後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(12)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)
(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青色が今回アップしたところです。


5・第2回目の監禁
(8) 監禁からの解放

生活が困窮

 2007年11月頃になると、兄嫁は私に対して、
「あんたこの部屋を維持するのにどれだけお金が掛かっていると思っているの」

と言って私を非難し、2001年2月に私が約1ヶ月間に亘って804号室からの脱出を試みては家族らから取り押さえられるということを繰り返した際、台所の棚やアコーディオンカーテンが壊れたことに関しても、
「あんたどれだけこの部屋を壊したら気が済むの?部屋を出るとき、全部リフォームしないといけないのよ」
と言って私を非難しました。

 もやは家族等は、804号室での監禁を継続することが経済的にかなり苦しくなりつつあるようでした。(注1)

また、万一私が再度ハンガーストライキをして死ぬようなことにでもなれば、もっと面倒なことになるという危機感が、彼等を襲っていたと思いますが、この頃から、私を監禁している家族の間でも、監禁をこれ以上継続するか否かで意見が分かれ始めたようです。


 2008年1月頃、私は自分の髪を切るため鏡を貸すよう要求し、妹がいた玄関前の部屋の近くまで行きました。すると妹が、「入ってこないでよ」と激しい口調で言い、両手で私の胸辺りを強く押して突き飛ばしました。
 このため私は身体がよろけて数歩後退し、背中から食器棚にぶつかりました。

 当時の私の体力はこの程度のものでしたが、それでも私を監禁中の殆どの期間、家族は、何か用事があっても最低2人は804号室に残るようにし、私に対する監視を怠りませんでした。


実力追放?最後の瞬間

 同年2月10日午後4時頃、兄夫婦、母、妹の4人が私に対して「統一教会の間違いを検証する気がないんだったら即刻出て行け!」と言って804号室からの退去をいきなり命令してきました。

私は著しく衰弱しており、財布など所持品は返して貰えず、また着替えもない状態で生活のあてもなかったことから、
「12年間も監禁しておいて無一文で追い出すなんて酷いじゃないか!」
と言って激しく抗議しました。

すると揉み合いになり、家族等は力づくで私を追い出そうとしました
そこで私は、台所の棚やアコーディオンカーテンなど至る所にしがみついて抵抗しましたが全く歯が立たず、担ぎ上げられ、普段着に靴下のまま玄関から無理矢理外に押し出され、玄関前のコンクリートの廊下部分に背中から押し倒されました。

私が仰向けになったまま起き上がれずにいると、兄が玄関の中で「靴、靴」と言い、その後、家族の誰かが私の革靴を投げつけてきました

この後玄関ドアが閉められ、鍵が掛けられました。

この時の揉み合いで、私は手の甲や手首から出血し、セーターは破かれました。

余りの仕打ちに玄関ドアを叩きつけ大声を張り上げてしばらく抗議したところ、兄が玄関の内側から「うるさい」と叫びました。

 私はやむなくエレベーターで下に降りました。1階に下りると集合ポストがあり、804号室のポストには名札入れのところに、GOTOとローマ字で書いた紙片が貼ってありました。また、1階玄関から外に出た際、同マンションが杉並区荻窪3?47?15の荻窪フラワーホームであることを確認しました。(注2)


12年間監禁場所となった「フラワーホーム」

後藤さんが振り返って見たフラワーホームの正面玄関

杖をついた浮浪者

自由の身になれたとはいうものの、体力的に衰弱した中、所持品も着替えもなく、仕事も生活の宛ても無く、かつての知り合いがどこにいるかも分からない中で、一体これからどうやって生きていったらいいのかという不安が襲ってきました。

そして、渋谷の統一教会本部教会以外、荻窪近辺の統一教会の場所が分からなかったため、私は歩いて本部教会に向かいました。

 青梅街道を新宿方面へと向かうと、途中交番があったため、電車代を借りようとしました。
ところが、この時、破れたセーターにジャージに革靴というみすぼらしい服装の上、脱水症状気味のためガラガラ声しか出ず、しかも事態を要領よく説明できずに金策を申し入れたためか、浮浪者と間違えられたようで、「規定を満たさない」と言われ、断られてしまいました。

しかたなく、警官から渋谷方面への道順を教えて貰い、再び歩き始めました。荻窪フラワーホーム804号室では、食事制裁を受ける中、常に空腹状態で苦しいながらも、運動不足を解消するため、一日15分は簡単な運動をしていましたが、このことが幸いしてか、しばらくは歩くことができました。

ところが、青梅街道から中野坂上の交差点を右折して山手通りに入り、渋谷区に入った辺りから、両膝の下が急に痛くなり始めました。更に初台の辺りまで来ると、膝ががくがくしてきたため、前屈みになり膝に手を添えて歩くようにしました。

 しばらく進むと道端に木の棒が落ちていたのでこれを杖の代わりにし、非常にゆっくりとしたペースで少しづつ前進しました。マンションを出て4時間くらいかけて漸く渋谷区松濤2丁目の交差点まで来ましたが、遂に膝の激痛のため一歩も歩けなくなってしまいました。



膝の包帯は激痛を緩和するために処置されたもの?写真をクリックすれば拡大します。

しかも夜になり道も分からなくなってしまいました。
通行人に統一教会本部への道順を尋ねたところ、2人目に声を掛けた通行人がたまたま帰宅途中の統一教会信者であったため、道順を教えて貰いました。「歩いても行ける距離」とのことでしたが、もはや歩行困難であったため、タクシーを拾って貰い、タクシー代として千円を出して貰って何とか本部教会に辿り着きました。


緊急入院


 本部教会で夜間受付の男性に事情を説明したところ、12年間監禁されていたという話をにわかに信じて貰うことができず、最初は不審者と間違われ相手にして貰えませんでした。

しかしその人が、拉致監禁問題に詳しい人に電話で連絡をとったところ、確かに「後藤」という男性信者が長期監禁されているという情報を高澤牧師の監禁から逃げ帰った信者が伝えてくれたことがあるということで、信じて貰うことができ、建物の中に入れて貰うことができました。(注3)

 本部で夕食を出して貰い、この日は1階の奥にある和室で泊めて貰うことになりました。

ところが、就寝する頃、トイレに行こうとしても這ってしか行けず、トイレまで行っても用を足せない状態になっていました。

このため、「何かあったらいけない」ということで、夜中の0時頃に教会本部からタクシーで豊島区北大塚の一心病院まで送って貰いました。

一心病院で夜間診療を受けたところ、栄養失調と診断されました。また、歩行不能であったため、私は同病院に緊急入院しました。

(注1)後日のことになるが、後藤さんの告訴を受けて、2人の刑事が私のところに任意の事情聴取にやってきたことがある。そのときに、聞いた話では後藤さんの家族は12年間余りに1億円を使ったということだった。
 年平均すれば1年間に800万円。少々多いように思われたが、
支出は3つのマンションの敷金・礼金、家具などの初期費用、家賃(荻窪のマンションは推定月15万円)、3回の移送費、5人の生活費、無人状態の実家の税金、ままた国保・年金などの社会保険費、支払われたのかは不明だが、松永牧師、宮村氏、また協力した元信者への謝礼金などなど、
収入は兄の給料、母親の年金
──と考えていくと、妥当な金額かもしれない。

(注2)私がフラワーホームを見学した2月14日にはGOTOの紙片は剥がされていた。


(注3)逃げ帰った信者とは富澤裕子さんのこと。そして「拉致監禁問題に詳しい人」とは本部職員の太田広報部長のことだと思われる。
 おそらく、宮村峻氏が富澤さんを脱会説得に出向いたときに、神戸真教会の高澤牧師に「しぶとい奴がいる。もう3年間になる」とでもぼやき、それを高澤氏が富澤さんにしゃべったのではないかと思われる。「「後藤陳述書(8)」の注4を参照。
 自慢したいのか単なるおしゃべりなのかよくわからないが、高澤氏は監禁下の信者にどういうわけか実に様々なことを話している。「我らの不快な隣人」の第9章の一部は、高澤氏から話を聞かされた複数の信者の証言がもとになっている。


後藤陳述書をアップしたあと、陳述書の補完として高澤牧師?宮村峻氏?富澤裕子氏?後藤徹氏の関係について書くつもりです。


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コメント

出た!

後藤さんが残ってる力を振り絞って前進する様子が目に浮かび、読みながら「がんばれ、がんばれ」と力が入ってしまいました。

それにしてもドアひとつ挟んで出たかった外へいきなり出され、内へ入れない瞬間を乗り越えた精神力はすごいと思いました。

どういうこと

監禁継続が困難になったのが経済的理由というのが、監禁されていた側からすれば、なんとも合点がいかないのではないかと思いました。

困った時は交番で助けてくれると思っていたので、「規定を満たさない」からお金を貸してもらえないとは、どういうことかと思いました。

事件は封印されている。日本社会は狂っている。

 「12年5ヶ月ぶりに外の空気を吸う、日本人がいる。」そういうことがあるのでしょうか?どんな日本社会なんでしょうか?関係者は未だに処罰もされていない。厳重に処罰されなければなりません。

規定の話

 後藤さんが交番で交通費を借りようとしたが、「規定を満たさない」ことを理由に断られたという話。さつきさんが「どういうこと?」と首をひねっておられるようなので、書いておきます。

 私も帰りの電車賃がなく、交番から160円ほど借りようとしたことがあります。身分証の提示を求められました。フリーなので会社の社員証はなく、また免許証も持っていない。出されるとしたら、国民健康保険証かパスポートだけど、仕事場の引き出しの中。身分を証明するには電車賃を借りるしかない。規定を満たさないからノーと言われました。(交番には交通費を貸す書式がある)

 後藤さんはこのとき住所不定、身分を示すものは一切なし。後藤さんのことを保証する知人もなし。

 なぜ住所不定で身分証がないのかを警察官に理解させるのは、脱水症状でガラガラ声、杖をつきながらのふらふら状態、追放されたばかりの混乱した状態では無理だったのでしょう。
 親しい知人に後藤さんのことを話しても、驚きはするけど、目は半信半疑。12年間余りの監禁の事実を他者に理解してもらうには、至難の技だと思います。 SAKAさんではないけど、「12年5ヶ月ぶりに外の空気を吸う、日本人がいる」なんて、信じられないことですから。

普通は

12年間も監禁されていたなんて聞けば、大事件、全国ニュースにもとりあげられておかしくない。
でも世の中にはなんにも出ていない。

後藤さんの事件を絶対に闇に葬らせてはいけないですし、一日もはやく拉致監禁をなくさなければならないですね。

それにしても12年半もの監禁をされたあげくに一銭のお金も渡されずに追い出された後藤さんは、まるで映画「十戒」のモーセのようですね。冗談ではなく、後藤さんの人生は一つの奇跡といってもよいほどです。このような仕打ちをした兄、兄嫁、妹さん達は自分達の非をいまだに悟れないのでしょうか?それほど統一教会に対する憎しみが強いのかと思うと、悲しくなりますね。しかし、ある意味では彼らはそうすることでしか自分達の存在証明ができないという(拉致監禁の)被害者なのでしょう。そのような極端な憎しみを植え付けた者達こそやはり非難されるべきだと思います。


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