後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(11)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)
(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)
(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青色が今回アップしたところです。


5・第2回目の監禁
(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)

 2006年4月、私が家族にノートを持ってくるよう要求したところ、兄嫁及び妹がこれを拒否し、またしても激しい言い争いになりました。そこで私は、今度は以前にもまして長期のハンガーストライキを決行しない限り監禁から解放されることはないと思い、3回目のハンガーストライキを30日間決行しました。(注)42歳

すると家族等も私の反抗的な態度に激怒し、私がハンガーストライキの終了を宣言しても丸一日、重湯等の食事を出しませんでした。


飢餓による恐怖心と屈従


 私は飢餓状態で体がフラフラであったため、「殺す気か!」と言って抗議しましたが、家族は
「お前は何を言っているんだ。そっちで勝手に断食しておいて勝手に食事を出せとは何事だ!」
「馬鹿じゃないのか!」
「死ぬまでヤレ!」

 と言って頑として食事を出しませんでした。

 このため私は、「このままでは本当に殺される」と思い、大変な恐怖心に襲われました。
 そこでしかたなく、平身低頭して食事を出すよう頼まざるを得ませんでした。

 私が頼み込んだ末、家族はようやく翌日から重湯少々とポカリスエットを薄めたものを出すようになりました。但し、ポカリスエットは1日に500CCを2回のみでした。

しかも妹は、機嫌が悪いときは、ポカリスエットを支給する時間を数十分遅らせました。わずか数十分の遅れですが、この仕打ちは飢餓状態だった私の身体にはとてもきつく、私は家族のいいなりになりました。

 最初に重湯が出された日の朝、私が他の家族の食事が見えない位置に座って重湯を飲もうとすると、兄嫁はテーブルの上をバンと叩き、私に対し「ここに座りなさい!」と言って食卓全体が良く見える位置に座るよう強要しました。

 私は、再度重湯を出さないことによる虐待を受けることを恐れ、兄嫁の横暴な要求にも関わらず、指示された位置に座らざるを得ませんでした。
 こうして兄嫁は、ただでさえ飢餓状態にある私に彼らの食事を見せつけ、更なる精神的苦痛を与えました。この時の屈辱は、忘れることができません。


生米で飢えをしのぐ


 このような流動食のみの食事は70日間にも亘って続けられ、固形食は出されませんでした。
流動食では何も食べていないのと同じで、30日間ハンガーストライキをした後、引き続き70日間に亘って断食を強要されたのと同じことになりました。

 このため体は痩せこけ、餓死寸前の人のようになりました。

 体力的には最もきつい状態が続きました。これでは身体が持たないため、私は家族等の目を盗んでは、炊飯前の水に浸してある生米を少しづつ抜き取って食べ、餓死を免れました。私は家族等がここまでやるとは本当に予想外でした。



私は、監禁中に読んだ新聞のコラムで、かつて1980年代にアイルランドの反政府勢力(IRA)の20代の若者達が、40日間ないし70日間のハンガーストライキによって複数死んだことが取り上げられていたのを読んだことがあったため、自分も30日間のハンガーストライキ後、流動食しか出されない状態がこのまま続いたのでは生命の危機に瀕するのではないかと危惧し、同年7月上旬頃、食事を戻すよう頼み込みました。

これに対し、兄嫁はこれを拒みました。

しかし兄は、このまま私が死んだ場合、殺人罪に問われることを恐れたのか、他の家族に対し、
「もうそろそろ食事を元に戻してもいいのではないか」
と提言しました。これを聞いた兄嫁は
「えー、信じられない!」
と言って憮然とした表情でいかにも残念そうに言いました。

このやり取りを見て、兄嫁が私を本気で廃人にしようとしていたことが分かりました。


 食事を元に戻すといっても、最初の4ヶ月間は、重湯が三部粥に、三部粥が七部粥にと徐々に変化し、普通のご飯等が出るようになったのは4ヶ月経ってからでした。

 しかもその後も、
朝はパン1枚に飲物1杯、
昼はご飯1杯、味噌汁1杯、のり4枚、漬け物と小魚少々、梅干し等、
夜は、ご飯1杯、味噌汁1杯、漬け物、小エビ、納豆

といった粗末な食事しか出されず、その期間が最後まで続き、その精神的・肉体的苦痛は過酷を極めました。

 他の家族は通常通り普通食を食べていました。
 しかも兄嫁は、私にだけ出されている粗末な食事を指して、「ものすごく豪華な食事だ」などとあべこべなことを言い、私を人間扱いしませんでした。





不機嫌な日々


 同年9月、安倍政権誕生がニュースで報じられていた頃、部屋の掃除をしていた妹が、私がビデオデッキで使用していたビデオテープをいきなり取り上げて持って行こうとしました。

 私がこれを奪い返そうとしたところ、妹と揉み合いになり、ビデオテープは妹によって破壊されてしまいました。

 また、妹との揉み合いの最中、兄嫁が部屋に入ってきて、テレビのアンテナケーブルを取り上げてしまいました。
 私は体力的に妹1人に対しても全く太刀打ちできなかったため、兄嫁がテレビのアンテナケーブルを持って行くことに対しては、これを阻止する気力すら湧いてきませんでした。

この日以来、再度私はテレビもビデオも見ることができなくなってしまい更なる精神的苦痛を受けました。妹は、804号室での監禁年数がかさむに連れて、私をぞんざいに扱うようになっていましたが、兄嫁と妹は、私がテレビを見ているのがとても気に入らなかったようです。


 また、ある日、兄嫁が私の書籍を勝手に部屋から持ち出そうとしました。
 そこで、返して貰おうとして玄関前の部屋まで行ったところ、兄嫁から「こっちに来ないでよ」と激しい口調で言われ、アコーディオンのカーテンを越えて玄関前の部屋に入ることを禁止されました。(注)「後藤氏が監禁されていたマンションの構造」を参照

 当時は更に貧しい食事による食事制裁を加えられることに対する恐怖感があったため、兄嫁の言いなりになるしかありませんでした。
 

(注)読者に注意を促しておきたいのは、後藤さんが餓死寸前になったのは06年の夏頃、掲載した写真はそれから1年半後の08年2月時点のものである。
 刑務所の食事より粗末な食事を摂ったことにより、写真の姿までに回復した、ということなのである。

(見方を変えれば、写真の程度にしか回復しなかった、という言い方もできようか。なぜなら、監禁解放後は1年にして70キロの体重になったのだから。「ニュース(3)」)を参照)

 とまれ、どうか想像力をもって、写真をアップして、しばし眺めて欲しい。

 栄養失調は肝臓や呼吸器系の疾患を招き、ときに死に至る。もし、兄が元の食事に戻すことを提案していなければ、後藤さんは死亡していたかもしれない。
 「栄養失調になると」を読めば、後藤さんに廃人の二文字が浮かんだり、「生命の危機」を感じたりしたのは、ごく自然なことであった。パパイヤさんのコメントを参照。

 もし、後藤さんが死亡した場合、家族はどのように処理をしたのだろうか・・・考えたくもないことを、つい想像してしまいます。パパイヤさんの別のコメント(2つのコメントがありますが、新聞がリンクされているコメント)の末尾の部分を参照してください。

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コメント

もしかして本当に?

パパイヤです。今回の項目は衝撃的でした。また、コメントのご紹介までいただきましたが、もしかしたら本当に「死亡?!」にまで至り水面下に隠されている人がいるのではないかとさえ疑ってしまいます。後藤さんに起きた時系列の事実を並べただけですが、これはかなり衝撃的な事件です。カルト、反カルトは宗教の物差しだと思うのですが、その宗教には恐らく『殺してはならない』という殺人否定の教えがあるはずで、その歯止めがなければ短絡的な近親憎悪の尊属殺人さえあったかもしれないとさえ思います。でも歯止めとなる宗教故にスローナイフな長期間のじわじわとした虐待が続く、ある意味これはとてもむごい人権侵害です。閉じ込めて食い物で調教するような動物扱い、奴隷扱いです。

兄嫁は残酷です。 しかし、われわれの奥底にはそんな残酷な心が巣くっているのもわかります。それが怖いし、おそろしいし、忌み嫌うので、私は教会員なんです。善を行なおうとする心、悪を行なおうとする心の管理が出来ない状態にまでなっていたのですね。
 兄嫁はそんなことをしていても、「自分が悪い」とは微塵も思っていなかったと思います。恐ろしいことです。法で裁いていただきたいですが、結局のところ本人が悟らねばならないことです。
 後藤さんの忍耐力と精神力には脱帽以上の敬意を表します。

私も断食の体験があります

後藤さんの場合、1回目21日、2回目21日、3回目30日の抗議のハンストにでたわけであります。読んでいてよくぞ死なないでいたと...私の、断食体験とは、統一教会にいたころ、確か1984年7月(詳しい日にちは、忘れました)成約断食と称して祝福を受ける条件の一環で7日間行いました。水は、飲めますが歯磨き等の固形物は口にしてはならないと、言う条件で行いました。体重は、7キロ落ちました。途中で胃が痛くなりました。一番きつかったのは、階段の上りでした。手すりにつかまりやっとこさでした。当時、配置薬の仕事で薬箱たがえて営業でしたから、特にマンションの階段は、つらく 踊り場で寝てました。コラムを読んでいてその時の事を思い出しました。後藤さんに比べたら自分なんて...

反牧は、異常?統一教会も

カルトからの救いと称して?「拉致監禁」を「保護説得」などと聞こえのいい言葉に変え実に巧妙で悪質!!
罪の重さを比較すれば反牧は、統一教会の度を越えて異常!!非人道的!!
統一教会は相手の意思を無視し無理やり脅して献金をさせた?幹部に問題がサリンや殺人など犯していません。
「拉致監禁」も当然のこと・・しません。
騙されたと捉えた人と文師によって救われたと感謝した人達がいたことも事実(再臨と確信し)
後藤さんは、末端の純粋な信者で罪人は、統一教会の詐欺幹部ですよ!!
それを越えた極悪人が反牧です。自分の利益と信者獲得の為?高額謝礼金目当て神もイエスも呆れ嘆いていることでしょう。

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