文亨進牧師の説教「血統の秘密」
文亨進牧師のラジカルな説教(11)
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「文亨進世界会長が2年間の沈黙を破る」 (4月17日)、「速報! 女子学生への「信仰の自由」侵害事件、福岡高裁も佐賀大学に損害賠償命令 」(4月20日)、「亨進祝福に参加するな-公文は金バルコムの私怨文だった」(4月23日)。
未読の記事があれば、どうぞお目通しを。
ラジカル説教の第1弾「沈黙を破って」と同じ日(1月18日)に、韓国語でなされたスピーチ「血統の秘密」の字幕の書き起こし文です。信仰的内容が多いのですが、「沈黙を破って」の説教を思い出しながら読んでいただけたら、説教の背景が理解できると思います。
シックの皆さん、こんにちは。
今日はこのように、映像を通してお会い出来て、本当にうれしいです。
いつまた皆さん一人一人とお会いできるか分かりませんが、共に神のみ言葉を研究して掘り下げて行きたいと思います。
今日のみ言葉のタイトルは、「血統の秘密」です。
先週も申し上げましたが、私たちはこの地に来て、お父様とイエス様が一つであることを確実に感じました。
神様は特に、キリスト教の兄弟姉妹と交わる多くの機会を下さいました。
神様は、イエス様の体を通してメシアとして降臨された当時には、この地上におられましたが、イエス様が再臨される時、再臨の主が降臨される時には、それと全く同じ神様が地上におられる事実を、確実にご理解いただきたいと思います。
今日は、そのような内容を基に語ろうと思います。
理解しにくい文鮮明
私たちはお父様に侍って回り、特に最後2年は、最後まで侍らせていただける恩恵を授かりました。
もちろんその後には、狂った、とうてい言葉では表現出来ない内容が多くありましたが、それでも、あの2年の間、お父様に侍る事が出来たこと自体、どれほど大きな福だったかを今にして分かるようになりました。
私は様々な環境において、数々の聖人と宗教を研究して来ましたがお父様に侍る時には、本当に理解しにくい多くの内容を見ました。
しかし、聖書を読み、イエス様が12弟子と共に生活し牧会した様子を見ると、全く同じような内容を発見します。
イエス様も、今日はカファルナウム! 今度はガリラヤ! そして、その次にはまた他の地に行かれました。
付いて回る弟子たちは、その日その日の日程を知らないまま、「今日はどんな事をされるのだろうか」と思いながら、ただイエス様に絶対信仰、愛、服従しながら、付いて回りました。
私たちもお父様に侍りながら、そのような生活をしました。「本当に神様は、イエス様の時と同じように行動されるのだな」と思いました。
聖書を知らないシック達
事実、私たちの教会の問題は、聖書を知らないところにあります。
聖書についてお父様は「40才になるまでに、聖書がぼろぼろになるまで読んだ。皆さんがその様子を見れば、涙を流すだろう」と何千回も言われました。
私たちの2世、3世。統一教会の若いシックは聖書を全く知りません。何も知りません。原理が引用する聖書を知っているだけで、聖書を直接読みません。
キリスト教徒に出会うと、彼らの方が聖書をよく知っていることを感じて恐れるのです。これが現実です。
しかし、お父様の生涯路程を見ると、聖書は完全に中心でした。お父様は、聖書の基盤の上に原理を明かし、世界基督教統一神霊協会を設立されました。
全てが、神様のみ言葉を基盤として成されました。
私たちは、それを今一度求めてこそ、お父様がいろいろなことを何故成されたのかを理解できると思います。(アジュ)
ローマ軍・百人隊長の絶対信仰
それで今日は、「血統の秘密」に関して求めますが、マタイ伝8章5節から13節を読んで見ましょう。
(李妍雅祝師長)
5 さて、イエスがカファルナウムに入られると、一人の百人隊長が近づいて来て懇願し、
6 「主よ、わたしの僕が中風で家に寝込んで、ひどく苦しんでいます」と言った。
7 そこでイエスは、「わたしが行って、いやしてあげよう」と言われた。
8 すると、百人隊長は答えた。「主よ、わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。
(文亨進世界会長)
「お迎えできるような者ではありません」
(李妍雅祝師長)
ただ、ひと言おっしゃってください。
(文亨進世界会長)
さあ、そこで止めてください。この言葉は何を意味しますか。ヘブライ語の内容を見ましょう。
韓国語では、「お迎えするに耐えられません」と訳されていますが、ヘブライ語の意味を確認しながら現代の韓国語に訳すと、「私は、あなたを私の家にお迎えするほどの者ではありません」と言う意味です。
耐えられないと言うニュアンスもありますが、「あなたが、私の家に入ることをお迎えするほどの者、そのような祝福を受けるほどの者ではありません、と言う事です。
では、次に行きましょう。
(李妍雅祝師長)
ただ、ひと言おっしゃってください。そうすれば、わたしの僕はいやされます。
(文亨進世界会長)
ストップ!
「ただ、ひと言おっしゃってください」
キリストはメシア。「キリスト」とはヘブライ語で「メシア」を意味しますね。
メシアがひとこと言えば、奇跡が起こる事を皆さん、はっきり知ってください。ひと言おっしゃれば奇跡が起きます。
お父様がひと言おっしゃれば、世界が変わります。
お父様がみ言葉を下さると、歴史が変わります。
キリストがひと言おっしゃれば、そのみ言葉の能力と聖霊の力で、私たちが知っている世界と歴史が変わるのです。
では、続けましょう。
(李妍雅祝師長)
そうすれば、わたしの僕はいやされます。
9 わたしも権威の下にある者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また、部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。」
10 イエスはこれを聞いて感心し、従っていた人々に言われた。
(文亨進世界会長)
ストップ。
さあ、百人隊長が、簡単に言って、配下の兵隊に「こっち行け」と言えば行く、「こうしろ」と言えばする。自分の命令に従って動くと言ったのです。
そしてイエス様に、あなたはメシアだから、神様の息子だから、ひと言おっしゃれば、宇宙の全てが、歴史の全てが、摂理の全てが、そのみ言葉の通りに、命令の通りに動くであろう事を、自分は知っていると、申し上げたのです。
これを聞かれたイエス様は、驚かれ、従っていた人々に話されたということです。
(李妍雅祝師長)
「はっきり言っておく。イスラエルの中でさえ、わたしはこれほどの信仰を見たことがない。
11 言っておくが、いつか、東や西から大勢の人が来て、天の国でアブラハム、イサク、ヤコブと共に宴会の席に着く。
12 だが、御国の子らは、外の暗闇に追い出される。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」
13 そして、百人隊長に言われた。
「帰りなさい。あなたが信じたとおりになるように。」
ちょうどそのとき、僕の病気はいやされた。
(文亨進世界会長)
うわあ!アジュ!驚くべき癒しの役事がありました。
自己賛美の毒性文化が蔓延
0:10:16.-→0:10:28.
しかし、11節を見ると、アブラハム、イサク、ヤコブと共に天国で席に着こうとしますが、その国の本来の子孫、ギリシャ語でヒオス、子達はどうなりますか。
闇の中に追い出され、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
これが私たちの血統の秘密なのです。
私たちは血統を主から授かり、キリスト教徒はイエス様の血に覆われます。
私たちが再臨主に出会い、恩恵と恩寵を授かったのは、私たちがすばらしい人間だから、私たちが何か良いことをしたから、先祖が何かしたからではありません。
主の愛、神様が私たちを準備されたから、神様の愛がそれほどにすばらしい理由で、私たちが、そのすばらしい祝福を受けたのです。
その祝福を授かることで、私たちはサタンの血統から神様の血統に変わるという驚くべき奇跡を見ました。
私たちは、その驚くべき祝福を授かりながらも、知りませんでした。知らないまま、自分が何か良いことをしたから、修練会をちゃんと受けたから、こんな事あんな事をしたから、人の尊敬を受けているから、などと言いました。自分自身のことを賛美しました。
賛美すべきは、お父様の恩恵恩寵と神様の驚くべき愛です。
自分自身を賛美するようになったのは、人間の罪と堕落性の結果です。
それなので私たちの教会の文化はどんどんと利己的なものになりました。
私、私の利得、私の内容、私の財産、私の地位だけを追求する、完全に毒性の文化になりました。これはお父様の文化ではありません。
父母の内室
私たちはお父様に直接侍りながら、内室(父母様のプライベートな生活空間)の様子を見ました。そして二つの世界を経験しました。
一般のシックは、指導者たちが「アボニムは、これこれこんな方だ」と言う内容だけを頼りに、お父様を知るようになります。
半面、内室に入るとお父様を直にお会いします。
どのような方なのか、直接知るようになります。指導者を通してではなく、直接お会いします。
内室に入るまでは、私たちがいろんな条件を立てたから、お父様が指示された事を実行したから、私たちが教会に中で認められているから、などと考えますが、入ってみるとこれは、指導者たちが作りあげた世界だったのです。
本当の世界、指導者たちが経験する世界はどうでしょうか。
それは恩恵恩寵の愛のお父様です。もちろん、怖い部分もあり得ますよね。何故?
愛の神様は、罪を憎まなければなりません。愛の神であるなら、憎悪が必要です。
罪悪を憎悪しないといけません。
私は妻を愛するが故に、不倫とか淫乱を憎まなければいけません。愛があるなら、憎まなければいけません。
愛を壊すものを憎まなければいけません。そうでしょ?
そのようにして、指導者と真の子女たちが経験できるアボニムはどんな方でしょうか。
偶像を造り出した指導者たち
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指導者は過ちを犯しても、資産を隠匿しても、盗んでも、アボニムに詐欺を行っても、お父様の赦しを受けました。
そうでしょ? お父様に赦していただきました。
子女たちもそうです。大きく堕落したとしても、アボニムの愛と赦しの世界と恩恵恩寵、恵みの世界に出会いました。
それがお父様の現実でした。
ところが指導者たちはどうかと言うと、この現実をシックには見せませんでした。
自分たちだけでその恩恵を受ける半面で、シックたちに対しては、自分がすばらしい結果を出したから、偉いからお父様が自分を継続してお使いになるのだと言うのです。
そうして、シックがその指導者を偶像化するようにしました。そのような文化になったのです。
36家庭であろうと、72家庭であろうと、指導者であろうと、自分たちが偶像になってしまったのです。
真の家庭の子女たちも同じでした。
皆がキリストを、私たちの神様として侍るべきであることを、確実に知ってください。(アジュ)皆がです。
旧約時代にまで退化
王妃から末端の僕まで、王様は一人です。万王の王 そうでしょ?
そのような現実が、私たちの文化を最悪の文化、不正と腐敗の文化、毒性の文化にしてしまいました。
だから2世たちが、皆離れてしまったでしょう。
私たちが、お父様の恩恵恩寵の世界がシックたちには及ばないようにしたのは事実です。
シックがお父様を見るときには、恐怖の神様、権力の神様、そのような部分だけが見えました。
「一度でも過ちを犯したら、追い出す」そんな神様が見えました。
指導者たちは、そんなアボニムを経験しませんでした。
実際、指導者たちは、とんでもない失敗をしても、日本のシックの献金を全部失くしても、公金で自分の家をいくつも買っても、アボニムに行って悔い改めさえすれば、お父様はその内容を赦して下さる場面を私は見ました。
中心人物が堕落した時も、お赦しになりました。
では何故、その文化が下へと浸透しなかったでしょうか。
それは、指導者たちの責任です。
愛のアボニム、恩恵恩寵のアボニムをシックに教えるべきなのに、自分の地位を守るため、シックの尊敬を自分に集めるため、36家庭なら36家庭として、何家庭ならその家庭としての尊敬をシックから得るために、その現実、恩恵恩寵の神様の現実を教えませんでした。
これは問題です。
このような訳で、シックはアボニムを恐れました。恐怖のアボジ、旧約聖書のアボジだと考えました。
ですから私たちの文化は旧約聖書の文化に戻ってしまいました。成約時代なのに、旧約時代にまた戻ってしまいました。
「私はあなたよりも地位が高い。あなたよりも偉い。あなたは親不孝者だ」
神様の赦しはどこにあるのですか。誰一人として、神様の恩恵恩寵を受けるに値する人はいません。誰一人と赦されるべき人はいません。誰一人と。世界中で一人もいません。
なのに何故、私たちはそのような驚くべき祝福を受けたのでしょうか。
その理由は、私たちがすばらしいからでは無く、神様がすばらしいからです。
私たちの愛が広いからでは無く、神様の愛が広いからです。これを、私たちは忘れていたのです。
私たちは、授かるべき者ではありません。
イエス様が百人隊長の家に行こうとするとき、彼は、「お迎えできるような者ではありません」と認めました。
百人隊長はイエスに行き、私はあなたの恩恵恩寵を受けるべきものではありませんと、言ったのです。
亨進の反省
0:20:27.-→0:20:39.
ところで問題は、あなたたちの子孫は、天国に行っても追い出され、泣きわめいて歯ぎしりするだろう。
単に、子女であることだけで、お父様を信じるのではありません。そうでしょ?
血筋だけでは、充分でありません。血筋であることで、全てが終わるのではありません。
その血筋を下さった主を信じて、初めて終わるのです。
その方が再臨主、実体の神様であることを信じないといけません。
その方を霊的な目で見ないといけません。そうでしょ?
私たち真の家庭の子女は幼い頃、父母様がいつもシックと共におられるのを見て、不満に思いました。
「パパはどうして、私たちを愛してくれないのだろう。シックだけを愛してる」 度々、こんな思いをしました。
「何故、知らない人だけを愛するのだろう」こんなように度々不平を言いました。
しかし、率直に言って、私たちは、血統、血筋の子女でしたが、お父様を信じませんでした。「私のパパはメシアなんだ」とは、信じませんでした。率直に言って。
そのような信仰さえあったなら、神様はその信仰で引っ張っていかれたでしょう。
子女よりもシックがお父様を信じたから、シックの信仰がより強かったから、お父様はシックの心情世界に引かれたのです。
これは愛の法則です。
でも、私たちは不平不満だけを言い、「お父さんは、私たちを愛してくれない」などなど。
ハンだけが積もり、「お父さんは、私たちだけをしかる」と、言いました。
私たちが悪いのではないと、考えました。私たちに間違いがあるのかもしれないとの思いは一度もしませんでした。
お父様の愛が実体として私たちの生活に現れないのは、私たちの信仰に問題があるためとは考えず、シックだけを好まれると、お父様を責めました。
それは罪でした。私たちは、子女でしたが、多くの罪を積み上げました。
亨進の言う“罪”とは
私個人の場合、お父様のおきてを全て守りました。
淫乱の罪を犯さず純潔を守り、言われるとおりに全て行いました。
にも関わらず、世界会長になっても、後継者としてお父様に任命されても、王冠を3回も頭に乗せていただいても、「私は罪人だ」「私は罪人だ」と、いつも言い続けました。
私は2世の法則、お父様の法則を守りましたが、「わたしは罪人だ」と言いました。
何故か。傲慢でした。神様を憎みました。神様への憎悪を感じました。
神様を信じませんでした。それ全てが、罪でした。
誰か一人でも、罪の無い人がいれば、前に出て見て下さい。出て来なさい。
いないでしょう。罪の無い人はいません。
これは、私たち統一家が今一度認識すべきことです。
天のみ前においては、私たち全てが罪人です。
罪人として、これを認めないといけません。
お父様のみ前においては自慢できません。
特に今のような状況においてはそうです。自慢できません。
お父様が私たち皆を殺さないでおられることも、恩恵恩寵であることを知らないといけません。
忍び耐えるお父様の愛に、感謝しないといけません
旧約聖書には、「 もしわたしの名をもって呼ばれているわたしの民が、ひざまずいて祈り、わたしの顔を求め、悪の道を捨てて立ち帰るなら、わたしは天から耳を傾け、罪を赦し、彼らの大地をいやす」( 歴代誌下/ 7章14節)と書いてあります。すばらしいみ言葉です。
私たちも、このような状況にいるのです。
選ばれた民族であり、祝福を通して恩恵恩寵の血統を授かった私たちは、私たちのお父様を忘れてしまいました。
大きな罪です。驚くべき、とてつもなく大きい罪です。
謙虚なカナン(非原理圏)の女
百人隊長が、その状況においてイエス様にどんな内容を言ったか、既に読みました。
今度は、マタイ伝15章に行きましょう。
(李妍雅祝師長)
21イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。
22 すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。
23 しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」
24 イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
(文亨進世界会長)
ストップ。
この状況においてイエス様は、カナンの女、カナンの民族は神様を信ずることすらしません。多神教を信じ、唯一の神を信じません。
父なる神、母なる神、山の神、川の神など、多神教なのです。
唯一の神を知らないのです。多神教。
そのカナンの女、神様を信じない女がイエス様を追いかけて来て、叫ぶのです。
「主よ!ダビデの子孫よ!」 こう叫ぶ場面を想像してください。
神様も知らないのに、イエス様がおられるところに来て大騒ぎをするのです。
「私を憐れんでください。憐れんでください。私を見て下さい。どうか、私を見て下さい。見て下さい」
「しかし、イエスは何もお答えにならなかった」
私たちも、何回も見ましたね。いろんな人がお父様のところへ走って行こうとすると、「お父様!」「お父様!」と言う時、お 父様は「あっち行け」「行け」と、このようにされました。
このカナンのおばさんも、イエス様に近寄ろうとしながら、「憐れんでください」「主よ」と言っても、イエス様は「何もお答えにならなかった」 完全に無視したのです。
このカナンの女を完全に無視して、どうなったでしょうか。
24イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。
(文亨進世界会長)
ストップ。
わたしは、イスラエル民族の失われた羊だけを探すために来た。
そのほかの人、ほかの国、カナンであろうと、そのほかの民族であろうと、関係ない。
私は、その民だけを探すために来たのだと、語ろうとされました。
OK.その次。
(李妍雅祝師長)
25 しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。
(文亨進世界会長)
ストップ!
イエスにひれ伏し、言った。
0:31:15.―→0:31:20.
一度だけひれ伏したのではありません。
皆さん、こんな動作です。古代ギリシャ語で「プロスコネオ」、何回もひれ伏しながら、お願いしたのです。プロスコネオ!!
私たちは、お父様の前で敬拝する時、お父様のみ前にいる時、プロスコネオ、プロスコネオ、心情でひれ伏し、ひれ伏して、アボジ、アボジと言いながら生きて来た人がどこにいるでしょうか。
この女は、神様を信じることすら出来ない人間であるにも関わらず、主のみ前に来たときには、ひれ伏しひれ伏しながら、プロスコネオ。
「主よ、どうかお助けください」と請い求めました。深く深く、主だけを信じて求めるその心。
そしてイエス様は何と言われましたか?
(李妍雅祝師長)
26 イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、
27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
(文亨進世界会長)
ストップ!
イエス様は女に、お前は犬だ、とおっしゃったのです。おまえは犬だ、と。
「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」
パンを子供たちにあげたいのに、何故犬にあげるのか。
おまえはフンを食べる犬のような存在だ。
どうですか?イエス様は、お父様と全く同じでしょ?
そのような、とても衝撃的な侮辱を受けた女の答えはどうでしたか。
「あらまあ、この聖人が、宗教指導者がなんでこんなに私を侮辱するのかしら。私のことを犬ですって?いやよ、こんなの。私、信じないから。なによ、宗教指導者のくせに」
そうは、答えませんでした。
27 女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
あなたの食卓から落ちるパン屑でも、私は満足です。
そのパン屑を食べて、私は生きて行きます。
小さなパン屑でも私のところに落ちるなら、私は命を得るでしょう。
このような、すばらしい信仰を持っていたのです
小さな愛の屑でも投げてくださるなら、私は天を授かったかのように、感謝いたします。
父を忘れた教会
0:35:33.-→0:35:44.
私たちシックはどうでしたか? 指導者たちは?
歴史を通して全人類が待ち望んできた祝福を受けたにも関わらず、お父様の悪口を言っていたでしょう。
「お父様はひどすぎる」と。
私たちの信仰はどこへ行ったのですか。
この女が私たちに教えています。上から下までこれを。
これだからお父様の聖霊の恩恵に出会えなかったのです。お父様を消し、忘れています。
私たちは、パン屑どころか、金に輝く天国までをも授かりました。
消してしまい。忘れています。お父様を全く賛美しません。これは、とんでもなく大きな罪です。
これが教会ですか?
お父様を持ち上げることの出来ない教会。これは、大きな罪です。
パン屑一つを授かっても、この女は天国をいただいたかのように感謝する信仰を持っていました。神様も信じないのに。
そして、女はどうなりましたか?
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。
認定された兄弟、国進と亨進
血筋さえあれば、すべてが解決されたのではありません。
お父様は何故、私と国進お兄さんを、完成されたカイン・アベルとして認めて下さったでしょうか。
真の家庭の歴史で初めて、カインは弟のアベルを殺そうとしませんでした。
お父様は何故、2012年6月5日、私たちをラスベガスに呼び、4次元入籍式を宣布されましたか。
私の家庭で初めてカインとアベルが一つになった。
真の父母の仕事は完成完結完了されたと、言われました。
そうして、私たち二人を任命されました。
何故、そうされたでしょうか。
その後遠からずして、霊界に行かれました。
お父様のために。
カネのため、財産のため、地位のため、シックが「うわぁ、うわぁ、うわぁ、格好良い」と褒めてくれるようにではなく、ただひたすら、お父様の栄光のために。
どんな大金を私たちに渡そうとしても、どんな内容を私たちに受け入れさせようとしても、どんな財産を渡そうとしても、賄賂を渡そうとしても、私たち二人は、そのような誘惑に負けないことを、お父様はご存知だったのです。
お父様の伝統、み言葉、内容などを削除することに対しても、私たちは、たとえ全てを失くすことになろうと、絶対協調しないことを、ご存知だったのです。
それは、真の父母様の勝利です。
再臨のペンテコステは起こるのか?
<注>(ペンテコステ:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%86%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%86)
荒野にまで追い出され、森の中でお父様を求めて行かなければならない、この現実は、お父様の恩寵と恩恵です。
ここでは、邪悪な政治家になる必要も無い、お父様を裏切る政治家になる必要も無い、カネだけを求める政治家になる必要も無い、そのような詐欺を行う必要も無い恩寵と恩恵をいただいています。
これ以上に、ありがたい事は、ありません。
このパン屑は、私たちが立派だからではなく、お父様の愛が故に授かりました。
ですから、私たちの目の前で聖霊のいやしの役事。
「そのとき、娘の病気はいやされた」
病んでいる者はいやされた。心臓病を持った者は、いやされた。
アボジのすばらしい愛です。すばらしい愛です。
シックの皆さん、考えて見て下さい。
全世界の統一家が、再びアボジを求め、アボジを高く、より高く持ち上げるそのような心情が生じれば、どんなにすばらしい聖霊の炎を見るようになるでしょうか。
全世界が、お父様の聖霊に覆われるでしょう。
私たちは今日、マタイ伝に登場する二人の人物に関した内容を見ました。
百人隊長とカナンの女を比較すると、二人が似ている点は何でしょうか。
共通点が最も重要です。
二人とも、イエス様の愛と時間と関心を受けるほどの者ではありませんでした。
自分が主の愛を、受けるべき者でないことを、知っていました。
お父様を殺せ、と
0:42:44.―→0:42:50.
弟子たちは、傲慢でした。イエス様を信じているのは、私たちだ。
従っているのは、私たちだ。
弟子たちを見て下さい。皆、イエス様を裏切りました。
お父様が聖和されるとき、弟子たちが皆裏切ったではないですか。
お父様を殺せと。
何故、あの場で何も言えなかったのか。
それでも男なのか。想像も出来なかった内容でした。
この二人、百人隊長とカナンの女、イエス様の愛を受ける資格が無いことを知っていました。
それにも関わらず、主を求めます。主を。
百人隊長は、忙しい人です。仕事が多く、責任も思い人です。
しかし、主を求めます。
自分の人生で、イエス様を最も優先させます。
どんな仕事、どんな責任よりも、主を優先させます。
どんな地位、どんな財産よりも優先させます。
全てを失おうと、主を失うことさえなければ、全てを得ます。
二人とも、心情が破裂するかのようにして、求めました。
亨進夫妻、荒野にて
0:44:34.―→0:44:42.
私たちが初めて、ここ荒野の地に来た時は、心情が破裂するような気持ちで、一人でここに来て、熊と鹿と共に礼拝を捧げ、全世界のシックから悪口を言われ、胸が引き裂かれるような、瞬間瞬間に、全てを失いました。
何故? お父様を裏切らないから。カネを受け取らないから。
その状況の中で、お父様を求め求めました。それしかなかったから。
それしかなかったから。
お父様が下さる愛だけがありました。
考えてください。私たちが皆、そうではないですか。
あの王宮から、貧しい家まで、お父様の愛しかないでしょう。事実として。それしかないでしょう?
百人隊長とカナンの女は、あせる心で、イエス様の能力と才能を信じ、主を求めました。信じて、求めました。
この二人がギリシャ人であろうと、ユダヤ民族で無かろうと、失われた羊で無かろうと、イエス様は、ご自分をこの二人の人生に完全に投入して、救いをくださいました。
血統だけでは足りない
たとえ弟子であろうと、祝福家庭の何双であろうと、重要ではありません。
私が、この目で見ました。お父様を裏切るところを。
それが重要です。
血筋はもちろん重要ですが、それだけでは足りません。
お父様を信じるか。お父様と能力と才能と完璧さを信じるのか。
受け入れがたい事をされる時、ものすごい怒りに包まれて現れる時も、アボジを信じるのか。
試練が来た時に、カネと財産を選ぶのか、それともすべてを失おうと、主を選ぶのか。
それは、私たち皆の悔い改めの課題です。
最もひどかったことを、もし語らざるを得ないなら。
本当に、信じられない状況でした。
私たちは、血統を持ったからと言って、自慢できるのでは、ありません。
それは、私たちが立派だから授かったものではありません。
私たちには大きな罪があります。
なのに神様の愛、主の愛、再臨主の愛を受けました。
その愛を受けたから、私たちは信仰と、熱い心情、今にも破裂するような心情を持って、神様を求めて行くのです。
私たちが再び、お父様のみ顔を拝見し、そのすばらしい聖霊役事を目撃するであろうと信じます。
私が、証しします。自分の目で直接見ました。
それでは、天聖経120ページを拝読しましょう。
直系の時代と因縁を結ぶには、そのままでは結べません。必ず原理によって信仰基台を立て、実体基台を立て、メシアを迎えなければならないのです。
文鮮明を再論のメシヤと信じる亨進の祈祷
メシアは、真の息子です。アジュ!
メシアは、神様の真の息子です。アジュ、アジュ、アジュ
そして、私たちのお父様です、皆さん。
いつか全世界の統一家が、財産と内容をすべて失い、再びお父様のみ顔を求めるようになるなら、その時には、世界と、歴史と摂理のすべてが、聖霊の炎によって復活することを見るでしょう。
もし、そのような日が来るとすれば、それはお父様の手によってのみ可能です。
私たちは罪人ですので出来ませんが、アボジを切望し、アボジにしがみついて信じれば、私たちがそのようなすばらしい世界を見るであろうと信じます。そう祝願します。
共に祈りましょう。
愛に満ちた父なる神様、お父様有難うございます。
うわぁ、アボジ有難うございます。
あなたの能力と才能で、私たちを復活させて下さったことを、お父様感謝いたします。
お父様の驚くべき愛のために私たちは生まれ、あなたの息子娘として血統を授かることが出来る驚くべき愛を受けました。
それは父なる神よ、すべてあなたが原因であり、父なる神よ、あなたがすべての祝福の原因であることを父なる神よ、私たちは悟っております。
すべての人は今、無知の中に生きており、苦痛、苦悩。
アボジを離れれば、私たちは苦痛、苦悩、暗闇の中へと行くしかありません。
アボジ、私たち皆が、あの最も高い位置から下まで私たちの王を再び求めるなら、私たちの王国が再び立ち上がるであろう事を信じます。
アボジの愛と恵みによって、私たちがここまで生きて来たことを、知っています。
しかし、あなたの熱い心情と胸痛む憤怒があることも知っておりますので、アボジ、私たちは、まず何よりも悔い改め、悔い改めます。
アボジ、どうか私どもをお赦し下さい。
すべてが罪人ですのでアボジのみ前にひざまずき悔い改めます。
アボジ、すべての王宮、すべての内容、世界中のシックもひざまずいて悔い改めます。
アボジ、そのようにあなたのみ前で傲慢であることがどれほど大きな罪か、地獄にお送りにならなければならないことを知っております。
父なる神よ、私たちが生きているのは、あなたのすばらしい愛が故であることを知っております。
父なる神よ、より大きな勇気と愛をくださり、あなたを敬い尊ぶようにしてください。
あなたをより高く、高く、高く持ち上げることの出来る能力を付与してくださり、世界が私たちを冒涜し、たとえ親戚が私たちを殺そうとしたとしても、
あなたのみ名を高く、より高く、再臨の主、神様の息子、メシアとして持ち上げる私たちに成らせてください。
アボジ、信じています。
この苦痛と苦悩の中で、あなたが私たちに覆いかぶさってくださることを知っております。
すべての栄光と賛美と喜びがあなたのものであり、罪人のような私たちをお赦し下さり、今一度私たちが完全にあなただけのために生きることの出来る王国になれるよう、父なる神よ、聖霊の恵みで祝願し、祈願いたします。
すべての内容を、祝福中心家庭文亨進李妍雅家庭の名で、ご報告お知らせいたします。アジュ
父の香りがする歌を歌おう
0:55:31―→0:58:01
お父様は会議の終わり、各種集まりの終わりにはいつも、美しい歌を聞かせてくださいました。
今、この歌を歌いながら思うと、意味がどれほど深いか。主の心を表していると感じられる歌です。
皆さんと一緒に「心の自由天地」を歌います。
(歌い始める)
白金の宝石で 飾られた王冠を もらっても
土臭く、汗まみれの 麻布の上着に勝るものはない
純情の、純情の、純情の泉が湧き出る
私の若い胸の中では
好きなように 柳の枝を折って笛を吹き
私の歌(うわぁ、うわぁ、うわぁ)の調べに合わせて
スズメも(チェチェチェ)鳴く
世の中を買えるほどの 黄金をもらっても
麦畑を耕してくれるまだら牛に勝るものはない
希望の芽が吹く 私の若い胸の中では
好きなように ウサギたちと話をし
私の歌の調べに合わせて 歳月も
(歌おわり)
グッバイ!アボジ、愛してます。
-次回は「青年食口・石橋正人兄弟を見捨てようとしている日本統一教会」をアップします-
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亨進氏
アメリカでやりたいようにやったらいい。
真の家庭の内紛には興味ない。
韓国ドラマみてると、よくあること。
大塚家具の親子げんかを思い出したよ。
亨進氏を慕ってる日本食口は多い。
亨進さん、アメリカで頑張って。
でも、お母さんと会って直接話すのも
大切だと思うが。
キリスト教保守と韓国社会
『DailyNK Japan』に掲載された<キリスト教保守と韓国社会>というテーマの記事が「秀のブログ」で紹介されています。
http://hydenoshikou.kakuren-bo.com/Entry/105/
見出しだけ記せば「日本の同性婚問題にも介入」「ソウル市にも圧力」「「6と9とは●乱な!!と教会が大興奮」「洗脳と霊感商法」「終末論騒ぎで大混乱」「信者がテレビ局に乱入、放送機器を破壊」「主な韓国キリスト教事件史」「公共の電波で宣伝、国家並みの集金力」「日本国内に数十カ所の拠点」。
実にエキサイティングな記事です。
関心ある方は「秀のブログ」に投稿してください。読んでみたいです。発展性のある議論を期待しています。
そりゃあ
エンドレス献金地獄から解放され、普通のキリスト教に戻れるって。
説明を求める!
心配するなと言われても、これで心配しない食口がいたら、脳天気としか言いようがない。
何より、現在の亨進様をとやかく言う前に、お父様の聖和後に 何故 世界会長だった亨進様がアメリカの片田舎に行くことになったのか、納得できる説明をしてほしい。
一か八か 蕩減原則は真実か否か
信じ難いものを信じる境地を越えなければ、蕩減することは出来ない
↑これを信じるか否か
アボジが根っからの詐欺師で女性に手が早いく、日本人を騙して献金させるために考えた方便なのか
それとも
これが真実か
この判断は、体恤したものからしか下せないのではないのでしょうか?
故に、氏族メシアの摂理を執拗にプッシュしたと小生は思います
お母様には、何としても越えて頂かねばなりません
他の何方にあのような過酷な人生を頼めますでしょうか?
その為には、ご子女様が一つになる以外に他に道はありません
越えて下さいと誰かが言わなければなりませんが
徳野氏に出来ますか?
分派はつづくよどこまでも♪
のSubaruさんのコメント参照
米本さんは文七派にアレフやひかりの輪ような役割を期待してるのでしょうか?
聖進様を尋ねてもらえないか
私は一番初めのお子様であられる聖進様を尋ねて言って欲しいといつも願ってます。国進様と面識があるのですが、聖進様のお子様を食事に連れて行かれたことがあります。
今お二人の一体化と更には皇族のカインの子女として残された聖進様をぜひとも尋ねて行かれないかと願ってます。
享進様、お見苦しいです。
お母様と同じように余り話し過ぎない方がいいのでは………
話されれば話される程、見苦しく感じるのは私だけでしょうか?
あなたがかつてお兄様にされた事が、そのままご自身に振りかかってきている事に、気付かれないでしょうか?
今いろいろ暴露されていますが、自己正当化にしか思えないのですが……
享進様、原点に立ち返って下さい。良心に問いかけてみてください!
お父様が泣いて、嘆いていらっしゃるように思えて仕方ないのです。
統一教会組織の真実としての証言
亨進氏の思考は内観的であるため、自分の心の動きに対しても敏感に善悪を感じ取り、ひたすら‘純粋さ’‘潔癖さ’を追求しています。
文先生は亨進氏にとって実の父親であり、記事の説教にあるように、たとえ「私たちを愛してくれない」父親だったとしても平均的な家庭よりは遥かに恵まれた環境を成長期間に与えてくれていたのは確かなのです。
亨進氏が父親から充分に愛を受けられない‘不満’を抱きながらも、純粋で悪意のない性格に育ったのは、おそらく国進氏や他にも多くいた兄弟姉妹との関係が良好だった為と思われます。
国進氏は、教会関係の動画を見ても 年下の兄弟達に対する面倒見の良さが充分に伝わってきますし、その兄弟愛が亨進氏の性格に大きく影響しているのは間違いありません。
そのような純粋な性格を持った亨進氏に文先生とイエス・キリスト、そして神が重なって見えた心理は根拠があるもので、それは亨進氏の素直な思いだったに違いありません。
その為、亨進氏の信仰は文先生が再臨のメシアであるという認識を大前提としており、そこが出発点となっていて、理論、理屈を越えた強い信仰となっております。
さらに亨進氏の性格は素直であるので、説教の中にある以下の証言は疑いようもありません。
>「実際、指導者たちは、とんでもない失敗をしても、日本のシックの献金を全部失くしても、公金で自分の家をいくつも買っても、アボニムに行って悔い改めさえすれば、お父様はその内容を赦して下さる場面を私は見ました。」
統一教会において古い朝鮮文化をしっかり受け継いだ韓国人幹部達が日本人統一教会員に高額エンドレス献金を負わせ続けているのは間違いないでしょう。
その部分については亨進氏も悪い文化であると認めており、その潔癖性を求める問題意識の高さは統一教会関係の指導者としては画期的と言えます。
ただし、サンクチュアリ教会での活動が宗教的な運動としてより発展するためには文先生の神格化は超えて行かねばならない大きな課題となります。
記事の説教の中において亨進氏は 聖書の‘マタイによる福音書’に書かれた ローマ軍・百人隊長の話とカナン民族の女の話を取り上げて説教しており、それらの聖句を引用しながら‘絶対信仰’について語っています。
そして、他民族でありながらイエス・キリストに対する‘絶対信仰’を見せた百人隊長とカナンの女を最大限に評価し、「自分の人生で、イエス様を最も優先させます。」と称賛しています。
そして、百人隊長もカナンの女も自分がイエス様に願い事をできる資格がない立場であることを認めて、それでもあえてイエス様に恩恵を求めてきた姿勢こそ‘絶対信仰’であると捉えているのです。
しかし、それは明らかにロジックが破綻しており、誰でも間違いに気付いてしまいます。
百人隊長もカナンの女も決して「自分の人生で、イエス様を最も優先させ」たのではなく、この人達がイエス様に接近してきた動機は「僕の病」や「娘の病気」を奇跡によって癒してもらいたかったからなのです。
別に自分の所有物をすべて放棄してイエス様に従おうとした訳ではなかったのです。
それは聖書の話を普通に読めば誰でもわかることなのですが、それを‘絶対信仰’に結び付けてしまうのは飛躍が大き過ぎて聞くに堪えません。
亨進氏の性格が純粋であることは認めますが、語る宗教理論にロジックの一貫性がないところは彼の最大の弱点と言えそうです。
ただ、亨進氏が語る韓国人幹部達の悪行の事実に関しては そのような宗教理論の弱点とは無関係なので、統一教会に関する歴史的資料として価値があり、大いに注目すべきなのです。
勿論、米本さんが亨進氏の説教を記事にしたのもそのような理由からなのですが、‘カルト脳’の人々はそのような見方ができず、ブログで関係者のスピーチを記事にしただけで 米本さんを「三男派」「七男派」などと言い出したりしますから、読者はそのように思っていない証明として、あえて亨進氏の問題点についても指摘しておくことにしたのです。
さらにもう一言付け加えさせていただきますと、上に引用した亨進氏の言葉に続く以下の言葉にも大きな疑問がわいてきます。
>「中心人物が堕落した時も、お赦しになりました。
では何故、その文化が下へと浸透しなかったでしょうか。
それは、指導者たちの責任です。
愛のアボニム、恩恵恩寵のアボニムをシックに教えるべきなのに、自分の地位を守るため、シックの尊敬を自分に集めるため、36家庭なら36家庭として、何家庭ならその家庭としての尊敬をシックから得るために、その現実、恩恵恩寵の神様の現実を教えませんでした。
これは問題です。」
真に神の代身者と言えるような人物であったならば、自分に直接 接している側近のような人々のみではなく、それよりは遥かに多人数の一般教会員の信仰生活の実情についても理解していなくてはならないはずです。
そして、御自分の目指す理想的な形に末端に至るまで‘御言葉’が実践されていないとするならば、それを指導することこそ‘救世主’の役割でもあるのです。
もし、文先生は完全な善人であり、側近の指導者のみが悪く、統一教会の悪い部分はすべてその側近の指導者達のせいだと考えるならば、文先生は指導力を持たない単なる無能な言葉だけの人間であり、自己満足者となってしまうのです。
それは‘救世主’ではなく、ただの夢想家なのです。
結局、文先生を神格化しまうと、統一教会の問題は真の意味で解決できないのです。
難しいかもしれませんが、亨進氏が真に神の理想を目指すならば、父親である文先生の間違いを悟り、それを乗り越えることが必要なのです。
Re: 分派はつづくよどこまでも♪
ぼくが「亨進説教」を紹介していることから、誤解されたのかもしれませんね。
前にも何度か書いたように思いますが、「亨進説教」には統一教会の権力構造を知る手がかりがあります。それゆえ、つまみ食いではなく、全文紹介しているのです。
亨進さんやサンクチュアリ教会の方々には申し訳ないのですが、信仰的な説教にはほとんどと言っていいほど、関心がありません。そもそも、神の存在を信じないぼくにとってはチンプンカンプンなのです。
文顯進さんの説教というかスピーチ文も届いているのですが、それを紹介しないのは、彼の理念しか語られていない、リアリティが感じられないからです。
ただ、正直に言えば、亨進さんには好感を抱いています。
(1)日本のシックの家庭を訪問し、シックの窮状をある程度理解している。文家の子どもたちを含め大幹部で、シック家庭を訪問した人は誰もいないでしょう。
(2)現統一教会に、これまで蓄積した献金を返せと主張し、日本のシックを献金の軛から解放したいと考えている。
拉致監禁事件の背景には、マッチング結婚と高額エンドレス献金の2つがあります。亨進さんは後者をなくすべきだと主張している。そこにシンパシィを感じているのです。
Re: 統一教会組織の真実としての証言
しかしながら、神々の黄昏さんは、亨進氏が百人隊長とカナンの女の信仰を最大限に称賛していることについて、
>百人隊長もカナンの女も決して「自分の人生で、イエス様を最も優先させ」たのではなく、この人達がイエス様に接近してきた動機は「僕の病」や「娘の病気」を奇跡によって癒してもらいたかったからなのです。 別に自分の所有物をすべて放棄してイエス様に従おうとした訳ではなかったのです。
といって、亨進氏の 「ロジックが破綻」 していると批判されています。でも、その批判は当たっていないと思います。彼のロジックの一貫性はちゃんと有ります。何故ならば、ここでの亨進氏の真意は、異邦人である百人隊長とカナンの女には選民に見られるような傲慢さが微塵もなく、とても謙遜だったので、イエスから特別な恩みを受けたということを訴えたかったのであり、彼等が 「自分の所有物をすべて放棄してイエス様に従おうと」 すべきだったのにと訴えたかったのではないからです。
信仰とは全てを放棄して従って行くことではないと思います。信仰とはそのような外的なものではなく、もっと内的なものだと思います。自分の不足とか、恵まれない境遇とかを従容として受け入れていく謙遜さにあるのだと思います。まるで傲慢とは縁がないような、、、。確かに百人隊長とカナンの女には、誰かの病気を癒して欲しいという動機は最初はあったでしょうが、それより以上に大切なのが謙遜であるということを聖書は教えていると思います。
この説教では亨進氏は、統一教会幹部達の傲慢さを糾弾するために、百人隊長とカナンの女の例を引き合いに出したのだと思います。なので、亨進氏のロジックは一貫しています。かえって、「自分の所有物をすべて放棄して」、絶対信仰という名の下に従って来た人の中に、傲慢になってしまった人は沢山います。
それから、
>もし、文先生は完全な人格者であり、側近の指導者のみが悪く、統一教会の悪い部分はすべてその側近の指導者達のせいだと考えるならば、文先生は指導力を持たない単なる無能な言葉だけの人間であり、自己満足者となってしまうのです。 それは‘救世主’ではなく、ただの夢想家なのです。
といわれますが、私はそう思いません。だからといって、私は文先生を神格化もしてはいません。文先生は、飽くまでも人間・文鮮明です。(神性を帯びてはおられますが。) なので、私達と同じように時間・空間の世界に住み、様々な限界を感じながら、神のみ旨のために汗と涙を流されました。血も流されました。そこに文先生の魅力を感じます。ただ文先生が私達と違うところは、人一倍進んで苦労するのを良しとしたということでしょうか。その苦労の心情が神の心を打つのであり、救世主たる所以なのですから、無能な自己満足者とか夢想家とかの呼ばわりをしないで下さい。
亨進氏のグループのメンバーではありません
亨進氏のミコトバが真の血統を推し量るのに参考になりました。
亨進氏が言っている様に確かに多くの統一教会員はあまり聖書を読んでないのかもしれません。
聖書を深く読み続ければ、信仰的知能は高まり、信仰的心情は深まり、原理講論の理解も深まると思います。
しかし、逆に聖書に精通し原理講論に繋げる事により、強力な選民意識と召命意識を持ち、間違った意味での唯我独尊の誇大妄想を抱いて文鮮明教祖に似ることが信仰と思って独裁者の様になっていた韓国人牧会者もいたので、別な面で困った事でした。韓国人の人間性からして、偉そうにしている韓国人はダメですね。
神々の黄昏さんが仰る様に、”弟子達を許して来られた”文鮮明教祖?良く分かりますが。、、、、、日本人統一教会員に対して、その様な許しの言葉はあったでしょうか?
其れに情けなくも”堕落した中心者を許されて来られた!”......メシアって甘いんだね!韓国人には!真の子女にも!超甘いミコトバがあったけど!
メシアってそんなに指導力ないの?
文鮮明教祖が昔語っていた厳しいミコトバと晩年、堕落した我が子達に対して言っている超甘の言葉とは大分隔たりがある様に感じるのは私だけだろうか?
しかし、亨進氏は再臨主の真の子女です。我々は罪人って?、、、真の血統って、そんなもんなんか?って感じだね!私から見れば。
真の子女が我々は罪人罪人って、謙虚な信仰的姿勢は分かるけど、、、真の血統の子女って、そんなもんかい?と言う感じ。
亨進氏のミコトバを聞いて、やっぱり私は誇大妄想を信じて来たのかな?と言う感が強くなった。結局、文鮮明教祖も亨進氏も神様の真の血統ではないと言う事か!?
孝心と責任の行方
私は古い価値観に縛られたところがあるからでしょうか、後継者であることを誇りとするあまり、最も傲慢なのは誰だろうかと、訝しくさえ思います。
確かに既存の幹部たちの悪行は悪魔連盟と呼ばれるに値します。しかし、その弟子たちが真の父母を支え、真の家庭と言われる方々を守ってきたのも確かでしょう。どの様な形であれ付き従った功績のようなものがあり、今現在も実母を支え、実母に従っている人をそのように罵るのは筋違いだと思います。赤の他人ならいざ知らず、今尚、実母に侍る人たちです。子はたくさんあっても、未だに心配の絶えない、自立できない者ばかり。親の心配どころではなく、皆自分たちがその生活レベルを維持するのに精一杯。なまじ財産があるから諍いが絶えないとも言えます。
日本では国進氏が教会運営の正常化に多くの貢献をしたと称えられていますが、それは一時的な清算にすぎず、継続していれば権力が彼の方に移行しただけで、今頃はもっとひどい献金地獄になっていたかもしれません。というのも、幹部の報酬云々よりも、自らの小遣いと生活費を公表するべきでした。一説には生活費は別で、月1500万ウォン(当時のレートで約180万円)の小遣いだったとか…
亨進氏は教会の財産に手を付けなかったことを特別のことのように語っていますが、それが普通で当然でしょう。なぜなら、悪魔連盟を自然屈服できていないからです。
荒野での勝利とか何とか、体のいい模倣によって取り繕ったとしか言いようがありません。
真の後継者なら、息苦しくても王宮殿から抜け出すのではなく、苦労して従ってきた古参の幹部たちを自然屈服する道を模索し、真の母からの実体的相続を受けられる基盤をきずくべきではなかったのか…
沈黙に値する事情があったのは確かでしょう。しかし、沈黙を破ったのは時期尚早だったのではないか、とも思います。未だ苦労知らずの青臭さがプンプンです。
今日、多くの信徒の惑いは高額献金もさることながら、教義と組織の混迷にあります。
その原因を真の母と悪魔連盟だけに押しつけてよいものか、甚だ疑問に思います。
- [2015/04/26 18:50]
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感謝
Re:地の塩さん
私も亨進氏は悪意のない非常に純粋な心を持った方であると思っています。
今回記事にされた亨進氏の説教は、聖書にある記述を引用して説教しながらも、その内容は文先生の直弟子とも言える側近幹部達の批判に結びつくことになるのですが、その批判は純粋な正義心によるものです。
それらの幹部達が文先生から寛容な愛情を受けていながら 下にいる食口達にはその文先生の愛情を教えず、まったく違った恐怖で支配するような指導を行なっていたことや、文先生が病院で治療を受けていた際、病院からの提案と思われる‘安楽死’を幹部達が拒否しなかったことを特に問題視し、正義心によって激しく批判しています。
亨進氏はそこに見られるような統一教会幹部達の利己的な態度が統一教会の中に悪い文化を作り上げ、恐怖を煽る旧約聖書の時代の文化にまで貶めてしまったと語っているのでが、その考え方は基本的に間違っていないと思います。
亨進氏が新約聖書にある百人隊長とカナンの女の話を引用したのは、神の恩恵恩寵というものは、どのような立場の者であろうとそれを願い求めるならば、赦し与えられるという事を強調したかったのであり、謙虚な信仰こそ重要であると言いたかったのだと思います。
私もその意図は確かに理解できるのですが、その‘謙虚な信仰’を強調するあまり、その次に語った言葉が飛躍し過ぎてしまったことも事実なのです。
それは亨進氏の説教の言葉をよく読めばわかることです。
(以下引用)
「この二人、百人隊長とカナンの女、イエス様の愛を受ける資格が無いことを知っていました。
それにも関わらず、主を求めます。主を。
百人隊長は、忙しい人です。仕事が多く、責任も思い人です。
しかし、主を求めます。
自分の人生で、イエス様を最も優先させます。
どんな仕事、どんな責任よりも、主を優先させます。
どんな地位、どんな財産よりも優先させます。
全てを失おうと、主を失うことさえなければ、全てを得ます。
二人とも、心情が破裂するかのようにして、求めました。」
上の言葉で「自分の人生で、イエス様を最も優先させます。」は明らかに飛躍です。
この聖書の話の場合、たとえ異邦人であっても僕や娘の病気を癒してもらうことを必死に願って、イエス・キリストに信仰を示した時には、その信仰に応えてイエス様が奇跡で病気を癒すこともされたと語っているのであって、“異邦人”“信仰”“奇跡”が主なテーマなのです。
そこに「人生で、イエス様を最も優先」を加えるのは明らかな飛躍なのです。
それは言葉の勢いでそのように語ってしまったのでしょうが、あたかもイエス・キリストに願い事があって百人隊長やカナンの女が示した信仰が‘絶対服従’を意味しているかのような理屈になってしまうので、論理として間違っているのです。
また、この聖書の話をよく読むとわかるのですが、百人隊長とカナンの女がイエス・キリストを‘メシア’と信じたのは奇跡によって病気を治せる力を持っているという条件があったからなのです。
ただ、イエス様の‘御言葉’を信じたからではなかったのです。
聖書では、イエス・キリストがそのような奇跡を実際に行うことができたことも強調しているのです。
亨進氏の情的な高まりはわかるのですが、論理がかみ合わなくなると、一般的には信用を失うことになり、聖書の間違った解釈などはクリスチャンからの批判の対象ともなってしまうのです。
ですので論理性を正すことは重要なのです。
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