもたらされた価値と、文氏の既知の言行全体から見たときに、文氏がその価値を刹那的欲望で破壊するように行動したと捉えるより、その価値を復帰すべき摂理的事情が存在したと考える方が遥かに合理的であり、辻褄が合う、という話です。原理の価値を度外視して、文氏の言行の一部を追っても真相には至れないと思います。
何か意味がある・・を、既に原理を捨てている教会や諸々の事象に安易に適用し思考停止することは自殺行為ですが、原理と祝福をもたらした方に関しては、どちらが事象を合理的に説明できているか、という思考の結果からもその意味を類推することができます。
4.根本的疑問について
原理講論や説教集は、特定宗教の教理解説書や教義ではないし、一言一句暗記しなければならない呪文でもありません。この世界が創造された根本原理やこの世界に悪を生じた経緯、それを克服する過程としての歴史や最終目的などを直接的または間接的に教示したものです。ですから、あまり重要でない話も当然含まれています。
泥の中から貴重なものを見つける人もいれば、泥は汚いと言い続ける人もいます。
では泥が無駄かというと、泥には泥の存在意義があるようです。
Re: 蛇足ですが
それと同時にレイプの意味を問われ、こう語っています。(暗在訳注)
<長い引用はじめ>
サムエル氏は、「レイプ」という言葉を使ったことに関して、以下のように根拠を述べている。動画公表後に寄せられた多くの質問やコメントへの応答記事:「質問に応じて:朴サムエル」より 一部翻訳はじめ)
http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/126101550516/sam-park-in-response-to-the-feedback-i-have
ウィキペディア(英文)によれば、「レイプは、同意していない人に対して行なわれる、通常、性交を含む性的暴力の一種である。その行為は、腕力、強制、職権乱用によって、または意識不明の人、精神障害のある人、法定承諾年齢以下の人のような有効な同意ができない人に対して行なわれる。」
母は、性が全く議論されない風潮の当時の良家の出身で、そういう事柄に関してとても純真(ナイーブ)だった。教師を非常に尊敬する傾向がある東洋の文化の中で、父は彼女の母親の先生であり、彼女に対して支配力と権限のある位置にいた。
また身長わずか150cmの母に比べ、父ははるかに大きく力も強かった。韓国では承諾年齢は19歳。父は母とセックスをした後、私がしたことは誰にも言うな、特にお母さん(サムの祖母)には言わないようにと母に言った。
時とともに、また宗教的な条件付けで、母は起こったことを「摂理」として受け入れるようになったが、その時のトラウマの記憶は今日までまだ残っている。
(「質問に応じて:朴サムエル」からの翻訳ここまで)
<引用終わり>
日本語のネットで「レイプ」を検索すると、ウィキペディアには載っていませんでした。
日本でレイプという場合、一般的に強姦と同義語でしょう。
日本の刑法177条では「暴行又は脅迫を用いて(略)女子を姦淫した者は(略)」となっています。英文ウィキペディアとは定義が違います。
米韓の刑法は知りませんが、日本の法律に照らし合わせれば、サムエル母が文鮮明によって受けたのは「レイプ」とは言えないでしょう。
刑法178条の「準強制わいせつ準強姦罪」にあてはまるかもしれないけど、サムエル母は刑事告訴(親告罪)していません。
それゆえ、法的には強姦でも準強制わいせつでもないかもしれません。
重要なのは、サムエルスピーチについて文鮮明氏をメシアという教団(日米間)が、記事の削除要求をしていないということなのです!
法的にレイプを是認したとは思っていませんが、
「教師を非常に尊敬する傾向がある東洋の文化の中で、父は彼女の母親の先生であり、彼女に対して支配力と権限のある位置にいた」メシアがいかがわしいことをした、そう認識しているがゆえに、削除要求をしなかったのだと思います。
(私には平気で通知文を送ってくるくせに)
以下はナンセンスというしかありません。
>例えば、その人が姦夫のように映るなら、それはその人のための路程ではなく、それを受け容れ克服すべき女性の路程ということになります。但し、当然ながら、克服すべき女性にその事情は伝えられません。あくまでも姦夫でなければ、実体的に克服したことにならず、蕩減復帰できないからです。
もちろん、そのような路程は普遍的なものではなく、中心人物の周辺に限られた特殊事情と言うことになります。
「あくまでも姦夫でなければ」
この仮定の根拠が不明です。
gildongさん、明日アップする記事でもぜひコメントをくださいね。真面目に議論してみたいです。
蛇足の蛇足
この例での女性は必ずしもPさんのお母さんではない点だけ補足します。
聖書的背景を考慮しなければ「だから何?」で終わる話でしょう。
それで結構です。
RE:原理講論でのレアとラケルに関する記述
“原理講論にはレアとラケルに関する記述はない。もしあったら教えてください”と書いたからのぅ。その箇所、見落としていたようです。
「天の側の妻ラケル」「サタン側の妻レア」と一か所ずつ出ていますね。
久しぶりに原理読むと、強烈だのぅ、強烈で単純よのぅ(サタン側とか、二分法のこと)。解決にはならんかったのぅ。
脱会して20年なので、日本昔話口調になる。
すべてをしんじる話ではない
公式サイトに
RE:公式サイトに
これですね。
●「6マリヤ」「血分け」は存在しない―【第二弾】
●http://trueparents.jp/?page_id=2650
興味深かったのは、(文責:教会成長研究院)となっていたことです。
教会幹部だって、教会成長研究院には何人の職員が所属し、組織はどうなっているのか、知らないはず。
したがって、少なくとも、文責は個人名をあげるべきだろう。
おそらく書き手は大田朝久氏であろう。御言の選択&訳は、彼がやっていたから。
<反対派が語っている内容に、
「朴サムエル氏は、文鮮明先生と崔淳華との間にできた子供であり、朴普煕先生の養子として育てられたとか、仁進様と恋仲になった」
-という情報があります。もし、この問題が事実であるとすれば、真のお母様候補者が3人までという理論も崩れてしまうのではないでしょうか>
ある近しい読者から、「米本さん、あまりバカとかマヌケといった言葉は使うわない方がいいですよ。反感を持たれますから」というまっとうで前向きなアドバイスをもらったことがある。
しかし、前掲の一文を読んだとき、憤死しそうになった。あまりにも
天宙ウルトラバカ・馬鹿・バカ」で。
後日、指摘します。もう泣泣泣。
「バカ、マヌケ」という言葉
米本さんのように思考力があって、社会の常識を知り尽くしているジャーナリストに対し、統一信者に「バカとかマヌケ」を使うなというのは酷です。(笑)
統一教団のその教義や宗教活動のいい加減さは信じ難いほどで、日本の宗教団体の中でも抜きん出ており、頭がまともな人なら相手をするのも馬鹿らしくなります。
ただ、執念深くやっていることは金集めなので、実際に人々に被害をもたらしたり、信者たちを不幸に追いやる出来事が続いているので、ほっとく訳にもいかないのです。
その教祖や信者たちの桁違いの馬鹿さ加減は心理学の研究対象にせねばならないほどで、人間はどうしてそこまで馬鹿になれるのか、様々な謎がこの宗教には隠されているのです。
私は信者がそれほどまでに馬鹿になれる根本的な原因を発見し、コメントに書いてきました。
即ち、本来の知性の働きを妨げる思考逆転の仕組みがその思想にはあったのです。
その仕組みとは人間の純粋な知性の働きを「外的知」と断定し、それよりも本質的な「内的知」が存在し、それが宗教的な「知」であると認識させることによって思考を逆転させる仕組みなのです。
それに関することは既にコメントに書いているのでここでは繰り返しませんが、その思考逆転の仕組みが統一信者の頭に『馬鹿の壁』を築いているという解釈に私は自信を持っています。
統一教団反対派はマインド・コントロール論で統一信者の異常な宗教活動を説明しようとしますが、既に‘火の粉を払え’でも指摘されているように、その似非心理学理論は矛盾が多すぎて説得力ゼロなのです。
しかし、統一教団の教義の中に、宗教がもつ最も危険な部分を巧みに利用した心理操作が備わっていると考えれば、矛盾なく全てが理解できるのです。
統一信者が一般人から見るとマインド・コントロールされているように見えるのは確かなのですが、それは『馬鹿の壁』が築かれた後の話なのです。
『馬鹿の壁』ができてしまえば、嘘で信者をコントロールすることなど難しくないのです。
感情的に物事を語ることが得意で、屁理屈を考えるが好きな宗教家であれば、そのような馬鹿な信者など訳なくコントロールできるのです。
ただ、そのコントロールはあくまでも相手が馬鹿でなければ不可能であり、知性の働きが健全な人には通用しないので、その宗教が一般社会に広がることはないのです。
「バカとかマヌケといった言葉」はもちろん侮辱的な言葉なのですが、統一信者の異常な思考を説明するためには、その言葉を使う以外説明のしようがないのです。
私も他に説明できる言葉がないので『馬鹿の壁』を使い続けようと思います。
もし、その言葉が不適切だという人がいるなら是非その理由を教えてほしいです。
『馬鹿の壁』を使わなければならない理由
〇「サタン」は霊的な存在であると理解しているはずなのに、「サタンの血統」があると信じている。
〇教祖の家庭に不倫、不和、不適切な金遣いが満載なのに、完成された「メシア家庭」と信じている。
〇清平で語られている「先祖解怨」において「絶対善霊」の数字など、辻褄が合わないことが山ほどあるのに、そこで言われたことを盲目的に信じている信者がほとんどで、たとえそれを信じていない信者だったとしても、それを止めさせようとはしない。
〇理屈にもならない理由をこじ付けられて高額献金を要求され、何の疑問も持たず、それが世界の為に役立つものと思っている。
〇朝鮮半島の文化は儒教文化であり、歴史的に身分制度が厳しく、下層民は悲惨な生活を強いられていたのに、朝鮮文化を最高視する。
〇無形で唯一絶対の神を信じているはずなのに、教祖が語ったという理由で、夜の神様、昼の神様の存在を真面目に考える。
〇教祖が絶対化した教義を教祖の妻が明らかに変更しようとしているのに、そこに矛盾を感じない。
〇反対派が教団の宗教活動を批判している時は信教の自由を主張するが、分派に対しては徹底的に攻撃する。
…
余りにも多過ぎて書くのに疲れます。そして余りにもバカバカしい。
以上のような宗教信者に「馬鹿」を使うなというのは言論弾圧です。(笑)
「バカ、マヌケ」という言葉
その仕組みとは人間の純粋な知性の働きを「外的知」と断定し、それよりも本質的な「内的知」が存在し、それが宗教的な「知」であると認識させることによって思考を逆転させる仕組みなのです。
もう少し、平易に一般人にも理解できるように表現された方がいいと思います。
偉そうでごめんです。
教団の人に「統一原理」を分かりやすく説明してくれと頼んだことがあります。
近藤さんは「1泊2日の研修会に参加してくれ」という。
そんで、おいらは「そんなタルイのはいやじゃ。1対1で説得的にやってくれ。納得できたら信者になるかも」
近藤さんからの反応はナッシングでしたね。
統一さんは「知」ではなく「情緒」「感情」が第一なのです。
比較的まともな上目女のブログ(コヨミさんの表現:秀逸)も冷徹に読めば、論理より情緒です。
このことは認識論とか宗教論とかでは大きなテ一マになると思っています。
いずれ、稿を起こすつもりです。
「ヤマギシ会」が軸になると思います。サ教が目指している共同体とも関係すると思っています。リバタリアンとかア一ミッシュとか。1
Re: 「バカ、マヌケ」という言葉
>もし、その言葉が不適切だという人がいるなら是非その理由を教えてほしいです。
神々の黄昏さんがおっしゃる◯印全項目には何の異論はありませんが、あえて『馬鹿の壁』で以て言葉を表現されると対象者は当然、不愉快になるでしょう。
また第三者である読者側から言わせていただくと、神々の黄昏さんに備わった品性に我知らず傷を付けてしまうからです。
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