エイトさんに教えてもらった判決の画期的意義 

後藤勝訴判決文-番外編(上)

はじめに

 今回の判決を一言で総評すれば、後藤の勝訴である。写真の通りだ。

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 私個人の判決予想では、一部勝訴、すなわち後藤の兄・兄嫁・妹だけの不法行為を認め、松永、宮村は不問に付すというものだった。 そうなったとしても、後藤さんには悪いが、私は拍手喝采を送っていただろう。
 なぜなら、拉致監禁の抑止力になるからだ。

【関連記事】「勝訴判決は保護説得の抑止力となるのか?!」
 
 この記事でも書いていることだが、今利理絵さんやアントール美津子さんの提訴によって、裁判は全面敗訴したものの(ただし、今利さんの場合、親族らとは最高裁で和解)、拉致監禁の発生件数が激減したことを想起すればいい。<牧師らが指導する「保護説得」という脱会方法は、子どもから裁判で訴えられるようなことだったのか!>と、信者の家族が覚醒したことが大きいのではないか。

 判決文の問題点は、「判決文(5)」「判決文(7)」のところで詳述したので繰り返さない。
 在オーストラリアのYoshiさんの記事
「後藤裁判の判決:最大の問題点 - しぶしぶの同意と偽装脱会の扱い」
 在米の秀さんの記事
「治療費全額支払い命令! 密室(監禁部屋)で何がおきたのか?」
「松永牧師と宮村峻氏 明暗を分けたもの! 松永牧師の巻」
「松永牧師と宮村峻氏 明暗を分けたもの! 宮村峻氏の巻」
--にも目を通していただきたい。

 ここでは、、反統一教会活動家、田中清史(エイト)氏の「“拉致・監禁”は認定されず、キャンペーン失敗の後藤事件地裁判決は統一教会サイドの実質敗訴か」に若干の論評を加えながら、今回の判決の意義について述べておく。 おそらくいまだ誰も指摘していない画期的な意義についてである。
(記事すべてを引用しないので、リンクをクリックして読んでもらいたい)

 なお、脱会屋の被告宮村峻氏の盟友である国会議員の有田芳生氏は、裁判を傍聴したあとツィッターで「事実認定に問題あり」とつぶやいたものの、ブログ有田芳生の『酔醒漫録』にいまだ誤認定の根拠が書かれることはなく、判決から2か月経つというのに沈黙したままだ。
 有田氏は一言つぶやきだけではなく、2010年4月号の『月刊TIMES』で宮村氏を擁護し、返す刀で私のことを批判していた。
 言論人を自負するなら、言論には責任を持たなければならない。しかも高い歳費をもらっている国会議員だ。
 後日、等倍返しをさせていただく。


前のめりのエイトさん クスッ

 さて、清史氏の記事である。かなり以前に「姿勢が前のめりになっているため、文体と言葉が浮ついたものになり、その結果、記事に説得力がなくなってしまう」と注意してあげたのに、今回も相変わらずで、記事の構成がジグザグ、バラバラだ。
 しかも、Yoshiさんと秀さんの論評と違って、判決文をほとんどといっていいほど引用していない。対照的だ。 「判決文を子細に検討した」というが、疑わしい。
  判決(1月28日)の直後、速報を重視しての記事だったら理解できなくもないが、記事の日付は2月9日。原稿を読みなおす時間は十分あったのにイ~~

 前のめりのあまり、判決文を誤読している。
 清史氏曰く。
「荻窪フラワーホームの玄関ドアが全期間、南京錠で施錠されていたと認定」
 こんな認定は、判決を下した認定部分を「判決文(7)」に全文載せているが、どこにも書かれていない。
 関係しそうなところを引用しておく。


原告がその不法行為該当性を主張する平成7年9月11日から平成20年2月10日までの一連の事実経緯は、(略)各滞在場所における逃走防止措置の実施,外出及び外部との連絡の制限等に重点が置かれたものであって,その全体を通じ,原告にとって,その意に反する強制的な要素を含むものであったことは明らかであるというべきである。

原告が平成9年12月に荻窪フラワーホームに移動した後間もなく偽装脱会の告白をして以降は,
常に被告後藤兄らのいずれかが原告と共に荻窪フラワーホームに滞在して原告と行動を共にし,原告が一人で外出することや,外部との連絡をとることを許容されなかったことに加え,
原告が退出の意向を示したにもかかわらず,被告後藤兄らにおいて,玄関に向かおうとする原告を取り押さえるなどしていたこと,
原告が,上記の状況に置かれていることについて,被告後藤兄らに対して明示的に抗議の意を表していたこと,
原告の行動範囲に対する著しい制限が長期間に及び,原告の全身の筋力が低下するに至ったことが認められるところであって,これらの点からすれば,上記期間中の被告後藤兄らの行為については,原告の明示の意思に反してその行動の自由を大幅に制約し,外部との接触を断たせ,原告の心身を不当に拘束したものと評価せざるを得ず,原告に対する不法行為を構成するというべきである。



 ところで、清史氏は問題提起ともなるような指摘もしている。該当個所を引用する。
(引用はじめ)
◆“拉致と”“監禁”は認定されず“キャンペーン”失敗
“拉致監禁”否定判決なのにマンセー!?
事実認定に関しては問題視される箇所が多く見られる今回の判決。それでも原告側の度を過ぎた厚顔な主張は、核となる部分に於いでほぼ全く認定されていない。今回の地裁判決は“拉致監禁キャンペーン”の要点を基準にした視点からみれば実質原告側統一教会側の敗訴である。
(引用終わり)

 すぐに横道にそれるのだが、「監禁は認定されず」? えっ!その前に判決文は「荻窪フラワーホームの玄関ドアが全期間、南京錠で施錠されていた」と、間違った認定をしていると怒っていたのにィ~。玄関ドアを南京錠で施錠されていたのなら、監禁と認定したことになるよッ
 また、「監禁は認定されず」のすぐ下には「監禁否定判決」のタイトル。認定されなかったことと否定とは、意味が少しばかり違うような・・・。(悪意あるからかいではないから、誤解しないでね)。それにしても、記事の間違いを指摘してあげないエイトファンのレベルも相当なものだ。
 待てよ、修正しているのかもと再度、記事を読んだが、「“拉致監禁”否定判決なのにマンセー!?」は削除されていた。
 間違いを直すのはいいことだが、新聞と名乗っておきながら、断りもなしに、小見出しを削除するのはいかがなものか。苦言を呈しておく。


鋭い指摘のエイトさん

 話を戻す。エイト氏が言いたいことは<判決では拉致監禁を認定していなかったから、統一教会の実質敗訴である> ということである。
 弁護士の受け売りかもしれないが、なかなかいい指摘である。実質敗訴と思うような教会員は1人もいないだろうが、拉致監禁が認定されず、ガッカリしている人はいると思う。実際、私も不満だった。
 しかしながら、エイト氏の指摘を受け、じっくり考えることができた。エイト氏に感謝したい。
 今回の判決の決定的意義はまさにこの点に、すなわち拉致監禁という事実認定がなくとも不法行為と判断した点にあるのである。

 じっくり考えたことを以下に記しておく。
 田中清史氏が知ってて書いているのかはわからないが、「拉致監禁」用語には2つの意味がある。
 1つは、日本語としての意味である。
【拉致】むりに連れて行くこと。(広辞苑5版)
【監禁】人を一定の区画された場所に閉じ込め、そこから出る自由を奪うこと。(同上)

 もう1つは、法律用語としての意味である。なお、法律用語に拉致はなく逮捕がこれにあたる。(逮捕監禁罪-刑法220条)
【刑法220条】不法に人を逮捕し、又は監禁した者は、3月以上7年以下の懲役に処する。


 判例六法には若干の解説が載っている。
【逮捕】逮捕とは、直接に人の身体の自由を拘束することをいうから、ロープ等で人の胸部、足部等を木柱に縛り付けることは監禁ではなく逮捕にあたる。
【監禁】監禁罪は、方法の有形的であると無形的であるとを問わず一定の場所からの脱出を不可能にし、継続して人の行動の自由を不法に拘束することによって成立し、その拘束は多少の時間継続することを必要とするが、時間の長短は問わない。暴行・脅迫により8畳間に約30分間拘束することは、監禁にあたる。

 逮捕監禁罪は最高懲役7年の重罪。したがって、この罪が成立する構成要件は厳格である。知的好奇心がある方は、都道府県立図書館で判例集をひもといてもらいたい。

 話は少しばかり迂遠になる。
 拙著『我らの不快な隣人』は、田中清史(エイト)氏がいうところの「統一教会の拉致監禁(反対)キャンペーン」開始の、一つのきっかけになったと思う。
 同書では拉致監禁の具体例をたくさん書いているのだが、法律用語としての逮捕・監禁にあてはまらない事例も実は少なくない。
・たとえば、監禁部屋(アパート1階の部屋)に閉じ込められたとき、父親と2人だけになったときがある。このときは逃げ出そうと思えば逃げ出すことができた。つまり脱出が不可能ではなかったから、「監禁罪」は成立しない。
 法律家によれば、父親が格闘家だったら監禁罪は成立するそうである。

・たとえば、「妹が新しく借りたアパートを見に行こう」と騙されて部屋に閉じ込められたケースの場合、直接に身体の拘束はなかったから、「逮捕罪」は成立しない。
 しかし、これらの事例はいずれも、日本語としては拉致、監禁である。

 拙著を書評してくれた知識人たちは、日本語としての「拉致監禁」がある日、突然、白昼で行われていることに驚いたのである。
 拙著を読んだ知識人も教会員も元教会員も、日本語としての意味での「拉致監禁」(社会常識、社会通念上あってはならない)のことが赤裸々に書かれているから感情を動かされ、また統一教会は悲憤慷慨して文家4男、国進氏の指示のもと、反対運動を始めたのである。

 ところで、刑法上の監禁罪と民法上の不法行為との関係についてはわかりにくいかもしれない。
 そこで、知り合いの法律家の解説を紹介しておく。
「裁判所は自分達の責任分担でないことには踏み込まない傾向があります。刑法上の監禁罪が問題となっている刑事事件であれば裁判所は間違いなく監禁か否かに付き判断することになりますが、監禁罪が問題となっていない事件なら、そんなハードルの高い判断には首を突っ込みません」
「こうした民事裁判所の傾向からすれば、『監禁』という用語を使わなかったから即『監禁』を認定しなかったとは言えません。そもそも『「監禁』か否かの認定は本件解決に必要ない⇒必要のないことには口出ししない、というのが判事の言い分になります」
 
 そういえば、勝訴した富澤事件にしろ寺田事件にしろ、判決文には「拘束」という言葉を用いて、民法上の不法行為を認定していた。
 このことからすると、エイト氏の<判決では拉致監禁を認定していなかったから、統一教会の実質敗訴である>は、デタラメ解釈もいいとこだ。今回の判決は、冒頭で評したように、実質とか形式的とかといった形容がつかない「後藤勝訴」という以外に表現のしようがないほど、後藤勝訴は明々白々なのである。
山口貴士弁護士
 エイト氏の指導教官とおぼしき山口貴士弁護士に、再度レクチャーを受けてみたらいかがと提案しておく。


不法行為を具体的に認定
 
 今回の判決文が画期的だったのは、不法行為を具体的に裁いたという点にある。根拠条文は民法第5章不法行為(709条~724条)、なかんずく709条であろう。
 後藤の12年余のありようのどこがこの条文に抵触するかどうか、味わって読んでもらいたい。 
 
【民法709条】故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。

 後藤の権利又は法律上保護される利益とは、信仰の自由であり・行動の自由であり・結婚の自由であり・働く権利であり、一言でいえば基本的人権である。

 現役信者を抱えるご父兄は、またいまだ保護説得を諦めない脱会説得者たちは、どういう場合に不法行為が成立するのか、逮捕監禁という違法性をどうしたら阻却できるのかなんて小手先のことなんか考えずに、先に引用した判決文を噛みしめてもらいたい。
 以下の行為は不法行為として裁かれる。

(1)保護説得に強制的な要素を含むものがあれば不法行為である。
(2)保護説得で、子どもが一人で外出することや,外部との連絡をとることを許容されなかった場合には不法行為である。
(3)子どもが退出の意向を示したにもかかわらず,有形力を行使して(無形の脅迫言辞を含む)、退出を阻んだ場合は不法行為である。
(4)一つの場所に留めおかれていることに明示的に抗議の意を表していた場合(例えば「ここから出してよ」)は、不法行為である。
(5)行動範囲に対する著しい制限が加えられていた場合は、不法行為である。
(6)行動の自由を大幅に制約し,外部との接触を断たせ,子どもの心身を不当に拘束した場合は、不法行為である。

【総括】子どもを長期間にわたって1か所に留めおき,その行動の自由を大幅に制約し,外部との接触を断たせた上で説得を試みることについては,その説得の方法として社会通念上相当というべき限度を逸脱したものとみざるを得ない。よって、不法行為である。

【重要なポイント】「監禁」という違法性の極めて高い用語を使用せずに、また、拘束状態について必ずしも克明に認定せずして、不法行為を認定した。
 その結果、これが確定判決となれば、不法行為とされる脱会説得の範囲が拡がったと言える。これは脱会説得する側に対しては重大な抑止効果を及ぼすことになる。保護説得を誘う(いざなう)ような手紙を配達するエイト君の行為も不法行為と認定される可能性が高くなった。その点でも今回の判決の意義は大きい。

 信者家族また脱会説得者が注目しなければならないのは、次の認定であろう。

 原告が平成7年9月11日以降,各滞在場所間の移動の機会を除いてはほとんど外出をしておらず,長期間にわたりその行動範囲が著しく制限されていた結果,上記滞在期間中には相応の筋力の低下が生じていたことが窺われることに加え,
 被告後藤妹及び後藤母が自身の肉親であること等に照らせば,原告が,被告後藤妹又は後藤母に対して有形力を行使してまで荻窪フラワーホームからの退出を試みることをしなかったとしても,
 そのことから直ちに荻窪フラワーホームにおける滞在が原告の意に反するところではなかったものとみることはできず被告後藤兄らの上記主張は直ちに前記認定説示を左右するものではなく,採用することができない。


 有形力を行使してまで退出を試みることはなかった。すなわち刑法上の監禁ではない。それでも、不法行為としたのである。

 田中清史(エイト)氏の<判決では拉致監禁を認定していなかったから、統一教会の実質敗訴である>という指摘に啓発され、立ち止まって考えることができた。改めて謝意を表しておきます。

 なお、2点ばかり。
 前回も指摘したことだが、判決の総括文によれば、長期間にわたって1か所に留めおかれるのを回避するために、子どもが脱会を装った場合、解放されるまでの期間、行動の自由が大幅に制約され、外部との接触を断たれた被害、不利益は救済されないことになってしまう。判決の問題点は様々あるが、子どもの実質的実体的な意思(ほんとうの気持ち、法律書では「真意」)を尊重しなかったことが最大の問題だろう。
 基本的人権の侵害があってはならないという法の趣旨からすれば、当然の指摘だと思う。
 その結果、松永氏の不法行為は免責されてしまった。 

 もう一つは、法律用語と、日常用語としての日本語との関係について。
 法曹界で何かを論じる場合、とりわけ裁判の場合がそうだが、日常用語は極力使わない。そうでないと、六法でなく日本語辞典に依拠することになり、熊さん・八っつぁんの井戸端論議になってしまうからだ。
 しかし、その字義が法律で定められていない場合には、やむを得ず、日常用語を使わざるを得ない。このブログで、このことを話題にしたことがあった。ストーカー規制法にある「待ち伏せ」である。
 興味ある方は、「趣意書(6)-字義を勝手に“創作”する福士裁判官」 を読んでもらいたい。


哀しき反統一のコマンドたち
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 再び、田中清史氏の論評に戻る。損害論の意味がわかっていないなど、彼の記事は問題だらけだが、目を剥いたのは次の総括的な一文である。
(引用はじめ)
 判決の影響に関し被告の支援者からは「真摯に被害者の相談に乗っている人たちにとって、今後の相談やカウンセリングにマイナスとなってしまわないか心配」と話している。
(引用終わり)

 不法行為が認定されたのだからマイナスに影響するのは当たり前。実に陳腐なことを書いているのだが、それはともかく、被告後藤兄らへの言及がまるでない。後藤徹の兄夫婦は結婚生活を享受することができず、子どもを授かることができなかった。妹は婚期が遅れ子どもを授かることができない。自ら蒔いた種ではあるが、不幸なことである。

 統一教会の被害者でなく、私と同じような一般社会人なのに、エイト氏にはこうした彼らをいたわる気持ちが微塵も感じられない。あるのは反統一の将軍、脱会屋(脱会カウンセラー、救出カウンセラー)の心配ばかり。そして、彼の関心は反統一が信者奪還という形で統一に仕掛けてきた戦争の行方しかない。
 
「反カルト活動家」という職業(?)を名刺に印刷しているが、どういうわけか、批判するのは(それも誇張して)統一教会のみ。
 在日北朝鮮・韓国人に対する口汚い罵りを「ヘイト(憎悪)スピーチ」というらしいが、これをもじれば清史氏の言動は「ヘイトUC」(統一教会への憎悪を煽り立てる)以外の何物でもない。本人は無自覚だろうが、思想的にはネット右翼と通底するものがあり、危うい感じがしてならない。
 ぜひ、大きく深呼吸して、自分に問いかけてもらいたい。
<俺は反カルト活動家と名刺に刷り込んでいるのに、どうして統一教会ばかりを問題にしているのだろうか> 

 ところで、信者家族が置き去りにされる。
 振り返ってみれば、10年以上前もそうだった。
 今利理絵さんそしてアントール美津子さんが日本基督教団所属の牧師・清水与志雄氏と黒鳥栄氏を訴えたとき、反統一びとが作った組織名は「黒鳥・清水両牧師を支援する会」。支援を呼びかけるチラシにも信者家族を支援するといった文言はほとんどなく、実際の活動(主に弁護士費用のカンパ活動)もそうだった。
 うすうす違法行為と思いながら保護説得した両親、家族、親戚の存在が後背に追いやられているのだ。 これは統一教会の拉致監禁反対運動でも顕著に見られる傾向である。

 結局のところ,信者も信者家族たちも、反統一陣営が統一教会に仕掛けてきた戦争の哀しきコマンド、使い捨て兵士でしかない。だから、保護説得の親子関係、家族関係の回復のことを心配するような反統一びとは誰もいないのだ。寒々しい限りである。

-ブログ紹介-(3月30日昼追記)

ブログ「親の気持ち・子の気持ち」の最新記事「脱会と拉致監禁について思うことーその1:脱会後の私 」には是非、目を通してください。脱会者の気持ちが実に正直に綴られています。




-次回は「熊さん、八っあん、エイトさんを大いに語る」です。絶対に笑えるから読んでね-

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コメント

エイトさんの憎悪のこと

記事を興味深く読まさせていただきました。

民事と刑事との関係については、とても勉強になりました。

ところで、エイトさんの異常なまでの統一憎悪の動機のことです。

これは、ごく一部の食口の間では知られていることです。

エイトさんは初期の頃、執拗に足立教会青年支部を攻撃していました。
だから、どうしてもエイトさんの動機のことが話題になります。
また、エイトさんは元足立食口と仲がよく、元食口は現役食口と心情的につながりがあります。だから、エイトさんが元に話した内容は、私たちに伝わってきます。

エイトさんが統一教会批判を行なうようになったきっかけは、エイトさんのお姉様が統一教会に入信されたことです。
しかし、それは最初の頃の動機であって、そのあとのモチベーションは違うそうです。
統一教会の批判をすれば、元から拍手喝采をあびて注目されます。
それだけでなく、マスコミの方も取材にみえるそうです。

エイトさんは、マスコミの方から職業を聞かれると、不動産経営と答えているそうです。それは間違いないのですが、お父さまがお建てになったアパートの収入で生活をしているのが実態のようです。
大学を卒業されてから、一度も就職されず、アパート収入で暮らされてきたようです。
そんなエイトさんが周囲から注目あび、有名な新聞・テレビの記者から取材を受ける。そこに喜びを見いだされているようなのです。

だから、米本さんが指摘されるような統一憎悪とはちょっと違うと思います。

Re: エイトさんの憎悪のこと

元足立っ子さん、投稿ありがとうございました。

>民事と刑事との関係については、とても勉強になりました。

 そう言われると、少々恥ずかしいです。
 民事は民法、刑事は刑法によって裁かれる。刑事裁判の事実認定は厳格に行なわれる-といった程度のことがわかっただけですから。

 エイト氏の情報、ありがとうございました。
 実は、投稿に書かれた内容のことは、直接、エイト氏が話してくれたことがありました。

 私以外にも、けっこう話していることがわかりました。オフレコかと思っていたのに。

 次回の記事には元足立っ子さんの情報を取り入れることにします。

 とまれ、感謝でした。

お知らせ

 末尾に「ブログ紹介」を追記として載せました。ぜひお目通しを。

元足立っ子さんへ

私の知ってる情報とかなり違う気がします・・・。

>エイトさんが統一教会批判を行なうようになったきっかけは、エイトさんのお姉様が統一教会に入信されたことです。

バカエイトが統一教会批判を行なうようになったきっかけは、足立青年部の伝道に引っかかって、ビデオセンターに通うようになったのだが、実は統一教会だという事を知って、ショックであると同時に憎悪が芽生えたのである。

>統一教会の批判をすれば、元から拍手喝采をあびて注目されます。それだけでなく、マスコミの方も取材にみえるそうです。

これは事実。あってる。

>エイトさんは、マスコミの方から職業を聞かれると、不動産経営と答えているそうです。それは間違いないのですが、お父さまがお建てになったアパートの収入で生活をしているのが実態のようです。 大学を卒業されてから、一度も就職されず、アパート収入で暮らされてきたようです。

こいつ足立青年部だった元教会員の女と同棲してて、その女の収入でニート生活送ってるらしいよ。要するにヒモよ。ヒモ。どちらにしろエイトは人間ではない。鬼畜だ。さっさと死んで頂きたい。

Re: 元足立っ子さんへ

エイト大嫌いさん、投稿はうれしいのですが、問題を孕んだ投稿です。

>バカエイトが統一教会批判を行なうようになったきっかけは、足立青年部の伝道に引っかかって、ビデオセンターに通うようになったのだが、実は統一教会だという事を知って、ショックであると同時に憎悪が芽生えたのである。

 初耳です。これは事実でしょうか。また事実だという根拠を示すことはできるのでしょうか。

>こいつ足立青年部だった元教会員の女と同棲してて、その女の収入でニート生活送ってるらしいよ。要するにヒモよ。ヒモ。どちらにしろエイトは人間ではない。鬼畜だ。さっさと死んで頂きたい。

 これも初耳です。事実でしょうか。また事実だという根拠を示すことはできるのでしょうか。私が知っている情報は、元足立っ子さんが書かれた投稿内容とほぼ同じです。


 エイト氏から名誉棄損で提訴された場合、事実である、事実と信じるに至った相当な理由がある-ことを示すことができなければ、損害賠償金の支払い命令が下りますよ。

 それを示すことができないようであれば、投稿を削除してください。

反統一教会陣営の心理

>結局のところ,信者も信者家族たちも、反統一陣営が統一教会に仕掛けてきた戦争の哀しきコマンド、使い捨て兵士でしかない。だから、保護説得後の親子関係、家族関係の回復のことを心配するような反統一びとは誰もいないのだ。寒々しい限りである。


 常識的に考えて、許容範囲を完全に逸脱している統一教会信者に対する拉致監禁行為を無理矢理にでも正当化しようとする反統一教会活動家達は狂っているとしか思えません。
 もし、統一教会が反社会的組織であると考え、その宗教思想や組織活動に問題があると考えるならば、その部分に特化して論陣を張れば良いのであるし、そのような正攻法の統一教会批判であるならば、社会的にも歓迎されるであろうし、統一教会自体にとっても 組織としての中身が進歩する貴重な契機となるはずです。
 しかし、違法行為を行っていながら、被害者が「ひきこもり状態にあった」などというばかげた弁解を口にするようでは「反カルトというカルト」盲信者と貶されてもしかたがないでしょう。

 後藤さんの裁判の判決文について田中清史という反統一教会活動家が書いた記事を読みましたが、米本さんのご指摘通りのお粗末さで、「記事の間違いを指摘してあげないエイトファンのレベルも相当なものだ。」との思いにも同感です。
 その田中清史反カルト信者の記事を読んで一番驚いたのは、「今回の裁判も原告後藤徹氏は統一教会の全面バックアップを受けている。統一教会にとっては教団の正当性をアピールする絶好の機会であり、命運を賭けた裁判とも捉えられている。」という正気の沙汰とは思われぬ馬鹿発言です。
 拉致監禁、棄教強要行為の違法性を裁判に訴え、その非人道的な行為を断罪しようとする行動が何故「教団の正当性をアピールする」ことに繋がるのか全く理解できません。
 加えて、「命運を賭けた裁判とも捉えられている」とも判断している訳ですから 開いた口がふさがりません。
 
 教会の信者が拉致監禁、棄教強要行為の被害者となっていることを裁判所が認定したからという理由で、その教団は社会的に正しい宗教であるとその価値を認めるようになる人などこの世の中にいるのでしょうか。
 正直、「風が吹けば桶屋が儲かる」のことわざを思い出す‘こじつけ理論’以外の何ものでもなく、これ一つをとってもまともな頭の人間でないことがよくわかります。
 米本さんも記事の中で「監禁は認定されず」と「監禁否定判決」の違いを認識できない田中清史氏の国語理解力に呆れていましたが、まともに対応するのも疲れるような“どうしようもない”人間なのかもしれません。
 この田中清史氏の頭の錯乱ぶりを理解しようとしたら、以前米本さんが指摘されたように、反統一教会陣営は統一教会と戦争状態にあると理解する意外にありません。
 戦争に勝利するためには手段など選ばず、勝つ為なら嘘をついても、屁理屈を言っても構わないとの発想に基づくものと考えれば、その破綻した内容の記事を平気でネットに載せられる心理状態について根拠を理解することができます。

 しかし、上記のように米本さんが指摘された通り、結局不幸を味わうのは戦闘に追い立てられる兵士です。
 その戦争の仕掛け人からすれば、「使い捨て兵士」の親子関係、家族関係など眼中にないのであり、それと同じ状態が反統一教会勢力と統一教会の“戦争”の中でも生み出されていることを考えれば、まさしくそれは戦争そのものと言えるかもしれません。
 反統一教会陣営の弁護士やキリスト教会牧師達、そして田中清史氏のような活動家は「保護説得」によって統一教会から家族のもとに信者を奪還することは“救済行為”であると主張する訳ですが、その拉致監禁、棄教強要行為が 決して“家族を救う”ことになっていないのは今までの米本さんの著書等においても明らかにされています。
 その実態を考えると、彼らは偽善者と言って間違いないでしょう。
米本さんが「寒々しい限りである。」と感じられたのは、まさに戦争の現実を見た時に感じるものと共通しているのはないでしょうか。

 この反統一教会勢力と統一教会の“戦争”状態について考えると、泥仕合のような宗教戦争を連想してしまいます。
 現状でそこに真の勝者が現れることはないように思われます。
 しかし、拉致監禁、棄教強要を容認するような、下劣な反対勢力ではなく、米本さんのような「是々非々の考えかた」ができる中道的な批判勢力が統一教会に臨んでいたならば、決して悪い結果は生まれて来なかったと思います。
 統一教会が宗教史的に何の意味も持たない存在だとしたならば、正当な批判に耐えうる生存力など無く、時代とともに消滅してしまうのでしょうが、今のような統一教会の宗教教義と組織体制がその統一原理の真の価値を発揮したものでないことを私は確信しており、その真の発展、改善が可能になるのは優れた批判勢力に晒されることが必要ではないかとも思っています。

 統一教会員の人間としての本性が覚醒され、人間神格化による間違った原理解釈を是正し、統一原理が真に目指す人類一家族世界を真剣に実現するようになるには、韓総裁のポチが幹部を占めていてはいけないのです。
 その動かし難い朝鮮型儒教思想に基づく体制を転換せざるを得なくなるのは、優れた批判勢力によって津波のような洗礼を受けた時とも考察しています。 

不法行為を認定

実に勉強になります。

脱出が可能であれば「監禁罪」は成立しないが、格闘家によるものだったら監禁罪は成立する。
 
へえ~、そうなんですね。

後藤さんの場合、民事だし、「監禁罪」は認められなかったが、「不法行為」であることは認められた。
監禁罪か否かを問う裁判だったら、監禁罪が認められただろう、ということですね。

そして、
<保護説得を誘う(いざなう)ような手紙を配達するエイト君の行為も不法行為と認定される可能性が高くなった>、と。

実に意義のある、画期的な判決だったんですね。改めて、納得です。

<判決の影響に関し被告の支援者からは「真摯に被害者の相談に乗っている人たちにとって、今後の相談やカウンセリングにマイナスとなってしまわないか心配」と話している>(エイト氏)

ここで言う「被害者」というのは監禁をする家族のこと?
家族が監禁しにくくなることが、どうしてカウンセリングにマイナスになるんじゃい!
だったら、宮村や松永らカウンセラーが監禁をするようにアドバイスしていた、ってことじゃねーか。

敗訴なのだから、無理して記事にすることはない(あえて無視すればいい)のに、どうしても反統一サイドを擁護したい。だから、こんな記事になる。

形勢が不利な状況下で、援護射撃を繰り出すことで、山口弁護士や有田らから感謝されたい。エイト氏にはそういう気持ちがあるのだろう。

もう子供じゃないんだから、エイト氏も社会性を身につけなきゃ。
黒を白と言い換えても通用しないことくらい、分からなきゃね。

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