後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け♪ 

後藤徹インタビュー(上)

 これから3回にわたって、東京地裁で勝訴判決を勝ち取った後藤徹さんへのインタビュー記事を掲載していく。判決そのものへの評価はこれまで詳しく書いてきたので、ここでは触れない。また、後藤さんの判決評価は6月5日の控訴審後にアップする控訴理由書で知ることができるだろう。
 インタビューは、世界でも類を見ない12年5か月間の監禁生活のこと、荻窪のマンションから追放されてからの出来事、心模様が主なテーマである。
 統一教会員はもとより、「保護説得は必要悪」だと思っている元信者、元信者家族の方々にも彼の心の内を知ってもらいたい。
 なお、2点ばかり。
 このインタビューは、私が勝訴判決直後に渋谷の喫茶店で行なったものである。
 色字は後藤さんの話を聞きながら、私が感じたことである。


夕焼け小焼けで日が暮れて 

--勝訴判決、おめでとうございました。良かったですね。

後藤 ありがとうございます。

--以前、監禁の12年間より監禁から解放されてからの今日までの5年間のほうが長かった、と話されていたことがとても印象的でした。

後藤 いやぁ、12年間も長かったですよ。長さの質が違いますね。

--どういう風に?

後藤 10年間以上、目に入るのは同じ壁と同じ天井、部屋にいる人も同じ。毎日夕方になると、どこからともなく
「夕焼け小焼け」が流れてくるのです。
 それを物憂げな気分で聞きながら、何もできない辛さ・・・怒りと絶望感、徒労感に襲われるのです。毎日、毎日。いま振り返ってみても、有意義に過ごした感覚がまるでないのです。

 正直に書いておくが、これまで後藤さんの話を聞くたびに、監禁した側への怒りがムラムラとわき、後藤さんの12年間そのものに思いを巡らして来なかった。10年間以上約4000日、毎日毎日、夕焼け小焼けのメロディを聞く。読者も是非、前出のリンクをクリックして、メロディを聞きながら、読んでもらいたい。
 歌詞は♪夕焼け小焼けで日が暮れて 山のお寺の鐘が鳴る お手々つないでみな帰ろう 烏と一緒に帰りましょう♪

--刑務所の囚人と同じ?

後藤 (語気を強めて)刑務所の人たちには刑期があるじゃないですか!刑期が終われば外に出られるという希望がある。しかし、私の場合、刑期がない。いつ終わるとも分からない。私はこのまま6畳一間の畳の上で死ぬのかと思っていました。
 社会から隔絶されている自分。その悔しさ、不安・・・。
 外の社会はどんどん変化し進歩している。そこから自分だけが取り残されていく。絶望的な思いで一杯でした。

 ここで注釈をはさむのは話の流れを削ぐので良くないのだが、後藤さんの監禁のことを最初に聞いたときに、最初に浮かんだのはその前に観た韓国映画「オールドボーイ」であった。映画の前半部分で監禁下の心理がよく描かれている。すぐにその映像のワンシーンが浮かんだ。

後藤 ただ私の場合、信仰を持っていたので何とか精神が破綻せずに済みました。
 あの状況で信仰がなければ、発狂するか、自殺するか、あるいは家族に暴力をふるっていたでしょうね。
「今生では結婚もできない、家庭も持てない。たとえ寂しい人生で死んでも、神だけはこの苦しみを知っていて下さっている。」そう思っていました。

--それが解放されてからは?

後藤 これは、もう解放された自由の喜びにつきます。
 行きたいところに行ける喜び。会いたい人に会える喜び。食べたいものを食べることができる喜び。情報を得たいと思えば、それを自由に手に入れる喜び。選挙があれば、自由に投票することができる喜び。心の底から自由の喜びをかみしめました。本当に嬉しかった。
 この喜びの大きさは、自由が当たり前の世の中ではなかなか理解してもらうのが難しいと思います。
 先の話に戻りますが、服役囚の場合、罪を犯して裁判所でキチッと裁かれ刑務所生活を送るわけです。拘束下から外に出ることができた喜びは私と同じかもしれませんが、彼らは罪を犯し裁判所で有罪判決を受けて刑務所に入っていたので自業自得と言えます。それに対して、私は統一教会に入信していただけです。だから、服役囚が監獄から解放されるのと喜びの質が違うと思うのです。

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 後藤さんの追放3日後、荻窪フラワーホームの804号室には10年間にわたる汗を吸い込んだ布団が干されていた。


後藤 荻窪のマンションから追放される形で解放されたとき、思わず、自分が居たマンションを見上げましたよ。解放直後は食事制裁による栄養失調と長年の運動不足で体は衰弱していましたし、これからどうしたらいいか不安はありましたが、一方でその時の解放感と喜びは言葉では表現できないほどです。
 外に出て、一歩踏み出したときにまず新鮮に思ったのは「知らない人が歩いている!」ということでした。

--どういう意味ですか。

後藤 私に対して敵意を持っていない人が普通に(路上を)歩いているという感覚です。
 12年間、私の周りにいた人たちは特殊なごく限られた人たちでした。すなわち宮村や家族や元信者たちは、私の信仰に強烈に敵対する人達でした。10年以上監禁して説得しても頑として統一教会の信仰をいつまでも捨てようとしない。そんな私が憎たらしくてしょうがない。それが、彼らの言葉や態度にいつも表れる。
 ですから、私にとっては彼らの存在自体がものすごいストレスでした。
 それが外に出ると、私に悪い感情を持っていない知らない人が普通に通りを歩いている。こんなこと至極当たり前なんですがね。この感覚は、お分かりにならないと思いますが、実に新鮮でしたよ。
 それから、監禁場所をメモするためにマンションのエントランスの段ボールの中にあったチラシを引っ張り出して、その裏紙に住所を石でこすって書き留めました。

 統一教会本部から後藤さんの監禁事件のことを知らされ、住所をもとに、場所を特定するためにウロウロ歩いたことが蘇った。このときの住所は後藤さんがチラシに石でこすりつけるようにして書いたものだということを初めて知った。

--解放されてから、後藤さんは統一教会がある本部、渋谷の松濤を目指して歩くわけですが・・・。

後藤 このときは、とにもかくにも、腹が減っていた。約2年間まともな食事を取らせてもらえず飢餓状態でした。青梅街道を歩いていて、まず飲食店から漏れてくる匂いがたまりませんでしたねえ。
 ラーメンの匂い、ドーナツの甘い匂い、焼き肉の匂い。
 ショーウィンドーの見本料理に目が釘付けになりましたねえ。
 しかし、一文無しで追い出されたのでどうしようもなかった。
 
 後藤さんは、ときに眉間にシワを寄せ、ときに30秒ぐらいの沈黙があり、記憶を蘇らせながら、どう表現したらわかってもらえるか言葉を探している風であった。その様子は行間から読み取ってもらいたい。


♤ 唯一の慰めは夜寝るときの「日替わり丼」

後藤 あっそうそう。腹が減っていたと言えば、こんなこともありました。フラワーホームで食事制裁を受けていた時、飢餓と徒労感に苛まされながらも、唯一の慰めが夜寝るときの「日替わり丼」でした。今日は中華丼、明日は海鮮丼。

--??

後藤 (ちょっと恥じらんだように)実は、その頃、毎晩、どんぶりに入った美味そうな丼物を食べることを夢想しながら眠りについていました。とにかく腹が減ってなかなか寝付けない。そこで、「もし、丼物を日替わりで食べるとするとご飯に何を乗せるか?」と自問自答し、ズーと想像を巡らせる。
 連日の夢想の結果、定着した日替わり丼の一週間のメニューは牛丼、カツ丼、中華丼、親子丼、海鮮丼、麻婆丼、カレー丼の7種類でした。
 その夢想は、かなりリアルで例えば海鮮丼の場合、イクラ、エビなど乗せる魚介類一つ一つを具体的に思い描き想像しましたよ。なぜ、丼物だったのか自分でもよく分かりませんが、多分、一番手軽にかき込むように食べられて種類が多いから想像しがいがあったのかもしれませんね。

 笑いながら聞いていたが、すぐに悲しい気分に包まれ、涙が出そうになった。。このときの後藤さんは、口にしたいお菓子の夢を見る小さな子どもではなく、働き盛りの40代である。

後藤 だから、渋谷の松濤本部にたどり着いたとき、守衛の方がカツカレーを買ってきてくれたことが、ものすごくうれしかった。
 肉も約2年間食べられなかったですからね。カレーのいい匂いが目の前から漂ってくる。それを冷たい目で見られることもなくおもいっきり食べられる。もう、うれしいのなんの・・・。
 監禁下での食事制裁中、最もきつかったメニューはカレーでした。家族は同じテーブルでカレーをよく食べていたのですが、飢餓状態の時、特にカレーの匂いは強烈でした。食事の後もしばらく部屋にカレーの匂いが残るんですね。それが、またたまらない。
 さらに、家族はいつもカレーのルーを残して翌日のお昼にカレーうどんにして食べる。もう、喉から手が出るほど食べたかった。
 そんなわけで、解放後なんとか本部にたどり着き、いつも食べたいと思っていたカツカレーがパッと目の前に出されたとき、瞬時に神の計らいを確信し、深く感動しました。無宗教の米本さんには理解できないでしょうが(笑)。
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妻が作ってくれたカツ丼を食べる後藤さん
 
--話を戻しますが、監禁の12年間と自由になった5年間のことです。

後藤 監禁からの解放後、自由を享受する喜びはありましたが、一方で長い間社会から隔絶されていたため、いろいろ苦労がありました。
 何しろ、住むアパートはないし、仕事もない。履歴書もまともに書けない。
 監禁から解放されてから牛乳宅配の仕事が見つかりましたが、仕事上、車の運転が不可欠だった。ところが、運転免許証がない。監禁中、免許証が失効していましたから。これには、ほとほと困りました。そこで、改めて免許を取らなければならないけど、一から教習所に通うお金がない。そこで、一発試験で取ることにして、比較的お安いそのための講習に通いました。
 12年間のブランクはともかく大きかったです。皆が手にしている携帯電話に驚きました。パソコンは旧型のものをリサイクルショップで2000円で買って使い方を覚えたり。布団や鍋釜などの生活必需品の多くは教会員仲間から譲ってもらいました。これは、本当にありがたかったですね。

 ノートを見ながら、このインタビュー記事を書いているのだが、私は後藤さんに謝らなければならないと感じている。
 病院で最初に後藤さんに会ってから、「拉致監禁をなくす会」の設立総会のとき、同会が主催した集会で私がスピーチしたときなど、後藤さんには数回会っている。そのたびに、後藤さんは驚異的といっていいほど体力を回復していた。
 それと比例するように、統一教会も拉致監禁問題に取り組むようになっていった。ちなみに、その契機は文国進氏が「拉致監禁問題にしっかり取り組め」と指示したことである。
 教会内で集会が行なわれるようになり、後藤さんは集会参加者から“崇め奉られる”ようになっていった。
 そのことを皮肉って、私は“後藤神社の神主さん”とからかったことがある。教会に乗せられて自分を見失いで欲しいとの願いを込めてのことだった。
 しかし、後藤さんの話を聞けば、彼はこの頃、浦島太郎状態から脱却するために苦闘していたときだったのである。後藤さん、ごめんなさい。


♤ 人に対する見方が変わった

--12年間よりこの5年間が長かったというのは、上から目線で申し訳ないけど、後藤さんが成長したからではないでしょうか。子どもの頃は時間が経つのが長く感じられるけど、大人になるとあっと言う間に1日が過ぎていく。それは、子どもの頃は様々な刺激を受け、成長するがゆえのことではないかと思っています。ぼく個人のことになるけど、大腸がんになっていろんなことを学びました。入院期間は5週間。退院してから12週間(インタビュー当時)になりますが、入院中のほうがものすごく長く感じられた。

後藤 (眉間に皺を寄せ、沈んだ調子で)確かにこの5年間での経験で、私の認識は大きく変わりました。特に人に対する見方が変わったと感じます。
 例えば、こんなことがありました。監禁解放後の入院中、かつての信仰仲間が見舞いに来て下さって本当に嬉しかったのですが、その中に一人の女性がいました。
 久しぶりに会った彼女と少し話をしてみると、私が監禁される前に知っていた彼女とはだいぶ違っていました。彼女は統一教会の信仰から少し離れているような状態でした。
 彼女の変貌に私はとてもショックを受け、正直、怒りを覚えました。言葉には出して言いませんでしたが、
「いったいどうしたっていうんだ!俺は監禁されながらも自分の信仰を貫くため12年間も忍耐してきたっていうのに!」
 といった思いが湧いてきました。
 自分が死線を彷徨いながらも苦労して信仰を全うしたとの強烈な思いが、変貌した彼女への怒りとなったのです。
 私は、わざわざお見舞いに来てくれた彼女に厳しい言葉をまくし立て、連日、彼女のためによかれと思い覚えたてのメールで一方的に文先生のみ言葉の一節を送りました。そんな私の言動に彼女が反発したのは当然の成り行きでした。彼女とはそれっきりになってしまいましたが、あの時の私は異常でしたね。「信仰傲慢」だったのです。今となっては深く恥じています。
 今では、人に対して多角的に見ることができるようになったと思います。

--そうなった契機は。

後藤 宿谷麻子さんの存在は大きかったですね。宿谷さんに関しては米本さんの本『我等の不快な隣人』によって初めて知ったのですが、ものすごく衝撃的でしたね。統一教会を拉致監禁によって辞めた元信者で、その後、統一教会にも拉致監禁グループにも批判的になった方です。
「拉致監禁をなくす会」の役員会などで交流を持ち、私の裁判を支援する裁判ブログの世話人にもなって頂きましたが、こういう人もいるのかと思いましたね。koyomiさん(裁判ブログの世話人)もそうです。
 このような交流がきっかけとなって、人に対する見方が変わり視野が広がっていったと思います。

--どんな風に?

後藤 拉致監禁の被害といっても単純一様ではなく、その被害者個々人やその状況によって千差万別であるということです。
 例えば、拉致監禁の2次被害というものもあります。統一教会から脱会させるために信者を監禁するのが1次被害。そして、拉致監禁から逃げ帰ってきた信者が、同じ信者仲間から冷たくされ傷つけられたという事例が2次被害です。
 それだけでなく、3次被害ということもある。
 これは、拉致監禁の被害者が自分の体験談を話すなどの拉致監禁を撲滅するための様々な活動を行うときに封印してきた拉致監禁体験が蘇り、PTSDが発症してしまうという事例です。だから、拉致監禁の被害者と対面するときには、細心の注意を払うように心がけています。
 
--確かに、2次被害は多いです。火の粉ブログのコメント欄に投稿されている黒い羊さん、秀さんもそうです。拉致監禁から逃げ帰ってきた人で、教会が温かく迎え入れたケースのほうがむしろ少数だったでしょうね。
 3次被害もそう。拉致監禁体験者である埼玉の女性教会員は、上から拉致監禁反対のデモと集会に参加しろと言われて、嫌で嫌でしかたがなかった。それでどうしたらいいかと相談を受けたことがあります。
 また、韓国の女性教会員は集会に参加することを強要され、それがもとでかなりひどいPTSDになってしまった。

続く


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コメント

ひたすら悲しい

 ブログにある2つの写真を見比べて、ひたすら悲しくなるばかりでした。

 最初の写真は2008年の2月の写真。あとのはそれから6年後の写真でしょう。

 あとの写真は、たぶん米本さんが注文し、後藤さんの奥さんに撮ってもらったものでしょう。そうしたことができる自由を後藤さんが甘受できている。あたりまえの自由なのだけど。そう思うと・・・。

 あとの写真の背景を見ると、生活の匂いが漂ってきます。どうという写真ではないけれど、12年の監禁のことを考えると・・・。

知られざる苦悩

<外に出て、一歩踏み出したときにまず新鮮に思ったのは「知らない人が歩いている!」ということでした>
<唯一の慰めが夜寝るときの「日替わり丼」でした>

12年5ヶ月の監禁体験者が通過した心情、そして新事実…。
改めて、身につまされました。

<何しろ、住むアパートはないし、仕事もない。履歴書もまともに書けない。(中略)。改めて免許を取らなければならないけど、一から教習所に通うお金がない>
<久しぶりに会った彼女と少し話をしてみると、私が監禁される前に知っていた彼女とはだいぶ違っていました。彼女は統一教会の信仰から少し離れているような状態でした>

自由を得て、人一倍の幸せを享受するはずだった後藤さん。そんな彼を待ち受けていたのは、疎外感と生活苦、そして信仰的葛藤…。

このインタビューはとても貴重ですね。
拉致監禁派を論破するための記事とはちょっと違う、別の意味での価値があるように思います。

すでに、何度もお会いされ、裁判の証言もたくさんあるので、この時期に、インタビュー記事がアップされているのを見て、なんで?、って正直、不思議に思いました。
でも、まだまだ触れられていない内容や、知られざるヒューマンドラマがたくさんあったんですね。

しかも、写真がいい。
<後藤さん追放3日後の荻窪フラワーホーム804号室>
<妻が作ったカツ丼を食べる後藤さん>

米本さんの着眼点、ヒューマンドラマ(ノンフィクション)…、とくと味わわせていただきます。

全く、新しい視点ですね

私も、拉致監禁を受けて、今はアメリカで生活していますが、これまで、拉致や監禁を受けた時の話は、いろんな方からうかがいました。

でも、監禁から出てきて、その後どうだったのか、という話は、多分、初めてだと思います。

俗っぽい感想で申し訳ないのですが、単純に、「続きが楽しみ」「早く先が読みたい」という気持ちです。


3次被害、ということも言われていましたが、監禁されていた時の話を共有するというのは、話す方にとっても、聞く方にとっても、気持ち良いものではありません。


それより、監禁から出てきた後の話の方が、他の被害者の方たちにとっても、とても勇気付けられるものになると思います。


米本さん、このような内容をアップしていただき、本当にありがとうございます。

Re: 知られざる苦悩

みんなさん
>米本さんの着眼点、ヒューマンドラマ(ノンフィクション)…、とくと味わわせていただきます。

 過分なお言葉、ありがとうございます。

Re: 全く、新しい視点ですね

JIMBOさん
>俗っぽい感想で申し訳ないのですが、単純に、「続きが楽しみ」「早く先が読みたい」という気持ちです。

 インタビュー記事を載せた甲斐があります。
 (中)は、5日頃にアップする予定です。

 アメリカの知り合いに紹介していただけることを希望しています。よろしくお願いいたします。

 

善意の、だが常識のない教会員さん

 後藤さんのインタビュー記事は、読者の立ち位置とは関係なく、多くの人に読んでもらいたいと願っている。

 そういう意味では、「いつも隣の神さま」の松戸の部長さんが取り上げてくれたのは、正直、うれしい。

<後藤さんの壮絶、12年5ヵ月!! 拉致監禁に見る「親の情」と「兄弟の情」の違い?!>
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/395969547.html

 でも、つまみ食い的なのである。
 隣の神様が感じた部分を、恣意的に紹介しているだけである。
 一般的な社会常識(つまり隣のふつうの人)からすれば、URL(出典先)を添付すべきなのだ。

 この点で、いつもの神様とエイト君とは同根なのである。(おそらく、どちらも意味わかんねえ~、だろうな)


 これだけではない。
 いつもの神様は、私の原稿をきちんと読んでいない。

 なぜなら、タイトルが間違っている。つまり、後藤さんの体験をきちんと認識していないのだ。

<後藤さんの壮絶、12年5ヵ月!! 拉致監禁に見る「親の情」と「兄弟の情」の違い?!>
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/395969547.html

 事実認定の間違いがたくさんあるのだが、ひとつだけ。
 後藤さんの食事制裁については母親が黙認していたのです。

 このことに、後藤さんの哀しみがあるのですよ。

 夫婦二人、二人三脚でブログを毎日せっせとupしていると聞きましたが、(失礼ながら)ダメ夫婦がいくら寄り添っても、新しい地平は構築できないような気がします。

 最近、統一教会告発・批判村のブログを読み始めていますが、やっぱし、低い民度は同じレベル。
 身も蓋もない言い方をすれば、読んで、時間・能力の使いをしたという気分です。

 少しは献金で、君の飯、君の子ども、君の妻の生活費を賄ってもらっているという意識をもってもらい、まっとうな原稿を書いたらどうかと言いたいなあ。

後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け

思うのは、偽装脱会出来なかったのか?と言うことです。

偽装脱会をしていれば、数か月程度の短い期間で解放されていたのではと思います。

しばらくは監視の目がきついかと思いますが、解放されて数カ月もすれば自由も多くなってくるでしょうから、そこで教会に戻ればいいかと思います。

失った時間がもったいないと感じます。

腹立ったけど。

いつも隣のブログ読み、腹立った。

隣ブログに、反論コメント書こうと思ったけど、バカを相手するのはやめた。

子育てしても、人の気持ちが想像できないバカに、「子供がいないから・・・」と言われたくない。

and aさん
後藤さんの陳述書をよく読んでください。
後藤さんは、長期に亘って偽装脱会してました。
それでも解放されなかったのです。

「いつも私のとなりに神さま」にリンク、掲載させて頂きました

今回の後藤さんのインタビュー掲載、ありがとうございます。
米本さんならではの切り口で、感慨深く、また興味深く(というと不謹慎に感じられるかもしれませんが)拝見させて頂きました。

夫の拙ブログ「いつも私のとなりに神さま」で、早速紹介させて頂き、ありがとうございます。
(URL記載がないという指摘に関しては、リンクするように埋め込んでありますので、そのような無礼はしないと、御承知くださったかと思います。)

ブログ記事においては、米本さんの記事の内容について、つまみ食い的にしか掲載できないことは心苦しいのですが、ただのつましいブログですので、私たち夫婦なりに、感じることを書かせて頂くことを許して頂きたいと思います。

<後藤さんの食事制裁については母親が黙認していたのです。

この件に関しては、誤解が生じないように、記事本文を訂正しました。

koyomi さん
お兄さんたちに子どもさんがおられない云々と記載した点につきましては、御批判を受け、削除、訂正しています。

教会員の方々や、自分の子どもたちに育てて頂いているような、未成熟な親ではありますので、今後ともトンチンカンな記事を発信し続けることでしょうが、どうぞ多めに見てください。
目に余るときには、今後とも、容赦なくご指摘ください。

後藤インタビュー(上)-10年間毎日聞いた♪夕焼け小焼け2

教会員も同じような人ばかりではなくて、入会の段階で動機に差がみられるんですよね。

それが案外後々までその人の信仰姿勢に影響を与えたりします。

長続きするか?簡単につまづいたりしないか?など信仰歴や摂理に対する姿勢に出てきます。

また、入会後の姿勢すなわち熱心に原理を勉強しているか、しっかり実践しているかなどによっても教会員の質が変化してきます。

玄人・素人・動機の差による違いが大きいことを感じます。

拉致監禁、そして解放後の後藤さんへ

米本氏の回想入りの注釈に、人間味を覚えながらインタビュー記事を読ませていただきました。

<後藤: ただ私の場合、信仰を持っていたので何とか精神が破綻せずに済みました。 「今生では結婚もできない、家庭も持てない。たとえ寂しい人生で死んでも、神だけはこの苦しみを知っていて下さっている。」そう思っていました。>

12年間と言う前代未聞の拉致監禁生活の中で、六畳という壁に閉ざされた有形のひと間の中で、どんなに苦境の境地に追い込まれても、死線を彷徨しつつも、それでもなお、無形なる神への変わらぬ後藤さんの信仰姿勢に感動を覚えました。

<あの時の私は異常でしたね。「信仰傲慢」だったのです。今となっては深く恥じています。 今では、人に対して多角的に見ることができるようになったと思います。 >

そして、解放後の後藤さん、新たな出発の中で人との交流を通して、心の変化をありのままに語っていかれる姿にも胸がつまるものを感じました。

<後藤: 宿谷麻子さんの存在は大きかったですね。宿谷さんに関しては米本さんの本『我等の不快な隣人』によって初めて知ったのですが、ものすごく衝撃的でしたね。>

そうですね。解放後の後藤さんには、無形なる神は、今度は、色々な立場の人を介して、働かれているのですね。
特に、外部の人でありながら、拉致監禁撲滅で、是々非々の立場で心血を注がれ、メッセージを発信される米本氏は内部にも、外部にも「無くてはならぬ人」です。

12年5か月

この記事を読みながら、12年ぶりに拉致監禁から生還した食口がいると、初めて聞いた日の驚きが思い起こされました。

12年5か月の監禁・・・・初めて聞いた時は、その監禁期間の状況を想像しようとしても、想像することさえできませんでした。

このインタビュー記事を読んで、後藤さんの置かれた状況の厳しさを、改めて感じました。そんな過酷な状況に置かれた背景を考えたとき、言い知れぬ寂寥感に襲われます。
この6畳一間の畳の上で死ぬのかという絶望的な思いや、解放された時の喜びなど、経験した者しか語ることのできないこのインタビューは社会的にも大きな価値を持つと思います。

インタビューに答えて下さった後藤さん、記事にしてくれた米本さんに本当に感謝します。

いろいろ考えさせられる日々

バカの壁でいつももがく私にとって今回は後藤さんが置かれていた環境や心情を理解しやすいインタビューを記事にして頂きありがたかったです。 私レベルの食口にも理解しやすいだろう。
、、それ以下ならどうなるのだろう(°_°)

とにかく後藤さんの精神力(信仰)には驚かされました。よく気がふれなかったなぁと思うような状況です。苦労した故に私みたいなヘナチョコ食口を裁いてしまう気持ちも理解できます。なのにそこで自分の宗教傲慢を感じる所がまたすごいし、そこに至る過程に関わった方々にも神様の働きを感じます。
続きも期待しています。

それとNBAオーナー、スターリング氏が
黒人差別発言をした為NBAから永久追放されNBAが定めた罰金としては最高額となる250万ドルの罰金も科されたニュースを見て、背景や内容が違うかもしれないけど後藤さんや佐賀大の賠償金の低さから見て日本は人権蹂躙に対する意識がかなり低いと感じています。韓国の人命軽視も恐ろしいレベルだけど。

さてさて、いつも隣神様の件ですがやや庇うと日本の公職者は上は知らないけど平は年金は個人で加入してないと貰えないはず。最近変わったという話も聞きますが。
真面目な公職者なら個人年金の積立を献金に回してるでしょう。そうなると教会を辞めたら生活費が入ってこなくなります。
いつも隣神さんがそうならちょっと同情します。
なので高いレベルは求めにくい。親が金持ちなら趣味の信仰かとも思うけど。

まぁ、公職者のお得な点は教会職員という事でカード借り入れがあまり通らず借金は少ないのとあと部署により融通が利くから学校行事に参加しやすい。子供が熱出して教会をよく休む公職者も見たしね。普通ならクビだよ。
あとパソコンも公務中に個人的に触れる事も出来る。(誰だ〜)

どこまで平公職者は同情出来るかわかりませんが、上はうまい事して年金貰えるかも。事業部なら絶対貰えるはず。結構高い年収を貰っている人もいるらしいから、辞めても高額年金生活が待ってます。
このクラスは全然同情の余地無しで宗教官僚クラス。石投げレベルはさらにプラスして自分の懐が豊かになっている。韓国人に多いだろう。

今回の船沈没事件で韓国の宗教商売屋にメスが入るだろうと思いました。(お母様までいったらどうなるんだろうとも思いながら。)
あと、日本統一教会の献金の行方が怪しい事を知りながら政治献金と票と引き換えに庇っていた日本の政治家も何とかしてほしい。

何もかも清算して二世には綺麗な教会を残してあげたいです。

基本的な喜びを奪う監禁

 母親、兄弟らによる約12年間の監禁を受けた後藤徹さんが「あの状況で信仰がなければ、発狂するか、自サツするか、あるいは家族に暴力をふるっていたでしょうね。」と話された言葉は体験者として、実感として語られたものに違いありません。
 統一教会反対派の人々が、体力差のある家族が一人しか同居していなかった時間帯に 後藤さんが監禁場所から力ずくで脱出を試みなかった疑問点を取り上げて、「引きこもり」などと非難していましたが、その暴力をふるわない理由が‘信仰’であったことが本人の言葉から確かめられ、全てが納得できました。

 実情として後藤さんにとって家族に暴力をふるうことは統一教会において厳しく戒められている自サツすることや性的堕落行為を犯すことに等しかったのです。
 そのような信仰を堅持していたならば、後藤さんの置かれた監禁された環境はまさしく八方塞であり、自由意志をもった人間の本性を否定された極限の状態だったことがインタビューで改めて確認できたことになります。

 記事の中で「解放された自由の喜び」について後藤さんがたくさん語られていましたが、その喜びが大きいことは充分こちらにも伝わってきました。
 そのような感情は短い時間単位の中では私達も似たような感情を味わうことがありますが、後藤さんの12年間の監禁からの解放という期間の長さを考えると、やはりその喜びの大きさは私達が想像するそれ以上のもので、特別だったに違いありません。
 逆に考えれば、人間の幸福の基本的な条件である‘行動の自由’をこれだけ長期間奪い去った加害者達の罪は取り返しがつかないぐらい大きなものだと思います。
 後藤さんが受けた拉致監禁はまさしくその人生の貴重な時期のほとんどの幸福を奪い去った許しがたい人権蹂躙行為であると言えます。

 また、後藤さんは監禁下での食事制裁の辛い体験と、それを凌いできた逸話を語られているのですが、その現実的な話と裁判官の「断食に対する配慮」という認定の完全な齟齬には改めて怒りが湧いてきました。
 米本さんが掲載された写真において奥さんが作られたカツ丼を手にする後藤さんの嬉しそうなお顔が拝見できましたが、このような日常の当たり前の喜びを10年以上に渡って奪い去った行為はやはりまともな人間のすることではありません。
 後藤さんは解放後の幸福感を、‘自由に行動できる喜び’‘満足に食事できる喜び’として一般的な日常の当たり前のことを持ち出して表現していましたが、それぐらい人間としてまともに扱われていなかったということで、やはり拉致監禁行為の異常さを思い知らされます。

 そして後藤さんは解放後の5年間について「宿谷麻子さんの存在は大きかったですね。…このような交流がきっかけとなって、人に対する見方が変わり視野が広がっていったと思います。」とインタビューで語り、米本さんの質問に対して拉致監禁の被害には2次被害、3次被害が存在することを説明し、そこからのやり取りが始まったところで話が途切れていますが、この話は続きの記事に引き継がれるのだと思いますが、大変興味深く感じます。

 後藤さんは写真に写った表情からも人柄の良さが伺えますが、信じ難い長期の監禁生活、そして解放後の人権擁護運動としての拉致監禁反対運動の活動を通して学んでいった様々な事柄をインタビューを通して知ることができるのではないかと期待できます。
 統一教会の教育部長を名乗るブロガーでさえ平気でその深刻な事件を無視し、あまりその問題に統一教会信者達が真剣に向き会わない中、後藤さんがその拉致監禁反対運動を通して何を発見していったのか、大変興味があります。

インタビュー全文を私のブログで紹介

米本さん、

監禁中、解放後のこと、裁判での闘いのことなど、そして、判決後直後の後藤さんの率直な気持ちを表した貴重な資料になるものと思います。

私のブログにて、インタビュー全文を掲載させて頂き、私の感想を加えました。(中)(下)も、その予定です。

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