後藤徹の陳述書?  

後藤陳述書(10)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)
(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)
(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青色が今回アップしたところです。


5・第2回目の監禁
(5) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)

 2005年4月、私がハングルを勉強するための教材を持ってくるよう家族に要求したところ、兄嫁及び妹がこれを拒否し、激しい言い合いになりました。(注)41歳

私は調理用の金属製ボール2つを叩き合わせたり、ボールで冷蔵庫等を叩き回って抗議しましたが、家族は頑として私の要求を聞き入れませんでした。

そこで私はこの言い争いをきっかけに、長期監禁に抗議して第2回目のハンガーストライキを21日間決行しました。


粗末な食事という仕打ち

すると家族等は、ハンガーストライキが終わっても粗末な食事しか出さず、食事制裁によって私を虐待し、棄教を強要しました。

私が兄嫁に、「1回目のときは1ヶ月で普通食に戻したのに今回は何でこんなに長いのか?兵糧攻めか?制裁のつもりか?」と言って抗議し、「いつ普通食に戻すんだ?」と聞くと、兄嫁「それは分からない」と言ってとぼけました。

結局、粗末な食事しか出さないことによる虐待は7ヶ月間続きました。このため、体がフラフラの状態が長く続きました。

 私は荻窪フラワーホーム804号室に監禁されていた最中、右足の親指に水虫を発症しました。
 私が薬を要求したところ、最初は家族は薬を支給してくれましたが、2006年頃からは要求しても薬を支給してくれなくなりました。
 このため、右足親指の爪が変形したままとなりました




写真をクリックすれば拡大します。

 同室では何故か家族全員、目が疲れ易くなり、私も含め皆が目薬を投与しましたが、私に水虫薬が支給されなくなったのと同じ頃から私にだけは目薬が支給されなくなりました。このため、私は目がとても疲れやすくなりました。


 2005年終わりか2006年の初頭頃、私が使用していた電気スタンドの電球が切れました。
私が家族に対し、新しい電球と取り替えるよう要求しても、家族は新しい電球を支給してくれませんでした。

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コメント

説得力

人間の仕業と思えない生活が続いたんですね。どこまでエスカレートしていくのか読んでいて怖くなってきます。

どこに希望を見い出して耐えることができたのかと思います。

証拠写真は説得力ありますね!驚きました。現在は治癒しているといいですね。

後藤陳述書(10)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁
(1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)
(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)
(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青色が今回アップしたところです。


5・第2回目の監禁
(5) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)

 2005年4月、私がハングルを勉強するための教材を持ってくるよう家族に要求したところ、兄嫁及び妹がこれを拒否し、激しい言い合いになりました。(注)41歳
私は調理用の金属製ボール2つを叩き合わせたり、ボールで冷蔵庫等を叩き回って抗議しましたが、家族は頑として私の要求を聞き入れませんでした。

そこで私はこの言い争いをきっかけに、長期監禁に抗議して第2回目のハンガーストライキを21日間決行しました。


粗末な食事という仕打ち

すると家族等は、ハンガーストライキが終わっても粗末な食事しか出さず、食事制裁によって私を虐待し、棄教を強要しました。

私が兄嫁に、「1回目のときは1ヶ月で普通食に戻したのに今回は何でこんなに長いのか?兵糧攻めか?制裁のつもりか?」と言って抗議し、「いつ普通食に戻すんだ?」と聞くと、兄嫁は「それは分からない」と言ってとぼけました。

結局、粗末な食事しか出さないことによる虐待は7ヶ月間続きました。このため、体がフラフラの状態が長く続きました。

 私は荻窪フラワーホーム804号室に監禁されていた最中、右足の親指に水虫を発症しました。
 私が薬を要求したところ、最初は家族は薬を支給してくれましたが、2006年頃からは要求しても薬を支給してくれなくなりました。
 このため、右足親指の爪が変形したままとなりました。



写真をクリックすれば拡大します。

 同室では何故か家族全員、目が疲れ易くなり、私も含め皆が目薬を投与しましたが、私に水虫薬が支給されなくなったのと同じ頃から私にだけは目薬が支給されなくなりました。このため、私は目がとても疲れやすくなりました。


 2005年終わりか2006年の初頭頃、私が使用していた電気スタンドの電球が切れました。
私が家族に対し、新しい電球と取り替えるよう要求しても、家族は新しい電球を支給してくれませんでした。

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