「統一村」の狂信的な住民の心理的構造 

:下劣な食口たち(1)

★ 末尾に追加情報を載せました!(1月9日記) 

 


この場違いとも思える写真は、記事を読んでいただければきっと笑ってもらえると思います。

 昨年の終わりにアップした「消えた!? 地上天国実現の日」の末尾で<予告-ヘドロ集団>を書いておいた。
 今回は、このヘドロ集団のことを取り上げることにする。

 

 最初に、年末の予告記事を再録しておく。

◆予告-ヘドロ集団◆

 一般社会とは関係のない狭いブログ村のことである。
 この火の粉ブログが一時期、同村の「統一教会カテゴリー」から別のカテゴリーに、管理人の私が預かりしらないところで、強制移動となったことがある。
 そのとき、世界日報のK氏のことを疑うようなことを書いてしまった。
 完全なる間違いであった。直接謝罪したが、「申し訳ないことをしてしまった」と、いつも喉にトゲが刺さったような状態が続いていた。
 彼のためにも、なんとか真相を確かめたいと、ずっと、思っていた。
  ところが、その手がかりになるようなことがブログ村の記事に書かれていた。
「キジも鳴かずば」さんのブログ「ある祝福二世の考え」に掲載された記事である。
 「新しい分派の傾向のある『新芽会』について」

 これを読んで、いろんな連中が蠢(うごめ)いていることがわかった。
 すぐに浮かんだのは「ヘドロ」だった。
 一般社会からほとんど知られることのないマイナーなブログ村。その中のさらに狭い狭いマイナーな「統一村」。その統一村の外れに沼がある。その沼の底には沈殿したヘドロがある。そこに棲みついている、気色悪い得体のしれない生き物たち。そんなイメージが浮かんだのだ。 
 
 その生き物たちが会員制の掲示板「グルっぽ」で、とぐろを巻いていることもわかった。

 記事を読んでから、早速さまざまなルートを通じて調査に入った。
 非公開の掲示板だといっても、参加しているひとたちは掲示板の外との接点がある生身の人間である。誰かに掲示板内の情報を話していることもあれば、家族や知人にPCを覗かれていることもある。それよりなにより「グルっぽ」の会員には、私と個人メールでやりとりをしたことのある教会員もいた(苦笑)。どんなに秘密にしていても、情報は必ず漏れるものなのである。
 それはともかく、ヘドログループの掲示板のすべては判読できなかったが、だいたいのことはわかった。

 どうやらすっきりした気分で年を越せそうだ。

 それにしても、拉致監禁の対象者である統一教会員(拉致監禁の体験者もいた!)が、拉致監禁を批判する火の粉ブログの影響力を削ごうとするとは!常識では信じられないことである。教団本部の拉致監禁対策委員会のメンバーだって、腰を抜かすだろう。


 これから、沼の底に生息しているヘドログループの正体について明かすが、私のようにネット(ブログ・ホームページ)をあまり見ない読者にとって、いきなり本題に入っても、何のことを書いているのか理解できないと思う。
 そこで、予備知識をいくつか書いておく。


予備知識その1-ブログ村とは

 まず、ブログ村のことである。
 私が火の粉ブログを始めたとき、ブログの指導教官に、ブログを広く認知させるにはと質問したところ、ブログ村に登録しておいたらと提案された。そこで、とりあえず「人権」カテゴリーに登録した。

 このブログ村とは、推測するに、こういうことだと思う。(間違っていたら、ご指摘を)
(1)私を含め無名の民草がブログ(日記)を始めるも、誰も読んでくれない。そこに目をつけた商才が少しばかりある人たちがブログ村なるサービスサイトを開設した。つまり、民草たちのブログをテーマごとに分類(カテゴリー化)し、ネット利用者に紹介しようというサイトである。(上掲の反転リンクは「哲学・思想」カテゴリー)

(2)しかし、一般のネットユーザーは、「ブログ村」サイトから自分の関心のあるブログを見つけるようなことはあまりしない。(実際、私もそうである)。であれば、ブログ村にどんなメリットがあるのか。
 それは、民草同士が身を寄せあうに「村」(カテゴリー)に生息し、互いのブログを見せっこし、人気投票をやる。
 つまり、これである。
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
にほんブログ村 をクリック!

(3)学芸会なのだが、民草たちはパソコンでブログを綴っていても、本質は孤独である。そんなときに慰めになるのが、ブログの人気ランキングである。
 <あっ、今回あがった><なんだよぉ~、いい記事を書いたのに><なんで、この下らないブログが俺より上なんだぁ~?>
 まあ、人間の優越感と欲念を利用した一種の刺激剤である。

(4)ブログ村に登録する人が多ければ多いほど、広告が入り、サービス会社は潤う。しかしながら、所詮、無名の民草が身を寄せ合う場。私のブログの右サイトで紹介している「内田樹の研究室」などの著名人は登録していない。ちなみに、内田さんのブログへのアクセス件数は約3000万件。
 ここがブログ村の弱点である。つまり、アクセス件数ミリオンブログの大半は登録していない。登録するのは無名の民草。実際、日本のブログの数は日経新聞によれば1300万件(正しいかどうかは不明。異論もある)。このうちブログ村に登録しているのは1%に満たない。
 誤解しないでもらいたいが、私はブログ村を決してバカにしているわけではない。いま真面目にやっている「老母介護」のことをブログにしようと思ったら、ブログ村のふさわしいカテゴリーのところに登録し、励まし合ったり、学んだりするだろう。     
 

予備知識その2-統一村とは

 話変わって、ブログ村のカテゴリー「統一教会」(以下、統一村)のことである。

(1)記憶は定かではないが、文国進氏が日本担当になってしばらくしてからのことだったと思う。彼は日本・統一教会の発信力の弱さを嘆き、食口に個人ブログを開設するように指示した。

(2)それから、雨後の筍の如く、食口ブログが相次いで誕生した。これが実に下らない。文章はともかく、一般の人が読んだら何が言いたいの、と首をひねるようなものばかり。
 子どもの写真を載せて「今日、娘の誕生日でした」とか、あるいは「教会でピクニックに行きました」とか。言い過ぎかもしれないが、自慰ブログである。
 ともかく、教会員なら読むこともあろうが、一般の人たちが決して見向きもしないブログが雲霞(うんか)の如く、誕生した。 
 
(3)食口ブロガーのアバウトだが取りまとめ役的なことをしていたある中堅幹部は、何とか世間の人なのか統一教会員にかは不明なれど、何としてでも、食口ブログを認知させたいと、ブログ村のカテゴリー「キリスト教村」に登録するように提言した。
 ところが、その後も筍はあちらからもこちらからも、ついにキリスト村の一角を占めるまでになってしまった。
 それでブログ村に「統一村」というカテゴリーを設け、そこにこぞって、民族の大移動の如く、引っ越すことになった。
 
(4)結果、波及効果もあって、現在、実質信者数6万人の統一村の住人は428人に(1月8日現在、増加中)。
 実質信者数200万人の創価学会村は45人。学会員でブログを開設している人はもっと多いが、ブログ村に登録している人はそれほど多くはない。それほど、食口ブロガーたちはブログ村に依存しているということである。
 なお、統一教会員でも数は少ないが、矜持をもって、ブログ村に登録しない人たちもいる。


予備知識その3-偏差値競争

 再び、私のことに。
(1)ブログ村に登録したことさえ忘れてしまっていた私に、ある元食口と現役食口が統一村の存在を教えてくれた。
「あそこに登録すると、アクセス件数があがりますよ」
 そんで、統一村へ移動した。火の粉ブログ開設から3年半余り経った昨年2012年の夏のことだったと記憶する。

(2)確かに、アクセス件数が100万台になったところで足踏みしていたが、アクセスは1、2割増えた。メデタシメデタシ。

(3)ところで、正直に告白しておくが、次第に私はブログ村の人気ランキングに呪縛されるようになり、順位に一喜一憂するようになった。子どもとその親の偏差値競争熱(比較する思想)と同じである。
 げに、人の心理とは面白いものだ。
 これはヤバイ、と我ながら自戒するようになった。
 そのように思わなければどうなっていくか・・・。


予備知識その4-
異質物の排除

(1)統一村の食口ブロガーたちも、私と同じで、統一村の人気ランキングに拘泥するようになった。
 そうなると、統一教会用語でいう愛の減少感が生まれる。妬み嫉みの気分(一言で言えば負の感情だ)がムラムラと生じてきたのだ。

(2)こうなってくると、悲惨である。
 なにしろ、食口ブログは世間の誰からも相手にされていない人たち。人口426人(現役教会員は400人弱か)が生息する、外に広がりを持たない統一村、そこでしか生きることのできない住民たちだ。
「統一村」から一歩外に出れば、すぐに疎外感を味わってしまう。おそらくアクセス件数は限りなくゼロに近くなってしまうだろうから。
 村人は外の世界を知らないので閉塞感など感じていないのだが、客観的に見れば閉塞感漂う村社会である。そこで生き抜くには、存在感を誇示するしかない。
 その意識が強い人たちは、ブログを毎日更新し、ランキングを維持するように努力する。
 ベスト10のブログは、火の粉以外は、ほとんど毎日のように更新している。1日2回という人もいる。まるでブログ依存症、悪く言えばブログフェチである。
 更新を怠ると、一挙に圏外に去ってしまう。人気ランキングに嵌まると、当人にとって過酷なレースになってしまうのだ。
  まさに競馬レース。♪走れ、走れ、コウタロー♪ だ。冒頭の写真を見てもらいたい。

 阿呆な食口たちは、こうのたまう。
「ブログの意義は毎日更新することにある」
 ヒェ~、バタン、死んだ。
 

(3)人気ランキングに過度に執着するようになると、上位にあるブログを蹴落とし、自分のを上にあげたいと真剣に考えるようになる。子どもの受験戦争とおんなじだ。
 その結果、自分たちの意に沿わない上位にランキングされているブログを何とかした~いィ~!。つまり、異質物を排除したいという気分が生まれてくる。
 ここまでくれば、正直、怖いというか不気味である。異質物の排除差別は密接な関係にあるからだ。

 なお、一言申し添えておきたいが、このことに教会員は自覚的であらねばならない。なぜなら、世間は統一教会を差別し、社会から排除したいと思っているのだから・・・。

(4)では、具体的にどうやれば、意見を異にする(「主流?統一教会 」 とは違う)ブログを、排除することができるのか。
 それは、「統一村」から別の村に移動させることだ。
 つまり、ブログ村の管理者に、執拗に、こう通報すればいいのである。
「あのブログは、統一教会というカテゴリーにふさわしくない。統一教会告発村(人口29人。統一教会員からのアクセスは少ない)に移動させるべし」   

  質問したことはないが、管理者はブログ村の管理を各村に登録しているブロガーの自主管理に任せているようなところがあり、それで通報が複数あると、当該ブログの記事内容を、また移動の対象とされたブロガーの意思を確かめることなく、通報者たちの意に沿うようである。
当該ブロガーの意思を無視するという点で、この移動は「強制移動」と表現される。日本語の表現としても正しい)

 ブログ村はなんだか無責任。そのように思われるだろうが、ブログ村の総人口(登録件数、住民数)は68万人もいる。これらのブログすべてに毎日、目を通し、「このブログのカテゴリーはここでいいのか」なんて検討していたら、いやそこまで言わなくても、通報があったブログだけでも、そこにアップされた数々の記事を読んで(火の粉の場合、単行本2冊分)、移動すべきかどうかを判断するようなことをしていたら、持ち出しばかり(人件費などブログ村の経費高騰)になって、商売にはならない。
 
  
 自主管理がうまくいくかどうかは、委ねられた個々のブロガーのレベル(人間性)にかかってくる。

 視野狭窄の食口さんたちでもわかるような例え話を書いておく。
「ラーメン」村に、「ラーメンより寿司がうまい」ことばかり書いているブログがあったとすれば、ラーメン村の住民たちはブログ村の管理者に「いつも寿司を推奨しているあのブログを、寿司村に移動させて欲しい」と依頼するだろう。この通報は全くもって正しい。

 では、こういう場合はどうか。
「寿司村」の中に、江戸前寿司よりも稲荷寿司、押し鮨、ちらし寿司、なれ寿司などほうが美味しいといったブログが入り込んでくる。
 寿司村の一部の熱狂的な住民は「江戸前寿司が寿司の正統派」という強固な信念に支えられている人たち。彼らは、管理者に要求する。
「あれらのブログは、江戸前寿司批判・告発村に移動させて欲しい。こっちとら、江戸っ子だ」(<俺たちはあいつらを寿司ファンの視界から消えて欲しいと願っているのだ>)
 この場合は正しいかどうか。いくら狂信的盲信的な食口ブロガーとて、正しくないと思うだろう。 

 まあ、こうした異常というか幼稚なことが、こと統一村で行われてきたのだ。
 
 ちなみに、「ブログ村-哲学・思想」を再度、覗いてみて欲しい。新(興)宗教の中で、「批判・告発」カテゴリーがあるのは、統一教会だけ!である。まさに異様である。

 長い前提はこれで終わり。次回はいよいよ本題です。


これからの展開が興味深いと思われた方は
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ
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追加情報ヘドロ諸君、君たちは反対派と真っ正面から闘ったことがあるのか!

「拉致監禁by宮村の裁判記録」 に、私の「陳述書(4)-山口氏の意見書は滑稽きわまりない」がアップされました。

 この陳述書は、山口氏の意見書の最初の「2」に反論したもの。
 木っ端微塵に粉砕したと自負しています。ぜひ、目を通してください。


【関連書面】<伊藤芳朗弁護士の陳述書-米本氏の陳述書に書かれていることはすべて真実。「山口先生,もう一度,以前のフェアな姿勢を取り戻してください」>

 全国弁連の山口広弁護士は反対派の親玉的存在です。
 ヘドロ諸君、君たちは山口氏を正面切って一度でも批判したことがあるのですか。統一村にとぐろを巻いて、強制移動などといった卑劣なことばかりしていないで、たまには外の空気でも吸ってみたらいかがですか。情けないったらありゃしない(泣き 

 
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コメント

強制移住に反対!

「まあ、こうした異常というか幼稚なことが、こと統一村で行われてきたのだ。 ちなみに、「ブログ村-哲学・思想」を再度、覗いてみて欲しい。新(興)宗教の中で、「批判・告発」カテゴリーがあるのは、統一教会だけ!である。まさに異様である」

 全く同感のご意見です。本人の意思を無視したカテゴリーの強制移住には断固反対を表明します!

遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

米本さんのブログ村考察とヘドロの話、新年早々、初笑として楽しませていただきました。

私もブログランキングに参加していたことがあったので(一応上位常連)、その時のことはよく覚えています。
上位による工作や、嫌がらせ、通報などブログ村の統一村で何が起こっているかよーく分かります。
ついでに、順位に一喜一憂する米本さんの心理状態も(笑)
米本さんの正直さには、いやぁ、笑わせていただきました。

「日本人、どこまで島国根性やねん!」って当時は思ったものです。

それにしても、ブログ村統一カテゴリでブログを公開している方々は、本当は何をやりたいのでしょうか?

シックを対象にしているブログがほとんどだと思われますが、内部抗争(まるで大学紛争当事の内ゲバじゃないか)や教会批判、礼賛、大本営発表(教会派・三男派)に明け暮れている暇があったら、統一教会外部の方々の人生観や生き様を揺るがすようなブログを作ってみたらどうかと思いますね(上から目線で失礼)。

別にブログ記事だからと言って、大上段に構えなくとも、日常の中の一コマにも、慎重に探せば、人の心を打つことなどいくらでもあるものです。
ちなみに、私がブログ記事を作っていた時に参考にしたのは以下の内容でした。

http://www.canaanstationjp.com/post-23.html

統一ブログ村の皆様、上から目線で失礼ですが、人の心や魂を揺さぶるような「自分の言葉に(原理や文鮮明氏の言葉を)咀嚼した」、記事を待っています。

新年早々、えらそうでスミマセン。

PS:ついでに言えば、内容に自信があるブログなら、ランキング対策よりも、検索対策をしたほうがいいと思います。
タグやブログタイトル、ブログ紹介文の中にどのような言葉(キーワード)を入れるか、それとリンク先の選択、それだけで検索上位に出てくる可能性が高くなります。
  • [2013/01/08 23:01]
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  • マンゴープリン
  • [ 編集 ]
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追加情報

 末尾に追加情報を載せました。お目を通していただけたら、幸いです。

Re: 遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。

 マンゴープリンさん、ヒサビの投稿、うれしゅうございます。

>私もブログランキングに参加していたことがあったので(一応上位常連)、その時のことはよく覚えています。

 へぇ~、あそこの住民だったのですか。驚き桃の木。

>ついでに、順位に一喜一憂する米本さんの心理状態も(笑)
米本さんの正直さには、いやぁ、笑わせていただきました。

 いやあ~、笑っていただき良かったです。ぼくは正直村の村長です。妙齢のご婦人を口説くときにも、「俺には13人の子どもがいて、かの文鮮明さんからひそかに表彰を受けたことがある」って、正直に語っているほどですから。

>それにしても、ブログ村統一カテゴリでブログを公開している方々は、本当は何をやりたいのでしょうか?
>統一ブログ村の皆様、上から目線で失礼ですが、人の心や魂を揺さぶるような「自分の言葉に(原理や文鮮明氏の言葉を)咀嚼した」、記事を待っています。

 無理無理ベービーです。
 統一村の住民の読者ターゲットは統一教会員さんのみ。伝道すべき一般の人に向って発信していませんから。自分の今日の気持ちを綴って、ハイ、自己満足。すべて内向き、内向きベービーです。
 まあ、自壊する過程の断末魔(矛盾の表出)なのでしょう。

 しかし、あそこもすぐに混迷すると思います。
 ハハ様が前面に出て、いろいろ指示するようになりましたからね。

 日本本部の混迷は、数ヶ月後に統一村にも影響が出てくるでしょうね。

統一教会ブログ村は切磋琢磨するのが理想

> 統一村の住民の読者ターゲットは統一教会員さんのみ。伝道すべき一般の人に向って発信していませんから。自分の今日の気持ちを綴って、ハイ、自己満足。すべて内向き、内向きベービーです。
 まあ、自壊する過程の断末魔(矛盾の表出)なのでしょう。

 しかし、あそこもすぐに混迷すると思います。
 ハハ様が前面に出て、いろいろ指示するようになりましたからね。


流石の統一村評です。
統一教会ブログ村に表れた現状の統一教会員の意識レベル、論理的思考のレベルを見れば 米本様のご指摘どおりです。
基元節が「摂理の完了」どころか「摂理の始発」に摩り替えられても、ほとんど問題にならず 公職者ブログは大問題を回避し、ひたすら内向き、内向きです。
自分達を取り巻く世の中に光を点すどころか、自分達の間にさえ仕切りを作って薄暗い家をさらに真っ暗くし 外の空気さえ取り込もうとしません。
しかし、その昔 あの新左翼や代々木系左翼学生にも臆することなく、真理を武器として外の世界に足を進めて行った精神と信仰はどこに消えてしまったのでしょうか。
もはや宗教統一、思想統一などという言葉は死語となってしまったのでしょうか。
統一教会の信仰を持たない米本様に軽蔑され、その閉鎖性を指摘されている現実が統一教会の凋落を物語っています。
こちらの「火の粉を払え」ブログの出発点を知れば、統一教会部外者とは言え、米本様が反対派のような偏見を持ってはいない良識あるジャーナリストであることは誰の目にも明らかです。
とりわけ、近年の歪曲された原理解釈が教会員の思考を益々狭い宗教世界に閉じ込めており、そこに危機感を抱いている教会員も少なくないはずです。
その統一教会の危機的状態を察知した一般ジャーナリストの意見こそ旧約聖書のヨナ記の話に例えてもよいのではないでしょうか。
統一教会ではタブーである真のお母様批判になることを恐れず、冷静に人物論的に韓総裁の言行を分析されることは決して神の意志に反することではありません。全ての人々にとって真の母であるのなら真のアベルとしてカインを自然屈服できて然るべきです。
韓鶴子総裁について一言だけ付け加えさせて頂きますと、様々なブログ記事においても決して芳しい評価ばかりではありません。
昨年11月4日にアメリカで韓総裁が講演されましたが、教会員に「自分の責任を果たす」ことと「失敗の蕩減を払わねばならない」ことを殊更強調され、「お父様と一緒に暮らしている間に、3時間以上寝たことがありません。」と御自分を証しされていました。
しかし、基元説の本来の意味も考え合わせまして 韓総裁が神様の妻となられたならば 是非とも実現して頂きたいことがあります。
その神様の妻としての真の愛と神霊の力で キリスト教会の中でも最大であるカトリック教会のローマ法王と会い、神の摂理に絶対服従するよう責任を果たさせて頂きたいのです。
そのような神様の妻に相応しい実績さえあれば、誰も韓総裁を批判などできないでしょうし、基元説に関しても 最低限の勝利はできるのではないでしょうか。
もし そのような地上天国の始まりがなく、物販摂理の始まりだけが現実となったなら、その時こそ統一教会の崩壊は間違いないでしょう。

韓総裁

神々の黄昏さん、

本気でそんな提案されているんですか?ローマ法王に会えたとしても、その会談で何も話すのですか?韓総裁は、真の父母に従いなさいと、と言うかもしれないけれど、でもそれをどう説明、説得するんですか?

最近、統一教(会)を家庭連合に改称する、天のお父様を、天の父母様と改称する、と言われたみたいですが、説明が不十分だと思います。意図はこちらが汲み取らないといけないみたいです。

メンバーたちだったら、意図を汲み取るけど、メンバーじゃない人に対して、意図を汲み取ることを期待できないんじゃないんですか?

文夫人の礼拝考

幹部の報告の後でちょっと語ってあとはケーキカットと信者の歌で楽しくお開き?

1,2回なら、ご愛嬌ですませてもいいと思いますが、韓国本部礼拝を月1回されて、一般教会の牧師が信者を感動させるくらいの説教は信者も期待してると思います。

でも日本では上手く編集して、韓国語がわからない状況の信者には神々しい雰囲気だけで使いものにはなるかもしれませんが、

なぜケーキカットと歌がお好きなのか、本人なりに考えてみました。

かつて信者だった頃、訓読会ではすぐ退場、大会後の祝勝会はケーキカットと歌合戦、ご夫婦のデュエットで万歳して終わってました、

日本では一人でちょっと挨拶してケーキカットと歌、大会では文さんの書いたのを読むだけ。

歌った人は嬉しいかもしれませんが、気に入った人を指名するだけ。
他の信者は下手(失礼)な歌をいつも聞きたいわけじゃないし、

そんなことしかやらないなら、
原理も聖書も何も知らないんじゃないかと思われても仕方ない。

本人は教会とは全く違う道を歩いていますが、
家族も友だちも個人的な夢も全て捨てて、韓国で骨を埋める身、
恨んではいませんが、青春を捧げた者として、この団体の行きつく先、最後まで見届けようと思います。

今年も頑張ってください、

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

お願い。

 最近、「このコメントは管理人のみ閲覧できます」という投稿が増えてきています。
 情報提供だけならいいのですが、そうでない場合もあります。

 たとえば、「非開示」にしたけど「開示」にして欲しいとか。
 管理人でも、これは不可能なのです。(このブログサービス機能では)
 また、質問もあります。メルアドが書いてないので、返事のしようがありません。


 ところで、以前、私は個人メールアドレスは書いていませんでした。

 当時はあまりにも迷惑メールが多かったこと、また拉致監禁派による荒らしが多かったからです。
 それも落ち着いてきたので、コメント欄では個人メールを明記しています。

 質問・要求などは、是非個人メールにお願いいたします。ペコリペコリです。

Re:韓総裁

>千尋さんのコメント
>本気でそんな提案されているんですか?ローマ法王に会えたとしても、その会談で何も話すのですか?韓総裁は、真の父母に従いなさいと、と言うかもしれないけれど、でもそれをどう説明、説得するんですか?

千尋さんの真剣な問いかけがありましたので、前のコメントを補足致します。
千尋さんは現実の問題として考えて 宗教上の接点と会話の困難さを想像され、共通点さえ見つからない韓総裁とローマ法王の会談の提案に当たり前の疑問を抱かれたのだと思います。
勿論、韓総裁の最近の講話内容などを聞けば そんなことを提案するのは正気の沙汰ではありません。
私が言いたかったのは その話の後の一言でして、そのような会談を実現できてローマ法王が神の摂理に協力するようになり、キリスト教の統一が現実化するぐらいの実績がなければ 基元説と「摂理の完了」は一致しないということです。そして そのような摂理の成果もなく、霊感商法などと一般社会から批判されて来た教会員の物販活動を復活させるとしたら、もはや 一般人は誰も統一教会を信用しなくなるということです。
つまり、逆説的に韓総裁がローマ法王と会い、神の摂理に一致させる話を持ち出してみたのです。
しかし、文先生が話された「神の摂理の完了」とはそのようなレベルではないのです。
その御言葉は 共産主義革命を凌駕する神側の革命が実現するということであり、現実的な神の国、あるいは神の世界が達成されねばならないという次元の話です。
ローマ法王を神の摂理に一致させることはその第一歩に過ぎず、キリスト教統一、宗教統一はまだその先にあることです。
しかし 千尋さんが「メンバーたちだったら、意図を汲み取るけど、メンバーじゃない人に対して、意図を汲み取ることを期待できないんじゃないんですか?」という疑問は 本末転倒のように思えます。
統一教会の設立目的は名前の如く世界のキリスト教の統一であり、決して過去のキリスト教や他の宗教を否定する立場ではありません。
原理講論の総序を読めばわかるとおり、神の存在とその目的、そしてその心情と愛を全ての人々が理解できるようにと提示されたのが統一原理である訳です。
もし、メンバーにならなければその意図を汲み取れないような理念であったならば 最初から宗教、思想の統一など無理な話です。
文先生が原理のエッセンスとして「為に生きる」あるいは「許せ、愛せ、団結せよ」という言葉を語られたのも、飽くまで全ての人々が同意できる原理として統一原理を提唱していることを示しています。
しかし統一教会が設立されて半世紀以上が経ちますが、教会の現状とその実践している宗教活動を見ても その設立目的を達成できるように思えないのは残念なことです。
現実は益々「カルト」化し、排他的となって 同じ食口に対してもサタンといった言葉を平気で使用します。とても統一などという言葉を主張できない団体に成り下がっています。
米本様でなくても、もはや 壊滅か改革かという選択肢しかないように感じます。
そのような訳で、韓総裁が 基元説が全ての摂理の完了で、韓総裁が神様の妻となられると仰るのであれば、ローマ法王ぐらいは伝道できて当然ではないのですか、という意味でローマ法王の話をしたとご理解ください。
 

伝道の実力

神々の黄昏さんが理念的なお話をされているのはわかります。私は現実的な話をしているわけです。

理念的に言えば、統一原理は、ローマ法王なり、プロテスタントの巨大教会の長なりを伝道することができる内容だと思います。しかしそれを短時間でいかに伝えられるか、は別問題です。誰だって、「まず原理を聞いてください」と言うことはできますが、一般人でなく、超VIPに対して、「私の紹介する講師から(またはDVDで)まず原理講義を00時間聞いてください」とは言えないでしょう。VIPに会見することすら大変なんですから、短時間で、霊的、知的、または情的に相手をまず感動させないと、先に進まないのではないでしょうか?

一回の会見で相手にインパクトを与えるには、かなりの実力が必要です。文先生だったらそれはできたでしょう。夫人は?

以前、「VIPを連れて行っても、韓総裁は、一緒に写真撮影して終わりだった」、という話を聞きました。それは極端な話かもしれないけれど、舌足らずなお話で終わってしまうのでは、と私は危惧するわけです。


すみませんでした。

ブログのシステムも知らずこちらのミスから勝手を言ってしまいご迷惑おかけして本当に申し訳ありませんでした。ペコリペコリペコリです。

結局言いたかったのは依存というか日本の統一教会員はそのDNAからか御父母様を戦時中の天皇のように神格化して敬っているように感じるという事です。
今は統一王国マンセーの戦争中で自分が死なないようにミッション遂行の為に負傷者を気遣う余裕もないですが、早く戦争が終わって落ち着く日が来てほしいです。

私は幸運にも夫に恵まれ何とか踏ん張ってますが、大変な相手とマッチングされた方の苦労には頭が下がります。
今は昔より韓国の祝福候補の質も重視されるようになったし、本人の意志も尊重されるようないい時代になりました。
歴史を見ると政略結婚がありましたが、教会でも愛情よりミッション重視の結婚は減りつつあるようです。

神様の愛に満ちた国境を超えた国際祝福は希望的な事だと思いますが、過去に悲惨な歴史の清算のマッチングを受けた方々の苦労は忘れてはいけないと感じています。

戦争で多くの命が散り血が流れました。
間違った戦争の中で庶民が犠牲になったように統一教会でも末端食口の報われない苦労がたくさんあり、早くトップが目覚める事を祈っています。

反省

 いつも拝見させていただいてます。

 ブログ村の解説を読ませていただいて、なるほどと思いました。
 ブログ村は、おっしゃるように小さな小さな溜まり場だったんですね。自己満足か・・・

 私は火の粉以外は関心がなくて、つまり読みごたえのある内容の記事がないように見受けられて、ブログ村サイトにほとんど目を通してなかったものですから知りませんでした。


~統一村の住民の読者ターゲットは統一教会員さんのみ。伝道すべき一般の人に向って発信していませんから。自分の今日の気持ちを綴って、ハイ、自己満足。すべて内向き、内向きベービーです。~


 多分私のブログ村の印象を代わって 言っていただいたような。
 揶揄される表現がなかなか的を得ていると感じることが多くて、ある物事への洞察力の勉強をさせてもらっている気がして、ありがたく思います。

 統一教会側から見ると表現がちょっと手厳しい気もしますが、これが“この世”(メンバ以外の“外界世界”を意味する統一用語)の現実的感覚を鋭く代弁しているのだと思い、シリアスに受け止めざるをえません。

 確かに、食口のメンタリティは残念なことに常日頃から米本さんが指摘されている通りだと思います。
 カルトのカルトたる面目躍如ですね。あえて”私たち”という表現を使いますが、私たちは多分に統一村という温室育ちが多いもので、いつまでも世間知らずのまま年月がたってしまい、純粋な心をキープしたまま歳だけとった者が少なくないと思いますね。
 宗教的“バカの壁”が知らずに自分の脳内に構築されてしまっているというか・・

 それは昔の自分にも言えました。
 客観的かつ多角的な視点をもてない期間というのが確かに存在しました。
 それを私は原理の呪縛といいたいと思います。(それは必ずしも悪い意味とは限りませんが)
 呪縛によって一方的な見方で突っ走ってしまうような、この考えしか正しいものはないと勝手に断じている自分がいたわけです。

 確かにある団体が目指す壮大な目標を一度に大勢で達成したい場合には有効な手段ですが。
 その目標が神様の摂理を助けるという崇高なものであればあるほど純粋な心はまっすぐに邁進するのです。

 私は一度それを通過して原理の呪縛というものが、風評として危険タイプかどうかを自分なりに身を持って検証していて、個人的には安心、無害、大丈夫と思っている。

けれど、誰のお墨付きがあるでもないただの人である私に、赤の他人にとってそんな観点はまったく説得力なしですし。
 
 けっきょく大丈夫とわかった大多数の教会人がこの世で実力を発揮して、正々堂々と人間性を認められるところまでいかないと統一教会のカルト性のレッテルを拭い去ることはできないでしょうね。
 いや、創価学会のことを考えたら、それさえもなんともいえない。
 宗教とつきあうということはほんとうに誰にとっても痛し痒しですね。
 つまり統一教会の前途はまだまだ多難というわけです。
  • [2013/01/11 09:05]
  • URL |
  • 在米食口・しーど
  • [ 編集 ]
  • TOP ▲

統一された一つの課題として?

ここで流行っているという皆さんの長文コメント投稿をなんとか私もしてみたい、という憧れからの投稿で、個人的な意見の羅列です。

神々の黄昏さんが「韓総裁は、ローマ法王と会い、神の摂理に絶対服従するよう責任を果たさせて頂きたい」と書かれ、それは実際現状難しいのではないか……というような千尋さんのコメントがあり……、神々の黄昏さんもそのこと(現実難しいこと)は分かって書いておられるようでもあり……。
それはさておき、天地・人類を創造した神様の妻となったと宣言・標榜するなら、その位のことは成して頂きたい(して当然)という意見は、広く一般に通用するものだと思います。
原理講論の総序にも、「(再臨主が提示するのは)宗教と科学を統一された一つの課題として解決することのできる、新しい真理」とあります。
しかし個人的には、原理講論は劉孝元氏という頭脳・教養・人格に優れた高潔な人物(一般的にいえば。詳しくは知らない)が書いた、劉氏の内容が流れ込んだもので、文氏の思想根源とは違う(ようだ)と割り切って、何ら不都合は感じていません。偉そうに響いて申し訳ありませんが、云わば、原理講論はこの世に無数にある“インテリの夢”の一つにすぎないと。

統一原理は、ローマ法王なり、プロテスタントの巨大教会を伝道することができる内容なのでしょうか?
アメリカを開拓伝道した西川勝氏が雑誌「救いの正体」で、統一原理の内容では、伝統的キリスト教の教義とそこから派生した西洋哲学を……(なんという表現だったか?10年以上前に読んだので)改宗させることはできない、切り込んで行けない、太刀打ちできない、原理講論自体がそれ以上のものではない、原理講論の内容自体に明らかな限界がある、と結論付けていました。西川氏は「内向き」でなく外に向けて大車輪で実践したはずの人物とはいえ、これも西川氏の個人的見解ではありましょう。
しかし私個人としても、罪のないはずの神の創造から罪の発生、ある時点での無からの天地創造などにまつわる矛盾を考えた時に(個人的疑問だったので(専門ではない)うまく言えませんが、目下ミスター珍氏がよくやっているようなこと)、長いキリスト教の歴史には同じような矛盾を突いた人物がすでに存在して、歴史上その時点ではかたがついている(論争の末、火あぶりが行われたり、論理上矛盾を糊塗して固めたりetc)ということを知った時、少なくても統一原理はキリスト教の矛盾を解決できない、キリスト教以上のものではない、という西川氏の結論は納得できます。
そういった矛盾に突きあたると、仏教やインド思想の内容のほうがリアルになってきたりしますが、それはそれとして、まずは「内向き」打破することは現・元 関係なく、目下の課題です。この傾向(内向き)は私のこととして、ひしひしと不都合を感じています。人間は社会的生き物というように、個人や家庭だけでなく広く社会に通じないと本当の満足感・幸福感は感じられませんから。

盛り上がってますね

諸先輩方、初めまして。メモナイオと申します。
僕も一つ、コメント書きたいなぁ、と思って書かせていただきます。
まず、皆さんは統一教会の将来について危惧されておられますが、僕が予想するに、この教会はもう何年と持ちません。いよいよ信者が疲れ始め、マトモな目、すなわち教会を客観視する視点を持ち初めているからです。
皆さん、今回の元基節は、実体的な天国実現のはずが、信仰のイベントにスリ変わりましたことは言うまでもなく、あらかじめ誰も、深い意味でその指し示すところを理解していませんでした。
誰もハッキリと説明出来なかったということです。
いえ、ちゃんと御言葉の中にその定義はありました。しかし、現実とギャップが激しすぎた。実体的天国と今の現実世界とのギャップが……。
摂理の完了がいつの間にか出発とすり替えられても、疑問を持たないなら、そりゃあ、純粋な信者が死ぬまで教会は存続するでしょう。
しかし、もういい加減そんな人は少ないのではないでしょうか?
本気で近いうちに天国が実現すると考えている純粋な信者なんて、もういないと言ってもいいでしょう。
さらなる僕の予想では、今回の2月22日が過ぎたあと数年後、「2013年のは失敗だった」と言って、やり直しが行われるでしょう。当然ウン十万も要求されます。公職者も各自でよくわからないまま、二回目元基節を説明し、献金することを迫るはずです。
もうお分かりですよね。これが終わった後また数年後「蘇生、長成、完成」の決まり文句のもとで三回目の元基節、すなわち完成級元基節が行われるようになるでしょう。当然ウン十万付きで。
完成級元基節が終われば三つの元基節を統合した間接主管圏時代における全ての元基節が終わり、今度は直接主管圏時代におけるイベントがあるはずです。云うまでもなくアレ付き。

いくらなんでもキリがない。
これらはほとんど金集めであって、統一教会の厳格な教義から、これらの意味を見つけることができません。
 皆さん。もうすでに神様はこの教会を捨てたのではないでしょうか?
 いいですか、教会が奪ったのは金だけではありません。教会がとったもの、それは神様でした。心の中におられるとされるはずの神様は、「教会は神の家」という言葉とともに心から奪われ、お父様を神格化しては我々とお父様との距離を離した。祈れば答えてくれた神と私たちとの間に、思惑蠢く協会組織が割り込んできました。心の中で愛が枯渇した信者たちはお互いを激しく分別しあい、アベルだのカインだのと言ってはよく争いました。カインを後ろ指でさしてはサタンと罵ったではないですか。
僕たちは今まさに、献金でもなければ、協会への貢献でもない、純粋な信仰に立ち返る時なんです。
慎ましやかに信仰生活を送り、教会のせいで愛せなかった家庭を愛していれば、どうして叩かれることがあるでしょうか。
完全に道を間違えました。今の教会の腐敗は教会で言われるような、食口たちの精誠不足ではありません。神様がここに見切りを付けられたからなんですよ。信者たちはよく頑張ったじゃないですか。

所詮同じ穴の狢、

教界派も三男派もシックのメンタリティーなんですよね。
組織、幹部、真の子女を批判しても、
本家本元の文教祖の批判は絶対しない。
かすかに、そこに問題があると感じていても直視しない。
実にアンタッチャブルなんですよね。そこに触れるとあたかも自分自身が崩壊するかの如くに。。。
下記の記事読んで頂ければ幸いです。
私はこの方の意見に同感しています。
http://ameblo.jp/5200043/entry-11438688312.html#main

Re.韓総裁(Ⅱ)少し追加しました。

皆様の、崇高な投稿の合間のタイムリーでない、ボケ投稿になりそうですが・・。

千尋さんがおっしゃっていた、神様の呼び方と教会の呼び方についての補足説明です。
しかし、これは私が直接聞いたわけでなく、さらに私はハングルを理解できませんので、訳してもらった文章からの情報であることをご理解ください。

韓総裁は、1/7に加平(清平=チョンピョン)で、

「神を旧約時代は『ヨホワ(=エホバ)』、新約時代は『ハナニムアボジ(=天の父)』と呼びました。しかし、真のお父様は摂理歴史を完成されました。基元節は神の夢が完遂(かんすい)される日です」、「私たちは神様の名前を変えなければなりません。『ハナニム』ではなく『ハヌルプモニム(天の父母様)』と呼ばなければなりません。

とおっしゃったそうです。

また、教会の名称を変えることについては

「これからは『統一教』ではなく、『世界平和統一家庭連合』です。私は、これを基元節の後に宣言するつもりでした。しかし、今から始めます」

と語られたそうです。
これに対する補足説明としては、

「統一教会は、1954年に「世界基督教統一神霊協会」と登録され、1994年に「世界平和統一家庭連合」と、統一運動はいろいろな宗派の信仰を含むという文鮮明先生の御心をあらわすために変更されました。2009年に世界会長に任命された文亨進(ムンヒョウジン)世界会長は、「家庭連合」の名称を「統一教」に復帰させられました。」

というお話をされたそうです。


ここにも、『真のお父様は摂理歴史を完成されました。』とありますが、火の粉を払えでも、米本さんはじめ皆さんが、たびたび、今の教会の惨状をみて、なぜ、文先生がすべてを成したと言えるのかと議論されていますね。

以下は、私の個人的な見解です。

私は、かつてイエス様が十字架の露と消えられた時に、基督教は完全になくなったと当時迫害していた人はもちろん全ての人が思ったのではないかと思いますので、いまの教会の状態に希望がないとは思っていません。むしろ、イエス様は十字架で亡くなられた後に、地上にイエス様の教えを信じて行う人がいなくなったため、御自身で再び12弟子を探していかなくてはなりませんでしたが、統一教会には私ももちろんそうですが文先生の教えを信じて行う人はたくさんいますので、完全崩壊することはないと思います。
しかし、今のままの教会の状態でいいと思っているわけではありません。もっともっと、いろいろな教会の問題点や矛盾も出てきて混乱もしながらであったとしても、内部浄化していかなくてはいけないし、食口自体がもっと世の中のことも知らなければいけないと思っています。


私が20才の時に創価学会の信仰二世で小学生来の親友が、
「どうして、十字架で殺されるような罪人の宗教を信じるのか、あなたは間違っていると」
と激しく私を非難しました。
当時、統一教会の御言葉を聞いたばかりの私は、何も説明ができなくて、ただ、自分の心が感じていることをしどろもどろに一生懸命説明するだけでした。
創価学会の青年の研修会から帰ったばかりの親友は、機関銃のように私を攻めたてていました。途中で親友のお母さんが彼女を呼んだのですが、帰ってきたら「そんな言い方をするもんじゃないと注意された」と言ってましたので、今ではほとんど覚えていませんが、傍で聞いていて私が気の毒に思えるほどの言い方だったのだと思います。
その後、彼女は「あなたが、信じるというんだったら、もう、これ以上は言わない。じゃあ、こうしよう。それぞれが信じる道をいって、10年後に、また今日のように話し合おう。」と提案しましたので、私もそれを受け入れました。

10年たった時に、そのことを話してみたら、いまは創価学会ではなく、日蓮正宗だけれども、あの時ほどは信じていないということでした。御主人も同じ信仰を持つ人ではないこともあり、あまり話したくなさそうでした。私も日頃、御主人が統一教会に反対していて苦しんでいる婦人食口と交流していて、その痛みや悲しみを感じていましたので、それ以上信仰についての話はできませんでした。

私は、今でもあの日のことは忘れることがありません。
彼女はその後も私を心配して霊感商法批判の嵐が吹き荒れるときにも、「私はあなたを信じているけれども、テレビも見てみて世の中の人が統一教会をどのように見ているのかも知ったほうがいいよ。」と言ってくれました。

私に基督教や統一教会に対する多角的なものの見方があることを教えてくれた親友に、今も感謝しています。
また、米本さんはじめここに投稿される方達にも同じように感謝しています。

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