「反統一&拉致監禁諸派」による統一包囲網
統一教会の周辺びと(9)
緊急ニュース!新たな拉致監禁事件発生。末尾に掲載しました。(4月30日)
前回の記事で、元勝共メンバーの大西弘行(57)が統一教会の内部情報を、拉致監禁を容認する国会議員、有田芳生に流していたことを、具体的根拠をもって示した。
今回は、(1)大西と有田の関係の続報、(2)大西と拉致監禁派のつながり、(3)統一教会を中心に見た鳥瞰図、(4)韓定食の正体-について述べていくことにする。(文中敬称略)
有田の選挙を応援した大西たち
統一教会の分派組織・第4関係者が振り返る。
「岡本代表を田町のビルから追放するちょっと前のことだけど、衆議院選挙があった。大西はんがみんなに『東京11区の選挙区の人がいたら、有田さんに票を入れて』って言う。有田ったら、ムチャクチャ反統一でしょ。うちらは統一教会の教義解釈は間違っていると思っていても、敵というわけじゃないから、大西はん、変なことを言うなぁ、みんなそう思ったはず」
選挙とは、2009年8月に行われた第45回衆議院議員総選挙のことである。
有田は東京11区から新党日本(田中康夫代表)の公認候補として出馬し、自民党の下村博文と争った結果、敗れた。
この選挙で、大西はなんと有田の選挙応援までしていたというのである。
関係者が話を続ける。
「わしは行かなかったけど、大西はんは有田の選挙事務所に顔を出していたと聞きました。彼に忠実な数人が一緒に行ったんとちゃうか」
大西の拉致監禁人脈
再び、H氏の証言を再録する。
(引用はじめ)
2007年の田町時代に大西さんはたびたび有田芳生と会っていたと聞いた。
選挙の応援にも行ったり、4研のメンバーに有田に一票を入れるようにと話していた。
(略)
大西さんは、有田だけではなく、紀藤や渡辺などの反対弁護士とも交流していると言っていたし、反対牧師とも会っていたらしい。
警察関係の人にもよく電話でUCの情報を話していた。親戚に警察官がいると言っていた。
大西さんは公安情報にも詳しかった。
(引用終わり)
大西が有田を中心にどのように人脈を広げていったのかわからないが、それは瑣末なことだろう。それぞれに微妙な人間関係(好悪の感情)はあっても、「拉致監禁を手段とする統一教会員の脱会説得」を実践、あるいは積極的に容認している、大きく見えても小さな集団である。紹介の紹介で、人脈はいくらでも広がっていく。
反対派牧師は、岡山の高山正治だろう。これは確定しているが(彼のブログにそれらしきことが載っていた)、今利理絵、アントール美津子から2009年に提訴された清水与志雄(代理人は山口・渡辺・紀藤)もそうだろう。
弁護士の山口広、また有田の選挙を応援していた「全国統一協会被害者家族の会」のスタッフ(相談員は今利理絵から提訴された牧師・黒鳥栄)・・・。人脈はいくらでも広がっていく。
選挙事務所で、有田が大西を「家族の会」のスタッフに引き合わせた可能性を否定することはできまい。
ひと頃、私のことを執拗に批判していたハンドルネーム・SDG(違法プロキシ使いの名手。元二世の可能性が高い)も、大西グループ(第4乗っ取りグループの中で大西を慕う少数)の一員だろう。そのSDGは「カルト新聞」のエイトこと田中清史(彼は弁護士渡辺博と親しい)、また火の粉ブログを開設したばかりの頃、私にちょっかいを出し、私を嵌めようとした花屋の小林とも交流があった。
韓定食と一緒になって、私の清水批判に対して執拗に清水を擁護していた「北風と太陽」のブロガーkokoro(名古屋在住)も、清水に大西を紹介された可能性もある。
ブログ「北風と太陽」のリンク集には、韓定食のブログ「堕天使のトリック」が今も紹介されている。
この韓定食のブログのコメント欄には清水ととともに、モモン女史がよく投稿し、私の悪口(批判ではない)を書いていた。
友だちの友だちは友だち。嗤えるぐらいに、監禁仲間はみなお友だちなのだ!
事情通だったら、脱会屋の宮村峻もそうではないのかと思われるだろう。確かに、有田と宮村は同志ゆえ、有田によって紹介された可能性は高い。実際、宮村は有田の選挙を応援していたし、資金も提供(有田芳生後援会の収支報告書)している。
だが、宮村は統一教会のことは「俺が一番知っている」と自負している一匹狼的存在だけに、親分肌の大西とはウマが合わなかったはずだ。
<注>大西と交流があったのではないかと私に書かれ、そうではないという人もいるかもしれない。そうした人たちは「交流がなかった」ことを証明することはできない。(反証不可能)
そのために一方的に断定的に「交流があった」と書くのはアンフェアである。
ただし、「交流がなかった」のなら、そのようにコメント欄で書いてもらいたい。「交流がなかったことの根拠を示せ」(反証不可能)などといったことを書くつもりは毛頭ない。
統一教会弱体化戦略
みたび、H氏の証言の引用である。
「警察関係の人にもよく電話でUCの情報を話していた。親戚に警察官がいると言っていた。大西さんは公安情報にも詳しかった」
前出の第4関係者はこう話す。
「大西はんは、田町ビルで警察によく電話をかけていた。ときたま、『これから公安に会ってくる』と出かけていったこともある」
<注>警視庁公安(なぜか生活安全部ではなく公安!)は2009年2月に統一教会系企業「新世」を摘発した。大西が統一教会系企業のゆるやかな統括組織「さくら会」のメンバーから仕入れたネタが事件摘発の端緒になった可能性はないのだろうか。
ともあれ、このように見てくると、元勝共にして元教会員の大西が交流していたのは「統一教会を敵対視する勢力」ばかりということになる。
大西は、本部及び本部周辺の教会員と会い、内部情報を入手し、敵対勢力と交流してきた。
彼らが大西との交流で得るものは統一教会の内部情報。その意味で、大西と付き合うメリットは大きかった。
それに対して、大西には何かメリットがあったのか。
これだけは、どうしても謎である。
まさか、反対派弁護士をマルチの会員にさせようとしたわけではないだろうから、正直わからない。
公安なら、情報提供料として幾ばくかの謝礼金を払うかもしれないが、多くて1回、1万円程度だろう。
いったい、大西はどんな目的で、敵対勢力と交流してきたのか。
客観的にみれば、統一教会を弱体化させることが狙いだったとしか考えられないのだ。
では、統一教会が弱体化すれば、大西にはどんなメリットがあるのか。
物質的なものがないのであれば、あとは精神的なものしかない。消去法でいえば、憎悪に満ちた負の感情の充足感。すなわち統一教会を恨む元信にも共通する“隠微な喜び”を得ることだろう。それも通り一遍の喜びではない。
なにしろ、最低4年間にわたって、親鳥が雛にエサをせっせと運んでくるように、大西は本部及び本部周辺から情報を収集してきてはウリ坊に与えてきたのだから。
隠微な喜びの背景を知るには、大西が生まれ育った九州に飛ばなければならないが、教会員じゃあるまいし、そこまでのエネルギーはない。
視点を変えて、統一教会を中心に俯瞰してみる。パワーポイントで図式化すればいいのだが、ITオンチゆえ無理無理ベービー。少しばかり想像力を働かせてもらうしかない。
円の中心に統一教会。その回りには惑星の如く、様々な集団がいる。
中山グループ・大西や馬渕グループ・拉致監禁グループ・拉致監禁を容認する有田&弁護士グループ・櫻井義秀&中西尋子の学者グループそして公安警察。
注意を払わなければならないのは、中山グループ以外の、それぞれのグループ・組織は直接間接を問わず何らかの形で結びついているということだ。弁護士グループの親分である山口広、また有田芳生は公安と関係をもっている。
それにしても、もし統一教会を弱体化させたければ、正々堂々と言論で批判すればいいだけのことではないか。画面右メニューにリンクしているが、彼らはブログ「全国弁連」「脱カルト協会」「全国~被害者家族の会」を開設しているのだ。
しかし、これらの集団はそうした王道を取ろうとはせずに、陰険にして隠微な形で統一教会を弱体化させようとしている。覇道である。
こうした反統一&拉致監禁諸派による統一包囲網のことを現役教会員、ならびに「ブログ村の中のさらに小さい統一村」に閉じこもってピーチクやっている情けない食口ブロガー (すべてではない)は認識すべきである。
ちなみに、私のことになって恐縮だが、私が統一教会を批判するのは弱体化させようという意志なんてさらさらない。問題があるから批判する。それだけのことだ。
閑話休題
社会規範に照らし合わせれば、「大西⇒有田」の動きをはじめとする反統一包囲網は、倫理的に首を傾げざるを得ない。
しかし、反統一は統一教会と「戦争」をしている気分でいる。比喩的にではなく、彼らの主観では本気で戦闘状態なのだ。ここがおかしいところなのだが、自分たちが戦争状態なのだから、当然相手もそうなのだと思い込んでいるのだ。
実に滑稽なのだが、そのことを示すエピソードを一つ。
過日、後藤裁判で原告側の証人としてMKが出廷した。彼女は宮村にやられたため、なんとしても宮村を糾弾したく、裁判には積極的に関わっていた。
ところが、この怒りの気分感情が反統一にはまるでわからない。
MKに対して宮村代理人の木村壮は、MKが原告(後藤)の尋問を傍聴していたことに関して、「誰の指示で」「統一教会HPに報告記事を載せることが傍聴の目的だったのでは?」など、頓珍漢な尋問を繰り返したのだ。私が傍聴していたら、裁判官に注意を受けるほどの声で爆笑していただろう。
私も原告の尋問を聞くために、傍聴していた。おそらく、反統一諸君は私の松江-東京の往復代も教団が払ったに違いないと囁いていることだろう。
認識ラグは実に滑稽、ご苦労さんなのである。
【関連記事】証人尋問の報告ー追い詰められ涙で訴える被告側証人」
とまれ、一方的で主観的な戦争であっても、戦争には社会規範も倫理も関係ない。目的のために手段を選ぶことはない。拉致監禁によって教会員を引っぱがす(脱会させる)のも、陰湿なやり方で入手した統一の内部情報を暴露するのも、戦争を聖戦とみれば、すべては正義であり、許される。
彼らのこうした気分は、納得できなくとも、理解はしておくべきだろう。
しかしながら現実問題、拉致監禁は法律的には正義とは認められない。それゆえ、全国弁連の弁護士たちは「拉致監禁はなかった」と嘘をつくしかないのだ。彼らの気分はまあ嘘も方便といったところか。これについては、「拉致監禁by宮村の裁判記録」」で確かめてもらいたい。
もっとも、統一教会員がこうした反統一のやり方に反発し、「目的を実現するために手段は選ぶべきだ」と主張したいのなら、それは過去の反省の上に立ってからにしてもらいたい。
韓定食の正体は大西グループだ!
話を戻す。私の執念は「火の粉を払う」ことにある。
私に火の粉を執拗に吹きかけてきたのはハンドルネーム「韓定食」である。
【当該記事】「ミスターX。その人の名は元勝共連合の・・・」。中見出し断章その1-韓定食のことを参照。
こいつ、一体、何者なのか?
韓定食の仲間である「ミセス・キム(「拝啓 統一教会様」)の正体を暴く」を書いたのは、庭に椿が咲いていた3月中旬。今は牡丹が満開のゴールデンウィークだ。
この2カ月間で、私の認識も深化してきた。
韓定食の正体を探る旅はいよいよ終わりに近づいてきた。
結論から言おう。韓定食の正体は大西弘行とそのごく少数の取り巻きである。
その根拠を示そう。
その1・謀略本『秋の空』の出版に関わったミセス・キムは第4関係者である。そのミセス・キムの仲間である韓定食も第4関係者と見て間違いないだろう。
その2・ミセス・キムほどではないが、韓定食も足跡を残していない。火の粉ブログへのコメントを管理人の私が知らないうちに削除してしまっているのだから、徹底している。
大西も同じように足跡を残していない。彼のブログ「東西南北」は削除されている(完全消滅)。足跡は本部に残っているであろうメールアドレスぐらいだろう。すでに変更されていると思うが、メールアドレスから得られる情報はほとんどない。
唯一あるのは、写真に撮られるのが大嫌いだったという大西の一枚の写真(後方の右)だけである。
その3・韓定食は元監禁牧師清水与志雄と交流していた。私の清水批判に韓定食は執拗に反論していた。
大西は反対派牧師と交流していた。
第4イスラエルの主要メンバーは10人前後。韓定食と大西が別人物とは考えにくい。
その4・韓定食が残した唯一の足跡は、火の粉のコメントに残したIPアドレス。東京のネットカフェから投稿したでものだった。
(この投稿を削除できなかったのは、ネットカフェで投稿したときの、適当に記入したパスワードを思い出すことができなかったからだと思われる)
ここから自然に解釈すれば、韓定食は東京近辺に在住していた人物である。大西は2007年頃から東京に住んでいた。
なお、管理画面を眺めていて改めて気がついたのだが、韓定食は韓国から火の粉ブログのコメント欄に投稿していた。立派にIPアドレスを残して!
わざわざ東京の場末のネットカフェから投稿し、それでいながら、韓国から堂々と(あるいは韓国の知人に頼んだのか)コメントしてくる。これは目眩ましであり、韓定食複数説、つまり韓の正体は大西グループを窺わせるものである。
【当該コメント】「怨念記事の感想」。投稿日は2011年7月30日。韓国からのIPアドレスは「220.72.79.87」。
その5・このシリーズでよく登場するのは2人。馬渕と大西である。2人の人物象を第4関係者に聞くと、「力関係は大西が上だ。馬渕には宗教性があるが大西にはそれが感じられなかった」という。
ミセス・キムと韓定食のヤラセトークで、韓定食がこんなことを述べていた。
「私は無宗教なので、第4イスラエルのことは分かりません」
これは、自分の正直な気持ちを述べたものではないのか。
前の私の見方と齟齬が生じるが、素直に受け止めたほうがいいと認識するようになった。
第4関係者で、宗教性がないのは大西である。だから、何の違和感も覚えず、後ろめたさもなく、拉致監禁諸君と交流することができるのだろう。
総括すれば、韓定食の正体は大西か(単独)、大西とそのグループか(複数)、あるいは大西を慕う奴か(単独)のいずれかであろう。
このどれかを特定する必要はもうないだろう。大西あるいは大西たちが火の粉を振りかけてきた。それだけで十分である。また火の粉にやってきたら、プロバイダーにブロガーの正体を明かすように松江地裁に情報開示請求すればいいだけのことだ。
統一教会の行方
拉致監禁される側の日本・統一教会は内憂を抱えている。
王であった文鮮明氏亡きあとの後継者問題。台頭してきた全羅道の重臣たち。王妃が心酔する清平の霊媒師の存在。日本・統一に直接献金要請をするようになった王妃。
こうしたときこそ、「統一教会の周辺びと」が本領を発揮するときである。
鳴りを沈めている大西は何を考えているのか。
水面下で新たなKグループが形成されつつあるという情報もある。
実際、馬渕は「MCI公式ブログ」ですでにデビューしている。そればかりか、正体不明のブログも統一村に誕生している。
<注>統一村の「新着ブログサイト」 を、常にチェックしてもらいたいものだ。
おやっと思ったのは、4月7日から登場した「全員 が 救世主」だ。ハンドルネームは「研究中」。研究中の割にはある主張をもって、毎日、ブログを更新していらっしゃる。クスッ
文体を含め、これを読んで、現役教会員さんはなんとも感じないのだろうか。だとすれば、元信を含め統一教会関係者のリテラシー(認識能力、識別能力)はゼロだね。もういちいち、「拝啓 統一教会様」とか「MCI公式ブログ」とかがどうだといった記事は書かない。ゼロさんを啓蒙するのはバカバカしくてやってられない。
現役教会員さんは勝手に攪乱、愚弄されてくださいな。
統一教会は内憂外患を抱え、今後どうなっていくのか。統一教会びとは一人一人(そう!そこのあなた!)、どうしていくのだろうか。
<補足>忘れてならないことがある。政治や宗教団体に分派が発生するのは、本体組織が矛盾を放置ないしは克服できなかった場合である。分派に原因があるのではなく、本体に問題があることをゆめゆめ忘れてはならない。
(このシリーズはこれでオシマイです)
すべての教会員は読むべし!
あなた方の仲間である後藤徹さんが荻窪のマンションから解放(追放)されたのは、2008年2月のことだった。それから5年が経過し、ようやくみんなの前(法廷の場)で、自分の体験を話すことができるようになった。彼が解放され、緊急入院した3日後に見舞った者としては感慨深いものがある。
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彼の証言がブログ「拉致監禁by宮村の裁判記録」にアップされるようになった。すべての教会員は読むべし!
・原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その1)-統一教会入会から一回目の監禁まで
・原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その2)-1回目の監禁から解放されてから、2回目の監禁まで
・原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その3)-偽装脱会するも解放されず,父の葬儀にも参列は許されず・・・・
・原告後藤徹氏本人尋問(主尋問その4)-そのへんのへっぽこ牧師とは違うと豪語する宮村氏が73回も訪ねた荻窪フラワーホーム
つぶやき:なぜ、ヘドロ衆の1人、peaceは証言録をブログ「奇知外記」で紹介しないのか!? この、口先食口め!が。お前の霊人体は真っ黒 じゃ。
統一教会上層部・情報
4月4日、劉正玉(ユジョンオク)会長が本部教區長を免職になり、代わりに梁昌植(ヤンチャンシク)總會長が、本部教會の堂會長(どうかいちょう)に就任した。
【若干の解説】
もともと、文鮮明氏が存命の頃は、劉氏は本体論の講師のトップとして、「お母様も講義を聞かなければならない」と公言していた。
事情通の間では、いつまで用いられるのだろうかと興味津々だったようだが、とうとう首になったわけである。
劉氏は、ウルグアイの国家メシアでもあった。そこは銀行やカジノ付きホテルを経営(原資は日本食口の献金!)したりしていたので、相当のお金があると噂されている。南米大陸会長の申東謀(シンドンモ)がそれを奪おうと狙っていると言われている。
今年2月の基元節が終わると、韓国の分封王、国家メシアは韓国に戻れとの指示があった。
国家メシアの使命は、二世が受け継ぐことも可能ということだが、基本的に大陸会長を通じて、各国教会を主管したい韓国本部としては、古参幹部が多い国家メシアは邪魔な存在だった。
去る2011年5月のこと、すべての分封王、国家メシアの解散式をするとのことで、ラスベガスに集められたが、この時は文鮮明氏が本体論教育を受けて再出発ということで、継続になった。今回は邪魔するものもなくなったので、まずもっとも邪魔な韓国の国家メシアを氏族メシアに専念せよと首にしたようである。
日本人国家メシアに対しても、4月20日の集会(185ヶ国の国家的メシヤ及び総班長特別集会)を通じて、世界40か国宣教に協力させるために再編成するようである。
劉氏失脚によって、これまで学習の対象となっていた「原理本体論」は完全にお蔵入りになってしまった。
韓鶴子氏によって、「本対論」の名前さえ使うなという指示も下っているそうである。
これまで、日本の幹部から末端の食口たちは修練会の場を含め、「原理本体論」の勉強をしてきた。一体、これまでの学習時間は何だったのか・・・。私が食口なら、ウザケルな と言いたい!徳野、しっかりせよ、とも。
ちなみに、教会員なら知っていることだが、劉氏の本名は劉正玉(ユジョンオク)。劉大行(ユテヘン)は文鮮明氏が与えた名前。文家4男の国進氏の最初の妻の父親である。
劉氏は、第5代目の「全国祝福家庭連合会総会長」。1998年1月から2007年1月までの10年間、日本・統一教会に君臨した。献金横領、献金の中抜きがもっとも激しかった韓国人として教会内では有名な人物である。日本から韓国に戻って、高級焼き肉店を開業したと聞いている。
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緊急速報!新たな拉致監禁事件発生!(4月30日記)
4月27日、金沢大学4年生のカープメンバーが新潟の実家に帰省したところ、突如として連絡が途絶えた。実家には誰もおらず、前後の状況から、拉致監禁事件に巻き込まれた可能性が極めて高いという。
統一教会は連休前の4月24日に、「連休帰省時における拉致監禁の注意」を流していたが、連休初日に拉致監禁事件が発生したわけで、今後も事件が起きる可能性は否定できない。
<注>固有名詞は管理人が調べたもの。
(追記)へドロ食口ブロガー諸君!
君たちは現役の教会員なのに、仲間が拉致監禁されても全くブログに書こうとしない。それにもかかわらず、教会員ではない、統一教会批判派の私が拉致監禁のことを書かないと、ぶーたれる。君たちの病名は倒錯症。ほんとうに腐臭漂うヘドロたちである。
とりわけ質が悪いのは「奇知外記」「韓流サッカーをエンジョイ」の石川県在住のpeaceだ。
早く書けよ!金沢大学はお前の地元だろッ。書けよ!「統一教会合同ニュース」の最優秀記者なんだろッ(ワロタ)。早く書けよ!この口先めが。
全くもって、薄汚い野郎だ!
- [2013/04/29 14:03]
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コメント
火の粉ブログのコメント欄で、愛を叫んでみました。
誠に申し訳ないことですが、こういうものは近年極力読まないようにしていました。
何故なら、もうその日一日中、どころか数日間は気分が沈みこんでしまって、どうしようもなくなるからなんです。
私自身の拉致監禁の経験と、後藤さんのそれは似たり寄ったりで、関わった人間は全く違いますが、確実に拉致監禁実行者たちの間で、その方法が共有され、確立されていた、としか思えません。もし私が後藤裁判の場にいて、証言が許されるのならば、後藤さんの言っていることは全て本当のことで、私も同じようなことをされました!と叫んでいるでしょう。
しかし、後藤さんが監禁されていたのは12年、私は長いもので3カ月超で、比べ物にはなりません。そして、私の場合は最後に監禁されてからもう15年以上が経過しています。にも関わらず、いつまでも拉致監禁は過去のものになってくれません。
何故なのか。
その体験があまりにも強烈過ぎたのか、私が弱すぎたのか、それとも信仰が足りなかったのか。そのどれも理由になりうるけれど、長い間本当につらい経験や、苦痛を共有すべきだった人たちから打ち捨てられてきた、そのことも大きな原因だと思います。
今つくづく思うことは、教会は拉致監禁された信徒たちを、あまりにも長い間無視し、無関心に、無慈悲に見捨ててきた、ということです。それじゃ今は関心を持って支援しているのか、と言えば、教会の上層部のふるまいを見れば決してそうとは思えません。
私が拉致監禁から脱出して戻ってきた時は、「親を恨んではいけない。」「あなたの先祖にはとてつもない罪を犯した人がいるんだから。」「彼ら(反牧)を追及するなんて、そんなことはやめなさい」などと、周りの食口から口ぐちに言われたものです。どんなことを経験したのか、聞かれることもなく、ただ黙って口をつぐんできただけでした。
その結果、どうなったかを見れば、正直、私はもう二度と実家には戻らない、と決めています。親の葬式にも出るつもりはありません。(まあ、親が先に死ぬとは限りませんが。)最後の子供が生まれた時は、知らせもしませんでした。何故なら、多分疲れたから。関わろうとすると、疲れるのです。そして人生が嫌になるのです。
この10数年の間には、何とか和解しようと努力した時期もありました。
しかし、恐らく後藤さんを監禁した人たちもそうでしょうが、彼らは彼らで引っ繰り返らなかった私たち教会員を憎んでいると思います。私たちのせいで、自分の人生を台無しにされた、と恨んでいる可能性があります。少なくとも、私の身内はそうです。
長年に渡る教会側の放置、一向に謝罪しない監禁者たち、その間で沈黙せざるを得ない拉致監禁被害者たち・・・。時間が経てば、辛い経験も自然に過去のものになる、というのは甘い考えでした。
昔、徳野現会長が拉致監禁に関する講演会の中で、こんなふうに言っていたのを覚えています。「Aさん、彼女は信仰者だったが反牧で離れてしまった。Bさん、彼女は本当に信仰が無かったけれど、帰ってきた。往々にしてこういうことがあります。」違う。Bさんは信仰があったからこそ戻ってきたんでしょうよ。教会の責任者は一体信徒の何を見ているのか。信仰の基準とは何なのか。あの、血も涙もないような拉致監禁のし打ちを受ければ、どんなに信仰がある人だって、転覆してしまう可能性がある、私にはそれがよく分かります。
つまり、信徒が受けている拉致監禁とは、そういう種類のものだと、責任者はしっかり肝に銘じる必要があります。そして、統一教会に関わったからこそ、この問題が起きたのであって、決して個人的な問題ではないということも忘れないでほしい。
いまさら言うまでもありませんが、統一教会に愛はありません。いえ、愛が無いというより、愛を出し惜しみしています、ものすごく。愛や関心を寄せたからと言って、自分が損をする訳ではないのに。(こんなアニメソング、あったわね。愛をください、もっともっと下さい。いいじゃないの減るもんじゃあるまいし、って。)
食口は借金してまで献金が出来るのに、どうして愛を与えることはできないのでしょうか。愛が無ければ、どこからか借りてきてでも愛するべきです!!
と言う訳で、後藤様。思う存分叫んでください。私も心の中で、あなた様の証言すべてにイエス、と言います。だってあなた様が証言されていることが、全て本当のことだと私にはよく分かるから。そして、拉致監禁ではなかった、などとうそぶく被告たちが正当な償いをする事になりますように。
新たな拉致監禁事件が発生!
この投稿を信者の家族が読めば、拉致監禁説得には躊躇するはずですが、相変わらず、「脱会させるには保護説得しかない」がまかり通っているようで、また新たな拉致監禁事件が発生しました。
ブログの末尾に、情報を書いておきました。
みなさん、ご一読を!
Re.火の粉ブログのコメント欄で、愛を叫んでみました。
もともと不信仰な人
客観的にみれば、統一教会を弱体化させることが狙いだったとしか考えられないのだ。
では、統一教会が弱体化すれば、大西にはどんなメリットがあるのか。
物質的なものがないのであれば、あとは精神的なものしかない。消去法でいえば、憎悪に満ちた負の感情の充足感。すなわち統一教会を恨む元信にも共通する“隠微な喜び”を得ることだろう>
なるほど。負の感情、劣情、ってやつですね。
統一教会の内部情報を反対派に流して、反対派から感謝され、崇められ、一方で、統一教会(特に幹部たち)が困り、落ち込み、いやが上にも過去を悔いる姿を見ながら、ほくそえむ―。
大西には、これがたまらなく嬉しく、生きがいとなっているのでしょう。そこに、自身の存在感、使命感を感じ、居心地の良さを覚えているのでしょう。
どうしようもないヤツですね。
参考までに、「元勝共メンバー」「北九州市の勝共連合事務局長」という肩書きは教会内では全く高い位置にあるわけではありません。ある意味、誰でもなれる肩書きです。
関係者の方には恐縮ですが、勝共には政治面に優れた才能を有している人が行く、という側面と、その一方で、教会で使い物にならない人が左遷される、という側面があります。
残念ながら、大半が後者です。
ですから、勝共連合に人事された人の多くが後に教会を離れています。離れた人に最期の肩書き(所属)を聞くと、勝共と答える人が多いこと、多いこと。
大西もおそらくこの類の人でしょう。
信仰も信念も能力も、すべてクエスチョンマーク。
有田らに利用され、いずれポイされることでしょう。
<拉致監禁ではなかった、などとうそぶく被告たちが正当な償いをする事になりますように>(黒い羊さんのコメント)
教会の無力さ、愛の無さは認めざるを得ません。
ただ、今は大西を含め拉致監禁派に勝たなければなりません。統一教会員だからではなく、人として、卑怯者を絶対許してはなりません。
組織、幹部を当てにせず、とにかく勝つために全力を尽くしたいと思います。
Re: もともと不信仰な人
>参考までに、「元勝共メンバー」「北九州市の勝共連合事務局長」という肩書きは教会内では全く高い位置にあるわけではありません。ある意味、誰でもなれる肩書きです。
関係者の方には恐縮ですが、勝共には政治面に優れた才能を有している人が行く、という側面と、その一方で、教会で使い物にならない人が左遷される、という側面があります。
残念ながら、大半が後者です。
なるほど、勉強になりました。
“共産主義”のことを書いているブログ記事を読んで、首を傾げるものが多く、この人、世界を震撼させたフルシチョフの『スターリンの秘密報告書』(講談社学術文庫)に目を通していないと思うことがしばしば。勝共に言及する人たちのレベルの低さが何となく理解できました。
情況は病的なまでに深刻
「(黒い羊さんの投稿を受けて)教会の無力さ、愛の無さは認めざるを得ません。
ただ、今は大西を含め拉致監禁派に勝たなければなりません。統一教会員だからではなく、人として、卑怯者を絶対許してはなりません。組織、幹部を当てにせず、とにかく勝つために全力を尽くしたいと思います」
確かにそうなんですが、黒い羊さんが体験されたように、拉致監禁から逃げ帰った食口に対しても教会が冷淡だったことは深刻なのです。
これは過去形ではありません。だから、問題なのです。
12年間の監禁に耐えた後藤さんに対しても、教会員はきわめて冷淡なのです。
拉致監禁反対のデモ・集会が各地で行われるとき、数百人の食口が参加します。後藤さんが集会でスピーチするときは涙を流し、握手を求める人たちも少なくないと聞いています。これまでデモ・集会に参加した食口たちは合計1万人にもなるでしょう。
しかしながら、後藤さんの訴えの集大成でもある「東京地裁での訴え(原告の証人尋問・公的な場での訴え)」を読む食口はデモ・参加者の100分の1程度しかないのです。
「拉致監禁by宮村の裁判記録」のアクセス件数を眺めてください。
http://antihogosettoku.blog111.fc2.com/
後藤さんの訴えが始まってからのアクセス件数は、それ以前と変わらず、1日100件前後しかない。
それで思い余って、今回のブログ記事の末尾に、「すべての教会員は読むべし!」というタイトルのコラム記事を書いて、教会員に覚醒を促したのです。
しかし、まるで効果なし。もうほとんど泣きたい気分ですね。
反応があったのは黒い羊さん。
彼女の書き出しはこうです。
「後藤さんの証言を読んでみました。誠に申し訳ないことですが、こういうものは近年極力読まないようにしていました。何故なら、もうその日一日中、どころか数日間は気分が沈みこんでしまって、どうしようもなくなるからなんです」
この書き出しには泣けてきます。拉致監禁のことを考えると、数日間落ち込む人が意を決して読むのです。
デモ・集会に参加し、「拉致監禁反対!」と血気盛んに叫ぶ人の99%は、後藤さんの訴えを読まない。
「ブログ村-統一教会村」でピーチクパーチクやっているブロガーは松戸教会の総務部長兼教育部長さん(いつも隣さん。この人はなんでもかんでもすぐに神様と結びつけて書く頓珍漢さん)以外、誰も言及しない。
4月27日に監禁された金沢大学のカープ生の事件に、驚いて記事にするような食口ブロガーはゼロ。
情況は深刻なのです。
訂正します。
「4月27日に監禁された金沢大学のカープ生の事件に、驚いて記事にするような食口ブロガーはゼロ」
いつも隣さんが記事にしていました。
http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/358086447.html
よって、ゼロではなく1件でした。訂正いたします。
ところで、「いつも隣さん」に提言しておきます。
記事を右寄せ、左寄せ、中寄せすることによって、ビジュアル的にアクセントをつけていると錯覚しているようだけど、どんなに詩的な文章であっても、日本語の大原則は行頭は揃えなければなりません。文末を揃える文章を見るのは初めてです。
右寄せ、中寄せになっていると、とても読みにくく、流し読みしてしまいます。
隣ファンも同じだと思います。どうして誰も注意してあげないのか不思議です。
繕えぬ教会本体の矛盾
しかし、反統一は統一教会と「戦争」をしている気分でいる。比喩的にではなく、彼らの主観では本気で戦闘状態なのだ。
統一教会を敵対視しながら組織活動をしているような人々や、教会に対する敵対感情、思想を持つ人々が抱く敵意というものには独特のものがあります。
米本さんが「戦争をしている気分」「本気で戦闘状態なのだ。」と表現されているのは 分かり易く、核心を捉えています。
これを物語るような、一つのエピソードとして 山崎浩子脱会騒動後のワイドショーの一場面が記憶に残っています。
そこには知ったかコメンテーターの有田氏も常連で出演していましたが、草○仁という人気アナウンサーの発言が私を驚かせました。
彼曰く「統一教会側は疑惑を否定していますが~(?)、いよいよ戦いになってきましたネ。実はワタクシ、昔から喧嘩が強かったんですよ。学生時代にも喧嘩では負けませんでした。」というような内容の言葉を発し、唖然とさせられました。
曲がりなりにも報道番組のアナウンサーであれば 立場によって意見が分かれるような相反する主張が存在する問題を扱う場合、中立的な立場で双方を取材し、客観的に報道するのは報道人としての基本であるとわかっているはずなのですが、その片方の当事者と共闘しているかのような発言には強い違和感を覚えました。
案の定、週刊誌の記事でビートたけしがその問題を取り上げ、「アナウンサーが一緒になって闘ってしまっては駄目です。」と番組を批判していました。
この草○仁というアナウンサーの態度も有田氏の闘争心に共鳴してしまった結果と言えるでしょう。
宗教的に純粋な求道心まで抹殺しようとする拉致監禁による強制的な棄教は、如何なる理由があっても犯してはならない行為ですが、超えてはならない倫理的な一線を超えた非人道的行為を反統一教会側の弁護士や有田氏等が容認してしまう根本には左翼的思想が存在するのは間違いありません。
その左翼的思想をもった反統一教会側の人々が統一教会を批判する場合、霊感商法という言葉が流行る以前は 統一教会=勝共連合という書き方が常でした。
つまり、その根底には政治的な敵対意識があり、その上での宗教的な問題点に対する批判だったように思われます。
統一教会が特殊な宗教団体として世間に知られるようになったのは世界を二分した冷戦時代の最中においてでしたが、日本においては60年、70年の安保闘争に続く左翼の学生運動が活発な時代でした。
その時代背景を反映して、左翼思想をもった反体制的な言論人の発言や学生運動が目立っており、勝共運動を展開する統一教会員は体制側にとっては歓迎すべき存在であり、統一教会員は体制側の人間として位置付けられるようになりました。
そして、当然のことながら 反体制の左翼思想をもった人々から統一教会=勝共連合は目の仇にされるようになり、カルト批判を超えた攻撃を受けるようになったのです。
米本さんが究明している大西弘行という人物が北九州市の勝共連合事務局長だったことから、勝共連合の話題も書かれていましたが、末端食口が行う政治活動と統一教会の中枢部で行う勝共活動を一緒には出来ません。
中枢部で行う勝共運動とは主に、学者、政治家に対する渉外活動であり、共産主義的な反体制運動に対抗し、それを凌駕することを目標とした運動です。
その代表的なものが世界平和教授アカデミー等ですが、統一教会の理想世界建設に結び付く活動といえば、これらの勝共運動が全てであることを理解せねばなりません。
大西という人物の目的について「物質的なものがないのであれば、あとは精神的なものしかない。消去法でいえば、憎悪に満ちた負の感情の充足感。すなわち統一教会を恨む元信にも共通する“隠微な喜び”を得ることだろう。」との米本さんの推測は概ね正しいと思います。
しかしながら、拉致監禁実行者の反対派牧師との交流まであるということは 組織に対する恨みを超えてしまっており、統一教会の宗教性まで完全否定していると考えねばなりません。
大西という人物には宗教性がないと米本さんが判断するようになったのは正解だと思われます。
しかし、米本さんが紹介された新しいブログに見られるように、手を変え品を変えて教会員にアプローチし、教義に関する対話を試みようとする馬渕一彰という人物とは対称的な性格のようにも思われ、二人の結び付きはそれ程深くないようにも感じられます。
米本さんが最後に補足された「政治や宗教団体に分派が発生するのは、本体組織が矛盾を放置ないしは克服できなかった場合である。分派に原因があるのではなく、本体に問題があることをゆめゆめ忘れてはならない。」とは名言です。
奇遇ですが、米本さんが分派の詐欺師と名指しした人が、例の新しいブログで その本体組織の矛盾を見事に列挙しており、思わず見入ってしまいました。
才能の無駄遣いと書かれた米本さんの意見に同感です。
正直、現在の統一教会本部の組織運営、及び教義解釈では 分派とされる人々の批判をかわすことは出来ません。
それは、顕進氏支持者からの批判に対しても同じであり、理論的には本部側の矛盾を繕うのは不可能であり、統一教会本部は もはや韓総裁の名前を持ち出して食口に絶対服従を強要する以外に組織を維持する術が無くなってしまったように思われます。
もし、統一教会という組織が現状のままであるなら未来の崩壊は目に見えています。
しかし、文先生を通して神が提示した真理の基本は四位基台であることを忘れてはなりません。
そして、その中心に位置するのは人間ではなく無形である神なのです。
共生共栄共義主義とは基本的に民主主義と類似したもののように思われます。
ただ、現在の社会体制と異なるのは 宗教的な和合がなされ、宗教的な対立が起こらず 純粋に神の理想を実現すべく、全ての人々の良職と隣人愛を結集して民主主義的な政治を行えるという倫理的な側面で、その宗教的な倫理観が確立した民主主義世界が共生共栄共義主義の世界なのではないでしょうか。
そして、それを実現する為には 統一教会自体がそのような体制になっていなければならないのです。
日本の政治体制を参考にすれば、象徴天皇制に似たようなものがあってもよいと思われます。しかし、密室政治があってはならないのです。
文先生は 昔から、何かにつけお互いに競争すべきことを強調してこられました。
それはよい組織を作る為にも必要なことなのです。より全体の幸福を願い、それを実現できる能力と人格を兼ね備えていると多数に認められた人物が指導者となるべきです。
そのような民主主義的な組織であるならば、分派のようなものが発生することはないはずです。
しかし、そのような発想を 李氏朝鮮時代の両班思考が身に染みた韓国人教会幹部に期待するのは不可能です。
日本の統一教会員は現実を直視し責任を自覚すべきです。
現在の統一教会の基盤を維持できているのは日本からの献金がある為です。
それがなければ、韓国人幹部はほとんど教会活動らしきことはできないのではないでしょうか。
つまり、日本人食口がその気になれば、韓国を始め世界の統一教会を変えることが可能なのです。
その日本人食口の原理に対する理解と、神中心主義に立った決意さえあれば、統一教会の自壊を防ぎ、共生共栄共義主義の世界を建設できる可能があり、そのような決断ができなければ統一教会という組織は衰退するしかないということを知らねばなりません。
「 MLのブログ 」
理由は必ずみ言葉を引用する、その後読者の反応をうかがう言葉 「 如何だったでしょうか 」を書く、最後に御礼を書くと言った特徴が見られ、他には批難批判にもなかなか強いと言う特徴も見られます。それからなかなか探しにくいみ言葉の引用もあります。
そのような観点で読みます、とこちらの「 MLのブログ 」の方が臭うのではないかと思いました。私は様子を見たいと思っています。
Re:繕えぬ教会本体の矛盾
最近の教会本部の運営方針には納得しがたい部分も少なからずあり、同じような思いを持っている食口も多いのではないでしょうか?
これからも人類は資源や食料を富める者(国)が独占し続けていくのか、そうだとすれば、貧しい者(国)を武力で抑えるしかなくなることは歴史が証明しています。
そのような悲惨な歴史を繰り返すことなく、人類を和合に導こうとしていたのが文先生だと私は信じています。
しかし、神々の黄昏さんが言われるように、統一教会自体が民主的とは言えないような組織になっているとすれば、人類を和合に導くなど夢のまた夢です。
ましてや、利権に走る幹部が幅を利かせているような組織なら何を期待できるのでしょうか?
このまま滅びの道を行くしかないとは思いたくないのですが・・・・。
僕は第4イスラエルの会員です
前回はモモンさんに成り済ましてすいませんでした。モモンさんが許せなかったのです。
モモンさんはこの人です。
http://ameblo.jp/flyingsquirel/
米本さんの推測どおり僕は第4イスラエルの会員です。統一教会被害者家族の会は、第4イスラエルの下部組織だったのです。
統一教会被害者の会には、キリスト教牧師も参加していますが、第4イスラエルに賛同した牧師なのです。
創価学会が顕正会被害者家族の会を装っているように第4イスラエルでも統一教会被害者家族の会を装っているのです。
kokoroさんのことは知りませんが、モモンさんとリリアンさんとpopoさんも第4イスラエルの会員です。
リリアンさんとkokoroさんとpopoさんです。
http://kokoro.mo-blog.jp/weblog/cat7379564/
http://ameblo.jp/rennbo-mayu/
https://twitter.com/poposennin
統一教会から離れて、被害者の会へ行ったら第4イスラエルの下部組織だったのです。統一教会の食口を装った偽装サイトを作ろうということになって、僕が偽食口役をやりました。
http://makotonoai.web.fc2.com/
でも、偽食口をやる中で、やっぱり文鮮明先生がメシヤでだと思うようになりました。
でも文鮮明先生がメシヤだと確信してからのモモンさんとリリアンさんとpopoさんの態度には腹が立ちました。
twitterでこのようにとぼけてました。
http://lifeoftree492.blog.fc2.com/blog-entry-15.html
だからモモンさんに成り済ましてやったのです。リリアンさんとpopoさんにも成り済ますつもりでしたがばれてしまいました。
でも、kokoroさんは関係ないです。
成り済ましてすいませんでした。
北上哲の投稿の処理について
なお、北上哲およびこの投稿へのレスはやめてください。即行で削除いたします。
Re: 繕えぬ教会本体の矛盾
>毎回、神々の黄昏さんのコメントは含蓄に富み、共鳴する部分が多くあります。
ザッツライト。
これを前提にしたうえで、一言述べておきます。
神々の黄昏さんの分析は、左翼対右翼、左翼対体制派といった図式で語られていますが、これだけでは不十分です。というより、ミスリードにつながります。
もう一年以上も前のことになりますが、ある食口から「拉致監禁事件は共産主義者がやっている」といったメールをもらったことがあります。
なに!この情勢惚けがと思い、電話で丁寧に説明し、納得してもらったことがあります。
アメリカの、おそらくヨーロッパもそうだと思うけど、欧米のデ・プログラミング(拉致監禁説得)を推進している連中は日本でいう保守的(反共)なグループです。
イメージで言えば、アングロサクソン族、白い肌・青い目、中絶反対、同性愛断固反対、雰囲気はアーリーアメリカンです。
ところが、日本の場合はいわゆる進歩的知識人が絡んでいる。欧米の進歩的知識人のほとんどはデ・プログラミングに反対しています。すごく対照的なのです。
日本的特色はこれだけにとどまりません。拉致監禁を心的に応援しているのは(小生の言葉言えば黙認・容認派)、左翼知識人(小生はカッコをつけて左翼知識人といいたい)です。
そして、実行犯は反共の牧師連中です。これまで拉致監禁に関わった500人の牧師のうち4百数十人は反共です。
日本基督教団には左翼的な人も一部にはいるけど、ほとんどが統一教会とは親和性の高い反共です。
進化論を否定する反共と、進化論を肯定する左翼が連合して、拉致監禁事件が起きている。ここに日本的な特色があるのです。
残念ながら、これ以上の分析、すなわち反進化論と進化論者とが手を結び、なぜ統一教会を弱体化させようとしているのかはわかりません。
おそらく、新潟の松永や岡山の高山、神戸の高澤といった反共牧師と、進歩的知識人を自負しているだろう弁護士連中とがお互いくっつくことを、「なぜだろう」と疑問に思ったことはないでしょうね。
そして、ここに「わが子は会社の正社員になって欲しい」という、エゴ的だけど、今の社会では仕方のない悲痛な気持ちでいる親がいるのです。
Re: 「 MLのブログ 」
まるで、み言葉は密の味の如く。
わが馬渕っちゃんのブログ更新が滞っているのが気にかかっています。
鳥インフルエンザにでも罹ってしまったのか。お見舞いに行かなくちゃっ。
本質的なテーマ
>どうして文先生の成していきたいことの本質を見失っている人が多いんだろうと思う。
とてもいい問題提起だと思います。
つらつら考えるに、怒らないでね、文氏が成していこうとしていたことが、実にあいまいだったゆえ、いかようにも解釈することができた。
ただし、文氏一人の問題ではないと思うのです。
王様、王妃様、重臣たち、そして民百姓(一般食口)。
こうした人たちが織り紡いでいったのが、いまの統一教会だと思うのです。
何故またも拉致監禁が・・
黒い羊さんが書かれていたように、拉致監禁の辛さは想像以上です。
今、その辛さを受けている人がいると思うと心が痛みます。
拉致監禁被害を受けている人の将来のため、短期に解決することを願います。
そして、統一教会に反対する親御さんたちへ
ご心配はごもっともです。
でも、監禁は無駄です。
無駄どころか親子の絆、お子さんの心、将来を傷つける害しかありません。
拉致監禁しなくても、脱会します。
拉致監禁がなければ脱会しただろう人が、拉致監禁されたことで脱会せず、現在も教会員の人もいます。
拉致監禁は愛情ではありません。
エゴでしかありません。
反対派が「子供が統一教会にいながら、救出しようとしないのは、親の責任を放棄している。」と言う言葉に惑わされないでください。
米本さんのご指摘を受けて
そして、ここに「わが子は会社の正社員になって欲しい」という、エゴ的だけど、今の社会では仕方のない悲痛な気持ちでいる親がいるのです。
先のコメントにおきまして、統一教会を敵対視し 戦闘状態の意識世界の中にある人々を 政治的な観点から左翼思想をもった反体制派の人々として説明し、そこに焦点を当ててコメント文を書きましたが、米本さんが「これだけでは不十分です。というより、ミスリードにつながります。」とさらなる問題の存在を指摘してくださいましたが、その米本さんのコメントは大変参考になります。
「統一教会の周辺びと」を考える場合、最大の敵=共産主義者という思い込みを絶対化してしまうと 大きな間違いを犯してしまうのは確かです。
米本さんに付き纏った「頭がpeace」などの思い込みの激しい食口は「○グループ=共産主義者」というようなキチガイ説を恥ずかしくもなく、平気でブログのタイトルに入れてしまうのですから深刻です。
この「頭がpeace」程ではないにしても 多くの統一教会員がそのような思い込みに囚われているのは事実です。
しかし、特に統一教会員に対する拉致監禁問題を追究されている米本さんから観た時、それが問題の一部であり、「統一教会の周辺びと」にはそれ以外の多様な敵対者がおり、全く別の類の敵対者もいて 拉致監禁行為においては協力し合っているが、その敵対者達は思想も宗教も根本的に違っており、その一部の敵対者だけを強調し過ぎると真実を見損なってしまうとして危惧されるのは 全くそのとおりであります。
公然と統一教会を攻撃する有田氏や反統一教会弁護士を特に問題視して前のコメントを書きましたが、「統一教会の周辺びと」として観る場合、その拉致監禁実行者である統一教会反対派牧師達のほうが より深刻な敵対者であると考えねばなりません。
それは知ったかコメンテーターの批判のような脆いものではなく、宗教的な対立が絡んでいる為です。
米本さんが話題を広げてくださいましたので、この統一教会の敵対者の問題について書かせて頂きますと、共産主義者よりも宗教的対立者のほうがより一層深刻な問題であることは間違いありません。
それは、世界情勢から統一教会の内部情勢に至る問題を見渡してもはっきりと理解することができます。
冷戦の問題は、共産主義国家の経済破綻と民主化運動の高まりによる自滅によって解決されました。しかし、未だ解決されないテロ行為による戦闘問題等は ほとんどが宗教絡みです。
その宗教的対立は拉致監禁問題にも表れていますが、米本さんがご指摘の小さな小さなブログ村にもその問題が見られ、宗教的対立という問題の底知れぬ根深さを思わずにはおれません。
その宗教的対立、さらに宗教戦争の問題は人類に残された最終、最大の問題と言っても過言ではなく、とても簡単に解決できるような次元の問題ではありません。
その問題は一般的日本人が考えているより遥かに深刻な問題であることは間違いありません。
私は学生時代、両親の宗教的対立に悩み、傷ついた女子学生の話を聞いたことがあります。
その女子学生が物心ついた時、両親はカトリックとプロテスタントに分かれていたという話で、家ではしょっちゅう宗教論争が交わされ、その激しい戦いに子供心が傷つき、二度と味わいたくない辛い体験をしたと話をしてくれました。
結局、彼女の家庭はカトリック教徒として一致したということですが、その辛い体験がトラウマになっているようでした。
ただ、その女子学生は私が統一教会の信者であることを知った時から 二度と話をしてくれず、こちらが近づいても こちらを睨んで何か呟きながら逃げるように去ってしまうことになりました。‥‥‥‥
私は反共牧師と左翼的な弁護士がお互いくっついているように見られるのは 統一教会の信仰を否定している反共牧師が、拉致監禁行為を正当化する為に左翼弁護士を利用しているのではないかと思っています。
それは、拉致監禁牧師が有田氏に統一教会脱会者の名で寄付しているという米本さんの推測からも裏付けられるのではないでしょうか。
左翼弁護士がもつ統一教会に対する敵意よりも拉致監禁牧師がもつ敵意のほうがより強く、どこかの食口ブロガーと同じように「サタンよ~」という思いなのだと思います。
そして反共牧師が左翼弁護士を観る罪悪観よりも統一教会員を観る罪悪観のほうがより大きいということだと思います。
これらの宗教対立の問題について一つ言えることは、自己絶対化は危険だということです。そして、如何なる人間でも 神と同一視するように神格化してはならず、そのような信仰では宗教戦争を終わらせることはできず、原理的に間違っていると言うことです。
金沢大学のカープ生の拉致監禁
拉致監禁事件の速報、ありがとうございます。アメリカの国際宗教自由連合のウェブサイトにて、続報がありましたので、私のブログで紹介いたしました。
★就職内定の21歳 大学生が拉致監禁される - 金沢
http://humanrightslink.seesaa.net/article/358448089.html
Koyomiさん、この監禁事件に関するKoyomiさんのコメント(↑)を私のブログにて、全文引用させて頂きました。
もう、一つ、宣伝ですが、アメリカ連邦政府の諮問機関 USCIRF(宗教自由アメリカ委員会)の年次報告書に、日本の拉致監禁問題が取り上げられました。以下の記事です。
★米政府諮問機関:「拉致監禁・強制改宗は甚だしい宗教の自由侵害問題」と認める
http://humanrightslink.seesaa.net/article/358169951.html
黄昏時の妄想
在米なんですか。しかし有田話題などには必ず食いつくところをみると、92,3年前後にはテレビのワイドショーに首っ引きですか(組織の為?)、つまりその頃は日本に居られたかと。この変則ぶりは、祝福双や何とかの摂理などによって、大量に渡米した教会員の範疇ではなさそうです。また、数少ない古参のビジネス系長期滞米者とも違うような。
UTS(統一神学校)出ましたか? 出た?今日も快便?出た? 出ましたか。そうですか。
では、一時は日本で最高位の役職に就いたような方ではないかと妄想(読み方:お見受け)します。
もうね、身に付いた降りない(または懲りない)嵩高さからいっても“元会長”というネックネームになります。“まことの777” “777の真骨頂”ではタイトルが足りないかと存じます。
ところで、フルシチョフ機密報告「スターリン批判」を読むと、
スターリンは共産主義者以外の、ブルジョア民主主義者などを粛清しました。のみならず、同じ共産主義であっても別の党派であるトロツキストや右翼偏向主義者、ジノーヴィエフ派、ブハーリン派などを粛清してゆきました。
のみならず、同じボリシェビキ党の中でもスターリン派の中央委員までその7割を粛清しました。味方のはずの自派の中央委員の7割を(降格や追放ではなく)銃殺したという凄まじさです。
批判者(フルシチョフ)は、スターリンがレーニンの説いた集団指導制(合議制)を破って個人崇拝を伴う独裁者になっていったからだ、マルクスもエンゲルスも個人崇拝の顕れには反対していたと言っていますが、解説を読むと、フルシチョフ自身も後々は合議制がどうしてもうまくいかなくなって独裁になっていったとか。
一人独裁の背景には一党独裁があり、その背景には一階級独裁があるという解説、たしかに共産主義には、独裁を生み易い傾向がありそうですが、“共産主義(者)だから悪い”というのは短絡的に映ります。
神々の黄昏さんは、時代的にも共産主義を体感していて、ただの短絡ではないだろうとは思いますが
ああいえば上祐、ならぬ、ああいえば元会長(全然ゴロが合ってないが)ですから、
神を中心とする四位基台、と「神」という言葉を出しただけでは、個人によって神の捉え方が違うし、勝共理論も説得力に欠ける、などど言うと、
またなんと言ったっけ、あんたは思想に夢見てるだけのようですね、思想に期待しすぎワハッハ、みたいな印象のことを言われてしまいそうなので言わないことにします。あんた白馬の王子様を待っているみたいに統一された思想を待ってるの?とか、昭和の少女漫画が好きだったでしょとかねもう(そこまで言ってないか)。いろいろ、言わないことに行数を使ってしまった(笑
以上、いつもの私の妄想でした。失礼しました。
情報材料:全国弁連の内実
統一教会に反対する集団として、全国霊感商法対策弁護士連絡会に所属する弁護士たちがいます。
彼らは、教会員の献金等返還請求の代理人に積極的になっていますが、左翼的思想(社会変革思考)とは無縁の(ないし無縁になった)人が圧倒的に多いです。
一括りに、全国弁連=左翼・共産主義と捉えてしまうと、まるでズレまくり。具体的な弁護士名は控えるけど、圧倒的多くは「金儲け」でやっています。思想性はほとんどゼロでしょう。
世の中は変化しています。
共産主義(者)の問題に関して
また、暗在翔子さんが、私が統一原理の摂理観そのままに、共産主義(者)=悪の根源と単純に決め付けていると思われたとしたら それは誤解です。
確かに、世界情勢が冷戦状態にあった時には マスコミから教育関係者、そして反体制派の弁護士や学生運動家に至るまで、共産主義思想がそれらの内部の人々に浸透していたのは間違いないと思います。
そして、共産主義思想は理想世界像とそれを実現する為の革命論という生活規範にさえ応用できる実践論を持つが故に、擬似宗教的な思想であるという見方も 決して間違ってはいないと思います。
そして、その唯物論に立脚し最終的には一党独裁国家の体制や世界革命を目的とする共産主義思想をもつ勢力の脅威を訴えてきた統一教会の勝共運動は 大いに評価すべき教会活動だったと思っています。
そこにおいて理論的中核となったのが勝共理論ですが、この勝共理論の画期的な部分は 不完全で大まかな概略であるとは言え代案を提示しているところです。
その代案こそ理想世界の建設を模索するものであり、実質的な地上天国実現論であると言えるでしょう。
このような共産主義(者)との戦いを統一教会員はサタンとの戦いと捉え、サタンは霊的存在であるが故に、人間生活のあらゆる側面で善の発動を妨げているという宗教思想から、共産主義(者)に対しても 同じようにサタンの代役として様々な社会組織の中に潜んで統一教会の活動を妨害していると拡大解釈する教会員も現れるようになってしまいました。
この辺りの問題を米本さんが発見して違和感を覚え、間違いを指摘してくださったのだと思います。
私も「頭がpeace」ブロガー程ではないにしても、全国弁連辺りに対しては左翼思想によって支配されていると言う見方を今までしていました。
しかし、そのような見方は ベルリンの壁崩壊、ソ連の崩壊後変わることになりました。
それは 米本さんがコメントされた「具体的な弁護士名は控えるけど、圧倒的多くは「金儲け」でやっています。思想性はほとんどゼロでしょう。
世の中は変化しています。」という指摘と近い現実を発見するようになったからです。
私も学生時代から思想的な中枢は原理講論、統一思想にあるので その摂理的思考から共産主義思想を凌駕しながら、共産主義国家の世界戦略を阻み、尚且つそれを自由主義世界と統一させられるのは統一教会組織しかないと真剣に考えていました。
しかし、現実としては世界情勢は違った形で展開されたのでした。
結局、東独にしてもソ連にしても経済的な行き詰まりと民主化運動の高まりが崩壊の原因であり、サタンの思想が神の新しい真理に敗北した為ということではありませんでした。
つまり、原理講論、第5章、第四節第三次世界大戦の内容と歴史的な結果に違いが生じたのです。
この原理講論の摂理的歴史観と異なる結果が現れたという現実を全ての統一教会員は直視しなければなりません。
第三次世界大戦とされる冷戦は 武力によってでも、理念の戦いによってでも、その決着がつけられたのではなく、文先生も劉孝元氏も予想できなかった共産主義国の経済問題による自滅と民主化運動の隆盛によって決着がつけられたのです。
この現実から学ぶべきことは、原理講論でさえ神の啓示の如く絶対化してはならないということです。
たとえ、創造原理が普遍的真理であると確信したとしても、それに続く諸々の理論の中のそれなりに重要な部分においても、現実と矛盾する部分は発見できるということです。
同じように、文先生の言葉であっても その語られた一言一句を神の御言の如く絶対化することは愚かな発想であり、真理から遠ざかることになります。
ソ連の問題でも、文先生はゴルバチョフが共産党書記長に就任した当時 この新しい指導者の人間性を見抜くことはできませんでした。
文先生はゴルバチョフをソ連の共産党指導者のなかでも、その思想を結実させたような共産主義者として最高の実力者とみなして警戒していた発言をしており、「先生でなければ、みんな騙されてしまうよ。」という言葉を残しています。
しかし、歴史的真実として、ソ連の平和的崩壊に貢献した彼の役割は非常に大きいものでした。残念ながら、文先生はそこまでは見抜けなかったようです。
しかし、この共産主義国の自滅の問題は奇遇にも統一教会にも同様に見られるようになりました。
つまり、財政運営がうまくいかず、経済的に成功できないということです。
現在の統一教会の資産はその信徒の創造力による経済的成功によって築かれたものでないことは誰でも知っております。それは、日本の信者からの強制的な献金や怪しげな宗教的物品販売によってもたらされたもので、決して思想の勝利などと呼べるような資産ではありません。
これは非常に面白い問題なのですが、現在の有力な国家とはサタンが世界を支配しようとして最終的に創り出したとされる共産主義国家でもなく(中国は純粋な共産主義国とは言えない?)神の新しい真理を受け入れた国でもなく、主に経済力が強い国々なのです。
それは、明らかに統一原理の摂理的な観点を超えてしまったのです。
それは、現実的に経済的な創造力を擁した国家がより強い影響力をもつということです。
ある意味で統一教会は共産主義国家の崩壊時と似たような状況にあります。
ただ、少し異なるのは 東独やソ連が最後まで経済問題を解決できなかったのに対し、統一教会では、その赤字部分を強制的な献金で補ってきたということです。
しかし、それが限界に達するのも時間の問題と言えるでしょう。
以上のことを考えても、理想世界を語るならしっかりした経済基盤の創造を語れなければ意味がなく、日本からの献金オールマイティの韓国人幹部は理想世界とは無縁で、崩壊時の共産主義幹部と似たような存在です。
統一教会が発展的に生まれ変わろうとするならば、崩壊した共産主義国家を反面教師とするのがベストかも知れません。
それと暗在翔子さんが面白い妄想を披露して楽しませてくださいましたが、個人的な属性はノーコメントとさせて頂きます。
四位基台の中心としての「神」という言葉、存在については、また機会があれば論じ合いたいと思います。
Re: 共産主義(者)の問題に関して
何が秀逸なのか。
それは社会主義&世界の資本主義の動き(つまり現世の動き)と、統一教会の動き(つまり霊の世界)とを、比較して論じていることです。科学的な論考だと思います。
コメント欄だけの文章ではもったいない気がします。
ぜひ、この論考を完成させてもらいたいと願っています。
その材料となれば、と思いついたことを2、3。
今日の朝日新聞の記事です。
http://www.asahi.com/shimen/articles/TKY201305050312.html?ref=com_top_pickup
タイトルは「(限界にっぽん)サムスン村へ、海渡る企業」
朝日は続きを読みたい人から金を取ろうとするから、せこい。でも、手元に新聞がなければ、図書館で読むほどの価値はあります。
それはマルクス(レーニン・スターリンとは違う)が予測した通りに、世界の資本主義が動いていることを示す記事だからです。
すなわち、「資本に国境はない」「資本は世界をしゃぶりつくす」。そのことを記事にしています。
もう一つは用語の問題です。
『原理講論』もそうだけど、統一教会&教会員さんが口にする共産主義関係の用語の使い方はとても曖昧だということです。
『原理講論』でいう「共産主義」とは、いわゆる現存した「社会主義」のことです。
「共産主義」と「いわゆる社会主義」との間には、男と女のそれと同じ(?)で、”深くて暗い河”があります。
マルクスが1917年のロシア革命とその後の社会主義建設を見ることができていたら、「なんじゃ、この化け物」と嫌悪したことは間違いありません。
知ったか批判の誹りを覚悟していうのですが、マルクスにとって一国社会主義革命、ましてや後進国での革命なんて、共産主義理論からすれば、「あり得ない」ことでした。
マルクスも「社会主義」という言葉を頻繁に使っています。しかし、それは共産主義への発展過程への一里塚として、予測した国家であって、いわゆる現存した「社会主義国家」とはまるで違います。
戦争にまで発展した中ソ論争でも、論点の一つになったテーマ(懐かしい)です。
いわゆる社会主義国家が崩壊したのは、別にというか全くというか、文鮮明氏とは微塵も関係なく、指摘されている通り、資本主義の法則(「資本に国境はない」)によるものです。
日中国交回復に、創価学会の池田大作氏が果たした役割がなかったと同じように(微塵もなかったとまでは言えないにしても、役割があったとすれば、池田氏ではなく、竹入元公明党委員長だったはず)
神々の黄昏さん論考の軸がすばらしいのは、縷々述べた資本の論理の視点を、統一教会についても演繹して、考察されていることです。
投稿文を読んで、私には資本が収奪しつくすことと、教団の韓国人幹部たちが「教会員から金をむしりとる」こと(野蛮で粗野な資本主義)とが同一に見えてきました。
このことはとても収穫でした。
借金してまで献金するのはノーと、教会員が意思を表明していたら、今頃、統一さんは存在していなかったでしょうし、このブログでつらつら書くこともなかったでしょう。
とまれ、刺激的な論考、感謝感謝であります。
なお、いわゆる社会主義国家がいまだあるとすれば、キューバだけだと思います。
中国や北朝鮮は、「いわゆる社会主義国家」だとは到底言えません。
同感です。
好むと好まざるに関わらず、強い経済力がそのまま支配力につながっているのが現実だと思います。
ただ、それでよいのか?
そのまま突き進んでいくことが、人類にとって幸福なことなのか?
私には、そうでないように思えてなりません。
ユニクロ柳井社長の最近の発言やユニクロの経営方針などを見ても、これで良いのかという疑問は膨らむばかりです。
http://www.asahi.com/business/update/0423/TKY201304220465.html
神々の黄昏さんはどう思われますか?
神々さん、黄昏さん
そう言っていただくと、芸人冥利に尽きます。
これからも精進します。ありがとうございました。
Re:悩める信者さん
米本さんがコメント欄で書かれたように、資本主義の法則とも呼べる経済の力学が社会を支配しているのが資本主義社会の現実です。
マルクスは 資本主義社会においては、企業家(資本家)の経済活動の目的は、ひたすら、より多くの利潤を得ることにあると考え、さらにその利潤追求の競争の結果、あらゆる資本が少数の大資本家の手に集中してしまうと考えました。
そして資本主義社会は次第に二大階級に分かれ、一切の利益を収奪独占するごく少数の大資本家と圧倒的多数のプロレタリアートの二大階級に分かれてしまうことになると結論付けたのです。
そして、圧倒的多数のプロレタリアートは結局は一つに団結して、資本主義社会を打倒するために決起し、革命が勃発することになるのが歴史の法則であると説いたのでした。
それに対して勝共理論は、現在の自由主義世界では 企業体は大部分が株式会社であり、資本主義経済が発達すればするほど、大企業はだんだん株式が分散する形態をとるようになる、とマルクスの時代との違いを指摘して マルクスの資本主義崩壊論を批判しています。
勝共理論においては 資本主義社会の問題点は資本家が労働者と技術者、事務員達には少なく利潤を分配し、多くの部分を過当取得しているところにあるとして 正しい経済政策の実現による解決策を説いています。
それは第一には利潤配分を公平にし適正化する方式をつくることが必要であること、第二に資本所有を大衆化させ、それを平準化させる資本所有の分散政策が有効であること、さらに第三として、一部産業の国有化の実施を提案しています。
そして、最も重要で合理的な経済政策は社会保障制度の実施と資本所有の大衆化であると説いています。
さらに、それらの政策の実現のためには人間の平等と秩序の原理を実現する、新しい価値観、新しい倫理観をもたなければならないと強調しているのです。
しかし、米本さんも書かれていましたが、社会主義国が自滅したとはいえ、冷戦時代の共産主義国家は そのマルクスが論じた資本主義崩壊後の共産主義社会ではなく、一国社会主義という形態をとった共産主義思想とは別物の社会主義国であり、結局それは崩壊してしまったが 以前として資本主義の法則が働いており、特に現代においては 国境を越えてその力学が働き「資本は世界をしゃぶりつくす」という現象も発見できるのです。
つまり、資本主義の問題点は一国のみの問題に止まらず、富の追求を目指してその矛盾を世界に拡大させている現象が見られます。そして、一国においては社会制度が発達していながらも、その資本主義の法則によって産業の空洞化という問題も発生し、ワーキングプアという社会問題が現れることにもなりました。
つまり、マルクスが指摘した資本主義社会の問題点は まだ完全に解決されていないということです。
そこで、悩める信者さんのような問題意識が発生する訳ですが、一国の経済問題について考えれば、勝共理論の提示した解決策が最も合理的です。
しかし、先進国に加えて発展途上国と関係した経済の問題を加えると、問題はより複雑になり、一国の政策では手に負えなくなってしまいます。
結局、根本的には、人間の平等と秩序の原理を実現する、新しい価値観、新しい倫理観をもたなければならないという勝共理論の世界的レベルでの実現が必要となり、それ以外に その矛盾を根本的に解決する方法はないと思われます。
ここで問題となるのが我が統一教会なのです。
それらの人間の平等と秩序の原理を実現する、新しい価値観、新しい倫理観を提示する思想とは勿論、統一原理、統一思想であり、その内容が充分にあると私は確信するのですが、如何せん、現在の統一教会組織は全く逆方向を向いているのです。
既に火の粉を払えブログでコメントしてきましたように、統一教会は共生共栄共義主義の世界を目指さず 経済的支配、権力が一点に集中し、下位の者は絶対服従を要求され、献金という名目で搾取される李氏朝鮮国家を連想させるような王国の建設をめざしているのです。
従って、悩める信者さんに対する答えは、理論はそこにあるのだけど、それを商売道具にして儲けようとしている「選民」達がいて、それが社会に伝わらない、としか今は答えられないのです。
Re:悩める信者さん
私も、神々の黄昏さんのお考えと全く同じ考えです。
神々の黄昏さんの理路整然としたコメントを読んで、同じ思いの食口がいると思い少し安心感を覚えました。
私は原理を聞く前から、資本主義、共産主義を超える新しい理念が現れなければ、人類の未来はないと思っていました。
もっといえば、マルクス、ケインズを超える天才が現れなければいけないとも思っていました。
それが、統一原理であり、文先生だと確信して献身の道を歩んできました。
しかし、今の統一教会のていたらくを見ると、人類を救う真理がここにあるなどとは恥ずかしくてとても言えたもんではありません。
人類の未来も心配ですが、統一教会の未来も同じくらいに心配です。
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