『統一教会の儀式セックスによる血統転換』抄訳 

統一教会考(50)

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 暗在翔子さんがKirsti L. Nevalainen著の『Change of Blood Lineage Through Ritual Sex in the Unification Church』 (邦題は『統一教会の儀式セックスによる血統転換』:暗在訳)の一部を抄訳してくれた。今回はそれをアップする。暗在さんが翻訳したのは、「シャーマニズム、儒教、統一教会との関係」について問題意識があったからである。そのことを念頭に置いて、読んでください。

以下、囲み記事は暗在さんによる注、解説、感想などの文(実に興味深い!)。
<注>は私。

論議を呼んだ前回の記事「<再録>統一王朝と李氏朝鮮王朝 」を参考にしながら読めば、理解が深まるはずです。

 この本の著者 クリスティ・ネヴァライネン氏はフィンランド人女性で、統一教会の元信者です。
 1971年、語学実習でドイツに滞在していたときに伝道され、その後頼まれて統一原理のスタディガイド(金永雲著)をフィンランド語に翻訳したといいます。
 72年から77年まで先輩ドイツ人姉妹と2人でフィンランドの開拓伝道を行い、その間に60~70人の活動的なフィンランド人が復帰され(信者になり)、彼らのほとんどはIOWC(国際統一十字軍)のメンバーとして、ヨーロッパ、アジア、アメリカ等世界各地を宣教してまわったといいます。(P1より)
 「ヨーロッパ統一教会公式サイト」の中の“フィンランドの統一教会史”のページにも彼女の名前と写真が出ています。

 IOWC(国際統一十字軍)といえば、1975年に日本にも来ていましたね。その頃青春を送った方々の中には、街頭で伝道する欧米人の彼らに声を掛けられたことがある方もおられるのではないでしょうか。彼らは、当時日本人信者にありがちな押し付けがましさやしつこさがなく、霊性高く、明るく知的で熱心で、とても感動的だったではないですか。(ここは懐かしき時代の出来事を無責任に理想化したたわ言としてお読み飛ばしください)

 クリスティはその後アメリカに渡って活動し、79年5月に脱会します。教会を去った主な理由は、文鮮明氏の“共産主義はサタンの権化である”との解釈を受け入れられず、文氏の手段を選ばない反共産主義の政治活動に参加したくなかったからであり、8年間の教会生活でこの運動のことはよくわかっていたからだといいます。(P2より)

 彼女は、宗教活動だけをしていたい政治オンチだとか、霊的救いのみに固執して成約の再臨主(文鮮明)を理解できずに躓いたとか、教会内でいわれそうなそんな状態ではなく、洗練された鋭い政治・人権意識をもっていたようです。
 彼女は当時なにを見たのか、なにを知っていたのか。
 彼女の視点に押され促されるようにして、私も統一教会関連の反共産主義団体であるWACL(ワクル)やCAUSA(カウサ)の中南米での活動について書かれた海外ジャーナリストの英文調査記事をネットで読み漁ったところ、たとえばボリビアで、ホンジュラスで、ニカラグアで…… (ここにはくわしく書きませんが)主義主張の相違・対立を勘定に入れて差し引いてもこれはまずいだろうという活動内容の実際を知り、私自身、組織への断罪と自分への総括が入り混ざったような複雑な気分になりました。

 脱会後のクリスティについては情報がなく分かりませんが、2010年に本書をオンデマンド出版するまでに、宗教学や社会学の参考文献(学術的文献 + 統一教会資料 + 反統一教会資料)を大量に読み込み、ある程度ハングルをものにしたことは確かでしょう

 なお、抄訳したのは、
韓国のシャーマニズムの部分:P52 53 54 55 56  
韓国のキリスト教とメシア団体の部分: P54 61 89 90 91 92 139 
家庭内クーデターの部分: P59 60
 の一部です 。



国の土着の宗教はシャーマニズムで、その主な特徴は、ハヌニムHanunim(または天の王)を、数々の自然神のうちで最高の神として信仰することにある。
 シャーマニズムの世界観では、神は超越ではなく内在していて、神々や女神や精霊たちが霊媒であるシャーマンを通してしゃべり、シャーマンの体の中に安定して住みつく。これはシャーマンと神との霊的な結婚であり、ネリム クッ(神降しの儀式)と呼ばれる。
 結婚したシャーマンと霊との性行為は大体は夢や白昼夢の中でなされ、エクスタシーの体験が伴なう。シャーマンは神と結婚し性関係をもっているので、シャーマン自身も神のような神聖な状態に転換されたと見なされる。

 現代の韓国のシャーマニズムは道教と仏教が徹底して混ざっている。
 外国から入って来たこの2つの宗教はシャーマニズムと混ざり合い渾然一体化して、それらを分けるのが難しいほどだ。

<注>イギリスの宗教社会学者、ジョージ・D. クリサイディス『統一教会の現象学的考察』 によれば、統一思想には民俗シャーマニズム、道教、朱子学、儒教、仏教の影響を強く受けているという。むろん、韓国のキリスト教諸派には当然のことながら。


方で儒教は、シャーマニズムと相克する信仰ではなく、相棒のように相対する信仰になった
 それらは互いに補完し合って、家族の生活のための独特の宗教を形成した。
 特に李氏朝鮮時代では、男性たちの世界はシャーマニズムよりも主に儒教の儀式・制度が実施されるのが見受けられ、女性の領域である家庭内のことはシャーマニズムの儀式が取り仕切ることが多かった。

 韓国の文化の核はシャーマニズムである。シャーマニズムは韓国に外国の宗教が入って来ても消滅せず、廃れるかわりに混合主義を促進してきた。
 シャーマニズムは、朝鮮の長い歴史を通して人々の心と社会・文化の構造に、基本的な視点を提供してきた。

 シャーマニズムは、宗教のシステムとして道徳や倫理の問題にそれほど関心を持っていない。
 それは、形而上の問題ではなく、健康、物質的保証、出産や個人的手引きのような生活にまつわる事柄に重きを置くきらいがある。

 19世紀以前から、韓国のシャーマニズムは新しく外国から入って来た宗教であるキリスト教の概念も取り入れてきた
 韓国人のクリスチャンは、伝統的なシャーマ二ズムの世界観にひどく影響されている。たとえばプロテスタント教会では、聖霊の現れと言われるシャーマニズム的な宗教的体験をする。韓国のクリスチャンは聖霊の力を必死で求め、聖霊に清められ聖霊に満たされることを欲している。
 霊的な能力は、きちんとした聖書の知識や善なる人格、道徳的な行いや専門的訓練などよりももっとずっと重要だとみなされている。
 韓国のキリスト教は、公式の神学に比べると、神の内在性が強調されている。
 今や韓国のプロテスタントはキリスト教的シャーマニズムに成り下がって、礼拝の形式と用語はキリスト教のものだが、信仰の内容と構造はほとんどシャーマニズムだ、と論考する学者たちもいる。
 外国から入って来た宗教の信仰と実践は、シャーマニズム様式の考え方と実践に同化されて、本来の意味を失う傾向があった。

920年代から40年代にかけて、韓国では数多くのキリスト教系メシア団体が現れた。 それらは教義を混合・合併させ、シャーマニズムの特徴である霊界への多大な関心を持ち、霊と交信し、そのうちのいくつかは性の儀式を行った。
 韓国でカルト的な運動が盛んになるのは、シャーマニズムの影響が密接に関係している。
 カリスマ的指導者たちは恍惚状態のなかで神からメッセージを受けたと主張し、千年王国や神の地上王国を建てるのだと主張する。それはその霊的団体の設立者が君主となる王国である。
 多くの韓国の霊的団体はメシアが朝鮮半島に人間として生まれると信じている。

 20世紀の前半に韓国に興った数々の新興宗教団体もシャーマニズムの影響を色濃く受けていて、実際文鮮明氏もそれらに参加し、ピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて『サタンの血統から神の血統に転換』された。それから自分の団体を立ち上げた。
 イブがエデンの園でサタンと性的関係を持ち、その結果、人間はみなサタンの血統に汚されて、新しいメシア、再臨の主から始まる新しい血統によって浄化されるべきだという考えは、文鮮明氏が発明したのではなかった。
 1945年の時点で、自分がメシアだと主張する少なくとも70人が韓国に実際いた。

<注>文鮮明氏は70人のうちの1人。その後、彼はスター誕生ならぬメシアデビューに見事に成功したというわけである。何らかの才能があったということなのだろう。

 著者は統一教会の主目的である血統転換と性の儀式を、より広く韓国の歴史的文脈(韓国のシャーマニズム的性儀式伝統)の中に据え、しっかりと位置付けて洞察していて有意義である。またその由来をユダヤ旧約偽典、中近東の古い宗教にまでさかのぼっていて興味深い。
 
 以下は、清平が統一教会内でのしあがったことが連想されて面白かった部分の訳である。


国ではムダン(女シャーマン)になることは、家庭内の力関係を変えるために一番効果のある方法だといわれる。霊に取りつかれ神の招命に応えれば、彼女は実際家庭内クーデターを起こしたようなものだ。
 韓国は伝統的に儒教社会で、家庭内で強い上下の位置関係の決まりがあり、三従の教えの如く女はいつも男より下でなければならない。

 対照的にムダンは常に彼女の家庭の中で中心人物だ。外で仕事を持っている夫たちはほとんどの場合、妻がムダンになったのを恥じて仕事を辞めてしまい、家で家事や子育てをするようになる。
 女シャーマンと以前彼女を圧制した夫やその親たちとの力関係が逆転し、逆転を継続させながら、彼女は経済的に自立、家族は彼女に経済的に依存、その一大変化は韓国のムダンの生活史において際立つ特徴になっている。
 歴史的に嫁たちの脅威といわれる姑さえも、息子のムダンの嫁に対して年老いた召使かのような弱腰のへりくだった態度をとるようになる。嫁に以前辛くあたったことに、霊力を使って復讐されるのを恐れるのだろう。

<注>統一教会のシャーマン金孝南の髪結いの亭主のことが想起されて、笑えた。表に出てこない元貧乏人だった亭主は女房のおかげで億ションで暮らし、ゴルフ場を与えられて大満~足。

解説・感想

 もし「 “統一教会 あるある シャ―マニック・ランキング”」 というのがあったら、
 1位になるのは何だろう。当然、今も長らく続いている清平の金孝南シャーマンによる先祖解怨、いわゆる “清平摂理” だろう。――420代だって? あの苦しかった高額の解怨献金 (カイオンケンキン!) 

 第2位はというと、いわゆる“ブラック・フンジン事件” ではないだろうか。 
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 交通事故死した文家次男フンジンの霊が、ジンバブエの黒人青年に憑依して世界各地で行われた告白懺悔ツアー 、――8日間断食だって? あの恐ろしかったブラック・フンジン (ブラック・フンジン!)

 3位はやはり、大理石の壷や多宝塔をとんでもない高値で売りつける霊感商法を入れなければならないだろう。――偉い霊能者の先生があなたの霊界を見てくださいます…… 大変です! 先生が倒れられました-
 

 勝手に選んだ第1位から第3位まで、全部偽物らしく、悪いうわさが続出だ。

「統一 あるある シャ―マニック・ランキング」。ほかにも、文氏側近の朴ボーヒ(後出)の娘フンスク(びんびんに生きている21才)が、17才で亡くなった文フンジンと霊界結婚させられ、フンジンの妻として生涯独身で過ごすことになったとか(まじめか)、
 文氏縁(いにしえ)の古参女性信者たちをイエスや釈迦などの四大聖人や歴史的人物の妻として霊界祝福(結婚)を与えたり、
「先生は若いとき、男ム―ダンだとうわさになったや」(三・十節の御言か)と語ったり、
 統一思想要項の著者(故)李相軒の霊界メッセージがいくつも出版されたり、
 その他、マニア向けにいうと、核マルにリンチ殺害された川口君の霊が原研の姉妹に入って唸ったり叫んだりなど(断食おぢI氏のコーディネイトか)、統一教会におけるシャーマニズムの侵襲は、新旧大小こもごも、枚挙に暇(いとま)がない。 
 最後に、地上で実体的な天国ができて摂理が完了する日といわれていた「基元節」(2013.2.22)が、“神様の実体”だという文鮮明氏と“神様の妻”だという韓鶴子氏の三度目の結婚式を挙げるシャ―マニックな日になってしまった(しかも新郎不在)、このウルトラ観念の世界(by米本さん)の行事を「統一 あるある シャ―マニック・ランキング」の特別賞にノミネートしてランキングを終わりたい。 (ワラワラ)

 次に、本の題名にもなっている“統一教会の儀式セックス” に話題を転じる。

「20世紀の前半に韓国に興った数々の新興宗教団体もシャーマニズムの影響を色濃く受けていて、実際文鮮明氏もそれらに参加し、ピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて『サタンの血統から神の血統に転換』された。それから自分の団体を立ち上げた。 」 (抄訳より)

  と、著者が主張するように、韓国のキリスト教的神霊宗教団体や文鮮明氏が、実際ピガルム(血わけ)をしていたかどうかは議論があるところで、 “性への言及の大方は象徴的で実際の性関係はなかった” と解釈する学者も多いそうだが、2013年には文氏の隠し子とその母への詳しいインタビュー記事がアメリカの一般雑誌2誌に掲載されていることからしても、ピガルム(血わけ)はあったと見るのが妥当ではないか。
 記事の中で隠し子の母は、文氏の相手は自分だけではなく、彼は数人の愛人をかかえていたと語っている。また文氏の子を身籠って産もうとしている彼女に宛てて、文氏が “あなたの気高い心情を讃えます” と書いた葉書の画像を公開している。単なる不倫・浮気よりも複雑なものを感じる。

 イタリアの社会学者で統一教会に関する著書も持つマッシモ・イントロベインMassimo Introvigneは、この本(『統一教会の儀式セックスによる血統転換』)を扱った書評の中で、
「反カルト派が文氏を淫蕩な性犯罪者として描写するためにこの本を使うのは簡単かもしれないが、本書でフィンランドの著者が伝えている内容はもっと複雑だ。」
 と述べている。

 シャーマ二ズムと性について補足すれば、46ページにこういう一文がある:
―――“多くのシャーマンが、朝になると 「昨夜、霊の夫(または妻)と性関係を持った」と言う。この現象はシベリア系の種族の間でよく起こる。たとえばブリヤート人(ロシア連邦やモンゴル国、中華人民共和国に住むモンゴル系民族:訳注)や、アムール川下流域に住むツングース系民族のナナイ人、ビルマや朝鮮のシャーマンにみられる”――
 シャーマンと霊との性関係は、韓国だけに限ったことではないようだ。また、西洋や中近東でも同じような話があると書かれている。

 20世紀前半朝鮮に出現した、シャーマニズムの影響を色濃く受けた数々のキリスト教系神霊宗教団体(の一部)が行っていたという “ピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式(血わけ)”とは、
(神と一つになって聖なる存在となった)教祖が男だったら女の信者と、女教祖だったら男の信者と性関係を持ち、その後、(男→)女→男→女→男→・・・と次々にリレーのようにセックスをしていくというもので、性関係を通して新しい霊の身体を受け取り、聖なる血統に転換されていくという教えである。(団体の例:イエス教会、聖主教団、腹中教、イスラエル修道院、荒野教会など。)

 40年代に文氏と関係があった、血わけを行っていた女教祖(丁得恩)が説明した部分(P65,66)を抄訳すると: 
「ヨンチェとは、エデンの園でエバとへびの関係から人類が受け継いだ汚れた血を清めるための方法です。ヨンチェが行われるためには、誰から誰へヨンチェがなされるべきかを告げる天の啓示がなければならず、与える側と受ける側の二人は、『命がけでこの儀式を行うことを欲します』と言葉に出して言わなければなりません。与える方が上になり、受ける方が下になって、霊的な監督者の立ち会いのもと、神聖な環境で行われなければならず、一種の洗礼とみなすことができます。」

 文鮮明と統一教会は、1946年から50年代を通して、1962年に聖酒式と三日儀式がそれに取って代わるまで、血わけの儀式を実践していた、と作者は論じている。
 統一教会は、マネーロンダリングならぬ教義ロンダリング(教義の洗浄)をして、つまり姦通罪等法に抵触するおそれがあり良識に照らせば後ろ暗い部分のある血わけ儀式を、象徴化させた聖酒式と三日儀式に置き換えてから、広く海外にも発展していったという一つの興味深い考察に、なるほど~と思い、・・・ もっとも、――とびだすぞ ちわけは急にとまらない――ということで、実際の統一教会をみると、それ以降もセックスリレーのバトンは細々と少数精鋭で引き継がれていった形跡がある。その数々の実例はある程度長くいるメンバーなら様々な噂話等で聞いたことがあるだろう。



<注>注というより、暗在さんの解説・感想を読んでの感想だが、諸々のことをシャーマニック現象として理解すれば複雑な気分になってくる。統一教会の組織体質は儒教、信仰活動はシャーマニズムということになってくるのだから。そして、文鮮明氏の性もシャーマニックであればなおさら、同氏は信仰者というより原始的なシャーマンの親玉(サーカス小屋の世界的興行主といった感じ)のように思えてくる。
 その文氏の性のことで、暗在さんは「文氏の隠し子」のことに言及している。隠し子事件のことは裁判になったことがある(結果、棄却)。
  かなり以前に暗在さんが翻訳してくれたアメリカの『ニューリパブリック』という週刊評論誌(1914年創刊)に載った婚外子訴訟に関する記事をアップしておく。
 はじめに記事に登場する人物紹介である。
アニー・チェ(崔順花)=文鮮明の愛人。
朴サム=隠し子。
朴普熙(ボーヒー)=隠し子が発覚しないように画策した、今は統一教会の大幹部。

 
なお、文家の娘、仁進氏は朴サムが異母兄弟とは知らずに交際していたことがある。父娘が姦通する旧約聖書の話みたいで(ただし2人が肉体関係にあったかどうかは不明)、おぞましい話である。事実を知った彼女はショックを受け、統一教会から離れた。その後、復帰し、さらに離れたのだが。
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左が本妻の韓鶴子さん、右が愛人の崔順花さん。

(翻訳記事はじめ)  
 文鮮明氏も結局のところ、必ずしも彼の高潔な教えを守って生きたわけではありませんでした。
 4月に、私(記者)は、アニー・チェ(崔)とテレビ電話で話しました。彼女は血色が良く白髪の豊かな77歳の韓国人女性で、穏やかに話す人でした。
 チェ(崔)は1950年代に母親と姉と共に文の教会に加わって、17歳の時から始まって多くの性の儀式(6人もの女性が含まれているとか)に関わったと主張しています。
 彼女の話は、幾人かの初期の信者たちの話とも一致していて、文の教会が、性的な儀式を通して女性の信者を“浄化する”セックス・カルトとして始まったとの主張を支持しています。
 文は韓鶴子と結婚した1960年までに、彼の宗教の基本的理念として結婚の貞節を売り文句にしていました。
 しかし、チェ(崔)は、彼女がアメリカへ引っ越す1964年までずっと文の愛人だったと主張します。

<注>『文鮮明自叙伝』に、こんな一節がある。(205~206頁)
「妻は、結婚した翌日から耐えがたい日々を送らなければなりませんでした。
(略)
その間も、私をめぐるおかしな噂は途切れなく続いたので、年若い妻が耐え抜くのは容易なことではありませんでした」


 翌年、文は、アメリカへ最初の訪問をしました。
 彼が去る頃には、チェ(崔)は、彼の子どもを身ごもっていました。
 このような知らせは始まったばかりのアメリカの運動を消沈させる可能性がありました。
 しかし朴普熙は、それが起こらないように手配しました。
 チェ(崔)によれば、(彼女はこれまでこの経験について公に話したことはなかったが)、朴の妻は布おむつを腹部に巻いて、妊娠しているふりをしました。
 陣痛がきた時、朴が病院まで一緒に行って夫のように装ったと、チェ(崔)は言います。
 次の日彼は、彼女を誰もいない彼女のアパートで降ろすと、赤ちゃんを連れて彼の家に戻っていきました。
 その後、朴夫人が、チェ(崔)に海草スープを持って来ましたが、チェ(崔)は、それを飲むことができなかったと私に話しました。
「私はただそこに座って、器の中に涙をポトポト落とすだけでした」
 チェ(崔)はアメリカに留まって、息子(朴サム)の近くに居ました。朴サムは、仁進が十代の頃に惹かれた青年その人です。
(誰も、サムが彼女の腹違いの兄弟であることを彼女に話していませんでした)
 その後、13歳でサムは、定期的に訪れる親切な“おばさん”が実は自分の母親だと分かってきました。
「突然、私の生活に意味が通りました」とサムは、4月に彼とチェ(崔)が住むフェニックスで会った時、私にいいました。

 後に、朴普熙は、ある契約書を携えて、サムとその母親に接近して来ました。
 かれらの“相互の愛、愛情および尊敬”のしるしとして、と書面には書いてありました;サム、チェ(崔)および朴は、お互いに、また文家も、遺産相続権から生じるものを含む“過去、現在、未来におけるどのような行為”からも、自由になります。代わりに、サムおよびチェ(崔)は各々100ドル(約一万円)を受け取るものとします。
 サムとチェ(崔)は、“教義に基づいた” 強制・恐喝の被害者だったと主張して、現在朴家と文家を2000万ドル(約二十億円)で訴えています。
 統一教会も文家と朴家の弁護士達も、コメントの要請に答えませんでした。
(記事終わり)

もっと詳しい内容が書かれている「マザージョーンズ誌」の記事の全訳を読みたい方はこちらをどうぞ。http://www.geocities.jp/yyjapanjp/pa.html


【関連サイト】

(1)EXCLUSIVE: Meet the Love Child Rev. Sun Myung Moon Desperately Tried to Hide(暗在さんが翻訳したマザージョーンズ誌元記事の1頁目。一枚目の写真:朴ファミリー(左端にサムエル)。二枚目:サム母子と壁に掛った父親の写真)
(2)同2頁目(文鮮明の、生れてくる子の名前に使う漢字を指示する葉書あり。写真は愛人崔順花と正妻韓鶴子)
(3)同3頁目(ワシントン記念塔前の写真。文鮮明と崔が映っている)
(4)朴・崔・サムがサイン済みの免責協定書のコピー画像
(5)判事の質問に答える形で、朴ボーヒーが宣誓供述書(朴自身の出生から学歴、職歴、軍隊歴、活動歴に関する質問から始まって、朴:「サムの出生証明書は偽り。自分はサムの父親ではない」など)
(6)サムの出生証明書(父母名は、朴普熙とその妻の名前ユン・スクと記載されている。したがって、上記宣誓供述が真実であれば朴夫婦は出生証明書に虚偽を記載したことになる)


(血分けの感想)文鮮明氏のこととなると、血分け話がよく登場する。それほどの関心はなかったが、『我らの不快な隣人』でも触れざるを得なかった。そこで、前掲のジョージ・D. クリサイディス『統一教会の現象学的考察』をもとに、その後の公開資料とを合わせ、血分けはなかったと推認する記述にした。
 しかし、暗在さんが翻訳してくれたアメリカの雑誌記事を読めば、血分けがあったことは事実のようである。

 これについて、反統一教会の立場に転じた元信者、とりわけ元女性信者は、文鮮明氏のことを精力絶倫の不道徳男とか、歩く生殖器とかの表現で、不潔、ふしだらな男と断じる。
 しかし、彼女たちはシャーマニズムの影響のことを一切顧慮しようとしない。
 それとは180度違って、やはりシャーマニズムの影響を考えない現統一教会諸君は、文鮮明氏が複数の女性とセックスしてきたことを極力否定しようとする。
 統一と反統一は合わせ鏡である。

 暗在さんが紹介してくれたマッシモ・イントロベインの言葉、「反カルト派が文氏を淫蕩な性犯罪者として描写するためにこの本を使うのは簡単かもしれないが、本書でフィンランドの著者が伝えている内容はもっと複雑だ」 は傾聴に値しよう。
 また、クリスティ・ネヴァライネンの本の一節、「シャーマニズムは、宗教のシステムとして道徳や倫理の問題にそれほど関心を持っていない」 にも、なるほどと思わざるを得なかった。
「与える側と受ける側の二人は、『命がけでこの儀式を行うことを欲します』と言葉に出して言わなければなりません。与える方が上になり、受ける方が下になって、霊的な監督者の立ち会いのもと、神聖な環境で行われなければならず、一種の洗礼とみなすことができます」-にも!三日儀式は統一教会に入信する洗礼なのだろう。

 結局のところ、文鮮明氏をどのような存在と見るかによって、血わけの評価は異なるのではないのか。
 メシアと思っているのなら、血わけを否定する。
 メシアと思い込んでいたときがあった元信者なら、血わけは存在すると考え、そればかりか複数の女性と関係を持った同氏をニセメシアと評価する。
 この場合の「メシア」には聖人君子的な性格を加味しているように思える。
 元信者の場合、文氏をメシアだと信じてきた自分への嫌悪(無意識)があり、その結果、文氏批判の表現が過激になっているような印象を受ける。

 文鮮明氏も時代の制約、すなわちそのときどきの思想・文化的な影響を受けるふつうの人間として見るなら、どういう評価になるのだろうか・・・。
 

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参考 シャーマニズム、儒教 『統一神学』の場合

統一教会の教えと韓国の宗教について
記事中にでてくる金永雲氏の著書『統一神学』に記述があります。

金永雲氏は関西学院大神学部、カナダ・トロント大で学び、梨花女子大の助教授、統一神学校教授であった人物。
1989年9月逝去。

シャーマニズムと儒教の部分参考まで



<統一神学>P7~12から引用はじめ

第一章 背景

一 韓国の宗教遺産

統一教会の教えには、韓国の宗教的遺産が少なからず貢献しているということができる。
なぜならば、統一教会は、韓国の地に最初に出現し、そして韓国の生活哲学の中で育成されたからである。
したがって、この新しい運動が、ある程度、その環境の影響を受けたということは自然のなりゆきであった。
ちょうど、東方のギリシャ正教をヘレニズムと切り離しては理解できず、ローマ・カトリック教会をラテン文化の所産と関連させずしては理解できないのと同じように、統一教会も韓国の宗教的発展と不可分の関係をもっていると見ることができる。

シャーマニズム

韓国の土着宗教は、他のほとんどの原始文化の場合と同じように、シャーマニズムの形態をとっていた。
韓国人たちの原始宗教は、完全になくなってはおらず、今に至っても深く根を下ろしており、韓国の宗教に相当の影響を与えている。
古代韓国人たちは、善悪の数多くの神々を信じていた。しかし、もっと重要なことは、彼らが、創造者であり、かつ、すべての被造物を愛でもって治める一つの最高の霊、すなわちハナニム(神)の存在を信じていたことである。
彼らは、この崇高なる神を山堂において礼拝し、その神の祝福を受けるために、適当な時期に動物を供え物としてささげたりしたが、その中でも春と秋に行われた祝祭が特に重要なものであった。
くわしいことは拙書『極東の信仰』を参照されたい。
ここでは、ただ韓国人たちが、太古から数多くの雑神たちに仕え侍っていながらも、天地間で唯一の神の存在を信じていたという点を指摘しておきたい。
太古から韓国人たちは、超自然的な何らかの力を、直接経験していたのである。
それのみならず、シャーマニズムは、歴史において、韓国が果たさねばならない独特の役割があることを強調していた。
伝統的に韓国人たちは白衣を身に着けていたが、それは、彼らが聖なる光の子供であるという彼らの信仰の象徴であったのである。
数百年にわたってシャーマンたちは、人類のための神の計画において、特別な目的を達成するために韓国人たちを選ばれた、と教えてきた。
それゆえ、我々は、このような韓国民族のもつ宗教的側面をけっして見過ごしてはならないのである。

仏教
<省略>


儒教
1392年、李氏朝鮮がひらかれた時、王は国政改革の一つのプログラムとして、国教として仏教を廃し、その代わりに儒教をおいた。
そのため、その後約500年間、儒教が韓国民の宗教生活の中心となり、儒教の諸寺院が、政府予算で各地に建立されるようになった。
儒教の文官たちが政府のすべての要職に任命され、孔子の教訓が、すべての教育の土台とされた。
国家官吏となるためには、儒教古典に関する試験に合格しなければならなかった。
家庭生活においては、孝行の道が最高の理想と規定され、先祖崇拝がすべての国民生活の中で重要な要素となった。そして、”仁”が最高の道徳的理想として高揚された。
儒教は、少なくとも次の4つの理由で、価値があったと考えられる。
第1に、儒教が、家庭の重要性を強調した点である。孔子は、家庭中心の倫理を教えた。
ちょうど、兄弟姉妹たちが1つの家庭の中で、父母からの愛によって導かれるのと同じように、全民族が、孝行の道と兄弟間の愛、そして父母としての責任を果たすことにより、大家族のごとくになるべきだというのである。
1国の統治者は、父親のような愛でもって国民を治め、すべての官吏たちは、国民を弟のように取り扱わねばならない。
孔子は、安定した社会は、目上の人を尊敬し、父母を敬い、友人間の信義を重んじ、下層階級に属する人々にも特別の配慮を払わねばならない、と教えている。
第2に、儒教が仏教の脱俗的な理想を修正したという点である。仏教においては、理想的な男女とは、僧侶や尼僧となって、心の平安を得るために俗世を捨てた人のことである。
このような概念は、来世的であり、かつ個人主義的でもある。
それと対照的に儒教は、責任ある官吏となることを礼賛した。儒教は社会志向的であった。このような観点から見れば、人間は自分の同胞に対する義務忠実に遂行するとき、真の人間になるのである。
第3に儒教の家族中心の倫理は、陰陽の原理に基づく1つの形而上学を生み出した。
人間は相対関係の調和ある制度の中で存在する。儒教は、古代中国の陰陽説を応用して、個人が、全体のより大きな善のためにその欲望を犠牲にするときに幸福を得ることができる、という事実を強調した。
この陰陽の原理は、夫が妻を愛し、妻が夫に忠誠を尽くし、子女は父母を敬い、友人間では友情を守り、目上の人には従順に従うというように、社会のあらゆる段階で必要な倫理を生み出した。
第4に儒教は、歴史の最終目標が何であるかというところまで展望している。
経典によれば、人類はこの地上において、公義と友愛、繁栄と平和が実現される時代に向かって前進しているというのである。
ここで私は、儒教に対する誤った見解を訂正しておきたい。おそらく読者は、これまでに、ユダヤ・キリスト教の歴史観が東洋の歴史観と全く異なっている、と主張する多くの書物をお読みになったことと思う。アジア人たちが歴史に意味や目的がないと考えているのに対して、聖書的見解では歴史に目的があると主張しているとか、東洋的歴史哲学は循環的であるために悲観的であり、これに反して西洋歴史哲学は直線的であり楽観的であるといった考えである。
しかしながら儒教は、非常に合目的的な歴史解釈を保持しているのである。ユダヤ・キリスト教と同じように儒教も、遠い過去の黄金時代と歴史の週末に現れる理想時代について言及している。
儒教における歴史の目標は”大同”すなわち大統一の時代と呼ばれる。
歴史は3段階、すなわち過去の無秩序の時代、現在の相対的平和の時代、そして未来の世界的調和のユートピア時代へと発展している。
”大同思想”が実現する最後の日が近づいているがゆえに、すべての人間は、希望をもつことができるというのである。

引用おわり

第1シャーマン

米本様、

示唆深い記事、ありがとうございます。私もクリスティ・ネヴァライネンの本と、最近の米国の雑誌記事に注目していました。暗在翔子さん、ありがとう。

「“統一教会 あるある シャ―マニック・ランキング”」 の第1位には、文鮮明先生ご自身を推薦したいと思います。亡くなった2男に生きたバレリーナのフンスクさんを与えたのも、自身の過去の女性群を霊界の聖人たちに割り当てたのも高度のシャーマン技ですが、聖酒と3日儀式で原罪が消えると、数万人に信じさせ実践させたのは最高の技(魔術?)です。

>文鮮明氏の性もシャーマニックであればなおさら、同氏は信仰者というより原始的なシャーマンの親玉(サーカス小屋の世界的興行主といった感じ)のように思えてくる。

>クリスティ・ネヴァライネンの本の一節、「シャーマニズムは、宗教のシステムとして道徳や倫理の問題にそれほど関心を持っていない」 にも、なるほどと思わざるを得なかった。


まさにそうですね。最上トップが創造原理でいってる個性(人格)完成とか、子女教育とかに関心がないシャーマンなのですから、統一教会が人格者を育てず子女教育もそっちのけなのは当然だったわけです。

統一教会は、原理にひかれて入った人格追求型真理探究系と、理屈嫌いで霊界と迷信好きシャーマン系のシックに分かれる気がします。強烈な文鮮明教の信者になるのは、ふつう後者でしょう。私は前者だったので、どおりで文先生に始めからしっくりこないはずでした。。。(苦笑い)

文先生の評価

>文鮮明氏も時代の制約、すなわちそのときどきの思想・文化的な影響を受けるふつうの人間として見るなら、どういう評価になるのだろうか・・・。


 現在の統一教会はその実態を把握するにしたがい、次々と内部矛盾が露出して見えます。
 日本の統一教会員は過去において詐欺的商法による違法な経済活動を組織的に行ってきており、それが社会問題となって裁判によって断罪され、自重されるようになってからも、手段を選ばぬ集金活動は継続され、徳野会長によってなされたコンプライアンス宣言さえその場しのぎだったと疑わせる発言をした現実があります。

 さらにその宗教的な整合性も破綻しつつあり、その見逃せない出来事の一つは2010年10月18日に天福宮で行われた会議の中で、文亨進世界会長が文先生の淫らな異性関係とされて、反対派の批判の的となっていた「六マリア」問題を事実として認めたことです。
 さらには、米国会長だった文仁進氏の不倫、婚外子出産、離婚事件も統一教会の教義からすれば、あり得ない事件であり、その救済論を根底から揺るがす出来事だったのです。

 統一教会が主張する「真の父母による祝福によって、堕落した人間を霊肉共の救いに至らしめる」との基本教義は矛盾した事象の現われによって瓦解しつつあり、もはや 過去に主張した教義や諸々の批判に対して正当性を主張した公式見解を持ち出したところで、その破綻した‘霊肉共の救済論’を繕うことはできません。

 しかしながら、人間社会がそうであるように全ての宗教が理想と現実の相克、変容、刷新を宿命として通過せねばならないと考えるならば、統一教会に関しても内外の刷新が必要であり、その過去において人々の霊性、博愛精神等を覚醒せしめた理想主義思想としての統一原理の基本理念は尊重され、新しい形で発展せねばならない宿命をもっていると言えるのかも知れません。

 暗在さんが翻訳され、一部を紹介してくださった『統一教会の儀式セック○による血統転換』は統一教会の数多くの矛盾を含んだ実態や謎であったその起源に対する大きな疑問を解明する糸口を与えてくれました。
 その内容は学術的文献を参考にしており、単なる統一教会反対派による根拠曖昧な中傷記事ではない為、かなり興味深く そこから多くの真実が導き出されるのは確かなのです。

<実際文鮮明氏もそれらに参加し、ピガルムあるいはヨンチェと呼ばれる性の儀式を受けて『サタンの血統から神の血統に転換』された。それから自分の団体を立ち上げた。
 イブがエデンの園でサタンと性的関係を持ち、その結果、人間はみなサタンの血統に汚されて、新しいメシア、再臨の主から始まる新しい血統によって浄化されるべきだという考えは、文鮮明氏が発明したのではなかった。>
 以上に書かれた内容は統一教会の教義における最も不可解な部分を解明できるものと思われます。

 原理講論の中で‘創造原理’の論理性を崩して‘堕落論’の中に突拍子もなく現れる「サタンの血統」という解釈は 本をただせばシャーマニズムに由来していたのであり、原理講論が書かれる遥か以前から存在していたことになります。
 いわば、「サタンの血統」とは真理として論理的に導かれた解釈ではなく、シャーマニズムの宗教観念として以前から存在していたものだったということがわかったのです。
 そうであるならば、‘血統転換教義’が統一原理の‘創造原理’と不整合なのはもっともであり、全く別の観点に立った教義だったわけです。

また<儒教は、シャーマニズムと相克する信仰ではなく、相棒のように相対する信仰になった。>との説明によって、‘血統転換教義’とは如何なるものだったかが大まかに把握できるようになりました。
 それは科学が充分に発達する以前の古い宗教観念に支配されていた社会の中で生まれた迷信のような言説であり、例えて言えば‘天動説’のようなものであり、科学の発達によって否定されてしまうような理屈でしかないのです。

 原理講論を執筆されたのは劉孝元氏なのですが、‘創造原理’は基本的に韓国のキリスト教系新興宗教の教義を総合的に研究し、文先生の意見を参考にしながら、それらをソウル大学医学部出身である劉孝元氏の知力によって統合、整理したものと思われます。
 ‘創造原理’の細部には劉孝元氏の原理解釈が反映されており、おそらく、その言葉一つ一つを見れば、文先生の頭になかったことも多く含まれていると思います。
‘創造原理’を真理だと主張する人が「夜の神様と昼の神様」の話などするはずがありませんし、‘創造原理’のほとんどは劉孝元氏の研究によるものと思われます。

 文先生の究極の教義である‘血統転換’は結局朝鮮のシャーマニズムからきていたのであり、そのシャーマニズムの信仰が文先生の宗教活動の原点だったことになります。
 したがって、「神の摂理によって原罪がないメシアとして文先生が誕生した」ということでないのはご本人がよくご存知だったことになります。
 多分、文先生の自覚としては、「自分は大きな使命を持った人間であり、それは人類のメシアとなって、世界の王になることなのだ。そうであるならば、自分自身血統転換されなければならない。そして、シャーマンによる性の儀式を主管しているのは霊界の神様であるから、その儀式によって血統転換された自分は神の息子となれたのであり、メシアとしての資格があたえられたのだ」ということではないかと思われます。

 それは、人を騙そうと思って「再臨のメシア」と言った訳ではなく、シャーマニズムの信仰から確信をもって語っていたことになります。
 そうであるが故に「内容はもっと複雑」なのです。
 しかし、果たしてそのシャーマニズムに普遍性はあるのかと問うならば、それは否であり、今の統一教会がそれを充分に証明しております。
 統一教会信者が血統転換されたと主張したとしても、以前として不倫の愛の問題は解決されておらず、そのことは「真の家庭」の人々を見れば一目瞭然です。
 ‘血統転換’の教義からすれば、神の家庭を完成しているはずの仁進氏は、その文先生によって祝福された家庭の愛よりも強いエロスの力によって、その祝福を否定してしまったのです。

 シャーマニズムとは、それとは別の‘創造原理’の基本的観点から考えるならば、霊界の霊人体に主導された霊現象を扱っており、そこに、人知では計り知れない謎がまだ多くあるのも確かです。
 しかし、基本的に霊人体は人間の精神的部分が永世化した存在であり、生きていた時以上の精神レベルに突然変化するわけでもありません。
 したがって、朝鮮半島にあるシャーマニズムであるならば、そこにいる民族の精神レベル以上の宗教活動は行われないことになります。
 人間が霊界に行った途端に真理を悟ったり、神の如くなれるなどといった‘原理’はないのです。

 結局、文先生の宗教活動の原点がシャーマニズムであるならば、それは朝鮮半島の精神文化のレベルにあるのは必然なのです。
 李氏朝鮮時代の文化が根強く残った現在の韓国の人々が世界を理想世界に変革したり、理想国家を建設したりできるのか大いに疑問であり、統一教会の韓国人を見る限り、それはほぼ絶望的なのです。
 確かに、統一原理の基本は理想主義的な思想ですが、それを実現する術を朝鮮半島の人々は持ち合わせていないのです。
 「自分達は世界を良くしたいのだから、とにかくお金をくれ、そして献金できる人を増やせ。」と言うのが精一杯なのです。
 韓国統一教会の幹部は特にそうなのです。

 文先生の評価としては、その良心から希求する理想には確かに崇高なものがあり、人類一家族世界を最終的には目指しておられたのは確かで、理想主義者であったのは間違いないと思います。
 しかし、シャーマニズムに対する傾倒が強すぎ、また朝鮮型儒教の伝統から脱却することができなかった為、結局はその目指した理想を実現できず、過去の李氏朝鮮王朝のような組織を作ることで妥協せざるを得なくなった、と考えられます。
 結局文先生も、韓国のキリスト教系新興宗教によって覚醒された崇高な動機に動かされてはいたのですが、それを実現するための実践方法を確立できなかった挫折者だと思います。
 もし、劉孝元氏が体系化された‘創造原理’の価値をもっと理解し、発展的に研究していって実践していったならば、違った結果を生み出したのは間違いないと思います。

 統一教会と韓国人教会幹部を分離することなど不可能ですから、せっかく文先生は理想を目指して統一教会を設立したのですが、現在の組織は理想世界を目指す団体どころか、李氏朝鮮王朝の亡霊のような組織でしかなく、一旦清算するしかないのかもしれません。
 せめて、韓国以外の統一教会が「血統転換教義」などを整理して、宗教と科学を統合できる次元の真理を探究する団体として生まれ変われれば、文先生の評価も変わってくると思います。

スター誕生・メシアデビュー

千尋さん、
>「“統一教会 あるある シャ―マニック・ランキング”」 の第1位には、文鮮明先生ご自身を推薦したいと思います。

シャ―マニック(な出来事)ランキングだったんですけど、シャーマン・ランキングもおもしろそうですね。さすが千尋お姉さまですわ。もちろん一位は文鮮明せんせーですよね。日本からも井■先輩が堂々のランキング入りしたりして(これまたマニアック)


米本さん、
>文鮮明氏は70人のうちの1人。その後、彼はスター誕生ならぬメシアデビューに見事に成功したというわけである。何らかの才能があったということなのだろう。

はあ興味深いですね。文氏、血わけ派のホープ、スター誕生とかけて、性力が強かったから と解く、その心は、瞬発力・持続力共に摂理がどんどん進みます、って、そのまんまじゃねえかってことになりますが。

そんなこんなでしゃかりきになっていた50年代はそれほど発展しなかったという見方もあります。50年代にスター誕生デビューしたのは朴泰善(パク・テソン)という人物で、文氏とほぼ同年代、極貧の環境から小学校(旧制)を出て日本へ行って機械技師、機械工場経営という文氏と共通点を感じさせる経歴のクリスチャンで、やはり女教祖・丁得恩の血わけを受けてのめり込むが、ばれて問題化した後(49年)、血わけ集団と完全に手を切って否定する。朝鮮戦争後西欧の援助を受けた韓国キリスト教の中で認められ長老にまで押し上げられて、復興会は常に超満員(延べ何十万人)、集まり過ぎた献金を管理するため自分の会社を作り、自宅にまで大勢の人々が押し寄せてくるので何千人規模の伝道館を造り、そのうちキリスト教からは除名になるが、(ヤマギシ村のような)独立した大規模な信仰村を形成し・・・自分がメシアだと言い(天父教宣言)、血わけを復活させ、だんだんおかしくなっていきますが(60年70年~)、50年代の朴泰善の人気は国を挙げての大衆運動のようだったといいます。

文氏ももっと早く血わけと決別して教団を清潔にしていれば、朝鮮戦争後の荒廃した社会で人々が心の救いを求めていたチャンスの時代に国民的大衆運動になったのでは?という論点あります。(非公開論文だから推測)

血わけは、丁得恩⇒男⇒女⇒朴泰善だったらしく、文鮮明と丁得恩はこの流れより以前の関係なので、そういうことからいうと朴は文の後輩で、さしずめ777から見た1610双のよう、“このへらへらの小僧っこがっ” 文氏 くやしいのぅ、くやしいのぅ。

しかし(ほぼ)韓国内に限られた朴泰善の運動に比べ、その後文氏の運動は日本、アメリカ・・・と何カ国にも広がるわけですが。
文一族がアメリカ移住したのは実際韓国政府から叩きだされる寸前の状態だったからという話もあり(元信者が好きそうな話。容赦しない、したくない。私も元信者w)、70年代最後のアメリカの大掛かりな世論調査では、一般市民達が文鮮明氏に圧倒的な拒否の結果を示した、これまで大手世論調査でそんなに嫌われたのはフルシチョフとカストロだけだったとか。でも世界的に広がって有名になったのは事実ですね。

イスラエル修道院の院長の金百文は博士号を持っているインテリで人格も優れていたとか、ずっと同じような規模で(知る人ぞ知るというような非常に限定されたマニアックな規模か)続いていたようです。
>何らかの才能があったということなのだろう。
何らかの才能とは、と考えてゆくと人間社会、興味深いです。最後また宇宙人目線になってしまい失礼しました。

シャーマンとその才能

翔子さん、

>シャ―マニック(な出来事)ランキングだったんですけど、シャーマン・ランキングもおもしろそうですね

そうだったんですね、失礼しました。

>シャーマン・ランキングなら井O先輩も、、

そうですよね。私の周辺にもシャーマン的な日本人シックが複数いまして、、、今回のブログ記事を拝見して、改めて、シャーマンにも階層がある、と感じました。シャーマン的要素のある人たちは、自分の霊力?で予言したり人をまどわしたりある程度できますが、自分よりずっと実力のあるシャーマンに出会うとその実力に屈服して配下に下る場合があるのではないでしょうか?そういう人たちは文先生が大シャーマン、自分は子分として入教します(自分がそう認識するしないにかかわらず)。一方では、統一教会に入ってから、(霊感商法などを通して)シャーマン的能力が啓発されてそうなったシックもいるかもしれません。でも概してもともと素質がなければシャーマンになれるものではないですね。

神々の黄昏さんがおっしゃるように、文先生にはどろどろしたシャーマン的部分だけでなく、高尚な部分があり、語ることも普遍的真理を反映した部分があったと思います。だから多くの人たちをひきつけることができたのでしょう。
翔子さんが朴テソンとの対比をされていて、これは文先生をより深く理解する鍵だと思います。私は朴テソンを深く知らないのであまり言えませんが。

文先生の教会・運動としてのこれまでの成功は、日本宣教の成功なしでは語れないと思います。日本でシックが増え、優秀な人たちも来て、経済活動で盛んに資金提供できたので、韓国と世界で教会がここまできたわけです。アメリカ宣教も、最初は韓国人が派遣されましたが、1970年代初めからどんどん日本人シックが渡米して活動し、西洋人を育てています。今も北米シックのたぶん半分近くは実は日本人でしょう。。。全世界的にそうなのではありませんか。韓国教会も近年は日本人シックの力で維持しているとか。日本人が皆不信すれば、教会は空中分解です。

よって、文先生の「才能」の一つは日本人主管能力だと思っています。これはシャーマン的能力もあるでしょうが、日本植民地時代に日本人コントロール法を誰よりもマスターしたということでしょうか。

文教祖を評価するなら

>文鮮明氏も時代の制約、すなわちそのときどきの思想・文化的な影響を受けるふつうの人間として見るなら、どういう評価になるのだろうか・・・。

統一原理は、私の人生観を180度変えたのは確かですが、文教祖の言動には、教えと矛盾する所があり、文教祖を神格化するのはナンセンスです。神様にたいしては、だれよりも絶対愛、絶対信仰の人であったのかもしれませんが、私たち人間には絶対服従を強要する独裁者にすぎません。しかし、神は無形なる故、人類を正しい方向に導いてくれる真なる指導者は必要です。新しい指導者の出現を願うばかりです。

文鮮明は断じて神の人にあらず

コトさん

>神様にたいしては、だれよりも絶対愛、絶対信仰の人であったのかもしれませんが

とのことですが、統一原理が説いているように、本当に「神が全人類の親であり、無償の愛の主体である」とするならば、再臨主たる人物も、神の似姿であるがゆえに、当然、神と人間の仲保者として、また、人類の真の父母として、人間に対してあまねく無償の愛を注ぐべきです。ところが、教祖文鮮明はその言動とは全く裏腹に、無償の愛どころか、誠に無慈悲な絶対服従の命令をもって人間達(直接的には主に日本人信者達)に対応してきたのです。

ちなみに、福音書には、イエスが弟子たちの足を洗ってあげる場面が出てきますが、あの文鮮明に同じことができるでしょうか?全く考えられません。もし、文鮮明が真に神の人であり、神に対する絶対愛と絶対信仰の持ち主であったとするならば、当然、全人類に対しても、まさに、「父母の心情、僕の体」で接してきたはずです。もちろん、末端信者達に対する冷酷無比な献金命令を出すことなどあり得ません。しかし、実態は全く違っていた。

ということは、文鮮明は神の人どころか、自らを神格化して神を冒涜し、万人に対して独裁的権力として君臨するという野望を持った悪魔的ペテン師であったと断言できるのです。

自分の人生

神々の黄昏さんの言葉には少々疑問を感じました。真のご家庭の不祥事といっても原罪のなかったアダムとエバも自分の責任分担を果たせず、堕落してしまったのだから御子女様もそうなる可能性はあるでしょう。そこが矛盾に満ちているとは言い切れないと思います。きちんと子女を養育出来なかったという問題点はありますが、それは実子より食口を愛さざるを得ない世界があったとも聞いてます。御子女様の問題は全て食口の不信仰故に起こったとは思いませんが御子女様達の苦労話を聞けば同情の思いもわきます。
それに組織が腐敗しているとはいえその泥の中から全てでないにせよ立派な二世も育ち美しい花を咲かせようとしてる姿も見ます。ただその花も大本である教会の体質が変わらないと理不尽な献金要請に潰され去っていくでしょう。いや、大金持ちになれる優秀な二世達が育てば、末端まで全てが苦労するという事もなくなりますが、その貴い献金は一部の幹部に私的に使われるものでなく、世界平和にきちんと使われるべきです。

一般の世の中にも立派な方々は沢山おられますから、真っ当に平和に貢献してたら献金も人も集まると思うのですよ。
なのにお恥ずかしい話が多いから、御立派な方々からそっぽを向かれてしまう。
あのいい加減な韓国式組織体質は絶対に未来の為に清算すべきです‼︎

悪徳幹部を管理できなかった文先生が本物のメシアかわかりませんが、私には未来をどうするかが一番 大事なんです。血わけであれ事実としてもお父様のなされた事は全て意味があったのよ〜と信じ切る先輩方にはついていけませんが、文先生の中に素晴らしいみ言も活動もあった事は否定できないしそこを広げていこうよ、というのが私のスタンスざぁーます。

頭から入る米本さんは教義を完全に信じてないのに信仰生活が出来るのかと疑問に感じられるかもしれませんが、統一教会だけでなく我が家に訪問伝道なさる他宗教の方と話しても教義がしっかりわかってる方は少数で、多くはそこに入ってご利益があった、救われたという話が多いです。

むしろこんなに現世利益が少ないのに統一食口は死後の世界の為によくやってるなぁと感心します。しかしもっと現世利益にシビアならあの訓母様にも騙されないだろうし、家庭が崩壊するまで献金や活動を忍耐しなかったのではないかと思うのです。基本的に日本人食口は阿保がつくほど従順だと感じます。それが故に悪徳幹部に利用されっぱなしになってしまう。

日本人の全体主義や上下関係への従順さ、先祖崇拝、物質信仰などなど民族体質を文先生も幹部もよく研究してるなぁと複雑ながら感心します。そこから同胞を庇わない日本人幹部には失望して、結局自分の出世が大事なのかと日々感じるけど前にも話したように自己中心な思いは私の中にもあり、そんな自分に葛藤もします。

しかし、めげずにいつか家庭教会として独立出来る日を目指して日々精進します〜。
例え原理が真理でなくても自分の中に積み上げたものを持ちたいと思います。

あなた方が言っているメシアとは?

 あなた方が言っているメシアとは?

 全知全能なスーパースター?
 時空を超越した地球外生物?

 それとも、未来を見通せているのだけど、付き人が障害者になってしまった、自分たちのヘリコプター事故を予見できなかったトンマな親っさん?

 メシアの定義をしなければ、時間の無駄・脳力の無駄使い的な投稿になってしまいますぞ。

 メシアを「今の矛盾だらけの社会を救う人」と定義すれば、一体、誰なんでしょうかねえ。
 プーチン?習?アルカイダ?

 かなり真面目に考えたのだけど、原発事故の最悪を乗り切った吉田さんなのではないかとお思いましたと。

 ひょっとしてAKB?

Watcherさんへの返信

コメントありがとうございます。

そうですね、無償の愛、「父母の心情、僕の体」を文教祖に感じたのは、「主の路程」の講座を受けた時でしたね。1948年、悲惨な牢獄生活の中で、わずかな食事を与えられながら死んでいく囚人の口の中から、我先にと食べ物を取りだして貪るという異常な有り様の中でも、文教祖は、自分のにぎり飯の半分を囚人に分け与え、残りの半分を戴くという証しを聞いた時でした。どんな悲惨な状況下でも神を見失わない信仰姿勢(絶対信仰)の中に、文教祖に神の愛、親の愛(絶対愛)を感じたものです。
しかし、伝道時代の苦難の路程時代から80年代前後から始まった万物復帰路程いわゆる経済中心の組織体制に大きく変動すると、文教祖の教えはすっかり豹変してしまいました。神は万物世界を創造し、人に万物世界を主管せよと言われたのに、すべては、神の物、神の前(神格化した文教祖の前に)に捧げよ!(絶対服従)と、これでは、親が子供にお金を要求するのと同じではないですか。親の願いは、子どもが立派に育ち、良き伴侶と出会い、良き家庭を築き、幸せな暮らしをして欲しい、これに尽きると思いますが、そうであるなら人類の親である神の願いも同じではないですか?神の摂理と言う名のもとに、限りなく続く高額献金、神を冒涜していますよ! 夫亡き後は文夫人までも! 悲惨な祝福家庭があることを御存じないのでしょうか? 本当にあなたは、真の母なのですか? 怒りと涙が込み上げて来ます。

メシアの定義ねぇ。

前回のコメントは「メシアは救世主」という観点で書いたのですが、改めて定義を尋ねられると、、、。

昔は「メシア」は唯一絶対の存在かと考えた時期もありましたが、私達が氏族メシアになるとか、家族は第二のメシアとか聞いたり、至る所に自称メシアが出現している(特に韓国で)のを見ると、メシア観は変わりましたね。

AKBだって、引きこもりで自殺願望のある青年に夢と希望を与えたなら彼らにとってメシアと言えるかもしれない。彼らの中にはメシアどころか神扱いする子もいますからね。
でも反面CDを沢山買う為に万引きしたり、熱中するあまり勉強がおろそかになるなら、その人に対してはメシアとはいえないでしょう。

文先生に出会って救われたとかその人の人格が向上したなら、その人のメシアである事は誰も否めない。私にとっても尊い家族を与えて下さった方だから完全に否定は出来ませんが、統一教会に出会って不幸になってる方々を見ると「人類のメシア」とまで言い切れるかはわかりません。
ただ文御夫妻の家庭も幸福とは呼べない悲惨な内容があるので、自分達の幸せの為だけにやっているとも言い切れない点もあります。

メシアの定義を尋ねられると、私も模索中の点があり他の方の意見もまた聞いて参考にしたいです。

あっ、米本さんも私にとって、ある意味メシアですよ。
これからも宜しくお願いしますね。(*^^*)

Re: あなた方が言っているメシアとは?

 それぞれに読みごたえあるコメントが続いておりますが、米本さんのおっしゃるとおり
「メシア」という言葉に関して定義らしい定義をしていない、しようともしないのは確かにおかしなことであります。

 ちょうどヤマギシの現元双方の関係者がZ革命後の理想社会についてまともにイメージを思い描こうとしないようなものでしょうか……。

頭がシャーマン

千尋さん:
>よって、文先生の「才能」の一つは日本人主管能力だと思っています。

おっしゃるように、統一の発展は日本人信者の国内外での活躍なしには語れないし、そうなるべくしてなった原因の(大きな)一つとして、教祖の“日本人主管能力”…… なるほどです。主管能力とは知力や信仰や人格力そのものともまた別で、営業能力のような、これも一つの能力ですね。文氏の“日本人主管能力”、独特な強力なものがあったと思いますね。(それに比べれば“韓国人主管能力”はあまりなかったような。)

>これはシャーマン的能力もあるでしょうが、日本植民地時代に日本人コントロール法を誰よりもマスターしたということでしょうか。

そうでしょうね、日本人の反応をいろいろ実験してコントロール法をマスター……コレ得意そうです。
文氏は頭シャーマンというか考え方はシャーマン的ですが、はっきりした際立ったシャーマン的能力はなかったのではないでしょうか。それを持っていたのは朴泰善で、病人を治したり、聖霊の働きを映像化させて人々に見せたり、匂いをかがせたり、まあ人々の変性意識を操れたといいますか、それでとんでもない数の人々が押し寄せたということらしいのですが。
それで、文氏が夢とも恨みともした「韓国キリスト教に認められて位置を与えられる」「路傍伝道などしなくても続々と人と財物が列をなして集まってくる」「国民的大衆運動となる」「数十万の教勢」ーーこれら全てを朴テソンに持ってかれてしまってるんで。テソンのやつに比べて、オレは専門学校を二つも出てるのに、と言ったとか言わなかった。

一級の霊能力はないけれど、自信もって頭がシャーマンの文氏には、自信のないインテリがビビビッと親和性の稲妻に打たれ(劉孝元)、そこからまた、一説には「救い主です!」とも言われるような知力論理力信仰と愛wに長けた神●○黄昏さんのような人物がビビビッと親和性の稲妻に打たれる…… という連鎖が。
欠けてイビツだからこそ、マイナスがプラスを呼ぶというような横的繁殖力のようなものが文氏にはあったと思います。有象無象の政治の世界にもどんどん触手を伸ばしてゆくし、あたしらよわっちい者は、おばけ屋敷を楽しませてもらえます。

桜子さんへ

>頭から入る米本さん

 残念でしたあ!
 あたいは常に下半身からなんです!

 たこ焼きを食べるときも,身の蛸からですぅ~~

>あっ、米本さんも私にとって、ある意味メシアですよ。
これからも宜しくお願いしますね。(*^^*)

 涙涙涙の津軽海峡。
 エロスのメシアといって欲しかった。(涙)

 べつに軽んじているわけでは訳では
ないからね。
 君は豊潤な精神!

あはは(^○^)

なるほど、米本さんは知性も精神も下半身も豊潤なんですね。

あれっ、ちょっと米本ニムの洗礼を受けて表現がエロっぽくなったかな(笑)

私はまだまだデコボコな心情でお恥ずかしいですが、精進します。でも、吐き出す事って大事ですね。本当にこちらにはお世話になってますよ。なにわのアラレさんは私なんかより随分大変な所を通過されていますが、気持ちの整理が早くつくといいなぁと祈ってます。

桜子さんの疑問に一言

>真のご家庭の不祥事といっても原罪のなかったアダムとエバも自分の責任分担を果たせず、堕落してしまったのだから御子女様もそうなる可能性はあるでしょう。そこが矛盾に満ちているとは言い切れないと思います。きちんと子女を養育出来なかったという問題点はありますが、それは実子より食口を愛さざるを得ない世界があったとも聞いてます。


 もしかしたら私が勘違いしていたかも知れませんので、一応返答しておきます。
 まさか桜子さんは原理講論を読んだことがないというようなことはないのでしょうが、上のコメントは冗談ではなく、真面目で、もしかしたら原理講論を読んでいない可能性もあると考えましたので念のため説明することにします。
 原理講論によれば、人類始祖であるアダムとエバが堕落したのはどの成長段階だったのかはご存知だと思います。
そうです、未完成期なのです。
いわゆる思春期です。
それでは「御子女様」である孝進氏や国進氏、恩進氏そして仁進氏が異性問題を犯したり、不倫出産、離婚などの「不祥事」を犯したのはどの成長段階だったのですか?
 原理的には、個性完成して初めて結婚が可能となり、家庭を持つことができるとされているのです。
 つまり、既に原理講論に書かれた「未完成期間」を過ぎているのです。
 原理的には未完成期に「戒め」を守り、完成した後に結婚が許される訳でして、家庭をすでに形成しているということは 当然、完成期に達していなければならないのです。
 それがアダムとエバが堕落しなかったならば、地上天国がその時に実現されたという意味なのです。

 もし、「御子女様」が「個性完成」段階に達せず、未完成期に家庭をもったとするならば、それは原理講論の記述と矛盾するのです。
 それは「未完成期」に「取って食べた」ということで、アダムとエバの「肉的堕落」と何ら変わりなくなってしまうのです。
 原理的に考えれば、「原罪」がないはずの「御子女様」が家庭的四位基台を造成した後に「不倫の性」の問題を起こすことなど理論上あってはならないのです。
 もし、それが起こってしまったならば、それは「原理講論の三大祝福論」「文氏は原罪のないメシア」「御子女様が個性完成して神を中心として結婚した」の内の少なくてもどれか一つは、間違っていたことになるのです。

 従って「原罪のなかったアダムとエバも自分の責任分担を果たせず、堕落してしまったのだから御子女様もそうなる可能性はあるでしょう。」などとは原理講論を読んだ人が口にする言葉ではないのです。
 「御子女様もそうなる可能性はある」のは家庭を持つ以前の未完成期においてであって、原理的には第一祝福を全うして、家庭を持った後においてはあってはならないのです。
 そうならないとしたら、統一原理は根本から崩れてしまうのです。

 そのようなことを統一教会幹部で話す人が確かにいるのですが、それは矛盾をわかってて見え透いた嘘をついているのです。
 矛盾を認めてしまうと自分達の公職者としての‘宗教職’が失われてしまう為に決して矛盾を認めることなどできないのです。
 しかし、幸いなことに、統一食口達は「清平教」に心酔していて、原理講論など忘れてしまっていると高をくくってデタラメなことを話しているのです。
 教会の外部にいる米本さんでさえとっくに見抜いていることで、統一食口が聖書を読んでいないことも、基本的な経典である原理講論をよく読んでいないことも教会幹部はよくわかっているのです。
 だから私も信仰的な桜子さんは冗談でそのようにコメントしたのだと思ったのです。
 しかし、冗談ではないとしたら ちょっと、ヤバイので一応返答することにしたのです。

 また「実子より食口を愛さざるを得ない世界があった」というのはあまりにも現実離れしていて返答のしようがありません。
 恩進氏と顕進氏がソウルオリンピックの馬術競技に代表選手として参加したのは有名ですが、そのような馬術を修得するまでに、どれぐらいのお金が必要かご存知なのですか?
 子供を塾に通わせるのとは訳が違うのですよ。
 そして、「御子女様」の中には何人もハーバード大学を卒業された方がおられますが、それとて決して安い学費ではなく、今の貧乏食口の中で、二世に対してそれができる祝福家庭が果たして存在するのでしょうか。
 「外的には愛せたけれども、内的には愛することはできなかった」などと言う中途半端な屁理屈が、「実子より食口を愛さざるを得ない」と攻撃してくる「サタン」に通用するとでも思っているのですか?
 そんな屁理屈は「蕩減復帰原理」とは全く無関係なのです。

 統一教会員の問題点は‘統一原理’ときちんと向き合っていないことだと思います。
 きちんと向き合っていれば、現在の統一教会組織が行っている矛盾した活動に黙って従うこともなかったであろうし、教義に間違いがあれば、決してそのままにはできないはずです。
 やはり、朝鮮型儒教の伝統が統一食口の体質であって、文明社会を築いたキリスト教とは根本的に違うものになってしまったと考える以外にないです。

Re: 桜子さんの疑問に一言

 神々の黄昏さんの姿勢は真摯で誠実ですねえ。感心いたしました。

 ぼくも桜子さんの「実子より食口を愛さざるを得ない世界があった」には眉をひそめてしまったけど、スルーしてしまいました。

 しかし、この態度は桜子さんに不誠実な態度だと思い直し、若干、書いておきます。

 統一原理のことはまったく門外漢なのですが、現実を見れば「実子より食口を愛さざるを得ない世界があった」なんて、デタラメもいいとこです。
 なにわのあわれさんの投稿を読めばわかるはずです。
 文鮮明氏は「食口なんぞ愛していなかった」。それは現実をみれば明らかでしょう。日本食口の自己破産などにみられる疲弊ぶり。韓国の日本人女性食口の惨状。彼にとっては日本の食口がもっている金にしか興味がなかったといってもいいでしょうね。

 文鮮明氏の何かしらの能力が話題になっていましたが、彼の能力は「食口なんぞ愛していなかった」のに、食口たちに「実子より食口を愛さざるを得ない世界があった」と思わせる力でしょうね。


「真のご家庭の不祥事といっても原罪のなかったアダムとエバも自分の責任分担を果たせず、堕落してしまったのだから御子女様もそうなる可能性はあるでしょう」
 これも現実をみれば全くナンセンスです。

 文家の子供たちは、マッチングと称して、好きでもない、というより皮膚感覚さえ合わない相手と結婚させられた。
 当然、破綻するに決まっている。

 最近、仁進さんとベン君の仲むつまじい動画を見て腹が立ったことがあるけど、でもある面ではようやくマッチング結婚の縛りから解放されたということだと思います。仁進さんの元夫も最近では日本のかなり若き2世と懇ろになっていると批判されていたけど、でも、これもマッチング結婚からの呪縛、精神の解放と見ることもできます。ドラッグからも解放されたのかもしれません。

 文王族とその臣民からすれば、不祥事には違いないでしょうが、文家の子供たちにとって離婚・再婚は縛りからの解放でもあったのだと思うのです。

仕事も家庭もダメな社会人崩れレベル

私も「実子より食口を愛さざるを得ない世界があった」というのには、うなずけません。教会内ではしばしばそう言われていますが、これは後付けの理屈にしか聞こえていませんでしたし、親としての責任放棄の正当化にしか感じていませんでした。

世の中でも、妻に離婚され、子供にも見捨てられた男が、「おれは仕事ばかりで、家庭のことを全然かまってやれなかった」と後悔することがしばしばあります。これと何ら変わりません。

確かに仕事は大切ですが、仕事だけ熱心にしていたからといって、妻や子供は愛せないものです。仕事と家庭のバランスを取って、うまく折り合いを付けて、両方の責任を果たすのが、普通の社会人です。

「実子より食口を愛さざるを得ない世界があった」と言っているようでは、普通の社会人以下でしょう。しかも、実子もめちゃくちゃ、食口もめちゃくちゃというのが客観的な事実なのですから、「仕事も家庭もダメな社会人崩れ」というレベルではないでしょうか。

日本統一教会  ピガルム講義ノート

ついでにHowwellサイトの最近の記事の紹介します。
記事タイトル:文氏は最初の36双全てのカップルの妻と性儀式を行った。
1991年 日本統一教会  ピガルム講義ノート 改訂版
統一教会公式修練会: 講師は、広義昭、佐野邦雄および白井康友の各氏。
1day 修練会が、1991年夏から1992年の春にかけて、東京近郊(宮崎台修練所で300人が参加))と、その他の都市約4カ所で開かれた。
これらは書籍『6マリヤの悲劇』の出版に先んじて行われた。
この修練会に参列した後、多くの統一教会員が教会を去ることを決めた。
それからこの修練会は終了された。

この3ページの覚え書きは修練会で参加者の1人がタイプしたもの。今回英語版には他の場所の修練会に参加した別の3人の手書きのノートの内容が補足されている(改訂版)。
このページの最後のほうに広講師の講義ノートの日本語オリジナル版が載っています。
http://howwelldoyouknowyourmoon.tumblr.com/post/88801896193/moon-had-sex-ceremonies-with-the-wives-of-all-the-first

ピガルム(「ピ」=血統、「ガルム」=分離 の意味)、統一教会風に云えば“血統転換”、迷信でした。さやうなら。

ピガルム講義ノート

翔子さん、
血わけに関するHowwell英語サイトの記事紹介、ありがとうございます。

>この修練会に参列した後、多くの統一教会員が教会を去ることを決めた。 それからこの修練会は終了された。

血わけは朝鮮・韓国シャーマニズムの産物ですから、やはり日本人には肌が合わないんでしょうね。血わけがあったと確信した後も文先生はメシアだと断言する日本人は(最高幹部以外は?)まれでしょう。古い韓国人たち、特に韓国男性は血わけ思想を受け入れる素養が十分あったので、文先生は彼らを幹部にせざるをえなかったわけでしょう。何と言っても本音を出しても受け入れてくれる人たちですから。同時に韓国人幹部の多くは自分が小シャーマンなので、問題もたくさん起してくれました。

佐野講師は現役だと思いますが、広講師が後に第4イスラエルの方に行かれたというのは、血わけにつまずいたといことが一つの要因でしょうか。

本題にもどりますが、とにかく血わけは事実だったし、36家庭が皆それを受けて最初の祝福家庭になったというのも事実でしょう。なにせ、「聖酒」は36家庭の時には存在しなかった、後で創案された、というのですから!

自分の良心に宿る神様

神々の黄昏さんに最初に申し上げておきますが、きっとご存知だけど取り繕ってか嫌味で仰ったと思うけど、先ず私は信仰的ではありません。

確かにご指摘はもっともだとも感じました。しかしいつ何を持って御子女様は責任分担を全うされ祝福を受けられたのでしょうか?私達も責任分担を果たして祝福を受けれたのではなく、条件祝福であったわけでしょう?
完成した立場で祝福を受けておられればあのような問題は絶対に起きなかったはずです。 だから「御子女様が個性完成して神を中心として結婚した」のは、間違っていたと思いますよ。

そもそも神々の黄昏さんの原理講論に対する思い入れは深いようですが、あれは劉孝元先生が文先生のみ言を基にお体が大変な中精誠を尽くして書かれたもの故にそれが完璧でないにしろその精誠を持って文先生が認められたと聞いたので、私にとっては絶対的なものではありません。原理講論は朝鮮人の異常なまでの愛国心とプライドがベースにあり日本人にはなかなか受け入れがたいと思います。特に再臨論にある史実は疑問を感じる点も多いです。

原理講論も文先生のみ言も全て正しいと考える方が無理があるようにも感じているのですよ。ただ他の宗教や思想に完全な真理があるかといえば私の不勉強故か知らないので、統一原理も完全な真理探求までの一筋の道であると考えてます。

私にとって最も重要な事は、私が神様や先祖に導かれこの教会に縁を持ったという事です。祝福による血統第一主義も祝福の形態もどんどん変わる中、あらゆる事を想定して自分の信念を持たないといけないと感じてます。

私は神々の黄昏さんと違い知性派でなく、感性で生きている所があり理解されづらいでしょうが、いくら頭で理解しようと人格や心情で実らないと意味がないと考えている人間です。だから統一教会の幹部が実体も伴わないのにこじつけにしか聞こえないような講義をしていると虚しくなるんですよ。

私がいつ教会を去るかは分かりませんが、私の中にある神様が与えた良心が去れというまで、神様が私をここに導いたみ心を探し求めようと思います。私も過去において家系図から復帰され先祖解怨のみで信仰されるご婦人方に葛藤した事もあり神々の黄昏さんのお気持ちも推察出来ますが、それぞれを導いた神様がおられる事は否定できない事だと今感じています。それに頭脳だけが優秀な公職者より、末端で原理がどこまでわかっているかわからないご婦人の中に神様のような深い愛情と神様への純粋な信仰を発見する時もあります。悔しいのは純粋すぎてそのような方々が利用されたり、限界が来て去っていく事です。

御子女様の苦労においてはいくら外的に恵まれていても、実の親との親密な時間がなく、常に食口や一般の人からも注目され非難される、、特に学校での虐めは壮絶だったという私達とは違う苦労があっただろうし、勿論それ以上に苦労している二世もいるでしょうが、内情も知らないのに批判できる立場ではないとも思います。私はそれ以上に苦労してないと自覚してますから。
勿論苦々しい思いは湧きますから、私の中ではまだ整理できない点もあります。
でも文御夫妻は平和活動もされていたし、「自己犠牲」を説かれ自分も周囲もそうさせてしまったのが悲しいけど、一貫性もあったようにも感じます。
文先生より自分の家庭はしっかりちゃっかり幸せにやってる幹部の方に反感持ちますよ。

私が今一番感じているのは、私という個性にある良心に出来るだけ正直に生きようという事で、そこに良い影響を与えるものは原理でもアボニムのみ言でも他の教えでも吸収して自分の心情の肥やしにしようという事です。

結局統一原理には限界があり、理論だけ追求するなら虚しくそこで得た個人の心情復帰しか自分自身に残るものはないと感じています。
その人が尽くした精誠は神もサタンも奪う事は出来ず、その人のものであるというみ言があったではないですか。
とにかく死ぬ時に後悔や恨みを持ってでなく、感謝してあの世に行きたいです。勿論人には言えないような複雑な思いも体験もありますが、それをどう消化するか模索中です。

P.S 米本さんと神々の黄昏さんには男の絆の深さを感じちゃいます。

原理的解釈

文氏の家庭に対する見方ははっきりしてます。このように教わりました。

「取って食べてはならない」戒めは人類最初の家庭のみに与えられたもの。子女たちは勝利圏を引き継ぎ、実の親からの教育を受けるので、堕落は起こりえない、という話でした。「完全蕩減」がなされた文氏の子女は、この原則からすると堕落はあり得ないことになります。文氏のもっとも偉大な功績は真の家庭をなしたことであり、これが揺るがされることはないとも。

「夜の神様」「昼の神様」の起源?

子女・二世の話がでていたので、シャーマンの霊との結婚やピガルムから生まれた子供について書かれている個所(あまりないですが)をクリスティ・ネヴァライネン著の同書から抄訳してみました。
気分転換にでもお読みください。
-----------------
p46
例えば、白系ブリヤート人のバーラクと呼ばれるシャーマンは2人の女性の霊と結婚し、そのうちの1人との間に2人の娘ができた。その上バーラクにはこの世の妻との間に2人の息子と1人の娘があった。
p47
ヒンズー・カースト社会の周辺に暮らすオリッサ地方(インド南東部)のサオラ部族の男性シャーマンが霊の妻と結婚して得た3人のすばらしい霊の息子たちは、彼の現実の家庭の息子3人と娘1人のいい霊の友達になった。
p48
サオラ族の主なシャーマンはほとんど女性である。女シャーマンは普通の女性のように、異なる家系の男と結婚し、その血統へ子どもを生むことになる。
しかしまた彼女はシャーマンの力を得るために、自分の兄弟を象徴する霊の夫と結婚する。彼(霊の夫)は彼女の前任者の生んだ霊の息子だ。前任者とは彼女のおばである。
女シャーマンは、今度は彼女の後継者(姪=兄弟の娘)と結婚する霊の息子を生むだろう。
彼女が外側の世界で生む子どもは夫の血統に行き彼女の血統からは失われてしまうが、霊の夫の子どもを生めば自身の血統の中でシャーマンの力を保っていくことができる。
-------------------引用ココまで---

シベリヤやインドのシャーマンの話で、性別は関係なく霊の配偶者との間にできる子供はみな霊のようです。牧歌的な印象を受けます。
霊の夫や息子を介在させて女シャーマン自身の血統を保ってゆく話は、やり方は違いますが、金孝南の長男が霊的に大母の養子になり、韓鶴子氏の兄弟として韓姓を名乗ったことを連想させました。
韓国のシャーマンの(霊の)子供について書かれた個所はありませんでしたが、1900年代前半の異端的神霊団体に関してはありました。以下
-------------------------
P67,68
「血統転換儀式」のピガルムや「新しい霊体を受け取る」ヨンチェは、清い血統を持った神と同格の人間が自身の神聖さを性交によって異性の他者に授け渡すことができるとの考えに基づいている。ヨンチェまたはピガルムの儀式によって生まれてくる子どもは罪をもっていないとされる。
P78,79
{イエス教会の}新しい摂理時代のために新しい血統を立てるのは、劉明花とその支持者たちの使命で、これはヨンチェまたはピガルムの儀式を通して挙行された。
韓俊明は、1932年11月平壌で声明を出した:
『ある神的存在(劉明花)に降りた神の啓示は次のとおり:
韓俊明は、1933年6月9日にある女性と結婚し、270日後の1934年3月に、昼を司る偉大な聖人Kwangjinを生むだろう;
また、朴スンゴルはある女性と結婚し、夜を司る偉大な聖人Kwangchaeを生むだろう』
(出典:ミン・ギョンべ著『朝鮮におけるキリスト教の歴史』P433 延世大学出版、ソウル、2005年)
この聖なる結婚は神によって定められたもので、この性の結合から生まれてくる子供たちは原罪がないのだ。
また平壌のパク・ウリョンの神霊団体でも、神は、誰がどのメンバーとヨンチェまたはピガルムの儀式を行わなければならないか啓示を与えていた。
-----引用ココまで------

その頃から「二世は原罪がない」と言われていたようです。ただの希望的観測で、何の根拠もない、無責任な願望でしょう。
イエス・キリストが体内に降臨しているという劉明花の啓示内容を韓俊明が発表したこの降神劇を、延世大学のミン・ギョンべ教授は、これが韓国の異端のセッ○スモチーフの始発点であり、混淫に違いないとしていますが、イメージは血分けというより、統一教会のマッチングにそっくりです。
その「昼を司る偉大な聖人……夜を司る偉大な聖人……を生むだろう」との予言によれば、1932年のこのマッチング様の祝福で生まれた子ども(二世)は、罪がないどころか昼や夜をつかさどる神的大聖人だということです。
晩年の文氏が本体論で語った「夜の神様」「昼の神様」という言葉との類似性を感じさせます。

文氏は韓俊明をよく知っていたそうです。
ーーーイエス教の李浩彬牧師、韓俊明、朴在奉牧師など、幹部たちを私はよく知っています。このような人々が、先生と本当に近かったのです。(『真の御父母様の生涯路程 1』より)

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