ようやく公開討論らしくなってきましたね。慶賀の至り 

神山VS教団(4)

 「前回の記事」で、「UCI(いわゆる「郭グループ」)に同調する神山威氏に対する声明文」(1月30日)にある「ブログ今日の訓読のみ言友の会に掲載した日本での講演会の映像を削除するように要求する」は看過できないゆえ、「統一教会が言論を圧殺する恐ろしい団体に変貌しつつある」と警告した。

 反省したのかどうかは知らないが、教団は神山氏の公開質問状に対し「【第3弾】 神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り」(2月3日付)で反論した。
 いよいよ本格的な論戦が始まるようだ。ようやくこの世の社会のやり方に近づいた。慶賀の至りである。

 その前に、前出の声明文に対して、神山氏から反論文が出されたので、それを掲載する。
 「歴代会長団及び有志代表による声明文」に対する反論(その1)。(ブログでの発表は2月4日)
 ↑をクリックすれば、全文が読めるが、教団の声明文を紹介して神山氏の反論を載せなければ不公平になると考え、あえて全文を載せることにした。ただし、写真は2枚を除いて割愛した。

(引用始め)

「歴代会長団及び有志代表による声明文」に対する反論(その1)

 私が、日本統一教会の徳野会長及び幹部に対し、「公開質問状」を提示してから一ヶ月が経ちました。しかし、それに対し、徳野会長や責任ある幹部からは何の回答もありませんでした。

 ところが、徳野会長ではなく、元会長だったという方々、及び有志という方々から「神山威氏に対する声明文」が、教会のホームページに掲載され、また各教会に張り出されたと聞きました。

 これは、私の質問状に対する、教会本部からの回答と受け取って良いのでしょうか?徳野会長や幹部の名前がないので若干不確かですが、「歴代会長団」が名を連ねているので、教会本部からの回答として受け止めたいと思います。

 その「声明文」は、多くの点で事実を曲解した内容を前提に私を批判しています。それは真実を伝えるというお父様の精神に反し、また多くの人達を誤導しているように見えますので、まず、それに対して反論をしておきます。

1、いわゆる“ボート会議”について

 この声明文は、2010年7月に、私がお父様とお会いした時のことを取り上げ、次のように述べています。

「神山威氏は、これ以上のUCI(いわゆる『郭グループ』)に組みする反摂理的行動をやめ、真のお父様が2010年7月16日の『ボート会議』で直接、神山氏に対し語られた『顯進は先生と同じ方向に向いていない。なぜ顯進の方に行くのか。ちゃんと先生につながらないといけない』、『なぜ先生に質問しないで顯進の方に行くのか。こんな船の場を本当はつくりたくなかった。霊界に行っても言われるよ』というみ言をはじめ、其の他数々の警告のみ言を思い起こし、真のお父様が遺されたご意向を受けて、地上で統一運動の陣頭指揮をとられる真のお母様を支える祝福家庭および教会員の一員として、天の父母様および真の父母様の願われる本然の立場に戻るように願う。

2015年1月30日 
日本統一教会・歴代会長団及び有志代表一同
小山田秀生、周藤 健、江利川安榮、大塚克己、古田元男、太田洪量、飯野貞夫、中田欣宏、松崎裕史、矢野治佳」


 ここにある「其の他数々の警告のみ言」というのは何を言っているのですか?私には思い当りませんので、具体的に説明してください。

 「ボート会議」と書かれています。まるでお父様を中心に、大きな会議が行われたかのようです。これは誰がいっているのですか!はっきりさせてください!事情の知らない人々は、これが真実だと誤解するでしょう。しかし、この声明文に名を連ねている古田元男氏は、真実を知っています。彼は、はじめから当事者だったのですから。

 その経緯を説明します。

 2010年、アメリカ教会でも、「郭先生はサタン、顕進様は堕落したアダム」といったキャンペーン集会がなされていました。梁昌植会長によると、これを聞かれたお父様は激怒されたようです。お父様の「真の愛」の精神、そしてモデル理想家庭であるべき「真の家庭」の一体化を阻む行為ですから、お父様が激怒され、キャンペーンの中止を命じたのも当然のことでしょう。

 にもかかわらず、顕進様攻撃のキャンペーンが全米で行われました。

 これを憂慮した顕進様は、当時のトルーワールド・グループ社長であった古田氏に、真実を社員に伝えるように言われました。そこでトルーワールド・グループ主催の集会および社長離就任式ツアー が計画され、古田社長とともに、私もこの集会を助ける立場でスピーチをすることになりました。

 ニューヨーク・ニュージャージー、ボストン、ワシントンDC、フロリダと集会がもたれましたが、誰かが御父母様に、この集会の意義を誤って伝えたようです。(それが誰だったのか私は知っています。)それで、急きょお父様がニューヨークに来られ、私をボートに呼ばれたのです。
 誰が“ボート会議”などと名を付けたのか知りませんが、それは関係者が集まって討議したりする“会議”ではなく、お父様と私だけの「内密」の話でした。その時の写真を添付しますので良く見てください。

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写真説明:この写真が「会議」をしているように見えますか?

 私は、当時問題となっていた、 顕進様・国進様のこと、そして ヨイド裁判の件など、私が知る限りの事を、直接お父様に報告をしました。それに対しお父様の考えておられることをいろいろ話してくださり、ご指導も受けました。
 また、私も涙ながらに「お父様はどうして間違った情報や、それを報告する人を信じるのですか?」と真剣にお聞きしました。お父様はこう言われました。「先生は疑って人の話を聞くことができない。疑うということは堕落圏でのできごとだ・・・。騙された人、騙した人。神様からみたらどちらが正しいか!正しい立場の人を騙したらかならず審判をうける。蕩減しなければならない・・・」と。

 私が「お父様に間違った報告がなされ、お父様から叱られると嫌な思いをしますが」と正直に尋ねますと、お父様は、「その環境を受け止めておけ。いろいろな問題を解決する蕩減条件と思って・・・。時が解決するから・・・。」と言われたのです。

 それで私は、顕進様に対する誤解も、「時が解決する」と納得したのです。

*この写真を見てください。大切な話は、耳もとでされましたので、誰にも聞えていませんでした。これが“会議”でしょうか? 
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その後、海洋摂理の重要性を話され、今後のボート製造に対する指示も受けました。

その後、私はお父様の指示によって、晩年のお父様がもっとも重要視されていた、麗水での海洋修練会の講師になるように言われ、韓国に赴任しました。

 この「声明文」もそうですが、本部の指導部は、神山はお父様に叱られている、間違っていると教会の食口達を誤導しているようです。しかし、徳野会長は、「お母様の指示で、『天聖経』から幹部たちを叱責された内容を取り除いた」(トゥディズ・ワールド・ジャパン、天歴元年4月号)と語っています。本部は、人を攻撃するときはそれを使い、幹部に都合の悪いみ言は消去するのですか?

 質問・反論は次回へと続きます。

(引用終わり)

 読者に注意を促しておきたいのだが、上記に引用したのは、冒頭に紹介した「【第3弾】 神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り」(2月3日付)を受けてのものではない。
 双方のこれまでのやりとりを整理しておく。

神山氏側
「お父様は無念だった!」-神山元会長の講演録を全文公開 (2014年6月18日)
「公開討論の呼びかけ」並びに「公開質問状」(2014年12月15日)
公開質問状(2) (2015年1月8日)
公開質問状(3)(2015年1月14日)
日本統一教会の声明文に対する反論(2015年2月4日)


教団側
【第1弾】神山威元会長の講演文(2014年6月18日、プサン)の問題点(日付?)
【第2弾】神山威氏の講演内容(2014年9月21日、東京)の誤り(2014年10月3日)
UCI(いわゆる「郭グループ」)に同調する神山威氏に対する声明文(2015年1月30日)
【第3弾】 神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り(2015年2月3日)



 これ以降の双方のやりとりは、「今日の訓読のみ言友の会」(神山氏側)、「真の父母様宣布サイト」(教団側)を読んでもらいたい。
 私が関心があるのは、ただ1点だけである。
 韓鶴子氏が述べた「お父様はイエスの使命を引き継いだ瞬間から独り息子となった、お母様は胎中にいるときから無原罪だった」(独生女神学論)ことの、理論的な説明を知りたいということだけだ。教団側はいまだ答えていない。
 なお、双方に一言。教義に門外漢な私に、双方のやりとりの正否を判断する力はない。しかし、どちらがまともなのか知ることはできる。それは、➀相手の質問にきちんと答えているかどうか、②出典を正確に引用しているかどうか、③感情を棚上げして冷静に論じているかどうか-にある。

 ところで、前回記事のコメント欄でRyoさんが聖徳太子(厩戸皇子)が作ったとされる17条からなる憲法を紹介していた。実に示唆に富んでいる。関係者は過去を振り返りながら、じっくり読んでみたらどうだろうか。この憲法の作成者には諸説があるが、藤原氏(新羅)という説もある。通説通り、聖徳太子が実在の人物で、彼が17条の作成者だったとしても、彼のルーツは渡来人(朝鮮半島からやってきた人)。17条は、統一教会の韓国人幹部たちの祖先が作ったものですぞ。心して読んでくださいな。
【関連図書】関裕二の『藤原氏の正体』(新潮文庫)

第1条
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。

第2条
二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。

第3条
三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。

第4条
四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。

第5条
五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。

第6条
六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。

第7条
七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。

第8条
八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。

第9条 九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。

第10条
十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。

第11条
十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。

第12条
十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。

第13条
十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。病気や出張などで職務にいない場合もあろう。しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。

第14条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。

第15条
十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。

第16条
 十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。

第17条
十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

-お礼の言葉-

 火の粉ブログを開設したのは2009年の1月31日。丸6年を迎えました。おかげさまで、アクセス件数が200万を突破し、現在231万件となりました。読者のみなさまに深く感謝いたします。記事が面白ければ、それは私の筆力ではなく、ひとえに情報を提供してくれる方々のおかげです。とても感謝です。
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 現在、コメント数は
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コメント

真相

こういった開かれた討論の場を通して初めて真相に近づくことが出来ます。それだけでも随分とスッキリとしますね。なぜなら末端にいると大本営発表を「嘘でしょ!」と思いながら聞くしかないからです。「嘘」をつかれるほど気分が悪い事はありませんから、米本さんのブログなどを通して真相に近づく事は気分を良くしてくれます。
また聖徳太子の十七条憲法を初めてじっくりと読みました。仏法僧すなわち原理原則より「和」を重んじるのは日本人の精神だと思っていましたが、新羅人が書いた可能性もあるんですね。韓国人幹部にも読んでもらいたいところですが、現在実権を握る韓国人は全羅道出身者すなわち百済人で固められてるそうですから、新羅人とは折り合いが悪いかもね〜。
そう言えば米本さん、島根県人ならやはり新羅人とは浅からぬ縁。百済人と折り合いがあまり良くないのも頷けかなぁ。笑

Re: 真相

>現在実権を握る韓国人は全羅道出身者すなわち百済人で固められてるそうですから、新羅人とは折り合いが悪いかもね〜。
そう言えば米本さん、島根県人ならやはり新羅人とは浅からぬ縁。百済人と折り合いがあまり良くないのも頷けかなぁ。笑

 ときどき古代に関する本を読むのですが、ときどきだから、すぐに忘れてしまいます。トホホのホです。

 これまで読んだ本で、印象的な結論(?)では、こういうことです。出雲身びいき、半端な知識ですが。

 新羅は騎馬民族。荒々しく、残虐。大和政権。天照大御神(あまてらすおおみかみ)。今の天皇家のルーツ。

 出雲国のルーツは任那。温厚。まるで、妙齢のご婦人大好きで争いごとを好まないぼく。

 出雲国とヤマトが闘い、出雲国はヤマトに恭順の意をあらわし、国を譲った。(今でも出雲の伝承として激しいバトルだったことが伝えられています)
 そんで、ヤマトは温情として、出雲大社(杵築大社)をプレゼントした。(国譲りという信じ難き神話)

「神あり月と神なし月」という解明されていないことがあるのですが、謀叛を起こそうとしている奴がいるかいないかか確かめるための団結行事だったのではないかと思っています。

 現在の中東の部族長の集まりのような感じでしょうか。

 まあ、結局のところ、どんなに調べてもわからないでしょうね。

 山陰の海には朝鮮半島からいろんなものが流れてきます。毎日!

 その昔、ある朝鮮民族が流れついて支配した。その数十年後にまた違う朝鮮民族が流れついて、前の朝鮮民族とバトルをする。
 さらに、その数十年後にまた違う朝鮮民族が流れついて、前の朝鮮民族とバトルをする。

 そんな繰り返しで、日本国が形成されていったのだと思っています。

高麗と百済

 高句麗は正式な国号は高麗です。韓国の歴史は捏造の歴史です。そもそも新羅は辰韓といって秦の始皇帝時代、圧制から逃れきて建国した国です。高麗と百済は扶余族で同属です。言葉も母音を強調する言葉で日本語に近く、ハングルとは異なる言語です。しかも姓も2文字姓で新羅は現在の韓国と同じ1文字姓です。ハングルは新羅の言葉なのです。元々中国人の新羅は、卑怯な手で唐と密約して百済、高麗を滅ぼしました。王様は惨殺され、その遺民たちは同じ扶余族の倭国に数多く亡命してきました。
 高麗、百済は今の韓国人の祖先に滅ぼされた国ですから、現在の韓国で百済系とか高句麗系というのはおかしな話です。百済人は京都を中心に西部方面に多く入植、とくに長州は百済人が入植したところです。すなわち日本の歴代の首相は百済系なのです。
 一方、高麗人は岐阜、長野、山梨、関東西部に入植。つまり、日本人は高麗人の勇敢さ、百済人の物作りに長けた特徴を受け継いだ民族なのです。韓国が高麗の檀君神話を持ち出すこと自体おかしな話です。参考までに。

嘘や秘密が多い

 神山元会長の反論を聞いて驚きました。
教会は嘘と秘密がちょっと多すぎる気がします。
 教会を犠牲にして為に生きることを忘れ教会を守るために窮しているように感じます。

雑感

秦氏が新羅という説もありますし、古代史は1級資料が乏しく難しいですね。高天原は、タガーマ州にあった、ヤコブ苦役の地ハラン⇒タガーマハラン・・・高天原なんてのも有るみたいですし・・・考えることや勉強しないといけないことは山ほどあります・・・
統一教会は嘘が多いといいますが、私はウソだとしたら一番許しがたいのは、「文師が蒋介石に手紙を渡して終戦直後の日本分断統治計画を阻止する手助けをした」ということです。

本部はボート会議の真実を明らかにせよ

客観的な証拠からみて、ボート会議なるものは神山氏の主張が正しいように感じるが、この点に関する本部の主張は誰がどのような事実に基づいて展開されたものか明らかにせよ。
もし間違った主張をしているのであれば、真のお父様の「先生は疑って人の話を聞く事が出来ない」という心情を愚弄するものであり、素直に謝罪せよ。
真実を知っている代表者は正しい事を天地の前に明らかにせよ。

お父様の全貌を知るのは難しいかも

お父様は正義感の強い人ですから、悪を強烈に憎まれます。しかし、悪を強烈に憎んでも悪人に対しては憐憫と愛の思いを持って、悪の状態から救おうとされます。例えば、共産主義は憎むけど、共産主義者達には涙するぐらいに愛の思いを持つがゆえに、モスクワと平壤にも赴かれました。この区別をしないとお父様を十分に理解できないと思います。

お父様は2010年7月にボート上で神山氏に対して愛をもって接して下さったと私は確信します。しかし、神山氏がお父様とボートに乗るために呼ばれた時は、神山氏は遠地にいたために不在でした。その時にお父様は、神山氏が三男と郭氏と関わっているのを悪として糾弾されました。それは事実です。

なので、神山氏がボート上でお父様から愛され理解されたからといって、お父様は神山氏が三男と郭氏と関わってもいいよ、と容認されたわけではないと思います。

神山氏を含めた統一運動の指導者達の一つの大きな欠点は、お父様との良い授受作用を一寸しただけで、それがあたかもお父様の全貌であるかの如く思い込んでしまって、お父様の権威を自分に着せ付けて自己主張をすることです。(まあ、仕方のないことですがね。メシアはそれだけ偉大な方ですから。)

ここで私の信仰告白なのですが、お父様の全貌を知れる食口は、三男、四男、七男をも含めて皆無だと思います。(勿論、私も含めて。) なので、自分なりのお父様体験を盾にして、相手を説き伏せてやろうという態度は止めるべきだと思います。そうすれば、統一運動の今の混乱は収拾され、良くなって行くと思います。これは、神山氏だけでなく教会本部側にも当てはまる重要な点だと私は思います。

ところで、

>和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。

という17条の憲法は魅力ですね。

米本さん、こめんねジロー

私は現役食口なので、「お父様」 とか 「食口」 とかの用語を使用させて頂き、討論の普遍性に欠けたかも知れません。

なので、米本さん、こめんねジロー。

ところで、米本さんの記事にはユーモア的表現があって笑ってしまいます。統一を手厳しく批判する言葉にさえ時々ユーモアがあるみたいですね。でも、批判は批判として深刻に受け止めて反省の材料にしたいと思っているのは、この私だけではないと思います。

論争する前に先ず世界平和の為に祈ってほしいです。

真理を究明する事は確かに大事な事でしょう。
ただその討論がこの世界情勢の中、統一教会が世界の問題を反映する霊的支柱だという自負を持って頂かないと意義が理解出来ません。
イスラム過激派とキリスト教国家であるアメリカを中心とした国が争っていますが泥沼状態です。自分たちの教理を中心とした自分の善、自己主張ばかりで結果は憎悪の連鎖です。
是非統一教会の内部問題の解決がその世界的な問題を解決する霊的支柱だという覚悟で臨んで頂きたいです。

確かに譲れないものはお互いあるでしょう。でも今世界で泣き叫んでいる人はどの位いるんでしょうか?明日の自分の命さえもわからない人がいる中、文字を綴れる私達はどれほど恵まれているでしょうか?


ご存知の通り私は優秀な頭脳も持ってませんし、原理もみ言も完全に理解出来ていないでしょう。日々多面性のある言葉に悩んでさえいます。
しかしそれを完全に理解したとして実体に実っていないとしたら何の意味があるのでしょうか?人々がそこに魅力を感じますか?

確かに行くべき方向性を明確にする事は重要でしょうが、その目的は真理を知る為だけですか?真の愛の人格完成の為ですか?
原理講論総序には「無知からはいかなる情緒をも生じ得ない」とありますが、では原理講師が高尚な情緒をお持ちかというと??

結局今争っておられるのは頭の良い、というか頭でっかちにさえ見える方々ばかりではないでしょうか?
そんな立派な頭脳があるなら、今世界平和の為に何が出来るか先ずお考えになったらいいのではないでしょうか?頭ばかりが大きくなると神霊に満たされる事も忘れるのでしょうか?
原理どころか、知識も少ない子供でさえもニュースを見たら心痛める事が多い現状です。原理以前に人間としてどうなんでしょうか?

原理が真理か、文先生御夫妻がメシアか今の私には正直断言できません。ただ昔は神霊体験は確かに私にありました。
そしてこのブログのポリシーである是々非々で考えた時にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教を和解させようとした文先生の運動は評価されるものであると思います。そして今最も必要なものだと思うんですが。




「お父様の全貌を知るのは難しい」

>お父様の全貌を知れる食口は、三男、四男、七男をも含めて皆無だと思います。

地の塩さんがこの言われることが、いみじくも文先生の特徴を捉えているようです。その時その時や相手によって、対応が変わる、言葉が変わる、一貫性がなくて、玉虫色だったのでは?これは責任転嫁やそれぞれの幹部や部署の分割統治、さらには複雑怪奇なので「私たちにはわからない意味がある」と思わせる神格化には便利ですが、最終的には矛盾が露呈して、不信と組織の崩壊を招くように思えます。

過激な反共を長年やって、北朝鮮の幹部にも主体思想の批判をやっておきながら、金日成本人に会うと多額の援助の約束をしてしまった、というのも、「悪を憎んで人を憎まず」と言うよりも玉虫色の生き方のようにも感じます。だって北朝鮮の悪との戦いをやめてしまったわけですから。

3男さんに対する対応もその時によって言うことが違うために、厳しく対応するのを願われている、と思った幹部と、逆に3男批判は幹部のせいだから厳しい対応はむしろ文先生を悲しませるだけ、などなどと、まず共通の理解ができていない。これは利害がからんだ幹部の責任とともに、文先生の通常のやり方が大事な息子に対する対応にまで出てきてしまったということではないでしょうか。

神山さんに関するみことばも同様、本人への対応と、他の幹部に話すことがまったく違っていた可能性がありますね。文先生が一貫していなかったことを冷静に認識しましょう。

お父様とは一体?

自分が伝道された学生時代、原理を聞いて「すごい!」と感動し、高齢ながら短い睡眠で世界中を飛び回るお父様、世界に広がる統一運動や摂理機関、主の路程を聞いて「文先生はメシアだ!すごい内容を知れた!」と、単純思考な私は思いました。その後は深く調べもせず、活動に邁進していました。

しかし、現在、ネットを見てからはちゃぬさんや他の方が紹介するお父様のみことばには矛盾するみことばや信じたくない出来事がいっぱいです。今は「お父様とは一体何者なのか?」、そして「メシアって何なんだろう?」と今更ながら考えさせられています。


本部は自分の主張にあっているみことばを探しだし、それに基づいて論理展開していますが、なんだかわかりにくい文章でした。


神山元会長は、みことばの背後にある状況や、お父様とのやりとりを語られていて、読み手としてはわかりやすかったです。


お父様が聖和された今は、お父様が語られたみことばで討論するのは当然かもしれません。でもお父様のみことばは一貫していないので、何が正しいのかなんて、わからないのかも?・・・なんて考えています。

文先生の不可解な指導内容

<「歴代会長団及び有志代表による声明文」に対する反論(その1)より>
>また、私も涙ながらに「お父様はどうして間違った情報や、それを報告する人を信じるのですか?」と真剣にお聞きしました。お父様はこう言われました。「先生は疑って人の話を聞くことができない。疑うということは堕落圏でのできごとだ・・・。騙された人、騙した人。神様からみたらどちらが正しいか!正しい立場の人を騙したらかならず審判をうける。蕩減しなければならない・・・」と。

>私が「お父様に間違った報告がなされ、お父様から叱られると嫌な思いをしますが」と正直に尋ねますと、お父様は、「その環境を受け止めておけ。いろいろな問題を解決する蕩減条件と思って・・・。時が解決するから・・・。」と言われたのです。

>それで私は、顕進様に対する誤解も、「時が解決する」と納得したのです。


 統一教会の世界組織から文顕進氏が排除され、さらに文先生の聖和式後は韓総裁がその独裁性を強めるなど、統一教会組織は大きな変化を見せていますが、韓国統一教本部は密室政治を行っている為、その変化が如何なる動機と目的をもってなされているのかは不明で、様々な情報を元に判断するしかありません。
 ただ、文先生が健在であった時代と異なっているのは確かで、それについては既に‘火の粉を払え’においても様々な記事が書かれております。
 そのような統一教会の変化がより‘原理的’で理想的なものであるなら日本統一教会員にとっても喜ばしいのですが、現実として高額エンドレス献金は継続されており、統一教会の悪い問題は何一つ変わっておりません。

 そのような問題が多い統一教会の情況の中、神山威名誉会長が独自に講演会を開かれ、韓国のプサンから始まって、日本においても数箇所で講演会を開催されました。
 さらに神山氏は日本統一教会本部に対し、「公開討論の呼びかけ」を行ったり、公開質問状を送ったりされていますが、そこには上記のように直接文先生と会話された内容についても書かれており、その部分についてはとても興味深く、関心を持たざるを得ません。
 文先生の‘御言葉’は原理講論の理論と乖離している内容も多く、それについては今までもコメント欄に投稿してきたのですが、現実の統一教会組織の中で文先生がどのような組織運営をされてきたのかも不可解な部分が多く、その教会中枢指導者との直接的な会話の内容を知ることができれば、文先生の実像や、様々な疑問についてもさらに解明され、統一教会の悪い問題の原因についても根本から究明できるようになります。

 そのような観点に立って文先生の発言内容を考えた時、神山氏が‘反論文’に書かれた文先生の‘生’の言葉は絶対権威者に相応しいものではありませんでした。
 一般的な仕組みでは組織の総裁は明確な方針をもって組織運営を行い、特に各部署の責任者とは密に協議を行うなどして、指示を徹底する必要があります。
 その主な責任者が正しくない情報を総裁に伝えたとするならば、その時点から総裁は組織の現状を判断するのが困難になり、思うような組織運営ができなくなってしまいます。
 組織には全体としての理念があるはずであり、総裁は明確な方針を基に、その理念を実現する責任があります。
 その総裁が指導者として実力があれば、その組織は発展し、組織構成員も幸福を手にする事ができるのです。
 私はあるプロ野球元名監督を敬愛していますが、その人物の言葉の中に「組織はリーダーの力量以上には伸びない。」という名言があります。
 組織においてリーダーの実力が如何に大切かは原理的に考えてもわかるはずなのです。

 神山氏の文中にある文先生の言葉「先生は疑って人の話を聞くことができない。…」は指導者として見た場合、現実の物事に対する判断力が弱いというように捉えることしかできず、「時が解決するから・・・」はリーダーとしての指導方針もなければ、指導力もないと捉えることしかできないのです。
 しかし、文先生は様々な大規模な事業も手掛けていた訳ですから、全く他者に言われるがままというのも考え辛いので、もしかしたら、上記の神山氏に対する文先生の言葉は、その当時の高齢と関係したものなのかも知れません。
 ただ、その時点では指導者としては役割を果たす事ができなくなっていたことは確かなようです。

 文先生の指導者としての性格に対する判断は千尋さんのコメントに同感します。
 そのような内容についてさらに追究し始めると長くなってしまい、記事の本題から外れてしまいますので、これ以上は書きませんが、そのポイントをよく捉えないと、統一教会内の組織的な混乱についても本質的な理解ができなくなってしまいます。
 しかし、神山氏の誠実さが文面から伝わってくるのに対し、統一教会本部側の不誠実さは際立っており、普通に考えれば悪役の立場にしか思えません。

先に刺したものが勝ちの密告組織

 「先生は疑って人の話を聞くことができない」という文先生の発言がいくつかのブログで引用されています。悪と相対できないという真の父母の立場はあるとしても、「神々の黄昏」さんのご指摘の通り、このスタンスが組織を権力闘争と分裂に至らせる根本原因であると考えざるを得ません。
 すなわち、先に讒言を文先生の耳に入れたものが主導権を握って敵対勢力を排除できるということです。そのからくりが嫌というほどわかっている韓国教会組織幹部は、常に疑心暗鬼に陥り、刺される前に刺せという、密告合戦になっているのではないでしょうか。
 昨今の韓国世界日報社長人事の混乱ぶりもその一例でしょう。
 思いっきり「アベル的」、つまり教会に好意的に解釈するならば、最終的には「時が解決する」すなわちいずれ偽りの讒言をしたものは滅びるということなのでしょうが、その間に組織がこうむる膨大な時間と金と人材の損失は計り知れません。
 それが蕩減条件なのだというのかもしれませんが、しわ寄せを食っているのは結局日本シックだということです。
 いい加減、韓国教会幹部は醜い堕落性むき出しの権力闘争を止めなければならないし、日本教会もその様な不毛な争いに巻き込まれるくらいなら、幹部一同辞表を叩きつけ、悪が群がりつくそもそもの原因となっている、無期限無条件奴隷献金システムを止めるべきであろう。

「お父様」という立場

統一教会の長であられる文先生が他の組織と違う点は「親」の立場でもあった事です。だからリーダーなら幹部の嘘の報告を叱責し排除さえしてもよいところを、親としてその子が心に負債を感じて悟り悔い改めるまで待たれたかもしれない。普通は親を騙すのは心苦しい事ですから。
しかし中には親でも騙す輩はいますし、元々悪徳幹部は文先生を親と考えていなかったし利用するだけの存在であったのでしょう。それを知りながらも文先生は彼らの本心に父として語り続けておられたのでしょうか。

それとその幹部が文先生の実子に対して抱く愛の減少感はまさしく天使長が味わった思いであり、神様の立場に立った文先生は御子女様がその幹部を愛してアダムの失敗を蕩減復帰しないといけないが故に干渉されなかったかもしれません。それを教理抜きの一般社会の物差しで測ってもそこには無理があります。語る言葉の多面性もその人の個性と神霊基準に応じた内容を語る中一貫性に欠けたかもしれません。
自分の子でも幼い時と成長してからは語る内容が変わり、成長するにつれ厳しくまた高次元な事を語りますから。

それが正しかったのか神様しかわからないわけで、凡人の私は自分が今出来る事を精一杯するしかない。

ヨルダン軍のパイロットを生きたまま焼き殺した イスラム教とはかけ離れた悪魔の仕業としか思えないISIL。イスラム教は土葬で火葬は 「死後の復活」を妨げるものとして、強く忌み嫌われているそうで、おまけに生きたままとは残酷すぎる。
その背後にあるものは自分の供え物を神様に受け取ってもらえずアベルを殺したカインの思いに通ずると思います。歴史的清算の為に祈るしかありません。

た「お父様はイエスの使命を引き継いだ瞬間から独り息子となった、お母様は胎中にいるときから無原罪だった」(独生女神学論)について

「「血統転換」、私は胎中にいる時からそうなのです。皆さんがこのことを信じなければなりません。」
「お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。分かりますか?そのことを分からなければなりません。」


についての個人的解釈


説明の順番のために、まずは
「お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。分かりますか?そのことを分からなければなりません。」
について


「ユダヤ教とキリスト教が、神を人類の父として侍ることのできる道を整えてきたのです。そうして、イエス様が地上に来られ、ひとり子という名を持つようになりました。アダムとエバの堕落により始まった歴史時代に、初めて神の愛を受けることができるひとり子が生まれました。神の長男が生まれたわけです。」(神様王権即位式のみ言より)


4000年の摂理歴史を経て、無原罪=神の血統を持ったイエス様がこの世に誕生した。(詳細は「イエス様の生涯と愛」に詳しい)

この、“生物学的な意味での誕生の段階”を“地上に来られ”た時と解釈するとしよう。
すると、「地上に来られ、ひとり子と言う名を持つようになった」というみ言からは、ひとり子と言う名を持つようになったのは地上に来られた後と解釈できる。
つまり、誕生時において無原罪であり神の血統を持ってはいたが、まだ“ひとり子”という立場になれるかどうかは決まっていなかったと捉えられる。


「イエス様は、「私は神様のひとり子だ」と言いました。これは、神様の真の愛を受けることができるという意味です。」(祝福家庭と理想天国)

神の血統ならすぐにでも神様の真の愛を受けることができると思われるかもしれない。
しかし、神の血統を持っていながら堕落したのがアダムとエバであるから、イエス様がいかに神の血統を持っているとしても、誕生の段階ですぐに神様の真の愛を受けられない。
なぜなら、サタンがいるからである。
「神様、あなたはすべての人間が自分の子供だと言うのに、私(サタン)や私の血が流れる子供は放っておいて、先に自分の血統に入った子を良く愛するんですね。」
「私はエバを犯しましたが、そのエバがアダムを犯しましたね。私の血統とは無縁のイエスだって、いつ堕落するとも分かりませんよね?世の中のエバはすべて私の血を受けていますよ?この子(イエス様)を満足に愛することもできない立場のあなた(神)に、この子を守りきることができますか?この子は果たして自らを私から守りきることができますか?」

こうして行われる試練に打ち勝って、長成期完成級まで行って、「ひとり娘」を招くことができるようになって、初めて、イエス様は“ひとり子”となることができたといえるし、“メシヤ”となることができたと言えるのではないでしょうか?

(誕生の段階で明らかにイエス様が「ひとり子」であることが分かるみ言が見つからなかったので、このように解釈しました。なお、「ひとり子を送る」「ひとり子が出てくる」「ひとり子として生まれる」等の表現はありますが、サタンの試練を超えて、神様イエス様が長成期完成級を勝利したことを「送る」「出てくる」「生まれる」等という表現で比喩する事はさほど不自然ではないと考えました)



続いて
「「血統転換」、私は胎中にいる時からそうなのです。皆さんがこのことを信じなければなりません。」
について


「天使長がアダムと兄妹のように育ったエバを、偽りの愛で堕落させたものを、根本的に復帰すべきイエス様です。従って、アダムを代身して神様の息子として来られたイエス様は、天使長型の妹を妻として迎えなければなりません。彼女がまさしくザカリヤの娘、洗礼ヨハネの妹なのです。サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成されるためには、絶対的な信仰によって形成された保護基台がなければなりません。不幸にもイエス様の周辺では、このような土台がみな崩れてしまいました。」(96.04.16 ワシントン・タイムズ財団創立大会 ワシントンDC)


ザカリヤの娘、洗礼ヨハネの妹であるということは、この女性はエリザベツとの間に生まれた方と推測されます。(イエス様を洗礼ヨハネの(腹違いの等といった文言を省いて単に)弟とか言ったみ言を聞いたことがないので、この女性はマリヤとの間の子ではないと推測)

「マリヤは、タマルを中心として腹中復帰に勝利した血統的な伝統を受け継いで、初めてイエス様を身ごもったのです。」(22-256、1965/5/4)

とある一方、エリザベツがこの伝統を受け継いだというみ言を聴いたことはありません。(もしあれば教えてほしいです)したがって、エリザベツからは原罪のない、神の血統の子女が生まれることはありえません。

しかし、これらの推測が外れていることもありえます。
つまり、この洗礼ヨハネの妹は、無原罪であった可能性もあると言うことです。
エリザベツがタマルの勝利の基盤を引き継いでいるかもしれないし、この妹がマリヤの子供であったかもしれない。(←勉強不足なので、聖書に詳しい方に補足をお願いしたいです)

祝福結婚後、家庭出発前までの間は、男性は無原罪ですが、天使長の立場であるということを考えると、天使長型の妹が無原罪であること自体はなんら違和感がないと思われます。


もしかしたら、聖書も真のお父様も語っておられないところで、こうした摂理を通して無原罪=神の血統を持った子女が誕生していたかもしれません。
長成期完成級に至る前に、アダムやエバのように堕落してしまった子女がいなかったとは断言できないでしょう。

原理的には、摂理は3度までしか延長できない、したがって、アダムエバ、イエス、再臨主以外に無原罪の人類は、TPの聖婚前には存在し得ないはずだ。という反論もあるかと思いますが、結局、イエス様と真の父母様以外は長成期完成級にいけなかった、ひとり子になれなかったのですから、ノーカウント(または3度目であったアブラハムの失敗をイサク、ヤコブの三代で1度とカウントし蕩減できた、というような手法を使った)と捉えることができるのではないかと思われます。

また、お父様には「イエス様の使命を引き継がない」という選択肢もあったわけです。
もし断っていたら(これが1度目か2度目であれば)次の候補者にイエス様がお声がけをすることになるでしょうし、3度目だったら…考えたくもありませんが、アダム、イエス様、再臨主の三段階で失敗したので、この三段階をもって1段階とカウントし、6000年後に2度目の挑戦が来る…というようなことになるのでしょうかね?良く分かりませんが。


やや脱線しましたが、このように考えれば、真のお母様が生まれながらに無原罪であることはあり得るのではないかと思うわけです。
この場合、第1、第2のお母様も誕生時は無原罪であったが、失敗して堕落の血統が入ってしまったという解釈になりますね。


蛇足ですが、真のお母様が勝利できたのは、大母様の母子協助があったことが大きかったのだと思っています。
洗礼ヨハネの妹のときは、「このような土台がみな崩れてしまいました」なので…



さてさて、教会から早く公式回答が出て、答えあわせをするのが楽しみです。

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