本邦初公開-鮮文大・呉教授の“卓見”:絶対だから絶対だ!
<文家娘の恋愛結婚とお母様(5) (1)徳野会長のスピーチ (2) 金起勲(キム・ギフン)北米大陸会長のスピーチ
(3)ユ・ギョンソク韓国会長のスピーチ (4)イギリス人の現役古参教会員マーク・ブラムウェル氏の論評
(5)教団幹部X氏の論評
(6)呉教授による独生女神学講義
※今回アップするのはゴチックのところ。
これを見れば、統一王朝(天一国)は李氏朝鮮王朝の影響を色濃く受けていると、誰しも思わざるを得ないだろう。
韓鶴子氏ならびに重臣たちの政治感覚も、李氏朝鮮国が日本によって植民地化されたことがベースになっているようで、コンテンポラリーさに欠けるのは当然のことだろう。
鮮文大学純潔学科教授・呉澤龍(オ・テギョン)による独生女神学講義
* この講義は、「2014年7月1日・韓講話」を受けてのものである。未読の方は、先に韓講話を読んでいただきたい。
<注>以下に紹介するのは、呉教授の講義を受講した方から寄せられたものである。教学担当をはじめ日本の教団幹部も初めて目にするものだろう。呉教授の講義での言葉は緑字にした。
(引用はじめ)
昨日、呉教授による「真のご父母様の生涯路程」というタイトルの講義を受講してきました。平均1時間の講義が6コマ、つまり全体で6時間の講義です。
最初の1時間を使って強調されたのが、「真の父母の生涯路程を理解するために重要なこと」です。
ここでは、「救いの摂理は、堕落人間には理解できない」ということを力説します。救いの摂理は、今まで人類が行ったことのない道であるから、堕落人間には理解できないという論理です。
では、誰が理解できるのか?
それが「神様と真の父母」だというわけです。
たとえるなら(このたとえは呉教授が用いているわけではなく、私の考案です)、将棋の名人戦などを素人棋士が見ても、よく理解できないことに似ています。素人は「なぜこんなところで銀を動かすのか」と理解に苦しみますが、名人級の棋士は何十手、何百手も先を読んでその一手を指すわけです。
(ちなみに羽生名人は1000手先まで読んでいるそうです。http://www.idesnet.co.jp/habu/brain/talk/page4.html)
「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」ということは、このようなイメージだと理解すれば良いでしょう。堕落人間から見たら、「なぜこんなことをするのか、なぜこんなことを言うのか」と疑問に感じたり、不快に思ったり、時には憎しみを覚えたりすることも、神様と真の父母から見たら「人類を救う一手」なのだというわけです。
2コマめの講義で「独生女=独り娘」についての内容が登場します。呉教授は次のように語ります。
「皆さんも、独り娘という言葉を初めて聞いたでしょう? そんな話は聞いたことがない、と思ったでしょう。ところが、よく読んでみると、実はお父様のみ言に独り娘という言葉をたくさん語られているんです。探してみると本当にたくさんあるんですが、ここではそのうちのいくつかだけを紹介します」
正確にメモすることができませんでしたが、そこで紹介されたみ言が実際に存在するのであれば、確かにお父様は「独り娘」という単語を語っていたことになり、決してお母様(あるいは別の誰かの)「創作」ではないということにはなります。み言の要旨は、下記の通りです。
「独生子(独り息子)」が来れば、「独生女(独り娘)」も来なければならない。神様が独り息子を送るのであれば、独り娘も、当然送らなければならない。「独り息子」と「独り娘」が結婚して、「真の父母」とならなければならない。2000年前から独り娘を準備されてきた。
呉教授によれば、「お父様は70年代、80年代から、独り娘について語っていた。しかし、私たちがそのことがよく分かっていなかったのだ」ということだそうです。まさに、1000手まで読んで一手を指す羽生名人のごとくです。
そして、この講義シリーズの結論ともいえる内容は、神様とお父様とお母様は、「完全に1つの存在」だということです。
2010年6月19日(陰暦5月8日)および6月26(陰暦5月15日)、お父様は2度にわたって「真の父母様最終一体宣言」をしています。つまり、お父様とお母様は「完全に1つの存在」となったという宣言です。
その上で呉教授は、2013年2月22日(陰暦1月13日)の基元節に、神様と真の父母様が「完全に1つの存在」となったとしています。つまり、「神様=お父様=お母様」という三位一体論です。
したがって、お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。
お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。だから、お母様が「自分は無原罪として生まれた」と言ったらそれが正しいのだし、それに疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。
神山先生や三男が「サタン」視されてしまう神学的な理由も、これです。神様を否定するのだから、彼らは悪魔だというわけです。
それでも知的に納得できない信徒たちのために、初めの1時間を使って「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」ということを強調しているわけです。
また、今回講義では「結婚と祝福の違い」ということも語りました。
「結婚は一般人が主礼し、祝福は真の父母が主礼をする、これが結婚と祝福を区別するポイントだ」
として、
「真の父母が主礼をすれば、一世と二世の組み合わせであろうと、どんな組み合わせであろうと祝福だ」
という言い方をしていました。
直接的な表現はしていませんでしたが、二世の妍進様と情進様が一世と結婚したことを「あくまでも祝福であり、なんの問題もない」と主張したいのだと思いました。生きた神様であるお母様が「これは祝福なんだ」と言ってしまえば、それで終わりですからね。
以上が講義の内容です。
以下、講義を聞いた私の疑問です。
まず、お父様が「独り娘」という言葉を使っていたからといっても、それが必ずしも「無原罪」ということとイコールとは言えないのではないか、ということです。実際に呉教授も「真のお母様も無原罪で誕生したというみ言」は引用していませんでした。そのような直接的な表現のみ言は存在しないのでしょう。
私は個人的に、お父様はあくまでも「独り息子」の相対者(ペア)として「独り娘」と表現したに過ぎないと感じました。メシアの妻は複数ではなく一人だけ、一夫多妻ではなく一夫一妻だと言いたかっただけ、と感じました。
さらに、「もし韓鶴子お母様が無原罪だったら、第一、第二のお母様はいったいなんだったの??」という疑問です。
講義ではこの説明はありませんでした。ただし、この件は誰かが講義の合間に呉教授に質問したらしく、後日「こんな回答だったらしいよ」ということが伝わってきました。下記です。
第一のお母様、第二のお母様は、そもそも「準備された人」ではなかった。もともと、無原罪として準備されていたのは韓鶴子お母様だけである。第一のお母様は、あくまでもキリスト教の基盤を相続するために必要だった。
第一のお母様である崔先吉(チェ・ソンギル)さんの家系は、当時の定州で有名なキリスト教の家庭でした。要は、崔家を通じてキリスト教界全体を伝道しようとするために、崔先吉さんと結婚したということです。ちょっと、この説明には心情的に納得できないですね。
つまり「真の父母」となるために結婚したのではなく、キリスト教伝道のために結婚したということですから。しかも聖進様というお子様まで生んでいるのです。これでは反対派が「血わけ」と称して、お父様が複数の女性と性関係を結んできたと批判していることと、大差がないように感じてしまいます。伝道のために女性と性関係を結んで子供まで生ませるなんて、そんなメシヤがいるでしょうか。
呉教授は、このような内容を韓国の牧会者たちにも講義しているそうです。個人的には、「う~ん、こんな教育を多くの人たち相手にしてしまって、後でどうしようもないくらい後悔する日が来るんじゃないかな~、相当重い責任を取るような目にあうんじゃないのかな~」なんて思ってしまいました。
(1) まず、鮮文大学純潔学科教授・呉澤龍(オ・テギョン)氏について。
私が呉氏の存在を知ったのは、文鮮明氏の葬儀のときに配られた冊子『真のお父様の聖和日時に関する神学的意味』によってであった。
「夢想と現実の乖離 」の囲み記事(比較的上のほうにある)。
あまりにもバカバカしいので引用はしないが、最初に読んだときには、思わず、吹き出してしまった。こんなアホなことを書いた奴は誰かと教会関係者に聞いたところ、呉氏だという。それで、「おバカな呉教授」が私の脳裏に焼きついた。
(2) 呉教授の評価を、日本統一の太田朝久教学担当に聞くと、一言、「彼が書いているのは分派のそれだ」と、にべもなかった。
(3) 今回の講義も「やはり、おバカさんだなぁ」と。こんな教授に教わっている鮮文大学の学生は可哀相である。確か、cocoaさんがコメント欄で、呉氏のことを教学担当ではなく、「驚愕担当」と表現していた(座布団3枚もの)と記憶する。
(4) お母様のお抱え学者と言われているらしいが、最近では遠ざけていると聞いた。なんでも、韓鶴子氏の発言を一字一句聞き漏らさないようにするため、一緒に食事をしているときでも、録音マイクを彼女に近づけるのだという。それで、ウザクなったとか。最近のお気に入りは鮮文大学のキム教授と聞いたが、一体、誰のことか。
10・27韓スピーチでは「この天法院をより強く永久発展させるために、天一国の完全なその憲法となるように、さらに研究し勉強しなければならないのでキム・ジンチュン天法院長をそこだけに専念するようにします」となっている。このキムのことではないのか。
(5) 驚愕担当教授の稚拙な論理の前提は、受講生も書いているように、
「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」
にある。
根拠は一切示さず、アプリオリに真理を知っているのは神・父母だけである、と規定する。これを認めてしまうと、あとは呉先生の珍説にひれ伏すだけとなる。いわゆる思考停止だ。
不可知論が思い浮かんだ。不可知論は本質的な存在については認識不可能だとする論である。
ただし、不可知論と決定的に違うのは、本質的な存在(「救いの摂理」)を認識できる例外がある、というのが呉教授の論である。認識できるのは神・文鮮明・韓鶴子。現存するのは韓鶴子氏だけ。それゆえ、救いの摂理を理解している韓鶴子氏の言説は絶対-ということになる。
なぜそうなのかの説明は一切なし!一つの命題の根拠を述べない大学教授がいることを初めて知った

真のお母様は絶対だ!
こう話す呉澤龍氏は、毛沢東は太陽だと人民広場で訴えていた林彪と同じである。林彪は毛沢東の発言を一字一句記録し、『毛沢東語録』を作成し、世界中にばら蒔いた。呉先生にも、嫌がられようがお母様の発言の一字一句を記録し、『韓鶴子語録』を作ってもらいたいものだ。
(6) お母様は絶対だから、「真の母が主礼をすれば、一世と二世の組み合わせであろうと、どんな組み合わせであろうと祝福だ」ということになってしまう。「主礼」の意味がわからないが、韓鶴子氏が認めた結婚ということだろう。こうなると、メチャクチャ、ハチャメチャ、文鮮明氏の血統転換の理論など、もうどうでもよろしい。
(7) 何やら小難しい原理のようだが、煎じ詰めて言えば、装飾語を剥ぎ取れば、実にシンプルだ。
「絶対だから絶対だ」
これぞ、真理だ!思わず、パソコンの前でひれ伏してしまいましたとさ。
-「神々の黄昏」さんの考察(1)<12月4日>-
<注>神々の黄昏さんの投稿文は、論理的でインパクトのあるものだった。高く評価する個人メールもいただいた。そこで、投稿文の全文を掲載することにした。なお、私に言及したところは一部割愛した。
鮮文大学教授の信じ難い低能
>ここでは、「救いの摂理は、堕落人間には理解できない」ということを力説します。救いの摂理は、今まで人類が行ったことのない道であるから、堕落人間には理解できないという論理です。
では、誰が理解できるのか?
それが「神様と真の父母」だというわけです。
>その上で呉教授は、2013年2月22日(陰暦1月13日)の基元節に、神様と真の父母様が「完全に1つの存在」となったとしています。つまり、「神様=お父様=お母様」という三位一体論です。
>したがって、お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。
お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。だから、お母様が「自分は無原罪として生まれた」と言ったらそれが正しいのだし、それに疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。
米本さんは唯一神の信仰を持っていないとは言え、鮮文大学純潔学科・呉澤龍教授の信者に馬鹿にされるような神学講義の問題点など容易く見抜かれましたが、今回の記事で韓総裁を絶対化していた呉教授が如何に低能か大学外の世界に暴露されてしまったようです。
まともに神学などとはとても呼べないようなその屁理屈言説を‘大学’の授業で講義していること自体が驚きですが、その異常さは大学を運営している宗教団体のレベルの低さが尋常ではないことを表しているとも言えます。
上に引用した講義内容の説明を読みますと、それは論理的な矛盾があると同時に、統一原理の基本的な理論とも相容れない間違った言説であることがわかります。
しかし、呉教授のような考え方をする教会員も案外多いようにも思えるし、その講義を鵜吞みにする学生もいるような気がしなくもないので、統一原理の‘基本思想’を擁護する立場からその間違いについてコメントしたいと思います。
最初に引用した「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」という講義内容の論理的な問題点は第一に‘神の存在’に対する解釈と‘メシア’としての‘真の父母’の存在位置に対する理解が統一原理の基本的考えと一致するものではないということです。
米本さんは不可知論を参考にしてその問題点を指摘されましたが、統一原理は一つの側面として不可知論に通じる内容をもっています。
不可知論は‘事物の本質’は認識することができないという立場ですが、統一原理はそのような観点で‘神の存在’を捉えていると言っても、それは間違いではないのです。
つまり、統一原理は‘神の存在’を宇宙の全ての存在の第一原因として捉えており、当然神は人間に対しても第一原因として関係していることになります。
それは人間の‘精神’に対しても同様であり、人間の精神の原因となる神の精神的側面を統一原理では「本性相」と名付け、人間にある知・情・意と同じような知・情・意の機能を神がもっていると考えているのです。
ただし、あくまで神は原因的存在であるので、神の‘知・情・意’は人間と同質であるはずがなく、根源的なもので、より高次元で、完全なものでなければならないのです。
したがって、存在としては結果的存在であり、時間空間に制限され、不完全な人間はその神のもつ‘知・情・意’の全ての内容を対象として認識することは不可能であり、人間にとっては神の存在自体と同様、その精神側面も全体的に認識したり現実的に理解したりすることは不可能となるのです。
つまり原理的に、神の精神活動は人間には認識不可能であり、神の「救いの摂理」は人間には不可知なのです。
そのように考えれば、人間でしかない‘真の父母’が神の「救いの摂理」をそのまま認識できるはずがなく、単に人間的方法で解釈しているに過ぎないと言うことになるのです。
そして、‘真の父母’が理解した「救いの摂理」はあくまで人間の精神活動による解釈でしかないので、神の内に存在したものとイコールであるはずがなく、逆にそのような解釈は他の人間でも可能であり、理解できないはずがないのです。
キリスト教の聖書の中には人間と神が会話したりする話が書かれていますが、統一思想の存在論から考えれば、そのようなことはあり得ず、そのように見られる現象が実際にあったとするならば、それは人間と霊的存在である‘天使’か、あるいは霊界に行った霊人体が会話したと考えねばならず、その‘天使’や先祖の霊人体を‘神’と間違えて捉えたと考えれば聖書の話も合理的に説明できるのです。
以上のことから「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」という論理は統一原理の基本から外れており、統一思想の存在論をまったく理解していない非論理的な空論と言う以外にないのです。
さらに付け加えれば、この呉教授の言うところの「救いの摂理」とは「再臨のメシア」を中心として進められるはずですが、「堕落人間には理解できない」のであれば、誰が「再臨のメシア」で、その人物が本当に「真の父母」なのかどうかも「堕落人間には理解できない」ことになります。
ということは「堕落人間」には誰が「再臨のメシア」か、誰が「真の父母」なのかも理解できないのですから、「再臨のメシア」や「真の父母」を絶対化することなどしてはならないことになるのです。
もし、「堕落人間には救いの摂理は理解できない」が、誰が「再臨のメシア」で「真の父母」であるのかは理解できるとしたら理論的に矛盾が生じてしまい、呉教授はその部分においてもまともな思考などできていないのです。
さらに二番目に引用した<神様と真の父母様が「完全に1つの存在」となった><「神様=お父様=お母様」という三位一体論>は論理があまりにも稚拙なので、呉教授の知能がまともなのかさえ疑ってしまいます。
おそらく呉教授は原理講論の文章さえ正しく理解できていないのだと思います。
このような低能教授の給料が日本統一教会の強制的高額献金から支払われているとしたら、その献金は無意味どころか、異常な教育をするために韓国で使われていることになり、犯罪性さえ感じられます。
原理講論を読めば誰でもわかるように、「三位一体」とは「神」を中心として「男性」と「女性」が調和関係をつくることであり、「三位」が内容的に同一となることでは決してありません。
それが原理的な考え方であり、キリスト教の三位一体論に関しても、「神」を中心として「イエス」と女性的な役目としての「聖霊」が協力し合って‘霊的新生’の目的を果たしたことを説いたものと説明されており、神=イエス=聖霊との考えを完全否定しています。
米本さんにレポートを寄せられた方の講義の報告内容が間違っていなかったとしたら、呉教授は原理講論さえ理解できていない低能な教官不適格者であり、これで給料を大学からもらっているとしたら、大学自体が真剣に教育のことなど考えていないのであり、授業料泥棒、あるいは資金援助詐欺と言って差し支えないでしょう。
したがって、<お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。>などという理屈が成り立つはずもなく、「それに疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。」とはまともな頭からは決して生まれてこない言葉です。
この呉教授は原理講論を不勉強なこともそうなのですが、それ以前に物事を正しく認識できないとか、論理的思考ができないとか基本的な思考能力そのものに問題があるようです。
‘鮮文大学純潔学科、教官の知的レベル恐るべし’と言う以外ありません。
米本さんからも知性において最低評価を頂いている呉教授からすれば、‘過ちは一切ない’「生きた神様」であり、‘言動がすべて完璧に「真理」な’はずである「お母様」ですが、以下の伝道教育部長のブログ記事を読んでみた後では絶句するしかありませんでした。
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/410010585.html
>天は私たちのためにすべての文明を誕生させて下さいました。
今これを適切に使用して、真の父母様を世界の前に誇るべきです。
>真の父母様のみ言通り行い、生きなさい。
そうすれば最後に行かねばならない所で解放を得るでしょう。
これらの韓鶴子氏の‘み言’を読んでも呉教授やこちらの伝道教育部長は韓氏を絶対化できるのですから、○○の壁は厚いとしか言いようがありません。
もし上のお話に「疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。」だとしたら、一体世界に何人神様を信じていると言える人が見つけられるのでしょうか?
やはり、韓総裁を中心とした統一教会信者の妄信度は極地に達しており、統一原理の基本から逸れてしまった次元の話ではないようです。
そのような妄想を根拠に日本への高額献金の要求がなされているのだとしたら、やはり、高額エンドレス献金の問題は限りなく犯罪に近いと思います。
因みに上の記事のタイトルは
『私たちは、お金ではなく「心情の真の愛の富者」!! 《真のお母様のみ言 12.1》』
でして、「お金ではなく」と強調されているところが変に言い訳がましく、韓氏の献金実績の追求に対する批判をかわそうとする意図が感じられますが、‘み言’の内容が記事のものでは何の弁明にもなっておらず、やはり韓総裁を絶対化した組織では教勢の下降は避けられないようです。
-「神々の黄昏」さんの考察(2)<12月7日>-
統一教会が直面する「独生女」神学の問題
>救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる
>つまり、「神様=お父様=お母様」という三位一体論です。
>したがって、お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。
お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。
*‘いつも私のとなりに神様’ブログ12月03日の記事より
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/410010585.html
>天は私たちのためにすべての文明を誕生させて下さいました。
今これを適切に使用して、真の父母様を世界の前に誇るべきです。
>真の父母様のみ言通り行い、生きなさい。
そうすれば最後に行かねばならない所で解放を得るでしょう。
米本さんが紹介された呉澤龍教授は韓鶴子氏を絶対化しており、韓氏を擁護する統一教信徒の代表のような存在とも言えますが、その絶対化の根拠は不明で、米本さんが指摘されたように講義内容は理屈にもなっておらず、まったく説得力がない上に統一原理とも矛盾するものです。
その考え方の間違いは上記の上から3番目までの引用文に凝縮されており、それについては米本さんが本文に加えてくださったコメントで間違いを説明したのですが、そのコメントで最後に触れた上記の4、5番目に引用した韓氏の‘み言’は呉教授の‘神学’を前提にしたようなお話なので、特に注目せねばならないと思います。
そのブログ主の伝道教育部長は論理的思考があまり得意ではなさそうなので何の疑問も感じなかったのでしょうが、まともな頭の持ち主なら仰天するような内容の話です。
韓氏は「天は私たちのためにすべての文明を誕生させて下さいました。」とお話されたそうですが、ほとんど幼児なみの発想で小学生でさえこんな馬鹿なことは言わないでしょう。
自分達の教団は神の理想世界を実現する為に神が準備したのであり、世界の文明社会は全てその教団に利用させる目的で神が誕生させたものであると述べている訳ですが、考え方としてはヒトラーのナチズムよりも危険な絶対的支配思想ではないでしょうか。
勿論原理講論にはそのようなことは書かれておりませんし、原理講論を基本とするならば文明に対する理解は、神の創造目的としての三大祝福の中の「神の第三祝福」の観点に基くようになるのです。
それは‘万物世界に対する人間の主管性’を意味し、神がなしたと同様の創造活動を地上で人間が成し遂げた歴史的成果が「文明」ということになるのです。
つまり、神は人間をロボットの如く、神の意のままに動く存在としては創造せず、自由意志と創造的能力を持った、独自で創造活動を行えるような存在として人間を創造したのです。
そして、その人間の独自的創造活動の成果が文明なのですから、そこに神の原理的法則が働いているとは言え、所有権はその創造活動を為した人間の手にあり、神はそのように人間を祝福したのです。
そのように文明を「神の第三祝福」として捉えるのが原理講論が示した文明に関しての基本的な考え方なのです。
よって、「(天が)すべての文明を誕生させて下さいました。」などとは原理講論の根本思想とかけ離れた発想であり、‘原理’を理解できない妄想宗教家の理屈でしかありません。
さらに「これを適切に使用して、真の父母様を世界の前に誇るべきです。」などとは絶対に『文明人』が語るはずもない言葉なのです。
それは言葉自体が意味不明なのですが、その内容を考察して普通の言葉に直せば、「世界中の科学、芸術、経済的成果を統一教会員が自分達の為に利用せねばならないのであり、それらを真の父母様が自由に所有できるようにして、教会員は真の父母様が最高の価値を持った存在であると認め、その真の父母様を世界に誇れるようにならなければならない。」ということになるのだと思われますが、それ以外は考えようがないのです。
それは原理講論と乖離しているどころか、暴言とも言える妄言で、マフィアの親玉の言葉と何ら変わりません。
なにしろ、自分は大した努力もせず、能力もないのに、世の中の文明は全て自分のものにならなければならないと平気で言っているのですから…
‘朝鮮シャーマニズムのDNA恐るべし’と言う以外ありません。
5番目に引用した‘み言’で韓氏が「最後に行かねばならない所で解放を得るでしょう。」と語っているのは明らかに霊界に行った時のことを述べているのであり、霊界へ行った後どうなるかなど生きている人間は検証のしようもないのですから、誰もそれが真実かどうかは知ることができないのです。
ただ、それは詐欺師が用いる常套手段ではあります。
そして、原理講論、第一章、第六節‘人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界’によれば、人間の霊人体の感性、即ち幸福感などといったものは地上で生活している間に形成され、発達することになっていますから、地上で束縛され、いつも献金ノルマに追われて窮屈な感情しか懐いておらなかったのに、霊界へ行ったら「解放を得る」などということはないはずですし、原理講論は違ったように説明しているのです。
また、米本さんは今回のシリーズでは最初に徳野会長のスピーチを紹介してくださいましたが、にほんブログ村にある以下のブログが‘分派’などについて語ったものとして徳野会長のスピーチを記事にしていました。
そのスピーチは「独生女」言説と対比すると神学的な食い違いが明らかになり、徳野会長の今後が問われますので、それについてもコメントしようと思います。
http://true-love-family.at.webry.info/201412/article_6.html
>お父様の偉大な実績は人類の真の母を復帰したこと、新婦圏を復帰したことなのです。
>真の父母というのは、人間始祖アダムとエバを蕩減復帰する立場ですから、ペア、夫婦でなければならないのです。
徳野会長の「お父様の偉大な実績は人類の真の母を復帰したこと、」という発言は「真のお母様」こと韓鶴子氏がネット上で受けている批判に対して、韓氏を擁護する立場で語ったものですが、7/1韓講話が‘火の粉を払え’などを通して既に知れ渡っていることを考えると、呆気にとられるしかありませんでした。
7/1韓講話・「独生女」発言が問題視されているのは「真の母」こと韓鶴子氏が6千年前から天が準備していた‘神の独り娘’で、既に胎内で血統転換された無原罪の立場で誕生したことを主張していた為であり、文先生の教えとは全く異なっているからなのです。
さらには文先生が無原罪となったのはイエス様と出会って、その使命を受け継いだ後であったとも述べており、その血統転換論は文先生と韓氏では全く違ったものになってしまっているのです。
したがって韓鶴子氏を批判から守り、擁護するのであれば、呉澤龍教授のように『お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。だから、お母様が「自分は無原罪として生まれた」と言ったらそれが正しい』と言う以外にないのです。
間違っても、「(お父様が)真の母を“復帰”した」などと語ってはならないのです。
韓鶴子氏が“復帰”された存在だったとしたら「独生女」言説は根本から成立しなくなってしまうのです。
7/1韓講話は確かに教会内においては極力話題にならないように内容を隠されているのかも知れませんが、少なくとも‘にほんブログ村・統一教会カテゴリー’では大きな問題になっており、余程の馬鹿でない限り、ブログで韓氏を擁護することを目的として「独生女」言説を否定するような記事は書かないはずです。
しかし、‘平和を愛する天国人 さん’は上に引用した、その「独生女」言説と矛盾する徳野会長のスピーチ部分をわざわざ太字強調しており、驚かずにはおれませんでした。
黒い羊さんではありませんが、「おい、おまい、気は確かか?目はちゃんと見えてるか?」というのが実感でした。
ネット上で「独生女」言説の是非が大きく問われている時にこのようなスピーチができる徳野会長や記事にした‘平和を愛する天国人 さん’は もし韓総裁への反逆者でないとしたら、完全に頭の歯車がおかしくなっていると考えるしかないでしょう。
今回の‘今日もいいことがある!統一教会員のブログ’の記事を見て以来、ブログ村のランキングに載った彼の写真を見るたび、無知な人間の典型的な顔に見えてきて正常な人にはとても見えなくなってしまいました。
それは徳野会長も全く同じであり、このように教義などお構い無しで、高額エンドレス献金集めだけは絶対不変なのが統一教会の宗教サラリーマンの馬鹿な実態なのですから高額献金に協力するなどもっての外だと思います。
ただ、韓氏が「独生女」神学を正式に掲げた後にこれらの徳野会長や‘平和を愛する天国人 さん’がどのような発言をするのかは注目であります。
もし、今回書いた記事が信念通りだったとするならば、「独生女」神学は肯定できるはずがないのですから、しっかりこれら公職者たちの今後の言動に注目したいと思います。
しかし、徳野会長は相変わらず平気で原理講論と矛盾することをスピーチで語っており、これが日本統一教会会長かと思うと情けなくなってきますし、その行っているコンプライアンス違反などを考えると、それが次第に怒りの感情に変わってしまいます。
上に引用したスピーチでは「真の父母というのは、人間始祖アダムとエバを蕩減復帰する立場ですから」と語っていますが、「蕩減復帰する」のは「堕落人間」の立場にある者の使命であり、統一原理から考えたら「真の父母」は「堕落人間」ではないはずなので、「蕩減復帰する」必要はなく、アダムとエバが未完成期に堕落した為に完成できなかった第一祝福(個性完成)と第二祝福(家庭完成)を最後まで完成できるように人類を導くのがその使命であり、立場であるはずです。
その程度の統一原理の理解なのですから、多分韓総裁が文先生の今までの‘御言葉’と全く矛盾した神学を掲げたとしても、“ポチ”の本領発揮で今まで自分が語ったことなど、知らん顔になるのだと思います。
ある意味、その程度の頭脳と精神だからこそ統一王朝の属国会長が務まるのだと思います。
追記情報-お父様とお母様は一体の意味-(12月8日)
cocoaさんが「幹部のたわごと」で、鋭い指摘をされています。
全文は上をリンクして読んでください。私がまさにその通りだと思ったのは次のところです。
(引用はじめ)
徳野さんも《お父様とお母様は一体》であると強調しています。食口を従わせるためには、死んでも譲れないのが《お父様とお母様は一体》ということです。お母様が、理解に苦しむ行いや発言をされた時に「お母様ひとり」ではダメなのです。「お父様とひとつ」という幻想があればこそ、食口は「何か意味がある」と誤魔化されるのです。だから徳野さんの、ひとつの大仕事は《お父様とお母様は一体》と食口に思わせることです。《真のお父様と真のお母様を分離して考えることはできないのです。》と言っています。
(引用終わり)
これまで5つの言説・珍説を紹介してきた。次回は、今後マッチング結婚はどうなるのか、推論になるが私見を述べることにしたい。と、予定していたのだが、韓国会長のスピーチ全文が手に入ったので、それを先に紹介する。

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李氏朝鮮王朝
記事を興味深く読まさせていただきました。
ただ冒頭の写真は韓国人なら結婚式でよく見かける場面です。
日本なら白無垢で式を挙げる伝統結婚式のひとつなので李氏朝鮮王朝という意識とは関係ないと思います。
お姉さんには感謝しています。
私はお姉さんの真の愛に感謝しています!お姉さんのお幸せを祈っています。
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神前結婚式で、神との仲介役といったところ。
呉教授
集会・礼拝などでは、いつも最前列に陣取り録音です。当時はMDを多数抱えていました。だから誰よりも御言葉を知っているのが取り柄でした。
ただし、90年代辺りからの御言葉です。それ以前の御言葉(原理を含む)は、全くといっていいほど口に出てきません。察するに、他にエキスパートがいるからです。
自分が録音を開始した後の御言葉で、自分の主張を裏付けるようにしているだけでした。
Re: 李氏朝鮮王朝
白無垢の結婚式は神道(神前結婚式)の影響でしょうが、日本人の意識に神道はほとんどありません。
ところが、韓国の場合はどうでしょうか。
韓国で暮らしたことがないので断定的なことは言えませんが、李氏朝鮮時代=シャーマニズムの影響を受けた儒教は、韓国民の意識のに色濃く残っていると思います。拓殖大学国際学部教授呉善花さんの指摘によれば。
とりわけ、両班意識(身分階級意識)は強烈で、社長が工場(生産活動の現場)を視察すること、ましてや指導するなんて、考えられないそうです。
改めて論考文を書いてみたいと思っていますが、統一教会世界では「長」だらけ。会長、総会長、事務局長、局長、部長・・・。平職員なんて数えるばかりでしょう。身分階級意識の表れだと考えています。
韓国式の結婚衣装=李氏朝鮮王朝意識とは思っていませんが。
両班意識
私はもうかれこれ20年以上韓国に
住んでて一応韓国社会生活の中で
仕事を始めて定着しています。
「両班」という言葉もはじめは
なにかいばってる?偉そうな?イメージで
「あの両班(やんばん)は・・・」という
ようによく会話でも使われています。
でも主人に聞いてみたら「両班」という意味は相手を尊敬している意味もあるみたいで
決して悪い意味ではないようですね。
最近、韓国で流行のケーブルテレビの
ドラマ「未生」も主人公は高卒の契約職。
高学歴主義の社会ではありえないことですが
職場での激しい上下関係に適応していく
内容を描いています。
これが共感を呼び大ブームです。
国民もこの両班意識には多くの不満を持っている証拠でしょうね。
Re: 両班意識
そうなんですよ。天宙平和連合とか世界平和連合とか勝共連合とか統一思想研究院とか統一の友好団体は、「長」だらけ。勝共とか思想研究院には平はゼロで、あとはすべて「長」だと思います。
まるで「会社ごっこ」をやってるみたい。
>私はもうかれこれ20年以上韓国に住んでて一応韓国社会生活の中で仕事を始めて定着しています。
しっ、失礼いたしました。
是非是非、今後も投稿していただき、いろいろ教えてください。知ったかコメントを書いて、やや恥ぅです。
>国民もこの両班意識には多くの不満を持っている証拠でしょうね。
国民の両班意識(両班目線)から解放されるには両班の頂点に立つことが一つの選択になるわけで、それゆえ激しい受験競争になり、その結果、若者の自殺が増えていく-ということになるでしょうね。
ただ、誤解されそうなので言っておきますが、ぼくは嫌韓ではありません。日本のように、アホみたいに空気を読むことなく、縮こまらないところが好きです。
民族的アイデンティティ
そのシャーマニズムを무당(ムダン)と言います。日本では霊媒、厄除けのような「当たるもも八卦、当たらぬも八卦」といわれるもの。まさに清平がやってる役事は統一式のムダンです。
でも、結婚式にムダンは聞いたことがありません。
日本で、神前結婚だからといって神道の信心が深いかというと、全然関係ないように、韓国でも朝鮮時代の伝統と風習に則った結婚式にたいした意味はないようです。いずこでも人生の節目や年中行事に民族的アイデンティティを確認し合い、共有するためのアイテム、衣装であったり、小道具であったり、儀式であったりなのではないでしょうか。
韓国語もできないアメリカ育ちの娘たちに「どこでどう生きても、おまえたちは韓国人だよ」と、ルーツを確認させる親心のように思われます。
同様に日本も伝統文化を大切にし、民族的アイデンティティの強い国です。例えば3月3日のひな祭り。あのひな壇に飾る人形は貴族社会を象徴しています。だからといって、そのひな壇を飾る家庭全てが貴族かというと、現代ではあり得ないこと。5月5日のこどもの日、鯉のぼりを掲げ、兜を飾る。戦国、江戸時代の名残でしょう。
私事ですが、息子が生まれた翌年に日本の実家から初節句のお祝いに「鯉のぼり」がいいか、「兜」がいいかと尋ねられ、泣きました。どちらも韓国ではタブーなお品だからです。その親心のありがたさと、自分がいかに不孝者であるかを思い知らされ、心で詫びてきました。
決して同情を求めているわけではありません。民族を超え国を越えるとは、そういうことなのです。自身はもちろん、身についた習慣、是としてきた伝統、文化、歴史など、全てが否定されることです。異文化の中で、否定されることによって、自国のことがもっとよくわかるようになったり、気づかなかったことに気づけたりもします。
ともかく、李氏朝鮮時代の伝統如何に関わらず、統一教会が韓国の宗教であることはこちらの写真から十分にわかります。日本の統一協会信者は韓国の宗教にはまっているのです。韓国では統一アイデンティティに韓民族のアイデンティティが自然に融合していますが、日本の教会ではどうでしょうか。統一アイデンティティは受け入れられても、民族的アイデンティティの否定と変更は難しいでしょう。故に、日本の信徒は相容れることができない、信用できない代物のままなのです。
鮮文大学教授の信じ難い低能
では、誰が理解できるのか?
それが「神様と真の父母」だというわけです。
>その上で呉教授は、2013年2月22日(陰暦1月13日)の基元節に、神様と真の父母様が「完全に1つの存在」となったとしています。つまり、「神様=お父様=お母様」という三位一体論です。
>したがって、お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。
お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。だから、お母様が「自分は無原罪として生まれた」と言ったらそれが正しいのだし、それに疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。
米本さんは唯一神の信仰を持っていないとは言え、言論界で活躍しておられる方ですので さすがに一つの言説にロジックとしての間違いがあればそれを見逃さず、鮮文大学純潔学科・呉澤龍教授の信者に馬鹿にされるような神学講義の問題点など容易く見抜かれましたが、今回の記事で韓総裁を絶対化していた呉教授が如何に低能か大学外の世界に暴露されてしまったようです。
まともに神学などとはとても呼べないようなその屁理屈言説を‘大学’の授業で講義していること自体が驚きですが、その異常さは大学を運営している宗教団体のレベルの低さが尋常ではないことを表しているとも言えます。
上に引用した講義内容の説明を読みますと、それは論理的な矛盾があると同時に、統一原理の基本的な理論とも相容れない間違った言説であることがわかります。
しかし、呉教授のような考え方をする教会員も案外多いようにも思えるし、その講義を鵜吞みにする学生もいるような気がしなくもないので、統一原理の‘基本思想’を擁護する立場からその間違いについてコメントしたいと思います。
最初に引用した「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」という講義内容の論理的な問題点は第一に‘神の存在’に対する解釈と‘メシア’としての‘真の父母’の存在位置に対する理解が統一原理の基本的考えと一致するものではないということです。
米本さんは不可知論を参考にしてその問題点を指摘されましたが、統一原理は一つの側面として不可知論に通じる内容をもっています。
不可知論は‘事物の本質’は認識することができないという立場ですが、統一原理はそのような観点で‘神の存在’を捉えていると言っても、それは間違いではないのです。
つまり、統一原理は‘神の存在’を宇宙の全ての存在の第一原因として捉えており、当然神は人間に対しても第一原因として関係していることになります。
それは人間の‘精神’に対しても同様であり、人間の精神の原因となる神の精神的側面を統一原理では「本性相」と名付け、人間にある知・情・意と同じような知・情・意の機能を神がもっていると考えているのです。
ただし、あくまで神は原因的存在であるので、神の‘知・情・意’は人間と同質であるはずがなく、根源的なもので、より高次元で、完全なものでなければならないのです。
したがって、存在としては結果的存在であり、時間空間に制限され、不完全な人間はその神のもつ‘知・情・意’の全ての内容を対象として認識することは不可能であり、人間にとっては神の存在自体と同様、その精神側面も全体的に認識したり現実的に理解したりすることは不可能となるのです。
つまり原理的に、神の精神活動は人間には認識不可能であり、神の「救いの摂理」は人間には不可知なのです。
そのように考えれば、人間でしかない‘真の父母’が神の「救いの摂理」をそのまま認識できるはずがなく、単に人間的方法で解釈しているに過ぎないと言うことになるのです。
そして、‘真の父母’が理解した「救いの摂理」はあくまで人間の精神活動による解釈でしかないので、神の内に存在したものとイコールであるはずがなく、逆にそのような解釈は他の人間でも可能であり、理解できないはずがないのです。
キリスト教の聖書の中には人間と神が会話したりする話が書かれていますが、統一思想の存在論から考えれば、そのようなことはあり得ず、そのように見られる現象が実際にあったとするならば、それは人間と霊的存在である‘天使’か、あるいは霊界に行った霊人体が会話したと考えねばならず、その‘天使’や先祖の霊人体を‘神’と間違えて捉えたと考えれば聖書の話も合理的に説明できるのです。
以上のことから「救いの摂理は、堕落人間には理解できない、神様と真の父母だけが理解できる」という論理は統一原理の基本から外れており、統一思想の存在論をまったく理解していない非論理的な空論と言う以外にないのです。
さらに付け加えれば、この呉教授の言うところの「救いの摂理」とは「再臨のメシア」を中心として進められるはずですが、「堕落人間には理解できない」のであれば、誰が「再臨のメシア」で、その人物が本当に「真の父母」なのかどうかも「堕落人間には理解できない」ことになります。
ということは「堕落人間」には誰が「再臨のメシア」か、誰が「真の父母」なのかも理解できないのですから、「再臨のメシア」や「真の父母」を絶対化することなどしてはならないことになるのです。
もし、「堕落人間には救いの摂理は理解できない」が、誰が「再臨のメシア」で「真の父母」であるのかは理解できるとしたら理論的に矛盾が生じてしまい、呉教授はその部分においてもまともな思考などできていないのです。
さらに二番目に引用した<神様と真の父母様が「完全に1つの存在」となった><「神様=お父様=お母様」という三位一体論>は論理があまりにも稚拙なので、呉教授の知能がまともなのかさえ疑ってしまいます。
おそらく呉教授は原理講論の文章さえ正しく理解できていないのだと思います。
このような低能教授の給料が日本統一教会の強制的高額献金から支払われているとしたら、その献金は無意味どころか、異常な教育をするために韓国で使われていることになり、犯罪性さえ感じられます。
原理講論を読めば誰でもわかるように、「三位一体」とは「神」を中心として「男性」と「女性」が調和関係をつくることであり、「三位」が内容的に同一となることでは決してありません。
それが原理的な考え方であり、キリスト教の三位一体論に関しても、「神」を中心として「イエス」と女性的な役目としての「聖霊」が協力し合って‘霊的新生’の目的を果たしたことを説いたものと説明されており、神=イエス=聖霊との考えを完全否定しています。
米本さんにレポートを寄せられた方の講義の報告内容が間違っていなかったとしたら、呉教授は原理講論さえ理解できていない低能な教官不適格者であり、これで給料を大学からもらっているとしたら、大学自体が真剣に教育のことなど考えていないのであり、授業料泥棒、あるいは資金援助詐欺と言って差し支えないでしょう。
したがって、<お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。>などという理屈が成り立つはずもなく、「それに疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。」とはまともな頭からは決して生まれてこない言葉です。
この呉教授は原理講論を不勉強なこともそうなのですが、それ以前に物事を正しく認識できないとか、論理的思考ができないとか基本的な思考能力そのものに問題があるようです。
‘鮮文大学純潔学科、教官の知的レベル恐るべし’と言う以外ありません。
米本さんからも知性において最低評価を頂いている呉教授からすれば、‘過ちは一切ない’「生きた神様」であり、‘言動がすべて完璧に「真理」な’はずである「お母様」ですが、以下の伝道教育部長のブログ記事を読んでみた後では絶句するしかありませんでした。
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/410010585.html
>天は私たちのためにすべての文明を誕生させて下さいました。
今これを適切に使用して、真の父母様を世界の前に誇るべきです。
>真の父母様のみ言通り行い、生きなさい。
そうすれば最後に行かねばならない所で解放を得るでしょう。
これらの韓鶴子氏の‘み言’を読んでも呉教授やこちらの伝道教育部長は韓氏を絶対化できるのですから、○○の壁は厚いとしか言いようがありません。
もし上のお話に「疑問を持つこと、批判することは、イコール神様を信じないということになってしまうのです。」だとしたら、一体世界に何人神様を信じていると言える人が見つけられるのでしょうか?
やはり、韓総裁を中心とした統一教会信者の妄信度は極地に達しており、統一原理の基本から逸れてしまった次元の話ではないようです。
そのような妄想を根拠に日本への高額献金の要求がなされているのだとしたら、やはり、高額エンドレス献金の問題は限りなく犯罪に近いと思います。
因みに上の記事のタイトルは
『私たちは、お金ではなく「心情の真の愛の富者」!! 《真のお母様のみ言 12.1》』
でして、「お金ではなく」と強調されているところが変に言い訳がましく、韓氏の献金実績の追求に対する批判をかわそうとする意図が感じられますが、‘み言’の内容が記事のものでは何の弁明にもなっておらず、やはり韓総裁を絶対化した組織では教勢の下降は避けられないようです。
原理では、、
祝福と結婚の違いは真の父母が承認したかしないかに過ぎないというわけですね。そういえば『ブランド大好き』さんは、「祝福とはブランド」(?)のように言っていましたね。
真の父母にすべての権威と力を預けて押し通そうとするやり方ですが、真の母が亡き後はどうするつもりなのでしょうか。ご本人からしたら、自分が地上にいるときだけが問題で、後は野となれ山となれということでしょうか。。
原理は「肉身をもった真の父母によってしか霊肉共の救い、つまり血統転換はできない」とはっきり言っていますから、そもそも真の父亡き後は、新規の堕落人間の救い(血統転換)、つまり祝福は不可能なのではないでしょうか。さらに真の母が地上を去ったあとは、完全に不可能なはずです。だから、伝道しても最終的救いを与えることはできないので、実はもう伝道する意味もないんです(!)
お母様の鼻毛
つまり、「神様=お父様=お母様」と信じ込んでしまっている人が多いです。ちなみに「金孝南=大母様」と信じ込んでしまっている人も多いです。スーパーマンとか、スパイダーマンとか、ファンタスティックフォーとか、そんなのと同じように普通の人間ではないと思っているようです。
笑い話のようなエピソードですが、礼拝でPeace TVを見ていたときに、お母様の鼻毛が見えたので「お母様、人前でしゃべるんだから、鼻毛の手入れぐらいしたらいいのにね」と隣にいる妻に言ったら、四方に座っている食口たちが、すっごく怖い目で私をにらみました。あのときは、マジで怖かったです。
要は、そのくらいお父様、お母様を神格化(神様=お父様=お母様)してしまっている食口が多いということです。お母様の人間的な部分の批判でもしようものなら、下手したら分派扱いされるでしょう。実際は、私らと変わらない人間なのにね。鼻毛くらい伸びるでしょって。
アイドル歌手はおならやうんこをしないと信じ込んでいるオタクと同じような心理状態なんだと思います。
神様はどこ
1920年生誕時、日帝時代の大日本帝国つまり日本国生まれになります。
1910年から36年間、日本の国家予算で
世界で最も貧しく、中国からはいつも虐げられていた朝鮮半島を近代化し
中国やソ連からの共産化を防ごうとした。多分、メシアを迎える準備を日本
がしていたとしか歴史の真実と向き合うとそうとしか思えない。何が韓国を
日本が侵略した?冗談じゃないよ。
今、日本が韓国に侵略されそうになっているのがわからないのか?
その一番の手先になっているのが統一
教会員!!!
安倍政権支持は自殺行為です
安倍総理は第一次政権の時もそうでしたが、従軍慰安婦問題で河野談話の見直しをはかり、日韓のズタズタにしようとした張本人です。この安倍さんの登場と共に在特会などの反韓、嫌韓運動が盛り上がり一部新聞社や出版業界でもその種のヘイト記事が目立つようになりました。安倍さんの前の民主党政権の時はあれほど韓流ブームだったのが、安倍政権になってまったく逆の流れになりました。遺憾なことにこの流れは李朝時代をバカにする本ブログの投稿にも表れております。
李朝時代は確かに多くの負の遺産があったでしょう。しかし、韓国民を世界一の宗教性をもった民族にしたのもまた李朝期の遺産なのです。これはよくも悪くも韓国の現在につながっています。
原理講論にもあるとおり韓国は歴史上他国を侵略したことがないきわめて稀なる平和民族です。しかし日本は倭寇時代の昔から韓国を侵略し続けました。秀吉の朝鮮出兵はいうにおよばす、明治維新と共に征韓運動が盛り上がり、江華事件で不平等条約を結ばせ、日清戦争と日露戦争で韓国を完全に支配下に置くことに成功しました。その過程で明治政府は李王朝の明成皇后を虐殺し、そして大韓民国初代皇帝が中立国化を求めていたのを、力ずくでこれを阻止させ、ロシアと韓満交換交渉(日本が韓国を支配下に置くかわりにロシアの満州に対する支配権を認めるという裏取引)までやって韓国を力ずくで支配しようとしたのです。その結果が韓国併合という恐るべき民族消滅つまりジェノサイドでした。もはや韓国人は日本人と同じように日本語を話す民族となり、日本の皇室の臣下となり、国家神道を崇拝する民にならなければならない。そのような韓民族の歴史と伝統と宗教の完全否定を行い、むりやり日本人のようになれと推し進めたのが、韓民族が決して忘れられない40年間の苦難の時代です。そしてその時代の屈辱の記憶を最も象徴するのが従軍慰安婦という制度であったのだと思います。
安倍総理は従軍慰安婦は強制で行われたのではないと終始一貫述べ日本を弁護しようとしますが、しかしそういうことは統一教会の信者を拉致監禁しながら、それは決して強制ではなかったということとほとんどそっくりな論理です。このようなきわめて言語道断な解釈をほどこして韓国民を侮辱し、そして世界に向かって蛮行を正当化しようとしているのが、安倍政権なのです。
このような極端な発言をして日韓関係の友情を毀損した政権は過去の政権にはありません。それでも統一教会のシックの皆さんは安倍政権を支持するのですか?これはほとんど自殺行為に等しいと私は思います。
呉教授の話
途中から聞いたので全体像はわからないが、基本的な内容は文鮮明ご夫妻の神格化、それも三位一体神学に基づく神格化だった。文鮮明ご夫妻の位相が年度ごとに高められてついには神と完全一体となったという話が摂理的な行事と合わせて説明された。その中で「天使に相対者をつくってあげて最低一組は祝福をしてあげた」というものもあって正直驚いた。
「そんな話聞いたことがねえぞ」
個人の神格化、ここでは夫婦の神格化だが、これは聖と俗の分離を招く危険性を孕んでいる。かつて日本は天皇の神格化をした。「天皇は神聖にして不可侵」この思想で日本は自縄自縛されてしまった部分がある。日本人が皇室を尊敬するというのは自然な感情で良い事だと思う。しかし神格化して国民と分離してしまうのは間違っている。それと同じようなことが統一教会という舞台で行われているとしたら「ご聖断」が下るまでそのまま突き進む事になるのだろうか? 敗戦間近の日本を見ているようだ。今呉教授がどのように扱われているか知らないが、もし「文鮮明ご夫妻は神聖にして不可侵」という考えが協会内に蔓延しているとしたら終わりの日は近い。
韓国は日本の仮想敵国であり、友好などあり得ない。
それから、河野談話こそは、”事なかれ主義”の政府高官がありもしない慰安婦強制連行の事実を認めて、国際社会における日本の名誉を失墜させた元凶とも言えるものです。そういう意味では、宮沢、河野といった面々こそ、日本をズタズタにした張本人達だと言えます。そういう意味では、こいつら、それから慰安婦捏造報道の口火を切った朝日新聞の罪は極めて重い。なぜなら、これがきっかけとなって、あのいまいましい隣国の連中、”ゆすりたかり”の愚劣民族どもを増長させてきたからです。
それからヘイト記事やヘイトスピーチ等の嫌韓運動の原因が安倍政権にあると?バカも休み休み言えと言いたい!嫌韓運動が一気に高まったきっかけは、2012年8月の李明博による竹島上陸と天皇陛下侮辱発言であって、れっきとした民主党政権下の出来事だ。ちなみに、在特会らによるヘイトスピーチそれ自体は断じて容認できない(在日特権の廃止の主張は正しい)が、それを言うなら、隣国は、それこそ、「国家全体、民族全体、社会全体がヘイト(憎悪)の塊」であって、いわば”反日イデオロギー”を国教とし、民主主義の体をなしていないどうしようもない国なのです。
韓国人が世界一の宗教性を持っている?1950年代から70年代以降まで韓国政府が国策として”米軍慰安婦”を提供し、さらに今なお多くの韓国人の女どもが金儲けの為に売春婦となって全世界に害毒をまき散らしているという現実を見れば、一体どこが?という感じですね。
韓国が歴史上他国を侵略したことがないきわめて稀なる平和民族?統一信者達の中にはいまだにこんな”お花畑思考”に凝り固まっている人間がいるのでしょうか?他国を”侵略しなかった”というより、あまりにも弱小な民族であるがゆえに他国を”侵略できなかった”というだけの話。彼らは断じて積極的に平和を指向した民族などではなく、むしろ、潜在的には、他民族同様、否それ以上に”侵略的願望”が強めて強い民族だと言えます。それは、数々の韓国歴史ファンタジードラマを見れば明らかです。それから、元寇は、モンゴル(元)の属国とはいえ、紛れもなく、「朝鮮民族(当時は高麗)自身が日本に侵略を仕掛けてきた行為」であって、一度も他国を侵略したことがなかったというのは嘘っぱちです。
釣りですか?
ハヤシさんのような考え方をされる方がおられるの分からないではありませんが、不思議なのは、清平にあれだけの金が集まったのに何故その金を日韓の問題に利用できなかったのか、という素朴な疑問なのです。
清平摂理では、数百億円とも言われる日本人シックからの献金が集まっているはずです。
日本シックがそれほどまでに高額の献金を課されたのは、慰安婦や過去の歴史的な連帯罪等故だったはずです。
では、その献金でこれまでになぜ、慰安婦だったとされる方々を救済するための基金、韓国を植民地とした罪を償うために韓国社会に奉仕するような基金を作ってこなかったのでしょうか?
もし、そのような基金を作っていたら、日韓の間に横たわる今ほどの感情の衝突は十分に避けることが出来たと思うのです。
清平の豪華な建物もなにも必要ない。
日本の女性シックが韓国で土下座をされていましたが、もちろん、それも大事ですが、数百億円規模の基金を作って日本人が贖罪の気持ちを表していたら、いくら統一教会員のなすこととはいえ、韓国社会を動かすことが可能だったかも知れません。
数百億円とも言われる清平への献金はどこへ行ったのか?
ほんの少し、客観的になって物事を考えてみると、違った景色が見えてくるのではないでしょうか?
また、最近では、米国の著名ジャーナリスト(マイケル・ヨン氏)が慰安婦の強制性は中韓が指摘するような基準ではありえなかったのではないか、という主張もし始めています。
もちろん、ヨン氏の報告を鵜呑みにする必要はありませんが、私は傾聴に値する報道だと考えています。
PS:米本さん、コメントがずれていっているようで申し訳ありません。
ハヤシさん、誤解です。
これは誤解です。
李氏朝鮮のことに触れたのは、「<再録>統一王朝と李氏朝鮮王朝」(2014年6月8日)においてでした。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-470.html
53のコメントを含め、一読してください。
主に話題になったのは、李氏朝鮮王朝は「朝鮮型儒教国家」であり、今の統一教会にはその儒教が色濃く影響している-ということでした。
儒教に「朝鮮型」と冠をつけたのは神々はの黄昏さんですが、彼はイザベラ・バードの『朝鮮紀行』(講談社学術文庫)をベースに論じています。また、朝鮮型にはシャーマニズムの影響を受けた儒教という意味も含まれています。
これについては<『統一教会の儀式セ●クスによる血統転換』抄訳 >で論じられています。http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-485.html
李氏朝鮮時代をバカにした投稿者はほとんどいなかったと思います。
両班意識、小中華思想などを批判していますが、それはあくまで評価であって、バカにしているわけではありません。
なお、火の粉の記事は500本にものぼり、過去の記事を調べることが事実上、困難になっています。いま、総合目録を作成中です。とりわけカテゴリー「統一教会考」は78本にもなっています。このカテゴリーを細分化するつもりです。
テーマを呉教授の「絶対は絶対だ」に戻していただけたら、幸いです。
cocoaさんの記事
「頭でっかちの教授」です。
http://ameblo.jp/tldo5223/entry-11960810550.html#cbox
承認されたら、小生のコメントがアップされると思います。
watcherさんに反論
さてwatcherさんという方の挑戦的な議論はまさに今流行の嫌韓ヘイトスピーチそのものなので唖然としました。ここは統一教会信者に対する拉致監禁の不法性を論じる場であり、果たしてwatcherさんの議論に応じることがどこまで許されるのか知りませんが、実際watcherさんのような議論に騙されている人々が多くいます(おそらく統一シックも含めて)ので、ここで彼の誤りを指摘しておくことは(統一シックのためにも)必要なことだと思いますので、米本さん、どうぞお許しください。
以下watcherさんの書き込み。
>正確に言えば、「日本軍による慰安婦の”組織的”強制連行=性奴隷」など事実無根であり、捏造であります。
まずこの議論に大きな誤解があるのは慰安婦制度というのは第一次上海事変以来、日本軍と当時の政府が直接関与して作られ運営されていた制度であるという研究者の一致した事実認識があるということです。これは安倍総理の見解に近い右派の研究家秦郁彦氏もみとめている事実です。この問題が大きな問題となった90年代初め(河野談話が出される前)に、日本政府は必死に軍と政府の関与を必死に否定しようとしていました。しかし、さまざまな資料が出てきて、軍や政府の関与が否定できなくなったというのが真相です。
ちなみに秦郁彦氏は次のように書いております。
「慰安婦が戦地の慰安所で営業するためには、軍による関与が不可欠であるのは当然であるのに、あたかも軍の関与を全面否定したともとれる発言ミスがなぜ起きたのか、事情は定かではない」(秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」)
次にいわゆる「強制連行」の有無、(安倍総理らがいう)すなわち「狭義の強制性」の具体的証拠は必ずしもないという議論がしばしばなされていますが、しかし、そのような議論は統一教会員に対する拉致監禁に強制性の証拠はないといっているのと同じことなのです。実際には、たとえばオランダ人女性を強制連行して慰安婦として働かせていたという具体的事件があり、この事件の犯罪性は現地のBC級裁判で認定され、関係者が処罰されたという争う余地のない事例もありますし、またフィリッピン女性などの証言でも数多くの強制連行の証言がありますが、しかし問題の本質は「狭義の強制」すなわち「強制連行」が行われたかどうかという問題にあるのではありません。
watcherさんが問題にしている河野談話では、いわゆる強制連行の証拠はあがっていないということを認めております。しかしながら「嘘」や「甘言」等で遠い異国の戦場地へ連れて行かれたという客観的状況から「強制性はあった」と認めているのであり、このように「強制連行を否定した河野談話」には韓国政府も不満があったが、それでも「強制性」という言葉を盛り込むことによって、軍と政府の責任を明確にしていたのです。これさえ否定しようとするのは、統一教会信者に対する拉致監禁は捏造だといっているのと等しく、否、それをはるかに超える信じられないほどの暴言です。
吉田証言について、watcherさんがいいふらしているのも事実とは異なります。いわゆる吉田証言は慰安婦問題がまだほとんど「問題」として認識もされていない80年代に行われたもので、この偽りの証言によって慰安婦問題の「強制性」が認定されたわけでもなんでもありません。当然ながら1993年に河野談話がだされた時にも吉田証言は証拠として採用されていませんでした。左派を代表する慰安婦問題研究の第一人者である吉見教授も吉田証言にはまったくふれておりません。
Watcherさんによると、朝日新聞が吉田証言の捏造に加担したというようなことをいっていますが、朝日新聞も河野談話がだされた93年頃からほとんどふれていません。確かに92年頃まで朝日新聞は吉田証言を何度か紹介していましたが、93年に研究者の間で疑われだしてから朝日新聞社も紹介記事をストップしました。それに吉田証言をまことしやかに紹介したのは朝日新聞だけではなく、毎日新聞、読売新聞、北海道新聞、神戸新聞、赤旗、週刊新潮など他にもいくらでもあります。
その後、朝日新聞が97年に「真偽は定かではない」という疑問符を呈してふれたのが最後となり、その後、いわゆる国連のクラワスマミ報告でもふれられているので、この朝日の記事が嘘を世界に広めるようになったのだという人がいますが、クラクラマスワミ氏自身は吉田証言について捏造であるという批判があることもきちんと紹介しています。それに吉田証言は証言者が自ら捏造であるということを認めていたわけでもなんでもなく、反対に本人は大まじめに「真実である」といいながら死んでいったので、本当の真相は誰にも分かりません。ただ、朝日新聞がその真偽の最終確認をするために済州島へ渡り聞き取り調査をした結果、これを「真実とは言えない」と本年8月に最終判断をしたのであって、このような経過をみても、この問題は必ずしも朝日新聞社だけの責任問題とはいえないことがわかります。
他にもwatcherさんの誤解をただすために言うべきことはまだまだありますが、他の機会に譲ります。
参考までに、、「慰安婦問題」
本題からそれて申し訳ありませんが、ハヤシさんが慰安婦問題を論じてらっしゃるので、一言コメントさせてください。吉見教授、秦教授の議論が左派右派を代表するのはそのとおりですが、昨年韓国で出版されて訴えられた、韓国女性教授である、朴裕河(パクユハ)さんの本、『帝国の慰安婦』の日本語版が先月より朝日新聞出版から発売されています。これを読むことをお勧めします。ちなみにご本人による詳しい日本語でのまとめを以下で読むことができます。
https://www.facebook.com/notes/705074766186107
ハヤシさんがおっしゃっているように、フィリピン女性やインドネシアにいたオランダ系女性、または中国本土の中国女性を日本軍が強制連行して強姦、慰安婦役を強要したというのが、日本軍責任を論ずる重要部分になっています。しかし朴教授によると、これら中国本土や東南アジアの女性は本来の慰安婦でなく、日本軍にとっては交戦相手の「敵国」女性であったから暴力的強制が行われたので、その行為は東京裁判などで裁かれたということです。本来の慰安婦は、日本女性と、韓国(当時の朝鮮)・台湾の女性たちで、日本帝国の市民であり、当時そのような教育と待遇も受けて、日本軍サポートするために送られており元々強制ではなかったということです。90年代以降、日本政府も世論も、この違うカテゴリーの女性たちを混同してしまったことに議論紛糾の原因があると、指摘しています。
朴教授は、日本政府と軍に対して道義的責任は追求できても、法的、直接的責任はむしろ韓国女性たちを騙し搾取した韓国人の民間業者にある、と言っています。当時の状況をよく理解した上での、バランスが取れた説です。参考にしてください。
原理に対する理解
おはようございます。
コメントするか迷ったのですが、やっぱり書いてみます。
私は、他の多くの人と違った見解を持っています。
まず発端となる韓鶴子氏の「独生女」論ですが、私の感想は、展開される話はハチャメチャだが、根拠は理解できるというところです。
この点から反論を受けそうですが、言いたいことは、韓鶴子氏はご乱心でも何でもなく「正気」だということです。
この私の理解は、私の原理解釈によるところが大きいので、その説明をしないと意味が伝わらないと思います。
私の仮説は、「原理本体論」と「血統転換」と「母子協助」には一貫性があるという解釈です。
独生女に焦点をあて簡単にいうと、
・原理本体論では「神様ははじめにエバに先惟(せんい)した」というように、アダムより先にエバがいた。
・血統転換では、女性を先に復帰して、男性を産み変える。
・母子協助で、母(先に生まれた存在)の協助で、息子が勝利する。
とあるわけですが、もともと神様がアダムを創造するとき、神様の血統に転換するような女性の立場があるという仮説です。
これは標準的な原理の見解とは矛盾しますが、このような「独生女」論を韓鶴子氏が堂々と語る何らかの原理的根拠があるのではないかと推測します。
ちなみにこの仮説は、原理の矛盾をうまく説明します。以前、神々の黄昏さんが指摘された、「サタンが血統転換という原理を創造した」という「神のみ創造主であらせられるため」にという内容との矛盾も説明できます。
では、本題の呉教授の発言ですが、上記内容から私の意見は、米本さんの意見と違ってきます。
つまり、呉教授は、韓鶴子氏の許可を得ているのではなく勝手に語っている、そもそも韓鶴子氏の言っていることを理解できていないと考えます。韓鶴子氏も分かっているが任せていると見るのですが、どうでしょうか。
私の感覚だと、今まで文先生の言葉をこれだけいい加減に扱ってきた韓国責任者たちが、何をいまさら、韓鶴子氏の言葉を律儀に正確に伝えようとする理由があるのだろうかと思うのです。
呉教授の説明ですが、まるでパウロの話を聞くようです。私はキリスト教神学に詳しいわけではなく、昔、広講師のビデオをみたくらいなので、かなりいい加減な要約ですが、そもそもパウロは、律法により罪に定められる(律法があるから罪人になる)、そもそも律法など守ることはできないと悩み、信仰告白した。しかしイエスの死を持ってどうやって救われるのか説明できない。罪を背負って死んでくださったと聖書の言葉を使って説明はしたが、到底理性では理解できない。それで、罪人には理解できない、信じれば救われると主張した。
神様と真の父母様にしか理解できない、信じろ、という呉教授と何が違うのだろうか。
そして、原理講論では、わざわざタイトルまでつけて三位一体論の問題を扱っているのに、全く理解していない。
私も信仰初期に、全知全能の神様のことは理解できないという結論にいたり、随分悩みましたが、統一原理の認識論は、そんなことは教えていない。方法論は授受法といい、思想的にはカントに近い。神様を知るには、そもそも人間の中に、神様を感じられる内容が生まれながらに内在していなければ、授受作用は成り立たたない。美しいものを美しいと感じれるのは、生まれながらに分かっているからだ。もちろん経験により広がることは否定しない。基本的な二性性相の話です。
祝福の話などいろいろな内容はあるが、そもそも根幹にかかる内容を全く知らず、一体、何を語るというのだろうか。
慰安婦問題のこと
議論されたい気持ちは理解できますが、統一教会のことを切り離して慰安婦問題を論じられるのは、このブログの趣旨にあいません。
よって、ストップしてください。
私が関心があるのは、統一教会が慰安婦問題をどのように捉えていたのか、そして清平の金孝南氏がどのように話してきたか、その結果、そうした言説が高額エンドレス献金にどのような役割を果たしてきたのか-ということにあります。
金孝南氏が語ったというテキストが入手できたら、一本の記事にする予定です。そこで、白熱した議論を期待します。
出所が明確な資料があれば、郵送してください。住所は右サイト上にあります。
よろしくお願いいたします。
Re: 原理に対する理解
私もそう思っています。
韓鶴子氏は文鮮明氏の晩年、独生女構想を温めていた、そのアドバイザーはシャーマンである金孝南氏だと推測しています。
独生女については、すでに「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か-韓講話」で3人の教会員が論考しています。
また、25本の投稿もあります。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-493.html
これらの議論をふまえて、投稿していただけると助かります。
なお、
>呉教授は、韓鶴子氏の許可を得ているのではなく勝手に語っている、そもそも韓鶴子氏の言っていることを理解できていないと考えます。韓鶴子氏も分かっているが任せていると見るのですが、どうでしょうか。
この指摘ははなはだ疑問です。
鮮文大学の純潔学科は、韓鶴子氏のお気に入りです。また、幸さんによれば、
「集会・礼拝などでは、いつも最前列に陣取り録音です。当時はMDを多数抱えていました。だから誰よりも御言葉を知っているのが取り柄でした」
さらにいえば、家庭出発に入る人たち(主に日本人)向けの修練会の実務的責任者は、韓国本部の武藤氏です。
彼は頭脳明晰で批判的精神のある人でしたが、韓鶴子氏の絶対化にともない、彼女の忠実な僕となりました。
もし、ブームチャイさんの言うように、呉教授が韓鶴子氏の言っていることを理解できていない」で講義をしていたとしたら、武藤氏が 韓鶴子氏に報告するでしょう。
この間の一連の流れからすると、初めに絶対ありきで、韓鶴子氏を絶対だとする理屈づけ(屁理屈)をしていると推認しています。
このことは次々回、次々々回のブログを読んでいただけたら、少しは納得されるのではないかと思います。
神々の黄昏さんの分析に安堵した。
呉教授を異端、分派だという声もあるが、「さいぞう」さんも指摘していたように、妄信的教会員の大部分はこの呉教授の発想そのものだ。
呉教授は妄信信者のために、一応、神学らしい言葉で理論的なように整理しているのだが、それによって、妄信信者は韓鶴子さんをさらに神格化する。
同じことの繰り返しになるが、呉教授のような方がいてくれるからこそ、そういう方々の妄信的信仰が正当化される。韓鶴子さんにとっては使い道のある大切な教授なのだ。
しかし、そういったこともよく分からないぐらい妄信的で、物事を客観的に認識できていないのが、現在、韓国の教会に残っている大部分の信徒だな。
議論すると、頭がおかしくなるよ。
米本氏が武藤君のことを取り上げていたが、
彼は「お母様を非難した時点で、統一教会の信条から外れているわけだから、もう食口じゃない」と罵倒する。
神山元会長の講演に参加するな、と韓国教会員にメールを送っていたセジョン教会の教会長・青野君もそうだ。
呉教授と同じで、韓鶴子さんは絶対だというだけ。
2人とも原研卒。原理のことは勉強していただろうになぁ。
「お母様を非難した時点で、統一教会の信条から外れているわけだから、もう食口じゃない」
この言い方は、本質的には中国共産党、北朝鮮労働党と同じ。そのことに気がつかないのだから、知性の劣化はなはだしい。
老シックは消えていくしかないな。
しょせん武藤さんも宗教サラリーマン
しょせん武藤さんも宗教サラリーマンだったってことですね。組織からお金をもらって生活している人は、組織批判、組織の長の批判、組織改善はできないもんだということの証左です。
優秀な国会議員さんだって、いまだに議員定数削減をして身を切る改革をできないんだから、優秀でもない宗教サラリーマンが組織改革なんて無理ですね。トップのポチになったほうが、生活は安泰ですから。
神々の黄昏さんの論考を本文に
神々の黄昏さんが言及している「いつも私のとなりに神さま(統一教会員のブログ)」の記事、<私たちは、お金ではなく「心情の真の愛の富者」!! 《真のお母様のみ言 12.1》>は、非教会員でも唖然とするようなひどい内容だった。
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/410010585.html
ブログ「統一教会の裏真実」でも、痛烈な批判記事が載っていた。
<私たちは、お金ではなく「心情の真の愛の富者」!!なんて言うのでしたら日本に献金を要求しないでください>
http://22448866.seesaa.net/article/410036451.html
ぜひ、ご一読を。
管理人のみ閲覧できます
統一教会が直面する「独生女」神学の問題
>つまり、「神様=お父様=お母様」という三位一体論です。
>したがって、お母様は、「生きた神様」であり、過ちは一切ないということです。
お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。
*‘いつも私のとなりに神様’ブログ12月03日の記事より
>天は私たちのためにすべての文明を誕生させて下さいました。
今これを適切に使用して、真の父母様を世界の前に誇るべきです。
>真の父母様のみ言通り行い、生きなさい。
そうすれば最後に行かねばならない所で解放を得るでしょう。
米本さんが紹介された呉澤龍教授は韓鶴子氏を絶対化しており、韓氏を擁護する統一教信徒の代表のような存在とも言えますが、その絶対化の根拠は不明で、米本さんが指摘されたように講義内容は理屈にもなっておらず、まったく説得力がない上に統一原理とも矛盾するものです。
その考え方の間違いは上記の上から3番目までの引用文に凝縮されており、それについては米本さんが本文に加えてくださったコメントで間違いを説明したのですが、そのコメントで最後に触れた上記の4、5番目に引用した韓氏の‘み言’は呉教授の‘神学’を前提にしたようなお話なので、特に注目せねばならないと思います。
そのブログ主の伝道教育部長は論理的思考があまり得意ではなさそうなので何の疑問も感じなかったのでしょうが、まともな頭の持ち主なら仰天するような内容の話です。
韓氏は「天は私たちのためにすべての文明を誕生させて下さいました。」とお話されたそうですが、ほとんど幼児なみの発想で小学生でさえこんな馬鹿なことは言わないでしょう。
自分達の教団は神の理想世界を実現する為に神が準備したのであり、世界の文明社会は全てその教団に利用させる目的で神が誕生させたものであると述べている訳ですが、考え方としてはヒトラーのナチズムよりも危険な絶対的支配思想ではないでしょうか。
勿論原理講論にはそのようなことは書かれておりませんし、原理講論を基本とするならば文明に対する理解は、神の創造目的としての三大祝福の中の「神の第三祝福」の観点に基くようになるのです。
それは‘万物世界に対する人間の主管性’を意味し、神がなしたと同様の創造活動を地上で人間が成し遂げた歴史的成果が「文明」ということになるのです。
つまり、神は人間をロボットの如く、神の意のままに動く存在としては創造せず、自由意志と創造的能力を持った、独自で創造活動を行えるような存在として人間を創造したのです。
そして、その人間の独自的創造活動の成果が文明なのですから、そこに神の原理的法則が働いているとは言え、所有権はその創造活動を為した人間の手にあり、神はそのように人間を祝福したのです。
そのように文明を「神の第三祝福」として捉えるのが原理講論が示した文明に関しての基本的な考え方なのです。
よって、「(天が)すべての文明を誕生させて下さいました。」などとは原理講論の根本思想とかけ離れた発想であり、‘原理’を理解できない妄想宗教家の理屈でしかありません。
さらに「これを適切に使用して、真の父母様を世界の前に誇るべきです。」などとは絶対に『文明人』が語るはずもない言葉なのです。
それは言葉自体が意味不明なのですが、その内容を考察して普通の言葉に直せば、「世界中の科学、芸術、経済的成果を統一教会員が自分達の為に利用せねばならないのであり、それらを真の父母様が自由に所有できるようにして、教会員は真の父母様が最高の価値を持った存在であると認め、その真の父母様を世界に誇れるようにならなければならない。」ということになるのだと思われますが、それ以外は考えようがないのです。
それは原理講論と乖離しているどころか、暴言とも言える妄言で、マフィアの親玉の言葉と何ら変わりません。
なにしろ、自分は大した努力もせず、能力もないのに、世の中の文明は全て自分のものにならなければならないと平気で言っているのですから…
‘朝鮮シャーマニズムのDNA恐るべし’と言う以外ありません。
5番目に引用した‘み言’で韓氏が「最後に行かねばならない所で解放を得るでしょう。」と語っているのは明らかに霊界に行った時のことを述べているのであり、霊界へ行った後どうなるかなど生きている人間は検証のしようもないのですから、誰もそれが真実かどうかは知ることができないのです。
ただ、それは詐欺師が用いる常套手段ではあります。
そして、原理講論、第一章、第六節‘人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界’によれば、人間の霊人体の感性、即ち幸福感などといったものは地上で生活している間に形成され、発達することになっていますから、地上で束縛され、いつも献金ノルマに追われて窮屈な感情しか懐いておらなかったのに、霊界へ行ったら「解放を得る」などということはないはずですし、原理講論は違ったように説明しているのです。
また、米本さんは今回のシリーズでは最初に徳野会長のスピーチを紹介してくださいましたが、にほんブログ村にある以下のブログが‘分派’などについて語ったものとして徳野会長のスピーチを記事にしていました。
そのスピーチは「独生女」言説と対比すると神学的な食い違いが明らかになり、徳野会長の今後が問われますので、それについてもコメントしようと思います。
http://true-love-family.at.webry.info/201412/article_6.html
>お父様の偉大な実績は人類の真の母を復帰したこと、新婦圏を復帰したことなのです。
>真の父母というのは、人間始祖アダムとエバを蕩減復帰する立場ですから、ペア、夫婦でなければならないのです。
徳野会長の「お父様の偉大な実績は人類の真の母を復帰したこと、」という発言は「真のお母様」こと韓鶴子氏がネット上で受けている批判に対して、韓氏を擁護する立場で語ったものですが、7/1韓講話が‘火の粉を払え’などを通して既に知れ渡っていることを考えると、呆気にとられるしかありませんでした。
7/1韓講話・「独生女」発言が問題視されているのは「真の母」こと韓鶴子氏が6千年前から天が準備していた‘神の独り娘’で、既に胎内で血統転換された無原罪の立場で誕生したことを主張していた為であり、文先生の教えとは全く異なっているからなのです。
さらには文先生が無原罪となったのはイエス様と出会って、その使命を受け継いだ後であったとも述べており、その血統転換論は文先生と韓氏では全く違ったものになってしまっているのです。
したがって韓鶴子氏を批判から守り、擁護するのであれば、呉澤龍教授のように『お母様の言動は、すべて完璧に「真理」なのです。だから、お母様が「自分は無原罪として生まれた」と言ったらそれが正しい』と言う以外にないのです。
間違っても、「(お父様が)真の母を“復帰”した」などと語ってはならないのです。
韓鶴子氏が“復帰”された存在だったとしたら「独生女」言説は根本から成立しなくなってしまうのです。
7/1韓講話は確かに教会内においては極力話題にならないように内容を隠されているのかも知れませんが、少なくとも‘にほんブログ村・統一教会カテゴリー’では大きな問題になっており、余程の馬鹿でない限り、ブログで韓氏を擁護することを目的として「独生女」言説を否定するような記事は書かないはずです。
しかし、‘平和を愛する天国人 さん’は上に引用した、その「独生女」言説と矛盾する徳野会長のスピーチ部分をわざわざ太字強調しており、驚かずにはおれませんでした。
黒い羊さんではありませんが、「おい、おまい、気は確かか?目はちゃんと見えてるか?」というのが実感でした。
ネット上で「独生女」言説の是非が大きく問われている時にこのようなスピーチができる徳野会長や記事にした‘平和を愛する天国人 さん’は もし韓総裁への反逆者でないとしたら、完全に頭の歯車がおかしくなっていると考えるしかないでしょう。
今回の‘今日もいいことがある!統一教会員のブログ’の記事を見て以来、ブログ村のランキングに載った彼の写真を見るたび、無知な人間の典型的な顔に見えてきて正常な人にはとても見えなくなってしまいました。
それは徳野会長も全く同じであり、このように教義などお構い無しで、高額エンドレス献金集めだけは絶対不変なのが統一教会の宗教サラリーマンの馬鹿な実態なのですから高額献金に協力するなどもっての外だと思います。
ただ、韓氏が「独生女」神学を正式に掲げた後にこれらの徳野会長や‘平和を愛する天国人 さん’がどのような発言をするのかは注目であります。
もし、今回書いた記事が信念通りだったとするならば、「独生女」神学は肯定できるはずがないのですから、しっかりこれら公職者たちの今後の言動に注目したいと思います。
しかし、徳野会長は相変わらず平気で原理講論と矛盾することをスピーチで語っており、これが日本統一教会会長かと思うと情けなくなってきますし、その行っているコンプライアンス違反などを考えると、それが次第に怒りの感情に変わってしまいます。
上に引用したスピーチでは「真の父母というのは、人間始祖アダムとエバを蕩減復帰する立場ですから」と語っていますが、「蕩減復帰する」のは「堕落人間」の立場にある者の使命であり、統一原理から考えたら「真の父母」は「堕落人間」ではないはずなので、「蕩減復帰する」必要はなく、アダムとエバが未完成期に堕落した為に完成できなかった第一祝福(個性完成)と第二祝福(家庭完成)を最後まで完成できるように人類を導くのがその使命であり、立場であるはずです。
その程度の統一原理の理解なのですから、多分韓総裁が文先生の今までの‘御言葉’と全く矛盾した神学を掲げたとしても、“ポチ”の本領発揮で今まで自分が語ったことなど、知らん顔になるのだと思います。
ある意味、その程度の頭脳と精神だからこそ統一王朝の属国会長が務まるのだと思います。
お知らせ
またcocoaさんの「幹部のたわごと」の記述も、追記情報として末尾で紹介しました。教団幹部の作戦が透けて見えてきて、笑えます。
http://ameblo.jp/tldo5223/entry-11962008562.html
是非、ご一読を。
千尋さんありがとうございます
1年後に書くのは何ですが、金榮輝会長の証言で決着ですね。
https://nqj17437.wordpress.com/2015/12/13/%E9%87%91%E6%A6%AE%E8%BC%9D%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%AE%E7%8B%AC%E7%94%9F%E5%A5%B3%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%84%8F%E8%A6%8B/
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