後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(5)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁/(1) 新潟のマンションでの監禁
(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁
(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
今回アップしたのは青色の部分です。

 


「写真説明」荻窪で宮村氏の非道を訴える後藤徹氏。ビラを受け取る通行人。
(写真をクリックすれば拡大し、ビラをクリックして少しカーソルを移動すれば裏面も見ることができます)

東京から新潟へ逆移送

5.第2回目の監禁
(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁


父の死後間もなく、私は「父と最後のお別れをするから」との理由で再度ワゴン車に監禁され東京の自宅に連行されました。
私は再度新潟のマンションに戻ってくるものと思ったことから、財布、免許証、現金などの所持品は新潟のマンションに置いたままにしていました。

このとき、新潟のマンションに脱会説得に来ていた元統一教会信者の男性がワゴン車を運転し、助手席には兄嫁が座りました。また、運転席の後ろの席には、兄嫁の2人の兄が中央及び右端に座り、左端には元信者女性が座りました。また最後列には、右端に妹左端に■■と名乗る元信者男性が座り、私は、中央に座らされました。
最後列中央に座らされたのは、私が脱出できないようにするためだと思います。(注1)

 父の亡骸が安置されている西東京市の自宅に着くと、そこには、母、及び兄が既に来ており、私はそこで父の亡骸と対面しました。

この後ワゴン車に監禁され、ワゴン車の中で初めて兄から、「もう新潟には戻らない」ということを聞かされました。
私はワゴン車により、都内1カ所目のマンションに連行され、同マンションの3階か4階の一室に監禁されました。

同室の玄関ドアは内側から特殊な鍵がかけられていました。また、窓からは脱出できるような高さではありませんでした。

また、新潟のマンションに置いたままにしていた財布、免許証、現金などの所持品は、ついに私の手元には返却されませんでした。ある日、私が同室にて玄関の近くに行っただけで兄は、「向こうに行ってろ!不愉快だ」と怒鳴りつけ、玄関に近づくことを許しませんでした。(注2)

 

(注1)拉致から監禁場所などへ移動するとき、車内の席順は事前に決められている。脱会対象の信者は例外なく後列の真ん中に座らされる。

(注2)兄の後藤氏に対する態度は、肉親に対するそれとは決して思えない。弟ではなく、憎悪すべき打倒の対象者と見ていたように思われる。
 兄は元統一教会信者にして「青春を返せ裁判」の原告の1人。そもそも、全国的にかつ組織的に行われた「青春を返せ裁判」は、統一教会を壊滅させる、もしくは壊滅的打撃を与えることを目的に行われたものである。
 そのため、兄は、子どもの頃に仲良く遊んだ弟ではなく、壊滅させるべく組織の一員として見ていたとしても、不思議ではない。
 ただ、後藤氏の兄のような厳しい態度を取る人は珍しい。これまでの取材で初めて聞く話である。

 そうはいっても、監禁下での親や兄弟の理不尽な態度
??家族の一員として見ない。マインドコントロールされた教団のロボットであるかのように見下した態度を取る。ときには胸ぐらをつかんだり拳骨で顔をなぐったりする??
 は、程度の差はあれ、一般的な傾向である。
 監禁が長引けば長引くほど、その傾向が強くなるようだ。
 そのため、仮に脱会しても、信者の心にトラウマ(屈辱感)となって残ることが多い。


関連記事

コメント

無理なさらずに

後藤徹さんが民事訴訟を起こされたみたいですね。
大きな一歩ですね。

おそらく、米本さんにもかなりの要請なり圧力なりがかかると思います。あまり、無理をなさらず、要領よく対応され、ご自愛なさることを祈念いたします。

どういう形で米本さんが関わられるのかは存じませんが、心底、応援しております。

民事訴訟が始まったら、あまり情報を出せなくなるのかもしれませんが、可能な限り、ブログに情報をアップしてくださることを期待しております。

後藤陳述書(5)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会/3・第1回目の監禁/4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁/(1) 新潟のマンションでの監禁
(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁
(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
今回アップしたのは青色の部分です。





「写真説明」荻窪で宮村氏の非道を訴える後藤徹氏。ビラを受け取る通行人。
(写真をクリックすれば拡大し、ビラをクリックして少しカーソルを移動すれば裏面も見ることができます)
東京から新潟へ逆移送

5.第2回目の監禁
(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁

父の死後間もなく、私は「父と最後のお別れをするから」との理由で再度ワゴン車に監禁され東京の自宅に連行されました。
私は再度新潟のマンションに戻ってくるものと思ったことから、財布、免許証、現金などの所持品は新潟のマンションに置いたままにしていました。

このとき、新潟のマンションに脱会説得に来ていた元統一教会信者の男性がワゴン車を運転し、助手席には兄嫁が座りました。また、運転席の後ろの席には、兄嫁の2人の兄が中央及び右端に座り、左端には元信者女性が座りました。また最後列には、右端に妹、左端に■■と名乗る元信者男性が座り、私は、中央に座らされました。
最後列中央に座らされたのは、私が脱出できないようにするためだと思います。(注1)

 父の亡骸が安置されている西東京市の自宅に着くと、そこには、母、及び兄が既に来ており、私はそこで父の亡骸と対面しました。

この後ワゴン車に監禁され、ワゴン車の中で初めて兄から、「もう新潟には戻らない」ということを聞かされました。
私はワゴン車により、都内1カ所目のマンションに連行され、同マンションの3階か4階の一室に監禁されました。

同室の玄関ドアは内側から特殊な鍵がかけられていました。また、窓からは脱出できるような高さではありませんでした。

また、新潟のマンションに置いたままにしていた財布、免許証、現金などの所持品は、ついに私の手元には返却されませんでした。ある日、私が同室にて玄関の近くに行っただけで兄は、「向こうに行ってろ!不愉快だ」と怒鳴りつけ、玄関に近づくことを許しませんでした。(注2)

 

(注1)拉致から監禁場所などへ移動するとき、車内の席順は事前に決められている。脱会対象の信者は例外なく後列の真ん中に座らされる。

(注2)兄の後藤氏に対する態度は、肉親に対するそれとは決して思えない。弟ではなく、憎悪すべき打倒の対象者と見ていたように思われる。
 兄は元統一教会信者にして「青春を返せ裁判」の原告の1人。そもそも、全国的にかつ組織的に行われた「青春を返せ裁判」は、統一教会を壊滅させる、もしくは壊滅的打撃を与えることを目的に行われたものである。
 そのため、兄は、子どもの頃に仲良く遊んだ弟ではなく、壊滅させるべく組織の一員として見ていたとしても、不思議ではない。
 ただ、後藤氏の兄のような厳しい態度を取る人は珍しい。これまでの取材で初めて聞く話である。

 そうはいっても、監禁下での親や兄弟の理不尽な態度
??家族の一員として見ない。マインドコントロールされた教団のロボットであるかのように見下した態度を取る。ときには胸ぐらをつかんだり拳骨で顔をなぐったりする??
 は、程度の差はあれ、一般的な傾向である。
 監禁が長引けば長引くほど、その傾向が強くなるようだ。
 そのため、仮に脱会しても、信者の心にトラウマ(屈辱感)となって残ることが多い。

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/54-dd461519