法的真実は必ずしも「真実」ではない!
ストーカー事件の真相(27)
上告棄却
最初に残念なことを報告しておく。
宇佐美さんの上告は棄却となった。
宇佐美さんはショックを受けただろうが、私にとっては予想されていたことゆえ、心の振幅にいささかの変化もない。決して強がりではない。
・宇佐美有罪判決は憲法違反・最高裁判例違反(上)
・宇佐美有罪判決は憲法違反・最高裁判例違反(中)
・宇佐美有罪判決は憲法違反・最高裁判例違反(下)
これらの上告趣意書を丁寧に読めば、おそらくすべての人が宇佐美さんは無罪であると思うはず、そう確信するからだ。
それでもやはり有罪だと言う人がいれば、趣意書に反論すると同時に、有罪の根拠を示していただきたい。告訴人K、告訴代理人の山口広弁護士ならなお良し。受けて立つ!
憤慨あるいは嘆き悲しむ愛ある食口に注意しておく。今回の棄却をトウゲンだとか先祖の霊とかサタンだとかに起因させないで欲しい。非現実的なことを想う前に、神々の黄昏さんのように虚心坦懐に趣意書を熟読すべきである。
個別、宇佐美さんのことから離れ、なぜ上告棄却なのか。そのことに触れておく。
唐突だが、ブログ右メニューのリンク「静岡市立清水病院から被害をなくす会」に掲載されている「竹下裁判-上告棄却の理由」に目を通してもらいたい。
この裁判には私も静岡地裁段階から関わっており、裁判の詳細は熟知している。講談社の月刊『現代』で記事にもしたことがある。
竹下さんの裁判でも、地裁、高裁判決は明らかに「憲法違反」だったのだが、最高裁は「(判決に)よほどの憲法違反がなければ」上告を受理しないということなのだろう。(「●最重要!竹下裁判の深層(キーポイント=病理診断の不存在)」参照)
宇佐美さんの上告趣意書でも「憲法違反」(憲法第12条違反)が明記されており、説得力あるものであったが、やはり「重大な憲法違反ではない」と判断したと思われる。
上告棄却の仕組み
上告件数は年間数千件。
(「数字で見る 最高裁判所」を参照。ここでは「上告など」として8000件となっている)
上告を受理するか棄却するかは、40人の「最高裁判所調査官」(超エリート)が書面だけで判断する。
数千件の上告をわずか40人が裁くのである。
1人あたり年間100件以上。労働日を年間200日とすれば、2日に1件の割合で(年間8000件とすれば、毎日1件)、受理か棄却かを決めていく。
テキパキ判断していかないと、滞留してしまう。
推測でしかないのだが、調査官は上告趣意書・理由書から「憲法違反」の用語がある記述部分のみを読み、憲法違反に該当するかどうかを判断しているのだと思われる。それでグレー、“上告受理のやや見込みあり”となると、下級審の判決文を読み、さらに黒(上告受理)に近くなると、証拠書面のすべてを精査する。
そうでなければ、膨大な数にのぼる上告申立を円滑に処理することはできないだろう。
話はそれて個人的なことになる。
講談社の雑誌に書いた記事が名誉毀損(民事)で訴えられたことがある。今から20年近く前のことである。
京都地裁は全面勝訴、大阪高裁で逆転敗訴。それで最高裁に上告した。
しかし待てど暮らせど、いっこうに連絡がこない。上告棄却の通知が届いたのは4年後のことだった。
その当時と比べると、近年は上告から1年前後で結論が下されているようだ。調査官の処理能力がアップしたということなのだろう。
話を戻す。調査官は手抜きしているのではないか。そう思う人もいるだろうが、書面に記載されたすべての書面(甲〇号、乙〇号)に目を通そうとすると、とても40人では足りないのだ。
それゆえ、「憲法違反」の根拠が述べられたところだけを読んで判断せざるを得ないのだろう。
これには功罪がある。
上告する場合、弁護士は必ず「憲法違反」を主張する。重大な事実誤認があるというだけでは、最高裁は事実審でなく法律審ゆえに、端から棄却されてしまうからだ。
そのために、明らかに、屁理屈的、牽強付会的に憲法違反を述べるケースもある。
そうした主張に最高裁がいちいち取り合っていたら、司法は円滑に進まない。だから、ある程度の「荒ぶるい」にかけるのはやむを得ないだろう。
一方、罪のほうである。
それは“軽微な憲法違反”は、「本件上告理由は、理由の不備・食違いをいうが、その実質は事実誤認又は単なる法令違反を主張するものであって」(前述の「竹下裁判、ワンパターンのセリフ。根拠は一切示されない)として棄却してしまうことだ。
憲法違反に「軽微」も「重大」も「よほど」もないはず。憲法違反は憲法違反である。
法改正して、最高裁判事(15人)と調査官(40人)の人員を二倍にして厳密に審査すれば、下級審の判決は憲法違反だとして、上告を受理するケース、結果として逆転判決が増えるのは間違いないだろう。
最高裁の権威を貶める
宇佐美さんの上告趣意書では「最高裁の判例違反」を上告理由にあげている。(「宇佐美有罪判決は憲法違反・最高裁判例違反(上)」 )
原審判決は,控訴趣意書39頁にて述べたとおり,最高裁平成15年12月11日判決(平成15年(あ)第520号)におけるストーカー規制法の合憲性に関する判断と,明らかに相反する判断をしている。
(「最高裁平成15年12月11日判決」は←をクリックすれば、読むことができる。ただし、全文ではない)
すなわち,上記最高裁判例は,
「ストーカー規制法は,ストーカー行為を処罰する等ストーカー行為等について必要な規制を行うとともに,その相手方に対する援助の措置等を定めることにより,個人の身体自由及び名誉に対する危害の発生を防止し,あわせて国民の生活の安全と平穏に資することを目的としており,この目的は,もとより正当である」
としたうえで,
「ストーカー規制法は,上記目的を達成するため,
①恋愛感情その他好意の感情等を表明するなどの行為のうち,
②相手方の身体の安全,住居等の平穏若しくは名誉が害され又は行動の自由が著しく害される不安を覚えさせるような方法により行われる社会的に逸脱したつきまとい等の行為を規制の対象とした上で,
③その中でも相手方に対する法益侵害が重大で,刑罰による抑制が必要な場合に限って,
④相手方の処罰意思に基づき,刑罰を科すこととしたものであり」,
その法定刑も特に過酷ではないとして,ストーカー規制法による規制内容は,合理的でやむを得ないものであり合憲と解した。
つまり,上記最高裁判例は,ストーカー規制法の目的を正当としながら,その目的を達成するための規制内容については,①ないし④のように,合憲限定解釈をした上で合憲としたのである。
しかし,これに対し,原審のストーカー規制法の解釈には,以下のとおり,上記最高裁判例の行なった限定解釈とは相反する部分がある。
「最高裁判例違反」も「憲法違反」と同じように上告受理の理由足り得るが、最高裁判所調査官はこの記述を読んで、看過できないような判例違反ではない、と判断したのであろう。
しかしながら、法治国家の日本で最高裁の判例は下級審ばかりか全国民・全法人が最低限遵守しなければならない、いわば「最高峰にある判例」である。
最高裁の判例が軽んじられるようなことがあれば法治国家とは言えないし、極論すれば国は無政府状態になってしまう。「たいした判例違反ではない」という調査官の判断は、最高裁の権威を自ら貶めているのに等しい。
法的真実と真実
これまで縷々述べてきたのは、雑な審理が行われており、そのことによって宇佐美さんの上告が不当にも棄却されたのだということを主張したいためではない。
仮にそんな不満を述べたとしても、上告棄却が決まった今の段階では何の意味もない。ただ、一般的知識として上告受理の仕組みと上告の処理のされ方を知ってもらいたかったからである。
すなわち、まっとうな上告であっても、棄却されてしまうことがあり得るということなのである。
棄却の報を聞いて、私の心にいささかの変化も起きなかったのは、宇佐美さんのストーカー事件の下級審の判決が「法的な真実」となっただけで、形容句のつかない「真実」になったわけではないからだ。
補足説明をしておく。
再審請求で最高裁判決が覆ったことがしばしば話題になるほどに、また国民の司法への不信に危機感を抱いた司法行政当局が裁判員裁判制度を導入したほどに、最高裁の判断すなわち「法的な真実」が必ずしも「真実ではない」ことが明らかになりつつある。
一国民の立場に立って、「冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件」に是非、目を通してもらいたい。これだけの冤罪事件が起きてきたのだから、国民も「法的真実」と「真実」との違いに気がつきつつある。次の言葉はもはや命題とさえ言っていいだろう。
<法的真実は必ずしも真実ではない。真実は必ずしも法的真実とはならない>
宇佐美さんの上告棄却の報を聞いて、宮村氏によって子どもを強制脱会させた家族の人たちは「ざま~みろ」と思うだろうが、それはあまりにも単純、狭視的すぎる。
自分の子ども(男子)が痴漢で捕まったことを考えてみればいい。
いくら無実であっても、有罪判決となる可能性は高い。例外(画期的な判決)はいくつかあるが、痴漢(男女関係に関わる事件)の場合、冤罪だと控訴しても上告しても、棄却となる。
そうしたことも視野に入れて、「上告棄却」のことを考察すべきである。
ちなみに、私は子どもに満員電車に乗るときは「両手を上にあげるように」と話したことがあった。別冊宝島『暴走する検察』で、痴漢冤罪事件を取材して、その数の多さに驚き、自衛手段が必要と思ったからである。
私と同じライターは、痴漢冤罪(控訴・上告いずれも棄却)で、函館刑務所に10ヶ月間収監された経験がある。
彼の話を聞いてから、彼が逮捕された電車に実際に乗り、痴漢が可能かどうか調べてみたことがあった。
朝の8時前に池袋駅に到着する新宿行きの埼京線である。停車時間はわずか1分。ものすごい人の波。乗る人と降りる人との格闘で、とても女性を触ることなどできない。彼が痴漢したかどうか以前の話、物理的に!痴漢は不可能だった。
裁判官も、同じようにその電車に乗ってみたら、そく無罪判決を下していたであろう。
裁判官は検事と弁護人の弁論をもとに判断するだけ。法廷の中から外に出かけて調査することはない。今の裁判のやり方では、法的真実と真実、言い方を換えれば、「法廷の中の真実」と「現実社会の中での真実」とが乖離する場合があり、2つの真実は必ずしも一致しない。
こうした説明を、宇佐美擁護のための牽強付会な言い訳だと思う方がいたら、先にリンクした「冤罪事件及び冤罪と疑われている主な事件」の一覧表に再度、じっくり目を通していただきたい。
また、雑誌『冤罪file』の説明にも目を通していただきたい。冤罪だけをテーマとした雑誌さえ誕生しているのだ。
【関連サイト】「冤罪事件専門雑誌編集局公式ブログ」
*宇佐美さんには、この雑誌に是非投稿してもらいたいと願っている。
呵責すべき良心、あるやなしや
上告が棄却された現在、「真実が法的真実になる」には再審請求する以外にない。
前述の竹下裁判でも、再審請求できる証拠(最新のDNA検査で癌ではなかったという鑑定書)があれば、下級審の判決(法的真実)は覆るわけだし、宇佐美裁判とて同じである。
宇佐美さんの場合、「再審請求できる証拠」とは何か。
たとえば、告訴人や告訴人の家族が宇佐美さんを犯罪者にしてしまったという良心の呵責に苦しみ、近しい人に「実は、あの事件は・・・」ともらし、それが公になるとか。
そうしたことは考えにくい。
真実を知っている関係者たちは、不都合な事実を胸の奥底にしまいこみ、墓場まで持っていくしかないだろう。
「ストーカー事件の真相」は、どんなことがあっても、統一教会がつぶれようが、絶対に漏らしてはならないのだ(再審請求に時効はない)。
真実を一切、口にすることができない。ふつうの人なら精神的に耐えがたいことだが、故宿谷麻子さんたちに心的傷害を負わした清水与志雄&黒鳥栄牧師のように、呵責すべき「良心」がなければ、記憶から一切を削除して、何ともないのかもしれないが。
さて、長い前口上を終え、法廷にあがってきた証拠、また仄聞情報、経験則から、今回の事件を再構成(構造の絵解き)していきたい。なお、これまで弁護人・検事の冒頭陳述から上告趣意書まで膨大な書面をアップしている。どうしてもそれらと重複せざるを得ないが、煩雑かつ長文になってしまうため、できる限り省略する。(左メニューのカテゴリー「ストーカー事件の真相」で確認してもらいたい)
まず、私がこれまでに書いた3つの記事に目を通してもらいたい。裁判が始まる前に綴った推測記事である。
①「すべてを疑え-信者はなぜ脱会者につきまとったのか」
②「宇佐美氏が真実を語る」
③「事件の鳥瞰図-構造の絵解きに迫る」
この中の「事件の鳥瞰図」は、すべての裁判が終わったいま読んでも、推測記事にしてはいい線をいっていると自負する。
詳細は次回以降で述べるが、結論から述べておく。
宇佐美さんはストーカー犯に仕立て上げられたのである。
誰によって?
告訴人Kとその両親、告訴代理人の山口広、Kを強制説得した脱会屋の宮村峻、荻窪警察署の公安刑事・松岡、警視庁公安刑事の福山。これに、彼らの“広報官”有田芳生が脇役で絡む。さらにその脇役、カルト新聞の田中清史(エイト)も関係する。(敬称略)
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- [2013/05/30 12:45]
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コメント
宇佐美さん
米本さんの詳細な説明で上告棄却に至る背景は分かりましたが、だからと言って到底納得できる訳はありません。
当事者の宇佐美さんの気持ちを思うと、かける言葉も見つかりませんが、とにかく心機一転出発され、これからの人生が幸福な人生となることを祈るばかりです。
それではストーカーと取られても仕方のないことだと思います。
やり方が間違っていたと言わざるを得ません。
検察に付け込まれるようなことをした宇佐美さんにも非がありますよね。
今後はこういうことはしないでもらいたいものです。
教会全体が迷惑しますからね。
宇佐美さんの上告棄却の件
このタイトルでお願いします。
Re: 宇佐美さんの上告棄却の件
私はブログで、次のように書きました。
>これらの上告趣意書を丁寧に読めば、おそらくすべての人が宇佐美さんは無罪であると思うはず、そう確信するからだ。
それでもやはり有罪だと言う人がいれば、趣意書に反論すると同時に、有罪の根拠を示していただきたい。
aさん、控訴趣意書を読んでから投稿してくださいな。
婚約者が突然行方不明になった場合、その行方を探すために関係者の車にGPSを無断設置するのは、決して否定されることではありません。また違法行為でもありません。
もし、資金的に余裕があるなら、興信所に依頼するでしょう。興信所は当然GPSを使います。
GPSの設置は浮気の調査ではよくやられていること。何の問題もありません。
そもそもGPSの設置問題は、以前に書いた3つの記事及びそのコメント欄でも話題になったことで、もう終わっていることです。裁判の主要な争点にもなっていない。
宇佐美さんに非があるようなことをコメントされるのであれば、繰り返しになりますが、地裁、高裁判決文を含め書面をきちんと読んでからにしてください。
良心無き商売人達
宇佐美さんの上告は棄却されてしまったとのことですが、その不条理な結果を受けて、その結果を生み出した様々な背景に対しての不快感は増す一方です。
・ 弱者を食い物にする、成績目当てのダメ公安警察の横暴を許してよいのか。
・ 公正、正義を旨とする裁判官の汚れた判検癒着を認めてしまってよいのか。
・ 拉致監禁という重大な人権蹂躙行為を脱会屋牧師が実行しているにも関わらず、その問題が全く問題にされなくてよいのか。
・ 疑いもなく冤罪を被った一教会員を、人類一家族を目指す教会が声を上げることなく、黙って見捨ててもよいのか。
・ 明らかに憲法違反である判決であるにも関わらず、最高裁判所の都合で上告が棄却されてもよいのか。
米本さんが「上告棄却の仕組み」を説明してくださいましたが、現実問題としまして一人の罪もない青年を犯罪者に貶め、その人生を踏み躙ってしまった訳ですから その裁判制度の矛盾はもっと大きく問題にされてもよいはずです。
裁判員裁判制度の導入に関しては、将来に向けて米国の陪審制を試験的に試しているのだろうかというぐらいにしか捉えていませんでしたが、判検癒着の疑惑の問題を考えると かなり意義のある制度に思えてきました。
特に、ストーカー事件のような 民間人の感覚の方がより敏感に善悪を判断できる犯罪の裁判では むしろこの裁判員裁判制度を主流にすべきなのではないでしょうか。
米本さんが示してくださったように、冤罪事件、またその疑いのある事件が数え切れぬ程ある訳ですから、裁判員裁判制度の導入は当然で、日常生活に密着した事件に関しては その制度を拡大させていくのは必須であると思われます。
また、上告を受理するか棄却するかを決定する最高裁判所調査官が40人しかいなく、「重大な」憲法違反がない限り、上告は棄却されてしまうという実態にも驚かされました。
そのような実態があるのであれば、米本さんが「心の振幅にいささかの変化もない」と言われるのは尤もです。
宇佐美さんの有罪判決は執行猶予付きですから、もしかしたら その重罪ではないという理由だけで、手短に棄却されてしまったのではないかと穿ってしまいます。
しかし、不快感という表現だけで済まされないのは、この問題の隠れた悪玉である拉致監禁牧師の犯罪行為です。
本来はその被害者である元教会員を別人に変え、裁判の告訴人に仕立てて 直前まで婚約者だった善良な青年を訴えるという「やらせ裁判」まで演出させる悪辣さであり、それによって自分の犯罪までかき消してしまうのですから悪質としか言いようがありません。
これらの拉致監禁牧師について、私は以前 統一教会に対する宗教的対立者として捉える書き方をしていましたが、その動機的割合から考えれば、謝礼目当ての動機のほうが遥かに大きいように思えてきました。
さらには、政治的思想の対立者としていた反対派弁護士達も 金儲けの動機が勝っているようにも感じられてきました。
何故なら、現在の統一教会は対立者として取るに足らない存在だからです。
旧来のクリスチャンが斬新な魅力を感じるような世界観を示すこともできないし、冷戦の終結と統一教会の北朝鮮接近という政治的背景の変化によって、体制派とも言えなくなったし、その宗教的、あるいは政治思想的な対立者として 脅威に感じるほどの存在ではなくなってしまったということです。
ただ、その「カルト宗教」的問題点を利用しての、信者の親族からの金儲けは可能だということで、統一教会の信者を拉致監禁したり、それを容認して裁判を起こしているように思われてきました。
そう考えると、例の統一教会分派の詐欺師も、拉致監禁牧師も、山口広弁護士も、知ったかコメンテーターあがり代議士、有田氏もみ~んなお仲間に見えてきました。
彼らに共通するのは「呵責すべき」良心がなく、金銭欲あるいは社会的成功欲という俗欲だけは強いということです。
ただ、これらの人達は良心が麻痺しきった確信犯ですが、良心の止めるはずの一線を超えて、善人に無実の罪な擦り付けた人々は心情的な悔悟を経ずして良心を取り戻すことはできないでしょう。
冤罪
容疑を認めて3万円ほどの罰金を払って泣き寝入りしていさえすれば、会社も辞めず、離婚することもなく済んだのに、無実を訴え闘ったことで、すべてを失うことに…。
「チカンだ」「ストーカーだ」と言ったもん勝ち。おかしな世の中です。
宮村らによってストーカー犯にされてしまった宇佐美さん。今後、どうなるのか。
それが心配です。
後藤裁判で、宮村の一連の拉致監禁を認めさせ、宇佐美さんの無念を晴らしましょう。
宇佐美さんの上告棄却の件2
今度からは気を付けてもらわないと。
裁判に教会の人員も割かれていますし。
マスコミによって教会全体がストーカー集団と宣伝されているのは、我々真面目な教会員の活動にとってマイナスですよ?
Re:宇佐美さんの上告棄却の件2
そうだとすれば、aさんのコメントを読んだ方は、統一教会の食口はなんて愛がないのかと思うのではないですか。
祝福を守ろうと必死になり、マスコミや当局の誤りに対して闘っている宇佐美さんの気持ちに寄り添うことができない教会なら、私は即刻脱会します。
ニュース!!
http://entamegeinounotubo.seesaa.net/article/363604132.html
統一教会の拉致監禁にも関わる「洗脳利権集団」の悪巧みがついに白昼に晒される!?。
注目です。
Re.宇佐美さんの上告棄却の件2
だいたい、ストーカー事件に公安が出張り、容疑段階で犯人のようにマスコミに報道された異常性を考えると、宇佐美さんが個人として逮捕されたとは考えにくいです。
宇佐美さんの事件がこのままならば、次には統一教会員のだれでも、ストーカーに仕立て上げられる可能性があると私は考えています。だから、宇佐美さんのことは他人ごとではありません。
裁判に負けてしまった敗因の一つは、統一教会のメンバーや責任者が事件のことを誤解し、よく調べもせずにaさんのように判断していることだと思います。
いまだにそうであるのが嘆かわしいです。
後藤さんの裁判で反対派のことが正確に社会に知らされて、宇佐美さんの冤罪を晴らす闘いができることを願っています。
後藤裁判と宇佐美裁判は双子の裁判で切り離すことはできません。
ご無沙汰しております
上告棄却 残念でしたが、あの裁判を見学している私には、そうだよね。。と理解できてしまう結論です。
Kさんとは人生の明暗わけました。もう5年以上たっていますが、思い出さない日はありません。今は夢に出てくる事も全くありませんし、戻ってくると希望をもっている訳でもありません。
宮村から捨てられた時 もう一度友人として 信仰ぬきに話したいと思っています。見捨てられた情報、首を長くして待っています。
宇佐美さんは本当に気の毒です。米本さんには怒られそうですが、これは一面からみれば、トウゲンとしかいえませんよ。だからといって、人ごとではなく、所属や教会のせいだけで、おわりにしたくはありません。トウゲンという言葉だけで、解決する問題ではないですよね。
私には、青年連合だった梶栗お兄さんが、裁判が終わっても、宇佐美さんをじっとみつめて、席をなかなか離れなかった姿が忘れられません。
こうしてシックでもないのに、どこまでもこの裁判や拉致監禁を追い続けてくださる米本さんに 心から感謝しています。おかげで日々生活に追われても、意識しながら、人に伝える事もできます。悔しい気持ちに立ち返ることができます。ありがとうございます。
改めて今後ともよろしくおねがいします。
裁判に負けた宇佐美さん。裁判に勝って人生に負けた?ケメ子とゆかいな仲間たち。
やっぱり駄目だったんですのね。もしかすると、1パーセントの奇跡ってあるかも、と思っていた私・・・
これで、私たち統一食口が統一教会員だと世間にばれた(そう、普段はみんな隠してるからっ!)あかつきには、軽微な罪で厳罰に処せられたり、見せしめに罪をでっち上げられ、犯罪者のレッテルを貼られる可能性が大いに出てきた、ってことが証明された訳ですわね。
食口の皆様。これまで以上に慎重に信者であることを隠しましょう!!
特に2世をお持ちの方っ!!子供が宇佐美さんの二の舞にならないとも限りませんっ。
(なんてね。そういえば証して伝道ってどうなったのかしら。)
裁判に負けて、犯罪者のレッテル貼りをされた宇佐美さん。これからどうやって生きて行くのでしょうか。私、宇佐美さんのことは全く存じ上げないんですけどね。改めてよね様ご指摘の記事を読み直してみましたら、本当に男前な方だということが分かりました。
ちなみに、うちのダーリン、チャーリーに、「もし、痴漢の罪で警官から責め立てられ、認めたら会社も首にならないし、罰金だけで済んで、家族も安泰だよ~ん。」とかって言われたら、どうする?って聞いてみました。
すると、やってなくても認めちゃうかも、と申しておりました。
そんな、男前じゃない答えをしたチャーリーを・・・私、愛してます。(きゃっ)
っていうか、そうしちゃってもしょうがないかな、と。多分訴えられたら、常に精神的にギリギリの状態が続くんでしょうから。
宇佐美さん、何とかこの背中に貼られた身に覚えのない罪のレッテルと折り合いをつけ、生きて行くしかありません。
しか~し、今回勝利した、ケメ子とゆかいな仲間たち。
え?ケメ子って誰、って?
原告Kのことを、私勝手にこう命名させて頂きました。
なんか、「元カノ」っていうのもよく考えたら変だし、「元婚約者」っていうとまどろっこしいし、「原告K」っていうのも、イカさない米国映画のタイトルみたいだし。K、だからケメ子。そしてその協力者たちをまとめて「ケメ子とゆかいな仲間たち」!!(敬称略)
ってか、主役は「ゆかいな仲間たち」の方で、ケメ子が協力者なのか。まあ、どっちでもええわ。
今頃六本木辺りのこじゃれたイタリアンレストランで祝杯くらいはあげてるんじゃないでしょうか。
ケメ子(しつこいようですが、敬称略)はマザーをしていたという、教会内のアベルの位置にあった人物。このマザーという立場、ちょっとやそっとでなれるもんじゃーありません。
いつだったか、コメント欄に統一教会員の特徴として「自分の意見を持たず、他人に依存しやすい、流されやすい人」みたいな見解を述べられた方がおりまして、それに対してよね様、「そうだったんですか」みたいなご返答をなされたことがありましたっけ。
実は、私、ちょっと違った考えを持っておりまして、統一教会に溶け込んでいる人の定義とは、「強力な意志の力をもって、自己及び他人に対し、み旨を強要出来る人」というのじゃないかな、って思っているんですの。つまり、彼らは単に他人の意見に流されやすいというようなものじゃなく、逆にものすごい意志力を持ち、それ故にみ旨を完遂するためには、時に自分の良心すらも欺くことが出来てしまう、ってことじゃないかと。つまり、そこまで非情になれないとアベルの位置には立てない、それが統一教会というところなんでございます。(あくまで、黒羊の私見ですが。)
そして、よね様は鋭い洞察力を持って、カルトと反カルトの類似性を看破されましたが、そんなアベルの位置にいたというケメ子氏。統一教会から拉致監禁によって引き剥がされると、今度はこれまた優秀極まりない反カルト同盟の同志へと容易に鞍替え出来てしまったってことなのでありますっ。(ええ、多分)
ですから、元々強力な意志力を持った彼女が、統一教会を貶める為、元婚約者の宇佐美さんを罪に陥れるのに、良心の呵責を感じてないのはありうることだと思います。
でもね。これから宇佐美さんは人生において、普通の人以上の努力、忍耐、苦労を背負って生きて行かざるを得ないのでしょうが、それでも、よね様の全ての資料から、彼の清々しいともいえる男前振りは窺い知れます。大変でも、正直に、まっとうに生きようと孤軍奮闘している宇佐美さんは、やはり誠実さを持った人を近付ける力をお持ちである、と私推察しております。そういう人は必ずや、幸福を引き寄せることが出来るだろう、と。
対して、公的な権力を使って卑劣極まりない手段で、他人を陥れた「ケメ子とゆかいな仲間たち」。これから、大変です。
統一教会の、あんなこと、こんなこと。あれこれありますわね、汚いことが。でも、その汚いことを憎んで、自分も汚い手を使って懲らしめるとすれば、そ奴らは自分たちが憎んでいる敵よりも、もっと汚くなってしまう、ということが分からなかったらしいですわ。
今は、良心の呵責をおぼえていなかったとしても、人間ってのは幸福度が上がるたび、良心度(?)も上がっていく、という法則があります(多分)。ですから、私ね、ケメ子氏のことを幸せになってほしくない、とかって思ってる訳では決してないんですけどね。この法則に基づくと、ケメ子氏が幸福を掴むってのは、宇佐美さんとは比べ物にならないくらい険しい道のりになるのではないか、と懸念しておりますの。
例えば、ケメ子氏がどっかの誰かと華燭の典を挙げる時、その人との子供を出産する時、その子供を育てていく過程、人生の様々な場面で、自分が誰かを陥れた、騙した、嘘をついた、等というマイナス的な過去が心にのしかかってくることは、免れ得ないんじゃないのかしらって。そしてね、誰にも自分の罪を知られなかったとしても、法的に被害を認定されたとしてもね、虚偽は虚偽なわけ。絶対に自分の心は欺けない。そうすると、てこでも自分の罪を認めまい、と無理な虚勢を張って(よね様が一生っておっしゃったようにね。)生きていくか、ドストエフスキーの「罪と罰」の主人公のように、幸福感に満たされる度、身をよじる様な良心の呵責に苦しむことになるんですの。
こんな苦痛な人生、私だったら送りたくはありません。だから、正直に生きるのが結局一番得な生き方だって思うんですの。その時損をしても、苦しくてもね。
お父様もおっしゃってましたわよね、「良心は両親に勝る、良心は先生(お父様)に勝る」でしたかしら?
ケメ子氏は統一教会から鮮やかに反統一教会に転身し、「み旨」(ある意味、今回の裁判は反統一教会のみ旨、といってもよいでしょう)の為に自分の良心を捨てて、その「組織」に尽くす、という人生の選択をした、って私思います。まさしく統一教会時代と同じように。
いえいえ、私、ケメ子氏も存じ上げないので、実は温厚な人格者なのよ、っておっしゃる方もおられるかもしれません。ですが、アベルの非情さに苦しんできた私は、非情さが無い、もしくは薄いって人は、アベルの位置に立ち続けることが出来ないっていう事例を、厭というほど見てきてますの。ですからね。あくまで、推測ですけれどね。
統一食口の皆様、そうね、まず、一番お得な生き方、「正直に生きる」の第一歩ですけど、自分は統一教会員でありますっ、と世間様に宣言する、などという高等戦術をワタクシ、お勧めはしませんで、まずは、所得を正しく申告し、きちんと納税するということから始めたらいかがでしょう?
え?なぜ、いきなり納税の話、って?
だって、私の周りに自営業の食口がすごく多いんですけど、所得を過少申告して、公営住宅の家賃、保育所の保育料等をずるして安くしてる人が多いから、ですの。そして、それを自慢げに周囲に吹聴してるからっ。
そんなところで、正直にならないでくださいませね。
そして、ケメ子とゆかいな仲間たち。(再び敬称略)ご自分たちは裁判に勝利したって思ってらっしゃる(てか、事実として勝ったことは間違いございません。)でしょうが、思いもかけないところで実は負けていた、と後で気づくことのないよう、まっとうな人生を歩み続けて下さいませ。
注;宅はサラリーマン家庭の為、脱税は自動的に出来ないようになっております。
黒い羊さんの投稿を読んで
全く同感です。日本だけではありませんから、これ。
『カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい』(マタイ福音書第二十二章二十一節)
イエス様も脱税はいけないとおっしゃっています。文先生も3/10献金は税金と同じであると語られたと聞いています。1/10は自分の住んでいるところ、1/10は国、1/10は世界のために使うお金だと聞きました。
それで、調べてみたら大体所得の10%くらいが地方税や所得税になっているようでしたので妙に納得して、世界のための1/10に割り切りました。3/10に挑戦してみたものの、それでは生活が破綻してしまうので、お世話になっている国や地方に今は支払うのが義務で、神様の国ができた暁にはそこへ移り住んで今まで通りの生活ができるじゃんと思ったからです。
あの頃は、まだまだ単純でした。今もそうかもしれませんが。
文先生が予期せぬ聖和をされ、今まで以上に神様の理想を具体化していくことの難しさを実感する日々です。
税金が思わぬ使い方をされ激しく憤ったとしても何ともならないのと、献金が思わぬ使い方をされているのととても似ています。
それでも、政府を信頼して義務を果たすしかないのが国民であるのと、裏切られても裏切られても幹部を信頼して献金するしかない宗教者も似ていますね。
黒い羊さんのおっしゃるように、自分に誠実に生きるところからが出発だと思います。
まずは食口は家を掃除して教会を掃除して、そこにいたくなるような家庭や教会を作らなくては、二世も三世も生まれた時から不幸です。
自分に正直に、そして毎日お掃除して(家も自分も)、おいしいお食事を作って花も育てて楽しく暮らせば、そこから天国が始まります。
ケメ子が出産?
だってね~
ケメ子、もういくつ?
40近くない?過ぎた?
女の生殖可能年齢は非情。
卵子の老化も非情。
はっきり言おう!
統一内でマザーと呼ばれていたかもしれないけど、この世でマザーと呼ばれることはない。
悲しい事実。
ケメ子の父ちゃん、母ちゃん。
ケメ子が母になるチャンスを奪った罪は重いぞ。
それに比べ、
うさちゃんは男だから・・・
これから父となるチャンスはいくらでもある。
後藤のとっちゃんも、40代後半で父になったわけだし。・・・
ああ、神様ってなんて不公平。
女にも男並みの生殖能力があれば、少子化解決するのに。
犠牲と蕩減は別物
宇佐美さんの祝福を受けた婚約者が拉致監禁されて棄教し、その婚約者と直に話し合いたいと3年近くも探し続け、挙句の果てに 悪人達の手によって宇佐美さんが冤罪を被ったという事件は 断じて「蕩減」ではありません。
もし、それが蕩減だと言う人がいるのなら 是非答えてください。
・祝福家庭が引き裂かれるというのは、いったいどんな蕩減条件なのですか?
・主体的に目的を定めて条件を立てなければ、ただ、災難を被ったというだけでは それは蕩減条件とはなりません。宇佐美さんは何の目的で、どのような条件を立てたというのですか?
・蕩減条件とは基本的に善なる行為によって罪を清算する為の条件です。今回の冤罪に関与した告訴人Kとその両親、告訴代理人の山口広、Kを強制説得した脱会屋の宮村峻、荻窪警察署の公安刑事・松岡、警視庁公安刑事の福山らが宇佐美さんにどんな善なる行為を行わせたというのですか?
・宇佐美さんの婚約者を拉致監禁し、宇佐美さんを有罪に貶めた悪玉の主役は脱会屋の宮村峻です。宇佐美さんが蕩減のために有罪判決を受けたと言うのであれば、彼の行為は必然的なものとなってしまうのですが、その行為は決して肯定できるものではありません。その矛盾をどう説明するのですか?
結果が悪ければ、原因を考えず、意味もわからず何でもかんでも「トウゲン」自分の前に立ちふさがる「矛盾」とは考えられない思考レベルの低さ。
良心的な人の純粋な動機を感知できず、自分の世界を中心としてしか他者の行為を判断できない視野の狭さ。
それは宗教人としての民度の低さを示す以外のなにものでもありません。
少し きつい言い方かも知れませんが、宇佐美さんと米本さんの心を察したら、そのように言わざるを得ません。
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双子の裁判
いろいろ触発されましたが、レスコメントは一つだけ(メンゴ、メンゴ)
ホーリーナッツさん
>後藤裁判と宇佐美裁判は双子の裁判で切り離すことはできません。
まさにその通りだと思っています。
様々な動きは有機的に関連性をもっていると考えています。
新しくアップした宮村氏の人物論は、成功したかどうかはともかく、有機的な連関性のことを意識して書きました。
ご一読を。
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