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社会的相当性を著しく逸脱している。 

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後藤勝訴判決文(6)

 今回は、2008年2月に後藤さんが荻窪フラワーホームから追放されるときの裁判所の判断です。

第3 当裁判所の判断

1 前記前提となる事実に証拠
  「裁判所が採用した証拠」(判決文1)
(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
   アイウエオ(判決文2) カキク(判決文3) ケコサ(判決文4) シスセソタ(判決文5) チツテトナニ

(2)裁判所が採用しない主張
   ア 原告の供述について イ 被告宮村と松永の供述について


2 被告後藤兄ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否について
3 損害賠償についてI
4 被告法人の使用者責任について
5 まとめ

※判決文を読まれると、やたら記号が多いが、ポイントとなるのは括弧がつかないアイウエオ50音表記である。そのため、目立つように大文字にした。


*****今回の判決文*****


(ア) 被告後藤兄ら及び後藤母は,平成19年頃以降,原告に家族と向き合う姿勢がみられないとして,一度無理にでも外に出すことを検討するようになっていた。

(イ) 被告後藤兄ら及び後藤母は,平成20年2月10日午後,原告に対し,3時間程度をかけて,統一教会には問題となる点があり,そのことで自分達がいかに原告のことを心配をしているかを繰り返し伝えるとともに,原告に対して自分自身で統一教会のことを検証するよう求めたが,原告は,被告後藤兄ら及び後藤母が望むような姿勢を見せなかった。

 そのため,被告後藤兄ら及び後藤母は,同日午後4時頃,原告に対し,荻窪フラワーホームから出ていくよう求め,抵抗する原告を4人で玄関まで連れて行き,力ずくで原告を荻窪フラワーホームの外に押し出した。

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(ア) 原告は,被告後藤兄ら及び後藤母により荻窪フラワーホームから外へと押し出された後,徒歩で東京都渋谷区松濤に所在する統一教会の本部教会へと向かった。原告は,その道中,交番に立ち寄り,警察官に監禁の被害を訴えたが,相手にされることはなかった。原告は,平成20年2月10日夜,統一教会の本部教会に到着した。 <注解1>


 原告は,平成20年2月11日早朝,一心病院において診察を受け,同日から同年3月31日まで,一心病院において入院治療を受けた。
 原告が入院してから約1週間後に測定された原告の体重は,約52キログラムであった。<注解2>

 
 原告は,平成20年7月2日昼頃,事前の予告なく,被告後藤妹及び後藤母が住む亡後藤父宅を訪れ,被告後藤妹及び後藤母に対し,自身の保険証や免許証を返還するよう求めた。
 その際,原告は,自ら亡後藤父宅に上がり,リビングにおいて,被告後藤妹及び後藤母と言葉を交わし,その日のうちに亡後藤父宅を去って行った。


(ア) 原告は,平成20年,警視庁荻窪警察署の司法警察員に対し,後藤母,被告後藤徹兄ら,被告松永及び被告宮村を,それぞれ逮捕監禁致傷罪及び強要未遂罪により告訴した。

(イ) 上記告訴に係る各被疑事件の捜査段階において,原告は,取調官に対し,パレスマンション多門については,窓が内側から開けられない状態であったので,玄関も内側から開けられないような鍵が付いているのかと思っていた旨を供述し,また,荻窪プレイスについては,トイレに行った際に家族の隙を見てカーテンを払って玄関を見たところ,番号の付いた鍵が見えた感じがした旨を供述した。


 原告は,平成23年1月31日,本件訴訟を提起した。


(2)裁判所が採用しない主張

ア 原告の供述について
 原告は,平成7年9月11日の亡後藤父宅における状況(前記(1)(イ)a)に関し<注解3>,亡後藤父及び被告後藤兄から両脇を抱えられ,両親,被告後藤兄ら,被告後藤兄嫁の兄,O(原告の伯父)及び元信者であるタップの男性従業員らによって四方八方を取り囲まれて行動の自由を奪われ,亡後藤父宅から引きずり出されてワゴン車に乗せられ,拉致された旨主張し,その供述(甲9,原告本人)にもこれに沿う部分が存するが,
 前掲各証拠によれば,亡後藤父宅は閑静な住宅街にあり,周囲に複数の住宅が並んでいることが認められるところ,当時の状況が原告の主張し,供述するとおりであったとすれば,原告において大声で助けを呼ぶなどして周囲に覚知されるような騒動となっていたものとみられるが,そのような事態を窺わせる証跡は存しないから,原告の上記供述部分はたやすく信用することができず,前掲各証拠に照らして採用することができない。

 原告の供述中には,他にも,前記(1)の認定(裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容-アイウエオカキクケコサシスセソタチツテトナニ)に反するとみられる部分が存するが,いずれも前掲各証拠に照らして採用しない。

 被告宮村と松永の供述について
 また,被告松永の供述(乙ロ1,12,16,19, 被告松永本人)及び被告宮村の供述(乙ハ2,25,51,被告宮村本人)中にも,それぞれ前記(1)の認定に反するとみられる部分が存するが,それらについては,いずれも前掲各証拠に照らして信用することができず,採用することができない。

*******************

<注解1>荻窪フラワーホームから渋谷松濤にある統一教会本部までの道のりについては、Yoshiさんの「荻窪・松濤 Walk」を参照のこと。

<注解2>後藤の体重は、95年9月頃は70キログラム、05年の2回目の断食後は45キログラムだった。「判決文(5)」を参照。


<注解3>「シ(イ)a」とは、以下の判決文の記述のことである。
(引用はじめ)
 亡後藤父は,食事を終えた頃,原告に対し,前記オの話合いの際にはその話合いが終わる前に原告がホームに戻ってしまったことが残念である旨を述べるとともに,再度,場所を移動して原告が信者であり続けることの是非について話し合いたい旨を述べた。
 原告は,話合いであれば亡後藤父宅において行うべきであるなどと述べ,当初は亡後藤父の求めに応じていなかったが,その後,1時間程度話をした後に,渋々ではあったものの,自ら立ち上がり,靴を履き,亡後藤父らや亡後藤父宅において待機をしていたO(原告の伯父)に付き添われて,玄関から亡後藤父宅の外に停められていたワゴン車の方へと向かい,これに乗り込んだ。

 なお,原告が玄関を出て上記ワゴン車へと向かう際には,亡後藤父宅の庭先に,万が一の場合に備えて,タップの男性従業員が待機をしていた。
 もっとも,原告においては,亡後藤父らと真摯に話合いを行う意思はなく,前記の統一教会における教えに従い,亡後藤父らから求められるままに形式的には話合いに応じ,偽装脱会を行い,時期をみて,統一教会のホームに戻ることを企図していた。
(引用終り)
【評価】


 判決文の評価は最後に書くつもりだが、ここでは一点だけ、読者に考えてもらいたいことがある。原告の主張を採用しない理由についてである。わかりやすく書くと、以下の通りになる。

 亡後藤父宅は閑静な住宅街にあり,周囲に複数の住宅が並んでいる。原告が拉致だというのなら、原告は大声で助けを呼ぶなどして周囲に覚知されるような騒動となっていたものとみられるが,そのような事態を窺わせる証跡は存しないから,拉致ではない。

 確かに、大声をあげたり逃げようとしなかったことが事実であれば、刑法でいう拉致(逮捕)の構成要件を欠いている。
 しかし、今回の裁判は民事裁判である。
「家族の話し合い」のために、両親、兄・兄嫁・妹、伯父の合計6人が家族の一人を取り囲み、行く先も告げず、携帯トイレを積んだワゴン車に乗せる。さらには不測の事態に備え、全く関係のない赤の他人が隠れている。 
 このこと自体、社会的相当性を著しく逸脱する行為ではないか。当然のことながら、民法709条に抵触する。

 もし、司法が不問に付し是認するようなことがあれば、日本の「家族の話し合い」の風景は大きく変わってしまう。
 家族間で意見が異なり、衝突することは少なくない。むしろ、意見が一致する家族なんてごく少数だろう。
 そうしたとき、意見の異なる家族の一員を、意見が一致している家族が、行く先も告げずに、ワゴン車に乗せる。そして、用意したマンションでこんこんと説教する。こんなことが日常茶飯事となってしまうのだ。
 こんなことが許されていいのだろうか!?

 統一教会なら許される?だとしたら、顕正会は?親鸞会は?幸福の科学は?エホバの証人は?オウムは?右翼は?左翼は?
 裁判官に聞いてみたいものだ。

 
-「判決文(7)」に続く-




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コメント

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「拉致」にしない悪知恵

<統一教会なら許される?>

統一教会員が原告だったから、裁判長は被告側の言い分に肩入れしたのか………。
統一教会の心証が悪すぎて、それが裁判に影響したのか………。

う~ん、私にはそうは思いません。

<そのような事態を窺わせる証跡は存しないから,拉致ではない>

拉致を決定付ける、これっという証拠がなかったから、裁判長は被告側の言い分を採用せざるを得なかったのではないでしょうか。

私が裁判長だったとして、原告が監禁されていたことは100%認めると思いますが、拉致については認定しにくかったと思います。

「最初のほうは、原告にも『話せば分かってもらえるだろう』みたいな感じで、被告らに付いていったようにもみえなくもない」
「騙されて付いていったようだが、それを拉致と言うのは極めて難しい」と。

被告たち(特に父親)は「お前から直接、原理の話を聞かせてくれ。今回はすぐに終わりにするから」とでも言って、連れ出したのでしょう。

被告サイドの悪知恵(裁判対策)が一枚上手だった、ということではないでしょうか。
悔しいですが。

もちろん、私も、これを「同意」とは思っておりません。ひっくり返すことはできると信じます。

拉致行為に関する問題点

>そうしたとき、意見の異なる家族の一員を、意見が一致している家族が、行く先も告げずに、ワゴン車に乗せる。そして、用意したマンションでこんこんと説教する。こんなことが日常茶飯事となってしまうのだ。
 こんなことが許されていいのだろうか!?


 今回アップされた判決分の中には、原告側の「拉致された」との主張は認められなかったことが書かれている訳ですが、確かに、ワゴン車に乗せられるまでに後藤さんがそれに抵抗して逃走しようとしたとか、助けを求めたとかした行動の痕跡を示す証拠が挙げられていないようであり、微妙な判断になるのは致し方ないようにも感じられます。

 しかし、結果からして監禁場所に後藤さんを移送する為の半強制的な行為があったのは間違いなく、形態としては誘拐行為に近いと言えます。
 通常 誘拐行為と言えば、身代金等を目的として対象者を欺いて連れ去ったり、誘惑して己の支配下に移したりする行為で、全くの他人が未成年者等を保護者の下から奪い去る犯罪行為を思い浮かべます。
 しかし、後藤さんの場合は 騙して無理矢理監禁場所に連行したのは両親や親族であり、それは金銭目的でもなく、後藤さん自身も自立した大人ですから ほとんどの人は誘拐という犯罪をイメージしません。
しかし、そのワゴン車に誘導して監禁場所へ連れ去る行為は誘拐行為とかなり近い行為であり、その首謀者や目的を整理して考えると、そのワゴン車に連行した行為は誘拐と言っても差し支えないのではないでしょうか。

 即ち、「家族の話し合い」というのが嘘であるのは間違いなく、あくまで目的は監禁しながら棄教強要しようとしているのであり、本人が絶対拒否するそのような監禁場所に騙して連れて行くのですから、誘拐と内容的には変わりません。
 それに加えて、首謀者は両親や親族というよりも宮村脱会屋であり、米本さんが見抜いたように 宮村脱会屋が両親を精神的に服従させて指揮していたのであり、その誘拐行為の主犯と見ることもできます。
 おまけに、その誘拐、監禁、棄教強要によって多額の謝礼を得ていたのは確かなのですから、お金の為に人を監禁するという意味では 誘拐して身代金を得ようとする誘拐犯とさほど変わりません。

 もし裁判官がその騙しながらの強制的な連行、監禁しながらの棄教強要といった一連の行為における宮村脱会屋の計画性や支配力の大きさを理解できていたならば、この誘拐のような強制的な連行も不問に伏されることはなかったのではないでしょうか。
 裁判官は宮村脱会屋の加害責任を認めましたが、その判決はまだまだ真相を見逃した部分があり、物足りなく、どうしても不満が残ってしまいます。

 宮村脱会屋が後藤さんの両親や親族とどのような精神的関係にあったのかは一般的な常識では理解し辛い面があるのかもしれません。
 米本さんが既に説明されましたように、宮村脱会屋は信者の親族が自分を絶対者として崇敬するようになった条件が整ってから拉致監禁行為を実行に移していたのは間違いなく、それが証明されれば判決も少し変わってくるものと思われます。

 宮村脱会屋や反対派牧師等は統一教会信者はマインドコントロールされた精神障害者であるというような視点で統一教会員を見ている訳ですが、統一教会がその宗教理論を学ばせる段階で精神操作の手法を用い 統一教会の信者にならざるを得ないような催眠術にかけたような状態で信仰を持たせているという考え方はかなり現実からかけ離れており、科学的な論理性などはほとんどないのですが、問題があるとしたら やはり人間神格化の問題だと思われます。

 人間でありながら、神の全知全能を体現しており、その言動がすべて真理であり、善であるという“メシア”としての人間神格化は統一原理の創造原理と決して一致するものではなく、かなり飛躍があります。
 文先生についても、統一原理の提唱者であり、人々を善導する宗教的刷新運動の一指導者であるというように信者が正しく理解すれば良かったのですが、そこに人間神格化が加わり、朝鮮型儒教思想が加わってしまった為、組織の命令ならば違法行為も平気で行う異様な宗教団体に化けてしまったと言えるでしょう。

 後藤さんの拉致監禁問題においても、諸悪の根源は首謀者である宮村脱会屋なのですから、統一教会員もマインドコントロールされた精神障害者であるとの宮村脱会屋や反対派牧師の主張を覆せるよう、人間神格化という間違いから脱却するということは重要であり、自分達の正当性を主張する上でもそれは絶対必要な改革と言えるのではないでしょうか。

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