速報! 女子学生への「信仰の自由」侵害事件、福岡高裁も佐賀大学に損害賠償命令 

“カルト”化する大学業界の人びと(17)-福岡高裁控訴審判決

 統一教会広報局からニュースリリースが送信されてきました。
 全文を転載します。

(引用はじめ)
平成27年(2015年)4月20日
プレスリリース
報道関係者各位

宗教法人 世界基督教統一神霊協会 広報局
TEL 03-3467-3184 FAX 03-3485-0412
【問い合わせ先】統一教会広報局長 鴨野守 
World CARP JAPAN 広報渉外担当 中本和誉 

女子学生に対する信仰の自由・名誉感情の侵害につき、福岡高裁も佐賀大学に損害賠償命令

 当会信者である佐賀大学の女子学生(当時22才)とその両親が、信仰について侮辱され、棄教を迫られたと主張し、同大学(佛淵孝夫学長)と同大学准教授(当時53歳)に対し損害賠償440万円を求めた民事訴訟の判決が平成26年4月25日、佐賀地裁であり、同大学に対して、信仰の自由を侵害する不法行為であるとして損害賠償を命じる判決を下しました。
 そして、平成27年4月20日、福岡高裁(裁判長:大工強)は、佐賀地裁判決と同様に、同大学に対して合計8万8千円の損害賠償命令を言い渡しました。

1.原告らの主張

 2012年2月10日、原告の女子学生は、担当教員であった被告森善宣(よしのぶ)准教授に呼び出され、研究室に行ったところ、被告森から信仰について軽蔑・侮辱する発言を繰り返され、当会や女子学生が加入しているCARP(原理研究会)か
らの脱会を執拗に迫られました。
 さらに被告森は、両親の信仰にも言及し、統一教会の合同結婚式は「犬猫の結婚」であり、原告らの家族の生活は「犬猫の暮らし」などと侮蔑しました。
 これを受け、原告らは、信仰の自由を侵害され、名誉感情を侵害されたとして、被告森及び被告佐賀大学に対して、損害賠償を請求しました。
 なお、被告森の発言によると、被告佐賀大学は教授会で「CARPに入会した学生には脱会を指導するように」との指示をしていたことから、原告らは、本件行為は教員による学生指導であると同時に、大学の指示によるものであって、被告大
学は賠償責任を免れることはできないと主張しました。

2.被告らの主張

 被告森は、統一教会に対する意見や考えを伝えたのであり、合同結婚式についても例え話として、人間と動物の違いについて発言したに過ぎないなどと主張し、不法行為の成立を否認しました。

 また、被告佐賀大学は、被告森と同様、不法行為の成立を否認し、かつ、本件行為は、被告森の個人的な指導によるものであり、大学としては、日頃から教員が学生のプライバシーに過度に踏み込まぬように指導をし、相当の注意をしていたのであるから原告らに対して賠償の責任を負わないと主張し、大学の賠償責任を否認しました。

3.佐賀地裁の判決内容

判決は、被告佐賀大学に対して、原告の元女子学生に対しては4万4千円、原告の両親に対しては、それぞれ2万2千円の合計8万8千円の支払いを命じました。
本件は公権力の行使に当たるとし、国家賠償法が適用されると認めました。従って、本件が不法行為に該当するとしても、森准教授個人に対する責任は問われず、法的責任は被告国立大学法人佐賀大学のみが負うものとされました。
被告森准教授の原告に対する行為が不法行為に該当するか否かの認定については、信仰の自由に対する侵害及び名誉感情に対する侵害に該当するとして、不法行為の成立を認め、その損害賠償責任を被告佐賀大学が負うと判示しました。

4.福岡高裁の判決内容

国立大学法人佐賀大学に対して、国家賠償法の適用があるか否かについて、国立大学法人における教育活動は「公権力の行使」に該当するとして、これを肯定しました。
佐賀大学が主張した統一協会やその信者が起こしたとする社会問題については、それによって原告らが名誉感情を侵害されたことを減殺することはない、と判断しました。
准教授の発言を直接聞いていない両親に対する人格権の侵害についても、そのような発言の事実を認識したことで成立すると判断しました。
佐賀大学が主張した「危険への接近」の法理についても、これを否定する判断をしました。<注>
原告らが主張した准教授の発言が政教分離原則に違反するとの主張については、同原則が制度的保障であり、私人に対する関係で当然に違法と評価されるものではないとして、その主張を退けた。

5.判決の評価

 佐賀大学の責任を認めたことにおいては評価できるが、金額的評価としては低すぎると言わざるを得ない。上記4の⑤の判断については、憲法論として問題があると考えている。

6.原告のコメント

 元女子学生のコメント「佐賀大学の違法な人権侵害について高等裁判所が認めてくれたことは良かったと思います。今後、大学において信教の自由に対する侵害がなくなることを祈っています」
 両親のコメント「佐賀地裁の判決後も佐賀大学ではいまだにCARPを名指しした批判ビラが掲示されていると聞いています。高裁の判決を機にこのようなことは一切改めていただきたいと考えています」
 上告するかしないかについては、代理人と相談して決めたい。

7.関係者のコメント

鴨野守・統一教会広報局長「統一教会に対する偏見を是正する判決として評価したい。しかし、十分に統一教会の信徒の信仰が守られているとは言えない状況にあることは間違いないので、引き続き大学当局はじめ関係機関に改善を求めていきます」
中本和誉・CARP広報渉外担当「今年の春も、中央大学、名古屋大学、長崎大学など多数の大学においてCARPと統一教会を批判するビラが配布され、オリエンテーションが行われたことはまことに残念です。このような事態が一刻も早く改められるよう、強く要請します」

(引用終わり)

<注>【危険への接近の法理】
<自ら「危険」に接近してきた者が危険を知っていたり不注意で危険を知らなかった場合には、差止め請求や損害賠償を認めなかったり、損害賠償を減額させたりすることがある。これを「危険への接近」の法理という。
 基地や空港周辺の土地での騒音公害訴訟やその裁判の判決ではこの法理がたびたび見られるが、この法理で被害者が不利な立場に追いやられているという意見もある。
 専門家の常識的な見解は以下のようなものである。
「後から引っ越してきたものが何も言う権利がないわけではない。危険があまりにひどい場合通常の設備まで改善請求はできる。簡単な改造で可能なものを放置している場合にも改善請求ができる。ケースごとに判断されること、実現可能な改善方法を提示して要求することが必要」
 このコメントは豚を飼育している農家の近くに引っ越してきた住民が豚小屋の悪臭被害を訴えたケースであるが、基地と民間空港と豚小屋に共通した基本の論理がいわゆる「法理」だと思う>
 出典は「池上技術士事務所のブログ」

決文を読んでいないので安易な評価はできないのだが、私が疑問に感じるのは教団が疑念を呈しているのと同じで、「原告らが主張した准教授の発言が政教分離原則に違反するとの主張については、同原則が制度的保障であり、私人に対する関係で当然に違法と評価されるものではないとして、その主張を退けた」という部分である。
 政教分離の原則を制度的保障としてしまうのは、この原則を狭い枠組みの中に押し込めることになりはしないのか-と感じるからだ。
 確かに、 政教分離の原則は軍国主義時代の反省のもとに打ち立てられたものゆえ、制度的保障という意味は理解できる。
 だが、こういう場合はどうだろう。
「今年の春も、中央大学、名古屋大学、長崎大学など多数の大学においてCARPと統一教会への理解を促すビラが配布され、オリエンテーションが行われた」場合である。
 当然、世論は政教分離の原則に反する-で、一色になるはずだ。

山口貴士弁護士

 それにしても、佐賀大学代理人の山口貴士弁護士さん(全国弁連所属、日本脱カルト協会理事)、ご苦労さまでありました。連敗続きのようですが、リポビタンでも飲んで、頑張ってくださいね。クスッ
 あっそうそう。カルト新聞のエイト(田中清史)さん、損害賠償金が低いことをもって、佐賀大学の勝訴だなんて、トンチンカンなこと書かないでね。クスッ
 ただでさえ、カルト新聞の質が低下していると言われているんだから。【必読記事】<「週刊実話」後藤徹氏 直撃インタビュー(2):旧態依然の 「カルト新聞」 藤倉善郎氏>

 なお、最近このブログを読まれるようになった方は、この事件の概要がわからないと思います。ブログの右サイトのカテゴリー「“カルト”化する大学業界の人びと」をクリックして、読んでいただければ理解できます。


<追記:4月25日朝>「危険への接近の法理」について、Yoshi Fujiwaraさんが「佐賀大学『信仰の自由』裁判: 被告主張 『危険への接近』の法理 は通用せず」でわかりやすく解説しています。ご一読を。


逆転敗訴とならなくて良かったと思われた方は
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コメント

危険への接近の法理

米本さん、

プレスリリースの紹介、ありがとうございます。「危険への接近の法理」について、米本さん、説明して下さいましたが、それでも、私よく理解できず、ちょっと調べてみました。

その結果を、私のブログで記事にしてアップいたしました。

しかし、拉致監禁問題を扱うようになってから、いろんな事を学び、人生に幅が出てくるようです。

★福岡高裁も佐賀大に賠償命令 - カープに入ったあなたが悪い(危険への接近の法理)通用せず
http://humanrightslink.seesaa.net/article/417603159.html

この教授は

この元女子学生のご両親の知人の者です。
被告森善宣はこの元女子学生に気があったらしくセクハラメールにストーカー行為にと自分の下半身の欲望を丸出しだったみたいです。
それにこの元女子学生がなびかなかったので、一転、宗教弾圧、改宗攻撃に転じのです。
いわば振られた嫌がらせという実にアホで幼稚な低俗バカタレなんです。
だから、動機は純粋な宗教弾圧でも改宗運動なんかでは全くないんです。
聞くところによるとこの准教授はこの元女子学生だけではなく、何人もの女子学生に同じような事をしているみたいです。勿論、この准教授は独身のいいオッサンです。

Re: 危険への接近の法理

 わかりやすい解説、ありがとうございました。
 本文に追記として紹介しておきました。

Re:この教授は

>だから、動機は純粋な宗教弾圧でも改宗運動なんかでは全くないんです。

 この指摘は正確ではありません。

 森善宣准教授が女子学生に好意を抱いていたのは事実です。女子学生をCARPから脱会させ、結婚したいと考えていました。

 このことは、カテゴリー「“カルト”化する大学業界の人びと」の過去の記事で書いています。

 女子学生はセクハラのことについては触れたくないことを希望しています。それゆえ、セクハラのことについては触れないでください。
 よろしくお願いいたします。

変なのぉ

 確か、米本さんには「相対しない」という日本公文が流れていたよね。

件名:米本和広氏のブログに対する教会の対応について
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-538.html

 それなのに、ニュースリリースが送られてくるなんて、変なのぉ。

守られるべき個別の信仰

>それにしても、佐賀大学代理人の山口貴士弁護士さん(全国弁連所属、日本脱カルト協会理事)、ご苦労さまでありました。連敗続きのようですが、リポビタンでも飲んで、頑張ってくださいね。


 CARPのメンバーであった佐賀大学の元女子学生が原告となり、同大学と同大学准教授を「信仰の自由」侵害で訴えた裁判が福岡高裁においても勝訴となったことは、順当であるし、憲法の精神は守られたと言うべきでしょう。
 最近においては石橋正人さんが親族らによって拉致監禁されたことが明らかでありながら、千葉県警が行方不明届けさえ受理しない異常な状態であることを知らされましたし、信教の自由を国家権力が厳格に守ることができない現実を思い知り、失望も味わわされていました。
 しかし、一方で裁判所は立派に機能しているようです。
 結局、佐賀大学の問題に関しては信教の自由を認める日本の憲法に則った判決を福岡高等裁判所が下したのであり、正義は守られたと高く評価すべきと思います。

 信教の自由を守ることを正義と捉えれば、被告側は正義に反し、罪を犯したことになるのですが、裁判の勝敗の観点からみると被告側の弁護人は敗北したことになり、普通に考えれば勝ち目のない裁判を受け持った被告側の弁護士にも同情心が湧くことにもなるのですが、米本さんがアップしたキツネ目・山口貴志弁護士の写真を見ると、何故かそのような思いが一気に失せてしまいます。
 多分、以前この裁判を扱った記事に書かれていた、山貴弁護士の理解し難い詭弁が強く印象に残っていたせいだと思います。
 上の米本さんの言葉には笑いがこみ上げてきますが、あまりにも‘カルト脳’状態であった彼の発言を思い起こすと、心のどこかで「ざまー見ろ」と囁く邪心の声が聞こえてきて、申し訳なくも その爽快感を抑えようもありませんでした。

 原告のCARPメンバーであった元女子学生の訴えが認められたことはとても喜ばしいのですが、記事に掲載された鴨野守・統一教会広報局長のコメントには やや違和感を覚えました。
>「統一教会に対する偏見を是正する判決として評価したい。しかし、十分に統一教会の信徒の信仰が守られているとは言えない状況にあることは間違いないので、引き続き大学当局はじめ関係機関に改善を求めていきます」

 裁判所が佐賀大学や同大学准教授の行なった憲法違反の行為を断罪したからとて、何故それが「統一教会に対する偏見を是正する判決」と言えるのかまったく理解できません。
 統一教会の違法行為はその個別の事案において裁かれるべき、というのが裁判所の見解に違いないし、この‘信教の自由’の問題を争う裁判が「統一教会に対する偏見」云々などと統一教会の是非を問う裁判のように考えたとしたら、まったくの的外れとしか言いようがありません。
 米本さんは、以前の記事で鴨野守氏を人望があるように書かれていたと思いますが、やはり問題の多い統一教会の局長に過ぎない‘カルト脳’の持ち主としか、その言葉からは感じられません。
 結局は‘カルト宗教信者’も‘反カルト弁護士’もさほど変わらないことになってしまうのです。
 やはり、統一教会幹部では憲法の精神はなかなか理解することができないのかもしれません。

 そして、それはその後に続く「十分に統一教会の信徒の信仰が守られているとは言えない状況にある」との言葉にも表れており、宗教団体を代表しての広報局長が「…信仰の自由が守られているとは言えない状況にある」というような正しい言葉を使えなかったのは残念です。
 「統一教会の信徒の信仰が守られている…」という言い方ですと、統一教会の信仰が決して批判されてはならないというような印象を与えてしまいます。
 しかし‘信教の自由’とはそのようなものではなく、日本においては‘公共の福祉に反しない限り’誰に対しても個人の‘信教の自由’は保障されているということであって、‘政教分離’されるべき公共機関においては宗教の差別を行なってはならないということなのです。
 公共機関に属する立場でない者が、事実に基づいた宗教批判ができないなどということがあろうはずがないのです。
 一般人が統一教会批判をしたとしても、拉致監禁のような犯罪行為を行わない限り、事実に即していれば、それは当然許されることなのです。
 
 信教の自由を尊重する精神は本来‘統一思想’と密接な関係にありますが、最近の韓国を中心として統一教会が行う根拠曖昧な‘分派’の批判と組織からの排除は、その‘統一思想’との乖離を物語っており、統一教会幹部が信教の自由を口にする資格があるかどうか甚だ疑問です。
 そのような排他的な組織中心主義は李氏朝鮮時代からの韓国の伝統によるものですが、現在、統一教会員が過剰な攻撃から守ってもらえる頼りとなる憲法を生み出したのは、そのような過去の遺物のような朝鮮文化ではなく、発達した時代の人間尊重の文化であるのです。
 統一教会員は今回の裁判を通して、そのことを知るべきです。

Re:守られるべき個別の信仰

神々の黄昏さん
そうそう、私もそれが言いたかったんですよ(・ω・)ノ

>大学当局はじめ関係機関に改善を求めていきます
( ´∀`)オマエラモナー

ユニークで貴重な米本さん

宗教批判、カルト批判の立場にあっても、信教の自由は守るべきだとされる米本さんは、本当にユニークで貴重な方だと思います。そこに、普遍的な人間のあり方みたいなものを感じます。

ユニークというよりも

言論人として、しごく当然なのだと感じます。基本的人権の侵害を許さないという姿勢がありありと伺えます。

統一教会本部は色眼鏡で米本さんを見るので、「米本氏は三男派」とか、ばかみたいな公文を出します。有田氏も色眼鏡で見るから、「米本氏は統一教会御用ライター」と言います。

地の塩さんも色眼鏡で見ているから「宗教批判、カルト批判の立場」と言います。米本さんは宗教を批判していないです。信教の自由を尊重しています。

カルト批判については、カルトの定義自体が曖昧なので判断が難しいですが、「いわゆるカルトと呼ばれる団体(それがカルトかどうかも分からない団体)」を批判しているわけではなく、「基本的人権を侵害するところのカルト性」を批判していると思います。

最近ではこのブログで江口氏のことを批判して、正直私も最初は「なんで?」と感じました。「組織の内部情報を漏えいしている人間を、組織が調べて何が悪いの?」という感じです。私のこういう発想そのものが、知らぬ間に色眼鏡だったと反省しました。やはり、A氏などのように、江口氏の言動によって不当解雇されたりという基本的人権の侵害があるから、取材して批判していたわけです。

高額エンドレス献金を批判するのも、そういう観点です。どれだけの家族が人権侵害されているかは、食口であればいくつも事例を知っているでしょう。統一教会員の拉致監禁についても、しかりです。

色眼鏡を外して見れば、米本さんのやっておられることは終始一貫していることが良く分かります。基本的人権を侵害する者を叩くということです。

Re: ユニークで貴重な米本さん

上のコメントは米本さんを讃美するために書いたというよりも、宗教を信じる者としての反省から書いたものだといった方が正しいです。それで、ここでもう一言。

我が教会が未だにカルト的な要素を持っていて、それについて他人から批判されたら、その批判を受け入れて改善すればいいわけですが、批判を受け入れることができる自分になっているかと反省せざるを得ません。批判を受容できなければ、いくら宗教を信じていても、宗教故にとんでもなく驕慢な、駄目な人間になってしまう恐れがあります。ならば、かえって無宗教である方がはるかに良かったということになります。ご自分を無宗教といわれる米本さんは、このブログの記事からも見られるように、カルト的な人達の信教の自由までも尊重し守ろうとして下さっていますが、それは本当に驚きです。宗教を信じるこの自分も、そのように他人の信教の自由までも尊重できる人間になっているかどうか。それは自分がカルト的なレベルを卒業しているか否かにかかっているのだと思います。本当の宗教というものがあれば、それに到達するまでは未だに遠い道程があるような気がします。

追記ですが、米本さんのカルト批判に関するさいぞうさんのコメントに対して。

>「いわゆるカルトと呼ばれる団体(それがカルトかどうかも分からない団体)」を批判しているわけではなく、「基本的人権を侵害するところのカルト性」を批判していると思います。

>やはり、A氏などのように、江口氏の言動によって不当解雇されたりという基本的人権の侵害があるから、取材して批判していたわけです。

>高額エンドレス献金を批判するのも、そういう観点です。どれだけの家族が人権侵害されているかは、食口であればいくつも事例を知っているでしょう。統一教会員の拉致監禁についても、しかりです。

といわれましたが、実にその通りです。明快なコメント有難うございます。

ただ、米本さんが 「ユニーク」 な方だと私がいった理由は、普通、カルト性のある宗教に対しては、その信教の自由は認めたくないという人が多いではないですか。そのためです。

Re: Re:ユニークで貴重な米本さん

 私への人物評価が話題となるのは面はゆいのですが、一言。

>米本さんが 「ユニーク」 な方だと私がいった理由は、普通、カルト性のある宗教に対しては、その信教の自由は認めたくないという人が多いではないですか。そのためです。

「国境なき人権」の方から、こう言われたことがあります。
「欧米でも反カルトの立場に立つ記者で、反カルト陣営の問題点を批判する人は皆無です」

 私が“カルト”にも“反カルト”にも、すなわち是々非々の立場に立つまでには、相当な葛藤がありました。最初から、人権の視点から“カルト”にも“反カルト”にも批判的な眼で見るようになったわけではありません。

 そのことは拙著『我らの不快な隣人』のあとがきに正直に吐露しています。
「是々非々」の立場を獲得するまでには相当な苦悩がありました。

 最近では、反統一陣営からの誹謗中傷は聞かれなくなったけど、統一陣営からはすごいですよね。郭グループ派だというアホみたいなレッテルが。
 完膚無きまでに粉砕してやろうと考えています。応援のほど、よろしくお願いいたします。

 次の記事を更新したいのですが、文7さんの祝福式の模様がまだ入ってきません(泣

「危険への接近」の法理

 Yoshi Fujiwaraさんが、判決文をもとに「危険への接近」について、新たに記事をアップしました。
<佐賀大学「信仰の自由」裁判: 被告主張 「危険への接近」 の法理 は通用せず>
http://humanrightslink.seesaa.net/article/417799938.html#more

 勉強になります。ご一読ください。

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