後藤インタビュー(中)-とても仲がよかった後藤兄弟
後藤インタビュー(中)
※前回の記事:「後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け♪」
♤ 日米韓の人権感覚の違い
--話題を変えます。12年間の単調な風景、暮らしとは言えないような暮らしから、監禁解放後は目まぐるしく風景が変わったと思います。とくに、海外に何度も出かけられたことです。これまで、何回、海外に。
後藤 誤解されているのではないかとあえて言っておきますが、監禁前に飛行機には乗ったことがありますからね。(爆笑)
アメリカには3回、出かけました。ワシントン、シカゴ、ニューヨークなど。
国連人権理事会があるスイスのジュネーブにも3回。韓国も確か3回でした。韓国の3回のうち1回は2週間ほどかけて全国を巡回しました。
それから、スペインと台湾にもそれぞれ一回行きましたね。
--そこで感じたことは。
後藤 海外に出かけたのは、もちろん拉致監禁を撲滅するためです。拉致監禁被害者の代表として、自分の被害体験も含めて日本で甚大な宗教迫害が行なわれているという啓蒙活動でした。
驚いたのは、欧米諸国の知識人の反応の高さでした。
「日本のキリスト教の牧師はけしからん!」
信教の自由に基づく人権意識が根付いているのでしょうね。打てば響くような反応の良さでした。ぼくの訴えがストレートに受け止められ、また12年間よく頑張ったと褒められ、すごくうれしかったし、励まされました。
--欧米に比べ、日本と韓国の反応は。どちらも主に教会員に訴えたと思いますが。
後藤 どこに行っても皆さん、真剣に耳を傾けて熱心に聞いて下さいましたよ。
日本の教会員の皆さんは、自分が拉致監禁の経験がなくても身近な人が拉致監禁を経験していることが多く、その理不尽さを知っている人が多い。だから、普段は拉致監禁問題の意識がなくても潜在的にものすごく義憤心があるので、私が拉致監禁の被害の惨さを話すと、会場が義憤と怒りで充満する雰囲気になります。それから、12年監禁下で信仰を全うした宗教的な証しに感銘を受ける方が多いです。
韓国の教会員の皆さんは、より情的ですね。私が監禁から解放されて行き倒れる寸前で奇跡的に教会員の女性と出会い、助けられるのですが、その体験を話すと皆さん涙を流して感動されていました。
--韓国も日本も、“官製的な反応”だったのでは? 後藤さんを熱狂的に迎え入れるのだけど、あくまでそれは一過性。
その根拠は、狭い特殊な食口の集まりである「ブログ-統一教会村」で、自分のこととして後藤さんの監禁についての感想を綴る人がほとんどいないことです。
また、良心的なある教会員はこう語っています。
「後藤さんの裁判に対する食口の関心度が低いように思いますがいかがでしょうか。教会からの理解も少ない中、物心両面にわたって戦い、ついに勝訴を勝ち取った裁判に対して、その苦痛を理解し、苦労をねぎらう文化を作らなければ統一運動の発展はないのではないかと思います」
後藤 う~ん・・・。(苦笑しながら)一過性というか、とにかく教会員の皆さんは忙しいので、そればかりに関わっているわけにも行かないですしね。拉致監禁問題は信徒の人権問題として重要なことなので、こちらからまめに発信して皆さんに意識して頂くことが必要だと感じています。
--拉致監禁の集会が中止になったことなどはあった?
後藤 ええ、一度、ある教会で拉致監禁反対のデモ、集会をやることになっていたのが、そこの教会長さんの意向で中止になり、急遽取りやめになったことはありました。理由は、はっきりは聞いていませんが。
--教会長の評価はすべて実績で決まるから、余計なことはやりたくなかった、教会員に伝道と献金以外のことを考えさせたくなかったのでしょうね。寒々とした話です。
欧米の反応の良さは理解できるが、どうして日韓の、それも教会員の反応は鈍いのか。これは研究検討課題だと思う。
日本の場合は、教会指導者また教会員たちが世界摂理のための献金活動に追われに追われている。だから、上からの指示によって拉致監禁反対のためのデモや集会には参加するが、それが終われば、まるで解離性障害者のようにスイッチが切り替わり、上も下も、拉致監禁問題を忘れ、日常の「献金生活の日々」に戻る。
しかし、韓国ではそうした献金献金の状況にはない。しかも、アメリカと違って、拉致監禁を体験した日本の花嫁は三桁にのぼる。それなのに、なぜ?
これは、正直わからない。儒教の文化が何らかの形で影響しているのか。つまり、子どもが親(後藤さんの場合は目上の兄)を裁判で訴えるということが受容できないのか。
はっきりしているのは、日韓の教会員がともに上意下達の体質に染まっているということだ。軍隊組織よろしく,上が撃てといえば撃ち、打ち方やめといえばやめる。韓国で撃てといったのは、江利川安栄女史(元宣教師会の会長)だったが、彼女がいなくなると何もしなくなってしまう。
--新宗教の国際会議にも参加されましたよね。
後藤 はい、その一つが反カルトの国際会議(ICSA)ですが、そこに出席し、拉致監禁被害のことを訴えました。私たちは、ICSAに公式に申請し初めて一つのセッションの開催を勝ち取りました。
右端はイギリスの著名な宗教学者のアイリン・バーカー
それまでの10年間は、山口広さんたち(全国霊感商法対策弁護士連絡会=全国弁連所属の弁護士たち)の独壇場でした。霊感商法は悪い。日本の弁護士である俺たちはそれと闘ってきたという報告が続いていました。
そこに、参加するわけですから、まさに敵陣に乗り込むような気持ちでした。
会議には、紀藤正樹弁護士や山口貴士弁護士、それにエイトさん(田中清史)が来ていました。
アウエーで、反撃に出たわけですから、非常に刺激的でした。
私たちは、堂々と統一教会信者として我々が被ってきた拉致監禁被害の実態を訴えました。アウエーではありましたが、私たちは孤立しませんでした。なぜなら、欧米の知識人たちは反カルトではあるけど、人権にものすごく敏感な人たちでした。
彼らの反応は「たとえカルトでも脱会させるのに監禁は絶対ダメ」というものでした。セッションで確かな手応えを感じましたね。
♤ 新しく生まれた家族の絆
--後藤さんたちの活動によって、「国境なき人権」のメンバーが訪日。調査を開始し、報告書を発表した。そして、彼らはアメリカの国務省に働きかける。歴史的な出来事だと言ってもいいと考えています。
ところで、監禁解放後5年間で、後藤さんにとって画期的だったことは、結婚されたことだと思います。31歳から12年間監禁され、社会に戻ってきたときは44歳。まさに浦島太郎です。後藤さんのことを心配する教会員にいろんな思いが過(よぎ)ったと思いますが、その一つがこれからどうしていくのか、どういう人生を歩んでいくのか。具体的には結婚のことを心配していました。
だから、後藤さんがマッチング結婚したと聞いて、ぼくばかりではなくみんな小躍りしたと思います。「拉致監禁をなくす会」でミニお祝い会をやることが自然に決まって・・・。
後藤 (表情をパッと変え)いやあ、ほんとうに。
12年間は、家族といっても、加害者と被害者が一つの屋根の下で暮らしてきたわけですから、夜寝ていても緊張の連続で、会話らしい会話もない。空気が凍り付いたような雰囲気の中で心が安らぐことは全くありませんでした。
それが結婚して伴侶を持った。心の底から信頼し合える、共に支え合える人がいる。心の底から安らぎを得た。これはものすごく大きかったですね。一生の間、宗教的に言えば永遠に愛し合える人が横にいる。まさに至福そのもの。
後藤 のろけになるけど、奥さんがこれまたなかなかの人なんです。なにしろ、大学は食物栄養科を出ていて、調理師の免許を持っている。なので料理が実にうまいのです。監禁中に夢見た7種の丼物がリクエストに応えて次々と目の前に出てくる。これが夢想して食べるものより、はるかにうまい。当たり前ですがね。 (笑)
それと、パソコンが得意なのにも助けられました。
裁判での書面は気が遠くなるぐらいに膨大です。それを奥さんが専属秘書のように実にてきぱきと処理してくれる。裁判で戦う私の緊張をいつも気遣い、慰め励まし応援してくれます。
料理もパソコンも・・・神を感じましたね。
後藤さんは妻の外面的なことで褒めるが、夜中に目覚め、横に手を出すと、「ぼくを守ってくれる愛しい人の手がある」。こういった表現は気恥ずかしくて語ることができなかったのだと思う。
監禁中の後藤さんは、日替わり丼を思い浮かべ、自分を慰めるほどひもじかった。そのことを考えると、目の前に毎日おいしい料理が出てくるのは真に至福のときだった。ささやかな幸せ。悲しい話なのだが。
ここで個人的な話になることを許されよ。読者にとってはどうでもいい話だ。
子どもの頃、庭にいた蛇を捕まえ、父親に自慢して見せたことがある。
父はどうしたか。包丁を持ってきて、蛇の皮を剥ぎ、身をぶつ切りにし、酢をかけて口にしたのだ。
「げっ、まずい」といったような表情をして、口から吐き出した。
父は20代の頃、戦地に出向いていた。確かラバウル。蛇や蛙を見つけると、良質なタンパク質だと料理して食べたのだろう。
そのときのひもじさ、ご馳走を見つけたときの驚き、料理して食べたときの喜び。
そのことが10年以上経っても忘れることができないから、ぼくが捕まえた蛇を口にしたのだろう。
後藤さんのひもじさ体験のことを想像していて、ふと思い出したことだ。
いつか、父の戦歴を調べ、「身辺雑記」で書いてみたいと思う。
--もう一つ、画期的だったのは赤ちゃんを授かったことでは。
後藤 奥さんがある日、ぼくにこう話しました。
「大事な報告があります・・・。できたかもしれません」
え!
もう、青天の霹靂!ですよ。
はじめはとても信じられませんでしたね。
所帯を持って2年間、子どもはできなかった。しかも、奥さんはもう42歳でしたから。
そのときに浮かんだ言葉は「判断は慎重に慎重に」。違っていたら落胆も大きい。 そこで、「(妊娠したかどうかの)試験薬を見せて!」と興奮して喚きました。確かに陽性反応の印が。しかし、慎重に慎重に。
その後、産院の超音波断層検査によって、妊娠1カ月目の胎児がいることを確認しました。「 いたかぁ!」。奥さんには無理をせず職場からなるべく早く帰るように言いました。
毎日がもうハラハラドキドキの日々でしたね。
--それから。
後藤 それから?そうそう。
奥さんのお腹が日に日に大きくなっていく。
それで、これは生まれる前にビデオカメラを準備しておかないと、と思ったんです。
電器店を見てまわったが、これが結構高い!なんとか手頃なものを購入しました。
家の近くに荒川の土手があって、天気のいい日にそこに2人で出かけました。そして、ビデオを回しながら2人で大きくなったおなかに向かって語りかけました。
--申し訳ないけど、駒を進めて。
♤ 記憶を蘇らせるときの苦痛
後藤 ああ、ごめんなさいね。
奥さんの陣痛が始まったというところに、話を戻します。
予定日の3日前だったと思いますが、陣痛が来たというので、奥さんにビデオカメラを向けながら、「いよいよですね。これから病院に向かいます。がんばれ!」と吹き込みました。
高齢出産だったので心配でしたが、安産で元気な女の子が生まれました。私も出産に立ち会いましたが、出産直後に奥さんが我が子を胸に抱き、涙を流しながら、「来てくれてありがとう」と語りかけていたのが感動的でしたね。
今、娘は2歳になります。
時々3人で一緒に荒川の土手を散歩します。
そのときだけは、拉致監禁のことも裁判のことも忘れます。
神経を逆撫でされるような陳述書を読むことのストレス。それに反論書面を書くために、無意識に思い出したくないと思っていた嫌なことを必死になって思い出さなければなりません。 だから、荒川土手の散歩は精神的にとても良かった。
宿谷麻子さんたちにインタビューしたときのことが蘇ってきた。宿谷麻子さんは時間が経つにつれ、頬がピクピクし、腕にかゆみが生じるようになった。そうなると、インタビューは中止した。また、中島裕美さんはインタビューが2時間ぐらいになると、「今日は、ここまでにしてもらえませんか」
拉致監禁の体験を語りたいのだが、「無意識に思い出したくないと思っていた嫌なことを必死になって蘇らさなければならない」
そのことを想うと、陳述書を書くのは後藤さんにとって辛い作業だったと思う。
後藤 あのときのあの場面には誰がいたのか。どんな表情をしていたのか。何と言われたのか。
いい思い出ではないゆえ、記憶を辿るのは苦痛を伴いました。集中力と精神力を消耗する作業です。原稿用紙の前に向かうときは、「よし、やるぞ!」と気合を入れて取りかかりました。
緊張を強いられる日々でしたが、親子3人で散歩に出かけることで安らぎを得たし、ひととき裁判のことも忘れることができました。
--陳述書がよくできているだけに、そのような苦闘があったとは知りませんでした。
子どもの頃から兄弟仲が悪かったのならともかく、そうでなかっただろうから12年間を思い出すのは辛かったでしょうね。
後藤 兄弟仲は悪くはなかったと思いますよ。だからこそ、兄が統一教会に入信した後、すぐに私と妹が兄によって統一教会に入信したのです。仲が悪かったらそうはいかないですよ。私が大学で建築学科を選択したのも兄の影響がありました。
妹はかわいがっていましたよ。勉強を教えてやったこともある。「徹兄ちゃんの教え方はとてもわかりやすい」と言ってくれ、実際、私が教えたときはいい点を取っていた。
--妹さんのことは何と呼んでいたのですか。
後藤 雅子とかマーサとか。
--仲の良かった兄、妹なのに、監禁によって関係は切り裂かれてしまう。
後藤 彼らは、自分たちが拉致監禁という重大な犯罪を行ったことをよく分かっています。しかし、統一教会信者だった自分たちが、拉致監禁という方法で脱会することができたので必要悪だと思っている。
兄が監禁中に思わず叫んだことがあります。
「じゃあ、(脱会させるのに)他にどういう方法があるって言うんだ!教えてくれ!」
と語った言葉にそのことがよく現れています。
彼らは自分の考えと立場を絶対正義と見なし、こちらの思想信条を一切認めず、病原菌のごとく唾棄してそれを矯正するためであれば犯罪や人権侵害までも必要悪として正当化し、結果として相手の人生を破壊してしまう。たとえ兄妹でもこのような蛮行を絶対に許すことはできない。だから、私は裁判に踏み切りました。
しかし、彼らだけでは、あそこまで長期間監禁を続けることは無かったと思う。10年以上もの監禁が続いたのは彼らの背後にあって宮村と松永が教唆・指導していたからこそです。
12年間の長い監禁生活の結果、彼らの人生計画もすっかり狂ってしまった。
兄夫婦は、1995年1月に結婚し、その8カ月後からプライバシーのまるでない監禁生活に入ったわけです。楽しい新婚生活が待っていたはずなのに、私を監禁する生活となってしまった。
妹は、私が偽装脱会していたときに、確か「私の夢はお嫁さんになること」と語っていました。それなのに、監禁生活を維持するためずっとマンションに留まって見張っていないといけない。まして恋愛や結婚などできるわけがない。それでも、妹は私を監禁から解放した後に結婚しました。
後藤さんから「妹が結婚した」と教えてもらったのは、「拉致監禁をなくす会」の主催で宿谷親子の対談(火の粉のカテゴリ・「保護説得と親子関係」を参照) を行なった後の茶話会でのことだったと記憶する。
小声で、「実は」と話してくれた。
それから数年後に、メールで赤ちゃんを授かったと教えてくれた。
私は、そのことをブログ本文ではなく、コメント欄で書いた。
後藤さんは、私のさりげないアナウンスをとても喜んでくれた。赤ちゃんを授かることができなかった兄や妹に、直接知らせるのが憚れたからである。
後藤さんはとても優しい人、人情の機微がわかる人なのである。
インタビューのテーマから外れるが、彼の優しさについて書いておきたいことがある。
ぼくがUターンで関東を去るとき、心残りのことがいくつかあった。
その一つが中島裕美さんのことであった。彼女は拙著でも書いたが、戸塚教会の黒鳥似非牧師から保護説得を受け、脱会したあとPTSDを発症した。症状は今でも続いており、いまだ入退院を繰り返している。
彼女が退院するときは、病院から自宅まで荷物運びを手伝っていた。
それがUターンでできなくなってしまった。
その役割を、教団本部広報部長の澤田さんと後藤さんが引き継いでくれた。
宿谷さんと違って面識もない。また、生活保護で暮らしている統一批判派の中島さんをエスコートすることに、教会員のメリットはなにもない。純粋な「義と情」ゆえのことであろう。
後藤さんが約束してくれた。「ぼくが元気なうちは続けますよ」。心が晴々し、うれしかった。
先日も、澤田さん、後藤さん、宇佐美さん(冤罪被害者)が彼女を見舞ってくれた。
-更新中の裁判ブログに注目を-
後藤さんの勝訴判決後、ブログ「拉致監禁by宮村の裁判記録」に新しい記事(法廷に提出された書面)が3本掲載されています。
(1)「SK氏の陳述書―松永牧師にひと財産とられた-監禁した父の後悔
(2)「AS氏の陳述書-脱会の経費請求はどんぶり勘定だ」
(3)「3回目の30日断食後、後藤氏は何を食べていたか?」
1)は保護説得した親の陳述書、(2)はその子どもの陳述書。保護説得する側とされる側が同時に陳述書を裁判所に提出するなんて、前代未聞のことでしょう。
(3)の書面は、「一心病院入院中、後藤徹氏が記載した食事内容のメモ」。<後藤さんへの食事制限は後藤さんの健康を考慮したものか、それとも制裁(虐待)か>という裁判の争点に関わるものです。
【ご留意を】 後藤さんの12年間を知るには(3)の書面は必読です。同ブログの世話人の驚き!
「今まで食事内容ばかり気にしていたので意識していなかったが、2006年4月から2008年2月10日までの約2年間、後藤さんはお茶、紅茶、コーヒー、ジュースも飲んでなかったとは・・・」
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日米韓の人権感覚の違い
それもありますが、摂理でかなり忙しくて拉致監禁対策に時間を割けないと言う理由もあります。
犠牲の大きさ
「親族や先祖の為」と霊感商法教育された食口と何処か重なります。
宮村、松永はそこで利益を得ていたのでしょうし統一教会の狡猾な責任者と同じく、真の邪道のアベルです。
それにしても後藤さんの娘さんを見つめる兄妹さんはどれほど複雑な思いを抱えているでしょう。本来なら愛すべき子なのに、妬みと自責の念が絡み合う複雑な思いを私なら日々感じます。
統一食口の拉致監禁被害者に対する薄情さを摂理の忙しさと許して下さる後藤さんの寛大さには泣けてきますが、世界平和を唱えながら隣人の苦しみに薄情な姿を普通の感性なら理解できないのもわかります。
自分が苦しい生活なので人を思いやる余裕がなくなるのは確かだけど、毎日み言を訓読しながらよくそんな人格で生きれるなぁというのは自分にも周囲にも感じます。だから開き直って私はあまり読まない。
それで熱心に読む方の中には条件としてお題目のように読む事により守られると、「ひたすら文字を読む」事を目的にされている方もいるのですが真似できません。
とにかく世界平和の摂理に貢献できたら私の先祖や氏族がご利益をもらえる。清平の高額献金も使い道は関係ない。する事により私は守られる。
この感覚って怖いですよね。
例えそのお金に溺れ犯罪や罪に溺れる人がいようが私の知る事ではない。自分の子供にそんなお金は渡せませんけどね。その辺の感性がよくわからないけど、統一教会だから結論は「何か深い意味がある」んです。ハー
でも食口だけでなく一般の日本人も終戦記念日や3.11になれば被害者を思い出しその思いが持続しない姿も見ます。当事者の痛みをずっと共有出来ないんです。
食口みたいに生活が苦しく余裕がない人ばかりではないですが、忘れるほど魅力的な素敵なモノが巷には溢れてますから。
結局程度の差はあれ皆自分が可愛いんです。
韓国人にいたっての拉致監禁への無関心さは私は儒教より日本人への根深い恨みの影響が大きいと思うけどな。ウリも日本に強制連行されたニダって何処かで思ってるのではないでしょうか。
しかし自国民が北朝鮮に拉致された事に対する問題意識も低いし、何なんでしょう?あの国は。中には超素晴らしい人もいるのですが。
やっぱり韓国人には世界を救えないと相次ぐ事故に感じながらもダメ夫さえも愛し抜く妻の深い愛が必要なのかと模索している所です。
後藤さんの出会った神様との世界がインタビューで知れたらいいなぁ。
日々荒む信仰心に潤いが欲しい。
でも正直心の何処かで、他に道がなかったのかと疑問もわくのです。こんなに長い時間ご本人も家族も悲惨な生活をする以外道がなかったのか。
偽装脱会して海外逃亡なんてのは非現実的かもしれないけど、現実の長期間拉致監禁も、、。
後藤さん家族のここまでの犠牲が無ければ拉致監禁全体の清算の道がなかったのか、神様に尋ねたいです。
「・・・閉じ込めておきたかったからなんじゃないの?」byチャーリー
昔、宣教師だった頃(現在は、「以上、解散っ」と、解体してしまいました)、うちの夫チャーリーが、私の宣教国の国家メシア(韓国人)に会ったことがあります。
国家メシアは、チャーリーとの対面後、私に、「あなたの旦那さんは、ピュアーな方ですねぇ。」と、感に堪えないというように言っていましたっけ。
始めはね。夫のことが褒められていると思って、気をよくしてたんですけどね。その後、私の顔を見るたんびに、「あなたの旦那さんは、ピュアー・・・」と繰り返し言うので、流石の私も、「お前はピュアーじゃないけどな。」の意味だってことが、分かってきたんですの。
ピュアーの反対の意味って何?もしかして、不純?私みたいな不純な女に、なんでこんな純粋な相対者が与えられたのか、不思議に思っておられるようでしたわ。
まあ、チャーリーがピュアーかどうかってことですけど。確かにピュアーだと思います。
私から言わせれば、とにかく「アベル的」なんです。この「アベル的」って言葉は、統一教会員用語でして、反対語として、「カイン的」というものあります。有り体に言えば、教会に賛同的、信仰的、忠実、言うことをよく聞く、等等。
でも、私はこの「アベル的」という言葉を、昔からちょっと違った風に使用しておりまして、統一教会員であるか否かによらず、素直、正直、穏やか、等とその人の性格的なものを表現する言葉として捉えておりました。
それで、ですね。私は後藤さんのインタビューの2回分の記事を読みながら、後藤さんのことを「この人は、本当にアベル的な人なんだなぁ。」とつくづく感じたんです。ちなみに、私は、よね様のこともとてもアベル的だと思っております。
何て言いますかね。私から見ますとね。お二人は、人を差別しないんですよ。それなりに愛情のある家庭で育った方に多いような気がします、こういう方。ご自分では、「差別してないなんてことないよ~。」とおっしゃるかもしれませんが、ドロドロ、ギトギトな家庭で育った「カイン的」な私から見れば、そう見えるんざます。
正直に羨ましいと思います。人との間がバリアフリー。思想、信条を超えてゆけるんですね。比較的にさらりと。
で、なんで後藤さんファミリーはこんなにも長い間、後藤さんを監禁したのか。何故なのか。誰しもそのワケを知りたいですよね。でも、私にはやっぱりよく分かりません。(以前、コメントで、監禁することが人生そのものになってたんじゃ?とかって、自分で書いた気もしますが。)
で、「アベル的」なチャーリーに聞いてみました。そしたらね、
「・・・閉じ込めておきたかったからなんじゃないの?」
う~ん、これは名言なのか、迷言なのか??
じゃ、結局放り出されたのは何故なの?
「面倒臭くなったからなんじゃないの?」
そんな簡単に言い切れる問題ではないでしょうが、私も、証拠がなくても、監禁した家族を訴えておけばよかったな~、と思ったりします。今でも。もちろん、民事でです。監禁から解放された後、何のアクションも起こさなかった為、結果として、感情的にも、物理的にも長々と尾を引いてしまいました。その結果、双方引くに引けない事態となっております。
家族への愛は、愛として、後藤さんの気が済むまで裁判はやったほうが良いと思います。教会の為でも、拉致監禁撲滅の為でもありません。まず、ご自分のために。それが、結果として犯罪の撲滅へと繋がってゆく。闘わない方が、逆にあらゆる意味で人間関係が壊れてしまうような気がします。
統一教会は、拉致監禁問題に対し、長いあいだ全くと言っていいほど無関心でした。それは、言い方を変えれば、闘おうとしなかった、とも言えるかと思います。外部からの迫害だけではなく、内部の矛盾に対しても、闘ってこなかった。「闘う」と崩壊へと進んでいくような感じがしますが、実際には、必要な闘いは絶対にしなければならないんだと思います。
闘うことを、面倒臭がったり、避けたりしてばかりではダメなんだな、と。
後藤さんの裁判が終了する頃には、長期監禁の謎が解けるのか、見守ってゆきたいと思います。
かわいさ余って憎さ百倍
後藤さんの新しい御家族が素晴らしい関係を築いておられることが、後藤さんの御両親や御兄妹との関係が良かったことを証明していると感じます。
私と一番仲の良かった弟が一番反対もし統一教会を憎み「昔の、姉ちゃんにかえってくれ」と声を絞るように言い続けていることと重なりました。
エイトくんが、お姉さんに反対してこのような活動をされているとしたら、私はその気持ちを理解します。
もし、神様もおられず理想世界も実現できず世界の統一などもあり得ないとしたら・・・、真の家庭と信じたものが崩れ去った今、多くの教会員が持っている思いだと思います。
インタビューを読みながら後藤さんの12年を支えた神様がおられることを感じました。その神様が、後藤さんと共にこの裁判を通して闇に隠されてきたものも明るみにだしながら、統一教会に対しても反対派に対しても是は是、非は非として考える機会を作ってくださっているのだと思います。
大変な痛みを伴う裁判を闘ってくださる後藤さんと奥様、後藤裁判を支える裁判を闘ってくださった今利さんやアントールさん、宇佐美さんなどの、今までのあるいは今も続く御心労に心からの感謝とエールをお送りいたします。
拉致監禁に関心が向かわない原因
はっきりしているのは、日韓の教会員がともに上意下達の体質に染まっているということだ。軍隊組織よろしく,上が撃てといえば撃ち、打ち方やめといえばやめる。
宮村脱会屋や松永牧師等の統一教会反対派が主導する拉致監禁、棄教強要行為に対し、日韓の、それも教会員の反応は何故鈍いのかという問題は やはり儒教文化と密接な関係があると思われます。
米本さんは以前の記事の中で、日本統一教会員は特に 横の繋がりとしての教会員間の人間関係が希薄であることを指摘しておられましたが、それもまさしく統一教会組織の根底にある朝鮮儒教の基本である「上下秩序のわきまえと区別」を人間関係の原則とみなす社会認識が影響しているように考えられます。
儒教の開祖である孔子の理想国家とは周初であり、孔子は身分制秩序の再編を主張していた訳ですから、主君と臣下、家父長と従家族の差別的関係は不動のものであり、臣下である人々や従家族である人々は その人々同士の関係よりも主君や家父長との人間関係のほうが遥かに重要であり、最優先すべきことなのです。
それは情的な関係においてもそのような格差と強弱の違いが生まれることとなり、臣下の者であるならば、同じ臣下の者に対する同情心よりも主君にたいする忠誠心のほうが勝り、子は家族の兄弟姉妹に対する愛情よりも家父長に対する孝行心が勝ることになります。
つまり、上下秩序の人間関係に関心が向かい、横の同列の者との人間関係に対する関心は二の次になってしまうのです。
そこで、その儒教文化の問題点を根拠にしながら、拉致監禁の問題における日韓の教会員の意識の低さを説明できるのではないかと思っています。
つまり、「私達の主君様であり、御父母様である方は‘自己犠牲’を払いながら‘摂理’を進めようと苦労されて、我々の実績を強く願っているのである。たとえ何人かの‘食口’が‘サタン’によって‘拉致監禁’されようと、それは避けがたいことであり、大きな目標の為には犠牲は付き物なのである。それに同情するよりは王様であり、真の父母様である方のことを心配せねばならず、そのかたが‘勝利者’となれるよう貢献することを第一に考えねばならないのである。」
といったような意識が根強いのではないかと思われるのです。
ただ、その統一教会員の意識の大前提となっている「人類の王様であり真の父母様である方は人類として最高の‘自己犠牲’を払いながら‘摂理’を進めようと苦労されている」という観点は、‘真実’というよりは信仰的な‘思い込み’であり、社会的問題が起きた事実を客観的に知っておられる米本さんのようなジャーナリストからは理解されるはずがありません。
しかし、統一教会組織がもつ朝鮮型儒教の伝統と、「真の父母様」に対する神格化、実生活の極端な美化がそれらの特殊な意識を生み出し、感情の強弱として教会員に対する拉致監禁事件への問題意識と同情心を より弱いものにしてしまっているように感じられるのです。
しかし、後藤さんがその体験談として語っていたように、欧米諸国の知識人の反応は全く違ったものであり、たとえ‘カルト宗教’を問題視しているような“反カルトの国際会議(ICSA)”の参加者でさえ統一教会員に対する拉致監禁問題を深刻な人権蹂躙として認め、その撲滅運動に賛同するようにさえなったのです。
つまり、儒教文化ではなく、キリスト教文化である欧米諸国の人々の人権問題に対する意識は根本的に次元が異なっていると言えます。
その根本的な違いはやはり、儒教文化と一神教であるキリスト教文化の違いであるように思われます。
一神教においては、人間社会における上下秩序の関係を理想国家に必要な不動の大原則とは捉えておらず、「神と我との関係」こそが世界観の基本であり、神という存在との関わりにおいて、人間個人から家族関係、そして社会的人間関係等も理解するようになります。
その為、一神教を根拠として‘善’と定められた普遍的な概念‘神の前における平等’‘幸福追求の自由’等に反する行為に対しては欧米人は明確に反対することになります。
「他者のために生きる」精神をその真髄とする見方もあるキリスト教的ヒューマニズムの社会倫理等は儒教とは根本的に異なったものなのです。
しかしながら、「他者のために生きる」とは文先生も‘御言葉’において強調されていたことであり、一神教を究極まで極めたのが統一原理の創造原理なのですから、その原理に忠実であるならば、当然ながら拉致監禁行為に対しては無関心でいられるはずがないのです。
やはり、理性は統一原理によって地上天国という理想を獲得したが、朝鮮型儒教の壁は分厚く、統一教会組織をいつの間にか飲み込んで、民度の低い教会員しか生み出すことができない組織にしてしまったようです。
その現状において、教会員の民度を発展向上させるためには弊害をもった儒教文化からは完全に脱する必要があるのは確かです。
後藤さん兄弟は元々は極めて兄弟仲がよかったことをインタビューで語られていましたが、「じゃあ、(脱会させるのに)他にどういう方法があるって言うんだ!教えてくれ!」と後藤さんの兄が監禁中に思わず叫んだことがあると後藤さんが話されていました。
統一教会には組織的な矛盾が存在し、その中で反社会的行為が行われているのは事実ですが、その宗教思想の中には 未来社会に理想を提示できる内容も備わっていると確信しております。
つまり、現実的に存在する統一教会の問題は、避けることのできない問題ではなく、組織的‘堕落性’としての朝鮮型儒教、両班という朝鮮の民族的伝統を克服できれば、その理想主義的な思想によって人類を先導できる組織として生まれ変わることも可能なのです。
そのような「是々非々の考え方」ができず、「拉致監禁によって統一教会を脱会させるしか他に救われる方法がない。」と後藤さんの両親、兄弟を誤魔化した宮村脱会屋や松永牧師の罪は限りなく重いと思います。
やはり、宮村脱会屋のみでなく、キリスト教理念に背いた松永牧師も断罪されて然るべきです。
超越的信仰を持てず、どこかシビアに見てしまう。
この「何かの蕩減」という言葉はいたる所で聞かれ、私も悩みを抱えていた時にアベルから「蕩減だよ」と言われた事があります。
教会を離れた人も蕩減、拉致監禁を受けた人も蕩減、病気で苦しむ人も蕩減、実に隣人愛を破壊する意識です。だから信仰心のない良心的な一般の方に救われた事も沢山あります。
婦人の人は特に家系の因縁やらで入ってきているから、キリスト教的な愛よりこの「蕩減」意識が強いんです。因縁って仏教的思考ですよね。
いくら宗教統一を目指しているとはいえ儒教や仏教のマイナス部分が混在しているのが今の統一教会なんです。
中間指導者の意識を転換できなかったのは文先生のトップの問題だと追及されても仕方ないので、そこをつかれると統一教会お得意の「何かそうされた深い意味があったんです」としか私はお答え出来ません。
そもそも人類のメシアである文先生自身が朝鮮儒教の限界を抱えていたと断定するのは辛い所ですし。
あと「今日もいいことがある!統一教会員のブログ」にも載っていましたが、徳野会長の家庭も複雑なようですね。後妻に入ったお母さんがご主人と仲が良くなくケンカも絶えず時に手を上げられ小さかった徳野会長にも救いを求め最低3回は家出された。これを見ると徳野会長も本当の父親の愛を知らず、その潜在的な愛の飢えから真の親として御父様への信仰を深めたのかとも思いました。
私の父も厳しかったが故に幻想に近いものを文先生に求めた時もあるのでその心理はよくわかります。(今はかなりシビアに見るようになりましたが)
割とこのような愛の飢えから来る妄想信仰も教会では見られます。
御父様が真の愛の持ち主か実際に深く接していないのでわかりませんが、妄想信仰をしている人は文先生の隠し子問題などが真実だった時どうするのでしょうか。きっと「何か深い意味があった」で乗り越えられるでしょうがね。ある意味ウラヤマシイ。
本音をアベルに言えば
「駄目ですよ。桜子さん、それはサタンです。絶対信仰、絶対服従、絶対愛で峠を越えていきましょう」とアベルに指導されそうだな。
いや、そんなに信仰があるならいつもコーヒーを人に入れさせず自分で入れてよ(爆)
家庭を壊そうとしたのは
包み隠さず、すべてを語っているように見えます。
それにしても、哀しいストーリーですね。
<31歳から12年間監禁され、社会に戻ってきたときは44歳>
<所帯を持って2年間、子どもはできなかった。しかも、奥さんはもう42歳でした>
統一教会の神様も、統一教会の教祖も、必死で、後藤さんの伴侶を捜し、後藤さんに家庭を持たせたいと気をもまれたように思います。
何はともあれ、奥様、お子様に恵まれて、本当に良かった、良かった。(^o^)
<いい思い出ではないゆえ、記憶を辿るのは苦痛を伴いました>
この辺のところは、監禁被害者ではない私には、慮(おもんぱか)ることができてなかったですね。恐縮至極です。
改めて、二重苦三重苦にある監禁被害者の心の解放を祈ります。
そして、気になるのは、兄、妹の顛末。
<兄夫婦は、1995年1月に結婚し、その8カ月後からプライバシーのまるでない監禁生活に入ったわけです。楽しい新婚生活が待っていたはずなのに、私を監禁する生活となってしまった>
<妹は、(中略)、監禁生活を維持するためずっとマンションに留まって見張っていないといけない。まして恋愛や結婚などできるわけがない。それでも、妹は私を監禁から解放した後に結婚しました>
これを、どう見たらいいのか、複雑な気持ちですね。
自業自得のような、お気の毒のような…。
もし、統一教会の神様も、反統一の神様も、等しく家庭が幸せの基だと説いているのだとしたら、それぞれの家庭をここまで苦しめたのは一体、誰なんでしょう?
私には、宮村、松永、山口、紀藤ら第三者がまるでサタンのように、善良な人々を唆(そそのか)して、家庭崩壊させようと誘導していったように見えます。
兄、妹が自分たちの不幸を、今なお統一教会のせい、徹さんのせいにしているとしたら、残念です。家庭的幸せは自分たちで成すものだからです。
一日でも早く、サタンのような人々の呪縛から逃れられ、幸せになってもらいたいと願います。
神様からの最高の贈り物
でも、神様は、解放後も後藤さんの元を離れず、最高の贈り物をされたのですね!良き伴侶に、そして赤ちゃんを! 二重の喜び、おめでとうございます。嬉し限りです。
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