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後藤インタビュー(下)-良心を喪失した人たち 

後藤インタビュー(下)

※これまでの記事「後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け♪」「後藤インタビュー(中)-とても仲がよかった後藤兄弟 」

♤ 兄嫁のヒステリーと兄妹の変貌

--ところで、koyomiさん(裁判ブログの世話人)が語っていたことですが、一番大変だったのは兄嫁さんだったのではないか、と。
 なぜなら、兄や妹と違って、兄嫁さんにとって後藤さんはそれほど関係のない人。先の話でいえば、8カ月前に義弟となった人なわけです。付き合いもなかったから、兄嫁さんが後藤さんに兄弟愛のような愛情を抱いていたわけではない。反統一教会のために、行きがかり上、後藤さんを監禁することになった。
 監禁から1年もしてまだ後藤さんの脱会の意思がないことがわかった段階で、夫にもうやめよう、義弟のことにはもう関わるのはよして、自分たちの家庭を築いていこうと思ったとしても、当然のことです。
 それなのに、夫に引きずられてずるずると12年間。お兄さんは、心酔していた宮村の呪縛から抜け出ることができず、自分の家庭づくりよりも弟の脱会のほうを優先した。兄嫁さんはヒステリー状態になったと思いますが・・・。

後藤 陳述書にも兄嫁から受けた数々の仕打ちを書きましたが、確かに兄嫁は恐ろしかった。兄嫁が近くに居るだけで動悸が激しくなるほどでしたから。
 ヒステリックになると何をされるか分からない恐ろしさがあった。監禁が長引くと「このマンションを維持するのにいくらかかってると思ってるの!」と非難されました。
 そんな非難するくらいならこんなこと止めてすぐに引き払えばいいでしょ、とこちらは言いましたが、全く聞いてもらえませんでした。

 後藤さんの刑事告訴を受けて捜査していた刑事さんが「これまで1億円の金がかかっていたようだ」と話したことがある。
 12年間の収入は兄の給料と父の年金。父が亡くなってからは半額の遺族年金。兄は宮村の会社、TAPに勤めていたから、当然、薄給だろう。なぜなら-
 被告側の証人として登場した大倉文明さん(フリーライター、ペンネーム多田文明)が語っていた。「会社で朝、トイレを使うと、(宮村社長から)家でしてから出社しろ」と。まあ、今でいうブラック企業のような会社だから。

 東京・保谷市(現西東京市)の空き家の自宅を維持しながら、荻窪駅近くのマンション代を払い、母、兄、兄嫁、妹、それに後藤さんの5人で暮らす。
 当然、持ち出しである。原資は、上場企業に勤めていた父親の遺産。それが毎月、毎月減っていく。家計をやりくりしていたであろう兄嫁が悲鳴をあげるのは当然のことだろう。

 

後藤 兄嫁がヒステリーになると、もう手がつけられない。声は金きり声。目はフォックスアイ。正直、怖かった。
 例えば、こんなこともありました。私が座っていると、兄嫁が中に氷と水が入ったボウルを持ってものすごい形相で現れて、私の後ろ襟首をガバッと引っ張り、「いい加減目を覚ましなさいよ!」と背中に氷水を流し込む。
 兄嫁の陳述書にも書いてありますが、兄嫁にとっては私が何をやっても不真面目な態度をとっているとしか見えなかったようです。


♤殺意を感じた

--そして、食事制裁に。

後藤 私が30日間のハンストをやった後、家族は70日間に亘ってポカリスエットと少量の重湯だけしか出しませんでした。その時の苦しみはもう表現できないほどです。いよいよ餓死の恐怖が迫り、たまらず家族に見つからないようにそっと残飯や生米を食べました。切羽詰まった末、家族に食事を戻すよう頼み込みました。
 兄は、さすがにこのまま死なれたらまずいと思ったのか、「もうそろそろ食事を元に戻してもいいのではないか」
 しかし、これを聞いた兄嫁は、いかにも残念そうに憮然とした表情で、「えー,信じられない!」
 この人は、本気で私を殺すつもりなのかと心底恐怖を抱きました。
 

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--空恐ろしくなるような話です。

 30日間のハンストをやった後、結局解放されるまでの約2年間まともな食事を食べさせない仕打ちを受けました。
 栄養失調状態が続き食物のことが頭から離れない。その時の家族の雰囲気はもう空気が凍り付いているような感じでした。
 元々悪い仲ではなかった兄と妹もここまでするかと。彼らの顔から一切の感情が消え、能面のような表情で私を見る目には憎悪が見て取れました。
 いつまでも頑として信仰を棄てようとしない私に対し「自分たちの人生計画が狂ってしまったのはおまえのせいだ」、と目が訴えていました。
 家族がここまでするようになってしまったのは、もちろん松永牧師や宮村から指導され感化されたことが大きい。「マインドコントロールされ、別の徹になってしまっている」と思い込んでいたのです。


♤ マインドコントロール教の信者たち

--お兄さんたち3人は、後藤さんがマインドコントロールされていたと心から思っていたのでしょうか。そして、そのマインドコントロールを解くのに必死だったのでしょうか。

後藤 ええ、そうだと思いますよ。自分たちは統一教会からマインドコントロールされて入信し、活動させられていたのだ、と思い込んでいる。
 本当は自分で信じて自分の意思で活動していたのですが。とにもかくにも、マインドコントロールの呪縛から解けたのは宮村先生や松永先生のカウンセリングのおかげと思い込んでしまっている。これも本当のところは拉致監禁による強制的な思想矯正なのですが。
 今でもマインドコントロール論を信奉しているでしょうね。もしそれが間違いだと気付いたら、アイデンティティクライシスになるでしょうね。

 ぼくが拙著『我らの不快の隣人』を書くときの問題意識の一つは、マインドコントロール論だった。
 少なからずの教会員や“カルト信者”を取材した結果、学者の西田公昭さんや元信者のスティーヴン・ハッサンさんが書いているように、「カルト信者は元の人格を失い、カルト的人格になっている」とはどうしても思えなかったからだ。
 そこで、自主脱会者、つまりマインドコントロールを解かれることなく退会した教会員の人数を割り出すために、文鮮明さんの妻である韓鶴子さんが訪日したときの集会参加者の人数を調べた。これまでの累積入信者数から集会参加者数(現役教会員数)を引けば、ある程度の数字が掴めると考えた。
 その結果、入信者数は52万人、自然退会者数は46万人ということがわかった。なお、強制脱会者数(宮村、松永らによってマインドコントロールを解かれた人たち)は3000人である。
 このことから言えることは、統一教会員になったのは「マインドコントロール」とは関係がなく、退会するあるいは退会状態になる人は自分の意思で行なっているということなのだ。組織に問題があれば自然にやめていく、どんな組織にも共通することである。

「マインドコントロールによって、統一教会員は組織の操り人形のようになっている」。これは「作られた言説」(つまり作文)であり、マインドコントロール論は似非科学に過ぎない。
 マインドコントロール論とは、結句(けっく)、信者の親を拉致監禁作戦に誘う(いざなう)長めの宣伝文であり、監禁された信者への長めの釈明文なのである。



後藤 兄たちが心底、マインドコントロール論を信じきっていたのは、偽装脱会をした時、真っ先に西田公昭著『マインド・コントロールとは何か』やスティーブン・ハッサン著『マインドコントロールの恐怖』などの本を監禁現場に持ち込み、私に読ませた事実からも分かります。まあ、宮村や松永牧師に指示されて読ませたのでしょうね。
「おまえはこのようにマインドコントロールされていたんだよ」
 と言いたいわけです。
 何よりも兄が心酔していた宮村がバリバリのマインドコントロール信者です。それは、宮村の共著『親は何を知るべきか』を読めばよく分かります。類は友を呼ぶで兄たちの元信者仲間も、みんなマインドコントロール論を信じていたと思います。統一教会に入信したのを自分の責任では無く統一教会に責任転嫁するのにこれほど都合のいい理論は無いので元信者の皆さんの心にすっと入っていったのでしょうね。彼らの仲間内ではマインドコントロール論に懐疑的になる環境はなかったと思っています。

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マインドコントロール教の教祖、社会心理学の西田公昭先生。宗教学、宗教心理学の学者から自著『マインド・コントロールとは何か』を批判され、「いずれ反論を書く」と高言していた。それにもかかわらず、10数年経った今日に至るも沈黙している情けない学者である。
 教祖の助さんは東京の宮さん、格さんは新潟の松ちゃんといったところか。


 

♤ 母親の葬儀の参列を拒む

--インタビューの最後は寒々とした話になりますが、お母さんの病気、そしてその後亡くなられたことについてです。
 まず、お母さんが重篤になられたときのことから、説明してください。

後藤 2012年5月頃のことです。
 福本先生(後藤さんの代理人)から電話がありました。
「お母さんが病気で大変らしい。さっき、相手側弁護士から連絡が入った。見舞いに行ってあげたらいい」と。病院名と住所が記されたFAXが送られてきた。
 数日後、病院に行き、主治医に説明を求めました。
「脳が萎縮している。その上、大腸がんが併発している。意思疎通は難しい状態だ」。この先、長く生きられる可能性は少ないといった説明でした。
 看護師に連れられ、母の病室に入るとベットに横になっている母の変わりように驚きショックを受けました。

後藤 痴呆については、2009年の11月頃の妹からの手紙に結婚の知らせと一緒に「お母さんの痴呆が進んでいます」と書いてあったので、理解していました。そのため、民事提訴の被告から外しました。
 しかし、監禁解放後の2008年の7月頃に実家を訪ねたときには、母はそれなりに元気そうだった。そんなわけで、母のあまりの変わり様を見て、心底、驚きました。

--寒々しい話はまだありますね。

後藤 一人で見舞ったあと、日を改めて赤ちゃんと奥さんと3人で見舞いに行きました。母に何としてでも、嫁と孫の顔を見せたかったからです。母が認知できるかどうかということよりも、ともかく、母に見せたかった・・・。
 宮村や松永の指導があったとはいえ監禁し続けた母に対して許しがたい気持ちは今もあります。しかし、それはそれとして、やはり母が生きている時に孫の顔を見せたかった。母にとって初孫でしたからね。

--そのとき、妹さんに会われたと聞いていますが・・・。

後藤 ええ、待合室に妹がいました。挨拶はしましたが固い表情で、妻と子供を紹介する雰囲気ではなかった。

--それから、お母さんが亡くなられた。

後藤 はい。2012年の9月20日に母が亡くなったことも、やはり、相手側弁護士から福本先生のところにFAXで連絡があって、初めて知りました。それで、急遽、FAXに記された住所を頼りに、電車を乗り継ぎ遺体安置所に行き、母の亡骸と対面しました。
 翌日、また相手側弁護士からのFAXで「喪主側としては徹氏に葬儀への参列をしてほしくない」という伝言が。監禁中亡くなった父の葬儀にも参加することができなかったので、(うめくように)結局両親の葬儀に参加できませんでした。


 ぼくが一番、腹が立ったのは、後藤さんのお母さんが病気になり、そして亡くなったことを兄や妹が後藤さんに直接、連絡してこなかったことだ。
 近世から近代にかけて、共同体社会にとって邪魔者は排除された。そうであっても、村八分の言葉にあるように火事と葬儀のときだけは例外で、どんなに嫌っている邪魔者であろうが、火事のときには消火にかけつけたし、葬儀のときには手伝った。
 兄や妹の態度は、村八分に輪をかけた残酷な行為であり、人格が変容してしまったとしか言いようがない。
 彼らの態度以上に憤ったのは、兄らの代理人山口貴士、荻上守生両弁護士の人間としての資質に対してであった。
 兄や妹から、福本弁護士への伝言を頼まれても、山口は彼らに「お母さんが重篤になったんだから、亡くなったんだから、どんなに裁判で対立していようが、直接、徹さんに伝えるのが人の倫(みち)だよ」と諭すべきだった。弁護士としてではなく、人間としての良心がそもそも欠如しているのだ。カルト、反カルト以前の話なのに。 
 
 それにしても、仲の良かった兄弟姉妹が拉致監禁説得を境にして、親の死を連絡しない、葬儀に参加させない-までの関係になってしまった。はっきり認識しなければならないのは、統一教会問題は家族問題ではなく、脱会方法の問題なのである。
 
 裁判は最高裁まで続くだろう。
 結果はどうなるにせよ、2015年にはすべてが終わる。悪化した兄弟関係は死ぬまでもう元に戻ることはないのか。そう想うと、心がざらつく。
 
畢竟(ひっきょう)、保護説得、拉致監禁説得は、家族関係を破壊する脱会方法ということなのだ。  

(完)


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今年も庭に牡丹が咲きました。(ニッコリ)
昨年の今頃、やはり牡丹の写真を載せたときには、どんな記事を書いていたっけ。と、調べてみると、「社会から孤絶している統一村」 。統一教会・ブログ村に巣くうヘドロ食口関連の記事でした。光陰矢の如し。

追加情報栄養士による食事の分析(5月13日朝)

 後藤さんは食事制裁に殺意を感じたという。

 その食事の栄養レベルは、「拉致監禁by宮村の裁判記録」の最新記事「食事内容について、栄養士への照会と回答」を読めば、すべてを理解することができる。
 ここでは簡約して紹介するが、是非とも全文に目を通していただきたい。

 成人男性の一日に必要なカロリーは2300。それにもかかわらず--

◆断食後70日間に出された食事は一日わずか240カロリー
(後藤さんが殺意を感じたのも当然のことだ)

◆その後、5カ月間に出された食事は三種類あるが、それぞれ一日183カロリー、193カロリー、437カロリー
(最初の二種類は殺意を感じた食事よりもカロリーはさらに低い!)

◆それから、成人男性が1日に食べる量の半分程度の1035カロリーが実に1年2カ月間にわたって続いた。
 これについて、栄養士は次のように分析している。

・低栄養状態による体重減少、筋力低下により全身の筋肉組織が衰えます。
・血管はもろくなり出血傾向になることがあります。免疫が弱まり、体の抵抗力が落ちてしまいます。
・赤血球の成分であるヘモグロビンが不足し、貧血、頭痛、肩こりなど、慢性疲労になる可能性もあります。
・細胞膜の材料になっているため、低すぎると血管壁に栄養が補給されず、弾力性が衰えて脳出血へとつながることもあります。
・貧血、皮下出血、腸内粘膜異常などの傾向が強まる可能性がある。

 このことを指摘した栄養士さんは利害関係のない第三者。東京地裁は、栄養士の回答(甲140号証の2)を証拠として採用している。どこかの阿呆が後藤さんがやせ細ったのは自作自演と書いていたが、さすが統一教会員さんだけのことはある。

 ところで、興味深いことに、裁判ブログの管理人さんは「消化器の手術をした人の病院での食事と後藤さんの30日断食後の食事を比較してみましょう」として、術後から普通食に戻るまでの段階を説明している。
 それによれば、術後から2週間目には、患者は1900~2300カロリーの食事を摂っている。

 消化器手術の各論、大腸癌の手術(腸を25㎝切除)をした私の体験を紹介しておきたい。
 退院したのは術後2週間。便通がスムーズにいかず、食事づくりに途方にくれていたが、娘が紹介してくれた『大腸がん手術後の100日レシピ』(女子栄養大学出版部)』が大いに役に立った。
 レシピは省略して、同書で推奨している1日の摂取カロリーだけを紹介しておく。

 なお、後藤さんは30日断食、私は大腸を25㎝切除。大腸切除のほうが身体のダメージは大きいだろうが、ともに栄養管理には注意を払う必要がある。

・退院後2週間=1037カロリー(後藤さんは240カロリー)
・退院後4週間=1413カロリー(同240カロリー)
・退院後2カ月=1551カロリー(同240カロリー)
・退院3カ月後=1840カロリー(同183カロリー、193カロリー)


 繰り返しになるが、強調しておきたい。私は腹を縦に20㎝切り、大腸を25㎝切除した。その手術から2週間後、すなわち退院して初めて食した朝食は、身体の負担に考慮した本のレシピ通りに「半熟卵・キャベツのスープ・バタートースト・リンゴ・カフェオレ」だった。合計361カロリーである。後藤さんは断食後2週間どころか3カ月経っても、私の朝食の66%のカロリーしか与えられていなかったのだ。

 後藤さんがリアリティをもって殺意を感じたのは当然のことであろう。

 なお、東京地裁は栄養士の回答、また追放直後の後藤さんの写真を証拠として採用しておきながら、食事制裁の訴えを認めなかった。立場を問わず、誰が考えても誤判であろう。


-後藤兄たちは冷血人間?-

 監禁下の後藤家族の関係について、奈々草さんがブログ「親の気持ち・子の気持ち」で、<暴走した家族愛(?)ー後藤徹氏の拉致監禁説得について、私が思ったこと>と題した記事で考察している。 全文はリンクをクリックして読んでもらいたい。なかなか鋭い分析である。
 私がハッとしたところを引用する。

(引用はじめ)
私は見たことないのですが、「es 」という実話を元にした映画があります。実験で刑務官と受刑者の役割を与え、数日したら、刑務官が受刑者に対し、威圧的になり、暴力まで振るったという内容です。
監禁する側の役割を兄妹、兄嫁さんは与えられてしまいました。
徹氏の食事も外出の自由も意のままです。
知らぬ間に、徹氏に対する態度は暴走していきました。
説得なき常識外れの長期の監禁と、兄妹・兄嫁の暴走(食事制裁)を知っていたと思われる水茎会の良識ある大人が誰も止めなかった・・というのが私には信じられないです。
(引用終わり)

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 映画『es』は、1971年にアメリカのスタンフォード大学で実際に行われたスタンフォード監獄実験を元にした、マリオ・ジョルダーノの小説『Black Box』が原作である。
 映画では、新聞広告によって募集された男たちが実験の対象者となっているが、実際の被験者はスタンフォード大学の学生たちである。
 この実験については、拙著『我らの不快な隣人』でも言及しているので、同書から引用する。(280頁~)
「大学の地下室を模擬刑務所に見立てた看守と囚人の役割実験である。警察が逮捕するところから始まり、指紋を取られ、囚人服に着替えさせられ、刑務所に入れられる。囚人は番号で呼ばれる。
 被験者たちの人格は早くも二日目に変化し、囚人は服従的で従順に、看守は支配的で残忍になった。たとえば看守(学生)はいつの間にか交替の時には必ず囚人(学生)を全員並ばせ、反抗的な囚人をからかうようになり、一方の囚人は自発的な行動をやめ、指示に反応するだけになっていった」

 この実験を行なった実験心理学の教授はこう結論づける。
「被験者は、惨めな囚人の役割をわずか一週間足らずの間、演ずるだけで、それまで築いてきたその人のアイデンティティを崩壊させ、服従的で卑屈な人格を築いていった」
 このスタンフォード監獄実験の結果が公表されたときの社会に与えた衝撃は想像に難くないが、教授の結論は失当である。
 なぜなら、実験が終わり、平静さを取り戻した学生はまた元通りの学生に戻っているからだ。人格の変容はあくまで実験中での出来事であり、アイデンティティが崩壊したわけではないのだ。

 西田公昭氏がマインドコントロール論の補強材料にしていたため、拙著ではこの実験についてことさら低く評価したが、実験の意義は十分にある。
 それは、人が特殊な環境下で役割を与えられると、人格(というより性格)が変わってしまうことを立証した点にある。
 七草さんは後藤裁判の資料を読みながら、『es』を想起した。まさに炯眼である。
 
 以下は、私が思ったことである。
 後藤さんの家族の役割は、監禁下で、後藤さんを脱会させることであった。
 彼らは支配的であり、後藤さんは自由を取り戻したいために服従的であり、インタビューを読めばわかる通り卑屈ですらある。
 後藤さんが脱会しないため、支配的性格は増幅し、3回目の断食後に食事制裁という暴力を振るうようになった。母親もガリガリに痩せているわが子に憐憫の情を示すことなく、黙認した。この点だけを取り上げれば、後藤家族は冷酷な人間に思えるはず。
 ところが、監禁生活が終わってから、後藤兄弟に会った元信者たちは「後藤兄弟はみんなとてもいい人」と感じたはず。監禁中の支配的性格は監禁がなくなれば、元の性格に戻るからだ。それゆえ、後藤さんの食事制裁という訴えを「あの人たちがそんなことをするわけがない」と、訴えはでっち上げだと思ってしまう。
 やせ細った後藤さんの写真を見てもそのまま受け止めずに、一心病院で断食したせいだとまで妄想してしまう。

 真面目で痛切な訴えなのに、それをでっち上げとこれまた真面目に考える。
 この矛盾は、「人が特殊な環境下で役割を与えられると、性格が変わってしまう」。このことが理解できれば、たちどころに氷解する。


-後藤インタビューを取り上げた記事の紹介-(更新中)


◆ブログ「いつも私のとなりに神さま」(管理人は現役教会員、拉致監禁体験者)
後藤さんの壮絶、12年5ヵ月!! 拉致監禁に見る「親の情」と「兄弟の情」の違い?!
12年5ヵ月! 後藤さんのその後は ──心の闇を越えた強さはどこからきたのか?! 
「私を殺すつもりなのか?!」 最後の2年間は飢餓との戦いだった!! 《後藤さんの壮絶、12年5ヵ月拉致監禁!!》
マインドコントロールとは、拉致監禁へ父母をいざなう為の「架空の論理」だった?! 《後藤さんの壮絶、12年5ヵ月拉致監禁》

◆ブログ「統一教会 拉致監禁 人権侵害 宗教の自由」(管理人は元教会員)
「後藤徹さんインタビュー (1): 人に対する見方が変わり視野が広がった<」/a>
「後藤さんインタビュー(2): 家族で荒川土手散歩 - 幸せの瞬間」
「後藤徹さんインタビュー(3): 「本気で私を殺すつもりか」と恐怖感」

◆「秀のブログ」(管理人は現役教会員、拉致監禁体験者)
「後藤さんインタビュー1」
「後藤さんインタビュー 2」
「後藤さんインタビュー 3」

◆「親の気持ち 子の気持ち」(管理人は元教会員、拉致監禁体験者)
「そして、みんな不幸になったー米本氏の後藤徹氏インタビュー記事を読んでの感想 」

人によって感じ方が違うので、面白いし、なるほどと勉強になります。



-次回から、佐賀大学&森准教授の「“カルト”対策」行為を違法とした判決文の全文を紹介いたします-


興味深い記事だと思われた方は
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コメント

普通だった人が殺人未遂をしている恐怖

お兄さんが宮村の会社、TAPに勤めていたと見て妙に納得しました。
拉致監禁だけの関係のわりにはディープすぎます。
普通はここまでしたら途中でもう止めようという話になるでしょう。会社の繋がりからして服従関係は強かったのでしょう。「es」のように役割というのは本当に恐ろしいものです。統一教会においては間違ったアベルカインにより、指示する役割の者と服従すべき役割の者の構造が出来てしまった。本来のアベルカインは役割より愛において一体化すべきなのに。トホホ

後藤さんの拉致監禁により宮村は絶対に利益を得てるはずだから遺産をこんな形で使われたお父さんが可哀想すぎます。
おまけに家族の繋がりさえも崩壊してしまった。
考えてみると宮村にしたら長期間監禁になるほどお金が入り、いい金蔓だったのではないでしょうか。
だからこんなに長期間拘束したのではないかとさえ思えてしまう。

いろいろ考えても宮村の賠償金負担額は少なすぎます。おまけに松永も有罪にならなくては完全勝訴といえないような刹那さが残ります。

お兄さん夫婦と妹さん達が自分達も宮村達に嵌められた事を悟り彼らに反撃に出たらいいのに。時間もお金も奪われたのだから、した事は酷いですが同情の余地があります。
でも担当弁護士が弁護士だからなぁ。弁護士を変えるべきですが、ここも宮村が握っているのだろうか。

しかし本当にもう狂気の世界、下手したら殺人を犯してたかもしれないと思うとゾッとします。

ちょっと前の尼崎連続殺人で刑務所で自殺した角田美代子の指示の下、大江和子さんが角田と家族によって殺された事を思い出しました。

あとこの事件だったか忘れましたが同じように仲の良かった親子で子供が上から指示され恐怖から親に暴力を振るった事もあった事を思い出し、恐怖による支配と家族の崩壊の残酷さを感じました。

とにかく宮村と松永はもっと罪滅ぼしをすべきです。でないと崩壊した後藤家が報われません。

結局は金銭

 後藤さんのお父様が、なまじ一流企業を退職され遺産をもっておられたために、こんなことになってしまったのでしょう。
 反カルトの弁護士さんたちも、結局は訴訟を起こして統一教会に対して損害賠償請求をしてくれるクライアントでなければ相手にしません、だからといって、突き放すと問題になるので、どうしても宮某のような斡旋屋が必要になるのでしょう。
 やはり一番いいのは、統一教会が献金させるときに、大人が自分の意志で献金したのにやめたあとから利子付で戻ってくるというような献金をさせないことだと思います。
 弁護士の数が増えて仕事が減っている状況では、交通事故や医療事故より巨大な報酬の入る献金返せ訴訟は、何よりもうまみのある仕事ですから。

バカですみませんm(__)m

被害者弁連の中の関係が詳しくわからないのですが、突き詰めていくと宮村側の山口広弁護士と後藤兄側の山口貴士弁護士はどちらがより悪質で主導していたかを巡り対立する立場だと思うのですが、そこがなぁなぁだったり力関係があれば不利になってしまう側が生じると思うんです。

宮村側にすれば家族の強い要望を説くだろうし、後藤兄側にすれば宮村.松永に主導されたと説きお互い敵対関係になるでしょう。

今は被害者後藤さんと加害者側の対決だからその辺りは仲間割れになるし、判決が確定してから宮村と親族の争いになるのでしょうか?

既に多額のお金を使っているのに後藤兄側がこのまま賠償金の殆どを支払う事はお兄さん側にもそれを支払わせる後藤さんも不本意だと思うんですよね。
黒幕は明らかに宮村と松永でしょう。オウム事件だって一番責任追求されているのは麻原ですよ。私が後藤兄側の知人なら宮村達を訴えろと言いますよ。一番利益を得たのは宮村でしょう。

一番の悪人の罪をハッキリさせる事で後藤家の関係修復の道も見えてくるのではないでしょうか。

元々頭が良くないし、裁判関係の記事は複雑すぎて大変なんですがバカの壁を少しでも越えれるようになんとか頑張らなくてはと思います。
後藤さんの事件は単に宗教と人権問題だけでなく日本の司法の問題点も絡んでくるからややこしいです。
しかし闇を切り裂き新しい時代を切り開く可能性も大きいからジャーナリストの醍醐味もありますね。

ところで後藤さんのお兄さんは今は宮村の会社を辞めておられるのでしょうか?全面対決するなら宮村と完全に縁を切る覚悟が必要ですしね。

バカに教えるのは大変だと思いますが、恐ろしい事に私以下の方も結構教会にはおられるので後藤さんの裁判の理解を広める為にも宜しくお願いします。

兄嫁のヒステリーと兄妹の変貌

大倉は元原研の献身者(話から原研で間違いないと思われる)をしていて、その経験をTVに出て「あえて潜入して研究していた」などと言っていたようだが、献身者(おそらく今の学区長に当たる立場だったと思われる)をしていたと言うような話を語っていたようだ。

学区長と言っても学生上がりたての献身者だから協会や社会からみると大したこともないのだが、一時的にでも献身した身で潜入とは失笑を禁じえない。

学区長は青年部で言えば教区の青学部長に当たると言いたいところだが、宮廷や駅弁で数人から数十人の学生相手の地方責任者で、28歳で定年になる期間限定献身者だから、現実的には青学部長とは格が異なる。

もちろん、ブロック長や局長、会長と出世街道を歩き、統一教会の会長になった大塚会長や徳野会長などのごく一部のエリートもいるが。

お知らせ

「秀のブログ」に<後藤インタビュー1>が載りました。末尾に追加しました。

 秀さんも拉致監禁体験者。それだけにインタビューの感想には興味深いものがあります。

特殊な環境下という問題

>この矛盾は、「人が特殊な環境下で役割を与えられると、性格が変わってしまう」。このことが理解できれば、たちどころに氷解する。


 統一教会員に対する拉致監禁行為について宮村脱会屋や松永牧師のような脱会請負人がそれを正当化する根拠として「マインドコントロール論」を掲げているのは周知のことですが、それは米本さんが書かれたように‘疑似科学’以外の何物でもないと思われます。
 その「マインドコントロール論」の問題点は米本さんの“我らの不快な隣人”(情報センター出版局)において既に詳述されていますが、まさに欠陥だらけの「インチキ学説」と呼べるでしょう。

 かつてテレビ番組等で有田芳生氏や紀藤正樹弁護士が統一教会批判を繰り返していた時に よくこの「マインドコントロール論」を持ち出していましたが、その言葉を聞くたびに一気にその番組をみている自分の凝縮した思いが白けてしまい、それを知ったか風に語る有田芳生氏や紀藤正樹弁護士の顔が馬鹿にしか見えなくなってしまいました。
 と言うのも、自分や周りにいた教会員が信仰に至った過程や動機と全くかけ離れた理論であり、普遍性など微塵もなかったからであります。
 それをあたかも有力な学説のように‘宣伝’している「知ったかコメンテーター」や「反統一教会弁護士」の悪意と思考レベルの低さをその発言によって思い知らされることとなったのです。

 しかし、その「マインドコントロール理論」が拉致監禁行為を正当化する根拠として‘信奉’されているとなると、単なる「インチキ学説」では済まされず、「有害言説」と言えるのかも知れません。
 その「マインドコントロール理論」を根拠として教会員の家族らが良心の呵責なく拉致監禁を行うのだとしたら、それは「自殺を教唆する説話」にも匹敵する社会にとって有害な言説と言えるでしょう。

 しかし、そのような深刻な影響があるにも関わらず、その「マインドコントロール理論」で学位を取り、日本ではその代表的学者とされている西田公昭氏が<『マインド・コントロールとは何か』を批判され、「いずれ反論を書く」と高言していた。それにもかかわらず、10数年経った今日に至るも沈黙している情けない学者である。>という現実にはあきれ返ってしまいます。
 そのような実情を知らずに、もし未だに「マインドコントロール論」を持ち出している統一教会反対派がいるとしたら、やはり“無知”という面ではその批判している統一教会信者とほとんど変わらないレベルなのだと思います。

 結局、拉致監禁行為には何の正当性もなく、人権を蹂躙する犯罪行為以外の何ものでもないという結論になります。
 しかし、「人が特殊な環境下で役割を与えられると、性格が変わってしまう」問題は考えさせられることが多くあります。
 統一教会のメンバーが詐欺商法を行ったり、教会幹部が献金活動を強制したりするのもその心理と共通していると思われますが、それはそこに作られた「特殊な環境下で役割」を与えられることに問題があることになります。
 統一教会の場合の「特殊な環境」とはやはり、「真の父母様」を絶対的存在として神格化し、その統一教会組織だけが神と一体化した組織であるとして識別する環境認識だと思われます。
 そのような環境認識によって、統一教会以外の環境は意識のなかでフィルターがかけられ、影響が最小限となってしまいます。
 そして統一教会の李氏朝鮮王朝のような組織的環境だけが自己の現実的環境となって回りを覆いつくすことになってしまうのです。

 それは一見「マインドコントロール」された状態と近く見えるのかもしれませんが、やはり、環境を選ぶことにおいても主体的意思が働いているのは間違いなく、思想信条の獲得が自由意志によっていても、環境を選ぶことにおいて間違いを犯す可能性もあるのです。     
 そして、その組織活動に問題があるのであれば、その組織の人的構造において問題を追究せねばならないのです。
 つまり、個人の思想信条の問題と組織が抱える問題は全く一緒にできないことになります。

 統一教会員に対する拉致監禁行為の最大の間違いの一つは、その統一教会という組織の善悪の判断と個人が持つ信仰、思想の内容に対する判断を渾然一体としてしまったところにあると思われます。
 しかし、その個人の信仰、思想はその人生経験と密着しており、外的な強制力で破壊することなど当然許されることではありませんし、それを強制するならば必ず不自然な影響が残ることになります。
 やはり、拉致監禁による強制棄教には何の正当性もないのであり、「マインドコントロール論」を根拠として正当化される家族らの監禁行為によって「人が特殊な環境下で役割を与えられると、性格が変わってしまう」後藤さん家族のような事件が発生する恐ろしさこそ、人々は警戒すべきだと思います。
 
 

桜子さんに回答します。

桜子さん
>ところで後藤さんのお兄さんは今は宮村の会社を辞めておられるのでしょうか?

 このことについては、判決文に書かれています。
ブログ「空白の9年5か月は「監禁のための監禁」期間だった!」。タの(オ)の記述です。
http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-457.html

 平易な一文ゆえ、小難しい判決文だから理解できないということは絶対にないはずです。桜子さんは自分はバカだと書いていますが、バカではなく、たんに読んでいないというだけです。


 なお、以下も後藤裁判関連の文章(裁判ブログなど)を読んでいないゆえのややトンチンカンな感想です。

>宮村側にすれば家族の強い要望を説くだろうし、後藤兄側にすれば宮村.松永に主導されたと説きお互い敵対関係になるでしょう。

 一般論とすればありうる話ですが、被告宮村・松永・後藤兄らが揃って法廷で主張したのは、(1)拉致監禁など一切なかった、(2)家族の話し合いをしていただけだ、(3)(松永、宮村の役割は)話し合いのサポーターである-ということでした。
 これらを一言でいえば、拉致監禁虚構説です。
 全国弁連の弁護士など拉致監禁諸派はこの説を頑なに守っています。そうでないと、負けますからね。
 それゆえ、拉致監禁諸派の間で意見が異なるようなことは生じません。

 次回紹介する佐賀判決文を読めば、以上のことはよく理解できるはず。
 被告佐賀大学の代理人は全国弁連の弁護士ですが、被告森善宣氏の代理人は全国弁連の弁護士ではありません。
 それゆえ、2つの点で主張が異なっていました。

「青春を返せ」 リターンズ(後半、暴走しました。)

私は、初めて米本様のブログにコメントを寄せようとした時、本当はこう書くつもりだったんです。拉致監禁のことをこんなに取り上げて頂いて、感謝しています。そして、現在以下のように感じています。それは、

「私の母が死んだら、それが私の拉致監禁の終わりです。」

つまり、母が死なないと、私は拉致監禁の可能性がいつまでも無くならない、イコール安心して生活することができない、ということなんです。

私は、父を拉致監禁後亡くしましたが、後藤さんと違って、葬儀には呼ばれました。しかし、その葬儀に参加するにあたり、本当に亡くなったかどうか、確認する必要がありました。確認した後、あらかじめ実家の周辺を探り、多分オーケー、となり、葬儀に参列したのです。

そして、葬儀の間中、親戚中から無視されるという扱いを受けました。

私が統一教会に入ったということの他に、何か彼らにひどい仕打ちをしたのだろうか。私は考えました。拉致されそうになり、逃れた後、抗議をするとともに、祝福を受けて結婚します、という手紙を一度だけ出しました。それだけです。親戚に対しては、誰一人として、布教はしませんでした。お金を無心したこともありません。復帰されてから、早い時期に反牧が出てきたので、そんな暇も無かったのですが。

私の罪、それは監禁されても脱会しなかった。それだけです。結局、私の両親は、私を完璧な悪者にすることに成功した・・・親戚の態度を見て、こう感じました。私が、信仰を続けながらも、アルバイトや派遣などで自活していたことも、親戚には内緒にされていたことも後になって分かりました。一切まともな社会生活を送っていない、私は親戚中にこのように喧伝されていました。

青春を返せ、という裁判がありますね。これがかつて私には何とも不思議でした。この人たちには、統一教会に返してもらうべき青春があったんだ、それはどんな青春なのだろう。素晴らしい彼氏、彼女との出会い?立派な学歴、そして職業?多額の献金?

そのいずれも、私にはありませんでしたから。自分にないからといって、他の人にもないだろう、と言っているのではありません。自分の選択、自分の意思、自分の責任が無いのは、親に頼らざるを得ない無力な子供、心身の弱ったお年寄り、監禁などされている犯罪被害者、等という人たちだと思っていたからです。そうでもないのに、青春などという抽象的なものを返せ、とはどういうことだろう。「奪われた」という青春に対し、賠償金を請求するということですからね。どのように被害額を算定するのか?裁判が始まった当初の私の想像です。

・統一教会に入ったせいで、イケてる彼氏を捕まえ損なった際の損害額・・・10万円。
・統一教会に入ったせいで、東×大学に入り損なった際の損害額・・・1千万円。
・統一教会に入ったせいで、伊藤○商事に入社し損なった際の損害額・・・2千万円。

私も、最後の監禁からもう16年ですよ。それで、これまで感じたこともないような怒りの感情が出てきてしまい、自分でも当惑しています。この16年の歳月はなんだったのか。なぜ今になってこんなに腹が立つのか。恐らく、私の監禁に関わった人たちは、もうとっくの昔に忘れ去っていると思います。しかし、私は今、痛切に彼らに「返せ!」と叫びたいのです。

「今更、何を返せというのか。そっちこそ、保護説得に使った時間と金を返せ。」と言われるでしょうね。

今回の後藤裁判で、一番笑える場面が、後藤さんは監禁されていたのではなく、「引きこもってた」という件です。

こんなこと・・・本当に引きこもってる人に失礼じゃないのーっ!?(え、この怒り、ヘン?)

あ~ムカつく、めっちゃムカつく。後藤さんに訴えられてから、角突き合わせて後藤さんを監禁した理由をでっち上げた被告人&弁護士たち。こんな阿呆な理屈しかほざけないんだったら、もう一回、幼稚園くらいから人生やり直さんかい!!

例えば、私が今後、私の母や、親戚と和気藹々とやり直す・・・ムリ、ムリ、ムリーッ。ぜーったい無理。

これまでの人生。家庭では従順な子供として、また、統一教会では世間から非難轟々の教会を、これ以上悪く見られたくないため、下品な言葉で本音を言う、等という事は一切してこなかった私。

でも、もういいんです。私をブルドーザーで轢いておいて、倒れた私の身体の上を、平然と土足で歩いているかのような、家族。そして、離婚も成立してないのに、愛人と派手な結婚式を挙げたり、孫までいるのに男といちゃこいてたり、「金払わなんだら、地獄に行くで。」と言わんばかりの脅迫霊能者を崇め奉ってるこんな腐れ教会。

彼らのせいで、私がどんなに品行方正にしてても、「やっぱり、変なとこやん統一教会って。ざまーみろ。」とかって、家族及び世間一般から嘲われ、馬鹿にされるんです。

後藤さんは後藤さんのゴールを目指して、裁判を続けてください。裁判は、完全なる合法的な闘いの舞台です。決裂か、それとも、和解して和気あいあいの未来なのか分かりませんが、肝心なのは自分の気が済むまですることです。闘う時は、相手の事情及び心情を一切顧慮せず、闘い切ることをお薦めします。中途半端が一番いけません。一生の悔いを残し、相手から償いをする機会を奪い去ることに繋がります。

大丈夫です。非情に闘い切っても、それが原因で相手が死んだりすることはありませんっ。(多分)

私が「返して」貰いたいもの、そうやな。一億!!一億現金一括で払ったら、とりあえず許したるわ。

なんや、結局金なんか。おまいも金に汚い統一教会とおんなじや。と思ったそこのあなた!?そう、結局は金なんです。金という形でしか誠意を示せないんです。言い換えれば、金を払いさえすれば許してもらえるんです。今後一切この件に関し、文句は言いません。という言質を取り付けることができるんです。たかが金ごときで!!だから、これは愛ですよ、加害者への愛。

「青春を返せーっ」って言われて、「分かった、その青春、返したるわ。」って言える人います?おったら、教えてくらはい。弟子入りしたいから。

後藤さん、次の裁判では被告たちのためにも、賠償金請求額をさらに釣り上げてくださいませ。

めっちゃわかるわ~

黒い羊様のコメント


<私が統一教会に入ったということの他に、何か彼らにひどい仕打ちをしたのだろうか。>

<親戚に対しては、誰一人として、布教はしませんでした。お金を無心したこともありません。>


<私を完璧な悪者にすることに成功した・>

<私も、最後の監禁からもう16年ですよ。それで、これまで感じたこともないような怒りの感情が出てきてしまい、自分でも当惑しています。この16年の歳月はなんだったのか。なぜ今になってこんなに腹が立つのか。恐らく、私の監禁に関わった人たちは、もうとっくの昔に忘れ去っていると思います。しかし、私は今、痛切に彼らに「返せ!」と叫びたいのです。>


私は拉致監禁脱会者ですが、黒い羊さんの心の叫びに共感します。

私の場合は、脱会したので拉致監禁は終わりました。それでも「拉致監禁反対!」と言っているのを親が知ったら、統一教会に戻ったと勘違いされて、再度監禁されるのでは、というバカみたいな妄想がよぎる時あります。

もし、自分が親に「拉致監禁は間違っている」「あの時のことを全て語れ」と詰め寄ったとしたら、「今更何をぬかす」と相手にされず、終わりでしょう。
(まぁ、高齢になった親にそんなことは言いませんが。)

監禁未経験者は想像がつかないでしょうが、監禁現場では、統一教会員というだけで、極悪犯罪者扱いです。親を心配させた悪い娘、親にそこまでさせた悪い娘扱いです。
そういえば、某ブログで拉致監禁経験者に対し、「親に監禁までさせる程心配させた人が、親に対しグーミンというのは悲しいです。」というコメントがありましたけど・・・。

後藤さんインタビュー(上)で後藤さんが解放された後、後藤さんに敵意をもってない普通の人が歩いているのを新鮮に感じたとありましたが、わかります。
それだけ、監禁現場では統一教会を信じている人に対して敵意しかないのです。

私は、脱会する課程で、罪悪感を存分に感じ、親には頭が上がらないと思いました。

拉致監禁脱会説得のカラクリがわかるにつれ、色々な疑問が出てきます。
本当は、今からでも親から、説得者から私が疑問に思っていることの真実の答えが聞きたいです。

でも、それは今更無理です。
・・・・・・・・・・・・・・・・

私は最初の監禁から20年たちました。
最後の監禁からは19年です。
いい加減、忘れてもいいはずなのに、忘れられません。
やはり、「怒り」はあります。



ごめんなさいm(__)m

平易な文で書かれてても途中小難しい事が書かれていたらバカの壁が目の前に出てきてしまうんですよね。

言論分析を司る左脳が弱い私にとって拉致監禁者のコメントの方がスッと入ってきやすいんですが、昔原理講論を条件で読んでいた事を思い出しもう一度トライしてみます。

でもやっぱり次のような疑問は残ります。(まだわかってないのかな?)この裁判が被告の敗訴が確定した場合その後で宮村側と後藤兄側との対決を後藤兄側が望んだらどうなるのでしょうか?拉致監禁した事を認めそれは宮村側の主導によってなされたと今までの主張を変える可能性もあるでしょう?

今の私は後藤さんのお兄さん達が少しでも後藤さんに恨みが残らない事に一番関心があります。
勿論してしまった罪は償わななくてはいけませんが、一番憎み責任を負わなくてはいけないのは宮村達側でしょう。

本当にごめんなさいm(__)m

前のコメントは夜眠いのに書いたから、朝起きて読んでの補足と訂正です。これからはもっと研究して推敲して書くように心掛けます。

先ず「拉致監禁者のコメント」でなく、「拉致監禁経験者のコメント」です。これは絶対に間違ってはいけない所。申し訳ないです。

あと、知りたい箇所に行き着くまでに小難しい文があるとバカの壁が出てきて気持ちが萎えて、飛ばし読みになり肝心な所も飛ばしてしまうという状況です。これを直すのはかなり努力しなくては。左脳の訓練だ〜。
全文をきちんと読めてる人は本当にすごいなぁと思います。

重要資料を追記情報に!

 裁判ブログで、甲40-2号証がアップされました。

 後藤さんが訴える食事制裁の意味が栄養学的に理解できる書面です。

 後藤さんが「殺意を感じた」のがリアリティをもって理解できるはずです。

 追記した、ブログの末尾の囲み記事を読んでください。

心に鋭く刺さった

 黒い羊さん、飾ることのない、心の叫びを投稿していただきありがとうございました。

 何度も読まさせていただきました。うまく表現できないのですが、心の痛さを感じました。手垢にまみれた言葉ですねえ。ちょっと恥ずかしい。

 拉致監禁体験者のkoyomi さんがさっそく「めちゃわかるわ~」と反応されました。

 おそらく、宿谷麻子さんがご存命なら、同じように「黒い羊さんの気持ちは、心のヒダヒダまで理解できるわ」といった反応が返ってきたはずです。
 現在、拉致監禁を起因とする依存症で入院されている中島裕美さんなら、「私の母が死んだら、それが私の拉致監禁の終わりです」の言葉に敏感に反応されるはず。彼女は両親を切っているし、両親も入院中の娘に救いの手をのべようとしないし。

 統一教会員さんが拉致監禁に反対するのは大いに歓迎すべきことです。
 しかし、いったい何人の教会員が「拉致監禁体験者の心」を知っている、いや知ろうとしているのか・・・。
 そもそも、同じ教会にいながら、拉致監禁を体験した教会員に話を聞こうとしないのだから。(違うかぁ!)
 それゆえ・・・。

 これまで少なくとも1000人の教会員が強制説得から必死に逃れて統一教会に戻ったと推測しています。が、おそらく半分以上はエネルギーを失い、教会から去った、あるいは退会状態になっているはず。
 この推測を間違いだと思われるのなら、各教会でリストチェックをしてみたらいかがでしょうか。

 拉致監禁によって脱会した・脱会しなかった。現在の立場はまるで違いますが、よりきついのは脱会しなかった教会員だと思っています。
「離婚も成立してないのに、愛人と派手な結婚式を挙げたり、孫までいるのに男といちゃこいてたり、「金払わなんだら、地獄に行くで。」と言わんばかりの脅迫霊能者を崇め奉ってるこんな腐れ教会」

 自分の信仰を貫くために、すべてを犠牲にしてきたのに、今の教会は何なのよ!

 腐れ教会。この表現に万感の想いが込められているのではないでしょうか。

善悪と犯罪と・・・

自分も怒りが冷めませんよ。その原因を考えてみたところ、監禁実行者が罪を償っていない、少なくとも自覚がないんです。悪いのは監禁罪を犯したほうであって、いかがわしい(世間からそう思われている)団体にいる(いた)人ではないでしょう。万物復帰(高額・有害な商売)を裁くのは、警察、裁判所であって、牧師や家族が信徒の自由を奪うのは、全く別問題です。でなければ、そもそも、警察も、法律も要りません!!牧師さんにとっての罪が聖書からのピント外れなら、この世の中で、人権蹂躙を犯した上での清潔な理想など以ての外なのではありませんか?

彼らは悪いことをしていると監禁下ではおっしゃったが、そもそも、自覚があって実行なんてできるわけがないんです。今でも、自分らは正しいことをしたと思って疑わないはずなのです。親も、理解してくれという感情を持ち続けているのが伝わってきます。こちらが同意しようが、しまいが、許されるべき出来事だったか。肯定的結論を認めたなら、それは正しいことになって、じゃあ、(統一教会以外でも)どこまで認めるのかという話をしなければいけませんよ。きっと恐ろしい世の中になるのではないかと思います。

密室はやりたい放題

<兄嫁は恐ろしかった>
<声は金きり声。目はフォックスアイ。正直、怖かった>

やはり、血のつながっていない人間は情が通わない、っていうか、怖いですね。

密室で、誰が見ているわけでもない。
夫を言いくるめさえすれば、思う存分、いびり、苦しめることができる。
もともと嫌いな人間。その上、自分がつぶしたいと思っている組織に対する忠誠心を持ち続けている人間。
見るのも腹が立つし、ソイツゆえに自分の幸せが削り取られていると考えると、それはそれはいじめないわけにはいかないでしょう。

空腹でゲッソリと痩せた徹さんが、苦しそうにしている姿をみて、兄嫁はさぞ「ざまあ見ろ!」という思いを強くしたことでしょう。密室が、そんな思いをさらにエスカレートさせたことは容易に頷けます。


<相手側弁護士からのFAXで「喪主側としては徹氏に葬儀への参列をしてほしくない」という伝言が。監禁中亡くなった父の葬儀にも参加することができなかったので、(うめくように)結局両親の葬儀に参加できませんでした>

まるで犯罪者扱い。遺族が、謝罪をしたいという加害者に対する態度と同じですね。
お父さんもお母さんも、徹さんの葬儀への参加を望んでいなかったのでしょうか。
統一教会は憎いでしょうが、素の息子としての徹さんをそこまで憎んでいたのでしょうか。

山口弁護士らは、徹底的に、原告と被告に分かれた兄弟を敵対させたままにさせておきたいのでしょう。
血の通わない、情の薄い弁護士に、人の情を伝える方法はないですかねぇ。


<そもそも、同じ教会にいながら、拉致監禁を体験した教会員に話を聞こうとしないのだから。(違うかぁ!)>(米本さんのコメント)

この点は何と言われようが、非を認め、ただただ肝に銘じるしかないですね。


<腐れ教会。この表現に万感の想いが込められているのではないでしょうか>(米本さんのコメント)

「腐れ教会」と言う信者と、「腐れ教会」といわれて、心苦しく思う信者。
主人意識の違いですかね。

“腐れない教会”にするのもしないのも、それを構成する一人一人だと思います。
真の家庭の誰それがダメだ、本部がダメだ、教会責任者がダメだ、と何でもかんでも誰かのせいにしていていいのでしょうか。

いずれ、私たちは真の父母にならなきゃならない―。統一教会の教えの核心はこうだと、私は理解しています。
負の側面を直視することも大事ですが、そこからさらに一歩踏み出して、建設的、自己責任的、発展的な心で歩むことのほうがもっと大事ではないかと思います。
徹さんには、そういう闇よりも光を求める心があるように、私は感じています。

お知らせ-追加ブログ記事

 ブログ「いつも私のとなりに神さま」とブログ「親の気持ち 子の気持ち」で、後藤インタビュー記事の感想がアップされました。

 本文に追加しました。

 いろんな感じ方があって為になります。

お知らせ2-追加ブログ記事

「秀のブログ」に「後藤インタビュー2」がアップされました。
 末尾の感想に、思わず笑いが込み上げてきました。

 本文に追加しました。

 

拉致監禁体験者のこと

 みんなさんの投稿を読んで、拉致監禁に反対していても、拉致監禁体験者(後藤さん、黒い羊さんなどなど)の心の奥底を理解できない教会員がいることに気がつきました。

 このことに言及していくと、テーマからそれてしまうのでやめますが、いつか書いてみたいと思っています。

 後藤さん関連のことはひとまず終わりにして、佐賀裁判の判決文のことに移ります。

 なお、拉致監禁体験者の体験談を、後藤さんの控訴理由書をアップしたあとに、紹介する予定です。
 食口がやらず、非教会員かつ腐れ教会と教会を批判する私が紹介するのは実に変な話なのですが。

拉致監禁裁判勝訴を報じる最新チラシ

今日教会に行ったら後藤さんの拉致監禁裁判勝訴を報じるチラシの最新版がありました。
昔に拉致監禁反対のチラシ配りを個人に部数を割り当てられて配布した事を思い出します。
あの時は義務的に配布して後藤さん始め拉致監禁被害者の皆さんに申し訳なかったと思います。でも責任転嫁になるけど、出来たらより詳しい状況などを被害者の思いも含め講義してくれたらこちらの意識ももっと違ったのではないかとも感じます。

今回のチラシは一面が後藤さんの勝訴を報じ、もう一面が後藤さんの拉致監禁事件の実態が漫画で描かれていて、漫画文化の中育った私から見てより理解しやすく良かったと思います。また配布の割り当てがあるかわかりませんが、無くても今回は自主的にキリスト教会中心に配布したいと思ってます。

こんなキリストの愛から遠い残酷なやり方を放置してきた日本のキリスト教団体のトップにも責任を取ってほしいものです。


お知らせ3-追加ブログ記事

「秀のブログ」に「後藤インタビュー3」がアップされました。
 本文に追加しました。

 秀さんは拉致監禁体験者。感想で自分の体験のことに触れています。

(引用はじめ)
私事だが、弟から結婚の知らせは来なかった。私も出していない。
そもそも、どこに住んでいるのか知らないから出しようもないのだが、、、。
母はこう言った。「(弟の居場所を)教える必要がない。」
父と母は別居。(別居して20数年、いい加減離婚したのか?)
誰が亡くなっても連絡こないのは確実じゃないかな。
寒々どころか、読者が凍えるのでこの辺でやめとこ。
(引用終わり)

 ぜひ、クリックして感想全文を読んでいただけたらと思います。
http://hydenoshikou.kakuren-bo.com/Entry/33/

お知らせ4-追加ブログ記事

 Yoshiさんが「後藤徹さんインタビュー(3):「本気で私を●すつもりか」と恐怖感」をアップされました。
http://humanrightslink.seesaa.net/article/396766012.html

 本文にリンクしました。どうかご一読を。 

みんなさん、引用失礼します。
>「腐れ教会」と言う信者と、「腐れ教会」といわれて、心苦しく思う信者。
主人意識の違いですかね。


批判的感想で申し訳ないですが、あなたは自分が理解できない人に対しては、本当には理解しようとはしてないでしょう、と怒り爆発するような思いになりました。
監禁された人たちは、いまも、主人意識以前に自分ひとりではどうしようもないところに居るのですよ。
主人意識を働かせても回りの人たちを変えられないんではないでしょうか。変えるって何を変えるか。具体的に言うと拉致監禁の阻止に対して、ですが。

唯一そのことが出来たのが後藤さんであって、それでやっと教会組織が動き出したということではないですか。
たった一人のかたですが、その人の人生の12年の重みが必要になるくらい、重たい内容をひきずってきたのではないですか?
主人意識のある人たちの組織の歴史が。
たしかにひとりひとりの意識が大切なのはよくわかります。

ただそれを束ねるものがどう指揮をとるかがより重要だということではないですか?
だから教会という組織に対して不満がでてくるのは自然なことだと思うのです。
それを裁くような言動こそが構成員を言ってみれば腐らせるような方向に向かわせてしまうような気がするのですが、、いかがですか?

組織を腐らせないために

一脱会者さんへ

<それを束ねるものがどう指揮をとるかがより重要だということではないですか?>
<それを裁くような言動こそが構成員を言ってみれば腐らせるような方向に向かわせてしまうような気がするのですが>

要するに、指導者に問題があって、末端信者は裁かれる立場ではない、ってことでしょうか?

なんというか、日本人的というか、封建的というか…。

私はピラミッド型の組織はあまり好きではありません。
指導者に引っ張られるような天国には行きたくありません。

警察や軍隊などではやむを得ないと思いますが、今の統一教会にピラミッド型の組織を期待するのは、どうかと思います。
そんなパーフェクトな指導者を期待しても、仕方がないでしょう。

もちろん、指導者にはそれなりに正しくリードしてもらいたいとは思いますが、指導者も不完全な人間です。
構成員一人一人がしっかりして、組織を腐らせないようにしないといけないのではないでしょうか。

「半沢直樹」にしても「花咲舞」にしても、組織を腐らせないように頑張っている姿が視聴者に受けているのだと思います。

Re:組織を腐らせないために

>指導者にはそれなりに正しくリードしてもらいたいとは思いますが、指導者も不完全な人間です。構成員一人一人がしっかりして、組織を腐らせないようにしないといけないのではないでしょうか。

 俗耳に入りやすいのだけど、まるで70年前の言説「一億総懺悔」が蘇ってきました。

 敗戦直後、時の総理大臣であった東久邇宮稔彦王は記者会見でこう述べました。

「事ここに至ったのは勿論政府の政策がよくなかったからであるが、また国民の道義のすたれたのもこの原因の一つである。 この際私は軍官民、国民全体が徹底的に反省し懺悔しなければならぬと思う」

 後に有名になった一億総懺悔論です。
 何が問題なのか。申すまでもなく、戦争責任の所在をおぼろ月夜のように曖昧にしてしまうことにあります。
 つまり、戦争指導者A級戦犯クラスと赤紙一枚で戦地に駆り出された国民との境界線を取っ払ってしまった。
 
 統一教会が崩壊の道を進んでいる、つまり腐れ教会になった責任は、末端食口である「みんな」さんにではなく、徳野氏以下の歴代の指導者にあるのです。

 いやそうではない。自分にもあるのだと言うのなら、どう責任を果たすのか、夢見る夢子ちゃん、観念論の観ちゃんではなく、具体的に説明してくださいな。

 まず、みんなさんは日曜礼拝に参加すること。礼拝の説教がつまらないと思うなら、「教会長、あんたの話はつまらん」と発言することから始めてみたら、どうでしょうか(泣。

Re:Re:組織を腐らせないために

<みんなさんは日曜礼拝に参加すること。礼拝の説教がつまらないと思うなら、「教会長、あんたの話はつまらん」と発言することから始めてみたら、どうでしょうか>

やっております。
「つまらん」と直接は言ってませんが、やんわりと…。


<責任の所在をおぼろ月夜のように曖昧にしてしまうことにあります>

なるほど、そういう意味で、指導者を責めておられるのですね。
確かに、その観点は必要ですね。
旅客船沈没事故で、船長やオーナーの責任を曖昧にするのは、確かにおかしいですからね。納得です。

私は、つい「自分の足りなさを棚に上げて、他を批判する」=無責任、と発想してしまう癖があるようです。

また、私がその指導者と同じ立場だったら、果たして、その人以上に正しい指導ができただろうか、と引け目を感じて、つい擁護してしまうのかもしれません。

それから、食口からの教会批判に対しては、後ろから鉄砲の玉を打たれているようで、ちょっと勘弁してくれよ、って気持ちにもなります。

米本さんからしてみると、指導者の懺悔が先、ということなのかもしれませんが、私には、重箱の隅をつつくような、追及のための追及が際限なく繰り広げられるような気もします。
これは気のせいでしょうか。

「腐った教会」が「まともな教会」になった。社会的な評価も上がり、信者も増えた―。
ところが、メリットを得ようとする信者ばかりで、宗教的悟りも得られなくなった―。
これでは本末転倒のようにも思います。

米本様、
この場を借りて、また少し横からすみません、失礼致します。


みんなさんのコメント
>要するに、指導者に問題があって、末端信者は裁かれる立場ではない、ってことでしょうか?


全てのことについては知りませんし、教会側に事情もあったでしょうが、この拉致監禁問題に関する対処については「その通りではないですか」と言いたいところです。
みんなさんのコメント中の、主人意識の違いでは、、、というような内容に、違和感と怒りを感じ前回投稿したわけですが、今回私への回答をいただけてありがたいですけれど、率直に言ってすみません、平然としたコメントに感じられて、、驚きました。
監禁被害当事者も内部に居て「復興」しないんではないかと思いました。

この問題に関して教会内の現状の認識と確認が出来たような思いもしました。
(拉致監禁の経験・体験、は結局、教会内で共有されない、する意義がない、とされている、かもしれない)
結局、拉致監禁問題は個人のせい、背景のせい、本人のトウゲンだ の思想が根強い、ということかなあ、と。

個人的にどう考えるかは自由だし、それでいいのかもしれませんが、全体的にそんな感じで「結束」していると、究極的・根本的には拉致監禁解決しないのではないかと思いますし、(全面解決してから個人的背景だ、トウゲンだ、とやるのはいいのでしょうけど、しかし何をもって全面解決とするかも難しい問題)人の心を復興させられないだろうと思います。


みんなさんの一文
>もちろん、指導者にはそれなりに正しくリードしてもらいたいとは思いますが、指導者も不完全な人間です。
構成員一人一人がしっかりして、組織を腐らせないようにしないといけないのではないでしょうか。


それはその通りだと思います。
ただピラミッド型のような組織を内部で個人的に否定しても、対外的にはそう見てくれず、何かあれば、当然、責任を問われるのは指揮を執る人になる、ということで、酷な立場だとは思います。場合によっては個人に向かいますね。その最悪が拉致監禁ではないんでしょうか。と思います

「腐れ教会」と言うのも悪くて、言わないほうがいいのでは、だいたい内部で言ってたら可笑しいし自虐的だし、
しかし相手が監禁体験者なら何故そういう発言になってくるかを洞察してみることも必要ではないでしょうか。
拉致監禁のこと、その被害当事者、教会指導者、それぞれお互いを理解するのは大変かもしれませんが、
お互い思いやれたらいいのではないでしょうか。

何にしても、闘うべき相手は拉致監禁をする側のほうであって悪いのはそちらのほうですから。構成員次第で克服しよう!ということで。

まとめも何かおかしいですが、
こんな文章ですが、かなり、疲れました、この辺りで引き上げます。
怒りのちょっかいコメントのようで、失礼しました。

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