佐賀判決文(4)-森先生と女子大生の「秘密めいた会話」
カルト化する大学業界の人びと(15)-佐賀地裁判決文④
-判決文の目次-
主文
事由及び理由
第1・請求
第2・事案の概要
1:
2:争いがない事実等(証拠により容易に認められる事実は、末尾に証拠を掲記した。)
3:争点及び争点についての当事者の主張
第3・争点に対する判断
1:後掲の証拠及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。 (1)~(21)
2:争点(1) 3:争点(2) 4:争点(3) 5:争点(4) 6:争点(5) 7:争点(6) 8:結論
被告森と原告元学生との会話要旨
※色字が今回、アップしたところ。
裁判所が佐賀大学の違法を認めた重要な証拠(反訳)である。被告が無断で録音しなければ提出できなかったものだ。
会話文に(中略)が多々あるが、その内容は読者に想像してもらうしかない。原告にとってキモイ部分であろう。
人によっては笑いの連続、人によっては怒りの連続。個人的にいえば、私の創作漫談「熊さん、八っつあん、エイトさんを大いに語る」 より格上、事実は創作よりもはるかに面白い。
それにしても、森先生の頭の中はセックス関連のことでいっぱいのようだ。南無阿弥陀仏
(別紙)被告森と原告元学生の会話要旨
(中略)
森「まだあれか。・・・原理研やっているのか。」
元学生「いやもうCARPに入っているので,やっているというか・・・,もう私・・・。」
(中略)
森「まあいいけど。ど,ど,どんな。ずっとそれでやるんか。ま,そら,やるやらんはあなたの自由やから。」
元学生「はい。」
森「何とも言えんけど・・・。それでやるつもりなんですか。」
元学生「や,そのつもりですけど。」
森「原理教でやるんか。」
元学生「はい。」
森「一生。」
元学生「はい。」
森「勧められんな。」
元学生「ああ・・・。ふははは(笑)。」
(中略)
森「や,だから聖書の研究とかをするんだったら,それでいいんだけど。」
元学生「あ,はい。」
森「原理教だったらよくないっちゃんね・・・。聖書自体はいいと思うよ。」
元学生「うん・・・。」
森「原理教・・・,前にも言ったけど,・・・裁判・・・。」
元学生「霊感商法とかですよね。」
元学生「そうそう,裁判やったりしてるよ。」
元学生「はい。」
(中略)
森「文鮮明が自分が神だとか言っているのが正しくないって。」
元学生「神・・・神って言っているわけ・・・。え,神って言ってないですよ。」
森「まあとにかくいろいろ言っている。自分がイエスの再来だとか。」
元学生「はい。」
森「あるいはイエスは神ではないとか。」
元学生「うんうんうん。」
森「矛盾することをいろいろ言っているよ。」
元学生「イエスは神では・・・,ま,私はイエス様は神様ではないと思います。」
森「あ,そう。あなたはそう思っているの。」
元学生「はい。」
森「じゃあそれはそれでいいとして。イエスの代わりに来たみたいに言っているじゃない。」
元学生「うんうんうんうん。」
森「それはでもね。」
元学生「再臨主ってことですよね。」
森「おかしいやろ,それはだから。その・・・。」
元学生「それは,その人の・・・。」
森「信じてるの。」
元学生「はい信じてますよ。」
森「文鮮明みたいなやつが。」
元学生「はい。」
森「人間がやぞ。」
元学生「人問。」
森「人間が・・・。」
元学生「イエス様も人間じゃないですかあ,あはは(笑)。」
森「人聞が神の再来だとか,そういうこと言うのおかしいだろ。そもそも。」
元学生「や,文先生は神・・・ではないですけど。」
森「そうやろ。イエスの再来でもなんでもないよ,だから。」
元学生「何でそういうふうになるんですか。はは(笑)。」
森「わかるやん,だってあり得ないんだから。」
元学生「はい。普通の人間です。」
森「そんなこと,だから嘘を言っているわけやんか,結局,簡単に言ったら。」
元学生「嘘・・・。」
森「嘘を言ってる人を信じるのか。」
元学生「それは嘘でも本当のことでも,自分が信じようと思ったら何でもできるんじゃないですか。」
森「それは全く駄目。そんな論理,あんた,大学生になったらそんなこと駄目。」
元学生「はははは(笑)」
森「何でも信じたらそうなるんか。」
元学生「だから嘘っていう・・・。」
森「嘘なんだよ。嘘信じたらいかんで言ってるの,簡単に言ったら。」
元学生「うーん・・・。何で,先生,嘘っていうふうに・・・。」
(中略)
森「そこで,よく見ると,文鮮明が言っていることはいろいろ,矛盾もいっぱいあるし。」
元学生「うん。」
森「自分が再臨主だとか何とか言って,あ一再び来た人間だと言っているわけやん。」
元学生「うん。」
森「立場を変えて・・・,神の使いだと言っとうやん。はっきりいうたら,な。」
元学生「うん。」
森「な。」
元学生「再臨主って言ってます。」
森「な,神の使いであるという人はな。はっきり言っていろいろこう・・・事実関係として調べてみると,いろんなことやってるわけやん。」
(中略)
森「集団結婚を,じゃあ,あなたどう説明する。」
元学生「だって,尊敬する人に人・・・相手を選んでもらうっていうのは,おかしいことですか。」
森「あなた自身が,心の中に良心を持っているって言った・・・言ったろ。」
元学生「はい。」
森「同じように人を愛する心があるやろ。」
元学生「うん。」
森「自分が好きな人と結婚できないっていうことになるわけやぞ。」
元学生「だか'ら・・・。」
森「それはさあ,はっきり言って,尊敬しようがしまいが。」
元学生「うん。」
森「その人にあなた自身の愛情を奪われていることやん。決めてもらうわけやろ,自分の相手を。」
元学生「うん。」
森「あなたどう思う,それ。」
元学生「いや,いいと思います。」
森「そこがおかしいやろ,だから。どうそれを合理化できる。」
元学生「だ・・・,原理では,やっぱり,そういう結婚って自分のための結婚だけじゃないじゃないですか。」
(中略)
森「原理教はどうや・・・,突然与えられるわけやん,人から。全然知りもせん。その人をいずれあなたたち愛せるようになるだろうと。そんなこと普通考えられないって。人間生活の中で。」
元学生「普通ではない・・・。」
森「それははっきり言って,動物の世界なんだよ。それは。犬猫が,はい,これって与えられて。犬猫とセックスするか。」
元学生「もう・・・(苦笑)。」
森「犬猫になりたいか。」
元学生「いや,そういうふうには思いませんけど。」
森「そういう世界なんだよ,まさに原理教の世界は。俺はそう思う。」
元学生「うん・・・,それは先生の考えじゃないですか。」
森「じゃあ,他の人に聞いてみ。じゃあ先生がこう言っているって。」
元学生「うん。」
森「あなたはどう思いますかつて,突然,自分の旦那が与えられて,自分はそれを受け入れて,愛情だと。」
元学生「じゃあ,うちの親に聞いてみます・・・。」
森「聞いてごらん,だから言いたいんだよ,あなたの親・・・会いたいんだよ,あなたの親たちに。あんたたちはおかしい結婚をしたんだよって。」
元学生「いやあ(苦笑)。」
森「おかしい結婚だろうがそんなもの。」
元学生「そんなこと・・・。」
森「そんな結婚は,はっきり言って犬猫の結婚だよ。」
元学生「うーん。」
森「セックスはできるさ誰だって。セックスだけが結婚なのか。」
元学生「いや,それは,そんなわけないじゃないですか。」
「セックスをしてあなたが生まれているわけ。」
元学生「や,そりゃそうですよ,みんな。」
(中略)
「あなたに,そんな生活せん方が・・・,お父さん,お母さんみたいな生き方はしない方がいいよと。だからあなたがそういう生活したいって言うなら,そら仕方ないさ。」
元学生「はい。」
森「そういう犬猫の生活すればいいさ,それはそれで。」
元学生「犬猫っていうのはちょっと。」
森「俺は犬猫としか思わんよ,はっきり言って。」
元学生「ああ思うのは自由ですけど。」
森「だからそういう生活をして欲しくないから言ってる。」
元学生「うーん。」
森「与えられて,まあようするに犬猫がメスが来るとパッと来るのと同じゃん。男が与えられて,セックスして,はい子供ができてとそれと同じやん。何ら愛情もないのに。そこに何の愛情もないやろうもん,だって。それでセックスするんやぞ。どうあんた,それ,好きかどうかもわからない男に抱かれて,子供産んで,どう。」
元学生「いや,だから。」
森「ほら,答えられんやろ。」
(中略)
森「それはごうか・・・,強姦するのと一緒なんやぞ。」
元学生「いや,それは違います。」
森「相手が誰を選ぶとかあなたには決められんわけやろ,相手が勝手に文鮮明の指名だからといって,あなたの所に来て,あなたを犯すわけゃん。」
元学生「それは・・・。」
森「そうやろうもん。」
元学生「先生がそういうふうに考えているだけで・・・。」
森「いやいや,どう考えたって。」
元学生「じゃないですか・・・(笑)。」
森「そうとしか言えないじゃん,・・・じゃなくて。」
元学生「あーん・・・。」
森「そういう人生を送るったい。あんたがもしそのままいけば。犬猫の暮らしになるったい。」
元学生「いや,犬猫にはなりません,ふふ(笑)。」
森「じゃあ,やめるべきゃん。原理教なんて。」
元学生「何でですかあ(笑)。」
(中略)
元学生「ふ,ふ,ふ。じゃあ,結局先生はどういうふうにしたいんですか(笑)。」
森「はっきり言ってあなたをやめさせるべきだと思ってる,原理教から。お父さん,お母さんに必要だったら会うよ。」
元学生「は。」
森「会うよ,必要なら会う。」
元学生「ああ会いますか(笑)。」
森「お父さんお母さんに,同じこと言うよ。あなたたちは,犬猫の暮らしだって言うよ,はっきり」
元学生「や,それ,先生ひどいですよ。」
森「ひどくないよ。誰が見てもそうだもん。」
元学生「もう,それ訴えられますよ,ほほほ(笑)。」
(中略)
森「ノーが言えないということは,あなたが完全に,文鮮明の言うままになっているということやん。」
元学生「うん。」
森「そうやろ,間違いないやろ。」
元学生「それでもいいんじゃないですか。」
森「だからそこまで行くと,あなたは自由をなくしてる奴隷だよ。」
元学生「いやあ(笑)。」
森「犬猫だよ。だから犬猫だって言ってるのはそこたい,奴隷なんだよ。」
元学生「いやあ,私,自由意思ありますし。」
森「だから,そこで何で自由意思を放棄するんだということや。」
元学生「放棄しているわけじゃ,-・・選択の自由あるじゃないですか。そっちに行くって言ったら,それも自由じゃないですか,自分の。」
森「そんなこと言つてない,自分が与えられるような結婚をそのまま受け入れなきゃならないなんて,そういう教義があること自体が邪教の証拠なんだよ。それは。」
元学生「うーん。」
森「どこにそんな宗教がある,ほかにないよ,そんな宗教,どこ見たって。」
元学生「うーん。」
森「犬猫の教えなんだよ。駄目なんだよ,だからそれは・・・。やめなさいって言うのはそこったい。」
元学生「じゃあ,ちょっともう一回考えてみます。」
森「よく考えてごらん。俺の言ったこと。本当。言っとくけどね,人間は自由にならないといけないんだって,宗教を通じて,宗教は人間のためにあるんだから,文鮮明のためにあるんじゃないんだよ。」
(中略)
森「一歩外に出るとわかるったい,それが。一歩外に出ると。ところが,中におる限り,なかなかわからんたい,それが。別にあんたをなんか俺が変なふうにしようと思っているんじゃなくて,誰が見たっておかしいと言っている原理教の集団結婚とかそういうところから逃れさせようと思っているわけだから,少なくとも自分の意思でな,選んで相手を,与えられるんじゃなくて,選んで,この人だと思う人と結婚して幸せになんなさいと言ってるんだよ,俺は。」
(中略)
森「自分自身を大事にしなけりゃだめなんよ,文鮮明を大事にしてどうする。」
元学生「自分自身のために,そういうふうに入っているんですよ。」
(中略)
森「そうじゃない,誰が見てもおかしなことを俺は絶対おかしいと言う。誰が何と言っても。世界中の人が正しいといっても俺はおかしいって言う。」
元学生「それは,先生がおかしいって言うのはわかりました。もう,十分。」
森「だから,あなたのお父さんとお母さんにも会って,せめて娘の人生のためにそういう・・・やめさせてほしいと。」
(中略)
森「自分の精神が損なわれるような宗教はやめろって言ってるんだ。」
(中略)
森「それは最終的に損なわれる。そういう宗教に走っていると。」
元学生「うーん。」
森「宗教全般が悪いんじゃなくて,原理教,統一教の中で,そういった,いわゆる宗教的な儀式として結婚するやろ。」
元学生「うーん。」
森「するやろ,そのこと自体が間違っているって言っているんだよ,特別,神聖なものじゃないんだって。結婚は。あなたはそこ・・・何か知らんけど,幻想を持っているんよ。そこにそういうものじゃないんだって。」
元学生「そんなの人の勝手じゃないですかあ(笑)。」
(中略)
森「原理教をやめてって言ってる。」
元学生「いややめません。」
森「いや,だからやめないのはあなたの自由だから。」
元学生「はい。」
森「それはあなたが判断すればいいんだけど,それはね,最終的に泣くよ,これは別に脅しとかじゃなくて,そうなるよ。」
(中略)
森「教授会で言ってるさ,みんな。はは(笑)そういう変な宗教から抜け出すように学生指導してくれと。」
元学生「うん。」
森「みんなに言ってる・・・。俺はどう思って・・・,どう考えても,原理教なんて邪教だから,それはやめた方がいいと。で,あなたに言ってるわけ。」
(中略)
森「まあ,やるかやらんかあなたの自由やけど,問題は,あなた自身の問題だから。」
(中略)
元学生「いやあ,もう,ほっといてください,はははは(笑)、」
森「必ず何か悪いことがある。」
元学生「もう必ず悪いことがあったら先生に連絡しますから。」
森「うん,してくれ。」
(中略)
森「苦しんでないけど,精神的にあんた結局奴隷になるわけだから。」
元学生「もう,それ,考えすぎですよ,先生。」
森「もっと,もっと,悲しいことなんやぞ,その・・・飯が食えんっていうだけならまだいいよ,犬猫みたいな状態になるんやぞ,精神が。」
元学生「いや,それはなりません。」
森「なる。間違いなくなる。」
元学生「だって,うちの家族なってませんもん,誰も。」
森「それはもう,犬猫になってしまったからやろうたい。」
元学生「なってないですよ。」
森「自分自身・・・。」
元学生「ひどい先生・・・。」
森「犬猫は自分自身のこと犬猫とは思わんやろが。」
元学生「そんなこと言わないでください・・・。」
森「本当だよ。」
元学生「わかりました・・・。」
森「自分のことがわからんわけや。それが本当だと思っている限り。他の人が見たら,あ,犬猫だと思うわけだ。」
元学生「は,は,は・・・、それは先生が思っているだけじゃないですかあ・・・・,もう・・・。」
森「犬猫・・・みんな思ってるよ,それは・・・。」
元学生「じゃあ,思っている人は思ってください,勝手に・・・。」
森「これはあなた自身の,まあためにと思って俺は言ってるわけよ。」
元学生「わかりました。」
森「だからもし必要なら,会いに行きたいけど,お母さん方に・・・。」
(中略)
森「一遍,外に出てみて,他の日常生活の中で他の人とも話をして,他の勉強もいっぱいして,その上でやぞ,5,6年ちゃんと勉強した上,まあ,でもうー回入りたかったらまた入ればいい,いろんな本を読んでごらん,原理教に対する批判的な本も読んでごらん,こういうの違うとか・・・。」
元学生「いや反対本,学校にもありますもん,見,見ますもん。」
森「聖書も読んでもないくせに,何を言ってるんだ,ちゃんと勉強してごらん,'聖書とか読んで。」
元学生「だって勉強する時間・・・ないんだもーん・・・。」
森「聖書から集団結婚なんて話が出てくるはずがないやん。読んでごらん。」
(中略)
森「もっと勉強しなきゃ,自分で。」
元学生「ああ・・・。」
森「自分の頭で考えて,そのうえで原理教がまだ正しいと思うなら,また帰ればいい。」
元学生「うーん。」
森「一旦,だからそこから離れてみて,外から見る,自分でも勉強してみる,その過程を経なきゃだめやね,だから親から・・・親がそうだったから,自分もそうだったじゃなくて。」
元学生「いや親にはちゃんと言われました・・・。」
(中略)
森「本当にいいと思うなら,それ・・・揺るぎない力であんたまた原理教に戻ってくる。」
元学生「確かに。」
森「そのときに初めて結婚でも何でもしたらいい。」
元学生「え。」
森「集団結婚で結婚したいんならすればいい,あとで。」
元学生「自分でも,やっぱり探してる途中でもあるし・・・。」
森「何を。」
元学生「本当に,こういうふうにすることがどうなのかとか。」
森「思ってるやろ,自分で。」
元学生「思うときもあるし。」
森「そうやろ,だから,なおさら俺が言ったようにやってごらんよ。」
元学生「わかりました。」
森「よし,わかったならよか,ははは(笑)あんたのことやけん本当にわかったかどうか,俺が言いたいことは言った。お父さん,お母さんにもし話すようなら,俺行く。」
元学生「いや,もうたぶんお父さんとお母さんはそんなこと言っても,もう一面倒くさいって言う。」
森「こういうこと先生が言ってるよって,言ってみたら。」
元学生「ふつふっふ,たぶん笑いますよ。」「じゃあもう帰っていいですか。」
森「いいよ。」
元学生「ありがとうございました。」
これは正本である。
平成26年4月25日
佐賀地方裁判所民事部
裁判所書記官 吉原香織
佐賀10-023340
-森准教授の発言をどうみるか-
法的な見方は判決文で書かれているので省略。私の疑問は、森氏が執拗に繰り返す、笑ってしまうほどにくどい「犬猫」発言をどうみればいいのだろうか-ということである。
神々の黄昏さんは、「判決2」のコメント欄(タイトルは「大学のカルト対策の危険性」)で、こう指摘していた。少々長いが、その部分を紹介する。
(引用はじめ)
今回の記事の判決文にある統一教会の結婚は「犬猫の結婚」という森准教授の発言を読んで、昔 産経新聞の中で論評された「統一教会の中にある‘エロスの収奪構造’」という内容を思い出しました。
つまり、統一教会の祝福結婚においては、個人のエロス求愛が否定され教会組織から収奪されているという意味で、そのように識者は述べていた訳ですが、別にその識者はそれをどうこう批判していたのではなく、統一教会員を強制脱会させる側が同じような論法で既に成立していた祝福結婚を否定していた矛盾を指摘して、統一教会と反対派の「エロスの収奪構造の同一性」と述べていたのです。
多分、森准教授が語っていた「犬猫の結婚」とは「エロスを収奪された結婚」という意味だったのだと思います。
(引用終わり)
実に明快な分析であろう。
しかし、正直言えば、私は森発言をすぐにはこのようには理解できなかった。
その理由を考えるに、森発言にエロスの匂いがふんぷんと漂ってくるからだった。根拠なき偏見ではない。森氏が女学生に求愛していたという事実があるからだ。原告の希望によって、2人のメール文は削除したが、そこには露骨なというかストレートな求愛の表現がいくつかあった。今回の発言でも、
「相手が誰を選ぶとかあなたには決められんわけやろ,相手が勝手に文鮮明の指名だからといって,あなたの所に来て,あなたを犯すわけゃん。」
これは、文指名結婚という教義批判ではなく、もう嫉妬そのものではないか。相手の男性を快楽のみを求める食口と、妄想している。<ああ、おまえは好きでもない見知らぬ男に抱かれるというのか>
原告が森氏に反論していれば(例えば祝福結婚は神を中心とした真の家庭を築くためとか)、森氏の言いたかったことがよりはっきりしたと思うが、森准教授が自分を求愛している年配の指導教官ということもあって、笑って聞き流すだけにしている。そのため、他に言葉が見つからなかったのか森氏は犬猫表現を繰り返すばかり。それゆえ、わかりにくいのだ。
さらに言えば、「犬猫結婚」を森氏がどういう意味で使っているのかよく理解できなかった。
犬猫、動物の結婚で「犯す」とか「強姦」といった言葉が比喩としても登場することはないし、相手が異性であれば誰彼構わずセックス(交尾、生殖行為)するわけではない。メスは強いオスを求め、弱いオスを相手にしない(繁殖能力の強弱)。
また、長年猫を飼ってきた経験から言うと、“猫の結婚”が成立するには相性のようなものもプラスされるみたいだ。
とまあこんなわけで、私は森発言に戸惑ったわけだが、変数を取り除けば、結局のところ神々の黄昏さんの「エロスの収奪」という指摘は間違いなく、結論も「判決文3」(タイトル「根拠が曖昧な”カルト対策”」のコメント」)は的を射ている。(ご教示感謝でした)
(引用はじめ)
判決文における森准教授の発言においては 統一教会の結婚方式に対する「犬猫の結婚」という罵倒した言葉が問題となっており、今までの統一教会においては文先生による「祝福結婚」は統一教会における“宗教的救済”の中核であり、「血統転換」教義の重要な“儀式”だったわけですから、確かに「名誉感情を侵害した」ことになります。
それは、統一教会による「祝福結婚」が真に人間を“救済”できるかどうかとは別問題であり、そのような信仰を侮辱したことにおいて充分に問題があるのであり、間違いなく法に触れてしまったのです。
(引用終わり)
興味深い記事だと思われた方は↓

にほんブログ村 をクリック!
- 関連記事
-
- 速報! 女子学生への「信仰の自由」侵害事件、福岡高裁も佐賀大学に損害賠償命令 (2015/04/20)
- 判決をねじ曲げる反カルト弁護士 (2014/05/31)
- 佐賀判決文(4)-森先生と女子大生の「秘密めいた会話」 (2014/05/26)
- 佐賀判決文(3)-国家賠償法を適用! (2014/05/21)
- 佐賀判決文(2)-アカハラ・パワハラをともなう大学の“カルト対策” (2014/05/18)
- 佐賀判決文(1)-女子大生に脱会を迫るのは公権力の行使か否か- (2014/05/15)
- 緊急ニュース-カープ狩りの佐賀大学敗訴! (2014/04/25)
- 大学キャンパスに憲法の風は吹いたのか。 (2012/07/28)
- 日本の国立大学は「憲法番外地」 (2012/07/22)
- [2014/05/26 21:24]
- “カルト”化する大学業界の人びと |
- トラックバック(0) |
- コメント(23)
- TOP ▲
コメント
人生イロエロ
私、今回のブログの内容を読みまして、ある食口の女性を思い出しました。
彼女はね、その昔、結婚直前まで行った婚約者(既に、新居に入れる家具まで二人で見に行っていた。)を振って、統一教会に入教した女性でした。原理を聞いて、このまま結婚したら「霊界に行った後、彼に恨まれる。」(彼女、談)と思ったからだそうですわ。
そして、祝福を受け、食口の男性と家庭を築きました。ところが、夫が若くして病死。数人の子供を抱え、彼女は未亡人になってしまいました。
本当に気の毒な話なんですが、ここから、「ん?」な彼女の行動が始まります。
夫を喪った彼女、FBを使い、元婚約者の男性を探し出し、二人して久々に涙の再会を果たしたのです。
まあね、二人がお互いに独身だったら問題ないんでしょうけどね。男性が妻子持ちだったら、どうなんでしょうか。奥さんは嫌でしょうね。新興宗教に走って、無情にも落ち度のない彼を一度は捨てた元カノが、夫が亡くなったからって、自分の夫に今更コナかけてきたりしたら。たとえ不倫(肉体関係、アリ)にならなかったとしてもね。
この話を人伝てに聞いた私。かつて、彼女が私たち若き修練生たちの目の前で、自分の「婚約破棄劇」を得々と語っていた姿を思い出しました。
この元婚約者の男性、彼女が祝福を受けた後、彼女の実家に電話して、「○○さんは、祝福を受けられたんでしょうか。」と聞いてきたそうです。電話に出た彼女のお母様から、「受けました。」と聞いて、「そうですか。」と答えた、という件りで、不覚にも私、その男性が可哀想で、涙が出そうになったものです。
まぁね。彼女からしたら、自分は原理を聞き、それを受け入れると決意した以上、この世(非原理)の男性と結婚するわけには行かなくなった、という心情は、理解できますよ。
でもね。何故か、その男性を復帰するために力を尽くしたけど、ダメだった、っていう努力談が無かったんです。だから、私には、こんなに苦労して愛する男性を忘れる努力をし、原理に生涯を捧げようとした自分、すごいじゃん、って自己陶酔してるように思えたんですの。
更に、意地の悪い見方をしていた修練生の中にはね。婚約者をもし復帰したら、別の誰かと自分の目の前で祝福されてしまう。それを見るのが嫌だったんじゃないの?とか、言ってましたっけ。ええ、女性同士って、きょわいんですのよ。
彼女のような人は、「エロス」を捨てて、「アガペー」を選んだ。とでも言うんでしょうか。まあ、統一教会の祝福結婚制度が即アガペーだと言いたいわけでもないんですけど。
少なくともその昔、エデンの園で、アダムとエバが、蛇と三つ巴でエロエロ状態に陥ったがために、人類歴史が狂った、と統一教会は教えているわけですから、教会がエロスよりも先にアガペーを体得せよ、って言っている、と解釈してもおかしくありませんよね。
ちなみに彼女の話を聞いていた私たち修練生はですね。実は、みんな若すぎて(ほとんどが、ティーンエイジャー)、申し訳ないことにあまり感動出来なかったんです。そんな、結婚まで行くような恋愛、受験戦争を戦ってから間もない私たちには、無縁だったからです。
統一教会の祝福結婚が、「エロスの収奪」(すごいわねこの言葉。ってか、こんな言葉、覚えてる方もすごいと思います。)だとすれば、私なんかは自分の実家がもう散々だったもので、とても恋愛する気にはなれませんでした。ですから、自分の父母から「エロスを収奪」された状態?で、統一教会に来た、と言えるかもしれません。
私はエロス(エロスって性愛って意味でいいのよね?)を否定するものではありませんが、最近このエロスの故に人生が崩壊した、という人を周りでよく見かけるようになったため、エロスにあまり重きを置くのは、コワイ、と思うようになりました。アガペーでは人間性や人間関係が崩壊することはありませんが、エロスにはその可能性が大いにあるって思います。
ところで、森センセ。たとえ原告の彼女が若くてかわゆかったからかもしれないとはいえ、この発言の数々は、セクハラそのものやん。って感じるのは、私だけではないと思います。もし、統一教会が関係してなくても、セクハラってことだけで、十分に大学側から処分されるような内容では?
原告が森センセとの会話を秘密録音(合法なはずです。)したとすれば、もう普段から森センセがこんなツッコミどころ満載な発言を、彼女にしてたというのは想像に固くありません。しかも、准がつくとはいえ教授。一介の学生では、「おまい、キモいわ」などと、面と向かって抗議出来る訳もなく、提訴に踏み切ったという勇気は本当に賞賛に値します。(みんなほんま、すごいわ。)
尚、統一教会の祝福による結婚は、あくまでも、この世で婚姻届を出して成立しているものであり、統一国、などという国名で結婚証明書を発行し、独自に結婚制度を作っているというものではありません。日本において婚姻届を出したならば、日本国が認めた結婚ということになるため、決して犬猫の結婚とはなりえません。
そして、結婚した二人の性関係は国家によって互いにその権利を保証されます。ですから、不倫は民法上の不法行為とされ、不倫された側に損害賠償を請求する権利が生じるのです。つまり、夫婦は国家によってそのエロスを保証されている、と言って良いかと思います。
祝福家庭の皆様は、祝福という結婚の方式を選択し、それを国家に届け出て、夫婦となったならば、エロスは是非夫婦の間で実現しませう。それは誰にも妨げられることのない、永久不滅の権利です。夫婦という関係性の中であれば、エロスがアガペーに転換しうるのです。まかり間違っても、婚姻関係を解消しない間に、他の男女とエロエロ関係になってはいけません。もし、そうなりたければ、現在の婚姻関係を速やかに解消し、国家の保証を外してからにいたしましょう
ん?余計なお世話や、って?ほんま、そうやわ。
で。いまさらですが、森センセ。独身ですよね。
佐賀判決文(4)-森先生と女子大生の「秘密めいた会話」
学舎長なら原理的に説明を出来ないと話にならない。
この人はまともな原理講義も出来ないだろう。
今の原研はこんな人材しかいないのか?
そっちこそ犬猫たい!
自分が選んだ相手とする結婚=正しい結婚
自分が選んだ相手とのセ〇〇ス=正しい性
B
他人が選んだ相手との結婚=犬猫の結婚
他人が選んだ相手とのセ〇〇ス=〇姦
分かりやすい二分法ですね。
エロス全開で、好きな相手を探し、結婚し、セ〇〇スする―。
森准教授はこういうのを人間らしい、正しい結婚・男女関係だと思っているようですね。
でも、私には、むしろ、こっちのほうこそ、犬猫の結婚に近いように思えます。
犬猫は、エロスを抑えることなく、発情するままに相手に関係を迫り、交尾し、結果的に子供を作る。
相手を思いやる気持ちなど皆無で、自分のエロス、本能を先立てる。生涯、その相手と連れ添おうとは思ってないし、子供のことも考えていない。
人間にも、自分が好きだと思う相手にアプローチし、結婚という「国家の保証する権利」(黒い羊さんのコメントをヒントに)を獲得すれば、こっちのもんだと考える人がいる。これは、言い換えれば、エロス至上主義婚だ。
統一教会の結婚は、結婚前および結婚後の純潔を守り、伴侶に対する永遠の愛を誓ってから始める、極めて健全な結婚だ。
まず相手を兄弟姉妹として尊ぶという思想が根底にある。
他の霊長類には決して真似のできない、人間ゆえにできる結婚だ。
エロスを至上のものと考え、ゼミの女子大生を品定めし、好みの子に対しては、スキあらば自分のものにしてやろうと手ぐすねを引く森准教授には、想像もできない結婚かもしれない。(赤ずきんちゃん、気を付けて)
森准教授には「エロス至上主義国の中におる限り,なかなかわからんたい」。森准教授の女性観、恋愛観、結婚観は「もう,犬猫になってしまった」みたいですから。
それにしても、森准教授の人権蹂躙(思想・信条の自由の侵害)はひどすぎる。
「やめるべきゃん。原理教なんて」
「あなたをやめさせるべきだと思ってる」
「やめなさい」
「やめろって言ってるんだ」
ここまで言われて、黙っていられますか!?
私なんか、テープの掘り起し文を読んだだけで、怒り心頭ですよ。
録音してまでして告発した女子大生に、心から感謝とエールを送りたい。
本来のエロスという問題
さらには「教授会で言ってるさ,みんな。はは(笑)そういう変な宗教から抜け出すように学生指導してくれと。」と森准教授が発言した事実からも、「大学の“カルト対策”」がそのような‘信教の自由を侵害する違法行為’の動機となっていたことが明らかになったと言えます。
その発言を録音した証拠があるだけに、法的な判断は大きく変わることはないでしょう。
その証拠となる森准教授の発言に対して<森氏が執拗に繰り返す、笑ってしまうほどにくどい「犬猫」発言をどうみればいいのだろうか>と米本さんが疑問を呈したことには、確かに頷ける理由があります。
裁判官は、宗教的理由で行う結婚を家畜がする行為であるかのように侮辱して発言したことを問題視して「名誉感情を侵害したもの」と認定したわけですが、米本さんが指摘されたように「犬猫の結婚」は実のところそれ程単純ではないようです。
米本さんが書かれたように 犬猫であってもその「結婚」には自然の節理があり、異性に対したならばセイ欲のままに相手を選ぶこともなく生殖行為を行うという訳では決してないのですから、統一教会の指名結婚の何をもって「犬猫の結婚」と例えたのかはわかり辛くなってしまいます。
家畜においても「結婚」は自然の節理に基づく選択が行われて成立するわけですから、「犬猫の結婚」が「自分が与えられるような結婚をそのまま受け入れなきゃならないなんて,…」と森准教授が説明している通りではないのが真実です。
しかし動物の「結婚」が‘繁殖’以外の要素を目的としないのは真実と思われ、森准教授は繁殖目的としてしか意味を持たない「結婚」を「犬猫の結婚」と例えたように読み取る以外にないと思われます。
森准教授は‘愛情を動機とした自由意志による結婚’を‘人間本来の結婚’と捉え、そのような結婚によらなければ幸福にはなれないし、それが「最終的に泣く」ようなことのない結婚なのだと元学生に納得させようとした訳なのですが、まさに統一教会の指名結婚こそ その‘人間本来の結婚’から‘愛情’と‘自由’を奪った人間性が喪失した‘繁殖だけが目的’の結婚であると罵っていることになります。
また一方で森准教授は「統一教の中で,そういった,いわゆる宗教的な儀式として結婚するやろ。」と語っていて、「幻想を持っているんよ」と諭している訳なのですが、確かに統一教会の結婚方式には純粋な意味での批判がなされてもしかたがない部分があるのも事実です。
勿論‘批判’が転じて‘棄教説得’となっては問題が起こるのですが、批判する言論は事実に沿っていれば自由であり、正当な批判は活発になされて然るべきです。
統一教会においてなされてきた‘教祖による指名結婚’が‘エロスの収奪行為’だったのは その教義から考えても間違いありません。
つまり、「人類始祖の堕落」を‘未完成期における性行為’と統一原理は解釈している訳であり、統一原理の特に‘蕩減復帰原理’の観点からは 人格的な未完成期においては性行為が厳格に戒められねばならない理由が生まれ、その動機となるエロス求愛は完全否定されることになります。
統一教会が推進する‘純潔運動’とはそのような宗教思想を背景としており、統一教会の教義でも核心部分にあたるものです。
しかし、統一教会においてはエロスそのものを完全に否定しているわけではなく、祝福結婚を経て家庭をつくる段階では、それが神を中心とした形で実現されると考えており、その祝福結婚の中では肯定されるものと考えているのです。
ただ、‘教祖による指名結婚’は教義としては絶対的なものとして明記されておらず、‘より理想的な結婚選択’と教会員が信仰していると言ったほうが正しくなります。
しかし、以前の時代では 文先生のマッチングを経なければ未婚者は‘祝福結婚’は許可されなかったわけですから 過去には事実上指名結婚が絶対化されていたのも間違いありません。
しかし、その指名結婚に関しては絶対否定も絶対肯定もできないというのが正直な感想です。
現にその指名結婚による相手と関係がうまく行かず、信仰を失って教会から離れた例も多く耳にしますし、結婚してからも葛藤が絶えない例も多いようです。
その悪い典型的な例は、前にもコメントした文国進氏や文仁進氏、そしてその他の離婚した「真の家庭」の人々の実例なのですが、そのような事実を正視するならば指名結婚を神が理想とする結婚であると説いても何の説得力もありません。
結局、祝福結婚によって幸福を獲得したと満足している家庭が数多くあったとしても、‘成功することもあれば失敗することもある’不確定な評価しかできない結婚方式という結論になってしまいます。
以前、コメント投稿したことがあるのですが、たとえ聖書の世界観を受け入れ、さらに人類始祖の堕落は未完成期における性的行為であったと認めたとしても、統一原理の中にある「人類始祖の堕落によって人間はサタンの血統となった」という理屈は明らかに間違っており、科学的にもあり得ない理論です。
したがって、血統転換理論は科学的な正当性がなく、宗教という世界でしか通用しない架空の理論ということになります。
当然ながら、宗教と科学を統合することが可能な次元の“真理”を探究するならば、欠陥理論として排除されるべきものです。
ただし、「堕落論」の全てを否定し切れないのも事実で、それはやはりエロス求愛の破壊的な力の大きさからくる問題が甚大であるからです。
エロス求愛を優先し過ぎて破壊的な人生を送った人の例は少なくないはずです。
現代社会においても 性倫理の退廃は決して見逃すことはできず、それが社会に深刻な影響を及ぼしていることは間違いないでしょう。
その性倫理の問題に対して根本から問題意識をもち、‘人類始祖の堕落’と関連付けて原因追究するまではよかったのですが、その結果がもたらす影響についてと、その解決方法に関しては統一教会は真理を提示することができなかったのだと思います。
私は統一教会が推進する「純潔運動」には大賛成ですし、‘アガペー’を獲得した後においての理想的結婚こそ人々が求めるべきものと信じますが、結婚以前における‘アガペー’と調和した形の‘エロス’求愛は決して完全に否定されるべきものとは考えておりません。
前のコメントで書きましたように神の愛であり、人格的愛とされる‘アガペー’を人々が獲得するのが容易ではないところに問題があり、それを獲得できた時こそ‘エロス’は神聖なものに昇華されるのだと思います。
その‘エロス’が卑猥な肉欲と重なってしまうのは、‘アガペー’の欠如による精神的秩序喪失から生じた破壊的文化の産物と考えています。
結局、‘アガペー’を如何に獲得できるかという問題がもっとも重要なことになる訳なのですが、残念ながら統一教会はその問題の解決を図ることに失敗し、新たな課題を信者に与えることになってしまったのです。
統一教会員が盛んに口にする「真の愛」ほど偽善に満ちたものはないと思っています。
韓総裁が貧困な世界の人々、貧しい末端信者を思いやることなく王侯のような生活をしながら、平然と信者に「生産性」を要求してくる姿をみて統一教会における「真の愛」を論じられるとしたら、やはり知能か良心が麻痺しているのだと思います。
統一教会は大きな岐路に立たせられているのだと思わずにはおれません。
韓国統一教会でつくられた「天一国憲法」は読めば読むほど、原理講論と乖離した矛盾した産物であり、韓国統一教会の文化レベルの低さを露呈した恥さらしの駄文でしかありません。
統一教会本体が真剣に原理講論や統一思想にある真のメッセージを理解しないならば、反対派が拉致監禁のような違法行為を起こさなくても自然と衰弱していくのは運命であり、神の摂理として行われて行くのです。
大笑い
<統一教会の結婚は、結婚前および結婚後の純潔を守り、伴侶に対する永遠の愛を誓ってから始める、極めて健全な結婚だ。
まず相手を兄弟姉妹として尊ぶという思想が根底にある。
他の霊長類には決して真似のできない、人間ゆえにできる結婚だ。>
あ~、腹がよじれて、腸ねん転!
「エロスの収奪」雑感
>私は統一教会が推進する「純潔運動」には大賛成ですし、‘アガペー’を獲得した後においての理想的結婚こそ人々が求めるべきものと信じますが、結婚以前における‘アガペー’と調和した形の‘エロス’求愛は決して完全に否定されるべきものとは考えておりません。
‘アガペー’と括弧つきではあるけど、アガペーを持ち出されています。だけど、エロスとの対比で、アガペーを持ち出されることには強い違和感を覚えます。アガペーはエロスとか性愛とは次元を異にする概念ではないでしょうか。
この脈絡でいえば、黒い羊さんの
>夫婦という関係性の中であれば、エロスがアガペーに転換しうるのです。
という考えにも、首をひねってしまいます。
それよりも、作家渡辺淳一さんの「性愛から愛(おそらく恋愛の愛)が生まれる」という指摘のほうにリアリティを感じます。
からかってごめんなさいだけど、
>統一教会においてはエロスそのものを完全に否定しているわけではなく、祝福結婚を経て家庭をつくる段階では、それが神を中心とした形で実現されると考えており、その祝福結婚の中では肯定されるものと考えているのです。
神を中心に性愛するなんて!
鳥肌が立つ。
ところで、ぼく個人の印象でしかないけど、文鮮明氏が「エロスを収奪した」のではなく、教会員も半ば自主的に「エロスを放棄した」のではないかと思っています。
いい表現が見つからないのだけど、ヤマギシ会用語でいう「放つ」がふさわしいか。
そんなに勉強したわけではないけど、文鮮明氏は結婚前の男女の性愛について、動物のような性として汚らわしいものと説いていた。
そして、結婚したら「大いにやれ」(一つの布団で夫婦は裸で寝るべし)と語る。(ファミリーで読んだ記憶がある)
実に荒っぽい印象でしかないけど、結婚式を境に「汚らわしい」から「大いにやるべし」と言われても、若い男女はロボットじゃないから、価値転換することはできない。だから、祝福家庭の夫婦関係はうまくいかないのではないかと推測しています。とりわけ、妻のほうが。
勘違いしている人が多いように思われるけど、エロス(性愛)があるのは高等動物の中でも、人間だけなのです。動物には快楽欲はなく、生殖欲しかない。だから、年に1、2回しか交わらない。
少し飛ぶのだけど、神々の黄昏さん
>エロス求愛を優先し過ぎて破壊的な人生を送った人の例は少なくないはずです。
その通りです。ただし、動物がエロス求愛して、破壊的な人生を送った例はないでしょう。問題の所在は、エロスを全面的に肯定し、なおかつ肯定されるべきエロスと理性的に対峙する。これが重要だと思っています。なかなか難しいだろうけど?
(だから、夏目漱石などが書く)
翻って、元信者の春さんからコケにされたみんなさん。
>統一教会の結婚は、結婚前および結婚後の純潔を守り、伴侶に対する永遠の愛を誓ってから始める、極めて健全な結婚だ。
まず相手を兄弟姉妹として尊ぶという思想が根底にある。
他の霊長類には決して真似のできない、人間ゆえにできる結婚だ。
みんなさんにはエロスはない?妻と交わるのは生殖のためだけ?そうじゃないとすれば、何のために交わるの?
(統一本部諸君と同じようにEDだったらゴメン。もう一つ、みんなさんが枯れていたら、メンゴだよ)
総括・エロスとか性愛とかの話になると、教会員諸君はとたんに観念論になってしまう。
補足・ある祝福家庭の夫婦でむつみごとがありました。
夫:(下のほうで)激しく興奮
妻:(上のほうから)冷徹に一言。「早く言ってね」
夫:とたんに萎える
よくある話でしたとさ。
ニュース! 幸福の科学敗訴す
デイリー東北新聞社のサイトに、
「幸福の科学に供養料など返還命令 東京地裁『解約可能』」という記事が掲載されました。
http://www.daily-tohoku.co.jp/news/shakai/20140527/2014052701002082.html
(記事の引用はじめ)
幸福の科学に供養料など返還命令 東京地裁「解約可能」
宗教法人「幸福の科学」を退会した女性4人が、「永代供養料」や「納骨壇申込金」の返還を求めた訴訟の判決で東京地裁は27日、「法律上解約が可能だ」と認め、同法人に約2300万円の支払いを命じた。
判決によると、4人は幸福の科学に入会後、納骨壇の使用料として350万~700万円を支払い、うち2人は永代供養を依頼してそれぞれ200万円を納めた。2012年、信仰心を失ったことを理由に退会した。
法人側は「受け取ったお金はお布施で、通常の委任契約と違って解約は認められない」と主張したが、宮坂昌利裁判長は「支払ったお金は、永代供養の委託や納骨壇の利用への対価であり、委任契約の性質を持っている」と指摘。民法の規定に基づき、解約は可能との判断を示した。
幸福の科学は「信仰の内容に介入し、信教の自由を侵害した判決だ。即刻控訴する」とコメントした。
(引用終わり)
清平にカイオン献金を払い、何とか取り戻せないかと思案している食口、元食口は提訴(示談交渉でもいい)を真剣に検討すべきでしょう。
幸福の科学の裁判と違ってややこしいのは、支払先が韓国の口座になっていることでしょうか。
相談するなら、日韓の法律に精通している国際派の弁護士がいいかと思います。
全国弁連の弁護士じゃあ、心もとないので。
余談になるけど、当然、幸福の科学とバトルしている藤倉さんがカルト新聞で、判決記事を紹介していると思い、http://dailycult.blogspot.jp/を、クリックしたのだけど、
幸福の科学赤っ恥!! "河野談話撤回を"と別人宅に抗議デモ
どりゃ~ん。
別にどうでもいいことでは?
以前、藤倉さんは問題意識が浅く、関心があるのは重箱の角(すみ)と指摘したことがあるけど、相変わらずですねぇ。
いずれ、「幸福の科学」敗訴の記事はアップされると思うけど、もう一つの判決記事(今年の3月)を無視することなかれ。
(引用はじめ)
文春側に謝罪広告と賠償命じる 幸福の科学総裁の記事で 東京高裁
宗教法人「幸福の科学」が週刊文春の記事で名誉を傷つけられたとして、文芸春秋側に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で東京高裁は19日、同社に400万円の支払いと、判決確定後2週間以内に誌上に謝罪広告を掲載するよう命じた。
一審東京地裁は幸福の科学側の請求を棄却していた。
問題となったのは、大川隆法総裁の女性関係に関する2012年7月19日号の記事。坂井満裁判長は、記事の内容が真実かどうか、文芸春秋側が主張、立証をしていないとして名誉毀損を認めた上で、多数の信者がいることなどから謝罪広告による名誉回復が必要だとした。
一審は「総裁についての記事が幸福の科学自体の社会的評価を侵害したとはいえない」としていたが、坂井裁判長は「総裁が絶対的な地位にあることは社会一般にも認識されており、総裁の社会的評価は幸福の科学の評価に直結する」と判断した。
文芸春秋は「著しく不当な判決だ。直ちに上告する」とコメントした。
(引用終わり)
この文春の記事は、確かトップ5頁で華々しく報じたはず。かなり裏付けある記事だと思ったけど、下半身記事が正しいと立証するのは難しいのだと思う。
宮村峻さんや高澤守さんのようにフォーカスされない限り。
佐賀判決文(4)-森先生と女子大生の「秘密めいた会話」2
元学生「人問。」
森「人聞が・・・。」
記事中の上記の箇所、漢字の間違いではないでしょうか?
エロスの件など、家庭出発後の日本女性食口が夫を分別することはよくありますね。
何のために交わるか
いい質問ですねぇ。
でも、ここでは詳しく回答できません。
一言だけ。
最近、女性が絶頂感に到達してから、男性は射○すべき、ということを学びました。
統一教会の説く性はアガペーとエロスが一体化しているようなところがあるように思います。とにかく奥が深いんですよ。
<みんなさんが枯れていたら、メンゴだよ>
枯れてなんかいられませんよ。私は、妻と交わることは究極の宗教行為だと思ってますから~。(^o^)
aさん、感謝
これからもよろしくペコリです。
みんなさんに一言申し上げたい!
と同時に、世の多くの夫婦が必ずしもみんなさん御夫妻のようにうまくゆくわけではないこと、だからといって、そういう多くの夫婦を上から目線で見据えるような態度こそ、神の悲しみを招くものである、ということを改めてご認識いただければ幸甚に存じます。
実のところ、イデオロギー面ではあんなに対立している統一教会と日本共産党ですが、こと○倫理に関しては両者間にさして大きな隔たりはありません。
きわめて厳格な一夫一婦制度を、新日本出版社ほか共産党系列の出版社の本はおしなべて強調しております。ましてや、現在の日本共産党は統一教会と同様、2世3世の時代です。既得権益を守り、革命精神を伝承するためにも、厳格な○倫理が一層内部へ向けて強化されるべき時期に入っております。
また、統一教会が指弾した、山本直英氏(故人)ら新しい性教育(統一教会のいう○教育,○器教育)を目指すグループにしましても、あの浅見定雄氏も参画したその基本的文献『統一協会 ボディコントロールの恐怖―「新純潔教育」の正体』を読むに、こんなことを明言しておりますよ。
「結婚まで純潔を守ることを意義がないなどとは私たちも思いません。ただ、今の世の中では大多数の若者が結婚前に○体験を済ませているという現状があります。この現状にきちんと向かい合わず、いたずらに純潔を強調するような『かの人びと』(統一教会を指す)の思想は、すでに○体験を済ませている若者たちへ無用の罪悪感をいだかせるだけでしょう」
統一教会さんにとって無用の敵をこのうえ増やさず、日本共産党など、統一さんの目には敵とばかり思われていた勢力の中にもひそかに同情の念を持つ人びとを増やすためにも、一般人に実行困難な○倫理をむやみに振り回すのはもうそろそろやめになさってはどうかと存じます。
まずはピュアラブキャンデーを配るのをやめ(あれっ? そういえば最近見かけなくなったな…)、
みんなさんもまた、周囲の非信徒の夫婦関係を色眼鏡や上から目線でご覧になるのをおやめになってはいかがかと愚見されます。
みんなさん、睡眠取れていますか。
どの雑誌からですか?女性自身?週刊女性?
ひょっとして奥様から?
いつも勝手にいって自己満足しているみんなさんに「あなた、~~すべきなのよ」と教わった?
指導しておくけど、理想は同時なの!
>統一教会の説く性はアガペーとエロスが一体化しているようなところがあるように思います。
思いつきで書いてるわね。
辞書的に書けば、
統一教会の説く性は「隣人愛」と「性そのものへの愛」が一体化しているようなところがあるように思います。
アガペーとかエロスなんて言葉を使わないで、ここは幸福の科学の大川隆法さまのように、「与える愛」と「奪う愛」で表現なさったほうがわかりやすいですわ。
与えて・奪い、そして・・・(真っ赤っか)
>私は、妻と交わることは究極の宗教行為だと思ってますから~。(^o^)
自宅にパソコンがなく、奥様が絶対に見ないことを前提に書いてるわね。図星でしょ。
究極の宗教行為!?
あなた、教会でも堂々と言えますか。
ヒンズー教に回心されたらいかが?それとも解脱のオウムがいいかしら?
下らないことを書くお暇があったら、マルチ販売に精を出されたらいかが?と、老婆心ながら申し上げておきますね。
またしても失点
<周囲の非信徒の夫婦関係を色眼鏡や上から目線でご覧になるのをおやめになってはいかが>(ヨッシャーさんのコメント)
いや~、手厳しいですね。そんなつもりはないのですが…。
<いつも勝手にいって自己満足しているみんなさん>
<ヒンズー教に回心されたらいかが>
<下らないことを書くお暇があったら、マルチ販売に精を出されたらいかが>(にゃん子さんのコメント)
そ、そ、そこまで言わなくても~~~。(T_T)
米本さんの質問をぶつけられ、回答しないわけにもいかず…。
やはり、○の問題はデリケートですね。
不快に思われた方々、大変失礼いたしました。
「エロスの収奪」雑感-修正
>‘アガペー’と括弧つきではあるけど、アガペーを持ち出されています。だけど、エロスとの対比で、アガペーを持ち出されることには強い違和感を覚えます。アガペーはエロスとか性愛とは次元を異にする概念ではないでしょうか。
-と書きましたが、いくつかの辞書を調べたら、すべてアガペーとエロスとは対立語となっていました。
よって、質問は撤回します。
それにしても、聖書を理解していないことを前提に言うのですが、エロスのいくつかある字義の中で「性愛」を字義とすると、どうにもわからなくなってしまいます。
性愛=男女間の性的な愛情。
つまり、相手の精神性ではなく、肉体そのものを愛することを言っていると思うのですが、その対立語がアガペーとは。どうにもストンときません。
アガペーで具体的に何を思い出すかと言えば、三浦綾子の『石狩峠』です。無私の愛、報いを全く求めない愛といえばいいのか。
個別具体的である性愛と『石狩峠』的な愛(無償の人類愛)とは、対比できる概念ではないと思うのです。
したがって、神々の黄昏さんがいう「‘アガペー’を獲得した後においての理想的結婚こそ人々が求めるべきもの」という意味が全く理解できないのです。
(追記)それにしても、森准教授には感謝しています。様々なことを考えさせてくれるからです。
米本さんの指摘に感謝
米本さんは<いくつかの辞書を調べたら、すべてアガペーとエロスとは対立語となっていました。
よって、質問は撤回します。>とコメントされましたが、私は原理的に考えた結果、逆に米本さんの指摘が正しいと思いました。
前のコメントにおいて、私はエロスについて書いた訳なのですが 神の愛、人格的な愛を意味するアガペーをそれと対比させるかたちで単純な書き方をしてしまい、観念的に過ぎるとの思いも残ったのですが、さすがに米本さんはその‘妥協’を見逃さなかったと驚いたのです。
米本さんは無宗教であるとのことですが、その人間の内面世界に対する考察の深さを改めて知らされたようで、尊敬する重いが増したのです。
今までの記事においても社会的組織としての側面で統一教会の抱える問題を事実に即して、鋭く、的確に論評されていますが、その宗教的内実を観察する力も相当なもので、宗教に無知な単なる一部外者とはとても思えないほどです。
はっきり言ってしまえば、統一教会はその本来の目的である理想世界の実現方法論において行き詰っており、その教義に至っては統一原理から文先生の講演集を基にした「天聖経」、「真の父母経」、「平和経」まで含めると その基本理念において齟齬があり、教義用語の定義さえ曖昧です。
さらにそれらの教義と‘完成実体’とされる‘真の父母様’の実行動を重ね合わせると、そこに明らかな乖離が発見され、その矛盾はとても否定し難いというのが現実なのです。
しかし、特に初期の統一教会において信者が宗教的な覚醒を経験したことは事実であり、何らかの霊的、精神的な真実が含まれている‘教え’であることも間違いないと思っています。
そこから考えますと、真理を追究し、本物の理想世界を実現することを教会員が望むならば そのような現統一教会の朝鮮型儒教要素まで含む雑多な教義に対しては取捨選択が必要であり、さらに曖昧となっている問題に対しては さらなる原理的探求が必要になってくるはずです。
そのような進歩を目指す以外統一教会が生き残る道はないと思っているのです。
以上のことを考えても米本さんの「エロス論」は非常に参考になり、コメントを撤回される必要はないと思います。
私の前のコメントにおいては エロスを神聖なものに昇華させるのに必要な相対的なものとしてアガペーという別次元の‘愛’の概念を持ち出しましたが、それに対する米本さんのご批判はご尤もなのです。
多分統一教会関係者か、あるいはキリスト教信者ならば特に違和感を覚えることはなかったのでしょうが、米本さんの認識の深さには偽り無く感動しています。
よく自分の頭を整理して再考しましたが、アガペーという概念は人間が日常に体感できるような‘愛’を意味したものではなかったのです。
キリスト教神学においては無限であり無償である神の愛をアガペーという概念で表した訳なのですが、神が無形、無限の存在である以上、アガペーも特定の感情として人間生活の中で認識されることはないことになります。
つまり、私が前のコメントで書いた「‘アガペー’を獲得した後においての理想的結婚こそ人々が求めるべきものと信じます」という内容は理論的に正しくないのです。
言葉の意味を正確に理解し、適切に用いるならば、その言いたかったことは、「自我を確立し、成熟した価値観を獲得した後においての理想的結婚こそ人々が求めるべきものと信じます」ということになります。
また「結婚以前における‘アガペー’と調和した形の‘エロス’求愛は決して完全に否定されるべきものとは考えておりません。」とのコメント文も「結婚以前における人格的な人間関係と調和した形の‘エロス’求愛は決して完全に否定されるべきものとは考えておりません。」と書くべきだったと思います。
アガペーは神学者が‘神の愛’を表現する言葉をギリシャ哲学用語から選択してキリスト教の神学概念として当てはめた言葉ですが、‘神の愛’ほど理解し辛いものはなく、まさに形而上学対象の難問でもあり、現実世界の問題にその言葉を持ち出すと、どうしても観念的な理解になり、間違った使い方をしてしまいます。
それは丁度、統一教会における「真の愛」「神の心情」と同じような概念であり、決して日常生活の問題に容易く適用できる言葉ではなかったのです。
米本さんに指摘されなかったら、自分も‘火の粉を払え’におかしなコメントだけを残し、無知を晒したままだったので、それを是正したコメントをすることができ、米本さんには心から感謝しております。
因みに原理講論の中では‘神の愛’は人間世界の家庭における‘父母の愛’‘夫婦の愛’‘子女の愛’の三種類の愛を生み出す根本的な原因となる主体的な愛であると説明しており、やはり統一原理に従って考えても アガペー=神の愛はエロス=夫婦の愛と対比して考えるべきものではなく、全く別次元で存在するのであり、エロスの問題を論ずる時に持ち出すのは適切ではないことになります。
まさに、米本さんによって統一原理を再認識させられたようなものです。
拉致監禁問題も完全無視で原理を平気で歪曲するどこかの統一教育部長には決してまねのできない考察です。
原理の本質を理解される米本さんのすばらしい知性に感服です。
さらに、「祝福結婚を経て家庭をつくる段階では、それが神を中心とした形で実現されると考えており、その祝福結婚の中では肯定されるものと考えているのです。」というコメント文の中にある「神を中心とした形で実現される」という表現は統一教会で長く過ごしてきた者の‘癖’のようなものの書き方で、米本さんには仰天するような誤解を与えてしまったようです。
「神を中心とした形で」とは要するに、「罪悪とはならない神に容認されるものとして」というような意味であって、別に宗教的な意義を強調している訳ではないのです。
しかし、誤解されたとは言え、
<神を中心に性愛するなんて!
鳥肌が立つ。>
には笑ってしまいました。
からかわれたなどとは微塵も思わず、おもしろかったです。
また<文鮮明氏が「エロスを収奪した」のではなく、教会員も半ば自主的に「エロスを放棄した」のではないかと思っています。>という指摘には少しばかりズレがあるようにも感じます。
なぜならば、統一教会内部において家庭を持つ前の性的な男女関係は厳禁されているにも関わらず、その問題が起こることが決して少なくはなかったからです。
米本さんもご存知かと思いますが、統一教会史に残る出来事で、故文興進氏の霊人体が再臨したとされる黒人の青年霊能者が現れて「ブラック興進ニム」と呼ばれ、文先生に公認され、世界中の統一教会を巡回して「コンッフェション(告白)」という集会を開いた事件がありました。
そして全ての教会員が各地で集められ、それに参加しましたが、そこで男女問題を起こしてしまった教会員が如何に多かったか皆目撃してしまったのです。
さすがに、私もそのメンバー達の顔を直視することはできませんでしたが、壇上に集められたそのメンバー達の数の多さだけは足音だけでもよくわかりました。
つまり、統一教会メンバーの実態は‘エロス求愛’が厳禁されたけれども、それを守りきれない教会員も数多くいたというのが現実だったのです。
それを考えても<自主的に「エロスを放棄した」>教会員が存在したかどうか疑問ですし、たとえそのような教会員がいたとしても、かなり低い割合ではなかったかと思います。
つまり、統一教会の教義に従い、純潔を守ってはいたが、常に葛藤の中にあった教会員がほとんどだったような気がします。
確かに統一教会員は「エロスを放棄した」生き方をしていましたが、「自主的」というのは当てはまらないのではないでしょうか。
また米本さんが<結婚式を境に「汚らわしい」から「大いにやるべし」と言われても、若い男女はロボットじゃないから、価値転換することはできない。>と指摘された文先生の‘エロス教育’は全くもってその通りだと思います。
性の問題に関しては統一教会においては深い理解が未だなされていないのだと思います。
やはり、その辺も統一教会の原理を発展させた研究が不足しているところで、大きな課題だと思います。
米本さんは「エロスと理性的に対峙する」ことを示唆されましたが、結局その理性的内容が問題かと思います。
中途半端な理性しか発達しなかったならば、人がエロス求愛を制御するのは困難だと思います。
それと、性犯罪を犯す犯罪者は例外なく生まれ育った家庭環境に問題を抱えており、その幼少に受けた愛情の性質がその後の人間性を決定してしまうという内容を述べた記事をよく見かけるような気がしますが、結局は生まれ育った家庭で与えられた愛情とその家庭環境、そして教育が人間の感情構造を決定してしまうのではないかと思います。
それを考えると、母親が教会の献金要請に従う為に、夜遅くまで子供のいる家庭をほったらかしにするのが習慣となっている統一教会員の家庭は 決して良い子女を育てられないことになります。
みんなさんにアドバイス
>またしても失点
みんなさんがどんな人かは存じあげませんが、私より年少者だと推察します。
このことを前提に申し上げるのですが、言葉を軽はずみに使いすぎるきらいがあります。
私は結構、厭味ったらしく且つ嘲笑的に、さらに言えば意図的挑発的に、人を批判している。そのことを自覚しながら申すのですが、この一文によって相手がどんな風に思うのだろうかと考えながら書いています。成功しているかどうかは別です。
みんなさんも、ワンテンスごとに「みんながどう思うか」と考えながら、投稿されたほうがいいと思います。
私は前記事のコメント欄にある「一脱会者」さんの言葉が心に染みています。
相手の気持ちを、きちんと考える。文字ではなく行間を読んでいただきたい。
よろしくお願いいたします。
祝福家庭の夫婦の在り方
・・祝福家庭の夫婦はどうあるべきか?について、公職者の方がブログに書いてありました。
いつもとなりブログの2013年の4月17日ブログ注目!
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/archives/201304-5.html
一部引用しますと
ー最高に幸福な「A+純愛夫婦」になるための「10の生活習慣」ー
1.一緒に外出した時は、必ず手をつないで歩く。
2.一緒にテレビを見る時は、必ず手をつないで見る。
3.寝る時には、熟睡前は必ず手をつないで、仲良く話をしてから寝る。
4.寝る時には、必ず裸になり、一つの布団・ベッドに入って一緒に寝る。
5.昼間、夫婦が家に一緒にいない時は、
一日に一度は、必ず電話でお互いに話をする。
6.毎朝、天地人真の父母様に必ず敬礼し、家庭盟誓を唱和した後、
向い合って手を握り合って神様に報告し、
最後に夫婦お互いに敬礼し合う
(あるいは、お互いに会釈をして、軽く抱擁をする)。
7.夫(妻)が出勤・帰宅する時は、必ず玄関まで出て行って、
手を握り/キス/抱擁をして送り迎えする。
("/"は、最低一つ選択すれば良い。)
8.夫婦が話をする時は、尊敬心を持って、必ず丁寧な言葉遣いで話す。
9.毎日、必ず訓読会を一緒にする。
10.1週間に2回以上、愛し合い、3人以上の子女を生むように努力する。
やっぱり赤面!
確かにエロス話で盛り上がってますね。
神様ってそんな聖なる高い所におられる存在ではなく、極端な話トイレでスッキリした時も近くで笑っておられるような存在だと私は感じているのですが。
ましてや夫婦が愛し合う時におられても全然平気。そこが尊い命が誕生する場なら絶対にいて頂きたいですよ。
米本さん、神様に見せたくないような交わりをしてませんよね?
なんて、、ドキッとしました?(~_~;)
あとね宗教抜きでも女性から見て100%の避妊は難しいのに責任とれない立場で性愛を求められるのはエゴの塊だと思います。だからそこが保証されているかにより随分精神的には違う。本当に愛してるのなら自制出来るはずだと思うしそうされる事により大事にされていると思う。だから結婚前の純潔主義は素晴らしい事だと考えています。ただそうしなかった方々を見下すのは危険だとも思いますが。
事情がある中で結婚できず結ばれるカップルの愛が不純だとは思わないけどそう出来ないどうしようもない深刻な事情がなければ、その男性の愛に惹かれるものはありません。愛より男性の遺伝子に惹かれる場合もあるかもしれませんが、私にはまだ理解できない所です。
森先生の犬猫発言は程度の低い結婚という事で例えられたのでしょうが、本能的なものでなく原理という頭から入る統一教会式結婚は随分違いがあると思います。
大学温室にいてどこまで今時女子の生態を森先生がご存知かわかりませんが、女子が愛情より条件をシビアに見ている事もザラで森さんから見たらそれは素晴らしい事なのでしょうか?
ただ二世というブランドの血統を重視して雑種と交わると価値が下がるという感覚は犬猫の世界に似てるかとも思いました。最近その感性についていけない時もあります。思いやりが人並み程も無い二世よりは心情が良い一般の食口の方が希望がありますからね。うちも母親がこんなだから要注意です。
直系のご子女様達がその原理の核心を犯している現状や一般の見合い化する祝福の中でそこを死守する意義さえ見失いそうです。それに男性は比率的に選り取り見取りだけど女性は厳しい状況らしいですから何だが不平等さも感じますよ。
それと注目したのは清平の先祖解怨献金の返還に日韓の法律に精通して対応出来る国際派の優秀な弁護士がおられたらどれ程統一教会問題にメスが入るだろうかという事です。韓国本部の問題を日本本部が尻拭いして末端食口に負担がかかるという事はしょっちゅうですが、韓国本部を追求出来たらどれほど打撃になるでしょうか。どっちみち尻拭いは日本食口に来るでしょうが影響力は大きい。
日本の反統一教会弁護士もそこまでグローバルに対応しなければ、統一教会問題の根本的解決にはならないのに日本でセコイ動きしかしてないのは結局小遣い稼ぎが目的なのかと見てしまいます。いや、小遣い稼ぎどころか弁護士の数も増える中生き残り生活費の捻出の為に必死なのかもね。
後藤さんの裁判とは違い大学と森さんの弁護士の主張が違い差がある点は興味がありますが、その辺は佐賀大シリーズを全て読んでからにします。
相変わらず推敲しようにも元々の文章も能力もイマイチなのですが、率直な私の今の感想です。米本さんが色々記事を工夫して読みやすくしてくださっているので読む努力はしていますからお許しを。
ただみんながどう思うか考えても不特定多数が見ているネットの世界で考えきれない所もあるし外れる事もあるでしょう。
言葉を大事にするのは米本さんが仰るように大切な事ですが、、私はあるコメントの中で教会にありがちな傾向を発見する事が出来、またそれに対しての他の方の反応も見れて勉強になりました。
例えコメントが良い内容でなくても学ぶ場合だってある気がします。(自己弁護を兼ねてるかしら。)
ただここは米本さんのブログですから最終的には仰せのままに、ですがね。
しかし言論の自由があり議論できるって素晴らしいと統一教会主義人民共和国にいるとつくづく感じます。そのような場を提供して下さり本当にありがとうございます。
1週間に2回以上!!!
いつも隣さん、後藤裁判のときに奥方を紹介してくれたことがありましたとさ。
10の生活習慣を読んでいると、突然、二人の顔がどアップに。どりゃ~ん。卒倒しそう。
裸・法要(違った抱擁)・週2回ねえ~~ため息~~あの歳でまだ~~数十年間も同じ相手~~進歩がねえなあ~~2人に新しいのを紹介してやんなきゃなあ~~ブツブツブツブツ
進歩という観点から、もう一つ、こんな習慣を加えることを提案しておく。
11・新鮮さを保つために、週2回以上愛し合うときには、同じ体位を続けないこと。できれば48すべてをマスターすること。できれば、48の奥義を2世に伝授すること。
お二人とも、このサイトを読んでいるはず。返信コメント、欲しいなあ。
桜子さんに謹んでお答えいたしやす
神様がうらやましくなるような高次元のベクトルですよ。
そうそう、神世界で話題になったこともあるようですよ。
(桜子さん、ど、どんな?)
これ以上、コメントしていると、頭が森先生になってしまうので、ブログを更新いたします。
RE:みんなさんにアドバイス
<みんなさんも、ワンテンスごとに「みんながどう思うか」と考えながら、投稿されたほうがいいと思います>(米本さんのコメント)
ちょっと、信者っぽい、優等生っぽいコメントを書くと、複数の方からダメ出しされて、何でそんなに言われるんだろうか…と、正直、理解に苦しんでいました。
私は信仰心に基づく信念や考えを少し書いているだけだし、「へぇ~、信者はそういうふうに考えるのか~」程度に受け流してくれればいいのに~、って思ってコメントしているのですが、予想以上に、厳しい批判を浴びせられます。
このことについて、ふと気付かされることがありました。
昨日、教会幹部の講話をDVDで拝聴しました。
その幹部は韓鶴子女史の近況や、教会の活動方針などを語っているのですが、韓女史の言動はすべて讃えるべき価値がある、統一教会は世界の中心、みたいなスタンスで、一方的に話を進めていきます。
目の前の信者個人個人が今、どんな事情を抱え、どんな悩みを抱いているかなど、そっちのけ。とにかく、韓女史、統一教会本部の方針を理解し、難しく考えずに付いてこい、って感じ。そもそも、信者だからと言って、韓女史を慕っているとは限らず、その方針を納得しているわけでもないのに…。
私は、そのDVDを見ながら、最初から最後まで、ついていけませんでした。
ピンと来ないというか、これを見せようとする人も「幹部の講話だから」と安易に見せたのだろう、と。
そういう考え方もあるのか~、でも、私には全く接点がないな~、って。ぶっちゃけ、何も心に残らないというか、しらけてしまいました。
私が信者っぽい、優等生っぽいコメントを書いた時、批判されるのは、おそらく、これと同じ構図なのではないか、と思います。
私が一種特殊な世界(殻の中)にいて「わらわは玉座にいるが、その問題についてはこう考えるのがよろしいぞよ」みたいにしゃべっているからではないかと思います。
何の共感も得られない、独りよがりな理想像と、現実性の乏しい空理空論。それを得意げに話すから、「お前、バカか!」ってなるのではないか、と。
「世界平和」と言いながら、目の前にいる人をちっとも幸せにしないし、身近な平和も実現しない。なのに、それでも「自分は世界平和に貢献している」と思い込んでいる、勘違い野郎。
きっと、今の私は、そんな感じなのだろうと思います。
180度とは言いませんが、考え方、見方を変えようと思います。
みんなさんに感動した!
>「世界平和」と言いながら、目の前にいる人をちっとも幸せにしないし、身近な平和も実現しない。なのに、それでも「自分は世界平和に貢献している」と思い込んでいる、勘違い野郎。
きっと、今の私は、そんな感じなのだろうと思います。
180度とは言いませんが、考え方、見方を変えようと思います。
正直言ってごめんだけど、みんなさんがここまで内省できる人だとは思っていませんでした。感動しました。
思考が柔軟な若者ならともかく、歳を重ねると、自分の思考の癖を変えることは容易ではありません。
それなのに、「180度とは言いませんが、考え方、見方を変えようと思います」と考えられたことに、敬服いたしました。
みんなさんの投稿をプリントアウトして壁に貼りました。ぼくも見習うべきだと思って!
やっぱり、我に執着する勿れ、ですよね。
RE:みんなさんに感動した!
恐れ入ります。
人を幸せにしていないのに、さも、自分たちが平和の使者のように振舞っているようなところが、現・統一教会には確かにあります。
もちろん、部分的には、幸せにしているとの確信もありますが、名前負けというか、口ほどでもないように思います。
もちろん、私も、人のことを言えた柄ではありません。
今回の件で、できもしないのに、大きな口をたたくのはよそう、と、そう思いました。
このブログは本当に多くを気付かせていただける、いいブログです。
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/483-50131396
- | HOME |
コメントの投稿