文家・三者三様の「追悼の流儀」 

統一教会考(62)

 人は故人を偲んだり、追悼したり、あるいは亡き人の御霊に語りかけたりする。
 その流儀によって、品性・品格が自ずと表れる。(以下、敬称略)

 文鮮明が死去したのは2012年9月3日。今年は日本の仏教で言えば3回忌にあたる。
 彼の遺族はどのように追慕したのか。

 まず、彼の妻、韓鶴子の場合である。
 彼女が企画した追悼式はインターネット中継で流れていたので、教会員の多くは観たと思う。

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 彼女は大規模なイベントを計画した。参加者の目標は3万人。できるだけ多くの人を集めようと、新聞広告まで打った!
【当該記事】「メディアに掲載された文鮮明総裁聖和2周年記念広告」

 人の死に関係するイベントで多額の費用をかけて広告を出すのは、世界的にみても希有のことであろう。少なくとも、日本でその種の広告は見たことがない。 
 では、どんな追悼式だったのか。
 ここでは教団公式サイトの活字文で紹介しておく。(ゴチックと下線は管理人) http://www.ucjp.org/?p=17830

 
 「文鮮明 天地人真の父母天宙聖和二周年記念式」を挙行

2014年8月13日

 天暦7月17日(陽暦8月12日)午前9時から韓国・清平の清心平和ワールドセンターで、文鮮明師の聖和(逝去)2周年を記念する「文鮮明 天地人真の父母天宙聖和二周年記念式」が、約3万人が参列する中、挙行されました。

 会場には、世界各国の現職、前職の閣僚ら10数人も参加。また、世界194か国の教会員もインターネット中継を通じて式典に参加しました。
 さらに、韓国のテレビ局MBNをはじめ、通信社のニューシス、天地日報、宗教日報などの新聞社、フランスの通信社AFPも取材に訪れました。

  第一部は、米国の二世たちによって結成された「ゴッズ・ホープ・フォー・アメリカ・アンサンブル」のオープニング公演で幕を開け、韓鶴子総裁は五男の文権進様にエスコートされて入場。文師の御霊前に花束を捧げられ、特設席に着席されました。

 司会のユ・ギョンソク世界平和統一家庭連合韓国総会長の開会宣言の後、全体で「天一国の歌」を斉唱。続いて宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長が力強い代表報告祈祷を捧げました。

 文師のご家族、海外からのVIP、平和大使の代表、日本の責任者らが順に献花した後、文師ご夫妻の北米と南米における活動を紹介する記念映像が上映されました。

 記念式辞では、ダン・バートン米国前下院議員が、文師が神の召命を受け渡米され、「アメリカよ立ち上がれ」と訴え、力強いリーダーシップで平和運動を展開されたことなどに触れ、文師の米国における功績を称えて感謝の意を述べました。

 続く南景弼・京畿道知事のメッセージを副知事が代読し、「文師は、大韓民国を越えて、世界の政治・経済・言論・文化・教育など、様々な分野において事業を展開してきた。私たちも世界平和と人類救済の遺志を引継ぎ展開させていきたい」といったメッセージが伝えられました。

 韓国の教会員170人で結成された連合合唱団が、聖歌メドレーを歌い上げた後、『天一国経典』が天一国経典編纂委員会の金榮輝委員長と李載錫副委員長より、『世界公的資産白書』が石俊淏・鮮文学院理事長から韓総裁に奉呈されました。

 満場の拍手の中、登壇された韓鶴子総裁は、文師聖和二周年のテーマである、米国における文師の“ために生きる愛の実践”について回顧され、また、「ピースバイク」で韓日が一つになり、今年は14か国6,000kmを完走したことなどにも言及されました。
 さらに、「天一国の選民として最善を尽くして下さい。誇らしい神様の息子、娘の姿を見せつけようではありませんか。真の父母様(文鮮明師ご夫妻)と天の父母様(神様)が共にいることを忘れないで下さい」と参加者を激励されました。

 第二部の記念公演では、文師ご夫妻の北米・南米での歩みを描いたミュージカル『真の父母様』が約80分間上演され、会場は感動の渦に包まれ、最後、キム・ギフン北米大陸会長の万歳三唱で閉会となりました。

 まあ、派手な追悼式だったわけだ。
 疑問を投げかけておく。
 
その1参加者3万人水増し報告である。なぜなら、清平の会場は3万人のキャパもないのだから(苦笑)。どんなに多く見積もっても1万5000人程度だろう。
 私が統一教会を取材するようになってから水増しはあまりなかったと思うが、最近はひどすぎる。(水増しの例は後日のブログで書く)
 なお、聖和一周年記念式典の参加者は、やはり教団公式サイトでは2万5000人となっていた。http://www.ucjp.org/?p=15549


その2
世界各国の現職、前職の閣僚ら10数人が参列したという。
 著名人(?)を10数人とアバウトに表現してしまう曖昧さ。「○×氏、△○氏など15人」とか、表記すべきだろう。
 仮に10人以上のVIPとか元VIPが実際に参加していたとしても、世界の誰もが知らない”著名“政治家なのだろう。
 唯一、固有名詞があがっていたのは、ダン・バートン米国下院議員だが、初めて聞く名前である。知っていた教会員はどれだけいるのか。

 これは経験則なのだが、水増しなど誇張した報告があれば、人はすべてが誇張ではないのかと疑う。 
 私は、世界の小国の現職、前職の閣僚が数人、元国会議員が数人だったと穿つのだが。
 穿ちすぎというのであれば、教団公式サイトさん、10数人の実名と役職名を教えてくだされ。

 話は横道にそれる。
 文鮮明もそうだったかしらんが、韓鶴子の人事査定の重要な基準は、大きな大会に大陸会長がその国のVIPを呼んだかどうかにある。
 ヨーロッパ大陸会長の宋龍天が全国祝福家庭総連合会総会長になれたのは、何かの大会にヨーロッパの小国のVIP招致に成功したからだと言われている。 VIPを呼ぶための”招致“資金はかなりの金額まで認められるそうだ。
 
 なぜ、韓鶴子は自分が権威づけられるのを欲しているのか。
 この分析は紙数を要するので、今度の機会に。

 これらの疑問は枝葉末節、イチャモン的だと思う人もいるだろう。
 なるほどそうかしらん。
 では、決定的とも言える疑問を提起し、今回の追悼式を酷評しておく。

韓鶴子総裁は五男の文権進様にエスコートされて入場 

 権進の名前は、文鮮明の聖和式(葬儀)のときに話題になった。それ以前には、詐欺師の馬渕(「MCI公式ブログ)のブロガー)が架空の「権進様からの手紙」で、権進の名前を利用したことがあった。一般的にはあまり名前が知られていない子息である。無名ゆえに馬渕が詐欺の道具として名前を使ったのであろう。

 では、文鮮明と韓鶴子の子どもは権進を含め誰が参列したのか?

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 向かって左から生まれ順に、誉進(女)、権進(男)、善進(女)、姸進(女)、情進(女)である。
 この5人はどういう人なのか。
 誉進(イエジン)は文家の長女。長男の孝進と離婚した洪蘭淑の兄と結婚したが、離婚した。
 権進(ゴンジン)は文家の5男。最近、教会の集会でスピーチするようになっている。
 善進(ソンジン)は文家の5女。最近、世界宣教本部本部長に任命された。
 姸進(ヨンジン)は文家の6女。祝福受けず。ブログ「ちゃぬの韓国裏日記」によれば、同性愛の映画製作をしている。
 情進(ジョンジン)は文家の7女。祝福受けず。自殺未遂の過去がある。末っ子で32歳。

 孝進(長男)、興進(次男)、恵進(次女)、榮進(6男)は亡くなっている。

 では、追悼式に参加しなかった文家の子どもは?
 仁進(3女)、恩進(4女)、顕進(3男)、國進(4男)、亨進(7男)の5人である。
 つまり・・・、
 生存している文家の10人の子どものうち半分が追悼記念式に参列していないのだ。

 これが「真の家庭」の実態である。
 一般社会の家庭での三回忌のことを考えてみればいい。
 子どもの半分が戻ってこなければ、母親はショックを受け、打ちひしがれて、また恥ずかしくて、参列者の前で挨拶することなどとてもできない。
 毎年のお盆休みではなく、おじ・おば、亡夫の親友もやってくる三回忌である。そこに子どもが寄りつこうとしなければ、子育てに失敗した、何らかが欠落した母親と見なされる。

 それなのに、文家の未亡人は「真のご父母様」という言葉を、挨拶で連発した。
 ある日本の女性食口はしみじみこう語った。
「自分の父親の2周忌に、10人中5人だけの子女たちの参列とは...。どんなに大規模な式典を催したとしても空しいものですね。真の父母の名を何度も連発する韓夫人にはうんざりしました。名ばかりの真の家庭となってしまいましたね」
 真っ当な感受性だと思う。

 前の記事で、私は韓鶴子の異常性について、「家族不全機能家庭」で育ったことに原因を求めた。
 だが、こうして原稿を綴っているうちに、それだけでは説明がつかないと思うようになっている。5人の子どもが参列しなかった、もっと正確に書けば、恩進はわからないが、4人の子を参列に招待しなかったのに、自分のことを平然と何度も真の母親だという。
 一般社会でこんなことを言う母親がいたら、当然のことながら、参列者は「ちょっと狂っている」と思う。韓鶴子を分析するには「宗教異常心理学」の手助けが必要ではないのか。
 もう少し述べておけば、聖和二周年に参列した食口たちは何も感じなかった。教祖も信者も、ちょっと・・・。麻原と弟子たちとの関係が想起される。


 話を転じる。
 記念式に参加しなかった子どもたちは、どのように父親の追悼をした・するのだろうか。
 文亨進は、彼が主宰するサンクチュアリ教会(ペンシルベニア州。ニューヨークから車で2時間前後)で、12日の夕方に簡単な記念礼拝を行なった。

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 礼拝に参加した文国進の側近、エルダーによれば、
「礼拝は午後7時に始まリました。参加した一人一人が壇上に上がり祭壇の前で線香をあげた後、開会の祈祷、天一国国歌斉唱、家庭盟誓暗唱、天正経朗読についで、国進様と亨進様がそれぞれ簡単なスピーチをして、閉会祈祷と万歳三唱で終わりました。
 全体で小一時間くらいでした。
 国進様は、お父様を
『偽りに満ちた世界において真実を語り続け、決して妥協しない革命的な方』
 と説明されました。また、亨進様は
『神様が人間を創造したのはこの世に自由をもたらす為であり、お父様はあらゆる独裁体制と闘われた』
 と説明されました」

 おそらく、仁進も参列していたのではないかと思う。よくこの教会の礼拝に参加しているというから。

 


 一方、文顯進はどうか。
 支持者によると、「特別な追悼式をやられるとは聞いていません。おそらくご自宅でご家族だけで追悼されるのではないでしょうか」

 これが「真のお父様」が”勝利“した結果であり、彼のレガシーなのである。万歳三唱!

-補足説明-

 今回の記事を読まれた方は、私が国進&亨進びいきしているような印象を抱かれたと思う。
 そのことは否定しない。
 なぜか。国進は拉致監禁反対運動を主導した。教会員の拉致監禁が始まって数十年、国進だけが「拉致監禁と戦え」と号令を下した。文鮮明も号令したことがあるが、線香花火だった。
 教団中枢の言である。
「もし文顯進ニムだったら、平和運動一色で、拉致監禁問題なんか歯牙にもかけられなかったと思いますよ」

<注>この指摘は正しく、顯進の代理人のようなパシセラは一度も強制説得のことに言及したことがない!
 
 また、 亨進は文鮮明によって統一教会の後継者に指名されたのである。それが何の理由もなく、何の説明もなく、組織から事実上、追放されたのである。非教会員とて不当だと思う。
 その結果、彼はサンクチュアリ教会から歩みを始めることにしたのだと思う。

 ところで、前記事「わが子・亨進と会うのを拒否した母親」は、けっこう流布されたみたいだ。
 韓国のある御仁(いい人らしい)はこう解説した。
「もしお母様が亨進様の面会の申し出をお認めになれば、それはお母様が亨進様のサンクチュアリ教会をお認めになったということになる。だから拒否されたのです」と説明する。
 おいおい、いつまで経っても、原理坊やかぁ。

 アメリカから7男がやってきた。母親は長旅をお茶とお菓子で労をねぎらったあとに、「サンクチュアリ教会という独自路線をやめて、反省して統一教会に戻ってきて」と諭せばいいだけのこと。そして、亨進と亨進の妻そして国進の妻と一緒に墓前に向かえばいいだけのことではないか。

 しかし、そもそも、である。
 文鮮明の任命によって世界会長となった亨進から世界会長の肩書を外したのは韓鶴子である。
 世界会長からアメリカ会長に任命した韓鶴子は、そのあとアメリカ会長の肩書さえ奪ったのである。
 結果として、 亨進はサンクチュアリ教会を担うことになった。
「お母様が亨進様のサンクチュアリ教会をお認めになったということになる」なんて、アホというしかない。韓鶴子が自らの手で、亨進をサンクチュアリ教会に向かわさせたのだ。


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コメント

砂上の楼閣に住む“真の家庭”

今回の記事はある意味、現在の統一教会の悲劇的な一面をよく映している内容だと思います。
文先生が話の中で最も強調されたことの一つが家庭の和合でしたが、その文先生の血をひく“真の子女”が父親の追悼式に集わない(または集えない)という現状は、あまりに大きな矛盾です。

教会の要職を務めた子女たちが追悼式に集わないという実状を見れば、普通の感覚からすれば大いに嘆くべきことだと思います。
また、今回集まった子女たちにおいても、実際のところ腹の内ではどのように考えているのかよくわかりません。

基本的に食口は真の家庭の内情については“天の事情”という言葉に押し込めて、あまり詮索・深入りしない(要は思考停止)というスタンスをとっていました。
真の家庭の内部での問題が指摘されるのは今に始まった事ではありませんが、教会内でも現在の真の家庭の状況を擁護、または肯定できる人はあまりいないのではないでしょうか。

統一教会が瓦解していくに当たっての大きなひび割れのひとつが、この「真の家庭」の中にあるような気がします。

さて、その真の家庭の中で一つ興味深い事が、次女の仁進氏が最近You Tubeでアカウントを立ち上げ、「i-Home Church」というコンテンツを発信していることです。
(すでに周知の事実でしたらすいません。URLは以下です。)
https://www.youtube.com/user/injinmoon

主な内容は仁進氏による講話(説教)ですが、その他に料理講座などの内容があります。
最初の動画がアップされたのが今年の5月ですが、それ以降次々に動画がアップロードされています。

その動画を見てまず単純に驚いたことが、あの不倫・出産騒動から2年足らずでこのように仁進氏が堂々と姿を現し、そして堂々と説教を語っていることです。
そして、料理講座などの動画には現在の夫であるベン氏も姿を現し、仁進氏との仲睦まじい姿(平たく言えばラブラブ)を披露しています。
料理講座のブルーベリーパイの回には、ベン氏との間で生まれたエリック君らしき男の子も登場します。

個人的には、そのように惜しげもなくその姿を見せる仁進氏の姿勢は、ある意味で尊敬に値します。
動画の内容も、仁進氏が魅力的な人物であることを再認識するところもありました。
(私は英語ができないので、話されている事のすべては分かりませんが。)
何より一組の男女が新しく家庭をつくり、幸せを感じている事は尊い事だと思います。

しかし教会員からすれば、そのような仁進氏の幸せな姿を見ることは複雑な気持ちだと思います。
実際のところ、文先生が語られた“血統”や“絶対性”という観点から見れば、現在の仁進氏の状況は決して擁護できるものではありません。

前回の記事にあった清平の横領などもそうですが、文先生が定めたという“天の法度”を、まるでその近縁の人間が率先して破っているようで、憤りを通り越してもはや滑稽に感じます。

文先生が亡くなってわずか2年足らずのうちに、文先生が残したかった“真の家庭”も“天の法度”も、もはや砂上の楼閣と化してしまったような気がします。

Re: 砂上の楼閣に住む“真の家庭”

ブルータスさん
>今回集まった子女たちにおいても、実際のところ腹の内ではどのように考えているのかよくわかりません。

 憶測にすぎませんが、韓鶴子氏からお金を援助してもらっているからでしょう。金孝南氏が子どもたちにお金を払っているという噂もあります。

産んだだけの人

鶴子は親の情なんて全くない。

ただ、妊娠したから、産んだだけ。

今回の記事で、それがよくわかりました。

鶴子にとって、悲劇だったのは、妊娠しやすい体質だったこと。
妊娠しにくい体質だったらよかったのにね。

そしたら、国進の最初の妻のように、捨てられただろう。
そうなったら、4度目の妻の摂理があったのか?
原理では、3度で完遂しないといけないから、それはあり得ないことで。
でも、何だかんだ言い訳をつけて、摂理を作っただろう。

はっきり言って、統一って終わってるよね。


ああ〜、20年前が今の状態なら、拉致監禁されずに、脱会できたのに。
親の言いなりになって、親の呪縛に苦しめられなくて済んだのに。

「お母様」がただの呼称になっていく寂しさ

親は子供と身近に触れ合い汗し涙し育てる苦労を経て、親にさせてもらうんだなぁと先ず感じました。

でも触れ合う時間だけが問題かというと、シングルマザーで働くのに必死でも少しの時間を何とか捻出し子供との濃密な時間を過ごす人もいれば、それさえ出来ずに子供の寝顔を見つめて涙するだけでも親の情は子供に通じるでしょう。遠くに離れざるを得ない環境になっても写真を握りしめ思いを募らせる母親も沢山おられるでしょう。
やはりお母様自身が機能不全の家庭で育った悲劇なのでしょうか?

それでも元々母性は女性にあるし、自分が寂しい思いをしたから子供をより愛する人もいる事を考えるとお母様はどんな人格を最初からお持ちだったのか、どのように変わって行かれたのか謎だらけです。
意外と男性的な性格をお持ちなのでしょうか?後継者選びを中心に子供を見つめたらそうなってしまう面もあるのでしょうが。

とにかく二代目を引き継ぐ方の奥様は母性に溢れた方であるよう願います。
現実逃避と言われようが未来を見つめないと虚しくて潰れてしまいそうです。

姸進さんの前途に声援を!

 謹啓。酷暑の中、変わらぬ懇篤なご教示、ありがとうございます。何のお礼の品も差し上げられず、誠に申し訳ありません。ただ形にならぬ、ささやかな御礼を…と存じます。

 それはほかでもない、米本さんのブログのおかげではじめて拝することのできた姸進さんの最近のお姿であります。

 台湾には、かつては独裁政府の伝声管として機能し、それがために今や批判する人々も少なくない『聯合報』という大手紙がございます。
 ところが先日、創業者の孫娘の若い女性「王安頤(おう・あんい)」さんが、「身体は女性で、心は男性」である旨カムアウトされました。
→  https://tw.news.yahoo.com/%E8%81%AF%E5%90%88%E5%A0%B1%E5%89%B5%E8%BE%A6%E4%BA%BA%E5%AD%AB%E5%A5%B3-%E7%8E%8B%E5%AE%89%E9%A0%A4%E5%87%BA%E6%AB%83-120117457.html

 のみならず、彼女(彼?)はレズビアン向けの雑誌を発行、同性婚が法律で許可されるよう、とても熱心に運動しております。
 本来はきわめて保守的で政府よりのはずの『聯合報』ですが、こと同姓婚に関しては、日ごろは政治的主張が真正面から対立しているはずの『自由時報』とまったく同趣旨の論調(同性婚OK)を唱えております。

 これひとえに、創業者の孫娘さんが、そういう人だからでありましょう。頭髪は短く、男性さながら。でも祖父や父親の政治的人脈をフルに活用し、同性愛者のため奮闘していらっしゃる姿には、素直に頭がさがります。


 さて、姸進さんもまた、上記の「王安頤(おう・あんい)」さんと同様、「身体は女性、心は男性」でいらっしゃることが、そのお姿から拝されます。
 むろん教義に照らせば、真の家庭にあるまじき、いまわしい悪魔の子ということになるのでしょうか。彼女の前途に幸あれ!と念ずるとともに、それが茨の道であることを思わざるを得ません。

 現時点の文一家の中で、おそらくは唯一人、外の社会との通路と、外の社会へ貢献できる力とをお持ちの人でしょう。みんなで心ひそかに声援を送ろうではありませんか。

Re: 産んだだけの人

>はっきり言って、統一って終わってるよね。

 ほんと、ほんと。

 14人の子どものうち4人が亡くなっている。うち1人は交通事故死、もう1人は自殺。

 成人した10人のうち5人が離婚。

 統一教会さんが救ってくれるという一般社会の家庭でさえ、ここまでの不幸な家庭は聞いたことがない。尼崎殺人事件など特異な事件を起こす家庭みたいだ。

 それなのに、「不幸な家庭」を「真の家庭」だなんて妄想し形容する。

 ほんとに終わってる。 

いつも隣は天然バカか?

 ブログ「いつも私のとなりに神さま」の2つの文章を読んでみた。

 1つは父母とは、孝子とは?! 真の子女様の一体化は可能か?! そして、私たちは…!
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/403823791.html

 もう1つは7年路程の最初の3年間、だからお母様は否定されるのか?!
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/403856172.html

 この人のブログは、行端が揃ってなく、また改行がメール体であるため(ロジックが苦手ゆえのことだろう)読みにくい上に、内容がお粗末だから、あれ以来読んだことはなかった。

 あれ?あれですよ。夫婦は1週間に2回は・・という女性誌以下の記事ですよ。

 今回読む気になったのは、タイトルにひかれたからである。
 文亨進氏が韓鶴子氏に面会を拒否されたこと。聖和二周年行事に10人の子どものうち5人しか参加しなかったこと-に関することが書かれているのではないかと思われたからである。

 案の定、そうだった。

 それで次回、とことんバカめてやろうと思ったけど、バカらしくなってやめた。

 いつも隣さんは後藤裁判で談笑したお方。だから、つい筆が鈍くなってしまうが、是は是、非は非である。

 なぜバカらしくなったのか。それは直接読んでもらいたいが、バカ丸出しだからである。

 2、3例をあげておく。

その1
「4人もの御子女様を先に霊界に送られながらも、残っている御子女様たちがひとつになりきれていない現状、これは親である真のお母様においても本当に深刻で胸痛いことであるこのは間違いありません」

 子女がひとつになりきらない原因を作ったのはダメ母が蒔いた種である。文顯進氏、文亨進氏、文国進氏を組織から追放した結果だよ。
 イメージではなく、具体的現実を直視しなよ。

その2
「今回、亨進様の面会を断られたそうです。詳細は、わかりませんし、あくまでも個人的な意見ですが、何かの事情があって、そうせざるを得なかった。そう解釈すべきなのではないか、と思います」

 そりゃあそうだ。100%正しい。でも、いつも隣さん、中学校で勉強し直したらと提案しておくね。
 どんな場合でも、面会を断るのは何らかの事情があるからで、事情がなくて断るという例はこの世にないよ(爆笑)


その3
「真の父母として、全人類を愛されるご父母様。子を思わない親はいません。真の子女様を愛され、もう一度許し、信じるために12の山々を登られたご父母様」

 この世には子どもを愛さない・愛せない母親もいるのだよ。そのことが書かれている本を、家族関係の書棚で見つけてきなよ。たくさんあるのだから。松戸から八重洲ブックセンターまで30分で行けるよ。

 もう一度許し???
 これまでどんなことを10人の子どもたちに許したのですか。
 頭がロジックではなく、御言の訓読脳状態になってるね。
 12の山に登った???
 12の山の名前を教えてください。
 これも、訓読脳状態だ。


  最初の文章


その4
「2020年の7年路程においては、今まさに、前半の3年路程を歩まれているのだと思います」

 勝手に路程を作るなよ。
 小生はいまバカを相手にしている苦難な路程だぜよ。

 いつも隣さんは、様々な事実を知らされ、認知的不協和状態になり、何とか協和できるようにあれこれ思いつきで書いたと思う。
 しかし、自信はない。それでタイトルに「?」をつけたと推測される。
 だとすれば、救いようがないバカではない。

Re: いつも隣は天然バカか?

 興味深いのはいつも隣の読者層である。
 彼のブログはいつも統一村のトップを疾走している。慶賀である。

 ただ、人気ランキングで10位以内に入ることはそれほど多くない。

 そんで、前コメントで紹介した彼の2つの文章がランキングに入るかどうか注目していた。

 8月18日夕暮れどき現在-

2位:7年路程の最初の3年間、だからお母様は否定されるのか?!

6位:父母とは、孝子とは?! 真の子女様の一体化は可能か?! そして、私たちは…!

 私からすると、なんで?となる。

 察するに、こういうことではないのか。

(1)あの大母様が260億円もの献金を横領した記事が流れている。

(2)あの神山さんが真のお母様を批判している。

(3)アメリカからわざわざやってこられた文亨進ニムにお母様は会おうとしなかった。

(4)お父様の追悼式に10人の真の子女様のうち5人しか参列しなかった。

 これはどういうことか。

 不安になった食口は、いつも隣にアクセスした。彼の講釈に頼った。

 神的存在の人がハルマゲドンが起きるといって起きなかった。
 信者に動揺が走る。
 認知的協和が不調和になる。

 そうした場合、何かしら自分に都合のいい理由を見つけ、心を安定したくなる。つまり、何らかの理由を述べてくれる人に依存したくなる。

救い主とは? 真の家庭とは?

初めまして。
愛読者としてちょっとコメントしたくなりました。
視点が違うと見え方は随分違ってきますね。昔、救い主を自称するイエス-キリストというユダヤ人がおりましたが、十字架にかかっている最中「救い主なら自分で自分を救ってみせろ」と罵倒されます。そんな自分も救えないような人物をメシアと信じているキリスト教徒が現在十億人もいるそうですね。
イエスキリストが率いた教団はあの時終わったと思った方も多かったのでしょうが、米本さんもその人たちと同じなのでしょうか?
「真の家庭」を提唱している韓国人夫婦がいますが、ご自身の家庭は私たちがイメージする理想的な家庭ではないようです。
キリスト教と同じように多分「統一」はこれで終わらないのですよ。現役、おやすみ組、元、反対派、いろんな人を巻き込みながら、今後も目が離せないのは「終わってない」証拠かもしれませんね。
米本さんも「統一」が終わっては楽しいブログを書けないから、これからもきっと楽しいはずですよ。それではこれからも楽しみにしています。

食口の論理

>「今回、亨進様の面会を断られたそうです。詳細は、わかりませんし、あくまでも個人的な意見ですが、何かの事情があって、そうせざるを得なかった。そう解釈すべきなのではないか、と思います」

この一文だけを見ると確かにかなり稚拙な文章なので、私も思わず笑ってしまいました。
先日コメントで「マジックワード」について紹介しましたが、まさに“何か言っているようで何も言っていない文章”の典型的な一例のような文章です。

たぶん、いつも隣さんは、韓夫人が本当は亨進氏に会いたいのだが“原理的な理由”で会うことができなかった、というような事を言いたいのだと思います。
いつも隣さんの中では、「やむにやまれぬ理由で息子と会うことができず、陰ながら一人で涙を流す母」、もしくは「心を鬼にして息子を突き放さざるをえない母」、というようなイメージなのかもしれません。

しかし米本さんが指摘されるように、それらは必ずしも事実に即した内容ではありません。
まさに“信仰”と“思い込み”は紙一重といったところでしょうか。

今の教会は、教会内で語られる事と現実で起きている事の乖離が激しくて、もはやマジックワードを多用してお茶を濁すことでしか信仰を保つ術がないのではないでしょうか。

基本的に食口は“信仰的な人”であるほど、“カイン的な考え”を抱かないように努力し、教育されています。(要は教会の言うことに疑いを持たず従順であれ、ということですが。)
しかし、この“カイン的な考えをもつ事”と“論理的に考えて疑問を持つ事”は紙一重だと思います。

実際に教義の中にも、論理的に考えておかしいと感じることを戒めるような内容が多々あります。
しかし、その論理的に考えておかしいと感じる感覚をマヒさせながら様々な行為を行った結果、統一教会がこれまでにあまりに大きな“負の遺産”を抱えていることを、誰も教会内で反省するような人はいないのでしょうか。
(そういった事が社会から「洗脳されている」と揶揄される一因だと思います。)

米本さんのブログで取り上げられた清平の横領などを含め、現在教会で行われていることも、論理的に考えればあまりにおかしいことだらけです。
そのような状況の中でも、教会の言うことに従順であるという姿勢を貫くことで、すべての物事が好転していくのでしょうか。

今は教会に関わる人の中でも多くの情報が錯綜し、混乱することも多いと思いますが、どのように情報を取捨選択し判断していくか気をつけたいところです。

恐れ入ります

テーマが違うとは承知のうえで、この動画をご紹介させてください。

【慰安婦の真実】フランスの方が描いた慰安婦の真実~L'histoire d'un mensonge.
http://youtu.be/_4qQCRT0v-4

6分前後の動画です。

私たちが統一教会にどれほど騙されていたのでしょうか。

お母様、もう立場が危ういですね。
お父様、お父様のおっしゃるような霊界であれば、あなたは今どちらにいらっしゃるのでしょうか。
人を騙した罪で地獄に落ち石を投げられたりしていなければいいのですが。

なお、現役食口の献身者たちは「お父様とお母様は一体化しておられるから女メシアあり」なんだそうですよ。

そこは原理に矛盾していても関係ないそうです。

真の家庭、って?

<みんなさんの心の中に認知的不協和が生じ、何とか協和させるために、「信仰観(メシア観、摂理観など)の違い」に原因を求めるのは、真面目な態度ではないし、もっと言えば妄想にすぎません>(米本さんのコメント)

不真面目だ、妄想だ、と言われるかもしれませんが、私の感覚、私の意見を述べさせていただきたいと思います。


<生存している文家の10人の子どものうち半分が追悼記念式に参列していないのだ。
 これが「真の家庭」の実態である>

このことについて、韓鶴子女史に多くの原因がある、という論調のようですが、はたしてどうなのでしょうか?

私の言う「信仰観の違い」ということについて、ちょっと例を書きたいと思います。

うちの教会では「還元祈願礼式」ということをよくやります。
私にはこの意味も意義も効能も、さっぱり分かりません。
ですが、やっている人たちは真剣です。
これで、霊界が動き、大きく事が進む、と信じています。

「霊界が動く」「事が進む」という点について、うちの教会の人たちと私とでは、全く共感できていないわけです。
霊界が動いているのかどうかも分かりません。

では、そういうことを信じない私のほうが正しいのか、と言えば、それも分かりません。

ただ、お互いに、「天一国(天国)」「統一」を願い、それを実現しようと思ってやっていることだけは、一致しているのです。

で、教会の役員たちはその「還元祈願礼式」に私たちを動員しようとします。
でも、私は行きたくありません。バカらしい、とすら思います。ここで対立が生じるのです。

こんな小さな例を当てはめるのは、ちょっと無理がありますが、韓鶴子女史のやろうとする式典に対して、亨進氏らに「ちょっと違う」「ついて行けない」というのがあるとすれば、どうでしょう。

「文鮮明師の悲願を果たしてあげたい」という意味では一致しているのですが、やり方とか考え方が不一致だと、いくら尊い式典だと言われても、参列する意味を見いだせないように思うのです。

そういう意味で、韓鶴子女史だけを一方的に問題視するのには、私はちょっと抵抗感を覚えるのです。
亨進氏らもすでにいい大人です。それぞれに自分の考え、事情、損得勘定、フィーリング、運動論があるのではないでしょうか。

分裂している文家を「真の家庭」と呼ぶのはおかしい!、韓鶴子女史を「真の母」と呼ぶのはおかしい!、というのは、それはそれで一理あると思います。

これについて、私は「誰かが真の母、真の家庭という役割を担わなければならない。好きで真の母、真の家庭をやっているわけではないだろう。頭が下がる」というふうに考えています。
つまり、「真」というのは役割だと。

人ぞれぞれ「真の父母」と聞くと、期待することは大きいと思いますが、「真」だからといって完全、100%、スーパーマンではない、と思います。
神に対して、神が与えた位置に対して「真」であれば、それでいい、というふうにも思います。

完璧を求める側にも問題があるのではないか、と思うのです。

好きでやっていらっしゃいます

みんなさん、

>「。。好きで真の母、真の家庭をやっているわけではないだろう。頭が下がる」というふうに考えています。

つまり、「別にやりたくて真の父母という最高の位置に立っているわけではない。やれる人もいない、この大変な仕事を誰かがやらないといけないからやっているだけだ」というわけですか?文先生夫妻が謙虚な日本人ならそう思ったかもしれませんが、自信と誇り満々の韓国人ですよ。

7月1日の講話で、自分には特別の価値があるのを知らないのか、とおっしゃったばかりですよね。また、米本さんの指摘にあるとおり、いつもスピーチ中、ご自身を指して真の父母様という単語を連発されます。好きでやっておられると思いますよ。

キャット・ムーン (文姸進) Kat Moon について

文家の子供たちは皆持っているという英語名、推測ですが姸進さんはキャサリンKathleenなので、通称キャット・ムーン Kat moon というのだと思います。
その映画を数年ぶりに「Kat Moon movie」で検索し、彼女のサイトに行って、観ました。
Love.
http://www.katmoon.com/films.html
ある一組のレズビアンカップルのインタビュー主体のドキュメンタリーフィルム(6分弱)です。何度か見ていると、かわいくカッコよく見えてきます。どちらがかわいくて、どちらがカッコいいかは当然分っていただけると思いますが・・・
え?分らないし、そう思わないし、ほぼ見る気もしないと。そうですか、ツカミは失敗しましたがめげずに続けます。

ロンドンにある“アーティストによる映像製作会社”のプロデューサー職に就いていて、同性愛のフィルムだけでなく、一般的なコマーシャル(コダック、東芝等も)やミュージックビデオ(マヤジェーン等)なども手掛けているそうで、どうやら会社は3DやVFXといった最新特殊撮影の世界では一流らしいです。

その会社のアーティストの中で東洋人は彼女だけで他は白人でした。統一関連ではないかと会社のサイトで統一教会色を探しましたが見た限りではテイストが全く違います。

最近の彼女自身の大きめな仕事として、新進シェフのドキュメンタリ映画制作と、第一AD(共同プロデューサー)としてインディーズ系公開の映画The 9th Cloud(2014)の制作に携わったとのこと。

The 9th Cloudサイトのスタッフ紹介ページの一番下にKat Moonの顔写真があります。
文家の人たちには見かけないような、謙虚で生き生きとした表情が見られます。
http://www.theninthcloud.com/co-producers/#
世の中で揉まれてそれなりに苦労しているのではないでしょうか。

しかし、ロンドンのその映像制作会社は、彼女の顔写真のすぐ上に紹介されている男性(なぜか襟が立っている。貴族かッ)と彼女が共同設立者となっています。最初の資本金に教会のお金が巡り巡って(というか一直線で?)投入されていることはあるかもしれず、と思いますが。
また彼女は、ニューヨークで学士号を二つ、ロンドンで修士号を二つとっていて教育にはお金がかかっています。

以前イギリス統一教会の所有するアパートの一室にKat Moonがずっと生活していて、教会は家賃収入を見込んでアパートを建てているのに、韓国リーダーの一存でただで何年も居座られて実は困っている・・・という情報がありましたが、たぶんロンドンでの修士学生時代のことでしょう。まさか今でもタダでロンドン教会に住んでいるってことはないよねっ

ということで初期投資はかなりかかっていそうですが、会社や人材や継続資金や観客まで全部教会内部でまかなうしかなかった孝進さんの場合とは明らかに違って、フィルムも(全米が泣くほどではありませんが)独特のヒューマンタッチがあって、外の社会でも一定の評価は受けているのだと思います。

ヨッシャーさんが以下のように書かれたのはその通りだろうと思います。
>現時点の文一家の中で、おそらくは唯一人、外の社会との通路と、外の社会へ貢献できる力とをお持ちの人でしょう。

火の粉読者、必読!

 秀さんが「拉致監禁被害者 解放! しかし、、、、。」のタイトルでブログを更新しました。

http://hydenoshikou.kakuren-bo.com/Entry/59/

 解放とさらなる監禁!

 必読です。

韓鶴子氏の権威主義

>なぜ、韓鶴子は自分が権威づけられるのを欲しているのか。

 上の問題提起に対し、米本さんは「この分析は紙数を要するので、今度の機会に。」と書かれましたが、現在の統一教会を理解する上で欠かせない問題でありますので、思いつくところをコメントしたいと思います。

 私は、前々回の記事に投稿したコメントの中で李氏朝鮮王国を源流とし、統一教会へと受け継がれた‘権威主義’について考えてみたのですが、‘権威主義’を統一教会の一つの特性としてしまうことには 今までどうしても躊躇する思いがありました。
 何故かと言いますと、創始者である文先生が語られた言葉として「先生は 権威主義は嫌いだよ。」と書いてあった講演文を読んだことがあり、それが私にはかなり強い印象となって記憶され、「文先生の理想=脱権威主義」が一つの思考材料として頭の中に残り続けていたからです。

 そのため、統一教会内での上意下達でなされる絶対的命令に遭遇しますと、教会が脱権威主義であるはずの文先生の思想と相容れない体制となっているように思われ、その矛盾はなかなか解決できない疑問となっていたのです。
 文先生は、1974年、帝国ホテルにて当時の大蔵大臣であった福田赳夫氏も参加した‘希望の日晩餐会’において講演し、「為に生きる」ことをテーマとし脱権威主義的な思想について語っています。
 その講演において「為に存在する者におきましては 中心者になる原則がある」と語り、実際に全体の為に奉仕し、自己を犠牲にして尽す人間が 自然とその全体の中心的指導者となっていく世の中の原則があることを説いていたのです。

 それは明らかに、‘権威を獲得したものが支配者になる’という権威主義の思想とは異なっており、民主主義的な思想と通じる考え方なのです。
 つまり、統一原理の世界観においても、文先生の代表的な演説においても権威主義的な考え方は否定されているのです。
 少なくとも文先生の口からは‘権威’を強調するような言葉は発せられていなかったのです。

 ただ、文先生が実際に世界人類の為に奉仕し、最大の犠牲を払って来られたかどうかは解釈が人によって大きく分かれるところです。
 昔の教会内部の月刊誌、「ファミリー」などには、老いる前の文先生が毎日のようにマグロ釣りをしていたことが写真によって紹介されていましたし、「文先生は世界の為に誰よりも犠牲になってみ旨の道を歩んでいる」との教会指導者の説明には不整合がありました。
 それを弁解する理屈として「文先生は将来の人類の食料危機問題を解決する為に海洋資源の開拓を行っているのだ」などという子供騙しの言い訳しか教会幹部には思いつかなかったのですから、文先生が実際に「世界の為に全てを捧げていた」とは言い切れません。

 しかし、それでも言葉の上では、文先生が‘人類の救世主’であるのは「世界人類の為に奉仕し、最大の犠牲を払って神のみ旨を歩んでおられる」からであるとし、一方的な絶対的権威を主張していた訳ではなかったのです。
 それと比べますと、韓鶴子氏は自分に関して語る言葉に「権威づけられるのを欲している」様子が伺え、権威主義の傾向が強いのは明らかです。
 さらに付け加えれば、顕進氏にもそのような傾向が感じられ、「道徳的権威」などという言葉を語るところにもそれが表れています。
 考えようによっては、文先生の隠された‘権威主義’が妻や子に相続され、表面化したという解釈もできます。
 文先生の宗教思想は かなり強い朝鮮儒教の影響を受けていることを考えれば、その解釈は道理に適っています。

 権威主義には政治における独裁主義や全体主義も含まれますが、民主主義思想の発達によって既に時代遅れの思想となっており、人類の幸福には貢献しないものであることは明白です。
 それにも関わらず、韓鶴子氏が権威主義を貫き、「権威づけられるのを欲している」理由については 素直に考えると案外わかり易いかも知れません。
 つまり、「世界人類の為に奉仕し、多大の犠牲を払った」という何の実績も持たず、母親としても、子供達と充分な信頼関係を築けなかった老女が、これまでに送っていたような王妃様としての生活を継続する為には絶対的な「権威」に頼る以外になかったはずです。
 一旦、‘創造的活動を自由に行える喜び’を味わってしまうと、人間の本性としてそれを放棄することは不可能なのです。
 たとえ、その可能性を今まで与えてくれた‘資金’が人々から搾取した金銭であったとしても、また、その創造活動が人々から評価されないものだったとしても、その満足感だけは残っているのだと思います。
 韓鶴子氏のような創造的能力を持たない人が知ってはならない‘喜び’を妄想の中でも知ってしまったことが彼女を狂わせてしまったのだと思います。

 そして、伝統的な朝鮮文化に影響された、‘ルサンチマンを持つ’統一教会員はそれでも韓鶴子氏の権威を信じ、‘外的破滅’に直面するまで教会活動を続けるのかも知れません。
 丁度、peace頭のように…。

「真の父母」は姑息な表記

みんなさんのアベル的な解釈は協会組織の下部層の模範かもしれません。--カインの幹部にうまく利用されるという意味で。

<分裂している文家を「真の家庭」と呼ぶのはおかしい!、韓鶴子女史を「真の母」と呼ぶのはおかしい!、というのは、それはそれで一理あると思います。

これについて、私は「誰かが真の母、真の家庭という役割を担わなければならない。好きで真の母、真の家庭をやっているわけではないだろう。頭が下がる」というふうに考えています。
つまり、「真」というのは役割だと。>

でも、そのような語彙解釈をするのなら、「真の父母」とか、「真の母」という表現は適切ではありません。カルト特有の姑息な表現です。

正確には「真をめざす未完成の父母」「真を追求する未だ父母ならぬ者」と表記すべきです。
過程、状況を含めて「未完成の父母」がふさわしいということになります。

ということは、我々と同じ立場なのですから、特別にその人を「真の・・」にする道理はありません。その人自身の努力によるものだからです。そして「真の父母」が必要だと切実に思う人は、ご自分が「真の父、または母」になればいいでしょう。

どうか皆様、ご自身とご自分の家庭を大切にしてください。

馬鹿殿父母

阿保爺と重荷を中心とした馬鹿殿家庭。

食口とは日本人に対しては食い物という意味ではないかと思う。

いい加減日本人食口も利用されていることに気がつき、日本や世界のため、さっさと罪を償って解散して下さい。 

Re: 韓鶴子氏の権威主義

神々の黄昏さん、小生の「なぜ、韓鶴子は自分が権威づけられるのを欲しているのか」の問いに答えていただき、ありがとうございました。

>「世界人類の為に奉仕し、多大の犠牲を払った」という何の実績も持たず、母親としても、子供達と充分な信頼関係を築けなかった老女が、これまでに送っていたような王妃様としての生活を継続する為には絶対的な「権威」に頼る以外になかったはずです。
 一旦、‘創造的活動を自由に行える喜び’を味わってしまうと、人間の本性としてそれを放棄することは不可能なのです。
 たとえ、その可能性を今まで与えてくれた‘資金’が人々から搾取した金銭であったとしても、また、その創造活動が人々から評価されないものだったとしても、その満足感だけは残っているのだと思います。
 韓鶴子氏のような創造的能力を持たない人が知ってはならない‘喜び’を妄想の中でも知ってしまったことが彼女を狂わせてしまったのだと思います。

 なるほどです。

 あと2つの視点からの検討も必要ではないでしょうか。
 1つは、韓鶴子氏の性格です。
 両親から先天的にどんな性格を引き継いだのか。
 乳幼児から16歳までの時期に、後天的にどんな性格を形成したのか。

 もう1つは、文氏と結婚してから形成された性格です。性格だけでなくある種の思考・指向・嗜癖である。
 結婚生活は同一パターンで歴史通貫的に経過していたわけではなく、2つかそれ以上かは把握できないが、彼女にとってエポックメーキングになるようなことがあったと思う。
 
 こうしたことを含めて分析しないと、韓鶴子氏の権威好みは分析できないと思います。

 
 これとはちょっと次元が違うけど、文鮮明氏の考え方を時代を捨象して見てしまうと、これまた違ってしまうと思うのです。

 最初はno権威であっても、歳を取ってくれば・・・。

 文氏よりかなり知的探求力があるマルクスにおいても、初期マルクスと後期マルクスがあったように、人は弁証法的に進化あるいは退化すると思うのです。ちょっと舌足らずだけど。

前期と後期

米本様、

>初期マルクスと後期マルクスがあったように、人は弁証法的に進化あるいは退化すると思うのです

弁証法というのはよくわかりませんが、時と共に人は多々変化する、というのはまったく同感です。80年代くらいまでの文先生の壮年期までのスピーチや行動と、最後の数年間の内容と印象はまったく違います。最後は痴呆症の影響もあったでしょうが、注意してみるとそれ以前から、90年代くらいからかなり変化したようです。

現役で今もがんばっている方たちは、文先生の昔のイメージと内容を胸に抱いて、それを支えにしているようです。その後20-30年たってご本人は大変に変化されたのに!韓総裁についてもまったく同じことが言えます。

この夏アメリカでは、1965年に文先生が初めて訪米して全米で自ら聖地を設定された50周年ということで、協会長以下全米復興のバス旅行が挙行されました。これも初期の文先生を慕ってる感じですね。。初期は良かったわけです、もちろん問題の芽はすでにあったと思いますが。

Re: 前期と後期

 千尋さん、教えてください。

>注意してみるとそれ以前から、90年代くらいからかなり変化したようです。

 その兆候を何か具体的なことで示すことはできるのでしょうか。

米本さんの「真の父母」人間論の価値

米本さんの「真の父母様」人物論は今までの記事でもかなり本質に迫った、鋭い考察がみられましたが、「韓鶴子氏の権威好み」に関しても、豊富な情報と米本さんが持つ‘偏見なき人道主義者’としての高次元な観点から、的確な分析がなされるものと期待でき、その「今度の機会」に記事を書かれることがあるであろうと期待し、後の楽しみにしたいと思います。
 全くと言っていいほど思考を巡らさない統一教会の「真の父母」崇拝者や、浅薄な精神解釈しかできない統一教会反対派と違い、米本さんの「真の父母様」人物論には真実の重みと論理的な説得力があり、‘ありのままの真実’と社会現象としての‘全体像’を知りたい読者にとっては得るものが限りなく大きい最高の読み物なのです。

>文氏よりかなり知的探求力があるマルクスにおいても、初期マルクスと後期マルクスがあったように、人は弁証法的に進化あるいは退化すると思うのです。

 上の米本さんのコメントはある意味で‘普遍的真理’と言えます。
それとは反対に、全く「進化あるいは退化」しない人間も存在しないと思います。
 米本さんはコメントの流れの中でマルクスの初期と後期について触れましたが、「文氏よりかなり知的探求力がある」マルクスが1848年の共産党宣言から1864年の国際労働者協会創立宣言(第一インターナショナル)に至ってなした革命戦略の転換と文鮮明氏の宗教活動にみられる「地上天国実現方法の転換」の内容が真逆であるのがとても興味深く、やはり、「知的探究力」の差であるというように考えざるを得ません。

 つまり、マルクスの政治革命論が共産党宣言では「権力の掌握」→「社会の変革」→「多数者の獲得」であったのが 国際労働者協会創立宣言では「多数者の獲得」→「社会の変革」→「権力の掌握」と変化した(荒木武司・後期マルクスにおける革命戦略の転換<1>参照)のに対し、文鮮明氏の宗教運動方針においては、それと全く逆の傾向がみられ、最終的には‘一組織地上天国論’とも言える「権力の掌握」→「社会の変革」→「多数者の獲得」である宗教活動を展開するようになったという見方もできるのです。

 マルクスは理論と現実を整合性があるものとなるよう思考を進歩させ、‘プロレタリア独裁’戦略から‘合法的・平和的革命’戦略へ転換するようになり、民主主義的な多数者革命の戦略を目指すようになった訳ですが、結局文鮮明氏はそのように思考を進歩させることができず、逆に、李氏朝鮮王国の朽ちた幻想に舞い戻ってしまったのです。

 文鮮明氏の‘変化’については「90年代くらいからかなり変化したようです」とコメントされた千尋さんの観点は私もよく理解できます。
 それは統一教会の毎年発表される「年頭標語」にも表れており、以前私もそれについてコメント欄で書いたことがあるのですが、1991年のソ連崩壊による冷戦構造の終結が大きく影響しています。
 ここで具体的にそれを説明し直すことは致しませんが、千尋さんの観点は間違ってないと思います。

 ただ、文氏は自分が変化していると人から思われることについては絶対に容認しないと思います。
 文氏は「最も価値が大きいものとは 決して変化しないようなものである」と語ったことがあり、それをダイヤモンドなどを例に出しながら説明し、神の存在についてもその理屈から、決して変化しないところに神の存在価値の大きさがあると語っています。
 つまり、‘絶対不変’であることが絶対的価値の証明であるように考えているのです。
 それは、決して統一原理の創造原理と一致する考えではないのですが、宗教的感性においては矛盾も問題にならないようで、結局文氏は‘真理’を語る人ではなく、‘宗教’を語る人であったことがよくわかるのです。

 従って、客観的に見れば、180度方針転換したと思われることも、文氏の宗教感覚の中では不変の姿勢を貫いているとしか思わないことになるのです。
 その辺の宗教的感覚や宗教思考はほとんど‘妄想’と同じでものあって正常な理性を持った人々にはなかなか理解できないものです。
 統一原理を宗教と科学の課題を統一的に解決できる‘新しい真理’として捉えたのは、劉孝元氏や李相軒氏であって、文氏は間違いなく、そのようには考えていなかったと思います。
 「真の父母様」人間論を書き始めると‘問題’がどこまでも発展しそうなので、これ以上は書きませんが、米本さんの分析は何よりも興味を懐かせられます。
 統一教会のサラリーマン教育部長や「真の父母」崇拝者のブログの陳腐な駄文とは到底比較できるものではありません。

恩進様のこと

「お父様はメシアではない」と発言した恩進様について、教会に戻ってきたらしいという情報を聞いた。それで調べてみた。

 恩進様は、36家庭の朴鐘九氏の長男・朴珍憲氏と1986年4月11日に祝福結婚し、その後離婚している。
 離婚した元夫、朴珍憲氏は2012年7月7日にヒライ・キワさんと再婚している。東京・八芳園での結婚式には、ピーター金氏、梶栗氏、小山田氏、周藤氏、大塚氏、徳野氏が参加し、祝ったようだ。

 恩進様と朴珍憲氏の間には二人の娘がおり、それぞれ1990年、1994年生まれである。現在長女は24歳、次女は9月5日で20歳を迎える。


 そして、恩進様は1998年7月3日に再婚した。相手のRodney Jenkins氏は当時54歳。
 恩進様は、1967年12月24日が誕生日で、再婚当時31歳だった。夫婦の年の差は23歳。今風に言えば、「年の差婚」である。
 現在、再婚相手は70歳のご高齢だ。恩進様は47歳。再婚相手とは何人か、何歳かはわからないが子供がいるようだ。

 31歳と54歳との結婚。この時点では情熱的な結婚という感想もあろうが、それから16年が経過すると、47歳と70歳の夫婦になる。俺も自戒しないとなあ。


 恩進様が「メシアではない」と言い放った父親が聖和し、元夫も幸せに再婚し、元夫との間の二人の子供も成人し、まわりの環境が整理された中で、真のお母様が「戻ってらっしゃい」と呼び掛けたなら、恩進様は戻ってこやすかったのかもしれない。

 再婚相手は高齢だから、収入もないはず。でも、子供の教育にはそれなりのお金が必要だ。 
 そういう状況なら、教会に戻った方が経済的には恩進様も助かる。

 これが、「メシアではない」と言い放ったにも関わらず、教会に戻ってきた理由ではないかと推測している。

 やはり、統一教会の人の動きはお金が軸になるようだ。あ~あッ。

 ただ、恩進様がなぜ聖和二週年に顔を出さなかったのかは不明である。

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