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あなた方は、なにをそんなに怯えているのか!? 

統一教会考(68)

末尾に追記情報九州のある教会の公文(10月2日午後) を掲載しました。

末尾にさらなる追記情報粛清が始まった(10月11日)を掲載しました。

 

 前回の記事、「火の粉・公文-お母様が恋愛結婚をお認めになり、事実上、血統転換を否定されました! 」は大きな反響があった。17日から今現在(28日16時)までのアクセス件数は延べ3万1508件(管理画面からの集計)、コメント投稿数は142本。
 記事掲載中に、トータルのアクセス件数は200万件を突破した。
 感慨深いものがある。
 ブログを開設したのは、2009年の2月1日。それから1カ月後の3月1日の記事は「アクセス件数6000達成 」(コメントは2件)、その20日後の記事は「アクセス&リンク」 (アクセス件数1万。コメント1件)。
 センチメンタルになるけど、少しばかり、じ~ん、である。
 200万件を突破したのは、私個人の力ではない。内容ある投稿、そして読者から個人メールでいただいた数々の情報のおかげである。
 心からお礼申し上げます。

 てな個人的な感想はさておき、統一教会名誉会長の神山威氏の日本講演と講演を妨害する動きについて書いておく。「9・12フツウ結婚」以後の動きは次回に。

久留米にも断食おじさん

 神山氏の日本講演(東京・名古屋・久留米)は、霧散させられることなく、無事終了。慶賀である。
 私は、久留米会場に出かけた。
 予想した通り、断食おじさんこと、松濤本部・歴史編纂部長の井口康雄氏がいた。
 な、なんと、開演2時間前の12時から!会館の玄関口で、神山氏の到着を待っていたのだ

 私の姿を見つけると、つかつかとやってきて、「やあ、米本さん」。ここまではいいのだが、私の前に立ちはだかり、早口でなにやらしゃべり続ける。私が写真を撮るのを気にすることなく。 「火の粉ブログのアクセス件数が200万件・・・」「エイトと同じだ」。意味わかんねえ。
 要するに、前回の記事の末尾に書いた「追記情報:松濤・歴史編纂部の井口に警告す!(9月19日昼前)」が気に食わなかったようだ。まあ、あそこまでおちょくれば、文句の3つや4つ言いたくなる気持ちはわかる。

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 それにしても、威圧感があるよね。軽く胸でもつつかれたら、体重58キロ(大腸がん手術前は60キロ)はおむすびコロコロころりんだ。
 5分間ぐらい立ちふさがっていたか。その間、写真を10数枚撮らせていただいたが、いま眺めると、目線はすべて私ではなく、あらぬ方向。上掲の写真も私に文句を言っているところ。
 小心だからか。いや、それは違うな。私と“相対”(統一教会用語)したくないからだ。相対して議論になれば、私と基準が同じになってしまう。それに、議論すれば負けるに決まってる。だから、一方的にしゃべり続けた・・・。

 “相対基準”を結んでくれたら、こんな質問をしただろうな
<何しに来たの?>
<選挙に立候補しているわけではないのに、なぜタスキ?>
<「40日リレー断食祈願」って何のこと?>
<どうして、東京だけでなく、名古屋、久留米までやってくるの?ひょっとしたら神山さんのおっかけ?彼が好きなの?>
<旅費はどこから出ているの?>
<講演会場に熱心にやってくるのに、どうしていつも講演を聞かないの?>


断食芸人

 久留米会場でも、受け付け係の婦人たちが「どうぞ中に入って」と、何度も誘うが、会場の前を動こうとしない。参加者たちは「あの人、何しに来たのかしらねえ~」
 断食おじさんのカラミは、2階の会場前でも始まりましたねッ。記憶に残っているのは、
「米本さんが後藤さんの裁判に貢献したことは評価している」だって!
 なにぃ、この上から目線。<てめえなんかに評価させたくねえよ>と、毒づきたかったけど、相対基準を結ばないことにした

 熱心な「神山おっかけ」を評価して、井口さんのことをもう少々。
 前回の記事では、40日断食を3回か4回かと書いたが、正しくは9回であった。断食するたびにリバウンドで激太になるとか。
 統一教会に「蕩減(とうげん=罪滅ぼし)断食」という言葉があるそうだが、彼は9回も40日断食しなければならないほどの大罪を犯したのか。井口さんより先輩格の食口に聞いたが、苦笑して、さあ・・・。
「少なくとも、蕩減断食は内面の問題だから、周囲の人に断食したと宣伝するのは、井口ぐらいだろうな」
 まあ、こうした散漫的なことを綴るより、暗在翔子さんが前回記事のコメント欄に書いた、愛ある井口論を紹介したほうがいいだろうな。

『断食芸人』

カフカの作品に『断食芸人』という短編がありましてね、思い出しました。

ウィキペディアより引用:
<あらすじ>
断食芸はかつては人気の芸だった。
断食芸に対して町中が沸き立ち、断食が続くにつれ、断食芸を間近で見るために席を予約するものまで現れたほどだった。断食芸人は格子の付いた檻の中に入り、敷き詰めた藁の上に座ってじっとしている。檻の中には他に時計が置かれているばかりである。
断食芸人は時おり水で口を湿らす他は何も口にせず、また人目に隠れて物を食べないようにと常時見張りが付いている。芸に対して誇りを持っている断食芸人は、見張りが厳しければ厳しいほど喜んだ。
興行は決められた日数である40日間続けられ、それが終われば音楽とともに人々の間に出迎えられる。しかし断食芸人は、40日で断食をやめなければならないことに不満であった。

今では断食芸の人気はすっかり衰え、断食芸人は相棒の興行主と別れてサーカス一座と契約を結ばなければならなくなった。断食芸人の檻は動物小屋とともに並べられるが、珍しい動物を見にやってきた人々は断食芸人に興味を示さない。断食芸人はすっかり忘れ去られてしまうが、今や自分が望むだけの断食を続けることができた。
ある日、監督が断食芸人の檻に気が付いた。藁屑を掻き出すと、断食芸人がまだ断食を続けている。問いかける監督に対して、断食芸人は「自分に合った食べ物を見つけることができなかった」と述べ、息絶える。
断食芸人が片付けられると、その檻には生命力に溢れた豹が入れられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%AD%E9%A3%9F%E8%8A%B8%E4%BA%BA
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カフカの断食芸人は、「自分に合った食べ物を見つけることができなかった」と言い、生きる悲哀を見せながら自らの芸を貫いた一種の哲学的存在ですが、
こちらさんで話題になっているタスキー派の断食芸人I氏はどうも底が浅くていかんですな。
統一教祖関係者は脇役としては面白くてもそのままでは主人公にはなれそうもない人たちばかりです。
[2014/09/24 13:02] URL | 暗在



威圧的な韓国人幹部の名は安ヨンソプ

 話を戻し、神山講演のこと。
 世界公文が流されたのは、前回の記事で書いた。
「世界本部は、各国の教会責任者たちが指導者と食口達に対して、今回の不当な集会に参加しないように公文と教育を通じて周知を徹底する一方、これらから信仰的に悪影響を受けないように徹底的な管理と教育を同時に実施して行くことを勧告するところである」
 日本会長の徳野英治(敬意敬称略)が権威づけのために日本公文ではなく、世界公文にしてくれと頼んだらしい。情けないポチ。
 これを受けて、ポチのポチ教会長は教会内で「神山講演に参加するな」と通達したり、教会の掲示板に「参加するな」と張り出したり。

 21日の東京会場での出席者は100人強だった。
 最寄り駅の久我山で、2人の教会員(名前特定できず)が顔見知りの教会員を見つけると、行くなと説得していたそうだ。
 会場前には井口氏のほかに家庭教育局長の佐野邦雄氏、総務局長の矢野治佳氏、伝道教育局長の方相逸氏、安ヨンソプ氏が顔を出した。いずれも会場に入らなかったというから、偵察のためだろう。
 方と安は韓国人。安氏は対外協力局長だったはずだが、この春に組織が再編されたため、現在の役職は不明。対外協力部長だと思うが。同氏は文顯進&郭錠煥狩りで名を馳せた人物と聞いている。
 
 笑えるというか統一幹部の程度がわかるエピソードを一つ。
 会場前の路上で、ガタイのでかい安ヨンソプ氏が神山氏に威圧的な態度で迫り、喚いた。
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 神山氏は「あんたのような威圧する韓国人は嫌いだ」と相手にしなかった。
 これが松濤本部にかかると、「神山は『韓国人は嫌いだ』と話した。反韓になった」。言葉狩りの低レベル。呆れるばかりだ。
 ちなみに、神山氏の娘は文鮮明氏のいとこの子ども(韓国人)と結婚している。文家の外戚である。
 みんなさん(現役教会員)の前回のコメントの一部を紹介しておく。

局長が…、恥ずかしい

 唖然とさせられるのが、家庭教育局長以下、幹部4氏が参加者を偵察しに来たという事実。神山氏に何か言いたいことがあれば、直接話すなり、講演後の質疑応答の時に言えばいいだけのこと。 なのに、4氏は会場周辺で、参加者たちの顔ぶれをチェックしていた、という。
 つまり、神山氏と接触する信者を調べ、その信者が神山氏を支持しようものなら教会から追放しよう(破門にしよう)という腹なのだろう。
 やり方が汚い、というか、根性が腐っている。
 局長ともあろう人間が、信者の排除のために、公安(官憲)まがいのことをする。どうしてそんなことができるのか。
 ああ、恥ずかしい。

 これまで「局長」という方々をよく知らないまま尊敬していたが、そのことを心から悔いる。
 この組織では、どんなに功労・功績があっても、上の方針に対して異論・疑問を持ったら、神山氏と同様に、排除されるのだろう。 排除されるばかりか、悪者としてレッテル貼りされて、孤立させられるのだろう。改革などできようがない。
 ああ、嘆かわしい。
 こうした幹部らによって、文鮮明師のダンベリーでの偉業も神山氏排除とともに封印されてしまうのだろう。



名古屋会場には5人の教会幹部が

 24日の名古屋講演の参加者は80人強、久留米は40人強だった。
 東京講演の場合、対象が東京、神奈川、埼玉と広域だったため、個別対策はしなかったようだが、名古屋、久留米の場合は、参加しそうな教会員に電話をかけて、「行くな」と指示した。
 その結果、名古屋の場合、事前に申し込んでいた人の3割がキャンセルした。 

 偵察の話である。
 名古屋講演では、地区長のスタッフ4人と教区長が出席した。
 講演後、この5人と井口氏らが検討会を開いた。だみ声、大声で話すのは井口氏のみ。彼より格上の幹部たちは沈黙がちだったという。 無内容であっても大声で押し通せるのは統一教会ぐらいだろう。猛獣の唸り声にたじろいだのかしらん。

 面白話。
 名古屋の会場前で、井口氏は神山氏に、東京での安ヨンソプ氏の非礼な態度を詫びた。おっ、なかなか良いとこがあるんじゃんと思うだろうが、豈はからんや、検討会で井口氏は神山氏のことを罵倒した。
 2枚舌である。
 神山氏が笑いながら、井口氏の過去のエピソードを教えてくれた。
「彼は万物復帰(一般社会では行商)で、足の不自由な身体障害者を装って、物売りをした。玄関を出ると、とたんに健常者となって、さっさと歩きだした。(笑) このやり方を部下にやらせていた。有名な話だ」
 2つの顔を使いわける人物ということだ。

 前回の記事で紹介した「断食屋」の一節を紹介する。
「彼の実績とは・・・ 原理研究会の万物復帰(行商)で、土下座トークを兄弟に強要したり、『買ってくれなくても、留守でも、何か条件を神側に奪って来い』と、純粋無垢な姉妹に万引き?(庭の柿を取らせたり、玄関口にあるボールペンを取らせたり)そういうことをさせて、世間から “統一教会は どろぼう集団だ” と言わしめる元凶を作った張本人」
 障害者なりすまし作戦のあと、土下座作戦に切り替えたそうだ。
 未読の方は、是非記事全文を読んでください。抱腹絶倒です。

「本当は気が小さい。どんな小者でも、井口に大声を張り上げると、彼はびびりあがってしまう」(「脱会屋」)というから、私を見ずにしゃべったのは、たんに小心モノのせいだったかもしれない。

 それにしても、統一教会名誉会長の神山氏が講演するというのだから、「596番のブログ」が書いている通り、「神山会長の講演を聴けば済む話」 。これが世間の常識である。


韓鶴子の指令:神山講演を成功させるな!
 
 統一のスローガンは 「許せ 愛せよ 団結せよ」だったはずだが、神山講演に対しては「聞くな 行くな 団結せよ」 だ。また、「行けば、隣の食口はあなたたちの友だちでなくなる」と陰湿な脅しトークも使っている。反統一教会びとではなく、仲間に対して!である。

 統一教会の幹部たちは何をそんなに怯えているのか。これが最大の謎である。
 
 それは、真のお母様こと、女メシアこと、韓鶴子氏が「神山講演を不成功に終わらせよ」という指示を出したからだ。
 ではなぜ、韓鶴子氏は神山氏を煙たがるのか。
 それは、「7/1韓講話」にすべての源がある。

・ここに座っている真の母は、「6千年ぶりに誕生した独り娘です。証拠がちゃんとあります」
・イスラエル民族を通して独り子を送るまで聖別してこられた選民の歴史があります。「血統転換」、私は胎中にいる時からそうなのです。皆さんがこのことを信じなければなりません。
お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。分かりますか?そのことを分からなければなりません。


「今までの統一教会の公式的な見解では、お父様は生まれながらにして『独り子=メシヤ=無原罪=神の血統』だった。イエス様から使命を引き継いだ瞬間に独り子になったというみ言はないし、教会にそんな教えはなかった。
 お父様は生まれながらにして『神の独り子=メシヤ=無原罪=神の血統』なのであり、そのたった1人のメシヤを通して全人類を『サタンの血統から神の血統』へ『血統転換』していくのが原理の教えるところだ。したがって真の母といえども、血統転換されるまでは原罪がある」
 これは京大原研出身の6500双食口の感想だが、原理に精通している食口いや松濤本部の執行部とて同じだろう。

 繰り返しになるが、重要なことだ。
 文鮮明氏(天上界)は生まれながら無原罪、神の血統。韓鶴子氏は堕落世界に生きていたが、文鮮明氏と結婚したことによってようやく無原罪、神の血統に転換された。
 この原理を、韓鶴子氏は文鮮明氏は神の啓示を受けた段階で「無原罪=神の血統」となった。これに対して私は胎内にいるときから「無原罪=神の血統」だったというのである。

 わかりやすく言えば、「7/1韓講話」によって、文鮮明は絶対の座から相対的絶対の地位に引きずり下ろされ、代わって韓鶴子が絶対の存在になった-というわけだ。一種のクーデター(女権政権の確立)である。ちなみに,今回の2人の末娘のフツウ婚もこの延長線上にある。

 ピンと来ない方は、こんな例を想像すればいい。
 メガ教団・創価学会の絶対は病気療養中といえども池田大作氏である。その池田大作氏が亡くなった後、長男の博正氏、三男の尊弘氏を差し置いて、妻の香峯子(かねこ)氏が「私が絶対なのだ」と宣言する。
 全国紙はビッグニュースとして一面で報じるだろう。おそらくクーデターの語句も使用するはず。

 今回の統一教会の異変のことが報じられないのは、マイナー教団に過ぎないからだ。あまたある新興宗教の内部問題をいちいち報じていたらきりがないという感覚だろう。週刊誌なら書いてもよさそうだが、おそらく原理用語に幻惑され、事の本質が見えないゆえのことだと思う。

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 お父様が絶対だったのに、これからはお母様が絶対だという。古参教会員の神山氏(12双。同格は周藤、小山田など数人)が疑問を口にするのは当然のことだろう。声を上げないほうがどうかしている。
 しかし、現実は声をあげるどころか、言論の封殺にかかる。
 それは、宗教サラリーマンだからである。
 お母様の指示に従わなければ、クビになり、路頭に迷うことになる。
 

お母様は暴露されるのが怖いのだ

 哀れなのは、教団の教学担当の大田朝久氏である。先の「統一教会の公式見解」を発表した人である。
 それなのに、神山講演録をもとに反論する動画を発信した。http://trueparents.jp/?page_id=1451
 大田氏は実にいい人である。しかし、一片の矜持などまるで持ち合わせていないようだ。無残というしかない。
 数年前、文顯進&郭錠煥氏のことで、韓国から原理的に彼らの動きを説明する理論を打ち出せと言われて、何日間も部屋に閉じこもっていたことを思い出す。
「7/1韓講話」のときに、私は心配して、大田氏の上司に「彼の精神は分裂するのではないのか。心療内科に通っていないのか」と真面目に聞いたことがある。いや、元気だという返事をもらった。
 カラスは黒だ、その根拠を書けと言われればその通りにし、カラスは白だと言われればせっせとその根拠を書く。ノーテンキな小官吏ということだろう。
 なお、私はチェックしていないが、先の動画で神山氏の言葉として引用しているのは火の粉ブログのコピペだという。「火の粉の釜山講演録と一字一句同じですよ」。私がメールしてもシカトとしながら、ちゃっかり、コピペする。「心」なんぞ持ち合わせていないのであろう。
 
 大田氏のアベルに忠告しておく。「神山威氏の講演の誤りを後日、正式な映像として制作せよ」なんて大田氏に命令するよりも、「文先生の2人の娘の恋愛結婚を原理的に説明する論文を書け」といったほうが組織から離れていく人が少なくてすむ。理解できないだろうが。

 とまれ、韓鶴子氏がことのほか神山氏を嫌うのは、文鮮明氏晩年の2年間、ヨスで、一緒に暮らしていたからだ。このとき、文鮮明氏は韓鶴子氏のことをホンネで語っている。それを暴露されるのが怖いのだろう。
 後日のブログで、真のお父様のホンネを暴露する。乞ご期待。

 こんなわけで、神山講演を不成功に終わらせろは、韓鶴子氏の絶対命令と言っていいだろう。
 どのように行動したのか、逐一報告するようにとも指示している。
 徳野はこう報告した。
「神山を呼びつけ、あなたは真のお母様を裏切っている。謝罪すべきであると追求しました」
 嘘ばっかし
 神山氏は釜山での講演を終えてから、東京に立ち寄り、徳野や大塚克己氏らを呼びつけ、苦言を呈し、公開討論会をやろうと持ちかけた。
 徳野はしどろもどろ。「お母様に会ってください」というばかりだった。12双と6000双とでは格が違いすぎる。


教勢は衰退、幹部の頭はいよいよ低能に

 拉致監禁を体験した東京在住の婦人食口の感想である。
「世界公文がきただけで、うちの教会では行くなという指導はありませんでした。行くななんて指導があれば、みんなつまずきますよ~ぉ」
 この感覚が教会員の平均レベルである。
 妨害工作をすれば、つまずく。久留米会場で婦人食口が語っていた。
「当初は参加するつもりはありませんでした。しかし、行くなという指示が来た。そのメール文を誰かに転送すれば、処分するとまでの強圧的なものでした。そうなれば、是が非でも参加したくなります。霊の子を誘って参加しました」

 統一教会はお笑い統一教会からさらに進化を遂げ、ついに低能教会になった。
 私が指導部の一員なら、韓鶴子氏に「講演を不首尾に終わらせるには、無視するのが一番です」と提言し、何の行動も起こさない。
 ところが、現実は・・・。騒ぎ立てるから、神山氏の東京・名古屋・久留米講演はすっかり有名になってしまった。バカというしかない。

 後日、釜山講演で話さなかった神山氏の発言を掲載する予定だが、ここでは全講演記録をメモ風に綴っておく。
 ニューヨーク公演、4日間延べ320人(主に日本人)。
 ワシントン50人。
 ソウルの午前の部、300人(主に韓国人)、午後の部、50人(主に日本人)
 天安50人強
 テグ50人。
 日本講演、トータル230人強。
 合計すると、1000人以上の教会員が講演を聞いたことになる。ニューヨークの前にはソウルと釜山で講演している。それらも含めると1500人弱か。
 
 1500人は世界統一教会員(10万人)の1・5%にすぎないが、依存症気味の教会員と違って、問題意識をもち、自分で判断しようとするレベルの高い人たちである。

 世界統一教会本部に注意を促しておくが、神山氏はグループを形成しているわけではない。アメリカからやってきたのは神山氏とかっての部下(777双)それにビデオ撮影する人(1800双だったか)の3人だけである。各会場で受け付けなどをしていたのは神山講演を成功させたいと協力を申し出たボランティア食口である。日本の本部が今後強圧的な態度に出れば、グループが形成される可能性がある。

 久留米会場での話である。
 私は出雲空港行きの時間の関係で、閉演15分前の4時15分に会場を出た。
 驚いたことに、井口氏が出口のところに椅子に座っていた。なんと2時間以上も。 周囲に檻があったと想像すれば、まさにカフカの断食芸人そのものである。
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追記情報九州のある教会の公文(10月2日午後)

 九州のとある教会から教会員に流された公文は以下の通りです。

●△教会 全食口の皆様

 日本UCの元会長であった神山威氏について世界本部及び日本本部から通達がきておりますので全食口皆様にお伝えします。
①教会員の皆様は、久留米で9月26日に開催される神山威氏の集会には参加しないように。
②神山威氏は、反摂理的集団であり、御母様の価値を完全に否定する郭グループの一員であることを公式的に表明した。
③神山威氏の集会の結論は、御母様とUCに対する批判、そして、参加者にUCとの訣別を促す内容となっている。

 以上の内容となっています。
 この件で心情的に整理できない方は、基台長に連絡願います。
 個別にCH長から説明します。


 これとは別に、このメール公文を転送した教会員は処分するといったペーパーも流されていた。

 また、777家庭会の会員に対してこんな公文も流されている。

777家庭会の皆様へ。
本部からの公文を送ります。
会長 中田欣宏

 御聖恩感謝申しあげます。
 神山威元会長に対する、「神山威氏の講演に対する「反論文」をサイトに掲載」
として公文を送ります。
添付ファイルで資料も送ります。
また、解説映像を下記URLをクリックしてDLして下さい。
9/30までDL可能です。それ以降は不可です。
https://otodoke.ten1.info/file/download.aspx?ID=ffajl055gn

※詳細は添付ファイルを確認して下さい。
総務局 矢野 治佳局長
2014/09/26 19:52


 教会本部の必死さが伝わってくる。
 しかし、アホ幹は、締めつけを厳しくするほど、つまずく教会員が増えていっていることに気がついていない。数年前までなら、アベル-カインという組織運営(絶対なる上位下達)が通用しただろうが、文鮮明氏が亡くなり、地上天国の実現が不発に終わり、and統一教会の変質が始まって以降、現場レベルではアベルの指示が絶対ではなくなりつつある。そして、神山攻撃によって自壊の道を加速させている。そのことに気がついていないのだ。
 左翼用語でいえば、激しい「情勢ボケ」であり、アホ幹は「教条主義の左翼小児病」に陥っている。 嗚呼、アージュである。

 なお、アホ幹に注意を促しておきたいことがある。君たちは、釜山での神山講演録のアップと今回の記事を読んで、米本は神山と連動していると邪推しているようだが(激しい情勢ボケ)、私がどんな団体、個人とも距離を置いていることは、教団本部中枢が知っている。変な勘繰りをするのは時間と能力の無駄づかいということを、老婆心ながら、お伝えてしておく。 


さらなる追記情報粛清が始まった!(10月11日昼)



 神山講演の久留米会場で知り合った婦人教会員からメールをいただいた。それを紹介する。

 神山会長の集会に参加した教会員は、反対派という言われなき烙印をアベル食口から押されました。
 私の親友は、直接電話で反対派になったと言われたそうです。兄弟姉妹として今まで共に歩んできたはずなのに。
 なぜ、神山会長の講演を自分の目で見て、自分の耳で聞いて判断する事が出来ないのか、悲しい限りです。
 今までの信仰は、盲目的に信じる事が「善し」とされてきたと思います。しかし現在は科学も著しく発達し、私の思い違いでなければ、真のお父様も、以前のみ言で「今の時代は、宗教も科学的に解明されなければならない…云々」と、言われていたと思うのですが…。
 食口の中には、教会に対して不平不満、疑心暗鬼の人が大多数いらっしゃるのでは?

 私たち食口は、神様-メシア-そのメシアが説かれた原理、この点で繋がっているはずです。実際、私自身がそうですから。
 神山会長イコール反対派、イコール郭グループ、この構図はいったいどこから来たのでしょうか?最初の言い出しっぺは誰なんでしょうか?
 最後に問いたいです。幹部の方々、そして反対派と非難する食口の皆様、あなた方は神山会長のように、真のお父様と一緒にダンベリーに行けますか?もっと大人の対応をして頂きたいと、切に願ってやみません。
(引用終わり)

 ことあるごとに仲間にレッテル(「人民の敵」)を張り、排除していったのは共産主義者(スターリン)だった。幹部の意にそわない者を排除すれば、末端のメンバーには恐怖心がわく。その結果、結束力はより強まるが、同時に脆くなる。鉄の結束力を誇っていた東欧の社会主義国家は、1989年の東欧革命によって一挙に瓦解した。
 勝共を唱える統一教会は、なぜ社会主義国家の崩壊に学ぼうとしないのか。不思議でならない。
 今の統一教会は確実にスターリン化していっている。終わりは近い!



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コメント

あなた方は、なにをそんなに怯えているのか

京大原研出身の6500双ってよく出てくるけど、私が知ってる奴かな?

京大原研出身で6500双は人数が限られる。

元学舎長の奴なら知っている。

文先生の本音の話が気になるね。

隠せぬ大罪

再臨のメシアをボケ老人扱いし、天の摂理を頓挫させたことは、大罪以外の何物でもありません。そのことを隠蔽する側に立つことも、大罪です。事実は必ずや明らかになるでしょう。

ご存知の方、教えてください。

神山元会長の現在のスタンスはわかった気がしますが、神山元会長の奥様は、同じ考えで活動されているのでしょうか?
奥様も影響力のある方ですし、その考え、行動が気になります。

公開討論会を是非!

韓婦人が「私こそ神」宣言される一方で、亡き文氏が孤独だと主張することは、結果的に婦人を全否定することになるとは前回コメントした通りです。
誰も霊界のことは検証できない以上、どちらが正しいかは水掛け論で不毛な議論に思えます。
かたや生涯連れ添った伴侶以上に夫のことを理解する者はいないと主張する。
かたや男系の後継以上に大切なものはなく、故人の遺志を真の意味で理解するのは夫人ではないと。
教祖が生涯訴えてきた、宗派間の壁の撤廃とはいったいなんだったのか?
おそらくそこにおいては、仏教や回教の教義がキリスト教と比べて劣っているなんてことは問題とはならなかったはず。違いを認め合って一つの目的に向かっていくのでありさえすれば。
神山先生は公開討論会を提案されていたとのことですが、何故そのような対話の場を活かそうとしないのでしょうか?記事のタイトル通り、何を恐れているというのでしょうか?
教会には散々失望させられてきましたが、言論統制して異質分子を排除する今の状況は、和合とか融和といった、本質的に目指してきたものを完全に放棄しているように見えます。
本当に腹を割って話し合えば、立場は異なっても神を愛する気持ちは同じことにお互い気付くはずであり、腐敗しているとされる現行幹部にすら、その土台はある(と信じたい)のです。
原理講論では腐敗の成れの果てのように記述されるカトリック教会は、確かにある時期までは今の統一教会のように、世俗的な権力を維持することに汲々としていました。
しかしある時期より、紛争解決など社会的な貢献の道を見出だし始め、ついにはプロテスタントとの対話にも動き出したのは歴史から学ぶところです。
カトリックの場合はナポレオンをはじめとした世俗からの糾弾が原動力でした。やはり現行幹部の金と権力への執着を解く、大きな外圧が必要なように見えます。

相変わらず、言行不一致

Global Youth Festival2014 で、文善進(5女)家庭連合世界本部長が代読した韓鶴子総裁の基調演説の中に「すべてのことに感謝して、敵までも許して、近所の人を自分の体のように愛して、平和のために一つになろう。」という言葉がありました。
(※上記の基調演説内容は「奇知外記」ブログ:青年1万人熱狂・・・から引用しました)
⇒この言葉を徹底遵守してください。

でも実際は、真の家庭問題あり、統一教会の内部闘争あり、あげくに、本部局長たちの神山名誉会長の講演偵察あり、いったい、どこから、どの口からこういう言葉が出てくるのか?

さらには、記事中の過去エピソードとして、足の不自由な身体障害者を装っての物売り? 万物復帰でこんな事してたんですか? 嘘をついてでも何でもいいからとにかく神側に条件をたたせる、後で霊界で感謝される とか、そういう感じだと思いますが、神の名を口にしながら嘘をつき、相手をサタン視しサタンの舌を使い、相手の良心を利用して金を稼ぐ。復帰という名の金稼ぎ活動。これがいまだに続いてるんだと思います。しかし、相手のことを永遠に責任もつという心情・・・椅子に座った後ろ姿(統一教会員の姿)からは微塵も感じられないですね。
⇒恨みの思いを背負って大変になりますよ! 文教祖も「したようにされる」と語ってたと思います。

嘘つき活動、断食活動、宗教人としては難しい選択と安易な選択の中で、いつも安易なあるまじき選択をしてきたのが統一教会だと思います。また、記事中の韓鶴子氏の「私は胎内にいるときから「無原罪=神の血統」だった」という言葉はなんかひっかかりますね。文教祖の娘だったら成立するような・・・?

パシセラ関係は削除しました。

 パシセラ関係のコメントは、すべて削除しました。ご了承ください。ぺこりぺこり

信徒を信頼しようよ

今回のブログは、本当に待ち遠しかったですね。
久留米での神山氏講演会がどうだったのか、気になって気になって…。


・世界公文で「集会に参加しないように」「徹底的な管理と教育を同時に実施して行く」と…。
・教会の掲示板に「参加するな」と張り出し…。
・参加しそうな教会員に電話をかけて、「行くな」と指示…。
・「行けば、隣の食口はあなたたちの友だちでなくなる」という陰湿な脅しトークも…。
・「行くな」というメール文を誰かに転送すれば、処分する…。

おいおい、何やってんだい、うちの教会(公職者たち)は~。
ああ、嘆かわしい。
みっともない、ったら、ありゃしない。(>_<)


どこまで信徒を愚弄すれば気が済むのか?
もう少し、信徒を信頼できないのかい!


仮に神山氏の話を聞いたとしても、その主張が間違っているかどうかくらい、信徒自身で判断できる、っちゅうの。


神山氏はエンドレス献金のこと、隠し子問題、清平不正問題、情進問題…など、信徒が疑問に思っていることに対して、時間の許す限り回答する、という姿勢だったという。

これに対して、現・教会執行部は「聞くな」、大本営発表を信じろ、ネットは見るな…。
<言論の封殺にかかる>
<(教学担当者が)カラスは白だと言われればせっせとその根拠を書く>

ふ~。
仁進問題については、未だに事実関係の説明すらしていないんだから、まったく話にならない。(T_T)


神山氏を信じるな、本部を信じろ、と言ったところで、正直に説明責任を果たそうとする神山氏に信徒が靡(なび)くのは仕方がないだろっ。


監視、威圧を乗り越えて、東京で100人、名古屋で80人強、久留米で40人強が参加―。
参加した方々には心から敬意を表したい。偉い!


ちなみに、うちの教会長は昨日の礼拝で「お母様はお父様と一体」という理屈で、神山氏を非難していたが、そんなことで信徒を納得させられると思っているのが残念でならない。

夫婦が「一体」だといっても、夫の能力を妻が持つわけではない。
「一体」だからって、すべてが正当化できるわけでもない、っつうの。


どう考えても、信徒を信頼し、説明責任を果たそうとする神山氏に、分がありますね。

水蒸気爆発

 みんなさんの投稿に拍手の一票です。ほんとにその通りです。

 名前を明かすなと言われているので実名は書けませんが、かなり格上(徳野氏より上)の人が「神山さんを礼拝堂(松濤本部2階?)に招き、みんなで話を聞いてみよう」と提案したそうです。しかし、封殺された。

 松濤本部に近くなればなるほど、平穏で矛盾はないように感じられますが、食口の実情を知っている現場の幹部(教区長、教区長、教会長クラス)は上からの命令と食口の実情との間で悩んでいる人がものすごく増えている。
 久留米に出かけて、そのことを肌で感じました。

 五十嵐地区長に代表される「良心の呵責を覚えない」幹部が圧倒的に多かったけど、今年に入ってから心に痛みを覚える幹部が急速に増えてきたようです。

 いずれ水蒸気爆発、火砕流が発生する可能性があります。あるいは、逃散が相次ぎ、藩が自然消滅してしまうか。どちらかでしょうね。

価値と能力、価値と個性

みんなさんの意見に同感です。

>夫婦が「一体」だといっても、夫の能力を妻が持つわけではない。

教会幹部は、意識的なのか無意識なのかは分かりませんが、価値と能力、価値と個性、を混同していると思います。真の父母としての価値はご夫妻で併せ持つものでしょうけど、それとご夫人の能力や個性は全く別物です。


しかし、私が万物復帰をしていたときに「身障者トークや土下座トークは問題になったからやるな」と禁止されていましたが、その悪名高きトークを編み出したのが断食おじさんだったとは初めて知りました。こういう人が部長をしている本部って、そうとう末期なんでしょうね。

名前が出ていた佐野局長は千葉修練所での修練会で講義を聞いたことがあるし、矢野局長は何かの集会で司会をやっているのを見たことがありますが、2人ともとても真面目で誠実そうに見えましたが、こんなことをやっているようでは大した器でもなかったようですね。

まあ、基本的にはイエスマンしか幹部になれない組織だから、命令されたら嫌でも偵察に行くしかないんでしょうが、神山さんや三男さんなどが組織を奪還した日には、とたんに消えていなくなる局長、部長さんたちですね。せいぜい、今のうちに貯金をしておくことをおすすめします。

でも、以前本部の近くにいたことのあるという友達に聞いたところでは、「本当の本部組織の癌は、会長や局長ではなく、部長や課長だよ」ということでした。詳しくは教えてもらえませんでしたが、局長は人事でコロコロ変わるが、部長以下はずっとサラリーマンで居続けるから、局長以上の人よりも腐りきっているのだそうです。

多分これは本部だけではなく、地方組織も同じだと思います。地区長、教区長はコロコロ人事で変わりますが、やはり部長以下は動かないサラリーマン。「どうしてこんな奴が総務部長なの?」とかいう無能な奴らがごろごろしています。

こういう奴らの生活費に、私らの献金が使われていると思うと、たまに無性に殴りたくなる衝動にかられるので、そういうときには礼拝をさぼります。そうしないと殴っちゃうから。だから、礼拝人数が少ないからといって、信者を無理やり参加させないようにしたほうがいいよ。どこかの教会で、公職者の誰か殴らたりしたら大変だもん。

話がつながる逸話

toramaruさんへ

http://ameblo.jp/amakis/entry-11335659109.html

公職者全員解雇が最善策

さいぞうさん:「本当の本部組織の癌は、会長や局長ではなく、部長や課長だよ」

もし教会を立て直すなら、公職者全員解雇が最善策だろう。今まで献金で飯を食ってきた者たちは、世の中の荒波の中で第二の人生を歩ませたら良い。その方が本人の人格完成、つまり霊界人生にとっては有益である。

さいぞうさん:「せいぜい、今のうちに貯金をしておくことをおすすめします。 」

これは絶対にやってはいけない。これをやったら、特別快速地獄行きである。

そもそも公職者と呼ばれる者は、公金の恐ろしさを分かっていない。公金で飯を食う、妻子を養う、その怖さを分かっていない。本来、給料など貰わず、無給で公職をするべきだ。むろん、生活費は一般社会で稼ぐのだ。

最近は公職者にも教会が社会保険に入れたそうであるが、狂っている。そんなもの、自分で入れと言いたい。世の自営業者者は皆そうしている。献金で社会保険に入るな。

彼らが公金で生活してきた結果、教会がどうなったのか。良くなったのか、悪くなったのか。一目瞭然である。完全な公金横領である。献金で飯を食ってきた者たちの霊界人生を、私はとても心配する。

新しい指導者によって解雇される前に、早く自主的に給与を返納し、無給で公職に就くことを進言する。もちろん、末端信者のノルマを課している献金(今では50Kか)を、自分も世の中で稼いで献金することは当然のことである。自分でやれないことを他人に強要することも、霊界では引っ掛かる。

公職者諸君、そろそろ霊界を見据えた生活をしていった方がよろしいと思う。霊界に行って後悔しても遅いのだ。

刃傷沙汰

さいぞうさん
>こういう奴らの生活費に、私らの献金が使われていると思うと、たまに無性に殴りたくなる衝動にかられるので、そういうときには礼拝をさぼります。そうしないと殴っちゃうから。だから、礼拝人数が少ないからといって、信者を無理やり参加させないようにしたほうがいいよ。どこかの教会で、公職者の誰か殴らたりしたら大変だもん。

 リアリティある指摘だと思います。

 数年前の前宋総会長時代、松濤にドスを手にした教会員(実名伏す)が乗り込んだことがありました。
 取り押さえて、なだめなだめして、殺傷事件にはなりませんでしたが。

 実際に起きた事件は、1年前の公文さんのシンナー殺人事件でした。
 その1年前には、韓国の春川教会の婦人食口の夫殺しがありました。

 それぞれの事件の性格は異なるけど、根っこは同じです。
 マグマはたまりにたまりつつあります。

コトさんのコメントを再掲します。

 日本3会場での神山講演は、釜山講演とほぼ同じですが、韓鶴子氏への旗幟をより鮮明にしたという印象です。ただし、まだ遠慮しながら。

釜山講演録はhttp://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-497.html

 今回のブログのテーマは、「統一教会名誉会長の神山威氏の日本講演と講演を妨害する動き」なので、神山日本講演に参加した人の感想を紹介することにします。

 最初はコトさんです(前回記事の投稿文)

**************

日記より(9/23)
 神山元会長の講演会に参加した。名古屋の地は初めてであった。地下街の長いショッピング通りを抜け、地上の名古屋国際センターに無事たどり着く。
 5Fの受付前の廊下にタスキ掛けの井口氏と3人の若者(内二人は、タスキ掛け)の姿が目に入る。無言で、無表情の顔の中に、目だけが参加者の動きを追っている。慰労の言葉をかけたい気持ちにもなる。私には、敵も味方も存在しない。
 会場に入る。司会者の挨拶が始まる寸前まで、後ろの壁ぎわで参加者の一人一人を心待ちにされている白髪の神山先生の姿に温かいもの感じる。
会場を見渡すと、誰一人として知った人がいない。しばらくして司会者の名前を耳にし、やっとH氏だとわかった。声だけは昔と変わらない。
白髪混じりの男性が多いのにはびっくりする。同世代だった頃の伝道時代の若き日の我と重なってしまう。あれから日本の先輩たちにとっては、50余年もの歳月が流れる。ふとあの 一言が私の脳裏を横切る。~地上天国をこの目で確認するまでは死ぬに死ねない。~ すでに老齢になられた西川先生のかつての講話での最後の一言だった。すでに他界された先輩の方々も同じ無念の境地ではなかっただろうか...
 神山先生の講話がいよいよ始まる。いつまでも青年のような純粋な心、そしてお父様を慕われる変わらぬ心情には心打たれる。しかし、今の私は、文教祖からも韓夫人からも心情がすでに遠ざかっている。ただ神様の存在だけは否定できない。神山先生に一言挨拶を交わし、会場を後にする。

人間信仰は、もはや混乱を来たすだけだ。なぜ組織の責任者は、教会の混乱化の原因を究明し、改善しようとしないのか! 教会の発展を願うなら、真の指導者は、どんな批判にも謙虚に耳を傾け、改善しようと努力するものである。
悲しいかな、教祖を神格化し、絶対服従の呪縛から逃れることのできない責任者からは、組織を改善しようとする余地さえ生まれない。

走る電車の窓から映像のように流れる自然の風景には心を癒される。
線路沿いに走る山中の川の流れの動き、そして日本海の波の動きに不思議な感動を覚えつつ、帰路につく。

創造原理 第一節 (一)神のニ性性相より

~無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。それは、被造世界を観察することによって、知ることができる。そこで、パウロは、「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである。したがって、彼らには弁解の余地がない」(ロマ一・20)と記録している。あたかもすべての作品は、その作者の見えない性稟の実体的展開であるように、被造世界の森羅万象は、それを創造し給うた神の見えない神性の、その実体対象として展開されたものなのである。それゆえ、作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。

田舎マンさんへ(神山夫人の動向の件)

真相は当然夫人の心中ですが、あくまでひとつの情報とご理解ください。

実は今回の「日本講演」にあたり、神山元会長が一目おくと思われる、ある先輩ご夫妻に、コンタクトしたところ

(かつて複数のご子女様の教育係もされており、真の家庭の「真相」は、ほぼご存じの方。
神山元会長とも長年共に歩まれている)講演前に意見を求めるメールがあったとのことです。
元会長言われるには『革命を起こしたい』だそうで。
つまりは意見というよりお誘いと思われますが、その方が断られてからレスはないとのことです。

そのご夫妻に色々お聞きしたところ、ご夫人はおそらく同意見ではないのではとのことです。
根拠は過去のさまざまな元会長の行動にほとんど同意していないことからです。

いわゆる亭主関白タイプで、ご夫人の意見、助言は聞かれたことがないらしいです。

今回の是非はともかく、確かに過去のいくつかの例、例えば「倉原事件」(有名な話しなので、詳細割愛)等も強硬に行わず、まず倉原さんの話しを聞けばよかったのではとは思いますが。

ちなみにこちらもお母様が絡んでますから、そもそも…という気もします。

以上、推察を含みますが参考になれば幸いです。

「おーばのつぶやき」のコピペ

 出典はhttp://blog.o-baka.com/?eid=274
 ぜひ、原文を読んでみてください。

(引用はじめ)

(略)

 私は未だ、神様に繋げてくださった教会に感謝と愛着を持っています。
 だから現状の一端に触れられればと思い、せっかく公開で、都内で語っていただけるなら行って聞いてみようと思った次第。
 印象に残っている内容と、私の感想を書かせていただきます。


 会場は100名程度の小さな会館。幾つかの空席もありましたので、参加者は100名にちょっと欠けていたのかも知れません。
 神山氏(私にとって日本基督教統一心霊教会会長はどうしても久保木修巳会長なんです。)のお話の中心は、真のお母様がお父様の方向からずれてしまっているから、なんとか修正していただかなくてはというもの。

 神様から来たのは真のアダムであるお父様のみで、
 その相対たる真の母は、堕落圏から復帰してこなければならないものだという。絶対愛、絶対信仰、絶対服従によって、復帰され、同位権、同居権、同参権、相続権を得る。

 これは祝福家庭の女性の立場も同様で、絶対愛、絶対信仰、絶対服従と、祝福式を通してメシアの相対に立ち、夫を救う立場に立つと語られました。

 補足ですが、接木の例え。
 甘柿に渋柿を接ぐというのは間違いで、正しくは渋柿に甘柿を接ぐだそうです。
 これは神山氏が、お父様とみ言葉拝読をするなかで、直接お聞きした話だそうです。
(ダンベリーでみ旨と世界を出す準備をされていたときの流れだったようなお話に聞こえましたが、桜葉は録音とか、メモとかしていたわけではないので、少し正確性には欠けるところがあるかと思います。)

 だから自己否定によって、根元ギリギリまで切り落とした台木としての男性に、絶対愛、絶対信仰、絶対服従によってメシアの相対の立場に立った女性が接木されて、甘柿を実らせるというのが接木の例えの意味するところのようです。


 しかし、神山氏が50年間の信仰生活を通じて見てきた内容は必ずしもそのようになっていなかったようです。
 お父様の支持に従わず席を外したお母様について、お父様はそれを叱るのですが、席をたたれたお母様と、それを叱るお父様のどちらが正しいのかと神山氏に問いただされたことがあるそうです。
 神山氏にしてみれば、お父さんとお母さんとどちらが正しいかと問われる子供の立場ですから返答に困るところですが、弱冠の問答の後にお父様が正しいと答えられ、その答を聞かれたお父様がほっとした表情を見せられると同時に、お母様が戻ってこられるまでの悲しそうな表情が忘れられないということです。

 そしてまた、お母様が講演をなさる内容を、お父様が準備なさったのですが、その中に「世界の果てまで」という文言があったそうなのです。
 神山会長は、何故かその言葉に引っかかってしまい、世界に果てなどあるのだろうか、「世界の果て」ではなくって「世界中」にと表現した方が適切ではなかろうかとお母様に申し上げて、講演ではそのように変更をしたそうです。

 
 しかし、後からお父様がその講演を聞いて変更に気付き、変更をした神山氏をこっぴどく叱られたそうです。大変恐ろしいことだたそうです。

 み言葉には絶対に変更を加えてはいけないというエピソードです。

<管理人注:久留米会場ではこの話はなかった>


 これは桜葉の思うところですが、み言葉の文言をいじってはいけない改竄してはいけないということに徹底するのは、み言葉暗号説を裏付ける材料にもなりますね。
 まぁ、暗号とは言わずとも、一つの言葉が多くの意味を持つことは、普通にあることなので、読み取る側のレベルに応じて理解出来る内容が変化することは往々にあるので、原文そのままに保存公開することは重要なことと思います。

 ですから、神山氏が主張するところは、お母様がみ言葉の編集をすることは許されないと言うのです。

 そして、真のお母様は真のお父様と一体化しきれていなかったというのです。
だから真のお父様は基元節を待たず霊界へ行かなければならなかったというようなことも言われたように思います。
 どうやら一体化するにも段階的な内容があるようで、ご聖婚式から始まって数次の祝福式を経ていらっしゃるのもその内容なのでしょうが、このあたりの理解は私には難しかったので、何方か書いていただければ有り難いです。

 真のお父様と一体化しなければいけない。そうしないと大変なことになる。
(具体的にどうなると言う話は無かったと思う。)

 セウォル号沈没は期間を延長するための供え物であった。しかしその犠牲で延長された時間もどんどん食いつぶされている。
 神山氏は病気をして何も話が出来る状況ではなかったけれど、それは未だ語るべき時ではなかったから口を塞がれていたのだろうなどと言ってました。
(神山氏は、セウォル号に祝福二世が乗っていたことを知っているのだろうか?何も触れることはありませんでした。そして、この講演の夜、ミスターサンデーで、セウォル号の特集をやっていました。いつもは見る番組ではなかったのに、桜葉もこの日は何故か見ました。)

 2時間の予定が2時間半語られ、質疑応答をするところが時間切れで十分な応答をいただけなかったのが残念。

 もう一つ印象に残っているのが、「み言葉によって研ぎ澄まされた良心」という言葉。
 神山氏の話を聞いてはいけないと、教会側から話が回っているそうですし、会場前には40日断食の井口氏がたすきをかけて何か演説をぶっていたようです。

 どちらが正しいのか同じ場でつき合わせてみたらよいと神山氏は言います。
 どちらが正しいのかは、そのみ言葉によって研ぎ澄まされた良心によって判断されるということです。

 50年、生涯をかけて信仰してこられ、アボジと共に監獄生活も過ごされた神山氏です。
 このような信仰生活を、他に誰が真似できるのか?
 そこまで歩んで天国へ入れないとする組織では、一体誰が天国へ入れるというのでしょう?とんでもないことですね。

 お母様を批判することが不信仰であるのか?
もしも組織の中での立場を守ろうとするなら上っ面でおべっかを使えば良いことです。
 しかし、その立場を投げ打ったのですから、これは心からのものではないかと思います。
 生涯かけたものを外的には投げ打ったのですが、生涯かけて培った内的な信仰の賜物を氏は貴重視したのではないかと思います。

 私は神山氏の言葉には概ね共感いたしました。
 UCが、今どのくらいの意味を持つ団体であるかは不明ではあるのですが、少なくとも、み言葉は護られるべきであり、何も考えることが出来なくなっている末端信者は正しく導かれなければならない。

 上っ面の教義を守り、献金すれば天国へいけるなんてあさはかな考えを持たせていてはいけない。それこそセウォル号で何も知らされずにじっとしていた高校生の二の舞である。
 正しく教育して欲しい。
 組織批判すれば排除されるだけという組織は健全ではない。


 神山氏の公演内容は、どのような実践をすべきかなどには触れていない。み言葉の真意が何処にあるのかまでは解説していない。氏は直接文鮮明師に教義で言われるとおり侍ることができた立場であり、その人柄愛からメシアであると確信していると言う。
 言うからには、その伝統を次に繋ぎ、伝える義務がある。公演内容だけでは不十分な印象はぬぐえない。


 しかし、神山氏は話が下手くそですね。
 せっかくレジュメを用意しているのに話の内容はその資料を全く無視してあちらへ跳びこちらへ跳ぶ。順序が無茶苦茶でありました。
 心情の発露と好意的に受け止めたいと思います。

 ざっくりですが、桜葉個人の主観的感想です。

追記:

 神山氏の講演の誤りとして教会本部から文章や映像が流れているようですね。
聞いてきた人間の感想文よりもよっぽど詳しいです。
 でも、後出しじゃんけんで批判するのはわりと簡単なこと。

 ところで、UCはみ言葉を改竄してないと主張しているが、変えていないなら何故違う書籍を編纂する必要があるか?
分派対策だと言うが、新しい書籍にそれだけの権威を持たせ、もとの経典以上に露出を上げることによって、『常識』化しようとすることなのでしょうね。
 ここの主張は無理を感じざるを得ない。

後継者問題について、
 東京の講演では語られませんでしたが、直接会って確かめることは大に結構だと思う。
 UC主張は『人間的判断をしてはならない』
 常套句ですね。

 UCに居ても神様は私たちには直接働いてくださることは永遠に来ないのでしょう。

 私は、直接文氏に接してきた神山氏の信仰的貞操を信じたいなぁ。

(引用終わり)

 初めて桜葉さんのことを知りましたが、なかなか感受性豊かで、物事を客体化して見ることができる人だと思いましたとさ。神山さんのことを終始ぶれることなく「氏」と表現するのは好感度です。

4lifeさんへ。

私の質問に対してのご回答ありがとうございました。

倉原講師の件も関心あります。
倉原事件って名前は聞いたことはありますが、何があったのかは全く知りません。
倉原講師の講義は好きでした。
私は有名な原理講義のビデオっ子です。
後の究極理論も面白かったです。

ここではテーマが違うから怒られると思うので、機会があったら、倉原講師の事、教えてくださいね。

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田舎マンさんへ

少しでもお役に立てたなら嬉しいです。

ビデオ講義といえば、やはり倉原講師ですよね。

言われる通りテーマに直接関係しないので、詳しいことはまたの機会にして、今回は書きませんが、倉原さんが何かした訳ではなく、元会長のお父様に対する真っ直ぐなところが原因だったようにも思える事件でした。

おきて

こんな逸話があります。ある青年が獄中で十戒の言葉を読んだところ、とても厳しいおきてに思えました。

わたしはあなたの主なる神である。

1.ほかの神々があってはならない
2.偶像を作ってはならない
3.御名をみだりに唱えてはならない
4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ
5.あなたの父と母を敬え
6.殺してはならない
7.姦淫をしてはならない
8.盗んではならない
9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない
10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない

釈放後、彼はクリスチャンになりました。

数年の後、彼は同じ箇所を読んではっとしました。自分はもうこの戒律に違反することはないと。戒めは、約束の言葉に変えられたのです。


ここに挙げられている項目の多くが、社会において、十分、共有されている倫理規範だと思います。

統一教会は、聖書が経典のはず。教祖とその家庭、そして、幹部はこれをどれだけ守ってきたのでしょうか。守らないどころか、信徒に対しても、むしろ積極的に破る指導をしてきたのではないでしょうか。

神山講演 追記

~神山氏はエンドレス献金のこと、隠し子問題、清平不正問題、情進問題…など、信徒が疑問に思っていることに対して、時間の許す限り回答する、という姿勢だったという。~ (みんなさんのコメントより)

 名古屋講演では、釜山での講演とほぼ同じ内容でしたが、講話がかなり延長したため、肝心の質疑応答の時間が全くなくなってしまい残念でした。

 みんなさんのコメント欄での疑問点は、参加者全員が、いちばん知りたい内容ではなかったのかと思います。なんらかの形で是非、回答してほしものです。
そして、沈みゆく船の中で混乱するメンバーに、神山氏は、救援のボートは出されたのですが、その後は、どのように導かれるのかも併せて知りたいものです。

葛藤が生じる根本原因

>統一教会の幹部たちは何をそんなに怯えているのか。これが最大の謎である。
それは、真のお母様こと、女メシアこと、韓鶴子氏が「神山講演を不成功に終わらせよ」という指示を出したからだ。
 ではなぜ、韓鶴子氏は神山氏を煙たがるのか。
 それは、「7/1韓講話」にすべての源がある。


 今回の記事には統一教会を代表する人達の具体的な行動が書かれていて、非常にリアルでおもしろく読ませていただきました。
 久留米市での講演会会場となった会館の玄関口で米本さんが井口氏と会った際の出来事も詳しく書かれていましたが、井口氏に質問したかった項目などは‘ケッサク’で米本さんの井口氏を見る観点の鋭さが感じ取れ、その描写には笑うしかありませんでした。
 また、米本さんは神山氏と直接会って様々な事実を聞かれたように書かれていましたので、それらの事実が紹介されることにも期待が膨らみ、興味をそそられます。

 記事の中には井口氏や安ヨンソプ氏、そして徳野氏以外にも様々な人物や、その行動について書かれており、そのような教会幹部の人達を批判する読者のコメントも投稿されていますが、結局その教会組織の内部葛藤の本質は上記の米本さんが書かれた事柄だと思います。
 統一教会の組織構造は李氏朝鮮王国のようなものですから、枝葉の幹部達が問題の元凶となることはなく、大きな組織の動きがある場合は、韓総裁の指示が大本にあるのは当然と言えます。

 統一教会の過去において詐欺的商法による経済活動がなされてきた問題や、高額エンドレス献金によって生じる問題も統一教会の一部の幹部にその根本原因があると考えるのは間違いであり、それは、必然的に総責任者である文鮮明氏に元もとの原因があることになるのです。
 従って、統一教会の体質や様々な宗教活動を批判しながら、現実的に総責任者であった文鮮明氏は完璧であるという捉えかたは全く矛盾しているのです。
 その辺りが盲目的な宗教信者と言われる所以であり、幹部の人達を宗教サラリーマンなどと批判しながら総責任者は神格化して一切批判しないというのは実質的に思考放棄しているのです。

 統一教会の創始者である文鮮明氏の宗教思想において、創造原理などの内容と合致しない血統転換思想があることは、既に私もコメントなどに書かせていただいたのですが、その血統転換思想については理論的な問題点が多くあり、京大原研出身の教会員の説明を米本さんが紹介してくださいましたが、その理論的裏づけとなる原理的根拠が曖昧であり、不充分なのです。
 それに加えて、文鮮明氏が無原罪であるという根拠も不明確で、統一原理とも合致しないのです。
 イエス・キリストが無原罪であり、「メシア」であるという根拠についてはそれなりの論理的根拠を示しているのですが、文鮮明氏の場合は、そのイエス・キリストの場合と違い、統一原理に基いての無原罪である論理的な説明がなされていないのです。

 米本さんが既に以前の記事で詳述された7/1韓講話が発表されても、それを真っ向から批判したりする教会員が少ないのも、そのような根拠の曖昧さに原因があるのです。
 もしイエス・キリストが無原罪であるという理由と同じような理論的根拠があったならば、韓総裁がそのような内容の講話をすることは不可能だったのです。
 統一教会員が文鮮明氏が再臨のメシアであると信じているのは、主に原理講論によって聖書の奥義が解明されたと思っているからであり、イエス・キリストの血統にタマルと義父が関係したというような血統に纏わる話や、マリアとザカリアの関係があったという出生に関わる信仰的な理由があって、イエス・キリストは原罪がないメシアであると認めているのとは全く違っているのです。
 つまり、イエスが原罪がないメシアとして生まれることができた理由を統一原理によって説明していながら、原罪がない再臨のメシアであるとするそれと同一の原理的な理由が文鮮明氏には見当たらないのです。

 ですから、何故イエス・キリストは原罪がないメシアなのかという問に統一教会員は統一原理によって答えられたとしても、何故文鮮明氏は原罪がないメシアなのかという問には答えることができないし、現実として、イエス・キリストと同等な原理的な根拠は見当たらないのです。
 柳寛順の愛国精神を根拠として説明する教会員もいるようですが、それが文氏の血統とは何ら関係ないのは明白です。
 つまり、統一原理に基いては文氏の無原罪は証明できないのです。

 そこが統一教会信者の盲点となっている為、韓鶴子氏が‘7/1韓講話’のような内容を話したとしても、信者は明確に否定することもできないのです。
 しかし、‘火の粉を払え’読者は既に知っているように、<…実際文鮮明氏もそれらに参加し、ピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて『サタンの血統から神の血統に転換』された。それから自分の団体を立ち上げた。>(Kirsti L. Nevalainen著の『Change of Blood Lineage Through Ritual Sex in the Unification Church』: 暗在訳)というのが真相と思われ、文氏もそのように自覚していたはずなのです。
 その為に、韓鶴子氏も自信をもって「お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。」(7/1韓講話)と答えることができたのです。
 おそらく、韓鶴子氏も文鮮明氏が朝鮮シャーマニズムのピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて「神の血統に生まれ変わった」と主張するようになったのを知っていたのだろうと思います。

 従って、韓氏は統一教会の教義を根本から転換して‘クーデター’を起こそうとするような心境ではなく、むしろ少しばかり真実を暴露したような感覚だったのではないかと思います。
 ただ、<「血統転換」、私は胎中にいる時からそうなのです。>発言は明らかに統一原理を無視していますが、その辺りは結局、韓氏の信仰は本質的に朝鮮シャーマニズムであるということなのだと思います。

 それらのことからわかる統一教会における教義の変遷としては、創始者の文鮮明氏の宗教思想は朝鮮儒教と朝鮮シャーマニズムに依拠しており、それを原点にさらに教会を世界的に発展させようとしてキリスト教的な思想も取り入れることにし、劉孝元氏に新しいキリスト教思想を研究させ、体系化させたと考えられます。
そして、それが極めて優れた内容であり、時代の要請に応える普遍的な内容を備えていた為、若者達に統一原理を広めることができたのです。
 しかし、文氏の根本的な宗教思想は朝鮮シャーマニズムであり、朝鮮儒教である為、そのキリスト教的な博愛主義の実践には向かわず、朝鮮儒教の実践に向かうこととなってしまったのです。
 その為、キリスト教的な原理講論の内容とは矛盾する宗教活動が展開されることとなり、最終的には李氏朝鮮のような宗教王国を具体的に目指すようになってしまったのです。
 そして、歴史が繰り返されるように、李氏朝鮮で起こったような権力闘争が統一教会内部でも勃発することになったと言えるのです。

 確かに神山氏は誠実な方ですし、統一教会の多くの韓国人幹部とは一味も二味も違う心の温かみを感じることができます。
 米国人の教会員から慕われ、尊敬されている有様を目にすることもできましたし、決して「裏切り者」と批判されてよいような人物ではありません。
 しかし、現在、韓総裁と顕進氏支持者の間にある葛藤は文鮮明氏の宗教思想の中にある矛盾性の実体的展開でしかないのです。
 原理講論にあるキリスト教的な理想を追求しようとするならば、必然的に血統転換思想などの朝鮮シャーマニズムや朝鮮儒教の要素は排除せねばならないのです。

 今回の記事では暗在さんの前回の記事のコメントがとりあげられましたが、私は「統一教祖関係者は脇役としては面白くてもそのままでは主人公にはなれそうもない人たちばかりです。」との暗在さんの言葉がとても印象に残り、いろいろ考えさせられました。
 結局文先生は人物を指導者として育てるのがそれ程得意ではなかったのだと思います。
自己を神格化する言動は多く見られましたが、人々に上下の格付けはできても、その潜在能力を引き出すことや人格を向上させるような能力は不足していたのではないかと思わざるを得ません。
 その辺は朝鮮儒教に染まった、朝鮮半島の人々の限界であるのかも知れません。
 暗在さん、鋭いご指摘勉強になりました。ありがとうございます。

目覚めよ

心も行動も管理され、自分で考える事が出来なくなる組織体制。上からの情報だけを信じ、、。これを愚民化教育と言う。原理でいう個性真理体、これは神様から与えられた一人ひとりの個性。神山氏の話を自由に聞く事が出来ない様にする?神山氏がたとえ間違っていたとしても
私達のお兄さんじゃない?神の元の人類一家族の神の夢はどうなったの?世論でも多くの情報の捏造が多い中、どうやって真実を見分けるのですか?自分の目と耳と知識と感性等を総動員 し自分の良心でみるのでは?この体制では、北朝鮮体制ですね。

御嶽山の二世を心配しないで浮かれる、うんこ会長ども!

二世のFacebookでは、御嶽山噴火で17人の教会員が巻き込まれて、まだ行方不明の二世もいるということで、「祈りましょう!」と二世同士ではFacebookでやっています。

でも、昨日の夜のテレビのニュースでは、死亡したという二世が紹介されて、Facebookでは涙波。

こんなときに、教会の公式サイトにはこんなニュースです。

http://www.ucjp.org/?p=18022
徳野英治会長ら3人にUTS名誉博士学位を授与
2014年9月30日

二世や一世教会員が、まだ火山灰の中で死ぬかもしれないというので大変なのに、にこにこしながらワケワカメの賞を受賞している、うんこ会長!

写真をプリントアウトして、ずたずたに引き裂いてやりました。1枚では気分がおさまらなくて、7枚プリントして、ずたずたにしました。1回失敗して、カッターの刃が折れてしまって指を切ってしまいました。

真の愛だとかなんとか教えてるくせに、まーったくの愛のかけらも影も形ない、うんこ会長どもは、霊界に行ったらかならず地獄に引きずりこんでやります!
  • [2014/10/01 09:26]
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  • さうらみにせい
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悲しい限りです

うらみにせいさんに返す言葉もありません。こんな能天気で愛なき団体に成り下がってしまった教会、悲しい限りです。

しかし、二世の結束力、ネットワークはすごいですね。かたや一世は、教会から「祈りましょう」どころか、この事故に関しての連絡は皆無です。ピースパレスの献金の詰めのメールは来るのにね。


きっと二世は、一世が思っている以上にいろいろなことを知っているでしょう。ネットを自由自在に使いこなせる世代ですから、情弱な一世は想像もできないほど、我が組織の恥部、問題点を把握していることでしょう。もしかしたら、着々と世代交代の準備をしているかもしれませんね。

神山先生のフェイスブックには4000名が登録しているそうです。だから今回の講演会にもたくさん集まったのでしょう。このように、ネットの力はすごいものです。火の粉ブログの力もすごいということです。

かたや、信者が生命の危機に瀕しているのに、能天気に会長の受賞式を掲載する本部の情弱感覚。笑いたくても笑えない悲しさです。

米本さんが書いていたように、4000人以上の教会員が拉致監禁されていても我関せずだった教会ですから、こんなものなのでしょうけど、悲しい限りです。

御嶽山での事故について

テーマと異なるので簡潔に書きます。

私の所属教会では教区長中心に四名の名前を掲示して毎日祈祷しています。

どなたかが言われる「皆無」は「私のところでは皆無」が正しいかと思います。また、他の地区の「一世」「二世」問わず複数の教会員からも、この件で心配して情報を求めるメール、電話が私のところにきています。
以上事実のみお伝えしました。

ただし、教会のHPに、載せていないのはおかしいとは思います。
本来は全教会員で祈るのが当然でしょうから。
理由は想像はつきますが、極めて遺憾です。

先ほどの投稿の補足

「4名」と書きましたが、情報が届いていない方のために補足します。

17名中13名が下山し、一世2名二世2名か安否不明でしたが、報道の通り高校生の伊藤さんが残念ながら犠牲になられたことが確認されました。

二世のもう一人は、やはり安否の件が報道されている小学生です。
伊藤さんと二人で山頂に向かったとの生存者の証言もあり、二名の一世同様安否が懸念されます。

御岳山の事故について

 統一村でも話題になっているため、ここでは触れて欲しくなかったのですが、一言です。

 統一本部は公文を流しています。

(引用はじめ)

 御聖恩感謝申し上げます。
 すでに一部の皆様はご承知のことと存じますが、9月27日昼、御嶽山で起きた噴火で、登山しておりました当教会のメンバー4人が巻き込まれて、行方不明となりました。うちお一人の身元が29日夜、確認されました.安否確認や救助活動など流動的な要素があったため、本部としてはしばらく経過を見守っておりましたが,事態が進展しましたので、現状をご説明させていただきます。

 東愛知教区豊田教会の壮年部が自主的に企画した9月27日の御嶽山登山は、午前8時に御嶽山大滝口を出発して、正午に頂上で昼食。午後1時に下山を開始して、3時に大滝口に戻るというものでした。
 秋の紅葉を愛でるというこの企画に、11家庭17人が参加。最高齢が60歳、最年少は11歳と聞いております。
 登山など主にアウトドア活動を楽しむこのグループは今年に入って恵那山(中央アルプス最南端で標高約2,200mの山)などに登っておりました。 幹事の方が1週間前に御嶽山を下見して、小学生でも大丈夫と判断したものです。うち13人が当日、無事に下山できました。
 しかし、女子高生Dさん(18歳、祝福二世)の遺体が29日夜、確認されました。また、9月30日現在、以下の方の安否が不明です。 
① Aさん(60歳、男性、会社員)
② Bさん(50歳、男性、会社員)
③ Cさん(11歳、女性、小学5年生)

 噴火時点の状況について簡単にご報告します。
 一緒に山頂にいた登山仲間(59歳男性)の証言によると、Aさんと二人の女性Cさん、Dさんが先頭グループとして山頂に早めに到着し、昼食をとり終わったころに噴火。59歳男性は神社の建物に守られて無事だったが、気付いたら三人の姿が見えなかったとのことです。
 Bさんは王滝頂上山荘に避難し、仲間(29歳)と声を交わし、「みんなで下山しよう」と話し合ったといいます。ですが、仲間の青年は無事下山できましたが、男性はその後、行方不明のままです。

 ご家族や友人と共に楽しみにして出かけた紅葉登山が、このような予期せぬ悲劇となり、無事の帰りを待つご家族のご心痛は計り知れません。
 楽観できる状況では全くありませんが、皆様の祈祷をお願いする次第です。

 ただ、ご家族は、個人のお名前や所属、肩書きなどが公開されることを了解されておりません。マスコミ各社の取材に対しても同様です。

 それゆえ「祈祷のために」ということで個人情報がネット上(フェイスブックやLINE、カカオトークなど)で拡散されておりますが、最大に考慮されるべきは、 ご家族のお気持ちであろうと推察します。
 この点をご理解いただき、皆様の祈りの中に加えていただけますように、お願いする次第です。状況を時々 刻々とお伝えすることは難しいのですが、必要に応じて、続報をお伝えするように努力します。

広報局長 鴨野 守

(引用終わり)

 これにて、事故に関連するコメントは控えていただけたら、ありがたいです。ぺこり

Re: 葛藤が生じる根本原因

とても刺激的な投稿、ありがとうございました。

 しかし、3つの次元が混在しているため、読者にはわかりにくいかもしれません。

A次元:統一教会のこれまでの公式見解。文鮮明氏が亡くなるまで主流派の教義解釈でした。これに基づいて、教団は第4イスラエル研究会と長く論争してきた。

B次元:「7/1韓講和」で発表された新しい教義解釈。

C次元:AもBも否定するラジカル教義解釈。この代表格は神々の黄昏さんです。

(前々記事のコメント。引用はじめ)
 昭和48年発行の「統一思想要綱」を基本として考えています。
 その統一思想とは言うならば創造原理を学術的に論理化した内容なのですが、原理用語の定義が明確になっており、万人が理性的に理解できる内容となっています。
 そこでは原理講論では曖昧であった言葉の定義も明確化され論理的なものとなっています。
 例えば、「心情」などはその典型であり、原理講論に書かれた「神の心情」と統一思想綱に書かれた神の「心情」では意味が変わっていますが、理論的に考えた場合には統一思想要綱の方が筋が通っており、学術的なのです。
 そして‘原理’という言葉を使う以上は、言葉の定義がしっかりしたものでなければならないのは当然で、原理講論はその点で曖昧なところが多く、やはり‘原理’の入門書と考えるしかないのです。
(引用終わり)

 神々の黄昏さんの言説を支持する読者はあまりいないようですが-「統一思想要項」を読んだことのない私が援護するのはトンチンカンもいいとこですが-神山さんの部下(777双)に聞いたところ、回答は以下の通りでした。

「統一原理のことは『統一思想要項』で説明されていることがもっとも正しいと思う。しかし、誰も読んでいないし、いまさらこの本に基づいて統一原理を普及させるのは無理だろうな」

 この3つの次元がごっちゃになるから、誤読が出てくると思います。

たとえば、神々の黄昏さん
>統一教会の創始者である文鮮明氏の宗教思想において、創造原理などの内容と合致しない血統転換思想があることは、既に私もコメントなどに書かせていただいたのですが、その血統転換思想については理論的な問題点が多くあり、京大原研出身の教会員の説明を米本さんが紹介してくださいましたが、その理論的裏づけとなる原理的根拠が曖昧であり、不充分なのです。

 京大原研さんのコメントは、A次元の立場に立って、Bを批判しているのに過ぎません。この批判はとてもわかりやすい。
 といって、京大原研さんはA次元の立場にいるわけではありません。「文鮮明さんはメシアでも神でもなく、一人の人間だ」という見方に立っている人なので。

 つまり、彼の言説はくだけた言い方をすれば、「おまえさぁ、前に言っていたことと違うじゃないか」というものです。きわめてジャーナリスティックです。私と同じです。


 ところで、神々の黄昏さんの私の記事へのコメント、すなわち「韓氏は統一教会の教義を根本から転換して‘クーデター’を起こそうとするような心境ではなく、むしろ少しばかり真実を暴露したような感覚だったのではないかと思います」という感想は、失当だと思っています。

 神々さんはこうも書いている。
「ただ、<「血統転換」、私は胎中にいる時からそうなのです。>発言は明らかに統一原理を無視していますが、その辺りは結局、韓氏の信仰は本質的に朝鮮シャーマニズムであるということなのだと思います」

「少しばかり真実を暴露したような感覚」と「私は胎中にいる時からそうなのです」という矛盾を、「韓氏の信仰は本質的に朝鮮シャーマニズム」だからと、根拠なく解消しようとされています。

 これは失当です。どう考えても柔らかなというか大胆なクーデターです。創価学会の池田さんの奥さんが!ということを考えるべきです。

 ぼくが神山さんに質問したのは、このことに関することです。

 すなわち、韓鶴子氏の文鮮明氏への人としての恨みは具体的に何だったのか。
 文氏も韓氏も、私たちと同じ人間なのですから。

 なお、田舎モンさんの以下の投稿について。

「神山元会長の現在のスタンスはわかった気がしますが、神山元会長の奥様は、同じ考えで活動されているのでしょうか?
奥様も影響力のある方ですし、その考え、行動が気になります」

 神山婦人は神山氏と一緒にヨスにいたそうです。文鮮明氏のグチも聞いていたそうですよ。

神々の黄昏さんへ 心情と血統

神々の黄昏さんの投稿、米本さんのそれに対する投稿もなかなか読み応えがあって勉強になりますね。
特に神々の黄昏さんの投稿はいろいろ考えさせられます。
しかし自分が思うには統一原理は西洋のキリスト教的なものと朝鮮儒教、シャーマニズムが渾然となって統一原理となっているように思います。
神々の黄昏さんはそれを対立的なものと捉えているので今の深刻な対立の根本的な問題として統一原理の矛盾性をその原因としてあげています。
創造原理の中で神本体を扱った統一思想の原相論では神の根本的な属性を「心情」
としています。

一方、復帰原理では「血統」及び「血統転換」が重要な項目になります。

「心情」と「血統」これを結びつけたものが文先生が晩年に何度も強調した「絶対性」というものではなかったのかな?
これが「原理本体論」が出現した核心ではないか?と考えますが、如何でしょう?




超鋭い神々の黄昏さんに全面的に同意です!


 〉統一教会の組織構造は李氏朝鮮王国のようなものですから、枝葉の幹部達が問題の元凶となることはなく、大きな組織の動きがある場合は、韓総裁の指示が大本にあるのは当然と言えます〈

=その通りだと思います。

〉統一教会の過去において詐欺的商法による経済活動がなされてきた問題や、高額エンドレス献金によって生じる問題も統一教会の一部の幹部にその根本原因があると考えるのは間違いであり、それは、必然的に総責任者である文鮮明氏に元もとの原因があることになるのです〈

=その通りです。霊感商法の様な詐欺商法を考えついたのは井口か古田かその子分だろうが、霊感商法の手口を知った上で日本に極限的献金要求をし続けたのは間違いなく文鮮明教祖で間違いなくないはずです!

〉従って、統一教会の体質や様々な宗教活動を批判しながら、現実的に総責任者であった文鮮明氏は完璧であるという捉えかたは全く矛盾しているのです。
 その辺りが盲目的な宗教信者と言われる所以であり、幹部の人達を宗教サラリーマンなどと批判しながら総責任者は神格化して一切批判しないというのは実質的に思考放棄しているのです〈

=残念ながら神々の黄昏さんが言われる通りで間違いないでしょう!

 〉統一教会の創始者である文鮮明氏の宗教思想において、創造原理などの内容と合致しない血統転換思想があることは、既に私もコメントなどに書かせていただいたのですが、その血統転換思想については理論的な問題点が多くあり、京大原研出身の教会員の説明を米本さんが紹介してくださいましたが、その理論的裏づけとなる原理的根拠が曖昧であり、不充分なのです。
 それに加えて、文鮮明氏が無原罪であるという根拠も不明確で、統一原理とも合致しないのです〈

=私も全くその通りだと思います。

 〉イエス・キリストが無原罪であり、「メシア」であるという根拠についてはそれなりの論理的根拠を示しているのですが、文鮮明氏の場合は、そのイエス・キリストの場合と違い、統一原理に基いての無原罪である論理的な説明がなされていないのです〈

=その通りです。原理口論でイエスキリストのメシア性を説きながら文鮮明教祖のメシア性は血統的にも認められる内容を見い出せないのです。

 〉もしイエス・キリストが無原罪であるという理由と同じような理論的根拠があったならば、韓総裁がそのような内容の講話をすることは不可能だったのです。
 統一教会員が文鮮明氏が再臨のメシアであると信じているのは、主に原理講論によって聖書の奥義が解明されたと思っているからであり、イエス・キリストの血統にタマルと義父が関係したというような血統に纏わる話や、マリアとザカリアの関係があったという出生に関わる信仰的な理由があって、イエス・キリストは原罪がないメシアであると認めているのとは全く違っているのです。
 つまり、イエスが原罪がないメシアとして生まれることができた理由を統一原理によって説明していながら、原罪がない再臨のメシアであるとするそれと同一の原理的な理由が文鮮明氏には見当たらないのです〈

=全くもって神々の黄昏さんの言う通りです!••••••神々の黄昏さんは広講師ではないですか?と思う位です!

 〉ですから、何故イエス・キリストは原罪がないメシアなのかという問に統一教会員は統一原理によって答えられたとしても、何故文鮮明氏は原罪がないメシアなのかという問には答えることができないし、現実として、イエス・キリストと同等な原理的な根拠は見当たらないのです〈

=全くもってその通りです!

〉 柳寛順の愛国精神を根拠として説明する教会員もいるようですが、それが文氏の血統とは何ら関係ないのは明白です。
 つまり、統一原理に基いては文氏の無原罪は証明できないのです〈

=全くもってその通りです!

〉 しかし、‘火の粉を払え’読者は既に知っているように、<…実際文鮮明氏もそれらに参加し、ピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて『サタンの血統から神の血統に転換』された。それから自分の団体を立ち上げた。>(Kirsti L. Nevalainen著の『Change of Blood Lineage Through Ritual Sex in the Unification Church』: 暗在訳)というのが真相と思われ、文氏もそのように自覚していたはずなのです〈

2003年?正月、清平で文鮮明教祖が同じく混淫教出身のキリスト教長老の伝道館の朴泰善氏は“洗礼ヨハネの立場だったが使命を果たさなかったので文鮮明教祖の古稀の祝いの日に亡くなったのだ。”と言っていました。

〉その為に、韓鶴子氏も自信をもって「お父様の歴史は、イエス様の使命を引き継いだその時、その瞬間がお父様が独り子となられた資格です。」(7/1韓講話)と答えることができたのです。
 おそらく、韓鶴子氏も文鮮明氏が朝鮮シャーマニズムのピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて「神の血統に生まれ変わった」と主張するようになったのを知っていたのだろうと思いす〈

=私も同じ様に思っています。

 〉従って、韓氏は統一教会の教義を根本から転換して‘クーデター’を起こそうとするような心境ではなく、むしろ少しばかり真実を暴露したような感覚だったのではないかと思います。
 ただ、<「血統転換」、私は胎中にいる時からそうなのです。>発言は明らかに統一原理を無視していますが、その辺りは結局、韓氏の信仰は本質的に朝鮮シャーマニズムであるということなのだと思います〈

=私も全くもってその通りだと思っています。 ••••善徳女王の卵から生まれた新羅の王の血統?を思い起こします。

〉 それらのことからわかる統一教会における教義の変遷としては、創始者の文鮮明氏の宗教思想は朝鮮儒教と朝鮮シャーマニズムに依拠しており、それを原点にさらに教会を世界的に発展させようとしてキリスト教的な思想も取り入れることにし、劉孝元氏に新しいキリスト教思想を研究させ、体系化させたと考えられます。
そして、それが極めて優れた内容であり、時代の要請に応える普遍的な内容を備えていた為、若者達に統一原理を広めることができたのです。
 しかし、文氏の根本的な宗教思想は朝鮮シャーマニズムであり、朝鮮儒教である為、そのキリスト教的な博愛主義の実践には向かわず、朝鮮儒教の実践に向かうこととなってしまったのです。
 その為、キリスト教的な原理講論の内容とは矛盾する宗教活動が展開されることとなり、最終的には李氏朝鮮のような宗教王国を具体的に目指すようになってしまったのです。
 そして、歴史が繰り返されるように、李氏朝鮮で起こったような権力闘争が統一教会内部でも勃発することになったと言えるのです。 〈

=全くもって神々の黄昏さんの仰る事は、まさしく“その通り!”だと思います。

 〉確かに神山氏は誠実な方ですし、統一教会の多くの韓国人幹部とは一味も二味も違う心の温かみを感じることができます。
 米国人の教会員から慕われ、尊敬されている有様を目にすることもできましたし、決して「裏切り者」と批判されてよいような人物ではありません。
 しかし、現在、韓総裁と顕進氏支持者の間にある葛藤は文鮮明氏の宗教思想の中にある矛盾性の実体的展開でしかないのです〈

=全くもってその通りでしょう。

〉原理講論にあるキリスト教的な理想を追求しようとするならば、必然的に血統転換思想などの朝鮮シャーマニズムや朝鮮儒教の要素は排除せねばならないのです〈

=マ•サ•シ•クその通りです!

 〉結局文先生は人物を指導者として育てるのがそれ程得意ではなかったのだと思います。 自己を神格化する言動は多く見られましたが、人々に上下の格付けはできても、その潜在能力を引き出すことや人格を向上させるような能力は不足していたのではないかと思わざるを得ません。その辺は朝鮮儒教に染まった、朝鮮半島の人々の限界であるのかも知れません〈

=私も、全くそう思います!••••朝鮮人サラ金社長の様な古田元男氏を日本のトップに置いて日本人統一教会員を走る詐欺師に変身させたのですから!••••••朝鮮儒教に染まった王様に成りたかった誇大妄想サイコパスの限界だったんでしょう。
 

恨みは何だったか

>韓鶴子氏の文鮮明氏への人としての恨みは具体的に何だったのか。

当然、一番大きいのは女性問題でしょう。メシアとして血統転換してあげるという理由で、多くの女性問題があったこと、長年崔元福女史が実質の妻の位置にいた、等々、を神の摂理の名ゆえに、不満を口にすることすら許されず忍耐のみであったのは、うら若き乙女には過酷な地獄だったと思います。夫を愛すれば愛するほど憎しみも湧かざるをえません。いくら贅沢をしたとしても、愛情を物で埋め合わせることはできないですね。

仁進さんが、説教の中で時々母親の話をしていましたが、涙を拭くためにどれだけティシュを使ったかわからないので、クリーネクス会社から表彰されるべきだ、、のようなことを言っていたことがあります。何でそんなに泣いたのかは具体的説明がありませんでしたが。。

最近自分の息子たちを遠ざけているのも基本的な男性不信があるのかも知れません。娘やお嫁さんたちを起用していますよね。

Re:米本さん、及び悟空さん質問に対して

>これは失当です。どう考えても柔らかなというか大胆なクーデターです。創価学会の池田さんの奥さんが!ということを考えるべきです。

 米本さんがここ‘火の粉を払え’の記事において書かれた内容は疑いようもなく正しく、その7/1韓講話に対する教義上の意味付けも、‘クーデター’という観点も、疑問を挟む余地はありませんし、韓鶴子氏の狙いを完璧に読み取っておられると思っています。
 私の前のコメントで「韓氏は統一教会の教義を根本から転換して‘クーデター’を起こそうとするような心境ではなく、むしろ少しばかり真実を暴露したような感覚だったのではないかと思います」と書いたのは、韓鶴子氏の宗教組織における教義の重要性を認識できない鈍感さや、韓氏自身が今まで本心では公式的な血統転換の教義を正しいとは思っていなかったことを強調したいと思い、そのように書いたのでした。
 決して‘クーデター’の政治的意図があったという米本さんの観点を否定するような意味ではありません。

 つまり、韓氏の感情を中心に置いた「心境」を強調したかったわけなのですが、それは、「自分が『これが新しい教義である』と宣言さえしてしまえば、信徒達は無条件に従わなければならないはずであるし、夫文鮮明氏の今までは曖昧だった無原罪の理由についても少しばかり真実に近いものにして、絶対的ではないものに格下げしたほうが自分には都合がよいし、それぐらいは信徒達も許容できるに違いない。」というような割と楽観的で安易な‘クーデター’発言だったようにも思えたのです。

 しかし、客観的に見れば、明らかな教義の根本的転換であり、韓鶴子氏と夫であった文鮮明氏の宗教上の上下関係が逆転し、韓氏がまさしく絶対化され、神格化されるわけですから、‘クーデター’と考えなければならないのは当然です。
 ただ、実質的に‘クーデター’であるにも関わらず、‘王妃様気分’が過剰であるため、それに対して通常伴うような緊張感を彼女自身が感じていなかったように受け取れたのです。
 彼女が現実的に成そうとしている‘クーデター’とはつり合わない感情を懐いている心の状態を「心境」と表現したのでした。
 もし、私のコメントが米本さんの‘クーデター’説明を否定しているように思われたなら、それは誤解ですし、私の表現が紛らわしかった所為だと思います。

 その辺の韓氏の言動と感情のアンバランスは確かに理解し辛いかも知れませんが、それは丁度、同じ7/1韓講話で、米本さんも大いに問題視された「世の中の法が私たちをあれこれ言うことができません」発言を平気でできる韓氏の心理状態を推察するならば、少しはわかっていただけると思います。
 文鮮明氏もそうですが、朝鮮半島の王朝の伝統は「王様が言ったことが絶対で、それが法律だ」というのが当たり前なのだと思います。

 また、米本さんが紹介してくださった神山氏の元にいる777双の発言
>「統一原理のことは『統一思想要項』で説明されていることがもっとも正しいと思う。しかし、誰も読んでいないし、いまさらこの本に基づいて統一原理を普及させるのは無理だろうな」

 これと関連する私の学生時代の思い出があります。
私の学生時代は現在とは違い、左翼思想を持って学内で運動している学生が少なからずおりましたので、勝共活動(反共的思想活動)や伝道活動等を行っている統一教会系学生とは当然敵対することになります。

そのような組織活動を行う中、ある左翼学生グループと統一教会員の哲学専攻の学生Aの間で論争が起こった出来事があったのです。
私は当事者ではありませんでしたが、その論争の末、その左翼学生グループは哲学専攻の教会員学生Aの原理講義をサークル室で実際に聞いてみることになったのです。

 そのA君から聞いたところによれば、最初は A君は通常教会で行うような統一原理の講義を行ったそうですが、唯物論者である彼らは 初っ端から言葉尻をとらえて馬鹿にし、まったく原理講義が進まなかったそうです。
 それでそのA君は仕方なく統一思想要網の内容を講義するように変更したとのことでした。
 そうしますと、まったくその場の雰囲気が変わり、左翼学生達は真面目に統一思想の講義に耳を傾けたという話だったのです。
 つまり、そのような左翼学生達であっても‘相対’できる論理的内容を備えているのが‘統一思想’なのです。

 しかし、米本さんが7/1韓講話の感想を依頼した京大原研出身の教会員さんの考えは「文鮮明さんはメシアでも神でもなく、一人の人間だ」という見解なのですから、私と何ら違わないように思われますし、‘楽しい旅人’さんのように私の解釈を理解してくださる方もおられますので、統一原理を信じている中では私も限りなく0に近いような全くの少数派ではないようです。

 しかしながら、‘火の粉を払え’を通して実感できる米本さんの社会現象の真相に迫ろうとする探究心には驚かされるばかりで、まさしく初めて本物の‘ジャーナリスト’に出会ったような思いです。
 米本さんと「知ったかコメンテーター」有田芳生氏を同列に語るような失礼なコメントも前にあったようですが、無知な本人に代わって深く謝罪致します。

最後に、悟空さんから質問があったので、それについても返答させていただきます。
>一方、復帰原理では「血統」及び「血統転換」が重要な項目になります。
「心情」と「血統」これを結びつけたものが文先生が晩年に何度も強調した「絶対性」というものではなかったのかな?

 まず、悟空さんに確認していただきたいのは「心情」の定義です。
統一思想要綱の中で説明されている「心情」とは人間の心、即ち知・情・意の中心であり究極目的のような概念であって、「喜びを求めようとする衝動」というような解釈がなされています。
 つまり、喜怒哀楽などの情感とは分けて考えられており、知性や意志の働きをも動機付けるものとされています。
 しかし、原理講論においては「心情」はほぼ「情」と同じで、内容がまったく変わらず、喜怒哀楽を表すような意味で使われており、その結果「神の心情」というような言い方がなされ、統一思想要綱で説明されている‘究極目的’のようなものではなくなってしまっているのです。
 それは文先生の‘御言葉’においても同様であり、「心情」を感情とほとんど変わらない意味で使っているのです。

 従って、統一思想要綱で定義されたような「心情」であるならば、「絶対性」と繋げることはできますが、文先生が使っている「心情」の意味では「絶対性」と繋げるのは不可能なのです。
 しかし、「心情」ではなく「根底的な感情」であれば、それを「血統」と結び付けたりする文先生の語りたい内容は理解できますが、統一思想要綱にある「心情」を血統と結び付けたりするのは非論理的と言わざるを得ません。

 悟空さんが書かれたように復帰原理では「血統」が重要視されていますが、‘創造原理’や統一思想要綱には「血統」という言葉が使われておらず、そのような概念がないのです。
 つまり「血統」は本質的な神と人間との関係にはそれほど重要なものではないと考えているのです。
 そのような意味でも私は血統転換理論を否定しているのです。

 文先生が「血統」を重要視するのは朝鮮儒教や朝鮮シャーマニズムの影響を受けたためと考えられますが、私はそのどちらも問題が多く、‘真理’を歪曲する恐れがある低次元のものとしか考えていないのです。
 李氏朝鮮時代の人々に浸透した朝鮮儒教は支配体制に利用されたものであり、中国から発祥した深い哲学的な内容のものとは異質であると考えています。
 また朝鮮シャーマニズムも極めて非論理的な理屈を使っており、‘真理’とは程遠いものです。
 多分、悟空さんはそれらの朝鮮儒教や朝鮮シャーマニズムの問題点を見逃してしまっているのだと思います。
 しかし、それらは間違いなく統一原理の全体を歪めてしまっているのです。

 しかし、統一思想要綱に関しても、部分的にはその影響を受けており、‘本性論’などにはその矛盾が現れています。
 したがって、統一思想要綱も完璧で、全て肯定できる‘絶対的真理’とは考えておりません。
 しかし、一部を除けば充分‘真理’であると確信できる内容なのです。
 悟空さんも、以前の記事で米本さんが指摘された統一原理用語の定義の曖昧さをいろいろと研究されれば、その矛盾性も発見できるのではないかと思います。

お知らせ

 末尾に追記情報を載せました。
 ご一読を。

九州の公文の件

酷いですね。
「これは駄目でしょ」が正直な感想です。
どなたが頭か存じ上げませんが…。
顔が見てみたいと思ってしまいました。

米本さん、ありがとうございます。

田舎モンの田舎マンです。

米本さん、質問に答えてくださってありがとうございます。
ヨスにはご夫人もいっしょだったんですね。
いろんな光景をご覧になって複雑な心境だったでしょうね。

郭グループの一員であることを公式的に表明?

>追記情報
>神山威氏は、反摂理的集団であり、御母様の価値を完全に否定する郭グループの一員であることを公式的に表明した。

うーん。神山氏はどこで、郭グループの一員であることを公式的に表明したのでしょうか? どなたか知っている人はいますか?

火の粉ブログに載った講演文を読む限り、そんなこと言っていないようですが。

それともお母様を批判して三男氏を指示したら、即「郭グループ」というのが本部の判断基準なのでしょうか?

よく分からん。

神々の黄昏さんへ 心情

神々の黄昏さん 質問に答えて下さりありがとうございます。
自分では書いたつもりなのですが、よく伝わらなかったようです。
「心情」とは神の属性の中で最も核心的な属性で、「喜びを得ようとする情的衝動」ですから神々の黄昏さんが思い描いておられる「心情」と同じ意味で使ったつもりでした。ついでに言えば「喜びを得ようとする情的衝動」である「心情」は誰かを愛するといった情的結合性と何かを目指すといった目的指向性の二つの指向性があると理解しています。

哲学を専門的に学んだことがないので言葉の定義と言われると全く自信がなくなるのですが、確かに創造原理の世界だけで言葉の定義ができれば問題ないのですが、「復帰の心情」とかで使うように違った意味で使用することはありますね。これも統一原理が創造原理を基本としながらも「堕落論」とか「復帰原理」とかが入ってくるからではないでしょうか?
ところで統一教会や統一原理が朝鮮儒教やシャーマニズムの影響を大きく受けている点について自分も大いに共感しているし、その悪弊についてもその通りだと思うのですが、悪弊ばかりではないのではないかと思いたいので神々の黄昏さんに異論を提示してみたかったのです。しかしやはり悪弊の方が8割くらいありそうですが。良いものを見つける方が難しい。
しいて言えば統一原理というものがこういった文化的な背景を持った韓国という国から、あるいは韓国人からしか出てこなかったかもしれないという思いはあります。その中で世界に通用する普遍的なものがやはりあるからではないかと思っています。

Re:神々の黄昏さんへ 心情

 悟空さんから再びコメントを返していただきましたが、悟空さんの問題意識と私が持っている問題意識が非常に近いものであることを確認できました。
 一つの言葉が意味する概念を正確に把握することはとても重要でして、その概念の定義が不明確であれば、それを用いてなされる思考行為自体の意味が失われることになってしまいます。
 「心情」についても悟空さんは統一思想要綱に忠実に理解していることがわかり、かなり意思の疎通がし易いと一安心いたしました。
 統一思想要綱で説明されているとおり、「心情」は人間の精神活動の目的、あるいは根本動機となるものですから、統一原理の中核とも言える最も重要な概念です。
 従って、「心情」の理解が間違ってしまうと統一原理そのものに対する理解がすべておかしな間違ったものになってしまうのです。
 そうであるがため、「心情」と感情、情緒といったいわゆる「情」は当然のこととして厳密に区別されねばならないのです。

 しかし、そのように考えると大きな問題が生じてくることに悟空さんもお気付きになると思います。
 そうなのです。「心情」という言葉は一般的には統一思想要綱で定義されたような意味では使われておらず、もっと平易な意味の言葉として使われているのです。
 そのため、例えば米本さんと統一思想について語ろうとしても、一般的な言葉の定義に基いている米本さんとは正確な意思の疎通ができないことになってしまうのです。
 従って、もし統一思想要綱に書かれた哲学的な内容を正確に表そうとしたら、「心情」という言葉そのものも検討し直さねばならないのです。
 そうすると、一般的に使われている「心情」の定義を変えてしまうか、それとも統一思想要綱にある「心情」の概念を正確に表す別の言葉を探し出すか、のどちらかしかなくなってしまうのです。
 そう考えれば、当然ながら統一思想要綱にある「心情」という言葉をもっと適切なものに変更せねばならなくなってくるのです。
 そして統一思想要綱で述べられた内容を適切に表せば、「原心情」というように表現できるのではないかと思っています。
 統一思想要綱で論じられた事柄を正確に表すには そのように意味する概念と原理用語を正確に一致させねばならず、統一思想要綱でさえ、まだまだそれが不充分な部分があるのです。
 その辺りの用語使用の曖昧さも統一教会が統一原理を研究することを疎かにしていたことの証明だと思っています。
 しかし、真実としては 統一教会本部は「真の父母」に都合のよい神学は考え出しても‘真理’をさらに探究しようなどという‘意思’はまったく持っておらず、別の現実的な目的を重視していて、そちらの‘真理’の研究の方には力を注がなかったのだと思います。
 即ち、世俗的な金儲け宗教組織(少し変な表現ですが‥)として勢力を拡大し、擬似宗教王国を建設しようとしていたのだと思います。

 これは私の想像なのですが、李相軒氏は「心情」を原理用語として使用することの曖昧さが生じる問題を本当は認識していたのではないかと思っています。
 しかし、文鮮明氏は統一思想とは多少異なる宗教観を持っており、「神」を極端に擬人化して考えていた為、「心情」に関しても、厳密な定義を定めて哲学的な原理用語にすることを願わず、統一思想要綱のようにも、一般的な意味のようにもどちらにも便利に使え、「神」を擬人化するのに都合のよい平易な「心情」という言葉を使うよう指示したのではないかと思っております。
 もしそうでなかったとしたら、李相軒氏はそれほど優れた‘哲学者’とは言えなくなってしまいます。
 ただ、韓国語は元々哲学的な単語の種類が豊富ではないと言われており、逆に人間の上下関係を表すのに必要な敬語の種類が豊富なようです。
 その辺りは韓国の歴史と密接な関係があり、李氏朝鮮王国時代が長く続き、朝鮮儒教によって教育され、思想的にも自由な発想が展開されなかった朝鮮半島の文化を反映していると思います。

(悟空さんのコメント)
>しいて言えば統一原理というものがこういった文化的な背景を持った韓国という国から、あるいは韓国人からしか出てこなかったかもしれないという思いはあります。その中で世界に通用する普遍的なものがやはりあるからではないかと思っています。

 私も、言葉の定義や表現に幾多の問題があるとは言え、このように優れた「統一原理」が何故朝鮮半島から生まれてきたのかは大きな疑問であり、世界第八の不思議と言ってもよいくらいです。
 今のところ考えられるのは、それだけ‘真理’を渇望していたのだと思います。
 人間は文化的なものを含め、環境に大きく影響されますが、決して変わらぬ本性を持っており、環境が好ましくなければない程、それに反発し、より高い理想を求めるのだと思います。
 過去の朝鮮半島のように貧困な上、粗野で形式だけの倫理社会で育ったならば、本性に対して敏感で能力のある人間は、それを変革しようとする力が湧いてくるはずなのです。
 つまり、必要性があって、そこに目的意識も生じるということなのだと思います。
 新約聖書にあるように「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」(マタイ・7/7)ということではないでしょうか。
 欺瞞と偽善が充満した社会に思考能力に優れた人物が純粋な性格で育っていったとするならば、その人物は必ず、‘真理’を探究し、理想を追求するのだと思います。
 原理講論を執筆された劉孝元氏もそのような人物だったと思われます。

 悟空さんには「朝鮮紀行」(イザベラ・バード筆)を読まれるようお勧めいたします。
 さらに、そこに書かれた朝鮮社会の情況の後、日韓併合があり、統一教会の歴史観では韓国は日本から民族的な迫害を受けたことになっていますが、客観的な史実は全くその通りとは言えず、朝鮮半島の人々は李氏朝鮮王国だった当時より、日本に統治されていた時代の方が学問的により高い教育を受けることができるようになったとも言えるのです。
 朝鮮半島の人々全体として見れば、日本に統治されることによって経済的にも文化的にも得るものがたくさんあったのです。
 第二次世界大戦直後に韓国は独立国家となった訳ですが、それまでは日本の統治下で教育を受けていたのであり、原理講論を執筆された劉孝元氏がソウル大学医学部出身で高い知性を備えていたというそのことが、日本に統治されていた時代の朝鮮社会の発達と無関係とは言い切れないのです。

 つまり、‘韓国の民族的な歴史と独自の文化から、統一原理が誕生した’というのはあまりにも単純な考えであり、日本の歴史的影響も含めて、様々な要素が絡み合っていると考えられるのです。
 おそらく、李氏朝鮮王国が滅ぶことなく、独自に発展してきていたならば、統一原理のような思想は誕生しなかったのではないかと推察しております。
 統一教会の現状についても悟空さんにはよく考えていただきたいと思います。
 統一教会員の信者数は韓国よりも日本のほうが何倍も多いのです。
それは米本さんが根拠のある数字を示されています。
それは何故なのか。
 原理講論の特に創造原理に書かれた思想主義的な思想は韓国人よりも日本人に馴染みやすかったからと考えられるのです。
 韓国人が捉える統一原理は朝鮮シャーマニズムや朝鮮儒教の亜流のようなもので、その思想によってはろくな組織は作れないのです。
 それが今の統一教会の混乱を生み出している原因でもあるのです。

 日本統一教会は何を失敗してしまったのか?
それは、文鮮明教祖を言われるままに神格化し、原理講論にある‘真理’部分を研究発展させることができず、本心と理性を抹殺し、共同幻想としての「神の摂理」をあるものとして信じてしまったことなのです。
 しかし、神の願う摂理はそうではなかった。
 日本人が原理講論や統一思想要綱をさらに理論的に純化し、理想主義的な共生共栄共義主義世界を建設することに貢献することだったのです。
 それには第一に朝鮮半島の統一教会幹部の影響を排除するしかないのです。
(米本さん、本文の記事から話題が外れ過ぎていると思われたら削除されてけっこうです。)

感性・悟性・理性

神々の黄昏さん:
>「統一教祖関係者は脇役としては面白くてもそのままでは主人公にはなれそうもない人たちばかりです。」との暗在さんの言葉がとても印象に残り、いろいろ考えさせられました。

「…脇役としては…ばかりです。」という言葉は、私のここ一年間の精神活動の結果でして、転んで起きてしゃかりきの一年間の精神活動の結果がそれだけだったとも言えますが、神々の黄昏さんにそう言っていただき感慨深いものがありました。こちらこそありがとうございました。

なぜそれに丸々一年もかかってしまったかといえば、感性で知覚し、悟性を訓練しながら悟性でも考えていましたが、理性が足りなかったと。理性を使えていればもっと早くにこの認識に至り、その先に進んでいたかもしれない、と言えるわけです。
「統一思想要綱」の認識論278~9ページにカントの認識論として載っていますが(うちのも昭和48年初版本)、用語説明すると、「感性」によって対象を捉え知覚し直観を得るが、感性はまとまりのないデータをバラバラに取得するだけなので、それらを整理・統合しカテゴリーで概念を把握するのが「悟性」。
統一思想要綱には「(理性は)いかなる形式や内容の規定も制約も受けない自由な思考の段階であり、認識のもっとも高い段階である。」とありますが、カントによれば、理性もある枠組みによって規定されているそうです。“抽象的なものたとえば創造主の存在の問題などに取り組もうとすると、とたんに理性は暴走したり、矛盾に陥ります。”
http://www.philosophyguides.org/decoding-of-kant-kritik-reinen-vernunft/

http://blogs.yahoo.co.jp/sabia59_62/50737782.html
など読みました。

つまり言いたいことは、創造原理も初っ端から、“人間と宇宙を創造した神はいかなるお方か…”と神の天地創造を前提として書いていますが(その点は統一思想も同じかと)、いくら被造世界を観察しても神を第一原因としない宗教・思想があるし(例えば仏教、道教など)、とくに仏教はキリスト教と並ぶ高等宗教で、キリスト教より優れているとの見解に至った高名な方々も存在するし、少なくても認識の到達点はキリスト教と仏教はほぼ同じという観点を基本にしていただきたいですね。神々の黄昏さんには。今は朝鮮宗教みたいな内敵の応戦が大変で、そこまで手が回らないかもしれませんが。
参考(にならないか)http://www.tomabechi.jp/archives/50316486.html

カントのいうように、“「神が存在する」も「神は存在しない」も両方証明できてしまい二律背反に陥るし、神の存在はあくまで理性の推論にすぎないが、推論とはいえ、それは道徳的な側面で意味をもつ。神の存在を想定することは確かに可能だし、理性にはそうする権利がある。むしろ、道徳法則が拘束力をもつためにこそ、神の存在が要請されなければならないのだ。”ぐらいの余裕がないと、2年後が心配です。
2年後には神はいるとは思っていない(?)米本さんが徹底的に議論したいということですから。
そのぐらいの余裕はあると? ならけっこうですが(笑)

「そうですか、しかしやはりそれは大がかりな推論に過ぎないですね」「そうです。しかし我々はこういう有神論の立場を選んでいるのです」
でもまあこういう感じですかねっ

神々の黄昏さん 米本さん

神々の黄昏さん ありがとうございます。
ご推薦の「朝鮮紀行」を読んでみます。
私も文先生と日本統一教会の間に韓国人幹部がいない方がずっと良いと思うことがよくあります。もう手遅れでしょうけどね。

ここで神々の黄昏さんとの会話を米本さんの表題と結びつけようと思います。真理は知れば目が開かれ物事がよく見えてくるはずです。私も統一思想の内容を知らなければこの統一教会にはいなかったでしょう。その中でも「心情」の部分は特に大事な部分です。しかし教会は統一思想についてあまり重要視していないようです。それどころか日本統一教会はいつの間にか統一原理の一部を歪曲して教育して人々の目を盲目にしてしまいました。何の問題意識も持たせずにただ信じることを信徒に指導してきました。だから統一教会の幹部がいつでも何処でも同じ話をしてもらわないと困るのです。違う話だと疑問を持つようになります。そうすると自分で考えるようになり、自分で判断するようになります。それでは統一教会は困るのです。今の統一教会は自分で考えたり判断出来なくなった人達を相手にしているので、「神山元会長がこんな風に言ってましたが、どうなんでしょうか?」と質問されることで混乱することを恐れているのです。羊(信徒)は黙って牧者(教会指導者)の言うことを黙って聞いてくれればそれでいいと思っているのでしょう。そうすればそのうち羊毛も羊の肉も牧者のものとなるのですから、逃げられては困るからです。
それが恐れている大きな理由のような気がします。
羊は羊で「終わりの日には羊と山羊に分けられる」と思っているのですから、山羊のように自分で考えて判断して牧者から逃げ出してしまうとオオカミに食べられてしまうので、どうせ死ぬなら羊毛も羊の肉も牧者に役に立つ道を選ぶのです。どうしても山羊になりたくないのでしょうね。救い難いかもしれません。






暗在さん&悟空さんへの雑感

暗在さん
>「そうですか、しかしやはりそれは大がかりな推論に過ぎないですね」「そうです。しかし我々はこういう有神論の立場を選んでいるのです」

 まあ、そういったところでしょうね(笑

 もっとも、有神論を否定するつもりはないので、論争することはないでしょうが。

 ただし、統一神は多くの人を不幸に陥れたので、大いなるこだわりをもっています。それに宗教と科学を統一するという大ぼらを吹いていることだし。
 いずれ、テーマに余裕ができたときに、一本の記事にして、論争できればと考えていますが、かなりかなり先になるでしょう。

(また新たな情報が入ってきたので、またまた予定変更です。在庫記事がたまりにたまって。トホホ)


悟空さん
>羊は羊で「終わりの日には羊と山羊に分けられる」と思っているのですから、山羊のように自分で考えて判断して牧者から逃げ出してしまうとオオカミに食べられてしまうので、どうせ死ぬなら羊毛も羊の肉も牧者に役に立つ道を選ぶのです。どうしても山羊になりたくないのでしょうね。救い難いかもしれません。

 爆笑。オオカミに食べられるほうがいいか、牧者に金を根こそぎ奪われるほうがいいか。難しい選択でしょうね。

 いまだに借金して解怨している教会員もいれば、暗在さんのようにオオカミと格闘した結果、新たな地平を築いた元教会員もいれば・・・。

自分という概念

自分の頭で考える。自分で判断する。自分という概念を否定する 自己否定 を徹底的に求めたのが、統一教会 特に日本の食口に強く求めたと私は思います。なぜなら日本は エバ国家経済特に 金集めに邁進させるには非常に都合が良かったはず。なんで自分の判断でするのか?よく怒られました。日本食口には自己否定を求めるなら、韓国食口にも自己否定 を求めるべきですが、自己中 の彼等には無理か。それにしても、それぞれの立ち位置があるはずですが、日本がエバ国家で金集めの責任分担 なら、韓国アダム国家の使命役割責任分担はなんですか?アメリカ天使長国家の使命役割責任分担はなんですか?それぞれにあるはずです。彼等 アメリカや韓国の食口が嫌がるから日本にシワ寄せじゃないんですか?彼等は、自分達の責任分担果たしてるんですか?自分の頭で考えると今の統一教会の現状を考えるとそんな疑問がわきます。

【第2弾】神山威氏の講演内容(2014年9月21日、東京)の誤り

【第2弾】神山威氏の講演内容(2014年9月21日、東京)の誤り
http://trueparents.jp/?page_id=1463

 神山氏の公開討論を断っておきながら、後になって批判する。卑劣ですね。

 この批判文は、一般教会員向けというよりも、韓鶴子氏に報告するためであろう。
「お母様、反摂理的集団のトップ、神山をやっつけました」

 まるで学芸会。ワロタ

後出しじゃんけん

【第2弾】神山威氏の講演内容(2014年9月21日、東京)の誤り

後出しじゃんけんって、一番卑怯なことだって、子供のころによく言われたものだったけど、本部って恥ずかしげもなくやるんですね。しかも第2弾っていって2回も後出しじゃんけんして、3回目も4回目もやる気満々のようですね。

でも、あれを読んで「なるほど」と納得する人っているんですかね。食口だったら、「変なの」と思うと思います。だって、神山先生が訴える本質には全然反論してなくて、枝葉の部分だけですから。

米本さんが言うように、お母様への報告用なんでしょうね。

Re:感性・悟性・理性

 暗在さんにコメントより大変参考になるブログを紹介していただき、勉強させてもらいました。
 どうもありがとうございました。
 暗在さんから紹介いただいた苫米地英人氏のブログは全く違和感なく読むことができました。
 何故かと言えば、今自分が懐いている宗教観とかなり近いものだったからです。
 苫米地氏は‘無矛盾’を最重要視しておりますが、そこは統一原理の創造原理には当てはまる観点です。
 しかし、堕落論以降は、所々矛盾が現れ、苫米地氏が指摘するところの「カルト」宗教に近い宗教理論になってしまい、文鮮明氏の‘御言葉’に至っては矛盾が当たり前のような典型的「カルト」宗教論になってしまうのです。
 統一原理に関しては、第一原因として既に神を想定していることに暗在さんは問題を感じておられるようですが、そのことについては私自身の考えも含めてさらに説明が必要かと思います。

 しかし、今回の記事のテーマと異なることと、ある程度字数を要することから、別の機会に意見を述べさせていただきます。
 また暗在さんは米本さんが後々に統一思想要綱の内容について問題提起される件に関して、それなりに興味を懐いておられるようですが、米本さんの「それに宗教と科学を統一するという大ぼらを吹いていることだし。」というコメントを拝見しましても、多分、最初に‘誤解’を解くだけでも多くのコメントのやりとりが続くような予感がします。

 しかし、私自身としましては、‘神の存在’を選択したそれなりの確固たる理由がありまして、それは原理講論の説明だけと言う訳でもありませんし、原理講論や統一思想要綱には多少韓国人独特の表現が混ざっており、そこからくる米本さんの問題提起もあると思われますので、すんなり終結ような議論にはなりそうもないですね。
 ま、暗在さんはお笑い番組の時間を待つような気楽な気分で、急がず楽しみはその時まで待っていてください。

Re:自分という概念

小川さん
>自分の頭で考える。自分で判断する。自分という概念を否定する 自己否定 を徹底的に求めたのが、統一教会 特に日本の食口に強く求めたと私は思います。なぜなら日本は エバ国家経済特に 金集めに邁進させるには非常に都合が良かったはず。なんで自分の判断でするのか?よく怒られました。

 何気なく読んだあと、ふと考えてしまいました。
 
<1958年、当時まだ国交のなかった日本での伝道のため崔奉春(日本名:西川勝)を密入国させ1959年10月に日本統一教会/日本統一協会を立ち上げ、1964年には東京都知事の認証で宗教法人となった。1960年代初めには立正佼成会の庭野日敬会長(当時)の指示で統一教会/統一協会の教えを学んでいた立正佼成会の青年部の信者50名ほどが統一教会/統一協会に転じ、2年後に日本の会長になった久保木修己をはじめ、後に教団幹部となる者が出た>

 これはウィキペディアの一文です。廃品回収での資金集めが始まったのは60年代後半からでしょう。

 統一教会は誕生したときから、自分を持たないような信者を求めたわけではないはずです。いつぐらいからどのように変質していったのか。
 それを知るには、西川勝さんにインタビューするしかないと考えています。

西川先生

米本さん

私も西川先生のインタビュー楽しみにしています。

2008年の日本宣教50周年記念大会で突然現れた西川先生の講演。
私にはこれしか西川先生を知るすべはありませんが、語られた内容は統一教会が忘れてしまっているであろうことを思い出させる内容でした。

地上天国を創ろうといいながら、その天国に入るにふさわしい人間を創ろうとしなかった統一教会。周りを見回しても、(自分も含めて)こんな人間が集まった天国に誰が入りたいというのか、というような人間ばかり。

先祖解怨、先祖祝福をせっせとして、先祖は絶対善霊になったかもしれないけれども、当の本人は霊界に行ったら絶対善霊になれるのかしら?・・・→ 霊界で100日修練会を受ければなれるそうですから、なれるのでしょう。

以前、「火の粉」ブログでも、西川先生を題材にしたと思われる小説?のブログが話題になりました。
個人的には意図的な物を感じ、西川先生の思いを本当の意味で代弁しているように思えませんでしたが、実際はどうなのでしょう?

最近思います。
西川先生は日本宣教に出発した時から、その思いを今でも変わらす持っておられるのではないか?
変わってしまったのは、統一教会の方ではないかと。

神山氏の講演から

神山氏の講演会に参加した親戚から講演内容を聞きました。
結論から言いますと、枝葉末節の部分で議論が展開されているだけで、だから何?って感じですね。本部(正統?)派からつつかれても仕方が無いような・・・

お話の内容から昔懐かし久保木時代の香りが漂っていました。そう思ったのは私だけでしょうか。未だに羊であろうとする本部(正統?)派は救いようのない代物ですが、久保木教の布教でもしているかのような神山氏も同じ穴の狢ではないかと思います。亡くなった方の過去のみ言を引き合いに出し、「絵に描いた餅」で議論を展開しているだけです。それに共感する人は、その時代を共に苦労した感性のようなもので繋がれるのでしょう。所詮、語られた言に絶対的に侍るなど難しいこと。聖書と時代変遷、キリスト教の分派が証明しています。危機は訴えられても、それを越えるノウハウを提示するまでには至っていないし、だから何って感じです。


余談ですが、この親戚信者に年頃の娘がいまして、その子が恋愛結婚を願い出てしまい、相当悩んでいます。母親の方は2世なのにどうしたらいいのか。既成祝福でも受けさせたい。でも、その献金は2倍の400万円。2世同士なら200万円で済むのに・・・など、悩みは現実的なところにまで及んでいます。日本では既成祝福に400万って、本当ですか? かなりのバカバカしさ。何で悩むの?

神々の黄昏さんへ

>統一原理に関しては、第一原因として既に神を想定していることに暗在さんは問題を感じておられるようですが>

こちらの言葉が足りなかったのですが、そのこと自体が問題だとは思っていないです。
実は神々の黄昏さんが少し前「米本さんの質問への簡単な返答」というタイトルのコメント投稿で
>創造原理においては帰納法的に神という存在を追究しており >
と書いておられ、
確かに、被造世界を観察することで第一原因である神の性質を知ってゆくのは帰納法的ですが、
創造原理のまえがきでも「人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである」と神の天地創造を前提としていて、最初から第一原因として神を想定しているので、創造原理は大枠では(帰納的ではなく)演繹的だろうという思いがあって、そのやる方ない思いを霊的に察知されたのか分かりませんが、
つまり、「第一原因として既に神を想定していること」自体が問題だとは思っていませんが、それは演繹で、あくまでも帰納を貫いているような有神論ではない他の宗教(仏陀など)を下に見るようなことは間違いです、しないでいただきたいということがいいたかったのです。統一教会の本音ではありがちだったので。もちろん神々の黄昏さんがそうだとはいってません。むしろ逆でしょう(ヨイショ)

>ま、暗在さんはお笑い番組の時間を待つような気楽な気分で、急がず楽しみはその時まで待っていてください。

「やられたらやり返す。1.2倍返しだ。」という感じですね。キツイキツイ(笑)
では、今女子小学生に人気一位の“だめよ~ダメダメ~”の「日本エレキテル連合」のお笑いコントでも見ながら待つことにしまーす。

朱美ちゃんと細貝さんが別人のようになって:
http://www.youtube.com/watch?v=wvPMdiFPTdY
http://www.youtube.com/watch?v=D7PTbVERwyM
この子たちはお笑いに人生をかけているらしい。朱美ちゃんは男役がうまい。

定番:http://www.youtube.com/watch?v=qgpUrzObxeU

斜眼帯

神山氏が離日したからでしょうか、教会では説教で神山批判が強まり、信者間では流言飛語が交わされるようになりました。

中には、こんなことを言う人も。
「神山氏は名古屋の開拓伝道で功績のあった人。御嶽山噴火による4人の犠牲は名古屋(豊田)の人たち。御嶽山噴火は神山氏の不信仰が原因なのでは…」


ああ、カルト化が進む統一教会…。

どうして、そこまで斜眼帯を付けられた馬みたいに、上の言いなりになれるのだろう…。
自分で確かめもせず、上からの情報をもって、あの人=悪と決めつけられるのだろう…。

自分たちが偏狭な“お母様教”“清平グループ”“祈願書派”になっていることが分からないのだろうか…。
ああ。

神山講演参加者への粛清が始まった。

 タイトルのことを、「あなた方は、なにをそんなに怯えているのか!?」の記事の末尾に追加しました。
 ご一読を!

教会本部をマジ切れさせたyosia621さんの論考

教会公式サイトの神山講演批判文に対して、yosia621さんがブログで連載して反論を書きました。

神山氏講演に対する本部(太田朝久氏)批判について・・No1~5
http://ameblo.jp/yosia621/

これに対して教会本部が昨日(12/7)、反論をアップしました。

「神山威氏の代弁者の批判」(yosia621のブログ)に反論する ―― とんちんかんな代弁者(yosia621)に対する批判
http://trueparents.jp/?page_id=1501

個人のブログには言及しないと宣言していた本部が、自らに課した禁を破った結果となりました。

http://www.ucjp.org/?page_id=77
(最下段)
「法人として個人の方のサイトやブログに干渉したりコメントする立場にない」との方針

yosia621さんの反論が、かなり痛いところを突いていたということでしょうね。自らの宣言を翻して猛反論せざるを得なかったということですね。本部の焦りを感じます。

ま、前言を翻すことはお得の教会ですから。会長様自らがコンプライアンス宣言を翻して、献金プッシュに勤しんでおられるくらいだもん。

yosia621さんの再反論に期待したいです。

血で血を洗う争い

教会本部の公式見解とかいう「神山威氏の代弁者の批判」(yosia621のブログ)に反論する ―― とんちんかんな代弁者(yosia621)に対する批判を読みました。

「公式」という言を借り、自分の土俵で伸び伸びと批判できましたって、感じですね。それだけ器のない人物ということ。

前提となる理念にまで遡った見解の不一致であるため、詭弁と批判する道理はなく、ただの「水掛け論」です。

何よりも原理とか、み言とかと関わりのない人には何のことだかわかりません。内部向けだから、それでいいということ?

現実的、実体的には神山氏の言い分のほうが説得力を持っています。
実際に遺したのは統一ではなく分裂ですし、平和ではなく闘争、以前にも増して深刻な世界情勢です。

自分の土俵でなら、誰でもそれ位できます。そのすばらしい天聖経をもって、黒でも赤でも、どちらでもいいから、「現代社会の問題解決」と題して本部の公式見解を一般の人にもわかるように発表してごらんなさい。但し、神、真の父母、狭義の原理用語などは使用せず、一般社会の土俵で語ってごらん、と言いたい。

日本では400万円の天聖経。私共は韓国語のものですが、タダでいただきました。立派な写真集も付いていました。黒とか、赤とか、そのうち青や金箔のものも出てきて、ますます混乱を招くのでしょう。全て献金、集金のため。

例えば、
1.イスラム国出現の背景とイスラム世界の病理
2.イスラエルとパレスチナに和解の道はあるか。
3.統一協会がエンドレス献金の会計報告、監査報告をしない理由

など、問題は尽きません。

血で血を洗うような争いをする前に、やることがたくさんあるでしょう、と言いたい。

前からファシズムだったけど(独裁)、更に拍車が掛かっておりますな。日本人を馬鹿にし過ぎだし、舐めすぎ。日本との紛争はないと思われ、日本人は闘争をしないと思われているのかな?あ~竹島紛争が待ち遠しい。お掃除頑張りま---す!!
半島人は、はよ半島へ帰ったほうがよろしいのでは?ww

清掃員さんへ

 タイトルをつけてくださいな。

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