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鶴の心模様(2)-いつまで茶番(鮮鶴一体)を演じればいいの? 

文家2人娘の恋愛結婚とお母様(8)

「本邦初公開-鮮文大・呉教授の“卓見”:絶対だから絶対だ! 」で紹介したように、鮮文大学純潔学科の驚愕担当呉教授は、真のお母様は独生女であり、絶対的存在であると縷々述べていた。比喩的とか象徴的といった言い回しで絶対の言葉を使っていない。文字通りの意味で「絶対」と表現している。
 むろん、それは韓鶴子氏の意向に沿うものである。

 「7・1韓講話」を読めばわかる通り、韓鶴子氏は自分は絶対的存在であり、夫の文鮮明は相対的絶対であると、文氏の地位を低めている。この講話は、今の統一教会の動きの原点になっているもの。是非、再読を。

法令順守違反

かしながら、これまで繰り返し書いてきたように、血統転換理論を事実上否定していることからすると、今後は文鮮明氏を相対的絶対の座からも引きずり下ろすことになっていくと予測する。それは、元会長、神山威氏の発言の文脈から理解できるはず。
ブログ「今日の訓読のみ言友の会」http://www.blogmura.com/profile/01292892.html

 このことを曖昧にするために、日本会長の徳野(敬意、敬称略)は次のように語っている。神山氏をあえて意識したようにして。(ワロえる)
<トゥデイズ・ワールド・ジャパン天一国2年8月(2014年陽暦10月)号の14~21ページ>。出典は「徳野会長が指摘する、分派・霊的集団が必ず陥る根本的な過ち」 。下線、ゴチックは引用者。

  一つ目は、「真の父母様は一体である」ということです。分派や霊的集団と呼ばれる人たちが必ず陥る根本的な過ちがあるのですが、それは真のお父様と真のお母様を別々に考えているという点です。

 真のお母様を批判する人の中には、その根拠として、「お母様は真のお父様のなさってきたことを継承せず、むしろ否定している」と主張します。ここではっきり知っておかなければならないことは、お父様とお母様の摂理の進め方には、当然、特徴があるということです。

 例えば、真のお父様は宗教分野だけでなく、政治、経済、学術から、サッカーやフィッシングに至るまで、あらゆることを同時並行で進めてこられました。一方、真のお母様は「選択と集中」です。現在、統一運動全体の実力に対して、手掛けているものがあまりにも膨大で手に余ると判断され、いくつかに絞って投入するという決断を下されたのです。その中の一つが二世教育です。お母様は「一歩も譲れない」こととして、天宙平和士官学校や圓母平愛財団の奨学金、二世・三世のセミナーなどに投入しておられますなぜなら、二世教育が統一運動の未来を決定するからです。

 天一国教典『天聖経』についてはどうでしょうか? 真のお父様がご存命中に編纂(へんさん)された八代教材教本『天聖経』についてお父様は「一切触れるな、変えるな」と語られたことは事実です。そのみ言だけを取り上げて、「お母様がかってに変えてしまった」と非難している人もいます。

 八代教材教本『天聖経』は重要です。ところが、八代教材教本『天聖経』には、2000年以降のみ言が掲載されていないのです。

 これらの欠落しているみ言を整理して、より完璧なものを作りたいという動機で天一国教典『天一国教典』が編纂されたのです。真のお父様のみ言を大切にするお気持ちが誰よりも強いのは、ほかならぬ真のお母様です。ですから、天一国教典の編纂はお母様にしかできないことなのです。

 どんなに真のお父様が偉大でも、真のお母様がいらっしゃらなくては、祝福の道は開かれませんでした。もし一人で祝福ができるのなら、イエス様は2000年前に祝福をしていらっしゃったでしょう。残念ながら、それができなかったがゆえに祝福の門は開けず、イエス様は十字架にかかられたのです。お父様の偉大な実績は人類の真の母を復帰したこと、新婦圏を復帰したことなのです。

 ですから、真のお父様と真のお母様を分離して考えることはできないのです。真の父母というのは、人間始祖アダムとエバを蕩減復帰する立場ですから、ペア、夫婦でなければならないのです。ペア、夫婦というのは真の父母様の価値の核心です。信仰の対象として、私たちはお父様とお母様を分けて考えてはいけないのです。「原理」を本当の意味で正しく理解していれば、決して分派の罠(わな)に引っかかることはありません


 韓鶴子氏のスピーチは、以前は側近が用意したと思われる原稿を読みあげるだけだったようだが、最近の録画を見れば原稿なしで自由に話している。鮮の軛(くびき)から解放され、絶対化の道を歩み始めただけに、当然のことかもしれないが、ここで問題が生じる。

生女さんが、文鮮明氏の考え方と齟齬をきたすような発言をしたり、それを否定するような発言をしたりしているからだ。徳野がいうところの「お母様は真のお父様のなさってきたことを継承せず、むしろ否定している」
 このことを率直に指摘しているのは、神山氏ばかりではない。このブログの読者もそうだし、いくつかのブログでもそうである。
 こうした批判を封じ込めるために、神山氏を代表として批判し、真のご父母様が一体ではないとする見方は分派であるとたしなめる、ないし恫喝をかける。教会員は分派と言われることを極端に嫌がるから、効果的だと考えたのであろう。

 話は横道に。
 4、5年前のことになるが、私を執拗に批判する韓定食(ブログ名は「堕天使のトリック」)が第4イスラエルではないかと推測し、メンバーの割り出しにかかったことがある。そのときに関西在住のある出版社の社長が浮かび上がった。そこで、そのことを水面下で問題にしたら、噂を伝え聞いたのか、当の人物から直接電話がかかってきた。
「とんでもない濡れ衣だ。もしブログに書かれたら、私は教会から排除される。今度、上京したときに、是非、お目にかかり、釈明したい」
 電話の声は心底、怯えたような感じだった。
 なお、韓定食はその後の調査で第4イスラエルの乗っ取りグループの一員であることが判明した。

 話を戻す。分派のレッテルを貼られることは、統一教会員にとって「死」を意味するようで、正直、驚いた。
 日本共産党と同じである。
 1970年代初めに、党の方針を批判していた党員をまとめて「新日和見主義者」というレッテルを貼り、統一教会員への監禁説得と同じように、監禁下で査問したあと除名した。自殺者も出たと聞いている。(「新日和見主義事件」参照)
 その後、「党の内部改革」をネットで議論していた匿名党員グループを、実名を割り出し、弾圧したことがある。(「さざ波通信」参照)

 話を戻す。
 <なぜ今さらこんな講義をするのか>と疑問に思ったことがある。
れは韓国統一教会の武藤氏の講義内容である。シャボン玉さんの「"お母様を否定する「庶子の群れ」をつくる悪神の業”?」 を読んでもらいたい。講義録はこうなっている。

霊的集団の問題
 …お母様を否定する「庶子の群れ」をつくる悪神の業
 1)禹グループの主張と誤り
 2)中山グループの主張と誤り
 3)駒場グループの主張と誤り

 4)UCIと真の父母様宣言文
  5)神山元会長の主張と誤り


 ブログ-統一村でも”活躍”している駒場グループはともかく、禹グループは10年以上も前、中山グループは数年前に話題になった団体である。それゆえ、何を今さら、こんな講義をするのかと不思議に思ったのである。
 結局、こういうことではないのか。
 韓鶴子氏は、「独生女」宣言をしてから唯一絶対の存在になった。鶴は当然のことながら、自由に指示を出したり、自分の考えたことを自由に話すようになった。
 文鮮明氏の御言葉を熟知している幹部連中は<これは困ったことになったぞ>と、頭を抱えた。<下手をすると、アボジ派が組織からごっそり離れてしまう>
 実際、神山氏は「7・1韓講話」の前の6月18日に、韓国釜山で講演をして、鮮鶴の乖離のことを匂わしていた。
【出典】<「お父様は無念だった!」-神山元会長の講演録を全文公開 >。7月30日にアップした記事だが、大きな反響を呼んだ。(投稿数56)
 その後の日本での講演では、神山氏ははっきりと鮮鶴の乖離(鶴の「鮮無視」「鮮のみ言葉無視」行為)の事実を具体的に指摘していた。

 神山氏は、文鮮明氏の命によって、2010年7月頃麗水人事になった。そこで、40日海洋修練会の講師となり、在韓の日本婦人シックに講義した。少なからずの婦人たちが神山氏の話を聞いている。
 また、前掲の、神山氏の言葉(文氏の御言葉引用)を紹介している「今日の訓読のみ言友の会」は、「ブログ-統一村」の人気ランキングで常時、ベスト10に入るようになっている。記事の性格からして、読者の多くは現役シックであろう。
 そこで、幹部連中はシックの動揺を抑えるために、神山氏を禹、中山、駒場に続く分派だとして、<私たちはお父様とお母様を分けて考えてはいけない>キャンペーンを行なうことを決めた。

 
 そして、日本では太田朝久氏を使って、韓国では武藤氏を使って、神山批判を行なった。
 しかし、さしたる効果はなかった。逆に、「神山批判」への反論記事が出るようになった。
 それに怯えた幹部は、「個人のブログには言及しない」方針をかなぐり捨てて、yosia621さんのブログを批判するようになった。
 前述した徳野スピーチも、この流れの一つだろう。
 だけど、やることなすことすべてが裏目に。私には、一部の教団韓国人幹部たちの脳が「誤作動」を起こし始めているように思える。

【関連記事】yosia621さんのブログ「当ブログに対する本部(太田氏)の反論について」「公式HPの反論に対する正式見解・・・NO1」 。維新の名君のブログ 「yoshia621氏の記事」に対する「本部の反論」に関して
 なお、教団にこのことで質問したところ、バカ丸出しの幼稚な詭弁回答がきた。これについては後日のブログでたっぷり書かしていただく。請うご期待だ。

【追記仄聞情報】神山氏が公開討論の申し込みを日本の教団に送った。期限までに回答はなかった。近く、公開質問状を発表するそうだ。「今日の訓読のみ言友の会」に掲載されると思う。各自、チェックしてくだされ。

【追記確定情報】(12月26日)仄聞情報は正しく、神山氏の公開質問状が25日に公開された。「公開討論の呼びかけ」並びに「公開質問状」。神山氏の記述を、gildongさんが「公開質問状に言及された天正宮訓読会(2012.1.19)」 で、補足説明している。秀逸である。一読を。


 こうした幹部の動きを、前にも紹介したが、cocoaさんが「幹部のたわごと」で、端的に表現している。
<徳野さんも《お父様とお母様は一体》であると強調しています。食口を従わせるためには、死んでも譲れないのが《お父様とお母様は一体》ということです。お母様が、理解に苦しむ行いや発言をされた時に「お母様ひとり」ではダメなのです。「お父様とひとつ」という幻想があればこそ、食口は「何か意味がある」と誤魔化されるのです。だから徳野さんの、ひとつの大仕事は《お父様とお母様は一体》と食口に思わせることです。《真のお父様と真のお母様を分離して考えることはできないのです。》と言っています>

話休題。徳野さんに注意しておきます。
「お父様の偉大な実績は人類の真の母を復帰したこと、新婦圏を復帰したことなのです」
 この発言を韓国語で韓鶴子氏が読めば、間違いなく人事になりますよ。「7・1韓講話」に反しているからね。
 真のお母様は復帰されて無原罪になったわけではなく、文鮮明氏が生まれるはるか昔から無原罪の娘として誕生することになっていた、と宣言したんだから。
 そういえば、この段落だけのことかもしれないのだが、徳野は「独生女」用語を使っていない。さすが元原研会長、抵抗があるからなのか。
 驚愕担当の呉教授を見習いなさい。四の五のは必要ない。「絶対だから絶対なのだ」
 また、徳野スピーチを読めば、真のお母様は「政治、経済、学術」に関することは疎いと言っているのと同じ。これもお叱りを受けるだろうなぁ

 叱責されるのは当然だ。韓鶴子氏はもっとも微妙でリスクの高い政治的発言をしているからだ。シャボン玉さんが「 (12/1)真のお母様が牧会者たちに語られたみ言葉(世界日報会長電撃交代) 」で紹介している、12・1訓読会での「鶴のみ言葉」の危うい一節を引用する。

(引用はじめ)
世界日報のことでとても動揺して憂慮しているシックがいることと思うが。この事件において公的か私的かを先に考えないといけない。今や政府を教育する新聞にならないといけない。正義社会具現、南北統一、世界平和に向かう正論誌にならないといけない! 現在、政府や外的なことは公的ではない。天の父母と真の父母が主人だ! そうでなければ私的だ。恐れることはない。真実を明かせば良い。世界日報の会長を任命する。世界日報の新しい会長と一つにならないといけない。誰が会長をするか? 송대오(ソン・デオ)博士来たの? 拍手して。
(引用終わり)

クネ大統領に対する挑戦状といっていい。
 韓鶴子氏が内輪でしゃべるぶんには問題ないが、そのおしゃべりを録画で公開するとは!あまりの政治的センスのなさに、悶絶死しそうだ。民主的透明性といえばそうなのだが・・・(苦笑)
 韓国のマスコミが連日報道するエキサイティングなテーマである。青瓦台がどう出るのか。韓国10大新聞の一つ(「韓国の新聞社一覧」参照)と統一教会との不正常な関係を暴露するのか、それとも統一教会&清平の不透明な金の動きを国税、検察が捜査していることを淡々とアナウンスするのか。

 事情通の話である。
「お母様は『言論弾圧を許さない』といった横断幕を掲げて戦う姿勢だそうです。しかし、教会幹部は、清平に飛び火するのではとヒヤヒヤしている」
 冒頭に載せた写真の字幕<世の中の法律が私たちをうるさく指図することはできません>の実践である。法廷闘争ではなく、韓国政府と力で闘うとは、正気の沙汰とは思えない。いや、根性があるといったほうがいいのか。
 話の続きである。
「今日(12月13日)の朝鮮日報の【社説】<弟派と家臣派、朴政権の見苦しい内部抗争>にあるように、どんどん見方が広がりをみせているので、世界日報だけが弾圧されることはないかもしれません。しかし、教会幹部が心配しているように、清平に対する検察や国税の調査、告発が厳しくなる可能性は大です。問題になれば責任者であるお母様が取り調べを受けるという可能性はなきにしもあらず」

 これら一連の動きを俯瞰してみれば、お母様は暴走し始めた、いや 鶴は大空に舞い上がり始めたのである。
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ったい、どういう構図になりつつあるのか。
 ヒントは、mebiusuさんの「15年度版のカレンダー 」にあるのではないのか。整理していえば、
2013年度版カレンダーには、子どもたちの写真は一切なく、文鮮明夫妻のみ。(文氏の死去は2012年9月)
2014年度版カレンダーも同じ。
2015年度版カレンダーでは、11カ月は文鮮明夫妻、1カ月は韓鶴子氏のみ。韓鶴子氏が「2月」のカレンダーだけは、自分だけの写真にしたのである。
 つまり、鮮よサラバじゃ、鮮鶴は一体ではない、という意思を表明したのである。
 
 献金集めのときは、「真のご父母様」を連発しなければ集まらないから、しかたなく「父」を付け加える。が、心は鮮(真のメシア、再臨主)から完全に離れているのである。いや、前回の記事で明らかにした、鮮の統一神学校を閉鎖、鶴の清心神学大学院をテコ入れの動きに見られるように、「鮮嫌い」を通り越して、鮮否定が進行中なのである。
 前述した神山氏の海洋修練会は、文鮮明氏が亡くなると中止となった。それと同時に、鶴が嫌悪していた神山氏はヨスから事実上、追放された。

 話は大きく横道にそれるのだが、あえて付け加えておく。
 この修練会は文鮮明氏の意向を受けた江利川女史が強力に押し進めていた。40日もの間、母子分離である。抵抗し参加しなかった在韓日本婦人(約200人)は“分別”された。教会から相手にされなくなった。
 中止は賢明だと思うが、韓鶴子氏が中止にしたのは、母子分離(子どもはPTSDを発症しかねない)を危険だと思ったからではない。夫、文鮮明氏が力を注いでいた事業だったからだ。
【謝罪】海洋修練会については拙著の<注>で比較的好意的に触れているが、取材不足であった。その後わかったことだが、修練会に参加したため、離婚になったケース。子どもが精神的に不調になったケースがあった。


 とまれ、鶴の心模様はこのブログのタイルの通りである。
 <重臣たちや、わらわはいつまで茶番(鮮鶴一体)を演じ続けなければならないのじゃ>


噂の真相-1行ニュース-

 ラスベガスでピースパレス献金が盗まれ、文家5男の権進氏が激怒としたとか。後日、報告する。


続く
-鶴の心模様(3)-

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神山サイドから日本教団本部に対する「公開質問状」が送られてきました。いまだ教団は公開していません(2014年12月月25日夕方現在)。質問状をご覧になりたい方は連絡ください。

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コメント

私はヨスに行ってません

私は今でも真のご父母様を敬愛しています。
お写真も掲げています。
でも教会関係の写真、授かったお壷、本などの一部は処分することにしました。

お父様亡き後のお母様のみ言葉は、正直よく理解できません。
お父様を無視するお母様だなんて、考えたくもないことです。
苦しく、悲しい韓国の生活の支えだったのが真のご父母様であり、清平の役事だったのですから。

ヨスの修練会は私は行きませんでした。
鬱を患っているので、免除されました。
海に行く時などに自殺されたら困るから、とかだそうですが、その時は病気を患ってて良かったと思いました。
行かない人たちは確かに違う目で見られていたのではないでしょうか。
言われたことをやらない(やれない)人たちは差別、区別されるのは教会の体質上、仕方のないことかもしれません。
それが辛かった時期もありましたが、今はなんとも思いません。
私は私の心のままに信仰をしていきたいと思っています。


Re: 私はヨスに行ってません

>私は私の心のままに信仰をしていきたいと思っています。

 他の宗教団体もそうかもしれないけど、統一教会の信者の場合、信仰というより「組織信仰」、もっと言えば「組織依存信仰」になっている印象を強く受けています。

 信仰とは本来、個人の内面に属することだと思っています。
 その意味で、そら豆さんの意思はすばらしいものだと思います。

 ただ、個人は弱く、他の人たちとの励まし合いが必要になることが多々あります。江戸時代の隠れキリシタンもそうでした。牛小屋に密かに集まって、農民たちが密かにミサをあげていたとか。


 日本・統一教会の場合、組織と一定程度の距離を置いた「家庭教会」(家庭互助協会)が存在します。分派ではない!

 数年前に本部の太田朝久氏に聞いたところ、全国に10前後の「家庭教会」が存在するそうです。

 ある家庭教会は教会員が100名いるとか。ここには取材を申し込みましたが、残念ながら、「まだ見学してもらうほどには至っていない」と断られました。

「統一教会」に失望し、かつ文鮮明さんのみ言葉に拘泥される方には、「家庭教会を創ったらどうか」と提案しています。
 6畳一間に3人以上の仲間が集う。
 何人かに提案しているのですが、なかなか難しいようですが。

サタンの妄言

お父様とお母様は一体であるという教会本部の主張は妄言であり、お母様が最後までお父様と一体であられたなら、基元節前にお父様が亡くなられることは、絶対にあり得ないことです。泥棒のような幹部たちがいくらいても、彼らが束になってかかっても、お父様が亡くなられることはなかったはずです。お母様の価値はそれほどに大きいのです。サタンの妄言は妄言であって、真実ではありません。

お父様とお母様の一体とは

教義があっての教会組織であり、
その教義が崩れたら、
組織はもちろん、
組織が崩れたとしても、
その後、誰かを中心として、
何かをすすめるということは、
出来なくなると思います。

今は、直接主管圏時代って言われてますね。
直接主管圏って、
成長期間を全うして、
もう堕落はあり得ない、
神様が直接主管できる、
神様の心情、願いが
ストレートにわかる、
そういう立場って、習いました。
これって今までの歴史にない、
すごいことですよね。

そういう意味では、
御父母様は一体のはず。
まあ、ちょっとしたケンカ位は
いいのでしょうけど。

現実はわからない。
直接見た、神山先生はわかってるということだけど。
でも神山先生が言うことが本当なら、
もう、他に誰かを立てるということ自体、ムダってことにならないでしょうか。

教義など既に完全に破綻している!

「御父母様(文鮮明と幹鶴子)は一体である」との主張は妄言であることに気付づきながら、あるいは、「神の直接主管圏時代」なる文言が現実世界の実態とは無縁であることに気付きながら、教義の根本を全否定しようとしない現役信者達。あくまでも文鮮明教祖がメシアであることを信じて疑おうとしない。しかし、「教祖文鮮明がメシアである」という命題それ自体が教義の破綻により明確に否定される。

すなわち、原理講論において「再臨なさるメシヤは、この問題(○乱による犯罪の問題)を根本的に解決し得るお方でなければならない。」とか、「神は、人生と宇宙の根本問題を解決されるために、文鮮明先生を遣わし給うた。」と明記されているにもかかわらず、文鮮明は根本的解決どころか、何らの解決策も提示することはできず、むしろ逆に、自身や子女達が率先して不倫の所業を行ってきた。

ということは、教義(この場合は原理講論の記述)の自己矛盾、それから教義と現実の根本的乖離により、「文鮮明は絶対にメシアではあり得ず、また、統一原理は断じてメシアが解き明かした絶対的真理ではあり得ない。」という結論に至るはず。

文先生を敬愛する人

『お父様は全てを成した』、『お父様とお母様は一つ』
波乱続きの教会の出来事の中で、この2つが現役信者の信仰の拠り所だと思います。故に紀元節をもって神の国は実現したし、あとはお母様を信じてついて行くだけで救われると思っているのでしょう。

しかし一方で、ウクライナを巡る欧米とロシアの紛争、イスラム教世界とキリスト教世界の争い。日本国内でも無差別殺人、幼児虐待が後を絶たない。これで本当に神の国が実現したと言えるのだろうか。地上天国を目標にして献身してきた人ほど「神の国が実現した」とは受け入れがたい現実です。
そこに神山元会長が現れ「神の国が実現する前に聖和されたお父様の無念をはらしたい」というメッセージは多くの心ある現役信者に届いたのではないでしょうか。
この度の神山元会長の言動に教会本部が敏感に反応しているのも、内部に共鳴者が続出していることの危機感の現れだと思います。

では真のお母様である韓鶴子氏自身は、夫と自分は信仰も人格も一つと思っているでしょうか。答えはNoだと言うことは本人が一番分かっている事でしょう。米本さん曰く、『いつまで茶番(鮮鶴一体)を演じればいいの?』という感じだと思います。今後は韓鶴子氏の独自色を強めて行くことでしょう。いずれ徳野会長も『お父様とお母様の摂理の進め方には、当然、特徴があるということです。』などと言ってられない時が来るではないでしょうか。これは徳野会長ばかりでなく現役一般信者にも言えます。韓鶴子氏は神山元会長を排除した様に、文先生を敬愛する信者は出て行ってほしいと思っているのではないでしょうか。霊界で天国に入れてあげると言えば喜んで献金してくれる信者だけ残ってくれれば韓鶴子氏及び韓国人幹部にとってこれは理想だと思います。
今後は文先生を敬愛する人ほど教会では居場所が無くなっていくのではないでしょうか。
(ちなみに私はどこの派にも属さないただの元信者です)

人間の責任

先にサタンの妄言と書きましたが、出処はサタンであっても、サタンとの関係を断ち切り、神様のもとに帰っていくのは、人間の責任なのですから、悪いのはサタンではなく人間なのです。責任を果たすべきなのは人間なのです。神山先生の講演のビデオを見ても、あまりに当たり前のことしか言っておられないのに、それを異端視する教会本部は完全におかしいです。神山先生のように直接お父様に接することができなくても、情的、あるいは霊的にお父様とつながることができるなら、神山先生の言われることがまさしく本流であることが分かるでしょう。お父様を十字架にかけたことを悔い改めないならば、どうして天の裁きから逃れることができるでしょうか。天を畏れずして、何を畏れるというのでしょうか。

公金横領

「△△で◇◇献金が盗まれる」
ベガスのように表に出るか出ないかの違いで、いつものことです。清平の解怨献金の横領も幾度となく耳にしました。職員が持ち逃げしたと、はっきり犯人が特定されたものもあれば、わからず終いのものもあります。
日本の教会では絶対、表に出さないように頑張っていますね。ほぼ内部犯ですから、恥ずかしいというのもあるし、そう処理して着服しているのです。
そのような手段で、まとまった金を得ても未来はないと思うのですが、公金横領は後を絶ちません。
お金は人を変えてしまうもの。
この機会に献金のあり方を自身に問うてみましょう。

ベガスの献金については教育施設を新たにつくるという目的でしたが、その大義名分自体がおかしいと思いませんか。2人の末娘のための新婚費用とか、今月初め、ソウル江南の一等地にオープンしたカフェの運転資金とか、ファミリー内でも何かと物入りでした。そのカフェのオープン記念には鶴ママと薫淑さん、よなさんなど、未亡人が目立っていて、異様な感じです。その近くには清平詐欺師の息子が経営しているイタメシ屋があるのですが、うまくいっていないとか…
サムスンのレストランチェーンや、スタバの物まねでは、限界があるでしょう。

神の娘

現執行部、上層部であればあるほど、真の家庭とは思っていないと思います。単にビジネス、生活費稼ぎのため、そして免税のために宗教を建前にしているだけ。地上天国実現や人類の平和など全く考えていない。

神の娘ってのはマザーテレサのように貧しい人に癒しや希望を与えるのではなく、貧しい人からお金を搾り取って天国実現とは関係なさそうなビジネス、金儲けをするんことだったのですね。。。

jyougaikimasenn

まずは、忠母様の祭壇を元通りにされ、晩年のお父様をボケ老人扱いされたこと、聖和式に参列しようとされた顕進様を阻止したことを、公に悔い改めていただきたいです。そうでなければ、いくらVISION2020と言われても、情が全く行きません。

訂正します

jyougaikimasenn→情が行きません

韓総裁に対する本質的な分析

 統一教会は文先生が他界した後は、完全に韓総裁が支配する体制となっており、7/1韓講話を初めとして、今までには聞かれなかったような‘御言葉’が公式的なものとして聞かれるようになりましたが、正直なところ その浮いた言葉に戸惑い、内容の不可解さに驚くばかりです。
 米本さんが記事の中で紹介されましたので、シャボン玉さんのブログ記事も読んでみましたが、「12/1(月)真のお母様が牧会者たちに語られたみ言葉」は その言葉の表現もさることながら、‘原理’など全く考えておらないような話の内容で、この方がマイナー教団とはいえ世界に10万人近い信者を抱えた宗教団体のトップにいる人物かと思うと、何か悪夢でも見ているような気分になります。

 米本さんは、前記事への私のコメントに対してレスコメントをくださり、その中で「表現が難しいのだけど、韓国人幹部が韓国人でなく日本人なら、本部職員にも採用されない幕下下位でしょうね。」と非常に興味深いことを書かれました。
 しかし、率直に述べて それは周辺の「韓国人幹部」だけではなく、韓総裁にも当てはまってしまうのではないかと妄想が湧いてきて否定できなくなってしまいました。
 もし、韓鶴子氏から「真の父母様」という肩書きを取ってしまったら、一般信者はどのようにこの方を判断するのかと考え込んでしまいます。
 もしかすると、地方教会の婦人部長以下にしか見られないのではないかとさえ思えてきます。
 その今までの(原稿なしで自由に話している)韓総裁の講話記事を読む限りでは、そのように思うしかないのです。

 文家‘ご子女様’の恋愛結婚を書かれた‘火の粉を払え’のシリーズの最後に米本さんが書かれた「そして、各種のスピーチ(公文)によって、絶対的な女王(おんなおう)になりたい韓鶴子氏の神格化が強まったという事実だけが残った。
‥(ため息)6回にわたって、結婚問題を書いてきたが、まるで現代社会にコミットせず、生産的なものではなかった。徒労感が残るばかり。マッチング結婚のため拉致監禁された宿谷麻子さんが可哀相だ。」との締めくくりが印象的でしたが、実際問題として韓氏の言行に‘深い考え’など見出すのは不可能なのです。
 文先生の場合は、たとえ原理講論とかけ離れた宗教論であったとしても、考えることが苦手な‘統一食口’に「何か深い訳がある」と幻想を懐かせるぐらいの工夫はなされていたのですが、韓総裁の場合はそれすらできていないのです。

 韓国の統一教信者の実数は7千人ぐらいとのことですが、おそらく日本から送られる巨額の資金がなかったとしたら、韓国統一教は世の中の人々からまったく相手にされないような弱小‘異端’教団より以上にはなれなかったと思います。
 韓総裁は人間としてのご自分の力量、宗教的感化力などを客観的に認識できておらず、ただ「真の父母様」の称号と地位を手にする結果となった為、ご自分が特別な能力がある人間であるかの如く勘違いし、幻想を懐いてしまっているのです。
 シャボン玉さんの記事にあった韓総裁の言葉「何が公的か? 私たちが公的だ。政治は私的だ。だから教えないといけない。」「天は私たちのために文明の利器をすべて誕生させてくださったんだ。」などを考えると、とても世の中に通じる人には思えないのです。
 しかし統一教会は「真の父母様」を神格化している為、そのように思想内容、能力、品格に問題がある人物だったとしても絶対権力を手にすることが可能な組織であるのです。

 客観的に見たら、とても「独生女:女メシア」などとは思えない韓氏は結局、「真の父母様は一体である」という理屈を用いるか、鮮文大学の呉教授が講義しているように、無条件に絶対的存在であることを主張する以外に人々に特別な価値を認めてもらう方法がないのだと思います。
 そして米本さんが統一教会の一連の動きを観察して指摘されている通り、韓鶴子氏自身は「独生女であり、絶対的存在である」ことを人々に認めさせたいのが本音であるのは確かなようです。
 ただ、「鶴は鮮を嫌い」ですし、そのように思っていたとしても、統一教会幹部がストレートにその主張を上意下達していたら、さすがに深刻な問題が起こることは予想できるので、徳野会長のように「真の父母様は一体である」という理屈を用いて、そのような文先生と考えを異にする韓氏に対する批判をかわす以外になくなってしまうのだと思われます。

 その「真の父母様は一体である」発言に関して述べますと、‘火の粉を払え’においては、米本さんのみならず、そのコメント欄の中でも‘統一教会用語’の不可解さが話題にされていますが、徳野会長が使った「一体である」あるいは「一体化する」という統一教会言葉もその典型のように思われます。
 「真の父母様は一体である」と語る場合の「一体である」とは常識的に考えれば、思想的に同一であり、意思疎通が充分なされている、と理解する以外ないのですが、徳野会長や統一教会員の場合はやや異なっているのです。
 つまり、「心情的に一体である」というように捉え、それは思想や表面的な意識のみでなく、深い情的世界としての心情において融合一体化している、というように捉えているのです。
 そして、心情的に融合一体化しているならば、その人格は分けて考えることはできない、というようにも考えているのです。
 徳野会長の「真の父母様は一体である」という言葉の中に「心情」という言葉は入っておりませんが、そのような意味で語っているのは間違いなく、それは後にくる言葉である<信仰の対象として、私たちはお父様とお母様を分けて考えてはいけないのです。「原理」を本当の意味で正しく理解していれば、決して分派の罠(わな)に引っかかることはありません。>からもわかるのです。
 しかし、そこで徳野会長や統一教会員が「心情的に一体である」と理解する場合の「心情」と統一思想要網などで定義されている「心情」は決して同じではなく、統一教会内部用語としても不統一なので、一般人からすれば厄介なことこの上ないと思います。

 その「真の父母様は一体である」発言は米本さんが指摘されているように、徳野会長は「真のご父母様が一体ではないとする見方は分派であるとたしなめる、ないし恫喝をかける。」ことを目的として語っているのですが、問題となるのは その「真の父母様は一体である」ことに対して向けられた様々な疑問については充分に答えないでいる欺瞞性なのです。
 そして、絶対だから絶対と言わんばかりに「信仰の対象として、私たちはお父様とお母様を分けて考えてはいけないのです。」と語るだけで、肝心の「独生女」発言の問題などは完全に避けて話を進めているのです。
 結局、徳野会長は「お母様は真のお父様のなさってきたことを継承せず、むしろ否定している」という批判に対しては その批判の一部だけを取り出して、曖昧な弁解で誤魔化し、さらに統一教会用語を用いて高圧的に語り、盲信を強要して矛盾した問題を煙に巻こうと逃げているだけなのです。

 統一教会信者は「統一」と名乗るだけあって「一体である」や「一体化する」という言葉を好み、頻繁に使いますが、そのような言葉の曖昧な使用方法は統一教会信者の思考能力をかなり退化させていると思います。
 例えば、「調和する」と「融合する」では意味が異なりますが、多分統一信者からすれば、どちらも「一体化する」になってしまうのだと思います。
 また、「協調する」と「従属する」でもやはり意味は違いますが、統一信者にとって、それらのことは「一体化する」であり、同じ言葉で表されてしまうのです。
 統一教会内においては「中心者(組織の責任者)と一体化せねばならない」と昔から語られていますが、その場合でも「一体化」は協調関係なのか、あるいは一方的な服従関係なのかは曖昧であり、人によっては相互理解による協調と捉えたり、また別の人は中心者に対する絶対服従と捉えたりと様々なのです。

 それは にほんブログ村・統一教会カテゴリーでも度たび話題にされてきた「アベル・カイン」の関係についても言えることなのですが、その問題が統一教会内部で いつまでも曖昧にされてしまうのは、統一教会員が「協調する」か「従属する」かというような言葉の使い分けができず、「一体化する」という言葉しか使えない貧弱な内面思考まで退化してしまっているからだと考えることもできるのです。
 それは、原理講論というよりは文先生の‘御言葉’で使用されている言葉を基本として教会員が物事を考える為、そのようになってしまうのですが、その行動を表す語彙の極端な少なさは統一教会員の特徴ともなっているのです。
 特に人間関係における基本的で重要な概念が統一教会用語によっては正確に表現できず、違った内容の事柄も一つの同じ言葉となってしまっているのです。
 「一体化する」「復帰する」「勝利する」などはその典型ですが、そのような基本的な統一教会用語の問題点から改善しない限り、その統一教会信仰の精神的異常性についても信者が自分で認識することができず、進歩することがないのではないかと思います。
 さらにもう一方では家庭における「子女の愛」「兄弟姉妹の愛」「夫婦の愛」「父母の愛」などのかなり身近な事柄を「四大心情圏」などと表現し、「何かのっぴきならない意味に捉え、思い込みのイメージてんこ盛りにしてしまったり(暗在さんコメント)」もしている訳ですから、統一教会員がまともな思考ができるようになる為には、その統一教会用語から正して行くことが必須であると言えます。

 しかし、褒め過ぎと思われて米本さんには不快かもしれませんが(笑)、韓鶴子氏の真実の心理を解き明かす考察には改めて高い価値を認めざるを得ません。
 統一教会信者は、たとえ問題意識の高い人達であったとしても、「真の父母様」の奥深い部分に存在する“邪な意思”について断定するのは決して容易くはありません。
 それはタブーを犯すような恐れが生まれ、余程の根拠がなければそこまで立ち入ることができないのです。
 しかし、米本さんの人間観察は理に適っていますし、事実に符合しており、誰でも充分納得できるものなのです。
 統一思想の価値を認めているとは言え、特に「真の父母様」を神格化している訳ではない私であっても探究し難いものである「真の父母様」の内面を解明される米本さんの人間研究は 統一教会を研究するものに計り知れない貢献をしてくださっています。

 前回の私のコメントにいただいたレスコメントに書かれた文顕進氏の人間像も大変勉強になるもので、そのような鋭い人間観察は他のライターには不可能だと思われます。
 以前、マスコミで統一教会の批判記事が多く書かれていた時期で、故文孝進氏が亡くなられた時のような記憶なのですが、かの‘知ったかコメンテーター’さんが統一教会批判記事を週刊誌に書かれ、その中に顕進氏を人物評価した部分がありまして、私は半信半疑でそれを読んでいました。
 そこで有田芳生氏が知ったかぶりに書かれるには、「三男の顕進は政治方面には不向きのようだから、四男の国進が後継者になるだろう」ということで、顕進氏に対する「リーダー的性格ではない」という分析をしていたことは記憶にしっかり残っていました。
 しかし、その後の実際の顕進氏は…アレアレーです。
 彼は‘知ったかぶり’に記事を書きますが、物事を推察する知力も想像力も乏しく、人間観察などはまるっきしダメなようです。
 統一教会に批判的な立場とは言え、米本さんとはあまりに対照的なので、笑ってしまいます。

 しかし、米本さんの‘火の粉を払え’記事は統一教会反対派という偏った立場からではなく、中立的な立場で、多角的な観点から事実に即して書かれた記事なので、統一教会員が自分自身を見つめ直すにはこれ以上ない価値あるブログ記事だと思います。
 願わくば、日本統一教会中枢部も‘火の粉を払え’をしっかり読んで何が統一教会に必要なのか、悟ってほしいと思います。

我々は億万歳しながら頑張ろう‼️

哀れ、惨め、落胆、崩壊、爆笑、統一でなく分裂億万歳教会!、、、誰か!何とかしてくれ〜‼️

神々の黄昏様の詳しい観察はその通りだと思います!

神山元会長が出て来られた事で統一教会の現状が分かりやすくなりました。

最終的には、watcherさんのコメントが正しく正論なのかもしれません。

嗚呼〜!哀れ、惨め、落胆、貧乏、億漫才爆笑統一教会‼️

日本人は天一国の奴隷です。

 アベルカイン思想で思考停止させ、内的奴隷化をはかり、有り金巻き上げ献金で家計破綻させ外的奴隷化をはかる。見事に組織へ従属、服従させる仕組みができている。日本人は天一国の奴隷にされていることに気が付かなければ、統一教会の正常化は実現しないだろう。祝福家庭は後天時代においては「天一国主人」のはず。

神山氏の公開質問状

 すでに読まれた方もいると思いますが、神山氏の公開質問状がアップされました。
http://kundoku.blog-fps.com/koukaisitumon/%E3%80%8C%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%A8%8E%E8%AB%96%E4%BC%9A%E3%81%AE%E5%91%BC%E3%81%B3%E3%81%8B%E3%81%91%E3%80%8D%E4%B8%A6%E3%81%B3%E3%81%AB%E3%80%8C%E5%85%AC%E9%96%8B%E8%B3%AA%E5%95%8F%E7%8A%B6%E3%80%8D

 gildongさんが補強する形で、記事にしています。
http://ameblo.jp/gildong/entry-11969176501.html
 これがなかなか面白い。

 今回のブログのテーマは<鮮鶴一体>問題。私の仮説的結論は<鮮鶴別々>。上の2つの記事を読めば、仮説ではなく、真実であったことが証明されたと思います。

世界に誇れる立派な日本侍として最後を顕わそう!

米本さん、本当〜に有難うございます。ただ、ただ、感謝しています。

私の姪が、市立横浜国際卒業して、JICAに勤めています。

今、本年度最後の仕事を終え、1人で一杯やってます。

米本さん、ワシはね〜、日本統一教会員で好きな人間は多いのです。純粋、純情、一途な人が多かった!涙!

騙され易い人だったのかもしれない!しかし、この社会の人達より当初は純粋純情真っ直ぐな人達だったと思う。

・・・ハッキリ言うが、統一教会の選民意識を持った朝鮮人はバ・カ・ヤ・ロ・ウです!

私は、日本統一教会の純粋立派な先輩達に言いたい!

潔い立派な日本人として、立派に散ろう!

人類の再臨主教会なら堂々としましょう!

そろそろ、日本統一教会本部の幹部そして論客がまともに反対派や分派の論客と向き合って真剣に文鮮明氏の事、韓鶴子独生女様の事、真の子女の事、血統転換の事、二世の事、清平の事等を論議すべきだと思います。我々は己を一度は捨てた祝福者です。

曖昧なまま、韓鶴子独生女様を霊界に送るべきではない!ハッキリケジメをつけないと、後孫に甚だ迷惑がかかると思います。

シッカリして来れ!日本統一教会本部の責任者の方々!

真理又は真理の道は終末には誰にでも分かる様に明らかに示されるべきです(聖書and原理講論総序)

このまま韓鶴子独生女様が霊界に行けば、watcherさんが言う通り、後孫にまで、重い余計な負担を負わせる事になります。

日本統一教会本部祝福家庭責任者の方々、もっと真面目に真剣に今の状況を受け止めるべきです!

頑なにコンクリートで固めた井の中の蛙として、知らん振りして、時間を無駄にすべきではない!

日本人統一教会員の生命がかかっています。日本統一教会祝福家庭にも日本人、日本国にも迷惑になる事をそのまま、放ったらかしにすべきではない!

宜しくお願い致します。

冷めた目も必要かと

@masayan_tokyo
「娘の教育間違った」会長の父と本人謝罪―大韓航空引き返し
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141212-00000081-jij-kr

この会長すごい。統一教会教祖夫婦は見習わないといけない。
文教祖は子供の不品行を決して謝罪せずに信徒の責任だと主張してきた。
こんな教祖見てきたから会長の潔さには感動してしまう。

この方のツイートは本質

まさむね
‏@masayan_tokyo
統一教会あるある87:家族を食べさせるため、意地でも組織にしがみつく。
組織が狂っているのは分かっている。でも絶対に口に出さない。

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