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再掲 天国に行けない哀れな倉敷の牧師さん 

拉致監禁リアル情報(39)

 天宙清平修練院長のハ・ヨンホが検察に召還された!という速報が飛び込んできた。話題が拡散するのを避けるために、11日にアップした本稿を14日に非公開とした。19日となったので予告通り、再掲載する。末尾にこの間の動きを追記しておく。


<注>予定している「9・12文家フツウ婚」は連載記事。長くなるので、1カ月前に書いていた天国に行けない哀れな倉敷の牧師さんをアップする。それから断食芸人こと井口氏のこと。そのあと、フツウ婚。

余命5年の高山牧師

「秀のブログ」の8月19日付記事を引用する。出典は「拉致監禁被害者 解放! しかし、、、、。」

(引用はじめ)
本当に残念なことに新たな「拉致監禁」が発生したことも伝えなくてはならない。
詳細はまだわからないが、岡山方面で婦人が監禁という情報が手元に入ってきている
ということは、倉敷めぐみの教会の牧師であり、ブログ:たかたか庵の高山正治牧師の関与を疑わざる得ない。
実際、高山牧師主導による「拉致監禁・強制改宗」は近年も行われている。
続報があれば、追記する。
(引用終わり)

 高山正治氏と言えば、元ヤクザ(暴力団構成員)を自称する名うての脱会請負人。しかし、彼は1年前だったか、複数の病気を患い、余命5年とブログで明かしていた。7月下旬には35回の放射線治療を終えたとも。

「自称元ヤクザ」の出典は「倉敷めぐみキリスト教会・高山正治牧師への公開質問状 」 

 そんな病人が婦人食口を監禁下で説得するものだろうか。しかも、齢70を超した老人である。
 ところが、高山氏は大病、老化などものともせず、強制説得を続けていたのだ。

高山牧師(写真)
 

 まず、「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」サイト(2013年4月1日付)の記事である。
 
(引用はじめ)

 3月28日(木)、山口県岩国市の実家へ帰省した女性教会員のM.Mさん(26歳・西広島教区所属)の消息が途絶えました。状況から拉致監禁事件に巻き込まれたものとみられています。
 介護師であるM.Mさんの勤務先では、30日(土)の夜勤が予定されていましたが、M.Mさんの母親を名乗る人物から「娘をしばらく休ませます」との電話があったとのことです。
 かねてより家族から反対を受けていたM.Mさんは、昨年(2012年)1月、家族によって約1週間軟禁状態におかれ、脱会説得を受けた経緯があります。その際、M.Mさんの兄と日本基督教団周防教会(岩国市玖珂町)の村田敏牧師(54)が連絡を取り合っているメールをM.Mさん本人が確認していました。
 軟禁後は、ご両親がM.Mさんの通う教会を訪ねるなどの前向きな交流を重ね、M.Mさん自身も月に一度は実家に帰省していました。

(引用終わり)

WHO IS M・M ? 

 それから4ヶ月後の8月17日に、Mさんが突如、不特定多数の場に登場したのである。
 その場所とは「ブログ村-統一教会 批判・告発」。 ブログ名は「みほのブログ」である。
 ここの管理人の「みほ」さんが、西広島教区所属のM・Mさんなのである。

 みほさんは、ブログ開設から約3週間後の9月3日付の記事「兄弟姉妹」で、次のように書いている。

「私の脱会のきっかけは親による保護説得でした。だから急に兄弟姉妹の前から姿を消しました。数ヶ月の保護説得で脱会して脱会届けを統一教会に送りホームに荷物を必要最低限取りに行きました」
「私は保護説得に対しては100%賛成ではないけど、私は保護説得でないと脱会出来なかったと思うけど、保護説得はされた本人もだけど、統一教会の兄弟姉妹も一緒に歩んでた兄弟姉妹が急にいなくて傷ついてしまいます」

 みほさんのブログは、牧師から説得を受けたことなど割と正直に書いていて、好感がもてるブログである。だが、牧師の名は今日に至るも、明かされていない。
 前出の、被害者の会の記事には「日本基督教団周防教会(岩国市玖珂町)の村田敏牧師」の名が出ていた。だが、彼はこれまで拉致監禁(保護説得)に手を染めたことは一度もない。

誰がみほさんを強制説得したのか

 長い間、謎だったが、それがひょんなことから明らかになった。点と点が結ばれ、やがて真相が明らかになる。まるで推理小説のようなお話。


弁連での証

 まず、「みほのブログ」、「弁連の証」 (今年の4月29日付)であった。
 クリックして全文を読んでもらえばわかるが、今年の4月11日の神戸で開かれた全国弁連の集会で、みほさんが講演した内容をまとめたものである。クリックして一読を!

 年に2回開かれる全国弁連の集会は、脱会者が演壇にあがって「証」をするのが通例である。私が参加した95年の福岡集会でも2人の脱会者が報告していたと記憶する。ほとんどが女性脱会者である。
 “美学的図式”というか流れはこうである。
 家族が拉致監禁→牧師らが説得→脱会→“リハビリ”→社会復帰ないし改宗→弁連で報告
 まるでコンビニのマニュアルみたいですね。

 95年ぐらいなら、証をする候補者はたくさんいたが、ここ数年は拉致監禁事件も減り、人材不足。そこで、弁連の山口広弁護士あたりが強制説得家に声をかける。
「先生、今度の集会で話してくれそうな脱会者はいませんか」

 みほさんは、脱会からすでに1年以上が経過するが、介護の仕事に復帰することなく、今でも“リハビリ”中である。冤罪事件の被害者・宇佐美さんの元婚約者だったK・M子氏の例があるが、“リハビリ”中の脱会者が集会でスピーチすることはほとんどない。

 話は少しそれる。脱会者に“リハビリ”の卒業証明書が授与されるのは、脱会者が「保護説得されなければ脱会できなかった」と再認識し、「保護説得を決意してくれた両親に感謝する」という気持ちになったときである。
 
【参照記事】「保護か拉致監禁か」

 卒業していないと、集会でどんな発言が飛び出すかわからない。「保護説得の期間中は苦しかった」。そう正直に話せば、説得した牧師や集会の主催者たちは青くなってしまう。
 実際、脱会者の宿谷麻子さん(当時、黒鳥栄牧師のもとでリハビリ中)が今利裁判閉廷後の集会の場で、そう発言し、波紋を呼んだ。拙著『我らの不快な隣人』(117~119頁)。

 みほさんが弁連で証す4月11日前までのブログを読めば、拉致監禁陣営寄りの変な感想になってしまうのだが、私からしても、スピーチするのは早すぎる。みほさんを脱会説得した牧師も同じように思ったようだ。


弁連講師

 この牧師は弁連集会後のブログで、要旨、こう綴っていた。
「スピーチするのは早すぎると心配していたが、杞憂に終わった」
 ブログ名は「たかたか庵」。管理人は牧師の高山正治氏である。

 これだけで、高山犯人説を導き出したわけではない。
 彼は、ブログで3点のことを述べていた。
(1)私は、弁連大会に講師として参加した。(これは長々と書かれていた)
(2)最近脱会した信者もスピーチした。(これは一行)
(3)脱会者がスピーチするのは早すぎると心配していたが、杞憂に終わった。
(これも一行)

 ここから言えることは、➀高山氏もみほさんも弁連の集会に参加しスピーチしていたこと、②みほさんがスピーチするのは早すぎると高山氏は心配していたこと-である。
 集会には複数の脱会説得牧師が参加するが、スピーチする脱会者のことを知らない。仮に事前に名前を知らされていても、脱会者の現在の状態など知りようもない。それなのに、高山氏はみほさんの状態を知っていて、「早すぎる」と心配したのである。
  
「みほのブログ」と「たかたか庵」を読んで、このように整理することができたわけではない。
 そもそも、2つのブログを読み比べて、「高山&みほ」の結びつきを推理するような人はいないはず。それにもかかわらず、驚いたことに、「弁連で久しぶりに講師となってしゃべった」といった自慢話の記事を数日後に削除したのである。
 これによって、私の脳味噌が活発に動き出した。
 削除しなければならなかった理由は何か。まずい記述があったからである。それはどの部分か。考えられるのは、先の3点の記述の(2)と(3)であろう。
 心配性の誰かが「まずいよ。バレるよ」とアドバイスしたに相違ない。


カルト被害を考える会

 たんなる憶測に過ぎないという人もいるかもしれない。
 しかし、私の推理を補強する報告書もあるのだ。
 「カルト被害を考える会 会報 2014年5月・第74号」 である。

 長文だが、「Mさんの体験談―私は保護説得で脱会しました」という見出しのところを読んでもらいたい。
 末尾に補足説明が書かれている。
「Mさんは、倉敷の出エジプト会に通ってリハビリを受けています」
「倉敷の出エジプト会」とは、高山氏が主宰する脱会者たちのリハビリの場である。【参照】「出エジプト会」
 報告書を書いた、「カルト被害を考える会」の事務局長、葛原健志さんは正直な人である。

IMG_3110.jpg

<注>岡山県を本拠とする「カルト被害の会」の代表は、弁国弁連所属の河田英正弁護士。会員数は約70人


秘密はいつかは漏れるもの

 複数の人が事実を知っている場合、隠すのは容易なことではない。
 こういうことがあった。
 火の粉ブログで、「保護説得と親子関係」を連載した。(保護説得と親子関係(15)以前の記事を参照)
 一言で言えば「保護説得をすると、子どもは傷つき、親子関係が悪化する」という趣旨の記事である。
 この連載記事は、全国弁連や脱会説得者たちにハレーションを呼び起こした。
 おそらく、複数の信者家族がほんとうのことなのかと問い合わせがあったからだと思うが、記事後の弁連集会で、脱会した娘とその父親が仲良く壇上にあがって、「私たちの親子関係はうまくいっています」とアピールしたのである。(暗に、火の粉ブログはデタラメを書いている、と)
 むろん、親子の名前は対外的にはマル秘扱いである。
 しかし、大勢の参加者がいる。マル秘扱いは無理である。
 結果として、私に知れるところとなった。

 この娘さんを監禁説得をしたのは脱会屋の宮村峻氏である。
 調べた時点でのことだが、家族は横浜市の港南台の住宅街の一角で暮らしていた。
 ルポライターさんはそこまで調べるのか暇そうと嘲笑されそうなので、釈明しておくが(苦笑)、港南台は私が一時暮らしていたところである。<あれから30年、港南台もさぞかし変わっただろうな>という感傷的な気分になり、出かけた。
 確かに、街は大きく変貌していた。こんもりとしていたはずのいくつかの森はすべて住宅街になっていた。土地勘は狂い、探すのにずいぶんと時間がかった。
 父と娘のことは今回、初めて明かした。全国弁連の諸君の「米本の野郎、そこまで調べるのか」と赤くなったり青くなったりしている顔が浮かぶ(苦笑)。
 ともかく秘密にしていても、複数の人が知っている事実なら、いつかは漏れるもの。統一教会のマル秘公文と同じである。全国弁連の弁護士さんたちに、提言しておく。
 秘密をバラした奴は銃殺刑あるいは強制労働施設に送り込む-といった内部規約でも設けたらいかがか。


感受性豊かなみほさん

 饒舌になった。話は再び、高山&みほのことに。
 高山氏は「スピーチするのは早すぎると心配していた」。なぜ、早いと思ったのか。
 先に紹介したみほさんのブログの一部を引用する。
「私は保護説得でないと脱会出来なかったと思う」と言いながらも、「私は保護説得に対しては100%賛成ではない」「保護説得はされた本人もだけど、統一教会の兄弟姉妹も一緒に歩んでた兄弟姉妹が急にいなくて傷ついてしまいます」 と気持ちを正直に吐露している。 急に私がいなくなって兄弟姉妹(教会員)も傷ついている-と感じていたのである。

 なお、みほさんは今でも「保護説得(拉致監禁)」をいいやり方だと思っていない。「いい加減拉致監禁って言うのはやめて」を読んでいただきたい。みほさんは実に感受性豊かな女性のようである。


高山の功名心

 ともあれ、こういうレベルなのに、なぜ高山氏はみほさんを証の候補として推薦したのか。矛盾した話である。
 それは、脱会説得者たちの「功名心」が関係していると推測する。
 彼らの評価は、脱会者をきちんとした脱会者、変な表現だなあ、きちんとした反統一思考の脱会者にさせたかで決まる。意外に思われるかもしれないが、強制脱会者のすべてが反統一思考となるわけではない。それゆえ、弁連集会で証をしてもよいという脱会者はそれほど多くないのだ。
 逆に言えば、証をする脱会者がいれば、誰が脱会させたのかは注目の的。「ほ~、あの先生なのか」。
 こんなわけで、高山氏は「まだ早すぎるかも」と杞憂しながらも、功名心にそそられて、みほさんを推薦したのである。
 当たらずとも遠からずだろう。

 それにしても、後藤徹さんが提訴した裁判が話題になっている中で、どうして高山牧師のお仲間の牧師高澤守氏は夫婦まるごと、高澤氏のアベル・宮村氏は石橋さんを監禁説得をするのか。誰だって、不思議に思うだろう。
 これについては後日のブログで書く予定だが、彼らの依存症(中毒症状)が関係していると判断している。決してからかいとか比喩で、依存症(中毒症状)といっているわけではない。

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天国に行きたい高山先生

 そのことは後日書くとして、ここでは、高山牧師の特殊な心理を解き明かしておくことにする。

 高山牧師は、余命5年を医師から宣告されたあと、ブログで「死んだら天国に行きたい」と書いていた。
 自分の死を意識したのだろうが、人々を安寧の世界に導く牧師が自ら天国に行きたいという。思わず、のけぞってしまった。
 彼は、<ひょっとしたら天国に行けないかもしれない>という心の不安を抱えているのだ。でなければ、「天国に行きたい」などと書くわけがない。
 不安材料が何かはわからないが、彼は天国に行ける勝利の方程式を考えた。
 それは、病苦をおして神の期待に応えることだ。
 高山氏が夢想した神の期待とは何か。それは、異教徒を神の手に戻すことだ! (まるで“カルト“である!)
 

 <統一教会からの脱会相談は来ている。病気だから、断るのは摂理に反する。辛くても、喜んで強制説得を続けなければならない>
 ブログ「たかたか庵」を読めばこう解釈する以外にない。
 神学のことはまるでわからないが、高山牧師は神を、統一教会と同じように人格神(「調子の長兵衛」神)として捉えているようである。

 それで、冒頭に秀さんが記した岡山の婦人食口をやってしまった!

 高山牧師が今後も世俗の法を無視して、異教徒たちを救うのは自由である。
 だが、高山氏が忘れてならないのは、強制説得したあとの親子関係の悪化である。高山氏の周辺では怨嗟の声なき声が渦巻いている。
 まあ、今の高山先生の目下の関心事は、みほさんを立派な正統派クリスチャンにして、神様から喜ばれることであろう。
 宣告するようで申し訳ないのだが、あなたは天国には行けない!!
 

 数年後にあの世でもがき苦しみ続けるだろう。そして、文鮮明霊と永遠にバトルすることになる。見てみたいなぁ アーメン。
 どうしたら、そこから逃れることができるのか?って。
 まあ、これまでを悔い改め、あなたの強制説得によって、悪化した親子関係の修復の旅に出ることだ。今さら、そんなことはできない?
 ならば、「浄土真宗親鸞会」に入信し、信心決定(しんじんけつじょう)することです~ぅ

-記事掲載後の動き-(11日~19日)


 高山正治氏には記事をアップした11日に、彼のブログ「たかたか庵」のコメント欄に、記事掲載の報告とともに、間違い等があれば個人メールに連絡してもらいたい旨のことを投稿しておいた。
「高山氏がみほさんを保護説得した」という記事の信憑性には自信があったが、監禁現場を直接見たわけでなし、100%確実ではない。だから、「みほさんを保護説得したのは私ではない」というメールが届くかどうか、一抹の不安を抱えながら待っていた。
 9日間経ったが、連絡はない。

 一方、みほさんは2つの記事をアップしていた。
「更新してなかった理由」 「何故だろう? 」がそれである。
 みほさんも「説得したのは高山牧師ではなかった」と記事を否定していなかった。

 これで、高山氏は病苦のため保護(拉致監禁)説得を中止したわけではなく、相変わらずやっている-という事実が確定した。
 となると、これまで誰が背後にいたのか分からなかった松江教会の女性教会員岡山理科大のカープメンバーの保護(拉致監禁)説得も、高山氏が関わっていた可能性が高くなった。
 青年教会員よ!カープメンバーよ!
 倉敷めぐみキリスト教会の「天国に行きたい」と願っている高山エセ牧師には注意が必要だ。
 高山氏よ!
 保護説得に失敗するなよ。失敗すれば逮捕監禁罪で刑務所行きだ!


 

拉致監禁事件に光を!


 一部のブログ世界で、清平の不正疑惑、7/1韓講話、文家娘の恋愛結婚、神山講演などが話題になっていた。そのため、拉致監禁事件の話題が後背に追いやられてしまった。私のブログもそれに加担しているので、内心忸怩たるものがある。

 それに対して、 「拉致監禁by宮村の裁判記録」ブログは、ぶれることなく、こつこつ控訴審に提出された記事をアップしている。これが実に面白い。
「被告へのカウンターパンチ!! 原告後藤徹氏が刑事告訴の際に荻窪警察署に提出したノートとカレンダー紙片メモに関する陳述書」
「後藤徹氏の陳述書(控訴2)-超重要証拠「秘密の小型ノート」を原告が隠し持っていた!これも被告側が証拠隠滅か?!」
「後藤徹氏の陳述書(控訴2)<その2>-監禁11年目、極限状態で書かれたカレンダー紙片メモの内容とは?!」
「後藤徹氏の陳述書(控訴2)<その3>-まるで獄中記!監禁・拷問下で原告が書き綴った祈祷メモ!」

 忙しければ、上から3つ目の記事だけでも目を通してもらいたい。拉致監禁事件を超えて、人生で苦境に立ったとき、後藤徹さんのようなことがやれるかどうか。きっと感じるものがあると確信する。

 もう一つ、読んでもらいたいブログ記事がある。Yoshiさんの「後藤裁判 控訴審 甲185号証:棄教を目的とする拉致と監禁(1)」「後藤裁判 控訴審 甲185号証:棄教を目的とする拉致と監禁(2)」「後藤裁判 控訴審 甲185号証:棄教を目的とする拉致と監禁(3)」である。ヨーロッパの人権活動家の後藤事件の分析である。日本にはない視点での報告書は興味深い。

  また、奈々草さんのブログ「親の気持ち 子の気持ち」で、「私がカルトにはまった理由」の長期連載が始まった。お見逃しなく。
 彼女は脱会者だが、統一教会告発村の元信者のように、騙されたとかマインドコントロールされたの一言で過去を総括する皮相なレベルとは違って、20年近くも前のことにきちんと向き合っている。このような元信者は宿谷麻子さん以来である。


-次回は、断食芸人こと井口氏のこと。彼の過去の活動が拉致監禁を誘因していることに気がついたからだ。井口氏に関する情報があれば、個人メールか手紙あるいはFAXでお寄せください。ぺこり

 興味深い記事だと思われた方は
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噂の真相-1行記事

統一教会の幹部を狙ったテロが計画されている。警戒レベルは3!



【身辺雑記】 先日、兄が帰省したとき、億劫がる91歳の母親を説得して、3人で伯耆大山にドライブに出かけた。大山は中国地方の最高峰。私が最初に登った山であり、その素晴らしさに魅せられ山好きになった。19歳のときだった。
 嗚呼、今やすっかりジジイになってしまった。ここで漢詩の一つでも引用できればいいのだが、教養ないゆえスルー。3人の平均年齢は、てなことは置いといて、仲良し親子であることだけは確かである。
 下の写真は、そのときに撮った1枚である。眺めていると、心が和んでくる。読者のみなさんにおすそ分け。
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コメント

少し安心した。

「みほのブログ」が久しぶりに更新されました。

「最近の報告」http://ameblo.jp/3ho-0510/entry-11937535019.html

 居酒屋でバイトされるようになった由。少しばかり安心しました。

 しかし、「出来ることなら、絶対に働きたくないでござる」は、とても気にかかります。

 また、「ゆっくりですが、リハビリは順調かと思います」も。

 強制説得家はリハビリの必要性の意義を、脱会者にこう吹き込みます。

 統一教会にマインドコントロールされていた影響を拭うにはリハビリが必要だ、と。

 しかし、自主脱会者(自然退会者)は少しぐらいの休息はともかく、リハビリなど必要としてはいません。それなのに、なぜ、強制脱会者にはリハビリが必要なのか。

 それは、拉致監禁という、PTSDを発症してもおかしくないほどのショッキングな出来事を、リハビリ期間を人為的に作り、和らげるためなのです。保護説得を決行した親への不信感も、和らげる必要がある。

 みほさんに望むことがあります。拙著『我らの不快な隣人』を読まれ、宿谷麻子さんの苦闘ぶりを知ってもらいたいということです。
 アルバイトしながら、宿谷麻子さんのことを考える。それがなによりのリハビリだと思っています。
“統一教会の御用ライター”の本など読みたくなければ、世界的に有名になったハーマンの『心的外傷からの回復』でも。

統一教会の幹部を狙ったテロが計画されている?

統一教会の幹部を狙ったテロが計画されている?

気になりますね~。

統一教会幹部を狙ったテロ計画

これだけ恨みを買っている団体なので、十分あり得ますね。米本さんのことですから、何か情報をつかんでいるのでしょうね。

しかし、どんなに憎い相手であって、暴力はやめてほしいものです。法治国家ですから、法で解決してほしいです。

犯罪もどき集団の幹部を襲って自分が犯罪者になってしまうのはバカらしいです。彼らの違法行為の証拠を警察に持っていくなり、証言するなりして、犯罪者を摘発するほうに尽力してほしいです。

拉致監禁

さすが、拉致監禁問題に対してプロフェッショナルですね。
まさに正義の味方、すばらしいです。
ただ、統一教会批判は、お手柔らかにお願いしたいです。
一食口、一教会員からのお願いです。

統一信者はアホだ。

一食口さんのコメントを読み、ガッカリ。

やはり、統一は何もわかってないです。
何故、統一信者が拉致監禁されるのか?

はっきり言えば、統一が悪いから、拉致監禁されるのです。
そんなこともわからず、あくまで被害者面するから、世間は怒るのです。
被害を訴えても相手にしないのです。

どうせ、一食口は、みほさんのブログを読まずに、コメントしたのだろう。
よ〜くよ〜く穴があくほど読み込んで欲しいです。

「いい加減に拉致監禁って言わないで。」
拉致監禁に反対し、一応後藤さん裁判の世話人になってる私も同意します。

何故、そう言わせるのか、統一はよ〜くよ〜く考えてみてください。

愛、それはまぼろし。

よね様、ご機嫌よう。

私が、夫チャーリーのご両親に初めて会った時の話ですけど。ええ、マッチングで決まった結婚でも、世間と同じくお互いの実家に挨拶に行くんですの。

私、まず、じっくりと観察しました。何をって?はい。チャーリー父の頭を、です。もちろん、頭髪の残存具合を確認するためです。

で、チャーリー父の頭ですけど。毛がフサフサしておりました。これは夫となる男性の、将来の可能性を示唆するものとして、私、若干安堵を覚えた次第です。

は?髪の毛が、アリトルビット、もしくはナッシングなのが嫌いなのかって?いえいえ、そんなことございません。全く気にしません。でも、身近にものすごく気にする人がいたんです。それが、マイファーザーでした。

私の父は、30代から額が後退しだし、50代で頭頂部に後光が差すような状態になりました。そんなある日、突然我が家にあるものが登場したのです。それは、日本人なら誰もが知っている、かの有名なア○ランス!!

・・・まさか、まさかね。それ、いきなりかぶって出社するわけじゃないわよね。私は、生まれてから一度も父の笑った顔を見たことがありませんでした。冗談を言うどころか、挨拶するのさえも難しいくらいの、堅物だったんです。

でも、父はやりましたね。ある朝、突然全従業員数百名の面前に、ア○ランス頭を晒したのです。(現代のように、少しずつ増髪するなんて方法は、まだなかった時代です。)「それって、カツラですか?」なんて聞く勇気のある人は一人もいなかったみたいですが、きっと陰では、「ア○ランス××(父の名)」というあだ名がついたはず。そして、娘の私は、そんなに悩んでたんだ~、と改めて父の心中を察したのでした。

しか~し、頭髪の後退をそんなにも気にし、ア○ランスだということをあんなにもキッパリと世間に晒した父の、もっとも大きな犠牲者となったのは、実は私の弟だったのです。彼は、小学生の頃から非常に悩んでました。将来お父さんのように禿げたらどうしよう、と。

父が余りにも頭髪のことを気に病んでいたので、完全に影響されてしまったんです。弟にとって、毛髪がなくなっていくということが、人生の大問題となってしまったのです。

息子をとてつもなく悩ませていることに深く配慮することもなく、父は毎朝メガネをかけ(近眼だった)、カツラをかぶって出勤し続けました。これって、おしゃれとかってより、もう変装やん、って思ってたのは私だけじゃなかったはず。(多分)

年をとれば、男性は頭が薄くなる、女性は胸が垂れてくる、このような人生の無常、いやさ成り行きに対して余りにも過剰に反応しすぎると、家族までも不幸になる、と私は思いました。だから、チャーリー父の頭がどうなってるのか、そのことに対してどう思ってるのか、ものすごく知りたかったのです。

そんな私の父も、もうこの世にいません。私が統一教会に入るまで、ほとんど話をしたこともなく、統一教会に入った後はひたすら拉致監禁されていたので、最後まで笑った顔を見ることはありませんでした。(つまり、一生涯父の笑顔を見たことがない、ということ。)

まあ、私は元々家族関係が良くなかった、という特殊事情もあるのかもしれませんが、本当にちょっと油断すると、うっかり「ああ、母も早く霊界に行ってくれないかな~。」なんて思ってしまうんです。

私の親は、私が実家に帰ってきた時に2回、実家からものすごく離れたところに住んでいた時に2回、拉致しようとしたことがあります。だから、また来るかも知れない、といつも心の片隅で疑っているんです。

もちろん、現住所は教えてません。実家に帰ってもいません。

父が亡くなった後、ああ、もうこれで拉致されることはないな~、と一瞬思いましたが、そもそも拉致監禁を主導していたのは、父ではなく、母の方。この母がね。時々チャーリー家に手紙を送ってきてね。私たち(私&チャーリー)を誹謗中傷しているんですの。

なんか企んでるんじゃないか、またやるんじゃないか、ってどうしてもその疑いが拭えないんです。もし、万が一のことがあった場合、どうすればいいのか、常に考えてしまいます。

御夫婦で監禁されたという方は、警察に通報して解放されたとのことですが(警察、すごいやん!ちゃんと仕事するんや~。)、私も入籍後に監禁されたことがあります。しかし、警察は動いてくれませんでした。今は子供までいますが、子供がいても監禁されるんです。もし、チャーリー家の協力が取り付けられれば、子供ごと監禁するようなありえない事態が起こるんじゃないか、と懸念しています。

これまでも、しつこく何度も書いてますが、もう統一教会には行ってない、やめちゃった、って言っても全く無駄なんです。母は絶対に信じない、という確信があります。大体私も母のことを信じていません。

親子は鏡のようなものです。私が母に対して、「早く霊界に行ってくれないかな。」と思ってしまうのと同じように、おそらく母もうっかりすると、「もう、黒羊も○んでくれたら楽になれるのに。」と思うことがあるかもしれません。

私は、親は子供を愛するもので、子供は親を愛するものだ、ということが信じられなくなってしまいました。

でもね、チャーリーと私のために、チャーリー父は披露宴を催してくれたんですの。新婦の親族が誰一人参加しないのにですよ。まあ、こんな披露宴はあまりないわな。それは私が統一教会に入り、そこで結婚した、という「罪」による結果なのですが、チャーリー父の勇気にはただただこうべを垂れるのみです。私たちが、きちんと親族に受け入れられるようにしなければならないと思って、ただ私たちの将来を思ってやってくださったんですの。こんな冷めた私ですけど、ものすごい愛を感じましたね。

まあ、教祖夫人は、教理に反する結婚をした娘たちを祝福されたみたいですけど。ただの一信者が色々と酷い目に遭ってるっていうのに、教団の主催者がこんなことしてていいのかーっ、って叫びたくなりますけどね。ま、お嬢様方が、ただお金のためだけに祝福されたんじゃないといいですね。教祖夫人にも、母の心というものがあればいいですけどね。

拉致監禁によって、もうお互い○んだほうがいいんじゃ、とまで思い合ってるっていう家族もいるんだと、アナウンスいたしました。家族でも行くところまで行っちゃうんです。自分ちは絶対にそんな馬鹿なことにはならない、という自信のある方は監禁でもなんでもされたらよろしいんじゃないんでしょうか。だって、自分の方が絶対に正しいと思ってらっしゃるわけでしょう?

正しいと思うから、正義の鉄槌を下した気になれるんでしょうけど、人って必ずしも正義に屈服するわけじゃないですからね。

とにかく、相手が嫌がることはやめたらええやん。嫌なことは嫌やねん。

拉致監禁

涙、涙、涙です。

清平

記事のテーマからずれてすいません、消してくださっても結構です。
ナツミカンさんのブログから、韓国の検察がすでに清平の夫妻に焦点をあてているのを知りました。

http://cptaisaku.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html

この信徒対策協議会が誰かはよくわかりませんが、情報は間違っていないですよね?

人格神に対する解釈の問題

><統一教会からの脱会相談は来ている。病気だから、断るのは摂理に反する。辛くても、喜んで強制説得を続けなければならない>
 ブログ「たかたか庵」を読めばこう解釈する以外にない。
 神学のことはまるでわからないが、高山牧師は神を、統一教会と同じように人格神(「調子の長兵衛」神)として捉えているようである。


 米本さんが‘火の粉を払え’に掲載されました神山氏の韓国釜山での講演録を読まれればよくわかりますが、統一教会に入教した人達の中には既成のキリスト教会に失望して統一教会の信仰を持つようになった人も少なくないはずです。
 私は元々キリスト教会とは縁がなく、人格神を信じるキリスト教の信仰には理屈抜きの違和感があり、また現世的な幸福を否定しているようにも感じられましたので、高校生時代まではキリスト教に特別な関心を懐くことなどありませんでした。
 ところが純情な高校時代にプラトニックラブに目覚め、その時に読んだプラトニックラブについて書かれた本がキリスト教的な観点から書かれた著書でして、著者は既に忘れてしまいましたが、その本によって初めてキリスト教に対する関心を持つことになったのです。

 しかし、やはり人格神を信仰するキリスト教会には積極的に関わろうとは思わず、非科学的な宗教としか考えていませんでした。
 ところが、あるきっかけから統一原理を学ぶようになり、それまで懐いていたキリスト教に対する負のイメージが払拭され、人格神に対しても違った観点から理解できるようになったのです。
 それは今までコメントに書いてきたような創造原理や統一思想の観点によってなのですが、それらを通して既成のキリスト教にはない斬新な人格神解釈を発見できたのです。

 そのような訳で、拉致監禁、棄教強要の問題を最初に聞いた時は、私としては統一原理を理解している統一教会員がキリスト教会の牧師によって棄教説得され、統一原理を否定するようになってしまうということがまったく信じられませんでした。
 しかし、現実として組織と繋がって活動してきた中で、統一教会には違法な経済活動を止めることができないような組織体質が染み付いており、その詐欺的な経済活動を抑制した後においても、信者に対する高額エンドレス献金はエスカレートする一方で、完全に常態化し、そこに見られる組織的な矛盾は教義である統一原理に基づくものではなく、むしろそれとは齟齬がある教祖の民族的宗教思想によるものであることがわかるようになってきたのです。
その為、統一教会に対する反対活動自体には肯定できる側面もあると思うようになり、複雑な思いに陥らざるを得ませんでした。
 さらに、文教祖の隠されていた朝鮮シャーマニズムに倣った血統転換思想に基くところの男女関係が 息子である文亨進氏の口から「六マリアの事実肯定」として発言され、真実であることが証明されたり、その「真の家庭」の実態が統一原理と真逆とも言える矛盾したものであることが明瞭になってくると、統一教会反対派の方がより事実に即した批判を行っていたことが明らかとなってしまったのです。

 そのように統一教会が内包する矛盾が単なる行き過ぎた経済活動のみでないことがはっきりしてしまうと、もし、それらの問題を誰からか批判された場合、それには抗し切れない情況となってしまうのです。
 つまり、私が拉致監禁の問題を最初に聞いた当時と現在では、その棄教強要される統一教会員の宗教的立場上の正当性がまったく異なるものとなってしまったのです。
 もし、統一原理の根本思想に関する批判のみであるなら、既成キリスト教会の牧師による批判などは脅威でも何でもないと思っていたのが、現在において統一教会の宗教理論と組織全般の矛盾に対する批判を受けようものなら、反論する余地がなくなってしまうのです。

 しかし、たとえそのように考えても、やはり拉致監禁による棄教強要は断じて許されるべきではないのです。
 それは米本さんが指摘されるように「保護説得をすると、子どもは傷つき、親子関係が悪化する」という現実があり、PTSDの発症などが避けがたいためなのです。
 そして、その主な原因は拉致監禁される統一教会員の信仰には その組織全体としての問題とは別次元で統一原理の基本的な部分によって覚醒された信仰心があり、それはかなり精神の深い部分で本心と結び付いているからなのです。
 つまり、統一教会組織としては社会問題が多くあり、教祖の隠された不道徳な問題や教義上の矛盾がいくつも存在するとは言え、その宗教思想には肯定されるべき正しい部分もあり、牧師等がそれらを一緒くたにして批判し、統一教会員だった者が信仰を完全否定されてしまうと その精神は心的外傷を受けることとなり、それは決して小さくはないのです。
 ましてや、その完全なる精神否定が親族によるものであるならば、その心的外傷は計り知れない程甚大で致命的なものになってしまうのです。

 統一教会信者の脱会を請け負う牧師達が拉致監禁を行うのは、その根本的な‘原理’信仰まで排除しようとするためであり、単なる組織批判だけではないのは明らかです。
 もし、統一教会の違法な組織活動の問題や、聖書解釈の間違い、そして隠された教祖の不道徳な行為の問題について考えさせ、それについて話し合いたいだけであるなら、監禁して密室で行う必要などなく、却って統一教会の責任者でも交えて話し合った方が適切なはずです。
 その信者も、統一教会の責任者がそれらの問題に明確な返答ができず、「それには深い訳がある」などとしか答えられなかったとしたら、信者自身の主体的な判断で己の信仰を是正することができ、心的外傷など被るはずがないのです。
 そして、それは当然信教の自由を侵害する行為ともならないのです。

 因みに私が学生時代に統一教会員として懐いていた教会組織に対する自信は現在は完全に喪失しています。
 私が学生時代に左翼学生と論戦する場合、彼らに対する常套批判言葉は「共産主義国家の現実は、結局は一党独裁によって党官僚といった特権階級を生み出し、そこに階級社会を生み出しただけではないのか」というものでしたが、今同じように論戦したら大変なことになってしまいます。
 もし私がそのように左翼学生に話したとしたら、間違いなく次のように反論されるでしょう。
 「お前、自分のことがわかっているのか、統一教会が目指しているのは文教祖の一族を王族とした絶対君主制の宗教王国ではないのか。
 それは時代遅れの最悪の階級社会で、独裁支配の弊害は共産主義国家の比ではないだろう。
頭、大丈夫か?」
 今の統一教会組織の側に立って政治的な論戦をすることなど、ほとんど思想的自殺行為と言って差し支えありません。

 統一教会の信者個人に教会組織の問題点を指摘し、その組織内での信仰の再考を促したいなら、たくさんの資料を揃えて、信者自身の自由な探求心と自由意志を尊重して真剣に話し合うべきです。
 多分、その場に統一教会の責任者が加われば、より正しい判断ができるはずです。
 もし、徳野会長のような言行不一致の人物が話し合いに加われば良心がある教会員は統一教会組織のより確かな‘真実’を見極められるようになるはずです。

 しかし、そのようにしようとはせず、人間の自由な本心活動も監禁という手段で束縛しようとする異常行為は、決して「自由な本心活動」を理解し、尊重している人間がなし得る行為ではありません。
 やはりその辺は「人格神」を低次元でしか捉えていない拉致監禁牧師の思想レベルの低さなのだと思います。
 現在の朝鮮儒教に染まった統一教会の「人格神」も極度に擬人化されており、その低次元の「人格神」理解が統一教会を「狂信的カルト集団」にしたのは間違いありません。
 その低次元の「人格神」を信じる狂信者同士が法律無視、人権無視の行為を繰り広げる中で、宿谷麻子さんのような犠牲者が出ることは遣る瀬無いことです。
 

楽しい旅人さんに注意!

 楽しい旅人さんの投稿文「朝鮮人よ!いつまでも朴クネの様な馬鹿朝鮮人で生きるな!」は、一つの民族を蔑視、侮辱するものです。ヘイトスピーチと紙一重です。

 よって、削除します。

 今後、投稿されるときは、感情的にならず、冷徹にお願いいたします。



(ボヤキ)朝からこんなことに時間を割かれるのは正直、いやだ。

Re: 清平

千尋さん
>この信徒対策協議会が誰かはよくわかりませんが、情報は間違っていないですよね?

 ええ、間違いないです。別ルートからも確認できました。

 よって、「天国に行けない哀れな倉敷の牧師さん」をいったん非開示として、清平のことを記事にします。

同じ穴のムジナ

>高山牧師が今後も世俗の法を無視して、異教徒たちを救う

この’世俗の法を無視して’というところは、そのまま統一教会に当てはまります。
昔、所属していた教会(開拓教会)のある韓国人牧会者(確か2世?)は、’み旨のためなら殺人も許されるんだ’と礼拝中に言ってました。ほんとです。そして、これに同意する者は’手を上げて’と言い、私は上げませんでしたが、手を上げた人が何人か、いやもっといました。うそだろう!なんで、こんなんが牧会者なんだ!

指導者を信じる心を利用し手を上げさせる、信仰を証するために手を上げるという行為が、その心が、統一教会を集団狂気化させていったんじゃないかという気がします。
ちなみにこの牧会者は、先祖が日本に財産を奪われたと言い、日本にかなり恨みをもってました。のちに、この牧会者は教区長を経て南北なんとか組織の事務長になりました。

そして、拉致監禁に係わるキリスト教牧師も同類であり、狂気に満ちた統一教会が生んだというか、その反映だと思います。なんで、こんなんがキリスト教の牧師なんだ!地獄の住人に間違いなく拉致されますね!今後も統一教会員を拘束するならば、霊界においてますます拘束されるでしょう。食口を拘束する統一教会も同じ。
・・・ したようにされる!
それにしても、強烈な異臭を放っているのに、手を変え、品をかえ、質の悪い芳香剤で誤魔化すだけの統一教会にはうんざりする。

「人格神」については、私は霊的要素もかなり大きいと思ってます。久保木初代会長をはじめとして、神?の言葉などを直接得たという証が多くありますし、自分もそうだったので。
関係ないですが、私のはじまりは(神々の黄昏さんに啓発されて)、
高校生の時に、学校でギデオン教会の新約聖書が配られ、読み始めたのがきっかけです。そして、現代にイエスキリストを求め、人格完成を求め、世界平和を願い、世界中の不幸な人々のために自分なりにある時から祈ってました。(祈り始めて1週間後にある声が聞こえました)
また当時、キリスト教ラジオ番組をよく聞いてました。(司会者が在日?韓国人だった)そして、次第にキリスト教の限界に気付きはじめ、ただイエスキリストを信じるだけで救われるということに、どうしても納得できず、キリスト教会に行くことはできませんでした。
ちなみに、信頼していた友達に誘われ(証されずに)創価学会の集会に参加したこともありますし、モルモン教の本も全部読んだり、スウエーデンボルグ等とか霊的な本もいろいろ読みました。
こういう過程を経て、大学時代に統一原理と出会い、キリスト教の限界を越える内容だ、とその時は確信しました。

ザーネン種

 3人でドライブとは、まさか・・・。ハンドルはお兄さんでしょうね。
 山羊さんの写真、よかったです。うちで飼ってたハルちゃんと同じザーネン種でなつかしかったです。

 記事のテーマから外れたコメントでごめんなさい。

拉致監禁に無関心?

 米本様から拉致監禁に無関心という指摘がありました。否定できません。なぜなら兄弟姉妹と言いながら実のところ身の回りの食口のことをあまり知らないのです。もともと関心がなかった人が教会に来たのか?それとも教会に来て関心がなくなったのか? その「病理」?の原因はわかりませんが、個人的に親しい間柄でもないとなかなか拉致監禁に対して憤るといった感情が湧いてこないのかもしれません。憤りの感情を持つにはその家族以上の関係がなければなりません。果たしてそのような関係が教会員の間に築かれているのでしょうか?
 それが問われているのかもしれません。

最も愛のない、戦う宗教団体

 悟空さんの言うように、「拉致監禁に無関心」という指摘は否定できないですね。自分も無関心派に入ってしまうと思うので偉そうなことを書けませんが、あえて書いてみます。

 そもそも論ですが、「これ本当だよ、本当だよ」としつこく言うことって、たいていの場合嘘が多いものです。それと一緒で、真の愛とか理想家庭とか世界平和とか、声高に言ってる統一教会には、実は愛がないし、めちゃくちゃな家庭が多いし(教祖家庭を筆頭に)、世界の平和より教会の存続のために金集めしています。

 つまり、最も愛のない宗教団体が統一教会だというのが正しいでしょう。よって、仲間の信者が拉致監禁されても、我関せずなんです。

 いつも「ナントカ摂理勝利!」とやってお金を集めています。勝利とは、戦いがあって勝ち取るものです。つまり、統一教会って、常に戦う集団なんです。ずっと戦争状態だということです。

 戦争では、隣の兵士が敵に撃たれて苦しみもがいていても、慈愛に満ちて介抱などしている暇はありません。そんなことをしているうちに、部隊全体が殲滅されてしまいます。苦しみもがく仲間を放っておいて、銃を撃ち続け、前に進み続けなければなりません。

 統一教会員の心理って、これと似たようなものだと思います。だから、仲間が離教しようが、拉致監禁されようが、自殺しようが、殺されようが、我関せず(多少は「かわいそうね」と思っても)で、目の前の「ナントカ摂理勝利!」のために戦い続けるのです。

 最も愛のない、戦う宗教団体、それが統一教会です。

教会員はなぜ拉致監禁に無関心なのか(1)

 タイトル名のテーマで、記事を書いてみたいと思っていました。本質的で普遍的なテーマだと考えています。とりあえず、いま思っていることです。

悟空さん
>個人的に親しい間柄でもないとなかなか拉致監禁に対して憤るといった感情が湧いてこないのかもしれません。憤りの感情を持つにはその家族以上の関係がなければなりません。

 そうでしょうか。
 かなり以前、徳野さんに個人的に手紙を書いたことがあります。(まだ「さん」づけの頃)

<創価学会員が同じ日蓮系の団体に拉致監禁された場合、組織をあげて救出するでしょう。学会員は血眼になって監禁場所を探すでしょう>

 つまり、親しい間柄云々はまるで関係ないことです。
 私個人のことを例に出すのは気が引けますが、私は非教会員かつ統一批判派です。

 それなのに、拉致監禁された人たちのことを考えます。黒い羊さんの痛苦で複雑な気分に思いをいたしています。彼女の体験記はいずれ、ブログにアップする予定ですし、島根の拉致監禁体験者にもインタビューする予定です。

 誤解しないでもらいたいのですが、人間性の問題ではありません。

 統一教会員の仲間観、人間観には決定的に欠落しているものがあると思っています。

愛情の成長

確かにそういう部分がないとは言えないですね。
一般社会的な飲み会とか、親睦会というのが少ないというかないので、横横の人間関係が希薄であるというのは否定できません。
環故郷摂理の家庭連合摂理の時は、アボジ指示の毎月、1日と15日に家庭集会で親睦を深めていたので、心情交流がありましたが、長くは続かなかったですね。
世界の救いは、真理だけでは不可能で現実的な摂理的な支援が必要なのは当たり前ですが、万物条件だけでは、人間の愛情は成長しないものです。
万物条件は、どちらかというと信仰基台の世界ですから、実体基台としての隣人を愛する努力としての伝道実践をしなければ、愛の心情は成長しないというのが、現実的、原理的立場です。伝道で勝利的な基準を立てている人は、接していても安心ですし、思いやりと愛情が深いですね。伝道における他者を愛する世界を勝利していないと、批判的ですし、許す心とか、寛容な心が形成されないものです。長年の実感です。
たとえ、100億円の万物献祭を捧げたとしても(もっともそんな方はいませんが)、愛する心が養われていなければ、天国には行けません。天国は、愛の世界だからですから。言うまでもありません。
統一運動の最大の問題点は、社会的評価が悪いということで、氏族的メシヤ活動としての伝道活動をしていないことです。初代キリスト教会は、現代の私たちの立場よりも、はるかに、社会的評価は悪かったはずです。教祖であるイエス・キリストは、最大の極悪人として、裁判で有罪判決が下り処刑されているのですから。そして、400年もローマ帝国迫害時代でした。
献金だけで、世界が救われるほどあまい話ではないはずです。
祝福家庭が、かつてのキリスト者を見習って、殉教精神で伝道活動をしていかないならば、日本、韓国、東アジアの平和な未来は失われることでしょう。
人間の責任分担を果たすという、内的刷新運動を実践しないならば、外的粛清の摂理に移行するというのが、私たちの知る歴史の真実です。
20世紀、奇跡的に日本の平和は守られました。再臨を中心とした統一運動が、責任を果たしていなかったとするならば、現代の日本の平和はなく、東欧諸国と同様に、ソ連帝国の支配下に入っていたことでしょう。
現在、人類歴史において、最終的に乗り越えていかなければならない最後の峠である言わざるを得ません。この峠を乗り越えることができなければ、日本の現在の平和は失われることでしょう。

教会員はなぜ拉致監禁に無関心なのか(2)

さいぞうさん
>戦争では、隣の兵士が敵に撃たれて苦しみもがいていても、慈愛に満ちて介抱などしている暇はありません。そんなことをしているうちに、部隊全体が殲滅されてしまいます。苦しみもがく仲間を放っておいて、銃を撃ち続け、前に進み続けなければなりません。

 この指摘は傾聴に値するものだと思っています。

 しかし、献金をしない、統一現体制に批判的に現役信者(退会状態を含む)も、関心があまりなさそうです。国を問わず。

 現体制支持派の、在韓の日本婦人の場合は、献金戦争に組み込まれていません。代表的な例をあげれば、ブログ「ひだまり」のブロガー・くろねこさんです。
http://www.blogmura.com/profile/00698587.html

 彼女はその昔、ローズマリーというハンドルネームで、ブログ「反カルトからの自由」によく投稿していた女性です。そのときの投稿文を読めば、拉致監禁に問題にはいかにも関心がありそうな風でした。
 しかし、すべての記事を読んだことはありませんが、自分のブログで拉致監禁のことには触れていません。

 つまり、献金戦争の只中にあるシックも、戦争の外にいるシックも元シックも、一様に、拉致監禁問題には関心がないということです。
 これは注目すべき現象です。

 関心があってこの問題に言及しているのは、奈々草さん、koyomiさん、Yoshiさん、秀さん、裁判ブログの世話人ぐらいでしょう。
 私が支持していた「拉致監禁をなくす会」の会員は約80人ぐらいいたと思うけど、会そのものが休止状態です。

 これは一体どういうことなのか。

 私は、統一教会の組織体質にあると考えています。
 統一は、いつの頃からかはまだ分析できていませんが、縦組織になっています。横関係を否定する組織体質になっています。

 そうした組織に、5年10年どっぷり浸かっていれば、体質的に横への関心が失せてしまう。他者に関心が向かないような人格が形成されてしまっているような印象を強く受けています。

 統一村のブロガーで多少、政治のことに関心がある人でも、福島の原発事故とか中東のこと、香港のデモのこと等等等には言及することなく、統一教会員が犠牲となった御岳山の噴火、日韓問題ばっかりです。

 これは統一教会だけに限りません。拉致監禁はエホバの証人、摂理のメンバーに対しても行なわれてきましたが、いずれの信者も拉致監禁問題に関心をもっていません。

 これはなぜなのか。

 共通するのは、神と個人という縦関係で結ばれているキリスト教系団体ということです。

 翻って考えてみれば、会社組織、政治組織、軍隊組織、宗教組織を問わず、組織が縦型になっている団体の構成員は、隣の人への関心が欠落しているということなのです。

Re:愛情の成長

 一食口さんの投稿は、いつも興味深く読まさせていただいていました。
 しかしながら、失礼ながら、今回の労作はナンセンスの一言です。
 とりわけ、次は時代錯誤もはなはだしい。

>人間の責任分担を果たすという、内的刷新運動を実践しないならば、外的粛清の摂理に移行するというのが、私たちの知る歴史の真実です。
20世紀、奇跡的に日本の平和は守られました。再臨を中心とした統一運動が、責任を果たしていなかったとするならば、現代の日本の平和はなく、東欧諸国と同様に、ソ連帝国の支配下に入っていたことでしょう。


 ソ連帝国の野望、スターリン主義の覇権主義を打ち砕いたのは、東欧諸国の市民の力によるものです。
 歴史書を読んだらとは言いません。
「東欧民主主義革命」「ソ連崩壊」などなどのキーワードでネット検索してください。


「再臨を中心とした統一運動」の実態がよく理解できませんが、文鮮明氏がゴルバチョフと会見したことを指しているとすれば、甚だしき時代錯誤というしかありません。


 世界の要人が自らの意思で、積極的に、統一教会教祖の文鮮明氏に会ったとお考えですか。
 
 当時世界への影響力がなかったけど、韓国の大統領ならまだしも、韓国で信者1万人そこらのマイナー教団の教祖に世界の要人が会見したとお思いですか。

 旧コスモメイトの教祖・旧深見青山もゴルバチョフ、サッチャーに会っています。
 会見の相場は1時間4、500万円です。

横的組織

そうなんです。
縦的組織と横的組織が一致して、心から満足のいく組織体制となります。
信仰基台は、神と私の縦的関係で、実体基台が人と人との横的関係です。
キリスト教精神の核心は、心を尽くして、思いを尽くして、汝の神を愛することであり、それと同様に、自分を愛するように隣人を愛することです。
その拡大により、御国である天国世界が実現されて行きます。
教会組織的には、日曜礼拝を中心として、礼拝に参加するだけで、精一杯というのが現実ですから、人間関係としての兄弟姉妹の心情関係が乏しいという状況が続いて来ました。
やっと、最近は理解してくれるようになったのか、横的交流が奨励されるようになって来ました。
全国的にもそのような流れがきていると思います。
神の愛は、縦的に流れて来るものと、人を介して横的により実体的に流れて来るものです。
それにより、喜びも倍加されるものです。
現実的な横的な関係により、横的組織が、今後さらに強化されて、天一国世界実現に向けて邁進されていくことになると思われます。

Re:横的組織

>教会組織的には、日曜礼拝を中心として、礼拝に参加するだけで、精一杯というのが現実ですから、人間関係としての兄弟姉妹の心情関係が乏しいという状況が続いて来ました。
やっと、最近は理解してくれるようになったのか、横的交流が奨励されるようになって来ました。


 そうらしいですねえ。
 日曜礼拝で、隣の人に挨拶しましょうという奴ですね。

 まるで幼稚園レベルです。このことに気づきませんか。
 お子に話したら、どうですか。

「お、お父さんが属している組織では、ついに隣の人同士の交流が奨励されることになったぞ」
 まともなお子なら、口をあんぐり。

横的組織

礼拝で隣、周りの人との挨拶は、何年も前から習慣になっていますから、そういうレベルのことではないです。

ゴルバチョフ

様々な見解がありますが、決定打は、レーガン大統領のスターウオーズ計画が大きいですね。
また、勝共思想を打ち立て、共産主義の間違いを世界的に訴え、反共の世界的代表人物である文鮮明師に、世界共産主義運動のトップであるゴルバチョフ氏が会うはずがありません。

関心の無さについて考察

あっさり考えたところでは、普段の生活の中でどれだけ話題になったかで決まると思います。
無関心という魔物が住んでいるのは、拉致事件の多発しているカルト的教団だけではありません。北朝鮮の拉致問題が世間で多く認知されているのだって、報道され、世間に広く知らされてからだと思います。例えば近所の殺人事件、あるいは不倫等の噂話、泥棒などはひっきりなしに飛び交うでしょうが、あくまで興味本位の他人の話としてしか見ることはないはず。家族や友人、知人なら話は別ですが。人権問題として高い意識を持ってる方々は、ジャーナリストとか、人権活動家とか、ボランティアグループ所属の方とか、ごく一部に限られるのではないか、と。人々が関心を持ってみるまなざしなんて、そんなものなのです。しかし、キリスト教徒との間ではそうでなかったようです。自分の親のことですが、「あの教会(統一)は脱会者に冷たい」と言っていたようですが、脱会後、頼りにしたキリスト教会で、隣人として、親身になってくれる幅広い人脈を築いていました。僕自身は、あまり、そういう悩みは持たず、人権侵害に対しての抑えがたい怒りだけが残りましたが。(キリスト教宗教信者は反牧ならずとも、一様にこの犯罪を擁護するのですから!おっと、自分も今やその一員ですけどね。)ここまでは、米本さんの度重なる問題提起にもかかわらず問題意識の触発されない事の言い訳を兼ね、考察しました。

さて、僕の近くには、創価学会員もいますが、敵対関係にある顕正会による会員の拉致に対して、数人で殴り込みに行った話を聞きました。羨ましいと思ったのは、人間関係の近さです。統一教会とはエラい違いです。(でも、聖教新聞には読むも馬鹿馬鹿しい程の敵への罵倒があったりしますが。)

特有の問題について考えると、仲間の拉致問題への関心の低さの原因は、縦割り構造ではないかとの米本さんの指摘は、確かにその通りだと思います(①)。加えてもう一つ、報連相の徹底です。拉致監禁された兄弟姉妹との接触は、エデンの園の肉的堕落の経路に例えることができるからです(!)。アベルの許可が必要で、個人的感情によるものなら、10中8~9答えはNoです。アベルと相談して、話す内容を決め、電話し、話した内容を漏れなく報告する。そして、次はいつぐらいに電話するか、決める。堕落天使長(反対派の考えを受け継いだ牧師、家族等)によって堕落させられたエバ(‘落ちた’食口)に条件を奪われたり相対基準を合わせたり(ネガティブな思考を受け継ぐ)したら、小さなサタン側の条件によって侵入を許し、摂理に影響が出る(同じ部署の兄弟姉妹の霊的生命にも影響が出る)とまで考えるのです(元食口だからね。手に取るように想像がつく)。普段から、徹底的に原理的思考の訓練をするとそうなるのです。朝目覚めてから夜寝て、夢を見る間中も全て命懸けの戦いをしなければ、サタンに勝てないという訓練なのです。サタンは人情に働きかけて戦いをやめさせようとするから、見破らねばならない、と四六時中必死です。人情より天井、人間的あるいは合理的よりは原理的でなければならない!人格的成長は原理軌道に乗らなければ、なされないというのが、原理観なのですが、どう考えても、人間的情緒を育てる暇なんてありません。有るべき儒教的感情はよく語られますけどね、紙芝居とおんなじです。人間らしい情緒を妨げている原因こそは、原理による人間性の桎梏ではないのかと(②)。それから、原理的苦労したのは実る、或いは勝利したら高みを上っていく(人間性も成長する)との幻想に基づいた根拠なき自信が、周囲を見下す傲慢を生み出していると思います。長く苦労して、訓練を受けた人ほど、弱い人の気持ちが分からない(神は超えられない試練を与えない+蕩減条件を避けて通るのは、サタンへの敗北である、思考)(③)。

結論:教義や訓練その物が歪んだ人格を生み出し、素の情緒と理想的情緒を演じる思考との大きな乖離を作っている。教祖や、その周辺も見事にはまり込んでいる。

拉致監禁に関心がない?

米本さん、

私は拉致監禁に関心がありますが、何をどうコメントしたらいいのか、わからないでいました。たとえ親兄弟だったとしても、本人の意思に反して拉致監禁するのは、基本的人権を無視する違法・非道徳的行為です。もし自分の周囲でシックがそういう目にあったら、たぶん救出のために奔走すると思います。

では、なぜ教会シック全般からの関心が薄いか? 教会は縦割り社会構造だから?そうですね、そしてそういう体質から、外界での現象を自分の心で感じて頭で判断することができなくなっているのかもしれません。

あともうひとつ。12日付で、上にkoyomiさんのコメントがありますが、以下の言葉が心に残りました。

>何故、統一信者が拉致監禁されるのか? はっきり言えば、統一が悪いから、拉致監禁されるのです。


確かに、常に世間から有難がられる活動をしている教会なら、拉致監禁はないでしょうし、万一それでも拉致監禁される信者がいれば、警察が取り締まってくれるでしょうね。教会が違法行為・めいわく行為を連発する団体だから、シックの家族は極端なことをしてでも脱会させようとするわけでしょう。

で、思ったのは、教会幹部はそれを理解しているから、拉致監禁問題に対処してこなかったのではないでしょうか?根本的に問題がある教会だから、拉致監禁されてもしかたがないし、もしそれに対して戦いを挑んだら、こちらのぼろがもっと出てしまうだろうから何もしないほうが良い、というのが、潜在意識下のいわば本音だったのではないでしょうか? 考えすぎですかね。

随分と前の話ですが

米本さんの「縦割り社会だから」という指摘は当たっているように思います。教会はある意味極端な縦割り社会ということができるかもしれません。そしてさいぞうさんの言われる感覚にも近いものを感じます。縦割りで戦争?している。言って見れば軍隊?

自分のつまらない評論はさておき随分前の話をします。私の身の周りにいた女性が拉致監禁に遭遇しました。彼女はマッチングを受けた報告に実家に帰ったところを拉致されました。その後連絡がないので「拉致」がわかったのです。こうなるとどうしようもなくなります。メンバーとともに実家を訪ねても留守、隔離されているというマンションにも突撃訪問しましたが、もぬけの殻でした。拉致されて1ヶ月ほどして彼女の自筆の脱会届けが郵送されてきました。一瞬脱力感を感じましたが、その脱会届けの便箋の裏にハングル文字で牧師の名前が小さく書かれてありました。まだその時までは信仰を守っていたようです。その後こちらがアプローチしたかどうかはっきり記憶がありませんが、数ヶ月後彼女は反対派の証言者として裁判に姿を現しました。しかし証言としては しどろもどろで反対派にも利するところは無かったようです。その裁判には教会側の「対策」の担当者が出席するのですが、担当者として出るのであって彼女にしてみれば全く面識のない人です。もしその場にかつての仲間がいたらまた違った感情を湧き起こしたかもしれません。その後彼女は教会に戻ることはありませんでした。今はどうしているのか? 拉致監禁の話題になると時々思い出します。まだ自分の机の中には彼女の脱会届けがあるはずです。

統一原理の人間観

>統一教会員の仲間観、人間観には決定的に欠落しているものがあると思っています。

>共通するのは、神と個人という縦関係で結ばれているキリスト教系団体ということです。
翻って考えてみれば、会社組織、政治組織、軍隊組織、宗教組織を問わず、組織が縦型になっている団体の構成員は、隣の人への関心が欠落しているということなのです。

 棄教強要を目的とした拉致監禁問題を通して米本さんが持たれた上記の問題意識を深刻に受け止めております。
 特に、「統一教会員の人間観には決定的に欠落しているものがある」という問題と「組織が縦型になっている団体の構成員は、隣の人への関心が欠落している」という問題意識はかなり本質的なものであり、私が今まで統一教会に対する批判者の意見を見聞きする中で これ程本質的な問題意識を持たれた方に出会ったことはありません。

 米本さんは創価学会員が同じ日蓮系の団体に拉致監禁された場合、組織をあげて救出することを例に出されて統一教会員の場合との違いを強調されていましたが、実際に統一教会のそのような救出活動を聞いた試しがないし、統一教会の中で献金問題と葛藤していない教会員達においても拉致監禁問題に対しては関心が薄いことは否めません。
 しかし、組織が縦型であるが故に隣人への関心が欠落すると考えてしまうと、この問題は永久に解決されない問題となってしまいます。
 何故なら人間社会において組織構成が縦型であるのは必然で、少なくとも形式的には縦型の集中性を維持しておらなければ組織が成り立たないことになってしまいます。

 結局、精神的な人間関係において縦の関係に支配されてしまうか、正常な横の関係が連結されているか、という問題なのだと思います。
 精神的な縦の関係を特に重視したのは儒教であり、密接な横の関係を重視しているのが人道主義、博愛主義といった近代のいわゆるヒューマニズムであるという捉え方もできます。
 しかしヒューマニズムといったものには明確な思想体系があるわけではなく、人々の良心そのものが社会の中で高まることによって一つの概念を形成したと思われます。
 統一原理によれば共産主義思想はそのヒューマニズムが結実したものとも捉えておりますが、その共産主義運動がヒューマニズムを体現するものとはならなかったのは明らかで、ヒューマニズムを思想化するのは決して容易いことではないように思われます。
 しかし、米本さんに代表されるように、縦の関係に支配された人間精神を問題視する人道主義的な考えを持った人々も決して少なくないことを思うと、人間の本性としては、人間同士の横の関係を追求しているのであり、それを否定することは人間性の破壊につながるのだと思います。

 また米本さんは「神と個人という縦関係で結ばれているキリスト教系団体」と表現しておりましたが、一般的なキリスト教の神の概念から考えましても「神」を現実的な対象として認識することなど不可能で、それは結局のところ、「神」の存在を志向しているに過ぎないのだと思います。
 そして、妄想に陥りやすい人々は擬人化された人格神を想定し、信仰を保っているのだと考えられるのです。
 特に一般社会から「カルト」などと呼ばれているような宗教の信仰や朝鮮シャーマニズムの唯一神信仰などはそのようなものだと考えられます。
 そして、現在の統一教会は実質的にそのような宗教である訳ですから、まさしく横の人間関係が貧弱な人間性の破壊に陥りかけているのだと思います。

 私が統一原理によって触発された最大の希望は‘地上天国の建設’ということなので、米本さんに「統一教会員の仲間観、人間観には決定的に欠落しているものがある」と書かれると改めて統一原理が歪曲されているのを実感せざるを得なくなります。
 現在の統一教会が目指しているのは既に‘地上天国’ではなく李氏朝鮮王国のまね事のような朝鮮統一王朝ですから問題外なのかも知れませんが、統一原理の根本的な‘四位基台’原理には普遍性があり、決して人間どうしの横の関係を軽視している訳ではありませんので、やはり組織的な実践過程において間違いが生じたのだと思います。

 米本さんが指摘されるように中東の問題や中国の政治問題の解決を模索しなければ、‘地上天国’など実現不可能なのですから、拉致監禁問題も含めて社会的な人権問題に関心をもてるようになった時こそ‘四位基台’原理に立ち戻った時なのだと思います。
 しかし、やはり「真の父母様」信仰を続けている限り、統一教会員が米本さんのレベルまで良心基準が引き上がることはないのだと思います。

拉致監禁と洗脳

拉致監禁以前は、親と計りながら、精神病院に入れてしまい、その中で思想転換を図ろうとしていました。

しかし、それでは社会問題化しそうになったので、親が監禁場所を準備した形にして、思想転換を図る形になったものだと思われます。

朝鮮戦争で、捕虜になった米兵を中国が共産主義に転向させるために行われたことを洗脳ということらしいですね。

「brainwashing」洗脳、まさに頭の中を洗って別の思想に転向をさせることです。。

監禁状態の中で、情報を遮断した中で、一方的な情報を与え続けて、監禁者の願う方向に思想転換を図ることは、まさに思想転換であり、洗脳です。

様々に湧いた疑問を統一教会関係者に自由に質問する環境であって、疑問を解いて行くならば、ほとんどの場合、思想転換することはないと考えられます。

だから、監禁が必要となります。

朝鮮戦争では、クリスチャンであったアメリカ兵を共産主義者に転向させたわけですが、拉致監禁問題では、転向したメンバーが既存のキリスト教会に通う経緯から、原理的価値観から、既成キリスト教価値観に思想転換、洗脳するようにしているものと思われます。

共産中国では、キリスト教という、存在しない神を信ずる思想の過ちを指摘し、共産主義に転向させたわけですが、拉致監禁問題においては、存在しない神を信ずるというキリスト教、宗教はアヘンであるという立場を別において、キリスト教に思想転換、洗脳を図るようにしているものと思われます。

信教の自由がありますが、また、心配して反対する自由もあるということも理解できます。

ただ、本人の意志を無視、否定して、拘束状態にして、思想転向しなければ、自由を与えないという監禁状態をによる洗脳工作は、かつてのソ連の強制収容所、共産主義諸国の方法論と同じであと考えられます。

そこには、人権の尊重も自由も奪われ、現代における人権蹂躙しかありません。

そして、日本の歴史においては、キリシタンに対する弾圧と迫害、宗教転向がありましたが、歴史はくりかえすものです。

かつては、国家権力が宗教弾圧しましたが、現代の国家権力は、単なる傍観者として存在しています。

票にならなければ、行動しないという政治家の利己主義的な行動様式に疑問を感じますが、社会的なコンセンサスがなければ行動できないのでしょうか。

法の番人としての職務を果たしてほしいものです。

拉致監禁は、憲法違反であるのは明らかだからです。


家庭は愛の学校

「家庭は愛の学校」というのは真の家庭運動推進協議会の標語です。「教会は信仰の学校」という標語が頭に浮かんできました。両方の学校を卒業して初めて一人前になります。
ところが教会という学校は家庭という学校に帰してくれません。出来が悪いということで居残り勉強をさせられます。そのせいで家庭という学校では履修時間が全く足りずなかなか合格できません。教会という学校の方ではすでに優秀な成績を修めているのに悪い先生がいて卒業もさせてくれずにいるのです。もう自発的に卒業してもいいんじゃない? そして愛を育てる家庭という学校で合格できるように頑張らないと。

そう言えば総会長と言われる方は先天時代は教会中心だったが、後天時代は家庭中心だとはっきり言われているようですね。あれは建前なのでしょうか?

冷戦時代は組織的に戦ったので主戦場は組織でしたが、家庭崩壊との戦いの主戦場は家庭です。ここで愛の勝者にならなくては本当の勝利というものは見えて来ないのでは?

たくさんのコメント感謝です。

 たくさんのコメント、ありがとうございました。

 考える材料が揃いました。

 次に進むことにします。koyomiさんと千尋さんが言及されていたことに関係する記事です。

隣人を愛せよ

>共通するのは、神と個人という縦関係で結ばれているキリスト教系団体ということです。

既成キリスト教においては、「隣人を愛せよ」が強く意識されてるのではと個人的に思っています。そして、神と個人=親と子 が愛を中心として縦関係で結ばれ、それが本当に充足(実感)していれば、心が自動的に横に向かうんじゃないかと思ってます。なので、縦関係自体が原因でなく、どういう縦関係なのかが非常に重要だと思います。

個人的なことになりますが、高校時代に新約聖書を読み、どうしたら理想世界を実現できるかを必死に考えたことがあるんですが、結果的に、隣人愛の連鎖反応を起こすしかないという結論になりました。そして、この隣人愛がいかに大変かを感じてました。(祈りのきっかけの一つです)
キリスト教を掲げる団体が横に無関心だとしたら、発展途上か、別な事に心を奪われてるのか、偽者なのか・・・。

このキリスト教の牧師は、法を無視した行き過ぎた隣人愛というか、エクソシスト(アクマ祓い)的な感覚も感じます。

また、韓国で拉致監禁が起こってるかわかりませんが、韓国人責任者が「何か問題が起きたら、韓国では暴力で解決する」とよく言ってましたので、韓国では日本みたいな無関心性はないような気がします。

そして、統一教会内では親子問題だから、家庭問題だからという言葉をよく聞きましたし、現代日本人の性質?(と言っていいのか)も関係してるような気がします。
さらに、「戦ってるね」さんが書かれてるように行き過ぎた、そして、偏ったサタン意識への固執、組織への依存性が無関心に繋がっているように思います。統一教会は個人の責任分担には必要以上係わらず一線を引いてる部分もあるので、これが微妙に影響してる気もします。

そもそも統一教会はいまだに、嘘偽り、隠し事、違法行為が多すぎるのが根本原因ですし(統一教会はわかっているはず)、結果的な天国・祝福にばかり固執させて、それを集金に利用している組織の指導が、個人の愛(情)の発露を阻んでるとも思います。

統一教会の教義にオリジナルの価値はない

神々の黄昏さんや悟空さんが述べられているように、統一教会は「地上天国の建設」とか「家庭は愛の学校」等々、世間一般人から見れば、いかにも魅力的な理想郷を目指しているかのような幻想を振りまいてきたわけですが、周知の通り、実際には、それとは真逆の結果をもたらしてきた。多くの日本人食口家庭が味わってきた”献金地獄”やそれによる”家庭崩壊”の実態を見れば、それは明らかです。

それではその根本原因は何か?(現指導体制に批判的な)現役信者諸氏が言うように、「統一原理という教義自体は正しいが、統一教会の組織や活動が間違っているからである」ということなのか?断じて違います。ブログ「ちゃぬの裏韓国日記」の多くの記事に紹介されているところの、「教祖文鮮明の”み言葉”なるものの言説」を読めば、それは一目瞭然。

とにかく、「地上に”メシア王国”なる専制王国体制を建設してそこに君臨する」という文教祖の誇大妄想的野望実現こそが統一教会の本当の目的であったからということです。教会員に対して示される「絶対愛・絶対信仰・絶対服従」なるフレーズもそのことを示しており、また、統一原理は、この野望実現のため、一般人を教会に引きずり込むための”うまいエサ”ないし”客寄せパンダ”に過ぎない代物なのです。以前のコメントで書いたように、血統転換理論が荒唐無稽なトンデモ理論であって、文教祖の誇大妄想的野望実現のためのツールに過ぎず、よって祝福結婚の宗教的意義など皆無であると考えれば、もはや統一教会の信仰自体がナンセンスそのものだといえます。

それから、統一教会の「為に生きる真の愛の実践」の思想は、(それ自体が誤りであるとはいえないが)何らオリジナリティーを持つものではなく、過去の聖賢達、例えばイエス、釈迦、孔子等の教えのエッセンス部分をもって十分に代替可能である。ただ、これらの思想をもってしても、いまだに「地上天国の実現」はなされていませんが、それでは統一原理の教義をもってすれば”確実に”実現できるのか?まずもって無理でしょう。

結局のところ、人類の精神性は、特定宗教の教義そのものではなく、人間の良心を高めさせる曖昧なヒューマニズム(人道主義)によって、あくまでも漸進的に啓発されていくしかないのです(西欧の基本的人権思想の出現もその途上にあったといえる)。ただ、そのヒューマニズムの根底に何らかの宗教的精神(例えば、一神教が説くところの人格神とか、汎神論的な宇宙の根源なるものに対する畏敬の念など)があることは否定しませんが。

拉致被害の深層

韓国の統一協会では初期のころの家庭内監禁はご本人の証言でお聞きになった方も多いと思いますが、近年はほとんど耳にしません。献身して活動という信仰生活から、家庭教会、いわゆる在家信仰になっているからでしょう。

ただ「新天地」という統一原理をパクって活動しているカルト教団や、開眼したと騙って教会をつくり、非常識な伝道をするカルトなどでは、拉致問題が発生しています。

>「何か問題が起きたら、韓国では暴力で解決する」とよく言ってましたので、韓国では日本みたいな無関心性はないような気がします。

この韓国人責任者のお話はいただけませんね。恥ずかしい、誰ですか?

既成教会の拉致担当牧師と同じ発想ではないですか。「どんなことがあっても、既成教会と争うな」と、よく聞かされたものですが、これは正当な遺言として納めたいものです。

拉致被害者のことを伺うと、痛ましく複雑な思いを禁じ得ません。ただ共通して言えるのは、自分の頭で考えていないこと、言われた通りのことはできるが、自分の力で何とかしようといった自我というか、意志に乏しいことです。誘われるがままに教会に行き、「家に帰れば二度と教会に戻れないから隠れなさい。逃げなさい」と言われれば、その通りにする。見つかって連れ戻されたら…反対側に。どこにいても自分の意志を蹂躙された状態の不幸が続く。

本人にも問題があるし、初めに導いた教会の教育と家庭問題対策、特に責任者の考え方に決定的に問題があると思います。

私が入教したころ、国会議員の息子という立場の先輩食口がいました。本人は原理に惹かれ強く献身を願い出ていたようでしたが、当時の責任者は一週間に一度は帰省させていました。
世間体も重要な家庭ですから、半端な反対の仕方ではなかったようで、2.3ヶ月戻ってこれないこともありました。たまに会うと、自分の原理講義を聞いてほしいと言って、熱心に講義をしてくれた姿は今も忘れられません。
献身の道は行けなくても、社会できっと私たちを守ってくれていると、いつも思っていました。本当に強くて優しいお兄さんでした。

この先輩はきっと、どうすれば家庭問題を解決でき、自分の命と人生をみ旨の道で生かすことができるかと、模索していたのだろうと思います。
また、たとえ親が国会議員というような影響力のある家庭ではなくても、導いた人をもっと大切に扱えないものでしょうか。教会の日和見主義と、責任者の人間性の欠落を指摘されるのは当然です。





RE.拉致被害の深層

>この韓国人責任者のお話はいただけませんね。恥ずかしい、誰ですか?

何年か前のある集会で聞いたことです。
韓国留学生(7年間留学)の韓国人責任者の方で、鮮文大学から移動してきた人(補足:大学の職員(事務長?)年配の人)です。人的にはとても信頼できる人という印象でした。
ちなみに、留学制度は続いてます。現在31期のはずです。

穀潰し留学生

toramaru さまのコメントから、
拉致と直接関係はないのですが、教育問題として参考にしてください。

韓国社会で鮮文大学は大学の範疇に入っていません。鮮文大を卒業しても就職が難しい。それで親の人脈を使って日本に流れた穀潰しでしょう。
どこにも進学できなかった韓国2世と、韓国留学を誇らしく思って行くおめでたい日本2世でもっている大学です。
しかも、いつだったか、日本から来た学生は本当に勉強しないと、鮮文大の職員が嘆いていたのを思い出しました。

韓国の家庭では、鮮文大に是非とも行かせたいと思う親はいません。少なくとも、内情を知る人は鮮文大を進学の範疇に入れません。
この大学も清平の摂理と同時進行。初めの勢いに比べると、今は黄昏れ?否、薄暮ですね。

日本の教会では2世の父母会で、鮮文大の募集をかけていると聞きました。ノルマもあるそうです。実のない留学制度は検討すべきでしょう。子どもたちが可哀想です。

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