統一教会は家庭内泥棒の製造工場なのか!?
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高額エンドレス献金・2013年~(7)
- 速報-(11月9日夕方)
全国責任者会議(11月7日)で、11月8日から12月17日までが2014年総決算40日路程となった。それまでに年間目標を勝利すれば、12月19日の、ラスベガスのピースパレスの奉献式に参加するツアーに招待されるそうだ。
消息筋によれば、現在、年間目標を達成している教区は、65教区中12教区ではないかという。とすれば、12人の教区長と婦人部長は慰安旅行に招待されるということか。
なお、会議には故文孝進氏の後妻、崔妍娥氏が参加し、御言を語ったそうである。(妍娥氏は崔姓を名乗ったり、文姓を名乗ったり。事情がわからん)
いよいよ年末に向けて献金要請の嵐が吹く。妻が統一教会員の夫は、預金通帳の管理を徹底すべきである。
それにしても、統一教団の知能は小学生以下である。献金を無理強いすれば、後日献金返還請求がどどっと来る。
今年の年間目標額のうち何割かは、過去に示談書で取り交わした献金返還(借金)が含まれている。その献金返還を捻出するためにまた泥棒的献金集めを40日路程でやるわけだ。一時期、献金返還額(借金額)は300億円にもなったことがある。つまり、自転車操業なのである。こうした財務構造にメスを入れようとしていた文国進氏のCOME BACKを求める声が出始めているのも、むべなるかなだ。
退職金管理は相対者に任せるな!
法務局長の岡村氏はコンプライアンスを徹底させよ!
1シック50K献金(全体では100億円)の締め切りは、10月末から11月6日までに延長された。
5日現在、全国では65教区中30教区が目標を達成したようだ。全体としては、目標の80%前後を達成したと思われる。先月後半までかなり厳しい状況だったようだから、現場ではかなりの無理を重ねての結果だろう。
本部(伝道教育局=局長は韓国人の方相逸氏)の厳しいプッシュがあったのは言うまでもない。
厳しいプッシュによって、現場ではどんなことが生じているのか。
婦人部長や婦人副部長、基台長、区域長(?)クラス(教会内で「長」がつくシック)が婦人教会員に、夫の退職金の泥棒をさせているのである。
どういうことか。
妻が信者であることを知らないか快く思っていない非シックあるいは既成祝福家庭の夫が会社を定年退職する。会社は退職金を会社員の預金口座に入金する。ところが、通帳は妻任せ。そこで、銭ゲバ神の僕(しもべ)であるアベルたちが夫人教会員に、通帳から退職金を引き出させ、教会に献金させているのである。
客観的にみれば、統一教会は宗教団体などでは決してなく、家庭内泥棒の製造工場としか表現できない。
悲劇というか喜劇というか、家庭内に激しい諍いが始まるのは、夫が通帳の残高を見たときである。
ゲッ! 0円!
ない!ない!すべてなくなっている!
夫は問いただす。かくしてバトルが始まる。
退職金でマイホームを建てる。古くなった家を建て替える。そうしたことを夢見て、サービス残業までして、40年間働いてきた。その退職金すべてを妻が統一教会に献金してしまった! 脳溢血になりそうなほど怒り狂うのは当然だろう。
当然のことながら、夫は妻に献金を返還してもらえという。四の五の言えば、直接教会に電話をかける。
ここから献金返還の示談交渉が始まる。
教会はこう説得する。
「半分だけ献金していただけないでしょうか。残り半分は毎月分割で返済いたしますから」
既成祝福家庭で比較的理解ある、若干脳足りんな夫の場合、まれに提案をのむ人もいるようだが、
多くは、ふざけんな、全額(1000万円~3000万円)返せ!
らちがあかなければ、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の弁護士に委任する。統一教会は、返還された一部が成功報酬として彼らの懐に入るのは嫌だから、極力、弁護士を介在しない形で示談交渉を成立させようとしている。
<重要な注>全国弁連には退職金泥棒の解決の依頼が届いている。しかしながら、この団体のサイト(右にリンクしている)には、一切書かれていない。私より統一の不祥事には詳しいはずなのに。これは・・・どういうことなのかと勘繰ってしまう。彼ら反統一の弁護士たちは退職金泥棒が増えれば増えるほど、ウエルカムなのだ。なぜ?示談交渉による成功報酬が入るからだ。退職金泥が増えれば増えるほど、メシが喰えるのだ。 結句(けっく)、統一も反統一も同じ穴のムジナなのである。
示談交渉に妻が協力的でなければ、離婚に発展する。
かくして、祝福家庭(幸せが約束されていた家庭)は、不幸のどん底家庭になる-というわけだ。
独生娘の統一教会にはもう見切りをつけたという西日本の婦人教会員は「自殺者も出ていると思う」と語る。
現在、教会員意識調査が行なわれているが、不幸のどん底婦人がアンケートに回答するとは思われない。むろん自死した婦人は回答できず。
ちなみに、この調査については「教会員意識調査で絶対にやってはいけないこと 」が詳しい。「返信封筒の82円切手は本部持ちにして欲しかった」という春日井教会の公職者の言葉に、現場の困窮ぶりを見て取ることができよう
どの程度、家庭内泥棒が行なわれているのかは不明だが、知り合いの公職者がわざわざ話してくれたところから考えると、数件レベルではないはず。おそらく、目標を達成した30教区では退職金泥棒があったのではないか。
返還請求が行なわれると、教会→教区→地区に、最終的には岡村法務局長の部下であるS部長に報告があげられる。したがって、岡村氏、S部長が明らかにしない限り、実態は闇の中。
それに、通帳を見ていない夫だって、少なくないだろう。
以前、私が相談を受けた例を紹介しておく。
妻は、夫の預金からお金を引き出し、“定着経済”の品々を買った。合計800万円。最後には子どもの学資保険を解約して、400万円を献金した。
夫が妻を問い詰めたところ、統一教会に入信していたことを明かし、預金を勝手に引き出したこともゲロした。
怒り狂った夫は私のところに相談にきた。
離婚する(子どもは全員賛成したそうだ)、あるいは全国弁連の弁護士に返還を委任するなどの選択肢を提案されたが、私はとりあえず、妻が通う相模原教会に返還の直談判を提案した。結果、人参茶などすでに消費したものを差し引き、1000万円を30数回払いで、返還することになった。
これは2009年頃の話である。流れから推測すると、学資保険、生命保険を解約させたあと、いよいよ退職金泥棒となったのであろう。
韓鶴子氏やそのポチ集団、また献金の中抜きをしたい韓国人幹部たちは、もはや、アボジ信仰の強い777双、1800双 6000双、6500双、3万双などは関心の対象外。なぜなら、もう献金など払うことができない貧乏シックなのだから。777双の国家メシアは夜勤のアルバイト生活をしている。
彼らが関心を示すのは、既成祝福家庭、夫の写真だけをもって祝福を受けた家庭(一般社会からみれば決して祝福家庭と表現することはできないのだが)、それに青年祝福組。なぜなら、まだ金をもっているからだ。
信仰より金なのである。
最近、私からみれば唐突な、祝福式のイベントが行なわれていた。
<奈良で「2014 天地人真の父母天宙祝福式」を開催> (既成祝福24組と独身祝福50組)
<長野教会で「特別集会」、祝福式を挙行>(既成祝福62組)
きわめつけは、<映像「祝福式 ~既婚カップルが参加する合同結婚式~」をアップしました>である。(150か所の会場で既成祝福3300組。*33は統一教会が好きな数字ゆえ、水増しと推測する)
祝福家庭ではなく、既成祝福家庭の「祝福式」がポイントである。祝福家庭はすでに貧乏家庭。既成祝福はまだ金があるので、「祝福式を挙行」しているのであろう。
祝福とはそもそも「他人の幸福を祈ること」。祝福あれ、神のご加護あれと祈るのは無償の愛。祈ったから、祝福式に参加させてあげたから、金を寄こせ。そんな団体は世界の中でも統一教会だけだろう。もはや、宗教団体ではなく、拝み屋集団になっているのである。集団は祝福見返り金でメシを喰らい、子どもの学費を捻出する。
前回記事のコメント欄の千尋さんの投稿「もう1つ」と、自由人さんの「Re:もうひとつ」が参考になろう。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-521.html#comment9708
退職金泥棒のことを教えてくれた公職者は、数日前、電話で話したときには「頑張って28Kやった」と話していた。
どうやって捻出したか。
カードの借り入れ枠を使い、また親から借りたという。
「適当な理由をつけて借金したのですが、親は『どうせ献金だろう』と思っているでしょうね。
彼と話したのだが、親に嘘をついて借りるか、カードから借りるかしか、もう捻出のしようがない-という見方で一致した。もっとも、多くの教会員はどちらの「枠」も使い切っているから、捻出することはできないだろう。82円切手だって、買いたくないのだから。
あとは退職金と遺産相続だけである。この2つを献金させることができれば、28Kなんてちっぽけではなく、どど~んと1000K以上だ。
退職金泥棒を唆すのは、当然のことだろう。
さらにやるであろう手口は、痴呆症狙いだろう。痴呆の親、親の兄弟姉妹だろう。数年前に、痴呆になった姉の通帳から3000万円を引き出して献金した老年シック(水戸教会所属)がいた。姉の子どもは怒り狂ったそうだが、どう解決したのかは聞いていない。
今年の正月には、神に見放され、銭ゲバに取り憑かれてしまった、家族揃ってお雑煮さえ食べることのできない祝福家庭がどどっと増えるのは間違いない。嗚呼、アージュである-いよいよ年末に向けての献金プッシュ!プッシュ!が始まります-
今日(11月7日)、全国責任者会議が開かれている。今回は、教区長と教区婦人代表の参加対象。場所は浦安の一心特別教育院である。

コンプライアンスの元締め、法務局長の岡村信男氏よ、しっかり仕事をせんかい!
追記情報-退職金献金は全国的-(11月8日朝)
ある婦人教会員からの情報です。
「私が知っている婦人ですが、御主人の退職金の一部を献金して欲しいと、婦人部長より、何度も要請があり断ると、では借金の形で貸してほしいと懇願する始末です。どうせ貸しても、返ってこないのは明らかなのではっきりと断ったそうです」
このご婦人が所属する教区は、献金問題等で話題になったことのない地域。当時日本担当だった文国進氏が褒めていたところです。それなのに、退職金献金が行なわれている。
退職金献金は全国的にやられていると解釈するのが自然でしょうね。
興味深い記事だと思われた方は↓

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追記情報:統一教会広報局からマスコミ向けのメールが届いた。タイトルは「夫婦拉致監禁・脱会強要事件/神戸市の牧師等を刑事告訴」。すぐにアップしたいのですが、13日の後藤さんの高裁判決の結果が出たあとにします。
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記事の削除と追加
お悔やみに行かれた方から、自殺は統一教会とは関係ない-という指摘がありました。
よって、削除しました。
(2)金持ちイタコの茨城来訪の記事について。
11月12日に徳島県で予定されていたが、取りやめになった-という指摘がありました。茨城で13日予定通り開かれるのか確認中です。それまでは記事を削除します。
(3)退職金献金のことで、末尾に追加情報を載せました。
記事復活のお知らせ
記事末尾の囲み記事を再度読んでいただけたら、幸いです。
地上天国・・・
信仰より金、そんな感じですね。
私は、統一原理、統一思想はすばらしいと思っている一人ですが、この組織のやり方で地上天国はできるのか、年々疑問になっています。
とは言っても、分派として外から批判している組織はさらにやり方がよくないとも思う。
そのパワーは中で改革してほしい。
難しいのはわかるけど、外に出て批判的にやるのは方法としては更に良くないと思う。
ところで、献金などのトラブルが原因で離婚している家庭って結構あるのですか?
教会に行かなくなったっていう程度なら私の知っている範囲でもあるのですが、実際に破局ってありますか?
また自己破産っていうのも、私の知っている人や噂はないのですが、ネット上ではちょくちょく言われてますよね。
実際に自己破産って結構あるのですか?
ご存知の方、教えてください。
田舎マンさんへ
当時は教会が率先して、カードを作らせて借りさせました。教会がカード会社のパンフを配って説明しいましたから、狂ってます。しかも、カードを教会があずかり、教会の人が毎月返済に行っていました。でも返済が滞ると、督促が個人に行くので、旦那さんにバレたわけです。私が前にいた教会のことです。
自己破産も知っています。なんたて、今のうちの区域長が自己破産してますから。しかも、私らに献金を詰めるときの決まり文句が、「私は自己破産までしているんですよ!」です。
まるで、「おまえらも自己破産するくらい借金して献金しろ」と言っているみたいなものです。まあ、本音はそう思っていると思います。心の底から腐っています。
どう考えても、今の教会は末期です。
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トラブルでの離婚
私の知ってる姉妹は献金トラブルで離婚しました。彼女は既成家庭でしたが何度も宣教活動に出たりして、ある時ご主人に多額の献金がバレて話し合った結果離婚となりました。そして教会に対しても弁護士をたてて返金要請をしました。彼女はそれから既成教会に通っています。
以前に誰かから伝え聞いた話によりますと、日本ではご主人が献金をしぶるようだと離婚を勧められるということでした。
悲しいことに希望のない教会になってしまいましたね・・・・
ありがとうございます。
貴重なお話、ありがとうございました。
やはり、現実あるんですね。
教会的、摂理的には、どう解釈するんでしょうか?
み旨を愛した素晴らしい結果ということなんでしょうか?
今回、機関誌と共に意識アンケートみたいなものがありましたが、
こういう、自己破産家庭、離婚家庭の、件数やデータなどはきちんと、本部は把握しているのでしょうか?
びっくりしたのは、
>日本ではご主人が献金をしぶるようだと離婚を勧められるということでした。
これはひどいですね。
信仰より金というよりも、
家庭より金ってことになりますね。
こういう現場の状況を、本部や上層部はどれだけ理解しているんでしょうか?またどうこれを指導しているんでしょうかね?
自己破産までして献金する、また離婚を勧めるような指導をしている連中を、それを指導する本部のお偉い方は、どう考えているんでしょう?
最近聞いた話ですが、御嶽山の事故は蕩減だから、50数を勝利しないといけない・・・みたいな指導をしている教会もあると聞きます。
私が知っている教会ではそんな話はとりあえず聞いたことはないのですが、そんなアホな指導して詰めているところなんてあるんでしょうか?もしあるならばどこか教えてください。
婦人達こそ「信仰より金」のスタンスを見習え
とりわけ、”家庭内窃盗ないし横領”に手を染めるアホ婦人どもの思考回路は一体どうなっているのだろうか?それこそ、”家庭崩壊摂理”の推進だと言える。無知蒙昧な盲目的狂信者と言ってしまえばそれまでだが、あえて、皮肉を込めて言うならば、彼らこそ、「信仰より金」という教会のスタンスを見習うべき!
つまり、下らない信仰なんぞとっとと棄て去って金を貯めろ!ありもしない”祝福家庭”などという幻想を棄て去って、真っ当な家庭を築け!もちろん、教会とは縁を切ってビタ一文献金するな!
献金中毒
韓国で同じことをやれば、ブーイング100%なのに、日本では上手くいくから味を占めてやめられない。経済破綻、家庭崩壊、何のこと、自分と何の関係があるのか…ぐらいの感覚。離婚万歳。再祝福でまた銭になる、原理?そんなもの解釈の仕方でいくらでも誤魔化せる…ぐらいの感覚。罪深い日本人、あの時代わが民族を蹂躙し卑しめた日本人、今度はお前たちが卑しめられる番だ。以後3000年は許せない。これが本音の本音であることを、日本の全教会員が知っておくべきです。今は本部古参の幹部と在日幹部しか、わかっていないのでは?そういう人たちは清平に解怨献金なんかしていません。
銭ババも日本の信奉者も一種の中毒のようですね。
これから集金した献金は教会員のために日本に福祉施設をつくったり、日本に2世のための学校をつくったり、もっと建設的なことに使ってほしいものです。今は銭を搾るための施設しかない。修練所の教育も銭の稼げる教会員の育成になったと聞きます。
銭ババが韓国に持って帰れば、巣の中で無能な教会幹部や企業責任者が口をあけて、早く餌をくれないかと待っています。何十億、何百億の不正を暴かれても、同じ穴のムジナですから、「だんまり」を決め込む。生きていくための強かさは堅持しているわけです。この度も河氏だけを悪者にしました。
私の友人知人も献金中毒患者です。自己破産している人もいます。早く悪夢のような現実から抜け出してほしいと思うのですが...
統一教会異常化の主役
米本さんのご指摘は否定できませんし、統一教会が一般的に良い意味で解釈されるような宗教団体でないのは明らかです。
しかし「統一教会は宗教団体などでは」ないという捉え方は実は、自分が入教した当時にも一つの認識としてありました。
それは米本さんが書かれたような「家庭内泥棒の製造工場」というような意味では勿論なく、それとは全く逆の、‘非現実的な宗教とは異なる活動をする’というような良い意味で「宗教団体などでは」ないとの認識を持っていたのです。
私が入教したのは世界が冷戦構造の時でしたし、統一教会の中心的活動は思想的なもので、特に唯物論に立脚した共産主義思想を危険視し、その運動を克服する‘勝共活動’こそが統一教会が果たすべき一番の社会的使命であると信じていました。
そして、世界を二分している片方の国々の革命思想である共産主義思想を克服することができれば、世界では宗教や文化も発達し、戦争の恐れがない理想的な平和が必ず訪れると確信していたのです。
そして、その共産主義思想を克服できるのは統一思想以外にないと信じていたのでした。
ですので、ただ神任せにお祈りだけしていたり、宗派に拘っている類の宗教団体では平和な理想世界の建設は無理であり、一般にある伝統的な宗教団体というものを無能な存在と見なし、蔑視していたのです。
実際に統一教会員が行った反共的政治活動は日本の保守勢力側の人々には受け入れられ、反共であるが故に統一教会員が一般の人々に好意を持たれるということは珍しいことではありませんでした。
ただ、冷戦時代から既に、統一教会には経済活動偏重の傾向がありましたが、国際的に多方面で勝共活動を展開しているという意識がありましたので、そのことに特に矛盾を感じることはありませんでした。
私が学生時代、勝共運動の資金カンパなどを個別訪問で行なったりしたのですが、時々「まさか、実際は反共活動じゃなくて、やっているのは宗教か何かで、お金が集まったら大きなお寺院が建ったなんてことにはならないんだろうね?」と聞かれることもありました。
しかし、当時は自信を持ってそれを否定し、勝共活動の意義を訴えることができたのです。
私が学生の統一教会員として持っていた問題意識とは、如何にしたら唯物思想に立脚した共産主義運動を解消し、その社会主義国の欠点が克服された理想的な国や調和した世界の建設が可能になるか、というものでした。
そして、統一教会の文先生は冷戦時代の社会主義国家の欠陥として憂慮されていた独裁政治や反対派粛清の問題、そして自由な思想活動や生活を否定する問題などが解決されたものとしての共生共栄共義主義の体制を指導者として実現して行かれるに違いないと確信していたのです。
それは丁度、当時のソ連や中共国、北朝鮮などの抱える社会的矛盾を解決した国家の姿こそが理想的な社会主義国であり、共生共栄共義主義世界だというように思っていたのです。
そのようなイメージで統一教会の運動を捉えていたものですから、ソ連崩壊による冷戦構造の終結はまさしく統一教会の真価が問われる時だと固唾をのんでその成り行きを見守っておりました。
統一教会は特に崩壊した社会主義国家に対して、その再建において何か大きな影響を与えていくに違いないと思っていたのです。
しかし、その世界的な変動の中にあって統一教会がなした影響は爪先ほどのものでしかなかった…
統一教会がなした目立った行動といえば中国における‘パンダ自動車’工場の建設ぐらいで、政治的な影響などは皆無だった。
そして、その‘パンダ自動車’は文先生側近の無能さ故に、現在は影も形もない…(泣)
冷戦後においては明らかに統一教会は様変わりしたと思います。
それは以前にも記事に関連したコメントの中で書いたことがあるのですが、‘勝共’を政治的な中心課題としていた統一教会はその最大の敵であった共産主義運動が潰えてしまうと、共生共栄共義主義という本領発揮どころか宗教王国の建設を唱え始めたのです。
ソ連や中国、そして北朝鮮などが抱える最大の問題であるとして攻撃していた‘独裁政治’‘階級社会’などを統一教会自体が実現を目指すようになってしまったのです。
そして統一教会内部においても大きな意識転換が図られたように感じます。
教会は今までのように共生共栄共義主義世界としての理想世界を目指すのではなく、「真の父母様」を絶対中心とした宗教王国の建設を目指すようになったのです。
つまり、ここに至って統一教会は、原理講論において批判していた‘古い宗教’に自らが回帰することになってしまったのです。
そして、そのような旧宗教への回帰によって何が起こったかと言えば、‘清平役事’に代表されるような‘宗教ビジネス’の展開が始まったのです。
経済活動の偏重は以前からありましたが、その‘金儲け主義’が露骨となり、「家庭内泥棒の製造工場」と見られても仕方がないところまできてしまったのです。
米本さんは統一教会が‘宗教団体’から‘経済詐欺団体’へと変化していったように見られるかもしれませんが、統一思想などを中心に内部から見ると、‘社会思想団体’から‘盲信的宗教団体’に変化したと見れなくもないのです。
ただ‘盲信的宗教団体’というのは統一思想の観点からであって、米本さんのような一般人からすれば、宗教を利用した‘経済詐欺団体’と捉えて間違いないことになりなす。
その統一教会の変化については、まだまだ探究すべき謎が多いと思います。
それについて書き出すと切りがなくなるので、ここでは書きませんが、様々な角度からの分析が必要となります。
今回の記事において米本さんが具体例を示して説明してくださったとおり、日本統一教会の異常な集金活動の主役は間違いなく“献金婦人”であります。
その“婦人信徒”達の異常な集金活動がなかったら、多分 とうの昔に統一教会は経済破綻していると思います。
つまり、日本統一教会の“婦人信徒”の盲目的信仰こそが貪欲な韓国人幹部によって利用され、統一教会をますます異常な、‘反社会的’団体に変えていっているのだと思います。
その日本統一教会の“婦人信徒”の盲目的信仰を生み出す根拠の精神分析ができて初めて現在の統一教会員の奥深いところにある精神的欠陥についても解明できるのだと思われます。
黒羊家の場合
20代女性です。私の夫(同世代)が、彼のお父様から210万円のお金を借りていることが分かり、悩んでます。夫の通っている宗教団体へ、献金するためだそうです。私もその宗教の信者ですが、私は、夫からも教会からも何も知らされていませんでした。これまで、訳あって別居婚でしたが、近々夫と同居することになっています。私になんの相談もなくこんなことをするなんて、ショックです。今後、彼とうまくやっていけるかどうか不安になってきました。よね様、私はどうすればいいんでしょうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
よね様、ご機嫌よう。
あれは、家庭出発直前のことでした。なんの摂理だったかしら・・・、一杯あり過ぎてこんがらがってしまいますが、多分総生畜献納祭だったと思います。
私、突然夫チャーリーから、「教会に献金するために、実家からお金を借りた。」とカミングアウトされたんざます。その額、210万円!?
私たちは訳あって、家庭出発の1年前に入籍していました。ですので、その時私は正式なチャーリー夫人だったんです。なのに、そんな重要なことを事後報告!?
さらに詳しく聞いてみますとね。実家からお金を「復帰」するようアベルに言われたチャーリー。お金を復帰する理由を「アベルと一緒に考えた」結果、このようなシナリオを作ったんだそうですの。
・・・アベル(妻子持ち)家に遊びに行ったチャーリー。誤って、その家にあった時価210万円の壺を壊してしまった。その壺は、アベルが統一教会から特別に授かった壺である。実際には210万円の価値はないかもしれないけれど、210万円で授かったことに変わりはなく、チャーリーは全額を賠償したいと思った・・・ちゃんちゃん。
210万円をアベル(=統一教会)に渡したチャーリー。それに対し、ご丁寧に、領収書まで発行されてました。但し書きが「壺代として」。収入印紙まで貼ってありましたわ。
チャーリーママはね。統一教会に騙されてる。そんな高いはずがない!!と憤慨。この話が、全くのデタラメとまでは、思わなかったようですが、大反対でした。(かわゆい息子が,そんなデタラメ言うとは、夢にも思わなかったんでしょうね。)
ところが、チャーリーパパはね。とっても公正無比な、頭の良い人ですけどね。「そうか。」と言って、ぽん、と210万を現金で渡してくれたんだそうです。
私?冒頭の20代美人女性相談者の気持ち、すごく良くわかります。この話を知って、困惑したというか、憤慨したというか、咄嗟に「家庭出発は無期延期」と思ってしまいました。
私、当時は篤実な統一教会の信徒でしたの。でも、私の両親は反牧につながっていたため、私自体は実家に献金要請などはしたことがありません。てか、そんな形で献金するのは、嫌だったんです。まず、嘘が嫌。借金も嫌。せいせいせい、どうどうどうとやりたい!!って思ってました。(え?一個ずつ多い?)
でも、もうやっちゃったことはどうにもならない。そこで、私チャーリーに聞きましたの。一体全体、そのお金、借りたの?それとももらったの?
これは、すごく重要なことでしてね。チャーリーの回答は、借りた。でした。じゃ返さなきゃね。ってことで、月3万円ずつ、数年間に渡り、チャーリーパパに返済しました。で、最後の10数万、という時点で、一括返済いたしました。
私たちが家庭を出発した時、結局その210万円の他に、チャーリーが私に買ってくれた婚約指輪(もち、お母様ブランドの、聖書シリーズよ。ざっと、36万円。これ、まあデザインは悪くはないんだけど、小さい手の私にはゴツ過ぎて、似合わず、ほとんど嵌めないまま。婚約者カップルの皆様は、指輪は本人同行の上で購入されることをお薦めいたします。)のローンと合わせ、月6万円の返済がありました。
薄給の身には、きつかったなぁ~。
でも、最も問題なのは、妻の私に一言の相談もさせなかった、チャーリーアベル。反対されたら、やばい、とでも思ったんでしょうか。そして、チャーリーパパに返済していると言った時、「親なんだから、返さなくてもいいのに。それじゃ、復帰したことにならない。」とかって言った、教会の皆様がた。
まあ、私たちは既製家庭ではなく、マッチング家庭だったんですけどね。それでも、こんな風に、夫婦の仲を裂くかのようなやり方を、教会はしていたんです。
壊れる家庭はね。1千万でも、10万でも壊れるでしょうね。だって、金額の問題ってより、信頼関係の問題ですから。そしてね。献金する人というのは、本当は進んで献金するものなんですの。だって、その後、私はむしろチャーリーよりも熱心に義務献金完納に取り組みましたから。誰も騙さずに。そして、資力がなくなった時点で、もうコリャダメだ、とやめました。いつまでも、終わんないし。
統一教会も、もっと常識的にやればよかったのになぁ~。朝、車の中でラジオを聞きながら、出勤してるんやけど、色々な宗教団体がええ番組やってるで。信者やないけど、なるほどな、って思うこと一杯あるもん。
統一教会に残ってる人は、まあ、せいぜい頑張りや。そして、幹部の人にゆうといたるわ。「いつまでも、あると思うな食口と金。」
Re: 統一教会異常化の主役
井口先輩のインチキトークによる万物復帰(1980年頃)、高額壺売り(1982年頃)、いつ頃からなのかは不明だけど、印鑑、朝鮮人参販売も冷戦前からではないでしょうか。
1991年、高額壺売りが中止となり、金集めの対象はシックの財布となった。預金からの献金そして借金して献金と、次第にエスカレートしていく。黒い羊さんが書かれているように親に嘘をついて金を引き出す。生保を解約する。退職金、遺産相続を狙う。
「妄信的宗教団体」になったのは、花売り時代からだと思います。いや、萌芽は廃品回収時代からか。そして、反社会的性格(市民からの被害届けが出るという意味で)を帯びるようになったのは、インチキトークの物売りからでしょう。
副島さんに話を聞きたいと思っていますが、消息がわからず、です。(泣)
記事の削除と速報を追加
よって、末尾の囲み記事は削除しました。
おそらく、清平横領疑惑が話題になっているとき、目立つような動きをしてはならないということになったのだと推測しています。(ただ、参加予定の清平教の人たちの間では全く話題になっていないことからすれば、何か別の動きがあったのかもしれません)
韓鶴子氏のスピーチからすると、彼女と金持ちイタコとの関係は何も変わっていないと判断しています。
速報は、11月7日に開かれた全国責任者会議の一報です。
何も変わっていない
>韓鶴子氏のスピーチからすると、彼女と金持ちイタコとの関係は何も変わっていないと判断しています。
同感です。スピーチは10/27でしたが、11/3には清平修錬苑のサイトに、来年の行事の予定がびっしり発表されています。
http://jp.cheongpyeong.org/notice/view.asp?notice_id=gongji&idx=1897
>天宙清平修錬苑では、教会と食口の皆様に天地人真の父母様、興進様・大母様からの天運を相続できるように更なる努力をして参ります。
清平摂理はまだまだ続くということです。このページを良く見れば、2016年4月の先祖祝福、先祖解怨まで決まっています。やめるどころか、再来年までやる気満々ですよ。
今回日本の行事が中止になったのは、米本さんの推測どおり、横領疑惑で検察が調べているときに日本で金稼ぎをするのは、さすがにヤバいと思っただけでしょうね。
共生共栄共義世界の夢が理想が!涙涙涙!
(((統一教会の中心的活動は思想的なもので、特に唯物論に立脚した共産主義思想を危険視し、その運動を克服する‘勝共活動’こそが統一教会が果たすべき一番の社会的使命であると信じていました)))→私も全く同じ考えでした。
(((そして、世界を二分している片方の国々の革命思想である共産主義思想を克服することができれば、世界では宗教や文化も発達し、戦争の恐れがない理想的な平和が必ず訪れると確信していたのです 。そして、その共産主義思想を克服できるのは統一思想以外にないと信じていたのでした)))→な、な、何と!神々の黄昏様と私、全く同じです!
(((ですので、ただ神任せにお祈りだけしていたり、宗派に拘っている類の宗教団体では平和な理想世界の建設は無理であり、一般にある伝統的な宗教団体というものを無能な存在と見なし、蔑視していたのです)))→な、な、何と!ここでも神々の黄昏様と私の過去の思いが同じでした!
(((実際に統一教会員が行った反共的政治活動は日本の保守勢力側の人々には受け入れられ、反共であるが故に統一教会員が一般の人々に好意を持たれるということは珍しいことではありませんでした)→その通りで、保守政治家や反共愛国者からは良く親愛の情で接して頂きました。
(((ただ、冷戦時代から既に、統一教会には経済活動偏重の傾向がありましたが、国際的に多方面で勝共活動を展開しているという意識がありましたので、そのことに特に矛盾を感じることはありませんでした)))→残念ながら私もその様に思っていました。無念です!
(((私が学生時代、勝共運動の資金カンパなどを個別訪問で行なったりしたのですが)))→私も一年近くやりました。
(((そして、統一教会の文先生は冷戦時代の社会主義国家の欠陥として憂慮されていた独裁政治や反対派粛清の問題、そして自由な思想活動や生活を否定する問題などが解決されたものとしての共生共栄共義主義の体制を指導者として実現して行かれるに違いないと確信していたのです)))→私も残念ながらその様に信じていました。
(((それは丁度、当時のソ連や中共国、北朝鮮などの抱える社会的矛盾を解決した国家の姿こそが理想的な社会主義国であり、共生共栄共義主義世界だというように思っていたのです)))→私も、其れに近く、共産国の方が早く共生共栄共義主義に進むと思っていました。
(((そのようなイメージで統一教会の運動を捉えていたものですから、ソ連崩壊による冷戦構造の終結はまさしく統一教会の真価が問われる時だと固唾をのんでその成り行きを見守っておりました。
統一教会は特に崩壊した社会主義国家に対して、その再建において何か大きな影響を与えていくに違いないと思っていたのです)))→私も文鮮明教祖がゴルバチョフに会い、金日成に会った時、いよいよ来たるべき世界基督教統一神霊教会の時代が来る‼︎と霊感商法等の日本での統一教会に対する汚名もいよいよ拭われる時代が来〜る〜 〜!と天を仰ぎました!
(((しかし、その世界的な変動の中にあって統一教会がなした影響は爪先ほどのものでしかなかった… →その通りで、涙涙の物語です。
(((統一教会がなした目立った行動といえば中国における‘パンダ自動車’工場の建設ぐらいで、政治的な影響などは皆無だった )))→私はパンダも大した事ない!と思っています。.......結局は打ち上げ花火の様なお笑い見世物パンダだっただけでした!
(((冷戦後においては明らかに統一教会は様変わりしたと思います。
それは以前にも記事に関連したコメントの中で書いたことがあるのですが、‘勝共’を政治的な中心課題としていた統一教会はその最大の敵であった共産主義運動が潰えてしまうと、共生共栄共義主義という本領発揮どころか宗教王国の建設を唱え始めたのです)))→正しくその通りです!......それも御利益先祖供養霊の除去宗教。
(((ソ連や中国、そして北朝鮮などが抱える最大の問題であるとして攻撃していた‘独裁政治’‘階級社会’などを統一教会自体が実現を目指すようになってしまったのです)))→神々の黄昏様は良く観ておられる!その通りです!
(((そして統一教会内部においても大きな意識転換が図られたように感じます。 教会は今までのように共生共栄共義主義世界としての理想世界を目指すのではなく、「真の父母様」を絶対中心とした宗教王国の建設を目指すようになったのです。 つまり、ここに至って統一教会は、原理講論において批判していた‘古い宗教’に自らが回帰することになってしまったのです。 そして、そのような旧宗教への回帰によって何が起こったかと言えば、‘清平役事’に代表されるような‘宗教ビジネス’の展開が始まったのです。 経済活動の偏重は以前からありましたが、その‘金儲け主義’が露骨となり、「家庭内泥棒の製造工場」と見られても仕方がないところまできてしまったのです)))→残念ながら私も全く同じ考えです!
(((米本さんは統一教会が‘宗教団体’から‘経済詐欺団体’へと変化していったように見られるかもしれませんが、統一思想などを中心に内部から見ると、‘社会思想団体’から‘盲信的宗教団体’に変化したと見れなくもないのです。
ただ‘盲信的宗教団体’というのは統一思想の観点からであって、米本さんのような一般人からすれば、宗教を利用した‘経済詐欺団体’と捉えて間違いないことになりなす)))→神々の黄昏様の見方に同感です!
(((つまり、日本統一教会の“婦人信徒”の盲目的信仰こそが貪欲な韓国人幹部によって利用され、統一教会をますます異常な、‘反社会的’団体に変えていっているのだと思います。 その日本統一教会の“婦人信徒”の盲目的信仰を生み出す根拠の精神分析ができて初めて現在の統一教会員の奥深いところにある精神的欠陥についても解明できるのだと思われます)))→深いですね!生命の木と盲信して突き進んだ原因は女の性に何らかの原因が間違いなく存在すると思います。
2014/11/0909:43 URL 編集
ミイラ取りがミイラになる
従来の宗教を批判しておきながら、結局は自分たちが二の舞を踏んでいる現実。唯物主義を批判しておきながら、献金に依存している現実。独裁政治を批判しておきながら、独裁的に教会の方針が決まっていく現実。
このままいくと、もしかしたら(あくまでも憶測の域をでませんが)信者確保のために拉致監禁まで統一教会がやり始めるのではないかと思ってしまいます。
単なる自分の思い過ごしであるといいのですが。
原理解釈食口それぞれ
http://ameblo.jp/chanu1/entry-11950536277.html?frm_id=c.am-browr_l.top-_r.am-www
Re: 統一教会異常化の主役
~統一教会の中心的活動は思想的なもので、特に唯物論に立脚した共産主義思想を危険視し、その運動を克服する‘勝共活動’こそが統一教会が果たすべき一番の社会的使命であると信じていました。~
私も神々の黄昏さんと同じく、これが伝道の原点になっていました。選挙になると、当時は、燃えに燃えて選挙活動していましたね。単なる宗教団体であれば、勧誘されても拒否反応を示していたでしょう。
~その日本統一教会の“婦人信徒”の盲目的信仰を生み出す根拠の精神分析ができて初めて現在の統一教会員の奥深いところにある精神的欠陥についても解明できるのだと思われます。 ~
日本統一教会の婦人信徒の多くは、青年期における男女のように直接伝道からではなく、家系図を通し、霊石を授かることによって伝道された人たちが大半ですから、献金の要請が来ると、一方では、献金に応じなければ家族に何か起こるのではないのかと、不安と恐怖を覚えるもう一つの思考回路が形成されているように思われます。献金要請が来るたびにこの思考回路がオンになり、手段を厭わず献金要請に応じてしまうと言う盲目的信仰が根底にあるものかと思われます。
清平行事においても然りです。
理想家庭を目指したものの、皮肉にも崩壊家庭を目指していたとは...。
統一教会の実態の根本原因は、教義それ自体の間違いにあり
共産主義者たちは、「ソ連や東欧諸国の現実の政治経済社会体制は間違っていたが、共産主義社会の理想を掲げたマルクス主義のイデオロギーそれ自体は正しかった」と述べて、あくまでも共産主義を擁護しようとしましたが、所詮は現実を直視できない負け犬の遠吠えに過ぎなかった。
自分から言わせれば、統一教会=勝共連合の連中も共産主義者たちと全く同じ穴の狢なのです!創造原理はともかくとして、文鮮明思想(ムーニズム)それ自体が根本的に間違っていたからこそ、今日の統一教会が共生共栄共義の理想とは真逆の”地上地獄世界”とでもいうべき悲惨な実態となっているのです。
かつて多くの日本人食口達は、「祝福を受けて原罪を脱いでメシアと共にみ旨を歩み、為に生きる真の愛の実践を通じて創造理想世界(地上天国)を建設する」という統一教会の理想を信じ、強い信念を持って活動していました。実際、万物復帰の名の下に行われた霊感商法が行われるまでの日本統一教会の幹部達もおそらく疑いもなくそのような信念を持っていたと思います。
しかし、その理想は、単なる建前に過ぎなかった!「ちゃぬの裏韓国日記」に掲載されている文鮮明教祖の”み言葉”を読む限り、統一教会の真の目的=文教祖の野望は、「文鮮明とその一族を頂点とするメシア王国=万民が文一族に絶対服従する専制支配体制を建設する」ということにあったと断言せざるを得ません。そして、統一原理という宗教理論の唯一最大の目的は「文鮮明教祖が再臨主であるという理論的根拠を示すこと。」まさにこれに尽きます。
1980年代、多くの日本人が街頭で勧誘されてビデオセンターに連れて来られ、原理のビデオを見せられて、教義を信じ込んでいったわけですが、実に巧妙な”教義刷り込みシステム”によって、まんまと騙されてしまったということです。
金の切れ目が縁の切れ目
レスコメントへの感謝、返答
上の米本さんの心優しい言葉を頂いて、正直泣けてきました。
私が勝共運動に対し、世界を救う運動であるかのような意義を見出して、青春時代とも言える年代に実際に関わって運動したことは、夢の中の活動のようなものであり、米本さんからレスコメントがあったとするならば、勝共運動など「無知なものが共同幻想に迷い込んで自己満足的な政治活動に走っていただけだ。」というように書かれると覚悟していました。
しかし、米本さんは人をむやみに傷付けるようなことはせず、私の愚かさを指摘して批判するようなことは、あえてなさらなかった。
それは米本さんの心遣いと情け以外の何ものでもないと、ただ感謝するばかりです。
統一教会員が矛盾に満ちた非科学的な教義を信奉し、上からの指令が下れば、狂人のように、そして泥棒のように金集めに奔走する現在の姿を私が統一思想信奉者として恥ずかしく思い、それよりはまともに近い社会活動も行なっていた時代もあったんです…と言いたくて勝共運動を持ち出したのですが、本音を語れば、勝共運動自体も多分に共同幻想に近いものだったのです。
実質的にそれは単なる反共活動に過ぎなかったし、世間から受けた評価も、反共勢力の一部としてのものであり、その勝共理論が評価されたわけではなかったのです。
勝共理論は共産主義思想の骨格を批判した上で、最終的には人間の「新しい精神改造」によって共産主義思想の限界を超克する方法を説いていますが、第一の主張として「人間が互いの価値の尊厳性を認め、互いの人格を真に尊重し、生活の秩序を定立維持することのできる新しい価値観。新しい倫理観が提示されなければならない。」と述べています。
確かにそれは尤もなのですが、具体的主張に欠けるのです。
その勝共理論の中においては、「絶対者である神」を「真の父母」とすることによって「全世界が大家族社会」となれる、と書かれておりますが、「絶対者である神」の存在自体が人類にとって歴史的な大問題なのですから、何の解決策も示していないのと同じなのです。
ましてや、最終的にその新しい最高の倫理観をもっているのは統一教会信徒ということなのに、その教会員達は平気で詐欺商法を行うような人間なのですから、説得力などあろうはずがないのです。
「勝共」という言葉も韓国で生まれたものなのでしょうが、如何にも大げさな表現であり、思想を表すのに「勝」などという文字を入れるところに幼稚さというか、民度の低さが滲み出ています。
しかし、当時は自分もまだ未熟で幼稚だった為、そのような勝共活動に意義があると純真に信じて学生として活動していたのでした。
ただ、訳のわからぬ統一教製、VISION,2020などを内容も定かではないのに大真面目に語ったり、その為に泥棒のような真似をして献金活動するよりは遥かにまともなことをしていた時代もあったと、自分を慰めているのです。
多分、米本さんはほとんど社会的に意味のない勝共活動とは言え、それまで否定してしまったら、その当時の統一教会員の人生を全否定することになってしまうので、あえて批判せず、情けをかけてくださったのだと思います。
世界共産主義運動に関しては、何度かコメント欄の中で書いておりますが、結局、経済政策が機能せず、国家経済が破綻したのであり、民主化運動の高まりも抑えることができず、最終的に自滅する結果となったのです。
その自滅する過程において、文先生の勝共運動など何の役割も果たしておらず、ただ、自由主義圏内において、保守勢力と歩調を合わせたという社会の片隅の保守側応援活動でしかなかったのです。
それを、統一教会が共産主義運動を壊滅するのに一役買ったなどと本当に思っていたとしたら、現実を何も知らない馬鹿と思われてもしょうがないのです。
つまり、統一教会は「サタンの結実体」であるという世界共産主義国家とまともに戦ってもいないし、当然 勝利してもいないのです。
それは、「サタン」が生み出した最終的国家形態である「共産主義世界」と「天の側」である「民主主義世界」は‘武力’か あるいは‘理念の戦いか’のどちらかによって決着をつけねばならない、との原理講論の復帰摂理歴史観は現実と合致せず、間違いであったことを証明しているのです。
たとえ統一原理の創造原理などの根本思想は‘真理’であると思っていても、原理講論にはあちらこちらに間違いや矛盾が発見されるのです。
ただ、天聖経などの‘御言葉’は問題外で、「永遠の聖書」どころか‘朝鮮宗教民話’のようなものに過ぎず、いずれ永遠に見向きもされない駄作宗教書となるのは目に見えています。
統一教会の理念は時代的に逆方向に探究し直さなければ、世界の未来にとって何の価値もないのです。
>コトさん
>献金の要請が来ると、一方では、献金に応じなければ家族に何か起こるのではないのかと、不安と恐怖を覚えるもう一つの思考回路が形成されているように思われます。献金要請が来るたびにこの思考回路がオンになり、手段を厭わず献金要請に応じてしまうと言う盲目的信仰が根底にあるものかと思われます。
清平行事においても然りです。
私が「日本統一教会の“婦人信徒”の盲目的信仰を生み出す根拠の精神分析」として現在考えているのは、コトさんとはかなり違っています。
コトさんはいわゆる「不安と恐怖心」が煽られて“婦人信徒”が献金要請に応じるとお考えのようですが、それは献金を強要される人が、脅かされてその献金を差し出す時に、そのような心理に一時的になるのかもしれませんが、高額エンドレス献金が集まるのは、その献金を集める側の婦人信徒の盲信度が強い為なのです。
つまり献金を最高の‘精誠’だと盲信して教会員を説得し、集金活動に精を出す婦人信徒の異常さが高額エンドレス献金を可能にしているのです。
「不安と恐怖心」を煽られて盲目的な信仰を持つようになる、というのはマインドコントロール論者が用いる論法です。
しかし、私は それは心理学的な分析において研究不足だと思っています。
わかり易く、原理的に言いますと、人間は恐怖心などを動機としてする行動は、一時的であり、長続きしないのです。
しかし、希望が生まれ、期待と喜びを動機としてする行動は力強く、長続きするのです。
ですので、献金を勧める婦人信徒の原動力となるのも、その行為が神様に対する精誠となって、霊界に善なる条件が蓄えられ、霊界でより高いところに行くことができるというような、ある種の‘期待と喜び’なのです。
例えば、盲信的な教会信者が血統転換などという非科学的な教義を信じることができるのも、何かその教義を信じて祝福を受ければ、自分が血統から生まれ変われるのではないかと希望が湧いてくるからなのです。
決して、血統転換しないと自分は地獄へ行ってしまうと恐れるからではないのです。
その辺の統一教会員の心理分析をし始めるとかなり長文となってしまいますので、これ以上は書きませんが、「“婦人信徒”の盲目的信仰を生み出す根拠の精神分析」においては、‘期待と喜び’が重要なポイントとなるのは間違いありません。
そして、共同幻想という‘ひねくれ食口’さんが使った言葉を私は好んで使うようになりましたが、‘期待と喜び’がその共同幻想を否定できない絶対的と思えるもののようにしてしまい、高額エンドレス献金を可能にしてしまっているように考えています。
そして清平役事こそその典型だと思っています。
文先生の古い‘御言葉’における「天国へ行ける条件」とは大変厳しいものです。
ホームチャーチにおいて360軒伝道を勝利せねばならないとか、12名‘霊の子’を作らねばならないとか、頭が痛くなってしまうような難しいことばかりです。
しかし、その文先生が認めた清平役事では、献金して体を叩く‘役事’を行うだけで先祖まで絶対全霊となることができるのであり、これほど楽な信仰はありません。
従って、文先生が示した条件では、天国に行けないと諦めていた信者達も、清平役事に参加するだけで天国へ行けるなら楽で嬉しいと思って清平へ足を運ぶことにもなるのです。
>小川寿夫さん
>アダム国家韓国・天使長国家アメリカ の立ち位置とういか、責任分担(それぞれの使命ってなんですか?)日本ばかり献金・献金と尻をたたかれてますが、アメリカ、韓国あんたらの責任分担、金集めも含めてどうなっているのか知りたいです。
文先生はアダム国家、エバ国家、天使長国家などと語りますが、私はほとんど意味のないこじつけだと思っています。
韓国をアダム国家としているのは、アダムは神の内の主体的な男性的要素を実体化した存在であり、家庭や宇宙の中心的存在であると統一原理は考えていることから、韓国が世界の中心であり、支配者の位置だと言わんとしているのでしょうし、日本がエバ国家であるというのは、ただ、アダム国家である韓国には妻のような立場で従順に従えと言いたいだけでしょう。
また天使長国家がアメリカとしているのは、天使長は人間に仕える立場なので、アメリカも結局、韓国の指導に従えという意味なのだと思います。
結局、それらの呼び名は韓国が全世界の中心だと言いたいだけで、アダム・エバ・天使長の意味を原理講論に照らし合わせながら真面目に考えてしまうと、却って矛盾だらけでつじつまが合わなくなってしまいます。
例えば、家庭において働いて財産を生み出すのは男の役目であり、お金稼ぎはアダム国家がせねばならないはずですが、実際はまったく異なっており、エバ国家である日本がお金稼ぎをいつもやっているのです。
しかも客観的に国家として見るならば、アメリカこそ政治力、軍事力、そして経済力も世界一の国であり、アダム国家と呼ぶべきなのです。
統一教会のこの考え方は小中華思想そのもので、ただ韓国を中心として考えていて、それを別の言葉でこじつけているだけなのです。
エバ国家であるからアダム国家にたくさん送金せねばならない、などと言うのはまったく理屈になっていませんし、日本にばかり高額献金の要求がくるのは、ただ単純に、日本人は理由をつけて強制しさえすれば、なんとかお金を出してくれるからなのです。
韓国人やアメリカ人はそれほどお人好しじゃないので、高額献金を集めるのは難しく、韓国人幹部はそれを知っているので、お金を出してくれる日本人に献金の要求が集中するのです。
神々の黄昏さん
褒美と献金
引用はじめ<(前略)神様、真の父母様の愛は無条件の愛です。ですから、無条件の真の愛で氏族を愛していきましょう! > 引用おわり
統一教会では、真の父母サマは真の愛をもっているとされています。その愛をもっているはずの真のご家庭では育児放棄というネグレストによって兄弟対立・親子不和になるなど、悲惨な状況です。それにも関わらず、平和メッセージ14(平和メッセージhttp://www.ucjp.org/?page_id=3981) では次のように書かれています。
引用はじめ<どのように暮らすことが、未来のために正しく暮らすことなのでしょうか。子孫を徹底的に教育しなければなりません。子孫の前に残してあげられる、手本となる生活を送らなければなりません。>引用おわり
このように理想論だけは真っ当だと思うのですが、私にとって真の父母サマが模範的なのかどうかは離婚や不倫が頻発した真の子女サマの状況を見る限り疑問だらけです。
では次にこの真の愛たる無条件の愛が統一教会幹部に備わったかについて、米本さんの今回の記事から考察します。 引用はじめ<全国責任者会議(11月7日)で、11月8日から12月17日までが2014年総決算40日路程となった。それまでに年間目標を勝利すれば、12月19日の、ラスベガスのピースパレスの奉献式に参加するツアーに招待されるそうだ。>引用おわり
これでは年間目標の勝利を条件として愛するわけですから、無条件の愛とは言えません。
よって少なくとも全国責任者会議で褒美を用意している統一教会幹部には真の愛が備わっていないと考えられます。
次に不義なる動機で集金する輩について、平和メッセージ14では次のように書かれています。<世の中では、良心をだましながら、体の言うとおりにあらゆる詐欺、謀略、中傷をしてお金を集める者たちが大勢いますが、そのようにしてお金を集めれば、かえってお金が彼らを打つのです。審判の棍棒になるのです。> 献金横領疑惑の渦中にある金持ちイタコや夫の退職金をも献金要求するような教会がお金に打たれるのかどうか気になるところです。
<祝福あれ、神のご加護あれと祈るのは無償の愛。祈ったから、祝福式に参加させてあげたから、金を寄こせ。>祝福式に参加させたから金を寄こせというのは有償の愛ですよね。天国に入るにも入籍手続きが必要と説くなど、どんどん原理から離れて行っています。 真の愛は誰に対しても無条件・無償、親の心情で接するような愛のはずです。
教会に身を置きつつも、統一教会公式サイトに掲載されている平和メッセージに反することを平然と実行する人達には失望しています。 最後に、特に教会の最高幹部、金持ちイタコの子女サマたちに対して次の平和メッセージを送ります。
<お金にばかり頼って暮らせば、享楽に流れていってしまいます。男女間の乱雑な愛の関係をつくり出していきます。それで、滅んでいくのです。>
もっといいたいことがあるのですが、ブログの趣旨から外れてしまうので、これで終わります。
お金も活動もエバの責任
>例えば、家庭において働いて財産を生み出すのは男の役目であり、お金稼ぎはアダム国家がせねばならないはずですが、実際はまったく異なっており、エバ国家である日本がお金稼ぎをいつもやっているのです。
しかし文先生の観点はどうも違うようです。元々1944年(43?)の結婚相手の崔先吉さんは財閥の家柄のようですね。ちゃぬさんのブログの情報によると、おじさんが崔聖模という有名な事業家のようです。さらに1950年代に登場した複数の女性たちには、崔聖模氏の奥さんを初め、お金持ちの女性が結構いたようです。そういう女性たちのお金で初期の教会ができたのではないでしょうか?
その経歴と一生をざっと見させてもらい、自叙伝をさっと読んでみた限り、文先生は、経済面だけでなく心理的にも女性依存症の傾向があったのではないか、と感じています。だから統一教会はいつも女性が先頭に立てという号令を連発したのでは?号令はもちろんアダム(文先生とその代理の男性)から出ていましたが。日本がエバ国というのはその希望的拡大でしょう。
全公職者が抵触している公金問題
教会公式サイトより
http://www.uc-japan.org/intro/descript.aspx?slc=11
さて、「神様王権即位式」以降、明確に天法の基準が発表されました。第一に死んでも血統を汚してはならないということです。第二に、人事処置を誤って、人権蹂躙(じゅうりん)してはいけないということです。第三に、公金を自分勝手に使ってはならないということです。
文氏亡き後に発表された天一国憲法にこれが明文化されているのか分かりませんが(なにせ、憲法といいながら印刷物になって我々食口のところに来ていないので)、明らかに今の教会はこの3箇条に抵触しまくりです。
そもそも真の家庭からして、不倫略奪結婚をする娘もいれば、母親自らが娘の血統を汚すことを公式的認めていますから(第1条違反)、ジエンドでしょう。
3男を悪者に祭り上げて追い出したり、4男や7男も不明確な理由で追い出したりと、誤った人事措置、人権蹂躙もしまくりです(第2条違反)。教会内の功労者(例えば神山氏など)を悪者に祭り上げて「仮想敵」をつくって組織の結束を図ろうとするのも人権蹂躙です。日本食口をいつまでも献金で苦しめるのも、完全に第2条違反でしょう。
日本の公職者たちの多くは、こういう目立つ違反はしていないのですが、私から見ると明らかに第3条の公金問題に抵触していると思います。むろん、金持ちイタコみたいな大々的な公金横領ではありませが、逆に小さくても常態化しているのでもっと深刻です。
それは、公職者として存在していること自体です。今や公職者の存在自体が、公金横領だと思うのです。なぜなら、食口が血と汗と涙を出した捧げた献金で生計を立てているからです。借金まみれになって自己破産、離婚に至るまでして食口がした献金で、家賃を払い、食事をし、妻子を養っています。
私なんか、そんなお金を使えって言われても、怖くて使えないですね。そんなことして生活するくらいだったら、コンビニのバイトでも工事現場の人足でもいいです。どんな仕事でも感謝されるものだから、やりがいがあります。
しかし、献金で生活する公職者は、ほとんど感謝されません。恨まれるだけです。そりゃそうです。実際に先日の礼拝の後で、壮年たちが帰りながらこう話していました。
「献金で食ってるやつらってさ、やるべきことをやってないよな。食口の家庭を幸せにしたり、地域社会に貢献したり、世界平和を実現するために、献金から給料もらってるわけだろ。それが全然実現できてねえんだからさ、あいつら給料泥棒、献金泥棒じゃんか」
「そうそう。なにかイベントがあると、おれたちが無料奉仕で手伝わされるんだけど、あいつらは給料もらってるんだから、全部あいつらがやったらいい話だよな」
私の周りでもこういう会話が日常茶飯事でなされるくらいですから、たぶん食口の心理は全国規模で地殻変動が起きていると感じています。今の教会の現状を見れば、さもありなんです。そのうちきっと、どこかの教会で暴動なり、集団献金ボイコットなり、公職者の公開糾弾つるし上げイベントなどが起きると思います。
文氏のことばが真理であるならば、全公職者が公金問題に抵触していると思いますね。公職者の責任(食口の家庭を幸せにしたり、地域社会に貢献したり、世界平和を実現する)を果たしていないのに、自分は献金から給料をもらって家族を養ってきたんですから。だから食口からも打たれるし、社会からも打たれるし、多分霊界からも打たれてるんじゃないでしょうか。
つまり、今の教会のこの現状は、全公職者が公金問題に引っかかっているからだといえると思います。ここから抜け出すには、全公職者が宗教サラリーマンをやめて、献金からは一切給料をもらわず、バイトなどで生計を立てつつ、それでもボランティアで教会スタッフをして、なおかつ50Kなどの摂理献金を率先して行うことです。それしか道はないでしょうね。
全国責任者会議で、これくらいのことを決めてほしいものです。総会長が「今日から皆さんは無給です。しかし、教会業務はちゃんとやってください。50Kも率先して全うしてください。私もこれから徳野会長とコンビニでバイトです。あ、もちろん今日の交通費も自腹で出してくれよな」と言ってみろって。
統一史観は再臨主マンセーの誇大妄想史観である
さらにはそのこじ付け理論を、イエス以降の2000年の世界史(第一次大戦まではもっぱら西洋史)にまで当てはめて、復帰摂理歴史の同時性だとか世界的蕩減復帰だとかいう概念をもって説明している。つまり、人類歴史をすべて(神とサタンの)善悪闘争の歴史とみなし、何でもかんでも「善か悪か、神側かサタン側か」という、いかにも二元対立的な図式的論理で単純化して説明しているのです。だから、両世界大戦における連合国と同盟国についても、単純に前者が神側、後者がサタン側という割り切った位置付けをしているだけ。
要するに、統一原理の復帰摂理歴史も、統一思想の歴史論(統一史観)もまともに検討する価値が全くないほど陳腐極まりない歴史観であって、それこそ”再臨主マンセーの誇大妄想史観”だと断ずることができるのです。だから、いまだに世界情勢を「アダムやエバ、天使長、アベル、カイン」といった聖書人物達の名前を持ち出して説明する統一教会や現役食口達の思考方法は一顧だに値する価値もなしと考えます。
神々の黄昏さんへ
~「“婦人信徒”の盲目的信仰を生み出す根拠の精神分析」においては、‘期待と喜び’が重要なポイントとなるのは間違いありません。~
果たして、今の現場の婦人たちが‘期待と喜び’から高額献金をしているでしょうか?
繰り返しになりますが、青年の直接伝道と違って、婦人たちは、家系図を通し、霊石を授かることによって、先祖からの悪因縁を断ち切ることができ、それによって家庭が守られるならという動機で、トーカーの語る言葉を信じて、身を切る思いで霊石を受けることで高額献金をしたのです。これを条件としない限り、霊感商法時代においては、婦人たちは、青年たちと違って、統一原理を簡単に受講させることをしなかったのです。
身を切るような思い、~あなたは、本来ならば出家しないといけない身であるが、霊石が、その代わりをしてくれたので、出家せず通教することで、その教えを学ぶことができる。~と言う論法で80年代から青年より婦人たちの数が急激に増えて行ったのです。
過去を振り返って見みますと、直接伝道時代の1978年頃には、霊石(壺)はすでにありましたが、当時は、プッシュ等はありませんでした。小さな会場に価格(20万~200万)の表示された数十の壺が、ただ陳列してあるだけでした。私は、壺そのものではなく、購入することによって天の願う摂理が少しでも進めばと言う動機で、壺を純粋な気持ちで購入しました。
ところが、1980年代からは、物品を霊品に衣替えさせて家系図トークによる伝道が始まったのです。霊石を授かるまでの流れは、まず訪販による印鑑トークからです。そしてその顧客を家系図トークへと会場に案内するのです。
マスコミに叩かれ高額献金を生み出すことが出来なくなると、内部への詰めが始まります。数年前までは、教会に眠っていた婦人家庭の個々の家系図まで持ち出して、教会長、自らが家系図をみながら「この人が気になりますね。」と最終的に一人一人婦人を詰めて行く状況だったのです。そして、教会長による訪問による財把握?です。決して、‘期待と喜び’から婦人たちは、すすんで高額献金をしているのではないのです。「教え」を聞いても、家系図を見ながらの詰めですから、摂理献金に応じなかったら家族に何かあるのではと、不安もよぎるのです。「教え」から、‘期待と喜び’が生じる婦人はいたとしても、「詰めによる高額献金」からは、‘期待と喜び’は、生じないのです。「教え」と「詰めによる高額献金」は、別物なのです。財物を捧げ切った家庭に生じるのは、はっきりと言って‘不安と苦しみ’だけです。そして、挙句の果ては、親の老後の蓄え、夫の退職金、相続が発生すれば遺産を目当てに、責任者は詰め寄るのです。教団はすでに狂っているのです。新氏族メシアとして伝道する気にもなれません。同じ思いをさせたくないからです。
Re:神々の黄昏さんへ
統一教会が冷戦時代当時から行ない続けていた‘先祖の因縁’トークを悪用した高額商品の販売や「天の摂理」と結び付けた高額献金の強要はどちらも根拠のない作り話を使っての金銭奪取であり、明らかに詐欺行為です。
‘火の粉を払え’の過去の記事において、徳野会長が責任者会議の中で「世界摂理は当たり前」というような言い方で「世界摂理」の為に多額の献金をするのは当然の義務であるかの如く責任者達に語っていたことが書かれていましたが、「世界摂理」などは単なる統一教会員が行う世界各地の事業や宗教的建物の建設のことであり、本来の意味での神の「摂理」とはまったく無関係です。
つまり、教会内部で行われている高額エンドレス献金も詐欺行為と言って差し支えないのです。
そのような詐欺行為においては、高額の代金を要求したり、高額の献金を強制したりするわけですから、かなり強圧的な話法が用いられ、お金を出す側は断腸の思いをして金銭を差し出さねばならなくなります。
それは当然、普通に‘期待と喜び’と思えるようなものではありません。
むしろ、後で絶望と悲しみを味わうことになるのです。
現実的な感覚からすれば、コトさんが説明してくださった「詰めによる高額献金」は‘期待と喜び’を動機としておらず、却って‘不安と苦しみ’の結果をもたらしているのは確かです。
しかし、そのような場合においてもその深層心理においては必ず肯定的な力が働いているのです。
‘不安’や‘絶望’のみであったとしたら、人間は積極的な行動をとることはできないのです。
その「詰めによる高額献金要求」に応える信者の心理を解明する為には、どうしても「自己犠牲」「マゾヒズム」などの用語を用いながら文字を多く使って追究する必要があり、それを書きだすと長文になってしまいますので、このコメント欄においては簡潔に書かせていただきたいと思います。
信者が教会長などから「詰め」られて、断りきれず、家庭内泥棒をするはめになったとしても、その行為を決断するにおいては「自己犠牲」を甘受する心理が働いており、自己陶酔に近い‘喜び’が存在するのです。
それは‘喜び’という言葉をかなり広い意味で使っているのですが、感情としては肯定的なものなのです。
もし自己犠牲を甘受できる情がわいてこなかったとしたら、たとえ献金を「詰め」られたとしても、それに応えることはできないはずです。
信者が高額献金を「詰め」られて、決断してしまう動機には、それを肯定する力として「自己犠牲を甘受する情」がそこに働いているのです。
そしてそこには「自己犠牲」を尽くした結果としての「救い」に対して期待する情が生じてくることになるのです。
その「救い」に期待する情があるからこそ、異常な行為であったとしてもそれを実行するようになってしまうのです。
しかし、「世界摂理」などとは元々が理論的な根拠に乏しい、取って付けたような教義で‘真実’ではないのですから、その高額献金による「救い」など実感できるはずがないのです。
結果として‘不安と苦しみ’が残り、「騙された」となるのです。
ただ、教会長や婦人部長などが高額献金の要求を信者に「詰め」る場合は、その広い意味での‘期待と喜び’を巧妙に含ませており、それがいわば詐欺の手法のようにして利用されているのです。
そして「世界摂理」「先祖の救い」の為に高額献金が効果を発揮するなどというのは 虚偽の共同幻想であり、統一教会の幹部がその共同幻想を作り出し、献金集めの為に利用しているのです。
そのような共同幻想の虚偽性は統一原理の基本原理を理解できれば、誰でも見破ることができます。
ですから、統一教会の高額エンドレス献金の問題を解決するためには、その統一原理の真理部分を理解し直さねばならず、虚偽の教義は排除する必要があるのです。
もし、それができないのであれば、やはり法律に従って、統一教会から宗教法人格を剥奪する必要があると思います。
「荒らしの博物館に移動。
在韓の日本婦人もおそらく、、、
そろそろいやになっていた頃なんですが、、、
国進さんが全国巡回しながら、
「後天時代」?「正午定着」?でしたっけ?
数年前の記憶で申し訳ないのですが
「後天時代」という
新しい時代にはウソをついてはいけないとか
これからは「悪い?人間は霊界があの世につれていく」とか
トーゲンは終わったとかいう時代になったんです!と
希望的ともいえるミコトバをのたまい
「これ以上日本のシックに苦労させてはいけない」という
アリガタイことを言いながら
ジエ夫人と全国巡回なるものをしてましたよね。
私も日本にいた頃、着物ほしくもないのに親を着物展示会につれてったり
指輪なんかほしくないのに宝石展示会なるものに
つれていって
その中では安いほうでしたが
いくらか「貢献」(おしうり)させたという
少々うしろめたい感もあったので、
その「後天時代」なり
「ああ、もううそつかなくてもいいんだな」って肩の荷が降りたような
気がしました。
だれかの強制や「~ねばならない」という圧迫ではなくて
自分の良心というものを中心に生きていけと神様は言ってくださってるんだなって
ほんとに正直うれしかったですよ。
ところが、ところがですよ!!!!
それからまもなく、韓国在住のメーリングリストなるものがありまして、
(今はしりません)
本部教会の献金を勝利したあかし?なるものが
全国ネットで一斉にでまわりました。
そこには 日本の年老いた親に嘘つきまくって
日本円で100~200万円くらい送ってもらったとか、
子供が手術した、子供が死にそうだ、子供が事故で、、
などなど
孫かわいさにありとあらゆるウソをついて(もしくはリーダーがつかせて)
「勝利しました」「オトーサマ!ばんざい!]式の
反吐が出そうな「証し」が何度も回ってきました。
または教会の物品を売って献金したとか、いろいろありましたけど
あ、両親ののこした遺産を献金したというのもあったと思います。
(その方がましですけどね)
私、頭に来て全部メールすてちゃったんですけど
今になっておもえば
とっておけばよかった、、、、
ですから、韓国にお嫁に送っている親御さん、
本当に困っているならいいですが、
そういう要請があったら、ほんとかどうか確かめに
抜き打ちで韓国訪問するというのも
おすすめです。
監禁する必要はありません、(してはいけません!!)
監禁屋にお金やるくらいなら
旅行滞在費を払って観光もかねて
ご自分の目で確かめて本人の良心に訴えるしかないと思います、
其のうえで本当にお孫さんが大学行くとか結婚するときに
助けて上げる方がよろしいかと、、、
そんなことがあって、その後
「いうこととやることの正反対の統一」
プラス
そういう証しを聞いて
何の良心の呵責も感じない
日本人のおばさんと縁がきれてせいせいしてます。
訂正プラス
何の良心の呵責も感じない
=>
良心に蓋をしたり、
いまだにうそも方便と思っている
トーゲン好きの
日本人のおばさんたちと
仲良くしなくてもすむようになったので
せいせいしています。
ちなみに、おこがましくも
私が非常に良心的なまじめ人間だというわけではありません!!!
書いてるうちになんか年甲斐もなく熱くなってしまいました。
しかし、今後お金のために
他人をだますような人間にはなりたくないし、だまされたくもないと思ってる
ただのおばさんです。
だまして・・・
勝利の証を聞いたり、読んだ内容が、
家族や知人に嘘をついて借りたり工面しているものばかりだったので、がっかりしました。
よく妻に
「アベル型オレオレ〇〇」
だよねって言ってました。
祝福のハードル
プラス
そういう証しを聞いて
良心に蓋をしたり、いまだにうそも方便と思っているトーゲン好きの日本人のおばさん…
mamaさんのコメントから憂慮させられることが広がっていきますね。
6500双の韓日家庭が家庭を持ち始めるころから、特に日本婦人への献金ノルマが厳しくなったように記憶しています。家庭出発の資金は5万円もあれば十分だと教会長婦人に言われ、本当に5万円だけ残して献金したという人もいました。その後、何でも言われた通りにする従順な羊の異国での苦労は、想像に余りあるでしょう。その外にも教会責任者の権力と立場を利用した無責任な言動、行動は、枚挙にいとまがありません。その結果、運命を翻弄された女性がどれほどいるか、一度統計をとってみるべきです。私の三位基台の外二人も辛い経験をして教会から去りました。もちろん個人の素養、能力、努力は欠かせませんが、言語、伝統、文化、風習の違いに加え、歴史問題、政治問題までが重圧となって、ふつうに生活するのさえ厳しい環境です。それで教会だけが頼りになるのですが、そこに付け入って様々な活動に駆り出させます。献金ノルマもその一つです。無理に献金を捻出しようとすると、「いうこととやることの正反対の統一」となります。日本の実家から送金してもらったものを、義父母や夫に内緒で献金なんかしようものなら、大抵の家庭では猛反発です。教会からは感謝されて暫くは居心地もいいのでしょうが、すぐに次のノルマがやって来ての繰り返し。現実を逃避して教会に逃げ、「良心に蓋をしたり、いまだにうそも方便と思っているトーゲン好きの日本人のおばさん」になっていく。また、それを教会も歓迎し、家庭で現実と闘う婦人は信仰者とみなさないような空気が教会に流れる。「だから何?」と、応戦する私のような者は少ないので、悪習が蔓延ったままなのです。
「どのような環境でも現実と闘わずして未来はない」ことを肝に銘じて嫁ぎ、自分の頭で熟慮して判断することをポリシーにすべきです。最近、祝福を受けた人たちと話すと、その動機からして心配になります。祝福のハードルが低くなっているというか…。かわいそうに、献金のための祝福なのでしょう。
ですから、今まで困難な国際家庭を維持し、子どもを育ててきた人は奇跡かもしれません。この実体的奇跡が日韓友好の架け橋となっていることは否めないでしょう。私はそのために国際祝福の韓日を選択しました。歴史問題を解決し民族の融合を図るための国際結婚です。そのために耐えて、そのために越えて生きる。地域で「孝道賞」(親孝行の模範に与えられる賞)を受賞した日本の嫁。キムチコンテストで優勝した日本の嫁。直向きに尽くす日本の嫁。貧しかった家の暮らし向きを変えた日本の嫁。このような草の根の証が友好発展に寄与してきたことは誰もが認めるところです。春川の夫殺害事件のようなことがあっても、個の問題として認識され影響がないのは、これまでの堅実な実績があるからだと思います。
これからも決して後悔したくないので、日韓関係を損なうような私利私欲にまみれた教会には、「NG」を出さざるを得ません。私は、どこかの黄昏れている人のように後悔はしていません。これからも後悔したくないので、反論し続けるでしょう。建設的な反論です。
理解しにい献金心理
mamaさん
>私が非常に良心的なまじめ人間だというわけではありません!!! 書いてるうちになんか年甲斐もなく熱くなってしまいました。
思わず、ニッコリ。mamaさんはいい人です。
ところで、なぜ、気が狂ったように献金するのか。
コトさんと神々の黄昏さんの議論を読みました。決して対立するようなそれぞれの分析ではなく、指摘されていることはすべて的を射ていると思います。
ただ、お二人の分析を足しても理解できないことがあります。
借金してまで献金をする。子どもの大学進学を諦めさせてまで献金する。
そして、その借金額を誇らしげに周囲に語る。あるいは借金して自己破産をしたことを誇りに思う。
ここは、お二人の見解、分析からしても、読み解くことはできません。
何か別の視座が必要ではないでしょうか。
まだ仮説ですが、やはり依存という心理、依存している対象から認めれたいという心理が働いているのではないかと思うのです。
その背景には幼少期、児童期、青春期における親子関係が関係しているような気がしてなりません。
その昔、天理教の興隆期の頃、信者になろうとした人は家田畑を売り払って、天理教に献金しました。
ヤマギシ会も、すべての財産を差し出して、集団農場のメンバーになりました。
すべてを投げ打って!
清算的なこの心理を理解できないわけではありません。ただし、言語化できていませんが。
しかしながら、借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。このことはどうにも理解できません。やはり、別の視座が必要かと思います。
統一教会は家庭内泥棒の製造工場なのか
ひど過ぎて書く気にならないほどです。
黄昏ている人って後悔して書いているのかな?
米本さん
>しかしながら、借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。このことはどうにも理解できません。やはり、別の視座が必要かと思います。
上記の部分ですが、きっとこの新約聖書の聖句がばっちり入っているからかと思われます。
以下引用〜
マタイ(19章16-30節)
イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである
ルカ(18章18-30節)
イエスは彼の様子を見て言われた、「財産のある者が神の国にはいるのはなんとむずかしいことであろう。富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われることができるのですか」と尋ねると、イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる」。ペトロが言った、「ごらんなさい、わたしたちは自分のものを捨てて、あなたに従いました」。イエスは言われた、「よく聞いておくがよい。だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである」。
〜引用終わり
私もこの聖句で数百万は献金してきましたが、今の統一にはびた一文やりません。
Re: 理解しにくい献金心理
文教祖の「借金してでも天の前に捧げよ!」発言が脳内にインプットされてしまうのです。
(み旨の道 1982年5月30日)より
「統一教会の会員は必ず万物復帰をしなければなりません。万物復帰をすることによって、皆さんは神に万物を献祭するのです。サタン世界の人々は自分を中心にして自分の利益を求めますが、私たちは神のみ旨のため、世界のために生きるのです。ここが違うのです。この世の人々は十一条(十分の一)捧げればよいと言っていますが、私たちは十一条でなく百パーセント捧げます。それを三年間しなくてはならないのです。たとえ非難され、反対され、ムーニーと言われ、唾を吐きかけられても、どのようなことがあっても行くのです。
イエス様の時代に、アナニヤという人がいました。彼は資産を売った代金の全部を捧げなければなりませんでしたが、それをごまかし、隠しておいたために不運を招いて打たれて死んでしまったのです。同じように、皆さんも万物復帰をするとき、自分勝手に使ってはいけないのです。自分のために使ってはいけません。かえって、万物復帰したものに、自分のものを少しでもプラスして捧げるのです。それが私たちの精神なのです。
このような原則を中心として生活しなければならないのです。この道を行くには、借りてでも天に捧げようとする心がなくてはなりません。精誠の限りを尽くしたにもかかわらず、それでも不足している場合には借りてでも補うような気持ちが大切なのです。誰でも先生の所へ来る時にはこうして(堂々と胸を張った格好で)来るのですが、帰る時はこうして(下を向いて小さくなる格好で)帰るのです。(笑い) そして、ほめることは殆どありません。ほめてあげないのです。もしほめると、サタンが讒訴するからです。そうすることによって、サタンが認定し、ほめるようになって、祝福を受けるのです。」
義務感または使命感でしょうか
>しかしながら、借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。このことはどうにも理解できません。やはり、別の視座が必要かと思います。
上記の質問についてですが、統一教会では上司・部下のようなアベル・カインの関係性があり(少なくとも2010年ごろ、私が所属していた教会にはありました。その慣習が残っている所はまだあるかもしれません)、部下に相当するカインの立場の信者は上司に相当するアベルに従うことが推奨されます。サタン(悪魔)側のカインが神側のアベルに従順に屈服すれば、カインがアベルを殺害することなく一体化できた(仲良くなれた)はずというのが、私がビデオセンターでの受講で聞いた内容でした。暗に、カインの立場の者はアベルの立場の者に喜んで従えということです。
参考記事 アベルカインは既に撤廃されている。http://ameblo.jp/gildong/entry-11050427670.html 引用はじめ{
原理講論のアダム家庭における復帰摂理の観点から見た間違いをおさらいすると、以下の通りです。
①メシヤのための基台(信仰基台・実体基台)における実体献祭(サタン分立・堕落性を脱ぐ為の蕩減条件)に求められる「カインがアベルに自然屈服する」ことと、
②復帰された食口相互の一体化(自同的四位基台)が混同された結果、
本来、神を中心として相対基準を造成し「授受作用」をなすべきところ、
命令・服従の一方通行の関係になり、
授受作用の阻害、心情一体化の阻害、良心作用の拘束、思考停止指示待ち傾向、
心霊成長阻害(僕≫子女)、無責任な上意下達、心情蹂躙問題、などの信仰問題、
アベルカインの階層化、アベル権力の発生、権力構造の形成、既得権益の恒久化、
剛直化したピラミッド型組織、公金問題、人事権乱用、などの組織問題、等、
統一教会の諸々の問題を招来もしくは助長したと言えます。
(途中略)
既に蕩減時代が終了して久しいのに、
「精誠条件」などと称して、断食や何十何百回という敬拝を公文で指示したり、
自叙伝を何冊配りましたか、と行儀信仰を奨励して見たり、
そういった方針は、お父様のみ言を無視し、時代の流れから完全に取り残され、
既得権維持のことしか頭にない現指導層のなせる業と言えるでしょう。
食口および祝福家庭をカインとみなし、未だに絶対服従を強要する・・・}引用おわり
次に、真の父母様宣布文(http://trueparents.jp/?page_id=271)によると、絶対服従とは次の通りです。 {全食口は、永遠・永生の世界にたった御一人である真の父母様の指示と命令に絶対に服従しなければならないことを忘れてはならない!}
ピラミッド型組織というのは私の記憶ではよりアベルの立場に近い順に、真の御父母様>韓国の上級幹部>各国(日本)の幹部>一般食口>受講生であり、一般人は最もカイン的とされます。
メシア王国ですから、基本的に指示・命令系統は王の立場の真の御父母様から発せられ、幹部を通じて一般食口に伝えられます。(ただし腹黒い幹部の不正によって捏造された情報を一般人に流すことや、幹部が御父母様に水増し報告をして1人あたりの献金要求額が高くなったり、特定人物に無実の罪を着せて父母様に報告することによりとある人物が組織から追放されるなどのデメリットが生じたりします)
「控え控えーい!この門どころが目に入らぬか!」という水戸黄門のセリフのように、権威の証を提示すれば信者は権威者(父母様)からの指令だと認識し、絶対服従の教えによって従うと考えられます。(従わないと分派扱いされることもあります。) 例えば、gildongのブログ記事「このブラジル刑事裁判、顕進様勝利速報」(http://ameblo.jp/gildong/entry-11153491886.html)の青字の部分には、ブラジル教会長ペラボルリ氏が<「心がとても激しく拒んだけれど、私はこういう指示が宣教会財団、すなわち結果的にチャンプモニムからの命令であると信じて刑事訴訟を提起することを受け入れました」と明かして刑事訴訟を提起した。>とあるようによりアベルに近い者からの指示命令であれば自分の考えよりもアベルの立場の指示命令に従うことを優先する場合があります。 これは行動の動機が使命感によるものだと思います。 同様に、
食口が借金してまで献金しようとするのも、自ら望んで借金するというよりも、借金して献金することがみ旨のため(特に万物主管、万物復帰でしょうか)になるとアベルの立場の者から言われれば、使命感から借金して献金するという行動に出るのではないでしょうか。 「為に生きる+絶対服従」では、アベルの指示であれば自己中心(自分の考えを自己中心だと錯覚する場合を含めます)を否定し、父母様のために使命感に燃える信者が現れても不思議ではありません。
或は義務感から借金してまで献金するのかもしれません。参考記事:エステルさん、現実をふまえて理屈を考えないと道を外します。(http://blogs.yahoo.co.jp/hitosato551/7900178.html)
{教会には授受作用の授がないのです。ですから受を義務化しなければならないのです。その為、教会には、何々しなければならないというのが多いのです。孝養もそうです。親として子供に孝養を尽くせと言うべきではないと思います。愛すれば言わなくても子供は親に孝養をつくします。それが授受作用というものです。愛を授ければ美は還ってくるのです。
絶対服従は喜んで自分が無になることだと言っても、言葉自体の持つ概念がどうしても義務としての脅迫観念を持って人を縛ることになります。絶対服従と言われているから、喜んで従わなくてはいけないんだと自分に言い聞かせるようになります。
(途中略)復活論で侍義を説いています。侍義によって人を愛する心は成長しなくてはなりません。ただひたすら、主がお入りようなのです。という境地で霊感商法を実践した人も多いでしょう。その結果、自己破産を人に強いても呵責を覚えなくなった人、どうして愛が育ったと言えるでしょう。これは愛の心で侍ったのではありません。義務として侍ったからこそ、人を犠牲にしてしまったと言う結果です。(途中略)侍義は人を不幸にし、愛の心は育ちません。創造原理に反しています。絶対服従は結局人をして摂理の要求に無条件に従うことを強要します。}
このように、借金してまで献金する心理は義務感又は使命感かもしれません。
それを誇らしげに語るのは、話し手は借金してまで献金するのがみ旨であり、正しいことだと(教会活動に熱中して育児放棄することを美談にする話と共通します)認識しているからそうするかと思います。これは私の憶測ですが。結果的に、借金してまで献金するのが組織の基準(してあたりまえの雰囲気)になり、後に続く者が続出するのではないかと思います。
米本さんの解釈に同意
>しかしながら、借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。このことはどうにも理解できません。やはり、別の視座が必要かと思います。
統一教会員が高額献金を行う際の心理に関して米本さんがなされた上記の分析、提案はとても参考になりました。
その米本さんの心理分析は、井口氏に関する記事でも言及された‘承認欲求’とほとんど同じものと解釈できます。
私は統一教会の「天の摂理」教義や‘信仰’と関連付けることが必須と考えていましたが、米本さんの分析はそのような‘教義’や‘信仰’には拘っておらず、より基礎的な心理から分析されたのですが、自分はどうやら そのような基本的な部分を見逃してしまっていたようです。
米本さんが指摘されたように、統一教会信者が行う異常な献金活動は‘自己犠牲’を甘受する類の心理解釈では説明し尽くすことはできません。
とりわけ米本さんが指摘された(統一教会員が)「借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。」行為については「自己犠牲を甘受する」心理と関連させて説明することが不可能で、やはり、そのように視座を変えて分析するしかないようです。
財産に対する自分の願望を捨て去って高額献金する、という己が所有している財産の範囲であれば‘自己犠牲’の観点から説明することもできますが、現在統一教会員が行っている献金活動は度を越していますし、その異常行為を「誇らしげに語る」に至っては「甘受して喜ぶ」のとは180度違う心理状態と考えねばなりません。
それを合理的に説明するためには、やはり米本さんが今までにも言及されている‘異常心理学’の助けが必要であり、合わせて ‘集団心理学’も必要となり、究極的には‘脳の仕組み’を研究せねばならないようです。
「借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。」統一教会員の心理は、私のように統一教会信者の精神状態が‘正常’であると前提した上で説明しようとすると、どうしても矛盾が生じてしまい、完全な解明に至らなかったことは認めるしかないのですが、その精神状態そのものが既に‘異常’な状態にあると仮定することによって初めて、合理的な説明が可能となるのはとても興味深いことです。
ウィキペディアによれば、<異常心理学は、行動の異常を扱う科学であるという事が出来る。異常心理学は主にこの様な行動異常を研究する学問であり、多数の相違した原因がそれぞれの行動異常を生起させる事を示している。>とのことですから、統一教会員が行う‘自己犠牲’精神でも説明し尽せない「借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。」行為は明らかに異常心理学の対象となります。
そして異常な献金活動を行う統一教会員の場合は 米本さんが仮説としていると紹介された‘依存症’のような心理、そして‘承認欲求’心理に原因があるという見解をもつことによって初めてその原因解明が可能であるように思われます。
その米本さんの鋭い考察には正直驚かされました。
異常な行動を行う統一教会員の心理をそこまで見抜いた人は、一般のジャーナリスト、統一教会問題研究者の中には今まで一人もいなかったのではないでしょうか。
改めて感服です。
「借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。」統一教会員の心理は、井口氏について書かれた記事で引用されたウィキペディアの承認欲求の解説がそのまま当てはまり、それ以外の説明は難しいように思われます。
米本さんの記事のものを再度引用させていただきますと、
<承認欲求とは、自分が集団から価値ある存在と認められ、尊重されることを求める欲求である。
尊重のレベルには二つある。低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目などを得ることによって満たすことができる。マズローは、この低い尊重のレベルにとどまり続けることは危険だとしている。高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性などを得ることで満たされ、他人からの評価よりも、自分自身の評価が重視される。この欲求が妨害されると、劣等感や無力感などの感情が生じる。>
とのことですから、「借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。」統一教会員は低いレベルの尊重欲求が極めて強いと考えることができるのですが、そうすればすべての説明がつくことになります。
コトさんが「Re: 理解しにくい献金心理」において書かれた文教祖の‘御言葉’は「借りてでも天に捧げようとする心」について語ったいわゆる精神論であり、実際に行えと言っている訳ではないので、文教祖の‘御言葉’に忠実であろうとする信仰がその異常な行動の原因であると文教祖と直結させるのは難しいと思います。
やはり、実際に異常行動を行ってしまうことに関しては‘依存症’の観点や‘承認欲求’心理の解釈を用いなければ説明がつかないと思います。
しかし、ここで非常に興味深く思うのはその‘承認欲求’とも捉えられる感情を懐いていることを統一教信者が自ら認めるような内容を語ることがあることです。
統一思想における「心情」の定義は‘統一思想要網’と現在の解説書ではやや異なったものとなっており、現在の解釈では「愛によって喜びを得ようとする情的な衝動」というように、‘愛’が強調されています。
その定義自体の思想的な矛盾についても以前の記事のコメント欄で書いたことがあるのですが、統一思想全体を歪めてしまっているのは間違いないのです。
しかし、現在の統一教会員にとってはそのほうが己の心理を表現するのに都合がよいようで、どのような行動についても‘愛’を強調する場合が多いのです。
そして多くの場合、それは‘愛’を要求する感情を正当化しているように捉えられるのです。
「借金してまで献金し、それを誇らしげに語る。」のは依存している存在に対しての‘承認欲求’があるからであり、それは尊敬、注目などを得て‘愛’を受けたいが為という解釈も可能なのです。
そして、そのように‘愛’の問題と結び付けると日本統一教会の異常な献金活動は“婦人信徒”達が主役となっている理由がとてもわかりやすいのです。
それらは仮説なのでまだまだ探究が必要なのですが、‘神’が恨みをもつという解釈、‘精誠’を強調する道徳観などにもそれらの情的構造が影響しているように思われます。
それは朝鮮民族の精神伝統とも大きな関係があるように思われ、朝鮮半島の人々の異常な反日感情や民度の低い自己主張の強さは‘愛’を要求する精神構造からの説明も可能と考えています。
宦官の自己実現先は集約される
統一教会員は堕落論によって性・欲を否定されていますから、統一教会内で唯一許された名誉「献金額の多い・少ない」に一喜一憂します。
統一教会的 宦官信仰!。
名誉なこと
キリスト信者の尊敬を集める方はもちろんイエスキリストですが、次にあげると聖母マリアで、その次は使徒ペテロあるいはパウロということになるのでしょう。
ペテロなどはガリラヤ地方の無学な漁師出身でありながら、イエスから天国の門の鍵を託された人物です。その素直な性格からイエスに特に愛された人物でした。それなのにペテロはイエスの十字架の際には3度も彼を否認します。その後ペテロは悔い改め伝道に邁進し最後は逆さ磔になります。そのようにペテロはキリスト教の歴史に燦然と輝く名誉ある地位を手にしました。
彼が漁師を続けていたら名もないただの漁師でした。
再臨のメシアと言われる人から愛されたい、認められたい、覚えられたいといった心境の方々が身近に侍る幹部たちの姿なのですね。ペテロのようになりたいのですね。子供じみた話なのですが、その愛の争奪戦は凄まじいものがあると聞きます。
それが上から下までそうなのですから大変です。アボジロードというところに席を取るために深夜から争奪戦が行われていたのを知る人は多いでしょう。
その中には重篤な病を抱えた人もいたかもしれません。
そのような心理を知らないではなぜ借金してまで献金するのかはわからないかもしれませんね。
ただ許し難いのはそのような純粋な信徒の心理を利用して自分はその気持ちもないのにそれを受ける幹部や指導者がいるということですね。
それでも献金は一般信徒が、特に日本の信徒が再臨のメシアと関係が持てる唯一の方法でした。だから献金は名誉な事だったのです。
その時にいただくの物は勝利の勲章のようなものです。
昔はそれでも大義がありました。最近は大義があまり見つかりません。これではお金が集まりませんね。
教会指導者は早く大義を見つけるべきでしょうが、なかなか見つからないので困っています。家庭再建ではお金は集まりません。そろそろ公職者もわかっていると思いますが、献金で食べてる人は今がそれをやめるときではないでしょうか?
それが今は名誉ある道なのではないですか?
そんなにたくさんの公職者はいらないのです。
それでもやめないのは公職者が名誉ある位置だからです。
コンビニの店員になったり警備員になったりは、その名誉心が邪魔してできません。だから公費が出なくてもそこに留まったりするのですね。
末端の公職者さんたちよ!
明治維新を起こした人たちは幕末の給料も貰えないような
下級武士たちでしたぞ。
脱藩して自ら改革の騎手になれば坂本龍馬も再臨協助するでしょう。
匿名希望さん
少なくとも、あなたが幹部に通じていないことが判りました。
公安からUCに言われていることを、近日にでも 自分のブログにアップしようと思っています。
ご縁があれば、あなたも私のブログにたどりつくでしょうね。。。
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