教団本部は石橋君を第2の後藤徹にする気なのか!
拉致監禁リアル情報(41)
未然に防ぐことは可能だった
前回の記事「警告!UCIAが教団職員のPCを狙っている」 の末尾囲み記事で、杉並教会のAT君が3月7日、監禁から解放されたことを紹介した。
記事の出典は「二か月以上、拘束状態におかれた青年教会員が解放!」。再度の引用はしないので、未読の方はクリックして読んでもらいたい。
また、Yoshi Fujiwaraさんが「東京の成人男性 - 2ヵ月の監禁から解放」で、秀さんが「拉致監禁擁護派は、カルト以上のカルトだ!」で、分析を交えた記事を書いている。これも読んでいただきたい。参考になるはず。
本稿では角度を変えて、最近の拉致監禁について看過できないことを述べることにしたい。
まず、AT君が拉致監禁されたことを報じた記事である。下線部分に注意して読んでもらいたい。
「正月に新たな事件発生か。 東京の成人男性が行方不明―」
(引用はじめ)
正月に新たな事件が発生した模様です。
昨年12月31日から1月1日にかけて、「母親と食事に行く」と婚約者に言い残したのを最後に、東京の杉並教会に所属する青年教会員のA.T.さん(男性・32歳)との連絡が途絶えました。1月3日には婚約者と会う予定もあったとのことですが、それ以降、連絡がつかないまま職場にも姿を見せていません。
A.T.さんは、2005年に統一教会に入会。2013年2月には、同い年の日本人女性と祝福結婚式に参加していました。また、自身の信仰については以前より家族に伝えていました。本人をよく知る友人によると、ATさんは、統一教会への信仰について否定的な両親に理解してもらおうと、近年は定期的に実家に帰省し、週に一度は両親宛にハガキを送る生活をしていたとのことです。両親もA.T.さんが通う杉並教会を訪れたり、教会が主催するコンサートイベントに参加をしたこともあったとのことですが、一方で、婚約の挨拶のため、A.T.さんと共に実家を訪ねた婚約者との面会を拒否する等、反対する姿勢は変わっていなかった様子です。
神奈川県秦野氏にあるA.T.さん実家も無人状態が続いている等、A.T.さん職場の上司らも不審に思い、警察に相談するなどしているとのことです。
(引用終わり)
この事件は未然に防ぐことが可能であった。なぜか。これまでの傾向によれば、拉致監禁が発生する条件は次の4つである。
➀帰省などで実家に寄るとき。両親などに会うとき。
②祝福結婚をしたカップル。とりわけ家庭生活(夫婦生活)を始めようとするカップル。
③反対している親が急に教会のことに理解を示し始める。
④それでいながら、婚約者に会おうとしない。
この条件については、本部の拉致監禁対策委員会(拉致対)のメンバーも認識していることである。冤罪事件の被害者・宇佐美さんの婚約者が拉致監禁されたときのパターンもそうだったし、これまでのケースの大半もそうだった。
杉並教会にこうした4つの条件が合う青年シックは1人か多くて2、3人しかいないだろう。
杉並の教会長、数人の伝道教育などの部長たち(つまり献金で飯を食べ、末端シックを支えなければならない人たち)は、十分に警戒することができたはずだ。
しかし、対応策を全く取っていなかった。どうして? 「献金集めが忙しくて」。(理由になっとらん!)
文国進氏が日本担当を外されていなかったのなら、杉並教会長は厳しい責め(人事)にあったはずだ。
もう一つ注目しなければならないのは、今回の事件は「後藤ほぼ完全勝訴判決 」後だったという点にある。
統一教会という偏見を排した画期的な判決だった。だが、残念ながら、「後藤ほぼ完全勝訴」のことは誰も知らない。国民はともかく、信者家族も知らないのだ。
なぜなら、勝訴判決について、信者家族が読む反対派のサイト(日本脱カルト協会、全国弁連、紀藤弁護士、山口貴士など)が、カルト新聞を除き、一切アナウンスしていないからだ。カルト新聞にしても、的外れな記事だった。
判決文はこと運動においては重要な武器になる!
それなのに、教団は画期的な後藤勝訴判決を拉致監禁反対運動に生かそうとしなかった。裁判所前で勝訴歓喜集会をやって終わり。あとは何もなし。
判決文は長文ゆえ要約した文章(「拉致監禁はこのように違法行為と認定される」)を作り、現役信者が家族に渡すような取り組みをしなかったのだ。たいした作業でもないのに。
もし、AT君が文章を親に渡していたら、「今からやろうとしていることは違法行為なのか」と、拉致監禁を思い止まっていただろう。つまり、彼の拉致監禁は、未然に防げた可能性は高いのだ。
教団本部、就中(なかんずく)拉致対の怠慢の誹りは免れないだろう。
なぜ、怠けるようになったのか。それは実に簡単にして明瞭。「拉致監禁と闘え」と号令をかけていた文国進氏がいなくなったからだ。
徳野英治は、経済犯罪事件の責任を取って会長を辞任したときの記者会見で、「今後は一兵卒として拉致監禁撲滅に取り組む」と、全国紙の記者の前で宣言した。しかし、会長に返り咲いてから今日まで、国進氏が日本担当を外れたことをいいことに、拉致監禁の4文字を口にしたことはない。
「ははぁ、その通りでございます。これからは嘘つき徳野と呼んでください」
信仰仲間を見殺しにする拉致対
石橋正人君は、2014年の正月に拉致監禁された。
監禁はすでに1年と3カ月に及んている。来年の今頃は2年3カ月、再来年は3年3カ月だ。そして、後藤徹さんの12年間と並ぶ・・・。
後藤さんも同じだった。1年、2年、3年そして12年。後藤さんを誰も救出しようとしなかったのだ。
そのことを内省することなく、後藤さんの一審勝訴判決後の集会で断食芸人の井口康雄氏はマンセー、マンセーと叫ぶ。後藤さんの居場所を探そうとしなかったくせに。
後藤さんは救出できていた
真面目に探そうとしたら、後藤さんの早期救出は可能だった。その理由を説明する。
宮村に監禁されたYAMAさんは、偽装脱会で解放され、その後、教会に逃げ戻った。
そのときに宮村のアジト(IT機器を備えた拉致監禁センター)を教会に伝えている。
この「西央マンション」の一室には後藤さんを説得した元信者を含め、宮村の強制説得を受けて脱会した人たちがたむろしていた。彼女らを尾行すれば、容易に後藤さんの監禁場所「荻窪フラワーホーム」(アジトから歩いて10数分)にたどり着くことが出来た。
宮村のアジトを知っていながら、何もしなかった日本・統一教会。その結果、後藤さんは人生でもっとも貴重な時期を失ったのだ。
宮村らが西央マンションのアジトを引き払ったのは、宇佐美さんがこのマンションを急襲したからである。婚約者が監禁されているのではないかと疑って。確か2010年頃のことではなかったか。結局のところ、10数年間にわたって、統一教会はアジトの存在を無視し続けていたわけである。バカとしか言いようがない。
【重要な関連資料】「YAMAさんの体験談」
今回、AT君は解放された。
石橋君との違いは警察が「行方不明届け」(おそらく届け出は婚約者)を受理したかどうかにある。年に数万件、数十万件の行方不明の届けがあるゆえ、警察がいちいち捜査することはしない。しかしながら、「受理」すれば警察の責任問題が発生する。それゆえ、行方不明者の家族に連絡するくらいのことはやる。
AT君の家族は警察からの電話を受けて、指導者にそのことを伝えた。指導者は怖くなって、「もう解放していいよ」と言ったはず。
当初、私はAT君が杉並教会員ゆえ、場所柄からいって、脱会屋の宮村峻が絡んでいると睨んでいた。しかし、宮村は警察から家族に電話があったからといって、「解放していい」というようなタマではない。監禁場所を変えるだけだ。実際、一心病院の小出浩さんは荻窪から新潟に搬送されている。
だとすれば、指導者は誰か。杉並教会員、監禁マンションは所沢、トラブルが生じると手を引く・・・。

私は、写真の人物、荻窪栄光教会(杉並区)の主事、黛藤夫だったのではないか推測している。
話を石橋君のことに戻す。
指導者が宮村のことゆえ、石橋君が自力で脱出しない限り、解放されることはない。

繰り返す。教団本部、拉致対が何らかの行動を起こさない限り、信仰仲間の石橋君は永遠にマンションに閉じ込められた一生となるのだ。
これまで拉致対が行なってきたのは、事件が発生すると、所轄の警察署に行方不明の届け出を行い、受理するように働きかける。
AT君の場合は受理されて、結果解放された。
石橋君の場合は受理されず、警察は捜査に乗り出さない。拉致対は「しかたない」で終わっている。一般的な社会感覚からして、いや宗教団体一般の感覚からしても! 信じられない話である。
教団本部諸君、拉致対諸君(梶栗正義・天宙平和連合日本事務副総長、横田浩一・国際勝共連合・世界平和連合副会長及び事務総長、鴨野守・広報局長)は、これでいいと思っているのか!!
「受理されないから仕方ない」で終わりなら、現在、勧誘されている青年は絶対に統一教会に入会すべきではない。入会したばっかりに監禁されて、一生、マンションの一室で暮らすことになるのだから。
まだ一人のシックが解放されていないというのに、プロジェクトチームの拉致監禁対策委員会は事実上、解散している。
実に、寒々とした冷たい組織である。
石橋君を解放する手だてはたくさんある。
その1・所在不明になってから1年3カ月が経過した。再度、所轄の警察署に行方不明届けを出すべきだ。拒否されたら、毎月出向く。それでも無視されたら、県議会に陳情する。県議に議会で質問してもらう。
その2・宮村や石橋君の家族の車にGPSをつける。どの事件かは失念したが、最高裁でGPSの無断設置は合法とされた。宇佐美さんの事件でも、GPSの無断設置の刑事責任は問われていない。国会議員の有田氏が国会でGPSの無断設置を規制すべきではないかと質問したが、相手にされなかった。
教会員がチームをつくって動き出せば、相手も監禁場所を変えるなど動きを見せる。
(ただし、設置する場所が私有地(スーパーなど不特定多数が出入りする場所を除く)なら不法侵入で、車を傷つけると器物損壊で訴えられることに留意すべき)
その3・ある程度の動きが把握できたら、興信所に依頼し、監禁場所を特定してもらう。石橋君と婚約者は祝福献金で280万円を払ったはず。それを興信所に払えばいいだけのことだ。
(あとは自分たちで考えよ!スカスカのヘチマ脳だから、思いつかない、ってか

こうしたことができないというのであれば、それは拉致監禁に反対する意思がないということだ。横田浩一氏よ!君は私に、また全国責任者会議(?)の場で、何と話したのか。この口先男めが

-私が文3顯進氏より文7亨進氏にシンパシーを感じる理由-
サンクチュアリ教会のフェイスブックに、AT君が解放された記事がアップされた。
「Police Action May Have Helped End Forced Deconversion Attempt(警察の行動で強制棄教中断か)」(機械翻訳可)
国進さんや亨進さんたちは、遠い日本の拉致監禁のことに、いまだ関心を寄せているのだ!
ここが文3顯進氏との決定的な違いである。
顯進氏の弟子、パシセラ坊やは「顯進ニムは過去に拘泥しない未来志向だ」という。侵略戦争がなかったかのようにしたい安倍総理と同じ思考方法である。
顯進支持派のブログ「心のままに」の「顯進様と亨様の違い」 (題名はママ)でも、こう書かれている。
「亨進様は過去のさまざまな事件を暴露し続けて周囲を驚かせていますね。でも果たしてこれって発展性があるのかと疑ってしまいます。反対に顯進様はもう過去の協会の話はしなくなりました。今後の未来を目指しています。神様の視点でみたらどちらが希望を感じ、期待をされるでしようか?」
日中関係、日朝関係、ナチス後の独仏関係といった政治的ことだけでなく、医療事故、イジメ問題、冤罪問題などなどを考えればすぐにわかることだが、過去と未来は非連続ではなく、連続線上で結ばれている。過去を無視して、現在はないし、ましてや未来もない。過去にけじめをつけてこそ未来がある。これは世界が共有するコモンセンスである。
過去か未来か。こんな二項対立の問題設定ができるのは、白か黒かのカルト脳ゆえのことである。
<注意!>ただし、 顯進氏と亨進氏との対立を煽るようなことはやめるべきだ。対立を煽り、対立を喜ぶのは悪魔連盟(韓国人幹部)だからである。両氏を批判するなら、是々非々の立場でやるべきだろう。
-火の粉のため口-
UCIA長官ことIT部長の江口敬一さんよ、4人のお子たちからこう質問されたら、何と答えるのか教えてもらいたい。
「パパは何の為に生きているの。誰の為に生きているの」
返事に窮するお父さんに代わって、私が答えるね。
「パパはね。李基萬さんたち韓国人幹部の為に生きているんだよ。統一教会の『人のために生きる』ことを忘れてね。献金で君たちの生活費を賄っているというのに、献金を出しているシックを監視しているんだ」
江口敬一よ!石橋正人さんの救出のために、君のIT技術を生かしなよ。
教団幹部は石橋君を救出しなければならないと思われた方は↓

にほんブログ村 をクリック!
- 関連記事
-
- 食口に君臨するユダの名は徳野英治なり! (2015/11/28)
- 緊急速報-新たな監禁事件が発生! (2015/11/01)
- 企画本部長・李基萬に期待することにした。 (2015/05/01)
- 「青年食口・石橋正人兄弟」を見捨てようとしている日本統一の人びと (2015/04/28)
- 教団本部は石橋君を第2の後藤徹にする気なのか! (2015/03/17)
- 宮村・松永のお次はあんた(高澤牧師)の番だよ! (2014/11/18)
- 再掲 天国に行けない哀れな倉敷の牧師さん (2014/10/19)
- 脱会屋・宮村は石橋正人さんを解放せよ! (2014/09/01)
- 夫婦まるごと監禁!主犯は女買いが好きな高澤エセ牧師(完成版) (2014/08/04)
- [2015/03/17 09:53]
- 拉致監禁リアル情報 |
- トラックバック(0) |
- コメント(42)
- TOP ▲
コメント
石橋君救出のために
それを今更言ってもシャーない。
それでも、後藤さんの民事裁判では裁判所で違法と認定され、警察の働きにより解放されてる信者もいる今、石橋君救出のため動かないなんてあり得んだろう。
これで何もせんかったら、統一の拉致監禁反対はホンマ、パフォーマンスキャンペーンだったということで。
で、石橋君救出のため、警察に動いてもらう一つの方法として、署名活動なんてどうか?
「えっ、署名?」とバカにするなかれ。
今やネット署名で世界からも賛同者を集められる。
日本語版、韓国語版、英語版で呼びかけてはどうか。
ITに詳しい奴もいるし、語学に堪能な奴もおるだろう。
いちお、アイディア提供したから、後は統一で吟味してやる、やらない決めとくれ。
勿論、外部頼らず、統一で全てやってくれ。
署名サイトがたちあがったら、署名はするから。
裁判ブログでも、協力呼びかけるでしょう。
米本さん、yoshiさん、秀さんもブログで協力してくれるだろう。
good idea!
>石橋君救出のため、警察に動いてもらう一つの方法として、署名活動なんてどうか?
>今やネット署名で世界からも賛同者を集められる。
>ITに詳しい奴もいるし、語学に堪能な奴もおるだろう。
その通りだ!
梶栗正義・横田浩一・鴨野守の各氏らよ、早急に具体化しなよ。
今でもシックのパソコン押収を盛んにやっている江口敬一氏よ、君の技能が生かせるときがやってきたぞ。為に生きる出番がやってきたのだ。
ネット署名のシステム化を具体化したら、俺は君のことを評価するし、子どもにも「君たちのお父さんは・・・」と自慢してやるよ。
ところで、教会員諸君。
よくよく考えてもらいたいことがある。
俺は非教会員で統一批判派。koyomiさんは元信で反統一派。
なぜ、俺やkoyomiさんが石橋君の監禁のことに想いをよせているのに、教会員諸君はあまり考えようとしないのか。
この非対称形に、現体制がいい悪いを超えたところにある、すべての問題が内包されているのだ。
俺は後藤裁判でたくさんの陳述書を書いた。koyomiさんは陳述書こそ書いていないが、後藤さんの監禁中の栄養状態、断食と身体との関係について図書館に足しげく通い、原告側に専門書のコピーを渡し、問題提起をしてきた。弁護士たちとの拡大会議にも参加し、発言してきた。
拉致監禁対策委のメンバーは裁判に微塵も貢献していない。断食芸人は少しばかり貢献したけど、koyomiさんの足元にも及ばない。
このことは、真剣に考えるべきことなのだ。
日本から統一教会の礼拝堂を潰した方がまともな教会員になると思う!
真の愛?糞か!
視野も心情も愛情も狭く、浅く、多くの朝鮮人に似た詐欺者の人格者レベルの心しか育っていない律法以下の心情信仰レベルの歪な人間信仰の片寄った人格者にしか育たなかったのが現実だと思います!
真の愛の人格?馬鹿野郎!朝鮮統一教会の信仰教育でまともな人間が育つ訳がないわい!
日本人統一教会員公職者の現実の姿を見れば分かるやろが〜!
朝鮮人統一糞幹部達に古田元男とその子分達!日本から出て行け!
Re: 日本から統一教会の礼拝堂を潰した方がまともな教会員になると思う!
しばらく投稿は控えてくれないかなあ。
ほとんど意味のない投稿の連続だ!
失礼しました。削除して下さい
第一に主なるあなたの神を愛せ!神様を愛する事は神様の実体の文鮮明再臨主を自分(堕落人間)以上に愛する事。それが、蕩減復帰の完成の信仰の道。
そういう観点で再臨主の命令(実績)にのみ従う事に完全投入する事(絶対信仰、絶対従順、絶対服従)が全てと考えて信仰生活を送って来たので隣人(兄弟姉妹)を愛する意識すら不足して来たのが視野も心情も愛情もふかまらない原因と考えます。
よって統一教会は組織として教会員を拉致監禁から救おうとする意識、思いが足らないのだと思います。よって、隣人愛を大切にする日本人だけの日本統一教会になるべきだて考えます。
賛成です
署名サイトの活用は?
http://www.change.org/ja
90万人以上が「イイね!」をしているサイトなので影響力は少なくない。なによりも、拉致監禁関係者以外の目に付くことが増える。
石橋さんの監禁状況や拉致監禁問題に詳しい方が説明文を付けた上で投稿すればどうだろう。
感想二つ
その通りだと思います。いわゆる統一食口というのは、国進氏などの上司のいうことはロボットみたいに聞いて行うが、上司がいなくなると何もしなくなる、という悪癖を作ってしまっていることが多いと思います。これは日韓を問わず共通した問題です。韓国人も文鮮明師が生きておられた時は、あれほど師の周りにくっついてエキサイトして懸命だったのに、今はやる気が無くなっています。それは偽りの皮相的な人間信仰に過ぎなかったのですね。もっと本質的な主体的信仰が望まれます。
>署名サイトがたちあがったら、署名はするから。 (koyomiさんより)
この言葉泣かせるよなー。
半身不随
支持します。署名いたします。統一教会さん御一考願います。
苛立ち
清平の役事をしている方には、霊能力があるはず。以上の事から、、
①拉致監禁されている方の捜索にある程度のお金をかける②やはりお金をかけて、国際的な方面も含め、人権問題として政治や行政に訴える③霊能力がある方には石橋さん始め、拉致監禁されている方の居場所を霊視してもらい、そこに救出に向かう。
①、②は会長の判断で出来ると思いますが
③は私の知っている範囲では、霊視した人は今までいなかったです。(後藤さんを見つけられたはずである。)蕩減だとか云々の説明で、食口の判断力は(私も含め)鈍くなったと思います。「大母様」が日本巡回の際に、拉致監禁されている方々を見つけて下されば良かったのです。しかし、そんな声を上げると「不信仰者」の扱いをされるのがわかっているので誰も声を上げない、又は考えもつかないのです。では霊視云々はともかく、○○億のほんの一部を捜索に使えば良いのです。
、、と本部批判をしても動かないかもしれないので、私も何か別方面で訴えます。
自分も一票!
私も以前何度かこのサイトで投票したことがあります。
KOYOMIさんやマンゴープリンさんの提案に大賛成です。私もサイトができたら一票投じますし、できる限り周囲の人に告知したい。これなら世界中からでも簡単に投票できるし。
この現実的な提案を日本の教会幹部はどう思うのでしょうか?
・・・ただ長年の韓国式統一文化の影響が祟って、愛だの、ために生きるだのが単なるお題目でしかなくなっていて、献金することにしか自分の存在意義を見出せていないで、心がカラカラに乾いている日本の統一教会の方たちには酷な注文なのかもしれません。それはそれで同情に値する気もします。(私はアメリカ在住の重圧圏外だから軽くいえるかもしれないが)
その前に厳しく躾けられた日本人の自虐意識を開放し、韓国人のメンタリティの実態に目を向けてからでないと隣人をすくいたいという気持ちすら湧かないのかもしれません。
教義上の摂理だけで動いてきた我々食口は、現実の摂理とのずれに気が付かない。実に勘の悪い人間集団になってしまっていると思います。
統一するというのは内部と外部をなじませ、一つにしていかなければいけないとてつもない愛のエネルギーを要する高度な作業なはずなのに、我が強いうえに勘の悪い幹部の繰り広げる韓国式派閥主義の往行のせいで皮肉にも外部を統一に巻き込むどころか、内部そのものがで分裂状態です。
この惨状で統一の看板は事実上価値がありません。恥があるなら即刻廃止すべきだというくらいの問題でしょう。そもそもその発想がないから日本で嫌われ避け続けられているんじゃないですかね。
日本で活動しているのにメンタルが韓国人式の恥知らずになってしまったという。(それでうろたえた食口の親がカルト化するほどに制御不能状態になって監禁に走ってしまうのでは?)
そんなんだから愛あるアイデアなんか個人レベルで出てこないわけです。自分たちを護るだけで精いっぱいなんですから・・・
これでは可哀想な兄弟を自分のことのように感じて救わなければって発想が出てくるはずはないでしょう。
だから米本さんやKOYOMIさんたち外部の人たちから言われてから行動するのでも本来は人間としては恥ずかしいくらいですが、
お題目はお題目として自覚して、本当のあるべき人間の姿に立ち戻るためも、
せめてポーズだけでもいいから同胞を救うために真剣に取り組んでいるという姿勢を見せていかないといけないんじゃないでしょうか?
己にも言い聞かせてますが、今は先ずは外的なことから入って内的に変えることが願われている気がします。
小生、痛恨のお花畑脳だった!
すごい人数である。
このとき、小生はブログで賛意の記事を書いたことがある。
それは、拉致監禁反対、信教の自由を守れ-のスローガンは、基本的人権を尊重せよということにつながっていく。自分たちシックの人権を尊重せよということは、他者の人権も尊重せよということにつながる。だから、集会・デモに参加すれば、シックたちの人権感覚が覚醒する。インチキ言って、人の財布から金を盗もうとしなくなる、家庭内泥棒も躊躇するようになる。
そう考えていたのだ。
しかしながら、結局のところ、魂のない上辺だけの官製集会・デモだったのだ。1年以上も続いていたというのに。
総括すれば、文国進さんには運動の経験がないため、戦略がなかったのだ。
私だったら、示威行動と並行して学習会を組織する。
<なぜ、拉致監禁はいけないことなのか>
教団の弁護士等を講師に招き、このことの意味を徹底的に討論していただく。
それを国進氏はしなかったのだ。
デモに何人参加したか、ビラを何枚撒いたか。そうした数値だけに関心がいってしまった。これが彼の限界だった。
それゆえ、石橋君のことはもとより拉致監禁そのものに、シックたちはいまだ関心がないのだ。
後藤さんが勝訴したことを知っているシックは圧倒的に少ないと聞いた。
情けなくなってしまう。
悔改めからの運動開始
教団本部、就中(なかんずく)拉致対の怠慢の誹りは免れないだろう。
>徳野英治は、経済犯罪事件の責任を取って会長を辞任したときの記者会見で、「今後は一兵卒として拉致監禁撲滅に取り組む」と、全国紙の記者の前で宣言した。しかし、会長に返り咲いてから今日まで、国進氏が日本担当を外れたことをいいことに、拉致監禁の4文字を口にしたことはない。
統一教会員は基本的に拉致監禁・棄教強要問題に対して問題意識を持ってはおりません。
それは‘にほんブログ村・統一教会’の公職者を含むブロガー達の書く記事のタイトルを見ただけで一目瞭然です。
‘いつも私のとなりに神さま’ブログを書いている方は、自身が拉致監禁体験者であるだけに さすがに無関心ではなさそうですが、いわゆる教会本流ではない信者を含めても、関心を持って記事にしている人は少なく、極限られた人達だけです。
その無関心さについては‘火の子を払え’において米本さんも疑問を呈しており、読者からも様々な意見がコメントとして投稿されていました。
しかし、「真の愛」を口にすることが多い統一教会信者の宗教的な発言内容と拉致監禁問題には関心を示さない現実を照らし合わせた場合、そのギャップはかなり大きなもので、米本さんのような良識ある一般人には理解し難いに違いありません。
しかし、その拉致監禁問題に統一教会員が不思議なぐらいに無関心な理由はそれ程深く考える必要はないと思います。
同じ信仰仲間の拉致監禁問題に統一教会員が強い関心を示さない理由は、一言で言えば、それは 愛の情がないからなのです。
人類一家族世界を目指していると口では語っていても、その心のなかには世の人々への兄弟愛などというものはほとんど存在していないのです。
愛の力は決して弱いものではありません。
エロスでさえ、その愛に火がつけば恐ろしい力を発するのです。
「真のお父様が~と語った」「真のお母様が~なされた」などと関心は目上の存在に向かっていたとしても、兄弟姉妹と考えるべき同じ教会員に対しては情がわかず、拉致監禁被害のような不幸な事件が起こったとしても同情心も生まれないのです。
人間どうしの兄弟愛の実現という問題について考えた場合、統一教会は伝統的なキリスト教には太刀打ちできないと思います。
国際NGO「国境なき人権」は日本での統一教会員に対する拉致監禁問題を調査し、日本政府に対しても「勧告」を行なったのですが、統一教会のような問題ある団体であったとしても‘信教の自由’を尊重する立場から、その拉致監禁行為を非難し、統一教会員の人権を守ろうとして活動したのです。
‘信教の自由’を最大限に尊重するような人権思想はヨーロッパにおいてキリスト教文化が発達してきた中で生まれてきたものであり、本来キリスト教に含まれる万民に対する愛の精神がその根底にあります。
キリスト教会は多数の教派に分かれ、教義はまちまちですが、その万民に対する愛の精神は人間としての本性を覚醒し、時代を経て社会の中で発達してきたのだと思います。
キリスト教旧教、新教は それぞれ多くの問題を抱えていたとしても、その基本的な精神は世界において人間の道徳性を高める役割を果たしたのです。
日本において拉致監禁・棄教強要を行なうようなキリスト教会牧師達は そのような伝統的なキリスト教精神からは最も遠い、いわゆる盲信的な宗教信者であり、過去の遺物のような存在なのだと思います。
統一原理の創造原理や統一思想において説かれている‘本然の愛’はそのキリスト教で説く万民への愛と同様のものなのですが、実際の統一教会で語られる「真の愛」はやや中身が違ったものになっております。
つまり、「真の愛」=「真の父母の愛」となっており、上位の者が下の者を愛する愛情が「真の愛」となっているのです。
そしてその愛は決して無条件な愛ではなく、下の者には常に責任を果たす義務が課せられるのです。
それはキリスト教思想ではなく、朝鮮儒教に近いものなのです。
統一教会員の人間観は原点にあった統一思想などとは乖離しており、基本的に世界の人間を二分法で捉えています。
即ち、神側の人間とサタン側の人間に分けているのです。
具体的には「真の父母」によって祝福を受け、信仰条件を満たしている人々が神側であり、祝福を受けていない人や統一教会の信仰を持っていない人々はサタン側であるという見方をしているのです。
そして、神側の人々とサタン側の人々には大きな価値の差があると考えており、サタン側の人々が不幸な目にあったとしても同情心が湧いてくるよりも、‘蕩減’の原理が作用したと思って、平気でいたりするのです。
それは、韓国人幹部の言葉などを調べればいくらでも実例を探し出すことができるでしょう。
さらに統一教会員どうしの間においても日本統一教会のように、常に献金などの実績を要求される教会組織の中では信仰=(献金)実績となり、教会責任者はそのような観点で教会員を見つめる為、教会内では許し、愛し合うのとは正反対の人間関係が作られることとなってしまうのです。
つまり、キリスト教が発達して実践できたような‘万民に対する愛’を統一教会員は獲得できてはいないのです。
そして万民どころか、同じ信仰仲間に対しても、顔見知りでもない限り兄弟愛などは持ち合わせていないのです。
一般的な統一教会員の愛情は朝鮮儒教型愛情であるため、身近な‘家族’以外のものには向かわないのです。
国進氏が拉致監禁問題に強い関心を抱いたのは統一教会の教義とは別の彼自身の正義感によるものと思われます。
国進氏は血統転換教義を無視して、最初の妻と離婚し、すぐさま再婚したぐらいですから、良い意味でも悪い意味でも統一教会の教義には縛られていないのです。
現在の原理講論の基本と乖離した統一教会の教義に縛られている人間は ちょうど徳野会長のようになってしまうのです。
最初に引用したように「拉致監禁撲滅に取り組む」などと公の前で誓ったとしても、そのような問題意識などさらさらないのです。
そのことは引用した米本さんが指摘したようなことを真剣に行なわなかったことからも明らかなのです。
言ってみれば、世間を馬鹿にした口先だけの偽善者なのです。
頭の中と本心は献金を如何に多く集めるかでいっぱいで、彼にとってはそのような韓国人幹部の命令に答える方がはるかに重要なのです。
統一教会の「真の父母」信仰と朝鮮儒教的思想ではキリスト教の‘万民愛’の精神には決して到達しないのです。
最近、‘教育部長の講義日記’ブログの管理人である教育部長さんが韓総裁が非常に感動されたという本山勝寛氏の講演を記事にしていましたが、正直呆れてものが言えないぐらい失望しました。
本山氏は統一教会の3つの弱みについて述べたそうですが、高額エンドレス献金の問題などには一言も触れていないようなのです。
それを抜きにして一体何を統一教会の問題と語れるのか理解に苦しみます。
本山氏は立派な学歴を持っておられるようですが、発言は組織にとって‘無難’を大前提として語っているようで、意図的なのか問題の本質には足を踏み入れようとはしておりません。
彼が馬鹿でないなら、かなり偽善者じみています。
もっとも、統一教会においては最大の矛盾でありながら公職者にとっては痛い問題である高額エンドレス献金の問題に触れようとしないのは‘教育部長’さんもまったく同じですから、偽善者仲間といったところです。
やはり統一教会の現在の指導者の宗教思想では人間の価値を最大限に尊重しようとするキリスト教の博愛精神にはとても及びそうにもありません。
拉致監禁問題を深刻な人権問題と捉えるその人権感覚すらないのですから、統一教会が主体的にこの問題に取り組むということは期待できないのです。
やはり、血統転換すれば それで理想世界が実現できるなどと考えている幼稚で精神的に退化した信者達が社会正義の為に真剣に戦うようになる為には、国進氏のようなリーダーが直接指導でもしない限り難しいのかもしれません。
そして米本さんが指摘されたとおり、統一教会のリーダーは社会運動の経験が乏しい為、効果的な戦略がわからないのですから、教会外の人権擁護グループと協力し合うことも重要かと思います。
私が考える拉致監禁撲滅の最も効果的な運動とは まず徳野会長が土下座して米本氏に直接懺悔するところから始めなければいけないと思います。
「いつも統一教会に厳しく意見されながらも、見捨てず、暖かく見守って頂いている米本様、以前は配達証明書付き郵便で質問書を送って頂きながら、御無礼にも御返事できなくて誠に申し訳ございませんでした。…
私、日本統一教会会長として教会員の信教の自由を守る為にはどんなことでも致します。
つきましては、米本先生、これから私、一兵卒として拉致監禁撲滅に取り組んで参りますので、何卒、何卒、効果的な国民運動の方法をご教授くださいませ~。」
そして、徳野会長は米本氏から戦略を教わらなければならないのです。
教団は責任なんて感じてない
「献金」もそうです。献金はその人自身が家族および先祖を含めての親族を代表してするべきものであって、そこで起こる問題について教団は基本的に責任を感じてはいません。信者が出してくれば受け取るし、返せといえば仕方なしに返すのです。
言ってみれば信者が自身で背伸びをしたために、自己破産したり、夫から反対を受けたりしたといった認識ではないでしょうか?
国進さんが「拉致問題」に取り組んだのですが、もちろん信者の基本的人権を守るということとともに「被害者特権」を得ることで、信者が今後も「拉致監禁」されないようにと意図しましたが、今ではむしろ統一教会にいたほうが「被害者」のようなので、「被害者特権」も得られそうにありません。
繰り返しますが、教団は「拉致監禁」について責任をあまり感じてはいません。また私個人もそれで特に不満はありません。もし教団に責任を感じて欲しいものがあるとしたら、信者が「拉致監禁」されないような立派な人格を形成できるような教育を施すこと、いくら献金しても借金地獄に陥るらないような富者を生み出すこと、理想的な夫婦・家族になるように指導すること・・・・・すなわち信者に三大祝福を得られるようにしてあげることではないでしょうか?
まあ「悪魔連盟」「天使長」には決してできないことなんですがね。
神々の黄昏さんへ一言、いや二言
>統一教会員の人間観は原点にあった統一思想などとは乖離しており、基本的に世界の人間を二分法で捉えています。 即ち、神側の人間とサタン側の人間に分けているのです。 具体的には「真の父母」によって祝福を受け、信仰条件を満たしている人々が神側であり、祝福を受けていない人や統一教会の信仰を持っていない人々はサタン側であるという見方をしているのです。 そして、神側の人々とサタン側の人々には大きな価値の差があると考えており、サタン側の人々が不幸な目にあったとしても同情心が湧いてくるよりも、‘蕩減’の原理が作用したと思って、平気でいたりするのです。
統一教会員に関する神々の黄昏さんの上述のような 現状分析は当たっているところが多い、と私も感じます。神々の黄昏さんと同様に私も心を痛めております。
しかしながら、
>人間どうしの兄弟愛の実現という問題について考えた場合、統一教会は伝統的なキリスト教には太刀打ちできないと思います。
といわれるのには賛成できません。そして、
>‘信教の自由’を最大限に尊重するような人権思想はヨーロッパにおいてキリスト教文化が発達してきた中で生まれてきたものであり、本来キリスト教に含まれる万民に対する愛の精神がその根底にあります。
という歴史認識も正しいものではありません。
神の愛を説くはずのキリスト教は、基本的には初期の頃から正統と異端の醜い戦いを始めているし、特に紀元380年にローマ帝国の国教になってからは、より権威主義的になりキリスト教の堕落が始まったといわれています。中世の異端審問による強制改宗や投獄や火刑、1572年の「聖バーソロミュー虐殺」 (フランスのカトリックによるプロテスタント大量虐殺)、17世紀の30年戦争など、と凄惨な争いが絶えませんでした。
アウグスティヌスですらもその「神国論」において、アベル・カインの二分法を使って、神側のアベル的人間のみが救われるのであって、サタン側のカイン的人間は永遠に地獄の火に焼かれる審判を受ける、と説いています。決して万人救済説などではないのです。19世紀にマルクスの共産主義が出現して、20世紀に共産革命を通して全世界に広まったのも、キリスト教のカインに対するそのような無慈悲な態度に対する反発・反作用として出現したからである、という分析もかなり受け入れられています。
一神教であるユダヤ教、イスラム教、キリスト教はその性格からして排他的であるといわれています。唯一の神を信奉すると、それに合わない意見を持つ人に対して、どうしても寛容になれません。無慈悲を超えて暴力的にさえなります。そこで、宗教的寛容を持たねばならない、と歴史上初めて真剣に説いた人は、皮肉にもキリスト教には関心がなかった18世紀のフランスの人本主義的な啓蒙主義者ヴォルテールだったのです。これはキリスト教の恥ですね。
ところが、文鮮明師の統一原理では、神の本来の愛を復帰する思想だと思います。確かにアベル・カインの二分法があるようには見えますが、本質は二分法ではありません。それは、アベルがカインを愛しカインがアベルを愛することによって真の 「実体基台」 を造成すれば、アベルもカインも双方、神の愛の懐に帰って行けるという思想です。カインの地獄行きを原則的に願うキリスト教とは袂を分かつのです。(キリスト教では万人救済説はそれほどポピュラーではないです。) 神々の黄昏さん、この点を見落とさないで下さい。
勿論、統一教会も一神教ですから、余程注意しないと排他的になる恐れがあります。実際その恐れが現実的なものになっているのでしょう。だから、統一原理で神の愛を説く割には愛が冷えている場合が多く、兄弟愛も冷えている場合が多く、食口の拉致監禁の問題についての関心も薄いのでしょう。これは統一原理の本来の教えにもとる、と気が付き反省せねばならないと思います。
今の統一教会の問題は一言でいえば、「豚に真珠」 だといえましょうか。真珠のような素晴らしい愛の統一原理が与えられているのに、その価値が分からない豚のような私達だということです。(済みません、こんなことをいって。でも私もその中の豚に過ぎないのではないかと反省はしています。) 統一原理とか、永遠の真理とか、メシアとか、真の父母様とか、そのような素晴らしいものに巡り合うと、この自分がまだ豚のように偉くもないのに、既に偉くなってしまったかのように錯覚してしまって、偉い振る舞いをするようになり、統一教会の本来の教えの本質を習得できなくなってしまうのです。そして愛が冷えるのです。これは特に教会指導者に当てはまるかも知れません。
神々の黄昏さんと私は、教会にはとんでもない問題があるという認識では同じだと思います。なので、神々の黄昏さんのいわれることは無視できないと思っています。しかし、その問題の起こる前提についての理解がそれぞれ異なっているのだと思います。
悟空さんのコメントに対して
ここは米本さんのブログなので信仰的な意見は控えますが、現実として考えたらどんなに立派な人物であっても、家族や親戚は「カルトに入った。洗脳されている」などと反対派に煽られて拉致監禁をしていると思います。そして一人の成人が行方不明になったという、酷い場合は拉致されている現場が目撃されていたのに、「家族の問題だから」と長い間・刑事事件としては扱われなかった。それは国家から統一教会が蔑ろな扱いをされているからであり、団体としてもっと強力な(?言葉が見つからず)対応をすべきなのと、はっきり言えば統一教会こそ「長子権復帰」をしないといけないのです。もちろんそれは信者一人一人の努力も要りますし、何より幹部が率先して改めて行く事です。
大阪一世さんへ
よく読んでいただくとわかるのですが、主語は「教団」です。「教団」はその程度の認識しかないのではないですか?と揶揄したつもりでした。
「拉致監禁」がなぜ起こるのか?という問題について私は深い洞察を持ち得ていませんが、しいて言えば「文鮮明」という強烈なカリスマをもつ人物ゆえだと思っています。
もちろんその他の要因はあるとは思うのですが、それらの要因を全て解決したとしてもおそらく「拉致監禁」は無くならないのではないかと思っています。
当然教団は「文鮮明」教祖をを抜きにはできなかったわけですから、そのために引き起こされる「拉致監禁」について「教団」自身の責任感はあまりなかったのではないでしょうか?ということを言いたかったのです。
ところが子息である国進さんが「拉致監禁」問題を取り上げたので、やらざるを得なかったのが天使長組織の「教団」だったのではないでしょうか? そう言う意味です。
まあ、それでも文鮮明師は亡くなられたわけですから、今後は随分と減少することでしょう。
お詫び
>真珠のような素晴らしい愛の統一原理が与えられているのに、その価値が分からない豚のような私達だということです。
というふうに、私達全員が豚のようだ、といって全員を侮蔑するような印象を与えてしまって、済みませんでした。そうでない純粋な食口もいるのを私は知っています。反省すべきなのは特に古株とか指導者だといいたかったのです。
なるべくしてなったこと
今でも教会につながっている者としては、今回の拉致監禁は「なるべくしてなった」というのが正直な感想です。教会は拉致監禁対策なんてしてませんし、しようとも思ってないでしょうね。全部、うわべだけです。
そもそも、統一教会の方々を対等な大人と見ること自体がナンセンスかと。ほとんどの食口は米本さんほど知恵もないですし、人格もできてません。ましてや、米本さんほど愛情のある人を教会で見たことなんてないですよ。
拉致監禁を本気でなくそうとするのなら、まずは教会の方々(末端食口から幹部まで)に人間界の常識を懇切丁寧に教えて差し上げなければなりません。そうですね・・・まずは、
・友達を大切にすること
・うそをつかないこと
・泥棒しないこと
くらいから始めましょうか。
Re:神々の黄昏さんへ一言、いや二言
キリスト教を含む一神教にはそのような排他的な性格が付きまとっていて、かえって人間の自由な思考を抑圧してきたのも確かです。
ヨーロッパ史を学べばわかりますように、信教の自由などはその権威主義的なキリスト教会との葛藤を通して達成されるようになったと言っても過言ではありません。
しかし、人類にとってキリスト教が重要であるのは民族を超越した教えであることと、貧富の差などによって差別を行なわない教えであるということです。
そして万物の創造主としての神を信じており、神の至上の愛を説いているところにキリスト教の特色があるのです。
キリスト教の問題点というものは、キリスト教会が世俗勢力化した為に生じたものであり、見方によっては宗教職者がキリスト教の教義を悪用して本来の教えと矛盾した政治的活動を行っていたと考えることもできるのです。
特に中世のカソリック教会などはそのように捉えることができるのです。
宗教改革が実現された背景には印刷技術の発達によって聖書が人々に広く配布されるようになった影響があると言われており、聖書を純粋な目で読んだ場合には人々が中世のカソリック教会に矛盾を感じるのは当然のことと思われます。
宗教改革によるキリスト教の自由な解釈と非政治化は自由主義思想の発達へと繫がっており、その歴史的な流れの中で信教の自由も尊重されるようになったと考えることができるのです。
アメリカ合衆国は自由の国と言われておりますが、その建国はイングランド・プロテスタントのピューリタンが主体となっており、そのキリスト教精神と自由主義思想は無関係ではありません。
地の塩さんは原理講論において批判されているような観点からキリスト教を批判していますが、もちろんそれらの指摘は正しく、キリスト教を至上の宗教と考えて、絶対化することなどできません。
しかし、万民への愛、隣人愛を説いた教えは歴史的に考えれば画期的であり、神を権威の象徴として捉えるのではなく、愛をもった神と考えたことは極めて重要なのです。
キリスト教は基本的に神の愛と隣人愛を説いて人々の道徳性を高め、‘神の国’を作ろうとした宗教で、万民救済を口に出すような強圧的な性格はもともと持っていなかったと思います。
‘万民救済’というよりは‘万民に対する愛’を強調していたと捉えるほうが適切なのです。
>今の統一教会の問題は一言でいえば、「豚に真珠」 だといえましょうか。真珠のような素晴らしい愛の統一原理が与えられているのに、その価値が分からない豚のような私達だということです。
上の地の塩さんの指摘はけっこう的を射ていて、頷ける表現でした。
私は統一教会員が「その価値が分からない豚」になってしまっている最大の原因は文先生の‘御言葉’にあると思っています。
即ち、‘神’の存在を極度に擬人化して語る為、創造原理などで語られている無形の第一原因としての‘神’から程遠い‘神’の解釈となってしまっているのです。
そしてその擬人化した解釈は教会組織にとって都合のよいように利用されて語られるため、異常な経済活動さえも肯定されることとなってしまうのです。
‘原理’に基けば‘神’は存在論的にも人間を超越した存在であり、人間が認識できる対象とはなり得ないのです。
文先生の‘御言葉’の中には‘神’を擬人化して語ったものが多く、それは守護霊と言ったほうが当てはまるように感じられる時さえあるのです。
地の塩さんは統一原理の優れた部分も理解していると思われますので、是非さらに理解を深めて欲しいと思うのですが、原理講論には宗教的問題を科学と矛盾しないように進歩的に考える基本姿勢があって、創造原理のように優れた内容もあるのですが、詳しく読んでみると論理的に矛盾したところがけっこう多いのです。
文先生の‘御言葉’に至ってはさらに現実と矛盾した内容も多くなり、原理講論の一部は絶対的真理と考えられたとしても、原理講論全体や‘御言葉’は絶対化することなどできないのです。
‘真理’はそう簡単には獲得できるものではなく、まだまだ探究すべきことは多くあるのです。
したがって、人間自体の無知を認める謙虚な姿勢と真理に対する探究心こそが重要なのです。
残念ながら現在それらを失っているのが統一教会幹部達であり、信者達なのです。
そして、拉致監禁・棄教強要を行なうような者達も同じなのです。
なお、記事の内容から外れてしまいますので、レスコメントは以上で終わりとします。
一日一偽善?
何って、本山勝寛氏ですよ。
持ち上げないで頂きたい。
あの方の生き方が、勝利した2世の見本などと勘違いする父兄が絶対いると思う。
あの方、勝ち組ですか?腐った組織で?
質問-本山勝寛君って?
何か問題がある人なのでしょうか。
私も自分のこととして取り組まないと!
なぜ、俺やkoyomiさんが石橋君の監禁のことに想いをよせているのに、教会員諸君はあまり考えようとしないのか。
この非対称形に、現体制がいい悪いを超えたところにある、すべての問題が内包されているのだ。
本当に心が痛いです。自分は拉致監禁ほどひどい状況ではありませんでしたが、今でもこのテーマに向かおうとすると、苦しい場面が数十年経った今でもフラッシュバックし、何もできなくなります。ですが、koyomiさんはこんなにも強く取り組んで下さっています。本当に弱い自分を申し訳なく思います。
教会は当たり前のように食口を切り捨てます。
自分は拉致監禁ではありませんでしたが、両親兄弟がマスコミ報道で「弁護士をたてて教会を訴える」と激怒し、“軟禁”状態になりました。十年近く献身者として歩んでいましたが、教会の責任者はマザーも含め「教会が訴えられたら困るから、あなたは家に帰りなさい」と私を教会から放り出しました。自分だけでは説得は難しいから、一緒に両親に会って話しをして欲しいとの願いも「あなたは氏族のメシヤでしょ。あなたしかできないのよ」と断られ、「教会に愛されるためにきたんじゃないでしょ。愛するためにきたんでしょ」と言われました。
小さな衣装ケース2個とともに教会のホームを出た自分を(交通費も荷物を送るお金もないので)妹夫婦が車で迎えに来たときの惨めさ、その後実家では監視され、外出もできず、朝から晩まで罵倒される日々でした。鍵のかかったマンションではないので逃げようと思えば逃げられますが、教会から追い出された自分はどこにも行く場所がなかったので、絶望感を抱えて耐えるだけでした。
今思えばそれらの経験のおかげで、自分の信仰は「人」に繋がるのではなく、神様とみ言葉のみをみつめる信仰になれたんだと思います。
でも、教会の責任者には、食口の永遠の命にも責任をもっていただきたいです。自分のように“教会に捨てられた”と傷つく人がもう生まれないように願います。
管理人のみ閲覧できます
Kは続く
拉致監禁など二の次では。
だから、韓国も日本も公職者をリストラしろって。何とか部長とか、本部役員とか、多すぎなんだって。
彼らの給料は全部Kでねん出してるんだろ。
無理がありすぎだって。
韓国もいい加減、経済的に自立してくれ。
日本に依存しすぎ。
Re:私も自分のこととして取り組まないと!
ショーンさんは、拉致監禁より辛い思いをされています。
ショーンさんがこのテーマに向かおうとすると、フラッシュバックが起き、何もできなくなるのは、それだけ辛い経験をされたのに、誰もその辛さを共感してないからです。
私が今、拉致監禁問題に取り組めるのは、私にとってある程度決着がついているからです。
それでも、この問題に対しては複雑な思いもあります。
拉致監禁問題で気を付けなければならないのは、監禁期間や程度で辛さを推し量ることです。
私はある方々から監禁体験を少し聞かれました。監禁期間を伝えたら、「何だ」という反応でした。勿論、言葉にはなかったですが、そういう反応は敏感に感じます。
ショーンさんも、もしかして辛さを誰かに訴えた時、「でも、監禁されてないのでしょ。」と悪気なく返されたか、そういう反応を感じたのでしょうか。
それとも、拉致監禁被害が表に出る度に、監禁されてないことでどこにも自分の思いを語ることができず、ずっと孤独を感じていたのでしょうか。
ショーンさんの体験は、拉致監禁より辛いです。
私が拉致監禁→脱会で一番辛かったのは、監禁されている真っ最中ではなく、軟禁状態の中途半端な時期です。
ショーンさんはその状態がずっと続いたのですよね。
そして、信じていた教会からその状態に置かれ、助けて欲しかったのに、助けてくれなかったのですよね。
監禁された方が「教会の人が待っていてくれている。心配してくれている。」と思えるだけ、まだ救いがあります。
>、「教会に愛されるためにきたんじゃないでしょ。愛するためにきたんでしょ」と言われました。
上記の言葉を放ったアベルは、今も教会員でしょうか?
このブログを読んでいるでしょうか?
そっくりそのままこの言葉をそのアベルに言いたいです。
「あなたは愛するために教会に来たのでしょ。
愛するためにアベルの位置が与えられたのでしょ。切実に助けを求めた一人の人も助けられなくて、地上天国はできるの?それであなたは氏族のメシヤになれるの?」・・・。
勝手なイメージでした・・・ペコリ
何か問題がある人なのでしょうか。
いや、問題はないとは思いますが、
笹川良一財団→協会職員と黄金コースを歩める2世ってそうそういないなぁと思っただけです。
苦労ばかりしてる2世しか見ていないもので…。聖和家庭は特に。
別人物
笹川良一財団→協会職員という黄金コースを歩んでいるということはありません。それぞれ別の場所で頑張っているということではないでしょうか。
本山さんも
悲惨な生活もされ、かなり苦労されています。
身近な北朝鮮
ただ以前にも書きましたが、統一教会が北朝鮮化していて、高額献金に追われ自分の生活でいっぱいいっぱいで配慮出来ない面もあると思います。
悲しいかな。
北朝鮮のように死人や病人が道に倒れていようと自分も生きるのに精一杯な状態なんです。
そこで脱北したらまだ新しい道が開けるかもしれないけど、残された家族を考えると、、
北朝鮮と同じく体制を大きく変革しないと世界から見下されたままでしょう。
それで米本さんの指示に従いブログアップ後に詳しく書きますが、江口さんには北朝鮮の特別階級の方々と同じ香りを感じました。
あと本山勝寛さんについては詳しく
http://www.familyforum.jp/2015031535432
に載ってます。
P.S とほほ
そこは上手くリンクのコピーが出来なかった(*_*)
せっかくリンクの貼り付けを知人から教えてもらったのに、やっぱり私はセンスがないんだわ(恥)
江口さんみたいにそういうのが長けても心情がどうなのって方もいるし、お許しを、、、
署名活動開始してます。
Koyomiさんありがとうございました。
署名を宜しくお願いいたします
石橋さんが失踪して既に1年2ヶ月たちました。私の経験でも監禁が1年を過ぎると、孤独感と絶望感がボディーブローのようにじわじわと精神を締め付け、監禁されている方も、また監禁を続ける家族も心がささくれ立ち、極限状態の密室で暴言や暴行が行われることもあります。一刻も早くの解放を願うばかりです。
石橋正人さんが一日も早く解放されるよう、皆様の署名を何卒お願いいたします。
署名はこちら→https://www.change.org/p/%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E5%93%A1-%E4%BA%BA%E6%A8%A9%E5%9B%A3%E4%BD%93-%E7%9F%B3%E6%A9%8B%E6%AD%A3%E4%BA%BA%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E6%95%91%E5%87%BA%E3%82%92%E6%B1%82%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%99
さすがのchang.org
被害者の会の方が働きかけたのかどうかは分かりませんが、イタリアの方が下記のリンク付でイタリアや欧州で署名活動を広げてくださると署名しています。
「信教の自由の為の欧州連合(Europian Federaton for Freedom of belief)」
http://freedomofbelief.net/
後藤様 短縮URL
ありがとうございます
石橋正人さん救出のための署名は、上記URLから宜しくお願いいたします。
サンクチュアリー教会
千葉県警
こちらから千葉県警にメールが送れます。
http://goo.gl/5jE3HI
日本統一教会の公職者は署名するのか?
日本に比べ、時差があるだけアメリカの動きはどうしても遅くなりますが、サンクチュアリー教会(エルダー氏)の対応はさすが!迅速です。
アメリカ統一教会本部はどうだかですが、
アメリカ第3教区(ニュージャージー州、ペンシルベニア州)の教区長Pastor: Manoj Jacob氏は署名をしてくれています。
また、教会からのメールでも”署名のお願い”が送られるはずです。
日本の公職者が、まず署名すべきであることはいうまでもありません。
特に徳野会長!
日本でおきていることなのですから!
Manoj氏には、私を含めた拉致監禁被害者から要請しました。
そして、(署名もメールも)快諾してくれました。
日本、アメリカ、韓国そして世界の拉致監禁被害者及び拉致監禁問題に関心のある食口のみんなさん!
上から指示がでないことに嘆き、あきらめず、自分のできることは何かを考え行動しましょう。
Koyomiさん。
署名のアイデア本当にありがとうございます。
署名の発想すら浮かばないほど、貧困な発想しかなかったこと心苦しく思っています。
石橋正人さん救出の署名しました
石橋さん解放
「石橋さんを拉致監禁しているのでしたら解放して下さい」とメールしました。すぐ返事が来ました。
以下の内容です。
「ご連絡ありがとうございます、
ご連絡の件について、私は関知しておりませんのでお答えできません。
石橋さんが真の救いに与るよう祈ります。
荻窪栄光教会 黛」
真の救いとある箇所に違和感を感じ、何か関わっていると思われました。石橋さんや拉致監禁されている方達が1日も早く解放される事を全食口が毎日祈れば霊界が動くと思います。世界日報に連載や記事がない中で米本先生の情報に感謝致します。ありがとうございます。
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/542-2ec1f398
- | HOME |
コメントの投稿