謝罪を嫌がる哀れな宗教小官僚 

下劣な食口たち(11)

事なかれ主義は官僚の特質 

 前々回の記事「徳野会長への手紙に本部はどう対応したのか」で、本部から、次のような回答があったことはお知らせした。

①教会員の個人的なネット上の活動には干渉する立場にはないというのが教団の方針である。
➁公職者である柏教会長の松橋正巳氏(現水戸教会長)、松戸の総務部長、谷口禎和伝道教育部長、ルーク樋口氏については事情を聴き、責任を問うた。
③全員が非を認め、謝罪した。

 今回は②と➂について、報告したい。

 

「みなさん、お久しぶりでございます。柏教会から水戸教会の教会長に赴任いたしました松橋正巳です。米本さんにまたこうして写真をアップしていただき、とてもありがたいことだと思っております。私のことは次回のブログで取り上げていただくことになっています。お楽しみに」

 私が手紙で提起した問題について、本部のA氏が担当になったことは前回の記事で書いた。

 私はA氏に苦言を呈した。
「全員が非を認め謝罪した? なるほど。でも、謝罪するのは本部ではなく、私に対してあるべきではないのか」
(ここで謝罪を求めたのは、在米の公職者・樋口氏と水戸教会長の松橋氏に対してである)
 
 これに対して、次のような回答があった。
「松橋教会長には米本さんへ謝罪するよう伝えましたので、近々連絡があると思います。樋口氏については米本さんからの問い合わせ内容は伝えましたが、日本の法人として干渉する立場にないと考えますので、双方で解決を図っていただくよう伝えています」 
 その後、樋口氏から本部に「考えさせてくれ」という連絡が入ったという。
 
 本部の回答の問題点は、樋口氏がアメリカ法人に所属する職員なので、日本法人は干渉できないとしたことにある。言い方を換えれば、アメリカ統一の職員が非教会員の日本人に行った行為はわれわれには関係ないというわけなのだ。 樋口氏もA氏も世界統一教会の同じ職員だというのに。事なかれ主義の官僚にはこの変さ を理解することはできないのかもしれないね

<注>滑稽なことに、日本の本部は自分たちの矛盾に気がついていない。
 アメリカ法人に所属する樋口氏に対して「日本の法人として干渉する立場にない」というのであれば、そもそも彼に事情聴取することはできなかったはず。一方、樋口氏も日本の教会に謝罪する必要はなかったはず。
 それにもかかわらず、私が樋口氏からの謝罪を求めると、「日本の法人として干渉する立場にない」とすり抜けようとする。クスッ 


小学生より低レベルな公職者

 松橋氏からは謝罪のメールが届いた。これについては次回の記事で。
 ところが、ルーク樋口氏からはナシのつぶて。
 彼が私に対して犯した罪は、「尊師・かんご先生を批判すれば島流しに」 (2013年1月27日付)を読んでいただければわかるはず。ここでは同ブログのコメント欄に投稿された「拉致監禁をなくす会」の会員さんの文章を引用しておく。

ルーク樋口さんに問いたい!


「~なくす会」の会員(教会員)です。
 今回の記事を読んで、ルーク樋口さんも強制移動に関わっていることを知って、驚くというかもう仰天でした。
 同じ拉致監禁に反対する同志として、樋口さんに問いたいです。

(1)記事にある、樋口さんがグルっぽに投稿された文章は事実でしょうか。

 事実だとすれば、
(2)なにゆえ強制移動に関わったのですか。

(3)樋口さんは精神病院に強制的に送り込まれるという拉致監禁を体験されています。「強制」は嫌悪すべき行為であることを肌で感じているはず。それなのに、なぜ強制移動に・・・?
 樋口さんの心理が知りないです。

(4)米本さんは、拉致監禁反対に尽力されてきた方です。また、米本さんのブログは「拉致監禁に関する情報の宝庫」です。私も、おそらく他の会員も、資料として利用しています。
 それなのに、火の粉ブログが強制移動になっても、何も思わないのですか。これは信じられない話です。

(5)樋口さんは米本さんと面識があると聞いています。それなのに、なぜ、米本さんに嘘をつかれたのですか。その理由を教えてください。

(6)樋口さんは、自分の行為について反省されているのでしょうか。米本さんに謝罪されているのでしょうか。

 樋口さんのブログ(「俺のネタ帳Ⅱ」)を読んでも、松戸の総務部長さんのような、謝罪の言葉はありませんでした。
http://omoroiyan3.blogspot.jp/

 なんだか意識的に強制移動の話題を避けているような印象を受けました。
 これらの問いに、正々堂々と、食口の名に恥じないように答えてください。
 樋口さんへの信頼をこれ以上、なくしたくはありません!

[2013/01/30 16:10] URL | 「拉致監禁をなくす会」会員


nynjlaw 044 
「ブログ村に強制移動をお願いしたら」と提案した樋口氏

 樋口氏は自身のブログで、言い訳文を載せたが、私に直接謝罪することはなかった。彼が強制移動の応援団員になったこと以上に問題なのは、前述の投稿文の中の(5)、すなわち「樋口さんは米本さんと面識があると聞いています。それなのに、なぜ、米本さんに嘘をつかれたのですか。その理由を教えてください」にある。

 この世に生を受けて、人を傷つけるような嘘を一度もついたことのない人はいないだろう。そして、嘘をついたことを批判されれば、大半の人は嘘をついた相手に、頭を下げる。
 しかし、それですべてが終わるわけではない。
 小学校の先生は、嘘をついたことを謝る生徒に、こう畳みかける。
「どうして嘘をついたの?」
 これに、自問自答しながら答える子どもは、人間として成長する。
  これが「一般社会」。ところが、人間として個人の完成を目指す集団「統一社会」では・・・

 樋口氏の場合は、嘘をついた相手に謝罪しないし、なぜ嘘をついたのか内省しようとさえしない。それでいながら、本然の人間性うんぬんを語る。この乖離がスゴイ!
 謝罪しない・反省しない彼の姿に、今日の統一教会がダブって見えてしまう。このことに、樋口氏も日本統一教会も滑稽なぐらいに、気がついていない。
 だから、何年、何十年経っても、社会からは「霊感商法の統一教会」と言われ続けるのだ。霊感商法後の若き教会員に申し訳ないと思わないのだろうか。だとすれば、感受性が鈍麻していると言わざるを得ない。 
 ある青年信者は監禁下で、故川崎経子氏から霊感商法のことを追及され、まるで知らないことだったので、驚くとともに答えに窮したという(2、3年前の話)。このことを想起すべきである。

 悪いことをしたら謝罪する。この小学生でもできることが、本然の人間を取り戻そうとする人たちにはできない。だから、統一教会は一般社会から相手にされないのだ。 


 もう一つ、樋口氏個人のことに言及しておく。
 嘘をついたことを謝罪しなければ、彼の今後の言葉の中に何かしらの嘘が混じっているのではないかと周囲から疑われるということだ。
 実際、彼はアメリカ・統一教会員から疑いの目を向けられたことがある。
 元アメリカ会長だった文仁進女史の不倫、不倫出産に関することだ。
 <女史のそばにいた樋口氏が知らなかったことがあり得るのか>
 彼は今日に至るも、沈黙したままである。
 
 文鮮明師と彼の弟子は素晴らしい。嗚呼、統一万歳。南無阿弥陀仏じゃ。

 ルーク樋口よ! 同じヘドロの仲間だったpeaceさんは謝罪した。今からでも遅くない。なぜ、私に平気で嘘をついたのか、正直に語りたまえ。(神は君の心を見ている。アージュ)

-続く-


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-すべての教会員&統一に反対する家族はぜひ読んでください-



 12年間監禁されていた後藤裁判の尋問がブログ「拉致監禁by宮村の裁判記録」にアップされるようになった。すべての教会員は読むべし!(前回の記事以降に、アップされたもの)

「原告側証人美山きよみ氏反対尋問(荻上守生弁護士編)-『意義あり。意見の押しつけはやめてください』と福本弁護士」

「原告側証人美山きよみ氏反対尋問(東麗子&中村周而&山口広弁護士編)-山口広弁護士が弾劾証拠をもって再び登場」

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コメント

→→→それでいながら、本然の人 間性うんぬんを語る。
謝罪しない・反省しない彼の姿に、今日 の統一教会がダブって見えてしまう。
ことに、樋口氏も日本統一教会も滑稽なぐ らいに、気がついていない。 だから、何年、何十年経っても、社会か らは「霊感商法の統一教会」
るのだ。霊感商法後の若き教会員に申し訳 ないと思わないのだろうか。だとすれば、 感受性が鈍麻していると言わざるを得な い。《《《

その通りでございます!(^o^)責任者が責任を取らず、社会にも教会員にも全く詫びない、こりない、顔の皮が厚いのが統一教会の責任者達の伝統的文化でございます。

常識ある日本統一教会員は、こんな矛盾というか、フンズマリというか、コエタコというか、どぶ川というか、(>_<)(*_*)(;_;)/~~~(≧Д≦)・→→→偉そうな事を言って、一族を救うメシアのつもりでいて、親親族の反対を押し切って献身し、神様の理想世界実現!真の愛の家庭実現に賭けて、→→→いずれは、親兄弟親族も分かってくれると信じて.............疲れた(x_x)(>.<)(>o<)・・私も悩んでいるのです!何でこの*組織*は普通、マトモでないのか?やっぱり朝鮮宗教だからか?神様の摂理は凡人には分からない深い深い深~~~~い秘密があるのか?兎に角、私自身が精神分裂病に成る前に突き止めたいと思っています。
  • [2013/08/03 18:07]
  • URL |
  • 朝鮮の夜明け 
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謝罪を嫌がる哀れな宗教小官僚

世界平和統一家庭連合へ連絡してみては?

コエタコの中のウジ虫

まともな神経を持っている日本統一教会員が統一教会の責任者達の責任を取らない、謝らない、釈明しない等の常識では考えられない態度、振る舞いに対して、疑問を持つ様になるという事はコエタコ、ペドロのどぶ川に自分の足が浸かっている事を自覚する事です。しかし、完全に体全体が、コエタコ、ヘドロのどぶ川の中に浸かってしまって、コエタコやヘドロの栄養素を食べる生活が習慣化されている場合は、自分がコエタコやヘドロの中に浸かっているという自覚すらないので、また、長年コエタコやヘドロを楽して食べてきたのを、老体に鞭打って、コエタコやヘドロから出てきて、自分で狩をして、というのはなかなか難しいかもしれません。

日本ではもうコエタコは必要ない時代です。ウジ虫をコエタコで育てると成長して人から嫌がられる銀蠅になるので、コエタコやヘドロのどぶ池は日本には必要ありません。
  • [2013/08/03 19:12]
  • URL |
  • 片足がコエタコから抜けないオッサン
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

朝鮮の夜明けさんへ&ルーク樋口氏を勝手に考察

統合失調症になる前に、脱会することをお勧めします。

ホント、ルーク樋口氏って、宮村氏と有田氏と同じ二分思考。多分。
統一は絶対善で、反統一は絶対悪。
だから、統一教会員を拉致監禁するのはイカン!統一教会を批判するブログを強制移動するのは善。
ついでに、一般社会の不倫は悪。
文ちゃんの娘の不倫は善。

ルーク樋口氏の善悪の基準は、統一か否か。
怖ろしや怖ろしや。

そのうち・・・

(この後のことは、怖ろしくて書けません。)

批判は全て悪、考えるのはサタン

教義を忠実に守った人たち(上層部)の人格がゆがんでいたら、それは、まぎれもなく教義を守った結果の姿だと取るべき。教義の中心の責任分担論で平信徒を縛ってさらに上部から絞られる。UCIを失った今、政治的魅力は張りぼてとなった。負の連鎖でしかない。自分が目撃したのも病理的な組織と訓練で鍛え上げて鉄の心を持った上層部だけ。

ルークと多田文明

今、後藤のとっちゃんの裁判ブログ、例の多田文明の主尋問。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/

ルークと多田文明、同じ臭いがするぜ。
目立ちたがり屋でパフォーマンス好き。
ルークのパフォーマンス好きは奴のつまらんブログ、youtubeの漫才見ればわかる。
文明のパフォーマンス好きは、youtube、↑の裁判ブログ、奴の著書「ついていったらこうなった」を読めばわかる。全部つまらんが。(これで役者を目指していたというから、お笑いだぜ。)

で、自分の意に沿う者と自分を持ち上げてくれる者には、犬のように尻尾をふる。
が、自分の意に沿わないことをされると、途端にプイッ!しかも、面と向かって歯向かう勇気がないから、「強制移動」という姑息な手を使う。
んで、それを指摘されると、ダンマリか逃げる。・・・それが通じないとなると感情に訴える。・・・・

いっそのこと、ルークと文明で漫才コンビ組んだらどうだ?
コンビ名はそうだな~・・・

自分のセンスでは思い浮かばないや。
ネーミングのセンスのある奴、つけてやれや。



追記

ルークの漫才見たいから、URL教えろ!と言われた。
せっかくだから、ここで皆に紹介しとく。

http://omoroiyan4.blogspot.jp/2013/01/blog-post.html
(ルーク樋口ブログ「おもろいやん2」)

↑に漫才の動画が張り付けてある。
残念ながら笑いは少なかった・・・ルークはそれを「食口は笑うことになれとらんから」とのたまった。
「関西弁でやれば笑いがとれると思ってた」とものたまった。
ちゃうやろ。そんな甘いもんやないやろ。

関西弁で漫才するなら、せめて↓のレベル位にならんと。
関西弁が泣くぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=KmoxCGwgq04

ついでに、文明の潜入取材のyoutube紹介しとく。
http://www.youtube.com/watch?v=QAdrYiclpOE
文明出演場面は、10分38秒~22分26秒

お笑いの流れにのる

私はネーミングが得意ではありませんが、そいつらコンビ(ルークとTB。プッ・失礼)は、昔、町を薄っぺらい広告看板を前後にぶら下げて“サンドイッチマン”が歩いていた、そんなイメージですが、コンビ名:サンドウィッチマンなら、もうF1優勝のプロ中のプロがいるではありませんか。
ということで、マイ選りすぐりお笑いの紹介をさせていただきます。
後藤裁判のある公判では場内連続爆笑だったそうで、また、“ちょっと何言ってるかわかんない”被告側弁護人の答弁などもあったそうで、きっとこんな感じの笑いだったのではないかと思っています。
サンドウィッチマン 「スピーチの練習」:
http://www.youtube.com/watch?v=lVMVAnAz0Vs

もうひとつ。これは、旅館の予約をキャンセルしたらいろんな所から電話が掛ってくる話(声は全部相方徳井・アドリブも多そう)ですが、伝道されかかりの頃、修練会の参加をキャンセルすると、霊の親、教会長、台所のお姉さん、前回修練会に出たという知らないお兄さん、IOWCの外人さん(古いか)とかから、やたらしつこく電話がかかってくるのに似ているような。
もう一つジョークとして、この中に、“人格神を奨励紹介する神々の黄昏さん”のイメージの電話キャラがいます。さて誰でしょう。
チュートリアル 水月:
http://www.youtube.com/watch?v=whvy9Fj9Um4
答:パティスリー田辺(いい声の紳士だ、怒らないでほしい)

元信者の春さんが紹介してくれている、関西弁の女性コンビのもなかなかおもしろかったです。見たことがなかったので勉強なりました。女性ならではの感性のお笑いですね、って…… 元信者の春さんはすてきなネナベさんかもしれないですね(笑)
まあ私が紹介したお笑いから判断されると、こっちは逆にネカマだと間違われるかもしれないワァ(ネカマ風語尾)


お笑いではないけれどついでに、ネナベではなく本物のオナベというか、西洋の相良直美というか、この人、カコイイ。鶴子さんもこういう路線でいったらどうだろうか。
K.D. Lang ハレルヤ:
http://www.youtube.com/watch?v=P_NpxTWbovE

統一原理と歪んだ信仰

>樋口氏の場合は、嘘をついた相手に謝罪しないし、なぜ嘘をついたのか内省しようとさえしない。それでいながら、本然の人間性うんぬんを語る。この乖離がスゴイ!
 謝罪しない・反省しない彼の姿に、今日の統一教会がダブって見えてしまう。このことに、樋口氏も日本統一教会も滑稽なぐらいに、気がついていない。


 ルーク樋口氏が“火の粉を払え”ブログに対して、そして米本さんに対して犯した背信行為がネット上で公になってから既に半年以上過ぎています。
 さらに樋口氏はその問題に対して日本統一教会本部から責任を問われ、それに対しては謝罪を口にしたということですが 肝心な被害者である米本さんに対して謝罪することには「考えさせてくれ」と答え、躊躇していることを知って正直ガッカリしました。

 前の記事で米本さんが紹介された「1・15指針」の‘3 周囲に対し謙虚であること’
<3.3 独善に陥らないように心がけましょう。‥‥>という統一原理に適った正しい倫理観が日本統一教会本部から発表されているにも関わらず、それを台無しにするような態度で 大変残念です。
 樋口氏が原理をよく理解していないような新規メンバーなら 本人の生まれ育った資質ということで片付けられますが、統一教会で祝福を受け、長い信仰暦を誇る公職者ということになれば、そのような「個人の堕落性」では済まされなくなります。

 それは、「1・15指針」を策定した教会本部関係者もそのように思うであろうし、常識ある一般人もそのように思うに違いありません。
 被害者でもある米本さんは流石に彼の残念な態度の問題点を鋭くえぐり出しており、上の記述は決して素通りできない問題でありますし、もし統一教会員がその問題をスルーしてしまったならば、その教会員は‘張りぼての信仰’(中身のない信仰)しか持ち合わせていないということになってしまいます。

 しかし、現実問題として 統一教会員が犯した罪悪行為に対して一般社会から非難を向けられた場合、樋口氏と同じような態度をとる教会員の姿を見ることは決して珍しくありません。
 悪徳商法などの問題はその典型ですが、ブログ村・統一教会のブログを読んでいけば そのような例は幾らでも発見できます。
悲しいことにそれが統一教会員の現状です。

 米本さんが問題にされているこの‘一般倫理との乖離’は統一原理を信奉する者が真剣に考えねばならない問題であることは間違いありません。
 今回その矛盾を露呈しているのが文先生の子女様の近くにおられたという公職者の樋口氏であることを考え合わせると、必然的に統一原理について、そして統一教会の信仰について根本からその非道徳的な態度を生み出す原因を探っていかねばならなくなります。

 統一原理と組織活動の乖離問題については、“火の粉を払え”の以前の記事のコメント欄に書いたことがあるのですが、樋口氏のような道徳観の歪みを生み出す原因を探って行くと やはり統一原理の本質と乖離した‘特殊な信仰’というものに辿りつきます。
 樋口氏が米本さんに素直に謝罪できない理由は、一つはプライドであろうし、もう一つは強制移動行為に対する罪意識が未だに欠如している為だと思われます。
 「1・15指針」にあるように「周囲に対し謙虚」であり、「独善に陥らないように」心がけていたならば、米本さんに素直に謝罪できないはずはありません。

 しかし、そのプライドの根拠と罪意識の欠如の原因はその歪んだ信仰にあるのですが、それはブログ村でも度々話題に上がる文先生の血統転換思想に基づくもので、サタンの血統を受け継いだ‘堕落人間’と、メシアの祝福を受け 神の血統に転換された‘祝福家庭’という人間に対する宗教的差別意識がそこにはあります。
 樋口氏はほぼ間違いなく、理由は何であれ 統一教会本部側を批判する者達を神に反逆するサタン側の人間と見なしており、教会本部を擁護することが絶対的善であり、その目的のためには手段を選ばずともよいと思っているように見てとれます。
 従って、基本的に‘堕落人間’と思っている米本さんに嘘をついたとしても それが罪だとも思っていないし、教会本部を批判する人達の‘人権’など最初から尊重する気はなかったと思われます。
樋口氏に見られる道徳観の歪みと独善的な人間観は血統転換思想と関連しており、そこに最大の矛盾と問題があると言うこともできます。

 しかし、米本さんが触れました‘本然の人間性’が意味するところは‘堕落性を持たない人間性’ということであり、「汝の敵を愛せよ」と言われたイエス・キリストの如き人間性ということでありますが、統一原理や統一思想の中には その神性を帯びた‘創造本然の’人間性についての詳しい説明があります。
 統一思想においては(創造本然の)人間は神性的存在であるとして、心情的存在、理法的存在、創造的存在と記されていますが、心情的存在の意味として「完成したならば、家族のみならず隣人と民族、人類をも神と同じように愛するものとなる」と書かれています。
 つまり、そのような本性を失った「神と同じ立場に立てない」こと故の妬み、嫉妬を持ち、他者を神と同じように愛することができないのが堕落人間であると説明しているのです。
 原理講論においてはそのように‘創造本然の神性をもった人間’に対して‘堕落性本性をもってしまった堕落人間’という対比によって人間の‘堕落’や‘復帰’の概念が論じられており、人間が救われるということは‘創造本然の神性をもった人間’に‘復帰’するということで イエス・キリストの如き神性をもった人間に生まれ変わることが統一原理においての‘人間の救済’ということになります。

 統一原理はキリスト教の聖書を‘聖典’として認めており 人間世界の悪の起源について論じた‘堕落論’も聖書の失楽園の物語を認める立場から論理が展開されています。
 その点においては統一教会員は米本さんと世界観が大きく違っていますが、聖書を聖典として認めているのはキリスト教徒以外でも イスラム教徒においても同じであり、世界の宗教人口のかなり大きな割合を占める人々が聖書を認めていることになり、決してマイナーな世界観とも言えないことになります。
 原理講論の堕落論はその失楽園の物語を基に悪の起源について論じていますが、その解釈は決して非科学的とは言い切れない宗教理論であるように思われます。
 そこには‘天使’が登場するわけですが、霊界の存在については多くの人々の体験談もあり霊界の存在を完全に科学的に否定することは不可能だと言えるでしょう。
 従って、天使長と人間の不倫な性的関係が人類始祖の堕落であったとする堕落論を非科学的な宗教理論として否定することはできず、真理である可能性も高いのです。

 しかし、以前コメントに書いたように 血統転換理論というものは明らかに論理的に破綻しており非科学的と言っても差し支えないでしょう。
 原理講論においても‘サタンの血統’という表現が出てきますが、それと全く違った理論も展開されていたりし、かなり曖昧で、執筆者の劉孝元氏の混乱さえ感じ取れます。
 ‘血統転換’について断定的に述べているのは文先生であり、天聖経にはそれについて書かれた項目があります。

 その血統転換理論には多くの問題点があり、創造原理や自然科学と矛盾するのみでなく、現実的な結果においても矛盾があらわになっています。
 それは‘原罪’が無いはずの文先生の子女様達の現実を見れば一目瞭然で、その現実を認めた上で血統転換理論の正当性を主張することは不可能です。
 その血統転換理論に対しては統一教会内においても異論があり、分派のように‘血統転換=心情転換’を唱える信者もおりますが 分派の理論も矛盾だらけであり、たとえ多少解釈を変えようが‘血統転換’という救済論は現実的にも理論的にも矛盾した“カルト理論”であると考えることができます。

 さらに血統転換思想は独善的な人間観を持つことに繋がります。
 つまり、血統的な善悪の差別を前提とした救済論であり、文先生の講話の中には‘王族圏’‘皇族圏’という血統的価値について語った‘御言葉’があり、救済の基準が人間性の問題ではなく血統的な繋がりの問題に置き換えられています。
 その血統転換理論を言葉どおり信じている教会員にとっては「メシアと血統的に繋がった」ことが重要で、最大の価値があり「‘創造本然の’人間性」をもつことは二次的なことになります。
 その証明として、‘真の子女様’達に人類始祖の堕落と同様のことが起こったとしても それが教会内においては“スキャンダル”程度にしか思われないし、血統的価値が否定されることはありません。
 それは精神的な内容を問わない血統万能主義とも解釈でき 多分に朝鮮型儒教の影響を感じさせるものですが、結果として‘血統的価値’を根拠に独善的な人間観をもつことになってしまいます。
そして、それが同様にルーク樋口氏の態度にも表れており、たとえ本人にその自覚がなかったとしても その性格的な歪みの原因を辿って行くと その問題に行き着くようになるのです。

 血統転換思想を完全否定すると、統一教会の価値を全否定するように思われがちですが、それは大きな間違いです。
 たとえ血統転換思想が完全否定されたとしても 統一原理の創造原理は普遍的真理としての内容を充分備えており、原理講論の‘総序’に書かれた内容が無意味になることはありません。
 また、堕落論も大筋では真理を語っていると考えられ 統一原理の骨格は真理と確信するに充分な内容をもっていると思っています。

 しかしながら、血統転換思想に繋がる堕落論の一部は矯正する必要があります。
それは決して新しい解釈を持ち出す為ではなく、「宗教が探し求めてきた内的真理と科学が探し求めてきた外的真理とを、統一された一つの課題として解決」できる‘新しい真理’として発展させる為に必要なことであり、現在の原理講論にある「サタンの血統」というような非科学的な論理は、より科学的な真理と矛盾しないものに変更すべきです。
 それはそんなに難しいことではなく、原理講論を執筆された劉孝元氏もそのような非科学的な理論に関しては強調せず 別のところでは違った理論を展開しており、それを論理的に整理すればよいだけです。

 その救済論に関しては米本さんも前の記事で触れた‘第四イスラエル’である‘祝福二世相談室’が「救済論の問題点」の中に書いていますが、<「(真の)統一教会の救済論」(とは)‥‥「霊肉共の救い」を意味する「聖化の完成」、即ち「人格完成と家庭完成による地上天国の実現」に他ならないのです。>という考え方はうなずける面があり、少なくとも韓民族的‘血統転換思想’よりは遥かに原理的です。
 ただし‘原罪’に関して「救済論の問題点」においては<「原罪の本質」は‥‥人類全体の「心情」と「性質」を“罪へ傾く普遍的傾向性”として規定している「堕落性本性」、即ち「歪んだ心情」「自己中心の動機」であるという点が重要>だとして‘原罪=堕落性本性’という捉え方をしていますが、そのように考えると 原理講論の総序に記されている「けれども、人間の努力をもってしては、如何ともなし得ない社会悪がひとつある。それは、イン乱の弊害である。」という問題が解決されず、‘第四イスラエル’の救済論にも限界があることがわかります。

 実のところ、この(人間の努力をもってしては、如何ともなし得ない)性的堕落の問題こそ劉孝元氏にさえ非科学的な‘血統的な罪’という間違いを書かせてしまった最大の問題であり、その根拠を充分に説明できなかったが為にその‘血統的な罪’という妥協した論理が用いられてしまったと考えられます。
 しかし、キリスト教神学に拘らなければ 原理的にその原罪の問題を解明することができます。
 つまり、聖書を‘聖典’として認めてもキリスト教神学の諸説に拘る必要はなく、論理的、科学的な創造原理に基づいて考えれば答えは導かれるのです。

 それは、創造原理において語られている第一祝福と第二祝福、即ち個性完成と子女繁殖の意味をよく考えれば解明できます。
 神は人間が果たすべき責任分担として、個性完成するまで「善悪知るの木からその実を取って食べてはならない」(夫婦関係をもってはならない)との‘戒め’を与えたが、それを天使長に誘惑されたエバが破り、さらにアダムも破ってしまい、エデンの園から追放されたというのが失楽園の物語ですが、堕落論においてはその罪の内容が詳しく説明されています。
 しかし、四位基台を完成する上での夫婦愛の重要性を説いていながら、その愛の秩序が失われた結果としての堕落の問題として捉えず、サタンの血統を受け継いだ原罪のなせる業としてそのイン乱の問題を捉えたことは、却ってその性道徳の問題を解決不能なものとし‘真の子女様’でさえその問題を乗り越えられない結果をもたらしてしまったのです。

 創造原理をしっかり理解すれば、そのような‘サタンの血統’とか‘血統転換’という論理が生まれる余地はないのです。
 創造原理においては個性完成したアダムとエバが夫婦となった時に第二祝福が果たされ、そこから地上天国が誕生すると書かれており、特にその成熟した夫婦愛が重要であることがそこから理解できます。
 人間の堕落とはその成熟した夫婦愛が完成されなかったということであり、それに変わって不倫な性関係の‘快感’が先行するようになったということです。
 創造原理においては、正分合作用の合成体としての子女は父母の愛を受けて成長するのですが、人類始祖が成熟した愛を完成できなかったことにより、家庭的な愛の四位基台は完成されず、その悪循環は繰り返されることになります。
 つまり、家庭的四位基台を完成させる愛がもつ性質とその重要性を考えれば そのような家庭、社会の混乱が発生することは血統的な理由を付けずとも説明できるのです。

 さらに、創造原理においては無形実体世界(霊界)についても説明されており、人間が不倫の愛を経験した影響は当然霊界にも影響を与えることになり、その霊人体の作用によっても社会的性道徳の堕落問題はより一層解決が難しくなってしまいます。
 サタンの活動とは霊的な作用であり、血統的な因縁によって人間を支配するなどというものではありません。
 ‘堕落論’の中に、愛の力は原理の力(原理に従う理性的な力)より強いことが書かれていますが、創造本然の世界においては発生し得なかった‘不倫な性関係の邪な喜び’が人間によって経験されることによって広がった‘イン乱の問題’はその愛の性質上容易には解決できない問題となってしまい、あたかもサタンの血統が人間に流れているかのような誤解を生んだと考えられます。

 つまり、‘堕落論’にあるような人間の堕落があったとしても それが原罪という血統的な罪として遺伝するようにはなったと考える必要はなく、現在の人間が原罪をもった堕落人間であるという考えは否定することができるのです。
 あえて堕落という言葉を使ったとしても、それは「理想から遠ざかった」「悪い習慣をもった」という意味では当てはまっても、「サタンに属する」「悪い遺伝子をもった」という意味で使うことはできず、創造原理的に正しくないのです。

 従って原理的な‘人間の救い’とは 血統転換することではなく、‘三大祝福’で説明された正しい原理的な愛の秩序をこの現実世界において確立することだと言えます。
 そしてその為には その成熟した愛を体現し家庭的な四位基台を完成して人類にその理想的な人間像と理想的な家庭像を示すことができる人物が必要であり、その模範を示すことによって社会的な秩序も確立できる人物が救世主と呼ばれるのだと思います。

 統一原理の価値は「宗教が探し求めてきた内的真理と科学が探し求めてきた外的真理とを、統一された一つの課題として解決」できる‘新しい真理’である、ことにあり、非科学的な部分があれば それを是正せねばならないのは当然です。そうでなければ‘新しい真理’としての価値は失われることになります。
 米本さんが指摘されているような問題や統一教会が反社会的なカルト教団と見なされている問題の原因を辿れば、‘血統転換思想’‘文先生の神格化’‘李氏朝鮮時代の儒教の影響’などがあげられますが、原理講論の‘総序’に書かれたような目的の実現を目指すならば、それらの間違いや弊害を是正し、克服する必要があります。
 それこそが、統一教会員にとっての「人間の責任分担」だと言えるのではないでしょうか。

統一原理を肯定的に考えた場合のお話

原罪がないことと、人格的に完成していることは別の問題です。

人間始祖は善の立場で創造され、原罪がなく罪の影さえもない環境で堕落しました。
御子女様や二世は原罪のない立場で誕生しますが、完成しているわけではありません。
また、環境は人間始祖とは比べようもなく試練や誘惑が多いでしょう。
さらに、二世においては親が整理しきれなかった堕落性の影を背負い、御子女様も次元は違っても、お母様が完成された基元節までの期間における未完成の影響は受けられることと思います。

人間始祖が人格完成も含む個性完成の途上で失敗してしまった状態までを復元するというのが一世の祝福の定義ですが、同じく一世も祝福を受けて原罪を清算しても、それだけで人格完成するわけではありません。人格完成だけでも一生、あるいは二代三代かかる可能性があります。

宗教家は自分が掲げた物差しで世間の人から判断されます。ですから統一教会員はリーダーも平信徒も人格が不十分であってもせめて、誠意のある姿勢が必要だと思います。
仁進様がリーダーでなければ、私たちはあんなに傷つかなかったことを思い出して、本部とリーダーの誠意ある対応を願います。

  • [2013/08/06 07:32]
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春さん&翔子さん

 笑える投稿、ありがとうございました。

 笑いは高度な感情レベル。よって笑いを取るのはとても難しい。怒りを煽るのは簡単だけど。

春さん
>自分の意に沿う者と自分を持ち上げてくれる者には、犬のように尻尾をふる。
が、自分の意に沿わないことをされると、途端にプイッ!しかも、面と向かって歯向かう勇気がないから、「強制移動」という姑息な手を使う。
んで、それを指摘されると、ダンマリか逃げる。・・・それが通じないとなると感情に訴える。・・・・

 その通りだと思います。問題の本質は「なぜ、逃げるのか」ということにあると考えます。


翔子さん
>私はネーミングが得意ではありませんが、そいつらコンビ(ルークとTB。プッ・失礼)は、昔、町を薄っぺらい広告看板を前後にぶら下げて“サンドイッチマン”が歩いていた、そんなイメージですが、コンビ名:サンドウィッチマンなら、もうF1優勝のプロ中のプロがいるではありませんか。

「サンドイッチマン」から、同名の鶴田浩二の歌を思い出しました。
http://www.youtube.com/watch?v=QWOD6xlBGZ4
 是非、聞いて。

 大倉文明やルーク樋口が「サンドイッチマン」?それはサンドイッチマンに失礼というもの。

 では、コンビ名は?
 う~ん。
「俺たち監禁2人組」。う~ん。13文字の字数は多すぎか。



所感を

米本さんはホントに謝罪すれば「それ以上に罪を問わず」の姿勢で、実に寛容です。関心します。
それに比べて、どんな罰でも受けると一旦言ったのにも関わらず、後でひっくり返したり、本部が理解してくれないのが悪いだの、呆れます。誰とは言いませんが、こういう食口がいるのは恥ずかしい限りです。

なぜ謝罪しないのか

 神々の黄昏さん、精緻な論考ありがとうございました。

>そのプライドの根拠と罪意識の欠如の原因はその歪んだ信仰にあるのですが、それはブログ村でも度々話題に上がる文先生の血統転換思想に基づくもので、サタンの血統を受け継いだ‘堕落人間’と、メシアの祝福を受け 神の血統に転換された‘祝福家庭’という人間に対する宗教的差別意識がそこにはあります。
 樋口氏はほぼ間違いなく、理由は何であれ 統一教会本部側を批判する者達を神に反逆するサタン側の人間と見なしており、教会本部を擁護することが絶対的善であり、その目的のためには手段を選ばずともよいと思っているように見てとれます。

 確かに。
 次元は異なるかもしれないけど、もう2つほど考慮すべきことがあると思っています。

 それは、真理会得意識とでも表現すればいいのか、つまり、俺たちは真理を会得している。しかし、お前たちはという特権意識です。
 イデオロギー性の強い団体のメンバーに見られる傾向です。

 その典型は「日本共産党」。何しろ、彼らは「真理を独占」しているという意識(理論的にも)でしたから。
 自分たちは真理を会得している。真理を知らない民百姓が・・。
 だから、これまで謝罪したことは一度もありません。忘れたけど2・17事件とか。占領軍を解放軍とみなす過ちとか。

 例外は、創価学会の池田大作さんだけでしょう。彼は追い詰められてきちんと(心から心底ではない)謝罪した。あと、あったけかなあ。イスラム、キリスト、ヒンズー、革マル、中核・・・・。

 あっそうそう。身内から40人もの逮捕者を出したというのに、統一教会は一度として謝ったことはありません。(山口組以下!)
 

 もう一つは「官僚」の特質です。
 ピース君は謝罪した。
 だけど、樋口氏は謝らない。彼は民百姓ではなく、官僚だから。それ以外の理由は考えられません。江戸のお代官さんは町民、民百姓に謝ったことはない。それと同じだと思います。政治社会学の論文を引用したほうがより分かりやすいでしょうが。

 もっと普遍化して平たくいえば、自分より格下と思っている奴には謝らない。
 畢竟、貧相な話なのです。

無原罪と人格完成の関係について

 ホーリーナッツさん、とても興味深い投稿、感謝です。

 そんで教えてもらいたいことが出てきました。

 祝福結婚よって、血統転換され、原罪が消える。
 あまりにも荒唐無稽だけど、このことを是認して。

 わからないのは、「無原罪」と「人格完成」との関係なのです。

 ホーリーナッツさんはこう述べています。

>原罪がないことと、人格的に完成していることは別の問題です。

>原罪を清算しても、それだけで人格完成するわけではありません。人格完成だけでも一生、あるいは二代三代かかる可能性があります。

 あと数年で、妙齢のご婦人と鳥取砂丘なんぞで戯れ、三徳山にお参りして、人格完成をめざしていたのに! 

二代三代?

 ひぇ~、俺の人格が完成するのは、俺の三代目。バタン、人生あきらめた、死んだ。

 で、マジな質問です。

 人格完成と関係ないというのであれば、原罪があろうがなかうが、あんまし関係ないのでは?

Re.無原罪と人格完成の関係について

いつもながら、米本さんの懐の深さには感じ入ります。統一原理を肯定的に考えた立場でのお話に耳を傾けてくださり感謝いたします。

確かに人格を完成させるということだけに焦点を絞れば、罪の根となる原罪を清算してもすぐに人格は完成させられないとなれば、原罪があってもなくても関係がないことのようにみえますね。
実際、米本さんや元信者の方々も含めて、世の中には統一教会員よりも人格的に優れた方が多いように思います。

ではなぜ、にもかかわらず私たち統一教会員が・・・という問題にお答えいたします。

統一原理の観点では人類始祖であるアダムとエバが堕落したのは、人間の成長期間の途上である長成期の完成級であるとされています。
人間が個性完成するのに神様が予定された期間は約21年であり、 その21年間を三段階に分けた二段階目の完成の頃、14歳前後が長成期の完成級です。
ですから、アダムとエバが神様と一問一答しながら順調に成長していたとしても個性完成の2/3までだったということになります。

一世が祝福を受けて原罪を清算して立つことのできる立場は、その2/3の地点です。
そのため、おおざっぱに言いいますと祝福を受けて原罪を清算すると2/3からスタートできて3/3のゴールを目指せるけれど、そうでなければ2/3がゴールになるというのが、統一原理の観点です。


ここでおおざっぱと言いましたのは、本来神様が最初に祝福をあげる予定だったのは純潔を守り人格を磨く修行に励み、自他ともに人格者として認められる神父様やシスターをはじめとする宗教家だったということがあるからです。
私たちの多くは、人格完成という点においては実際修行が足らず、本来は人格を磨きすでに世の中に対してリーダー性を持った方たちが進めるべきだった御旨を、私たちとなさなければならなかった文先生は大きな荷物をしょって大変なご苦労だったと思います。

  • [2013/08/07 00:20]
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Re:なぜ謝罪しないのか

>それは、真理会得意識とでも表現すればいいのか、つまり、俺たちは真理を会得している。しかし、お前たちはという特権意識です。

>自分たちは真理を会得している。真理を知らない民百姓が・・。

>もっと普遍化して平たくいえば、自分より格下と思っている奴には謝らない。


 他者を傷つけた自分の過ちを謝罪しないルーク樋口氏の心理を米本さんが分析されましたが、思わず唸ってしまいました。
 半端な観察力ではこれだけ鋭い分析はできません。
何を隠そう私も統一原理に確信をもつようになった初期に、そのような「真理会得意識」「特権意識」と表現できる一種の優越感が心の片隅に生まれました。
 それはまた隠れたプライドとなって自分の性格にも影響したように思います。
特定の信仰や共産主義のようなイデオロギーをもたない米本さんがその心理を読み取れるとは‥‥驚き、感服するばかりです。

 ただ、学生時代では自分の回りには 精神的にも能力的にも優れた人は沢山いましたから、それらが膨張することはありませんでした。
 しかし、その「真理会得意識」「特権意識」は否定し切れないもので、理性を働かせないと歪んだ性格をつくり出してしまう危険性があるのは確かです。
それを考えると、ルーク樋口さんの周りには ろくな人が‥‥

 暗在翔子さんのコメントには充分楽しませていただきました。
そして、ルークさんの‘芸’も観させていただきましたが、これでは翔子さんを自然屈服させるのは、らくだが針の穴を通るのよりむずかしいのでは‥‥
 もう一言、コメント欄で上の翔子さんと下のナッツさんを同時に見ると、どうしても「なんともシュールな世界です。」と言いたくなってしまいますが、人間学習になりました。
ありがとうございます。

勉強勉強!

神々の黄昏様、頭が良いですね!私が思っていても文章に出来なかった内容の110%文章にしていただきました。
最高に高度な内容のコメントです。統一教会員が出来るだけ黄昏様のコメントを読んで問題意識をしっかり持って発展して行く事を希望します!

Re:Re:なぜ謝罪しないのか。徳野氏の場合

 具体的なことを書くのを忘れていました。

 2009年の2月、統一教会系企業の新世の社長たちが特定商取引法違反事件で摘発され、新世と関係の深かった教団教区の事務所が家宅捜索を受けた。
 それから、約5カ月後、総責任者だった徳野会長は引責辞任し、その記者会見の席で陳謝した。

 それについて書いた、当時の火の粉ブログの記事を紹介しておきます。
<統一教会・徳野英治会長-記者会見の問題点①>http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-84.html

(長い引用はじめ)
「世間をお騒がせし、多大なご迷惑をおかけしましたことにつきまして、教団の責任者として深くお詫び申し上げます」

「一部の信者の方が犯した違法行為のゆえに、その信者の方々が所属している教会にまで警察の捜査の手がのびたということに対しまして、社会をお騒がせしました。
 このことに対して、日本の国民のみなさまに対し、そしてまた信者のみなさまの中には問題を起こしていない信者のみなさんがたくさんいらっしゃいます。そうした信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけたことに対して、私は教団の責任者として大変遺憾に思い・・・」

「統一教会には56万人の会員がいますけれど、問題を起こしていない大半の信者のみなさまにもご心配、ご迷惑をおかけしたという面において教団の責任者として道義的責任を感じ、・・・」

 これらを読めば、世間・社会・国民・信者、整理していえば、日本の社会と統一教会員に謝罪するとしている。
 そして、謝罪の理由は「教会に警察の捜査の手が延びたこと」で、(それがマスコミに大々的に報じられたことによって)「世間をお騒がせし」、(信者の個人的な犯罪なのにあたかも教会が組織的に関わっているような印象を与えたために)、事件とは関係のない多くの教会員に心配を与え、迷惑をかけたこと?だという。
(中略)
 仮に信者個人の犯罪だったとしても、記者会見ではまっさきに謝るべき人に謝っていない。つまり、事件の被害者に謝っていないのだ。

 部下がなにかの事件を引き起こした場合、テレビでよく記者会見が行われるが、それを見ればわかる通り、真っ先に謝っているのは被害者に対してである。
 そのあとで社会、国民に謝罪する。
 それが社会常識であり、社会的良識というものである。
(長い引用終わり)

 徳野氏は謝罪はしたが、一番謝るべき被害者にそうしていない。樋口氏も同じである。
 この記事を書いたときは(2009年7月)、社会的オンチと総括したが、そうしたレベルではなかった。思慮が浅かったことを後悔している。

ルーク樋口と山口との共通項

 次のブログをアップしましたが、拉致監禁体験者であり、拉致監禁に反対しているルーク樋口氏と、拉致監禁の存在を否定し、結果として拉致監禁を容認している山口広弁護士との共通項は、元信者の春さんの表現を使えば、ダンマリですね。

 宇佐美さんのストーカー冤罪づくりに加担していると、弁護士にとって大変不名誉なことを指摘されたのに、ダンマリ
 自分の嘘問題でメシアまでこけにされているというのに、ダンマリ

 これからは「ダンマリの君」と呼ばなきゃあ、と思ってしまいます。

Re:勉強勉強!

‘朝鮮の夜明け’さんから評価していただけたのは こちらの記事の最初のコメントだと思われますが、理解していただけた教会員のかたがおられるとわかり 大変嬉しく思います。
‘朝鮮の夜明け’さんのコメントには心から感謝申し上げます。
そして、110%とまで仰っていただくと私も気が引けてしまいますので そのコメントに追加補充して有り難い評価にお応えしようと思います。

 前のコメントにおいては‘血統転換理論’の問題点について書きましたが、原理講論を重視する立場で 特に創造原理を絶対的な基準として考えますと、その問題点がさらに明確になってきます。
 血統転換理論は 人間始祖が堕落してサタンの血統を受け継いでしまった、という考えが前提ですが、実は その考えは堕落論の重要な項目と矛盾することになり、当然創造原理とも矛盾してしまうのです。

 それは堕落論の‘第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由’‘(二)神のみ創造主であらせられるために’の項目で そこには「神がもし或る存在や行動に対して干渉し給うならば、干渉を受けるその存在や行動は、既に、創造の価値が賦与され、原理的なものとして認定されたもののような結果をもたらすのである。」と書かれています。
 この堕落論の中でも最重要とされる部分に注目しますと、血統転換理論の根本的な間違いが発見できます。

 つまり、もし神が血統転換によって人類を救済しようと摂理したと考えてしまうと それは人間がサタンの血統になったという「もう一つの新しい原理を立てる結果をもたらすのである。‥‥そうなれば、サタンもまた、一つの新しい原理を創造したということになり、創造主の立場に立つことになる。」という絶対あってはならない矛盾が生じてしまうのです。
 サタン=天使長は霊的な存在であり、‘サタンの血統’を神が認定する(干渉する対象として価値を認める)などということがあろうはずがないのは当然ですし、‘霊的な存在であるサタンの血統’などというものは原理的にも自然科学的にもあり得ないことなのです。
 つまり、「サタンの血統」という理屈は真理ではなく、間違った解釈なのです。
 そのように理解できれば、その「サタンの血統」を前提とした‘血統転換理論’も成立しないことになり、「血統転換しなければ救われない」という救済論は原理と合致しないことになります。

 さらに付け加えれば、神が‘真の父母’によって新しい血統を生み出すという考えも‘人間の血統的な堕落’を認定し、干渉したこととなってしまうので、「創造原理の絶対性と完全無欠性」が破綻し、人間創造の失敗を認める結果となってしまうのです。
 堕落論、第六節は創造原理に立脚した極めて重要な項目で、その基本にあるのは神が第一原因であるという理論です。
 それは、宗教と科学の接点を見つける上で最も重要な捉え方で、その神を第一原因と捉える創造原理と矛盾した教義は、人間的な誤った理論であり 間違った信仰に結び付く危険性があるということになります。

 従って、“人間の救い”を考える場合は 奇蹟信仰のように‘血統転換思想’に頼るべきではなく、‘堕落性本性’の精神的な克服や第一祝福:個性完成、第二祝福:家庭完成、子女繁殖の実現について より真剣に考えねばならないのです。
 もし、そのような創造理想を真剣に追求し、実践するのが統一教会だとしたら、一体誰がカルト教団などと蔑むのでしょうか。
‘血統転換理論’のような非原理的な教義が存在している限り、そのように統一教会が生まれ変わるのは不可能で、その“タブー”を打ち破ることこそ 現統一教会の宗教改革だと言えるでしょう。
 

はい。

神々の黄昏さん wrote:
>“人間の救い”を考える場合は 奇蹟信仰のように‘血統転換思想’に頼るべきではなく、‘堕落性本性’の精神的な克服や第一祝福:個性完成、第二祝福:家庭完成、子女繁殖の実現について より真剣に考えねばならないのです。///

私は元信者ですので、統一原理や堕落論に直接的・具体的には全く関係がありませんが、 神々の黄昏さんが上記で書かれているような課題について、その課題を自分の課題と捉えて(ここまでは教会員でも多くそうしていることと思いますが)、その解決・克服法をも自分のこととして内面で引き受け担って、おっしゃるように、自分の責任として“真剣に考えねばならない”と思います。

数々の疑問

神々の黄昏さん

仰る通りだと思います。また、以前の当方からの質問に対するご回答の内容がさらに明確な形で提示されていると思います。

つまり、文師が解き明かし、かつ実践してきた「血統転換の理論」なるものが根本的に誤りであるということですね。そうなると、文師はそもそも、“原罪の贖罪者”としてのメシアではなく、当然、人類の真の父母でもない。よって、血統転換の理論を前提とする祝福結婚には何ら神学的意味はなく、これによっては原罪は清算できないという結論になろうかと思います。否、そもそも“原罪”なるものが存在するのかという疑問も生ずることになります。

さらに進んで、果たして、創世記の失楽園の物語に象徴されている“堕落の事実”は本当にあったのか?また、サタンと称される堕落天使長なるものは果たして存在したのか、さらに、神は人間始祖に対して、「取って食べてはならない」という戒め(つまり、個性完成するまで貞操を守れ!)を与えたのは本当か、等々の疑問も生ずることになります。

次に、もし、原罪なるものがなければ、原罪の贖罪者としてのメシアは不要となり、よって、当然、イエスもメシアであることはありえないということになります。それでは、イエスが神から地上に送られた使命・役割は何でしょうか?また、十字架での処刑と3日後の霊的復活にはどのような神学的意味があるのでしょうか?

また、神々の黄昏さんは、“創造原理を絶対的な基準として考える”と仰っていますが、そのことと文師のメシア性を否定することとの関係性はどうなるのでしょうか?つまり、原理講論の執筆者は劉孝元氏であるとはいえ、文師の公認を受けて書かれている以上、統一原理は、あくまでも文鮮明師が解き明かした宗教理論であるということになります。そして、統一原理が絶対的真理であるとされる最大の根拠は、神の代身であり再臨主である文師が説いた教えであることにあるので、もし、文師がメシアではないとしたら、その根拠は、当然、失われることになるのではないでしょうか?もちろん、創造原理も統一原理の体系の3本柱の1つ(というか中核をなす)であるので、根拠はなくなるはずです。

個人的見解ですが、そもそも統一原理は、“神の代身たる再臨主=文鮮明”が解き明かした完全無欠の絶対的真理などではなく、戦前の韓国キリスト教神秘主義心霊集団(金聖道や金百文ら)の思想を元にして、あくまでも”単なる宗教家=文鮮明“が説いた宗教教義(相対的真理)に過ぎない。したがって、内容に根本的な間違い(血統転換理論がその最たるもの)があっても不思議ではない。

但し、「(たとえ相対的真理ではあっても)創造原理に関しては、人格的創造神を認める宗教思想の中では“目下のところ”最も普遍的妥当性を備えた宗教思想、いわば”人類の叡智“と呼ぶべき思想であると位置づけられる」ということになります。

失楽園の物語があったと仮定したときのお話

アダムとエバが堕落したときに、天変地異が起こったかといえば、そのようなことはなかった、もし、なにか、大きな変化があったとしたら、アダムとエバの顔色が変わったくらいだろうということです。

ですから、原罪をメシアによって贖罪されたとしても、贖罪された本人にも環境にも外的に奇跡的変化が起こるわけではありません。
堕落することで、アダムとエバに不安が生まれて顔色が変わった程度の変化があったように、祝福を受けることによって不安がなくなり心が晴れ晴れとしたという気持ちの変化を経験する人はいます。


"キリスト教徒でない人は、予言者-未来のことを予言する者のことと誤解するようですけど、予言ではなく預言であって、神の言葉を預かって人々に伝える者のことです。"『私にとって神とは』(エッセイ)
(遠藤周作『神と私』より抜粋P270)

で、文先生も予言者ではなく預言者です。
また、少なくとも私達や私たちの周りには、ここに書かれているような奇跡信仰をしている人はいません。
  • [2013/08/09 22:43]
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Re:数々の疑問

>「(たとえ相対的真理ではあっても)創造原理に関しては、人格的創造神を認める宗教思想の中では“目下のところ”最も普遍的妥当性を備えた宗教思想、いわば”人類の叡智“と呼ぶべき思想であると位置づけられる」ということになります。


 Watcherさんが統一原理と文先生の宗教的な価値を根本から問い直す質問を示され、さらにWatcherさんの観点も改めて紹介してくださいましたが、統一原理の‘真理’としての価値をとことん追究されており いろいろ参考になりました。
 統一教会員の多くがWatcherさんのように どこまでも妥協せず真理を真剣に追究していたら、間違いなく今のような姿にはならなかったでしょう。
 統一教会の公職者も是非、Watcherさんの追求心を見習って欲しいと思います。

 私もWatcherさんと同様に 統一原理のその‘真理’としての本質的な価値について考えて参りました。そしてその解答を求め、追求を続けているとも言えます。
 そしてWatcherさんが結果的に上のように考えられたのは正しく、共感致します。
私は統一原理や統一思想がもつ最も優れた観点は、その科学の進歩と矛盾しない論理によって宗教的問題をも解明しているところだと思っています。
 それは原理講論の総序に書かれているとおりで、そこにこそ統一原理の価値が存在すると言えます。
 統一原理の最も優れたところは神の存在について根本から追求しているその論理的な一貫性です。決して、「神の啓示によってこのように教えられた」というような書き方をしておらず、そこが統一原理が若者に受け入れられた大きな理由でもあります。

 それは特に創造原理について考えれば当てはまります。それはWatcherさんが書かれたように「最も普遍的妥当性を備えた宗教思想、いわば”人類の叡智“と呼ぶべき思想」であるのは確かです。
 私は その創造原理が示した‘第一原因’としての神に対する解釈こそ そのように評価できる根拠だと思っています。
 創造原理は神の存在を人間と完全には分離しておらず、地上世界即ち現実世界においては人間を通してその本性が部分的に現象化するという神と人間の関係の捉え方をしています。
 従って、‘真理’が発見されるのも それは‘第一原因である神の知性が実体化した’人間の知性による価値追求によってであり、あくまで人間のなした真理探究の結果だということになります。
 創造原理にしたがえば、「人類の叡智」は神の本性相の現象化したものですから、統一原理という思想そのものについても‘真理探究の結果’と考えねばならないのは当然です。

 ‘普遍的真理’という観点では、‘原理講論’よりも‘統一思想要網’のほうが的確で詳しく、特に原存在として捉えた神の心情についても定義し、そこから全ての存在や現象を解明した理論は まさしく‘普遍的真理’と呼ぶに相応しい内容と言えるでしょう。
 Watcherさんが書かれた「統一原理は‥‥戦前の韓国キリスト教神秘主義心霊集団(金聖道や金百文ら)の思想を元にして、あくまでも”単なる宗教家=文鮮明“が説いた宗教教義(相対的真理)に過ぎない。」というのは全くそのとおりで、”未完成状態“にあり、さらに個性をもった人間が体系化したものを‘絶対的真理’として特別視すること自体が原理的ではないのです。
 私が「創造原理を絶対的な基準として考える」と書いたのは、あくまでその基本的な原理においてであり、「一文一句を絶対化する」という意味でないのは勿論です。
 ‘真理’を探究するのもその価値を判断するのも人間の‘本心’であり 宗教的な権威を根拠にすることは根本的に間違っています。

 文先生が再臨のメシアか否かを論ずるのは余り意味がないことで、客観的にみれば 結果として人類を救済できたら‘メシア’と呼べるであろうし、それができなかったら‘メシア’と名付けても何の意味もありません。
 結果が出ていない中で‘メシア’と判断するか否かは主観的な問題で、それを名前だけ宣言しても無意味です。
 イエス・キリストがキリスト教徒に‘メシア’と呼ばれるのは その‘神の愛’と‘悔い改めによる神の許し’について語られた内容が人々の本心を啓発したからであり、人々がそこに神の愛の作用を実感したからであります。
 また、イエス・キリストの霊人体がパウロに作用したように、霊的な働きがあったのも事実だと思われます。
キリスト教は現代社会の発展に大きな影響を及ぼしていますが、イエス様を‘メシア’として認めているのはあくまでキリスト教徒であり、決して全人類によって認められている訳ではありません。
「イエスが神から地上に送られた使命・役割や十字架での処刑と3日後の霊的復活の意味」は 特定の神学に拘る必要はないと思います。
ただ言えることは、イエス様の心情には他の人々よりも遥かに強く神の心情が作用しており、イエス様はその心情を原動力として‘神の国’と‘神の義’を語ったということです。
イエス様は歴史的な背景に合わせて、その心情に神が強く作用した人物であり、より神の創造理想に近い人物だったということだと思います。
イエス様の霊的復活については 霊界の法則に従ったものと考えられますが、その霊界の法則が如何なるものかは、これから究明されることだと思われ、現時点で人間が全てを理解するのは難しいのではないでしょうか。

しかし、イエス様を「より神の創造理想に近い人物」と考えたとしても、「原罪の贖罪者」と神学的に定義する必要はないと思います。
先のコメントに書いたように、原罪という遺伝子のようなものは存在せず、それは原理的に‘存在’するものではなく、一時的に生じた‘状態’であり‘方向性を間違えた’人間社会の‘傾向’のようなもので、統一思想に沿ってもそのように考えられます。
つまり、‘人間の救い’とは人間の心情と神の心情の結び付きを強めて、人間の本性的な精神の働きを正常化し、活発化することであり、‘原罪を贖罪’するという神学的解釈によってはそのように‘人間を救う’ことができなかったのが現実です。

失楽園の物語は確かに現実的に考えると 多くの疑問が出てきます。
それを事細かに解明するのは現時点ではほぼ不可能でしょう。
 ただ、天使の存在自体や人間始祖の存在は 決して非科学的なこととして否定することはできないと思います。霊界の体験者は少なくない訳ですし、天使と関わった体験をもつ
人も存在し、統一思想とも矛盾しません。
 それは、霊界について科学的に解明されるまで真実は明らかにならないと思います。

 これは自論ですが、まず人間の誕生は時空間で見れば、進化論のような過程を経ます。
そして現在の人間、即ち霊人体を備えた人間は そのように肉体的には現人類と全く同じ段階まで‘進化’した人類の中から 最も理想的な一人の男子と一人の女子を選んで神が霊人体を賦与したものと考えることができます。
 そこに同時に存在していた人類は霊人体をもたないわけですから、必然的に天使という存在が教育者となるわけです。
 そう考えると、原理講論に書かれた失楽園の物語は成り立つことになります。
ただ、前のコメントに書いたように‘サタンの血統’という概念はあり得ないので、堕落の影響とは「成熟した夫婦愛が完成されず、その理想的な性関係の幸福感に変わって不倫な性関係の‘快感’が先行し“不倫な性関係の邪な喜び”が人間社会の生活に根付いてしまった。」というように考えられます。
 ただ、原理的に考えても 愛と性の問題は重要なので、それは人間にとって深刻な問題となってしまい、‘サタンの血統である’かのような誤解がうまれてしまったと考えられるのです。
 しかし、‘原罪’や‘サタンの血統’が作用しているのではないということは理解する必要があると思います。

 さらに追求していくとかなり長文となってしまいますので、とりあえずWatcherさんには(統一原理+統一思想)-(原罪神学+血統転換思想+朝鮮型儒教)=現代最高の思想という考えだけお伝えしようと思います。

画期的な見解

神々の黄昏さん

ご丁寧な回答をしていただき、有難うございます。コメント内容に関しては、個人的意見としても100%同意致します。

「原罪の血統的遺伝」、「メシアを迎えるための基台の造成」、「メシアによる血統転換の必要性」等々は、もとより、文師の思想の根幹をなす神学的概念ですが、あえてこれらの概念を否定しつつも、統一原理、統一思想の持つ普遍的価値観に立脚した見解は、まさしく画期的なものであるといえます。

Re:無原罪と人格完成の関係について

米本さん
こんにちは

>人格完成と関係ないというのであれば、原罪があろうがなかうが、あんまし関係ないのでは?

コメントの問いかけに少し考えてみました。
私なりに思うところを記事に書いたので、よかったらご覧ください。

「井の中の蛙」になりがちな教会員ですので、
外の人からみた素朴な疑問は、よき刺激になります。

少し記事を修正しました。最終更新(2013/8/11 19:10)

Re: Re:無原罪と人格完成の関係について

プームチャイさん
>コメントの問いかけに少し考えてみました。
私なりに思うところを記事に書いたので、よかったらご覧ください。

 プームチャイさんの当該記事は以下です。
http://ameblo.jp/poomchai/entry-11590530666.html

 ぜひぜひ、ご一読を!とても興味深い。

 スコラ、机の上の神学論争を抜きにして、具体的現実的に考えると、とても刺激される文章です。

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