fc2ブログ

マル秘の脱会マニュアルが裸にされたぁ! 

IMG_2858.jpg
後藤勝訴判決文(2)

 今回紹介するのは、以下の青字のところである。
 子どもを統一教会から脱会させたい信者家族は必見ですよ。脱会マニュアルが裸にされています!

第3 当裁判所の判断

1 前記前提となる事実に証拠
  「裁判所が採用した証拠」(判決文1)
(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容
   アイ
ウエオカキクケコサシスセスタチツテトナニ

(2)裁判所が採用しない主張
   ア 原告の供述について イ 被告宮村と松永の供述について

2 被告後藤兄ら並びに被告松永及び被告宮村の原告に対する不法行為の成否について
3 損害賠償についてI
4 被告法人の使用者責任について
5 まとめ

※判決文を読まれると、やたら記号が多いが、ポイントとなるのは括弧がつかないアイウエオ50音表記である。そのため、目立つように大文字にした。

******判決文*************

(1)裁判所が認めた原告,被告から提出された証拠,陳述書の内容


(ア) 統一教会は,昭和29年に韓国ソウルで誕生した宗教団体である。統一教会の教義は「統一原理」と称されるものであり,その教義創始者は文鮮明であり,その教義解説書は「原理講論」である。
 統一教会の教義は,昭和33年頃,崔奉春(日本名「西川勝」)により日本国内に持ち込まれた。

(イ) 信者による伝道活動には,街頭における手相鑑定やアンケート,物品販売などを端緒として行われるものもあるが,それらの端緒の段階においては,その対象者に対して統一教会の伝道活動の一環であることを告げられないことも多くある。

(ウ) 統一教会については,昭和58年頃から,マインドコントロールによって信者を増やしており,また,その信者が伝道の過程等において行う物品販売等がいわゆる霊感商法であるなどと指摘する書籍等がみられるようになり,昭和61年頃には,テレビ等のマスコミにおいて上記の問題が多く取り上げられ,報道されるに至っていた。

脱会マニュアルが判決文でド公開

(ア)a 被告宮村は,昭和59年8月頃,高校時代の恩師であるYHから,その娘であるYC(以下「C」という。)が統一教会の学生組織である原理研究会のメンバーとして活動するようになったことについての相談を受けた。
 被告宮村は,統一教会に関係する文献等を読むなどして調査をしたところ,被告宮村の自宅の近くにある荻窪栄光教会において牧師を務める森山諭(以下「森山牧師」という。)が統一教会の問題に通暁しており,統一教会からの脱会のための信者との話合いを手がけていることを知り,森山牧師の元を訪れ,森山牧師に対し,Cとの話合いの依頼をした。

 Cは,同年(1984年)11月5日,その母親と,待ち合わせ場所である土浦駅で会い,その後,母親らと共に,ワゴン車で荻窪栄光教会へと向かい,荻窪栄光教会において,5日間にわたり,その両親と共に森山牧師との話合いを行った。
 なお,Cは,土浦駅でその母親と待ち合わせを行い,その後に上記ワゴン車に乗るまでの間において,その後に森山牧師と話合いをするために荻窪栄光教会に行くことについて告げられていなかった。また,被告宮村は,荻窪栄光教会へ向かう上記ワゴン車に同乗し,Cが荻窪栄光教会に滞在している間も,時折,荻窪栄光教会における話合いに同席していた。 <注解1>

 
b 被告宮村は,前記aの出来事があった以降も,荻窪栄光教会に通い,森山牧師の下で聖書の勉強をするなどしていたが,昭和59年の夏頃から,森山牧師の依頼を受けて,信者に対する説得活動を手伝うようになった。
 当時,荻窪栄光教会には,森山牧師を頼って,信者の家族らが数多く訪れており,被告宮村は,それらの家族らに対し,自身が統一教会について知るところを話すなどしていた。
 また,被告宮村は,森山牧師と共に,又は森山牧師の指示の下,脱会説得を受けている信者の元を訪問し,当該信者に対し,自らが考えるところの統一教会の教えと聖書の教えとの矛盾点や統一教会の実情等を教示するなどしていた。

c 昭和60年頃,荻窪栄光教会において,森山牧師を頼って集まってくる信者の家族らや元信者が互いの悩みや経験について語り合ったり,集まって勉強を行ったりする場として,水茎会という勉強会が組織された。<注解2>
 水茎会においては,森山牧師が聖書についての話をしたり,被告宮村が信者の家族らに対して統一教会の実情に関する講義をしたり,元信者が自らの脱会に至るまでの体験を語ったりしていた。

(イ)a 被告松永は,昭和60年頃,ある女性から電話で友人が宗教問題で家族を苦しめているので助けてほしい旨の連絡を受けたことを契機として,信者の家族らからの相談を受けるようになった。

b 被告松永は,昭和61年頃,森山牧師が記した統一教会を批判する内容の本を読み,森山牧師からより詳しい話が聞きたいと思い,荻窪栄光教会を訪ね,森山牧師及び被告宮村と面会を行った。被告松永は,その後も,複数回にわたり,荻窪栄光教会に赴き,森山牧師や被告宮村と面談した。

(ウ)a 昭和62年頃,信者の家族らが,右翼団体に対して金員を支払って依頼したり,強引な方法を用いたりして,信者である子弟を統一教会から連れ戻すも,そのような子弟が時間が経つと統一教会に戻っていってしまうといった事態が相次いでいた<注解3>
 そのような事態を受け,同年10月頃,森山牧師を中心とするキリスト教の牧師らにより,統一教会に関する問題に取り組む者の間において意見交換を行うことなどを目的として,原対協が組織された。

moriyama.jpg
日本版ディプログラミングの創始者、森山諭。森山のもとから京都の牧師船田、新潟の牧師松永など数々のディプログラマーが巣立っていった。


 b(a)ⅰ 昭和62年9月3日,森山牧師の呼びかけの下,荻窪栄光教会において,原対協の発足準備会が開かれ,これには,森山牧師のほか,尾島被告松永被告宮村らが参加していた。
ⅱ 前記ⅰの発足準備会においては,発足する団体の名称が定められるとともに,その活動内容等についての話合いがされた。被告松永は,同日,上記発足準備会において確認された事項をメモ(甲98の2・1丁,98の1・3丁)に書き留めた。

ⅲ 前記ⅱの確認に係る事項につき後日作成された合計3枚の報告文書(甲96の1・2)には,その1枚目(甲96の1)に「議事録に関しましては,鋭意作成中でありますが,何分にも問題が問題であるだけに,あえて確認事項についてのみ文章化しました。ご賢察下さい。」,「尚,くれぐれも内容の機密性を徹底して下さい。」と記されているほか,
 その2枚目(甲96の2・1丁)には,「9月3日の準備会において確認を致しました事項に関し,下記の如くご報告致します。」との文言に続き,
 原対協の目的については「統一教会にとらえられた魂とその家族の救出相談を目的とする。」旨が,
 その活動については救出の為の全国の連絡網をつくること,情報の交換並びにキリスト教会及び一般社会への啓蒙活動を活動内容とする旨が,
 その他「キリストの福音に恥じないありかたを大前提として,救出活動を実施し,幅広い組織化を図る」旨,
「救出等にあたり,目的のみならず,手段に関しても潔癖で,ふさわしいものとする。」
 旨等が記されている。
 なお,上記報告文書に記載されている上記の内容は,前記ⅱの被告松永の作成に係るメモ(甲98の2・1丁,98の1・3丁)の記載内容とも概ね一致するものである。

(b)ⅰ 昭和62年10月16日,原対協の発足会が開催された。
 上記発足会においては,信者の脱会のための説得に当たった経験を有する者らにより,被告松永を含む参加者に対し,それらの者が用いた脱会説得の方法が伝えられた。
ⅱ 被告松永は,前記ⅰにおいて聴取した内容を書き取り,その後,自らが説得を行う際の参考とすべく,これを整理して,メモ(甲98の3)を作成した。
 上記メモは,①「子の救出に際して」と題する部分,②「車に乗せる前の話し合い」と題する部分,③「家族との話し合い」と題する部分,④「両親に対して」と題する部分,⑤「説得中」と題する部分,及び⑥「判定規準」と題する部分から構成され,当該各部分には,それぞれ,以下の記述が含まれている。

① 上記①の部分
「本人の願うことをしていくならば必ず出てくる。」,
「家か親戚の家で一論争し,ひとあばれさせる。そして,逃げられないという自覚をさせる。そのためには6人位の大人が必要である。」,
「その時電話をさせない。電話のない部屋で話し合う。」

② 上記②の部分
「人と場の設定」,「①電話に注意 必ず報・連・相をして指示を受ける。」,
「②逃げる トイレ」,
「③人数は5~6人,男が4~5人」,
「④1時間くらい,家族として納得できない。少し時間をかけて話し合う,場所を変えて→移動。」,
「⑤警察(110)が入ると信教の自由を盾に逃げる。」

③ 上記③の部分
「1 1晩ないし2晩は家族で話し合う。」

④ 上記④の部分 
「1 説得者の許可なく外出はしない。」,
「2(1)のことは絶対に本人に言わない。」,
「3 親の目から見てまだ信用できないということにする。」,
「5 最初の一週間位は4人を準備する。その後は3人準備する。本人が脱会宣言を電話でし,荷物の引き上げを終了したら,2人でもよい。それでも,説得者の許可なく外出はさせない。必ず逃げるから。」,
「6 外出する時があったら,二人以上で,本人の前には歩かない。必ず,本人を視野に入れて歩く。」


⑤ 上記⑤の部分

 外部との関係をシャットアウトする。
 少しでも協会関係者が近くにいることがわかると本人は耳を傾けなくなり,自信を取り戻す。<絶対に逃げられないのだという意識がない限り聞こうとはしない。>それで4人~6人でとり囲む必要があるのです。」,
「2.ベランダなどに出ようとしたら注意をする。外部の様子を見るから注意を要する。」,
「3.親の権威をもってつぎのことは制止する。①外にだしてくれ・・・話しを聞け。それは信用できない。②話したくない・・・私がお願いしてきてもらったのだ,話を聞きたくないならいつまでもこの状態が続く・・・真理なら話してみんなに知ってもらったらいいでは,ないか・・・そんなに自信がないなら聞いたらどうか・・・恐いんだろう!!③断食‥・どうぞどうぞ断食して卞さい。動けなくなったら逃げられないぞ。」,
「4.24時間・・・誰かが起きていること」

⑥ 上記⑥の部分

「判定基準・・・以上をクリアーして,外出は許される。」,
「1.手記を書く。①誠実な態度か,②固有名詞が出ているか,③霊の子,授けた被害者の名があるか,④救済しなければならないという意識が見られるか」,
「7.ホーム生活をしている人の救出に申し出るか」

(c)ⅰ 被告松永は,新津教会にその子弟が信者となったことについて相談に来る家族らが増えたことから,昭和62年10月頃,それらの家族らに見せるため,自ら講義を行い,これを録画したビデオを作成した。また,被告松永は,上記講義に先立ち,講義用のレジュメ(甲98の1)を作成した。

ⅱ 前記ⅰの講義において,被告松永は,統一教会の実態,働き,信者の生活の実態等について述べるとともに,脱会説得に当たる際の心構えとして,統一教会の信仰の内容を含めて信者となっている子弟のことを十分に理解する必要がある旨,
 信者が統一教会において指導を受けて嘘をつくようになっている旨,
 信者が他人の指示を受けなければ行動することができない人間になっている旨,統一教会においては統一教会に反対する牧師らが行う説得への対策として講座が開かれている旨
 を述べ,さらに,
 信者はすぐに統一教会に電話をかけるので電話のない部屋で話合いを行うか,電話線を切っておく必要がある旨,
 信者は風呂に入るふりをして逃げたり,トイレの窓から逃げたりすることがあるので注意をする必要がある旨,
 玄関ドアには鍵をかければ足りるが,窓については逃走の際の出口として注意が向きにくいことから留意をする必要がある旨,
 玄関ドアを開ける際には,他の信者が侵入しないように注意する必要がある旨等を述べた。



*******************


<注解1>1984年11月。宮村が監禁説得を開始したときである。なお、3年後の87年には監禁場所として京王プラザホテルのスィートルームを使うまでになっている。監禁説得の興隆ぶりがうかがえる。宮村の前に信者家族が行列をなしていたというのも頷ける。

<注解2>信者家族の脱会相談窓口としての「水茎会」は2つあった。1つはここに記されている、荻窪栄光教会内で設立されたもの。もう1つは、次回で紹介する判決文に出てくる「水茎会」である。被告宮村が事実上、荻窪栄光教会から追放されてから、同教会外で作られたものである。混同しないようにしてもらいたい。
 原告被告双方の控訴審が確定して(つまり事実上、裁判が終わって)から、<注解3>についての記事を書くつもりだが、そこに後者の「水茎会」の名前が登場する。記憶に留めておいていただけたら幸いである。

<注解3>右翼団体の名前は朱光会。リンクを開けばわかる通り、指定暴力団・住吉会六代目日野傘下の任侠右翼団体。表の顔は任侠右翼団体。裏の顔は暴力団・住吉会である。
 事実は小説より奇なり。
 住吉会の親分が住んでいるところは、なんと日本基督教団の西新宿教会が入居するビルの4階の部屋なのです。
 そればかりか、新しい水茎会の勉強会はこの西新宿教会で開かれていた。
 い、いったい、どういうこと?


【評価と感想】
 

 おそらく、被告側が唸り声をあげるような認定であろう。脱会マニュアルが裸にされてしまったからだ。

外出する時があったら,二人以上で,本人の前には歩かない。必ず,本人を視野に入れて歩く。
玄関ドアには鍵をかければ足りるが,窓については逃走の際の出口として注意が向きにくいことから留意をする必要がある。

 これまで脱会者を含む数十人の保護(拉致監禁)説得の体験者を取材してきたが、いずれもこのマニュアル通りであった。マニュアル恐るべし!だ。
 今後、事件が新たに発生した場合、最寄りの警察署にこの判決文を示し、捜査することを強く求めることができる。


-「判決文(3)」に続く-
 興味深い判決文だと思われた方は
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村 をクリック!

-読者へのお願い-


 在オーストラリアのYoshiさんのブログ「統一教会 拉致監禁 人権侵害 宗教の自由 英語記事の日本語訳」が少し前から、カテゴリーが「統一教会」から「統一教会批判・告発」に強制移動となっています。
 誰がどう考えても、ふさわしいカテゴリーは「統一教会」です。

 そこで、元に戻すためにブログ村の村長にメールを送って欲しいのです。

 私が送った文章を添付いたします。

 URL=http://humanrightslink.seesaa.net/
 タイトル=統一教会 拉致監禁 人権侵害 宗教の自由 英語記事の日本語訳

 上記ブログは、統一教会員に対する拉致監禁を告発するサイトです。決して、統一教会を告発するサイトではありません。

 しかし、カテゴリー「統一教会」に登録されていたにもかかわらず、少し前からカテゴリー「統一教会批判・告発」に移動となりました。

 記事の数本でも読んでいただけたら、「カテゴリー違い」であることがわかります。信じられない話です。

 善処をお願いいたします。

 このままだと、高らかにうたわれた「ブログ村の建国宣言」が色あせてしまいます。

(追記)統一教会をテーマとしたブログは、ここ数年、「カテ違い通報」の悪用によって、強制移動が頻繁に起きていました。私のブログもそうでした。しかし、ブログ村の村長さんの運営によって、問題は生じなくなっていました。それだけに、今回の強制移動はとても残念です。 
(典拠=http://www.blogmura.com/report.html)

 ぜひ、ここに意見を述べてください。
お問い合わせフォーム
 個人情報をブログ村が漏らすことはほとんどといっていいほど考えられませんから、安心して投稿してください

 (追記)犯人の察しは、だいたいのところついています。

 
関連記事

コメント

精神衛生上よろしくない

はらわたが煮えくり返った。

何故って、これを「牧師」が作り上げ、行っていたからだ。しかも、“「保護説得に関わってきた教団の牧師は200人」”
捕まえる対象(食口)が牧師の目にはどのように見えていただろうか?普通の人間として見えていないのではないか。マニュアルを読んでそう思った。

ブログに乗せてくださってありがとうございます。こういうのは、白日の下に曝すべきです。

文章の流れからの別解釈

>総評すれば、まっとうな事実認定という以上でも以下でもないが、判決文には一つだけ、筆が走ったところがある。
 それは、「統一教会については,昭和58年頃から,マインドコントロールによって信者を増やしており」という認定である。


 米本さんは上記の判決文の部分に不当性を指摘され、記事にて問題提起されましたが、私は違ったように解釈しました。
 つまり、米本さんは判決文の上記の一節を独立した文節として捉えた結果、記事にあるように解釈された訳ですが、私が読み進んだ文章の流れでは《マインドコントロールによって信者を増やしており,また,その信者が伝道の過程等において行う物品販売等がいわゆる霊感商法である》が連続した一つの文節として繋がっており、それらの記述がすべて同時に《などと指摘する》という動詞に係っている文章構成に読み取れました。
 即ち、判決文では「マインドコントロールによって信者を増やしており」とは断定しておらず、「マインドコントロールによって信者を増やしており、などと指摘する書籍等がみられるようになり」と社会事情を説明したのだと思います。

 確かにこの部分に関してはどちらにも解釈が可能であり、“マインドコントロール理論”の虚偽性についてしっかりした認識を持っておられる米本さんであったからこそ、その一節に敏感に反応されたのだと思います。
 ここの文章表現は少し曖昧であり、問題が残ると思います。
特に“マインドコントロール理論”には重大な欠陥があり、学問的に確立されておりませんから、それに言及する場合は それを容認するかのような表現はするべきではありません。
 この理論を盾に統一教会を批判する反対派がおりますが、馬鹿の一つ覚えとしか言いようがありません。
 私はそのマインドコントロール論の主張を聞いて、批判している反対派も結局、批判している統一教会信者と同じレベルなのだと実感しました。

 この“マインドコントロール理論”には問題が多いだけに、そのような読み手によって解釈が全く変わってしまうような記述にならないよう、判決文の作成には注意を払ってもらいたかったです。
 しかし、私のようにも読み取れるので、内容としては正しく事実認定した評価できる判決文だと思います。

Re: 精神衛生上よろしくない

「戦っているね」さん
>捕まえる対象(食口)が牧師の目にはどのように見えていただろうか?

 とてもいい懐疑だと思います。

 一番いい認識(?)では「迷える小羊」
 このように思う脱会説得者は信者を大切に扱うけど、結局のところ、上から目線ですね。

 あと圧倒的に多いのは、信者はマインドコントロールされている、すなわち統一のロボット人間(失感情人間)となっているから、何をやっても許されるというものでしょう。

 判決文が認定した脱会マニュアルは、後者の信者観だと思います。

Re: 文章の流れからの別解釈

神々の黄昏さん、間違いを指摘していただきありがとうございました。

 そそっかしくて、恥ずかしい限りです。

 マインドコントロールに関する記述を削除することにしました。

 繰り返し、感謝感謝です。

重要な加筆

 新たに<注解3>を加えました。
 拉致監禁の歴史で、いまだ解明されない闇の部分です。

マインドコントロール論を超越

米本さんが記事の中で‘マインドコントロール論’について言及していましたが、非宗教的な唯物論者ならいざ知らず、キリスト教の牧師がそのような精神作用の解釈に頷くのは非常に理解し辛いことです。
 しかし、米本さんが分析したとおり 判決文が認定した脱会マニュアルは‘マインドコントロール論’の観点から統一教会員の信仰を誤りと決め付けており、拉致監禁に手を染めてきたキリスト教会牧師達の、異常で極端な排他性を思い知らされます。
 一神教は人格偏狭な人々の手に係るとまるで凶器(狂気?)のように変わるようです。
丁度、現在の統一教会のように‥‥。

 しかし、原始キリスト教や伝統的ではない霊的な教団などは決してそのような排他的な性格とは言えないようです。
 最近、公職者関係のブログで米国の霊的な教団の創設者がネルソン・マンデラ前南ア大統領の霊人体と会話した体験談のことが紹介されていました。
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/387913688.html
http://kitasendo.blog12.fc2.com/blog-entry-1494.html

 米本さんは霊界の存在を信じないかも知れませんが、その未知の世界を原理的に肯定できる実在の世界として信じている自分としては興味津々でした。
 もし、その霊能者が朝鮮系“金持ちイタコ”だとしたら最初から自分の良心が「騙されるな!」と叫ぶのですが、統一教会と全く別組織の教義の異なる宗教者が証言した‘文先生について語られた霊体験’と言うのであれば、かなり信憑性があります。

 そして、そこに非常に興味深いことを発見し、原理的にも納得できる真実が含まれていると実感しました。
つまり、マンデラ前南ア大統領の霊人体は文先生の‘中東平和イニシアティブ(MEPI)’を大変評価しており、文先生を「古い友人」として霊能者のタタラスキー女史にその名を紹介しているのです。
 タタラスキー女史も‘MEPI’には参加し続けたそうなのですが、超宗教運動という趣旨での参加で、その観点からは統一教会と文先生を高く評価しています。
 そして、その証言の中でも文先生と教会員を心から尊敬していると述べていたのです。

 つまり、文先生が過去に展開されていた超宗教、超民族平和運動は他宗教の人々からも評価され、霊人体となったネルソン・マンデラ氏でさえその文先生を良き友人と認めているという証言だったのです。

 この霊能者の証言で重要なのは、霊人体となった博愛主義者でもあるネルソン・マンデラ前南ア大統領は 文先生を「霊界の王様」「天国の真の父母様」とは一言も言っておらず、「古い友人」としてその霊人体と出会ったという証言内容です。
 霊界は嘘が通じない、本心が曝け出される心の世界であることは統一教会内においても原理的に知られており、一般の霊界について語る人達が同様に認めることです。
 それを紹介したブログ記事を読んで残念だったのは、その“証”を紹介しながら、その真正の霊能者であるタタラスキー女史の証言内容を さらに原理的に教義的に発展して思考できる程に公職者達の思考力が高くなかったことです。

 私は文先生がたとえ、その幾多の社会活動の一部だったとしても 超宗教、超民族的統一運動を展開して来られたことは歴史的に重要だったと思っています。
 それを考えれば、その功績をもって霊界においてもネルソン・マンデラ氏の「良き友人」としての位置に存在しているのは妥当で間違いないと思います。
 しかし、その事は同時に 霊界においては実際に真の父母として神格化されていないという“霊的事実”も物語っているのです。

 私の勝手な妄想として言うならば、文先生の霊人体は霊界で良心があからさまになり、偏狭な前世紀朝鮮民族思想を脱ぎ捨てて 生前にある程度手掛けた地上の平和世界建設運動を共助するようになられたのではないでしょうか。
 それが、今の統一教会にペンテコステを起こさない理由であるとも考えられます。

 話しは変わり、全くの余談ですが、「小説 もう一つの自叙伝」という興味深いブログが日本ブログ村・統一教会にありますが、管理人のハンドルネームもはっきりわかりません。
 あるいは誰かご存知ではないのでしょうか。
“火の粉をはらえ”読者にそれを知っている方がいるような気がするのですが‥‥。

小説 もう一つの自叙伝

驚きました。

なぜ、こんな内容が今出てくるのかと。

Re.小説 もう一つの自叙伝

この内容は、現在韓国やLAで宗教活動をされ本も出版されている、西川先生のものみたいですすね。私の知り合いも西川先生のことを篤く語っておられました。
以前、ここで神々の黄昏氏と宗教論争しておられた方が小説を書くとおっしやっていましたが・・・・。
  • [2014/02/20 00:51]
  • URL |
  • ホーリーナッツ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

日本基督教団の良心

<被告松永は,前記ⅰにおいて聴取した内容を書き取り,その後,自らが説得を行う際の参考とすべく,これを整理して,メモ(甲98の3)を作成した>

松永のメモは他人の話をメモっただけ、ということで、逃れたんですね。

<玄関ドアには鍵をかければ足りる>

松永のビデオはどうみても監禁マニュアルですが、だからといって、後藤さんを監禁するよう指導した、ということの証拠にはならなかったみたいですね。…悔しい。

逃げ延びた松永は今頃、どうしているのやら。
今も牧師として、説教や牧会などを行っているのだろうか。
松永の「良心」のフタを開いて、中をのぞいてみたいものです。

<住吉会の親分が住んでいるところは、なんと日本基督教団の西新宿教会が入居するビルの4階の部屋なのです。 そればかりか、新しい水茎会の勉強会はこの西新宿教会で開かれていた>

えぐい情報ですね。
住吉会と日本基督教団がつながっているとしたら、おおごとですね。
勝手な憶測は控えなければなりませんが、興味は尽きませんね。

日本基督教団は統一教会対策室みたいな窓口を設けて、拉致監禁の手助けをしてきた(今も?)わけで、いまだに、拉致監禁に対する見解や反省のコメントを出していないんですから、もはや、その「良心」に期待することは不可能なのかも。…残念

Re.Re.小説 もう一つの自叙伝

小説の末尾には「参考文献 「救い」の正体(宝島SUGOI文庫)」と記載されています。

 ルポライターの高山さんが西川さんにインタビューした記事です。これをもとに、小説家の見聞を取り入れながら、実録小説にしているのでは?

 高山さんの記事に対して、教団本部が抗議文を送ったとは聞いていません。記事は事実なのでしょう。

 教団創立50周年か、密航50周年記念式典だったかは忘れましたが、場所はホテルオークラでした。なんと招待した西川さんが出席し、まさか来るとは思っていなかった教団本部は仰天していました。

 教団の公式サイトに残っているのでは?

 それにしても、愛の減少感ないし教会員知性への疑念であります。(苦笑)

 これまで何度何度も、私にとって拉致監禁問題の出発点となった記事「ドキュメント救出」のことを紹介してきました。
 丁寧に「救いの正体」(宝島SUGOI文庫)」に所収されていると案内してきました。

 結局のところ、読まれていないことがわかった次第であります。最近の流行語を使えば、統一批判派も反知性主義者か、といったところ。

Re.小説 もう一つの自叙伝

「もう一つの自叙伝」を、久保木会長もそうだったのかと涙しながら一気に読みました。

読み終わってから、日本宣教50周年記念大会の時に西川先生は本当にあんなこと話していたのか気になり、もう一度 その時の西川先生の映像を引っ張り出して見てみました。
西川先生のみ言は、この地上に天国を作るには人間だけが生まれ変われば良い。人間が変わるためは良心だけ入れてあげればよい。いくら神様を信じても非良心的な宗教はなんにもならない。など、とても示唆に富むみ言でした。

しかし、この「もう一つの自叙伝」の中の式典で語られている内容とはほとんど重なりませんでした。
私の持っている映像は18分ほど、映像は編集されている可能性もあるかもしれませんが、実際にその場に参加された方 どのような内容でしたでしょうか?

今度は、「救いの正体」をもう一度引っ張り出し、西川先生のインタビューを読んでみました。「もう一つの自叙伝」は、このインタビューの内容が元になっていることがよく分かりました。

それにしても小説の最後の部分は、西川先生というよりは、この小説の作者が言いたい事を、西川先生の名を借りて言っているように思えました。(言っていることは間違いとは思いませんが)
確かにフィクションかもしれませんが、登場人物はほとんど実在の人物と重なりますし、これを読んで実際の出来事と取る人も少なくないように思います。

私にはこの小説は、信念を貫いて勇気ある行動をとった西川先生を貶めてしまっているように思えました。

ブログ強制移動,

記事内、一番下の囲み記事の、ブログ強制移動について。

私のブログの日本ブログ村の強制移動された件ですが、米本さんはじめ、皆様のご尽力のおかげで元に戻りました。

あるべきところに、私のブログがなくて、不思議な2週間でした。今でも、不思議な気持ちですが・・・

Re.ブログ強制移動,

ほんとうに良かったです。

米本さんの時もそうでしたが、何人の方が村長さんにメール入れたのかわからないものの、強制移動されたり戻されたり考えさせられます。

思想信教の自由ということを考えると反統一カテゴリというものが出てくる発想自体が????です。
  • [2014/02/24 23:10]
  • URL |
  • ホーリーナッツ
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yonemoto.blog63.fc2.com/tb.php/454-a60534b7