「お父様は無念だった!」-神山元会長の講演録を全文公開 

統一教会考(59)

速報!(7月31日夜)
 教会員夫婦が拉致監禁されたが、脱出した。警察が介在した模様。
 拉致監禁のコーチは、あの買春牧師こと神戸真教会の高澤守と尾島敦義。
 これとは別に、新たに2人の教会員が拉致監禁された模様
【情報源】「秀のブログ」一家(4人)が拉致監禁!!(読むべし)

心底仰天!情報 (8月1日未明)
 7月31日、韓国・統一教会の天正宮周辺で在韓日本人女性の元食口たちが「清心教会の貸付金2630億ウォンを返還せよ!!」の示威行動を行なった。“統一運動史”上、画期的なことである。
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 この行動の意味については拙ブログの「仰天速報!韓国の食口たちが金持ちイタコらに公開質疑書を送付す」 「韓国のネット新聞が横領疑惑を報じた!」 を参照していただきたい。
 元食口たちの背後にどのような政治的な思惑が持った人がいようが、またそのことを揶揄、誹謗中傷する現体制派(保守保身派)が出てこようが (おそらく分派批判)、彼女たちの思いは貧乏と不幸のどん底にいる現役教会員の哀しみを背骨にした、正義の叫びである。

 風光明媚な清平一帯を、雨と雷をもたらす積乱雲の如く、まるで自律した意思を持っていると思われるような黒雲が急激に覆いつくそうとしている。

 ※上の2つの囲み記事へのコメントは控えてください。今回のテーマは以下を読んでいただければわかります。

・・・・・・・・・・・・・・・・

 日本・統一教会の第2代会長の神山威氏がこの6月18日に、韓国釜山で講演をした。その講演録を全文紹介する。
 周知の通り、神山氏は一般社会では無名であっても、教会内では「1984年アメリカで文鮮明が脱税の罪で懲役1年6ヶ月と2万5000ドルの有罪判決を受け、コネチカット州ダンベリー刑務所に入獄。弟子の神山威も(偽証罪)で共に入獄」(byウィキペディア)-の当事者として有名な人である。

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 神山氏は、アメリカ開拓(伝道)の中心的存在であり、文鮮明氏の晩年にはヨスで文氏と生活を共にしている。それも文氏が亡くなる1週間前まで!そこで、文氏から様々な話を聞かされたはずである。その意味で、彼の講演内容は教会員にとって興味深いものだと思う。

 私が講演録を載せるのは、「新しい時代の始まりか、それとも破滅への序曲か-韓講話」で紹介した「7/1韓講話」と深く関係する部分があるからである。まるで、韓鶴子氏が7月1日にスピーチすることを見越したかのような講演である。
 神山氏は「お父様は無念だった」と語っている。
 私が興味深く思えたところは、下線を引いた。
 
 予め知っておいてもらいたいのは、神山氏が講演した釜山での集会は、いわゆる3男派が企画したもの-ということだ。実際、講演の最後のほうに、文顯進氏を持ち上げ、文家の他の子どもを低めるくだりがある。この文脈は留意しながら読んでいただきたい。文鮮明氏が自分の後継者として7男の亨進氏を指名したことに全く触れていないことにも違和感を覚える。

 講演の反響は大きく、韓鶴子氏はそれを知って、たいそうお怒りの様子だったという。
 数日して、韓国食口に「神山会長は郭グループに加わった」と、韓国の公職者たちが触れ回った。神山の影響力を削ぐためである。
 私には理解不能である。
 文顯進支持派は確として存在しているが、郭グループには実態がない。現体制派が郭錠煥を排撃するためにつけたレッテルに過ぎないからだ。子ども騙しのような攻撃だが、「郭グループはサタン」と刷り込まれている白黒脳、カルト脳の食口たちには一定程度、効果的だったようだ。つまり、「郭グループ」と聞かされただけで、ビリッと電気が走ったように、瞬時に脳にビニールの幕がかかり、神山講演の内容に思考を巡らすことができなくなる・・・。
 
「郭グループに加わった」というだけでは説得力が弱いと思ったのか、「神山さんは7000万円もらったので、郭グループに入った」と、耳元で囁くような口コミ作戦を展開しているという。
 女メシア宣言をした韓鶴子氏を支持する人たちは、神山スピーチのどこを怖がっているのか。じっくり読んでいただきたい。末尾に補足を加えた。 

 なお、回数を分けてアップしたほうがいいほどの大変な超長文である。読みやすくするために、改行、行空けを適宜行ない、小見出しと写真を加えた。原文はママだが、明らかな入力ミスは修正した。


神山威元会長の講演

         2014年6月18日(プサンにて)


神山の個人史

 皆さんにお会いすることができたこと、嬉しく感謝しております。今は、この限られた時間内にどのようにして話をまとめていいのか苦悶しているところです。麗水の40日の海洋修練会において、私の責任分担の時間は40時間から50時間ありました。50時間で語る内容を一時間で語ろうとしています。
 今日、皆さんにまず紹介したいお父様の御言葉があります。

「メシヤたる者はいかなる者か。メシヤは、ただ一つ、神の内心にあったその愛があるとすれば、その愛の全体が集結したその愛、方向を固め、出発点を同じくして、一致した方向のその愛を、総合された愛を受ける最初の者である。その者とは何か。神の前に初めて生まれた長男。長男だね。分かりました?
 メシヤとは何かというと、神の愛の前に初めて生まれた、神の愛の前に立った、初めて神の長男としての愛を受けるそういう立場に立った者がメシヤだ。だから、イエス様もそういうことを言ったんだね。イエス様はひとり子、一人息子である。ひとり子、息子であるというのは、全体の愛を受けることである。始めから終わりまでね。神が絶対なる主体となれば、(メシヤは)男として、絶対なる主体圏に立つ者だ。それはどんな立場か。父子の関係だ。父子の関係。分かりました?
 だから神の全体の愛を、個人に向ける愛、それから家族に向ける愛、氏族、民族、国家、世界に向ける愛。神の長男の子供として、すべての圏を超越したその基準において、代表的な愛を受ける資格をもって来られる者が何?(メシヤ)。だから、神の子供。神の愛する子供が生まれてきた。しかし、愛する子供一人で何になるか。子供自体は、その相対者を得なければならない」
。(み旨と世界)P.852

 メシアというお方がどういうお方かということをお父様が説明しているのです。
 人類歴史はその一人を求めて歴史は綴られてきたのです。至る所で紛争があり、至る所で問題が起こって、蕩減の代価を払って、その一人を見つけるための歴史であった。そして神様がその一人を送った。神の愛の全てを持って、この地上に来られた方がメシアでした。

「相対者をどこから得るか。天上から得るんじゃない。堕落の結果地上で失ったんだから、地上で再創造しなければならない。それで地上において宗教は何をやったかというと、天がプラスと言えば、地はマイナス。だから、天に向けてメシヤを願う。愛の主体者を願うところは神様ではなくして、この地球だね、人間世界だね。主体の愛を願うんだ。その思想がメシヤ思想だ。メシヤを迎えるために、世界版図を拡大して、個人の環境を超えて、氏族の環境を超えて、国家環境、世界圏につながるようなそういう基台を拡大しよう。拡大して、世界全体がその主体の神の愛の男の前に一つになる。何も反対する者がない。絶対服従する。自分自体はもう存在しない。ただメシヤのために存在するというようなそういう雰囲気を世界的に準備しようとするのが、旧約時代、新約時代の使命だ」。(み旨と世界) P.852

 このように、その一人を歴史が求めてきた。その方が、私たちが慕う真のお父様ですね。私の父は、キリスト教会の牧師であり母もそうでした。私の父は、内村鑑三先生と関係の深い中田重治先生と共に、再臨運動を激しくやった人です。そのような環境の中で私は育ったのです。
 ですから、子供のころから私も、再び来る再臨のメシヤということに対して、非常に関心がありました。同時に、キリスト教会にもいろいろな問題があったので、教会に対して失望も感じていました。
 私は一つの疑問を持っていました。イエス様が「汝の敵を愛せよ。迫害する者のために祈れ」と。私はどうしても理解することができなかったのです。
「何故怨讐を愛さなければいけないのか。そしてまた何故迫害する者のために祈らなければいけないのだろうか。迫害するものがいたら、恩讐と感ずる人がいたら、なくしてしまえばいいじゃないか。ぶち殺したらいい。」
 正義感からそんな思いを持っていました。

 その答えを求め、多くのキリスト教会の牧師先生方に尋ねました。しかし、誰からも、私を満足させる回答を得ることができませんでした。ですから私は、統一教会に来て、真のお父様を通してその事を知らされた時は、驚き感動しました。何故、怨讐を愛さなければいけないのかという理由を、ダンベリーの刑務所のなかで、お父様は私に丁寧に説明してくださった、その事を今でも忘れることができません。


ダンベリー刑務所
 
 ダンベリーの刑務所に、私は多くの本を持って入りました。その本は、お父様が過去に語られた、日本語になっているみ言集です。この機会に、私が今まで持っていたところのいろいろな疑問、そして理解できない部分をお聞きしたい、この期間を逃したら、今後直接に御父様から聞くことができないだろうと思い持(も)って入ったのです。

 そのみ言集を私が読み始めた時、お父様は
「何を一体君は読んでいるんだよ。」
「はい。これはお父様が過去語られたみ言です」
「そうか、では先生の前でそれを読んでみなさい」
 と言われ、時間があればお父様の前で拝読しました。私が刑務所を出る10分前まで拝読したのです。私が理解できない部分、疑問とするところをお父様にお聞きしました。
 お父様はそれに対して丁寧に説明してくださいました。
「先生はこう語ったのにここにはこういうように書かれている。これは先生言ったことじゃないよ。それは韓国語から日本語に訳した、その人の過ちによってこうなってしまった。大変な過ちをしているよ」
 といって正してくださいました。
 拝読したみ言の重要な部分を、お父様が編集して一冊の本にされました。それが「み旨と世界」という本です。

 お父様が「神山、この本を持って多くの人たちを指導するんだ。教育するんだ。必要なみ言はこの中に全部入っている」というお父様に指示を受けて、私のできる限りを尽くして歩んでまいりました。ある時お父様は私に
「あの本(御旨と世界)を持って教育してるのか。しっかりと教育してたら、日本はこういうことにならなかったのに」
 と言われてお父様に叱責されました。その時の申し訳ない思いを忘れることができません。

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 ですから、今でもあらゆる方法を使って、貴いお父様のみ言を多くの人達のもとに届けなければいけないと考え、「今日の訓読のみ言」と題して毎日配信しているのです。Facebookを通して、またE-mailアドレスに送っております。約3800名ぐらいの人達に配信します。この中(i-Pad)に全部が入れてあるのですよ。たくさんのみ言があります。懐かしいお父様の写真とともに、このようにして配信しております。
 この中のみ言を読んでみます。

「天聖経という言葉は怖い言葉です。第三者がどんなに素晴らしいノーベル賞をいくつも持っている人でもそれに手をつけてはならない」

「先生が語るその一言のみ言には、数千万の善なる人々が首をしめられ、血を流した祭壇のみ言であるというのです、死刑場で消えていく数千数万の善なる人々に、知らせてあげることのできなかった神様の曲折が葬られているのです。皆さんが 創造原理から復帰原理まで全体のみ言を受けるようになるとき、そのみ言の一言一言には、血の涙が絡まっているというのです。

それを探すために苦労した人は差し置いてでも、歴代の先祖たちの血の涙とため息が、切々と入り乱れていたのです。それを探すために、いかなる道も甘受してきた人がいるとすれば、彼が歩んだ路程には一言のみ言を探し出すためにも血の涙を流す事情が込められており、呪いと恨みがあふれる歩みをいとわず歩んできたのす。

その一言のみ言のもとには血の涙が漂っており、死のうめき声が自分を催促していることを感じる者であってこそ、歴史的な神様の心情を知ることができ、歴史的な神様の事情を知ることができ、神様が願って探してこられた息子の面目を保つことができるのです」
『天の心情を誰が知っていたか』より抜粋 1960年1月17日

「先生がこの世を去る時、贈り物として皆さんに何を残していくかということを考える時、先生のみ言葉を集めたこの八大教材教本は永遠に残されるものです。文先生御言葉選集が最高の贈り物です」

「皆様、生命よりも貴く愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち生命がなくてもいけず愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうちその実りが血統なのです。神様の血統の中には真の愛の種が入っているので真の生命の体が生きています。血統がなければ、生命はもちろん、愛も離れてしまいます。血統が残ってこそ、 愛した自分の伝統が残され、血統が存続してこそ、父母の息遣いが継続していくのです。言い換えれば、父母に愛の実、生命の実、血統の実、そしてすべての喜びの実を提供する 最初で最後の必要十分条件は、真なる血統であることを、はっきりと知らなければなりません」


 これがお父様のみ言です。この様なみ言を、毎日配信しております。
 お父様が絶えず語られておられたみ言は、絶対信仰、絶対愛、絶対服従、愛と生命と血統、血統の重要性、三大王権と四大心情圏と皇族圏、許せ、愛せ、団結せいよ、怨讐を愛せよ、自己否定せよ、真の家庭の重要性、先生のみ言葉を集めたこの八大教材教本を絶対視せよ。

 このような、み言を皆さんも何度も何度も聞かれたみ言かと思います。
 しかし、お父様が繰り返し繰り返し語られたそのみ言が、今実践されず無視されている。この現状を私は非常に憂いています。今、み言が無視されていませんか?三大王権、真の御父母様そして子女様、孫様、そしてこのメインの中央に流れるその血統に、私達が連結されることによってなされる皇族圏が・・・・。すでに皆さんもよくご存じと思いますが、今の教会は男のお子様、ご父母様の直系である男の子女様が皆除外されています。不自然と思いません?
 お父様がどれほど繰り返し繰り返し、血統の重要性について訴えておられたか。そしてその血統の中に神様の息遣いがつながると語られます。それがありますか。そういうことに対して非常に私は心配しています。

 メシアというお方をどのように今の教会の人たちが認めているのか。私がお父様の近くにあってお父様を知り、この方はメシアだと信じてきました。その私が捉えるメシア観と、今ある教会の人達のメシア観と違いますか?違いますね。こんな事をいうと教会の方が、何だというかも知れません。今、皆さんの前で読みました。メシアという方は、長い蕩減復帰歴史が生み出した一人の方であり、そして神様が、真の愛の全てをそこに注ぎ込んだ植え付けた一人の方です。

 そのお方の使命は何かというと、人間アダムエバが堕落して全てが堕落圏になりました。その堕落圏の中から一人の女性を見出して相対にし、そしてその方と真の家庭をつくる。お父様という方は天から来られた方、神様の真の愛の全てを持ってこられた方。これが、真のご父様から教えられた私の基本的な考え方です。

 メシアの前に新婦圏として立ったのがキリスト教です。だからキリスト教は、新婦の宗教といいます。再臨のキリストの前に、イエス様の前に復帰されなければならない、そういう立場です。しかし、今、お父様の位置がないがしろにされている現状を、私は納得し認める事が出来ません。

 私が統一教会を知ったのは、1963年の時でした。再臨に対して非常に興味と関心を持っていました。父がそういう運動をしていたので。 メシアが来るんだ、再臨主が来るのだ、そういう時期なんだな。そういう時にお父様を知り、み言の内容を聞いた時本当に驚きました。私が統一教会に伝道された時、質問した内容があります。

 神様がいるのだったら何故人類がこんなに悲惨なのか。それが私には分からない。神がいるというのならどうして世の中がこう惨めなのだ。それは多くの牧師さんたちに聞いた内容です。しかし私を満足させる答えがなかったのです。
 

福音派から統一教会に

 その同じ質問を、統一教会行った時にもしました。「分かりました。お答えいたします」。「えええ?」いろいろな人に尋ねても答えられないのに一人の女性が「はい、お答えします」。この人は一体何者だ? 
 そしてその方が私にこう聞くのです。「あなたは神様を信じてるのですね。」
「私は神様を信じているのか、信じていないか、それは、まだ自分には分からないけれども、神様がいないとは私は断言できない。私が今ここにいるのも、私の意志で生まれてきたのでない。何か大きな力によって生かされている、動かされているということを否定できない。確かに自分の意志で、自分にナイフを刺したら命はなくなるということはよく分かる。もし死んでしまったら、自分が生き返ろうとしてもできない。自分が生かされているということは、何か大きな力と意志によって動かされ、生かされている。それが神様とするならば、神様はいるかもしれない。いないとは 言い切れない。」

 その人が言うのです。「分かりました」。何故、世の中がこうなったのか。お話しましょうと堕落論から話してくれました。私は初めて聞くような内容で、キリスト教会では聞いたことのないような内容でした。驚きました。そして次にその人が言うのは、「今日、話した内容は氷山の一角ですよ、まだ語りたい内容がたくさんあります。」「ええ?まだあるんですか」「明日来ていただけますか」と言うから、「え?明日来ていいんですか」。

 私は次の日、約束した時間に合わせて行きました。その日はメシア論の講義でした。
 イエスキリストがメシアとして来られたその方が、十字架につけられてしまったという内容を私に話してくださった。私は驚きました。「イエス様のこの十字架は人間の不信仰のシンボルです」と涙を流しながら語ってくださるのです。

 幼い子供のころ私の家の屋根に十字架が掲げられていたので嫌な経験したことがありました。「アーメン、ソーメン、冷やソーメン」(笑)
 いつもいじめられた。アーメン、ソーメン、冷やソーメンって聞いたことありますよね。(笑)
 そんな日を忘れることできません。原理のみ言を聞き終わった時 この身は神様に捧げよう、この運動が始まって数十名しかまだいない。私がやることがまだあるはずだと思い、私は身を捧げることを決意した。すぐに飛び出してしまいました。全てを置いて、仕事も辞めてそのまま飛び出しました。

 島根、広島、名古屋、新潟、長野、函館、札幌に伝道に行きました。教会を建てるという目標をもって開拓伝道です。その頃、各県に教会がない時代でした。1964年のことです。1964年、65年、66年、67年と。そしてお父様に最初にお会いしたのが、開拓地の広島でした。1965年のことです。お父様が日本にたずねて下さった時でした。本当に感動しました、真の御父様にお会いした時・・・。

 私の父はキリスト教会の教職者(牧師)としての仕事をしていたので、私が統一教会に入教した時は大変でした。自分の長男の威(たける)が、変な異端宗教におぼれやがってと。父と宗教論争になり大変でした。父が言うには、「威が三日間で聞いた内容で、お父さんが命をかけて貫いてきた40年の信仰生活を覆すことができるか!と怒鳴られ・・・。家に2~3年帰ることできませんでした。家に入れてもらえませんでした。

 その後、伝道活動に全力投入し、最初の講義をする時は人の前に立った時、準備をしていたにもかかわらず、堕落論の講義が8分間で終わるのです。語ることができない自分に怒りを感ずる日々でした。懸命に学び数年経ち、原理講義もできるようになりました。

 名古屋に来た時には毎日原理講義を続けていたので多くの人たちが集いました。200名~300名と集まってきました。そこに私は父を招待したのです。‘お父さんちょっと来てください’と。そして300名の前で話をする私の礼拝を父が後ろの方で聞いてくれたのです。父が驚いたこと・・驚いたこと。

 「あの威が(笑)300名の前で、説教を堂々とおこなっている (笑)どうなってるんだこれは。自分の40年の信仰生活において何人伝道出来たのか・・・」
 それがきっかけとなって私の父も激しく反対をしていたのですが、み言を聞くようになり、その後、統一教会の仕事をするようになりました。そして真のお父様を愛し、ご父母様から特別世界巡回師というタイトルをもらっていろいろな国々を巡回し、各教会でみ言を語り余生を送りました。(拍手) そして99歳9か月でこの地を去りました。


アメリカ開拓 

 お父様がこう言うのです。
「先生が君を用いているのもキリスト教の背景があるからだ。そしてまた先生はアダム国家で、君はエバ国家だ。エバを相対に置く立場で開拓しないといけないから君を立てた。だからキリスト教の背景を持ったエバ国家の神山だから、君を使うんだ。先生はアダム国家。だから世界を開拓する時には、アダム国家とエバ国家で開拓していくんだ」。

 そして、1972年にお父様は「アメリカに行く、先生と一緒に行こう」。その時はお父様はこう言うのです。「神山は仕事よくするから先生と一緒に旅行しようと」と。旅行するんだったらいいよね。(笑)
 私はその頃、語学に対しては自信がない、能力がないと自分で決めつけていました。英語にしろ韓国語にしろ自信がなかった。 絶対に海外に出ないし、海外宣教師にはならない。もし世界の「ため」に生きなければならないとしたら、名古屋、そして、この日本から、世界に必要な人材をたくさん出すから、それで許してもらおう。

 でもお父様は「よくやるから先生と旅行する」。旅行するんだったらいいじゃない。(笑) といってお父様に呼ばれて行きました。
 そして40日間くらい、いろいろな所にお父様と共に巡回しながら時を過ごしました。
 それから一ヶ月、40日が過ぎたころ、そろそろ帰らなければいけない。旅行も終わったし、帰らなければいけない。名古屋からは連絡が来て早く帰ってくださいという。
 今日こそお父様に、日本に帰ることを話そうと(胸から首まで手を動かすジェスチャー)、お父様が聞いて下さるかと思ったら、違う話をされてしまい、チャンスを失うことが多くありました。そして、いよいよ今日は絶対に話そうと決めた日、突然お父様がこういうのです。

「君、神山!先生とこれから一緒にこのアメリカでやっていこう」
 え、ええ、なんですか、お父様・・・。お父様、私は英語もできないしだめです。「死んだと思えばいいから」。お父様、私は英語ができないです。語学力がありません!「何を言っているんだ!」
「英語ができないからだめだと?君、言葉もできない人がこの世の中に生きてる。耳が聞こえず、言葉も語る事が出来ない人も生きているじゃないか。それから見れば君ずっと良いよ」(笑) 

 死んだと思えば良いと言われて、決意せざるを得なくなり、それから3年は、日本に帰ることが出来ませんでした。日本にすぐ帰るはずだったのに。
「君のこれからの仕事は、先生は世界を救うために責任をもった者として、このアメリカにきた。だから今まで韓国にあってもいつも公の前に立つことができなかった。いよいよ世界的な立場にあってアメリカを基盤として世界に宣布しなければいけない天来のみ言があるんだから、君それを準備するように」
「お父様、私は英語が・・・」
「そういうことを先生の前で言うな」。

 それで最初に準備するように言われた仕事は、カーネギー・ホールという会場での大会です。そこに1300名の人が入る会場を満杯にせよ。3日間。
「3日間の大会を先生やるから、その会場を満杯にせよ。それは君の責任だ。エバ国家の君の責任だ」
 その準備をするために、日本からも宣教師が送られて来たけれども皆、言葉ができません。ヨーロッパからも来ました。そういう僅かな人たちと共に、準備しければいけない3日間です。兄弟姉妹、無我夢中で働きました。言葉もわからないなかで。

 それである食口が路上に出て行って、引っ張ってくるのですけれども「Come on! come on! come on!」あとはしゃべれない。(笑)
 そして連れて来て、堕落論の講義、何を言うかというと「アダム、エバ、いちゃ、いちゃ、No No! No No No No.」(笑) それで、だれを連れてきたかというと、売春婦を連れてきた。路上に立っている売春婦を教会に連れて来る。 (笑)
 そんな状況の中から始まったのです。

 ですから、カーネギー・ホールの大会1300名の会場を満杯にすることが出来なかった。上の席が空いてしまったのです。お父様の前で「絶対やりますから」と言ったのですが・・・結果は満杯にすることが出来なかった。
 お父様に申し訳ないというそういう思いで、3日間の大会が終わった時にお父様に最終的な報告をするためにお父様がおられるベルベディアという所に行きました。そこでお父様がちょうどドアの入り口の所に立っていらっしゃいました。そこに私は行って、お父様の顔を見るなり申し訳ない思いと無念の思いとで、私は泣き崩れてしまいました。すみませんでした!と涙で謝りました。
 お父様がそれを見て「神山、泣くな、泣くな、その口惜しい思いを、先生マディソン・スクエア・ガーデンで大会を計画するから、その口惜しい思いをそこで取り戻せ」(笑)


マディソンスクエアガーデンでの集会

 私はその時、マディソン・スクエア・ガーデンについて何も知らなかったので、次の日にお父様の言われるマディソン・スクエア・ガーデンに行ってみました。会場に入ってその会場を見渡しました。広いこと広いこと、2万5000~3万名入る会場です。
 高い所に立って、全体を見ました、これを満杯にする?誰が、この私が責任者で・・・。本当に足ガタガタ震えました。
 それでお父様の所に戻って来て、「お父様、マディソン・スクエア・ガーデンよりも他の会場がないでしょうか。」
「マディソン・スクエア・ガーデンやるんだ!できるんだから!」
「カーネギー・ホールの大会1300名ができなかったのですが・・・お父様・・・。」

「何を~?やるんだ」!
 その時のお父様は若かった。お父様がアメリカに行かれた頃のお父様は、気迫も迫力も人並みではなかった、ずば抜けていました。
「やるんだ!先生と一つになれ。先生の心情圏と一つになれ。先生の指示に絶対服従していくんだ。できるんだ。できるんだ」
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 真のお父様に励まされて始まりました。無我夢中で頑張りました。いよいよマディソン・スクエア・ガーデンでの大会の当日、会場には人が集まってきました。会場には2万5000名、3万名の人が入って。外には約2万5000名の人が溢れて、会場に入ることが出来ない人達で混乱状態・・・。

 その時私は、ヤッター(笑)
 そうでした。それでいよいよお父様のスピーチが始まりました。お父様のスピーチが始まってしばらくすると、ある人が、椅子の上に立って、スピーチを邪魔するのです。
 お父様のことを‘偽キリスト~!! と叫ぶんです。
 会場がざわつきました。その会場を準備するために、心血を注いだ私達は邪魔されてなるものか~!あっという間に私はその人の後ろにいました。ずずずっと引きずり降ろして、(笑) その力がどっから出たか知らないけれども、そのまま連れ出しました。その後に警察官がついてきた・・・。(笑)

 ところが、その会場全体がざわついてしまいました。
 その時お父様が歌を歌い始めたのです。
 花が咲くね。花が咲くね。という歌。それをずっと歌って、その会場を静かにさせ主管されました。その歌、皆さん知ってますか?
 花が咲くね。(山有花)山有花?

(引用者注)神山講演のテープ起こしをした人は、?を付けているところからすれば山有花の歌を確認していないようだ。おそらく、これ→「金素月(キム・ソウォル ) 詩抄」であろう。山有花には加藤登紀子が日本語作詩した曲もあるが、文鮮明氏が歌ったのは歌詞からするとリンクしたものだと思う。


 そしてそれを歌いながら会場を静めて、またお父様のスピーチが始まった時、それは、それは感動的であり劇的でした。2万5000名の人たちが、‘うわああ’となっているのを、それを、静かにおさめて主管されていくお父様は格好良かったです。後で聞いてみると、その人は韓国の既成教会の方だったとのことです。

 そして次の日。特に動員のために働いた食口たちが集まっての祝勝会です。その時、お父様は私を呼ぶのです、「神山~!!」
「はい。」
「次の大会はヤンキー・スタジアムだ。(笑) 動員責任者は君がやるんだ。人を集めてくるように。そこに5万人を集めろ。」
「え、え、え、お父様~言葉ができないですよ~私は!」
「またそれを言う」
 5万名が入るヤンキー・スタジアムの大会、6月1日。
「先生と一つになれ!先生の心情圏でやるんだ。先生と一つになれ。一つになればできるんだから。」


ヤンキースタジアムでの集会


 真のお父様に励まされ、その大会の準備を無我夢中でおこないました。
 いよいよ大会の当日。朝から雲行きが良くない。真黒な雲がヤンキー・スタジアムの会場の頭上にのしかかってくる。これはどうなるか。大会は何とか神様が守ってくれるだろう。お父様が再臨のメシヤだから守ってくれるはずだ。
 大会が始まる30~40分前、その真黒な雲が弾(はじ)け豪雨となりバケツで水をこぼしたように・・・。60マイル(約100km)の突風が吹きまくったというのです。ヤンキー・スタジアムは円形型ですので、風が竜巻のように吹きまくり、準備していたデコレーションの全てが風と共に飛んでいくのです。

 外の様子を早くお父様に知らせなければと思い、お父様がお祈りをしておられる所(野球選手が控える場所)へ、ずぶぬれになった姿で報告にいきました。
「お父様!だめです!神様がこの大会を見捨てたようです。神様が見捨てました!神様が見捨てました。」
 真のお父様が怒鳴って、
「何を言っているんだ!最後までやってみないと分からないじゃないか。やるんだ最後まで、ここで!」
 すごい剣幕、その時、お父様が座られて居られる後ろの壁に貼ってあった、大きな御父様の顔写真のポスターが、風もないのにバサーと音を立てて外れ落ちるのです。大きなポスターが縁起の悪いこと。(笑) 激しいお父様のプッシュに押され外に出ました。

 益々激しく雨が降っている。いやあ~私はどうすればいい。どうすればいい。
 困惑していると一人の人が歌い始めました。
 You are my sunshine. あなたは私の太陽です。その歌を雨の中で・・・
 一人から二人へと広がっていき最後には会場全体に広がり集まっていたお客さんたちまで立ち上がり一緒になって歌う、一つになって歌う。その歌が本当に一つになったころ、皆の心が一つになった時、風と雨がパタッと止むのです。真黒な雲が、ヤンキー・スタジアムの頭上に伸(の)し掛かっていた黒い雲が切れて、太陽の光が射し込んでくるではありませんか!それは劇的であり感動的でした。(拍手)
 一斉(いっせい)に動き出して、めちゃめちゃになった会場の整備、命令ならざる命令で皆動き始めました。こうして、こうやってと準備するのだと、本当は私が指示しなければならないのに、そんな時間がない。私は茫然として立っていました。
 皆が動き出して、ある人は会場の外に出たお客さんを連れ戻してくる、ある人は会場を再整備していく。 

 その時私は感じました。
 命令ならざる命令で、それぞれが動き出した。そこに天が働いたんでしょう、霊界が援助したのでしょう。お父様が壇上においでになる時には、きれいに会場が整いました。そしてお父様が、ヤンキー・スタジアムで語られる、お父様の姿は本当に感動的であり素晴らしかった。このような事を私が言うと、信じがたいかもしれません。神山が嘘を言うかも知れないと思うかもしれませんね。それがフィルムに残っています。

(ビデオ上映)

 竜巻が、会場のデコレーションをみな吹き飛ばしました。私はこの経験を通して知ったのは、真のお父様と一つになることが勝利の秘訣だということでした。一つになることの大切さを身をもって感じさせられました。


ワシントン集会

 ヤンキー・スタジアム大会が終わって、また祝勝会がありました。
 私は大会の勝利を心から喜ぶことが出来ませんでした。何故かというと、5万名の人が集まったというけれど・ヤンキー・スタジアムの会場の上の方の席が少し空いていたのです。あの天候の中で、5万名の大会を良くやったと言うのだけれど、私の心は満足していなかったのです。だから私は、祝勝会の時には後ろの方にいました。お父様の顔をまともに見る事が出来なかったのです。

 その私を真のお父様が見つけ、「神山~!口惜しいだろう」
 私の心をよくお父様はご存知でおられました。
「その口惜しさをワシントン・モニュメントの大会で取り戻せ!そこに30万の人を集めろ」 「神山の責任で」!(笑)

 その時、ワシントン・モニュメントの大会は何年か先かと思いました。「9月18日に大会をするから準備せよ」と。何年か先の9月18日かなと・・・思っていました、ところが「3ヶ月先の9月18日だ準備せよ!」
 ええ!3ヶ月先の9月18日・・・。ヤンキー・スタジアムで全ての資金を使い果たし、借金だけが残っている状況でした。私がお父様に申し上げました。
「お父様!お金がありません!お父様、もう資金の面でも難しいですと・・・。」

 お父様の答えは、「やるんだ!やれるんだ!」
 あの時のお父様は強く激しかったのです。お父様は「先生と一つになれ。できるから」。結果的に、ワシントン・モニュメントに30万の人が集まりました。またそれは感動的な出来事でした。当時の写真を皆さんに紹介します。

 時間がない。お話ししなければならないことがたくさんあるのに。(写真が映し出される) 
 これがワシントンモニュメントに集まって来た人たちです。(写真を見せながら説明)

 お父様が働く人たちを励ましてくださった時、いろいろなことがありました。報告をしながら、いつも、いつもお父様が強調されるのは、先生の心情圏と一つになるんだということでした。私も若いですね、この頃の写真を見れば。(笑) 今は髪の毛が白くなりました。

ダウンロード (1) 

 そして、大会は成功のうちに終わりました。
 その後、多くの人達が社会に影響を与える、レバレンド・ムーン(Rev Moon)を恐れはじめました。このままレバレント・ムーンをアメリカに居住させたら大変なことになる。何とか追放する道を、彼らは模索し始めたのです。
 その頃お父様は、ニクソン大統領を押したてながら、アメリカをまとめ世界の復帰を願われたのですが、お父様の願いの方向に、ニクソン大統領、そして国民は動きませんでした。国民が動かない。国民は、ニクソン大統領を弾劾するためにいろいろなことをやりました。
 それを見ておられたお父様は、国連の前で一週間の断食を決行しながら、‘許せ愛せ団結せよ’というメッセージを送りました。しかし、国民が理解できず、世界復帰の摂理、ニクソン大統領を中心に成そうとしたお父様の計画が難しくなりました。

「その蕩減のために先生は刑務所にいくんだ。その責任はアダム国家にあるし、そしてまたエバ国家にもある。ニクソン大統領とアメリカ国民の失敗を償うんだ。だから君は先生と一緒に刑務所に行くようになるんだ」
 

ダンベリー刑務所で学んだこと 1

 その刑務所の中でも、私は多くのことを学びました。お父様というお方に24時間、朝から晩まで、晩から朝まで、お父様に侍ることが許され。お父様というお方がどういうお方かということを、多く学ぶことができました。その学んだ中のいくつかを、今日、皆さんにお話ししたいと思います。

 刑務所に入ると、裸にされ、そして刃物を持ってきてないか、麻薬を持ってきてないかと調べられました。
 それでお父様も裸にされて、調べられ後「囚人服を着るように」と言われました。
 その囚人服は、その日、刑務所を出て行った囚人たちが脱ぎ捨てて、洗濯物の箱に投げ入れられていたものを使えというのです。
 私は怒りを隠すことが出来ませんでした。
 文明国家であるアメリカが、囚人達が使った臭いの染み付いた囚人服を使えと。刑務所に行った7月20日、その日は暑い夏の季節でした。汚れた洗濯物の中から、汗が染みた臭いのする下着をつけなければなりませんでした。汚れた洗濯物の中から・・・。
 私はともかくとして、心から尊敬するお父様が、アメリカを救うために来られたお父様が、悲惨な屈辱な道を行かなければならないと思う時、本当に心が痛みました。

 囚人服を着て、私達に与えられたベッド・ルームに行きました。そのベッド・ルームがどういうベッド・ルームだったかというと(写真を見せる)、二段ベッドとマットだけが、藁で作ったようなベッドがありました。
 どうやって寝るんだろうと思っていると、ある囚人が来て
「シーツなんかないよ。枕もないよ。あるとしたらあの洗濯箱の中から持ってきたらいいよ」
 と教えてくれました。
 私は洗濯物のあるところに行って、汗の染みついたシーツ、その中でも最もいいようなものを選んで、お父様のベッドをつくってさしあげなければならなかった時、私は本当にもうどうすることもできない怒りの思いが湧いてきました。この刑務所を出た時には絶対許さない。あの検事!家族まで滅ぼしてやる、そんな思いになるのでした。

「怨讐を愛せ?許せ?」「許せるか!」
 そんな思いで足掻(あが)いている私の心を見抜いて、お父様が
「神山、何故そんな心を騒がせてるんだ。先生のことは心配しなくていいから」
「でもお父様、心配しなくてもいいといっても、これはあまりにもひどいです。」
「いいから、いいから」
「最も惨めな所は最高の所につながる。人類には父母がいない。だから兄弟が喧嘩して争いがあるんだ。父母がいないから、父母が。人類の前に真の父母が必要なんだ。その真の父母は、最も惨めな所を感謝していかなければ真の父母にはなれない」「感謝していくんだ」。
「お父様、分かりますけどもあまりにも・・・・」
「神山、こう考えてみろ。君、ダイヤモンド知ってるか。ダイヤモンドは、石炭が熱と環境によって変化してダイヤモンドになった。ダイヤモンドと火をつければ燃えしまう石炭はつながっている。だから最も惨めな所は最高の所につながる。最も惨めな所を感謝して行くんだ。そこに怨むような思いをもってはいけない」。

 私の満足していない様子を見て・・・・お父様は私にこう説明してくださいました。
「神山こう考えてみろ。君、男だろう」
「はい、男です。」
「男だったら男としての生殖器を持っているだろう。その生殖器を考えてみろ。体にいらないものを排泄する、小便を排泄する器官になっているだろう。それ分かるよね」
 はい、
「そして、その器官は最も貴い生命を出発させる器官にもなっているだろ。最も尊い生命を出発させる器官と、最もいらないものを排泄するための器官がつながっている。だから最も惨めな所を、感謝して消化できないでどうするんだ」
 といって私を説得してくださいました。
 お父様というお方が、どういう方かということを身をもって示してくださり、本当に感謝でした。怨讐を怨讐視したらいけないということを、私はお父様を通して知らされました。学びました。


ダンベリー刑務所で学んだこと 2

 ダンベリーの刑務所での生活がどうだっか、そのお話をしてみたいと思います。
 み言を拝読する生活が、このダンベリーの刑務所から始まりました。み言を拝読する日々でした。声を出して読むと他の囚人達に迷惑になるので、お父様はどの場所を選んだかというと外に出て読むのです。
 グラウンドのコーナーに枕木がありました、その場所を訓読の場所と決められ、そこに真のお父様が座り、その隣に私が座り拝読したのです。読んでは説明してくださり、また読んでは説明してくださいました。そしてある時「神山!先生と一緒に座ったこの枕木は将来有名になるよ。君がこの刑務所を出る時この枕木をもって帰ることが出来たらいいね」と。

 そしてある日、雨が降って、外に出て読むことが出来ないので、ベットルームで拝読したことがあります。
 お父様が座り、私が隣に座ってみ言を拝読するのです。拝読しているときに、ある囚人が来て、あなた方はまた本を読んでるのか。その本は聖書なのか!俺も聖書を持ってる。俺の聖書はこれだ。といって一冊の本をベッドの上にポーンと置いていくのです。

 俺の聖書はこれだ、読んでみろと言うので、興味あったので立ち上がり手にとってみました。聖書ではなかったのです。エロ雑誌、ハスラーマガジンという最悪なエロ雑誌でした。
 私はそれを見て、お父様もそれをチラリと見て居られました。私はこの野郎!私たちを馬鹿にするのもいい加減にしろという思いにかられ、私はそれを持って、拝読していたお父様のみ言をそこに置いて、彼のところへ行こうとしました。
 お父様が私のここ(ズボン)を持って「おい!どこ行くんだ、どこへ!座れ」
 お父様~このエロ雑誌を彼に・・・。
「いいから座れ、座れ、読め」
 み言を読み始めましたが、み言が耳に入りません、心に響きません。読んでいても思いが彼のとこに行っているので。 「ジャスティンの野郎~私達をバカにして!」

 その後、真のお父様は何事もなかったかのように、彼に声をかけるのです。「How are you 元気か」と。私の心の中は、けっして穏やかではありませんでした。そして、その数週間たった後のことです。彼がまた私たちがみ言を拝読しているときに、「KAMI(神山)、俺はこの手紙を持って来た、これ読め」、と言うのです。
「俺は、ハスラーマガジンにRev Moonを悪く批判する内容が書いてあったからたまり切れず、編集局宛てに手紙を書いた。」
 その手紙のコピーを読んでくれと、手紙を置いていったのです。

 手紙の日本語訳がここにあります。読んでみましょう

(手紙を読む)
おれは『ハスラー』誌の愛読者であると共に、ダンベリー刑務所の囚人だ。
おれの友達の囚人、レバレンド・ムーンについて、あんたの記事はあまりにもひどい。かえっておれを笑わせたほどだ。おれにとって、また多くの仲間の囚人たちにとっても(おれは彼らに聞いた)その記事がレバレンド・ムーンを悪く書くつもりであったとしたなら、一マイルも的を外れているよ。

ミス・ターナーの主張はちっぽけだ。ジム・フォレスト、あんたの記事は明らかに薄っぺらい、ヒステリックな記事以外の何ものでもない。レバレンド・ムーンは、我々アメリカ人が我々の子供たちに伝達したいと希望するすべての事柄のために闘っているよ。それは、婚前交渉やドラッグに反対し、反共であり、妻への愛、そして家庭への献身である。彼の教会の何百万の人たちが、あんたの言うように催眠術にかかって歩き回っているというなら、何故あんたがたは一人の人しか例に出さないのか…。不思議でたまらない。

ラリー・フリントン、あんたは誰よりもよく知っているじゃないか…? 抑圧について…。ある特定の人間の意志や法律が他の自由な人々の上に強要されていることを。

 最後にこれを言わせてくれ。おれはレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。そして、おれは彼が彼に要求されたすべての義務を遂行するのを見てきた。一言も不平を言わずに、トイレを洗い、床の雑巾がけをし、すべての仕事を笑顔でやっている。ここにいる他の囚人たちについて、同じことが言えたらどんなにいいかと思う。彼は決して偉ぶらない人で、我々仲間の一人として生活している。

 おれの家族の訪問日とレバレンド・ムーンの家族の訪問日が同じなので、おれは、彼が彼の家族に会うのを見て、レバレンド・ムーンが献身的な夫であり、愛し、愛される父親であることも知った。もしこのアメリカにレバレンド・ムーンのような人がもっといたなら、おそらくこの国は今のような悲しい姿にはなっていなかったであろうと思うのである。
1984年12月12日  ジャスティン・イグナシオ
連邦刑務所キャンプダンベリープリズン   


 彼はこのような手紙を書きました。
 レバレンド・ムーンを批判するとしたら、一マイルも的を外れている。俺はレバレンド・ムーンと共に働いてるんだ。彼は雑巾で床を拭き、トイレを洗い、全てのことを笑顔でやっている。
 囚人が真のお父様をこう証するのです。
 エロ雑誌を俺の聖書だと持ってきたときに、私が感情的になり彼を怨讐視し、なにか危害を与えていたら、この様な手紙を決して書かなかったと思います。私達を馬鹿にする怨讐を、愛で見守るお父様の姿をこの目で見ました。

 お父様のダンベリーの生活を考えてみて下さい。
 ここの囚人達が使うトイレはいつも汚れています。汚い。200人の囚人達が使うのですから。
 刑務所にいる人たちは、自己中心的な人がほとんどです。トイレに行くでしょう。それで小便するじゃないですか。使う前は足元が綺麗だから近くに来て用をします。だんだん床が濡れてくる。次の人が来たらすこし離れて用をする。(笑) そしてそこから飛ばす。そして次の人はもっと離れた所から飛ばす。
 そんな話し・・・なにを言ってるかわかりますね。それをお父様が掃除される。掃除されていく・・・私は、本当に、申し訳なくて胸が締め付けられる思いになりました。彼(ジャスティン)もお父様が掃除するその姿を、その状況を見たのです。だから彼はこのように証するのです。

(再び手紙の一部を読む)

最後にこれを言わせてくれ。おれはレバレンド・ムーンと並んでキッチンで働いている。そして、おれは彼が彼に要求されたすべての義務を遂行するのを見てきた。一言も不平を言わずに、トイレを洗い、床の雑巾がけをし、すべての仕事を笑顔でやっている。ここにいる他の囚人たちについて、同じことが言えたらどんなにいいかと思う。彼は決して偉ぶらない人で、我々仲間の一人として生活している。

 その様なお父様を、私はこの目で見てきましたよ。そして、それが「アメリカを救い世界を救う蕩減の道であるとするなら、先生は感謝して行く」と。「だから君も怨む、復讐心なんか持つな・・・・・」と。


刑務所での伝道

 お父様は、刑務所で囚人達が嫌がる仕事は何か・・・探しておられました。そして嫌な仕事は、先生の仕事にすると言われるのです。
 キッチンで200人の人が食べる食事を作る。囚人達が自分で作るのです。順番に・・・。大きなフライパンに油を注ぎ、スパゲッティーを作る。油がこぼれてしまう。その油を布巾で拭きとるとその布巾は、ぬるぬる、ベタベタになるのです。それをバケツの中に投げ飛ばして入れる。洗わないといけないのですけれども、誰も洗おうとしません。勿論役人が来て洗え!と言えば、洗わざるを得ないのですけれども、自らそれをやる人はいない。お父様は今日からこれを先生の仕事にしよう。

 そして、このぬるぬるベタベタになった布巾を、一つ一つ強い洗剤で丁寧に洗う。洗い終わった布巾は高く積み上げられる。私はそれを見ていることができません。お父様、私がしますから私が洗いますからしないでください。お父様が布巾を洗っている場所に割り込んで、洗おうとすると、「これは先生の仕事だ」と、その場を譲ってくれません。

 ある囚人が外から帰って来てきました。ドロドロになった長靴をお父様の目の前で、お父様によって洗われた布巾を奪い取るようにして長靴を拭き、お父様が使っているのバケツの中にポーンと投げ入れる。この様子を見ている私は‘この野郎!’なんて無礼な奴だ!お父様は行動に移そうとする私に、「神山、いいから」と諌(いさ)めるのでした。そういう生活がお父様の生活でした。

 日曜日になると、神様の前に敬礼式があります。敬礼そして祈祷。それを欠かしたことがありませんでした。初めのころは祈祷の場所がなかったので、ドアを開くと外に出られる場所がありました。ドアを開いてコンクリートのフロワー(床)でお父様が敬礼式をする。暗闇に向かって・・・・・。そういう生活でした。

 その後、小さな部屋を使うことが許可されました。お父様がまず神様の前に敬礼したあと、私がお父様に敬礼するのです。お父様は日本語でお祈りしてくださいました。
「世界の人たちが、先生を思って祈りを送っている。その祈る彼らの上に、天の祝福があるように」
 と祈るお父様の姿を見た時、本当に私の胸は、強い何かの力に締め付けられているかのように感じました。

 そういうお父様の祈る姿を、ある囚人が遠くで見ていました。‘レバレンド・ムーンは宗教家だから、祈祷するのだと思っていたそうです。その人が来て、「俺も一緒にレバレンド・ムーンとお祈りしたい、行っていいか」と聞くのです。私はお父様にお伺いしました。ビル・シェパードが一緒に祈りたいというのですけれども、お父様どうしましょうか。お父様の答えは「いいよ、連れて来なさい」。

 プライドの高い白人です。カトリックの信仰をもっていた人でした。私は聖書を使って彼に話をしたことがありました。
 彼も聖書をよく読む人なので、人間が堕落した結果罪悪世界になった、復帰はこの様になされると聖書を使って話をしたことのある人でした。彼は原理のみ言を少しであるけれど理解したようです。それで、お父様と一緒に祈りたいと思ったようです。

 お父様からお許しが出たことをビル・シェファードに伝えました。「レバレンド・ムーンは、いいと言っているよ。じゃ~、行こう、行こう」と、ビル・シェファードが喜んで居りました。
「カトリック教会のお祈りと、レバレンド・ムーンのお祈りは方式が違うから、私に従って、神の前に挨拶しなさい」と前もって注意をして、ビル・シェファードを敬礼式に連れて行きました。お父様の後ろに二人で立ち、お父様が敬礼して祈られ、その後、お父様が椅子に座られました。
 ビル・シェファードに私に従って挨拶するように、私もある面心配しました。私の左側に立つビル・シェファードを、たえず見ながら敬礼するのですが、彼もまた私の方を見て、顔を見合わせながら、神様と真の御父様の前に共に敬礼しました。その時のことが忘れられません。
 あのプライドの高い白人のカトリック教徒が、お父様の前で敬礼するのですから、感動的でした。
 刑務所に行った初めのころは、私たちに対してお父様に対して‘ヘイムーン(Hey, Moon)!’ と馬鹿にした呼び方でした。ところが、時が過ぎていくうちに、お父様のなされることを見て、お父様を見つめる見つめ方が本当に変わっていきました。

 一ヶ月過ぎたころには、‘ヘイムーン(Hey, Moon)!’から‘ミスタームーン(Mr,Moon)と敬語をもって呼ぶようになり。そして2ヶ月~3か月後になると‘レバレンド・ムーン(Rev.Moon)と敬意をもって’呼び方も変わってきました。そして私が、4ヶ月17日間の刑期を終えて、刑務所を出るころには、‘ファザームーン(Father Moon)、ファザームーン’と最高の尊敬心をもって真のお父様を呼ぶようになってきました。真のお父様が、サタン世界の人達を自然屈服させ、長子権を復帰する路程を見てきました。

(汚く汚れたパンツの写真見せながら説明)

 私はこの汚れたパンツを、永遠に忘れてはならない記念品にしなければならないと思い、刑務所を出るとき持って帰ってきました。‘いつの日にかアメリカ社会に見せてやらなければならない’と、証拠物件として持ってきました。これがそうです。(写真を見せる) 


惨めな靴

 今でも私は持ってます。これが、最初お父様が履かれた靴です。惨めな、惨めな靴です。その後に刑務所の中で、70ドルのお金を使うことが許されました。身の回りの物を買うために。
 お父様は一足の靴を買われました。その靴がこの靴です。(写真を見せる)

 お父様は、お母様や訪問客が来られるとき、これを履いて面会室に行くのです。7月~8月は暑いため、古い靴は汗で臭いが靴に染み込むので、お父様、私が洗っておきますから、どうぞ新しい靴を使われてくださいとお願いしても、「いいから、いいから」と言われるのです。何故お父様がいいと言われるのか理解に苦しみました。お父様も素直になって洗うようにしたらいいのに・・・・なんて思っていました。

 私が、12月4日に刑務所を出る時、私に洗わせなかった理由が分かったのです。
「神山、君に先生があげたいものがある。先生がとっておいた」
「ええ?刑務所で何か私にくださるものがある?」
「先生は君にあげたいとして靴をとっておいた、この靴を・・・」
と。(写真を見せる)
「これ履いていくんだ。履いていくんだ」と。
「お父様、結構です。私は刑務所を出たら履くものはいくらでもありますから結構です。」
「いいからこの靴を履いていくんだ」
 あんまりお父様が、強く勧めるのでいただきました。
「これを履いてここを出るように、先生は今日食口たちに指示する内容を書いておいたから、これを持って、この靴を履いていくんだ」

 靴を履こうとしました、お父様がそれを見て「神山、靴の紐の結び方も知らないのか」と言うのです。知らなくありません。知ってます。靴の紐を結ぶくらいのこと・・・・。
 お父様は「こうやって結ぶんだ」といって、私の足元にしゃがみ込み結ぼうとするのです。やめてください。(笑) 私は後ずさりして逃げました。お父様の大きな体が逃げる私を追ってくるのです。
「今日先生は靴の中にサインしておいた」「神山とも書いておいた」と。
 貴いお父様のサインを、私が足で踏みつけるわけにはいかないじゃないですか。やめてください!「履いていくんだ」。

 結果的には結んでもらいました。私の結び方は横にキュッと引っ張る。お父様の結び方は確かに違いました。結び方は。お父様は縦でした。縦的(写真を見せる)。私は横的。(笑) 
 お父様から頂いたこの靴は、私にとって尊い尊い宝物です。結んでくださった靴の紐を、今でも私は解くことができません。この状態で、大切に大切に・・・・。今も、私は持ってます。お父様が使われた下着パンツを・・・大切に保管しています。その価値がわかる人が持つべきです。そう思いません? そうでしょう。

(写真で靴の前に置かれた説明文を読む)

神山氏がダンベリー連邦刑務所を出監する日、文先生はご自分の靴を神山氏にギフトする。文先生は「君に挙(あ)げたい物が有る・・・・」と言いながら、「君のために靴をキープしておいたよ」と、「この靴を履いてこの場を出るように、古い靴は先生に残しておくように・・・・」と。また文先生は神山氏の足元に座り込み、靴の紐を神山氏のために結んでくださったという、「人のために生きること、へりくだること」を自らの行動を通して教えて下さったと神山氏は証しています。

 そうなんです。この様なお父様でした。
 ある人たちは、レバレンド・ムーンは権威を着飾って威張っていると言います。
 私が見たお父様は、心温まる愛のお父様でした。
 間違ったことに対しては、厳しく叱責するお父様であり、私達を許し愛で抱擁してくださるお父様でした。
 私はお父様が大好きです。
 お父様はアダム国家、私は日本エバ国家として、本当に真のお父様から多くの愛を受けました。そのご父母様を、私が裏切ることができると思います?絶対できません。
 今、ある人達が言うのです。神山会長は顕進様の側だから、ご父母様を裏切った・・と。私は真のご父様を絶対視しております。私は、絶対に真のご父母様を裏切るようなことは出来ません!
 真のご父母様から多くの愛を受け、恩寵を受けております。今も昔もご父母様に対する忠孝心は変わっていません。


丹心歌

 アメリカ在住のある日本人が言うのです。
 主権が変わったのにと。
 お父様は霊界に行かれて、お母様の時代になったのに、なぜ古い主権に懸命にしがみついて、お父様のみ言、み言と言って、いつまで「丹心歌」歌っているの・・・と。
「丹心歌」とは、高麗が滅んで朝鮮ができた時に、高麗の王様に仕えた臣下が、新しい時代の主権者ではなく、元の高麗の王様、滅びゆく王様に仕えていくと誓った歌です。
 
(引用者注)丹心歌⇒ 「丹心歌 ルビ入り (단심가) - 반주 (伴奏)」 。哀愁漂う曲である。

 私は強く反論しました。何を考えているんだ!
 父母様は一つですよ。何故二つに分けて考える?お父様が霊界にいかれても、お父様の位置は主体であり、お母様の位置は対象です。対象が主体の位置を奪うことは出来ません。
 主体と対象が一体となって、夫婦が(夫が+、妻がー)一体となって、天地の前に現われなければならない、これが原理ではないでしょうか。
 私が信じる真のご父母様とは、お父様を先きに立てての真のご父母様であり、お父様があってのお母様であり、ご父母様があっての私達と考えます。
 こう考える私が間違っているのでしょうか?

真のご父様のみ言を紹介します。

* "天地人真の父母"はお父様とお母様が二人ではなく一人である。
* お父様とお母様が、別々"ではなく、ひとつなのである。別々に動いては滅んでしまう。
* 天地人真の父母"は、二人が一つとなって、天地の前に現われなければならない。


 私は、真のお父様が語られた貴いみ言を絶対視しておりますから、毎日祈りつつ、見つけたみ言を「今日の訓読み言」と題して多くの方々に配信しております。2009年11月25日から始まり、2014年7月20日の今日で、4年8ヶ月となりました。1719の抜粋したみ言を配信しました。

 ダンベリーの刑務所で、真のお父様が膨大なみ言の中より、お父様ご自身が選抜されたみ言が、「御旨と世界」と題して編集されました。このみ言で教育するように、必要なみ言のすべてが入っている。
 み言で教育しないから色々な問題がおこるのだ、み言を重要視せよと言われたことが忘れられません。
 八大教材教本を大切にして、全ての問題の解決をみ言の中に求めなければならないと私は思います。真のお父様のみ言を重要視し、実践することによって、全ての問題が解決されると確信しております。

 お父様が遺言として残したみ言を変えてしまう?それはないでしょう。
 この世でも、親が遺言を残したら大切にするでしょう。それを変えて、平和神経が平和経に、お父様が愛された黒表紙の天聖経が赤表紙の天聖経に、そして父母経??話になりません。
 再臨主であり、真のお父様の前に、絶対信仰、絶対愛、絶対服従して行かなければならないのに・・・・。

 私は麗水で2年の間(あいだ)、多くのことを見聞きしてきました。お父様の真心を踏みにじるようなことを、聖和されるまでの無念の心情を抱いておられたお父様お姿が・・・・・。私の目に焼き付いてます。

 お父様のみ言を拝読します。

人類のための遺言
真の父母様は、すでに人類のための遺言を準備し残しました。一生に六度もの生死を行き来する獄苦を経ながらも勝利し、準備した遺言です。永遠なる人類の教材、教本として八種類の本を残しました。巻数で言えば1千余巻を越える分量です。『文鮮明先生マルスム選集』千二百巻、『原理講論』、『天聖経』、『平和神経』、『家庭盟誓』、『天国を開く門・真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』、このような八種類の書籍です。これらの教本は、皆様が霊界に入っていっても読み、学ばなければならない本です。人間の頭脳から出てきた言葉や教えではありません。それは、天がかわいそうな人類を救援するために下さった天道を 教える教本だからです。「平和指導者追慕統一昇華祝祭記念大会」

 先生の書いた内容を自分勝手に加減して・・・・

君たちは将来、先生の語った内容、先生の書いた(八大教材・教本)内容を、自分勝手に加減して訂正しようというような思いを持ってはなりません。そのようなことをした場合には、先生の200巻以上の説教集が皆飛んでしまうのです。分かりましたか?(はい)。
天と霊界の先生の話のとおりにしておかなければなりません。いくらノーベル賞をもらったアメリカの大統領であっても、有名大学の出身者であっても、その人の意見で先生の話を変えることはできません
 
 (ファミリー 93年9月)
「日本人特別修練会における御言」
1993年4月16日アメリカ・ベルベディアにて


 伝統はただ一つ!

「伝統はただ一つ! 真のお父様を中心として! 他の誰かの、どんな話にも影響されてはいけません。先生が教えた御言と先生の原理の御言以外には、どんな話にも従ってはならないのです。今、先生を中心として、お母様を立てました。先生が霊界に行ったならば、お母様を絶対中心として、絶対的に一つにならなければなりません。今、お母様が行く道は、お父様が今まで立てた御言と説教集(八大教材・教本)を中心として、行かなければならないのです。他の御言を述べるのを許しません。今度、韓国においても、御言絶対主義をとることができるように措置したのです。どのような御言も、第二の御言を許しません!」 (祝福85号 P68 「祝福二世の行くべき道」より抜粋)
 
 お父様は、「先生の言った通りに、『糞っ』て言えば『糞っ』て残せ。『拳』と言えば『拳』と残しておけ」と言われるのです。

 お父様が聖和されてすぐに、麗水の海洋指導者修練会が閉鎖されました。
 お父様がどんなに麗水を愛したか。私はこの目で見てきました。お父様の心情圏、そして伝統が、麗水の地に染み込んでいることを思う時に、何としても海洋摂理を復活させなければと思う日々です。
 閉鎖された、故郷を失った寂しい心情が私から離れません。今まで私の長い年月の直接のアベルはお父様でした。真の父母様であると共に、私のアベルでした。指示され報告する上司がいなくなってしまった。お父様が霊界にいかれたので、ちょうど糸が切れた凧のようになってしまった。


胆管癌

 私は日本に解決の道をたずね行きました。
 2012年の12月24日のことです。ところが、身体が急変し倒れてしまった。病院に緊急入院。このままだと6ヵ月の余命ですと、一心病院で診断されました。一心病院で胆嚢摘出手術をおこないました。
 その手術の時に、胆管に癌が発見されました。胆管癌の手術は、一心病院では難しいので癌専門の駒込病院に移動し、そこで手術を受けることになりました。
 駒込病院でも、開いてみないとはっきりとした答えを出すことができない。手術が難しければすぐ閉じる。一時間くらいで手術室を出てきたら、もうだめだと思ってくださいと宣告されました。手術は2013年1月17日に行われました。8時間も手術が延長しました。手術は成功したのです。(拍手) 

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 手術が終わって集中治療室に移され、一晩そこで過ごし、次の日、自分のベッドルームに帰って来たのですが、何かおかしいのです。身体が・・・、生き息苦しい、息が出来ない、肺が塞がった感じ・・・。

 真のお父様が聖和された後、私も早くお父様の身元に行くことが出来ればいいのに、こんな思いを持っておりました。
 お父様も病気になり、本当に苦しかったと思います。お父様の苦しみの一端でも知りたいですという、祈りというかそんな思いを持っておりました。その祈りがそのままつながっているのかな、と思えるほどに苦しくなってくるのです。息ができなくなってくるのです。
 看護婦さんが言うには、手術をしたから麻酔の影響で、痰が気管に詰るから苦しいのだと。痰が切れれば問題ないと、痰を出すことに集中してくれましたが、痰は出ない。息苦しく呼吸もできない、口もきけないし頭もボーっとしてくる、いよいよ終わりが近くなった。真のお父様も、この何百倍の苦しみの中に居られたのかと、その一端を知ることができた。感謝ですと祈りをささげる心境になった。

 その苦しむ状況を、看護婦さんが医者に伝えると、医者が即座に来た。大変だ。いろいろ調べて何が原因か・・と。
 点滴の液が血管を破って肺に入っている、医者が大声で叫ぶ、肺に水がたまっている、だから息ができない!早くしないと大変なことになる。慌て数名の医者が集まる。早く穴をあけろ!麻酔も使わず、胸に穴を開けた。点滴の液体が、3.8リットルも吹き出してきました。床は水浸し。3.8リットルの液体が水が・・・吹き出た。

 しかし、私は苦しみの中で、冷静に環境を甘受していました。苦しみに耐えておられた真のお父様を思いつつ。真のお父様も肺で苦しんだ。私はこの経験を通して、お父様の苦しみの一端を知ることが出来た。 
 天のお父様ありがとうございます。ありがとうございます。
 そして医者に、ありがとうございます。
「これは医者のミスでこうなってしまった」。「いいんです、いいんです。ありがとうございます。」(笑)
「いいから、いいから。」と付き添っていた人たちにもお願いした。
「あなた方もありがとうって言ってよ。医者のミスを咎(とが)めないで。」
 あんまり私が言うからその人たちも、おじぎをして・・・。医者がびっくり。お父様の苦しみの一端を知ることができたから感謝です・・・。私が気を取り戻した時に医者が言うには、1時間処置が遅れたら命が無くなっていたというのです。


文鮮明の無念

 その後、2013年3月17日にアメリカに戻りました。やっとの思いで飛行機に乗り、家族の待つアメリカに帰ったのです。それから1年6ヵ月の時が過ぎました。1年6ヶ月が過ぎ、今こうして皆様のまえに立っております。

 1年6ヶ月、アメリカの地で静養しておりました。
 この期間、真のお父様の貴いみ言を学び、心に強く響くみ言を抜粋しては、EメールとFacebookを通して、3800名近くの方々へ、毎日み言を配信する仕事に没頭してきました。
 癌の手術が成功しても、しばらくすると癌が戻ってくると言いますが、癌がどこかに消えてしまったようです。日々、元気になってきております。

 過ぎし1年6ヵ月は、神様がまだしゃべるな、静かにしとけ、という期間だったかと私は思うのです。
 いよいよ今、しゃべり出さなきゃいけない時かと思っています。(拍手) しゃべりまくろう、頑張ろうと思っているのです。
 何故かというと、お父様の無念の思いを解消してあげられなかったら(涙ぐむ) 私の本心が許さない。
 麗水で、本当にお父様は嘆いて居られました。その嘆きを、解消してあげなければ、私の本心が私を許さない。これからはしゃべりまくらなきゃいけないと思っています。

 メシアとはどういうお方か!何故お父様は聖和されたのか?
 皆さん、聖和されたことに対して嬉しいという思いがしますか?
 霊界に行ったら喜びの世界ですね。
 しかしお父様が聖和された、そのことを私には喜びと感じないのです。本心が喜ばないのです。何故?
 お父様は基元節を目前にして聖和されたのか。どんな思いで基元節を待っていたのかわかります? 
 D-Day、D-Day、ノルマンディー上陸作戦 D-Dayとなる基元節のその日を、どんなに待っておられたか。お父様はその基元節を目前にしてその日を迎えられなかった。
 ちょうどモーセが、カナンの地を目前にして、60万の民を率いてカナンの地に入らなければいけないのに、それを目前にして入れなかった。お父様も、基元節という神の国の出発の日を目前にして、基元節を生きて迎える事が出来なかった。そして霊界へ行かれた。

 ある人たちはこう言う。
 お父様は全てを成した。 全てを成した。
 では、お父様が全てを成したというなら何を成したというのか。何を成したと言うの? 
 真の家庭がどこにあるの?
 真の国がどこにある?
 お父様が、どんなに深刻な立場で国を求めたと思います?
 真の家庭を求めたと思います?

 それがどこにありますか!私は正直に言う!
 ある人たちは、真の家庭あるじゃないかと。どこにあるの、どこに。
 ない!ない!
 お父様は、真の家庭はこうあるべきということを私たちに教えてくれました。しかし、今この現実は? 不思議だと思いません?
 皆さん。お父様の聖和を心から喜べます?
 良かった、お父様大往生した。そうは思います?。
 なぜお父様は聖和されたのかという結論を、私は私なりに出しました、1年6ヶ月の祈りの期間をもつて。私が出した結論を時間をかけてお話したいのですけれども、すでに40分も過ぎてしまいました。大切な話だと思います。

 お父様は再臨のメシアです。
 ではメシアとして何を残したのか、この地に? 
 混乱だけを残していったの?
 今、教会は混乱しています。その混乱を残したのがメシアの使命であり役割だったの?何故こう(今の現状)なってしまったの?

 皆さんに聞いてみたい。皆さんの答えは・・・・。
 私はお父様を心から敬愛しています。敬愛しているお父様が、あのような死を遂げたことに対して、私は本当に申し訳なく、心が張り裂かれるような痛みを感じておいます。痛く苦しいです。私の考えが狂っているだろうか?
 胆嚢摘出の手術、そして胆管癌手術の痛みと苦しみの中で、神様の前に問うた。何故、聖和されたのですか。
 この1年6ヵ月の期間も、何故! 何故!聖和されてしまわれたのか?
 お父様が基元節を目前にして、モーセがカナンの地を目前にしてカナンに入れなかった。その基元節は、何をしなければならなかったのか。真の家庭がつくらなければならなかった。そして、神様の結婚式がなされなければならなかった。
 お父様が蘇生、長生、完成、最後の神様の結婚式を、真のお父様がどんなにその時を待ったと思います?2013年の1月13日の基元節を・・・・・。 

 白井康友・統一教会家庭教育局部長によって解説された、「文鮮明師のみ言にもとづく『基元節』の意義」をご紹介します。
2013年2月22日(天基4年天暦1月13日)

① 神様の実体であられる真のお父様(文鮮明師)と真のお母様(韓鶴子女史)が第三次「真の父母様聖婚式」を挙行する日。
② 神様の家庭(創造本然の理想家庭)が出発する日。
③ 創造本然の理想家庭の拡張を通して、実体的天一国(神様の祖国)の始発となる日。
④ 神様を中心に侍り、新天新地を開き、永遠なる解放、釈放を謳歌される永生の新たなる日。

 この解説の内容が、現実となりましたか?
 基元節は1月の13日と言いましたよ。神様の結婚式は1月13日。しかし、お父様が待ちに待ったその日を迎えられず、霊界にいかれました。どんなに無念だったと思います? モーセがカナンの地を見ながら入れなかった。モーセがどんなに無念だったかわかります?

 2008年4月6日に語られた、真のお父様のみ言葉を紹介します。

お母様を中心にカイン・アベルが一つになり、エバが夫の立場のアダムを堕落させたことを元返して、夫にぴったり従い越えていくことによって、堕落以前の神様に直接連結された真の愛、真の生命の因縁に一致すれば、真の血統に連結されるので、サタン世界とは何の関係もない、神様とのみ対することのできる一心一体一念一和一核の自由・解放の地上天国にならざるを得ない。

2013年1月13日まで、……絶対信仰、絶対愛、絶対服従の国が立たなければならない。統一家は、家庭理想を中心に公式的モデル型を備えている。天上世界・地上世界が立つことによって、解放釈放の世界となる。神の解放・釈放がまだ成されていない。


天国のモデルが真の家庭から始まる。「救世主、メシア、再臨主、真の父母、お父様とお母様、真のお父様の前にカインとアベルを一つにしたお母様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、また全てが絶対信仰・絶対愛・絶対服従、自信満々に各者が完成の道を行かなければならない。真のお父様の道がどれ程難しい道であったかを理解しなければならない。そのような道を代りに行こうとする時に、難しいと考えるのではなく、千回万回死ぬようなそのように信じ難い道も、感謝の思いでしか越えることはできない。解放的、釈放的生き方は心と体が一つにならなければできない。一生懸命準備して、2013年1月13日までに、120門徒、1200名、12000名の一族全体を完成すべき召命的責任が残っていることを自覚しなければならない。勝利者となることを許諾したので、自信満々、堂々と各自が完成する主人とならざるを得ない。アージュ!拍手!」


 再臨のメシヤは、真の家庭をこの地に作らなければならないと教えてくださいました。それを求めて真のご父母様は、その日(基元節)を準備したけれどもできなかった。真の家庭、そして祖国創建を、今後誰が責任をもってするのか?

 アダム蘇生、イエス長成、再臨主完成。蘇生、長成、完成。再臨主の時代に、神の国を絶対作らなければならないと私たちは原理のみ言で学びました。
 アダム蘇生、ノア長成、アブラハム完成。アブラハムまでの三時代。蘇生、長成、完成。この時代に絶対に旧約時代の出発がなされなければならないと原理のみ言を通じて知ることが出来ました。

 アブラハムが、縦的な歴史の失敗を象徴献祭で蕩減することにより、旧約時代の出発が成されなければならなかったが、それが失敗した。それを横的に蕩減するため、アブラハム、イサク、ヤコブと横的に延長された。ヤコブの勝利はイサクの勝利、アブラハムの勝利につながり、旧約時代の出発があった。
 それと同じように、アダム、イエス様、再臨主。再臨主の時代は、真のお父様、次のお子様、そして三代まで。一代、二代、三代で神の家庭、本当の意味での基元節を迎えなければならないと私は考えております。

 一代、二代、三代。だからお父様ができなかったことを、二代、三代でやることによって、お父様の勝利となる。
 その日を何としても迎えて差し上げなければならないと思います。三大王権と血統の重要性について語られた、真のお父様のみ言を拝読します。

生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくても、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです。
 神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには神様の祖国、理想国家も出現するのです。 平和理想世界王国は、このように創建されるのです。血統の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないということを、皆さんも肝に銘じなければなりません。
平和神経 P.21 P.183

 その血統に、お父様の息遣いと神様の種がそこにつながって来る。そう考える私は、お父様の業績を継ぎ、み言を重視し、そして伝統と真のお父様の心情圏を相続する方は、一体誰か。お子様たちの中で、男のお子様の中で誰なのか、私は探しました。
 お子様たちは、5%の責任を果たさなければならない。しかしその中で、お父様の伝統と心情圏を相続し、お父様の業績を継いで、お父様の願いをなしてさしあげたいと身悶える方は誰なのか。深刻です。私の永遠の生命をかけて、私は探しました。この方はできるか? OO様できるか? 

 私は、ある子女様と激しく話し合いました。彼は、「お父様のいうことなんか聞いたら駄目になってしまう」という。
 ああ、この方は難しい・・・だめだ・・・。お父様はメシアとして、私達が考えられないようなことを私たちに指示します。考えられないようなことを。
 私達はそれを飲み込んで、絶対信仰、絶対愛、絶対服従の基準で、蕩減の峠を越えなければ、未来の道は開かれないでしょう・・・。
「神山さん、何言ってるんだ・・この・・・」!(机をたたくジェスチャー)
 これはだめだ、難しい、この方は・・・。

 私はこの方ではないかと考えたら、その方に会いに行く。直接会って肌身で感じたい。チェックする。この方は、本当に神様を愛し、世界万民を愛し、お父様の業績を継ぎ、み言を重視し、そして伝統と真のお父様の心情圏を相続することができる方なのか?お父様を本当に愛しているのか?
 私の結論は、顕進様の家庭しかない。三男の顕進様家庭しかないと、強く確信しました。私が期待するのは、お父様の生前の嘆きを解決して差し上げてほしい、二代、三代で。それが出来るように、私も背後から援護しなければならないと強く思っています。

 このままだと人類が悲惨な運命になります。今、救いの道を模索しなければ、2000年前と同じように、イエス様を十字架上に追いやった結果、悲惨な運命が来たイスラエル民族のように、イスラエル民族が蕩減の道のなかに追われたように。
 イスラエル選民が使命を果たせなかったということは、大変なことでした。それと同じ運命が、日本そして韓国に来たとしたら世界はどうなりますか。
 今の現状を見つめる神様の立場は、いかばかり悲惨か!霊界で、今のこの状況を見つめる真のお父様の心中は・・・。
 考えてみてください。私達のお父様に対する不信が、神様の前に絶対服従できなかった私達の信仰姿勢が、この結果を生みだしたと考えなければならないと思いません?

 お父様のみ言を拝読します、大切なみ言だと思いますので紹介します。

アダム家庭は死んでいません。
皆さん、原理のみ言、アダム家庭ならアダム家庭は死んでいません。生きています。失敗というのは、死んだ失敗ではなく、生きた失敗として残っています。神様は、このような失敗したものを生きた標本として、勝利的基盤を築かずには、天国に入ることのできるヤコブの家庭、モーセの民族、イエス様の国家摂理があり得ないというのです。再臨主も同様です。みな生きています。原理を勉強すれば、アダム家庭は私たちの家庭と同じなのです。
  
 ノアも同様です。いつノアと同じ信仰を持ったことがありますか? 一二〇年の間、アララテ山の頂上に船を造る狂った人がどこにいますか? 船を造ろうとすれば、川辺につくればいいではありませんか? ですから、どれほど反対を受けたでしょうか? 狂人と言われるのはもちろんのこと、さまざまなうわさを聞き、さまざまな迫害を受けるようにさせたのです。東西南北に見えるすべての山の微々たる動物までも、「あのようなぼけた人、あのような狂人じいさんがどこにいるのか」と、後ろ指を指すようになっているのです。
  
 全部が無視する立場で、神様は生きているという権威を立てたのが、ノアの時の審判だということを考えなければなりません。
  
 皆さんがそのような信仰を持ち、統一教会を信じ、統一教会を立てるために努力しましたか? ノアは休みながらやったのではありません。雨が降ろうが、雪が降ろうが120年の間、すべての万物を収納させる船を造らなければならなかったのです。その村で寄付でもしてくれたでしょうか? 狂った老人だといって、けなしたのです。
  
 アブラハムも同様です。神様がアブラハムをカルデアのウルから導き出しました。アブラハムは偶像商の長男として、自分の家を出るとき、その神様の命令を信じることができたでしょうか? 

 信じられないものを信じて出てきたのです。後には、神様はアブラハムに、「イサクを燔祭に捧げなさい」と言ったのです。アブラハムに「あなたの子孫を天の星のように、地の砂のように繁栄させよう」と祝福したのに、100歳の時、生まれた息子(イサク)を裸にして「祭物にして捧げよ」ということは何という命令でしょうか? 狂ったことです。誰が信じられますか?
  
 信じられない立場で、信じることが基盤になるのです。なぜでしょうか? 
堕落が信じることのできる立場で信じられなかったので、信じられない立場で、信じなければ天に対する信仰の芽が生じません。それが伝統的な信仰世界で、神様が摂理する転換時代の公式になっているということを知らなければなりません。
  
 アブラハムが祭物を裂くことにおいて、失敗しませんでしたか? それ(裂くこと)が何でもないと思ったのです。皆さんも、先生のみ言を何でもないと思ってはならないのです。歴史的な宣言です。祭物を裂くこと以上に価値ある先生のみ言を、どれほどこぼしてしまったことでしょうか? そのみ言が皆さんに、千年、万年の讒訴条件として残されているということを知らなければなりません。

 アブラハムが、小さなハトを裂かなかった失敗によって、天上天下にない摂理を中心とした、サタン世界と分立的な勝利の覇権(主義)を取り戻してくる、神様のみ旨が誤ったのです。ですから、そのみ旨の前に自分たちが今、不信するすべての態度や行動は、アブラハムの祭物の失敗の何十倍、何百倍になるということを知らなければなりません。
              絶対信仰と絶対愛より抜粋のみ言
                     1994年10月9日  韓国・中央修練院にて

 お父様が、生前に私達にいつも指示された内容があります。それは、韓国と日本が、真の愛をもって一つになる。そして世界を指導していかなければいけない、と言われたみ言です。

 麗水である人が、お父様の前で、「日本は怨讐で・・」と過去の話を持ち出した時、お父様は即座に、
「そんなこと話すな!言うな!先生は恥ずかしくなる」
 と言われたことを忘れられません。
 日本と韓国が、本当に一つにならなければならない。どんなことがあったとしても。
 しかし、今、韓国と日本の距離が日々開いています。今、日本の国民の70%が韓国嫌いになってしまっています。正直にこんなこというと、皆さんの心も痛いし苦しいでしょうが、日本の国民の70%は反韓になってしまった。

 何故そうなったか。
 お父様は一つにしようとしたのです。
 お父様は私を麗水に呼んで、君は日本を代表してここにいるんだ。君がここ麗水に住んでいる事は良いことだ。ここに君がいる事によって、日本の人達が韓国に関心を持つ、ここを君の故郷にするんだ。そして墓もここに残すように、そして日本人という思いをもつな。先生と一つになるんだ。日本の色をもつな、完全にお父様と一つとなって同化せよ、と言われました。韓国はアダム国家、日本はエバ国家ではないか、夫婦だと。

 結婚とは、夫婦が一つとなって、新しい生命を創造する。韓国と日本が一体となって、世界を指導しなければならない。だから日本という考えを持つな。一つになるんだ。夫の前に嫁になった妻は夫に同化しなければいけないように、韓国と日本とは一つにならなければ天運が離れてしまう。それが、真のお父様が私に語ってくださったみ言です。


天皇家の後継者

 最後に、血統そして三代王権について話してみたいと思います。
 皆さん、考えてみて下さい。
 日本国は神武天皇から平成天皇まで125代、何故この体制が今まで残ってきたのか、あることを私達に教えるために神様が守ったのではないかと私は考えております。
 日本歴史の中で、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康がいました。彼らによって国が主管され、国の主権が牛耳られた時代がありました。しかし、彼らはその天皇家、皇族の流れを完全に滅ぼすことが出来なかった。
 そして第二次大戦の戦後処理時代に、天皇制を廃止することもできたはずです。GHQの方針で、またマッカーサーの意向で、アメリカの権威で、その体制は崩すことができたはずだ。そうでしょ?しかし、廃止することが出来なかった。その体制を守った。何故?
 あることを私たちに教えるために、神様が保護したのではないかと私は考えます、多くの国には王権制度があったが民主主義政策によって崩されてしまった。日本とイギリスなど、残ったのは数ヶ国だけです。イギリスの王室もガタがきている。

 皆さんに質問があります。今、天皇陛下が霊界にいかれたら、誰が次に立つのか?
 美智子様?
 天皇陛下がいなくなられたら、皇后陛下の美智子様が相続します?天皇家を・・・。日本の女性の方どう思うの?
 そうじゃないよね。天皇陛下が霊界にいかれたら、必ず皇太子様が天皇の位置を継承します。その背後で、皇后陛下の美智子さまが援護します
。そして、新しい年号の元に、新しい時代が出発します。明治、大正、昭和、平成、次は**天皇・・・。

 神側に新しい三大王権制が・・・。お父様が一代、そして二代、三代・・・・。この血筋が未来永劫に続いていく。その中央の血統に、祝福家庭が連結されることによって、皇族圏が生まれる。お父様によって直接祝福を受けた人たちが皇族圏となり、神の理想世界が地上に建設される。私はそう考えております。何故、真のお父様が聖和されてしまったのか。何が問題だったのか。はっきりさせ、深刻な立場で悔い改めて、今お父様の伝統とお父様の愛の心情圏を相続し、生命のみ言をもって出発しなければいけない時だと思います。

 最後に、真のお父様のみ言葉を拝読して終りたいと思います。

神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには神様の祖国、理想国家も出現するのです。 平和理想世界王国は、このように創建されるのです。

 ありがとうございました。

 また機会があれば皆様にお目にかかりたいと思います。

-補足-


 私のところに送られてきた神山講演録は2つある。今回アップしたのは後から送られてきたものである。おそらく、最初のは原稿でいうところの初稿であり、今回のはそれを推敲した二稿ということだろう。
 何が違うのか。初稿には文鮮明氏が韓鶴子氏に軽んじられるエピソードなどが生々しく具体的に書かれていた。ニ稿ではそれが削られていた。
 何らかの配慮があったと思われるが、初稿のその部分を色字にして引用しておく。(前後の文脈を読まないとわかりにくいと思うので、文意を損なわない形で、ほんの少しばかり手を加えた。

 お父様が遺言として残したその御言葉を変えちゃう。
 それはないでしょ。この世でも親の遺言をしまっておこうとするじゃないですか。それを変えて平和経、天聖経、(真の)父母経、何これ。話になりません。お父様に絶対服従で行かなきゃならない。それを・・・。
 もっともっと他のことを私は麗水でたくさん見てきました。見てきましたよ。
 お父様の真心を、本当に聖和されるまでの本当に無念なお父様、私の目に焼き付いてますよ。
 
 何故。お父様の遺言として作ったものを変える?
 そしてまたお父様の御言葉選集があるでしょう。何巻から何巻。(それなのに)新しいものを作った。そしてそれを比較してみるとね。相当のものを抜いちゃってる。抜いてしまっているの。
 抜いているのは都合の悪い所、それをみんな抜いてんの。

 そして、皆都合のいい言葉にかえちゃってる。
 先ほども読みましたよね。御言葉を。
 お父様がアダムとして来た。アダムとして来た。この堕落圏を救うために一人の女性が選ばれた。その一人の女性はお父様の御言葉先程読んだように 「天からじゃないよ。堕落圏から一人の女性を連れて来たよ。」
 絶対信仰の基準を立てて。絶対愛、絶対信仰、絶対服従を立てて神の圏内に行こうとする。これを切り捨てちゃったらどうなるの。

 ラスベガスで責任者会議がありました。そんな昔じゃないです。いろんなことがあってね。ある人が。「ピーター金、あ、名前言っちゃった(笑)。ピーター金、今お金がどのぐらいあるんだ。皆に先生あげたいんだ。」
 そしたら
「お金なんかないですよ」
 ない?皆の前でそんな失礼だろう。失礼なことを~と。
 その時またお母様がお父様の隣で出て行こうとされてお父様は
「ここにいるんだよ。」
「トイレに行ってくる。」
「ここにいなさい。糞でも小便でもここでしろ!!」
 でも振り切って行っちゃったよ。振り切って。それを私は見ていたんですよずっと。そして
「お母様早く呼んできなさい。」
 そして一人の責任者が行きました。
 戻られないからその人もお父様の所に来れなくて小さな部屋に行ってそのまま寝ちゃった。ゲッセマネの3弟子じゃないですが。でまた一人の人。また一人の人。でお父様が皆の前でここに座ってるでしょ。その後ろにその人が来てね。そこにいる人たちに (顔をしかめながら指でバッテンをするジェスチャー) そうですよ。それを私はこの目で見て来たんです。そのうちお父様が
「神山!! お母様とお父様とどっちが正しいんだ。どっちが正しいんだ。」
 私は答えたくなかったよ。答えたくなかったから
「正しいです。」
 って言ったんです。
「どっちの立場で言ってんだよこの野郎。どっちの立場で。」
 だからもう言わざるを得なくて
「お父様の立場です。」
 お父様はほっとしたような・・・
 その時にあんまりいるような雰囲気じゃないから一人二人、敬礼して立って去っていく。私も最後に・・・お父様が、(お母様が)来るのを待っている時も本当に寂しそうに。。
 はああ・・・やりきれなかったね、やりきれなかった。


 神山氏が「麗水で、本当にお父様は嘆いて居られました。その嘆きを、解消してあげなければ、私の本心が私を許さない。これからはしゃべりまくらなきゃいけないと思っています」と宣言したことからすれば、今後さらに文鮮明氏の晩年の嘆きが明らかにされるだろう。


-次号予告-

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 日本・統一教会の徳野英治会長に質問書を配達証明書付郵便で送った。写真は7月13日に配達したという証明書。
 回答は7月末までにとお願いした。その結果を次号で報告する。



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コメント

ダンベリーで身近にお父様に侍られた人がお父様の無念を語らずに、誰が語るというのでしょうか。古くからお父様に侍った人たちが、お父様の無念を知らないとしたら、ゲッセマネで眠ったイエス様の弟子たち以下でしょう。それにしても、現教会指導者たちのお父様への不忠、不信仰には許しがたいものがある。

信念の弱さ

情けない話ですが、講演文を読ませて頂いて、神山先生のような日本の影響力のある大先輩が声を挙げてHJNへの支持表明をされることをずっと心のどこかで待っていた自分自身の信念の弱さに気づかされました。それと同時にどこかに感じていた心の迷いの霧が晴れていくようなすがすがしさを感じました。

明らかに教会は御父様の願いからずれて行っているし、どれだけ調べてもHJNは今も何も変わっておられません。その事実があっても、周囲の目を気にして、大声を挙げて「HJNが正しい!」と言えないでいた自分がどれだけ弱い人間であるか、ただそれを申し訳なく思います。

日本の本部の二世職員達がどうして、HJNを追いやることに従ってしまったのか、そのことを非常に残念に感じてきました。

もちろん若い年齢で周囲から認められるために教会の悪習に迎合しなければならないと感じることもあるのでしょうが、位置故の傲慢な何かにぼかされているのだと思いますし、最も重要な真の血統や祝福の意義と価値が至極曖昧にされているのだと感じています。

もう、自分が他者から認められるための歩みは終えるべき時代ではないでしょうか。

摂理の中心軸を見失ってはならない、はずです。その中心軸を避けながら、一体何のための二世教育だというのでしょうか。

御父様の希望であり続けたHJN家庭を遺族名簿から除名した行為の罪と責任を一体誰が取れるというのでしょうか。誰が、二世、三世たちにその理由を正しく説明できるというのでしょうか。

もう統一家の過ちの全てを許せる立場にいる方はHJNしかおられないではないですか。

今一度、正しい方向へ日本の二世たちが向かうことをずっと祈り続けています。
  • [2014/07/30 20:22]
  • URL |
  • 34さいCARPOB
  • [ 編集 ]
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ダンベリーの証を改めて拝見して、やはりこの方はメシヤだったと再確認できました。
「先生と一つになれ!先生の心情圏でやるんだ。先生と一つになれ。一つになればできるんだから。」
そうやって糸の切れた凧となった神山先生が、生死の境を越えて辿り着いた結論が三男支持というのはすごい説得力があります。
7000万円で買収されたなんてガセネタ流すなんて、次元が低すぎてまったくお話になりません。
それでも、メシヤは夫婦で一つだという現実からは眼を背けてはいけないと思うのです。
いま教会員にできるのは、夫人の価値を引き摺り下ろすことではなく、夫人の下に家族全員が再集結するのを「信じて待つ」ことでしかないというのは日和見主義でしょうか?
人間であれば過ちも犯す。それを許して受け入れて前に進めるからこその家族ではないですか?
神山先生の指摘にありますように、韓夫人が堕落人間の出自だということは紛れもない事実です。それでいて、中卒の女でも大統領と結婚したらファーストレディーなのだと文氏自ら語られています。
そのあたりを夫人がどこまで履き違えているのか分かりませんが、私はそれでも良いと思います。教会員自らが本心で判断できるように、主体性を育てていけば良いだけの話です。
そういう意味では、上層部の情報操作は我々を見下しているとしか思えません。

いつも貴重な情報をありがとうございます。

教会側の見解では、真の御母様(韓鶴子総裁)は真の御父様と一体(霊界にいる御父様と毎日交信している)なので、韓総裁の言葉=真の御父様の言葉、今までの方向性や経典などが変わったとしてもそれは御父様の意向である、です。以前お亡くなりになる前に御母様が第2の教祖だという御言もありましたし。

説教やその他御言では最近は真の家庭とは言わなくなってきました。真の父母ばかりです。個人的には家庭氏族民族国家世界(完成したら各熟語の前に真が付いて)という段階で進んでいく御言に同意し感動していましたが、現実として真があるのは父母だけになってしまったようです。

教義の理論的には良い内容があるし、最近は献金の催促もないので(周りには主体的に献金する目標を立てノートを作って管理して進めていく人が多いです、それはそれで幸せなのだから良いとは思います)、末端信者として「献金が少ないから除名だ!」とならない限り所属し続けると思いますが、少なくともトップが真の家庭を築けなかったのだから、そんなに気張って活動する必要もないと感じているこの頃です。

回顧

神山先生の最近の情報ありがとうございます。
術後の御快復何よりなことです。
感ずるまま、ありのままの姿で講話される神山先生には、より親近感さえ覚えます。神山先生の文教祖に対する信仰姿勢は、まさに忠孝の人で武士道の世界を思い起こさせます。特に、60年代の日本の先駆者の方々、そして70年代ともに歩んだ兄弟姉妹、朝はパンの耳をかじり、寝食を共にし、貧しいながらも、兄弟姉妹の愛に満たされたホームでの献身生活の中で、だれしもが同じ志を抱き、地上天国実現のために青春を捧げ歩んだ在りし日のことが、懐かしい唄とともに甦ってきます。
 
♪ 終末の時来たる 善悪交叉
  乱れるこの世  誰ぞ知る
流れる血と涙  堪えつつ
天宙復帰    今なさん

この歌詞を書かれた○木氏には、当時、たいへんお世話になりました。
懐かしい限りです。お元気のことと思います。
あれから42年の歳月! 光陰矢の如しです。
貧しいながらも兄弟姉妹の愛を感じながらの伝道中心の時代でした。

80年代の経済中心(霊感商法)の最盛期になると、文教祖の教えが、一変します。万物に主管された教祖に変り果ててしまいました。限りなく続く高額献金のための摂理。そして目ざす理想家庭は家庭崩壊へと...どんな素晴らしい教えの衣を着けたとしても、結局はその人の言動次第で、悲しいかな水泡に帰してしまいます。


「(祝福)家庭はただ、来られる主の家庭と生命と財産を保護するためにあるのです。彼らの生命と財産そのすべてのものは、主の家庭と主の生命が発展するためにあるのです。発展するためにはどうしなければならないでしょうか。このような者たちを肥料として吸収しなければならないのです。発展の原則がそうです。」
(「祝福家庭と理想天国」より 第三節 祝福家庭の価値と使命)

「堕落した子供は所有権がないのです。だから、君たちは神に献納したいですか、したくないですか?それは、先生の子供を通して、長男と次男の立場に立つ先生の子供を通して、お母様を通して、先生を通して、神に返還していくのです。」
(蕩減復帰の峠を越えましょう1993年12月20日韓国・済州研修院)


この教えとみ言とのギャップに葛藤を覚えつつも、これも摂理と言い聞かせながらの歩みでした。疑問を投げかけることは、不謹慎なことでした。サタン視されます。絶えず自己否定の道です。一般社会から非難の声を謙虚に受け止めて改善する所に統一教会の発展があるのではないのかと...。今は、インターネットの世界です。ブログのおかげで心情を共有する兄弟姉妹がいることは感謝です。
私たちは父母のまえに決して僕ではありません!それぞれが唯一無二の個性真理体です。神は無形なるお方です。神様にはお金は必要ありません。神は万物世界を先に創造し、与え、私たち人類に万物を主管せよ。とおっしゃいました。それが人を通して善なる目的のために使われるなら神様は喜ばれるはずです。まさに統一教会は終末の時を迎えました。神の願われる正しい方向に導いてくれる真の指導者の現われんことを切に願っています。


文先生の遺産

神山会長のスピーチは、文先生の聖和以降、鬱々と自分の胸の中で考えていた内容がそのまま言葉になったようで、み言に感動したのは本当にひさびさです。
(^_^;)

実際、同じように思っている食口は多いと思います。特に、文先生から直接に薫陶を受けた先輩の多くはそうなのではないでしょうか?

ただし、顕進様を後継者として立てようとされる考えには、現時点では100%は賛同することはできません。顕進様が相応しくないということではなく、最終的に文先生の夢を成し遂げようとした時、文先生が残してくださった遺産を最大限生かす道を行くべきではないかと思うからです。

文先生の最大の遺産は、人材だと思います。神の為、平和の為に犠牲を厭わず活動する人材です。

そのような人材を、もう一度集結することのできる後継者が必要だと思います。文先生もそれを望んでおられると思います。
残念ながら、統一教会と決別宣言をしてしまっている顕進様にそれが可能なのでしょうか?


愛のない組織

神山先生が正しいのかどうか私には分かりませんけれど、「統一教会のヒーロー」と言われた元会長をこのように扱ってしまう現在の教会組織には、ほとほとがっかりします。

組織の中でどんなに立派なことをした人でも、組織の中心から離れた途端に冷たくあしらうのは、統一教会ならではでしょう。

責任者が人事になると、「あの責任者はこうだったよね」と悪口をいうクセは、もうこの組織に浸み付いた体質ですよね。まったくもって愛のない組織です。

ともかく、このような証しは決して教会公式サイトやトデイズワールドや中和新聞では読めません。お母様のみことばでさえザックリカットしてしまうんですから、組織に反旗を翻す元会長の講話なんて、絶対に載せませんもの。

そういう意味で、米本さんがこうしてアップしてくれてありがたいです。教会本部より、信者のためにコンテンツを作ってくれていると思います。ありがたいです。教団から制作費をもらったらいかがでしょうか。

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それぞれの大義名分

今回の神山氏の講演を読んで、教会員の中でもその賛否や思うところは様々だと思います。
しかし文先生の近くにいた元教会幹部の一人である神山氏が、韓夫人を中心とした現教会体制に対してこのように問題提起をおこすことは、大きな意味のある事だと思います。

たとえば、教会は今まで文先生が“基元節を前にして”亡くなったことに対しては、かたくなにその正当性を主張していました。
“文先生が基元節の前に聖和されたことは神の摂理である”ということが今までの教会の基本的なスタンスでしたが、今回の講演の中で神山氏はその事についてはっきりと問題提起しています。

それは、今までこのコメント欄でも問題視されてきた、“真の父母の全能性と絶対性”(メシアであるご父母様はすべて知っていて、すべてに勝利しているから、失敗や間違いはないという考え)に対しても問題提起していることだと思います。

食口にとってはっきりとそのような意見を述べることは、とても勇気のいることではないでしょうか。(以前マンゴープリンさんがコメント欄で紹介された「信じること、疑うこと」の内容にもつながることだと思います。)

しかし米本さんが指摘されるように、講演の中で亨進氏についてまったく触れなかったのは気になるところです。
たとえば講演の文脈の中で顯進氏以外の特定の子女の名前を出すことで、話が複雑になることを避けたかったのかもしれません。
そして現在の教会と亨進氏の状況を思えば、その後継の正当性を裏付ける内容も影が薄くなっていることは否めません。
どちらにしても、今後文先生の子女の中でその後継の正当性を持った筆頭に再び顯進氏がたつのでしょうか。

昔、顯進氏の近くにいらっしゃった教会中枢の方に、顯進氏が退いた理由について尋ねたところ、「結局勝てば官軍なんだよね‥。」とおっしゃっていました。
この米本さんのブログの中でも教会幹部の様々な権謀術数について書かれていましたが、そのような動きの中で神山氏の言動や存在がどのようになっていくかは興味深いところです。

韓夫人の講和と比較してみても、第三者から見れば、それぞれが背後に様々な大義名分を引っ提げて、それぞれの主張の正当性を競っているようにも見えます。

末端信者からすれば、もはや何が真実なのか判断する事は難しいでしょう。
それはそれぞれがどのような情報を受け取っているのか、そして各自の良心に委ねられる事だと思います。

どちらにしても、“父母様は一体である”という今までの教会の主張(韓夫人が語る言葉=文先生の言葉)は完全に疑わしいものになりました。

嘆きを解決、って???

<私の結論は、顕進様の家庭しかない。三男の顕進様家庭しかないと、強く確信しました。私が期待するのは、お父様の生前の嘆きを解決して差し上げてほしい、二代、三代で>

三男が教会資産をことごとく奪っていき、お父様は嘆かれた、と聞いています。日本食口のショックも大きかった。
離れていった三男を、とにかく戻ってこい、と繰り返し呼び寄せようとされていた、とも聞いています。
実際、三男は何年もの間、文家が一堂に介する「神の日」の行事にすら参列していません。

晩年のお父様を最も苦しめたのは三男だったのではないですか?
そもそも、神山先生はその三男を説得して、お父様のところに連れ戻そうとされていたのではないですか?
その三男が、どうして「お父様の生前の嘆きを解決」する立場に立てるのですか?

私たちが聞かされている話が間違っていたのか?、神山先生がその辺のところにフタをして、自分の価値観で取捨選択した結果、三男を担ぎ上げることにしたのか?
???ばかりです。

まず、三男とお父様が袂を分かったあたりのことから説明してもらわないとチンプンカンプンです。
最大のスポンサーである日本食口に何の承諾も得ないで、財産を奪っていったことについても、納得の行く説明をしてもらいたいものです。

突っ込みどころ満載のウリ統一教会

もう何が真実かわからなくなるけど、「いつも私のとなりに神様」の「ハワイより愛をこめて! 天国から来た亀?! 《お母様のみ言&宋龍天総会長の報告》」との温度差がすごくて、そのギャップが今の統一教会を物語っていると思いました。

でもね〜、相手側の中傷が酷いほどまともな人間なら「おいおい、真の愛を説いてたよな」とか「恩讐を愛せよじゃなかったっけ」と突っ込みたくなるだろうし、それは「汝の敵を愛せよ」と語るキリスト教の実情共に宗教って終わってるよなと感じられる世界だと思います。

うちはご父母様は完璧でないと子供に教えてますが、盲信しすぎる二世達や食口が心配です。ネットの悪情報はサタンと信じ込んでる食口達には何も語れません。

ただまともな感性なら現状を見たら疑問を抱かずにはおれないはずなのに、何も感じないのは信仰生活がどこかおかしいとも感じます。サタンには何をしても許されるなんて教えがありましたっけ?自然屈服されるまで愛するんじゃありませんでしたか?

ちょっと良心が麻痺してませんか?って麻痺してる私でも感じちゃいます。

コメントを読ませて頂きました

みんなさま、コメントを読ませて頂きました。私の心の中に奥深く潜む思いや心情をそして考えている内容を現在の私には、文字にすることが難しいので、お会いして話し合うことができないでしょうか、私はアメリカに住んでおります。9月~11月頃、日本に行くことができると思います。その時にお会いできれば幸いです。

私は米本氏とはなんの面識はありませんが、米本氏もその話し合いの場に同参してくだされはとも考えております。このブログで貴方のコメントを読ませていただいた、契機になった米本氏なので、お願いすれば可能かと思います。

「まず、三男とお父様が袂を分かったあたりのことから説明してもらわないとチンプンカンプンです。」

とあります。この件については、私よりも、もっと事情を知っている方がおられます、その方から丁寧に説明してもらうのも得策かと思います。私はその方にお願いしたいと考えております。お互いに遠くで批判し怨讐視し合っていても解決の道が見つかるとは思いません。真の御父様のみ言を中心として、神様の御前に祈りつつお互いに謙虚になり話し合うことができるなら、必ず真の世界が見えてくると私は確信します。


懐かしい神山先生

懐かしい神山先生

アメリカでは大変お世話になりました。このような場で神山先生のお話に接するとは思いもよりませんでした。プサンでのご講演の内容はいろいろな意味で大変衝撃的な内容で、どのように受け止めたら良いのかとの思いで一杯です。むしろコメント欄で直接神山先生が書き込まれてらっしゃる内容が神山先生のご心情であり、お立場なのですね。そのご心情に触れ私には、涙するしかありません。神様のご心情、ご父母様の世界を、寝食を共にされながら私たち食口に誰よりも深く教えて下さった方が神山先生なのですから。今、こうして書いていながら、いろいろな思い出が蘇り涙しています。顕進様が教会を去られ
た事も、いろいろな方が様々な事を言い争っています。それらは、いかに原理に照らして論理的で正しくともますます、対立を産むばかりです。私自信、ご家庭のご子女様ともわずかな時ですが親しくさせて頂いた事もありますが、ただただ悲しくて、悲しくて、その思いだけです。日本の食口は残念ながら神山先生のような方から愛されご父母様の世界を教えて頂いた人は少ないと思います。そして、激しい摂理に翻弄され恨みを抱き、希望を見出せない食口があまりにも多くいます。私達の心からの願いは、和解です。顕進様がお母様、いえ、ご父母様の元に帰られますことを、ただただ祈ります。家和万事成。神山先生心からお願い申し上げます。許しと和解以外、道はないのではないでしょうか。

歴史的な過ちを繰り返す統一教会

米本さんのような人権感覚に優れ、是々非々の考えを貫かれる不偏のジャーナリストが歴史的転換点に臨んでいる統一教会を真正面から取材していることには“摂理的”とも言える宿命的なものを感じさせられます。
 統一教会の宗教的な本質とその組織活動の全体像を把握することは決して容易なことではありません。
 その創設期には現在の統一教会信者には隠された多くの「影の歴史」が存在し、それは今まで信者達が‘反対派による捏造’として決して認めなかったような文先生にまつわる‘噂話’も、結局は事実である根拠が発見されたりしているのです。
 そして、その創始者の実像も統一教会の公式発表にある内容とは決して一致しておらず、真実は教会の主張と違ったところにあったのです。

 さらに、統一教会員が信奉している‘教義’さえ決して一貫性のあるものではなく、論理的に体系化された原理講論が存在する一方、教祖が語った千二百巻にも及ぶ「講演集」にはその原理講論と相反すると思われる話も多く含まれており、それらを同時に絶対化することは不可能なのです。
 その膨大な取り留めもない「講演集」から抜粋した説教語録でもある『天聖経』、『平和神経』、『家庭盟誓』、『天国を開く門・真の家庭』、『平和の主人、血統の主人』、『世界経典』などが原理講論と合わせて‘八大教本・教材’とされていますが、そこには重要な部分において齟齬がみられるのです。

 今回の神山元会長の講演のなかでも強調されていた「救世主、メシア、再臨主、真の父母、お父様とお母様、真のお父様の前にカインとアベルを一つにしたお母様が絶対信仰、絶対愛、絶対服従で、また全てが絶対信仰・絶対愛・絶対服従、自信満々に各者が完成の道を行かなければならない。」といった語録も決して原理講論に書かれた宗教思想と一致するものではなく、そこには本質的な矛盾さえ発見できるのです。
 コトさんの今回の記事のコメントに書かれた教祖語録も然りであり、さらに「ちゃぬの裏韓国日記」ブログの過去記事を読むならば、その矛盾は一目瞭然なのです。

 米本さんが今回、神山元会長の講演録を全文公開された最大の理由は「7/1韓講話」と対比することによって、統一教会が‘歴史的転換点’の最中にある現実を言葉の上でも明確にできると考えられた為と思われますが、まさしくプロライターの‘神業’であり、統一教会・日本ブログ村における‘火の粉を払え’の存在価値を改めて認識することができました。
 そこには言い逃れできない「韓鶴子氏の文鮮明教祖からの離反」が証明されており、韓氏の「新しいメシア論」が文教祖の「メシア論」と真っ向から対立するものであることも明確な言葉を通して理解できるのです。
 神山元会長の講演と「7/1韓講話」を比較して統一教会の‘歴史的転換点’を認識できないとしたら、もはや治療を要する脳レベルとしか言えません。
 もし、統一教会の教学部がこれまでの文教祖の「メシア論」を絶対としているならば、これらの矛盾を無視することは許されず、過去の神学の否定なのか、「新しい神学」の拒否なのか明確にする必要があります。
 そして、それが統一教会の‘歴史的転換点’における選択ということになるでしょう。

 ただ、統一教会の歴史として考えれば、顕進氏の教会本体離脱―文教祖聖和―韓総裁の新メシア論発言…の流れの中で、大きな一つの転換がなされようとしているのは間違いありませんが、統一教会創設期から考えていくならば 既に大きな転換はなされて来た事実もあるのです。
 特にそれは日本統一教会について言えることなのですが、教会活動の中心が‘統一原理の宣布’から‘世界的事業活動への資金援助’に転換されていたのです。
 指導者の流れでみれば、日本統一教会の開拓者である西川勝氏の影響力が削がれるようになった時に、既に宗教団体として内容的に大きな転換がなされており、教義としても徐々にではあっても儒教的な絶対服従や絶対信仰が強調されるようになり、「真の父母」は王様としての権威を強調するように変化してきたことが見て取れるのです。

 神山元会長は講演の中で、特に顕進氏が教会本体から排除され、実質的な体制が変わり始めた時期を統一教会にとっての‘歴史的危機’と捉えておられるようですが、原理講論に基本を置く統一教会信者から考えるならば、既にそれ以前に 統一教会は間違った方向を目指して宗教運動を展開してしまっており、変質してしまったと感じていたのです。
 つまり、文先生自身において キリスト教的な原理講論の教義よりも朝鮮型儒教のような教義を強調するようになり、そこに矛盾を感じる教会員も少なからず存在したのです。
 ただ、文先生の‘御言葉’を比喩的なものと考える習慣があった為、その‘御言葉’と原理講論との矛盾を統一教会員は正視せずに今日まできてしまったのだと思われます。

 しかしながら、インターネットの発達によって人々は多くの真実の情報に、自由に、容易に接することができるようになり、統一教会の全体像やその宗教的本質についてもより深い考察が可能になったのです。
 そして、統一教会に関して言えば、米本さんが発信する‘火の粉を払え’は統一教会の真実の姿を的確に描き出しており、統一教会内部の操作された情報(「7/1韓講話」も大量にカット)ではない真実の情報を私達に提供してくださり、統一教会に対する過去の考え違いも是正することができることになったのです。

 韓総裁の「新しいメシア論」が文先生の宗教思想と矛盾し、韓総裁が文先生の‘願い’と大きく反した組織命令を出していることは間違いないと思いますが、しかし、神山元会長の講演のなかで語られた文先生の語録にも違和感を覚えるというのが私の正直な感想です。
 「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という言葉自体が「創造原理」と相容れないのです。
「絶対」という言葉が使用可能なのは形式的な存在に対してのみなのです。
絶対零度、絶対真空、絶対音感、絶対君主制…などです。
 信仰、愛、服従などという極めて精神的な概念に「絶対」という名詞、形容動詞を重ねるのは原理に反するのです。
 それらの概念は相対関係において成り立つものであり、相対的な性質の概念なのです。
つまり、‘質的な変化’や‘発展’の可能性が本来の性質として備わっているのです。
 それは原理をよく考えれば、よく理解できるはずなのです。
 「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という言葉は、無知な人々を奴隷のようにして支配するのに都合のよい言葉として考え出された言葉なのです。

「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」

 <「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という言葉が「創造原理」と相容れないのです。信仰、愛、服従などという極めて精神的な概念に「絶対」という名詞、形容動詞を重ねるのは原理に反するのです。
 それらの概念は相対関係において成り立つものであり、相対的な性質の概念なのです。
つまり、‘質的な変化’や‘発展’の可能性が本来の性質として備わっているのです。
 それは原理をよく考えれば、よく理解できるはずなのです。
 「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という言葉は、無知な人々を奴隷のようにして支配するのに都合のよい言葉として考え出された言葉なのです。 >
神の黄昏さんはとても知性の高い方で、言葉、言語のもつ意味合いについて厳密に分析して解説なさってらっしゃいます。私は、このような意見など、取り分けネットなどで論争となるような事に対して発言するのは、お互いの中傷に発展する傾向があり、好みませんが敢えて書かせて頂きます。なお、この見解は、神の黄昏さんの意見を批判する意図で書いているものではなく、上記、神の黄昏さんが述べられた事に対して私自身の自問自答のような考えと捉えて下さい。先ず、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」は創造原理と相容れないとの事ですが、これは、堕落によって天使よりも低い僕の僕の立場に陥った堕落した立場にいる人類が「創造原理」で言うところの創造本然の世界に復帰する過程で必要なみ言であり堕落人間の信仰の姿勢を説いたみ言と捉えています。その意味で言えば、ノアの120年に及ぶ山頂での箱舟建設に見せた神の命令への絶対信仰・絶対服従もアブラハムが見せた神への絶対愛・絶対忠誠とも言うべきイサク献祭も、堕落論と蕩減復帰原理の観点で見れば極めて原理的で有り、聖書の内容も理論的に理解できます。神の命に背いてみ言を失った人類が創造本然の世界で神と心情一体となるために辿るべき信仰姿勢ではないでしょうか。その意味で捉えるならば「創造原理」とは相容れないと仰るのはその通りではないでしょうか。言葉の表現や定義に関しても、文先生は、様々な表現をなさいます。蕩減と言う言葉自体も日本語にはない言葉ですし、韓国語は分かりませんが、英語には有りませんし、事実欧米の方々、またクリスチャンにとって理解し難い言葉のようです。原理の内容と文先生のみ言に齟齬が見られるとの事ですが、私自身み言の全ての内容を矛盾なく理解しているわけではありませんが、原理の内容をより深い心情の世界で理解出来こそすれ、大きな齟齬を感ずる事はありません。
従って「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」で勝利し個性完成し神と心情一体と成った後の人間と神との関係は、「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」のような表現で示される関係ではなく真の愛で結ばれた親子の関係であり、「創造原理」で述べている関係で表現されるところの関係となるでしょう。

神山さんへ

 コメント投稿、ありがとうございました。

 みんなさんへの反応コメント、まるで真実を追求する青年の如しでした。

 ところで、神山さんの投稿によって、インターネットのすごさを改めて知りました。

 私は著名だけど神山さんのことを、神山さんは私のことを知りません。
 でも、ネットで瞬時にやりとりすることができます。そして、情報を共有することができる。

 統一教会さんがネットを見ないようにと指導するのもむべなるかなです。

 中国共産党がネット規制をしています。かなりの威力を発揮しているようです。でも、国民は情報に飢えていて、必死に情報を求めています。

 国家を牛耳っていない統一教会のネット規制はまるで強制力をともわないものですが、効果は絶大です。
「ネットを見ないようにしましょうね」
「は~い」
 ですからね。

 でも、堰は雨が続けば、いつかは崩れていきます。

(追記)ご自愛ください。

ちょっと訂正

 私は著名だけど神山さんのことを、神山さんは私のことを知りません。



 私は、著名だけど神山さんのことを、神山さんは私のことを知りません。

「お父様は無念だった!」-神山元会長の講演録を全文公開

神山元会長がコメントをされているので、驚きました。

現在、韓総裁とは距離があるようで、切なく残念な気持ちです。

でもお気持ちは分かります。

後からわかる真実

今回の記事、私の本心と同じでスッキリ・納得!でした。
我が家にある神山先生のサイン(額縁に入れてあります)に手を合わせて、
御父様に報告しました。
あなたの孝行息子がこれから顕現され、浄化スタートが始まるのですね。
嬉しくて踊りそうです、と。

創造原理からの乖離

 「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という言葉が強調されることへの私の違和感を書いたことに対してGood Goさんから順当なご意見を頂き、コメントを追加する必要性を感じました。
 順当としたのは、Good Goさんが書かれた内容はほとんどの統一教会員が考えていることと同じであると思われたからです。
 「ノアの箱舟造りの物語」や「アブラハムのイサク献祭説話」を例にあげてGood Goさんは蕩減復帰原理の観点で見れば「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という姿勢は極めて原理的であると書かれました。
 それに関しまして、Good Goさんの言わんとすることは充分理解できますし、別に私のコメント内容に反論し、論争を挑発しているようなコメントとは受け止めていません。
 しかし、時として“言葉”は簡単なものでも恐ろしい力を発揮することがあり、間違った表現は“真理”を捻じ曲げてしまうことがあるのです。

 「信仰」「愛」「服従」などはすでに単独の言葉として深い精神的内容を意味しており、単純な形式的行為に置き換えることはできません。
 「服従」という言葉は宗教的な意味で“神”に対する態度を示す言葉として使用する場合は「信仰」と近い意味をもっており、精神的な深さがありますが、人間関係において用いるのであれば、形式的な性質のものであり、精神性はありません。

 そのような‘言葉’の意味を尊重して「ノアの箱舟造りの物語」を考えた場合はどうなるのでしょうか。
 聖書を丁寧に読めばわかることですが、その物語の中で 神はノアに対して箱舟を造らねばならない理由についても説明しており、「不法が地に満ちている。…わたしは地もろとも彼らを滅ぼす。」と語りかけたことが書いてあります。
 即ち、訳もわからず「箱舟を造りなさい」と命じられたのではないのです。
ノアが箱舟を造ったのは、内心において納得した理屈があったのであり、それを心に従って信じたことがノアの信仰であり、実践したことが服従だったのです。
 ノアの心に迷いが生じたならば、その瞬間において信仰は消失するのであり、ノアが示したのは「信仰」だったのです。
 つまりノアの選択は「信仰」か「不信仰」かであり、「服従」か「不服従」かであるということなのです。
 どこにも「絶対」などという言葉を付け足す必要はないのです。

 また「アブラハムのイサク献祭説話」においても同様のことが言えるのです。
聖書に書かれた当時の社会風習は現代とは異なっており、部族間においては利害関係から殺人も抵抗無く行われていたことがわかります。
そして奴隷制度も存在していたのであり、“人権尊重”が当然の倫理社会ではなかったのです。
その時代は‘殺人’が現代ほど深刻な犯罪と考えられていなかったのは間違いありません。
 従って、神から「イサク献祭」を命じられたとアブラハムが認識したならば、彼の選択はノアの時と同じように「信仰」か「不信仰」かであり、「服従」か「不服従」かなのです。
 そして、どこにも「絶対」などという言葉を付け足す必要はないのです。

 「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」という‘御言葉’に使われる「絶対」には「無条件の」というような意味が強調されていると思われますが、「信仰」の場合においても それが神からきたものと本心において間違いなく認識できた時に「信じる」ことが可能なのであり、神に由来するのか、妄想なのか判断もせずに、無条件に‘霊的な言葉’を信仰したならば かえって神に反逆することになる恐れもあるのです。
 つまり、そこに「絶対」を使うことによって本心の働きが抹殺されてしまい、神と通じる人間の知、情、意という精神的機能が停止してしまう盲目的状態にまで至らしめてしまう結果ともなるのです。

 統一原理の‘蕩減復帰原理’とは原理講論の後編、緒論第1ページに書かれているように、「このように復帰摂理は、創造目的を再び成就するための再創造の摂理であるから、どこまでも原理によって摂理されなければならない。それ故に、これを復帰原理というのである。」との説明がありますから、「原理」即ち「創造原理」を根拠にしたものでなければならず、人間の永遠の本性を否定するような盲目的信仰が蕩減復帰原理から導かれることはあり得ないのです。

 統一教会員には‘蕩減復帰原理’を単純に「堕落した行為と反対の行為をすることによって堕落以前に復帰できるという原理」と考える人が多いのですが、それは正しくなく、「復帰」とは「再創造」であることを理解せねばならないのです。
 従って、‘創造原理’をよく理解しないかぎり‘蕩減復帰’の意味もよく理解できないことになるのです。

平和な日本に争いの種を撒き散らす、愛の牧師、高澤。

よね様、ご機嫌よう。

秀様のブログ、拝見いたしました。

いや~、もう金輪際実家には帰るまい、と決意を新たにいたしました。私が最後に監禁された十数年前から、「子供が生まれたほうが、拉致監禁しやすい。」と反対派の間で、盛んに喧伝されておりましたね。

今回の親子4人の拉致監禁で、首謀者とされる高澤守牧師と、うちの親はただならぬ関係にあると思っています。私が新大阪駅前のライオンズマンションに監禁されていた折、同じマンションの別室に、高澤は富澤裕子さんを監禁していました。富澤裕子さんが、別の監禁場所に移される前に、彼女の親がうちの親に挨拶に来たことからそう類推されます。
(ちなみに私を監禁した牧師は、高澤ではありません。)

ふた親のうち、一人が離教し、その子供を連れ去った場合、ほぼ100パーセントの確率で、親権が連れ去った親の方に渡ります。日本の司法のおかしなところです。(別に、統一教会員でなくとも、子供を連れ去った親の方に親権が渡る、というのが一般的です。)

こういったやり方で、子供を奪われた女性食口がおられましたね。連れ去ったのが、祖父母という場合どうなるか分かりませんが。

まあ、今回は無事脱出されたみたいで本当に良かったですけど。もし、私んちがそんなことになったら、どうなるかな~。そうだな、私、発狂するかもね。そして、発狂後、実家に放火でもするかも。発狂後の放火だと、心神喪失、ということで、うまくすれば無罪になるかも。♥。・゚♡゚・。♥。・゚♡゚・。♥。

私は、もう統一教会はやめてますが(ちなみに、統一教会をやめる方法というのは特になく、行かなくなれば、自然に退会、ということになります。私、前職を退職する際、盛んに引き止められ、現在も前上司に会うたび、戻ってきたら、と言われますが、統一教会は、そんなにしつこくありませんので、皆様、ご安心ください。)、恐らく、やめたって言っても親は信じないので、やめたやめないは一切関係ございません。

私の親は、私が親戚中の前で土下座して「私が間違っていました。親は全然悪くありません。」と謝り、主人とは離婚し、子供の親権も親に渡し、一生頭を下げ続ければ、許してくれると思います。(ん?まだ、無理?)

ですからね。正直、「そんなことやってられるかーっ。」ってことなんですの。

我が家におけるこの戦いは、どっちかが死ぬまで続くんです。先に死んだほうが負けなんです!

・・・・というところまで、こじれてます。

そしてね。震災後には、某文具会社が作った遺言書キッドを購入し、もし私と主人が同時に亡くなった場合、主人の身内が子供たちを引き取ってくれない時にも、私側の親族に子供は渡さず、施設に収容してくれるよう、書き込みました。悪意のある身内より、善意の他人に育てられたほうが、なんぼかマシ、と思ってるからです。

統一教会を辞めたら、拉致監禁問題は解決するんじゃないの?って、普通の人は思うかもしれません。

甘い甘い、甘すぎる~!?統一教会を辞めたらね、もう氏族復帰もしなくていいんざますの。これまで、氏族復帰しなきゃならないからってんで、どんなひどいことされても強くは言えませんでした。そして、信仰を持っているからこそ、教会に非道なことされてもやはり、強くは言えませんでした。

教会をやめることによって、それらの軛から一気に解き放たれた時、「テメーら、ふざけんじゃねーっ。」「なめとんのか、ごうらっ。」「ごめんで済んだら、ケーサツいらんねん。」とかなっちゃうのは私だけかしら。あ、これまで誰からも、ごめん、なんて言われたことはありませんけど。

もう食口じゃないから、丁寧な言葉を使う必要もないんです。世間様の、教会に対する印象を少しでも良くしよう、と気を使うこともないんです。なんたる開放感!!なんたる自由!!!

今回監禁された、3万双の方。多分、実家に帰省したとき監禁されたんだと思いますが、もう帰ったらアカンよ、丸腰では。

そして、高澤さん、ほんとに暇な人ね。本物のキリスト者だったら、世界中の紛争地帯にでも出かけて行って、イエスキリストの福音を伝えたらどない?紛争のない日本に、わざわざ紛争の種を作るな、ボケ。

また火の粉

 ブログのテーマとは関係ないけど、ブログ開設の目的とは大いに関係あるので、お許しを。

 もう消し止めたはずの火の粉だったのに、消火がいい加減だったようで、またぬめぬめと燃えてきたようです。


<国内外の拉致に国境はない!!  --Part.67-- 米本和広氏への謝罪文撤回、削除します!! >
http://plaza.rakuten.co.jp/peace3world/diary/201408030001/

 ヘドロだとか奇知外記だとかtomy4509(peace)だとか、誰もが忘れていたはずなのに。

 ブログ「奇知外記」「韓流サッカーをエンジョイ」「peaceのブログ」の管理人の実名が若狭力と書かざるを得なくなるのではないか!
 彼は「若狭力」の名前を火の粉ブログから消したかったのに。まるでバカみたいだ。

 彼のコメントに「頭、だいじょうぶか」と書いたのだけど、反映されず。

 要は、また今度反論を書くね、である。

神山先生、よろしくお願い致します

多くの日本教会員に慕われていらっしゃった神山先生が直接米本さんの火の粉ブログにコメントして下さった事にとてもありがたく思います!・・・流石!神山元会長です!

日本統一教会では、久保木会長の次の方だと私は、思っています!

下に降りて来られて率直にお話が出来る可能性がある方は、神山先生と思っていました。

9月ですか?神山先生、洗いざらいお話下さい。よろしくお願いいたします。

文鮮明先生は何を持って再臨主なのか?
韓鶴子総裁は本当に聖霊なのか?何者なのか?
久保木会長の事、真の子女様達の事、血統転換とは何なのか?・・・あと多すぎるモロモロの事!・・・統一教会幹部達は一般信者に何も語っていません!・・・無知の奴隷として日本信者は従え!と言っているのと同じです!

あと、古田元男氏やその子分達は今尚、霊感商法の時代は一番伝道も出来た!と霊感商法に対して全く反省がありませんが、神山先生にその辺もお聞きしたいです!

統一教会に全てを捧げながら、惨めな生活を余儀なくされても、従い続け、それでも何も知らされず、韓鶴子総裁は2020年に向けて、責任分担だ!蕩減だ!やれ!・・・日本統一信者が可哀想過ぎです!・・・実際、教会活動に今尚熱心な私の霊の姉妹はビックリする位、この数年教会で起こった様々な事件(問題)を悉くと言って良いほど知りませんでした!

神山先生が同じ日本人として、様々な事を分かる様に話して頂ける事と期待しています。

再び「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」

再び「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」

神々の黄昏さんへ。まず、前回のコメントでお名前を誤って記載した事をお詫びします。

そして、やはり前回のコメントでは自分の考えを充分にお伝えできませんでしたので再び書かせて頂きました。ただし、今一度だけ今回を最後にさせて頂きます。今一度申し上げますがこれは私自身の自問自答であり、論争が目的ではありません。むしろ私は後段で申し上げますが神々の黄昏さんのみ言への問題提起に自分自身が深く祈り求め考える時間を与えて下さった事に感謝しています。

先ず、言葉の定義に関してですが、一般的に時代によって変遷して行きます。いつ、また誰が決めるのかと言えばその時代の民衆が用いることによって決まるのでしょう。神々の黄昏さんがおっしゃる「絶対」という言葉の定義づけに関して私はその是非を問うつもりはありません。

一方メシアの再臨の目的は人類の救済に有るわけですが、それを為すための最大の使命の一つがみ言の復帰に他なりません。それは、メシアがもたらす新しい真理のみ言と共に、
例えば、イエス・キリストがユダヤ教の頑なな律法学者に対して律法の真の意味を説いたり、堕落圏における神のみ言の正しい解釈を指南する事でもあります。

再び「絶対」という言葉の定義に関してですが、我々にとっては、おっしゃる通り神々の黄昏さんがご指摘の通りなのでしょう。ここで我々にとってはと敢えて表現しているのは再臨のメシアにとっては、このような言葉の用い方をしてでも表現すべき信仰の姿勢を意味するものと捉えられます。

アブラハムのイサク献祭に関して神々の黄昏さんはその時代背景などから

<聖書に書かれた当時の社会風習は現代とは異なっており、部族間においては利害関係から殺人も抵抗無く行われていたことがわかります。
そして奴隷制度も存在していたのであり、“人権尊重”が当然の倫理社会ではなかったのです。
その時代は‘殺人’が現代ほど深刻な犯罪と考えられていなかったのは間違いありません。
 従って、神から「イサク献祭」を命じられたとアブラハムが認識したならば、彼の選択はノアの時と同じように「信仰」か「不信仰」かであり、「服従」か「不服従」かなのです。>

このように述べてらっしゃいますが、アブラハムとサラにとって実子として初めてもうけた待望の我が子はアブラハム100歳、サラが90歳の時でした。その最愛の我が子を自らの手で燔祭とするなど如何に神の命とは言えど簡単に従える事でしょうか。当時の時代背景が奴隷制度が存在していたとしても、奴隷とて、血を分けた我が子はどれ程愛おしい存在でしょうか。

聖書で淡々と描かれた事実の中にもアブラハムが燔祭を行うモリヤの山まで3日を要したとあり、彼の苦悩が伺えます。それは、信仰か、服従かで切り捨てられるものではない神と我が子への信仰と愛の壮絶な戦いではないでしょうか。  神は、当にアブラハムが我が子に手をかける寸前に天使を使い「アブラハムよ、我が子に手をかけてはならない!あなたの信仰を今、知った。」私には、このドラマの中に神がアブラハムを泣きながら抱きしめるそのような情景が見えるようです。

ノアの120年に及ぶ箱舟造りもしかり、すでに神山先生のプサン講演で文先生のみ言から引用されていますのでここでは避けますが、このように日本語の観点から言いましたらあるいは「絶対」という言葉は適切な使用ではないかも知れませんが、私には日本語の用法を超えたと言いますか、むしろ心深く祈り求めていかなければ理解できない境地のみ言とさえ思えます。

ところで、私は韓国語はハングル文字を読める程度で、殆ど話せません。ここにも大きなみ言の理解への弊害があると思います。絶対信仰・絶対愛・絶対服従が韓国語でどのような意味合いになるのでしょうか。 一度訪ねてみたいと思います。英語では絶対はabsoluteですのでabsolute love絶対愛 やabsolute obedience 絶対服従などとなるようですが、欧米の兄弟から変な表現という事を聞いたことはなくむしろ美しい表現だとの声があります。

最後に神学的に学術的に表現するには不適切であり、誤用であるとのお考えでしたら、極めて乱暴な言い方にあるいはお感じになるかも知れませんが、神学そのものがメシアを神を冒涜しているという事を神山先生からお聞きした事があります。

卑近な例えですが、実の親子の関係を子供が「お父さん、私とあなたの血液型とDNAは一致しています。したがって生物学的に科学的にあなたは間違いなく存在し、私の親です。」などとやっているようなものですから。文先生の宇宙の根本原理の最大の発見は神と人類が親子の関係であるという事にありますが、神の宇宙創造の根本動機は愛でありその力の源は知でもなく意でもなく情であると文先生はおっしゃっています。

そのような世界を言葉で表現するのも大変難しいです。我々堕落圏の人間にとって正しく理解するには言葉のもつ意味を神々の黄昏さんのように厳密に突き詰めて考える必要が大いにあると思いますし、その意味で神々の黄昏さんの問題提起は私に久しぶりにみ言を深く深く受け止める契機となり感謝申し上げます。

余談ですが、私は大変、変な事を申し上げるようですが、「絶対」「信仰」「服従」という言葉は堕落の故に堕落人間が用いている言葉であり、本来の創造原理で言う創造本然の世界には無い、言葉であると思っています。神が創造なさった絶対善の世界には「罪」「原罪」はありません。

「堕落」という言葉さえないですし、その原因となった「淫行」やその後の
カインによって引き起こされた「殺人」これらも堕落故にもたらされた行為であり、生み出された言葉では無いでしょうか。「信仰」なども神の存在を信ずるという行為は本然の世界にはありえない事です。「絶対」という言葉自体も完成された世界では使う必要のない言葉ではないでしょうか。

故に、神々の黄昏さんがタイトルに掲げてらっしゃる「創造原理からの乖離」とは、まさに堕落圏における人間にとって、創造原理そのものを知だけでなく神が人類と宇宙を創造なさったご心情の奥深くまで理解できなければ「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」の意味と境地を理解出来ないとの私の理解です。

読んでもらいたい記事

 国連自由権規約人権委員会報告書に統一教会信者の拉致問題が掲載されました。
 画期的なことです。
http://kidnapping.jp/news/140725.html

 ところが、全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)がこれに偽りを交えたイチャモン的声明文を発表しました。
http://www.stopreikan.com/shiryou/seimei_20140801.htm

 その声明文をオーストラリアのYoshiさんがブログで批判を開始しました。
「全国弁連声明文への批判(1)- 中心メンバーの素顔」
http://humanrightslink.seesaa.net/article/403089192.html#more
 ぜひ読んでください。

 全国弁連はこう述べています。
(引用はじめ)
家族は強いて統一協会を脱会させようとしているわけではなく、話合いをしたいと願っているだけであっても、統一協会は、家族が信者と話合いをしようとすることさえ、拉致・監禁だと決めつけて阻害し、「拉致監禁によって信者が脱会強要されている」というキャンペーンをしてきました。
(引用終わり)

 これが全くのデタラメであることは、つい最近、神戸真教会の牧師高澤&尾島らに監禁されていた夫婦が警察に救出された事件でも明らかです。(このブログの冒頭に記載)

(引用はじめ)
当連絡会の弁護士は、たとえ家族であっても信者の身体の自由を拘束し、脱会を強要することはするべきではないという意見であり、家族やカウンセラーにそのように助言してきました。
(引用終わり)

 全国弁連がこのような意見を表明したことは一度もありません。また、年に2回行なわれる全国集会でも発表されたことはありません。  
 集会では毎回、拉致監禁によって脱会した信者が壇上にあがってスピーチしています。

 任意団体である全国弁連は嘘つき弁護士の集まりといっても言い過ぎではないでしょう。

Re:再び「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」

Good Goさんが「今一度だけ今回を最後にさせて頂きます。」と書かれて、コメントを返してくださいましたが、そのお話がまさしく現在の統一教会員の中の信仰深い方々を代表するような内容でしたので、私もやはり、最後に前のコメントの不足分を幾らかでも補って、その「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」について思うところを完結させて書いておきたいと思います。

 Good Goさんはおそらく意外に思うでしょうが、私は統一原理を学ぶ以前から「絶対」「永遠」という言葉に特別な魅力を感じ、神秘的な力を感じていました。
 世の全ての存在は常に変化し、形あるもので永遠、不変のものは存在しません。
 地上において純粋に形式的なもの以外‘絶対’と言えるものなど何一つないのです。
 それは物質世界においてもそうであるし、人間の心の世界についても言えることなのです。
 しかし、「絶対」「永遠」といった概念は人間の精神そのものの特性と深い関連があるようで、人間はそのようなこの地上には実在しない‘性質’のものをどこまでも希求するようです。

 「絶対」「永遠」というような概念は元来が人間の頭の中にしか存在しない‘言葉’なのであり、それを現実的な存在と結び付けてしまうと、結局そこには大きな矛盾が現れてくることになるのです。
 その問題はちょうどスコラ哲学の普遍論争で掲げられたテーマと同様のものです。
 つまり、実在論と唯名論の二つの観点から論争が交わされたのであり、哲学上、神学上の大きな問題となっているのです。
 その問題は‘火の粉を払え’にコメントを寄せられる暗在さんが以前に一つのテーマとして話題に出されましたが、単純に結論を出せるような問題ではありません。
 それと関連付けて「絶対」という言葉の問題を書き出すと切りがなくなり「~が泣いた」ということになってしまいますので、そこまでは話題を広げないことにします。
 ただ「絶対」という言葉の問題はその‘普遍’の問題をさらに極端にしたようなもので、この問題については唯名論のほうが説得力があるようです。

 しかし、その問題は統一思想に基けば案外わかり易く整理できるのです。
つまり、「絶対」「永遠」などという概念は‘言葉’以外にこの地上に存在しないのです。
 そして、その‘言葉’こそ神の内にある‘ロゴス’に由来するものであり、無形の神に属するものなのです。
 統一思想では神を‘原存在’とし、原理講論には‘第一原因’と書かれています。
 そして、この実体世界はその‘原存在’‘第一原因’がなす創造活動によって生成されたものとしているのです。
 その被造物である実体世界においてはすべての存在が‘正分合作用’を繰り返しながら発展、変化するようになっており、実体世界の中では いわゆる「絶対不変」のものなどは原理的に存在しないのです。
 「絶対」とはまさしく聖書にある「あってあるもの」「アルファであり、オメガであるもの」と書かれた神にのみ当てはめられる言葉なのです。
 ユダヤ教、キリスト教においては偶像崇拝は禁止されていますが、「絶対」という言葉も同様に考えられます。

 つまり、創造活動の結果として存在している実体世界に存在するものは如何なるものであっても絶対化してはならないのです。
 前に書きました数字に表せるような形式的なものを除いて、人間の生活に直接関わるようなものに「絶対」を結び付けることには問題があるのです。
「信仰」「愛」「服従」も勿論そうであり、そのような人間がなす‘行為’に「絶対」を結び付けて語ってはならないのです。
 それは‘偶像崇拝’に近いものになってしまうのです。

 「信仰」は人間と神との関係に属するものであるので、個人の内面的な世界のものとして元々「絶対」的な要素が含まれており、あえて「絶対」を付け加える必要は無く、「絶対信仰」としてしまうと‘盲目的信仰’‘独善的信仰’と変わりなくなってしまうのです。
 「絶対信仰」からイメージされるものはイスラム教原理主義者やオウム真理教信者に見られる偏狭な信仰なのです。
 「愛」も原理講論に書かれている通り、‘神の愛’は三対象の愛の主体的な愛とされており、「絶対」としてよいのは‘神の愛’だけであり、人間世界の愛は常に変化、発展するものであり、原理的に「絶対」としてはならないのです。
 「服従」は言うまでも無く問題が多い言葉で、統一原理の‘授受作用’の原理から考えれば これほど普遍性のない言葉はなく、「絶対服従」などは‘授受作用’の原理を真っ向から否定するものと言えるでしょう。

 また、Good Goさんが書かれた以下の言葉には深刻で重大な問題が含まれていると言わねばなりません。
「文先生の宇宙の根本原理の最大の発見は神と人類が親子の関係であるという事にありますが、神の宇宙創造の根本動機は愛でありその力の源は知でもなく意でもなく情であると文先生はおっしゃっています。」
私は特にその後半部分は、文先生の思想と‘創造原理’‘統一思想’との乖離を証明するものだと思っています。
 ‘創造原理’‘統一思想’の核心とも言える概念である「心情」の定義や解釈が文先生においてはまったく異なっており、‘創造原理’‘統一思想’の偉大さを打ち砕いてしまっているのです。
 人間の知・情・意の機能は科学的にも分析することができ、根拠のない主観で語るべきではありません。
 ‘創造原理’‘統一思想’の最大の偉大さは人間の知・情・意の究極の目的となる「心情」を定義付け、論理化したところにあるのです。
 その神の中核とも言える「心情」を断片的な概念である‘愛’や‘情’と完全に混同してしまっているところに、文先生が語る宗教思想の最大の矛盾を感じるのです。
 考え方によっては、文先生は創造原理や統一思想のレベルまで知性が発達していなかったのではないかと疑ってしまうのです。
 その問題は深刻な問題ですが、それについて書き出すと やはり切りがなくなるので、これ以上は書きませんが、‘統一思想要網’と原理講論を除く八大教本を比べてどちらが‘真理’と呼べるものなのか真剣に考えねば、神の存在など決して理解することはできません。

 さらにもう一つ付け加えますが、聖書の「アブラハムのイサク献祭説話」についてGood Goさんはそのアブラハムの内的な葛藤について書かれましたが、まさしくそれはその通りであり、限界状態の苦悩の末に「イサク献祭」の命令に従ったのは間違いありません。
 それは子を持つ親なら誰でも、その信じがたい苦悩は想像することができます。
 気が狂わないほうがおかしいと思うほどです。
 しかし、歴史上にはそれに近いことが行われてきてもいるのです。
 一つの例では第二次世界大戦の末期に日本で特攻隊にわが子を送ったその親などはアブラハムの苦悩に近いものがあったはずです。
 聖書の中にはアブラハムが神と会話したようなことが書かれていますが、神から受けたとされる命令は、間接的な曖昧なものではなく、神からによると確信できるものだったことがわかります。
 従って、アブラハムが受けた「息子イサクを燔祭として捧げよ」という神の命令は信仰を貫く上で避けることのできないものとして実感として認識できたはずなのです。
 過去に自分と共にいた神を充分信頼しており、その神の命令に背くことは自分の神に対する信仰を否定することであり、自分の部族や周りの人々が神の加護から外される危機に陥る恐れがあることも感じ取ったに違いないのです。
 そこには自己を超えた、氏族の為、民族の為に必要であるというような思いがあったに違いないのです。
 丁度、特攻隊にわが子を送りだした戦時中の日本の親のように。

 そのように突き詰めて考えると、アブラハムは訳もわからず、神の命令であるという個人的信仰だけで「イサク献祭」を行ったとは考えられないのです。
 つまり、神からきたものと指示されれば、「絶対信仰」で如何なる内容でも信じなければならないということには結び付かないのです。
 Good Goさんの書かれた通り、聖書の記述は淡々と書かれていますが、現実の歴史として読むならば、充分考察を深める必要があるのです。

 今、‘火の粉を払え’の記事は拉致監禁の記事がアップされていますが、「絶対」思考を人間社会に当てはめると、独善、排他は付きものなのです。
 拉致監禁肯定者の考えはまさしく、「絶対正義・絶対愛情・絶対支配」なのです。

三大原則 絶対服従

三大原則 絶対服従
                      『文鮮明先生み言選集』
                       後天時代の生活信仰
 
絶対服従とは

絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい、このような意味の服従です。

絶対服従とは、常に自分の観念がない立場です。存在しているという観念もありません。すべてのものを投入して、忘れるからです。無限の低気圧によって無限の高気圧が生じるようになっています。絶対無限の低気圧と高気圧が垂直の所に来るのです。そこで自然と一つになります。偉大な力がそこに生まれるのです。絶対投入して忘れることによって、無限の力が存続し始めます。
それはなぜかというと、投入して忘れるという観念には、投入して忘れる神様の愛の心情が連結されるからです。ですから、宇宙は消耗しないのです。

 真の愛が行く道は、消耗という負荷がかかって小さくなるということはありません。投入した以上のものを投入しようという観念の世界が永遠に運動するので、その中には、自分の消耗現象というものがありません。真の愛の世界は、力が作用すればするほど拡大します。(289-96)

 「絶対服従」という言葉の意味の中には、自分の意識がありません。意識がある限り、それは従順です。服従とは、意識がないのです。神様が創造されるとき、神様御自身が存在意識を忘れてしまわれ、絶対無の立場で、絶対真空の立場で投入されたので、絶対高気圧圏の愛の相対を探し出すことができると考えるのです。それは理論的です。(273-2197)

 神様は私と同じように考えをもっていますが、その考えが大きいのです。愛もありますが、その愛が大きいのです。大きなもののために生きるものを「主体」といいます。ところが、堕落した私たちは、小さな私を中心として「主体」と言っているのです。これは相いれません。

 それで堕落した人間には絶対服従という命題を掲げるのです。神様は絶対的に大きな主体ですが、小さな主体がプラスとプラスで反発するのです。ですから、絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい、このような意味の服従です。完全にマイナスになれば、一瞬のうちにプラスにぴたっとくっつくのです。それが天地の道理です。(127-264)

*絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい、このような意味の服従です。(127-264)

*偉大な力がそこに生まれるのです。無限の力が存続し始めます。
神様の愛の心情が連結されるからです。(289-96)




※ 本文中、各文章の末尾にある( )内の数字は、原典『文鮮明先生み言選集』の巻数とそのページ、または、み言の日付を示しています。
 例:(123-456)=第123巻の45六ページ、(2001・1・1)=2001年1月1日

楽しい旅人さんへ  ~神山先生、よろしくお願い致します~

旅人さん、代弁してくださってありがとうございます。
私だけではなく、すでに教会を去った方々、教会と距離を置いている方々、そして悶々として教会につながっている方々の中には、旅人さんと同じ思いの人も多くいるかと思います。
そう言う兄弟姉妹のためにも、聞く耳をお持ちの神山先生と直接お会いできる機会を作っていただければ幸いです。
病に伏して、すでに旅立たれた久保木会長の無念の境地を想うと、いっそう胸が痛みます。日本の国を導くリーダーとして素晴らしい方でした。会長の講演は、いつも私たちの眠っている魂を呼び起こし、一人一人の魂に訴える講演でした。いつも会場は、神霊に満たされたビジョンある講演でした。まさに救国の勇士を想わせるお人柄でした。
霊感商法時代になると、久保木会長の存在も悲しいかな歳月とともに影の人へと...。純粋な伝道ではなく、因縁トークによる伝道(古田コマンダーによる)が始まったのです。伝道対象者が、青年層から婦人層へと様変わり。そして自虐史を植え付ける金孝南女史による先祖解恩、先祖祝福献金へと。彼女の証し(200回目修錬会1997.09)の中で、自分の使命は、2010年3月13日までと神からのお告げがあったことをはっきりと語っています。「再び延長せよ!」と神からのお告げがあったのでしょうか???
一方、現在、教会ではみ言書写による祝福伝道です。純粋な伝道ではなく祝福伝道(140数)が急がれているのです。
以前の話ですが、長年、海外在住している日本人食口が帰国して、余りにも苦労している日本の食口の現状を見て驚いたとも聞いています。
長年にわったて文教祖と共に行動されていたアメリカ在住の神山先生ですが、現在に至るまで、高額エンドレンス献金故、悲惨な状況化にある日本の教会員、祝福家庭もあることをどのくらい御存じなのか併せてお聞きしたいものです。

公的統治の法度

「コト」さん、
何時の日にかお会いしたいです。必ずそのような機会を作りましょう。
真の御父様のみ言葉を中心としての
集まりを・・・。 神山


公的統治の法度 
 「公的統治の法度」一九七〇年六月四日
   『文鮮明先生み言選集第三十一巻』

十一条の意味と万物管理の方法
 
キリスト教の十一条を見ると、そこには実に
怖い内容があることを知るようになります。
十一条を出さなければならないという聖書の一節もあります。

十の中から一つを神様に捧げなさいということです。「神様に見えるのか。十一条とは何か」と言う人もいるでしょうが、十一条は、一つだけ行って十まで行くということです。


もし皆さんの両親の誕生日祝いや還暦祝いを迎えて、お祝いをするために牛もほふり、豚もほふって、ある物ない物みな作って捧げるというとき、その方々はそれを全部食べますか。

そうではありません。受けることはみな受けますが、みな食べることはできません。ほんの少ししか食べることができないのです。

しかし、このように少しだけ召し上がっても、みな召し上がったという条件が立てられるのです。

 これと同様に、十一条は私が所有している物質の中から十分の一を神様に捧げることによって、全体を捧げるという意味をもっているのです。

神様に全体は捧げないけれども、その中の一つを精誠を込めて捧げるということは、そのような意味で価値があるのです。

そのように一つを捧げることによって、残りの九も聖なる物として取り扱われるようになるのです。

このように十一条を捧げて生きる人は滅びることがないのです。日がたてばたつほど彼の倉庫が増えるようになっているのです。 

さらに公的な人は、すべての万物を公的な世界の統治法で管理することができ、主管することができるのです。その内容が正に天法だということを私たちは知らなければなりません。

皆さんがこういう原則を知るようになれば、どのような言葉や行動、その上暴力を振るったとしても罪にならないというのです。悪を取り除くためであれば罪になりません。

したがって皆さんはいつも善と悪をえり分けて、より大きいことのために生きなければなりません。

 天地のために生きる人たちほど怖い人はいません。天地のために生きる人たちは宗教人ですが、彼らは今までサタン世界、世の中の人々から迫害と嘲弄と蔑視と冷遇を受け追われきました。

しかし宇宙の公法に照らして見るとき、そのような人たちがより公的な人です。

 何の理由もなく追い込まれ追い出されることが良いことですか、悪いことですか。そういう立場に遭うと、その時には悪いでしょうが、結果は良くなるというのです。

始まりは悪いけれど結果は良いというのです。これとは反対に、世の中のすべての私的なものは、始めは良いけれど結果は悪くなるのです。滅びるというのです。

悪は始めは栄えるように見えるけれど結局は滅びるのであり、善は滅びるように見えるけれど結局は必ず栄えるのです。

したがって公的なものは、始めは滅びるようだけれど結局は栄えることを皆さんは知らなければなりません。

人間が堕落した汚物だとは日々感じる

神山元会長のお話を見て、久しぶりに少し明るいものを感じたのですが、ブログ村の「しあわせなオリーブの木」に、神山元会長がかつて救国献金の為にE会長と一緒に全国を回っていた時にみ旨をおいてパチンコ屋のアルバイトをしているという婦人たちに「そんな事をするためにこの道に来たんじゃないでしょう?」と壇上から言われ、会場の何処からか発せられた「そうさせたのは誰なんだよ!」という声に返事が出来なくみんな、ガックリされた。とか

全てを捨てて、いま日本を救わなければ!と訴える両会長の控室には重箱に入った豪華そうな大きなお弁当が並んでたのにも躓いた、という厳しい内容が書かれていました。

それが真実かわかりませんが、リーダーから真の愛らしきものを感じられた事は私も殆どありません。それよりリーダーの事情に振り回されたように感じる事も多いです。お父様の誤りはリーダーに甘すぎ指導を失敗したのではないかと思う程です。全てがリーダーのせいではないにせよ、リーダーの不足故にどれだけ沢山の方々がこの道を離れたでしょうか。

しあわせなオリーブの木さんのブログは、最後の方は以下のような言葉で締めくくられています。

『私達のリーダーとして(元リーダーでもいいです)どうするおつもりなのか
何をどのようにしていかれるおつもりなのか、知りたいものです。

HJNという伝統を受け継ぐ方を見つけたから、これからはその方と一緒に残された人生を歩みます、じゃあ駄目でしょうね

お父様は神山さんの純粋さと、一途さを愛したのだと思います
深くは知らないのにただひたすら信じて進もうとする姿にどれ程慰められたことでしょうか

神山さんを通して日本を愛したお父様
日本を愛するがゆえに神山さんを用いたお父様

だからこそ、日本に居て、日本を愛しながら、もっとできる事があるのでは?と思ってしまいます
何だかね~、純粋に尊敬は出来かねます』


勝手に引用している事はしあわせなオリーブの木さんに謝罪しますが、ちょっと気になりました、、、。

あと十一条以上の献金をして、摂理献金の返済もあり生活が大変で教会に来なくなった方々は沢山見ました。それが霊界の倉庫に積まれてるのか私にはわかりません。摂理献金もそれほどないアメリカではただただ美しい世界で生きていけるのでしょうが。

統一教会だけでなくアメリカのクリスチャン達の一部が中絶に反対してそのようにせざるを得なかった人間を蔑むのも、恵まれた者の傲慢と偽善を感じ吐き気がします。

P.S 米本さんの不運は統一教会問題に関わった事により、ややこしい牧師や弁護士だけでなく私も含めてややこしい信者と元信者に関わるざるを得なくなった事ですね。中には立派な方々もおられますが、それは元、現役関係なくその人が持っている人間性です。
いろいろややこしい人と交わる中で、何か悟ってほしい天の願いがあるのでしょうか、アージュ。

人生いろいろ、信者もいろいろ、元信者だっていろいろ 咲き乱れるの♪

ただただ、ご苦労様ですm(_ _)m

三大原則 絶対服従

あぁ神山先生 あなたは何という御言の方でしょう。

私は、もうコメントに書くまいと思っていましたが、かくも見事に膨大なお父様の御言の中から的確に御言を導き出され、整理して下さいました。

私と神々の黄昏さんとの「絶対信仰・絶対愛・絶対服従」に関してのやり取りをご覧になってらしたんですね。

神山先生を通じてアボジから直接御言で整理されたような奇跡的とも思える不思議な心情に満たされています。

<それで堕落した人間には絶対服従という命題を掲げるのです。神様は絶対的に大きな主体ですが、小さな主体がプラスとプラスで反発するのです。ですから、絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい、このような意味の服従です。完全にマイナスになれば、一瞬のうちにプラスにぴたっとくっつくのです。それが天地の道理です。(127-264)

*絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい、このような意味の服従です。(127-264)

*偉大な力がそこに生まれるのです。無限の力が存続し始めます。
神様の愛の心情が連結されるからです。(289-96)>

堕落した人間にとって絶対服従とは絶体主体であられる神様の前に完全否定し完全なマイナスとと立つためであり、それによって神様の愛の心情に連結されるためなのですね。ハレルヤ アーメンです。

人間的な服従ではなく、神の前に絶体服従することによって、死んだ立場から神様の無限の力、無限の愛の心情に連結されるのですね。

<それで堕落した人間には絶体服従という命題を掲げるのです。>

人間に与えられた絶対服従とは堕落ゆえであり、それは人間的な奴隷としての服従を強いるものではなく、絶対的なプラスとしての神様の相対に立つためには完全なマイナスとしての立場を人間自身が自分の責任により確立しない限り立つことが出来ないという事なのですね。

それが神の前に完全にマイナスとなって信仰を貫いたノアの120年の箱舟造りであり、アブラハムのイサク献祭なのですね。

「絶体信仰・絶体愛・絶対服従」は絶体主体たる神様と愛の心情で連結されるための神が堕落人間に与えた命題なのです。


アメリカの地で歩まれる神山先生が、そう言えばいつもアボジから神の前に絶対マイナスとなりなさいと何度も言われたと仰っていらした事が、今鮮明に思い起こされます。

何という不思議な神霊的体感でしょう。感謝申し上げます。

Good Go




神山先生へ

直接のお返事ありがとうございます。恐縮しています。
神山先生が、1972年にアメリカへ出発された同じ年に統一原理との出会いがありました。まだビデオ映像の中での神山先生にしかお目にかかっていませんので直接、お会いできる日を心待ちしています。
どうかご無理なされぬように。

独善的排他的な朝鮮民族宗教が統一教会の真実


〉「信仰」「愛」「服従」も勿論そうであり、そのような人間がなす‘行為’に「絶対」を結び付けて語ってはならないのです。  それは‘偶像崇拝’に近いものになってしまうのです。
「信仰」は人間と神との関係に属するものであるので、個人の内面的な世界のものとして元々「絶対」的な要素が含まれており、あえて「絶対」を付け加える必要は無く、「絶対信仰」としてしまうと‘盲目的信仰’‘独善的信仰’と変わりなくなってしまうのです〈

〉創造原理’‘統一思想’の核心とも言える概念である「心情」の定義や解釈が文先生においてはまったく異なっており、‘創造原理’‘統一思想’の偉大さを打ち砕いてしまっているのです。
 人間の知・情・意の機能は科学的にも分析することができ、根拠のない主観で語るべきではありません。
 ‘創造原理’‘統一思想’の最大の偉大さは人間の知・情・意の究極の目的となる「心情」を定義付け、論理化したところにあるのです。
 その神の中核とも言える「心情」を断片的な概念である‘愛’や‘情’と完全に混同してしまっているところに、文先生が語る宗教思想の最大の矛盾を感じるのです。
 考え方によっては、文先生は創造原理や統一思想のレベルまで知性が発達していなかったのではないかと疑ってしまうのです。
 その問題は深刻な問題ですが、それについて書き出すと やはり切りがなくなるので、これ以上は書きませんが、‘統一思想要網’と原理講論を除く八大教本を比べてどちらが‘真理’と呼べるものなのか真剣に考えねば、神の存在など決して理解することはできません〈

〉今、‘火の粉を払え’の記事は拉致監禁の記事がアップされていますが、「絶対」思考を人間社会に当てはめると、独善、排他は付きものなのです〈


=間違い無く、神々の黄昏さんは、真理を深く掘り下げられ、“統一教会の真実”を一番掴んでいらっしゃる様に思います。

原因と結果です。今の真の家庭、統一教会組織、統一運動、日本統一教会員の信仰そして生活実態を見てください。

good go さんは2000年代初期までの私の頭と同じ様に感じます!



絶対信仰・絶対愛・絶対服従

絶対信仰・絶対愛・絶対服従 ニューホープファーム宣言(ジャルジン第1宣言)1995年4月3日ですね。

統一教会の信者の殆どが人間信仰に見えます

〉人間的な服従ではなく、神の前に絶体服従することによって、死んだ立場から神様の無限の力、無限の愛の心情に連結されるのですね〈

統一教会の信者の場合、そうなっていないのです。神様の前に絶対服従している信者は私はあまり見たことありません。

文鮮明教祖に服従している人間的服従の信仰者ばかりが目につきます。

神山元会長の講和を読んで

私は文先生の「良心」というみ言葉が大好きです。もちろん道徳的な良心は誰でも知っています。

その良心は神様から与えられ、アダム・エバが堕落した時にサタンから必死になって守ったものが良心であるということを知った時、大変感動しました。

教会を去って久しい私ですが、神様から与えられ、守られた良心に従った生活を今でも大切にしています。


その一方で「絶対信仰」、「絶対愛」、「絶対服従」の「絶対服従」にはかなり違和感がありました。

絶対服従とは 、

『絶対主体であられる神様の前に完全否定していきなさい、マイナスになりなさい』

『完全にマイナスになれば、一瞬のうちにプラスにぴたっとくっつくのです』

という事ですが、私はこの境地に達することは出来ませんでした。


この境地に達したのは神山先生の様な文先生の傍で一緒にご苦労されたごく僅かな人達ではないでしょうか。

日本での「絶対服従」は文字通り、一切文句を言わずにアベルの指示に従う事です。

その結果、カードを何枚も作らせ最後には自己破産、家庭崩壊、焼身自殺という日本統一教会の悲劇を産みました。

これが現実だと思います。



『お父様は全てを成した』

『地上において、神様と真のお父様と完全一体となっておられる真のお母様の前に絶対信仰を立てるのです』

これが現在の教会にとって絶対信仰、絶対服従なのだと思います。

私はやはりこれには違和感を感じます。残念ながら、まだまだ日本統一教会の悲劇は続くと思います。


神山先生は、お父様のお傍で人間文先生を見てきたが故に、決して文ご夫妻を神格化していないようにお見受けします。

「基元節を目前にしてその日を迎えられなかったお父様の無念を晴らしたい」という神山先生の話を読んだ時に日本の指導者にもこういう考えを持っている人がいるんだなと、教会を離れた身でありながらなぜかホッとするものを感じました。

9月に日本に来られて語られるそうですが、その内容はいずれ公開されるでしょうから、大変興味深く拝見させて頂きます。

なぜ?

なぜ、顕進様なのか?っていうのも、説明を聞きたいですね。できれば、この掲示板で説明いただきたい。難しいでしょうけど。

田舎にいるので、どこかに出かけて聞くのは無理です。

今の時代は、ただただ神様のみを畏れるべき時です。この世の権威に恐れをなして、言うべきことを言わなければ、必ずや神様から問責されるでしょう。ただただ神様のみを畏れよ。

遅ればせながら感想を

私が神山先輩の講和を読んで最初に受けた印象と言うのは、無情緒で申し訳ありませんが、「先輩はブログをよく御覧になっていらっしゃるのかな」という事です。
細かい分析を挙げると長くなるので、分かりやすい所で言うと、金氏を落とせば三男派に受けが良い事を熟知しているかのような部分とか、私的な事で言えば「私のノルマンディーのネタをおパクりになられました?」という言いがかり的な所ですが、まあ、「名前言っちゃった(笑)」みたいなやり口は何か質の悪いネットワークビジネスの勧誘に似て、ガッカリ感が大きいです。
それらは私の主観による思い込みですが、先輩御本人様がこちらにコメントを寄せられたという事は、少なくともブログをよくお読みになっているという分析は正解に近かったと思ってます。
そう見ると、誰かが先輩を「実直」だと書いてましたが、私は「計算高い」かな、と。
また、お金をもらって講和しているなどという証拠は有りませんが、真の父が存命中の頃から三男に従っていた人達と比較すれば、「鞍替え」が邪推されてしまうのは致し方ないとは思います。
ところで、真の父は監獄の囚人は感化できても、直近の妻や息子、幹部を感化できない駄目亭主、駄目親父、駄目指導者でしょうか。
夫婦間に様々な葛藤や軋轢が有ったとしても、「糞でも小便でも…」というくだりは、見方によるでしょうが、愛有る言葉とは言えません。
実際に夫人がトイレを口実にして席を立とうとし、それを見抜いた亭主の言葉であっても、それを言われた夫人の気持ちについて考える人はいないのでしょうか。
教会員としては真の父絶対主義ですし、先輩においても、真の父のみ言には絶対従順という意思を表明されています。
それを踏まえ、以下の内容についての回答を求めたいのですが、もし、まだお読みになっていらっしゃるならば、このコメント欄でも、次回、日本に来られる時にでも教えて下さい。
ある礼拝で、真の父と先輩のやりとりを証言された説教者がいました。
名前は記憶し損ねましたが、礼拝の記録は教会に残っていると思います。
神山先輩が三男の置かれてる状況を見るに見かねて「可哀そうではないですか」と進言したところ、真の父は「国進や亨進はなんだかんだ言っても私に従う。しかし、顕進は私に成り替わろうとしている」として三男は擁護できない事を仰られたと。
それだけで、三男と先輩の間には特別な関係が有ったのかと思わせるのもそうですが、この証言が事実として、現在、先輩が三男を諫める事もなく、後継者として支持する事は、真の父の直接の言葉に不従順である事にはなりませんか。
それとも、真の父が見抜けなかった実の息子の本質を、先輩が見抜かれた事なのでしょうか。
もしくは、この証言が嘘でしょうか。
先輩が御子女様方に直接会って確認されたように、私は今回の講和を読んだだけで、先輩の成否を決めるような短絡的な事はしませんので、失礼は御理解下さい。
この講和の要点は、「駄目メシヤでも、三代かけて成功すれば良いので、先輩がお勧めの三男を支持しよう」という所でしょう。
しかしながら、私は亨進様、と言うよりは信俊様について真の父が語られた意味をもっと、先輩を通じて解釈を得たいのですけども、かなわぬ願いでしょうか。
遅ればせながらの上、長文すみませんでした。

真のご父母様の勝利によって、基元節は無事に迎えられました

基元節前にお父様が聖和されたことが、神山先生にとっては、あまりにもショックだったのだろう、と私は思います。
それで、もう、わけが分からなくなってしまっていらっしゃるように感じます。


「何を成したと言うの? 真の家庭がどこにあるの?」という問いかけは、完全に、真のお父様のなさったことがわからなくなってしまっていると思います。


2012年5月、真のお父様は、「基元節はもう過ぎてしまったのだよ」と語られました。
この時点で、もう真のご父母様を中心とした人類は、真のご父母様の勝利によって、基元節を無事に迎えることが出来たのです。

お父様が待ちに待った基元節を迎えられず無念だったなどとは、あまりにも主観的過ぎる言葉だと思います。

勝利されて天上世界で永生されているお父様を完全に無視していらっしゃると思います。


神山先生へ

神山先生、大変懐かしく思います。
実際にお会いしたのは2-3度ですが、2001年だったでしょうか?
ご一緒にお食事をさせていただいたことは鮮明に記憶しております。

現在も時々その時のことを思い出し、神山先生のような人格ある人間になりたいと思うことがあります。

講演録とコメントを拝読させて頂きましたが、私の意見は、上記コメントの若枝様の意見に近いです。

神山先生は、御父母様に長年、あまりに近くで侍ってこられた故に「人」としての御父母様が、強く記憶に残っておられるのではないかと感じます。

先生は今でも、日本で非常に大きな影響力がある先輩家庭です。
是非、慎重に動いて下さればと願います。

若枝さん、ケンさん

 神山さんに語りかけておられるところを、横から入って申し訳ありませんが、一言だけ。

>「何を成したと言うの? 真の家庭がどこにあるの?」という問いかけは、完全に、真のお父様のなさったことがわからなくなってしまっていると思います。

 ブログの最新記事:文家・三者三様の「追悼の流儀」
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-501.html#more
-を読んでいただけたらと思います。

 ブルータスさんのコメント「砂上の楼閣に住む“真の家庭”」も。

これは出発

神山会長のお話を、直接聞いてほしいと思います。
人間は霊的な生き物です。嘘なのか本当なのか分かります。
教会側としては、神山会長が“命懸けで本音を語る”とは思わなかったでしょう。
教会にいるイエスマン達は皆「へっぴり腰」ですからね。
神山会長が真実を語り始めることで、お金を貰ったとか、
郭グループに引きずり込まれたとか・・言うであろう事は予測していました。
教会は、36家庭をそのようにして引きずり込みましたから。
自分達がしているからと言って、下手な嘘はつかないでほしいです。
これは出発であって、これからはもっと良心に目覚める方達が出て来るでしょう。

神山講演のこと

cocoaさん
>神山会長のお話を、直接聞いてほしいと思います。

 仄聞情報ですが、神山さんは9月中旬から全国行脚されるそうです。
 どのような場所でどのような形で(オープンか条件付きか)、講演するのかわかりません。

9月はじめ頃にはアナウンスができると思います。

 本部周辺筋の仄聞情報ですが、「神山講演行脚」の扱いに苦慮しているそうです。

神聖にして不可侵?

神山元会長のお話は率直な気持ちを表明されていて、私のようなものでも「そのとおり!」と言いたくなりますね。
でも今の統一教会では、思っていることを正直に言えないようになってしまいました。組織が大きくなって「真の父母」の神格化と同時並行して「官僚化」が進んだからかもしれないなあとか思ったりしています。
西暦4世紀の初めに開催された「ニケーア宗教議会」ではイエスと聖霊は三位一体の神であるとしたアタナシウス派が正統となり、人間イエスの色を残したとされるアリウス派は異端とされました。
その後、キリスト教はローマで国教となり制度も整っていくのでしょうが、その会議での判断は本当に正しかったのか?私には疑問です。
神格化することでカソリックは発展しましたが、同時に問題も内包していった気がするからです。同じように統一教会でも「真の父母は神聖にして不可侵」というような考えになることはあまり良いことには思えません。
「真の父母」と「祝福家庭」が親と子と言うなら子が親に向かって率直にものを言うことは悪いことではないでしょう。
神山元会長のお話とそれに関する皆さんのコメントを読みながら、つらつらとそんな事を考えてしまいました。

男らしくないですね。

神山先生、あれだけお父様から怒られたのに、まだ、こんな事をなされておられるのですか。 本当にかわいそうな方ですね。 自分のさみしさをこの様な形ではらそうとしる方法は男らしくないですね。

お父様のみ言葉を自分勝手に解釈されるのはお止めになられてください。
 

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

公演文、読ませていただきました。 大変しつれいですが、神山会長、自分をすてて本来の立場にかえって、お父様のマルスムをお読みになられて下さい。 郭グループからの偏った情報の影響を受けすぎておられますね。 

近藤隆さん&美智子さん

 投稿、感謝です。

 神山さんの釜山での講演録に異議、疑義があれば、今度、訪日されたとき、直接、意見なり質問されたりすればいいと思います。

 神山さんの日本での講演日程は、「パシセラのブログ」に書いてあります。
http://ameblo.jp/pacificera/entry-11922628096.html

 講演に参加し、意見、質問をされるときには、礼節をもって行ってください。

 アメリカ講演では統一現体制派の妨害にあっています。妨害派と間違われないようにしてください。

 宗教をある言説の体系と定義すれば、宗教が存在できるのは「言論の自由」があるからです。よって、言論は最大限に尊重されるべきだと思います。

松濤・歴史編纂部の井口に警告す!

 統一教会の元会長の神山氏の日本講演が21日から始まる。

 これに対して、徳野(敬称、敬意を略す)は9・17公文で、次のように述べた。

「本集会に対して、それぞれ該当国家の協会は該当の集会を強圧的に妨害または霧散させる行為をしてはいけないことを基本的な立場として決定した」

 それにも関わらず、公文を無視して、強圧的に妨害または霧散させる行為をしようとしている輩がいる。

 それは、歴史編纂部の部長をしている井口康雄氏である。

 この野蛮な食口は、40日断食をしたメンバーを集めて、久我山会館の前に横断幕張って、神山先生帰って来てくださいといったデモをするという。
 ひょっとすれば、久我山会館は恐れて会場が使用できなくなるかもしれない。

 言論の自由は最大限に尊重されるべきだというのが私の立場である。
 言論の自由は基本的人権の一つ。その人権には信仰の自由の尊重がある。

 井口氏は拉致監禁に反対する立場にあるはず。教会員の拉致監禁には反対し、神山氏の講演(俗的な言い方をすればおしゃべり)を妨害する。君の思想(体質)の本質は人権無視。拉致監禁を容認することにほかならない。

 結局のところ、人権なんぞ関係なく、ご都合主義ということなのだ。

 もし、神山講演を妨害するなら、どんなに君が拉致監禁に反対しようが、君とは立場を同じくしない!
 そして、火の粉ブログの目的から反しようが、君の不正を徹底的に調べ、暴き切る。覚悟しときなよ。

 徳野が建前上公文を流し、井口氏が「跳ねっ返り役」として、神山講演を妨害する。

 こんな幼稚な作戦をOKしたのは、法務局の岡村氏だと推測している。


 君たちは、神山おしゃべりをなぜそんなに怯えているのか。

 真のお母様が真のお父様を裏切っていることを知られたくないからだと思っているが、違うか!
 そして、なにより、文鮮明氏が亡くなった今日、韓鶴子氏を支持する以外に生活を維持することができないと無意識に危機感を抱いているからだろう。
 
 可哀相で、哀れなサラリーマン宗教人たちよ!

神山元会長の件で本部の見解が!

神山元会長の公演について、
本部の太田部長から、
動画で見解が発表されていました。
6月の公演の内容についてのようです。

http://trueparents.jp/

神様の血統とは

「・・・今の教会は男のお子様、ご父母様の直系である男の子女様が皆除外されています。不自然と思いません?」・・・神山氏

 血統は神様の血統を誰がもっているかです。人種や男女に捕らわれるのは、神様の心情を見ていないと思います。

 神様の心情を感じる人が神様の血統だと思います。神様は分裂することは望んでいないと思います。

 神様の心情を求めましょう。

愛、生命より重要な血統は父子関係

http://www.ucjp.org/?page_id=5974 より

「血統の重要性

 それでは、アダムとエバの堕落以来、歴史を通して神様にとって最も胸痛い恨として残されてきたものとは何であるか、御存じでしょうか。天の血統圏を失ってしまい、兄弟圏と所有権まで失ってしまった事件です。生命とも取り替えることのできないこの血筋を失ってしまいました。真の生命と真の愛の実を結ぶことができなかったのです。

 皆様、生命より貴く、愛よりも重要なものが血統です。生命と愛が合わさって創造されるものが血統です。これらのうち、生命がなくてもできず、愛がなくても血統は創造されません。愛、生命、血統のうち、その実りが血統なのです。神様の血統の中には、真の愛の種が入っていて、真の生命の体が生きています。

 したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国、理想国家も出現するのです。

 皆様、血統の重要性は、いくら強調してもしすぎることはないということを、皆様も肝に銘じてください! 父子の間の関係こそ、あらゆる関係の中で最高、最上の関係だからです。神様の血統を伝授してあげ、永存させ得る唯一の道は、正に父母と子女の間のモデルとしての血統関係しかないという事実を、はっきりと知らなければなりません。」


父子関係という言葉からは普通、男系を連想します。

「したがって、この血統と連結されれば、神様が理想とされた理想人間、すなわち人格完成も可能であり、理想家庭も生まれるのであり、さらには、神様の祖国、理想国家も出現するのです。」

なかなか、突っ込みどころ満載です。^_^;

心情より血統が先と本部も言ってるよ

arigatoさん。
>神様の心情を感じる人が神様の血統だと思います。


まずは血統を神につなげるのが1番最初で、心情が神につながるのはその後だというのが、本部公式見解ですよ。

かつて、禹明植集団の台頭に本部が手を焼いていたころ、公式サイトに載った内容です。

http://www.uc-japan.org/text.aspx
霊的集団・禹明植集団の『祝福二世相談室』の勧誘活動にご注意ください

霊的集団「氏族協会」の書籍
『救済論の問題点』を暴く(下)
~プロテスタント神学の原罪論を盾に、色眼鏡で見た「堕落論」批判~

四、「二つの救済観」という批判について

(1)岡本言説は、両性の生命を抜きにし、「性的関係」と無関係に「神様の血統」を説こうとします。それが彼らの強調する「心情的血統」の概念です。この概念によって、個人的次元における神様との心情一体化だけを説き、それによって神様の血統に連結できると強弁するのです。この主観的観念論の見解は誤りです。
 まして堕落人間が「祝福」、すなわち「接ぎ木」(聖酒式による血統転換)を抜きにして、個人的次元でいくら努力(意識改革)しても堕落性は脱げません。また、完成期に上がって神様と心情的一体化をすることもできません。御言に「神の心情は、どこからか飛んで来るのではありません。血統を正さないというと、元から、心情の栄養分が、心情の血統がつながりません。…蕩減復帰は、血統を求めて、それから心情圏を求めていかなければなりません」(『本郷』209~210頁、『誤りを正す』156頁)とあるように、「まず血統を正し、しかるのちに、神様の心情に連結されて心身統一が成されるのです」(前掲書255頁)

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