後藤徹の陳述書? 

後藤陳述書(2)

陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会
3・第1回目の監禁
4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁 (1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青印が今回アップした部分です。



兄も強制説得で脱会


3.第1回目の監禁

 1987年5月頃、兄が、現在の西東京市(当時保谷市)の自宅に帰った際に、家族らによって監禁され脱会説得を受けました。

 兄が後日話したところによると、兄は両親らによって車に乗せられ、監禁場所に向けて連行される途中、踏み切りで車が止まった際、車の窓から外に逃げ出したそうです。そこで、両親らと揉み合いになり、警察沙汰にまでなったのだそうですが、結局監禁場所に連れて行かれたとのことでした。

兄に対して脱会説得をした脱会説得の専門家の一人は宮村峻といって、株式会社タップという広告代理店を経営している人物で、後日私に対する2度に亘る拉致監禁に関与したのもこの宮村です。

 宮村は、当時、荻窪にある日本イエスキリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師と組んで、同教会を拠点に複数の統一教会信者の父兄等から、彼らの子である信者を脱会させる依頼を受け、父兄等に順番待ちをさせ、順番が来るまでの間、拉致監禁による脱会説得の手法を父兄らに指導していました。


水茎会と順番待ち

 宮村が組織していた父兄らの会水茎会と言い、水茎会では、順番が回ってきた父兄は、既に信者の脱会に成功した父兄らの協力を得て自分の子を拉致監禁し、荻窪栄光教会の牧師館、ないし、近隣のマンションの一室に監禁するというシステムができており、そこに宮村が来訪するなどして脱会説得が行われました。(注1)

私も後日順番待ちの父兄の名簿を見ましたが、そこには父兄らの名前がびっしりと記載されていました。聞くところによると、順番待ちの父兄の最後尾は数百番代になるとのことでした。(注2)

 兄は統一教会を脱会後、宮村が行う統一教会信者に対する脱会説得活動を手助けするようになりましたが、更に前記株式会社タップに就職し、宮村のもとで鞄持ちのようにして働くようになりました。

父兄の名簿上は、私に対する脱会説得の順番はずっと後であったところ、兄が余りにも熱心に宮村の脱会説得活動を手助けしたため、私を脱会説得する順番を早めたということを、私は後で聞かされました。

1987年10月、しばらく音信不通となっていた兄から突然連絡があり、「教会のことで話をしたい」と言われて私は新宿に呼び出されました。(注)23歳

兄に言われるまま京王プラザホテルの一室に入ると、部屋の中には既に両親が待機しており、私は兄等から脱会説得を受けました。気がつくと、部屋の入り口のドアは何らかの細工により中から開かないように固定され、部屋から出られない状態になっていました(注3)

私は一方的に監禁されたことに憤慨し、「出せ!」と叫んで騒ぎ立てました。
このため両親及び兄と取っ組み合いになりましたが、多勢に無勢のため取り押さえられました。

その後、宮村峻が元統一教会信者を数人連れて部屋に来るようになり、脱会説得を受け、棄教を強要されました。


リトマス試験

 3日くらい後、私は信仰を持ったままでは部屋から出られないと判断し、意に反して脱会した振りをしました(偽装脱会)。

約1週間後、京王プラザホテルから杉並区荻窪のマンションの一室に連れて行かれ、同室にて1ヶ月弱監禁されました。私は常に両親及び兄によって監視された中、同室から前記荻窪栄光教会の礼拝等の集会に参加させられたり、同教会の牧師館や近隣のマンションの一室で監禁されている統一教会信者の脱会説得に同席させられました(注4)

荻窪栄光教会の集会には、宮村や森山によって脱会させられた元統一教会信者等が多数来ていましたが、その中の一部は、兄のように宮村らの脱会説得活動に積極的に荷担していました。

また私は、同教会のほぼ向かいにある一軒家で水茎会の集会が開催された際、これに参加させられ、宮村が父兄らを指導している場面を目撃したこともあります。

監禁ないし監視されている間、私は会社にも連絡を取ることは許されず、欠勤を強いられました。

11月下旬頃、私は荻窪栄光教会の日曜礼拝に参加させられた際、トイレに行く振りをして教会建物から脱出し、ホームに逃げ帰りました。

 

(注1)このシステムは水茎会に限ったことではなく、教団教派を問わず、脱会説得に携わっている牧師ならすべてといっていいほど取り入れているものだ。『我らの不快な隣人』63?68頁参照。
 システムは脱会をもって閉じるわけではなく、弁護士を紹介して統一教会への損害賠償請求を誘導し、勝訴すれば記者発表を行う。さらに脱会者を脱会活動家として養成する。
 言ってみれば、終わりなき循環システムなのである。

(注2)『我らの不快な隣人』の1部に登場する中島裕美の家族は当初、宮村氏のところで順番待ちをしていた。ところが、あまりにも“待ち時間”が長いため、同じ信者家族から横浜市の戸塚教会の黒鳥栄牧師(当時は伝道師)のことを聞き、脱会説得者を変更した。
 宮村は順番待ちの家族からも月会費を徴収していたと言われている。

(注3)宮村峻(たかし)氏は新宿の超高層街にある京王プラザホテルをよく利用していた。同ホテルの一室で有料の相談会を開いていたこともあったようだ。

(注4)脱会説得への同席は、監禁下の信者にどう接するかを観察し、偽装脱会ではないかを確かめる踏み絵的なリトマス試験でもある。


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後藤陳述書(2)


陳述書の構成 (08年4月2日作成)
1・略歴/2・統一教会への入会
3・第1回目の監禁
4・第1回目の監禁から脱出後の経緯
5・第2回目の監禁 (1) 新潟のマンションでの監禁/(2) 東京のマンション(1カ所目)での監禁/(3) 東京のマンション(2カ所目)での監禁/(4) 宮村等による脱会説得/(5) ハンガーストライキの決行(第1回目21日間)/(6) ハンガーストライキの決行(第2回目21日間)/(7) ハンガーストライキの決行(第3回目30日間)/(8) 監禁からの解放
6.入院後の経緯/7.最後に
 青印が今回アップした部分です。



兄も強制説得で脱会


3.第1回目の監禁

 1987年5月頃、兄が、現在の西東京市(当時保谷市)の自宅に帰った際に、家族らによって監禁され脱会説得を受けました。
 兄が後日話したところによると、兄は両親らによって車に乗せられ、監禁場所に向けて連行される途中、踏み切りで車が止まった際、車の窓から外に逃げ出したそうです。そこで、両親らと揉み合いになり、警察沙汰にまでなったのだそうですが、結局監禁場所に連れて行かれたとのことでした。

兄に対して脱会説得をした脱会説得の専門家の一人は宮村峻といって、株式会社タップという広告代理店を経営している人物で、後日私に対する2度に亘る拉致監禁に関与したのもこの宮村です。

 宮村は、当時、荻窪にある日本イエスキリスト教団荻窪栄光教会の森山諭牧師と組んで、同教会を拠点に複数の統一教会信者の父兄等から、彼らの子である信者を脱会させる依頼を受け、父兄等に順番待ちをさせ、順番が来るまでの間、拉致監禁による脱会説得の手法を父兄らに指導していました。


水茎会と順番待ち

 宮村が組織していた父兄らの会を水茎会と言い、水茎会では、順番が回ってきた父兄は、既に信者の脱会に成功した父兄らの協力を得て自分の子を拉致監禁し、荻窪栄光教会の牧師館、ないし、近隣のマンションの一室に監禁するというシステムができており、そこに宮村が来訪するなどして脱会説得が行われました。(注1)

私も後日順番待ちの父兄の名簿を見ましたが、そこには父兄らの名前がびっしりと記載されていました。聞くところによると、順番待ちの父兄の最後尾は数百番代になるとのことでした。(注2)

 兄は統一教会を脱会後、宮村が行う統一教会信者に対する脱会説得活動を手助けするようになりましたが、更に前記株式会社タップに就職し、宮村のもとで鞄持ちのようにして働くようになりました。

父兄の名簿上は、私に対する脱会説得の順番はずっと後であったところ、兄が余りにも熱心に宮村の脱会説得活動を手助けしたため、私を脱会説得する順番を早めたということを、私は後で聞かされました。

1987年10月、しばらく音信不通となっていた兄から突然連絡があり、「教会のことで話をしたい」と言われて私は新宿に呼び出されました。(注)23歳

兄に言われるまま京王プラザホテルの一室に入ると、部屋の中には既に両親が待機しており、私は兄等から脱会説得を受けました。気がつくと、部屋の入り口のドアは何らかの細工により中から開かないように固定され、部屋から出られない状態になっていました。(注3)

私は一方的に監禁されたことに憤慨し、「出せ!」と叫んで騒ぎ立てました。
このため両親及び兄と取っ組み合いになりましたが、多勢に無勢のため取り押さえられました。

その後、宮村峻が元統一教会信者を数人連れて部屋に来るようになり、脱会説得を受け、棄教を強要されました。


リトマス試験

 3日くらい後、私は信仰を持ったままでは部屋から出られないと判断し、意に反して脱会した振りをしました(偽装脱会)。

約1週間後、京王プラザホテルから杉並区荻窪のマンションの一室に連れて行かれ、同室にて1ヶ月弱監禁されました。私は常に両親及び兄によって監視された中、同室から前記荻窪栄光教会の礼拝等の集会に参加させられたり、同教会の牧師館や近隣のマンションの一室で監禁されている統一教会信者の脱会説得に同席させられました。(注4)

荻窪栄光教会の集会には、宮村や森山によって脱会させられた元統一教会信者等が多数来ていましたが、その中の一部は、兄のように宮村らの脱会説得活動に積極的に荷担していました。

また私は、同教会のほぼ向かいにある一軒家で水茎会の集会が開催された際、これに参加させられ、宮村が父兄らを指導している場面を目撃したこともあります。

監禁ないし監視されている間、私は会社にも連絡を取ることは許されず、欠勤を強いられました。

11月下旬頃、私は荻窪栄光教会の日曜礼拝に参加させられた際、トイレに行く振りをして教会建物から脱出し、ホームに逃げ帰りました。

 

(注1)このシステムは水茎会に限ったことではなく、教団教派を問わず、脱会説得に携わっている牧師ならすべてといっていいほど取り入れているものだ。『我らの不快な隣人』63?68頁参照。
 システムは脱会をもって閉じるわけではなく、弁護士を紹介して統一教会への損害賠償請求を誘導し、勝訴すれば記者発表を行う。さらに脱会者を脱会活動家として養成する。
 言ってみれば、終わりなき循環システムなのである。

(注2)『我らの不快な隣人』の1部に登場する中島裕美の家族は当初、宮村氏のところで順番待ちをしていた。ところが、あまりにも“待ち時間”が長いため、同じ信者家族から横浜市の戸塚教会の黒鳥栄牧師(当時は伝道師)のことを聞き、脱会説得者を変更した。
 宮村は順番待ちの家族からも月会費を徴収していたと言われている。

(注3)宮村峻(たかし)氏は新宿の超高層街にある京王プラザホテルをよく利用していた。同ホテルの一室で有料の相談会を開いていたこともあったようだ。

(注4)脱会説得への同席は、監禁下の信者にどう接するかを観察し、偽装脱会ではないかを確かめる踏み絵的なリトマス試験でもある。

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