いよいよ、拉致監禁の準備が整った! 

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後藤勝訴判決文(4)

 今回紹介するのも、以下の青字のところである。
 いよいよ佳境に入っていく。
 さあさあ、鬼が出るか蛇がでるか、木戸銭は入らないよッ
 

第3 当裁判所の判断

1 前記前提となる事実に証拠
  「裁判所が採用した証拠」(判決文1)
(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
   アイ(判決文2) カキク(判決文3) ケコサシスセソタチツテトナニ

(2)裁判所が採用しない主張
   ア 原告の供述について イ 被告宮村と松永の供述について

2 被告■<後藤徹氏兄>ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否について
3 損害賠償についてI
4 被告法人の使用者責任について
5 まとめ

※判決文を読まれると、やたら記号が多いが、ポイントとなるのは括弧がつかないアイウエオ50音表記である。そのため、目立つように大文字にした。

*******判決文*********

ケ 原告後藤徹の動き

(ア) 原告は,前記オ(イ)cのとおり荻窪栄光教会から統一教会のホームへと戻った後,大成建設を退社し,統一教会の信徒組織において,専ら伝道活動や教育活動に従事するようになった。
 なお,当時,統一教会においては,その活動に献身的に従事することを目指す者が多くおり,原告もそのような活動に従事することを従前から望んでいた<注解1>

(イ)a 原告は,統一教会のホームに戻ってからしばらくの間,両親や被告後藤兄との連絡を絶っていたが,平成4年8月頃,両親に対し,統一教会の合同結婚式に参加する旨を連絡した。

b 亡後藤父は,原告からの連絡を受けて,当時の統一教会の会長及び統一教会第10教会会長宛てに,原告の家族らが原告の合同結婚式への参加を反対している旨を記した文書を内容証明郵便で送付した。

c 原告は,平成4年8月,当時信者であったSと共に,韓国において催された統一教会の合同結婚式に参加したが,帰国後,Sがその家族らの説得により信仰を失ったことから,その婚姻生活を開始することができなかった。

(ウ)a 原告は,その後,時間の経過とともに,次第に家族らと連絡をとるようになり,平成5年頃には,亡後藤父宅を訪れて,夕食を共にするようになった。また,原告は,同年2月には,亡後藤父や被告後藤妹と共に,葉山に旅行に出かけるなどしていた。

b 被告後藤兄は,原告が統一教会に所属していることについてなお強い懸念を抱いており,平成5年頃には,約半年間にわたって,1週間又は2週間に1度の頻度で,当時原告が所属していた葛西にある統一教会の伝道の拠点であるビデオセンターに通い,原告との話合いのきっかけを探るなどしていた。


 後藤徹の拉致監禁の準備が整う

(ア) a 被告後藤兄は,前記エのとおり,統一教会から脱会した後,昭和62年6月頃からは荻窪栄光教会における水茎会の,被告宮村が荻窪栄光教会から離れた後は新たに結成された水茎会の各活動に参加し,被告宮村の手伝いをするなどして,信者に対する家族らの説得活動に協力をしていた。<注解2>

b また,被告後藤妹は平成3年頃に再び上京した頃から,被告後藤兄嫁は遅くとも平成5年頃までには,それぞれ水茎会の会合に通うようになっていた。

(イ)a 被告後藤兄ら及び両親は,遅くとも平成6年12月頃から,再度原告に対して説得を行うための具体的な計画の策定を始めた。
 被告後藤兄ら及び後藤母は,後記(ウ)のとおり,新津教会に通い始める平成7年夏頃までは,水茎会の会合に通い,被告宮村や水茎会の家族らの助言を受けながら,原告に対する説得の方法等について検討を進めていた。
 そして,被告後藤兄ら及び両親は,原告に対する説得を,被告後藤兄嫁の説得に当たった被告松永の関与の下に行うこととした。<注解3>

b 新津教会では,平成7年当時,毎週日曜日の午後に元信者やその家族らによる勉強会が開催されており,当該勉強会は,信者の家族らの相談の場となっていた。
 当該勉強会においては,その子弟を統一教会から脱会させることに成功した経験を有する家族らにより,
 信者に対する説得のための手法について,子弟を統一教会から脱会させるには統一教会の影響が及ばない場所で説得を行うことが必要である旨,
 親族の全面的な協力が必要であり,最低でも4人程度の親族の協力が必要である旨,
 信者を話合いの場所に連れて行くには,通常の乗用車ではなく,ワゴン車を準備する必要がある旨,
 ワゴン車には,飲料やポータブルトイレを準備する必要がある旨,<注解4>

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 ワゴン車の中では,両親等の近しい者が子弟の両脇に座る必要がある旨,
 被告松永の指導には必ず従う必要があり,従わない場合には被告松永は脱会の説得には協力することができない旨,
 子弟が部屋から出してほしいと述べても,家族らの判断でこれに応じるべきではなく,被告松永の判断に従って判断する必要がある<注解5>
 などの指導が行われていた。

 また,被告松永は,その子弟に対する脱会説得の実行の時期が迫った家族らを集め,脱会説得を行うために用意した部屋への移動をさせる手はずについて打合せを行うとともに,それらの家族らに対し,移動の際に信者に対してどのようにして話すのか等について指導を行い,
「救出に際してはお子さんの状況などについて私と連絡を密にとってください。」,
「救出に際しては私の言葉に従ってください。従っていただけないのなら,救出を引き受けることはできません。」
 などと述べていた。

 なお,被告松永は,その子弟に対して脱会説得を行う意向を有する家族らに対し,脱会説得のための部屋を紹介することもあったが,その一つである新潟市(現在の新潟市中央区)古町通11番地1696所在のシャルム五菜堀301号室については,窓の部分にその開閉ができないようにする器具が設置され,玄関ドアは内側からも施錠することができる仕様にされていた。 <注解6>

(ウ) 亡後藤父は,平成7年夏頃,被告松永に対して電話をかけ,原告が信者であることについて相談をしたい旨を告げた。
 被告松永は,亡後藤父に対し,新津教会を訪問するよう勧め,両親及び被告後藤兄らは,その頃から,新津教会に通い,その勉強会において,元信者や脱会説得に成功した経験を有するその家族らの作成したビデオを見たり,被告松永の話や,元信者やその家族らの話を聞いたりして,原告に対する説得を行うための準備を進めた。

(エ) 両親及び被告後藤兄らは,新潟市内の当時空き家となっていた被告後藤兄嫁の祖父の所有に係るパレスマンション多門において,被告松永の協力を得ながら,原告に対する説得を行うこととし,平成7年9月11日に原告が亡後藤父宅を訪れる予定になっていたことから,同日をその決行の日と定めた。
 両親及び被告後藤兄らは,同年6月頃,被告宮村の元を訪れ,被告宮村に対し,原告との話合いを新潟において被告松永の協力を得て行う旨を報告した。
 亡後藤父は,被告後藤兄嫁の兄であるHTに対し,原告を亡後藤父宅からパレスマンション多門まで移動させるための車の準備及び運転を依頼し,また,原告の伯父であるOに対しても,協力を依頼した。
 また,被告後藤兄にあっては,元信者であるタップの男性従業員に対し,協力を依頼した。

 なお,被告後藤妹は,原告との話合いに備え,同年8月頃,当時勤務をしていた大学の書店における勤務を辞めた


 原告は,平成7年当時,東京都北区所在の統一教会のホームに生活の本拠を置き,統一教会の実践トレーニングの隊長と呼ばれる地位に就いて,専ら伝道活動や教育活動に従事する生活をしていた。
 原告は,当時,他の信者に対し,上記隊長として統一教会の教えや伝道の方法を指導するほか,家族から信者であることについて反対を受けた際の対応の仕方などを指導をしていた。
 また,原告は,自宅に帰省して脱会の説得を受ける可能性のある信者に対し,統一教会に反対する牧師が両親とつながっており,拉致・監禁や改宗の強制をされるおそれがあることから,そのような事態になった場合には偽装脱会をして戻ってくるよう指導をしていた。

*******************

<注解1>原告後藤徹が献身を望んでいたとは初耳である。どの証拠からこのような認定をしたのか。
 原告が大成建設を事実上退職を余儀なくされてから献身者になったのは、他の会社に再就職すると、また監禁される恐れ(偽名では就職できない。家族あるいは親族の保証が求められる)があるからである。

<注解2>被告後藤兄と被告宮村との関係について、弁護士の伊藤芳朗は次のように証言している。

「仲がいいとかといったレベルではなく、宮村氏から顎(あご)で使われていましたね。決して、宮村氏に反発するようなことはなく、従順そのものでした。男が男に顎で使われているのを目の当たりにすると、気持ちいいものではありませんでした」
「あの頃はまだ携帯がありませんでしたから、宮村氏がGTさん(後藤兄)に『お前、このことを誰々に伝えてこい』と命令すると、すぐに『ハイ』と言って飛び出していった。ものすごく頭ごなしでした。『あれ持ってこい』と言われると、すぐに従う。宮村氏のパシリのように使われ、とてもかわいそうな印象でした。だから、今でも記憶に残っています」

【典拠した文章】 米本和広氏の陳述書(3)<-かつて「青春を返せ訴訟」の原告代理人だった弁護士激白!!!宮村氏の脱会活動は脱会活動に名を借りた金儲け。実態は拉致監禁だー>


<注解3>被告後藤兄、兄嫁、妹、また両親のいずれもが東京に住んでいた。被告宮村もそうである。それにもかかわらず、なぜ後藤の説得を、被告松永のいる新潟で行うことにしたのか。
 誰しも疑問に思うところだが、このとき被告宮村の妻が脳疾患で倒れ、介護が必要になっていた。そのため、被告松永が担当することになったのだと推測する。

<注解4>被告兄らは、携帯トイレをワゴン車に積んだのは「父親のトイレが近かったから」とトンデモ釈明し、不可解な 検察審査会の議決書もこの釈明を取り入れていたが、被告松永の指導だった!のである。

<注解5>被告松永(脱会説得者)は信者家族に対して絶対的な権限を握っていた。
 統一教会ではアベル-カインの関係は軍隊的な上意下達の関係と、反統一陣営が批判(正しい)しているが、反統一陣営も同じなのである。これも、反カルトのカルト性の一つであろう。  

<注解6>一心病院の医師小出浩久の『人さらいからの脱出』では、脱会説得を行う部屋の大工仕事を被告松永に手伝わされたと記されている。同書からその一節を引用する。なお、同書は甲29号証として提出されており、裁判所は判断のもとになる証拠として採用している。

「私は松永牧師と元信者の女性1人と共に、ロイヤルコープの部屋の準備のために行った。部屋の入り口のドアを本人が開けられないようにするチェーン式の鍵も、教会から持って行った。窓は内側から開けられないようにする器具を取り付け、障子なども開かないように釘で打ちつけた。
 すべて松永牧師の指示どおりに行った。部屋の準備が整うと、(拉致に成功した)彼女の到着を待った」  

 
-「判決文(5)」-に続く


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コメント

検察審査会への疑念

 今回の後藤さんの民事裁判の判決文では、宮村被告人や親族が「脱会説得」を目的として違法行為を行ったことを認めている訳ですが、その計画、準備内容は明らかに「拉致・監禁」を意味するものであり、後藤さんが刑事事件として訴えたこれらの違法行為が検察審査会においては不起訴相当と判断された事は、改めて不可解なことと言う以外ありません。

 今回の判決文を読めば読むほど、米本さんが指摘する「検察の闇」の異常さが浮き彫りになり、それが国家権力を担ってなされたことを思うと、ただ見過ごすことはできない重大な社会問題が含まれていることがわかります。
 民事裁判の判決文を参考にするならば、宮村脱会屋や拉致監禁行為を行った親族は逮捕・監禁罪に該当し、さらには逮捕・監禁致死傷罪まで問われることになります。

 検察審査会の問題については 担当刑事が「検察から起訴にも不起訴にももっていけるような捜査記録をあげて欲しい、と指示を受けた」ことや、背後での政治的な圧力の可能性について書かれた米本さんの記事によって連想できるものもありますが、それらが内部告発でもない限り決して表に出ることはないのは残念としか言いようがありません。

 今回の判決が示したような明らかな犯罪行為が もし被害者が統一教会信者という理由で「不起訴相当」にされてしまったとしたら、重大な人権蹂躙なのですが そうではないと否定することができず、むしろそのような可能性が極めて高いことは極めて残念であり、複雑な思いを懐かざるを得ません。

 後藤さんの件においても、最初は一般企業の社員であった時に拉致監禁されており、次も家族との交流は普通になされていた時に突然、拉致監禁されており、「保護説得」などという理屈が通じるわけも無く、「信教の自由」の否定以外の何物でもありません。
 逆に考えれば、そこまで「危険な宗教団体」「間違った宗教」と一般人に思わせてしまうことに対する統一教会の対応にも問題があるとも言えるでしょう。

 統一教会を「カルト宗教」として危険団体視する観点は 主に伝統的キリスト教会の観点からなのですが、統一教会の誕生の原点が「キリスト教の統一」であることを考えると、その謳い文句と現実との絶望的なギャップに誰であっても驚かざるを得ません。
 勿論、伝統的キリスト教が絶対的に正しく、統一教会の教えが全て間違いなどということはないのですが、そのような宗教論争に勝てない、または超越した解答を示せない統一教会であることも認めなければなりません。

 キリスト教会が統一教会の信仰を批判する問題に関して考えるならば、もし本当に統一教会員が真理の根本にある神の存在を中心として考えるならば、教義の明らかに間違っている部分は変更する必要もあると思います。
 血統転換理論のような根深い問題以外にも 結構明らかな間違いは原理講論の中にも存在し、統一教会の目的が「神の愛を中心とした人類一家族世界」であるならば、聖書解釈などの明らかな間違いなどは改善してもよいはずです。

 また、「その実際の行動、結果を通して思想内容を評価する」基本的な観点を受け入れるならば、エンドレス高額献金や違法行為とされる経済活動の問題は当然反省して解決されねばならない問題です。
 反対派に「間違いに気付いてください」などと言われないように、改善すべき内容は改善し、進歩すべきところは進歩すべきなのが「真の人間としての責任分担」であるのは間違いありません。

アベル-カインの変説

>統一教会ではアベル-カインの関係は軍隊的な上意下達の関係と、反統一陣営が批判(正しい)しているが、反統一陣営も同じなのである。これも、反カルトのカルト性の一つであろう。


 上記の「アベル-カインの関係」に統一教会員が支配されているのには複雑な事情が絡んでおり、正確に理解するためには多少説明が必要かと思います。
 以前の記事においてもこの問題が論じられたような覚えもあるのですが、原理講論では「アベル」「カイン」と言う用語を上司、部下の意味で使用してはおらず、軍隊的な上下関係を教えとして肯定していると捉えてしまうのは全くの誤解です。
 原理講論に書かれた純粋な教義としての「アベル-カイン」の関係とは「アベルとカインの献祭」を果たす為に必要な人間関係の内容を意味しており、基本的に「蕩減条件」に属する手段としてあるもので、普遍的な人間社会の相対関係を意味する言葉ではありません。

 アベルとカインの物語は聖書の創世記にありますが、原理講論においては アベルはより神に近い善の表示体であり、カインは神から遠い悪の表示体であると説明しています。
 そして、アベルはアダムの立場でありカインは天使長の立場である為、人間始祖の堕落を「蕩減する条件」として、カインはより神に近いアベルを愛し、従順に屈服して 本来の天使長の立場である僕のようになることによって、天使長が堕落せず神を中心とした正しい関係を完成できたことになる条件を立てられると説いています。
 そこで、アベルとカインが神を中心としたアダムと天使長の関係を「蕩減復帰」することができれば「実体献祭」を神が認めるように捧げることができたのであり、それによってつくられる「実体基台」が「信仰基台」と共に立てられることによって「メシアのための基台」がつくられ、堕落した人間が始めてメシアを迎えることができる条件が成立する、というのが統一原理の「蕩減復帰原理」の内容なのです。

 つまり、原理講論にある「アベル-カインの関係」とは「アダム-天使長の関係」を置き換えたものであり、「メシアを迎える条件」としてその役割を担った人物が実践せねばならなかった人間関係の行為内容であり、組織における人間と人間のあるべき関係を意味したものではないのです。
「アダム-天使長の関係」は主人と僕の関係にも例えられる為、同意語の「アベル-カインの関係」も組織における上司と部下の関係に例え易いのですが、本来人間関係はそのような階級的なものを中心として捉えるべきではありませんし、統一原理の理想的人間関係とも一致しません。
 端的に言ってしまえば「アベル-カインの関係」は過去の蕩減段階では必要な時があっても、理想世界を実現する段階では適用されない「関係」ということになります。

 韓国人幹部から絶えず献金実績を要求され、その献金命令を教会員に強制的に実践させるのに都合がよい為、特に日本の幹部達が統一原理の重要なポイントなど理解できずに「先祖の蕩減と祝福」しか頭に無いような劣化した教会員達をごまかし易い「アベルとカイン」の教義を悪用して作ったのが、日本統一教会における軍隊的な上意下達の「アベルとカインの関係」の体制であると言えるでしょう。

 この「アベル-カインの関係」の問題は統一教会における教義と実践が一致しない典型的な一例でもありますが、統一原理や統一思想の最も基本的な理念は決して「カルト的」なものではないのですが、現実として「カルト的」組織として変貌し、「カルト的」行為が実践されている現状は悲劇としか言いようがありません。
 このような教義と現実の矛盾に満ちた教会組織のままで発展するはずなどないのですが、その崩壊の危機に瀕している統一教会の信者の親族に対し、「子弟を統一教会から脱会させるには統一教会の影響が及ばない場所で説得を行うことが必要である」などと「マインドコントロール」して拉致監禁を実行し、脱会屋商売で金儲けしようとする輩は犯罪者でしかないのです。

松永の主導性を疑いつつ…

新津教会での勉強会で指導されていたこと、とは。(原告側の主張)
①統一教会の影響が及ばない場所で説得を行うように
②最低でも4人程度の親族を協力させるように
③通常の乗用車ではなくワゴン車を準備するように
④ワゴン車にはポータブルトイレを準備するように
⑤ワゴン車の中では,両親等の近しい者が子弟の両脇に座るように
⑥被告松永の指導には必ず従うように(従わない場合には被告松永は脱会の説得には協力しない)
⑦外出は被告松永の判断に従うように

脱会説得の実行時期が迫った時、被告松永が家族らを集め説明したこと、とは。(同)
「救出に際してはお子さんの状況などについて私と連絡を密にとってください。」
「救出に際しては私の言葉に従ってください。従っていただけないのなら,救出を引き受けることはできません。」と。

こういう原告側の主張が裁判では採用された、ってことですね。

でも、松永には損害賠償責任を問われなかった。松永の主導的立場を疑いつつ…。

やはり、証拠がいまいち足りなかった、ってことでしょうか。

<被告松永(脱会説得者)は信者家族に対して絶対的な権限を握っていた>

高裁でのポイントは、これをいかに証明できるか、ってことでしょうか。

カルト的宗教と教義

 私の前のコメントで、現在の統一教会においてはその本来の教義と実践が一致していない問題があることを指摘し、それを悲劇であると嘆いたりしましたが、別の観点にも気付きました。
 つまり、「カルト的」宗教団体にとっては教義などはそれ程重要ではなく、神格化された人間が中心ですから、後付で教義などはころころ変わってしまうのです。
 たとえば、‘第一原因としての神’を前提とする唯一論が‘夜の神様’と‘昼の神様’に分かれて争ったりする二元論へと変化したり、世界中に「神様の最大の悲しみ」であるはずの紛争と殺戮行為が繰り返されていても‘人類のメシアが完全に勝利された’といってお祝いしたり、統一された人格神であるはずの神様にお祈りするのに「天の父母様」と呼べと強要したりと‥‥教義などはどうにでもなってしまうのです。

 そうであるならば、「アベル-カインの関係」云々と教義論を展開したところで何の解決にもなりません。
 つまり、「カルト的」宗教の信者とは 神格化された人間が絶対中心であり、教義であろうが何であろうが、絶対服従するのに都合の悪いことはきれいに忘れ去ってしまうのです。
 脳が機能低下し、現在の思考に繋がらない知識の記憶は0にリセットされてしまうのかも知れません。
 そう言えば、確かに徳野会長はコンプライアンスの記憶も完全にリセットされてしまいましたし‥‥。

 「カルト的」宗教団体の条件を教義無用の人間中心宗教と考えますと、現在の統一教会は限りなくそれに近いように感じられます。
 しかし、元もとの教義自体にも明らかな間違いが発見される訳であって、宗教信者が真理に至る道のりの遠さを実感いたします。

Re: 検察審査会への疑念

 おっしゃる通り。
 変なことが多いのです。
 考えなければならないのは、小沢一郎さんの検察&検察審議会とのことを、比較検討すべきだと考えています。

 まあ、公開まで、あと20年後か。でも、あっという間です。

Re: 松永の主導性を疑いつつ…

 みんなさんに送るブログです。奈々草さんのブログです。

後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと①
http://ameblo.jp/angelstairway/entry-11784641489.html

後藤徹氏裁判判決文を読んでー認められたこと、認められなかったこと②
http://ameblo.jp/angelstairway/entry-11785557716.html

 是非、熟読を。


アベルとカイン

神々の黄昏様がかかれた様に。>アベルはより神に近い善の表示体であり、カインは神から遠い悪の表示体であると説明しています。(原理講論においては)とあるのですが、なぜ?そもそもアベルが神に近い善の表示体であり、カインは神から遠い悪の表示体なんですか?極端な言い方すると、アベルは善人(祝福家庭はアベル側)
カインは悪人(未祝福はカイン側)自分は、祝福家庭だ。777双だ1800双だと威張りちらすアベルも見てきました。そんな奴に絶対服従するかと思ったこともあります。それから、なぜアベルがカインに殺害されたか?聖書には書いてないけれど、カインの気持ちを逆撫でするような事いったんじゃないのでしょうか?松永牧師も自分に絶対服従しろいう事聞かないと引き受けないぞ。宗教家の独善性を嫌と感じてしまいます。

Re:アベルとカイン

>なぜ?そもそもアベルが神に近い善の表示体であり、カインは神から遠い悪の表示体なんですか?

 小川寿夫さんの上の質問に対する答えは原理講論の後編、第一章 復帰基台摂理時代・第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理・(一)信仰基台、の中にあり、そこに詳しい説明があります。
 要点はアベルが二番目に生まれたという理由で善の表示体となったのであり、カインは最初に生まれた為に悪の表示体となったということなのです。
 つまり、より神に近いとか遠いとかはアベルとカインのそれぞれの人間としての価値に優劣をつけて差別している訳ではなく、ただ単純に生まれた順番で神に近い善の表示体か、神から遠い悪の表示体かに分けただけなのです。
 原理講論に書かれた「善の表示体」の条件とは次男ということ以外何もなく、「悪の表示体」となった理由も長男という以外何もないのです。

 「カインとアベルの献祭」の目的とはカインが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることだと原理講論に書かれています。
それは堕落してサタンとなってしまった天使長の本来の役割でありながら 天使長ができずにいたこと、即ち より神に近い人間に従順に屈伏して善なる天使としての役割を果たすことであり、それをカインが代身となって実践できたならば、そこで堕落性を脱げるようになる蕩減条件が立てられるという蕩減の法則を述べているのです。

 つまり生まれた順番を根拠にカインが天使長の代役となり、アベルがアダムの代役となって、堕落せずに原理的な関係を完成できた状況を似せて作り出すことによって、堕落行為を清算する一つの条件を成立させようとしているわけです。
 それが原理講論に書かれた元もとの「カインとアベルの献祭」の内容ですから、立場として上にいる人間がアベルであり、下にいる者がカインであるというような解釈は根本的に間違っているのです。

 原理講論には「カイン型の存在」「アベル型の存在」として例をあげて説明していますが、それは「創造本然の状態に近いもの」「創造本然の状態からは遠いもの」という意味で「アベル」と「カイン」に分けており、組織の上位にいる者がアベルで下位の者がカインであるというような考え方は完全な間違いで、原理を歪めて解釈しているだけなのです。

 「神に近い」とか「遠い」とかいう判断は 当然人間ができるはずもなく、簡単な問題ではありません。
 統一教会の古い祝福家庭や宗教家であっても、その人格的な内容が原理的でなければ「神に近い」はずがなく、もし 統一教会の祝福家庭であるから、宗教家であるから「神に近い」アベルであり、そうでない者はカインなのだから、アベルに従順に屈伏せよ。‥‥などと言ったとしたら 原理を正しく理解しておらず、原理の言葉を悪用しているだけだと言えるでしょう。

 結局、日本の統一教会でよく使われているアベルとカインという言葉は、「カインとアベルの献祭」の復帰原理とは無関係の言葉で、本当に統一原理を真理であると思っているならば、上に立つ人間を「アベル」、下の者を「カイン」などと呼んではならないのです。
それすら理解できず、何かにつけ「アベルーカイン」を持ちだすのですから、やはり多くの統一教会信者にとっては原理講論の内容などどうでも良いということなのです。

 因みに、昔 私は文先生が「日本のアベル・カインは間違っている。」と語られて、それを正す為に語られた御言葉を伝え聞いたことがあります。
 それは「アベルはカインに対して王様に侍るように対さないといけない。」という内容でした。
 つまり、アベルはカインを愛し、カインが自然屈伏できて初めて「アベル・カイン」の問題が解決できると文先生は語ったのです。

 つまり、小川寿夫さんが目にした「自称アベル」は統一原理を平気で無視する下劣な教会員ということになります。
 原理を実践しない人間達が指導しているのが現在の統一教会ですから、問題は複雑です。
とにかく独善的な宗教家には大金を渡してはならないと思います。
 多分、独善的な宗教家はお金をまったく稼げなくなった時にこそ、本当に悔い改めるのだと思います。

RE:RE:松永の主導性を疑いつつ

奈々草さんのブログはとても参考になりました。
情報ありがとうございました。

そのブログにもコメントしたのですが、松永たちの“同意”に至らせる手口は、実にいやらしいですね。

●親:「統一原理を聞きたい」と持ちかける

信者:イヤとは言いにくい

●親:矛盾点を指摘する

信者:答えられない

●親:「詳しい人に来てもらおう」と促す

信者:同意しないとこのままの状態が続く(監禁が長引く)…、ああ、どうしよう…

信者:甘受(シブシブ)
●親:同意をゲット(ウッシッシッ)

<これを同意と言えるか?
監禁されている側は選択権がないのだ>(奈々草さん)

見事と言えば、見事な、狡猾極まりない同意獲得の手口。何とか商法に匹敵する、実にあくどいやり方ですね。

卑怯千万な松永を、このまま無罪放免の状態に置いておくわけにはいきません。
心から控訴審での損害賠償命令を期待します。

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