統一教会が言論を圧殺する恐ろしい団体に変貌しつつある。 

神山VS教団(3)

 神山に怯える教団幹部たち

 統一教会が言論を圧殺する恐ろしい団体に変貌しつつある。
 それは、昨日(1月30日)に発表された「UCI(いわゆる「郭グループ」)に同調する神山威氏に対する声明文」に見て取ることができよう。私が注目した記述は下線、ゴチックにした。全文を引用する。

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(引用はじめ)

 世界本部からの2014年9月17日付「神山元会長集会に対する世界公文」、および日本教会の同年9月19日付「神山元会長の集会への対応について」の公文で明らかなように、元会長の神山威氏は真の父母様や世界本部の許可を得ずにUCI(いわゆる「郭グループ」)側の集会で講演をし、天一国経典『天聖経』の批判、真のお母様に対する批判、後継者問題に関する自らの考えで扇動し、統一教会および統一運動の一体化を損ねました。

 郭グループ問題は、真の父母様が生涯路程において最も心を痛められた事件の一つです。しかもこの事件は真のお父様の晩年期において起こった事件という点で、負の遺産として永遠に歴史に記録される復帰歴史の大きな汚点とも言えるものです.その郭グループの集会で、真の父母様に愛され,会長を務めた経験をもつ神山氏が教会責任者等の制止も聞かず講演したことは、真の父母様の心情にさらなる大きな悲しみを与えることであり、私たち歴代会長団及び有志代表一同は、その神山氏の行動を深く憂慮するものです。

 また、神山氏とそれに同調する者たちは、ブログ「今日の訓読のみ言友の会」に、日本での講演会の映像をアップするなどし、真のお母様に対する批判を繰り返し、真の父母様を十字架につける行動を今もなお取り続けています。この分派・分裂行動は、天一国時代の摂理を妨害するのみならず、今日までの天の父母様(神様)の摂理的勝利圏を否定するものであり、教会組織全体の一体化を損ね、弱体化させる重大事件と言わざるを得ません。

 真のお父様の偉大な歴史的勝利圏は、真のお母様の歩みと共にありました。

 真のお父様は、イエス様が成せなかった「聖婚式」をされ、人類の真の父母となられました。その勝利圏により、私たちも「祝福」の恩恵に与り、祝福家庭の一員として〝神の血統〟につながることができました。

 真のお父様の勝利圏は、天の父母様と真のお父様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、50年以上も神のみ旨を中心として、真のお父様を支え、寝食を共にされ、連れ添われた真のお母様の歩みの勝利によっても成されたものです。

 真のお父様は、2003年2月6日に2度目の聖婚式を挙行され、神様の直接主管圏での結婚式が成就したとして、「神様の婚姻申告」を発表されました。その真のお母様を批判し、その勝利圏を否定することは、私たち祝福家庭の存在価値そのものを否定することであり、真のお父様の勝利圏および神の血統をも否定する、まさに真の父母様に対する〝背信行為〟であり、絶対信仰とは対極をなす〝信仰の反逆行為〟であると言わざるを得ません。

 『原理講論』に、「イエスと聖霊はアダムとエバの代わりに、人類を重生させてくださる真の父母として来られた」(155頁)とあるように、聖霊とは人類の真の母です。聖書に「聖霊に対して言い逆らう者は、この世でも、きたるべき世でも、ゆるされることはない」(マタイ12・32)と記されているように、聖霊の実体であられる真のお母様を否定し言い逆らう者はゆるされません。また、そのような〝反逆行為〟は、真の父母様を中心として天一国を創建しようとする「天一国憲法」の根本精神にも反するものです。

 よって、私たち歴代会長団及び有志代表一同は、UCI(いわゆる「郭グループ」)に同調している神山威氏に対して、次のように要求し、この声明文を公表するものです。

1.日本統一教会の歴代会長団及び有志代表一同は、UCI(いわゆる「郭グループ」)に同調している神山威氏が、今からでも遅くないので、深く悔い改め、真のお父様が、真のお母様と共に発表された「真の父母様宣布文」の指示に従い、日本統一教会の会長経験者に相応しい、真の父母様の前に忠孝の道理を尽くす、統一教会の信仰の王道・信仰の正道に一刻も早く立ち返ることを願う。

2.神山威氏は、これ以上のUCI(いわゆる「郭グループ」)に組みする反摂理的行動をやめ、真のお父様が2010年7月16日の「ボート会議」で直接、神山氏に対し語られた「顯進は先生と同じ方向に向いていない。なぜ顯進の方に行くのか。ちゃんと先生につながらないといけない」、「なぜ先生に質問しないで顯進の方に行くのか。こんな船の場を本当はつくりたくなかった。霊界に行っても言われるよ」というみ言をはじめ、其の他数々の警告のみ言を思い起こし、真のお父様が遺されたご意向を受けて、地上で統一運動の陣頭指揮をとられる真のお母様を支える祝福家庭および教会員の一員として、天の父母様および真の父母様の願われる本然の立場に戻るように願う。

3.神山氏は、今まで行ってきた天一国経典『天聖経』批判、真のお母様に対する批判等を撤回して深く悔い改め、さらには、ブログ「今日の訓読のみ言友の会」に掲載した日本での講演会の映像を削除するように要求する。そして、教会の一体化を損ねる行動を慎み、速やかに世界本部の指導に従い、天地人真の父母様を中心とする本来の祝福家庭の一員としてひとつになって行動するよう願う。

以上

2015年1月30日

日本統一教会・歴代会長団及び有志代表一同

小山田秀生、周藤 健、江利川安榮、大塚克己、古田元男、太田洪量、飯野貞夫、中田欣宏、松崎裕史、矢野治佳

(引用終わり)


【若干の注釈と感想】

 最初に言っておく。私の立場についてである。
 私は神山氏にインタビューしたことがある。袖振り合うも多生の縁ゆえ、少しは神山贔屓にならなければならないのだが、神山氏の「統一教会の後継者は文顯進がふさわしい」に、同調する立場にはない。非教会員のライターがコメントすべきではないし、その資格もない。ただし、前総会長の宋氏がふさわしいという主張があれば、私は反対の論陣を張る。

 神山氏の講演を熱心に聞いたが、正直言えば、理解できなかった。
 わかったのは、文鮮明氏と韓鶴子氏は一体ではない。そこだけは理解できた。
 実際、韓鶴子氏は「7/1講話」で、夫は生まれてから無原罪となったが、私は生まれる前から無原罪だったと、夫婦の違いを強調していた。
 また、写真でも自分のほうが上とアピールしていた。

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 教義には門外漢だが、神山氏が鮮鶴一体ではないと述べているのは事実である。ただし、私にとっては、前のブログでも述べたが、鮮鶴一体だろうがそうでなかろうがどうでもいいことだ。
<注>日本の教団はいまだに「7・1韓講話」の全文を発表していない。鶴をバカにしている証左である。

(1)神山講演は「教会組織全体の一体化を損ね、弱体化させる重大事件」だったという。
 正直な物言いだね。くすっ 
 私だったら、「組織全体の団結を乱そうと試みる不届きな行為」ぐらいにするのだが。
 この正直で幼稚な言葉から見て取れるのは、ブログ「今日の訓読のみ言友の会」(現在ブログ村5位)の影響が深刻で、組織が弱体化しつつあると嘆いているのだ。教会員さんはお人好しさん、確かに。
 私が教団幹部だったら、密かに、「いつも私のとなりに神さま」「教育部長の原理講義」「今日もいいことがある!統一教会員のブログ」という三バカトリオの公職者ブログ(ごめんねジロー)をクリックせよ、と指示するけどなあ
 そしたら、3つはぶっちぎり。4位以下ははるか崖の下となって、霞んで見える

(2)神山講演が行なわれたのは昨年の9月のこと。ブログ「今日の訓読のみ言友の会」が開設されたのもやはり昨年の10月のこと。なんで、今さらジローなんだよ~っ。
 考えられるのは2つ。
 1つは神山ブログの影響が大きくなったこと。これはすでに述べた。
 もう1つは、神山ブログのことがお母様に報告され、動画を見た鶴が激怒した。

(3)ブログ「今日の訓読のみ言友の会」に掲載した日本での講演会の映像を削除するように要求する。
 これは尋常な要求ではない。
 教団が神山氏のことをまだ教会員と思っているのならともかく、もう赤の他人(分派)と見なしている。
 ならば、社会的にみれば、神山氏は一個の独立した存在だ。その神山氏の講演動画を削除せよ!とは言論の封殺以外のなにものでもない。
 言論の自由は、信教の自由と同じように、憲法で保証された日本国民の権利である。
<集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する> 
 これをあからさまに否定する。それも公のサイトで!
 だからこそ、統一教会が拉致監禁に反対している権利意識の源が疑われるのだ。信教の自由を守れというのなら、同じように言論の自由を守れと主張しなければならないはずだ。

(4)では、なぜ今さら神山講演動画を削除せよとなったか、だ。
 それは、前述したように、韓鶴子さんが動画を見たからだ、と強く推認される。
 鶴の一声。「削除せよ!」
 それに呼応したのが「日本統一教会・歴代会長団及び有志代表一同」連中。換言すれば、統一風に言えば堕落した社会、一般的には民主主義社会、そのもとで額に汗して働き、生活したことのない連中だろう。。
 おそらく、というより100%の確信をもって言うのだが、名を連ねた連中は前述した憲法21条を読んだことはないはずだ。
 鶴が怒った。公的に宣言するには太田朝久氏?ダメダメ。徳野会長?ダメダメ。役不足。
 それで、阿呆の10人衆を並べたというわけでございましたとさ。

(5)署名者についての無責任寸評である。(鼻くそでもほじりながら、眺めてくださいな)

小山田秀生:鶴のポチとは思わないけど、下心があって鶴に侍っている御仁。息子はいい奴(根拠は目がいい)だけど、親父は公金横領の疑いあり。ポマードのつけすぎ。

周藤健:私はこの人のことを密かに周藤老師と読んでいる。人格者だと信じているのだが、矜持に欠ける。「お願いしますよ」「ああ、いいよ」。同じ副会長だったアボジ派の末永喜久子女史はどうして署名しなかったのか。疑問が残る。

江利川安榮:懐かしい名前だ。彼女はもはや市井の人。あっ、ただし、元会長には毎月20万円の“年金”が出ている。会計の岡光さん、そうですよねえ。
 どこの教会の礼拝にも参加せず、今や退会状態の人。なのに、署名に同意するとは!年金欲しさゆえ?
 ダンナは韓国人。彼女は韓国人が大嫌い。お子は3人いたと聞いたけど、2世祝福は???

大塚克己:自分の手柄は自分のもの。失敗はすべて部下の責任-として有名な人ですね。大塚さんのことはよくわからないけど、どうしてこのメンバーに徳野英治さんが名を連ねていないでしょうかね。変なの

古田元男:こいつ、統一教会を地の底に落とした奴だよね。まだ、組織に「すがってんだねえ」。まあ、影響力がないからスルー。桜会でも相手にしていないようだから。

太田洪量:この御仁、勝共連合のトップですぜ。「私は韓国人として生まれたかった」と周囲に吹聴している脳足りん。

飯野貞夫、中田欣宏、松崎裕史:詠み人知らず。この3人についての情報が入ったら、更新します。

矢野治佳:なんで?という感じですね。彼は総務局長。ほかに局長は鴨野(広報局)、佐野(家庭伝道局)、方(伝道教育局)がいるというのに!

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コメント

忘恩の徒

日本統一教会・歴代会長団及び有志代表一同として名を連ねておられる方々の名前をよく覚えておきましょう。無知蒙昧なる、天とお父様への反逆者、忘恩の徒として・・・。

現役食口が一番がっかり

今回の声明文には神山元会長の公開質問状には何一つ回答していない。米本さんの推察通り韓鶴子氏の「神山なんぞ相手にしなくていい。とにかくあの動画を削除させろ!」という鶴の一声があったのでしょう。しかし、神山元会長の質問状に真正面から立ち向かってほしいと願っていたのは他ならぬ現役食口であったと思います。故に今回の教会の声明文に一番がっかりしているのも現役食口でしょう。

臭い匂いは元(朝鮮統一詐欺師達)から断たなきゃダメ!

だんだん、日本統一教会にも朝鮮儒教シャーマニズム誇大妄想盲進エゴイストの影響が強くなって来ている様だ。朝鮮人統一教会が支配する傀儡糞組織に成り下がった様だ!アージュ。

私は三男を支持する神山名誉会長を支持している訳ではないが、あまりにも、日本統一教会本部の神山名誉会長に対する対応(反発)が愚か過ぎて、完全に韓鶴子夫人や朝鮮統一教会幹部達の無知蒙昧のやり方が前面に出て来ている様に思える。

いい加減に、日本統一教会現元分反幹部有識者を集めて公開討論会をやりましょう!

しかし、何故、霊感商法の無責任卑怯者責任者のエロペテン師在日朝鮮人の古田元男の様な糞が入っているのだ?、、、日本統一教会も糞になったという事だ!、、、糞よ!臭い匂いばかり漂わせずに、早く、地の肥料にでもなれ!神様と人類に少しは貢献せんかい!この糞が!

なぜ「ボート会議」を・・・

2010年7月16日の「ボート会議」をどうしてここで書かれるのだろう??
神山氏によると、この後、お父様に従って、ヨスの摂理の講師をして、お父様から直接、指導を受けたと言われているのに。
健康な教会を作るのなら、下々の教会員に要求するばかりではなく、こういう問題を幹部で解決するべきだ!と思います。
神山氏と一緒にとことん話し合えよ!
と言いたいです。
神山氏が顕進様を推されている事は別にしても、基元節、お父様の聖和に関しては、同じように思っている教会員はいっぱいいると思います。
しっかり話し合って、誰もが納得するような解答を出せないようで、どうして健康な教会が作れようか?
異常に献金要求するくせに・・・
って思いが出てきてしまいます。

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民主主義国家に住まないで

法治国家と民主主義国家日本のなかに居ながらにして、別の全体主義国家を作るのであれば、別の所に移住して周りに迷惑をかけないように独立国家を作っていただきたいですね。やはり韓国の清平に皆さん移住してよろしく天一国を盛り上げてください。きっと韓国なら賄賂でどうとでもなるでしょうから。
  • [2015/02/01 00:04]
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  • 全ての始まりは清平
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統一教会は朝鮮末期の守旧派の流れ

 Willの雑誌に従軍慰安婦問題で日本は謝罪せよとデモを行った統一教会のリーダーとして江利川、増渕氏の顔写真が大きく掲載された。その後、朝日新聞が誤報を認め従軍慰安婦(軍の強制連行)が嘘であることが明らかになった。
てっきり、江利川氏は懺悔のつもりで一線から姿を消したと思っていたら、このような形で名前が出てくると思わなかった。かつて北に行った日本人妻問題で池田文子の偽名で、自分が被害者の一員であるかのように装って活動していたのである。 
 私は、以前は朝鮮半島で日本人は悪いことをしたのではないかと思っていたが、日韓の歴史を公正な視点で調べなおすと、当時の大部分の韓国人は満足、感謝していたことがわかってきた。李朝末期は守旧派と改革派の間で激しい主導権争いがあった。改革派の人々は多くが一族もろとも処刑されたのである。しかも改革派の多くは立派な人で親日派であった。
 当時、日本も朝鮮もロシアが脅威であり(陸続きの為)仮想敵国であった。日露戦争では多くの朝鮮人も一緒に戦ったのである。相思相愛で条約に基づく合法的な手段で日韓併合された後、守旧派(主に両班)は金九を中心として上海臨時政府を樹立。反日テロ、爆弾事件(今のイスラム過激派と同じ)を起こしたのである。
しかもソ連から資金援助をもらっていたのである。あの尼港事件で日本人760名虐殺した朝鮮パルチザンを指揮していた李東輝も上海臨時政府の軍事部門の責任者であったのである。
 日本国内でも多数の工作員が暗躍、天皇暗殺未遂事件を起こしたり、関東大震災では暴動を扇動、放火しまくったのである。文鮮明氏は日本留学時代、このテロリストの金九の指示に基で動いていたのである。故に日本の官憲の取調べを受けたのは当然のことである。
 この守旧派の流れを汲んだのが統一教会なのであるから、いくら朝鮮半島の近代化を日本が行い借金の返済、奴婢の解放、ハングル文字の普及、飢餓、病気からの解放を行ったとしても日本は悪いことをしたことになるのである。李朝末期の平均寿命24歳。子供3人生まれれば2人死んでします。終戦時、平均寿命約50歳、人口も倍増。当時の生活していた証言では、日本統治時代、法がなくても安心して暮らせる社会であったと述べている。
 今日の韓国の反日は、当時のアメリカの政策として反共、反日の李承晩を大統領に据え、親日狩を行い、嘘の、歪曲した歴史を作ったのである。ソ連の手下の金九は李承晩の部下によって暗殺された。
 このように儒教(朱子学)を賛美する統一教会はあの李朝暗黒時代、李承晩の大虐殺には触れず、いつまでも日本は悪いことをしたと云い続けるのである。これは守旧派の流れだからである。
 ちなみに親日派辞典のナンバー2の朴永孝は大極旗をデザインした人物であることを、韓国人牧会者はご存知だろうか?。
 

3氏の肩書き等…

飯野さんはレダの事務局長、中田さんはレダの会長で777双の会長、松崎さんは昔のファミリーの証によるとアメリカで頑張っておられたようですが、現在の肩書きは不明。
皆さん777双です。
ご参考に…。

連名者が役不足

歴代会長団といいながら、現役の徳野会長が入っていないのは、とても違和感がありますね。あと、第3代の藤井会長の名前もありません。

それと夫婦一体の時代なのだから、霊界におられる元会長は、地上におられる奥様が名を連ねるべきでしょう。すなわち久保木夫人、桜井夫人、石井夫人、梶栗夫人が前面に出ないと変です。

また、有志代表が「古田元男、太田洪量、飯野貞夫、中田欣宏、松崎裕史、矢野治佳」じゃあ、神山先生の足元にも及びません。神山先生と同じ12双(日本の祝福家庭の先祖)が名を連ねるべきでしょう。12双は下記の通りです。敬称は略します。元会長は(会)、名を連ねていない人は(★)。

神山威・裕子(会)(★)
桜井設雄・節子(会)(★)
石井光治・トミ子(会)(★)
梶栗玄太郎・恵李子(会)(★)
井上忠之・恭子(★)
堀展嘉・きくゑ(★)
田中光義・千鶴子(★)
阿部正寿・千鶴子(★)
横井勉・捷子(★)
大山高誉・方子(★)
小山田秀生・儀子(会)
周藤健・薫代

12双のうち2家庭しか名を連ねていません。神山家は致し方ないとしても、これでは逆に「?」マークです。もしかして、皆さんに断られてたりしてね。

お父様から名誉会長の称号を受けた12双の元会長に対して三行半を突きつけるならば、

・現役会長(徳野)
・歴代会長団(全員、夫人も含む)
・12双家庭
・本部局長、および部長

これくらいの連名にしなきゃ、インパクトがないです。というよりも、これらの人々に名前を出してもらえなかったこと自体、現執行部の求心力&信頼性がないのだという現れだと思いました。

大塚元会長について

やはりというか予想はしていましたが、後藤さん殺害ですか…。

事実であるならば、湯川さん、後藤さんのご冥福をお祈り申し上げます。

大塚元会長のことは、「よくわからない」とのことですので、私が体験したことを書かせて頂きます。
徳野、大塚氏は復帰された時からのクサレ縁(失礼)、CARP時代の蜜月関係からよく並び称されますが、性格は正反対です。
「人生目立ってナンボ」の徳野会長と比べると、静かな生活を望むというか…。
1610双の時にお父様に見いだされていなければ、ご本人が人生の目的としておられた、よき家庭人として今に至られていたと思われます。

人徳という面でも大きく異なり、大塚会長が帰られると聞くや、当時頼んでもいないのに(笑)、多くのシックが名残惜しく、見送りにきたものです。
徳野さんの時は、誰もきませんでしたが。
かといって徳野さんが冷たい訳では無く、むしろ情は深すぎるくらい深いのですが、「良いカッコしい」なのでそこが露呈してしまい人望がないのでしょうね、おそらくは。

いずれにしても徳野、大塚会長の近くで歩んで、多くの堕落性も見てきましたが、大塚会長については不快に感じたことは、ほぼありません。

ただの昔話しですが、こちらのブログを読んでおられる教会員の皆様の参考になれば幸いです。

セツナイ

へぇー、江利川さん20万貰ってるんだ!昔は総連と命がけで闘ったと聞いた事があるんですが、、。
ご主人は収入がないか、生活費を渡さないんですかね?
老体に鞭打ちながら献金の為に働く食口を見たら泣けてきます。

大塚元会長の事はよく知りませんが婦人はいわゆる烈女タイプで少し怖い印象がありますが、近くで接してないので真実はわかりません。

しかし 彼等が霊界で上層にいけるのか本当に疑問です。(霊界を信じない方はスルーして下さい。)

後藤さんも殺害されたようでISILとの闘いが深刻化しそうな中での内部の抗争。統一運動は超宗教的平和活動ではなかったんですかね?
今はより大きな目的に向かい共に祈る時ではないのでしょうか?
宗教が見下される理由がよくわかる。献金出来る余裕ができたら、より有意義に使ってもらえる所を探そう。

P.S

私の教会長はそういうタイプではないですが、今日の礼拝でまた殺害された日本人を持ち出し献金に結びつける教会長がいそうな体質のウリ統一教会(涙)

いや、その献金殆ど無駄な人件費に使われてますから。
情報弱者でアベルの言う事しか聞かない微妙な純粋食口に幸あれ!

好色一代教祖

けんかをやめて 二人をとめて
利権のために 争わないで もうこれ以上
ちがう幹部の人を 競わせてしまう
割れるカルトセクト  よくあるでしょう
だけどどちらとも少し距離を置いて
うまくやってゆける 自信があったの
ごめんなさいね アボジのせいよ
二人の心 もてあそんで
ちょっぴり 楽しんでたの
思わせぶりな態度で だから
けんかをやめて 二人をとめて
利権のために争わないで もうこれ以上♬


献金実績数 競う幹部達を
刺激したかったの ただそれだけなの
何時か本当の事 わかる時が来るまで
そっとしといてね 地獄にいるから
ごめんなさいね アボジのせいよ
二人の心 もてあそんで
ちょっぴり 楽しんでたの
思わせぶりな態度で だから
けんかをやめて 二人をとめて
利権のために争わないで もうこれ以上 ♬


https://www.youtube.com/watch?v=WifZCivN6kc

=====================
 このセクト抗争源流は郭氏vs朴ポーヒ氏であろう。
 この二人の仲の悪さは有名ですからね。
ブラックフンジン事件の時も郭氏がブラックフンジンに朴氏をボコボコにさせたそうですから。
二千年前半までこの派閥争いは郭氏の圧勝でした。
 郭氏の娘が当時の「お世継ぎ」(三男)の嫁ですから。
 で、ここからは推測ですが、嫉妬ムラムラの朴氏は鶴子と一緒に三男追い落としにかかったのでしょう。


 でもその原因を作ったのは文教祖ですから自業自得です。
 文教祖は朴と郭を仲が悪い事知っていながら和解させることなく、むしろ忠誠心競争を煽ってた。
むしろのその方が自分の利になるから。
 悪いやつだね文教祖は。(崔元福と韓鶴子も競わせてたんだろう)
 今は郭も朴も抗争の主体ではない。
あくまでも鶴子vs三男だ。本部も神山さんもまずそれを認めてほしい。
 そうすると母子の和解もできない
「真の家庭」とは何ぞや「血統転換」とは何ぞやという疑問になるんですな。
そんな「血統転換」に価値や意味等あるはずなく、「この世以上のドロドロ劇」を生み出した
文教祖は単なる社会をお騒がせした新興宗教の創始者以上でしかないということです。
 「~するよう願う。」と丁寧な言葉を使っていることから、「神山はん、ええ加減空気読んでくれや(教義的にありえない)教団分裂と文家の分裂がますますわかってしまうやん、公開討論したらどっちも傷つくんやでアホな事せんといて」
 を言外に表わしてるんでしょうね。
 本部は神山さんを畏れてるんでなく、バトルすると教義と文家の矛盾がより鮮明になってしまうのが怖いんじゃないかな。
(どっちも勝者になれないジレンマ)
 
 私は外野だから「喧嘩をやめて」なんて言わない。ノーガードの殴りあいを期待する。
どっちもつぶれるまでがんばれ、もう世間から見放されてるから気にすることないぞ。
拉致監禁もなくなるぞ。


絶対に逃がしてはならない

高飛車な物言いをしているが結局、教会本部は神山先生の公開質問状に答えられず逃げたんですね。私の知り合いの現役食口は教会からの回答を期待していました。神山先生は初回から4回の質問状を整理して再度公開質問することを期待します。絶対に逃がさないで下さい。

Re: 好色一代教祖

>このセクト抗争源流は郭氏vs朴ポーヒ氏であろう。

 ぼくもそう推測しています。

>嫉妬ムラムラの朴氏は鶴子と一緒に三男追い落としにかかったのでしょう。

 これもそうだと思います。
 もう一つ、朴氏の心理には、韓国特有の地域ナショナリズムが色濃く反映されていると思います。アイヌ差別の比ではないような。

>今は郭も朴も抗争の主体ではない。あくまでも鶴子vs三男だ。本部も神山さんもまずそれを認めてほしい。

 ここは認識が違います。

鶴子を絶対と認めるフリをして裕福な生活をしたいと考えている幹部たち。
VS
三男が統一に戻らないことを知っているのだが、自分たちに大義がないから三男を支持している人たち。
 依存症の人々の対立軸でしょう。

 パシセラのくだらん記事を読めば、透けて見えてくるはず。
 彼は繰り返し言う。
 文顯進ニムは統一に戻る意思はありません。

 だったら、パシセラは統一村なんぞにこだわらず、新しい地平を開けよ、と言いたい。
 きっと、ガキだから不安なんでしょうね。

 故桜井会長の息子のほうが立派だね。彼のブログには苦悩の痕を読み取ることができる。でも、この御仁もまだまだ・・・。

>拉致監禁もなくなるぞ。

 挑発的言辞だろうけど、たぶん、そうなると思っています。でも、もう少し頑張らないと・・・。(ご協力を) 

結果責任を伴わない自称メシア

>>ここは認識が違います。

鶴子を絶対と認めるフリをして裕福な生活をしたいと考えている幹部たち。
VS
三男が統一に戻らないことを知っているのだが、自分たちに大義がないから三男を支持している人たち。
 依存症の人々の対立軸でしょう。


なるほど、ただ元信者として最も嫌うのは
三男派は文夫妻の取り巻きが悪い腐ってるといい、同じく本部側は三男を騙してる郭達がわるいと互いに責任をなすりつけあって、文家はなんも悪くないんだよと主張する偽善体質なんです。
 その悪い幹部を育て任命したのは文鮮明でしょう。最高責任者としての責任はないのか?
 普通はそんなバラバラの組織をつくり「悪い幹部」がはびこる組織を作ったら創始者は無能の烙印が押されるんです。
 さっきパシセラの「お母様を捨てたのか」を読んで💢ときました。
 結局三男のおやじおふくろがムノーだったんだよ。

統一教会の歴代会長団の非原理性

(「UCI(いわゆる「郭グループ」)に同調する神山威氏に対する声明文」より)
>真のお父様の勝利圏は、天の父母様と真のお父様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、50年以上も神のみ旨を中心として、真のお父様を支え、寝食を共にされ、連れ添われた真のお母様の歩みの勝利によっても成されたものです。

 米本さんが記事で引用された1月30日に発表された声明文は‘火の粉を払え’によって、この約半年ぐらいの統一教会中枢部の動きを知っている者達とそうではない教会によって情報操作されている者達では全く受け止め方が変わってしまいます。
 ‘火の粉を払え’によって記事にされた「7/1講話」の全文、また妍進氏と情進氏の聖婚式と、それによって明らかとなった今までの文先生の祝福教義の否定、さらに神山名誉会長の講演文、そして金孝南氏による統一教会公金の横領疑惑とその追及を遮る韓鶴子氏の真意、等々の記事を読んで韓鶴子氏の実像を知るようになった読者に上記のようなことを主張されても、説得力など皆無なのです。

 さらには‘火の粉を払え’においては簡単な紹介だけなされましたが、文亨進氏による韓国統一教幹部の政治的な組織工作の暴露は、統一教会の権力構造自体が歪んだものであったことを証明してしまったのです。
 韓総裁の下には自己の利益を優先する腹黒い幹部達が存在し、その自分達に都合のよい組織運営を画策していて、現実として亨進氏にその幹部達の計画に従うよう賄賂で買収しようとしたということです。
 文先生の聖和式を前後して韓国を中心に統一教会の権力構造は目まぐるしく変化しているように映り、一時は文先生の後継者と明記されて世界会長であった亨進氏も、現在は米国の地方教会の一牧師に過ぎないという変わりようです。
 韓国から隔たった日本の統一教会員にとっては、その組織体制の全体像を理解することは極めて困難なのですが、亨進氏の暴露によってその韓国を中心とした統一教会の組織的な全体像も次第に明確になってきました。

 そして、そこで明らかとなったのは、顕進氏の統一教会組織からの排除や国進氏、亨進氏の処遇の変化は韓国人中央幹部達が画策して行ったことであり、韓鶴子氏もただ韓国人幹部達に利用されていただけというのではなく、文先生を中心としていた組織を根本から造り変えて、‘独生女’を神学的にも現実的にも最高位とする韓鶴子氏を絶対中心とする組織に変えようとしていることがわかってきたのです。
 その実態が明らかとなった統一教組織中枢部の変動は 普通に考えれば一つだけ大きな謎が残り、実の母親である韓鶴子氏がその実子である顕進氏や国進氏、さらに「真の父母様宣布文」において文先生の後継者と明記された亨進氏まで何故権力の中枢から除外してしまったのかが疑問として残るのです。
 それに関しては米本さんが‘火の粉を払え’の今までの記事の中で心理的な分析を行っており、まさしく統一教会信者には予想だにできなかった韓鶴子氏の‘心の闇’が存在し、「鶴は鮮が嫌い」という鋭い考察によって謎が解明されたのです。

 ‘火の粉を払え’に書かれた内容は米本さんの着実な取材に基づいており、米本さんは間違いを指摘されて、事実が確認できれば間違った部分を訂正しており、今までの記事に書かれた事柄は正真正銘の真実と思って間違いありません。
 そのような‘火の粉を払え’に書かれた事実を踏まえると、最初に引用した声明文にある「天の父母様と真のお父様の前に絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準を立て、…真のお母様の歩みの勝利によっても成されたものです。」とはお笑い種でしかないのです。
 そのような現実の出来事と矛盾する妄言が通用するのは教会によって完全に情報統制され、現実には全く無知な末端教会員に対してのみなのです。
 日本統一教会の中枢部にいた歴代会長レベルであるならそのような統一教会の組織的な矛盾について全く知らないはずがないので、記事の声明文では意図的に‘御言葉’を悪用することまでしているのです。

 ‘神山威氏に対する声明文’においては「真のお父様の勝利圏」について殊更強調し、<イエス様が成せなかった「聖婚式」をされ、人類の真の父母となられました。>などと書いていますが、明らかに原理講論の理論とかけ離れています。
 原理講論においての「真の父母」となり得る条件とは、‘堕落人間’を霊肉共に新生して‘原罪’を清算させ、不倫の愛の問題と無関係な理想家庭を生み出し、理想社会を実現することで、もしそのような不倫の愛の問題を根本的に解決できなかったならば、それは‘メシア’でも‘真の父母’でも何でもないのです。
 原罪清算は三世代を経てからなどと原理を拡大解釈する信者もいるようですが、そうであるなら‘メシア’‘真の父母’はその三世代目の人物がなるべきなのです。
 原理講論の後編、第一章、第三節‘アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理’の記述にあるように三世代で「メシアのための家庭的な基台」は造成されましたが、‘復帰摂理’を勝利したとされるのは三代目のヤコブであり、それが故に神より「イスラエル(神に勝つ者)」の名前を授けられたのです。
 最初の世代で一度「信仰基台」の造成に失敗しているアブラハムがその「イスラエル」という名を授けられた訳ではないのです。

 現実の統一教会を原理講論の観点から見た場合、不倫の愛の問題を解決した類のものでなければならない「真のお父様の勝利圏」などというものはどこにも存在していないのです。
 ‘日本統一教会・歴代会長団及び有志代表’の統一原理に対する認識がこの程度であるとは驚くばかりです。
 尤も、一番原理講論と矛盾したことを平気で語っていたのは文先生だったのですから、歴代会長達が原理講論と全く矛盾したことを書いていたとしても致し方ないのかもしれません。

 原理講論に基づいて考えれば、文先生は「真のお父様の勝利圏」を達成するどころか、「宗教と科学を統一した課題として解決できる新しい真理」についても分からずじまいだったのだと思います。
 ‘血統転換理論’などは科学的真理とは相容れない理論であるし、原理講論では明かされなかったそれ以上の‘真理’など文先生の口からは語られていないのです。
 にほんブログ村でも顕進氏支持者のブログによって何度も取り上げられた文先生の‘御言葉’なのですが「良心は~に勝る」という内容を語った文先生の‘御言葉’を‘今日の訓読のみ言友の会’ブログが2月1日の記事において詳しく取り上げていました。
 そこに書かれた「皆さんの良心は、師が必要ありません。良心は、第2の神様です。師についていかないで、統一教会の先生に侍らないで、皆さんの良心に侍りなさい。」との‘御言葉’があり、1986年1月19日に語られたそうですが、無知な統一教会信者がありがたがるその‘御言葉’も実のところ原理講論の理論以下でしかないのです。

 原理講論においては‘良心’とは「創造された本性により、人間の心は、常に自分が善であると考えるものを指向する。このような心を良心という。しかし、堕落人間は善の絶対的な基準を知らず、良心の絶対的な基準をも立てることができないので、善の基準を異にするに従って、良心の基準も異なるものとなり、良心を主張する人達の間にも、しばしば闘争が起こるようになる。善を指向する心の性相的な部分を本心といい、その形状的な部分を良心という。」と定義付けているのです。
 さらに「それ故に、人間がその無知によって、創造本然のものと基準を異にする善を立てるようになるときにも、良心はその善を指向するが、本心はこれに反発して、良心をその本心が指向する方へとひきもどす作用をする。」<第一章 創造原理 第六節(三)、(3)より>とも書かれているのです。
 ‘今日の訓読のみ言友の会’ブログの2月1日の記事に書かれた文先生の‘御言葉’と以上の原理講論の記述を比べてみれば一目瞭然ですが、文先生の‘御言葉’は‘原理’用語の定義も曖昧であり、語っている内容も哲学的とはとても言えないのです。
 原理講論は劉孝元氏によって執筆されたものですが、そこにある哲学的な思想のレベルにまで文先生の講話内容は達していないのです。

 この様なことを書くと原理講論の総序にある「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、今までその弟子達が、或いは聞き、或いは見た範囲のものを収録したに過ぎない。時が至るに従って、いっそう深い真理の部分が継続して発表されることを信じ、それを切に待ち望むものである。」との記述をどう説明するのかと問われそうですが、確かにその記述は合理的に説明し辛いものであり、謎であります。
 劉孝元氏がとうの昔に他界してしまった以上、真実は闇の中ですが、私が想像するには、そこに朝鮮文化の影響下にある韓国人としての劉孝元氏の欠点が現れたのではないかと思っています。
 前のコメントで書いたとおり、韓国社会における人間の上下関係の絶対性は日本社会の比ではなく、劉孝元氏の文面にはそのような背景が影響せざるを得ないのです。
 この謎については暗在さんが一度だけコメントしたのを覚えており、暗在さんは「インテリだが自信がない」という表現をしていたように記憶していますが、深い‘心の闇’があることだけは確かです。

 しかしながら、原理講論の思想的に高度な部分は捨て去って、それとは相容れない妄想とも言える宗教思想を‘日本統一教会・歴代会長団及び有志代表’が語り、米本さんが指摘されるように日本国憲法に違反して言論を圧殺しようとするとは、統一教会も堕ちるとこまで堕ちたものです。

日本人幹部、元幹部が今やるべきこと。

 これは推察だが、署名者たちが喜んでこのようなみっともない声明文に署名したとは到底思えない。
 神山名誉会長の討論の呼び掛けに腰が引けて堂々と応じることができず、自由な問題提起や意見の表明さえ圧力で封じようとするこの声明文の本質は、北朝鮮の独裁体制や韓国の現政権の言論弾圧となんら変わらない。
 韓国の教会幹部が韓鶴子氏をコントロールしているという7男の最近の告発を念頭に置けば、おそらく韓鶴子氏の怒りの厳命というより、そのような触れ込みで韓国人幹部に署名を強要された可能性が高いのではないだろうか。会長年金や現職を失いたくないがために逆らうことができないのだろう。
 日本からの使途自由な莫大な送金が、韓国教会の権力闘争と腐敗をもたらしていることは明らかなのだから、いま日本人幹部、元幹部がとるべき行動は、給与、年金、教会内の立場を捨てても、韓国の腐敗を止めるために、日本の集金システムをいったん解体し、公正で透明な腐敗を生じさせない新たな機構ができるまで送金を止めることであろう。日本人幹部が全員そろって辞表を出せば、末端のシックも目覚めるのではなかろうか。
 そのことが、ひいては「韓国人なら強盗強姦魔でも日本人より価値がある」というような韓国至上主義の狂った原理観を是正し、韓国人幹部が反日復讐心で日本人を奴隷のように搾取している現体制を崩壊させ、超民族、超宗教、超人種という本来の天一国理想へ向かう第一歩となるだろう。
 腐敗から目を背けて命ぜられるままに莫大な金を無茶苦茶な方法でかき集め、韓国に送金し続けることは、もはや神の摂理と関係がないだけではなく、かえって悪魔にエネルギーを注ぎこむことになっている。日本の送金が韓国教会の分裂と闘争を促進させ、日本国内で永遠に反社会的カルト宗教のそしりを逃れることができない原因になっているのではないか。
 韓国教会のみならず、韓国の常軌を逸した反日の実態や、政権内部の混乱ぶり、韓国人自らが嘆いているその国民性のいびつさ、さらに韓国の近現代史をみると、韓国人が自らこの分裂闘争を収められるとは到底思えないし絶望的にならざるを得ない。
 日本がやれることは、無知からくる歪んだ贖罪意識を捨て、韓国に厳しく向き合うことだと思う。

サタンよ去れ

あなたは神様の子ではなくサタンの子になってしまったのですか?
あなたを動かしているのは神様ではなくサタンです。
憎しみ、怒り、嫉妬はサタンからくるものです。
神様は許す事、愛する事、1つになる事を願っています。
あなたのブログが神様の悲しみであることを知って下さい。
ご父母にこれ以上迷惑をかけないで下さい。

貴方こそ、下がりなさい

このような開かれた議論を サタンだと
自らを鏡に映して見なよ
貴方が サタン なのですよ

基元節

米本さんには神学論争などあまり関心ないかもしれないけど、ちょっと引っかかってる事があって、神山さんの公開質問に対する回答を期待してた者にとっては残念な話である。

しかしそれでも双方のやり取りを見ていて一つの問題がクローズアップされてくる。それは我々は基元節を正しく迎えられたのだろうか?と言ったシックにとっては大事な問題でもある。

ここで教会の公式ホームページの基元節の意義について掲載されているページを確認してみてほしい。
http://www.ucjp.org/?page_id=14653

そこには
「文師は2013年2月22日(天暦1月13日)に挙行される3度目の聖婚式のための聖酒を準備され、「全て成した」として、摂理の完成・完結・完了を宣言しておられましたが、同年9月3日、聖和(逝去)されました。」とある。
そのページの冒頭には
「 2013年2月22日、文鮮明師・韓鶴子総裁の3回目の結婚式となる「天地人真の父母聖婚式」が挙行されます。」とあるから、この内容は文先生聖和のあと基元節前に掲載されたものだろう。
もうやがて基元節2周年を迎えようとしているにもかかわらず、もう済んだはずの基元節についての意義が掲載されてもいいのではないだろうか?
それとも掲載されない理由でもあるのだろうか?

神山会長は2003年の第2回目の祝福について疑義を唱えているわけではなく、基元節に合わせて挙行されるはずだった第3回目の祝福がどうだったのか?疑問を呈しているものと思われる。なぜなら文先生があれほど楽しみにしておられた基元節を前に聖和されたからだ。
実際に結婚式が行われたとするなら、文先生は霊人体のみ韓総裁は霊肉両方で臨んだことになる。それで十分だったのかという疑問について考えているシックも多いのではないだろうか?

私は統一神学を専門に学んだことはなく、詳細な議論はブログ村の有識者に委ねたいが、一方で神学論争が無意味な裁き合いにならないことを願っている。

本部が神山会長の呼びかけた公開討論を避けたことは残念だが、もし基元節を自信を持って迎えたとするならこの基元節の意義について書かれたページをそろそろ書きかえてもいいのではないかと思う。

思考停止のレッテル張り。

 気に食わないものをサタンと罵る。オウム真理教信者が、批判者に「地獄に落ちろ」と罵った精神状態と変わらない。末端シックか中間スタッフか知らないが、シックの精神状態が少なからずこのレベルであるとすれば、救いがたいとしか言いようがない。イエスを悪鬼の頭と誹謗したユダヤの指導者とも重なる。
 己を絶対視し、批判も意見も受け付けない傲慢と自己陶酔が、どれだけ人類史上で犠牲をもたらしたか。
 腐敗と分裂から目を背けたまま、組織一体となってさらなる腐敗の深みにはまる。その負のスパイラルを止めることこそが、たまたま現在教会指導者の立場で組織に残ってしまった人々が払うべき蕩減条件なのではないかと思う。
 教会のアベルの言葉以外に耳を傾けるな、自分の頭で考えるなサタンが入るといって思考の自由を奪い、有り金をはたかせ借金まで背負わせて行動の自由まで奪う。心と体の自由を奪っている教会の現状は奴隷制度と変わらない。それは天一国の理想ではない。
 これは意見です。

「正しき神様の願い」には反応しないで。

「正しき神様の願い」のメールアドレス(ton000@yahoo.co.joは架空のものでした。

 悪質です。
 挑発して反応を楽しんでいるようなヘンシツ者です。
 ホスト番号には見覚えがあります。元シックだと思います。
 反応しないでください。

原理執筆の実際は?/『共同幻想論』

神々の黄昏さんのコメントから:
>暗在さんは(劉孝元氏を)「インテリだが自信がない」という表現をしていたように記憶していますが、<<
そ、それは……。
頭がピーマンならぬシャーマンの、頭が電気シャーマンの自信たっぷりに語る人間に、引き寄せられてくっ付いた、反対に頭は緻密でインテリだが自信に欠けた人間ーーーという、(陽陰が引き合う)“原理”を語っただけだというんだね。
オウム真理教でも、偏差値の高い理系の信者が何人もいたことなどを思い出しながら。
まあ文教祖の自信過剰ぶりに比べたら誰でも自信がないことになってしまいそうですが。

それはそうと、草創期の原理の執筆について書かれた、興味深い個所があるので、A・Bの二書籍から引用させていただきます。

A.『六マリアの悲劇』朴正華著 99ページより
(引用はじめ)
劉孝元は毎日、原理解説の執筆に没頭していた。劉孝敏と私は、ひたすら原理原本を書き写していた。
劉孝元があるとき、「この原理には矛盾がいっぱいあって、よくわからないところがある。このままではだめだ。」と私に言った。二人で、文鮮明に徹底的に質問したところ、彼は答えられなかった。劉孝元は「あとは天に任せるしかないな」と首を振りながら、自分流に執筆していった。
(引用ここまで)

B.『私は裏切り者』朴正華著 135ページより
(引用はじめ)
劉孝元氏は毎日、原理解説の執筆に没頭していた。劉孝敏氏と私は、ひたすら原理原本を書き写していた。
あるとき、劉孝元氏が「先生が持っているみ言葉をすべて語ってくれたら、もっとよい物ができる」と私につぶやいた。そこで二人が先生に質問したところ、先生は「時があるのだ、イエス様の時もそうだった。今、語ったらあなたたちは耐えられない。時が来たら、それに準じて語る。」と答えられた。私は「なるほどな」と納得し、時を見すえ、それに応じて真理を語る先生の洞察力に改めて感服した。今は全てを語らなくてもよい時なのだ。
(引用ここまで)

後に“『私は裏切り者』は(当時世界日報社長だった)石井光治氏が書いたものだ”と朴正華氏が証言したとか、
朴氏は自分が書いたことにする見返りとして教会側から多額の金銭を受け取ったとかいろいろ裏事情(話)はあるようですが、それはそれで置いといて。

Bは、最初の劉孝元氏のもって回った不自然なセリフといい、取ってつけたような納得の言葉の「なるほどな」の軽さといい(笑)、いつも隣にのブログ記事並みに説得力がないですが、文氏の“まだ時が来ていないから語らない云々”のセリフは、黄昏さんが引用した総序にもあるし、後に同じような意味のみ言葉がいくつも残っていることからして、文氏が実際に言ったとしてもおかしくないと思います。


>原理講論は劉孝元氏によって執筆されたものですが、そこにある哲学的な思想のレベルにまで文先生の講話内容は達していないのです。

劉孝元氏の哲学的な思想のレベルの質問に答えられなかった(尊敬ではなく不可能の意を表わす「られなかった」)ことは事実でしょう。

2008年以降に文氏は、「絶対“性”(絶対のセッ○ス)」や「正午定着」「夜・昼の神様」などを語った「原理本体論」の内容で原理講論を書き直せば原理講論は完全に完結する、と語ったとかで、それからすると、「時が来れば語る」は文氏としては一貫してそう思っていたのだろうと思えます。
その時が来て語った内容は、絶対だから絶対だ、絶対としなければ絶対にはならない、のような人類の精神発達史を逆流し退化したものであり、原理講論のレベルをより深化させたものではなかったのは確実なのです(語尾黄昏さん風)

では文氏が鉛筆書きで細かい字でびっしり紙に書いていたという原理原本(それを元に劉孝元氏が原理解説と原理講論を書いた)は何だったかということになると、その大元は、文氏25~6歳の頃修練会に参加し半年間入教したイスラエル修道院の金百文牧師が講義していた、創造原理、堕落原理、復帰原理と目次にある「キリスト教根本原理」(目次だけならネットでも確認可)、少なくても思想の構造・構想はそれによるところが大でしょう。(ちなみに金百文氏も劉孝元氏と同じく大学医学部中退のインテリの人格者だったようです。)
金百文著「根本原理」の内容は、目下西洋圏の元信者有志が韓国語から英語に翻訳している最中らしいですが。

***
話題は全く変わりますが、神々の黄昏さんにはぜひ『共同幻想論』吉本隆明著を読んでいただきたいと思っています。
私もひねくれ食口さんのコメントをきっかけにして読み始め、前半はとても面白く読み進み、後半は私の社会科学的感性が足りず失速し、85%辺りで打ち止めになってしまっていますが。
参考までに:wiki:共同幻想より http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%B9%BB%E6%83%B3
1.自己幻想 :
個人と個人の関係。芸術がこれに当たる。他者には影響を及ぼさないため、無制約に自由である。
2.対幻想 :
個人と他者とのプライベートな関係。家族・友人・恋人がこれに当たる。
3.共同幻想 :
個人と他者との公的な関係。国家・法律・企業・経済・株式・組合がこれに当たる。また、宗教は、個人の内面に収まっている限りは自己幻想に当たるが、教団を結成し、布教を開始すれば、共同幻想に当たる。
(引用ここまで)

『共同幻想論』の実際の内容は、もっと呪術的・シャーマン的で(特に前半。私にはそこが面白い)、神々の黄昏さんに合うかどうかわかりませんが、共同幻想が国家をつくっていったという流れで、下部構造が上部構造を決定するという唯物的史観に対抗しているので、方向性としては大きくは変わらないかと思います、が、底流に流れる人間の捉え方は統一原理とは大きく異なっていると思います。

これからも、精神の変容を続ける、生体反応のある、精神が生きている神々の黄昏さんの投稿を楽しみにしております。

おおお、神山のおっちゃんがんばってんな~

ま、二世からすると‘誰?‘なんだけどね。www


余りにも無知だと怒られちゃいそうだから二世の先輩に聞いたよ~ アメリカにも二世っているからね。www


20年も何もしてない耄碌ジジイだろうって。www


‘功労はアボジと一緒にダンベリーの監獄入ったまでで、その後 すべて黙ってるのが役割だったんだろうに今更な何ほざいてるんだか‘ だってさ。www


熱烈なファンはまだ居るらしいけど今更過去の栄光を持ち上げすぎな感じwww


なんだろ・・・ 年金をひたすら若い世代に払わせるのは大前提で自分たちは必要以上にたんまりと貰っている日本の老害世代と一緒な気がするんだけど違うのかなwww
  • [2015/02/02 18:27]
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  • 二世ですが何か?
  • [ 編集 ]
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みんなで話し合って下さい

歴代会長、有志の皆様は神山元会長と話し合って欲しいです。本部としても末端食口にはわからないだけで、もしかして影で神山元会長とひとつになろうと、いろいろ努力されてきたのかもしれません。しかし、それを越えて、もう一歩努力して、話し合って欲しいです。

今は7男のヒョンジン様もお母様の背後には不正な幹部もいると言っています。お父様と一体となったお母様の決定であっても、もしかして今は幹部の意向が含まれているかもしれません。

また、お父様のみことばも、時と場合、話す対象によって様々だと思います。ですから様々なお父様のみことばを検討して欲しいです。


そして歴代会長、有志の皆様はお父様の近くで侍られていたと思います。末端食口が知らないお父様、お母様の姿を知っておられるんじゃないでしょうか?

文書でのやりとりでは限界があります。今こそ、「許せ、愛せ、団結せよ」で、日本幹部の皆さんと神山元会長が一致団結して、今の教会の混乱を解決して欲しいと切に願います。


タイガーさんに同意

 清平で金孝南から日本人のアトピーは従軍慰安婦の恨みの霊がついているとか、韓国人の乞食であったとしても、日本人よりは価値があると聴かされたときは、腹の底から腹が立ち。嘘だと思った。それでも、まだ韓国人牧会者に接する機会が少なかったので、アボジに対する思いが強く、何とか教会に対しても肯定的な信仰を保っていた。
 ところが、お父様が聖和されてから、韓国牧会者の反日姿勢が礼拝説教の中でも堂々と語られ始めたのである。これには、さすがに堪忍袋の緒が切れてしまった。まさしく今の韓国世論と同じ感覚である。それが教会本部、韓鶴子氏のメッセージにも露骨に語られ始めたのである。これには、多くの壮年教会員はおかしいと思い始めている。但し、何故か女性教会員は信仰心が厚いのか、まったく動じていない。
 私も神山先生に、まったく同調するわけではないが、今の教会(韓鶴子氏も含めて)は何か狂っているとしか思えないのである。この思いはサタンからくる思いなのか。日韓の歴史問題でも教会が語っていることは全くおかしい。韓国、教会が主張する内容は嘘、デタラメばかり
である。もっと公平に歴史を精査せよ。
 先の神山先生に対する教会のメッセージも
一般の教会員(とくに壮年、過去の献身者)が教会に対する不信感をさらに助長するものである。教会幹部の公金横領の不正を明らかにし、おかしな韓国人牧会者を役職から外し、韓国に戻ってもらう方が、よっぽど解決策になるのではないのか。もう礼拝で反日説教、韓国賎民説教など聴きたくもない。どこに霊性があるのか。私までも献金返せ、青春返せ、人生返せと叫びたくなる。

Re:原理執筆の実際は?/『共同幻想論』

 私が劉孝元氏の性格について触れたコメント内容について、暗在さんからさらに詳しい解説をいただきましたが、実に啓発的で感謝です。
 暗在さんは‘哲学、思想好き’であることは知っていましたが、かなり鋭い直感をお持ちであることを実感しました。
>頭がピーマンならぬシャーマンの、頭が電気シャーマンの自信たっぷりに語る人間に、引き寄せられてくっ付いた、反対に頭は緻密でインテリだが自信に欠けた人間ーーーという、(陽陰が引き合う)“原理”を語っただけだというんだね。

 上の暗在さんの文氏と劉孝元氏の関係に対する捉え方はかなり鋭く、私も劉孝元氏に対する理解をかなり整理することができるようになりました。
 原理講論の総序から始まる宗教論や人間論などを私達はほとんど文字通りに解釈し、それらの内容は基本的に「今までその弟子達が、或いは聞き、或いは見た範囲のものを収録したに過ぎない。」と捉え、劉孝元氏の知性がそこに反映されているとは言え、文氏の宗教思想が骨格となっていると思い込んでいました。
 しかし、「では文氏が鉛筆書きで細かい字でびっしり紙に書いていたという原理原本(それを元に劉孝元氏が原理解説と原理講論を書いた)は何だったかということになると、その大元は、文氏25~6歳の頃修練会に参加し半年間入教したイスラエル修道院の金百文牧師が講義していた、創造原理、堕落原理、復帰原理と目次にある「キリスト教根本原理」(目次だけならネットでも確認可)、少なくても思想の構造・構想はそれによるところが大でしょう。」について改めて可能性を考えると、暗在さんのように考えたほうが合理的ですし、関連する多くの疑問が解決できるようになります。

 つまりは原理講論は金百文牧師が文氏に講義していた「創造原理、堕落原理、復帰原理」を元に書かれており、その過程において文氏が果たした役割といえば、金百文牧師の講義をノートにメモして、それを劉孝元氏に渡しただけになります。
 それは、今までの原理講論に対する統一教会員の考え方を根本から変えるものですが、そのように考えると、文氏の‘御言葉’と原理講論が一致しない理由がさらに明確になります。
 私が原理講論の総序を読んで一番最初に共感したのは「宗教が探し求めてきた内的真理と科学が探し求めてきた外的真理とを、統一された一つの課題として解決し、…」という部分ですが、文氏の‘御言葉’にはそのような傾向がほとんど見られず、最大の疑問であり、拭い切れない違和感を抱いていましたが、それは文氏の基本思想などではなく金百文牧師の思想であり、それを劉孝元氏が引き継いだものであると考えれば、すべての謎が解けてきます。

 文氏の<「絶対“性”(絶対のセッ○ス)」や「正午定着」「夜・昼の神様」>などを説いた「原理本体論」を読んで「内的真理と外的真理とを、統一された一つの課題として解決し、…」などの考えと一致させることなど、どのように考えても不可能なのです。

 暗在さんによって暗示された劉孝元氏の‘心の闇’をさらに追求して、原理講論と文氏の‘御言葉’が一致せず強い違和感が残っていた部分を研究していけば、統一教会の宗教思想の間違いについても明確な答えを出せるようになると思います。
 次第にわかってきたそれに関することを書き出すと長くなりそうなので、このレスコメントにおいては書きませんが、関連する後の記事のコメントの中で書いていこうと思います。
 取りあえずは暗在さんに感謝致します。

要するに、自称メシアの単なるメッセンジャーだった

>原理講論は金百文牧師が文氏に講義していた「創造原理、堕落原理、復帰原理」を元に書かれており、その過程において文氏が果たした役割といえば、金百文牧師の講義をノートにメモして、それを劉孝元氏に渡しただけになります。

「根本原理」と「原理原本」の目次だけを比較しても絶対確実だとは言えないが、少なくとも文鮮明が、金百文の思想から決定的な影響を受けていたことは間違いない。

ということは、今更ながら、統一原理は文鮮明のオリジナルの思想でも何でもなく、奴は単なるメッセンジャーに過ぎなかったということ。当然、自称メシアだ。

ちなみに、

金百文の「基督教根本原理」の目次
http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/200808270000/

そして、文鮮明の「原理原本」と劉孝元の「原理解説」の目次
http://plaza.rakuten.co.jp/kanteishoku800/diary/200808270001/

非開示コメント欄への投稿について

 何度かお願いしているのですが、MAIL:欄にメールアドレスを貼り付けてもらえませんか。

 重要な情報をいただいても、確認したり、質問したりができないので、スルーするしかないのです。

 もったいないです。

(追記)MYさんって、誰のことかわかりません。

トライ&トライ

 このブログのテーマは「統一教会が言論を圧●する恐ろしい団体に変貌しつつある」です。

 したがって、原理講論、み言のことをせっかく書かれても、スルーする読者も少なくないと思います。つまり、モッタイナイ。

 現在、これに関わるような記事を書いているのは、教育部長さんの「総序に見る人間の矛盾と良心」http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-1732.html
 と
それへの批判的な記事、「昨日の教育部長の原理講座に思う」http://ameblo.jp/karamatto777/entry-11985111308.html

 ここのコメント欄に、暗在・神々の黄昏・Watcherさんたちが投稿されてみたらいかがでしょうか。
 管理人との議論を、読んでみたいです。

笑止千万 サタンの迷文

2/3日付で教会の公式ホームページに「【第3弾】 神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り」がアップされていますが、どうひねくり回されても、理解できんものは理解できません。そこに書かれていることを信じろと言われても、私には無理です。理解不能です。小山田氏、周藤氏クラスの頭がなければ、到底無理です。私には、サタンの顔しか浮かびません。

基元節2

意を決して書いたつもりでしたが、あまり反応がなかったものだから続けます。
hide6500さんが紹介してくれてたので「【第3弾】 神山威氏の講演内容の誤り、及び御言解釈の誤り」を読んでみました。人の講演内容をもって批判するのは正しいやり方には思えませんが、そこまでして神山さんを批判したいわけがこの文を見てよくわかります。頭の良いhide6500さんが分からなきはずもないのですが、こう考えると分かりやすいのではないでしょうか?
すなわち本部の見解は文先生夫妻はすべてを成して、すなわち完結完了して基元節を迎えているのであって何を今更いちゃもんをつけてくるんですか?と言いたいのでしょう。
神山さんはそれに対して「未だ基元節は完全には迎えていない」という立場に立っているということなんではないでしょうか?
未完成ということは、責任分担が果たせてないことになり、すなわちまだ仕事が残っているということにつながり、それを引き継ぐ人物が必要という意味でもあります。
神山さんによれば、それが3男の方ということになるのでしょう。
そういった見解を本部は絶対に容認したくないということでしょう。したがってどんなことがあっても潰したいのが本音ではないでしょうか? 文先生・韓総裁の代で終了してもらいその後は権威はどなたか血統の方にお飾りででも立ってもらい権力は我が身に手に入れたいということでしょうか?
それで米本さんのこのブログのテーマ「統一教会が言論を圧●する恐ろしい団体に変貌しつつある」ということになるのでしょう。
初期のキリスト教会もすさまじい神学論争があったに聞いていますから、それがいま現在も繰り返されることになってしまうのは愚かしいことです。しかしこのような信仰問題には一切妥協ができないのですから難しいのかもしれません。

これを訓読せよ

十七条の憲法
第1条
一にいう。和をなによりも大切なものとし、いさかいをおこさぬことを根本としなさい。人はグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。それだから、君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかない。しかし上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議するなら、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就(じょうじゅ)するものだ。
第2条
二にいう。あつく三宝(仏教)を信奉しなさい。3つの宝とは仏・法理・僧侶のことである。それは生命(いのち)ある者の最後のよりどころであり、すべての国の究極の規範である。どんな世の中でも、いかなる人でも、この法理をとうとばないことがあろうか。人ではなはだしくわるい者は少ない。よく教えるならば正道にしたがうものだ。ただ、それには仏の教えに依拠しなければ、何によってまがった心をただせるだろうか。
第3条
三にいう。王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがいなさい。君主はいわば天であり、臣下は地にあたる。天が地をおおい、地が天をのせている。かくして四季がただしくめぐりゆき、万物の気がかよう。それが逆に地が天をおおうとすれば、こうしたととのった秩序は破壊されてしまう。そういうわけで、君主がいうことに臣下はしたがえ。上の者がおこなうところ、下の者はそれにならうものだ。ゆえに王(天皇)の命令をうけたならば、かならず謹んでそれにしたがえ。謹んでしたがわなければ、やがて国家社会の和は自滅してゆくことだろう。
第4条
四にいう。政府高官や一般官吏たちは、礼の精神を根本にもちなさい。人民をおさめる基本は、かならず礼にある。上が礼法にかなっていないときは下の秩序はみだれ、下の者が礼法にかなわなければ、かならず罪をおかす者が出てくる。それだから、群臣たちに礼法がたもたれているときは社会の秩序もみだれず、庶民たちに礼があれば国全体として自然におさまるものだ。
第5条
五にいう。官吏たちは饗応や財物への欲望をすて、訴訟を厳正に審査しなさい。庶民の訴えは、1日に1000件もある。1日でもそうなら、年を重ねたらどうなろうか。このごろの訴訟にたずさわる者たちは、賄賂(わいろ)をえることが常識となり、賄賂(わいろ)をみてからその申し立てを聞いている。すなわち裕福な者の訴えは石を水中になげこむようにたやすくうけいれられるのに、貧乏な者の訴えは水を石になげこむようなもので容易に聞きいれてもらえない。このため貧乏な者たちはどうしたらよいかわからずにいる。そうしたことは官吏としての道にそむくことである。
第6条
六にいう。悪をこらしめて善をすすめるのは、古くからのよいしきたりである。そこで人の善行はかくすことなく、悪行をみたらかならずただしなさい。へつらいあざむく者は、国家をくつがえす効果ある武器であり、人民をほろぼすするどい剣である。またこびへつらう者は、上にはこのんで下の者の過失をいいつけ、下にむかうと上の者の過失を誹謗(ひぼう)するものだ。これらの人たちは君主に忠義心がなく、人民に対する仁徳ももっていない。これは国家の大きな乱れのもととなる。
第7条
七にいう。人にはそれぞれの任務がある。それにあたっては職務内容を忠実に履行し、権限を乱用してはならない。賢明な人物が任にあるときはほめる声がおこる。よこしまな者がその任につけば、災いや戦乱が充満する。世の中には、生まれながらにすべてを知りつくしている人はまれで、よくよく心がけて聖人になっていくものだ。事柄の大小にかかわらず、適任の人を得られればかならずおさまる。時代の動きの緩急に関係なく、賢者が出れば豊かにのびやかな世の中になる。これによって国家は長く命脈をたもち、あやうくならない。だから、いにしえの聖王は官職に適した人をもとめるが、人のために官職をもうけたりはしなかった。
第8条
八にいう。官吏たちは、早くから出仕し、夕方おそくなってから退出しなさい。公務はうかうかできないものだ。一日じゅうかけてもすべて終えてしまうことがむずかしい。したがって、おそく出仕したのでは緊急の用に間にあわないし、はやく退出したのではかならず仕事をしのこしてしまう。
第9条
九にいう。真心は人の道の根本である。何事にも真心がなければいけない。事の善し悪しや成否は、すべて真心のあるなしにかかっている。官吏たちに真心があるならば、何事も達成できるだろう。群臣に真心がないなら、どんなこともみな失敗するだろう。
第10条
十にいう。心の中の憤りをなくし、憤りを表情にださぬようにし、ほかの人が自分とことなったことをしても怒ってはならない。人それぞれに考えがあり、それぞれに自分がこれだと思うことがある。相手がこれこそといっても自分はよくないと思うし、自分がこれこそと思っても相手はよくないとする。自分はかならず聖人で、相手がかならず愚かだというわけではない。皆ともに凡人なのだ。そもそもこれがよいとかよくないとか、だれがさだめうるのだろう。おたがいだれも賢くもあり愚かでもある。それは耳輪には端がないようなものだ。こういうわけで、相手がいきどおっていたら、むしろ自分に間違いがあるのではないかとおそれなさい。自分ではこれだと思っても、みんなの意見にしたがって行動しなさい。
第11条
十一にいう。官吏たちの功績・過失をよくみて、それにみあう賞罰をかならずおこないなさい。近頃の褒賞はかならずしも功績によらず、懲罰は罪によらない。指導的な立場で政務にあたっている官吏たちは、賞罰を適正かつ明確におこなうべきである。
第12条
十二にいう。国司・国造は勝手に人民から税をとってはならない。国に2人の君主はなく、人民にとって2人の主人などいない。国内のすべての人民にとって、王(天皇)だけが主人である。役所の官吏は任命されて政務にあたっているのであって、みな王の臣下である。どうして公的な徴税といっしょに、人民から私的な徴税をしてよいものか。
第13条
十三にいう。いろいろな官職に任じられた者たちは、前任者と同じように職掌を熟知するようにしなさい。病気や出張などで職務にいない場合もあろう。しかし政務をとれるときにはなじんで、前々より熟知していたかのようにしなさい。前のことなどは自分は知らないといって、公務を停滞させてはならない。
第14条
十四にいう。官吏たちは、嫉妬の気持ちをもってはならない。自分がまず相手を嫉妬すれば、相手もまた自分を嫉妬する。嫉妬の憂いははてしない。それゆえに、自分より英知がすぐれている人がいるとよろこばず、才能がまさっていると思えば嫉妬する。それでは500年たっても賢者にあうことはできず、1000年の間に1人の聖人の出現を期待することすら困難である。聖人・賢者といわれるすぐれた人材がなくては国をおさめることはできない。
第15条
十五にいう。私心をすてて公務にむかうのは、臣たるものの道である。およそ人に私心があるとき、恨みの心がおきる。恨みがあれば、かならず不和が生じる。不和になれば私心で公務をとることとなり、結果としては公務の妨げをなす。恨みの心がおこってくれば、制度や法律をやぶる人も出てくる。第一条で「上の者も下の者も協調・親睦の気持ちをもって論議しなさい」といっているのは、こういう心情からである。
第16条
 十六にいう。人民を使役するにはその時期をよく考えてする、とは昔の人のよい教えである。だから冬(旧暦の10月~12月)に暇があるときに、人民を動員すればよい。春から秋までは、農耕・養蚕などに力をつくすべきときである。人民を使役してはいけない。人民が農耕をしなければ何を食べていけばよいのか。養蚕がなされなければ、何を着たらよいというのか。
第17条
十七にいう。ものごとはひとりで判断してはいけない。かならずみんなで論議して判断しなさい。ささいなことは、かならずしもみんなで論議しなくてもよい。ただ重大な事柄を論議するときは、判断をあやまることもあるかもしれない。そのときみんなで検討すれば、道理にかなう結論がえられよう。

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